
はてなキーワード:同人誌とは
FANZA同人のセールで安い順に並び変えたら5円で販売してる商品がいっぱいあったけど
なんかすごく独特な世界が広がっていた
エロ漫画雑誌に読者投稿の絵とか載ってるけど、あんな感じの世界があった
5円でも読む気にならない
はてなに書いてみたいと思った。
その子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。
その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。
その子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学で電気工学を学んでいた。夏休みの帰省先である実家は、(秒速5センチメートルの聖地)隣の栃木県にあった。
ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。
当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。
その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。
帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである。
親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ。
私は任天堂のキャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。
ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミもPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫やトカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。
親戚の子ども達は居間でゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ。
居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生の相手をすることもあった。
野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。
野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。
それはそれとして、大学生であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校~中学校の頃は、それこそ年に何度も。
うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母が漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである。
私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。
中学生や高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。
しかし大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父の時代は学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。
20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。
え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。
今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。
夏休みや冬休みの宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。
野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。
ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。
野乃花について、はっちゃけた雰囲気の子を想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。
夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。
親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCでヤフーのポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。
彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカでトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである。
25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。
親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士の試験を通った。
それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生で彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性。
ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。
廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。
私は別に、ロリータの同人誌やアンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学の勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。
野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。
親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。
それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。
野乃花が小学校を卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。
デート場所は茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ、鳥取~島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピング、グルメ、自然、文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートル』ごっこになってしまうのでやめた。積雪で電車が止まるかもしれない笑
その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後は美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。
電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説に地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。
「仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。
あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。
(以下閑話)※当時のメモを参考
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年齢差についての関数
年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。
お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率をもっと一般的に表現すると……。上記のf(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2
f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。
元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである。
直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。
方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数はゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数が微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数がゼロになるxの値が存在しない。
年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠に埋まらないという無慈悲な証明だけが残った。
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(閑話終わり)
野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界のIT企業に転職した。広島市に営業所があるメガベンチャーだった。
仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEのメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。
今は独立して、都内でIT関係の下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員の株式会社にしたいと思ってる。今の自営業の屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。
なぜ、この日記を書こうと思ったか。正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。
其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父も祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。
玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。
野乃花と会うのは約15年ぶりだった。
私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットでアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。
話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。
野乃花を見た後で考えた。
まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホを操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。
本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。
近所の散歩が終わって、台所兼ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。
飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。
「久しぶりだね」
と私が声をかけると、
「増田くん元気そうだね」
と返ってきた。
面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。
子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人だから、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。
思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画・小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。
でも、野乃花が不意に言ったのだ。
心臓がドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。
でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。
「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」
野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。
それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。
結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚を経験していた。
なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。
読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。
メガベンチャーに転職をして地方都市に引っ越した後、仕事の人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。
ある情報によると、発達障害の精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。
一方で、一般的な女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年齢12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。
あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。
話は以上である。
我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。
でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。
明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白い日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。
打ち切りがどうとか編集?に言われてるけど、少なくとも多作の才能はあるわけで、
多作は自分のようなバカにも思い付く、ヒットする条件のひとつです、うらやましい!😟
富野とか、ファーストガンダムとか、削ぎ落し工程あったんだろうか…😟
ないにしても、思わせぶりな演出をするのが上手かったし、
ファーストは特に、打ち切りとか上からの都合が功を奏してしまって、
没になった、アムロが死んで、そのあとクルーが頑張る、みたいなのとかも、没で良かったわけで、
運とか偶然もあって、ラストシューティングだの、僕には帰るところが、だのになったわけで、
余計なことを多いページ数で書いちゃったのは、御大に失礼だけど、安彦先生ですよ、
ORIGIN、特にアニメになってしまったキャスバルとアルテイシアの幼少期みたいなのは、
本当に富野のファーストがあるから、我慢して観てる、感じになってしまって、
あー、こういう同人誌もありだよね、みたいな微笑ましさで観るから耐えられる、
失礼ながら、ジークアクスも同じだった、
こういう同人誌もありだと思うけど、敢えて空白にしたところを埋めるなよ、
この描かれてない空白の間、キャラの~は何をやってたか、みたいなの描くと面白いじゃないですか…😟
でも、そこは敢えて空白にしたのであって、埋めたら蛇足なんですよ
ブコメにある、打ち切りにならないと判断した途端に、長い回想が、みたいなもんですよ、
もしかすると、これは「同人誌」か、あるいは「パロディ」だったのではないか?
察しのいい人なら、もうお気づきだろう。
おそらく、「浦島太郎」の原型となる本当の物語は「島太郎」だったのではないか。
助けた亀に連れられて竜宮城へ行き、やがて地上に戻ってくる——筋書きはほぼ同じだ。
だが、その「島太郎」には、もっと納得のいく結末があり、きちんとした“教訓”が添えられていたのだろう。
人が善行を積めば報われる、あるいは欲を抑えることの大切さ。
そうした昔話らしい道徳が、そこにはあったはずだ。
その「島太郎」は、人々に広く親しまれた普及版寓話となり、語り継がれていった。
「なあ、本当の“島太郎”って、実はこんな感じじゃったんじゃないか?」
こうして、“裏の島太郎”、すなわち『裏島太郎』(のちの「浦島太郎」)が生まれたのではないか。
「裏島太郎」は、原作『島太郎』を知る人々にとって、笑いと風刺に満ちた逸話だったのだろう。
亀を助けても得をせず、むしろ玉手箱を開けて老人になってしまうという結末。
本来なら報いがあるはずの展開を、あえて逆転させた不条理さが、当時の人々には痛快に映ったのかもしれない。
だが今では、肝心の「島太郎」そのものが忘れ去られてしまった。
だからこそ『浦島太郎』を読むと、なにか“狐につままれたような”不思議な感覚を覚えるのだ。
本来の寓話をパロディ化し、教訓を脱臼させた——それが、私たちが知る『浦島太郎』という不思議な物語の正体なのかもしれない。
『島太郎』を知る者なら、その構造のユーモアに思わず笑ったことだろう。
結果として、“原典不明のパロディ”が“正典”として君臨することになったのだ。
案外、この仮説、間違っていないような気がしてならない。
・カプ厨大勝利!
でも自分は「くっつくかくっつかないか分からない2人の関係」に萌えてたので「別に好きではないカプの同人誌を見させられ続けた」という気持ち
「大人になってからのトラウマを作ってやろうか!!!」とかキレまくるアシカとかフッ軽(片方歩行器)のヤギとか
来そうで来ないシャイニングパロとか
・潜入捜査名目で推しカプのこのシチュが見たい!を連発は同人誌なんよ
・なにもかも言語化しすぎィ!
・バディ(カプ)
・なんかやっぱりエレメントみたいに「物語のパーツを組み合わせて作った」ツギハギ感あるんだよな で、作成スタッフ陣の中でニクジュディカプ推し派が勝利して映画の中で幅利かせてる感じ
・ヌマルネコにも蛇にも感情が沸かないうちにグイグイくるから「お、おう」ってなる
女と会話する機会もない
スマホを開けばゲームにエロコンテンツに女叩きにレスバに夢中で若い女向けコンテンツを把握する暇は1秒もない
「女向けコンテンツ」に触れるのは朝の出勤時や昼メシ時に休憩室で自然に目に入る地上波の芸能情報のみになる
なので女向けコンテンツといえば地上波に出られる芸能事務所所属の男性アイドルグループしかわからないので「日本の女は全員ジャニーズが好き」と真顔で主張する
もちろん芸能男性アイドルグループが女向けコンテンツの主流から外れた事すら理解できない
Kポファンは新しいの出てきたらすぐに乗り換えるだろうからどうでもいいが
スタダの方が歌もルックスも圧倒的にいいのにジャニオタってどうしてジャニオタなの?って一生思ってる
おばさんは何が好きなん?
魂までホビットになっとるね
器が小さいよね
なるほど
かつてオタクをしていたジャニーズのオワコンっぷりから離れてしまう罪悪感を正当化したいのと
「日本の女は皆ジャニーズに夢中」と長年自分に言い聞かせてないとこういう思考にならないよな
Xで次々とホビットがたぬかなに呪詛を唱え、世間も「たぬかながホビットに逆恨みされてビビって返金やイベント出演中止w」と失笑する中
たぬかな信者ホビットおじさんのワードに切れて噛みつき、最初はスタダ好きの女を装っていたのに、たぬかなに投げ銭していた自分の恥部をなかったことにしようとして正体をバラす茨城のホビットおじさん
ホストもあるのにな
推し活する女よりペットを溺愛する女の方が圧倒的にマジョリティ、女性向け風俗に至っては業者数も検索数も少なすぎて論外
だがたぬかな投げ銭ホビットおじさんは女は男に依存しないと生きていけない生き物だと主張し続けてるから女はみんな芸能と風俗に依存しているという設定になる
100円もったいない!なんで!なんて作者に直接言えない
マシュマロでも送れない
100円出して本を買った読者としては、やっぱり紙媒体で、この本を手に取った者じゃないと読めない特別感を感じたい(いや、私が買ってない本だけどさ)
100円で買った短編同人誌、すぐさまWEB再録されちゃったら、ただでさえ何度も読み返すようなものでもないのに、それを買った人の中でその本の価値がさらに下がってしまわないか?
同人誌を頒布したときからあんまり期間をあけずにpixivにアップしてくれるの
その本に対してどれだけ読者が思い入れあるかで感情が変わってくるよね
あんまり同人誌を買わない側からしたらただでpixivで同人誌を読めてありがたい
自分が持ってる本でも、その本が大好きならWEBでも読めて嬉しいって思う
先日、100円で売った同人誌をイベントから一か月もあけずに期間限定でpixivにあげている人がいて
いや、100円出してわざわざ買った人達、こんなに早くWEB再録しちゃっていい気持ちしないだろと心の中で突っ込んでしまった
でも、イベント会場に足を運んで、わざわざあなたのブースに来て、お金出して本を買ってくれた人をもっと大切にしたらって言いたくなってしまう
まぁ私はその本を買った人間ではないのだが
WEB再録しちゃったら、その本が売れ残っててももう買われないでしょう。100円だし、短編だし
女と会話する機会もない
スマホを開けばゲームにエロコンテンツに女叩きにレスバに夢中で若い女向けコンテンツを把握する暇は1秒もない
「女向けコンテンツ」に触れるのは朝の出勤時や昼メシ時に休憩室で自然に目に入る地上波の芸能情報のみになる
なので女向けコンテンツといえば地上波に出られる芸能事務所所属の男性アイドルグループしかわからないので「日本の女は全員ジャニーズが好き」と真顔で主張する
もちろん芸能男性アイドルグループが女向けコンテンツの主流から外れた事すら理解できない
Kポファンは新しいの出てきたらすぐに乗り換えるだろうからどうでもいいが
スタダの方が歌もルックスも圧倒的にいいのにジャニオタってどうしてジャニオタなの?って一生思ってる
おばさんは何が好きなん?
魂までホビットになっとるね
器が小さいよね
なるほど
かつてオタクをしていたジャニーズのオワコンっぷりから離れてしまう罪悪感を正当化したいのと
「日本の女は皆ジャニーズに夢中」と長年自分に言い聞かせてないとこういう思考にならないよな
Xで次々とホビットがたぬかなに呪詛を唱え、世間も「たぬかながホビットに逆恨みされてビビって返金やイベント出演中止w」と失笑する中
たぬかな信者ホビットおじさんのワードに切れて噛みつき、最初はスタダ好きの女を装っていたのに、たぬかなに投げ銭していた自分の恥部をなかったことにしようとして正体をバラす茨城のホビットおじさん
ホストもあるのにな
推し活する女よりペットを溺愛する女の方が圧倒的にマジョリティ、女性向け風俗に至っては業者数も検索数も少なすぎて論外
だがたぬかな投げ銭ホビットおじさんは女は男に依存しないと生きていけない生き物だと主張し続けてるから女はみんな芸能と風俗に依存しているという設定になる
たぬかな信者の高齢未婚アンフェホビット「日本の女は全員ジャニーズが好き」
ようやっと果てしなきスカーレット見たけどギレルモ・デルトロのよさが再確認できた
デルトロのフランケンシュタインもフランケンシュタインの二次創作同人誌みたいな内容だったけど
原作を膨らませて一部は置き替えながらも作中での整合性に手を抜いてなかった
果てしなきスカーレットの最大の問題点はハムレットとダンテの神曲の二次創作をする際に
自分の盛り込んだ設定と元ネタの設定の整合性の手を抜いたことだと思う
いろんな擁護勢の文章読んだけどどいつもこいつも言ってることは
細田守はこういうことを描いているんですよというモチーフ読みだけど
桃太郎の途中で犬が銀貨30枚で桃太郎を鬼に売って涙を流す展開が入ってきたとして
いやぁこれはイスカリオテのユダの裏切りを表しているんですねぇって言われても
なんで犬が鬼に桃太郎を売る必要があるんだよそんな前振りなかっただろ!としか思えないし
私は副業でアダルトありのチャトレ嬢をしている。この文章はその愚痴なので嫌な人はあんまり見ない方がいい。読みにくいよ。
売りとしてはコスプレと巨乳ながらそこまで太っていない体、パイパン、ロリボ、趣味で読んでるエロ漫画への造詣の深さである。
ちょっと変わったアダルト系コスプレや意味わからん下着を三桁前後で売ってるシーインは偉大だ。洗濯してから着てるけど今のところトコジラミは目撃していない。
こういうのをしてるとたまに、エロが好きだからやってるの?とか、実際に会おう!その方がお互い満足できるよ、だとか、ここお金かかるからラインとか行こ!とか、痴漢とか嬉しいの?と聞かれる。ガチトーンで。
要するに本気で、私がエロが好きで、見られたくてやってると思ってる層がいる。
私はこういうのを始めるまで、まあ買う側=男性サイドも報酬ありきで女性がこういうのをやってるんだとそれなりに理解してるんだと思ってた。だってそうじゃん?みんな無料で働きたい?なわけなくね?
なんだけど、そもそも男性としてはこれを労働だと思ってない層が多いんだよね。
なんでだろう。報酬が発生するのは男性側も承知のはずだ。使ってるアプリは会おうというのを明確に禁じてない(推奨はしてない)のでまあダメ元で会おう、ライン行こうというのはわからんでもないが。
別に好きで見せてるなら最初からタダで見せるんじゃない?だってその方が人多いじゃん?報酬が発生する場所でしかやってないってことはつまりそういうことだろ。
まあエロが好きというのは否定しない。オタクだし男性向けコンテンツが好きなので、男性向け18禁同人誌もかなり読んでいる。
その中には自分の好みであるものもあるし、好きで読んでいることは否定しない。それを読んでることを売りにもしてるわけだし。他の女性よりはかなりエロだの性癖だのに理解があると思っている。無様エロとかも見る。有名作家ならある程度語れる。
でも別に自己投影してるわけじゃないし、実際レイプだのされたら全力で抵抗するし感じることもないだろう。言葉責めとかされたら爆笑してしまうかもしれない。
あれって二次元のキモいおっさんが自嘲込みでやるかえげつないイケメンがやるかしないと形にすらならんだろ。三次元に持ち込むなよ、お笑いにしかならんて。いやまあこれやりたいのって男性側のオナニーなのはわかるけどさ。
それでもチャトレをやってるのはエロに抵抗がないから二割、お小遣い稼ぎにはちょうどいいから八割である。自分が感じて〜とかは一切ない。
電話かかってきた時もトークも自分の型が決めてあって、無心でそれをこなしてるから気持ちなんか入るわけない。ぶっちゃけ話繋げてカワイイ声出して見栄えがいいように無理すぎる体勢してってめちゃくちゃしんどいぞ。
見られて興奮する♡とかそんな暇、本当にない。一人終わったらはい次、はい次、合間合間に返信と営業、ってやってるから割と頭パンクしそうになる。
どちらかというとビデオ通話のテレアポに近いかも知れん、やったことないけど。無心でこなさないと着信もメールも捌けないよ。正直稼働中は楽しいとか悲しいとか考えてる暇はない、死ぬほど忙しい。
金がなければ体を見せる義理はないし痴漢なんてもってのほか。報酬がなくなれば迷いなく辞めるだろう。
そら漫画やAVの世界ではそういうのが好きで体を見せてる人もいるからもしかしたら勘違いするのかもしれない。現実でも承認欲求のためにやってる人もたっくさんいるだろう。
私が承認欲求でやってるとしてもよーく考えてみて欲しい。
ただ見たい!って言われるよりさ、金払って君の体が見たい!って言われる方が承認欲求満たされるだろ。絶対。
しっかりして欲しい。君はモテなくて彼女がいなくてorいてもあまり相手にしてもらえないから金払って人の体を見てるんだろ。金がないならやるな、リアルで女と会いたいなら店に行くかパパ活するかティンダーで頑張るかしてくれ。おじアタックはやめるんだぞ。
君が無料で私と絡みたいっていうのは私の自己肯定感を下げることにしか繋がらないんだよ。
金払わないけど見せて???無理無理無理商品なんだよ。試食で全部食わしてってなんねえじゃん。痴漢が嬉しい???こっちからしたら万引きと同じだからな。
個人的な考えだけど、こういうのしてると性犯罪って売りもん盗られるみたいな感覚になる。
客次第だと性犯罪とかも寛容そうとかとんでもないこと言い出すバカもいる。逆だよ。
私の体は売り物だからそういうのされたら商売あがったりなんだよ。逆に厳しくなるに決まってんだろ。ダメ、性犯罪。
触りたい、見たいなら金を払えよ。いや痴漢でないと満足できないとかの精神病も知ってるけど病院で治すか金払ってサービス受けろとしか。病気だから性癖だから金がないから?知らんて、こっちには関係ない。
この辺、まだ18〜22歳って人が言ってるんならまだわかんなくもないんだけどおっさんがガチで言ってるのが多いから本当にゾッとする。
いやまあそういう人が集まりやすいのはそうなんだけどさ。あまりにも数が多すぎるだろ。
若い人のがこの辺説明したら納得してくれるし綺麗に楽しんでくれるんだよね、なんでなんだろう。SNSで夜職の怨嗟がバズりやすいから目に入るのかな。
逆におっさんに説明するとめちゃくちゃキレられる。金払ってまでみたくない!とかね。ならこんなサービス最初から使うなよ、私じゃなくてアプリ自体が一番最初にシステム説明してるよね?私が説明しなくてもわかってるよね?手に持ってるスマホでなんぼでも調べられるよね?不思議すぎる。
なんでこんなシステムや商売があるのか、なんでそういう場所にいっぱい見てね♡っていう女の子が多いのか、論理的に考えたらわかると思うんだけどな。
主語でかいって言われそうであれなんだけど男ってエロ関連すると一気に脳みそ焼き切れる人多いよね。とくに射精寸前の時。顔がきしょくなるしな。
いいから見せて、いいからあれして、プラベでヤるときもいやとりあえずこれして!みたいな。
いやこっちはよくねえから良くないって言ってんだわ、日本語わかりますか?わかってないんだろうなこういうこと言ってる時。
なんだろちんこに血液持ってかれるから?脳の血の巡りが悪くなるから?賢者タイムとは言い得て妙だなと。
私の考えが間違ってて、こういう理屈だから男はこう思ってるんだよ、みたいな意見があれば教えて欲しい。男の気持ちわからないから。
なんかさ、本気でムカついたから書くわ。
こっちが何時間もかけて色選んで、試行錯誤して、私だけの配色を作ったのにさ、
「スポイトで色吸って使いました〜」
みたいなノリで平然と真似してくるの何?意味わかんないんだけど。
「色に著作権はない」とか言ってくるやついるじゃん?
こっちの努力をただのクリック一発で盗んで得意げになってんのがムカつくっつってんの。
人の配色は盗んで当然みたいな態度なのほんと頭悪くない?
あと「色なんて誰でも使える。盗まれたとか被害妄想では?」みたいに言ってきたやつ。
いやいやいやいや
じゃあお前の推し絵師の色配色全部真似て同人誌出しても文句言わねぇんだな?
それで「被害妄想」とか言えるんだな?
私は一ミリも悪くないし、
なんなら盗んだやつが100億%悪いから。
色スポイトってさ、
その一線を越えてきておいて、
「色に著作権ないし」「騒ぐ方がダサい」みたいに被害者を嘲笑う感じがムリ。
もうほんとに書いとくからな。
私の配色スポイトして真似するとか二度とすんな。
私は被害者。
Permalink |記事への反応(14) | 23:49
珍しくふと、映画館で映画を観たいと思った。最後に映画館に行ったのは11年前、中学の頃親と一緒に行ったっきり。自力で映画館に行ったことも無いのに、なぜかそんな気持ちになった。
細田監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ちょうど公開されるらしい。小学生の頃、金ローで放送された「サマーウォーズ」を録画して、繰り返し観た記憶が蘇る。これは観るしかねえと思い立ち、TOHOシネマズに向かった。
結論としては、良いところはあるものの、やはり細田脚本には問題があると言わざるを得ない出来だった。本当に現状のままでいいのか、細田監督を問いただしたい理由をまとめた。
(1回見ただけなのでおかしいところや思い違いがあると思うけど、容赦してね。)
【以下、ネタバレ】
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まずは簡単にあらすじを紹介。愛する父親を殺された王女・スカーレットは、父親を殺した叔父・クローディアスの暗殺に失敗。死者の国で目を覚ます。スカーレットは死者の国で、現代の日本からやってきた看護師・聖と出会う。スカーレットは聖と共に、かたき討ちのためクローディアスを探す旅に出る。
本作が題材にするのは報復の連鎖。細田守監督自身がインタビューでそう語っており、私もその予備知識ありでスクリーンに臨んだ。では、憎しみと復讐の連鎖に伴う辛さ、やるせなさが描かれているのかと言われれば、十分に描かれているとは言えなかった。
正直なところ、憎しみや復讐の描き方は「進撃の巨人」の圧勝。こちらの方が断然よくできている。本作は「進撃の巨人」と比べて、憎しみと復讐が続いてゆく辛さ、やるせなさが身に強く迫ってこなかった。
一つは、愛する父が暗殺される→クローディアスの暗殺に失敗→死者の国へ、という冒頭の流れが説明的であること。スカーレットが抱える憎しみとその辛さは理解できるものの、それが自分の身に起こったかのように感情移入できなかった。「物語への圧倒的没入体験」を掲げる本作であるが、没入できないもどかしさが最後まで続いた。
もう一つは、クローディアスが一貫して悪人として描かれていること。「進撃の巨人」では、主人公たちが相手を憎むのと同時に、相手側が主人公たちを憎む様子も丁寧に描いていた。絶対的な悪など無く、対立する両者がお互いに痛めつけあうやるせなさ。それが、本作にはほとんど見られない。長期連載作品である「進撃の巨人」と、二時間に満たない尺の本作を比べるのはフェアじゃないかもしれないが、復讐や憎しみを描くうえで、そこは外してほしくなかった。
しかし、復讐や憎しみを題材にしている本作であるが、より深いテーマを感じた。それは、「自分の好きなように生きよ」というメッセージである。
物語の序盤、スカーレットは父の敵討ちに燃え、死者の国で現れる敵を次々と殺してゆく。「王女としてそうあるべき」という義務感をスカーレットは抱いており、それが復讐のモチベーションになっていることが描かれている。看護師である聖は、好戦的なスカーレットと対照的に、敵味方差別なく治療を施し救おうとする。それも、「看護師としてそうあるべき」と聖が考えているからだ。
敵を殺そうとするスカーレットとそれを好まない聖は、一見対照的なキャラクターに見える。しかし、「自分の立場にとらわれて、本当はどう生きたいのか分からない」という内面は同じなのである。
スカーレットと聖は交流を重ねる中で、互いの心情に変化が生まれてゆく。スカーレットは、敵との戦闘になっても剣を鞘に納めたまま戦い、むやみに人を殺めなくなる。人を殺めるための短刀を、自分の髪を切る(新しい自分になる)ために使うシーンは、スカーレットの内面の変化を印象的に描く。逆に、人を殺めることを否定していた聖は、弓矢でクローディアスの手先を殺めてしまう。物語の序盤、「人を殺めるな」とスカーレットに散々言ってきた聖が人を殺めてしまうシーンは大きな批判を生みそうだが、聖が自身の黒い感情に対して正直になった、もしくは抑えられない、という内面の変化が描かれる良いシーンであったと思う。憎しみという黒い感情を否定しないことは、本作の美点の一つである。
一見対照的な二人だが、共に同じ苦悩をを抱えていて、それが変化してゆく、という構成は好印象だった。ただし、スカーレットについては憎しみに関する描写が強すぎて、「王女としてそうあるべきだから復讐に燃えている」という内面が理解しにくかった。物語の序盤も序盤、スカーレットの父が「王女としてではなく、女の子として好きなように生きなさい」と幼少期のスカーレットに語るシーンがあるのだが、さらりとしすぎている。スカーレットが死ぬ前に、クローディアスの暗殺を民衆が熱望していて、スカーレットがそれにプレッシャーを感じているようなシーンがあると良かった。
クライマックス。スカーレットは死者の国から元の世界へと戻り、王女となる。王となったスカーレットは民衆に、「民を救うこと」「子供は絶対に死なせないこと」を宣言する。これは、スカーレットが「王女としてそうあるべきだから」と考えているからではなく、心の底からそう思っている。スカーレットは死者の国での交流を通じ、「私はこうありたい」という自発的な強い意志を手に入れて、物語は幕を閉じるのである。
そのようなクライマックスを踏まえると、「果てしなきスカーレット」は、憎しみの連鎖を描いた物語というよりは、少女が自分の生き方を決める物語なのだと個人的には思った。本質的には、「おおかみこどもの雨と雪」(主人公が、おおかみ or人間、どちらかの生き方を選ぶ)や、「バケモノの子」(人間世界 orバケモノの世界、どちらで生きるのか選ぶ)など、細田監督の過去作品にも通ずるテーマであるといえるだろう。
本作は他の細田作品と同じく、演出、特にメタファーの使い方に優れる。特に水というモチーフが良い。序盤、空が荒れた海のようにうねる様子をまじまじと見せつけつつ、水一つない砂漠の風景を延々と見せておいて、最後にスカーレットを雨に打たせる流れが良かった。雨はスカーレットの心の痛みであると同時に、乾き続けた心を潤す恵みの雨でもある。スカーレットが抱く矛盾した複雑な感情を、水や雨というモチーフを使うことで、端的に表すことに成功している。物語全編を通じて砂漠の風景が続くのは単調で少ししんどくもあったが、クライマックスに良い形で回収されたのは良かった。
カラスのモチーフも良い。本作ではカラスが度々出現するのだが、物語の終盤、クローディアスと対峙するシーンでザワザワとカラスが集まり、散ってゆく演出が良かった。黒い感情やざらつきが、スカーレットの胸に広がって去っていく描写である。このシーンでは、スカーレットが抱く感情にある程度没入することができた。
しかし最後の最後、黒い竜がカラスとなり散っていくシーンは解釈が難しかった。カラスがスカーレットの内面を表しているのであれば、竜が悪役に雷の制裁を加えるのはご都合主義すぎる。スカーレットの黒い感情の高まりが、直接悪を成敗しちゃってました、ってことになってしまわないだろうか。私の読解力では、一本芯が通った演出として理解できなかった。
その他、聖のキャラクターに人間味が無いとか、スカーレットの母が謎だとか、細田監督らしく突っ込みどころは沢山あるしキリがない。しかし一番の問題点は、わかりやすいカタルシスに乏しいことだろう。「見果てぬ場所」を目指すとか、最後に聖とキスして永遠のお別れをするとか、カタルシスを作ろうという工夫は見られるが没入感が無く、わかりやすく感動できない。
唯一カタルシスを感じたのが、劇中歌「祝祭のうた」(フルバージョンがストリーミングにある)をバックに、スカーレットが炎の中に吸い込まれて現代の日本へとワープするシーン(このシーンはYoutubeでチラッと見ることができる)。なんだかよくわからないけれどいい感じにエモい歌が鳴っていて、スカーレットが「うわああああ」ってなってて、吸い込まれてゆく映像美も(IMAXなので)すごい。「コレだよコレコレ!このわかりやすい感じ!」と思ってスクリーンの中に身を任せたのだが、その先の現代で踊るシーンは作り物感が強く、映画館の座席の上にストンと戻されてしまった。復讐だけのために生きてきたスカーレットが新しい自分を見つける、という背景を意識するとそれなりにエモく見えるのだが、直感的に感情移入してダラダラ涙を流すためにはあと一歩か二歩足りなかった。
「君の名は」ほどではなくてもいいから、馬鹿でも分かるような感動が欲しかった。まず、分かりやすく感動できること。そのあと二回、三回とリピートしていくにしたがって、細田監督の演出の上手さが生きてくる。水や雨、聖がおばちゃんから貰った楽器などのモチーフや、登場人物の些細な変化。それに気づいていくことで、回数を重ねる度により深く物語へと没入することができる。
個人的に大好きな「おおかみこどもの雨と雪」には、それがあったと思う。揺らいだカーテンに隠れた雪がおおかみの姿に変身する激エモシーンや、嵐が去った駐車場で花と雨がお別れする涙腺崩壊シーンなど、音楽(激エモ)と映像美(激エモ)の力を借りた分かりやすい感動ポイントが、まずあった。そのあと繰り返し鑑賞してゆくにつれ、瓶に入ったお花の描写や、おおかみであるとは?人間であるとは?といったテーマの理解度が深まり没入していく。そんな作品だった。それこそが「物語への圧倒的没入体験」だと思うのだけど、皆さんはどう思いますか?
それを踏まえると、やはり奥寺佐渡子さんの脚本に戻してほしいと切に願う。復讐や憎しみを題材にしながら「自分の好きなように生きよ」というメッセージを細田監督から投げかけられた私は、素直に胸を打った。しかし、カタルシスに乏しく物語に没入できてないので、そのメッセージが深くまで刺さってこないし、未消化感が残る。上映が終わった後、前の席に座った女性(大学生くらい?)の二人組が、「何の話か分からない……」と漏らしていたのが印象的だった。監督が伝えたいメッセージが観客に伝わらないのは、あまりにも大きな問題ではないか。
奥寺氏が脚本に嚙まなくなった「バケモノの子」以降、細田監督作品は脚本の弱さを批判され続けてきた。しかし、「竜とそばかすの姫」はそれなりに売れてしまったわけだし、商業的にやっていける限り細田脚本は続いていくだろう。
しかし、本当にそれでいいんですか?
「あなたの脚本だと、メッセージが観客に上手く伝わってないみたいですけど、本当にそれでいいんですか?」と、細田監督に問いかけたくなる。「好きなように作って満足!」みたいな同人誌的な態度の映画作りで細田監督が満たされるのであれば、現状維持でかまわないと思う。我々はスクリーンの前で、感動ではなく悔し泣きの涙を呑むしかない。
しかし、莫大なマネーとステークホルダーを巻き込み、作品を広く世に知らしめる力を持つクリエイターとして、「自分のメッセージを世の中に投げかけ、沢山の人の気持ちを揺さぶりたい」と細田監督が考えているのであれば、勇気をもって奥寺脚本に戻していただきたい。
ちなみに奥寺佐渡子さんのことを調べたところ、最近脚本を手掛けた「国宝」なる映画がとてもすごいらしい。昭和ど真ん中の時代に、任侠の息子が歌舞伎役者として成長していく話なんて教養がない私にはとても敷居が高いんだけど実際どうなの????教えてエロい人。
PS:
TOHOシネマズのBGMってあるじゃん。ピアノの曲。超久しぶりに映画館に行くので、あの曲が劇場で流れている雰囲気も楽しみにしてたんだけど、開場して五分後に入場したらすでに広告が始まってて聴けなかった。放映終了後も、「忘れ物に気を付けてください」の画面が出てくるだけで聴けなかった。開場直後に滑り込めばこのBGM聴けるの?これもエロい人がいたら、ついでに教えてほしい。
仕方がないので、その曲を無限リピートさせながらこの記事を書いている。ちなみに、TOHOシネマズのBGMは「ナッシュスタジオ」という、業務用向けのBGMや効果音を専門に販売する会社のもので、ハードオフの店内放送曲や天神のCM、デデドン(絶望)もこの会社の作品らしい。"NashMusic Library"で調べればストリーミングで聴ける。
が再び話題になってるけど、あれが差し止めされたの、恐らくだが「かるた、すなわちグッズであること」が公式の商品展開とのバッティングを起こすからであって、下品さは別に関係なかったと思うんよなあ。
https://adenoi-today.hatenablog.com/entry/2018/11/07/041547
筆者の観測範囲に限った独自判断に過ぎないが、状況証拠的に言えば、公式側の二次創作物に対するアウト/セーフの判断は、その二次創作物単体の営利性/非営利性にあるのではなく、主体はむしろ公式側の商品展開にあるのではないかと思う。
ザックリ言えば、「公式の商品展開とバッティングする可能性があるかどうか」が判断基準となっているのではないだろうか。どれだけ大量の部数が販売されて明確な営利性があっても、その二次創作物が明らかに第三者のパロディであると理解できて、かつ公式の商品展開に対してネガティブな影響を与えないと見なされたら黙認されている。そういった力学が働いているように思う。営利性が明らかに見て取れる多くの人気同人誌が黙認されているのも、この理由であれば説明しやすい。
上述のドラえもん最終回同人誌に関しても、発行部数と共に「本物と勘違いする人が多発した」という点が重視されていることも改めて述べておきたい。