はてなキーワード:台無しとは
会社のおじさんたちが牛乳拭いた腐った雑巾みたいなニオイふりまいてるのが嫌だし、
「マスクしてんの?もうコロナとかないのに流行遅れだよ、空気読めないね、かわいい顔が台無し」みたいななぞのハラスメントしてくるのも嫌
タイトルの通り。とはいえ、単なる悪口では終わらせたくないので、これから行くことを検討する人のために、自分の体験からのアドバイスと失敗談をまとめる。
あのときはとても良かったのを覚えている。未来を感じたし、刺激的だった。しばらくは万博で受けた刺激に考えさせられた気がする。
当時はそこまでの期待感をもっていったわけじゃなかったんだが、今回、言い出しっぺの妻の提案に、報道等でネガティブな印象しかなかった大阪万博でも、
ある程度の刺激は受けられるものだろうと、行くことが決まってしまえばそれなりに期待していた。
あれから何年も経って、技術も進んで、どんな刺激を与えてくれるのかなと。
今回は2泊3日の旅程(6-7月中の日曜~火曜)。チケットはしっかり3日分用意した。
体験者としては、冷やかしではなくそれなりに「本気」で行った部類に入ると思う。
学校の行事が最優先と考えるウチで、子供に学校まで休ませてまで行ったわけだからね。
父(私)と長子は先行して入場し、初日は午後から。2日目は終日、3日目は午後2時ごろに退出予定。
母(妻)と下の子は、遅れて合流。1日目は宿泊のみで、2日目から万博に参加するという段取り。
準備してないと、マジで意味ない。地獄を見る。いや、正確には、「準備“の質”が問われる」。
これはもう、「予習」というレベルではない。
あらゆるブログやYouTubeを読み漁り、「戦略」を練らなければならない。そう、戦略。俺みたいに公式のガイドブック片手に軽く読むぐらいじゃ何の意味もない。
(そもそも公式のガイドブックがイメージ図ばかりで全然意味がわからない)
段取り8分。本番2分。
だからこそ、どれだけ「並ばないか」、どれだけ「ピンポイントで楽しめる場所を選ぶか」に、すべてがかかっている。
もう一度言う。
暑い。
並ぶ。
暑い。
辛い。
チケットの選択は、死ぬほど重要。いや、「罠」と言ってもいい。これほんとさー、マジでこのチケットのこと考えるだけでもいまだにムカつく。
上でもちょっと書いたが、今回は妻が言い出しっぺで、この万博計画のメインマネージャー。私はどちらかというと、参加側。つまり、乗っかり勢。
「私はあとから入場するから、初日はあなたと子どもの分、自分で買ってね。スマホに表示する必要あるから」
新幹線のチケットは買ってくれたが、どうやら、チケットを代わりに買うといったことはできないらしい。
妻は行ってもいない万博の地図が思い描けるぐらいの準備済みである。
説明には、
「行く日が決まっている人には最適。スムーズに入場できます!」
的なことが書かれている。
とりあえず、行けないのが一番困る。その日の枠を押さえたい(上限があると思っていた。たぶんあるはず?)
買ってしまえばどうとでもなるか、という考えのもと、
「へぇ〜便利そうじゃん。これでいいじゃん」と、特に疑問も持たずに購入。
細かい注意書き? あるけど流し読み。
事前予約はできません? え? なにそれ?
でも、「入場してから予約できる」って書いてあるし、問題ないでしょ?
……まぁ、これが、最大の失敗。自分のミスと言えばミスなのだ。
しかし、「パビリオンの事前予約」ってことの重要性が分かっている人間はどれほどいるだろうか。
(けっこういるかもしれないが、ライト勢にとってはそうではないのだ。だいたいパビリオンなんて単語さえ普段使わないだろ?そうだろ?)
クイックチケットでは、事前予約が一切できない。
んー、、枠押さえして安心したもの気になったので事前予約について調べてみる。
この時点で自分のミスだとは分かっている。けど、それにしても「一切変更不可」とか、強気すぎるだろ……。
しかも、クイックチケットであっても、後から予約機能にアクセスできるような“救済措置”が一切ない。
事前予約ができなくなった時点で、この後のパビリオンを調べたりするモチベーションもさらに低下する。
「まぁ、入場してからどうにかなるでしょ」
――この油断もまた、すべてを台無しにする一因となる。
入場は午後。万博までの入場は、スムーズだった。この時間帯は全く混んでいない。チケットをかざし、ゲートを抜ける。スタッフの対応も良くて、気分はそこそこ。
そう、ここまでは良かった。
問題は、入場した“あと”。
パビリオンの予約をしようとするためには、予約機なるもので操作しなければならないのだったね。予約機を探してみる。予約機に長蛇の列。
何これ、意味わかんない……。
しかも、後から知ることになるが、この列に並ぶ意味、ほぼない。
なぜなら、予約はまず取れないから。
基本的に予約争奪戦は、スマホ。しかも秒単位。(実際、みんな展示を見ずにスマホとにらめっこしている。)
予約機で取れるようなチャンスは、キャンセルが出た「ほんの一瞬」に限られる。
で、予約機の台数も少ない。スマホで取れる人が取ったあと、偶然空いた枠を取れるかどうか……というゲーム。
ここで効いてくるクイックチケット。クイックチケットの購入者には、一切のアフターケアがない。
たとえばこれも書いたけど「後からIDと紐づけて予約できるようにする」みたいな対応があってもよさそうなものなのに、そういうものは一切ない。
「購入時の判断がすべて。失敗はあなたの責任です」と突きつけられる。
不満をグッと飲み込みとりあえず、歩いてみる。こちとら子供を連れている。はるばる遠出してきてたのだ。イライラしているのを見せるわけにはいかない。
でも、ニュースでも見たあのリングに「これにお金が一体いくら…」と、つい思ってしまう自分がいる。
建築的な美しさを味わいたい。でも、心はまずはパビリオンの中に入ってみたい気持ちで頭の8割を占めている。
(今思うと、クイックチケットの惨状を目の当たりにしたことで、行けないかもしれないとなった不安が1つあったかもしれない)。
目についたパビリオンに近づき、「ここ、入れますか?」と係員に声をかけてみる。
すると、
「予約はありますか?」
「……ないです。(クイックチケットなので。)」
「予約してからご来場ください。」
「…」
「…」
暑い。
パビリオンには長蛇の列も見かけるけど、小学校低学年の子を連れて並ぶのは、無理。
とにかく、圧倒的に予習不足だった。
ちなみに、2日目に気づいたのだけど、「ここ入れますか?」みたいな質問をしている人なんて、誰もいない。
そして、なにより、
暑い。
暑い。
暑い。
暑さをしのげる場所がない。パビリオンに入れない人間には、ただの炎天下が広がっている。
これはもう、
クイックチケットか、それ以外か。
そんな格差社会。
まるでディストピア。電脳空間への接続を許された人間だけが、涼しく快適な未来を体験できる。
――そういう未来を、見にきたわけじゃないんだよ。
4 水を求めて――自販機に敗北する父
暑い。
とにかく暑い。
水分を求めて、自販機を探す。
ようやく見つけた。が、現金を入れる口がない。どうやら「電子マネー専用」のようだ。(おばあちゃんとかどうすんだよ。)
……まあ、普段からいくつか使ってるから平気なはずなのに、暑さで頭が働かない。
目の前の小さな画面。多すぎる選択肢。見にくいUI。タッチの反応、悪い。
「どれがどの電子マネーだっけ……?」
ようやく支払いまでこぎつけた……と思ったら、
アクエリアス、売り切れ。
えっ?マジで?
まぶしくて「売り切れ」のランプ、見えなかった。そこに未来を見せろよ。
仕方なく、隣の自販機で別の飲み物を購入(出てきた炭酸はぬるい)。
そこで子供に私は言った。
パビリオンに一つも入れず、ただ炎天下の中をさまよい、水を求めて敗れ、大屋根リングの下で横になる。
1万円を払って(移動宿泊費別)、大屋根リング下で休みに来たのだった。
第一部(完)
第二部は、二日目以降、ちょっとこなれてきた俺の攻略実践や、朝一で並んでみた人間が感じた人捌きオペレーションの考察、過去の万博との比較の中で国パビリオンと企業パビリオンについての考察やコンセプトについて、どんな人が行くべきで、どんな人はやめとくべきか等、考察メインで書く(かも)です。
Permalink |記事への反応(41) | 17:29
会社の後輩と焼肉に行った。よくある飲み会。気乗りはしなかったけど、断るほどの強さも持ち合わせていない。
当然最初の一皿はタン。これはもう様式美。網がきれいなうちにサッと焼いて、レモンで流し込む。口がまだ肉に疲れてないから、タンの繊細さがちゃんとわかる。焼肉のセッションはそこから始まる。
でもそいつは違った。いきなりカルビを乗せた。よりにもよって、あの脂のかたまりを。網は一発で終わった。あとはギトギトの地獄。
まあ、言わなかったよ。言ったところで「え、そうなんすか」って笑って終わるか、「いや別に順番とかないでしょ」みたいな軽い逆ギレが返ってくるかのどっちかだし。なにより怒ったら負け。キレても空気が悪くなるだけだ。
でも心の中では結構本気で「こいつとは仕事したくねえな」と思った。タンの焼き順一つで人間性を判断するのかって? そうだよ。だってこういう些細な場面にこそ、その人の性質って滲む。順番を考えないやつはだいたい段取りも悪い。網の未来を想像できないやつが業務の先も読めるとは思えない。
ただ、指導ってなんだろうとも思う。タンは先に焼くもんだって教えたところでどうせ「え、そういうのって決まってるんすか」って顔されるだけだし。それが嫌で黙って飲み込んで、思い出してこうやってグチグチ書いてる人間だ。
本音を言えば焼肉の作法なんてどうでもいい。網を台無しにされて「俺の常識」を踏みにじられたように感じただけ。焼き順を守らない後輩にムカついたというより、自分がそこに何も言えない小物だったことが悔しい。
自分の小ささを見たくなくて、相手を「指導すべきだった」なんて建前で殴りたいだけ。そんな夜だった。タンは最後までおいしくなかった。
結論:血の繋がりこそが全て
いやーー、終わり悪ければ全て悪しの典型みたいな映画だったわ、『国宝』。
最後の最後に出て来たある登場人物のおかげで、それまでの内容が全部吹っ飛んで、映画の印象が最悪になった。
役者の演技や舞台美術、音楽がどんなに素晴らしかろうとも全てが台無し。上等なワインに泥水をぶち込むが如き存在だった。
この映画の主人公はとにかく、歌舞伎役者として成功するに値する血統がない事に苦しめられ続ける。
主人公はヤクザの組長の息子で、家が襲撃されて父が死んだ時に助けてくれた有名歌舞伎役者に引き取られる。
その家には歌舞伎役者の実子として主人公と同い年のボンボンがいた。
そのボンボンは憎めない所もあるもの、稽古をサボっていたり、その割に父が怪我でその代役に抜擢された主人公の演技の素晴らしさに打ちのめされて主人公の彼女と駆け落ちし失踪したりと、とにかく迷惑野郎。
主人公はボンボンの失踪後に師匠の歌舞伎役者を支え、名前を貰うまでになるが、師匠が舞台上で倒れて最期に呼んだのは実の息子の名前。
父の死後にボンボンが帰って来て、主人公から居場所を奪う。主人公はヤクザの生まれである事や舞妓との間に考えを作った事実を週刊誌で報道されて落ちぶれる。
紆余曲折あった末にボンボンとも和解し、そんなボンボンの死から16年。主人公は結婚もせず芸に邁進し、遂には人間国宝に選ばれ、取材を受ける。
主人公を取材する写真家は、主人公が舞妓との間に生ませた実の娘だった。この娘の存在がとにかく最悪。
主人公に恨み言を吐くところで終わっておけばいいものを、舞台の上の主人公を称賛し、人間国宝選出を祝う言葉をかける。それから主人公は舞台に上がり、師匠がかつて得意とした演目を演じる。
結局のところ、歌舞伎役者としての舞台への情熱や演技にかける狂気なんてどうでもよくて、女と交尾して子供を作っておけばいいよというオチでした!!マジでクソだな!
この娘の台詞が主人公を恨むもので終わっていたら、映画の印象は全然違うものになっていただろうに。全てを失い肉親からも恨まれてもそれでも舞台に立つというオチならば、緩急が聞いて素晴らしいオチだった筈だ。本当に勿体無い。
ていうかこの映画、出て来る女性陣が軒並カスなんだよね。実子に後を継がせる事に執着する歌舞伎役者の妻や、主人公を裏切りボンボンと駆け落ちする主人公の彼女、主人公と駆け落ちしたが途中で見捨てる金持ちのお嬢様、2号さんでもいいという安易な考えで婚外子を産む舞妓、そんな母を恨まず父だけを恨む主人公の娘。原作者のミソジニーが強いのか、歌舞伎という題材だと自然とそうなるのか。
いぇーい、シャア大好きなスタッフが作っているとか寝言をほざいていた過去の私、見てるー?結果はこのザマだよー!?
ジーンのザクが故障!シャアがガンダムに乗る!シャリア・ブルと相棒に!
……からの、まさかのシャアから地位も本名も、偽名までも奪うという、残酷すぎるオチ。
いやはやまさか、ここまで丁寧にお膳立てした上で最後の最後で卓袱台返ししてくるとはね。
まあ黒い三連星の辺りからき既存キャラの扱いがヤバかったし、カラーのこれまでからしても嫌な予感自体は持ち続けてたけどね……と言い訳。まさかせっかくの金蔓をこんな短期間で台無しにするとは思わなかったので警戒心が足りてなかった。
ジークアクスの放送中、シャアについて語る人達が口々に、「正史」のシャアの在り方を全否定して、今度こそ幸せになってと語る様子が、見ていて辛かった。
だって仮に何一つ曇りのない正しい生き方を選ぶならば変えるべきポイントはただ二つじゃないか。父ジオン・ダイクンの死か、ジオン入国のどちらかしかない。つまり「キャスバル」か「エドワウ」の人生しかないのに。本来ならば、妹と共に地球で裕福な暮らしが出来た立場だよ。「幸せ」になりたいならばただそれだけでいい。なのに何故かそれを選べとは言わない。
本当は自分だけの「幸せ」で満足できるようなキャラではないと、分かっているからじやないのか?どう考えても正史のシャアは自分だけ平穏に生活していても、家族や恋人がいても、その事に罪悪感を覚えるようなキャラだと思うよ。他のガンダムだったら00の刹那に近いメンタルだと思う。
シャリア・ブルはシャアをリーダーにして自分はそれを支えるつもりで探していて、そのためならば非道な手段も辞さない覚悟であるのだと。
正史での、ネオ・ジオン総帥としてのシャアが間違ったとしたら、隕石落としや強化人間を使うといった「分かりやすい悪役の手段を選んだ事」だけだったと思うし
ましてやシャリア・ブルを腹心に据えたなら小説版やギレンの野望というお手本がある。だからジオン公国勝利IFからシャアを暫定リーダーにして平和な共和制への軟着陸を目指すかと思っていた。まあ尺が足りないから実際にはシャアが帰って来るか来ないかの所で終わるかなと。
で、まさかシャリア・ブルがシャアを探す目的は殺すためで、兄妹の行き先も小説版とは逆のエンドとはね……。
それからよく言われるけれど、シャアは別にトップに立ちたくないとかそういうキャラじゃないでしょ。
ちょっとでも辛そうにしたら向いてないとかやりたくないだとか、あまりにも短絡的ではないか。
友達を殺して落ち込んでる!やめさせてあげなきゃ!とか
自由をなくして窮屈そうにしているからリーダーやらせないようにしないと!とか
そりゃどんな人生を選んだって、辛い事も悲しい事もあるだろうよ。
あそこでガルマを謀殺してなきゃ親兄弟の仇として直接殺し合っていただろうし、
ダカールで演説していなければティターンズの天下はもっと長く続いていただろう。
取れる範囲でベターな選択肢を選んでいたとしか思えないし、責任を放棄していたら多分その方がもっと辛かったと思う。
好きでマラソンしたり激辛料理を食べたりしている相手に対して、辛そうだからやめさせなきゃ!と一方的に押し付けるような違和感を覚える。
正史のシャアは間違った手段を用いて、その結果負けて死んだけれど、
それでもハサウェイやガイア・ギアの時代になっても語られ忘れられていないのは喜ばしい事だと思うから、
それを不幸な事として全否定したがるのが本当に本当に理解出来ない……。
現実の歴史にだって負けて死んだ革命家は大勢いて、その人達が後世の希望として語られたりもするのに。そんな大それた野望は持たずに日銭を稼いで暮らしていれば良かったというつもりなのかな。
これに限った事じゃないけれど最近の一面的で画一的な「幸せ」を押し付けてそれでよしとする風潮が腹立たしい。
腹立たしいのはシリーズが新しくなる毎にそういうオチを良しとして手放しで称賛する人が増えている事。鉄血は主人公コンビ死亡エンドだったせいか批判が多くて安心した。水星もヤバかったけれどジークアクスよりはまだ批判もあってマシ。
で、今冬は閃光のハサウェイ2か。両親と妹が健在にも関わらず環境テロリストになるっていう、シャアのIFのような主人公の話なんだけど、どの面下げて?
どういう理屈で動いてどういう理屈で説得されてるのかが曖昧で終わりなのはかなり減点
しょうもないバカな動機(現実世界のこじらせガノタが転生、程度の与太でいい)でも明示したほうがマシだった
キシリアの過去回想を挟む時間があったなら、その時間をシュウジに回すべきでは
なんとなくカッコつけたままにしときたかったなら、滑ってましたね
役割としては11話で勝手を抜かして終わりなので、正直12話まで生かしてたので生き延びるんかなと思ってた
(掘り下げなくても、この省略しまくり1クールアニメについてける視聴者なら勝手に察するレベルの内容)
ニャアンにサクッと殺させず12話まで引っ張った意味が原作準拠の殺し方に拘る以外なく、
そこに拘るなら適当に無視しまくってる他の要素(シャアがララァ庇って死ぬのだって大概な原作破壊)も
11話で理想を語ってんだから、そこはキシリアともキラキラしろよ
サイコミュ搭載機に乗ってるのが条件だとすると
ララ音が聞こえてるコモリ、キシリアもキラキラできたのでは(シイコはキラキラ会話できてたし)
キシリアがキラキラに参加したほうがもっとバカっぽく盛り上がれたなぁ
女性で特に実績ない(下手すると連邦でジオンと戦ってた経歴が暴かれる)セイラさんだと
木星で悟った割には執着ひどいっすね
エグザベくんがいいとこ見せるためのかませ?
普通に考えるとキシリア秘蔵っ子で軍事力として公式の場にカウントされ済みなので
テーマとしてニュータイプを中心に持ってきたわりに12話はだいぶ雑な扱いに
エグザベくんはこれまでのニュータイプ談義に参加してないため、どういうスタンスで議論参加したのか不明
それでシャリアを説き伏せる役は足りてない
どっかで1回でもシャリアかキシリアあたりとニュータイプ談義を前段として交わしとくべきでした
巨大化したときは「よし、このままイデ発動でマップ兵器で地球とか月とかコロニーとかバンバン大破壊だ!」と思ってました
大人しすぎでしょ……
これが大人ってことか……
でも――たった一つ。
メルマガです。
私が怒っているのは、メールの内容じゃありません。
そうじゃない。
「何度解除してもサービスを利用するたびにまた届く」こと。
それはもう、メールじゃない。
それは罠です。
そしてその罠が、大切なものを壊していくんです。
これは大げさな話じゃありません。
これは、現実の話です。
どんなにサービスが良くても、
それが、どれだけ悔しいことか分かりますか?
それが悲しいんです。本当に、心から。
だからお願いです。
どうか、この仕組みをやめてください。
ただまっすぐ、便利なサービスを、心から楽しみたいだけなんです。
どうか、たった一つの罠で傷つけないでください。
選挙の時期になると投票行け!白票でもいい!白票は駄目だ!とか
自分が選挙に行くべきだと声をかけた人が1人投票に行って違う人を選べば
それでもう台無しじゃん?
どう考えても、投票に行けどころか頼むから行かないでくれとお願いする方がまだ意味があると思うの
相崎うたうというきらら漫画家がいて、そこそこ知名度もあった。それを台無しにした奴がいた。
奇木やまめといって、自称ファンを公言していて持ち上げられていた時期もあったが、その後別の漫画家の配信の相崎のswitchのアカウントを特定するまでに出来上がっていった。
ここまで来るともう見事な出来上がりっぷりだが、本スレでは通報しようという動きまであった(知らんけど)
そして孤立化して消息不明になったが、不憫なのは相崎の方で奇木に粘着されて以後PTSDでも負ったのか漫画家としては壊れてオワコンになってしまった。
一作目連載当時高校生を公言してたのも拍車をかけていたと思う。知らんけど
終わってみれば、奇木は相崎と見事刺し違えたわけだ。
その後本スレに奇木本人らしき支離滅裂な書き込みも見受けられたが、終わってみれば奇木は相崎を巻き込んだ自爆攻撃に成功してしまった。
弱男らしくその人の配信見に行って色々書き込んだりしてたんですけど、何とはなしにXのアカウントを見たらどうも既婚っぽいんですよね。
(既婚であることを感じさせるポスト自体は全然してないんだけど、なんか性格診断?みたいなのの結果を共有するポストにしれっと結婚してるって書いてあった)
あ~~~~~~~~~~死にたい。いや死にたくはない。
他人(特に同世代)が結婚したこと、既婚であることを知って死にたくなるのを辞めたい。
芸能人とか、youtuberとか、比較的関わりの薄い知り合い(かつての同級生、クラスメイト、バイト先の知り合い)とか、自分の人生の中でそこまで重要でない人間の結婚話を聞いて死にたくなるのを辞めたい。
別にその人と結婚できるわけでも、それどころか親しくなれるわけでもないのに、勝手に心の中にドデカイ穴がぽっかりと開いて落ち込むのを辞めたい。
勝手に他人に同族意識を抱くのを辞めたい。30代突入してんのにいない歴=年齢で売れ残ってるゴミなんかワイだけや!という開き直りの意識を強く持って生きていきたい。
正直言うと、「なんかトランプに近いものを感じる。だからめちゃくちゃな関税かけたみたいに、経済面でヤバいことにしそう」ってのが大きいのよね
リベラルの人は、最近の日本人に漂う薄っすらとしたゼノフォビアを具現化してしまう! ってのを一番危惧してる。
自分もグローバル化は良いことだと思うし、排外主義は良くないと思う。
でも、一番の理由は何かって聞かれると、外国人を大切にしましょうって道徳的なところよりも、明日の生活が台無しになりそうっていうところなんだよな。リベラルの人は怒るかもしれないけど。