
はてなキーワード:半年とは
うちと同じパターン。
家でゴロゴロ。
早く働けとかは一度も言わなかった。
と、促すと、なかなか良いのが無くてー、、と。
優しくするとつけあがるから、信用するな。
正当化することばかり考えてる。
仕事しながら化学療法に行ってました。毎週一回通院して点滴(2時間半前後)を3ヶ月、3週ごとに一回通院して点滴(1時間以内)を4ヶ月。
手術ふくめ一年かけて治療した中で、起こったことなどメモしておく。
吐き気→薬で楽になったorなくなったので平気だった。朝起きてから一時間が大変だったけど、薬飲めば20分以内には楽になり以降は平気。水がいらない吐き気止めは便利だった。
脱毛→髪の毛ないの凄く楽なのではという新体験でした。基本だるいので体力を優先して帽子生活。買ったウィッグはほとんど使わず・・
しびれ→なかった。アイス手袋して足にもつけたけど、効果は不明。点滴の日は水分は1リットル取るようにしてた。
爪→薄黒くなった。ジェルネイルはしちゃ駄目なので、ネイルするの面倒でそのまま。抗がん剤やめて半年たったら普通の爪に戻った。
味覚障害→最初は抗がん剤打った直後に味覚が鈍くなって、点滴前日には回復してた。2ヶ月終わった後に重くなったので、甘いもの以外が美味しくなくなった。口の中が鉄味で不快過ぎた。
体力のために休日は散歩がてら買い物行ってたし、外食も行ってた。生もの(刺身)は食べない方がいいと言われたぐらい。でも2回は回転寿司に行った。
●休んだ総日数
同僚には大変ご迷惑をおかけしました。トータルで出勤出来なかったのは最初の辺りに3日。手術後の1ヶ月。抗がん剤の副作用(副腎不全)が出て立ち上がれなくなり、1ヶ月ほどリモート勤務させて貰った。
人ごみの中に行ったり外食してるが、コロナにもインフルにもならず、マスクのおかげを実感してる。
●問題点
午後から仕事休んで病院行ってたので、点滴終わるのが毎回5時過ぎで、看護婦さんがイライラしてたようで、ゴタゴタした。
今後医療は人手不足に働き方改革で、もっと看護師さんに余裕がなくなりそう。もちろん良い看護師さんもいた。
●お金
一切の保険未加入だったので、傷病手当と会社が加入の保険見舞金に助けられた。ガンの種類が違ってたらなかったので、まじ助かった。
# 車田宅士 年表
##1967年(0歳)
##1985年(18歳)
##1986年(19歳)
##1992年(25歳)
##2005年(38歳)
##2008年(41歳)
##2012年(45歳)
##2015年(48歳)
##2018年(51歳)
##2022年(55歳)
##2023年(56歳)
##2024年(57歳)
##2025年(58歳)
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### 補足設定
今年も一年が終わろうとしている。
今年もまた、脅迫や脅迫まがいのことを生業として過ごしてきた。ただし相手は間違えていない。
つまりどういうことかというと、社会的正義のための脅迫や脅迫まがいのために飼われている立場である、ということである。
だからガッツリ脅迫をしてもし相手が被害届を出したとしたら、相手はこちらサイドが洗いざらい警察に告発するとやましいことがめくれるため、それをされることは無い。
はずだった。今年も一年、無事に終わろうとしていた先月のことだ。ちょうど一ヶ月前になる。
前日が華金であったため立ち飲み屋に何軒か寄り、終電で帰宅していた翌朝だ。
眠りに落ちたのは午前2時頃であっただろうか。不眠なのでいつも通り眠剤も入れた。
そういうわけで10時になってもまだ深い眠りの中に居たところを、ケーサツ達にゾロゾロ入ってこられて寝込みを襲われた。
治安もいいし盗まれるものもないからだ、強いて言えばPS5、レア物のスニーカー、某アパレルブランドの洋服などは総取りされれば30万円程度の被害額にはなるかもしれない。
(盗んで売った者は10万円程度は手にするだろう)
それで難なくケーサツ達は俺の部屋に入ってこれたわけだ。まあそれでいい。鍵が開かないからと大家さんに連絡されれれば警察沙汰がバレる。バレずにいたいからな。
まどろみの中、メガネもないままおぼろげに確認すると8人もケーサツが乗り込んできている。しかも10時に。「ケーサツでーす、ケーサツでーす、起きてー」などと声を発しながら。
ふつうこういう時は近所への配慮から早朝ピンポンでこっそり連れていかれるものじゃないのか?それをこんな時間にゾロゾロと。配慮など無いようだ。
逮捕令状、ガサ状、押収令状の三枚の紙を見せられ、ぼうっと寝ぼけているとガサがさっそく始まった。
本棚やタンスの引き出しなどを漁られ、「本と服が好きなんだねえ」と言われたぐらいであとは机の上のサバイバルナイフをチェックされた。
これは何をは言わないが、何かの時に使用するために持っているもので、刀身は長いが切れ味は悪い。ま、そういうことだ。
ナイフについては「こういうものを持っていてはいけない」とだけ言われて押収はされなかった。どうやら押収令状に書いてあるもの以外は押収できないらしい。
令状には「スマホ」「パソコン」と書いてあり、素直にスマホとノートパソコンを差し出した。パスワードを聞かれたのでそれも素直に吐いた。どうせ即開けられるからな。
ちなみに、俺はAndroidだがiPhoneのパスワードはケーサツでもロック解除は困難という話だ。
どうしても見られたくなかったらパスワードを黙っていることも可能だろうが、それが取り調べにプラスに働くかマイナスに働くかは分からない。
基本的には素直に吐いたほうがいいだろう。容疑の唯一の証拠たりえるものがiPhoneの中である、というならワンチャン賭けるのもありかもしれない。
逮捕状がすでに出ているので手錠はされてもしかたなかったのかもしれないが、近所の目も気にしてくれたのか、そのまま連行されハイエースというのか、ケーサツがよく使う大きな車に押し込められた。俺などという小物、この小さな事件でケーサツが8人も来ているのはよっぽどおおげさだな、2台も車で来てよ、と思った。
署へ向かうことになった。
正直あちこちへ脅迫まがいや脅迫をしていたので、どこでだれが被害届を出していて、どこの署に連れていかれるのかわからなかった。
数十分ほどの距離を走り、署へ到着。東か。あいつかよ。この一年まるまるかけてお互いのサイドが弁護士までつけてやりあってきた宿敵だ。
やつの不法行為ももちろん許せなかったが、俺の中に燃えている社会的正義という炎がやつを許さなかった。
やつはそれなりに地元で悪い意味で有名な人物であったが、雲隠れをし連絡もとれないという状態で完全に逃げをうっていた。
依頼者としても手の出しようがなく、行政やケーサツに訴えても助けになってくれないからこちらに話が回ってきたというわけだ。
結論から言えばネットを介した仄めかしレベルの文面が脅迫の容疑ということで、それが半年前に出ていた被害届でやっと逮捕にきたということのようだった。
こちらとしては仕事としてやっているので、証拠が残るネットを介してのものでもラインを超えないレベルのやり方というのも心得ている。はて、どうなるかなと思った。
だからこそ細心の注意を払っていたはずだが、と。思案。
前回は略式起訴で罰金10万円で済んだが、「繰り返し」「同じ罪状で」「危害性が高い」となると今回はどうなるか分からないな。
それはある業界の日本ナンバー2、この県でもトップで、隣接する業界の様々な肩書のある立派な人物からのチクリからであった。
その男は「この業界で悪事を働く者は許さない」と常々言っていた人物であったが、その人物にまんまとハメられ「ぼやき」をスクショされ宿敵に証拠として提供されそこから被害届が出たというわけだ。まぁ耳を疑ったね。後に検事にも聞かれたが、「そことそこが繋がっているとは思わなかったわけだよね?」と。「悪事をなす者とつながりませんと言っている者がつながっているとは思わないじゃないですか」ということで、俺は業界の偉いさんから目をつけられて留置所へ行くことになったわけだ。この腐った業界、根本から変えなくてはいけないなと今は思っている。「魚は頭から腐る。俺はウンザリしてるんだ。」
逮捕されたら通常どうなるか。まず48時間(最大72時間だが、まあ48だろう)の勾留が決定されていて、取り調べが行われる。俺の場合、3~4時間。
もっと複雑だったり容疑が多かったりすると最初の勾留も取り調べも長くなるだろう。俺の場合は事実確認とどういう意図でやったか、簡単にまとめられ取り調べ終わり。
細身の感じのいい刑事だったな。雑談も交えながらな。俺も素直に応じたしな。で、そこで前科前歴のことも聞かれる。素直にその時前回の脅迫の前科のことも話した。
俺はとことん正直だから「あると思いますがねえ」と言ったが、無いという。これは当然あとから出てくるわけだが。日本の警察の調査能力・捜査能力は世界一だから隠しても無駄であるからすべて話したほうがいいというのは留置所で話す被疑者仲間や弁護士先生とも共通の見解であるから、舐めないほうがいい。無能ケーサツ神奈川県警ならばどうにかなるかもしれないが。
前歴の二十歳の時にやった自転車どろぼうで微罪即日釈放の紙ペラが一枚出てきただけで、「これだけだよ」と言われたが。
まあこの時は「それが出てこないということは俺に有利だ。幸運だ。略式起訴で罰金払ってすぐ出られるだけだな」と思っていたが、当然あとで前科が出てきて、「起訴(裁判をするため拘置所へ行って1ヶ月~二ヶ月、檻の中に居なきゃいけなくなる)か略式か半々」という心理的にかなりしんどい気持ちで過ごすことになる。
ここら辺りで「家族に連絡を取るか」聞かれるが、これはそれぞれの事情によってそうしてもいいししなくてもいいと思う。
が、有罪になった場合はどっちみち身元引受人に家族・親族に来てもらわなくてはいけなくなるから、言ってもいいだろう。
ちなみに保釈金を200万円だか積めば出られる可能性もあるから、弁護士と家族と相談してその道をとってもいい。認められない場合が多いが。逃げられたら大変だし。
補足情報として保釈金協会とかいうビジネス団体もある。これは大体、10万~50万ぐらいで、その200万円を肩代わりしてくれるという団体だ。
いいビジネスもあるもんだ。俺のとこは6万円と、かなり良心的だったが辛くとも中に居ることを選択した。
前回もやったのだが、次は「鑑識」だ。
全体の写真を撮られ、正面、斜め、後ろ、顔(メガネ有り/無し)を撮られ、指紋掌紋、チョップのとこの紋を取られて、身長体重を測られて終わりだ。
その後いよいよ警察署に併設されている留置所への扉が開く。その時にはもう手錠をされていたと思う。手首の骨に当たる冷たい金属の感触はなかなかに人権的ダメージをくらうよ。
刑事が「また」と言うので、ああ、48時間勾留→検察での弁解録取→裁判所で勾留10日延長はほぼ確定だよな、と覚悟は出来ていた。48時間勾留で返される人は中には居るだろうが、誤認逮捕とかそういう人たちだろう、99.9%の人は警察がやれるマックス20日勾留延長をくらう。その後、再逮捕でさらに延長、一ヶ月以上留置所で調べを受ける被疑者も居る。
「弁護士」についてだが、まずは当番弁護士というのがその日のうちに来るだろう。わけもわからない状態なら色々聞いてみるといい。
時間は30分ぐらいで、と決まっているらしいが、それはあくまでも目安なので後ろに面会が詰まっているとか弁護士が忙しいとかじゃなければ1時間でも話してくれるだろう。
そして、+10日の勾留(最大20日の勾留が認められている)が認められたら、裁判所で国選弁護士か私選弁護士を選ぶこととなる。
国選弁護士は資力が50万円以下の場合、つまり貧乏人の場合タダで公費から雇える弁護士だ。半ば公務員のようにこの状態でなるため、もしこの弁護士の助言などによって思ったより刑が軽くなったからといってもお礼になにか渡してはならない。感謝の気持ちがあってもだめなものはだめなのである。
それよりお金があれば私選弁護士といって、各々が交渉して報酬を話し合って弁護士を決めることになる。が、裏技もあってそれ以上お金があったとしても国選ルートに無理やりズラすことも出来る。うまくやれ。弁護士はこれまでの経験からどれぐらいの刑罰になりそうか(起訴か略式起訴か不起訴か、釈放まである)とか、法律の知識とか、不安を和らげるとか、雑談相手になってくれる。俺などはずっと雑談をしていたが。その時にもらえるかどうか分からないがもしその時たまたまお金を持っていなくてノートも買えない(お金を持っているとお菓子とかノートとか、その程度のものは買える)ようなら、「弁護士からのアドバイス」という小冊子と「被疑者ノート」という取り調べの記録をしておくための冊子をもらっておこう。ヒマ潰しに絵でも書いていてもいいし、俺のように中であったことを文章にしてこのように残しておいてもいい。本来の使い方としては、取り調べに暴行や脅迫や威圧がなかったか、署名の捺印を強制されなかったか、容疑以外のことで聞かれなかったか(原則、容疑以外のことで、これやあれもやってるだろ吐け、というのはNGだ)とかを記録しておいて裁判の時に自分の身を守るためのものだ。
いよいよ「留置所」だ。
俺はチャックのある皮パンに、チャックのあるダウンジャケットを着ていたからそれが金属探知機に引っかかるからということで預かられ、というか持ち物身ぐるみすべて剥がされ取られるのだが(財布や免許証や靴から靴下まで)、ジャージと長袖とトレーナーに着替えさせられ、これも何百回されたか分からない「身体検査」という全身を触ってへんなものを持っていないかのチェックがなされる。足裏まできっちり金探されるよ。
では「留置所の中」についてだ。
どんな感じかというと、硬い畳が三枚敷かれていて奥に和式便所と扉があり、外を覗けるようになっている(金網越しだが)。
その広さは1人で居るには少し広いし、2人だと狭いといった程度だ。つまり留置者が増えて同室になることも想定されているということ。
この頃はまだなんということもなかったのだが、留置最後のほうになると忘れもしない12/3、留置所の警察官(看守)の若い兄ちゃんが昨日雪降ったんスよ。
というぐらい俺の居た期間というのは季節のちょうど移ろい時で、暖房は一応効いているのだが奥の金網の向こうは外と繋がっていてケーサツが時々通る通路になってる。
そのためそこから冷気が入っていて寒くてやれなかった。毛布か布団か何か出してくれないかと言っても駄目だ。耐えるしかない。
なんにもない、なんにもすることのない部屋で。時計もカレンダーも鏡もない(鏡は割られたら自殺自傷の恐れがあるから当然だろうが)。
そこでじっと過ごすことになる。大体の人がマックス20日と+最初の勾留48時間の20数日はそこで監禁されることが確定となるわけだ。
時計は留置室からひょいと覗けば時間は分かる。が、時間の進む遅さの苦痛に耐えられないため見ないほうがいいかもしれない。
今日が何月の何日か、というのも分からない。それは一日に30分だけ読ませてくれる新聞で確認するしかない。ちなみに新聞は産経新聞でかなり「右」だった。
俺は「左」の人間なので、反対側のイデオロギーから見た新聞の見解というものを見れたことはけっこう収穫であった。右の人たちの考えを知ることが出来たからだ。
時はちょうど台湾有事発言を高市がして、さてあれはどうなったかな、オールドメディアと呼ばれるものでは実際どう報じているのかな、と覗いてみた。
(ちなみにテレビにも一応イデオロギーはあるがあれはもうすべてがエンタメなのでメディアと呼べないと俺は思っている、うちにはテレビもないし知らないが)
記事自体はファクトであり何も偏りは感じない、ちゃんとしているじゃないか、と意外に思った。が、あの社説というのか、あの窓のところだけとんでもなく偏っていた。
小誌(産経)意外は高市発言を批判しているがうちはしていない、国民の支持率は高い、テレ朝のコメンテーターの発言に不満がある、とかなり寄って語られていたな。
それは日々のことでおもしろがって見ていたが、そのイデオロギーは時々記事にも漏れ出していて、特にコラムのような自由欄については櫻井よしこの大枠での起用や、へんなおっちゃんが関西弁での口語調で「中国とは断交したらええねん」レベルの発言をさせていたのは気になった。「右」の人にとっては気持ちの良いものだろう。私はまあ逆の立場だから、苦笑いするのみであったが。
ともかく、それでもそれは情報食いの俺にとって日々の確実な楽しみとなったし、今日が何月の何日で何曜日なのか・・・を知るためのたった1つの与えられたものだったので意義が大きかった。
ちなみに留置者に何か影響を与えそうな記事は白い厚紙で厳重に読めなくしてあり、恐らく犯罪関連のことは知らせてもらえないのだろう。中にいて一度も山上の記事などは見なかった。
ただ、ごく小さな記事で死刑を求刑されていた者が、発達障害ということで情状酌量して無期になった、という記事ぐらいは見ることが出来た。
基本的に障害があるからといって刑務所に入らなくていいなんてことはなくて、むしろ刑務所には障害者が一般世界より多い。
ただ、最近おもしろかったのは「哲学的ゾンビ殺人事件」で2人ぐらい殺した統合失調症が無罪になった、というWikipediaの記事を読んだことだ。
何回読んでも俺には理解出来なかったが、何やら哲学的ゾンビという概念があるらしく、それを人だと思わなかったから殺してしまったということで無罪?という話だった。
とはいえ、そういう人はこの先一生精神病院で暮らすことになるのだろうが。
まあ別に今何時か、とか、今日は何月の何日か、ぐらいは看守に聞けば教えてくれるのだが。
そして「官本」だな。言わなきゃもらえないこともあるらしいが、本のリストをくれる。そこから読みたい本を選んで伝えると本をくれる。
暇な読書家はそれを1番から順に読んで行って、今何番まで読んだ、と話す人もいた。
俺も特に十代の頃は孤独な読書青年であったから、興味を持ってリストを眺めてみたが面白そうなものはほぼ見当たらない。
唯一筒井康隆の本があって、2014年ぐらいに書いた短編集を頼んだ。あのジジイまだ生きていてまだ書いていたのか・・・。そう思った。
内容自体は相変わらずの筒井節はあれどさすがに枯れたか、面白い話はなかった。その後本を読むことをやめ、空想の世界で生きることで時間を費やすことにした。
「食事」は3食食わせてくれる。これは普段ろくなものを食っていない俺にとってはかなりの楽しみとなった。
また、私語禁止が基本だが看守たちは黙認してくれるので、留置者同士、「今日はあれが美味しかったな」とか「たまに魚がくるとテンション上がるね」とか、あとで語るが留置者同士が交流出来る「洗面・歯磨き」「運動場」での共通の話題となるのでそれもまたお互いの境遇を励まし合うという意味でいいものであった。
中身は3食、ご飯がギッチリ入っていて揚げ物中心のメニューである。毎日代わり映えしないので飽きてくるが、中ではそれぐらいしか楽しみがないのでなかなかに美味しいと感じてしまう。
基本的には留置者が被らないように1人1人出されるようにしているように感じたが、それをやっていては2時間も3時間もかかってしまう。
別に誰も運動なんてしないのだが、外の空気を吸えて、そこで捕まっている自分がどんな顔をしているか確認出来る「鏡」がある。
これを見てどう思うかね。俺は、変わらんな、と思った。月水金にはヒゲを剃らせてくれる。
20日ほど居て運動場でたまに会う他の留置者との交流が一番楽しみであった。
そこでもやはり私語禁止とデカデカと貼ってあるのだが、警察官も交えてトークをするのが楽しみとなっていった。
看守の業務に任じられると24時間勤務・休み・休みというシフトになるためしんどいでしょ?と若い看守に聞いてみたり、ナイフを持った相手との闘い方は・・・とか様々な雑談をした。
その若い看守とは3日に1回しか会えなかったので20日ほど居て5回ほどしかそこで話していないがよく話したものだ。
他には、一番最初に運動場に出された時、白髪のじいさんがいて「君は何の病気か」と尋ねてきたので、いや、別になにもと答えたが気になって看守や弁護士に「ここは精神に問題のある者が収容される専門の留置所なのか」と聞いてみたりした。そうではない、ということだった。看守は、相手にしなくていい、と一様に答えた。
あと4名の「仲間」の話をしておこうか。
暴行で捕まったというが、残りの犯罪についても向こうには既にバレていて、「警察の調査能力は凄いですから全部話したほうがいいですよ」と。
まあ話すが。俺は間違っていない。脅迫で捕まっていながらこう言うのもなんだが、俺は正義の行使者だと思っているからだ。
消費者金融から100万ぐらい借りてる。理由は買い物で、社会人になってようやく本当に自由になるお金が持てて色々欲しかったものかった結果、積み上がった額がこれ
クレカでリボ払いとかあったけどのこり消費者金融の100万だけになったという感じ。
しかもここ半年は物価高の影響もあっても理由もなくお金に余裕が出てきた。なんなら給与なんて数年変わってない。借金の前倒しとか出来そう
お金について面白いと思ったら、毎日クレカアプリをチェックする癖がついていつ買ったものがいつアプリに記録されたとかそういうのを細かくメモ帳に付けて、月末までにいくらになりそうだなーと予想出来るようになったり。
欲しい物も買ってるつもりだけど、物への執着が減ったせいか、趣味に使うお金が少し減ったからかなーと思ってる。
あとはニーサの影響で個別株もちょっと買うようになったら、配当金が出てそれが本当に嬉しかった。
分配金を気にしだした当たりから、毎月ちゃんと積み立てしながら借金の返済もして、そのお金の流れ?を見てる方が楽しくなってきた。
今月は風邪引いてしまって自炊出来ない分のウーバーイーツで予算超えそうだけど、来年からそういう時のためのすぐ出せる貯金?みたいなのもやらないとなと思った。
ニーサなんかせず借金を早く返済する事が1番かもしれないがあんまり無理すると結局借り直す羽目になりたくないので、そのあたりはゆっくりやっていくつもり
このまま綺麗に負債が消えてくれれば1番満足かな
先般、ようやく弱者男性救済新法がテスト施行されることとなった
これにより、パートナーがいない独身女性は半ば強制的に低収入の独身男性とマッチングさせられることになった
その代わりに同居する住宅を格安で借りられるし、給付金、老後の年金、肉親の介護など、さまざまな面で恩恵を受けられる
俺もマイナンバーアプリ経由で申請しておいたところ、近隣に住む女とマッチングしたと封書で連絡が来た
マッチング相手は収入や年齢、居住地などが近い候補から役所によって選ばれるため、顔や性格などは会ってみるまでわからない
一応医療記録や信用情報などは参照されるため、メンヘラや借金漬けのスロカスなどは除外されてるらしいが…
この法案が国会に提出されてから、弱者男性とマッチングなぞされてたまるかという女はこぞって周囲のマシな男にアプローチをかけまくり、パートナーを得た
そのため残っているのは男に相手にされなかった女か、競争にあぶれた女ばっかりだろう
申請から半年、ネットを見ると申込み開始の二年前から待っている人もいるようなので、大分早い方だと思う
相手の個人情報は年齢しか記載されていなかったため、同い年である事しかわからなかった
顔合わせは役所の担当者立ち会いのもと行われ、当日は他にも何組かいたようで、待機室として通された会議室では、並べられたパイプ椅子に俺と同じような、つまり金がなさそうで女に縁のなさそうな、30〜50代の男が5人ほど座っていた
しばらく待っていると係の人(若い既婚女性だった)が来て、俺は呼ばれるがままに第四会議室だかに行った
係の人は色白のショートカットの落ち着いた感じで、俺はこの人が相手ならいいのになどと思ったりしていた
第四会議室で初めて会ったマッチング相手は、こう言ってはなんだが、魅力的ではなかった
まず俺が女の人に思うような綺麗な格好をしておらず、トレーナーにズボンだった
係の人みたいに愛想が良くもない
モゴモゴした聞き取りにくい喋り方だし、何か目つきも暗く、奥まった小さい目がすごく貧相な感じだった
口元もずっとへの字で、化粧もしていない気がするし、体型も小太りだ
すっぴんで来たのか?同居する男に初めて会う日なのに?
正直落胆した
係の人にならむしろ頭を下げてお願いしたいんだが
しかし生活のことや、老後のことを考えると、このマッチングを拒否するのはあまりにもったいない
女だから、化粧したり、服装を変えれば見た目は何とかなるのかもしれないし
相手も多分同じだろう
女は子どもを生むリミットもあるから、早くパートナーが欲しいはずだし、今この時点でパートナーがおらず余り物になっているのだから焦っているはずだ
よくよく見ると小柄で、低身長の俺よりも背が低そうなのは悪くなかった
小太りなだけあって胸もある
この貴重な女を逃したら、俺は一生孤独に生きていくことになるかもしれないのだ
この後は書類を提出し、手続きが完了次第、引っ越しをして同居生活を開始することになる
引っ越し業者まで役所が手配してくれるのだから至れり尽くせりだ
あとは三年以内に子どもを作るだけだ
申請時に双方不妊検査済で妊娠可能なのはお墨付きなのだからそれは問題ない
期限内に子が生まれなかった場合は引っ越しした物件から退去することになるが、健康な男女なのだからセックスしていれば自然に子どもはできるだろう
イメージだけどさ、昔のテレビだとよくやってそうだよな。毒蝮三太夫とか。
オレオレ詐欺もそういうのあるよな。人の親をお母さんとよぶのは、詐称の一種だ。法律的に禁じるべき。
こういうと高齢者過保護だとか言う奴いるが、氷河期もすぐ高齢者だぞ。いま高齢者優遇の社会を進めておかないと俺らがもっとひどい目会うぞ。
とにかく、人の親をお母さん呼ばわりするのは絶対ダメ、だめ絶対。
きょう施設から母親を介護タクシーで通院させたんだけど、かえりぎわに医者がうちの親の肩をたたいて「お母さん早く良くなってね」とかいうのな。これでぴんときた気づいたわ。あーこれのせいかと。
ひごろ見ないうちにうちの親も他人から「お母さん」よばわりされてんだなと。
ここ半年くらい、母親のところ着て「お母さん、きたよー」と言っても反応うすかったのはこれのせいだ。やけに俺に敬語tかったりしてたのは、どうも俺が施設の一員と勘違いされて多っぽい。
すべてはm人の親をお母さんよばわりするのを許容する世界のせいだ。
12/8
22:00
仕事から帰宅して、夫宛てに銀行からハガキが届いていることに気付く。夫は単身赴任で他県にいて、急ぎや重要そうなものは代わりに私が確認することになっているので開封して中を見た。中身はここ半年間くらいのカードローンの履歴だった。合計で限度額いっぱい、50万借りてることになっていた。まず、頭の中が?????でいっぱいになった。その後すぐに不正利用を疑った。急いで銀行に連絡しなければ。しかし口座を持っている本人じゃないと駄目だろう、と夫に電話をかける。出なかったのでLINEにざっくりと、こんなハガキが届いてる、と送っておいた。夫の仕事が終わるのが夜中の23〜2時頃なのは分かっているので、不正利用には焦っていたが連絡が取れないことはまだ何も心配していなかった。
12/9
2:00
まだ連絡が取れない。既読すらついていない。諦めて就寝。スマホの充電が切れているのかも、と思った。
12:00〜
私の出勤前、休憩中、退勤後、に何度も電話したが出ない。
2:00
この辺りで、スマホをなくしたのかもしれない、と思った。夫は過去に何度かスマホを紛失したことがある。それならもう仕方ないが、もしかしたら急病で倒れたのでは、など色々な意味でかなり不安になってくる。
18:00
もう3日ほど音信不通のため、夫の職場に電話する。安否確認がしたかった。まず電話担当の方が出たので名乗ると夫を呼びにいってくれた。しかし、そのまま同じ方が電話口に戻ってきて、「後でかけ直すそうです」と言われた。手が離せない状況のこともあると知っているので大人しく電話を切った。
生きているということが分かり少し安心する。
3:00
ずっと折り返しを待っているが連絡は来ない。スマホがないとしたら私の電話番号が分からなくなったのかもしれない。ならなぜかけ直すと言ったんだろう?それに、以前夫がスマホをなくした時に、私の番号はメモに書いて持っておいてと伝えたのに。
12/13
18:00
夫が明らかに私を無視しているとしか思えない状況になってしまった。ここには書ききれないけど、よくよく思い出してみれば他にも不審な点がある。夫のことを信用しきっていたので気付かなかった。
きっと、今回のカードローンによる50万の借り入れは夫がやったことなのだろう。私は初手を間違えた。LINEで用件を言うべきではなかった。電話がつながったタイミングでいきなり切り出すべきだった。
しかし、夫と連絡がつかないことにはまだ不正利用の疑いも消しきれない。不正利用なら一刻も早く銀行に連絡してほしいのに、どうしようもない。
夫は私に詰められるのが嫌で逃げているんだろうけど、いつまでそうしているつもりなんだろう。逃げ続けたら借金が消えて妻の怒りも消えると思っているのかな。
借金に対しても私はものすごく怒っているし、呆れているが、私に一切連絡を返さず心配をかけてもいいと思われていることに深く傷付いた。夫が倒れているかも、最悪の場合亡くなっているかも、と焦っていたのに。ちなみに、さっさと会社に連絡しなかったのは、スマホ充電切れ、故障、一時的な紛失の可能性を考えたからです。過去にもそういうことがあったので。
夫は私のことをもう愛していないんだろうな、ということが分かってしまったので、今後どうしよう。仮に不正利用だとしても、職場にかけた電話に出ないし折り返しもない時点で、ああ、私は大切にされてないんだなとよく分かった。
離婚するしかないよな。私って、見る目なかったんだなあ。増田さんの旦那さんは本当に優しいね、仲良しだねと言ってもらえる関係だったんだけどな。
味付け済みのものは賞味期限は短いけど、塩漬けの自分で調味するやつなら半年以上もつよ
かまぼこは冷凍してるんだっけ?高いけど、ぼったくりなんじゃなくて普段陳列されてるやつよりめっちゃ高級なるやろ。まあそもそもかまぼこって結構高級品なんだけど
「スーパーを出たとこで○○(宅食的なサービス)の人が声かけてくれたの。半年間基本料無料だって!いいね」と
お得なお知らせをくれたことに「いい人!」と素直に感動していたが、
恋愛遍歴
大学時代3人
その大学時代の3人目と27歳まで付き合ってた。
が、別れて10ヶ月。
別に引きずってるとかはないんだが、めんどくさい。
昔は「めんどくさい」よりも性欲が上回っていたからさ、頑張れた。
今はもう、頑張るモチベがない。
性欲はあるけど頑張れるモチベほどない。
どうしよう。子供欲しいわけでもなく、一人が寂しい訳でもない。
強いて言うなら老後一人嫌だなあくらいのモチベしかないんだよね。
どうやって頑張るんだろ。モチベがないと頑張れないダメダメ人間だからさ。
無理に作る必要もないんだろうけど、今インフルかかってさ、めっちゃ一人寂しい。
治ったらまた「一人でいいや」ってなるだろうし、今のうちに行動の布石打っておきたい。
生理的欲求はどうにも変えられないし、全部含めて我慢するか、別れるしかないよねと思った。
我が家もそんな感じで、それでも一応応じてくれてはいたけど、半年前位に誘った時は「いいけど眠いから早く済ませてよね」ってあくびしながら言われて、それでも始めたけど、結局勃たずに終了。以来誘ってないわ。流石にもう1回あんな感じなかったら辛いし。
向きうは俺が性欲枯れた、ラッキーって思ってそう。別に性欲バリバリあるけどね。
諦めた感じ。
諦めたら、いろいろ嫁さんに必要以上に優しくする気も無くなった。
以前はマッサージしたり、コンビニで好きそうなアイスとか買ったりしたけど、そんな気もなくなった。
婚活市場では大卒正社員でもホビットというだけで30代女性と対面すらできず、44歳のお花畑婚活おばさんに群がってるのだから
女44歳の婚活 「半年で44人と見合いして真剣交際ゼロです」
https://togetter.com/li/2076251
結婚相談所で44歳女性に群がる男性の平均身長は162cm(もちろん大卒正社員)
どこにも話したことも書いたこともない、これまでを誰かに聞いてほしい。
ただ職場がプライベートの持ち込みを好ましく思っていない雰囲気なので、あくまで仕事上の付き合いしかない。
毎月、月収の半分以上を使い込んでコンサートに行ったりCDを積んだりする。
もちろん、貯蓄はほとんど無い。
でも、少なくとも今はこれでしか心の穴を埋められないのだ。
私は小さい頃の記憶が全くと言っていいほど無い。
両親は普通の人だったし、普通の家庭だったけど家族間のコミュニケーションが少なかったように思える。
母親が癌になってから、コミュニケーションはますます減った。自分の病気のことで精一杯だったんだろう。
父親は仕事に一生懸命だった。朝早くに家を出て、遅くに帰ってくる人だったので一緒にご飯を食べることがあまり無かった。
小さい頃の家での記憶は、母親が癌になってから自然派ママやスピに傾倒してしまい添加物にこだわり始めて、家のご飯が美味しくなかったことぐらい。
テストの成績も悪くなかった。
人生の大きな転換期だった。
それまでに2回転校している私は3回目の転校をすることになった。
私は日中は叔母の家に預けられ、そこのルールで過ごし、父が仕事から帰ってきてから自分の家に戻るという生活を中学卒業までしていた。
家に戻ったらお風呂に入って寝るだけだったので、この頃も父親とのコミュニケーションはあまりなかった。
この頃から人に何かをお願いしたり、おねだりするのが極端に苦手だった。今もそう。
ただ、部活が父親の指定でスポーツ限定だったのでやる気がなくサボっていた。
私は本当は美術部が良かったのだ。
再婚相手(以後、義母)は最初はとても人当たりがよく優しい印象だった。
私に新しいお母さんが出来たと思った。
不思議な気持ちだったけど、やっと私の事を見てくれる人が出来たようで嬉しかった。
壁を蹴る、暴言を吐く、泣く。
その矛先は私にも向かった。
暴言を吐かれ、私の顔について難癖をつけてきた。
義母はアルコール中毒だったけど、頭が良い人だったから何も言い返せずただ泣いて受け入れるしかなかった。
父親は16年一緒にいる私より、知り合って2年ぐらいの義母と、義母との家庭を選んだのだ。
私は高校入学あたりから学校での人間関係も上手くいかなかった。
中学の時から仲が良かった子(以後、A子)が、別のグループを形成してしまい私が仲間外れのターゲットになったのだ。
当時スマホが徐々に普及しはじめて、昼休みにはスマホをこっそり触ったり友達と写真を撮ったりするのがよくあった。
まだ私は仲間外れにされている自覚はなくて、いつも通りA子の横にいた。
A子は横にいたまた別の子と自撮りを始めたので、私も入れるやつなんだと思い込みカメラに映った。
今でも覚えてる。私が入ってる写真が嫌だったA子は不機嫌になって大きく舌打ちをして、目の前でその写真を削除したのだ。
この事がきっかけで自分は友達から嫌悪されている対象なんだと知り、ショックを受け、クラスに上手く馴染めなくなった。
その頃から成績もガクッと落ちて、定期的に学校を休んでは自室に引きこもるようになった。
もちろん一人暮らしだった。家を出ていくように言われた。
食費や光熱費、スマホ代を払う必要があったので、日中は学校へ行き夜は飲食のアルバイトをする生活に明け暮れていた。
めっちゃ勉強をした私は晴れて学校を卒業し、無事に希望していた会社へと就職が叶った。
仕事するならこのスキルを活かせる仕事が良い、と思って学校へ入ったのでやっと人生が報われたと思った。
でも、実際の仕事をしてみると楽しいより苦しいことのほうが上回っていて、理想と現実のギャップに悩まされている。
常に自分の中の知識にアップデートが求められて、なんだか息苦しさを感じる。常に泳ぎ続けなきゃいけないマグロのよう。
入社早々そこそこ大きなミスをやらかしたし、何度注意されたか分からない。しかも打たれ弱い。
期待の新入社員だっただろうに、上司はきっと扱いに困っているのだろうと思うとなんだか申し訳ない気持ちになる。
入社から3年目で、中学時代の友達(以後、B子)とシェアハウスをすることになった。
当時私はB子ととても仲が良かったので、何があっても上手くやっていけると思っていた。友達と暮らせることがとても嬉しかったのだ。
駅から徒歩15分、新しめの2LDKの部屋を借りて新生活を始めた。
同棲1年ぐらいが過ぎたころ、B子が全く働かなくったのだ。働かずに引きこもってオンラインゲームをしていた。
まぁ、誰にでもあることでしょうと思って怒らずに。 お金のことはゆっくりでいいから、とにかく休むようにと伝えてあった。
その間の生活費はもちろん全て私。
給料全部使ってかつかつ月はちょ
最初は厳しく接してしまっていたが、一時期は本当に精神状態が悪化してしまった。
自殺や引きこもり化を防ぐために妻と考えて話し合った結果、以下のことが決まった。
・息子の現状を一旦肯定する
・息子ができることを肯定する
・息子が社会と接点を失わないようにする
息子はドライブとゲームセンター(UFOキャッチャーや、フックを引っ掛けてキーホルダーをとるやつ)が好きだ。
そこで息子に、ゲームセンターでぬいぐるみやフィギュアやキーホルダーを取ってもらい一緒にフリーマーケットでそれを売る、ということを発案した。
それで金や生活費を稼げというわけではない。
売るだけならメルカリだってできるし、その方が利益もあるかもしれない。
ただ、得意なものを肯定したうえで、社会との接点を失わせたくなかった。
息子は二つ返事で了承してくれた。
軍資金を渡すと一週間かけて想像以上にたくさんの商品をとって来てくれたし、今部屋にあるものも出品していいと言ってくれた。
初フリマ前日にはタープテントやワイヤーネット、テーブルや椅子を買って設営の下調べをした。
当日は朝早くに起きて、車に商品やテントを詰め込んで息子と二人で家を出た。
初めての出店だったが、たくさんの人が興味を持ってくれて、たくさん買ってくれた。
息子は最初、設営だけしてすぐに店を離れて会場をウロウロしていたが、午後からは販売も手伝ってくれた。
初フリマから半年が経ち、今ではあちこちのフリマに出店している。
行きや帰りにサービスエリアや地元の飲食店で食事をするのも楽しみの一つになった。
よく会場で顔を合わせる出店仲間やキッチンカーを出す飲食店の人たちとは親子共々知り合いになった。
「今のままで良いか?」と問われれば「良い」とは言えないが、ひとまず「今はこれでいい」というところだろうか。
Permalink |記事への反応(15) | 23:01
行政の貸し付けって書いたのがそれのことです
前に父が手術したときにもお世話になったことがある。その時は半年で40万借りて、親父が車に乗れなくなったので車売ったりして返した。
なさけないなやらなんやらもう。
https://anond.hatelabo.jp/20250107165457
松本孝弘が予定していたB'z主催の対バンライブを体調不良で欠席した。6月のことである。(その後、医師の指導のもとアンコールだけ飛び入り参加)
松本が自身の体調不良でライブ参加を取りやめた事はこれまで一度もなかった。大昔のインタビュー(明石昌夫のYoutubeだったかも)で「昔はインフルエンザでもギリギリまで点滴してライブ出てたよね笑」みたいな発言をしていたくらいだ。
松本孝弘はとにかく仕事に厳しい。ミュージシャンっぽくないほどに仕事人間である。言い変えれば「お金が発生する以上は最高のものを提供する」ことにずっと全力を注いでいるタイプ。小室哲哉にも「まっちゃんは商人だからね(笑」と評されたこともある。職人であり、商売人でもある非常に稀有な存在だ。
そんな人なので、既にチケットが発売されてしまったライブを中止することは考えられなかったはず。それにも関わらずライブ不参加を決定した事の重大さにファンはかなり衝撃を受けた。
体調不良の影響は表立ってはこの対バンライブだけだったが、断片的な情報から裏でもかなり混乱があったように見える。
昨年の紅白直後のスポーツ新聞のインタビューで、現在敢行されているドームツアーと新作発表をアナウンス。しかしその後は半年以上も新情報はなかった。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/01/03/articles/20250103s00041000175000c.html
具体的な日程が発表されたのは8月頭、初日の名古屋までは3ヶ月しか空いていなかった。ファンには吉報だったが、3ヶ月では日程調整の効かないファンも多かったはず(6月の対バンライブは昨年12月にアナウンス)
さらに新作アルバムのリリースはツアー初日の数日前、タイアップなどで先行公開されていない曲(=アルバムでしか聞けない曲)は全曲セットリストから外れるなど異例づくしのツアーになっている。
とある曲で松本が休養せざるを得なかったことへの思いを稲葉が綴ったとファンの中では噂されているが、本当にそうであれば発売日の半年足らず前まで制作を続けていたことになる。
またレコーディングには海外の有名ミュージシャンが起用されるのが常だが、今回はレギュラーメンバーを除けば昨年松本のソロ活動で来日したであろうマット・ソーラムが参加しているのみ。アルバムの制作としてはかなり切羽詰まった状況だったことが推察される(全部妄想です)
商売を考えれば年末の紅白出場から6月の対バン→直後にアルバムとドームツアーアナウンス(さらにアリーナ追加)あたりが理想的なアプローチだろう。結果として松本の体調を考慮し、アルバム制作・発売をギリギリまで伸ばし、アリーナは全キャンセルして年内はなんとかドームツアーにはこぎつける。ドームツアーの前に予定していたアリーナ公演は拡大して来年に持ち越した、くらいの調整があったように見える(本当に全部妄想です)
今回のツアーは東京ドーム初日に参加したが、松本は演奏に集中、ライブパフォーマンスは稲葉がカバーする場面が多かった。特に本編ラストの曲は、喉の負担を考えて封印していたであろう見せ場のロングトーンを披露。初見も古参もまとめて圧倒した。
演奏面では比較的負担の少ない過去のリフ中心のアッパーソングが多く、速弾きやシビアなカッティングが必要な曲はほぼ皆無。また松本が一曲まるまる参加しないバラードアレンジもあった。
互いのソロ曲でどちらかがステージにいないパターンはあったが、B'zの曲を松本抜きで披露したケースは記憶にない。
そして松本のMCは元々ドームツアーでは少なめだが、それでも大病だったことが窺える声色になっていた。稲葉のMCでも松本への思いに熱が入る場面があった。
「(我々がここに立っていられるのも)当たり前じゃないんです」と、客席に訴えかけたのだ。もちろんその後は何万人という観客が一同に会することへの感謝も述べられたが、稲葉がライブでシリアスな心情を吐露することはかなり珍しい。
(この日は座席の件やPA・特効のミスなど、「らしくない」瞬間も散見されたがここでは深く触れない)
実は前回の増田の後、18年前に取得していたファンクラブ会員に復帰して今回のツアーチケットをとった。松本の不調を予見していたわけではないが、結果として紅白出場の大サービスに乗っかって復帰してよかったように思う。
二人組のバンドとはいえ関係者を含めればそれなりの中小企業のような組織になっているわけで、おいそれと辞めるわけにもいかない事情も想像できる。
それでも彼らのパフォーマンスを見れば、今できることに全力に取り組む姿勢に自分の人生の襟を正したくなってしまう。
「B'zはパワフル」なのは間違いないパブリックイメージだが、例えば先に述べた松本なしのバラードアレンジは、あまりB'zでは見せてこなかった稲葉の新しいボーカルスタイルを提示した。松本のギターも近年、クリーントーン中心のブルーススタイルの演奏はポップミュージックでは並ぶものがいない。
なんなら二人だけでブルースアレンジのライブやってもいいんじゃないかと勝手に想像している。The Wild Windとか今の年齢だからこそ似合う曲もたくさん思いつく。
衰えではなく変化と捉えてしまえば、日本最大級のバンドの行く末は誰も予想がつかないステージに入ってきているように思える。
メン地下にハマった。
メン地下より2次元の好きなキャラ とか言っていた私はもういない。
毎ライブ毎ライブ何名義もチケットを発券し 薄い財布から特典券を買ってループしている。
TOだとか課金と呼ばれる人達ほどは金を使っていないが、学生の収入からすると多大なる出費だ。
別件で好きな顔の男に金を使ったため、クレカの支払い額は更にすごいことになっている。
しかし昨日、メン地下のクリスマスライブのためにサンタコスを買った。
何をしているのだろうか。
メン地下のメンションへのいいねの時間でプライベートを邪推し、MBTIや特典会での一挙手一投足に情緒を握られている。
重なって、最近人生で1番金と時間を費やしたコンテンツのサ終が告知された。
もう私の人生には何も残らない。
色恋色恋言っても、冷静になればただ優しくされているだけだし彼氏面と騒いだところでそれも単なる優しさに過ぎない。
メン地下からすればただの客の一人で、他の界隈の演者やキャラからしてもそれは同じ。
自分が特別でありたいと思うばかりに妄想が加速し、最終的には周りにも自分にも良くない影響を与えている。
人に嫌われたくない 誰かの特別でいたい そう思うのは自由だが、金を払ってそれをすることになんの意味があるのだろうか。
昔ソシャゲのガチャに金を使う私に非オタクの友達が言った「データにお金払ってるの⁉️」は、今メン地下に通っている私にもそのまま刺さってくる。
一瞬の勘違い 一瞬の胸のトキメキに1分〇千円払う毎日 当然と言ってはなんだが、学生のただのバイトで稼げる程度の額ではない。
数年前の私は、自分が夜の仕事でおじさんたちに媚びへつらって酒を飲んで金を貰っていると想像しただろうか。
将来には何も残らない。
一方私は何もかも失い、またやめられず何かのオタクをしているのだろう。
親が育ててくれた大切な体で、〇〇という趣旨のミームがあるが、大切な体で、メン地下通い。だ。
若いうちなら良いと自己暗示しても、もう20を超えている。自分の責任は自分で取る年齢だ。
やめたいやめたい思っても通うことはやめられず、オタクもやめられない。
オタクをやめたら何も残らなかった、のはてブロがバズっていたが 私にも何も残らない。
バイトのモチベも なんなら人生のモチベも好きな物がないと何も無いからだ。
人生コンテンツのサ終、追っているコンテンツも同時期に終わる予定だ。また、メン地下のグループもいつまで続くか分からない。
2025年の終わりがけでここまでの窮地に瀕するとは思っていなかった。
来年になって何か気持ちが変わるのか 何かしらを諦められるのか。
完璧主義をやめないと もう首は回らなくなってきている。