はてなキーワード:医学部とは
毛量がくっそ多い女です。乾きにくく、ドライヤーしているうちに疲れて2度休んだりしてる。今の季節だと乾かしてるうちに汗かいてくるからドライヤー→エアコンの風が直撃の場所で涼む→ドライヤーと往復しないと乾かせない。
疲れてると心が挫けて、生乾きのまま寝たりすることもある。髪が多すぎるし、ショートヘアにすると爆発したので、結べる長さにしたうえですきばさみですきまくってもらう以外に選択肢がなかった。
小学校高学年くらいからうねるクセと毛量爆発に悩まされてきて、試行錯誤の末に辿り着いたのが「すきまくってもらう&結ぶ」だったのだけど、男性美容師にはオーダーに反論されて論破されて、美容師の思う通りに切られることが何度もあった。回数が数えきれない。
すくと、毛先が荒れやすい、荒れて見える、髪が軽くなってハネやすい、毛先に重たさがあったほうが落ち着く、と言われる。もちろんそういう意見もあることは知ってるし、従ったことも何回もある。結果、髪が全然乾かないし爆発したんですけどね。
過去失敗してきたのだと反論しても、論破される。毛先が重たいほうがかわいいからそうしろと、爆発については毎朝アイロン使え、ヘアセットしろって言ってくる人もいる。嫌なんだよ!朝が弱いんだよ!運用が無理なの!だから結んでんだよ!
まず女性美容師だとこのゴタゴタしたやり取りが発生しない。何が悩みか相談→オーダー通りに切ってくれる。毎朝アイロン使いたくない、スタイリング剤も使いたくない、という「意識が低い女の低レベルなオーダー」に対応してくれる。
男性美容師で何回も発生したのが、すいてください→すくのはよくない→毛先重たくしても良い結果じゃなかったんです→毛先重たくしたほうが可愛い→いやぁ…朝もメンテもしんどいんですけど→シカトされて結局すいてくれない。
地元の美容院行くのがいけないのかな、だからゴリ押しされるのかなと思って表参道や青山に行ったこともある。無駄でした。というか、ああいう地価高くてテナント料高い地域のオシャレなお店の一元客として行くのって本当に駄目ですね。美容師がノルマあるのか、地元と比べてオプションをものすごい要求される。そのうえ、頼んだように切ってももらえない。単価高いけど金払いの良い常連客がいっぱいいてコミュニケーションをめっちゃしてる。イケイケの陽が、ヘアセットはマストという感覚で陽な客の髪切ってるのがああいう店だから、私の行くところじゃない。完全に間違えた。
おばさんが多い街の高単価の美容院で、男性美容師でもオーダー通りに仕上げてもらえたことがあり、しかも伸びてきても散らかりにくいというか、最もカットの腕が良い!すごい!という人に当たったことがある。
でも男性美容師の5割くらいで微妙に嫌な思いをしていて、1割は結構不愉快な思いをしていて、すごい人もいるけど残りはほぼ普通という感じだから、最近は地元で女性美容師の指名をしてる。
女性美容師にはオーダーに反論されて論破されて違う切られ方をしたことが一回もない。男性美容師はプライドが高いのか、私が男性美容師にナメられやすいルックスをしているのか、本当にうまくいかない。私は「プロ意識がある」のは女性美容師のほうだと思ってる。
男性医師はプロ意識があり、女医は美容系など楽な科ばかり行って退職することも多くて医学部の税金使うだけ無駄…なんて言われているけど、それについては詳しくないからなんともいえない。美容師についてはプロとして客に頼まれた内容を叶えてくれずに「毛先が重いほうが可愛いからヘアセットを毎朝して解決しろ」みたいな要求をしてくる男性美容師のほうがよほどプロ意識が無いと思うし、なんか語られ方にバランス悪いものを感じる。男のほうがプロ意識ない業界あるだろ絶対。
昔、見た目を気に入った女性客の、予約サイトでの登録用の携帯番号を勝手に見てナンパの電話をかけた男性美容師の報道(個人情報保護法違反)が出てたけど、やるやついるだろうなと思う。雇われの美容師って本当に深夜まで仕事が大変なのに金銭的な待遇が悪くて、コミュニケーション好きかつ女好きの部分がないと、金が目的だと効率悪すぎてやってられない、独立開業しないと年をとるだけ収入が先細るような仕事らしいんだよね。これは先輩の知人の元美容師、待遇が悪すぎるから別業界に転職したという人の話。
だからなんかプロ意識ってよりは、私的な「あるべき髪型」の美意識ゴリ押しとか、論破してきたりとか、距離感がなんか変な人(美容師になる前、高卒でハタチまで工場勤務しててキツかった話や、工場やめて美容師になるため専門行くのを反対してきた親の話を延々してきたり。予約時に「静かに施術を受けたい」にチェックしたのに)がことごとく男性で、むしろ…金銭的な待遇が厳しいのは同じはずの女性美容師が職業人として安定しているのが何故なのか?ってなってくる。
男性美容師からは待遇が悪い分を、客を論破するにしろ電話番号引っこ抜いてナンパするにしろ別のところで取り返そうとしている感じがするけど、女性美容師からはその金になりにくい部分を「取り返してやろう」感がない。淡々とプロとして仕事をしてくれる。
いだちゃんねる:Youtuber、pokerの世界大会でも実績を残す
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知人
研究室の後輩2:自由人のように見えて、就職してからは仕事に打ち込み、出世する。こだわりが強すぎるだけで、はまればちゃんと成果が出せるようだ。
研究室の後輩3: 頭はすごく良いけど、対面スキルがかなり低い。後輩2の会社に転職する。一応仕事はしている。プライベートでは、酒、タバコ、ネット麻雀を廃人のように行う。
私:会社員。もともと何かが欠けている気がする。会社員としてはあまり評価は良くない。資産運用がうまくいっていることと、結婚できたことが救い。
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京大生の体感90%は普通に社会人やっているけど、だめな人はいた。
みんないまは元気でやっているかな?
私は働き方変えようか考えているところです。
60年も昔のことを、昨日のように鮮やかに思い出す。
私がまだ若く、東京を初めて離れて地方の医学部に進学したあの日々、あのとき私はインターネットでバズった。
当時はまだインターネットというものが存在し、人々は匿名で、心の奥底に潜む偏見や本音を自由に吐き出していた。今の若い人には想像もつかないだろうが、その自由で残酷な世界は私にとって唯一の逃げ場だった。
『田舎者と貧乏人を初めて見た話』という記事を書いたとき、私は自分が特別なのだと、そして特別であることは誇らしいのだと無意識に思っていた。だがそのプライドは、地方という異文化にぶつかることでひび割れた。それを痛烈に書き殴った文章は炎上し、瞬く間に広まり、ネット上の議論を巻き起こした。
私はその騒ぎを内心で誇っていた。批判も賞賛も、自分という存在が世界に認められたという証だったから。私は東京に戻ったら、このエピソードを笑い話にするつもりだった。
地方の医学部を卒業して東京に戻った私は、思い描いたように一流の病院に勤めた。裕福な患者、華やかな社交、贅沢な日常。だが医師という仕事が人生を支配するにつれて、あの頃感じていた軽薄な違和感がより重く、より深く私の心を蝕んでいった。
インターネットというものが消えたのは、もう30年ほど前のことだ。あの自由で、混沌として、時に残酷な空間が突如として消えたとき、私は自分が完全に孤立したと感じた。
誰もが名札をぶら下げ、完璧な正論しか語れなくなった社会。私たちは匿名の自由を奪われ、自分の本音や偏見を心に深く埋め込み、表面では慈悲深い笑顔を保つことを強いられた。
今、病室で死を迎えようとしている私は、この現実に息が詰まるほど窮屈さを感じている。病院の窓から見える東京の景色は、高層ビルと緑が調和した美しい人工都市だ。しかし私にはそれがひどく偽物に映る。
私が本当に愛していたのは、東京そのものではなく、東京にいる自分が特別だという幻想だったのだ。地方で味わった衝撃は、決して私が優れている証拠などではなく、ただ単に私が狭い世界に閉じ込められていただけだった。
あの記事を書いてから60年、私はずっと心のどこかで、あの日インターネットでバズったという記憶を誇っていた。その誇りが空虚なものだったと気付いたのは、つい最近のことだ。
私はずっと匿名の世界でしか正直に生きられない人間だった。そしてインターネットという匿名の楽園が消え去ったあと、私はどこにも自分の居場所を見つけられなかった。
だから、せめてこの消えてしまったインターネットに向かって最後の言葉を残したい。
私が差別的で偏見に満ち、世間知らずで傲慢だったことを認める。
私が抱えていた違和感は、私自身が世界を本当に理解する努力を怠っていたせいだったと、今ならはっきりと分かる。
匿名だからこそ吐き出せた本音を、いつしか現実の自分から切り離してしまった。それが人生の最大の過ちだった。
もう遅いかもしれないけれど、今、ここで初めて私は自分の過ちを認める。
ネットで超進学校がどれだけ凄いか、みたいな情報は簡単に手に入るけど、実は割と需要がありそうな中の上クラスの中高一貫校について実際どのくらいの進路になるのか
私は
関西圏の日能研R4偏差値50台後半の中高一貫校出身で浪人を経て偏差値50台後半の国立大学文系学部に進学しました。
関西圏の情報しか知らないので首都圏や東海圏などの方は適宜読み替えてもらえると幸いです。
上位25%の層はよほどコケなければ東大・京大・国公立医学部は十分射程圏内です。
この層は理三と京医以外ならどこ狙っても戦える基礎学力はあります。
上位25%~50%くらいだと、阪大やその他旧帝大、神戸大あたり、医学部なら私立大学の医学部が射程圏内になります。
東大、京大、あとは国公立医学部はちょっとしんどくなってきます。
ここの層は学力差が幅広いので、同じ上位層と括っても阪大にすんなり受かる層も居れば、神戸大も受からずに後期で大阪公立や京都工繊、もしくは併願で同志社辺りに進学する、というパターンも散見されます。
下位25%~50%だと神戸大も可能性はありますが険しい道でもあります。関関同立もちらほら増えてきます。
ここの層だと、例えば前期で大阪公立、京都工繊合格できれば万々歳。国公立なら滋賀、兵庫県立、大阪教育あたりがリ現実的になります。
また、同志社も今出川キャンパスにある人気の学部はあまり受からず、やや不人気寄りの学部なら可能性があるけど、基本的には関関立がメインになってきます。
下位25%未満になってくると、よくて関関立、国公立なら地方の大学になります。
例えば私立大学に絞って3科目勉強している、という場合なら同志社も可能性は出てきますがかなり厳しい戦いにはなります。
国公立であれば地方であることを受容するなら意外と選択肢自体は少なくありません。
中学受験にあたって上位層とまではいかないレベルの進学校の進路としてはざっくりこんな感じです。
最上位クラスの公立高校の進路と比較すると分が悪いですが、最上位クラスの公立高校に入学させるのとこのランクの中高一貫校に中学で入学させるのとどっちが難しいかは結構悩みどころじゃないかなと勝手に思っています。
受験と無縁な人ほど東大に行ったというと厳しい教育虐待にあったと連想するけどそんなことはない。
教育虐待で成功する例はせいぜい地方の私立医学部くらいだろう。
関西地方の医学部で教授をしている。普段は受験生を選抜する立場だが、この春、子どもが国立小学校を受験し、試験運営で考えさせられる点があったのでここに記したい。
なお、子が受験したのは、大阪市内にある国立大阪教育大学附属天王寺小学校(附天)である。国立小学校では西日本でトップクラスの国立小らしい。らしい、というのは、当家庭は子どもに小学校受験の準備をさせておらず、ほぼ無課金の状態で受験をさせたため、学校間の序列にくわしくないためである。
また、後述するが、附天は受験生(子どもたち)に公平な受験機会を与えるために必要な情報を公開していない。このメモは、附天受験の状況を無償で公開するという意味も持っている。
なお、筆者は旧帝大や非医学部を含め、国公私立大学にまんべんなく在籍した経験があり、入学試験の設計(どのような学生を採りたいか)にも各学校でさまざま経験してきたたことを付記しておく。また、子どもの特定を防ぐため、詳細な情報は一次試験の状況のみとし、子どもの合否にも触れない。
試験は一次試験(筆記・行動観察)→合否発表→一次合格者のみ二次試験(面接・実技)である。
試験科目として、「①筆記 ②実技 ③行動観察 ④面接(志願者面接・保護者面接)」と書かれているが、それぞれがいつ実施されるのかが書かれておらず、一次試験の学習として何を準備すればよいのかがわからない状態であった。
実際には、上の()で示したような分かれ方をしていることは受験後に初めて分かった。
高額な受験塾へ通わせている家庭は事前に情報を知ることができたと思われ、軽い不公平感を覚えた。
校長は大教大の教授が赴任する慣例であり、面接対策として校長の研究内容や人となりを事前に知っておこうと思ったが、なんと校長の氏名がどこにも公開されていなかった。何らかの理由で名前を徹底して伏せていると思われたが、ここでも重課金勢の家庭との情報格差があると感じられた。
男子は朝8:30開門で9時までに集合、女子は11:30開門で正午までに集合との案内があった。
しかし、実際には子どもたちへの試験は7,8分前に(つまり男子では8:52ごろ)に別室にある試験会場への集団移動が開始された。
私の子どもは*時50分にお手洗いへ行って戻ってきたら、他の子どもたちはすでに試験会場へ移動した後であり、「遅刻者」として試験会場へ向かうことになった。つまり、学校側の案内は不正確であり、男子は8:50、女子は11:50までにお手洗い等を済ませて待機室に座っていなければならないということである。しかし、そのような案内は、当日も口頭でも一切なかった。
試験を監督する教員たち(つまり附天小の教員たち)は集合時刻を勝手に前倒ししている自覚がないようで、*時55分にお手洗いから戻ってきた私の子に「急いでください!」と急かす始末であった。せめて、「お手洗いは*時50分までに済ませてください。」と告知すべきであろう。実際には「お手洗いへ行っておいてください。」とだけ連呼され、それを真に受けてぎりぎりにお手洗いへ行った子どもはバカを見た形となった。
試験を学校側が勝手に前倒しで開始するなど、大学では(おそらく中学や高校でも)まったくありえず、試験の公平性の観点からきわめて不適切な状況であると感じられた。
また、子どもたちは鉛筆や色鉛筆、水筒などを持参するように指示されているが、それらを入れる手提げかばんを持参してよいのかどうか、受験案内に記載がなかった。
実際には多くの受験生が手提げかばんを持参していたが、上記の試験前倒しなどと並び、この小学校は、最低限の必要情報すら伝える気がないように感じられた。
ほぼ1時間後(男児なら9:55ごろ)に、保護者へ大きな茶封筒が配布される。試験案内には、「保護者の方には『志望動機』『お子様の長所・短所』等を記入いただきます」とあったので、その記入用紙と思われた。配布から5分後に封筒を開けてくださいと言われ、中の用紙を取り出した。
この用紙が驚天動地のもので、2つの課題について、約700字×2=1400字の小論文を60分間で作成せよというものであった。用紙はマス目が印刷された原稿用紙であり、ボールペンで手書き、修正は基本的にできない。実際には、持参した家族写真の糊付けや説明文作成もあるため、小論文の執筆時間は50分ほどである。
筆者は大学入試の小論文に関わっており、試験監督もたまにこなすが、1400字の小論文(正確には2課題)をわずか50分前後で書くというのはいわゆる旧帝大や早慶クラスの小論文でもめったにない高難度の早書きである。
小学校側からの事前の公式案内は、「『志望動機』『お子様の長所・短所』等を記入いただきます」だけであり、ほとんど騙し討ちに近い内容と言える。小学校受験の趣旨から言って、保護者小論文が合否に大きく影響することは容易に想像され、そのような重要な入試項目についての実施情報を公開していない附属天王寺小学校の意識は、教育機関としてはなはだ不適切であると、大学人として感じられた。
・子供の個性を把握し、強みを伸ばし、弱みをフォローアップするために必要な事は何だと考えていますか。740字。
・家庭で最も大切にしていることと、本校の教育方針と合致していると思われる点を挙げてください。720字。
なお、筆者はたまたま教室の後ろのほうに座っていたため、保護者たちの様子がよく見えた。多くの保護者たちは封筒を開けると、ほとんど躊躇なく小論文を作成しはじめた様子が見えた。初見の小論文課題については、最初の数分間は内容や構成を考えてから執筆を始めるのが通例と思われるが、そのような様子はまったくなかった。後で知った情報として、附天の小論文課題は、字数や内容が毎年大きく変動するようであり、過去問でも対策は本来は難しいはずである。
保護者は数十通りの予想課題について1千文字近いボリュームを短時間で書く訓練をしていた、ということかと思うが、実際にそのような対策は時間がかかりすぎて困難なはずであり、特定の受験塾に試験課題または大まかな傾向が漏洩しているのではないかという疑念さえ持ってしまった(あくまで邪推である)。
附天の二次試験は運動課題(毎年変わる。)が出題され、2025年1月度はなわとびであった。附天の滑り止めとされることが多い、私立城星学園小学校の2024年秋の入試は(例年にない)なわとびが出題された。子どもたちからすれば、(体操や球技ではなく)なわとびに集中すれば良いので楽なのであろうが、偶然の一致なのかなという不信感は残った。
もし、私が附天の入試責任者であれば、城星学園の出題(数ヶ月前)を知ったところで、なわとびの課題は別のものに差し替えるだろう。それくらい、入試の公平性、疑念の払拭には気を遣っているし、そうあるべきである。
こういったさまざまの情報は、受験塾に数百万円をつぎ込むことで明示的にまたは暗黙にえられる情報なのであろう。
筆者はお金で情報を買うことが不公平であると言いたいわけではない。
国立大阪教育大学附属天王寺小学校という国立の教育機関が、公平な試験を行うことが困難と言えるほどに情報公開を行っていないことや、小論文課題やなわとびのように偶然かわからない、疑念を持たれかねないスレスレの出題を行っていることは、国立の機関として非常に不健全な状況であると考えた。
私立小学校であれば、特定の階層に受験の優遇を与えることはあってもよいかと思う。しかし、筆者自身が国立大学での経験が長いこともあり、同じ国立大学がこんな杜撰で不公平な入試運営をしており、まったく恥じる様子もないことに大きな衝撃を受けた。
筆者が在籍する医学部も似た状況で、受験倍率は10倍前後と完全な買い手市場である。しかし、だからと言って、入学試験の運営をおろそかにするなど絶対にありえない。10倍人気にあぐらをかく意識はなく、試験でよりよい学生さんを採ろうと真剣である。
そういえば、附天の入試当日、監督の教員に事務手続上の質問をしたのだが、「調べます」と言われてそのまま放置され、回答はなかった。大学の入学試験運営ではありえない適当な対応である。
大学と小学校は違う面もあろうが、入学試験というものの重みをずっと考えてきた大学人から見た国立大阪教育大学附属天王寺小学校の入学試験の問題点は以上である。
この記事で、私立中高に関して「お金を払っているのだから良い教育が〜と思う親がいる」と紹介されているが、これは全くアホな話だと思う。アホというか、アホを通り越して間抜けだ。栃木県民の視点から、見れば。では、以下に栃木県の実情を説明しよう。僕の備忘録にもなる。
中学受験をするのは児童の数%程度で、例えば徒歩や自転車で簡単に行ける範囲内(地元の公立中学校と同じ学区内にある)場合でも、1割程度の児童のみが中学受験をする。栃木県民には中学受験をしなければ人生が詰むといった考え方がないので、親が教育熱心か、何かのきっかけを受けた場合にのみ、中学受験をする人が多い。
受験先としては、県立・国立の方が偏差値や第一志望校の割合が高く、私立の方が相対的に低くなっている。
ここが1番とされがちである。付属の幼稚園や小学校から内部進学する人もいるため、定員はやや少ない。4教科の受援が必要で、満遍なくできる優等生に向いている。付属の高校がないため、高校受験をして、後述の宇高や宇女に進学していく。中学受験をしたのに高校受験もしないといけないのはコスパが悪いとされる事もあるが、スマホの持ち込みが許可されているなど、大学付属中学校としてのメリットを享受できるというのもポイント。
②栃木県立宇都宮東高等学校付属中学校(および佐野附、矢東附)
偏差値は宇東、佐野、矢東の順。元々高校だった学校を改修して中高一貫校に仕立てたため、中高ともに定員が少ない。主に県央地区では宇大附と宇東が比較されがちであり、受験日が同一であることから、2択を迫られる。こちらはいわゆる適性検査型の出題がメインのため、4教科ができなくても、ポテンシャルを持つ生徒が受験をしやすい。3校ともに中学受験では3、5倍の倍率を持つが、高校受験は1倍を切り、さらに進学実績は中学からの生徒の方が高い。このため、栃木県は高校受験枠を廃止しようとしている。
私立の中学校としては、作新学院中等部、高校野球で有名な作新学院の中等部などがあり、これらの私立は枠が大きいため、公立受験生の滑り止めになる。上記公立に受かる児童はだいたい授業料無料枠で合格をしている。ここから踏ん張って宇高などに抜ける生徒もいるが、そのまま内部進学して、学校の金に任せた適当な私立大学の指定校推薦枠に合格していくケースが多い。
そして高校だが、宇大付出身の宇高生や宇東生からはコンスタントに医学部や東大に生徒が輩出される一方、作新学院はどんなに頑張っても(例えば、最上位クラスは部活に入ってはいけないなど)東大を毎年出すなど夢のまた夢なのだ。ゆえに、栃木県では公立の中学校の方が予後が良いし、コスパがいいし、環境もいい。ということで、都会人が必死に私立に行こうとしているのは、バカの所業なのだ。友人の子供で、宇東に中学受験で進み、バンドやら学校祭実行委員やらテニスやら色々やりまくって、高3勉強したら早稲田の商学部に一般で合格した人がいる。僕も早稲田の出身なので、早稲田に来る都会の人間は小学校からサピックスやら四谷大塚やらやりまくってアホみたいに勉強して最後たどり着くという印象を少なからず持っている。それを踏まえると…都会で子供を育てるのってコスパが最悪だと思うんだよな。
性行為の権利のチー牛立て看板の時に、チー牛の性行為の自由は保障されてるが自由競争でできないだけみたいな話あったじゃん
しかし、明らかに女性より男性のが性行為がしにくい現状は機会平等が保障されてるとは言えないのでは?
例えば医学部で男性の合格点が50点で女性の合格点が90点ならこれは自由が保障されてるとは言えないですよね
けど、そんな人って世の中にたくさんいるし今更だよなあ
いやでもあの人はかなり悪質だったと思う
そんな嘘つくと皆思わないよね
騙されたと気づいたのは22年前だ、いい勉強代になった、あれで疑うことを覚えた
が、今の疑いの目をもってすら、真偽判定は結構難しいんじゃないかと思う
もっとあからさまに胡散臭いとか、バックボーンがないとか、芸人とか、インフルエンサーならともかく
著書も大量にあるしテレビにも昔はめちゃくちゃ出てた
講座も、頑張って訴えてギリ勝てないんじゃないかくらいのグレーラインでやってたからむずいんだよな
てかあの土日の2日間の講座、30人くらい居て1人10万くらいだから、2日で売上300万か
安いんだよね経歴に比して
謎すぎるなあ
案外、本人は良かれと思ってやってる説あるんだよな
結局1人としてスキルはついてなかったけど
無理やりできた判定として紙に書かせてたんだよね、あれを元に「◯%が効果を実感」みたいにしてるんだからきつい
しかも8割の参加者はその無理やりできた判定させたもので「できました!先生!できました!」みたいな空気だった、霊感商法かと疑ったもんね
こういう「できた判定の曖昧さ」を多用してるんだよねこの人、「◯◯術」「◯◯法」みたいな
頭もいいし詐欺師の才能もあるみたいな
しかしテレビにも出てて本も売っててなんで講座をやる必要があったんだろうか
まあ、もう76歳か、今更どうでもいいいな
東京。私は運良く新卒としてこの素晴らしい土地で働けることになった。
東京といえば人の多さ。そして、週に1、2回は狂人(叫ぶ、独り言等)を通勤電車や街中で見かける。以前、ネット上で東大医学部頭悪いおじさんなどが話題になったがそれもその類であろう。私はそのような人々を笑う文化をどうしても理解が出来ない。
よく、糖質などと揶揄される統合失調症だが、家族の症状は今思い返しても散々なものだった。元々服薬をしていたものの深夜まで独り言が多く、自分自身まともに寝れない事が多かった。両親は仕方がないことだと取り合ってくれず、服薬を忘れた際に一度急性期か殺される、自分が闇バイトをした(ニュースで同じ苗字の人が報道されただけ)、逆に殺してくれと叫び家族に手を上げた為に警察沙汰になったのだが、もし家ではなく公共の場でしてしまったらと考えるだけでゾッとする。
が、"してしまった"のがよく見る狂人じゃなかろうか。統合失調症だけでは無いと思うが、明らかに異常状態ではある。
私は世の中に対して、狂人を笑う文化を止めろという主張をするわけではない。人間の本質的にしょうが無い部分でもある。が、最近のSNS上の流れに恐怖や怒りを抱いている。Tiktokでは電車内に変な人が居るだけで盗撮し、見知らぬ何万人もの人々に笑われる。この、狂人がコンテンツ化する流れは非常に危機感を覚える。そこには、自分より弱者を見て嘲笑う人類の醜い蹴落とし合いにしか思えない。
(実際に友人からそのような動画が共有された際は反応に大変困った。)
我々は文化人として生まれた筈なのに、そこに残るのは汚らわしい感情だけだ。
結局、自分に関係が無いと思っているから笑いの対象に出来るだけ、それだけなのに。先日は学生があいつ障碍者みたいと会話の中で揶揄していた。
倫理観は、時代の流れと共に曲がっているのか、それとも、私が考えを巡らせすぎなのか分からない。
関係ないが親は高齢で、いつか統合失調症の家族の面倒を代わりに見る必要があるかもしれない。なので私は一生、この世間との乖離に対して疑問を抱き、怒りを抱く呪に掛けられているのか。それとも、世間に対する私的な嫉妬もあるのか…
体育会系と文化系という分類における文化系(陰キャ)と勘違いしているやつがいてアホだなあと思った
先日、ネットでとある記事を読んでいたら思わず「え?」と思う記述があった
一瞬、頭がフリーズした。
彼の言っている「文系」と「文化系」が、私の頭の中でうまく結びつかなかったからだ。
ああ、なるほど。
彼は「理系と文系」という学問の分類と、「体育会系と文化系」という人間の気質の分類を
ごちゃ混ぜにしてしまっているのだ。
そして、その後者における「文化系」が持つ、やや内向的、いわゆる「陰キャ」的なイメージを、前者における「文系」全体に当てはめてしまっている。
しかし、その一方で、なぜ彼がそんな突拍子もない(と私には思える)勘違いをしてしまったのか、妙に気になってしまった。
「理系か、文系か」というのは、高校や大学で選択する学問分野の大きな括りのことだ。
ざっくり言えば、自然科学や数学、工学、医学といった分野が「理系」。そして、人文科学、社会科学、法学、経済学といった分野が「文系」。これは、何を学ぶか、どんなアプローチで真理を探究するかの違いであって、個人の性格やライフスタイルを規定するものではない。もちろん、学問の特性が個人の思考様式に影響を与えることはあるだろうが、それは結果論に過ぎない。
一方で、「体育会系か、文化系か」というのは、個人の気質や所属するコミュニティのカルチャーを指す言葉だ。
「体育会系」と言えば、運動部に代表されるような、上下関係がはっきりしていて、根性論やチームワークを重んじる、エネルギッシュで外向的なカルチャーを指すことが多い。いわゆる「陽キャ」のイメージと結びつきやすい。対する「文化系」は、文芸部や美術部、吹奏楽部などに代表される、個人の興味や探究心、内面的な活動を重視するカルチャーだ。こちらは比較的物静かで、インドア、内向的な「陰キャ」のイメージを持たれがちだ。
この二つの分類軸を並べてみれば、両者が全く別物であることは火を見るより明らかだろう。
これはX軸とY軸のようなもので、本来は組み合わせて四象限のマトリクスで考えるべきものだ。
・理系で体育会系:工学部のラグビー部員とか、医学部のサッカー部員とか。ゴリゴリのフィジカルを持ちながら、論理的な思考も得意とする人たち。たくさんいる。
・文系で体育会系:法学部の野球部主将とか、経済学部のアメフト部エースとか。チームをまとめ上げるリーダーシップとコミュニケーション能力に長け、社会の仕組みにも明るい。こちらもたくさんいる。むしろ、営業職などで大活躍するイメージすらある。
・理系で文化系:数学科でチェスに没頭する学生とか、物理学科でSF小説を書きふける大学院生とか。知的好奇心の塊で、自分の世界を深く掘り下げるタイプ。これもステレオタイプな「理系像」に近いかもしれない。
・文系で文化系:文学部で古文書を読み解くのが好きな学生とか、史学科で一日中博物館にいるような人とか。これもまた、一つの典型的なイメージではあるだろう。
このように、四つの象限にはそれぞれ典型的な人物像を当てはめることができる。
そんな単純な話では全くないのだ。
彼が言っていた「文系=文化系(陰キャ)」という図式は、このマトリクスの存在を完全に無視した、あまりにも解像度の低い世界認識だと言わざるを得ない。
では、なぜ彼は、そしておそらく彼以外の一部の人たちも、こんなにも雑な紐付けをしてしまうのだろうか。
いくつか理由が考えられる。
「文系」の「文」と「文化系」の「文」。この共通する漢字一文字が、無意識のレベルで両者を結びつけている可能性は高い。人間は、意味よりも音や形の類似性で物事を連想することがよくある。「文」という字には、どこか「武」の対極にあるような、静かで知的なイメージがつきまとう。「武」が体育会系なら、「文」は文化系だろう、という非常にシンプルな連想ゲームが、頭の中で行われているのではないか。
二つ目は、ステレオタイプの暴走と単純化だ。世の中には、様々なキャラクターの「型」が存在する。特に、ドラマや漫画、アニメといったフィクションの世界では、分かりやすさが重視されるため、キャラクターはしばしば極端なステレオタイプとして描かれる。
たとえば、「理系の天才」は、コミュニケーションが苦手で、白衣を着て研究室にこもっている、まさに「文化系の陰キャ」として描かれがちだ。一方で、法廷ドラマの敏腕弁護士や、経済ドラマの熱血銀行員といった「文系」のヒーローは、弁が立ち、行動力がある人物として描かれることが多い。
こう考えると、むしろ「文系=陽キャ」のイメージの方が強まりそうにも思える。だが、ここで話はもう少し複雑になる。
おそらく、多くの人が「文系」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、
経済学部や法学部ももちろん文系だが、より「文系っぽい文系」としてイメージされるのは前者だろう。そして、ひたすら文献を読んだり、思索にふけったりする文学部のイメージは、確かに「文化系」の活動と親和性が高い。この「文系の中の特定のイメージ」が肥大化し、文系全体を代表するイメージとして認識されてしまう。その結果、「文系=文学部っぽい人たち=文化系っぽい=陰キャ」という、伝言ゲームのような連想が出来上がってしまうのではないか。
人は誰しも、自分の見てきた世界が世界のすべてだと思いがちだ。例えば、その人が通っていた高校のクラス編成が、たまたま「理系クラスは大人しい生徒が多く、文系クラスは活発な生徒と静かな生徒が混在していた」という状況だったとする。その場合、「理系は文化系寄り、文系もまあ文化系寄りかな」という雑な印象が刷り込まれてしまうかもしれない。あるいは、自分の周りにいる数少ない「文系」の友人が、たまたまインドアな趣味を持つ人ばかりだった、という可能性もある。その限られたサンプルから、「文系とはこういうものだ」という法則を導き出し、それを世の中全体に当てはめてしまう。これも、人間が陥りがちな思考の罠の一つだ。
https://anond.hatelabo.jp/20250614122405
俺がブクマしたんじゃねえ。誰だよまじで
女性に人気のある職業は、一般に参入障壁が低く設定されている傾向がある。例えば保育士や事務職、看護助手などは、特定の高難度資格や学歴を要さず、一定の研修や短期教育で就業可能なケースが多い。その結果、志望者が相対的に多くなり、労働市場における供給過多が生じやすく、賃金が上がりにくい構造となる。一方、医学部などの職業は、数学IIIや理科2科目を課す入試を突破する必要があるなど、高度な学力と長期の訓練が求められる。このように高い参入障壁が設けられているため、志望者が自然に選別され、医師という職業の供給量は制限される。その結果、医師の希少性が賃金を高止まりさせる要因となっている。すなわち、賃金水準は職業の人気ではなく、参入障壁と供給量に大きく依存する経済的メカニズムに基づいて決まっている。
みんな勘違いしているけど、農家は貧乏じゃない。少ないながらも儲けもある。だから続いている。
6次産業化だー!!って頑張った農家はそこそこの現金も持っている。
嫁を専業主婦にしてブランドものを買い与えることができるほどの金もない。
休みは少ない。
毎日何かしら仕事はある。けど、作付けとか田植えのピークを過ぎたらそこそこ自分の時間もとれたりする。
夏の真昼間は作業しないから、役所や銀行には行きやすいけど、日が昇る前に作業することもある。
つまり、農家というのは、農業に就業するということじゃなくて、生き方として農家を選択するということである。
みんな何かしらのサラリーマンかサービス業になりたがっていて、農家という生き方をしたくないんだと思う。
みんな効率化とかビジネスチャンスとかって言葉を使いたがるけど、効率化もビジネスチャンスもあると思う。