
はてなキーワード:兄貴とは
あと、小林薫の声が好きなので、(というか、ジコ坊が好きなので)
「ホウセンカ」を観てきた。気になった事とか感想をネタバレありで書く
まず、ピエール瀧は良かった。
「お前がそれ言う?」みたいな感じで楽しめた。
アナ雪を観たことないからオラフとの比較はできない。地上波でやってた時に観とけばよかった。
小林薫は・・・・、小林薫ってこんなにおじいちゃんだったのか、というくらい自然だった。74歳なら当然か。
満島ひかりも好きだけど、UQUEENとしてのひかりが好きだったんだなと気付いた。
冒頭で、まだ何の感情移入も出来てない段階で、長々と花火の映像を見せられて、
オープニングテーマ的な歌を聞かされたんだけど、あれは辛かった。あれってどうなん?ああいうもん?
これが普通なのだとしたら、自分は現代のアニメって楽しめないのだな・・・と少し寂しく感じた
それともタイアップとか大人の事情で無理やり捻じ込んだんだろうか。
あれだけ用意周到で強かなのに、貯金はしてないってあり得んくない?
まぁ「大金を得るために、強盗をする」という話を成立させるために仕方ないのだとは思うけど。
アイツにも瀧の声を聞かせてやれよ
血まみれの2億で助かったことに苦悩するシーンとかあったら個人的には面白かったんだけど
あとは、物置置いた土地、どうなったんだろう。どうにもならんか。民法面白いな。
物置に名前が書いてあるのかは確認できなかったけど、書いてあった?
アイドル界の酸いも甘いも混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、
自分の子供時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツを子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。
親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして突きつけられ、人間性の健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。
それも単なる暴力やセックスの話では収まらなくなってきている。最近の少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別や格差をギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。
自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。
だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。
大学で「こども文化論」科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育くむべきものではなく、子供もそこで消費者にすり替えられていた。
そしてそれは当然ながら子供自身が望んだことではなく、明らかに大人の商売のために作られたものだ。
もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全なものと理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画も少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。
ここで、実在した漫画家・寺田ヒロオ――あるいは彼がモデルの、藤子不二雄Aの『まんが道』(とその続編)に出てくるテラさん――の話を思い出す。トキワ荘での良き兄貴分というよく知られたキャラクターとともに、彼は漫画界の傍流、あるいは一種のバッドエンドルートのような言及を今でも受け続けている。
彼が何をしたか、どうして多くの人の記憶に残っているのかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。なぜか「闇」扱いされたりしているが。
かいつまんで言うと、自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずおか永井豪の漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。
実際にはスパッと漫画家を止めたわけではないなど、漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全な漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。
しかし私は、テラさんの立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。
あと、付け加えると、テラさんは漫画文化に対してステレオタイプな「浄化」一辺倒な立場ではなく、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルトな作風の漫画は否定していない。テラさんが心を割って話せる存在が任侠・アダルト漫画家の棚下照生だったように。
子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるものが欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。
テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画・劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心かタイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見分からない形で(ギャグやロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。
はっきりいえば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。
近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。
それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツが子供に蔓延したのは、子供の事情や「時代の要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人の商売の都合なのだ。
うんことかちんちんとかわざと幼くさせられている少年コミックも、けばけばしい、「病み」を称揚する少女雑誌も、全部歪められた末のものだ。
子供がコンテンツと社会の両輪で、我々以上にますます病む前に。
タイトルの通り。
自民党に入りたいと思う人はめちゃくちゃ多く、実際の入党は思っているよりも狭き門だ。
規約や申込書は公開されているが、内部事情はなかなか外からは見えない。SNSや記事から断片的に推測するしかないのが現実だ。
私自身も最初に応募したときは情報不足で、何もわからないまま提出して落ちた。
そこで、自民党に入れなかった立場から、当時知っておきたかったことをまとめておく。
もちろんこれは自己満足で書いているだけで、参考にしてうまくいかなくても責任は取れない。最終的には自分で判断してほしい。
【経歴】
どういう人間が言っているかで信憑性は変わると思うので、経歴を簡単に。
私は地方出身で、大学時代から政治に関心を持っていた。授業やゼミで議論をしたり、学生団体で政策提言ごっこをしていた。
新卒で応募したが、特に後ろ盾もなく書類だけであっさり落ちた。
その後は地方議員の事務所で手伝いをしたり、市民活動団体で政策提案をしたりして経験を積んだ。
街頭演説の裏方やポスター貼りを何度もやったが、結局「推薦人がいない」という理由で門前払いをくらったこともある。
今は小さな地域政党に関わり、多少の実務経験は積めたが、全国区の自民党に最初から入れる人との差を痛感している。
自民党は「地域政党」としての側面が強い。履歴書や思想よりも「誰の紹介で来たか」が圧倒的に重視される。
地元の議員事務所でインターンやボランティアをするのが最短ルートだ。推薦人が現職議員なら入党はかなり通りやすい。
「政治に関心があります」だけでは相手にされない。地域行事の手伝い、選挙のポスター貼り、ビラ配り、街頭活動──泥臭い経験が評価される。
SNSで政策語りをするよりも、実際にどれだけ動いたかが見られる。
自民党は大きな組織なので、右から左まで幅広い人がいる。自分の意見を言う前に「その場の空気に合わせられるか」が大事。
極端な主張や独自路線をアピールすると浮くだけで、最初から弾かれる。
4.推薦人の有無が最大の壁
入党申込書には「紹介者」の欄がある。ここに現職議員や党関係者の名前がなければ、ほぼ通らない。
私もここで何度も落ちた。結局は「誰を味方につけられるか」に尽きる。
自民党に入れば選挙は日常。お金も時間もかかる。ボランティア感覚では務まらない。
「自腹を切れるか」「地元企業から寄付を集められるか」まで見られるので、その覚悟は必須だ。
政治の世界では「素の自分」より「キャラ」が重要。地元の人から見て“頼れる兄貴”“優しい姉御”“地道に働く若手”など、わかりやすいキャラが必要だ。
「本当の私は違う」と言い出す人はすぐに埋もれる。
7.党内でのポジションを考える
【結論】
正直、私は最初の応募時点では全然足りていなかった。推薦人もなく、実績も曖昧で、「政治に関心があります」としか言えなかった。
実際に入っている人は、人脈・お金・実績・運が揃っている。最初から完成していた。
「自民党を諦める」か「地域活動や他党で実績を積んで再挑戦する」か。
私は「入れなかったこと」を悪いとは思っていない。倍率が高すぎる以上、落ちるのは普通だし、別のルートを探すのも才能だ。
それでも諦められないなら、地元活動を何百時間も積み、人脈を広げ、資金を集め、推薦人を確保する覚悟を整えて再挑戦するしかない。
そして一度潜り込めば、その後は「経験者枠」として見てもらえる
お兄ちゃん、おにいちゃん、オニイチャン、ONIICHAN、哥哥、오빠、frère、hermano、おーにーいーちゃーんー、お↑に↓い↑ちゃ↓ん↑、おniiちゃん、0111010011お兄ちゃん010110、兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄兄、にぃにぃにぃにぃにぃにぃにぃにぃ、ニーサマ、兄上様、あにき、アニジャ、ブラザー、おにいたま、おにーたん、にいやん、兄ちゃま、お兄様、兄くん、にいにい、にーちゃん、にーさん、兄貴、兄者、兄御、あんちゃん、
おおおおおおおおおにいいいいいいいいちゃんんんんんんん、お兄ちゃん?お兄ちゃん!お兄ちゃん…お兄ちゃん。お兄ちゃん~♪お兄ちゃん♡お兄ちゃん★お兄ちゃん◎お兄ちゃん※お兄ちゃん#お兄ちゃん@お兄ちゃん&お兄ちゃん%お兄ちゃん$
オニイチャンオニイチャンオニイチャンオニイチャン御兄茶庵鬼威ちゃん音兄ちゃん尾荷胃ちゃん汚似異ちゃん
んゃちいにお、ンャチイニオ、ちゃんおにい、チャンオニイ、いちゃんおに、イチャンオニ、にいちゃんお、ニイチャンオ
お に い ち ゃ ん
お に い ち ゃ ん
お に い ち ゃ ん
お に い ち ゃ ん
【お兄ちゃん】〔お兄ちゃん〕《お兄ちゃん》〈お兄ちゃん〉「お兄ちゃん」『お兄ちゃん』
お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃんちゃんちゃんゃんゃんんんん…
ぉにぃちゃん、ォニィチャン、ぉにぃちゃぁん、ぉにぃちゃぁぁぁん
お兄ちゃんがお兄ちゃんでお兄ちゃんとお兄ちゃんのお兄ちゃんをお兄ちゃんにお兄ちゃんはお兄ちゃんもお兄ちゃんよりお兄ちゃんからお兄ちゃんまで
おににににににににいいいいいいいちゃちゃちゃちゃちゃちゃんんんんんん
兄↗ちゃ↘ん↗、に↘い↗ちゃ↘ん↗、お↗に↘い↗ちゃ↘ん↗
お兄ちゃん.exe、お兄ちゃん.txt、お兄ちゃん.jpg、お兄ちゃん.mp3、お兄ちゃん.avi
おっ、にっ、いっ、ちゃっ、んっ!
お兄ちゃん?お兄ちゃん!?お兄ちゃん…?お兄ちゃん!!!お兄ちゃん???お兄ちゃん…!お兄ちゃん!?!?
オ゛ニ゛イ゛チ゛ャ゛ン゛、オ゜ニ゜イ゜チ゜ャ゜ン゜、オ゚ニ゚イ゚チ゚ャ゚ン゚
おにいちゃんおにいちゃんおにいちゃんにいちゃんいちゃんちゃんゃんんん
兄様兄様兄様兄様兄兄兄兄兄
おにいちゃん
双子で下の方が上の方を「兄貴」とか「お姉ちゃん」て呼ぶやつ、本当にいるの?
実際にはいなくない?
私自身二卵性双生児だけど物心ついた頃からずっと名前で呼び合ってるよ
親や親戚にも姉だからとか妹だからとかいちいち区別されたことほとんどないし
なんとなくだけど、学校の先生とか、第三者になればなるほど姉・妹の区別したがる気がするよね
親や親戚は「双子だから、とにかく平等にしなきゃ!」精神が働くのか、姉だから妹だから的な発言はまずなかった
学校の先生とか他所のお家の人とかだと「あなたはお姉ちゃんなんだから~」とか言い出す人多かった
意味分かんねえ
双子だよ?同じ年だよ?姉ってどゆこと?たまたま一時間かそこら早く産まれただけで姉扱いされたくないんだが
医者がたまたま早く取り出したからお前は姉だから姉らしくしろとでもいうつもり?
もっと考えろよって思う
アナルに直差し出来るスイートスポットオープナーが既に実装済みで出荷されてるとのこと。
これはCEO肝煎りのサービスでさすがは本場の本物は違うな、とスティーブも唸った。
でも、思うんですけど、最近はウォズニアック兄貴とか文句すら言わなくなりましたね。もう完全に呆れてるのか年取ってボケてしまったのかどっちなんでしょ。
あと秋がなくなったとか言いますけど、この調子だともつそろそろ冬が無くなるんじゃないかと心配じゃありませんか?僕は心配です。、、、。謎の秋刀魚豊漁とか。必死こいて養殖目指してるのに豊漁か!って欧米か!みたいな調子になるのはどうかと思います。でもAppleってそろそろトップは変わってほしいですね。安倍晋三とかいいんじゃないですか?え?死んでる?ホント?トランプとこないだゴルフフロリダでしてきたって動画見たけどあれいつの動画なの?
そそそそそナノですよね。iPhoneナノ。昔そういうiPhoneあったけどあれの再来なんですかね。
でも実際iPhoneでアナルバイブ出来るならアナルバイブ業界かなりヤバくなりますよね。だってApple Watchみたいな出来の悪いオモチャですらスイスの時計業界のパイをパックリと食べちゃっておいおいおいおい、オカマ!!余計なことするなよ!!みたいな感じでしたんでしょ?それなら脆弱なアナルバイブ業界とか瞬殺じゃないですか?
淫夢に存在する、替え歌拓也という謎のジャンル。それら動画群のうちの一つである、55%兄貴の投稿したクサイコホールには、誹謗中傷を嫌ったり諌めたりするようなコメントが沢山ある。それらコメントをする人たちは雄膣騎士団と呼ばれ、特に気にしない人々からネタにされている。筆者は淫夢に倫理感求めてもしょうがないと思ってる派なので彼らの言い分はどうでもいいのだが、なんでこういう人たちが現れるのかは気になるので考えることを書きとめておく。
替え歌拓也の素材の一つである拓也の評判の動画は基本拓也の悪口だ。クサイコホールはdeco27のラビットホールの替え歌で、歌詞を拓也の評判とその改変で作っているのだから、全部誹謗中傷なのは当たり前だ。ここで引用だからセーフとか言ってもごまかせないということを指摘しておき、逃げ場をあらかじめ無くしておく。なぜセーフとか誤魔化したくなるのかはそれはまたあとで話すとして、ともかくクサイコホールはラビットホールと悪口のかけ合わせだと言える。
ラビットホールはいかにもz世代のガキ向けって言葉がよく似合うような、短いイントロに性的なフレーズ多様の早口の歌詞に派手なメロディに転調にと盛りだくさんだ。これらz世代を飽きさせないための工夫が拓也さんへの悪口に重ねられているのだから、悪口の効果も強く感じられてくるのは納得と言える。同じように拓也の評判だけで作られたつくペン兄貴のウリ専時代のゆっくりしたテンポと比較するとわかりやすい。
ついでにもう一つ比較したい替え歌がタラバ記念日兄貴のバリタチの日にである。こちらは全編拓也の評判ではないのだが、曲の最も盛り上がる部分に特に集中して、めたんの美声とともに悪口が詰め込まれている。悪口が強い言葉であることを利用し、他の部分との対照で印象を刻み付けてくるテクニカルな歌詞の作り方である。一方クサイコホールは全部悪口だから、歌詞が全部強い。とにかく飽きさせない作りはアニソンの音圧戦争を連想させてくるほどだ。
これら分析は別に55%兄貴の替え歌を批判したいとかの意図はない。彼のめたんを使った替え歌1号の拓よ、こいでも悪口ばっかりみたいな文句は多かったがクサイコホールほど盛り上がることはなかった。その原因を考えてみたいと思っただけである。
そもそも替え拓は拓也の評判からの引用が少なければいいのかというと別にそんなことはないのである。ホモビを無断切り貼りして人権を奪っている時点で悪性は誤魔化しきれないのだから、視聴者が個人として面白いと思うかどうかだけで評価しとけばいいと私は思う。
話を発展させるために、拓也の評判の引用や改変が少ない替え歌はどうなっているのかをちょっと見てみる。先に挙げたタラバ兄貴のバリタチの日には、ラストに視聴者が拓也さんで童貞を卒業するというオチを持ってきてストーリー性を生んでいる。しかしこれは変わり種で、大抵の場合拓也はエロい売り専であると歌って締めたり、拓也は揉むことが好きを引用したり、淫夢の未来を担う存在と持ち上げたり、生か殺の東京タワーのシーンで終えたりする印象だ。これら全てに共通するのは動画の終わりを悪口にしないことであり、さらには拓也を持ち上げさえしているのである。これは別に拓也には悪口をぶつけるべきと言いたい訳では無い。どうせ淫夢なんてゴミ溜めなんだから好きにすればいいというスタンスは変わらない。ならばなぜこんなことを書いたかと言うと、替え拓動画の中には、悪口を言った罪悪感を軽減する仕組みが内蔵されているパターンがあると指摘したいのである。
悪口を言うことは人に罪悪感を生ませる。だから悪口が含まれた動画にはその罪悪感を消すための工夫が盛り込まれている。具体例として、替え歌拓也ではないのだが同じ歌系として、やじゅまん兄貴が投稿したAI生成の歌、俺の人権を返せを思い出してほしい。これは辛そうな野獣先輩が自分の人権を返すように訴える歌である。これに視聴者は、本来罪悪感を抱くはずなのである。だからこそ、無いものは返せないとかホモビに出たのが悪いとかの無理のある正当化コメントが現れてくる。そして、この罪悪感を解除する仕組みがこの動画の最後にも内蔵されている。バンドを組んでいた複数の野獣先輩たちがそれぞれに自分が一番だと言い張り、仲間割れをして終わるのだ。これによって、野獣先輩とはしょせんこの程度のやつらなのだから人権を奪われて当然という意識に視聴者の心を戻し、安心して次の人権侵害へと移れるようになっているのである。私はこのシーンを、AI使用という人権侵害によって野獣先輩の人権を訴えるという動画の面白さを損なうものとして蛇足と思うし、それを分かったうえでやじゅまん兄貴はこのシーンを視聴感まで計算して入れたんじゃないかと訝しんでいるのだが、それはともかく、人権侵害度合いが高い淫夢動画は視聴体験が悪くなるからそれを緩和する内容が含まれているということの例証になっていると思う。
この動画の仲間はクッキー☆のAI宇月である。「私で遊んでくれてありがとう」という最強のフレーズを含むこの動画も、バランスのために「おまえのこと絶対許さない」が直後に入っていて、動画の最後はUDKがパソコンに向かって「おい!」と言って怒ることで、人権侵害に対して怒られて終わるという形で区切りを作っている。
まとめると、動画が人権侵害を強く意識させる内容であるときには、視聴者が怒られるなり、いいところも言ったり、人権侵害された側が侵害されるにふさわしい理由を持っていると明らかに分かるようになっているなど、視聴者の道徳心のバランスを取るようにしていることが多いのである。
最初に替え歌の歌詞を拓也の評判で埋め尽くしたウリ専時代も、語録の「もう許せるぞおい!」が入っていて、拓也に怒られるという形で終わっていた。だが、クサイコホールはそうなっておらず、歌い上げた四国めたんの満足げな顔で終わる。言い訳のない完全な誹謗中傷を実現したのが55%兄貴の替え歌拓也の革新性だと思われる。
五十噸の補助機関つき帆船で海峡植民地から東インド約二ヶ年の予定で一周しようといふ企てがある――計画者は神戸市元町三丁目近江一郎氏でボルネオやインドに久しく滞留、仏教を研究して最近帰朝した岡本春岳師ほか二名の同志の力を得、海外在留民を慰問し、病没者の展墓弔霊燈台守の慰問をなし、併せてわづか五十噸の小舟で南洋を一周すること自体によって海事思想の普及に資し、寄港地では新聞以外に故国の事情を知りたいと希望している人々のためには最近の東京風景や観艦式などの活動写真を見せるとともに故国の発展ぶりや近情を講演し、商品見本やカタログなどを配って行き、簡単な商品見本市を開き希望者には連絡の労もとり、各地にある日本人会の連絡をつけようといふのである。首唱者近江氏の厳父は日露戦役直後東京朝日新聞者がチャーターして満鮮巡遊団を企てた時のロセッタ丸の船長で、今年はその七周忌に当るので、亡父への供養の一端であると大した意気込みで、目下拓務省に補助の支出交渉中であるが、それが纏まり次第四五月ごろには壮途につきたいと、近江氏は語る。
『明中教育十年』より、「明石中學校十年史」の1932年2月1日の項。
直木由太郎編『家信 みとせのはるあき 上』より、1932年の「五月十六日神戸より」。
臍主義者近江一郎君はまだ知らぬ人だが、其著「小舟を住家に南洋へ」は近来非常におもしろく感ふかく読んだ書物の一であるので一筆書いておく。
第一此書は君が鎮国丸という小船に乗じて南洋に向ふ途中、琉球近くの与論島に於て、船が暗礁に乗り上げ大破、九死に一生を得たこの死線突破の体験を本として、其遭難の顛末と共に南洋開拓に就て、かねて諸方面に就き自ら準備のために取調べた生きた心得の数々を教へ示さんとするもので、世に机上の空論は多くてもこの書の如く命をかけて出来た書物はまことに稀有と云ふべきで、この点に心ひかれるものがあるのである。
『楚人冠全集』より、1937年の杉村楚人冠「バルサ」という記事。
逓信省の船舶試験場で、近頃絶対に沈まない救命艇とかを作った。(中略)沈まない船といふのは、バルサを用材にして作ったとの事だから、何も今に始まった新案でも何でもない、現に私の友人がこれで救命艇を作って、特許を願ひ出た次第は、一昨年の十一月の「グラフ」に私が書いている。彼は特許が許されないので、気前よくその船を私に呉れて行ったので、私はこれを手賀沼に浮べて、時々漕いで出るのを楽しんで居る次第も、その時に書いた。この贈主の名を近江一郎といふ。朝日新聞社で明治三十九年の夏満韓巡遊の船を仕立てて、日本で初めて新聞社主催の団体旅行を企てた時、その乗艦ロセッタ丸の船長だった林橘治君が、即ちこの近江君の実父であった。
1959年『新民』より、寺岡謹平「祖国の礎特攻観音の縁起について」という記事。
昭和二十一年から、神戸の人近江一郎という老人がおりまして、南洋で貿易をしておったのでありますが、戦争がたけなわになりますと、日本の航空隊では油がだんだんなくなる。潤滑油をなんとかして作ろうということで満州にわたって白樺から潤滑油を作る研究に目鼻がついた、ということを軍令部に進言致しました。そのときには戦争が終ってしまったので、戦争に敗けたのはわれわれ国民の協力が足りないため、ということを考えまして、なんとかして戦死した御霊をなぐさめたいということで、まず特攻隊の遺族を弔問しよう。御霊に参拝しようという念願を立て、二十一年二月から、全国、北は北海道、南は九州のはてから、ずっと単独で廻って歩いた。
(中略)
はじめのうちは簑笠にカーキ色の服を着た坊さんが現れると、これは押売りか物貰いだろうと思って、虐待された。いろいろ考えた末、各県の世話課に頼んで遺族の住所を調べ、予め紹介してもらって参りました。そこで今度は順序よく運んだ。行くと、先ず以て仏様の前にいってお経を読んで焼香をする。そして般若心経を半紙に書いたものを一枚奉納する。
これは神戸の友人で美田禾山翁という書家がおりまして、その人の仏心で般若心経を沢山書いてもらった。海軍特攻隊の遺族は、二五二五名おりますから、美田先生も老齢ではあるし、耐えられなくなった。そこで誰かに書いてくれということで、私も何百枚か依頼されましたが、電報で何枚どこそこに送れと、こういうふうにくる。
(中略)
そういうものをお土産にもって廻って、六年間というものは休みなく廻りました。とうとうしまいには病気になりまして、二十七年一月二十一日に亡くなられた。その間に約一、九〇〇名の遺族を弔問しております。残ったのは東京と東海北陸の一部で、東京都を最後に残したのは、終ったところでお上に特攻隊の遺族の状況を奏上する、というのが狙いでございました。
『吉川英治対話集』より、1959年の対談での吉川英治の発言。
近江一郎という無名の人がいるのです。軍に徴集されて、なにかのことで満州で塾長をしたのです。開拓民の塾長じゃないかと思うのですが、終戦になってこっちに帰ってきて、さる人の紹介で、私が吉野村に疎開していたときに、杖をついて帰還者の服を着たままでやってきましたよ。そのころ、もう年齢は六十近かったでしょうか。
「いったい君はなにして歩いているんだ?」
「私は帰ってきて、たくさんの死んだ兵隊たちの家を一軒一軒歩いて、そうしてそこに年寄がいたら、年寄を慰め、仏壇があったらお線香の一本ずつもあげさせていただくのを生涯の念願にしている」「収入というものはどうしているんだ?」「収入はありません」「じゃ、どうして食べている?」「子どもが一人あって、女房が神戸の区役所の人夫をしている」女人夫ですね。「子どもは小学校に行っている。お父さんは好きなことをしていいと言うから、私はそれをやる」それから復員局で住所を調べましてね、全国を歩いていました。ほんとうに驚くべきものですよ。あるときその男と話をしまして、こういうふうに戦死者の家を歩いていると、ずいぶんひどいことを言われることがあるでしょうといったら、はじめてその男が炉辺でボロボロ涙を流しまして、このごろは復員局で言ってもらえるのでわかってきたけれども、いちばん最初は九州、あのへんの山間を歩くんですね。なにしにきたとどなられる、弟を死なせたという兄貴がヤケ酒を飲んでいるところにぶつかって、「戦死したものの供養にきたと、それで死んだものが生きてかえるか」と上りかかったところを蹴落とされた。そんな目にも会いました。そういうふうにけとばされたり、つばをされたり、なぐられたりするたびに、「これは陛下の罪滅しになると思って私はしのんできました」というのです。
近江一郎というのは私の中学時代のなつかしい同級の剣友であるが、五年の時、神戸一中を去って大阪天王寺中学に転校し、偶然にも、草鹿さん(註:草鹿龍之介)と同級となり、いずれ劣らぬ剣友同士の間柄だったのである。
近江君と私は一年の時からの同級で、しかもふたりは一時、剣道部の両雄として互いにしのぎを削った間柄で剣友として忘れられない一人だが、まことに気骨のたくましい一風変わった偉丈夫であった。それかあらぬか、一時は満州国に行って馬賊になったとまでうわさされたのであったが、敗戦となるや、彼は決然起って、あの戦争末期の花形として雄々しく散っていった海軍特攻隊の遺族を尋ねて全国行脚の壮挙を思い立ったのである。
しかし何分にも当時世をあげて戦後の虚脱状態にあり、特別関係者以外はだれ一人としてこれを支援しようとする者はなかったが、彼は毅然として、すげがさ、負いずる姿のいでたちで、全く乞食坊主そのままの行脚を続け、全国にわたる戦没英霊の実家を歴訪してその冥福と遺族の慰問に精魂を打ち込んだのであった。
戦後の軍当局と連絡をとったものらしく、一地区ごとに行脚を終わると必ず大阪に私をたずねて来訪し、つぶさにその難行苦行の実情を物語ってその感想録と写真を見せてくれたものだが、ほんとうに涙なくしては聞くことも読むこともできなかった。当時在阪の草鹿さんともいっしょに、時々は三人で食事を共にして、近江君の労をねぎらい、かつ旅情を慰めたものであった。
私の中学校の後輩で近江一郎という男がいて、父親が船長だった関係もあり、南方の島の資源開発を思いたった。ここが素人の私にはわからないことだが、それには沈まない船をつくらなければならないというので、あちこちに設計を頼んだり資金の相談にきたりした。
この話を川西さん(註:川西清兵衛)が聞いて、近江君を助けてやろうということになったらしい。そして近江君の希望どおり不沈船が竣工して南方へ出発したと聞いた。ところが、どうしたわけか帰りがけに台湾沖で沈んでしまったという。なんともロマンチックな話だ。
近江一郎の著書に『小舟を住家に南洋へ』『斜に視たる神戸一中』がある。『小舟を住家に南洋へ』は読めなかったが、大まかな内容は上記で説明されている。『斜に視たる神戸一中』は、第一神戸中学校のおそらく1935〜1939年頃の同窓会報に掲載されたコラムを集めたものである。内容としては、神戸一中の卒業生がこんなにすごいことをやった、こういう面白いことをやった、といったもので、上記の「中村文夫(日本板硝子社長)」や「川西実三(埼玉・長崎・京都・東京知事を歴任)」なども登場する。笑いあり涙ありの平和なものだが、支那事変(日中戦争)が始まったことや、誰それが戦死したというようなことが書かれていたりもする。近江一郎自身のことはあまり触れられていないが、母親の名前が「朝子」ということ、娘がいて神戸の野田高等女学校に入学させたこと、第一次大戦の青島の戦いに従軍していたこと、などが書かれている。
まず交通費が出る。
これマジすごい。実家で働いてた頃は「最低賃金以上だすと税金がー」とか意味不明な理由で最低賃金に毛が生えたような金額しか出なかった。というか当然交通費なんか無し
なんなら最後の当たり、世の中の最低賃金が上がって俺は最低賃金以下で働いてた。
5年近く働いてたけど給料のアップなんか一度もなかったな。ボーナスはその時の気分だった。
これも凄い。シフト管理なんか親が一方的に決めてた。変更を申し出る場合は理由をつけて言わないとダメ出し理由つけても文句言われる。なんならそのシフトすらカバガバ運用で親の気分と都合で仕事に回されたり仕事なくなったりしてた。当然なくなれば賃金支払いなんかなしである。
酷いときは半日待機して「そろそろ行くか」と部屋から出た時に「今日は行かなくていい」とか言われた
逆にトラブルとかあったらサービス残業である。労働時間の管理なんて合ってないようなものだ
タイミーはその点すごい。すくなくとも前日。当日流れなら全額保証がでる。これはすごい
最後に人として扱われる
実家で働いてたときは労働契約書とか賃金の支払明細とかそんな概念はなかった
実働何日で何円支払いとかそんな概念もなかった。
一応シフト上では月いくらと管理してたらしいが、何をどう計算しても労働時間だと最低賃金切ってる。
末期には日当制になったがその方が時給が上がったまである。
そんな仕事を5年近くやっていたが、突然の廃業、相談どころか廃業宣言すらない。
自立しろ嫌味からの「辞めるって言ってなかったっけ??」である。
人として扱ってなさすぎだろ。
「正式には雇用してない。年金や保険は私たちが善意で支払っていた」
履歴書になんて書けばいいのよ。公的な書類とかは何も存在しませんしなにも証明する手立てはありませんが実家で働いてましたか?
引きこもってたの方がまだ説明できるだろそんなの。
その点タイミーはすごい。ちゃんと書類を発行してくれる。給与明細もある。
体調が悪くなったら休める。腹が痛い休ませてくれと申し出たら最低賃金に毛が生えたような額しか出してないのに「金払ってるんだぞ!働いてもらわなきゃこまる!!!」とか嫌味いわない。
タイミーで早退申し出たとき文句言われるどころか心配までされ「これが労働者として扱われるということか」と感動した。
とまぁつらつらと書いてみてもシンプルに親の仕事がクソだった以上のコメントがないなコレ。
文句言えないまともな仕事もないド田舎の引きこもりニートだったからやってただけでまともなやつはやらんだろこんな仕事。
「お前なんか居なくても回った。働かせてやったんだ。それなのにいつまで甘えるんだ」
というノリである。
週五週六で借り出すわ前日どころか昼過ぎ、なんなら30分前に「行ってくれ」とかいい出してたくせに何様のつもりだよお前。
経営に一切関わらせてないのに
「お前のせいで利益が上がらないんだ!」
とか言われたのまだ覚えてるからな。
いくら書いても文句しか出てこないが元ほぼ引きこもりで子供部屋タイミーおじさんにランクアップした俺は愚痴を言える相手もいないのだ。
というか昔同じようなこと書いた気もする
Permalink |記事への反応(15) | 12:52
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看護学生の男なんだけど、この世界にいると、おばさんって若い男に甘いんだなーってのを実感する
明らかに女子生徒より俺に対して甘いし優しいし、明らかに興味を持たれてる
なんか男子にだけ声とか話し方のトーンが甘ったるいおばさん教員とかいるし
文化祭(専門学校なので文化祭なんだ)で、多くの学生がステージで踊ったり歌ったりしたんだけど、おばさん教員、わざわざ男子グループにだけ声をかけて「文化祭、よかったわよ〜」とか言うの
女子によれば誰もその教員から良かったわよ〜なんて言われてない(クラス内で男子には甘いよねーって話になった)
そもそも「お局様」キャラのおばさんで、すごくきつい言い方の人なんだけど、なんかお気に入りにだけ声とかトーンが甘い感じで、冗談(笑えない)多くなる
もちろん、おばさん全員がこうじゃないよ
誰にでも飄々としたおばさんもいるし、誰にでも兄貴分みたいな頼れるおばさんもいるけど少数派
先輩から「男ってだけでまあ可愛がられるから」って言われるしな
ただ、男子学生に対して態度変わるおばさん教員は、例外なく女子でもお気に入りとそうでない学生で態度を使い分けてる。これはガチ
ただ女子には野郎にするみたいに甘いトーンとかにならない。ひたすら笑えない冗談言ってる