
はてなキーワード:リストカットとは
昔とっても、毎日のようにオーバードーズしていた経験から思うことを綴ってみようかと思います。
まず東横キッズの影響はかなりあるかなと思います、昔だって市販薬のオーバードーズはありました表立ってなかっただけで
かくいう私もブロン中毒者でしたので…
毎日ひと瓶飲んでは買って何件もドラッグストアを巡りストックしてました。
今は離脱症状もほぼなくすっかり辞められましたが…
界隈になってしまってしまった今、気軽に出来てしまう現状が今を招いてるのだと思います。
友達がしているから 誘われたから現実から逃避したいから入口は大麻や違法薬物や処方薬よりも簡単なものなので…
私が精神を疾患した時代はオーバードーズよりはどちらかというとリストカットが主流でしたが、今の子たちはレッグカット(脚)が多い印象がありますし、なんなら腕も足も綺麗な子が多いなあと思っています。
ブロンみたいなものなのかなと思っていたら全く違うものな事に驚いた記憶があります。
ブロンは覚醒作用と眠くなる作用があるのであれが癖になる印象なのですが…
オーバードーズは卒業したのでメジコンを試すことはないでしょう…
しかしブロンもメジコンもレスタミンも薬としてはかなり優秀なので、このままなくなったりしたらそれはそれで困るな という気持ちです。
しかしながら病み とは自分で気付き無駄な行為だと気付かないと他人がどんなに辞めろと説いても、やめられないものなのは私もわかる部分があります。
今ウイスキーをストレートで飲んでるけど、舌がピリピリするし、体は熱くなるし、肝臓に悪いし、体にいいことないよな
でもストレス発散にはなるから、ある意味、リストカットみたいなもんだと思う
問題なのは、飲食店や小売店でそのリストカットの飲み物を売ってること
よくないよ
ライフハックをいくつかご紹介
1. 解約途中で「別のプランに変更」を選ぶ
2. 新プランの期間開始
おねショタのタを夕に変えると、出るよ
メガネやコンタクトをなくしたら、スマホのカメラで見ると遠くも見れるよ
シスターコンプレックスとは別である。自分の家族という存在が、こんなに幼稚でしょうもないことが、「一重の自分の目が嫌いだ」という感覚でコンプレックスだ。全員が被害者ヅラしているのが気持ち悪い。
母姉弟が、祖父祖母の家に身寄りを寄せている、という形のまま10年程経った。当時小学生だった私にとって「居候」という言葉がしっくり来たが、実際の所どうなのかはわからない。そんな所も恥ずかしい。自分の戸籍も住所も立場も、宙ぶらりんになったまま成人していることが、自分が幼いままのように感じる。
***
今日、母親が「土日に家にいたくない」と言っているのが聞こえた。祖父が家にいるからだ。
どうぞ好きに出かけて行って頂きたい。弾丸で東京くらい行って頂きたい。
10年前には父親に向けていたであろう感情の矛先が祖父に移っただけで、私の母は何も変わっていない。私にバレる形になってる時点で退化だろう、それとも私の成長だろうか。
私は家にいたくないと感じるときには映画を観に行ったり舞台を観に行ったり、自分で対応できるようになったつもりだ。家族の前で泣くことも減った。
自分が家族にイラついて、足音立てて歩いたり、物に当たったりしたら当たり前に怒られるが、親側がそれをしていても、子側は親に文句の1つも言えないのだ。これもコンプレックスだ。
風呂でこれを書いているが、入る前に祖父から「お湯が少ない。自分は何もしていないけれど」と声をかけられた。
だから何なのだ。お湯が少ないから何なのだ。自分は悪くないから何なのだ。
自分は悪くないですアピールができれば良いのか。何に対して良いのだ。全部嫌だ。
反抗期を拗らせている私はお湯を足すでもなく追い炊きをするでもなく、幼児用の温水プールのような場所で震えている。そんなことを言われて、ゆっくり湯船に浸かりたくなんかない。
こんなの自傷だ。どうせ自傷するなら、リストカットくらい形が見えるようにやればいいのに。
自分被害者ですアピールをしてしまうと、家族と同じ立場になると思ってしまう。私はあんな人間と同じレベルでは無いと思い続けたい。
はあさむい、やめよ
今でも大変にあたまがわるい私だが、昔は自分でもどうかしていると思うほどにバカだった。
あれは中学生の頃。
『おまじない』にハマっていた私。
ある日読んだ雑誌にこう書いてあった。
『好きな人の名前を手首にマジックで書いて、その上にバンドエイドを貼って隠そう。文字が消えるまで貼っていられたら、名前を書いた人と両想いになれる?!』
……ねぇよ。あるわけねぇよ!!
と、今ならゴミ虫を見るような目で雑誌を引きちぎって捨てるだろう。
「なんて素晴らしいおまじないなんだ!」
「教えてくれた人は神に違いない!!」
疑うことを知らない、まだピュアだった頃の私は記事の内容にいたく感動して、さっそく手首にマジックで当時大好きだったひとの名前を書いた。
……ここで普通の夢見る中学生だったら可愛らしく小さな字で名前を書いただろう。
ちょっと賢しい子であれば水性マジックで消えやすくする、とかの知恵が回ったかも知れない。
しかし、重ねていうが私はあたまがわるかった。
手首に油性マジックで力強く『楓』と、当時大好きだった漫画キャラの名前を書いた私。
思いが強過ぎたせいで、バンドエイド1枚程度では隠せない程にデカい文字で書いてしまった。
(でも、大きい文字の方が想いは伝わる気がする……しない?)
左手首にデカデカと書いた『楓』の文字を見て、当時の私でもちょっとしくじった気がした。
しかし幸いな事に『おまじない』には「バンドエイド1枚で隠さなければいけない」とは書いていなかった。
『隠せればOKなんだよね?』
根拠のないポジティブさを発揮し、そう考えた私は追加でバンドエイドをベタベタと手首に貼り付けた。
それを隠すのには全部で3枚ものバンドエイドが必要だったのである。
さて『おまじない』も無事おわり、3つのバンドエイドが並ぶ左手を見た当時の私はテンションが爆上がりしていた。
だってこれを剥がした時、名前が消えていれば私は楓と両想いだからだ。
しかし左手に3枚もバンドエイドが並んでいるのは、流石にちょっと不自然な気もする。
リストバンドで隠せないかと思ってやってみたのだが、3枚のバンドエイドを覆い隠すのに、リストバンド程度では役不足だった。
一瞬ノーカンにしてやり直しをしようとも考えたのだが、一回終えてしまったおまじないをやり直したらおそらく効果は無くなるだろう。
どうしようと悩んでいたその時、私の頭に天啓が下った。
……ぉお、なんと素晴らしいアイデアか?
神もきっと私と楓の仲を祝福してくれているに違いない!
何より包帯に包まれていればバンドエイドも剥がれにくいだろうし、おまじないの成功率も高くなるだろう。
なんという一石二鳥かっ!
当時を思い出して、今は羞恥で震えている。
さて、そんな状態で学生生活をしているとどうなるか、ここまで読んでくれたあなたには想像できるだろうか?
「……左手、どうしたの?」
休み時間に、陰仲間のNちゃんからそんな言葉を投げかけられた。
……そりゃそうだ。
昨日まで何もなかった場所へいきなり包帯なんか巻いてたら気になるに決まっている。
当時はおまじないの詳細を他人へ話してしまったら効果がなくなるという認識が私の中で一般的だったし、
いくら数少ない友人であるNちゃんとはいえ私と楓の仲を引き裂く権利は無いはずだからだ。
なので私は適当にはぐらかした。
「ちょっとドジってケガしちゃったんだ。……ふへ♡」
多分ものすごく気持ち悪い薄ら笑いを浮かべながら、私は彼女へそう伝えた。
「……そう、なんだ。大変、だね。……何かあったら、力になるから話してね」
今考えれば、中学生とは思えない程に物凄く言葉を選んで発言していた彼女。
だが当時の私はバカだったので、そんな気遣いにまるで気付かなかった。
だっておまじないが成功して楓と両想いになれた時のことを妄想して、自然とニチャついた笑顔が浮かぶ程にバカだったからだ。
この左手首は私と楓の絆。愛の証。
当時の私はそんな思い込みを完全に信じる程にイカれていたのだ。
あの時の私は多分、この世の薄気味悪いものランキングでかなり上位に喰い込んでいたと思う。
陰キャではあるが、特に問題を起こすようなタイプではなかった私。
そんな私が、なんでヤンキー説教部屋こと生活指導室に呼ばれたんだろう?
当時のそこへ呼ばれるタイプの生徒は無軌道で素行不良なヤンキー男子か、それに感化された女子の一部だけ。
純粋培養された陰キャであり教室の隅で雑草のようにただ息をしているだけの私が呼ばれる理由など、この時はまったく予想がつかなかった。
頭に沢山の?マークを浮かべながら、私は初めて指導室へ足を踏み入れた。
指導室へ入ると先に来ていた先生に促され、私は彼と向かい合わせで座る。
それはまさに『取り調べ』という空気だった。
私の担任は今だとあまり見ないであろうタイプの熱血教師で、いつも暑苦しい事をクソデカボイスで言う、うるさいひとだった。
そんな担任が無言のまま、ものすごく難しい顔をして私を見つめている。
……え? 私、何かしちゃいました?
身に覚えのないことで呼び出されたあげくに普段うるさい担任から無言で見つめられるなど、ちょっとしたホラーである。
しばらく無言で私を見ていた彼は、搾り出すような声で言った。
「……なにか、悩んでいる事があるのなら話してくれないか?」
いきなり何を言い出すんだ、この熱血教師は。
「……いえ、特には」
心当たりがまるでない私は当然そう返す。
悩んでいるように見える要素など、どこにあったのか?と、この期に及んでも思っていた。
わけのわからない事を言い出した担任の顔を見ると……彼は私を見ていなかった。
「俺も至らないところはある。……だけど話を聞くことくらいは出来るんだ。そんなことをして自分を追い込む前に、相談してくれないか?」
……んん??
ここで察しの悪い私もようやく気がついた。
……ひょっとして、私『リストカットした』と思われてる?
「……あの、先生。ひょっとしてなんですが、私が自分で手首切ったと思われてます…か?」
戸惑っている私に、先生は続けてこう言った。
「ここ何日か、お前の様子がおかしいという話を聞いている。……何もないのに薄笑いを浮かべて左手首を撫でたりしていて様子が変だ、とな」
……oh。
私から溢れ出た楓への思いが、何だかとんでもない方向へ流れている。
まさか本人がまるで意識しない所で、メンヘラ女子みたいな扱いになっていたなんて。
というかメンヘラ女子は意識して他人の気を引くためにやっているのだろうから、無意識でやっていた私はマジもののバカである。
……さて、困った。
誤解を解くのは簡単だ。
何より漫画キャラにガチ恋しているのを他人へ告白するのは、当時のバカだった私でもさすがにためらわれた。
なのでNちゃんに話したカバーストーリーを、そのまま担任へ告げることにした。
「いや、これはちょっとケガしちゃって。跡が残ると嫌なのでちょっと大げさに包帯巻いてるだけ……なんです!」
私が搾り出した渾身のプレゼン。
それを聞いた担任は──
「……そうか。とりあえず、何か悩んでいる事があれば相談して欲しい。自分はあまり器用な方ではないが、お前が困っているならば力になりたい」
……あ、ダメだわ。この目はまるで信じてないわ。
むしろ『本当は何か辛いことを隠してるんだろ? 俺には分かってる』感が満載の表情だコレ。
誤解を解くのは無理そうだったので、私は担任にこう言った。
「……3週間待って下さい。そうしたら私の言っている事が事実だと分かるはずです」
追及を続けたそうな担任へ私は山岡さんみたいなセリフを吐いて、その場をなんとか乗り切った。
(今思うと仮にそれが本当に怪我だったとして『何でその傷をニヤついて見てるんだよ?』って話なのだが、私の気迫に押されたのか担任はそれ以上突っ込んで来なかった)
結局、色々とウヤムヤにしたまま私は担任からの呼び出しをクリアしたのだ。
そして、それから3週間弱が経過する。
無事にバンドエイドは剥がれたのだが、『楓』の文字は完全に消えてはいなかった。
(今なら分かるが油性マジックを使ったのがいけなかったのだろう)
あれほどの困難を乗り越えたというのに、私の想いは彼に届かなかったのである。
あの時は本当につらかったが、今は別の意味でつらい。
翌日、担任に傷跡のない手首を見せたことで私のリスカ疑惑は解消された。
『え、マジでただのケガだったの?』みたいな顔をしていた先生の顔は今でも覚えている。
ちなみに何年か後、当時の私は影で『嘘リスカ』とか呼ばれていたらしい事を知って身悶えた。
あれからン十年経ったが、私は今でもあの『おまじない』を書いた雑誌を許せない。許していない。
『文字はバンドエイド1枚で隠せるような字の大きさで書きましょう』というものすごく必要な情報をバカでも理解できるように書くべきなのを怠ったからだ。
お陰で、頭のわるい子である私が『頭わるい上に痛々しい子』にジョブチェンジしまった責任は追及していきたい。
あと3週間くらいバンドエイドを張りっぱなしにしてると、それを外した時にマジでくっせぇのな。
手首真っ赤になるまで洗ってんのにだよ?!
アホほど制汗スプレーかけても、爽やかなシトラスの香りに混じって何か変な匂いするんだわ。
リスカ疑いがあった奴の包帯が外れたら、傷はなさそうだけど何か異臭がしてる、とか……
それはそれで『何があったんだ怖ぇよ』と思われてたんだろうなぁ。
……ぁあ、マジで思い出すたびに死にたくなる。
このクソ文章をここまで読んでくれた人の中に、似たようなことした人居ないかな? 居て欲しいな!
……頼むよ私だけじゃないと言ってくれよ。
佐伯ゆかは、いい子だった。
いや、笑っちゃうくらいいい子だった。ランドセルに教科書、ピアノの楽譜、母親の夢まで詰め込んで、言われたことは全部やる。母・園子は厳しかった。鍋の蓋を閉め忘れると三時間説教、ピアノは毎日三時間、歌の練習一時間、テストは満点以外許さない。
でも、そこには甘い卵焼きと手縫いの巾着袋があり、熱を出せば夜通し看病もしてくれる。呪縛と慈愛がごっちゃになった混合液体が、ゆかの体内を循環していた。
園子は専業主婦。社会経験が薄かった。外の世界を知らなかった。だから、外の世界を恐れていた。教師も、近所の主婦も、会社員も――すべてが**“信用ならない人々”**に見えた。
園子は、ゆかを囲い込んだ。
文字通り、どこまでも。
「ピアノが終わったらドリル」「テレビは一時間だけ」「友達の家には遊びに行かない」
そんなルールが無数に積み重なっていった。
父は最初こそ何度も口を挟んだ。
「もう少し自由にさせろ」
「勉強ばかりじゃだめだ」
けれど、そのたびに壁にぶつかった。園子とゆか、二人の間には見えない糸があって、そこに踏み込むことは許されなかった。父は家の中で幽霊になった。
それでも父は何度も介入しようとした。「俺だって親だ」と声を上げたが、声は響かなかった。園子は、ゆかを守る盾のようにして外界を拒絶し、父をも拒絶した。
そしてついには、父がぽつりとつぶやいた。
――「ゆかが二十歳になったら離婚しよう」
その言葉は宣告だった。
やがて父は本当に消えた。家にいても、いないも同然。
それが峰田肇だった。
「受験は戦争よ」と言われれば「うん、わたしやる!」と笑って答える。
母が好きだった。母を喜ばせたかった。
制服はブレザー、春の校門で風が吹く。友達と部活の話をし、笑い、教室の黒板には「佐伯ゆか、○○高校おめでとう!」と書かれていた。
でも、その胸の奥にもう一つ火があった。
――アイドルになりたい。
猛烈な願望。熱烈な妄想。
母は言った。「やるなら全力よ」
ゆかは――やった。やりまくった。やり込んだ。
夜10時、指が赤くなってもピアノをやめない。喉が痛くても発声練習を続ける。テスト前日は睡眠2時間。
やがて、ゆかは上京した。
母と抱き合って泣いた。いや、母は泣き笑いだった。
「頑張るのよ!」
「うん!」
母の呪縛? いや、まだそれは呪縛と気づかない愛情の鎖だった。
渋い俳優。父の年齢に近いのに、父よりも光っていた。
恋? いや、これは儀式だ。切り抜き、手紙、日記――脅迫的な恋愛感情。
父の空席を埋める愛。
「思い知らせてやる」
ゆかはガスとリストカットを決行した。
泣いた。
腕を抱えて、ただ泣いた。
ゆかは救出された。
あまりに惨めだった。
あまりに敗北だった。
それほどの事態が起こったにも関わらず、ゆかには休む暇もなかった。
その日――生放送に出た。
生放送だ! ニッコリだ!
だんだん冷静になってくる。自分のやったことをメタ理解しはじめる。
――あたし、何やってんだろ。
社長室に呼ばれ、テーブルの上のストロベリージュースに口をつける前に、
社長が戻ってきた。
叱責。
これはもう、魂を引き裂かれるほどの敗北だった。
――社長に会いたくなかった。
その瞬間、ゆかの天性の行動力が発動した。
一瞬で思いついた。
――屋上だ。
屋上へ逃げよう。
足が立ち上がり、ドアを開け、階段を駆け上がり、
誰も止められなかった。
屋上の風。
考える暇もない。
発想力と実行力の塊。
決めたことは、即実行。
スリッパを脱いで、きちんと揃えて、
――飛んだ。
母の愛と呪い。
峰田への狂気的な愛と恨み。
未遂、敗北、叱責。
その全部が混ざった一瞬のジャンプ。
風が体を持ち上げ、
世界は、一秒で小さくなった。
私は、犬に人生を救われた。
今の私は、そう言い切れる。
人生、ずっとしんどかった。
当時は「オタク=キモい」って空気がまだ全然強くて、授業中にキャラ描いてただけで「えーキモ〜w」とか言われてた。
染めてないのに明るい色で、
なんであの子だけ?って言われて、
「染めてるくせに〜」って陰で言われて。
オタクで、髪の色も周りと違って、だから余計に変なやつ認定されて、
大学に入って、周りも大人になって、髪のこともオタクってことも誰も気にしなくなって「ちょっとやり直せるかも」と思ったけど、
そもそもずっといじめられてたから人付き合いが怖くて、グループLINEの通知が来るだけで動悸がして。結果、大学生活にもロクな思い出はなかった。
間違う度に価値がない人間だと自分に吐き捨て、ボールペンで自傷もした。
この頃にはもう、「ああ、何も変わらんかったら30までに死のう」って思ってた。
なんで「30までに死のう」って思ったのか、正直よく分からん。
でも、たぶんまだその頃は、“希望”があったんやと思う。
…まあ、「30」って数字が、自分の中でキリがよく思えたってのもある。
そこまで生きて、何も変わらんかったらもうええかなって。
今思えば、あのときの私は“人生の区切り”を探してたんやと思う。
怖かったし、家族にバレたらめんどくさそうやなって思ってたし、
そんなことばっかり考えてた。
それでも、国家試験に受かって、
国家公務員として資格持って働けば、きっと何かが変わるって思ってた。
自由に使えるお金があれば、人生ちょっとは楽になるんちゃうかって。
でも現実は違った。
夜は眠れず、
変わるどころか、どんどん心が削られて、
最後にはもう、“無”みたいになってた。
「何かが変わる」ってあれだけ信じてたのに、
本気で“終わり”を考えるようになった気がする。
なんなら、牛乳もうまく開けられなくて。
ちょっとだけ手にこぼれただけ。
それだけのことで、泣いた。
「こんなこともできへんのか」って。
誰も怒ってないのに、誰にも責められてないのに、
ひとりで「ごめんなさい」って繰り返してた。
床に落ちた白いしずくを見ながら、
「私って、なんのために生きてるんやろ」って思った。
その頃、やっと「うつ病ですね」って言われた。
ちょっとだけ、ホッとした。
「ほら、やっぱり私は壊れてるんだ」って。
あの診断は、“生きることをやめてもいい許可証”みたいに感じた。
で、ある日。本当に決心して
それでよかった。最悪後遺症が残ることもわかって飲んだ。
苦しんで死ねば、後遺症でも残れば少しは罪滅ぼしになるかもって思ってた。
ほんまに、生きてることが“罪”やと思ってた。
めちゃくちゃ苦しくて。
けど、体はそう簡単には壊れてくれなかった。
そして、死ぬのが怖くなった。
そして、泣きながら救急車で運ばれた。
そのとき、私が言ったらしい。
「犬が飼いたい」って。
覚えてない。
でも母が言ってた。
あんた、涙と汗と嘔吐まみれの中で、何回も「犬飼いたい」って言ってたって。
でも死ぬ間際に出た願いは、「犬が飼いたい」だったらしい。
死ぬ間際になって何故か飛び出してきた。
それを聞いた家族が「犬を飼おう」って言ってくれた。
「この子が生きたいって思えるなら、何でもする」って。
たぶん、こんな理由で犬を飼うのは間違ってると思う。
そんなの身勝手すぎるって、どこかでわかってた。
それでも、家族は飼おうって言ってくれた。
ずっと犬を反対してた祖母も、何も言わなかった。
なんとか私を現世に繋ぎとめようとしてくれてたんやと思う。
今思えば、あれは「飼う」ってより「救う」やった。
それで出会ったのが──今の愛犬。
ぶすーーっとした顔でこっちをじーっと見て、話してる間に腕の中で寝た。
「あ、こいつやな」って思った。
その感覚、今でも忘れへん。
まだ90日にも満たなかったからすぐには迎えられへんくて、
でもブリーダーから毎日送られてくる愛犬の写真が、生きる理由になった。
「この子に会うまでは」と思って、踏みとどまれた。自殺未遂も1回もしなかった。
愛犬がうちに来た日。
それが私の「再スタート」の日やった。
少しずつ、心が動き出した。
そしたら、他の飼い主さんと喋るようになった。
私、人と話すのほんまに苦手で、
「こんにちは」って言えて、
なんならみんなで旅行に行ったり。歳も年齢も性別も全然違うのに。
不思議なことに人と繋がるのが、怖くなくなった。
“つながり”をくれた。
そのうち、「愛犬のグッズが欲しい」と思うようになった。
そしたら、それが楽しかった。
SNSに載せたら、「作ってほしい」って声が届いた。
びっくりした。
誰かが「欲しい」って言ってくれるなんて。
今では、「亡くなった子の毛を残したい」とか、
「思い出を形にしたい」とか、
亡くなった子の被毛を送ってくださる方もいた。
泣きながら届いた報告を読んだ夜、
「やっと、私は“生きてていい理由”を見つけたのかもしれない」って思った。
私にできることは何かって考えて、
それが、今の私の答え。
そして、夢ができた。
愛犬と一緒にいられて、
誰かの大切な気持ちを形にできる──
そんな【自分の店】を持ちたい。
昔の私は、「30歳で死のう」と思ってた。
でも今の私は、「30歳になったら店を持ちたい」と思ってる。
たった一匹の犬が、
自分の手で生きていけるようにして、
夢までくれた。
愛犬は、私の命の恩犬。
「そんな短い命に人生託すなんてバカだ」って思われるかもしれない。
でも、私はその短い命に救われて、繋がれて、立ち上がって、今がある。
正直、もう一回壊れるんじゃないかって思う。
でもそのときまでに、私は“私なりの生きてていい理由”を、ちゃんと見つけておきたい。
愛犬が教えてくれた、“生きることのあたたかさ”を、今度は私が、誰かに繋いでいけたらと思う。
私は恩返ししながら、生きていく。
そしてその日が来たとき、
ガンダムの脚本は無理ゲーを強いられており、今後も視聴者に袋叩きにされ続ける貧乏くじの役割です。成り立たせようがない矛盾を矛盾させないことを強要されてます。
女児向けアニメでもジャンプ漫画でも見受けられるけど、呪いや悪霊や妖怪など人間以外の存在と戦ってお祓いをして地元の治安を維持する系(スピリチュアル自警団とても言えばいいのか?)は、おもちゃ販促と非常に相性が良い。
呪われて奇行に走っていた人を解呪してあげることで本人も周囲も救うような建付けなので、主人公が持っているアイテムを模したおもちゃも自動的に正義に分類できる…というか配慮対象がいらない。
ミニ四駆やベイブレードや遊戯王カードなどでキャラクター同士が勝負をしているアニメ、キャラクターたちと同じおもちゃを買って自分と友達も遊ぶことができる、という建付けも非常に相性が良い。
物語はこの勝負に勝つこと、このトーナメントで優勝すること、などを目標としている。甲子園を目指す野球漫画のように非常にわかりやすい。
水星の魔女が決闘だけやっていたり、ジークアクスがクランバトルだけやっていたらこの方向性に近かった。違法賭博は伴うが。
ダリルバルデやギャンは活躍したから欲しくなるが、人を運搬しただけのデミバーディングや、棒立ちで死んだハンブラビは活躍しなかったから欲しくならないと叩かれる。この、「好感度を維持しながら活躍する機体」を用意する難度が異常に高い。
兵器の活躍となると殺し合いか防衛か殺しとなる。そして大量殺戮を格好良いものとして描くと、作品の倫理観がどうなのか?ミリオタポルノ臭い軽薄な物語じゃないか?というケチがつく。
ジフレドにはニャアンが雰囲気でア・バオア・クーを消滅させたイメージが付きまとう。すごく殺人がカジュアル。でも何もできなかった機体よりは販促の観点では良い仕事をしている。
関連玩具を売らないといけない種類のアニメはストーリーと販促を両立するか、販促を優先してストーリーが犠牲になるかの二択になっており、戦争やテロを扱いながらロボットを売る場合はロボットを引き立てるために殺人は軽い扱いになる。それはどうしようもないことで、兵器のおもちゃのフェチが金を動かしているからそうなるしかないのであり、ストーリーは今後も期待できない。そもそも成り立たせようがない無理難題を押し付けられているのがロボットアニメの脚本で、今後も作られてはストーリーにケチをつけられMSが活躍していないと言われ袋叩きにされというのを繰り返すのだろうと思う。人類以外の侵略者に対して地球を防衛する…という立場をとったブレイバーンの建付けでないと兵器としての活躍の純粋な正当化が難しい。ガンダムは人と人の戦争やテロ行為を扱い続ける。これと、兵器を美しく描いて販促することの両立は、構造からして無理。「軽薄」に寄ったのがジークアクスで、軽薄にならないよう半端な努力をした結果2期の展開がモタモタしたのが水星だ。そして常に、プラモデルを売上は犠牲にできないので、倫理やストーリーの整合性が犠牲になる。シュバルゼッテの販促義務という制約の中での、ラウダの人格のめちゃくちゃさといったら…。
一般素人がラッキーでいきなり力を得る展開の説明としてロボットを得ることは向かないということを説明します。
父親が車好きなのと比べて、自分はあまり車を運転することに自由や楽しさを感じられない。機械の操縦にロマンを感じられない。
渋滞、コインパーキングが満車、月極駐車場が高い、交通事故を起こしたくないのにチャリやLUUPや子供が飛び出してくる、などなど車に付随する諸々がかなり不自由。気を張りながら運転し、終わったらどっと疲れる。
自家用車じゃなく必要なときにレンタルするものだから「専用機」でもなく毎回車両感覚がリセットされ苦労する。
機械の操縦、車の運転、というものに身体拡張の快楽を覚えられる世代や環境と、そうでない世代や環境はあると思う。
つい先日YouTubeで、北海道で軽トラを運転しているときにヒグマに襲われてフロントガラスにヒビを入れられる動画を見た。生身なら確実に死んでいる。危険な野生動物がいる地域、施設から施設までの距離が遠すぎる地域などは、車に生かされるというのは実感を伴う感覚だと思う。生身だと死ぬシチュエーションが多いので。
しかし自分が暮らしている場所は人口密集地で、日常生活においては車を停める場所に悩まされる、不自由になるシチュエーションが多い。大きな機械の操縦席で乗り回す快楽に、ロマンに、スムーズには乗れない。
ジークアクスで言うと「エグザベには起動できない」「ニャアンがコックピットから急に放り出される」といった描写に、かなりの生理的嫌悪感がある。
馬が特定の人間を嫌って、暴れて落馬させるのは納得する。生き物に好き嫌いがあることは当たり前。
ブレイバーンがスミスを乗せなかったのも、後々の説明を聞くと納得できる。エアリアルがスレッタを特別扱いするのも、姉が宿っているという設定があるからだ。
ジークアクスは生き物っぽい依怙贔屓を機械がやりながら、その説明をブレイバーンのように行うこともなく不気味なまま流される。
この気持ち悪さは許容できなかった。例えるなら「ハゲが嫌いなのでハゲに購入されると発火しやすくなるリチウムイオン電池」みたいな気持ち悪さ。
素人がチート機体に選ばれたら訓練をしなくてもいきなりオートパイロットが強力にきいてなんとかなるのが興ざめする。
いきなり動けることについて、初の巨人化したエレンが最初からヘタクソなりにまあまあ動けるのには納得感がある。肉のままの「大型化」であり、コックピットで操縦桿を握るのとは違う。またアニのように格闘術を素の状態で習得していると巨人状態でも活用できるのも楽しい。
マチュが盗んだジークアクスをいきなり動かせて勝てるのは萎える。そのままずっとオートパイロットで良いじゃん。
オートパイロットで勝手に動く優秀なモビルスーツに乗るパイロットの意味って何なんだと思う。
好き嫌いが強い機械にとっての、モチベ要員?エグザベは抜けない、マチュは抜ける、ニャアンは抜けるかなと思ったけど抜けないからやっぱポイー。みたいな気持ち悪さしかない。
「機械が意思を持ちユーザーを選ぶことへの生理的嫌悪感」でも述べたけど、本当に気持ち悪い。ブレイバーンはキモいキモいと騒ぎやすかった割に騒いだほどではなかったけど、ジークアクスの気持ち悪さは気持ち悪いと言いづらいながら本気で気持ち悪い。
ガンダムに熱中するのは個人の自由ですが、それはフェンタニルやアルコールやカフェインなどの物質依存になったりQアノンやオウム真理教その他のカルト・陰謀論コミュニティにズブズブになるより無害という程度です。ガンダムを知らない人を見下すような教養では断じてないです。
旧作ガンダムを知らないのは、単に世代が違うか、その流行に触れてこなかったコミュニティにいただけの話。サッカー選手名や野球選手名を知らないのは無教養ですか?ファッションショーに出ている服飾ブランドの名前を知らないのは無教養?いいえ、趣味の範囲です。知らないことは愚かさでも罪でもないです。ただそういうコミュニティにいないからなじみがないだけです。人の勝手です。
エンジニアの勉強会にけものフレンズやまどマギの話を持ち込んで、観ていないエンジニアが「知らねーよ」となる話が一時期頻発してましたが、いまガンダムがその枠になってるだけです。流行しているアニメの視聴がゴルフ接待のようになっている。
Qがエヴァをパクったのか、エヴァ的なスタイルは昔からあるものなのか知らないが、意図的に説明を省き解釈の余地を過剰に残すとファン同士の解釈バトルを誘発し、それを収益化するYouTuberを生む。
Qドロップも思わせぶりで行間が多い。個人的には行間が広すぎるというのは上品とも知的とも思えず、不誠実で逃げを打っているとしか思わないが、このスタイルは「解釈やさん」に役割を与えるのでXのバズやYouTube収益などサードパーティーを食わせてやったり承認を分け与えてやったりすることができる。
「解釈やさん」に多くを譲るほど、本体であるはずの作品は、単体では何を言っているのか全くわからないものになる。というより、何も言っていないのかもしれない。「解釈やさん」にアテンションを分配すること自体が存在の目的なのかもしれない。エヴァもそうだし、ジークアクスもそうだ。彼らは「解釈やさん」であるとか、「旧作オマージュ早押しクイズやさん」に活躍の機会を与えている。そのコミュニティ含めてエヴァ体験・ジークアクス体験としている。
作品単体では意味不明であり、解釈やさんの主張も作中で一言も書かれていないような内容がたくさんある。はっきり言って、統失のような解釈が山盛りに溢れている。それを包摂しているのがカラー作品のコミュニティになっている。
カラーのアニメのようなものがなく、伝統宗教も崩れると、待っているのは薬物乱用(フェンタニル中毒になると1~3年で死んだりするようだ)か陰謀論(ピザゲート事件のような現実の発砲事件も引き起こす)の隆盛であると考えると、カラー作品が主導するコミュニティは素質がある人々をフィクション消費の範囲内で包摂する「防波堤」なのかもしれない。
しかしあくまでオウムやQアノンよりマシという消極的な評価であり、カラー作品の解釈に多くの時間を費やせることが教養であるとは少しも思わない。マウントのアイテムにもならない。リストカット自慢やOD自慢のように、自慢されても羨ましくない。カラー作品の行間を噛み締めることに時間を使わないとやってられないような人生が羨ましくないんです。マシ、防波堤、必要悪、です。
自分で気持ち悪いなと思うのだけれど,普段は普通に過ごしているのに(大半の人はそう)家庭環境が不和だとか,恋人の話とかで,たまにツイッターとかでなんとはなしにヘラっているのを見かけると,かわいいなって思う.この感覚を持っているのは客観的に見て気持ち悪いのは,私もわかっている.
人間が負の感情を持ってモヤモヤとしながら,それでも生きていくためには社会性を維持しないといけなくて,無理しているのか本人にはその自覚がないのかはわからないが,とにかくちゃんと人間っぽく振る舞っているのが本当にかわいいなと思ってしまう.だから,リストカットだとかオーバードーズを見せびらかしているツイッターとかには全くときめかない.嫌悪感を覚えるほどでもない.ふーん,と思う.ただ,リストカットしてるのを隠しているのは可愛く思える.
世間一般のめんどくさい女像がわからない.年頃なので,周りが恋人を作っていくのを見る.たいてい喧嘩したとかそんなので,「マジ彼女メンヘラでしんどい」だの「女って結局自分のことしか考えてないんだよな」と口にする.まあ実際,喧嘩するほど仲が良いんだろうし,別に付き合っているときの男女の揉め事にわざわざとやかく言うことはないのだけれど,でもわからない.「お前のことを信頼してヘラっているんだぞ」とか,そういう御高説を垂れたいわけでもなく,そもそも恋人であるか否かに関係なくヘラっている人の相手をすることが苦ではないからわからないのだ.昔はそっくりそのまま,「え,そんなん別にかわいいじゃん」というように返していたが,あまりにも不満な顔を相談相手にされるため,最近は適当に相槌を打つようになった.
私は多分,承認欲求の塊なのだと思う.ヘラっているときの人間がヘラっている姿を見せてくれたとき,「こいつ相手にはヘラっているのを見せても良い」と思われている,という分類の中にいるというのが嬉しいんだと思う.私の前だけでヘラってほしい,とまでは言わないが,私の見えるところでヘラってほしい.絶対に本人たちには言えないが.
『ぼくらの』はロボット漫画で、15人の子供たちが次々とパイロットになり、1回戦闘するごとに1人の魂を消費するため話が進展するごとにどんどん子供たちが減っていく
オーソドックスな二足歩行ロボを操る主人公サイドに対して、「敵怪獣」は様々な形状と能力を持っておりどう戦うかが見どころの一つが、ほぼ戦闘がない回もある
当初は「正義のロボで謎の怪獣と戦う」と子供たちは思っていたが、実際には敵怪獣もまたロボットであり中には別のパイロットたちがいた
そのパイロットたちは平行世界の存在で、負けた側は世界ごと滅びるという、「近い位置にある並行世界同士のつぶしあい」が戦いの真相だった
大体15戦ぐらいを勝ち抜けば解放される
自分の手で確実に殺さなければいけないのは敵パイロット一人とはいえ、その背後にある並行世界の数十億も殺すことになる
色々葛藤しつつも、大切な家族や友人がいるからと子供たちは頑張る
デブで冴えないキリエはどこにいってもいじめられ自己肯定感が低く、自分を取り巻く世界そのものを異世界より特別高く思う気持ちがない
他者を殺してでも生き残る価値が自分たちの世界にあると思えなかった
度重なるロボの戦闘で街のあちこちが壊滅し多数の死者が出ているが、クラスのいじめっ子は彼女が死んだのに別の女にさっさと乗り換えて新彼女と一緒にいじめてくるし、
ロボに踏み潰されて出来た近所の廃墟は不法投棄されまくるし、先に戦って亡くなったパイロットの女の子は生前教師に脅迫されて性的搾取され妊娠していたが教師は証拠がなく捕まりもせずシャバで生きている
そんな世界の中でキリエが唯一敬愛していたのは、いじめから守ってくれる従姉だったが、従姉は優しすぎてメンヘラな友人に入れ込んで心中未遂して一人だけ生き残った後、死にきれずにリスカを繰り返す引きこもりになっている
自分が戦闘に負けて世界が滅びれば、従姉も死ねて楽になれるという思いもキリエにはあった
どの程度敵が真相にたどり着いているかわからないが、戦いの相手も人間なのだと知ったうえで殺してほしいという考えがあった
すると敵パイロットも倣って同じように外に出てきた
その腕にはおびただしいリストカットの跡があり、それだけ見せると女の子は戻っていった
キリエは、自分の世界がなくなったところで従姉は死ねないと気付いた
従姉と同じような自傷しなければいけない子が異世界にもいるし、そう追い込む世界が自分の世界だけではないと気付いた
そんで戦闘描写一切なしでキリエ編は終わり、キリエが勝てたことが次回でわかる
この世界では自衛隊がなくなって日本軍に戻っており、アメリカとは険悪で在日米軍は撤退済み、親中路線が強くなっている
そうなってからまだそう20年程度なので、父親が軍人のコモは周囲に避けられるという軽いいじめを受け、自分の殻にこもっていることの多い内向的な少女だった
同い年の少女に比べても特別大人しく覇気のないコモは、父は本当は同じく軍人を目指してくれるような活発な男の子がほしかったのではと引け目を感じていた
ロボと関わるようになってから死の恐怖に怯えてパニックになってばかりだったコモだが、仲間が減り自分の番が近づくにつれて吹っ切れ、もうすぐ別れる世界を惜しみ世の中を美しく思えるようになった
習っているピアノは技術だけで情感がないとよく言われていたが、良い方に音が変わったとほめられるようになった
父に対し距離を感じていたが、戦闘が来る前に迎えられるかもしれない次のピアノの発表会には父を呼んだ
しかし発表会の前日に敵襲来
敵は似たような二足歩行人形タイプだが動きがとろくて勝てそうだと思いきや、突然ロボを貫く触手を大量に出し、触手はコックピットも突き抜けコモの顔を突き刺そうとした
しかし、そこで触手の動きは停止しそこで数ページだけで戦闘終了
敵パイロットは、コモが中学生の少女であることを知り戦闘を放棄して逃亡したのだった(パイロットは案内役にお願いしてテレポートが使える)
敵の世界はけっこう勝ち進んでおりもうすぐ全ての戦いを終えられそうだったが、その過程で自分の世界の人々を戦闘の巻き添えにして死なせてしまうことが多々あり、身元を特定されたパイロットは多くの憎悪を買った
敵パイロットは中年男性だが、怒れる民衆に自分の娘を殺害されており、彼にはもう戦闘を勝ち抜く動機がなく、とりあえず戦ってみたがコモを殺せなかった
その男性の仲間たちも似たような境遇で、男性の意思を尊重して逃げることを許した
48時間以内にどちらかのパイロットが死ななかった場合、両方の世界が滅びる
男性は自分の世界を完全に捨てており、後は彼がこちらの世界を救う気になってくれるかどうかだった
軍人たちは男性をおびきだす作戦として、「パイロットの身元がリークされた」としてコモの個人情報をガンガン報道させることにした
コモの家族は事前に避難済みだったが、ロボ戦闘による被災者によってコモの自宅は放火され全焼した
ピアノの発表会の日時や場所も報道されたが、会場には演奏者はコモしかおらず客席は全部軍人で埋まっている
かくして男性はテレポートで会場に現れて大人しく客席に座り、世界の命運はコモの演奏に託される
ピアノ漫画ばりにコモは長々と演奏しながらいじめや放火を受けてもなお美しく思える世界への感謝を音色に込める
演奏が終わるとコモの父親は自分が父親であることを名乗りながら男性に銃を向け、男性は受け入れて殺害され、戦闘終了という扱いなのでそこでコモも息絶え、父が駆け寄って抱きとめた
コモの父は退役してピアノを習うようになった
私は第一子で、3つ下の妹がいる。
比較的裕福な家に生まれて恵まれた環境で育ったけれど、精神のバランスがうまく保てなくてどうにも生きにくい。
中学は不登校の時期があったし、せっかく入った難関高校も退学した。社会に出てからも長く続かず苦労した。
グレかけた時期もあったし、腕にはリストカットの跡が今も残っている。精神科に通い薬漬けだった時期もある。
手あたり次第男と身体を重ねたり、隠れてタバコを吸ってたり。タバコは、今もだけど。
アラサーになった今、ようやく精神も生活も安定してきて、過去に整理がついて納得感がある。
持って生まれた性質による不安定さもあるんだろうけど、「お姉ちゃん」という役割からくる影響も大きかったなーと今は思っている。
世の中の「お姉ちゃん」を持つご両親に、苦労した「お姉ちゃん」からお手紙を書いてみようと思った。
一番嫌いな言葉は「お姉ちゃんなんだから、~しなさい」 だ。たぶん9億回は言われている。
親も親で必死だったんだろうと今なら理解できる。子供ってだけで論理が通じなくて大変なのに、癇癪起こしてたらなおさら。
私も甘えたいのに、おもちゃで遊びたいのに、お菓子食べたいのに、先に生まれているという理由だけで我慢させられる。
好きで先に生まれたんじゃない!勝手に先に生んでおいて理不尽を強いるな!と子供ながらに思っていた。
そんな理不尽を強要してくる親は、私より妹の方が大事で好きなんだろうな~、とか。
実際聞いたこともある。ママは、私より妹ちゃんの方が好きなんでしょう?と。
母は「そんなことないよ。どちらも大事だよ。」と答えた。納得はしなかった。言動が一致してないから。
これ以降、言ってることとやっていることが一致しない人が大嫌いになった。
どこだったかはわからないが、役所のような何か手続きをするところに、母と妹と3人で行ったときのこと。
当時私は4歳とか5歳とか。妹は2歳くらいかなあ。
待ち時間が長くて飽きてしまった妹が、廊下を走って遊び始めた。母は手続き中で窓口にいる。
「お姉ちゃん」である私は母から妹の面倒を見るように言われていたので、遊ぶ妹を落ち着かせようと後を追いかけた。
うるさくすると迷惑がかかる、とわかっている私は足を止める。妹が逃げていく。部屋を出ていきそうだ。
こっちに連れてこないと、と追いかける。奇声をあげて逃げる。足がとまる。
そんな姿をみて、他の窓口対応中のおじさんがこちらを見て怒鳴った。
「君たち、いい加減にしないか!」
君「たち」? ああ、そうか。傍からみたら私たちが鬼ごっこしているように見えているのか。
私はあなたたちに妹が迷惑をかけていることがわかっているから止めようとしていただけだったんだけど。
そんなこと説明したとしてもうるさくしてた事実は変わらないよね。
妹を制御できなくて「ごめんなさい」。ばつが悪い顔をして謝った。
母もやってきた。一緒に謝った。その場では、やんちゃ姉妹というレッテルが貼られたことを理解した。
後から、母には遊んでいたわけではなく止めようとしていたことを説明した。
「でも、結果的に迷惑をかけてしまったから。止め方は考えないといけないね」
結局、妹を制御できない私がいけなかったみたい。
このやりとりは今でも夢に見るし、おじさんの顔も、おじさんのお客さんの老夫婦のこちらを睨む目もよーく覚えてる。
3年先に生まれただけでこちらも子供なのに、妹のために悪者にならないといけないんだと学んだ、強烈な記憶。
私は「子供」である前に「お姉ちゃん」なんだ、ということを理解した。
1人の人間としての私の気持ちを、母に否定されていること。もちろん、本人にそのつもりはないと思うのだけど。
こんな経験が日常的にあるので、本音を言わない子供になるのに時間はかからなかった。
お手伝いもするし、好き嫌いせず食べる。勉強はしっかりして成績をキープ。
習い事やお稽古もしっかりして、結果も残す。妹のお世話もする。
夜ベッドに入ったあと、よくわからない涙を流していた記憶がある。同じ部屋で寝ている妹を起こさないために、声を殺しながら。
本当はこうしたい。でも言っても実現しない。「お姉ちゃん」やめたい、でも両親は子供らしい私を求めていない。
我慢、我慢、我慢、妹が優先、妹は年下だから、まだx歳だから、親がたくさん時間を使ってあげないといけない時期。
わたしは「お姉ちゃん」で、大人だから、我慢できるよね?できる。本当に?できなくても、やるしかない。
幼少期にスポットを当てて書いてみた。
結局言いたいことを一言にまとめるなら、
子供時代に子供としてふるまえず、背伸びして我慢して過ごしていると、精神がねじれてしまう。
ねじれた精神は簡単なきっかけで崩壊する脆さを孕み、生きにくさを抱える大人になる。
あれ、二言になった。でも綺麗にまとめると、こう。
「お姉ちゃん」は大好きな両親に求められたら全力で「お姉ちゃん」をする。
でも中身は子供であることを忘れないでほしい。妹が寝たあと、「お姉ちゃん」の子供タイムを作ってあげてほしい。
目いっぱい甘えられる時間があるだけで、本音が言えるだけで、精神はねじれずに生きていけると思う。
ねじれまくった私が今どうやって生きているのかを、最後に書いてみようと思う。
実家から飛行機の距離に移住して「お姉ちゃん」として過ごす時間を強制的に減らした。
1人暮らしをのんびり謳歌中。この地にきてから精神も仕事も安定している。
精神的な脆さがコンプレックスなので、恋愛には積極的になれない。
いい関係の異性ができても、甘えられると姉アレルギーを発症して距離を置いてしまう。とはいえ、こちらから甘える方法もわからない。
会いたいから今すぐ来てほしい って、言ってみたい。相変わらず本音を言えない病は抱えている。
を書いた者です。別に伸びてない記事だけど自分の整理も兼ねて。
↑のあらすじ:
第2子を育てるべくダブル育休を取るも夜泣き対応のないはずの旦那が完全に増田をオカン扱い+体力余ってるので頻繁にサカッてくるも増田はしおれてるので断ると無視+という状況だが世間的にはダブル育休は恵まれているため誰にも愚痴れず爆発して大昔やってたリストカット再開、死にたい育休
(メンヘラ増田ですが「ますだちゃん悩み事なさそつでうらやましいー!」と人生で5回くらい言われたことあるくらいには対外的には楽天的に見える性格をしています)
恐ろしく精神が安定している。子どもの1つ1つの行動、例えばご飯食べないー!!!とかでめんどくさ...とは思うが行動がめんどくさいだけで子どもたちはずっと可愛いし(一方で布団入ったら早よ寝ろとは思っている、この2つの気持ち他のパパママにもご理解いただけると思う)、自分の方がしんどいのに自分より元気な人間がダラダラしてると本当に本当に気が狂いそうなくらいイライラしたが、ていうか実際狂っていたが、そういうのがいないだけで解放感がすごい。ダラ旦那だったとは言え、ダブル育休の時より多少なりともやること増えてるはずなのに。
リスカはすっと卒業できた。もう人生で2度としなくて済むようにしなければ。すごく元気が出てきて、今は育休が終わるくらいに試験がある資格の勉強中だ。勉強だなんて、ダブル育休の時は思い付きもしなかった。寝かしつけが終わったら家事を全て終わらせ、1時間程度だが毎日勉強をする。とても充実している。それで1時までには寝る。楽しい。
旦那が出勤して飲み会行ってくれる日が1番気持ちがラク。サカッて来ないしイライラしないし。とりあえずダブル育休は向き不向きが激しすぎるのと、増田はもう2度とやらないですという感想でした。もう子ども作らんけど。