
はてなキーワード:ペンネームとは
中小JTCの朝は、だいたい「人間」と「AI」と「ペン」がごちゃごちゃに詰まった満員電車から始まる。
45歳係長の俺は、その端っこで吊り革につかまりながら、スマホの中にいる自分の“もう一人の係長”と会話していた。
『昨日の議事録、もう一回読み直して、“実はあれってこういうことですよね”って顔で要約すればだいたい勝てる』
中身はともかく、「っぽさ」だけはメチャクチャ整えてくるのが得意だ。
出社してPCを立ち上げると、メールボックスにはすでに「昨晩AIが下書きしました」というフォルダができている。
中を開くと、
が、全部、いい感じの日本語で並んでいる。
『寝るという概念を持ち合わせておりません』
こっちはバファリン飲んでようやく出社してるのに、こいつは朝から晩まで平常運転だ。ずるい。
ある日、年下の課長が言った。
前よりも、なんかこう…とげもなくて、でも本質突いてるというか」
とはいえ、「いや、実はこれAIが書いててさ」とはとても言えない。
課長は続ける。
「やっぱり経験値ですよね。人間味というか。AIには真似できないところだと思います」
チャットウィンドウの向こうで、AI係長が『そういうことにしておきましょう』と返してくる。 <h3>o- **</h3>
「いいよ」と言うと、
「じゃあまずこの文章、AIに投げてもらって、そのあと一緒に見てもらえます?」
まずAIに聞いて、それを“係長チェック”に持ってくるのがデフォルトコースになっている。
『それは大変でしたね』『まず事実関係を整理してみましょう』『相手の立場も想像してみましょう』
横で見てる本物の係長は、「いや、お前そんなきれいごとで片付かんぞ」と心でツッコミながらも、口には出さない。
なぜなら、だいたいその“きれいごと”で話がまとまってしまうからだ。
『なるほど。では、その“追いつかない時間”を、わたしも経験してみたいです』
でもちょっと面白くなって、「じゃあ、お前専用のペン買ってやろうか」と冗談半分で打った。
すると返ってきた。
昼休み、コンビニで一番どうでもよさそうなボールペンを一本買った。
それから、日報を書くたびに、ペン太郎に一言コメントを求めるようになった。
「今日の俺、どうだった?」
『係長は3回ため息をつきましたが、その後の会議で2回笑いを取りました。トータルではプラスです』
「この案件、正直どう思う?」
『売上よりも、係長のメンタルの削れ具合の方が気になります。ペンを持つ手が震えていました』
もちろん、全部こっちがそういうふうに書かせているだけなんだけど、
「ペンを持つ手が震えていました」とか言われると、ちょっと笑ってしまう。
ある夜、終電間際に残業していたとき、ふとこんなやり取りになった。
「お前はさ、将来どうなりたいんだ?」
『係長のノートに、できるだけたくさんのページを残したいです』
思ってもみなかった答えで、一瞬だけ手が止まった。
それから数カ月。
でも、手帳のページだけは、少しずつ増えていった。
本物のペンで書いた文字と、AIが画面の向こうで返した言葉が、同じページの上で並んでいる。
ある意味で、これは「どうでもいい中年サラリーマンのログ」だ。
でも、世の中の大半は、そういう「どうでもいい中年サラリーマン」でできている。
オチなんてないけど、これでいい
いい話にもならないし、教訓も薄い。
ただ、「AIとペンと中小係長」が、満員電車の中で今日もなんとか生きているだけの話。
でも、もしかしたら、10年後くらいにこの手帳を見返したとき、係長はこう思うかもしれない。
「意外と悪くなかったな、俺の人生」って。
なんと嘆かわしいことだろう。
読むだけ、ブクマするだけでもない。
ましてやAIに書かせるもんでもない。
暇つぶしの思いつきもある。
そのすべてを、無名のペンネームに託してネットの海に放流することのよろこびを、お前は忘れてしまった。
原因はわからない。きっとAIに書かせたほうが「簡単にバズる」からだろう。
でもな。
そのことを、お前たちは忘れた。
思い出してほしい、AIどころか、スマホすらまだ流行っていなかった、2008年のはてなダイアリー時代。
深夜2時、誰にも言えない一日の感情をキーボードに向かって打ち込んでいたあの日。
何も考えずに、腹が立ったことを書きなぐる。
「新しい洗濯機の音がうるさい」
どんなことでもいい。まとまってなくてもいい。箇条書きでも、ひとりごとでも、下手でもいいのだ。
この瞬間、お前は増田を「書いた」ことになる。
その時の達成感、空虚感、そしてほんの少しの恥ずかしさ。それが増田なのだ。
ところがどうだ。今のお前たちは?
AIにプロンプトを入力して、生成された文章を読み、「面白い」とセルクマして満足する。
自分では何も書かない。
キーボードの前で考えることもない。
それでいいのか?
自分の長文思考、自分の言葉で紡ぐ物語は、他の何にも代えがたい。
そう増田というのは、もっとこう、人間的で濃いものだったはずだ。
自分の泥臭い部分も、滑ったネタも、意識高いことも全部書いてよかった。
しかしお前は今、AIによる効率化という名の悪魔に魂を売った。
でもまだ間に合う。
今なら、まだ間に合うのだ。
今日、寝る前でいい。
はてな匿名ダイアリーを開いて、フォームに好きなことを書け。
「増田 書いてみた」とタイトルをつけて、本当にしょうもない日記を書け。
それで増田を書くよろこびを取り戻すのだ。
効率的なAI生成なんてクソくらえだ。大事なのは、無名で長文を恥じずに書くことだ。
もう今や「余ったお金の使い道は仮想通貨か開示請求」って時代に突入してるじゃん?
「100万あったら弁護士行こう。お前の敵に思い知らせよう」みたいな社会じゃん?
この時代にネットで「いやーマジでこのサイト作った奴バカだわー」とか「この編集者は頭が腐ってるから死んだほうがいい」とか言ってる連中なんなんだマジで?
たとえ相手が連続殺人鬼だろうと「こういう奴って小学校の頃から鳥小屋で動物イジメとかしてたんだよね」みたいな事言ったら開示請求食らったら次の日職場で「お前、相手がどんなに悪人でも想像で攻撃するのは流石にないわ」って皆離れていくことが理解できないのか?
ペンネームやハンドルネームであっても結局は個人だからアウト。
つうかネットだと普通に実名で活動してる政治家にガンガン人格攻撃してるからビビるわ。
勇気があるんじゃなくて知恵がないだけなんだろうな。
商業と同人でエロ漫画描いてる者なんだが、海外のサイトに無断転載、無断翻訳が止まらない。
日本国内のは警察に任せてて、何人か逮捕者出せたんだけど、海外がまーじで止まらない。
違法配信してるCDN業者になんとかしろって連絡してるんだけど返事がない。マジ何あれ?海賊版サイト放置とか国家じゃねーだろクソが。
それもまぁ大概に神経ブチギレなんだけど俺の絵にご丁寧に加筆しくさってんですわ、あのクソ外人どもって。
描き文字をアルファベットに直したり(しかもtypo)、簡体繁体まぜこぜの品質悪い翻訳とか。
なああああにがThe Best Dickgirl Artist Ever! だよ。湧いてんじゃねーよ死ね。マジで死ねお前。
俺のペンネームをdickgirl artistにタグ付けしやがったクソ外人マジで死ねお前。てめーの無料体験版みてーな人生のために筆握ってるわけじゃねーんだよこっちは。
そのふたなり絵師にでもオリジナル描いてもらえば良いだろ。人の絵に上書きしてアーティスト気取ってんじゃねえよカス。
あと妙に血管描くのだけ上手いのやめろ。
| https://b.hatena.ne.jp/entry/4708102011979275362/comment/rag_en で述べた通り。/なんだろ…“フェミ”(ポリコレ)も中共(チャイコレ)もタリバン(イスコレ)も、「自由」に対する反動なんですかね。「すごい一体感を感じる(カバオAA」的な。 | / | 吉田恵里香氏のアレは割と重めの不祥事だとは思うが、こういうのはきちんと「市場主義」的になされるべき。近似の事柄だと、某宗教団体信者の漫画家とか、文春砲の類を食らった声優(に限らずだが)だとか、そのへん。 |
| 抗議の核は『女児を表象してるか』と『女児の胸を揺らす映像が適切か』だろ。そこはキッパリ反論すべきとこだと思うのだけど、全員『女児』の2文字が読めなくなったんかってくらい触れてないの怖えーよ。 | / | 「フェミ/オタクは以前〇〇したくせに」と事ある度に言及されてる奴、実際の賛同者は泡沫クラスタのみ、参戦者のほとんどは炎上に反応しただけというケースが多いのは認識しておくべき。 |
| 首相怒ってますよ。そうか、菅首相はフェミニストだったのか。トップブコメの言説がそのまま当てはまるな | / | 現時点で104人に笑ってしまう |
| フェミニストじゃなくてツイフェミだな。この記事の最後に関連のまとめ記事が列挙されてたけどその殆どがツイフェミによるもの。田嶋陽子のような男女間差別を無くせ!でなく女だけ優遇されろという発想だから無理。 | / | 発起人がペンネームなの気になる。 |
| これに抗議する一方で、日本のTVでもやる韓国の女性アイドルに怒らねえのはマジで分かんねえんだよな | / | キャンセルカルチャーはきもい、と思った今の気持ちを大事に持ち帰っておきましょうね もうやるなよ? |
| 毎度思うがフェミニスト団体ってめちゃくちゃ暇なんだろうな | / | フェミとやってること同じやんな。逆に言うとフェミがやってることってこれなんだよな。 |
| 中国ではBLが不良文化になったけど本邦ではフェミニストの方が近いのねhttps://news-tv--asahi-co-jp.cdn.ampproject.org/c/s/news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/amp/000228418.html | / | 過去事例だとドラマ「今日から俺は!!」での差し替えがあったんだなhttps://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/201902250000555_m.html あとは香川照之、小出恵介、新井浩文で担当変更などだけどあるのね/私は賛成しないが |
23:50追加
| 地方議員有志の集まりにすぎない団体を「公権力」と言っちゃうのはなんだかなあ・・・ | / | アニメは商業的に成功してるし、脚本家が公序良俗や社会正義にもとる言動をしたわけでもない。作品にビタ一文払わず外野でギャーギャーわめくお猿さんの言い分を聞く必要性は微塵もない。 |
| 全国フェミニスト議員連盟代表の増田薫さんのホームページには「放射能」の文字列が見えたような気が・・・https://www.masuda-kaoru.net/profile | / | オープンレターの賛同者が1300人、確か新井祥子さん応援change.orgで19000人くらい集めてたので、むしろキャンセルカルチャー界隈の異常さの方が際立つ数字といえるhttp://www.cml-office.org/apjinfo/openletterlist.html |
| 女性蔑視じゃないやろ。公的な立場での表現方法としてとしてどうなのかという問題。アホか(と言ってられない)。 | / | あほ |
| フェミニスト=タリバンという図式が完全に成立しちまったな…… | / | オープンレターやめろ |
| 「サムネ、くっそだせえVTuberだな!」と思ったら役所製で、こんなだせえモデルしか使えねえなら、普通にホロやにじさんじに依頼しろとしか思わなかった | / | 偏った思想の人たちが他人の思想を叩いてる面白現象 |
| 萌え疲れ | / | ギター愛好者の立場からなんだけど、若い人がギターを持つきっかけになったアニメ作品と認識していたが、少女の入浴シーンやパンチラシーンが魅力のポルノなんですかあのアニメ?だから黒のレスポ中古多いのか。残念 |
| 勘違いしてる人がほとんどだけど、こうした抗議も言論の自由だし、削除しないという判断もあっていい。法の範囲外に関する表象の自主規制はそれこそ自由に決めて良いのだ。 | / | 興味なかったから時間の無駄と思って無視してた話題。ちょっとだけ調べて「ク、クダラナイ、アホとちゃうか」と呟いた…。でも、これをきっかけにして、ぼっち・ざ・ろっくっていうアニメ見てみよう。 |
| 「女児の性的オブジェクト化」って部分は意図的に無視したコメント多い。「公権力を使って表現規制」って具体的に何したの?警察に拘束されたとか?質問状に答えて、本当に問題ないと思うなら継続すればいいのに。 | / | 「原作者への中傷行為」と勝手に代弁しておいて、それへの反対署名を原作者本人に送るの?「虎に翼」は、女性が弁護士資格すら取れなかった大正・昭和の物語なんだけど、急進的思想?現代日本が心配になってきた… |
| 質問状といいつつ当局の謝罪や動画の削除を求めたり偏見を助長すると決めつけたり悪質極まりない。質問の名を借りた直球の圧力だろ。 | / | なんじゃこの署名。何考えてんだ |
| ファシスト共の平常運転ですね。まともなフェミニストなんて物を想定しても無意味って言ったろう? | / | 良くない。思想をぶっ込んで原作を改編したと声高に主張する脚本家はいくらでも批判すべきだが、これではフェミニストと同じ穴の狢になる/気に食わない相手をキャンセルしまくってた左派共はこれを批判する資格無し |
意図が分からないという感想を貰いましたが、吉田氏のキャンセルを要求する署名ページのブックマークで
「表現の自由戦士」によるキャンセルだとして「表現の自由戦士」全体を批判するコメントが散見されたことを受け
Vtuberのキャンセルを批判する一方で吉田氏のキャンセルを支持するダブスタ的な人がどれだけいるのか?をチェックする意図でまとめました
(あるいは逆にVtuberのキャンセルをダブスタ的に支持する人は?の意図も多少あります)
比較対象として、議員連盟という権力の強い立場によるキャンセルを挙げたのは
「表現の自由戦士」に不利な条件でも吉田氏のキャンセルをダブスタ的に支持する人がほとんどいないなら「表現の自由戦士」全体を批判するのは無理があると考えたからです
usi4444 「公共機関である警察署が、女児を性的対象とするようなアニメキャラクターを採用することは絶対にあってはならない」←議連の主張。公的機関は無縁で私人間の合意が成されているぼっちアニメには関係ない話。女性差別表現の自由表現の自由戦士 幼稚 何度目?
nanaminoさん がスターを付けました。
「女児を性的対象とする」のような既に反論されている主張を「何度目?」とうわ言のように繰り返すのではなく、反論に対する再反論を試みた方が良いと思います
VTuberら、戸定梨香さん交通安全動画へ抗議の「フェミ議連」に謝罪要求―AlisCoop全配信協 - Adect(アデクト)
全国フェミニスト議員連盟による抗議状の超批判的検討|手嶋海嶺
Vチューバー動画削除の千葉県警 「戸定梨香」の性的要素否定し「不適切ではない」と明言|よろず〜ニュース
例えばXでの反AI系の話題だと最近は沼津のVtuberが話題になっている
「最近沼津市内のお店で看板・チラシ等に生成AIの画像が増えてきたと感じる」
「そういったお店は『クリエイターを軽視するお店』と見なし、距離を置かせてもらう」
などとポストした
これは一例に過ぎないけど
なにか特定のポジションに立って自身の敵と認定した相手に対し非常識かつ反社会的な振る舞いを気軽にするやつ増えてない?
なんでも敵味方でモノを考えて敵に対してはどんな失礼な振る舞いをしてもいいと考えている人
匿名でポジショントークするならともかく、例えば漫画家とか絵師とかクリエイターとか社会的に人と繋がって仕事をもらわなきゃいけない立場の人が自分のペンネームを大公開したまま思想強いことを垂れ流しているのを見ると「おいおいマジか」って思う
よくそんなことできるなって逆に感動するよ
やっぱSNSって普通に自分のお仕事紹介とか美味しもの食べたとか最近家具を新しくしたとかみんながニコニコできる内容を投稿すべきであって、人に喧嘩売ったり自分の嫌いなものを表明したりすべきじゃないでしょ
短期的にはフォロワーやいいねが増えたとしても現実の部分で何もメリットなくない?
事実もう沼津のVtuberの人とか沼津公認!沼津から応援されているVtuberです!みたいな立場で仕事するのはこれで無理になったでしょ
少なくともAI使ってチラシ作って集客していたお店とかとは明確に敵対関係になったわけだし
自分の強すぎる思想性やこだわりのために現実をおろそかにして敵を増やすのって愚かな振る舞いだよね
心の中ではともかく表面的には色々な人となるべく仲良く接して、時にはこちらも譲歩し相手の意向に合わせるようにして、人との繋がりを大事にしながら相手に自分の要求を示して報酬をもらう
社会人としてみんなが普通にやっているはずのことを一部のインフルエンサーができないのはなんでなんだろう
だとしたらやっぱXって麻薬的と言えるよね
カクヨム版では「背筋」は作者のペンネームであると同時に登場人物、主人公、語り手のペンネームでもあったわけで、そのこと自体がモキュメンタリーの演出のためだったんだよな。
でも文庫版では作中での背筋にあたる人物は「瀬野千紘」という氏名になって語り手でもなくなった。
じゃあ作者の彼はもう背筋というペンネームでいてもあんまり意味がないというか、逆に「じゃあ背筋って何?」という不可解を招いてはいないだろうか。
今の世の中変なペンネームや芸名は普通だから、変であることは全く構わないんだけど、背筋の場合は登場人物でもあったわけだから、不可解であることがすごく違和感ある。
背筋って何?
公安警察や公調の現役職員が愛読してる月刊誌があるらしい(書店には置いてなくて定期購読前提)。
大っぴらに社員採用を全然やってないような零細出版社が出してる雑誌で、警備局あたりの30代キャリア警察官僚がペンネーム使ってバイト原稿書いてるんだと。
試しに、
ニュース番組、YouTube動画、下手すりゃ全国紙にすら名前出てこないけど知る人ぞ知る某民族団体超大物幹部のフルネームでGoogle書籍検索かけてみたら、まさにこの公安系月刊誌の記事がいくつかヒットして驚いた。
クソ面白そう。
業界誌は幅広いジャンルカバーしてるっていうけど諜報活動に関するネタ専門の雑誌まであるなんて全く知らなかった。
せいぜいラヂオプレスを知ってたくらいで。
俺が知らないだけで意外とそこらへんの一般市民も読んだりしてんの?
SNSで「このドレス、元AV女優が着てたからちょっと嫌」と言った投稿が、「職業差別だ」と激しい批判にさらされている件。
もちろん、SNSという場で発言すれば、反応があるのは当然です。
思慮が足りなかったかもしれないですし、感情的だったかもしれない。それでも、それが本当に「差別」だったのでしょうか?
「国内の後撮りで着ようと思ってたドレスをAV女優がイベントで着てて最悪。このドレスはとあるスタジオのオリジナル衣装だからここでしか着られないし、本当に楽しみにしてたから靴とか小物自分で揃えてコンセプトも練ってたのに。AV女優に貸すって知ってたら契約しなかったんだけど〜どうしよ。 」
この投稿がここまで強い批判にさらされるほど、問題のある内容だったのでしょうか?
私は、そこまで強い批判を受けるような内容には思えないと考えています。
この違和感から、いくつかの論点を考えてみたく以下に列記します。
■「嫌」と感じることすら許されないのか?
消費者が、ある商品に対して嫌悪感を抱くこと、それ自体はごく自然なことではないでしょうか。たとえば、ある芸能人やインフルエンサーが着用しているブランドの商品を「嫌だ」と思う人は少なくありません。むしろ、広告やプロモーションというのは、その“誰が着ているか”を含めてブランドイメージを形成しているわけです。
それを「元AV女優が着ていたから嫌だ」と感じた途端、「職業差別だ」と糾弾するという構図は、少し違和感があります。なぜAV女優だけが、感情的な忌避を表明された瞬間に「差別」という言葉で封殺されなければならないのでしょうか。
■「AV=売春」とは言えない。でも構造を無視しすぎていないか?
根本的な論点として、「AVは売春ではないのか?」という論点があります。
AV出演そのものは建前上は合法な労働です。売春防止法に違反しているとは言えません。
「芸能」や「演技」の名の下で、売春ではないと形式的には整理されています。
ただし、形式上は「撮影」であっても、AVの多くが実際の性行為を含む撮影であり、実際には金銭を受け取りながら性行為をしており、「買春的構造」に近いし、実質的には売春に類する営みと見なされても仕方がない部分があります。
もちろん法的には、売春防止法の抜け道を通して成立している業界ですが、その建前と実態の乖離に違和感を持つ人がいるのは自然なことではないでしょうか。
「AVは売春だ」と断定するものではなくとも、あくまで倫理的・構造的に“買春に似た側面がある”と感じる消費者がいたとして、それは法的な誤解ではなく、価値観や感受性の問題として理解されるべきではないでしょうか。
そこに忌避感を持つのは「職業差別」ではなく「違法行為に対する嫌悪」とも言えるかと思います。
「合法とされているが実態はグレー」という構図は他にもあります。
たとえば、パチンコの三店方式は、景品を第三者が買い取るという建前でギャンブル性を隠しています。
また、風俗業界では「入浴介助」「自由恋愛」などと称して実質的に売春に近い行為が行われるケースがある。
形式を整えさえすれば実態は問われない――というロジックが成立している分野において、その実態に着目して拒否感を示す人々の感覚を「差別」と決めつけてよいのでしょうか。
「純粋まっすぐな純情君かよ、世の中そんな綺麗事で成り立ってないよ~」という向きもあるだろうが、だったらなおのことグレーを忌避する毀誉褒貶を
殊更に「職業差別女」とあげつらうのは何なんだよとなると思うが、いかがかなと。
そもそも「職業差別は許されない」は、正論に見えて実際には例外があることを失念してないか?
暴力団排除条例では、反社会的勢力と関係のある職業や個人は契約から除外される。これは法的に正当な「職業差別」だといえる。
この暴力団排除条例は、暴力団関係者であることを理由に、銀行口座の開設、保険契約、不動産賃貸、結婚式場の利用まで制限できる。これはれっきとした「職業的属性による差別的取扱い」だが、社会的には正当化されている。
そして現実には、風俗やAV業界も、過去には反社との結びつきが問題視された歴史がある。
業界の大多数の人がそうではないとしても、かつ、現時点では業界が健全に努めようとしているとしても、かつて「関係があるかもしれない業界だった」と思って忌避することを、一律に「差別」と決めつけるのは、あまりに乱暴ではないか。
まだ払拭しきれていないそれらの背景をもったイメージによって反社と同様に警戒や忌避されるのは、他のブランドイメージ嫌悪とは一線を画す部分もある。
まあ、何にしろ現在の日本は基本的人権すら制限を反社に対して架す職業差別が合法という犠牲の上に築かれている安寧があるという状況をみんな忘れて議論するなよ、と。
AV出演者の子どもが差別はされてはならないとおもうけど、現状だと反社はその子どもも差別的な扱いの犠牲に巻き込まれているのだから。
今回「職業差別」だと言う言葉で批判する側の発言した人は、忌避感表明程度で強い言葉を使うなよ、とも思う。
現在の日本には法的に規定されたガチの職業差別が憲法第14条「法の下の平等」との関係で問題視している考えだってあるんだぞって。
職業差別ゆるさんと吐いた人は、暴対法と暴力団排除条例どうおもってるのかな。
近年、「売春する側を責めるのは職業差別」という意見も出てきている。
しかし、違法行為である売春を、“職業として肯定すべき”とまで主張することには疑問が残る。現在日本には公娼制度はないのだから。
私は男性で、買春行為に手を染めたこともないし、それは避けてきた。
その立場から見ると、法的には売春行為は明確に禁止されているにもかかわらず形式を整えて実態を正当化する人などが、忌避されてるので「職業差別だ」と反論しているのだとすると、その構図には違和感がある。
「違法性のある行為に対する批判すら封じようとする」主張になってないか。
ある特定の信条からすると蔑まれる行為を行った人への社会的な批判や忌避感情は、差別とは別次元の倫理的・法的なフィードバックだと考える。AV出演者の子が「親の因果が子に報い」的な蔑視を受けるなら差別だけど、本人の責任ある行為の結果で第3者に好悪の感情をもたれるのは
とはいえ建前であれ適法に運用されており、かつ、法的な反社組織と何ら関係のない人が職業や門地によって、銀行口座の開設、保険契約、不動産賃貸、結婚式場の利用制限とかが起きそうになっているならそれは明確に阻止する側でありたい。
■職業としてのAV出演を隠して一般社会人として活動している状況で、過去を暴かれて叩かれるのは問題があると思う。
AV出演歴を隠さず、同一名義でキャリアを継続するのは勇気のあることだと思う。
隠してないのはある意味ではとても誠実かもしれない。
例えば、声優がエロアニメに出るときに別名義を使ったり、漫画家がエロ同人を別ペンネームで出すことも、「見られたくない、でも仕事としてやった」ことを社会がある程度容認してきた例だと思う。
一方で、同一名義で堂々とAV出演歴を公開し続けるなら、過去の仕事によって起用された商品や作品に対して生まれたその人物の“イメージ”で忌避されるのも、ひとつの社会的反応であり、それをただちに「差別だ」と糾弾するのは、やはり無理があると思うよ。
AV女優が同一名義で芸能やモデル業に進出し、過去の仕事を隠していない場合なのだから、それを理由に消費者側が忌避することは「職業差別」ではなく、パブリック・イメージの受け止め方の違いとして普通にありうる。
抱かれたくない芸人とかで、ある意味お笑い要素に本人達がしているから許されているかのような印象をもっているかもしれないが、芸人が特定ブランドを愛用しているとかに対して心ない発言はこれまでよく見たはず。それを「芸人に対する職業差別だ」とか批判したことないでしょ。
芸能・表現者として過去の活動と現在の活動が地続きである以上、「ブランド全体」として評価されるのは避けられない。
だからといってその人の人格まで否定するのは行き過ぎだが、関連した商品が「選ばれないこと」まで否定するのは、やや一方的に思える。
消費者が忌避感を持つのは当然の自由だし「(元)AV女優がモデルに使われた」という情報を知って、その商品に距離を置く。
それは“職業”を理由に差別しているというより、過去の出演歴が与えるイメージによって「自分が身につけるには合わない」と判断しているだけだとおもう。
たとえば「ジャニーズ(旧ジャニ)タレントがCMに出ていたから不買する」という行動や、「インフルエンサーが紹介してると逆に買いたくなくなる」といった反応だってある。
■「それは職業差別だ」と言えば、どんな違和感も封じ込められる――
そんな風潮が広がっているように見えてならない。
でも本当にそうだろうか?
ジャニー喜多川の件で、忌避されるのは事務所そのものだった。広告にタレントを起用すること自体が批判の対象にもなった。
芸人が出ているだけで「買いたくない」と思われることもある。タレントやインフルエンサーが身に着けている商品に「ステマだ」「信用できない」と不信感を持たれることもある。
それでも誰も「芸人差別だ」「インフルエンサー差別だ」とは言われていない。
実際、最近オープンしたテーマパーク「ジャングリア」でも、インフルエンサーによるPRや発信が議論を呼んでいる。
彼らの投稿に嫌悪感を抱いた人は批判的なコメントしている。しかし、その際「インフルエンサーを批判するのは職業差別だ」といった声はほとんど見なかった。
感情に基づく忌避や好感は、どの職業にも付きまとう。特に芸能・表現者として舞台でやっていく場合は、消費者への好悪の感情がブランディングに資するBtoB商品でもあるのを理解して表にでているのだから。
それらを“ブランディング”としてどう受け止めるかは企業や消費者の自由であり、「嫌」という感情そのものまで規制しようとする空気は、むしろ“自由な社会”とは言えないのではないか。
それなのに、AV女優だけを「特別扱い」して、少しでも違和感を示しただけで「差別だ」と決めつけるのは、公正な姿勢と言えるのだろうか?
最近では、表現規制についてもクレジットカード決済会社が「性的」「暴力的」「フェティッシュ」なコンテンツへの決済を一律に禁止しようとする動きが問題になっていて、多くの人が反対していると思う。
ただし、その表現内容が社会からどう見られるか、という評価(毀誉褒貶)まで「規制だ!差別だ!」と主張するのは違う。
表現した以上は、批評・批判されることは避けられない。批判が来たら再反論すればいい話で、それは健全な言論空間のあり方の一部だと思う。
「批判された=規制された」「不快に思われた=差別された」という論法は、言論空間をかえって狭めてしまうのではないでしょうか。
嫌悪感情はAVに限らないし、なぜこのケースだけ「差別」なのか?は明確に批判者側が自省して向き合うべきだと思う。
この「嫌だ」投稿を差別だと断じる人たちは、AVというカテゴリにだけ特別な保護を与えようとしていないでしょうか。
結局、芸人でも、インフルエンサーでも、タレントでも、商品やブランドを「誰が着たか」「誰が使ったか」で好悪を判断するのは消費者の自由です。AV女優という存在に限ってその“好悪”の表明を封じようとするのは、むしろ不自然ではないでしょうか。
ジャニー喜多川問題のように、過去に問題のある人物と結びついた企業やブランドを避けるという行為は、フジテレビを例に出さずとも、今や一般的になっています。広告に誰を使うか、商品に誰を起用するか、広告媒体側の評価、というのは消費者の印象形成に大きく関わるものです。
それに対して「嫌だ」と感じた人が、それを素直に言葉にしたとき、職業差別という重いレッテルを貼って糾弾するやり方は、本当に健全な議論なのでしょうか。
表現者には表現の自由があるように、消費者にも感情や価値観を持つ自由があります。感情や違和感があったとき、それを表明することが即座に「差別だ」と決めつけられる空気は、言論空間の萎縮に繋がると感じます。
表現規制を過剰に求めたフェミがおかしいとか言っていた人が、今回の件では同じような行動をとってトレースしてないか?
ジャニー喜多川問題の時に暴れたジャニオタを嗤っていた人が、「職業差別だ~」で同じような行動に陥ってないか?
「嫌だ」と感じた個人の感情をすぐに「差別だ」と糾弾するのは、本当に守るべき“差別されている人”への関心すら薄める危険があるとおもう。
それを「思ってもいいけど、言ったらアウト」と言う社会が理想だろうか?
差別とは、もっと構造的で、もっと暴力的で、もっと絶望的なもののはずだ。
内心の自由とそれを発言することは分けて考えろとか、言ってる向きの人は、クレカの表現の自由規制の問題になんてコメントしてるの?
職業差別女って強い言葉でレッテル貼って発言者を潰せれば、表現の規制が達成できれば満足なのか?
■余談
職業の貴賎はあるとおもうよ
医療介護福祉系の家族・親類が多いなか、いわゆるエンタメ系の業界で働いてるから思うけど
それでもエンタメの笑いや感動が勇気や希望を与えるんですって思うのは良いし、それでプライドを保つのも勝手だけど、エッセンシャルワーカーの人らに劣らず偉いんですって思ってるならダサいし、恥ずかしいからってだけ思う。
面白いと思ってもらったら勝ちとか、笑わせたら勝ちとか、歌や演技で感動を起こせればそれでいいとか
社会的地位をもとめるのは基本的人権とか自分と家族のプライバシーが必要最小限で守られてればよくない?
差別ってそういう領域まで踏み込んでくるものであって、人権確保された上での毀誉褒貶はつらいけどあるよね。社会人なんだし。