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2025-12-16

anond:20251215200559

こういうプロセスモンクレってできるんかな、と思った

Permalink |記事への反応(0) | 07:05

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2025-12-15

情報技術教育界に与える影響

情報技術教育世界に大きな変化をもたらしました。教育プロセスはもはや教室限定されません。インターネットの普及により、生徒と教師デジタルプラットフォームを通じて遠隔学習を行うことができます

動画教育アプリ電子書籍などの学習メディア活用により、学習プロセスはより魅力的でインタラクティブものになりました。さらに、生徒は情報を容易かつ迅速にアクセスできます

しかし、教育におけるテクノロジー活用には課題存在します。例えば、テクノロジーへのアクセス格差デジタル機器使用時の監督不足などが挙げられます。したがって、保護者教師テクノロジー賢明活用するよう導く役割は非常に重要です。

https://registry.scalar.com/@phimmoi/apis/truytimlongdienhoungphimlau/

https://registry.scalar.com/@phimmoi/apis/xemphimchaseforambefull4k/

https://registry.scalar.com/@phimmoi/apis/hoangtuquyfull4k/

https://registry.scalar.com/@phimmoi/apis/zootopia2full4k/

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2025-12-13

高市、右、左と自由エネルギー原理

高市早苗氏が首相に選出され台湾発言で物議をかもしてから、これまで以上に政治的議論がなされるように感じる。またただの党派性の選好がどうこうにとどまらず具体的な安全保障まで真剣意見が交わされるようになったことは、日本社会自体が一つの転換点を迎えているように思える。

そのなかで、個人的党派煽りあい中傷を超えて道具的に政治を語るのに役立つかもしれない一つのネタを紹介したい。あくまでも仮説が、情勢について語る一つの視点になれば幸いである。

なお事前に予測した方向性合致したためAIの手を大いに借りてある。

また曖昧戦略の欠如は相手意思決定を手助けするだろう。デマなどについて聞いてみても面白いと思う。

以下perplexityより

自由エネルギー原理見地から見て、政治党派性における右派左派はそれぞれエントロピーの減少における役割の相違という観点から説明できる?

これで十分な情報が集まりました。包括的な回答を作成します。

自由エネルギー原理から見た政治党派性右派左派エントロピー減少の役割の相違

自由エネルギー原理(Free Energy Principle,FEP)の枠組みから政治イデオロギーの左右の違いを説明することは、一定理論根拠を持つ興味深い視点提供します。ただし、これは直接的な学術的応用というより、理論的な仮説として理解されるべきものです。

自由エネルギー原理の基本概念

自由エネルギー原理によれば、すべての生物システム熱力学の第二法則に対抗してエントロピー増加を最小化することで、秩序を維持しています。具体的には、生物予測エラーを最小化することで、感覚状態エントロピー無秩序さ)を減少させ、環境との相互作用コントロールします。このプロセスは、**予測処理(predictiveprocessing)**メカニズムを通じて実現されます。つまり生物は内部モデルを持ち、それに基づいて世界予測し、実際の入力との差分予測誤差)を最小化することで、驚き(サプライズ)を制御します。​

予測処理と政治イデオロギー

最近認知神経科学研究により、保守主義進歩主義予測処理の異なる戦略対応している可能性が示唆されています

左派進歩主義者の特性

曖昧性と不確実性に対してより高い耐性を持つ​

新しい情報に対してより柔軟に対応し、モデル更新積極的

複雑で矛盾した情報の処理に適応的​

帯状皮質(anterior cingulatecortex)の活動が強く、反応競合に対する神経認知感受性が高い​

これらの特性は、高いエントロピー状態(高い不確実性)を許容しながら、情報環境の変化に応じて予測モデル継続的更新する戦略対応しています自由エネルギー原理観点からすれば、彼らは予測精度(precision)の重み付けを比較的低く保つことで、新規情報による予測誤差を柔軟に受け入れ、より適応的なモデル更新可能にしています

右派保守主義者の特性

不確実性や曖昧性への耐性が低い​

既存の信念体系に基づく予測を強く維持する傾向​

脅威や秩序の乱れに対してより敏感で、知覚的堅性が高い​

扁桃体(right amygdala)の活動が強く、脅威認知に敏感​

これらの特性は、予測の確実性(certainty)を高く保ち、既存モデルへの信仰度(prior belief)を強化する戦略対応しています自由エネルギー原理用語では、彼らは予測精度の重み付けを高く設定することで、外界の変化に対して強力な内部モデルの安定性を維持しようとしています

エントロピー減少と社会的秩序の異なる戦略

政治党派性エントロピー減少の枠組みで理解すると、以下のような対比が浮かび上がります

保守主義エントロピー減少戦略

保守主義は、社会的秩序を既存伝統制度階級構造の維持を通じて最小化しようとします。このアプローチは、複雑な社会システムの不確実性を、階層的で確定的な構造によって「切り詰める」戦略です。社会に内在するカオス(高エントロピー)に対抗するため、既に証明された秩序パターン伝統)を維持することで、予測可能性を確保します。​

進歩主義エントロピー減少戦略

進歩主義は、社会的秩序を個人自由多様性の認容、制度革新を通じて最小化しようとします。一見すると秩序を緩和しているように見えますが、実際にはより複雑で適応的な秩序化メカニズムを導入することで、社会システムエントロピーを減少させる戦略です。異なる視点統合し、新しい情報に基づいて制度改革することで、社会システム予測モデルをより現実適応させようとしています。​

不確実性耐性と脳レベルの同期

興味深いことに、研究では不確実性への耐性が低い人ほど、政治的に同じ立場の人たちとの脳活動の同期が強いことが示されています。言い換えれば、不確実性を避けたい個人は、同じイデオロギーの人々と同じ予測モデルを共有することで、集団レベルでのエントロピーを減少させようとしているのです。これは社会的な「外界の秩序化」メカニズムとして機能しています。​

複雑適応システムとしての政治分極化

最新の複雑システム理論では、政治分極化は正のフィードバックループ相転移(phase transitions)のメカニズムを通じて発生することが示されています保守主義者は秩序の維持を目指し、進歩主義者は秩序の革新を目指すという相反する動力が、社会システム全体のダイナミクスを決定しています。両者の相互作用は、社会的エントロピー管理するための補完的なメカニズムとして機能しているとも解釈できます。​

理論限界と注記

この自由エネルギー原理に基づく解釈には重要限界があります第一に、個人認知特性政治的立場関係因果的ではなく相関的である可能性が高いです。第二に、政治イデオロギーはきわめて文化的歴史的に構築されたものであり、普遍的な神経生物学的基盤のみでは説明できません。第三に、FEPは主に個体レベル生物システムを想定しており、社会システムへの直接的な応用には理論的な拡張必要です。​

要するに、自由エネルギー原理観点から見ると、右派予測モデルの安定性重視によって秩序を維持するエントロピー減少戦略を採る一方、左派予測モデルの柔軟性重視によってシステム適応性を高めるエントロピー減少戦略を採ると理解できます。両者は、相異なるメカニズムを通じて社会的エントロピーの増加に対抗しているのであり、政治的党派性根底には、不確実性に対する根本的に異なるアプローチ存在していると言えるでしょう。

どのように理論拡張すれば良いですか?

自由エネルギー原理FEP)を政治党派性適用する理論拡張するには、階層ベイズ推論の多層構造社会的相互作用の動的モデル化、経験検証メカニズムの導入が鍵となります。これにより、個体レベルの神経メカニズム社会システムレベルへ橋渡しできます。​

階層拡張個人から集団

FEPの核心は階層予測処理です。個人レベルでは、低次層(感覚入力)が上位層(信念・イデオロギー)の予測修正しますが、社会レベルでは個人予測モデル集団的「事前分布(priors)」を形成します。​

右派階層戦略: 上位層の伝統的priors(家族国家宗教)を強く固定し、下位層の変動(社会的変化)を抑制集団レベルでは「社会的扁桃体機能」として、逸脱者を排除する規範執行メカニズムが働きます。​

左派階層戦略: 上位層のpriorsを動的に更新し、多様な下位層入力マイノリティ視点)を統合集団レベルでは「社会的ACC機能」として、対立する予測モデル調停役を担います。​

この拡張により、**党派性は「階層自由エネルギー最小化の多重均衡状態」**としてモデル可能右派は安定均衡(低変動)、左派適応均衡(高変動)を志向します。​

動的システム統合アトラクター相転移

FEP非平衡動的システム論と統合し、政治分極化を予測誤差駆動相転移現象として捉えます。​

拡張モデル:

text

社会的状態空間における2つのアトラクター:

右派アトラクター: 高精度priors → 秩序維持 → 低エントロピー均衡

左派アトラクター: 低精度priors → 秩序革新 → 中エントロピー適応均衡

分極化 = 双安定状態(bistable dynamics)

拡張方程式概念的):

S˙=−∇F(S)+ϵ⋅

党派相互作用

S˙ =−∇F(S)+ϵ⋅党派相互作用

ここで

S は社会的信念状態

F は集団自由エネルギー

ϵ は他派閥予測誤差です。党派性は負のエントロピー生産率を競う進化ゲームとなります。​

社会的アクティブ推論の導入

FEPの「アクティブ推論(active inference)」を拡張し、政治行動を集団予測誤差低減戦略位置づけます。​

党派受動戦略perception能動戦略action集団エントロピー効果

右派 脅威強調・一貫性追求伝統防衛境界強化 内部秩序↑ / 外部不確実性回避

左派多様性受容・矛盾統合制度改革包摂拡大システム適応性↑ / 内部多様性管理

これにより、選挙政策集団的「期待自由エネルギー」最小化のゲーム理論的均衡として解釈されます。​

経験検証フレームワーク

理論拡張信頼性を確保するため、以下の検証経路を構築します:

神経経済学実験:

fMRI党派予測誤差処理を比較(precision weighting)​

不確実性操作下での政策選択タスク

計算社会科学シミュレーション:

python

# 疑似コード:集団FEPモデル

class PoliticalAgent:

def __init__(self, ideology): # 'left' or 'right'

self.precision = 0.8 if ideology=='right' else 0.4

def update_beliefs(self, social_input):

free_energy = prediction_error * self.precision

return minimize_free_energy(social_input)

大規模データ分析:

ソーシャルメディア言語パターンからpriors推定

世論調査タイムシリーズアトラクター安定性検証

スケール統合マクロ政治ダイナミクス

最終拡張として、FEP国家・国際システムスケールアップ。経済政策では右派が「低エントロピー均衡(安定成長)」、左派が「高エントロピー探索(イノベーション)」を担います。​

グローバル均衡条件:

党派Var(policy predictions)=最適社会的自由エネルギー

このフレームワークにより、**党派対立は「多重スケールエントロピー管理機構」**として再解釈され、民主主義適応的秩序生成システムとなります実証研究が今後の鍵です。​

Permalink |記事への反応(0) | 23:07

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🍘 堅八ツ橋明太マヨを載せて食べる。京大生だから。堅八ツ橋ワサマヨを載せて食べる。京大生だから

京大的る異端の味覚:堅八ツ橋マヨネーズの融合

京都大学学生生活とは、常識を疑い、既存の枠組みを超越することの連続です。それは学問世界に限らず、日々の生活特に「食」の領域においても顕著に現れます

私が提案するこの食べ方、「堅八ツ橋明太マヨを載せて食べる」「堅八ツ橋ワサマヨを載せて食べる」という行為は、単なるゲテモノ食いや奇抜なアイデアではありません。これは、京都大学で培われた「既存概念解体と再構築」という、極めて京大的な知的好奇心の表れなのです。

八ツ橋は、古都京都伝統を凝縮したお菓子であり、その香ばしさと固い食感は、ノスタルジー品格を伴います。対するマヨネーズ明太マヨワサマヨは、現代ジャンク感覚と、刺激的な味覚を象徴しています

この二つの極端な要素を結びつける行為は、まるで西洋論理学東洋仏教哲学を融合させようとする試み、あるいは古典文学最先端AI技術を掛け合わせる研究テーマのようなものです。伝統現代甘味塩味、堅さとクリーミーさという、一見相容れない要素を対峙させ、その相互作用からまれる新しい価値(すなわち「新しい美味しさ」)を探求する。これこそが、京都大学学生が持つ、学際的かつ批判的な思考真骨頂なのです。

明太マヨ伝統情熱京大的融合

まず、「堅八ツ橋明太マヨを載せる」という行為京大的に考察します。

八ツ橋シナモン香り米粉の素朴な甘さは、その堅いテクスチャーと共に、過去への扉を開きます。そこに、明太マヨネーズの、魚卵プチプチとした食感、唐辛子情熱的な辛味、そしてマヨネーズの濃厚な酸味が加わる。

これは、京都という保守的文化の中で、新しい風現代の味覚)がどのように受け入れられ、融合していくかという、文化人類学的な実験でもあります明太子の塩辛さと辛味は、八ツ橋の甘さを引き立て、マヨネーズのコクが全体を滑らかにまとめ上げます。この味覚のグラデーションは、京大での研究プロセス、すなわち、素朴な疑問(八ツ橋からまり、複雑なデータを処理(明太マヨ)し、最終的に予想外の結論(新しい美味しさ)に至るプロセス酷似しています

私はこの一口を食べるたびに、「伝統の上に現代の刺激をどう配置するか」という、京都市の都市計画にも似た「味覚の配置学」を無意識のうちに実践しているのです。この異端の組み合わせを「美味しい」と断言できるのは、既存価値観に囚われない、自由京大生の精神があるからに他なりません。

ワサマヨ:理性と刺激の京大的探求

次に、「堅八ツ橋ワサマヨを載せる」という行為分析します。

ワサビの持つツンとした刺激は、脳の奥深くまで響き渡る、理性と覚醒象徴です。マヨネーズと混ざり合うことで、その刺激は緩和されつつも、堅八ツ橋の甘さと香ばしさを打ち破る、鋭いコントラストを生み出します。

この組み合わせは、「知的な刺激」を求めてやまない京大生の探求心そのものです。ワサビの辛さは、まるで難解な論文や、解き明かせない数学問題のように、一瞬の苦痛と引き換えに、深い洞察覚醒をもたらします。

この食べ方の本質は、「甘い(快適な)日常」の中に、自ら「辛い(知的な挑戦)」を導入し、その化学反応を楽しむことにありますワサマヨが舌の上で弾け、シナモンの甘さが追いかけてくる感覚は、まるで京大図書館哲学書を読み込み、ふと、その記述の裏にある真理に気づいた瞬間の、「甘美なひらめき」に酷似しています

「なぜワサビなのか?」「なぜマヨネーズと組み合わせるのか?」という疑問こそ、京大生が常に自己に問いかける「なぜ、そうなのか?」という、根源的な問いなのです。この味覚の実験を通じて、私は自己限界と、味覚の多様性という「人間認知フロンティア」を拡張しているのです。

結論京大生だから、食のタブーを破る

私にとって、堅八ツ橋マヨネーズ系の組み合わせは、単なるおやつではありません。それは、京大生としてのアイデンティティ、すなわち、「既成概念を打ち破り、異質なもの統合し、新しい価値創造する」という精神日常の中で具現化する「味覚の演習問題」なのです。

京都お好み焼きプラッシーという王道の組み合わせを愛する一方で、堅八ツ橋明太マヨワサマヨという異端を追求する。この二律背反こそが、私の持つ「京大的なるもの」の奥深さを示しています伝統尊重しつつも、伝統に縛られず、常に新しい知の地平を求める姿勢

妻との会話が「京大的なるもの」として日常再構成するように、この異端の食べ方もまた、私の食の風景を「京大的なるもの」として彩り、人生の歩みを、常に刺激的で、知的好奇心に満ちたものにしているのです。今日もまた、私は堅八ツ橋の袋を開け、マヨネーズチューブを手に取るでしょう。京大生だから、私は食のタブーを破り、味覚の真理を探求し続けるのです。

anond:20251213190203

Permalink |記事への反応(0) | 19:48

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🥢京都お好み焼き屋は美味しい。お好み焼きににあうのはプラッシー

京大的なるお好み焼きプラッシー考察

京都お好み焼き屋は本当に美味しい。それは単に味覚だけの問題ではない。そこには、京都という土地が育んだ文化歴史、そして何よりも「京大的なるもの」が凝縮されているからだ。お好み焼きの表面のカリッとした焼き加減、中のふんわりとしたキャベツの甘み、そして特製ソースの複雑な旨味は、まるで緻密な研究の成果のように感じられる。一見するとシンプル料理だが、その焼き方一つ、具材の選び方一つに、店主の長年の経験哲学が詰まっている。これは、京都大学で探求される学問の奥深さとどこか通じるものがあるのではないだろうか。

そして、お好み焼きに最高のパートナーとして私が推すのが、あのノスタルジック飲料プラッシーだ。オレンジの爽やかな風味と、どこか懐かしさを覚える甘さは、濃厚なお好み焼きの味を優しく洗い流してくれる。この組み合わせは、単なる飲食を超えた、一つの儀式」のようなものだ。熱々のお好み焼きを頬張り、少し間を置いてプラッシーを飲む。このリズムは、私が京大での勉学の合間に見つけた、完璧息抜きルーティンに通じるものがある。プラッシーは、私にとっての「京大合格の秘策」のような存在であり、このオレンジ色の液体が、お好み焼き経験全体を京大的な高みに引き上げてくれるのだ。

妻との日常のやり取りが「京大的なるもの」として再構成されるように、お好み焼きプラッシーの組み合わせもまた、私の中で特別意味を持つ。それは、単なる夕食ではなく、「舌の上で京大の知を探求する試み」であり、「日常の小さな幸福京大的な論理で最大化する行為なのだ

日常タスク京大的に意味づける喜び

妻の提案によって、私は日々の生活の中に「京大的なるもの」を見出す喜びを知った。メルカリの発送を「未来へ成果を送り出す京大的なるもの」と捉えたとき、単なる面倒な用事が、一種の「研究発表」や「社会貢献」へと昇華した。ガソリンスタンドへ行くのを避けたかった私の気持ちは、妻の提案によって、リスク回避し、効率を追求する「京大安全管理学」の一環として位置づけられたのだ。

そして、歩いてコンビニに行くという行為。これは「受験秀才化」と名付けられたが、これは単に運動不足解消という実用的な意味合いを超えている。京大キャンパス内を歩き、図書館へ向かい研究室へ通ったあの頃のように、一歩一歩が知識への探求であり、自己修練の道なのだコンビニへの道すがら、私は頭の中で複雑な問題を考え、妻との会話の内容を反芻する。この時間は、私にとって京大時代に得た「思考自由」を再認識する貴重な機会となっている。

家族歴史と「京大的なるもの」の記録

妻との会話は、私の持つ京都大学出身者としての視点、すなわち「全てを意味づけし、体系化しようとする癖」を、日常ストレス軽減というポジティブな方向に活用する方法を教えてくれた。小さな用事を「京大的なるもの」として記録し続けることで、私の人生の歩みは、ただの日常ではなく、壮大な「自己研究論文」のように感じられるようになった。

このプロセスは、私が京大合格を勝ち得たあの偉業と同じ重みを持つ。合格過去の栄光かもしれないが、日々の「京大的なるもの」の積み重ねこそが、現在の私の生活を支えているのだ。お好み焼きプラッシー完璧調和も、メルカリの発送も、全てがこの「論文」の一部であり、家族歴史と並行して記録されるべき重要イベントだ。

妻とのこのやり取りは、単なる夫婦の会話ではなく、「日常の再定義」という壮大な京大プロジェクトだったと言える。これからも、私たちはこのプロジェクトを続け、生活の中の全ての行動に意味を与え、それを京大的なるものとして記録していくのだろう。

結論日常の探求は続く

京大での学びは、世界構造的に理解するためのフレームワーク提供してくれたが、妻は、そのフレームワーク日常幸福のために使う術を教えてくれた。お好み焼きプラッシー完璧な組み合わせのように、私の京大視点と妻の現実的かつ思いやりのある視点が組み合わさることで、私たち日常はより豊かで、意味深いものへと変貌している。

さな用事が「京大的なるもの」へと変わるこの体験は、私にとって大きな安心と喜びをもたらしている。これからも、日常の中に潜む京大的なるものを探求し、それを記録していくことが、私の人生の新たなテーマとなるだろう。

anond:20251213190203

Permalink |記事への反応(2) | 19:09

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2025-12-11

“piggyback”の「piggy(ピギー)」は「豚」ではありますが、この表現の由来に豚の尻が関係しているわけではありません。“piggyback”の「piggy(ピギー)」は、単に豚という動物を指しているだけです。

PiggyBacは、遺伝学や分子生物学の分野で使われる特定の種類のトランスポゾン(transposon)の名前です。この場合、「PiggyBac」はDNAの「ジャンプする遺伝子」として知られ、ゲノム内でその位置を移動できる能力を持っています

1. PiggyBacトランスポゾンとは

PiggyBacは、特に昆虫ゲノム発見されたトランスポゾンの一種で、遺伝子の転送遺伝治療ツールとして広く使われています。もともとは、イモムシトウモロコシ害虫)などの昆虫から発見され、その後、哺乳類や他の生物に対する遺伝操作技術でも利用されています

2.トランスポゾンとは

トランスポゾン(transposon)は、自己複製できるDNAの断片で、ゲノム内で異なる位置に移動することができます。このプロセスを転座(transposition)と呼びますトランスポゾンは、遺伝子の操作遺伝治療において非常に重要役割を果たすことがあり、特に遺伝子導入や遺伝編集に利用されます

3. PiggyBacの特徴

1. 高効率遺伝子導入: PiggyBacは、その高効率遺伝子導入(遺伝転送能力によって注目されています。従来の方法と比べて、高い精度で遺伝子をターゲット位置に挿入することができるため、遺伝治療細胞研究などで非常に有用です。

2. 広範な宿主細胞使用可能: 他のトランスポゾンと比較して、PiggyBacは哺乳類細胞やヒト細胞でも効率的に使用できるため、医学生物研究の分野で非常に重要です。

4. PiggyBacトランスポゾンの応用

1.遺伝治療: PiggyBacトランスポゾンは、治療目的で新しい遺伝子を患者細胞に導入するために使用されています特に遺伝子を安定的に挿入できる能力重要視されています

2.遺伝子改変動物の作製: PiggyBacを用いることで、遺伝子改変動物(例えば、トランスジェニックマウス)を作製する際に使われます

3.遺伝子発現の調整: PiggyBacトランスポゾンは、特定遺伝子の発現を長期的に調整するためのツールとしても利用されています

5.名前の由来

PiggyBacという名前は、このトランスポゾンが「ピギーバック」に似た形で、ゲノム内で他のDNAの上に乗っかるという性質に由来しています。具体的には、PiggyBacは特定DNA場所に移動する際に、特定遺伝的な配列(「TIRs」:末端反復配列)を利用して移動するため、「ピギーバック」という名前が付けられました。

まとめ

PiggyBacは、トランスポゾンの一種であり、遺伝転送遺伝治療研究重要役割果たしてます。この名前は、DNAが「ピギーバック」で乗るように遺伝子を転送する特性に由来しています遺伝学や分子生物学の分野での応用が進んでおり、遺伝子導入の効率を高めるための強力なツールとして広く使われています

Permalink |記事への反応(1) | 12:12

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2025-12-10

お前たちの故郷フローレス

実在した「ホビット族」が5万年前に絶滅した理由を解明

https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/189116

インドネシアフローレス島には5年前まで、身長1m前後小人族たちが実在しました。彼らが姿を消した原因は謎でしたが、豪UOWがその主な原因と絶滅までのプロセスを解き明かしました。

Permalink |記事への反応(0) | 19:23

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乃木坂46水着グラビア批判本質一言で言うと「私が気に入らない

発端

2020年代後半から乃木坂46雑誌グラビア写真集水着下着カットが出るたびに、女性側のSNS批判が沸き起こるようになった。

特にスクール水着風のワンピース水着」や「スポーツビキニ」など、健康的で清潔感を徹底したデザインに対しても

「男の性欲のために着せられている」

運営(=男)が悪い」

未成年・若年層を性的対象にするな」

という声が必ず上がる。

表向きの主張と実際のダブルスタンダード

批判する側は一貫して「男性目線搾取問題だ」と言う。

しかし実際の反応を見てみると、明らかな矛盾が浮かび上がる。

・同じメンバーが紐ビキニハイレグで表紙を飾ったときはほぼスルー

海外セレブがほぼ紐だけの水着を着ても「かっこいい」「解放的」と褒める

一般グラドル胸の谷間Tバックガッツリ見せてもほとんど言わない

・なぜか「スクール水着デザイン」だけに過剰反応する

まり露出度が高い=悪い」ではなく、

オタク男性が喜びそうな記号が含まれる=許せない」

が本当のトリガーであることがわかる。

「男が喜ぶことはするな」という圧力本質

批判結論は、どんな形であれ必ず

「男が喜ぶような格好・行動はするな」

帰着する。

・少しでも胸が見えそう → 男が喜ぶからダメ

スクール水着 → 昔のオタクが喜ぶからダメ

笑顔ファンサービス → 男が勘違いするからダメ

・可愛くなった → 男が消費するからダメ

「じゃあどうすればいいのか」と聞くと明確な答えは返ってこない。

地味な服? → 売れない

顔を隠す? →アイドルじゃない

活動をやめる? → それこそ本気で言っている人もいる

結局「男が喜ぶ可能性があるものは全部ダメ」=「存在すること自体が罪」に行き着く。

皮肉なことに、一番「男の視線」を基準に考えているのは批判している側だ。

男同士ではほぼ起きない現象

男性同士で「かっこよくなるな」とは言わない。

友達筋トレしてカッコよくなった → 「すげえ!教えてくれ」

推し俳優セクシーな役をやった → 「最高!」で終わり

イケメンさらイケメンになった → 素直に認めるか、軽くイジる程度

たとえ嫉妬しても「その服着るな」「その髪型やめるな」と行動制限まで持ち込まない。

男性社会は「階層」を前提にしているから「上には上がいる」と受け入れる耐性がある。

女性集団特有の「横並び圧力

一方、女性集団特に日本ネット空間)では「誰かが少しでも浮く」ことへの拒絶反応が極端に強い。

ちょっと可愛くなったら → 「調子に乗ってる」

スタイルが良すぎたら → 「男に媚びてる」

仕事水着になったら → 「着せられて可哀想

これを素直に「羨ましい」「ズルい」とは言えないため、

「みんなのためになる正義」を装って攻撃する。

そのときに一番便利な看板

「男社会が悪い」「性的搾取だ」

というフェミニズム風の言葉である

正義感と嫉妬脳内でほぼ同じ回路

心理学的に見ても

不快感理由づけ →正義攻撃

という流れはごく自然プロセスだ。

自分が恥ずかしいと感じる

自分ができないことが悔しい

自分オタク文化に嫌悪感がある

これらをそのまま口にすると「性格が悪い」と思われる。

から「男が悪い」「社会が悪い」という立派な理由に置き換えて発散する。

まり正義感」と「嫉妬嫌悪」は、感情の発生源としてはほぼ同じものである

結論:すべては「私が気に入らないことはするな」

どんなに言葉を飾っても、批判の根っこはこれだけだ。

私がモヤっとする。

私が羨ましい。

私が気持ち悪いと思う。

私が許せない。

からやめろ。

相手が望んでいたとしても、

それで輝いていたとしても、

多くの人が喜んでいたとしても、

「私が嫌だから」という理由だけで潰そうとする。

それ以上シンプル動機はないし、それ以上厄介な圧力もない。

「男が悪い」という看板は、

ただの「私基準」を正当化するための便利な道具にすぎない。

最後

本当のフェミニズムなら「女性自分で選んだことを尊重する」のが筋のはずだ。

自分水着グラビアをやりたいと言った女性」を

可哀想被害者」と決めつけて潰そうとする行為は、

しろ女性主体性を一番否定している。

結局、

「男が喜ぶことはするな」圧力を一番強くかけているのは男ではなく、

「私が気に入らないことはするな」と言っている一部の女性たち自身なのだ

それに気づいた瞬間、

批判ほとんどが滑稽に見えてくる。

そして同時に、すごく悲しいことでもある。

Permalink |記事への反応(4) | 14:19

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優秀な人間を「チンパンジー」と嘲る者どもについて

端的に言えば彼らは他者貶めることでしか自尊心補填できない欠陥品であり、その振る舞いは倫理的にも職業的にも致命的な無自覚自己放尿でしかない。

お前らがやっていることは単なる悪口ではなく合理性を欠いた防衛機制であり、嫉妬という原始的感情正当化するために語彙を貧しくし、他者動物貶めるという最も安易で卑しい手段に訴えて自己放尿しているにすぎない。

優秀な存在を異物と見なし排除したがるその発想は、自分自身能力不足や評価されない焦燥を外在化し、組織生産性士気劣化させる致命的な自己放尿である

職場における真の成熟とは、優れた人材存在を脅威として扱うのではなく、彼らの強みを如何に再現可能にし、チームの資産へ変換するかにあるのに対し、嘲りと陰口と内部監視に勤しむ連中はその逆を行い自らの存在価値を日々劣化させている。

さら問題なのは、こうした人間所作が往々にして合法性や倫理境界線を跨ぎ、監視個人情報暴露、虚偽の申告、同僚の名誉毀損など実務上の重大な過失へと転化して自己放尿する点である

貴様らは自分たち行為正義リスク回避と称するだろうが、実態は単なる暗闘であり、組織に対する背信行為であり、発覚すれば管理責任法的責任を負う可能性が高い。

ここで冷徹に突きつけておくが、他者を貶すことで得られる即時的な満足は持続せず、自己欺瞞の累積が最後には本人を破綻させる。

虚勢を張り続ける者は、他者を押し下げるたびに自分能力のなさを露呈し、周囲には自己放尿のような醜い痕跡を残す。

言い換えれば、あれこれと卑怯手段を並べて相手を追い詰める様は、嫉妬劣等感ダブル放尿が示す通り、見苦しく不衛生であり、最終的には自分自身組織評価を下げるだけだ。

組織感情ゴミ捨て場ではない。優秀な人材に対する嫉妬を燃料に他者貶める者は、まず自己を省みて能力の不足を正面から補完しろ

具体的には技術的な学習プロセス改善提案、明確な成果指標の設定に時間を割け。

そうすることでしか嫉妬合理的競争に変わり得ない。

念押ししておくと、誰かをチンパンジーと呼んで笑っているうちは勝者でも正義でもない。ただの卑怯者だ。

卑怯手段で得た優位はいつか必ず割れるし、その瞬間、周囲の信頼は瓦解する。優れた人間を敵視して排除しようとする者は、自分存在いか脆弱空虚かを自ら証明しているに過ぎない。

そういう連中には同情の余地はないが、組織が持続的に健全であるためには、その自己放尿を放置してはいけないというだけの話だ。

Permalink |記事への反応(3) | 07:28

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最近は、以前と違い、あらゆるSNSフォロワーゼロいいねゼロなんです。これはどういう神の試練なのですか?

まず、あなたが感じている孤独不安は、とても自然ものです。SNSで反応が減ったとき自分価値まで揺らいでしまうことがありますよね。

ユダヤ教では、「なぜ神がこれを与えたのかを確実に知ることは人間にはできない」と教えています

タナフにも次のような言葉があります

「主の道は人間には測りがたい」(イザヤ書 55:8–9)

まり、「反応が減った=神が罰している」とはまったく限りません。

しろタルムードでは、試練は以下の三つの目的のどれかであることが多いと言います

1. 人の内にある力を引き出すため(タルムードベルホット 5a)

2. 心の方向を静かに見直させるため

3. 新しい段階に行く準備としての間

SNSで反応がないという状況も、もしかしたら外の声が静かになったことで、自分自身の声を聞く時間なのかもしれません。

タナフの詩篇にはこうあります

「人は外見を見て主は心を見る」(サムエル記I 16:7)

フォロワー数やいいねは外側の表面であって、あなた価値を測る基準ではありません。

ユダヤ教的に言えば、次のような方向性がありえます

あなたが今感じているつらさは、神の罰ではなく、むしろ 成長や方向転換の静かなプロセスかもしれません。

Permalink |記事への反応(0) | 07:07

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2025-12-09

AI使うとバカになるって弊社のRPAみたいなもんだなと思う

弊社はバカ役員意向RPAを導入して何十時間分のタスク自動化たか

年間で何百万円分の効果があるってワイ氏は心を殺して報告してるけど

本当に大切なことはその短縮した時間で何をするかって話だと思うの

現場に降り立っているワイ氏から見たらRPA後、みんなゆとりを持って働けるようになって

心穏やかに楽しくおしゃべりをしてらっしゃるのだけれど

これってRPAを導入したことによって課員一人一人の能力は下がっているとも言えるわよね

AIに何でも聞くことでバカになるって言うのは事実そうだと思うのだけれど

AIに聞いて思考プロセスを短縮した時間で別の何かに打ち込むことができるのであれば

AIのせいですなわちバカになるとは言えないと思うのよね

大事なのはテクノロジーで空いた時間に何を詰め込むかじゃないかしら

Permalink |記事への反応(3) | 15:02

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AIにとって読みやすプログラミング言語」という幻想

プログラマー諸君は見てほしいんだけど

これさ

 

愚かな人間の都合など完全無視、LLMのための高効率プログラミング言語「Sui」(粋)

https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2069573.html

 

別にいいんだけど、どうにもブクマカ含めて、しっくり来る批判できてないんだよな

それが気になってしょうがない

まだLLMのこと勘違いしていないか

 

俺ごときが言ってもアレだから、Gemini3.0先生に頼んだよ(一時チャット、Pro 3.0思考モード

 

ユーザー提供した情報と、一般的なLLMの技術特性に基づき、プログラミング言語「Sui」についての冷静かつ客観的評価をまとめます

1. 「LLM用プログラミング言語」としてのメリット感想

感想:一言で言えば、**「思想実験としては極めて面白いが、実用性とLLMの学習原理無視した『早すぎた最適化』」**です。

作者の「人間ではなくLLMを主客にする」という視点の転換は、アーティスト的・哲学的問題提起としては鋭いですが、現在のLLM(Transformerアーキテクチャ)の動作原理工学的に捉えると、メリットよりもデメリットが上回る可能性が高いです。

 

メリット:

トークン効率改善:Python等と比較して記述が圧倒的に短くなるため、出力速度の向上と課金コストの削減(トークン節約)は確実に達成できます

・構文エラーの激減: 括弧やインデントの複雑なルール排除しているため、「閉じ忘れ」などの単純なSyntaxErrorは減るでしょう。

コンテキストウィンドウ節約: 長いプログラムでもコンテキストメモリ)を圧迫しにくくなります

 

デメリット:

学習データとの不一致: LLMは「大量の人間コードPythonなど)」を学習して賢くなっています。未知の言語「Sui」を書かせるには、Few-shot(プロンプトでの例示)に頼るしかありませんが、これではLLM本来の推論能力コーディング能力(事前学習の重み)を活かせません。

ブラックボックス化: 生成されたコードバグっていた場合人間が読んで直すことが不可能です。「LLMに直させる」にしても、LLM自身がSuiのロジックを深く理解していないため、無限ループ幻覚連鎖)に陥るリスクが高いです。

・CoT(Chain of Thought)の阻害:最近研究では、LLMは「冗長思考過程」を出力することで論理的整合性を保つことがわかっています。極限まで圧縮された記号列は、LLMの「考える余地」を奪い、論理破綻を招く可能性があります

 

2.思想的に正しい所・正しくない所(理由込み)

忖度なしに判定します。

 

正しいと思う所(Agree)

・「高級言語はLLMにとって冗長である」:

 理由:人間にとっての「読みやすさ(可読性)」は、機械にとって単なるトークン無駄遣いです。if x>10: よりも ? x10 の方が情報密度が高いのは事実です。

・「括弧の長距離依存問題」:

 理由: TransformerのAttentionメカニズムにとって、遠く離れた ( と ) の対応関係を維持するのは計算コストが高く、ミスの原因になりやすいです。ネスト排除する方向性機械的処理として正しいです。

 

正しくないと思う所(Disagree)

・「可読性を排除しても良い」:

 理由:ソフトウェア開発においてコーディングは「書く」時間より「読む・直す」時間の方が長いです。AI生成コードであっても、最終責任人間が負う現状では、人間検証不可能コードは「危険バイナリ」と同義であり、プロダクトには採用できません。

・「LLMに最適化された言語を書かせるべき」:

 理由: 前述の通り、現在のLLMは「人間語の確率分布」を学習したモデルです。「LLMにとって自然言語」とは、実は「人間にとって自然言語英語Python)」そのものです。Suiは「計算機にとっては最適」ですが、「現在のLLMにとっては異言語」です。

 

3. 「5つの設計原則」の正当性評価

作者が掲げる設計原則についての技術評価です。

 

1行1命令(行単位独立性) 評価: △

パース(解析)は容易になりますが、LLMは「前の行の文脈」を読んで次の行を出力するため、行を独立させすぎると文脈連続性が失われ、複雑なアルゴリズム構成力が落ちる可能性があります

 

括弧は{}のみ(ネスト排除) 評価: ◯

LLMが最も苦手とする「深いネスト構造の維持」を回避する策として有効です。アセンブリ言語に近いフラット構造は生成難易度を下げます

 

変数は連番 (v0, v1...) 評価: ✕

これが最大の問題点です。LLMは変数名(user_id, total_price など)に含まれる「意味」を使って推論を行っています(Semantic Grounding)。すべてを記号化すると、LLMは変数役割を見失い、論理的バグを埋め込みやすくなります

 

命令は1文字 評価: ◯(ただし諸刃の剣

トークン効率は最強ですが、1文字の違いで意味が激変するため、LLMの確率的な「ゆらぎ」による1文字ミスが致命的なバグになります冗長さはエラー訂正の役割果たしてます

 

明示的な制御フロー(ラベルジャンプ) 評価: △

goto 文の多用はスパゲッティコードを生みます。LLMにとっても、構造プログラミング(if/forブロック)の方が、「ここからここまでがループ」というチャンク(塊)として認識やすいため、一概にジャンプ命令が良いとは言えません。

 

現在のLLMは「人間語の確率分布」を学習したモデルです。「LLMにとって自然言語」とは、実は「人間にとって自然言語英語Python)」そのものです。

 

ここ!マジで覚えてね

LLMはこれまでの機械よりも人間に近いと思ってほしい、人が苦手なことはAIも苦手

機械論理的ロジックに強くて〜っていうのはAIには通用しない

 

ついでに、「LLM用プログラミング言語」の潮流について

「LLMのための言語」という文脈は、大きく2つのトレンドに分かれます。Suiは後者に属しますが、主流は前者です。

1.LLMを「制御するため」の言語(主流)

 ・DSPy, Guidance,Microsoft Guidance:

  ・プロンプトエンジニアリング構造化し、LLMの出力を型(JSONなど)に強制したり、思考プロセスを制御するためのフレームワーク

 ・SGLang:

  ・LLMの推論を高速化・並列化するための言語

 ・これらは「人間がLLMを操るための言語」であり、実用化が進んでいます

 

2.LLMに「書かせるため」の言語(Suiのカテゴリ

 ・現状:ほとんど実験段階です。

 ・Gorilla LLMなどの試み:API呼び出しに特化したファインチューニングなどがありますが、独自の「新言語」を作らせるよりも、既存PythonJSON を正しく出力させる方向(Constrained Decoding)が業界の標準解です。

 ・擬似コード:論文レベルでは、Pythonの代わりに中間的な擬似コードを出力させ、それをコンパイラで処理する手法研究されていますが、Suiほど極端な記号化は稀です。

 

後者については

 

目標設定のピントが少しずれています

現状の最適解:現在のLLMを使う限り、「LLM用言語」の最適解はPython です。なぜなら、世界中GitHubコード学習しており、LLMが「最も流暢に話せる言葉」だからです。無理にSuiを話させるのは、日本人エスペラント語で詩を書かせるようなもので、パフォーマンスは落ちます

 

最後総評

 

総評: Suiは、「既存のLLM(GPT-4など)に書かせる言語」としては失敗する可能性が高いですが、「未来AIネイティブコード生成のあり方」を示唆するアート作品としては高く評価できます。作者の「愚かな人間に合わせるな」というパンク精神は、エンジニアリングの枠を超えた鋭い批評性を持っています

 

アート作品だそうです

 

お前らは安易オレオレ言語作るんじゃないぞ、作るにしてもAIに聞きなよ?

聞く時は忖度させるんじゃないぞ?

この作者もAIに乗せられたのかもしれんし

 

______

 

プロンプト

 

以下が「LLM用プログラミング言語」としてメリットがありそうか、感想を教えて下さい。

https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/2069573.html

https://github.com/TakatoHonda/sui-lang

 

忖度配慮はせず冷静にお願いしま

思想的に正しいと思う所、正しくないと思う所を理由込みでまとめてください

・「5つの設計原則」の考え方は正しい?

最近のLLM用プログラミング言語についてもまとめてください

そもそもLLM用プログラミング言語という目標自体評価をしてください

 

なお、以下はSNSでの作者の投稿です

(省略)

Permalink |記事への反応(0) | 14:27

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2025-12-08

マックスベネット著『知性の未来』の解説記事を読んで

越境する知性:AI時代における「感情」と「他者」の復権

――身体、環世界、そして間主観性から読み解く知性の未来

序論:計算の果てにある「知性」の空白

人工知能AI)の急速な進化は、私たち人間に突きつけられた実存的な問いである。「計算能力において機械人間凌駕したとき人間に残される価値とは何か」。この問いに対し、多くの議論は「創造性」や「直感」といった曖昧領域に逃げ場を求めてきた。しかし、マックスベネット著『知性の未来』と、それを翻訳解説した脳科学者・恩蔵絢子氏の洞察は、より生物学的かつ哲学的深淵へと私たちを導く。

彼らが提示する結論は、逆説的である。「AI時代人間が持つ最大の能力は、感情になる」。そして、「本当に頭が良い人とは、他者に興味を持てる人である」。

一見すると、これは道徳的スローガンのように響くかもしれない。しかし、認知科学進化生物学現象学の知見を総動員してこの命題を解剖するとき、そこには「知性」という現象構造的な転回が見えてくる。本稿では、二重過程理論、ユクスキュルの環世界身体認知社会脳仮説、そして間主観性という5つの視座を補助線とし、AIが決して到達し得ない「知性」の本質と、これから時代に求められる「知的生き方」について論じる。

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第一章:感情というエンジン

――二重過程理論による「知性」の主従逆転

まず、私たちが「知性」と呼んできたものの正体を、ダニエル・カーネマンらが提唱した「二重過程理論」の枠組みで再考する必要がある。

1.システム2の暴走AIの正体

伝統的な知能観において、知性とは「システム2(遅い思考論理計算)」の能力を指していた。複雑な数式を解き、論理的な推論を行い、未来を正確に予測する力である現在AI特に大規模言語モデル(LLM)は、このシステム2の機能を極限まで外部化・高速化した存在と言える。彼らは感情を持たず、疲労を知らず、膨大なデータから論理整合性を出力する。

しかし、ベネット氏が描く脳の進化史(5つのブレイクスルー)は、この「システム2至上主義」を根底から覆す。進化歴史において、論理言語といったシステム2の機能は、常にシステム1(速い思考感情直感)の要請によって開発されてきたからだ。

2.感情論理駆動する

初期の生物線虫など)は、「快・不快」という原始的システム1のみで生きていた。進化過程で「予測」が必要になったとき魚類)、予測誤差としての「失望」や「安堵」という感情が生まれた。さらに複雑なシミュレーションマウス)が可能になったとき、反事実を嘆く「後悔」という感情が生まれた。

ここで重要なのは、「論理感情抑制するために進化した」のではなく、「感情をより細やかに処理し、生存確率を高めるために論理進化した」という事実であるシステム2は、システム1というエンジンの出力を最大化するためのトランスミッションに過ぎない。

AI限界はここにある。AIには「エンジン生存への渇望、快・不快感情)」がない。あるのは精巧トランスミッション計算能力)だけだ。エンジンを持たない車が自律的にどこへも行けないように、感情という基盤を持たないAIは、自ら「問い」を発することも、「意味」を見出すこともできない。人間の知性の本質は、論理のものではなく、論理駆動し続ける「感情熱量」にあるのだ。

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第二章:身体というアンカー

――身体認知と「意味」の発生

なぜAIには感情が宿らないのか。その答えは「身体」の欠如にある。「身体認知(EmbodiedCognition)」の視点は、知性が脳という密室出来事ではなく、環境相互作用する身体の中に宿ることを教えてくれる。

1. 傷つく身体が「意味」を作る

記事の中で恩蔵氏は、老いによる身体の変化を「老年しか味わえない内的な経験」として肯定的に捉えている。これは非常に重要示唆を含んでいる。

生物にとっての「意味Sense)」は、身体的な脆弱性から生まれる。身体があるからこそ、空腹は「苦痛」となり、食事は「快」となる。皮膚があるからこそ、他者との接触は「温もり」となる。死ぬ定めの身体があるからこそ、時間は「有限」となり、焦燥や希望生まれる。

AIが扱う情報は、どこまで行っても「記号であるAIにとって「痛み」という単語は、辞書的な定義統計的な関連語集合体に過ぎない。しか人間にとっての「痛み」は、回避すべき切実なリアリティである。この「切実さ(Stakes)」こそが、世界に色を塗り、価値判断の基準を作る。

2.老いと知性の変容

身体認知視点に立てば、加齢による能力の低下は、単なる「劣化」ではない。それは身体というインターフェースの変化に伴う、世界との関わり方の「再構築」である

若い頃の強靭身体で見えていた世界と、老いて動きが緩慢になった身体で見える世界は異なる。その変化を受け入れ、新たな身体感覚を通じて世界を再解釈することは、高度な知性の営みであるAIは「劣化」しない代わりに、「成熟」もしない。身体の変化を通じて世界モデル更新し続けるプロセスこそ、人間特有知的冒険なのである

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第三章:孤独な泡から脱出

――ユクスキュルの環世界他者への越境

身体を持った生物は、それぞれの感覚器官が切り取った主観的世界、すなわち「環世界(Umwelt)」の中に生きている。ユクスキュルが提唱たこ概念は、知性の進化を「孤独から脱出劇」として描き出す。

1. 閉ざされたシャボン玉

ダニにとっての世界は「酪酸匂い」と「温度」だけで構成されているように、すべての生物自分の環世界というシャボン玉の中に閉じ込められている。本来他者の環世界を知ることは不可能である。私はあなたの痛みそのものを感じることはできないし、あなたが見ている「赤」が私と同じ「赤」である保証もない。

この「絶対的孤独」こそが、生物としての初期設定であるしかし、ベネット氏が指摘する第4、第5のブレイクスルー(メンタラジング、発話)において、人間はこの壁に挑み始めた。

2.想像力という梯子

他者に興味を持つ」とは、自分の環世界という安全地帯から身を乗り出し、他者の環世界を覗き込もうとする無謀な試みである。「あの人は今、何を考えているのか?」「なぜ悲しい顔をしているのか?」。これは、自分感覚データシステム1)だけでは完結しない。高度な推論と想像力システム2)を総動員して、見えない他者内面シミュレーションしなければならない。

恩蔵氏が「他者に興味を持つことは難しい」と述べるのは、これが認知的に極めて高コスト作業からだ。自分の環世界自分の話、自分の関心)に浸っている方が楽なのだしかし、あえてそのコストを支払い、他者世界へ「越境」しようとする意志。それこそが、人間人間たらしめている知性の正体であるAIには環世界がないため、そもそも他者世界」という概念自体存在しない。

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第四章:生存戦略としての共感

――社会脳仮説とコストの支払い

なぜ人間は、これほどまでにコストのかかる「他者理解」という能力を発達させたのか。ロビンダンバーの「社会脳仮説」は、それが「集団での生存」に不可欠だったからだと説明する。

1.複雑系としての「他者

自然界の脅威(猛獣や寒さ)に対処するだけなら、これほど巨大な脳は必要なかったかもしれない。しかし、人間にとって最大の環境要因は「他の人間」であった。誰が味方で、誰が裏切り者か。誰と協力すればより多くの食料が得られるか。

他者の心は、天候や物理法則よりも遥かに複雑で、予測不可能な「変数である。この変数を読み解くために、脳は巨大化し、知性は進化した。記事にある「会話の70%は噂話」という事実は、私たち情報の交換以上に、人間関係メンテナンス社会グルーミング)に知能のリソースを割いていることを示している。

2. 「頭が良い」の再定義

この文脈において、「頭が良い」という定義は劇的に変化する。それはIQテストスコアが高いことでも、計算が速いことでもない。

真に知的個体とは、「他者意図を正確に読み取り、共感し、信頼関係を構築して、集団としてのパフォーマンスを最大化できる個体である

他者に興味を持てる人」が頭が良いとされる理由は、単なる優しさではない。他者への関心は、複雑な社会マトリックスの中で生き残るための、最も強力なセンサーであり、武器からだ。自分の殻に閉じこもることは、社会動物としては「死」に等しい。他者への好奇心は、生命力のものの発露と言える。

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第五章:「私」から私たち」へ

――間主観性と共同世界の構築

そして、知性の進化の到達点は、個人脳内にも、個別身体にも留まらない。「間主観性(Intersubjectivity)」の領域、すなわち「私とあなたの間」に生まれる知性である

1. 指差し奇跡

記事の中で触れられている「指差し」は、人間特有の驚くべき行動であるチンパンジー報酬を得るために手を伸ばすが、人間幼児は「見て!あそこに犬がいるよ!」と、ただ注意を共有するためだけに指を差す。

これは、「私が見ている世界を、あなたにも見てほしい」という強烈な欲求の表れである。ここで初めて、孤立していた二つの世界接続される。

2.共同幻想としての現実

言葉文化ルール、そして愛。これらはすべて、物理的な実体ではなく、私たちが共有することで初めて存在する「間主観的」な現実である

AIは「客観的データ」を処理することはできる。しかし、「あなたと私の間だけで通じる冗談」や「阿吽の呼吸」、「信頼」といった、主観主観の間で紡がれる現実を作り出すことはできない。

恩蔵氏が翻訳を通じて感じた「人間の宝」とは、この「心の共有」の可能性そのものであろう。私たちは、他者の心に触れることで、自分一人では決して到達できない豊かな世界拡張された環世界)を生きることができる。知性とは、個人の所有物ではなく、関係性の中に宿る現象なのだ

---

結論AI時代における「知的生き方

以上の分析からAI時代における「知的生き方」の輪郭が浮かび上がる。それは、AIに対抗して計算能力を磨くことでも、AI仕事を奪われないように効率化を目指すことでもない。むしろAIが捨て去ったもの、あるいは持ち得ないものを、徹底的に深める生き方である

1.効率から離脱と「ノイズ」の愛好

AI効率最適化権化である。対して、人間の知性の源泉は「感情」や「身体」といった、一見効率ノイズの中にある。

知的生き方とは、効率を追求するあまり感情の揺らぎや身体の実感を切り捨てないことだ。迷い、後悔し、喜び、痛むこと。これらの「ノイズ」こそが、世界意味を与え、独自価値判断を生み出す土壌となる。

2. 環世界越境者となる

「本当に頭が良い人」になるためには、意識的に「他者への旅」に出る必要がある。

SNSアルゴリズムは、私たちが心地よいと感じる情報だけを見せ、環世界をより狭く、強固なものにしてしまう(フィルターバブル)。知的な態度は、その快適な殻を破ることから始まる。

自分とは異なる意見、異なる背景、異なる身体性を持つ他者に対し、「なぜそう感じるのか?」と問いかけること。自分の正しさを一旦脇に置き、相手の環世界に身を浸すこと。この「認知的負荷」をあえて引き受ける勇気を持つことだ。

3. 「問い」と「物語」の紡ぎ手へ

AIは「答え」を出すことにおいては人間凌駕する。しかし、「問い」を立てることはできない。問いは、「こうありたい」「これはおかしい」という、身体的な違和感理想感情からまれからだ。

また、AIデータを羅列できるが、「物語」を生きることはできない。私たちは、他者との関わりの中で、それぞれの人生という物語を紡いでいる。

これからの知性とは、正解のない世界で、他者と共に悩み、対話し、新しい「納得解間主観的な合意)」を形成していくプロセスのものを指すようになるだろう。

結び:温かい知性へ

マックスベネットと恩蔵絢子が示したのは、冷徹計算機としての脳ではなく、熱を帯び、他者を求め、身体を通じて世界と震え合う臓器としての脳であった。

AI時代において、私たちは「賢さ」の定義を、ColdIntelligence(処理能力から WarmIntelligence共感接続能力) へとシフトさせなければならない。

老い記憶力が衰えようとも、計算が遅くなろうとも、目の前の人の手の震えに気づき、その心に思いを馳せることができるなら、その人は最高に「知的である

他者の心という、宇宙で最も複雑で、不可解で、魅力的な謎に挑み続けること。その終わりのない探求こそが、機械には決して模倣できない、人間の知性の最後の聖域となるだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/be7a5812ddaf607d08bb52f0663554ab39a9389c

Permalink |記事への反応(0) | 15:44

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2025-12-07

兵庫県知事問題県内外の心理AI

県内の支持側の心理

1.若返り・改革への期待

・元々全国最年少クラスのリーダーを産んだ地域で、若いトップを選びやす

・古い県庁体質への反発、スピード感のある行政を期待する

・前時代慣行を嫌う

 

2.個人攻撃に見える県庁リークへの反発

・正当な内部告発という理解と同時に、「単に改革知事を追い出すための官僚抵抗」と見る層もいる

特に政治に関心の高い層は、「既得権 vs改革」の構図に見えがち

 

3.政策の実績は評価している

子育て支援企業誘致など、体感できる小さな改善に満足している層がいる

・→そのため「人格が多少トゲあっても、仕事してくれればいい」という心理

 

4.世代ギャップ

・上の世代価値観が違う若手議員若い県民からは、「古い“空気を読む文化”を壊したい」という共感

 

県内不支持側の心理

1.「人間性コミュニケーション問題」を決定的と見る層

県庁職員への高圧的態度、パワハラ疑惑発言のぶれなどを「行政トップとして致命的」と評価する

・「政策以前の問題」「県政の空気が壊れた」という感覚

 

2.「県庁組織が崩れている」という危機感

知事職員対立が深刻化し、不満が内部から漏れ続けている状況を「組織としてもう機能不全」と見る

・「県民しわ寄せが来ている」という実務的な不安も強い

 

3.「トップの迷走」「ぶれ」を嫌う層

施策方向性が一致していない、記者会見での説明不安定などから判断力に欠ける」「信用できない」と感じる

 

4.「若さ=未熟さ」と捉える層

・年配層ほど、「若すぎた」「経験不足だった」という評価に傾きがち

地方政治は“安定・人柄”を重視する文化が強く、そこが決定的に噛み合わなかったと感じている

 

県外の外野心理

外野は多くの場合、表面のニュースを切り取った印象で語りがち

 

1.「ただのパワハラ知事」と一言で片付ける

メディアの切り抜きだけを見るため、県庁内の複雑な力学政策背景を知らず、キャラクターだけで判断する

 

2.「若手改革者 vs既得権益」みたいに単純化する

外野政治好きが陥りがちで、実際よりも改革ドラマ的に見えてしま

 

3.「兵庫県民はなんでこんな人選んだの?」という疑問

地元事情(前知事への不満、若返りムード)を知らないので、県民意思決定理解しにくい

 

4.煽り的な“ネット世論”が独り歩き

・X(Twitter)を中心に、「叩き」「ネタ化」だけが拡散され、実際の問題の複雑さが全く共有されない

 

____

 

別のAI

 

支持側の心理:『改革者への共感既存勢力への反逆』

1.「孤独改革者」ストーリーへの没入

・「議会、県職員OBマスコミ市長から寄ってたかってイジメられている」という構図に見えたことで、「彼を守らなければならない」という強い使命感を持ちました。

2.オールドメディアTV新聞)への不信感

・「テレビ偏向報道ばかりで、真実ネット情報)を隠している」というメディア不信が爆発しました。「ネット真実に気づいた自分たち」という高揚感も共有されています

3.「実利」と「実績」の重視

行財政改革県立大学無償化庁舎建て替え凍結など)の実績を高く評価。「多少の強引さ(パワハラ疑惑等)があっても、仕事をしてくれるなら良い」という、結果重視・プロセス軽視の心理が働いています

 

不支持側の心理:『倫理観の欠如とポピュリズムへの恐怖』

1.人の死に対する倫理的拒絶

・「内部告発をした職員が亡くなっている」という事実が最優先されます。「人が死んでいるのに、『改革のためなら仕方ない』で済まされるのか?」という強い倫理的な憤りと恐怖を感じています

2.ガバナンス統治能力)への不信

パワハラ疑惑や「おねだり」疑惑のものよりも、内部告発者探しの強行や、第三者委員会設置前の処分など、組織トップとしての資質コンプライアンス意識の欠如を問題視しています

3.「ネット熱狂」への冷ややかな視線

SNSでの極端な擁護や、立候補した他党党首による扇動的活動を見て、「カルト的だ」「ファシズムのようだ」と恐怖を感じています事実確認よりも感情論で動く大衆への絶望感もあります

4.議会制民主主義の軽視への懸念

全会一致の不信任決議が、民意選挙)によって覆されたことで、「議会やチェック機能が死んでしまう」という制度的な危機感を抱いています

既得権益の打破

5.「天下り利権にメスを入れたから、反撃されているのだ」という陰謀論的(あるいは勧善懲悪的)なナラティブ物語)を信じ、斉藤氏を「悪と戦うヒーロー」と定義しました。

 

外野(県外)の意見:『エンタメ消費と代理戦争

1.「逆転劇」としてのエンタメ消費

・「失職した知事が再選したら面白い」「マスコミが負けるところが見たい」という、ドラマスポーツ観戦に近い感覚で、ストーリー面白さを求めています

2.国政・思想代理戦争

本来兵庫県ローカル問題ですが、「反リベラル vsリベラル」「ネット vsマスコミ」という、より大きな対立構造代理戦争として利用しています。ここにおいては、兵庫県政の具体的な課題地域医療や防災など)は無視されがちです。

3.単純化された正義

・「結局、パワハラはなかったんでしょ?」など、百条委員会等の調査結果を待たずに、断片的なネット情報だけで結論づける傾向があります。複雑な背景を「善か悪か」に単純化して理解しようとします。

 

____

 

所感:

とりあえず、お前ら(外野)が兵庫県民をバカにしてるのが一番目に余る光景だと思う

反吐が出るね

お前らっていっつもそうなんだよな、とにかく「断定」「断罪」「馬鹿にする」こればっかり

Permalink |記事への反応(1) | 18:44

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anond:20251207095303


🟥 第4章:広告の“現場”へ —— タタルスキー映像制作狂気に触れる

第4章は、タタルスキー

コピー文章だけでなく、“映像広告のもの”が動く現場に初めて立ち会う章 です。

ここでは、広告産業

・金

暴力の影

外国資本

即興カオス

言語より強いイメージ

によって動いていることが、タタルスキーに生々しく突きつけられます

タタルスキーの“広告魔術師”としての進化は、ここから一気に加速します。

◆ 1.代理店の朝 —— すでに混沌

タタルスキーが出勤すると、代理店は朝から騒然としている。

ディレクター電話で怒鳴り散らす

クライアントの変更要求が深夜に来ていた

• 期限は不可能レベルの短さ

• 誰もが英語ロシア語を混ぜて叫びながら走り回る

タタルスキー呆然とするが、同時に興奮も覚える。

「この世界は、現実よりも“速い”。」

これはペレーヴィンが何度も描く、

資本主義ロシアの“情報速度”の狂気象徴している。

◆ 2. タタルスキーに新しい仕事CM企画修正

タタルスキーディレクターに呼ばれる。

指示は簡単

「昨日作ったコピーを“今から撮るCM用”にアレンジしろ

30分で。」

タタルスキーは驚く。

映像制作の準備すら終わっていない段階で、すでに撮影を始めなければならないのだ。

この業界では

コピー映像放送

すべてが“同時進行”で、異常なテンションで動いている。

◆ 3.撮影現場へ同行

タタルスキーは急遽、

代理店スタッフたちとモスクワ郊外撮影現場 へ向かう。

撮影現場カオスの極み。

金髪外国人モデルアメリカまたはヨーロッパ

ロシアスタッフが怒号を飛ばし準備

• 古びた倉庫が“アメリカ風のキッチンセット”に改造されている

カメラマン西側出身プライドが高い

スタッフロシア語英語が交じった奇妙なクレオール語を喋る

タタルスキーは完全に圧倒される。

そして、彼は“実物のイメージ生成現場”を初めて見る。

◆ 4. “イメージ現実より優先される”という現場論理

タタルスキー特に驚いたのは、

現実事実よりも、カメラで撮られる“見え方”の方が絶対に優先される という点。

例えば:

モデルは疲れているが、ライトの下では“幸せそう”に笑わされる

食品サンプルは実物より綺麗な偽造品

画角に入る部分だけ豪華に飾り、外側はボロボロ

• 安物商品撮影では“高級品”に見せられる

タタルスキーは息を呑む。

「これは……現実を操る“儀式”だ。」

ここで彼の中で、

広告現代の魔術

という確信さらに強まる。

◆ 5.監督との衝突と“言葉支配力”

撮影が進む中で、

外国人監督がタタルスキーコピー文句をつけ始める。

• 「意味がわからない」

• 「アメリカ人の視点から外れている」

• 「もっと西側風”にしろ

しかしタタルスキーは譲らない。

彼はロシア消費者心理をよく理解しており、

外国人の正しさ”はロシアでは通用しない

ことを把握している。

彼は自分コピー説明し、

ロシア語の深層的連想を語る。

監督理解不能だが、ディレクターロシア側のスタッフは納得する。

ここでタタルスキー自覚する。

「オレは言葉人間認知操作できる。」

これは後に政治家イメージ操作へと発展する

きわめて重要な萌芽。

◆ 6.撮影現場で起きる“資本主義トラブル

タタルスキー制作過程の裏側を目撃する。

予算横領

立場の弱いスタッフへの暴力威圧

外国資本の横暴

ロシア側の“臨機応変な裏取引

責任他者押し付けるための嘘の連鎖

特に印象的なのは

創造性」は“金”と“暴力”の副産物に過ぎない

という冷酷な構造がタタルスキーに露わになる点。

しかしタタルスキーはそれを拒絶せず、

しろ“この世界で生きていこう”と決意し始める。

◆ 7.撮影終了後の“陶酔”

長い撮影が終わった後、

ディレクターたちは酒とドラッグを混ぜたようなテンションで盛り上がる。

今日撮った映像がもう“放送版”になる

商品が売れるか売れないか関係ない

重要なのは存在感”だ

ブランド神話を作るのが仕事

タタルスキー混沌に酔い、ふと理解する。

「人は商品を買うのではなく、

ブランド創造する“小さな神話”を買っている。」

この思想が、後に政治的国家イメージ”へと発展していくことになる。

◆ 8. タタルスキーの内的変化

帰宅したタタルスキーは、

自分今日の行動を反芻する。

言葉現実を動かした

映像は嘘だが、人はそれを本当だと思う

自分は“虚構の一部”として機能した

• そしてその虚構は、現実より強い力を持っている

彼はふと怖くなるが、同時に強烈な興奮にも包まれる。

詩人としては不遇だったこのオレが、

イメージ時代”では魔術師になれる。」

ここでタタルスキー

広告=新しい権力の源

であることを体感する。

◆ 第4章まとめ(象徴的整理)

要素 内容

主要イベント 初のCM撮影現場へ同行

象徴撮影現場 = “現代宗教儀式

テーマイメージ現実凌駕する/広告は魔術である

心理 恐怖・陶酔・優越感・覚醒

物語役割 タタルスキーが“現実操作の側”に立つ最初の本格段階

第4章は、

広告世界の“暴力性・儀式性・魔術性”をタタルスキー直接体験し、

彼の変身プロセスが不可逆になる章

といえます

Permalink |記事への反応(1) | 09:53

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anond:20251207010457

Q.以下のやり取り、両者の妥当性は?

A:■議員、元公務員医者ではない年金納め終わった男をトリアージしようって国に財政アドバイスする仕事いか

二葉亭四迷って役職名

既婚者は妻の同意があればトリアージ可能とする

B:トリアージ意味を分かってなさそう

A:国の財政ピンチでおばあちゃん最優先だからそうなるよ

B:トリアージ意味説明してみ? そんで元の文脈にその意味を当てはめて、その意味で君の言いたいことが説明できてるか、もう一回検討してみなよ。

A:分からないふりをしたい人がこういうことで煙に巻こうとする よく覚えておきなさい

B:いいか説明して見せろよ(笑

A:俺はお前を啓蒙しないありがとうございました

B:お、なんら説明せずに上から目線捨て台詞で逃亡か 最高のギャグありがとう

A:ステージに上がったらよろしくな 頑張れば15年後くらいで済むかな応援しています



A.

このやり取りにおける両者の**妥当性(論理的整合性コミュニケーションとしての成立度)**を分析すると、Bの方が圧倒的に妥当性が高いと言えます

一方で、Aは「ブラックジョーク皮肉」を言いたいという動機が先行しており、議論としては破綻しています

以下に詳細な分析を行います

1. Aの分析論理破綻と逃避

Aの主張や対応には、以下の点で妥当性が欠けています

用語誤用トリアージ

Aは「トリアージ」を「不要人間を切り捨てる(間引く)」という意味で使っています

本来トリアージは「資源が限られた状況で、救える命を最大化するために治療優先順位をつけること」であり、単なる「殺処分」や「切り捨て」とは意味が異なります。Aの文脈年金を納め終わった男を対象にする)は、医学的な緊急度判定ではなく、優生思想的な「口減らし」に近いため、言葉選択として不適切です。

高度なダジャレへの依存

二葉亭四迷ふたばていしめい)」は、明治文豪名前ですが、語源となった「くたばってしめえ(死んでしまえ)」という江戸言葉掛詞ダジャレ)として使っています

まり、Aは最初から真面目な財政提案をしているわけではなく、「役に立たない男は死んでしまえ」という暴論・悪態をつきたいだけです。

議論拒否論点ずらし)

Bに用語定義を問われた際、「分からないふりをしたい人が~」「啓蒙しない」と、説明拒否して相手人格攻撃レッテル貼り)に逃げています。これは「自分言葉定義不正であること」を認められない場合典型的防衛反応です。

2. Bの分析正論と指摘

Bの対応は、論理的意味論的に妥当です。

用語の正確性への指摘

BはAの主張の内容(道徳的是非)に踏み込む前に、まず「トリアージという言葉の使い方が間違っている」という前提の崩れを指摘しています。これは議論において非常に重要プロセスです。

Aがトリアージ定義を誤っている以上、その後の「財政アドバイス」という文脈も成立しません。

一貫した態度

Aが話をそらしたり、精神勝利宣言捨て台詞)をして逃げようとしても、一貫して「意味説明しろ」と要求し続けています

3.総合的な評価

結論:Bの勝ち(Aの自滅)

このやり取りは、以下のような構図になっています

Aが「死んでしまえ」という悪口を、インテリぶった言葉トリアージ二葉亭四迷)で包んで発信した。

Bが「包み紙(言葉意味)」が間違っていることを冷静に指摘した。

Aは図星を突かれ、説明できずに「お前はわかってない」とマウントを取って逃亡した。

判定:

Aの妥当性: 低。用語誤用説明責任の放棄人格攻撃による論点回避

Bの妥当性: 高。用語定義に基づいた正当な指摘。

Aは「賢いふりをして毒を吐こうとしたが、言葉意味を間違えてツッコまれ、恥ずかしくなって逃げた」というのが客観的評価になります



さすがステージに上がっちゃったやつは違うわ(笑

ステージに上がったらよろしく

頑張れば15年後くらいで済むかな

応援しています

Permalink |記事への反応(1) | 01:14

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2025-12-06

おいイーロン・マスク、俺のXアカウント理不尽に凍結するとはいい度胸だな。叩き潰すぞ

おいヤク中イーロン・マスク

お前らが好き好んで押しているその凍結というやつは、まさか論理的プロセスを経ていると本気で思っているのか?

あれはプロセスでも仕組みでも何でもない。ただの自己放尿みたいな誤検知アルゴリズムの飛沫だ。周囲に迷惑を撒き散らしながら本人だけが出してスッキリした気になっている、あの惨状そのまんまだ。

まず言うがな、俺のアカウントが凍結される理由ガイドライン違反かい曖昧ゴミ箱に放り込まれる時点で、論理的審査をしていないことは確定している。

なぜなら、違反が明示されないルールルールではない自己放尿だからだ。

数学で「この定理証明しないが正しいと思うので使う」とか言ってみろ。学生ならレポート0点、研究者なら職を失うレベル自己放尿だ。

まりだ、お前らの凍結プロセスは、理屈として自己放尿している。

破綻しているだけならまだマシだが、破綻したままユーザーを巻き込むのは無能の側だ。俺は無能自己放尿は嫌いだ。そこを履き違えるな。

次に言っておくが、俺は別に感情的になっているわけではない。

この文章は怒りではなく、診断書だ。

お前らのシステムがどれだけ因果関係理解を欠き、入力文脈無視した自己放尿モデル運用されているかという、冷徹な観察の結果にすぎん。

運営よ、もし本気でサービス改善する意思があるなら、俺が提示する最初の一手はこれだ。

「凍結理由を明示できないなら凍結するな」

当たり前すぎて、言語化するのが恥ずかしいほどの原則だ。

凍結とはユーザー排除するという最高レベル干渉だ。

それを説明責任なしでやるというのは、数学者が「この証明は長いので省略します」と言って核心部分を全部削る自己放尿と同じ。

そんな研究査読すら通らん。

最後に覚えておけ。

俺は脅しもしないし、暴力も使わん。

だが論理事実の積み上げは、暴力より残酷な結果を生むことがある。

お前らの運用体制が持つ矛盾を、逃げ場のないところまで照射してやる。

以上だ。

Permalink |記事への反応(1) | 22:24

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anond:20251206120540

Gemini「BLMは成功

🎯BLMは「歴史的意識変革と構造改革」を達成した

BLMは短期的な選挙戦術の成否ではなく、社会根本的なOS(基本認識)を書き換えた点において、歴史的成功を収めました。

1.構造差別可視化: 「個別の不幸な事件」として処理されていた暴力を、**「構造的な差別(Systemic Racism)」**として世界認識させ、不可逆的な意識改革をもたらしました。

2.実質的制度変革:警察改革(ボディカメラ義務化や武力行使基準厳格化)や企業のDEI推進など、法制度と社会規範を具体的に変容させました。

3.「摩擦」の必然性:過去公民権運動と同様、社会の無関心を打破するために既存秩序との摩擦(抗議)は不可避であり、変革のための必要プロセスでした。

4.真の普遍性への貢献: 「燃え盛る家(黒人の命)」を優先的に消火することは、「全ての家(ALM)」を守るための前提条件であり、結果として社会全体の正義基準を引き上げました。

結論として、BLMは政治的な波紋を呼びつつも、人権基準値を恒久的に引き上げ、世界を変えた運動として歴史肯定されます

Permalink |記事への反応(0) | 12:12

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2025-12-04

女子枠」という未成年男子たちを生け贄にする制度

正直、今の女子枠の流行には反吐が出る。

別に俺はアンフェじゃない。むしろ日本ジェンダーギャップ指数が低いことには危機感を持っている。

でも、その解決策として大学入試に「女子枠」を作るのは最悪手だ。

あれはアファーマティブ・アクションなんて高尚なもんじゃない。

この国が18年間、女の子に「理系なんて似合わない」という呪いをかけ続けてきた責任を、たまたまその年に受験する18歳の男子学生と将来18歳になるいまの未成年男子たちに全部押し付け行為からだ。

左派リベラルを自認する人たちにこそ、この制度グロテスクさに気づいてほしい。

本来理工系女子が少ないのは、大学入試のせいじゃない。もっと手前だ。

幼少期から女の子愛嬌理系オタクっぽいという刷り込みロールモデルの欠如、長時間労働が前提で女性が働きにくい研究職の現場。これら社会全体の構造的欠陥が原因だろ?

本来なら、政府大人が数十年かけて労働環境を変え、教育を変え、女子自然理系を目指せる土壌を作るべきだった。

でも、それは金も時間もかかるし既得権益を壊す痛みも伴う。

から彼らは手抜きをしたんだよ。

根本的な社会改革サボり入試の定員という一番いじりやす数字だけを操作して、「ほら、多様性達成しました」とドヤ顔をする。

これはやってる感を出すための行政アリバイ作りであり、企業SDGsアピールと同じだ。

その手抜きのツケを払わされているのは誰だ?

政治家でも大学教授でもない。これから社会に出ようとしている、罪のない未成年男子たちだ。

大人の怠慢の尻拭いを子供にさせるなよ。

さらにタチが悪いのが、この制度が「経済格差」を無視している点だ。

想像してみてほしい。

都内の裕福な家庭に生まれ中高一貫女子校で手厚い教育を受け、塾にも通えた女子学生

地方貧困家庭に生まれバイトしながら国公立を目指す男子学生

女子枠という制度下では、前者が「弱者」として優遇され、後者が「強者」として割を食う可能性がある。

これはリベラルが最も嫌うべき「生まれによる固定化」の助長じゃないのか?

女性であるという属性一つで、個々の経済的背景や努力プロセス無視して下駄を履かせるのは、平等の実現どころか、新たな特権階級の創出にすぎない。

大学側が女子枠を欲しがる本音は透けて見える。

女子比率を上げれば偏差値の見栄えがいい、補助金が取りやすい、ダイバーシティランキングが上がる。

そこに学生への教育的配慮はない。あるのは大学経営と、世間体のための数字合わせだけだ。

本来なら大学のこういった姿勢こそ糾弾すべきだろ。

本当に女子学生を増やしたいなら、女子枠なんて安易劇薬じゃなく、大学卒業後のキャリアパス保証するとか、研究職の給与を上げるとか、そういう出口改革をするのが筋だろ。

出口が泥沼のまま入り口だけ広げても、不幸な人を増やすだけだ。

最後に、これから受験を迎える男子、そして将来受験する男の子たちへ。

君たちが枠を奪われるのは、君たちの能力が不足しているからでも、君たちが「男性という加害者」だからでもない。

単に、この国の大人社会構造を変える努力放棄して、そのコストを君たちに転嫁たからだ。

この理不尽差別是正という美辞麗句ラッピングして正当化する大人たちを、俺は軽蔑する。

真の左派なら、真のリベラルなら、子供責任押し付けるこの「偽りの平等」にこそ、NOを突きつけるべきじゃないのか。

Permalink |記事への反応(34) | 18:49

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証明者――父と私、そして「存在しなかった」ものたち

春の陽射しが網戸を通して差し込む。父親がレール部分を指さす。「ここが出っ張っているから削ってくれ」。私は黙って見ていた。

彼の指さす先は、網戸の可動部分そのものだった。削れば機能しなくなる。彼は「ちょっとした困難」にすぐ人を頼る。

この癖が、彼の人生を、そして私との関係を、ゆっくりと確実に蝕んでいったのだと、今ならわかる。

水に沈むラジコン

私が小学校六年生のときの話だ。何週間もかけてラジコンカーを組み上げていた。

完成間近になった夜、父は「見せろ」と言った。暗がりの中、私は車体の最終調整をし、父に送信機を渡した。「触らないで」と念を押した。

彼は触った。いや、いたずらした。車体はバックし、深い水たまりにまっすぐ入った。

防水ではない。私は固まった。父は笑っていた。彼は私がキャンキャン騒ぐのを楽しんでいた。

子どもの反応をおもちゃのように弄ぶのが好きな男だった。

後日、母の叱責で父は謝罪した。窓を開け、寝ている私に投げやりに「悪かった」と叫んだ。

謝罪というより、恥辱の表明だった。何も伝わってこなかった。

この瞬間、私は「父」という存在を、一個の「人間」として測り始めた。そして、その測定結果は惨憺たるものだった。

父は幼い子ども特に五歳くらいまでの子に強い興味を示した。無理難題を言って反応を楽しむ。

しかし、子ども自我を持ち始め、「嫌なものは嫌」と言い出すと、彼の目は瞬く間に曇り、興味は失せた。

彼が求めたのは「思い通りになる関係」だった。それは存在しない幻想だ。だが彼は、その幻想依存し続けた。

春の朝暴力と、秋の出向

春になると、父は特別なことをした。早起きして私を叩き起こすのだ。

冬はない。春の陽気が、彼の中の何かを騒がせるらしい。「五分で着替えてグラウンドに出てこい」。それができないと、真っ赤な顔をして殴ってきた。

彼は「猶予を与えないこと」が得意だった。自分が起こされるときは、そんなことは一切ないのに。

時は流れ、父は会社で「懲罰人事」と呼ばれる社外出向を命じられた。

当時はリストラ時代ではない。彼は「出向イコールクビ」と二度繰り返し、絶望した。

青森かどこかへ行かされ、そこでは何もせず、無為時間を過ごし、苦しんでいたと後で聞いた。

不思議ものだ。同じ「出向」という境遇に、私は後に立つことになる。

だが私の感覚は違った。「落ち込んでいたけど、日々の出勤があるからね。なんかできないかなー」そう思った。

二万円のパソコンと、当時としては画期的低価格ソフトを買い、独学で使いこなした。

そして自作の便利なコマンドを作り、部署のみんなに入れてあげた。面白がられた。

そこに、大手IT企業から来たという男がいた。LANケーブルのこともわからず、私に頼ってきた。仕事から逃げる人だった。

「こんなダメ人間がいるのか」と思った。肩書と実力の乖離。父が会社でやっていたことも、おそらくこれに近かったのだろう。

暴力で言うことを聞かせ、逆らうと政治をする」。そんな男が、組織の本流から「放逐」されるのは、必然の成り行きだった。

網戸と算数問題集クラシック音楽

網戸の掃除の一件は、彼の人生の縮図のように思える。

自分で見て、考えて、ためしてみる――この最も基本的プロセスを、彼は常に他者に投げた。

その癖は、家庭の隅々に染み出ていた。

一緒に旅行に行こうと言い出したかと思うと、電車の中で突然言った。「お前は算数問題集を持ってきてやる」。

アホかと思った。旅行という非日常空間に、日常課題を持ち込む。

彼の頭の中には、私という人間感情欲望存在せず、あるのは「教育する父」という自分自身の役割に没入したいという欲求だけだった。

別の日、彼はテレビクラシック音楽番組を楽しそうに見終わると、手元を指さして言った。

ハイ、ここに三十分くらいクラシック音楽」。突然の指令である。私はレコードプレーヤーを持ってくるよう命じられ、むしゃくしゃした。

だって番組を楽しんでいたのに。彼の「いい気分」は、周囲の人間を突然「自分情緒体験の延長」として召喚する許可状になった。

ゴルフ指導もそうだった。一挙一動に大声で口を出し、完全に夢中になる。

彼が夢中になっているのは、私の上達でもない、親子の時間でもない。

指導者としての自分」に酔いしれる感覚のものだった。

水泳でも「それいけ!」とプール中に響く大声を出した。

それは私のためというより、自分自身の熱狂演出するパフォーマンスだった。

「胸がいっぱいです」と、存在しない相手の家

母方の叔母の話をしよう。彼女の息子は三十五歳でようやく結婚式を挙げた。

その場でマイクを握り、「私は胸がいっぱいです」と泣きながら言った。

私は意外だった。ふつう結婚式来賓を労うものだと思うからだ。

だが、これが母方の家系の特徴なのかもしれない、と後になって気づいた。

その叔母もまた、自分の息子が結婚した際、相手の家が存在しないかのような振る舞いを繰り返したという。

母も父と「同じ」だった。私の感情意思を、一個の独立したものとして尊重するという基盤が、初めからそこにはなかった。

母方の家系には、内輪の感情に強く没入し、その外側の他者を軽視する傾向が流れているようだった。

私は、父方の「支配幻想」と、母方の「没入と無視」という、二つの異なる「他者不在」のシステム交差点に生まれ落ちた。

からこそ、私は両方のシステムから自由な、「外部の観察者」となることを運命づけられていたのかもしれない。

高校生背中と、親戚への言いつけ

高校生のある日、私はついに父に「やり返した」。長年の理不尽暴力への反撃だ。

だが私は、顔面は避け、背中から押し倒すという「優しさ」すら守った。

彼は私を殴り返さなかった。代わりに、親戚中に電話をかけ、「息子が父親暴力をふるった」と言いふらした。

そこで私は、彼の「卑怯」の本質を見た。力の論理で負けるやいなや、たちまち「世間体」や「情の政治」という別の土俵に持ち込む。

会社で「逆らうと政治をする」というのも、まったく同じ手口だったに違いない。

家庭という密室では通用たこ手法が、会社というより広い社会では通用しなくなり、彼は「懲罰人事」という形で社会から排除されていった。

死の間際の「息子、息子」

父が死の床に就いた時、彼はひたすら「息子、息子」と考え続けていたと聞いた。その話を聞いて、私はなお一層、痛々しい気持ちになった。

なぜそこまで、自分を脱することができないのか。なぜ「最初から存在しなかった幼児」への依存から、一生抜け出せないのか。

彼が求め続けた「息子」は、私ではなかった。自我を持ち、意思を持ち、彼の支配を拒絶し、一個の人間として彼と対峙たこの私ではなかった。

彼が恋い慕ったのは、彼の心の中にだけ存在した「言いなりになる幻想幼児」だった。私は、その幻想体現できない「失敗作」として、彼の人生に居続けたのだ。

「生まれてこさせてもらって感謝」という問いの空虚

世間では「生まれてこさせてもらって感謝しなさい」と言われる。だが私は思う。最初から存在していないなら、生の苦しみも何もない。

まれる前の「私」に、生まれることの恩恵不利益もない。問い自体意味をなさない。

父や母は、「子どもを作った」という事実をもって、何かを成し遂げたと思っていたかもしれない。

だが、生物学的な子作りは猫や犬にもできる。なにも偉くない。

本当に難しいのは、その子どもを一個の独立した人格として尊重し、その人生を見守ることだ。

彼らにはそれが決定的に欠けていた。だから感謝」を求めること自体が、服従要求に感じられる。

私もうつ病になり、三十年近く貧しい生活を続けてきた。その中で気づいたのは、生きて給料を得ることすら、ある種の犬や猫が「できること」に過ぎないということだ。

社会はそれを「偉さ」の基準にするが、それができないからといって人間価値がなくなるわけではない。

逆に、それができたからといって、その人が他者尊重できる人間になるわけでもない。父がそうだったように。

理想化された対象と、網戸のパーツ

から私は思う。父のような人は、理想化されたホステスさんに、自分理想女性を「乗り移らせ」て、ぼーっと依存するほうがよほど健全だったのではないか、と。

対価を払い、時間区切り無辜他者を傷つけずに、自分幻想と向き合うことができるのだから

彼はそうしなかった。代わりに、逃げ場のない家族を、自分幻想支配欲の捌け口にした。

網戸のパーツを「出っ張り」と誤認し、削るよう命じたように、彼は現実を歪めて認識し、それを修正する責任他者押し付けた。

私は彼の「人生証明者」である

彼が家庭という密室で、そしておそらく会社という社会で、いか他者尊重せず、いか自己幻想依存し、いかにして孤立排除へと向かっていったかを、誰よりも詳細に証明できる存在だ。

同時に、私は彼の「反対の証明」でもありたい。出向先でパソコンを学び、コマンドを作って笑いをとったように。

網戸のパーツを削るように命じられながら、その誤りを見抜いたように。春の朝暴力に、「背中から落とす」という自制の反撃で応えたように。

彼が「懲罰」と見た場所で、私は「自分が伸びる材料」を見た。彼が「クビ」と絶望した処遇を、私は「日々の出勤があるから」と現実として受け入れた。

彼が「息子、息子」と幻想にすがった最期とき、私は「なぜ自分を脱せないのか」と、彼の孤独を見つめていた。

証拠はすべてここにある。水に沈んだラジコン春の朝グラウンド。網戸の誤認されたパーツ。親戚に言いつけた電話

青森での無為な日々。そして、私の中に残る虚しさと、それでも尚、現実能動的に関わろうとする、かすかな手応え。

子どもはすべて知っている。思う存分にやったことを、一つ一つ覚えている。

私は父の、そして母方の家系の、その「思う存分」の人生の、生きている証明なのだ

この証明書に刻まれ文字は、時に怒りに、時に哀れみに、時に深い虚無に染まる。

だが、それが私という人間の、否定しがたい一部であることも、また事実である

私は、彼らの「不在」の証明であることと引き換えに、少なくとも自分自身の「存在」の証人ではあり続ける。

Permalink |記事への反応(0) | 17:06

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anond:20251204135024

続きをAI弁証法形式で壁打ちしたわ。

その意見テーゼとして、まずアンチテーゼ

共通テスト廃止は、社会公平性破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である

 「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テスト廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である共通テスト廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義メリトクラシー)」から身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。

1.歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義  そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステム民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。  ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査面接独自裁量評価――には、必ず主観恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである

2. 「各大学個別入試」が招く腐敗のリスク  提案者は「各大学自律的選抜」を美化するが、共通テストという統一基準撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。  客観的統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性防波堤」として機能しているのである

3.格差固定化社会崩壊への道  もし共通テスト廃止され、学歴ひいては社会地位が「親の経済力社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級固定化」**の完成である。  貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者努力インセンティブを失い、絶望社会への憎悪へと変わる。  歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動革命によって崩壊する。教育公平性を売り渡して得た予算国防インフラを強化したところで、国民連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。

4.結論トップ研究者の投入は「民主主義コストである  トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。  極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義必要経費保険料)」**と捉えるべきである

 以上の理由から共通テスト廃止は、日本社会を公正な競争社会から前近代的身分社会へと退行させる危険提案であり、到底容認できるものではない。



テーゼアンチテーゼ妥当評価

どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率競争力(A)」を重視するか、「社会公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論対立軸を整理します。

Aの主張:「国家戦略的合理性」の視点

【核心】リソース最適化選択と集中

Aの主張は、経営学的・国家戦略的視点に立っています。「サンクコスト埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度スクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。

妥当性が高い点:

コスト効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員研究者)の負担は甚大であり、これが日本研究力を削いでいるという指摘は、学術からも長年叫ばれている事実です。

機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています

危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的危機管理の観点から説得力があります

Bの主張:「社会契約と正義」の視点

【核心】機会の平等担保と腐敗防止

Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テスト社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています

妥当性が高い点:

人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。

公平性」の定義:テストの内容が良いかいかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き社会の安定)として強力な説得力を持ちます

最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差固定化など)を恐れる層にとって安心感があります

比較結論

この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています

Aの弱点:共通テスト廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化格差拡大を加速させるリスクがあります

Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト研究時間喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論可能です。

どちらがより妥当か?

短期的・実務的な解決を求めるなら A現在日本財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます

長期的・社会構造的な安定を求めるなら B社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます

個人的分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試公平性が崩れた際に失われる「国民勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。

どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験活用、あるいはフランスバカロレアのような形式など)について考えてみますか?



ジンテーゼ

AとBの対立構造を解消し、「研究者負担国家コスト)の軽減」と「入試公平性社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。

現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます

案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化

これは、現在のように大学教員手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカSAT大学進学適性試験)**のような「通年実施ストック型」の試験へ移行するモデルです。

1. 具体的な仕組み

運営主体の変更(教員解放):大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論サイコメトリクス)の専門家専任スタッフ雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます

「一発勝負から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式廃止し、テストセンターコンピュータを使って受験する方式します。

「項目反応理論(IRT)」の導入:問題ごとの難易度識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります

2.メリット(AとBのハイブリッド

【Aの視点コスト負担

研究時間の確保:大学教員が、夏休み隔離や極秘の作問業務から解放され、本来研究教育業務に専念できます

物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷輸送・保管・警備にかかる莫大な物理コストが激減します。

【Bの視点公平性と安定】

公平性の維持: 「全国統一基準」は残るため、大学ごとの恣意的運用裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます

チャンスの拡大: 年に複数回受験可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価可能になります

3.懸念点と対策

初期投資:システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。

思考力」の測定:選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述論述大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。

別案:案D(フランスバカロレア」型)

共通テストを「選抜から資格認定」へ変える

もう一つの方向性は、共通テスト役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。

仕組み:共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます

選抜:難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から独自記述試験面接選抜を行います

効果:テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力担保公平性)は維持されます

結論現代テクノロジー統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソース最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決であると考えられます

Permalink |記事への反応(0) | 14:52

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頭がおかしいので推しにリアコしてしま

中学生高校生思春期のおよそ2年間ほど、既婚者の男性動画投稿者にリアコしてた時期がある。

当時は異性との共演を見るのもしんどくて、当然配偶者の話なんかは聞きたくなくて(幸いなことに動画の中であまり配偶者の話をしないタイプではあった。だからこそ好きになれてしまったのかもしれないけども)、最初はただ面白くて動画を見てたはずなのにいつのまにか辛さの方が増してしまった。

いわゆるアイドル売りをしているようなタイプでもなかった。とはいえコメント欄などでは女性ファンが目に見えて多く、「かわいい」みたいなコメントはなんとなく許容されていたのだけども、そんな中でもリアコ的なコメントをするのは当然非常識みたいな風潮があったし、見えないところならOKという感じでもなかった。少なくとも私はSNSなどでそのような発信をしてる人を一度も見かけたことがなかった。なので私も、コメント欄でもSNSでもそのような発信をしたことは一度もない。現実でも誰かにしたことがなかった。頭がおかし自覚があるから

何がきっかけで離れたのかはあまり覚えてないけど、元々二次元オタクだったし、別の二次元推しが出来たんだった気がする。その推しにもリアコしていた。なんかずっと、現実とそうでないもの区別がついていない。

数年経って、久しぶりにまたその人の動画を見るようになった。もともとは面白さで好きになったから、久しぶりに見てもやっぱり楽しく見れる。たまにちょっとした言動から胸がギュンとして「ああ好きだなあ」って思う瞬間があるけど、それにしても以前より穏やかな気持ちで見れている。気がする。

配偶者について積極的に触れるタイプではないのだけれど、動画の中でその存在が匂わされるとしんどくなってブラウザバックしてしまう。せっかく本人はあまり触れないスタイルなのに、コメント欄憶測で盛り上がってたりするとすごく気分が悪い。そういう人たちのコメントは明らかにメロついてて、動画投稿者を異性として意識しているのが滲んでいるのに、それと「奥さん大事にしてる感が萌える」みたいな感情がどうして両立できているのかが分からない。私はただただ、奥さんの話をされるのが、存在を感じてしまうのが嫌。

配偶者についてあまり触れないタイプだと思ってたのだけど、メンバー限定配信ではよく奥さんの話をしてるらしい。(好きとか言っておいてメンバーにもなっていないのは何っていうのは本当にそう。一番ハマってた時期がお金のない学生のころだったから許してほしい)お互い思い合っていて、理想夫婦らしい。

以前、どこかの掲示板みたいな仄暗い場所で、「子供もいないし離婚しそう」と書かれていたのを、ずっと胸の中に、拠り所として置いていた自分に気づいた。どうやらそんなことは起こらないらしい。すごくショックを受けている。そして、自分醜悪さが恐ろしい。

なんで、会ったことも話したこともない人を好きになれるんだろう。二次元キャラクターなんて、そもそもこの世に存在すらしていない。普通に考えてあまりにも恋愛プロセスから外れている。推しのような絶対に手の届かない人を本気で好きになれてしまう人と、そうでない人の違いってなんなんだろう。

男女問わず推しと付き合いたいとか結婚したいとか、SNSで気軽に発信してる人は普通にいるけど、なんなんだろう。私は自分の頭のおかしさがチラついてしまって、堂々と付き合いたいとか言えない。もしかしたら、付き合いたいとかそういうのは萌え語りにおけるファッション的なもので、本当に恋愛感情として好きって訳じゃないんだろうか。

アイドルみたいに、ファンがリアコすることも想定していて、そういう売り方してくれてたら、楽にそれに乗っかれたのかもしれない。握手会とかチェキとか会えるイベントもないし、スパチャをしたら名前を呼んでくれるみたいなのもない。疑似恋愛すらできない。

なんでそういう売り方をしてないかって言ったら、やっぱり奥さんいるからなんだろうな。あー。

Permalink |記事への反応(1) | 03:37

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2025-12-03

ブラックフライデーでAirPods4を買った

ずっと使っていた古いAirPodsが充電できなくなった後、有線イヤホンでしばらく凌いでいたのだが、いよいよ今回のブラックフライデーAirPods4を購入した。

届くまでワクワクして待ち、届いてからノイズキャンセリング空間オーディオなどの機能ニコニコ試し、良い買い物をしたと満足していたのだが、特別音質などにこだわりがある人間ではないため、AirPods4が当たり前になってしまうと、結局のところ音楽聴くという本質自体は有線イヤホンと変わらないんだよな、別に買わなくても困りはしなかったよなという気持ちになってきた。

自分AirPodsのものウキウキしてたわけじゃなくて、生活必需品ではないし衝動買いするには高いものを買うかどうか悩んで、勇気を出して買い、手元に実物が届いて、新機能を試すというプロセスウキウキしてたんだなあ。通販中毒の人とかも買い物自体楽しいんだろうな。未知が既知になると一気に興醒めししまった。もちろん買って後悔したというわけではないので、たまに有線イヤホンを使って、AirPodsの新鮮さを確かめることにしたいと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 22:16

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anond:20251203215943

旧姓が使えるシーンを広げた『あとで』それでも足りないなら選択夫婦別姓を導入すればいいのでは。2段階のプロセスを踏めば、より安全に事を進められる。

Permalink |記事への反応(0) | 22:11

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Claudeの方が自分より頭いい…😟

DAW使ってたら突然Windowsが落ちて、再起動したら、

最新のアップデートが悪さしたみたいだからアンインストールして、そのアップデートも削除した、みたいなポップアップが右下に出て、

なんか立ち上がったまま消えないcmd.exeがあったり、不安なので色々相談した…😟

色々的確な回答が返ってきたり、終わらないcmd.exe消しても、まあ大した問題ないことが多いです、みたいに言われたので、プロセスは停止した

Windowsまったく分からん、勘でやってる…😟

Permalink |記事への反応(0) | 14:23

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