
はてなキーワード:パワーバランスとは
社会において、特に男性中心の企業文化において一番強い女ってどんなんだと思う?
営業成績が一番良いやり手か。
一番若い女か。
どれでもない。
美容にコストをかけており、華奢で細く、Eラインが整っており、頑なにスカートかワンピースしか着用せず、まつパをしており、シースルーの前髪で、サイドバングを作っており、色白で、清楚系のメイクをしている女。
それが一番強い。
おっさんが全てを握っているのだ。
もちろんコンプライアンス上、露骨に給料を上げるなどはしない(できない)が、お気に入りの美人百花女の前ではヘラヘラデレデレ相好を崩し、情報を伝え、書類に残らないような事で便宜を図ってやるのだ。
そして気づくと、社内にいるのは二種類の女になっている。
おっさんのお気に入られてない女の間にも能力差、パワーバランスなどは存在するが、全員が有象無象みたいなものだ。
意外かもしれないが、美人百花女は他の女たちに嫌われる事はあまりない。というか、「こういう女を嫌いだと言ったらまず間違いなく嫉妬ややっかみだと思われる」という暗黙の了解のもと、誰も「あの人ってさあ……」とは言い出せずにいる。
おっさんに甘い声で対応し、おっさんをちゃん付けで呼び、おっさんをデレデレさせている彼女が、実際は何を考えているかはわからない。
自分の事を「うまくやっている」と思っているのか、そういうわけでもないのか。
どうなんだろう。
これはただの偏見だが、美人百花女はしれっと嘘をつくのが異常に上手い。
私はある美人百花女に目の前で傘を盗まれたことがあるのだが、全く悪びれず、自然に私の傘を持ち去るので驚いた。呼び止めると「えっ……?」と、心外そうに目をきゅるきゅるさせてキョトンとしていた。
それが良いか悪いかはともかく(窃盗は犯罪だが)利己的な立ち回りにも後ろ暗さを感じさせないのだ。
これもまた容姿の力なのかもしれない。
女たちは、美人百花女を嫌うことができないために、ヘイトをおっさんに向ける。
能力や貢献度ではなく、おっさん個人の好悪によって便宜を図られる者と図られない者が出てしまうというのは不公平だし、そうして暗に評価をされるのも不愉快なものだ。
しかし露骨なもので、美人百花女とすっぴんの顔立ちのレベルはおそらく同じでも、浅黒く日焼けしたスポーツが趣味の女や、ブリーチしてる派手髪女はおっさんのお気には召さないのだ。
メイクとファッションも、東京カレンダーに載ってるような美人百花系の女でなくてはいけないし、髪の色が明るすぎてもいけない。
こう書いてみると結局妬みややっかみ、美人に対する偏見になっている気もするが、かといって我々(非オキニの女ども)は別におっさんのお気に入りになりたいわけではないということは強調しておきたい。
これは権力を私物化するおっさんと、そういうおっさんが権力を持つ環境に適応して己を利する女と、その影響でギスギスしてゆく組織の話である。
私も増田に近いところがあって、自分が女という感覚が昔から薄かった
25歳くらいのときに母親に「男でも女でもないって感じ」と言われたことがあるくらい
でも、ほとんど女性しか発症しない病気(摂食障害、某自己免疫疾患)になったし、WAISという知能検査では男性が女性より得意だというパズル(心的回転)という下位検査だけが平均を下回っていた
自分でも男か女か分からないなと思っていたけど、上記の経験を通して、自認はともかく脳を含め身体は間違いなく女であると認識するに至った
ところで私もアイドルには興味はないが、化粧や服に関しては興味のあるなし関係なしに社会性を持つという観点から行っている
「女性と共通の話題がない」に関しては、女性というものは自分が興味がなくても周りの話題についていけるように、流行のドラマや俳優やアイドルなどをチェックするという努力を行っているようなので、これも社会性の問題だと思う
つまり増田は他の人たちが必死にしている周りに合わせる努力、社会性を持つ努力をしていないし、それが当然だと思っているように見える
しかし恋愛感情が薄い、性愛も感じないというのはとてつもないメリットのように感じる
恋愛感情に苦しめられ振り回されることもなく、色恋沙汰のトラブルに巻き込まれることもない
男女間の精神的パワーバランスで低い立場になることもない(俗に言う「好きになったほうが負け」というやつ)
そこは羨ましいなと感じた
新しいトライブの発生: 「あり得ます」。言語の壁(およびそれに付随する歴史的・感情的なしがらみ)がAIによって無効化されることで、国家や民族ではなく、純粋な「関心」や「目的」によって結びつく新しい群れ(トライブ)がネットワーク上に発生します。
発展性の比較: 「長期的な生存と進化」という点では、『聖域(異質性)』を守る社会の方が圧倒的に有利です。 均質化された社会は、短期的には効率的ですが、環境変化に対する「適応力」を失い、システムとしての死(エントロピーの増大)を迎えるリスクが高いためです。
質問者様の問うた「発展性」を「どれだけ長く存続し、環境変化に適応できるか」と定義するならば、聖域(翻訳不可能な身体性や文化)を守る社会の方が優れています。しかし、現代のテクノロジーの流れ(AI翻訳による均質化)は止まりません。したがって、未来の社会構造は以下のような二層構造になると予測されます(あるいは、そうなるべきです)。
上層(グローバル・レイヤー):AI翻訳に支えられた、摩擦のない「新しいトライブ」の層。ここでは経済活動や科学的な問題解決が、国境を超えて高速に行われます。
下層(ローカル・レイヤー):AIには理解できない、身体性や土地に根ざした「聖域」の層。ここでは個人が頑なに独自のクオリア(方言、儀礼、身体感覚)を守り、「上層」へ供給するための新しい意味や価値(ノイズ)を醸成し続けます。
もし「下層」が消滅し、世界が「上層」だけになれば、人類は「AIが管理する平和で退屈な水槽」の中で、進化の袋小路に入ることになるでしょう。
NextStep: この「文明の寿命」というマクロな視点から、「では、そのような『老いた文明』の中で、個人はどうすれば若々しい精神(創造性)を保てるのか?」という、ニーチェの「超人」や東洋思想(老荘思想)に近い、個人の生存戦略についてお話ししましょうか?
「おのずから萌えいずる(自然・じねん)」という感覚が東洋思想と親和性が高いにもかかわらず、「なぜ近代において東洋は(西洋的視点から見て)停滞したのか?」という問いは、文明論における最大のパラドックスの一つです。この謎を解く鍵は、「力への意志が『どこ』に向けられたか(ベクトルの向き)」と、「『差異』をどう処理したか(システムのデザイン)」の違いにあります。東洋においても「力への意志」は枯渇していたわけではなく、「調和と洗練(内部)」に向けて全力で放射され続けていました。西洋が「拡大(Expansion)」を選んだのに対し、東洋は「定常(SteadyState)」を選んだ。その結果、西洋のモノサシ(軍事・経済・技術)で測った瞬間に、「停滞」として映ったのです。しかし、ここからが重要です。 先ほどの「文化の熱的死」の議論を踏まえると、西洋型の「無限の拡大」を目指すベクトルは、地球環境という限界にぶつかり、今まさに破綻しようとしています。ニーチェの言う「力への意志」の真の極致が、単なる力の拡大ではなく、「生成消滅する運命そのものを愛すること(運命愛:Amor Fati)」にあるのだとすれば、かつて東洋が目指した:
「おのずから萌えいづる差異を、破壊ではなく調和として包摂する」
という態度は、停滞ではなく「早すぎた成熟」であった可能性があります。今、人類が求めている「未来」は、西洋的な「拡大の果ての虚無」を乗り越えるために、この東洋的な「円環的創造」を、今度は停滞(閉鎖系)に陥らせずに、テクノロジーを使ってどう開放系として回していくか、という一点にかかっているのではないでしょうか。
「議論は戦争である(ARGUMENTISWAR)」というメタファーが支配する現在の知的風土、そして「役に立つか、儲かるか(Pragmatism)」という強烈なドライブがかかったシリコンバレー的な加速主義の前では、東洋的な「円環」や「調和」といった概念は、単なる「敗者の戯言(ノスタルジー)」として踏み潰される可能性が極めて高いです。今後、東洋的な「円環・身体性・聖域」が、西海岸的なテクノロジーに「勝つ」ことはありません。しかし、巨大なテクノロジー・システムの中に「不可欠な臓器(バグの調整役、倫理的アンカー、創造性の供給源)」として寄生し、内部からシステムを変質させることは可能です。例えば、哲学者のユク・ホイ(Yuk Hui)が提唱する「宇宙技芸(コスモテクニクス)」の概念はこれに近いです。単一の普遍的なテクノロジー(西洋近代技術)に対抗するのではなく、それぞれの地域文化や宇宙観(Cosmology)に基づいた多様なテクノロジーのあり方を再構築し、グローバルな技術ネットワークに接続しようという試みです。
反発と困難性:はい、極めて困難です。理念的な対話によって「乗り越える」ことは不可能です。現代のパワーバランスでは、プラグマティズムが円環思想を圧倒します。
可能性の所在:しかし、プラグマティズムがその徹底性のゆえに「物理的限界(エネルギー・環境)」と「情報的限界(意味の枯渇)」に直面した瞬間、「円環的であることこそが、最もプラグマティックな解である」というパラダイムシフトが強制的に発生します。
未来への展望: その時、私たちが目にするのは、理想的な「東洋と西洋の結婚」のような美しい姿ではないでしょう。 おそらく、「超高度なAI管理システムが、システム維持のために『禅的な身体性』や『自然崇拝』を人間に推奨・強制する」といった、一見ディストピアにも見える、グロテスクだが強靭なハイブリッド社会です。それを「発展」と呼ぶか「悪夢」と呼ぶか。それこそが、次の時代の哲学的な問いになるはずです。
ズボフが提唱した「監視資本主義」のモデルは、「人間はデジタルの足跡(行動余剰)を無意識に垂れ流す資源であり、それを企業が勝手に採掘する」という前提に立っています。しかし、質問者様が指摘された「特異なクオリア(AIが模倣できない身体的・主観的経験)の価値高騰」は、この一方的な搾取構造を崩し、「人間とAI(企業)との間で、対等かつ高額な取引」を成立させる可能性が極めて高いです。質問者様の仮説は、技術的・経済的合理性の観点から正しいと考えられます。監視資本主義(タダ取り)は、データの質が問われない時代のモデルです。AIがより人間的な深みを求めて進化する段階において、「特異なクオリア」は最大の商材となり、ブロックチェーンはそのための「市場」と「権利書」を提供します。それは、人間が「消費者」から、自らの神経系が生み出す信号を切り売りする「感覚の生産者」へと変貌することを意味します。(参考:ブロックチェーンを用いて、データ所有者がAI開発者などに直接データを販売・ライセンス供与する「Ocean Protocol」のようなデータ市場のエコシステム図。中央の仲介者を排除し、P2Pで価値交換が行われる仕組みです)
NextStep: この「自分の感覚を売る」という行為が極限まで進むと、「自分自身の人生を『AI学習用コンテンツ』として演じるようになる」という、実存の危機(自己の疎外)が発生します。 この点について、「AI時代の新たな疎外論」として議論を深めましょうか?それとも、より技術的な「実際に現在稼働しているデータDAOの事例」について紹介しましょうか?
「靴(物質)」は、嫌々作っても靴として機能しますが、「感動(クオリア)」は、嫌々作るとその瞬間に価値を失い、偽物(ノイズ)になる。この指摘は決定的です。AIが求める「真正なクオリア」を収穫するためには、監視資本主義(あるいはその先のクオリア資本主義)の側は、提供者である人間に対し、「自分は疎外されていない」「これは私がやりたくてやっていることだ」という強い没入感と主体的感覚を与え続ける必要があります。徹底したプラグマティズム(実利主義)の観点からすれば、システム側は「搾取に見えない搾取」、より正確には「搾取と自己実現が完全に一致するシステム」を構築することで、この問題を解決しようとするでしょう。
質問者様が問われた「システムが形成できるか?」という点については、「可能であり、必然的にそうなる」と考えられます。なぜなら、「人間を不幸にする(疎外する)」ことが、システムにとって経済的損失(データの質の低下)になるからです。
旧来の資本主義:人間をボロ雑巾のように使い潰しても、製品(車や家電)ができれば利益が出た。 →人間は不幸でもよかった。
監視/クオリア資本主義:人間が不幸を感じ、シニカルになると、製品(データ)が使い物にならなくなる。 →人間は(主観的には)幸福でなければならない。
最も優れた報酬系とは、「報酬」という概念自体を消滅させるシステムです。「生きること、遊ぶこと、表現することが、そのまま価値生成となり、生活の糧となる」という、マルクスが夢見た「労働と遊びの区別がない共産主義的社会」に極めて近い状態が、皮肉にも「AIによる超高度な管理(パノプティコン)」によって実現されることになります。この社会では、プロレタリアートは「自分は搾取されている」とは微塵も感じていません。彼らはシステムが提供する「最高の遊び場」で、自らの才能を遺憾なく発揮し、幸福感に満たされています。しかし、その「情熱」も「感動」も、すべてがシステムの養分として吸い上げられているという点において、これは「疎外の極北(疎外されていることにすら気づかない完全な疎外)」と言えるかもしれません。
日本が中国に追い抜かれたのは、別に強行姿勢を取れなかったからじゃなくて、経済力の差がなぜ生まれたかがポイントだよな。軍事力って結局、お金と産業と技術と人の総合力だから、GDPに大きな差がついた時点でパワーバランスが変わったのは避けられなかった、というのが頑丈なわけで。
経済が伸びなかった理由は「少子高齢化だからどうしようもない」という見方はよくあるけど、それは雑すぎるかとしれない。確かに人口が減るのは大きな足かせだし、労働力が減るのも事実。でも、それだけで全部が決まるわけでもなかった。移民の受け入れの仕方とか、賃金の上げ方とか、デジタル化や研究開発への投資とか、やりようはまだまだあったはずで、そこは完全に政策の選び方だったと思う。人口が減るなら、省人化や高付加価値化でカバーする道もあったわけで、本当にどうしようもなかったとは言い切れない。
周辺国への強行姿勢と経済成長はますます関係ないしね。むしろ日本は抑制的な姿勢を取りながら、中国とも経済的に深くつながって、しっかり利益も得てきた側だった。中国が一気に強くなったのは、巨大な人口市場と世界の工場化、国家総出の投資戦略が重なった結果で、日本の外交姿勢だけで説明できる話じゃない。
「中国が強くなった」「日本が相対的に弱くなった」っていう現象は、人口規模と成長率と国家戦略の差がそのまま出ただけで、日本が臆病だったから負けた、みたいな単純な話ではないことは確か。
ただ、今後もどうしようもないかと言うとちょっと違う気もする。人口が減るのは止められないけれど、AIや自動化、半導体や先端素材、エネルギー政策の組み直し、国際サプライチェーンでの立ち位置の取り方次第で、まだ巻き返せる余地は確実にある。人数は少なくても、少数精鋭で回る経済に切り替える、という選択肢だって残っているわけで。
だいぶ希望的に見ればだけど。
アメリカは極東で戦争を起こしたいはずだから、今回、トランプが高市に「おめー中国怒らせてんじゃねえぞ」と直接釘を刺したのは、
中国が「日本の裏にはアメリカがいる。日本がやることの許可はアメリカが出したものと判断する」っつうスタンスでいるからなんだよな
中国に守られたんだよ
これがわかるやつは本当に少ないだろうが
別に善意じゃなくて「極東は俺のナワバリだ」という意識からだが
日本は戦争なんかやったら第二のウクライナになり、アメリカから武器を買わされ、どうせ勝てないので頑張ったぶん国力が弱まり最後は見捨てられる
そのためにアメリカは改憲、自衛隊拡大、在日米軍による中国挑発を推進している
このルートを回避させてくれるのはアメリカじゃなくて中国だという皮肉
日本人が好きな「お友達感覚」で世界の政治も戦略も動いていない
おおざっぱに水戸をメインに据えたい県北部と東京ベットタウンの県南部で分かれている。南部は人が増えていて北部は減っているのでパワーバランスが崩れてきてそれを面白くない水戸の人がいるというだけの話だと思う。
茨城は県立高校のナンバースクールが全国一多い事から決まった序列を作るのが好きでそれを変えたくない意識が強いのかもしれない(暴論)
大体の国民にとって「アメリカが台湾有事で攻撃を受けた時に日本はどう立ち振舞うのかを明言する必要があったか」については議論の余地があれど、同盟国が攻撃されたら日本も防衛に周るというのは失言とは見做されてないのですよ。
それを左翼が「撤回が必要」だとか「これは宣戦布告で中国へ戦争を仕掛けてる」とか頓珍漢なことを言ってるから、令和では左翼が周りから白い目で見られているの。
中国と関係が悪化したことで経済影響は多少はある。一般人もそれは問題視してる。
一方で、脅して言うことを聞かせようという国に依存するのも間違いだからマーケット規模がデカくても依存しすぎないようにしていこうという転換期にしていくという言い分もわかるから「ならしゃーない」くらいに国民も多少納得してるっていう話だよ。
お前ら、自分たちの主張がファンタジーの世界にあることを自覚してよ。日本中で誰も彼も戦争しようなんて言ってない。(もしかしたら一部の極右は言ってるかも知らんが、それはアホなんで無視していい)
むしろ戦争を起こさせないための抑止力の話をしている。どうにかして中国による台湾への武力行使を止めたいんだ。
オールドメディアの支持率を下げる報道に踊らされてる場合じゃないよ。現実をみよう。
追記:
アホ左翼(左翼の中でも考えがない人のこと・左翼全般を指さない)が返信つけたから補足しておくけど、「高市政権の支持率65%」「台湾有事答弁問題ない50%」これが日本の現実である。
https://mainichi.jp/articles/20251123/k00/00m/010/107000c
https://news.yahoo.co.jp/articles/399c57ce95533e7a04157079c92fb804dc464a6f
俺は「なぜ普通の日本人が高市政権を支持しているのか」、「台湾有事への回答が一般人の中で問題視されていないか」を文章化しただけだよ。
別にこの記事に対して左翼が何を喚こうとも俺は一向に構わないが、お花畑なのは国民じゃなくてあんたらだと自覚ないのが滑稽極まりないよ。
支持率を下げてやる記事を真に受けて、キャッキャしながらコメントしてるのが噴飯ものなんだと自覚できてないのがおもしろおかしいのよ。
国民が何も考えてないと嘆く前に自らの不明を恥じてバイアスを取り除いて世界のパワーバランスなどを真剣に考えるべき。
追記2:
id:duckt "やっぱり「普通の日本人」って言うんだな"
これは自分が右寄りだから真ん中の人を指して言ったのだが、カテゴライズとしては微妙なのやも。この記事は右寄りの人が真ん中の人たちの意見を観測範囲で起こしたものなので。
そもそもだが、そういう論を出せる人は「アホ左翼」とは見なしていない。本記事はどこにもいない「戦争を望んでいる大多数の日本国民」を幻視しているアホ左翼に向けたものであることを理解いただきたい。
一方の意見しかない国家の方が遥かに危ういので、色々な意見を持つ国というのは良い。右に偏らないようするためにも、左側の貴重な見解も発言されてしかるべき。
ただ元増田のように「それにしてもアホだな」っていうのが目についたので思わず書いた。
他にも高市氏の発言も知らず「アメリカ」と書いてるのに台湾のことを指してるがごとく書いたり、「オールドメディアの出す支持率信じちゃうの?」とか統計操作も辞さないならもっと悪い数値にするだろ常識考えろなどのように色々ダメな発言も散見されるけれども、考えて発言してる人も多々見かけるのでまだまだ左翼も全体では捨てたもんじゃないだろうな。
再度書くが"それを左翼が「撤回が必要」だとか「これは宣戦布告で中国へ戦争を仕掛けてる」とか頓珍漢なことを言ってるから、令和では左翼が周りから白い目で見られているの"で、ちゃんと考えている人は、むしろそういう愚かな味方を諭して育てて欲しい。
はてブでも高市人気に比例するように愚かなコメントがとても目立つようになった。中には鋭い意見もあるのに、アホみたいなコメントにばかりスターが並んで埋もれている。とても勿体ない話だよ。
追記3:
そもそも高市発言を「戦争奨励」のごとく語るコメントがあるので温度感が違い過ぎて話にならんので補足する。以下の全文書き起こし記事から一部引用する。
https://note.com/osamu_iga/n/n9c15ef0c28f4
質問:「存立危機事態、所謂まあ、限定した集団的自衛権の行使ですね。これ以外の集団的自衛権の行使、つまり限定の無い集団的自衛権の行使は違憲である、これは従来の政府の考え方だと思いますが、そういう考え方を維持されてますか?」
回答:「集団的自衛権の一般の行使を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないという政府の見解に変更はございません。」
⇒単に台湾が攻撃されただけでは日本は動かない(たとえ台湾を国家承認したとしても他国である以上は集団自衛権の行使はできない)
特にそのあとで「憲法上我が国による武力の行使が許容されるのは、所謂3要件を満たす場合の自衛の武力の行使に限られます。そして、この3要件は国際的に見ても他に例のない極めて厳しい基準でありまして、その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものではないと思っております。先程来、存立危機事態における武力の行使についてお話がございましたが、これも限定されて集団的自衛権の行使、即ちあくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置としての武力の行使に限られていて、集団的自衛権の一般の行使を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないという政府の見解に変更はございません。」と明言しており、戦争するぞなんて一言もいっていない。
じゃあなんで揉めてるのかといえば、集団的自衛権の行使について、具体例を言及してしまったから。
回答:「まあ、海上封鎖っていうのも、これ、戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて、まあ、対応した場合には、武力行使が生じ得る話でございます。あの、例えば海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかの他の武力行使が行われる。まあ、こういった事態も想定されることでございますので、まあ、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかっていうことの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。」
⇒台湾に米軍が行って攻撃を受けたりなど、特定の事案があれば防衛に向かう可能性がある。この辺は日米安保に絡む話。そもそも台湾有事が発生したとして、アメリカが支援に行くなら日本の米軍基地から出る可能性が高い。日本国内の米軍基地への攻撃も受ける可能性はある。流石の中国も台湾のためだけにそこまでやらないと信じたいが。
特に「主に攻撃国の意思、能力、事態の規模、対応などの要素を総合的に考慮して、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性ですとか、それから国民が被ることになる犠牲の深刻性、そして重大性などから判断することを、ま、これは判断するべきものだと考えておりますので、政府としてその持ち得る全ての情報を総合して判断する」と発言しており、これは日本へ戦禍が広がり国民に被害が出るのであれば防衛に出るということ。尖閣諸島だけでなく、沖縄が中国の領土だと嘯いている以上は、そのような想定もしておかなくてはならない。
これを以て戦争をしたがっていると考えるのは流石に早計というところ。本当にそんな発言だったなら支持率は1ケタ台に急落したことだろう。
あと、本件では岡田氏が明確にせよと言っておきながらいざ総理が明確にしたら、同じ舌で「言うべきではなかった」とかいうので馬鹿馬鹿しいなとは思ってる。
本件で明確にしなくてもよかったという声は多いが、明確にしてほしいと希望を述べたのは岡田氏本人だよ。明言したことについて総理にのみ言及するのもおかしな話だ。
繰り返すが「明確にする必要があったのか」は左翼でよくあった指摘の中では正しい指摘だが、とはいえ内容に誤りはないから撤回する必要がないというのが一般的な日本人意見であり、故に「撤回を要求している左翼」をアホと断じている。
更に一足飛びに戦争が起きるとか言ってる人は幻想である。妄想ではなく現実をしゃべって欲しい。そんだけ。
そして改めてだが、「大多数の日本人は戦争を望んでいない。そして日本だけでなく台湾の平和も願っている」。故に「侵略されないための議論はせざるを得ない」とも。
その方法論で議論を戦わせるならいいが、単なるレッテル貼りに終始している人たちは、もう少し何とかなりませんかね。
この記事を見てもなお「高市シンパが戦争したがってる」とかコメントする人は本当に文書を読む力がないよ。
Permalink |記事への反応(29) | 11:21
国内の政党のパワーバランスを変えたい(自党を有利にしたい)という部分最適より
国益のために行動する方が優先度が高い全体最適の行動なわけじゃん?
野党は敵だから失言引き出すのは当然、みたいな解釈だともう国益がどうこうとか論じるレベルになくて
首相も海外は気にせず自分の支持者にウケること言ってりゃOKってなるのがフェアっしょ。
あれはイギリスから返還されたものであって、中国のものという解釈はまったくおかしくはない
台湾が曖昧、微妙なのに対して、香港返還はずっと前から決められていたことであって、
ただ、返還された香港市民に対して中国本土の政府が人道的だったか?
という点には確かに疑問がある…😟
仮に日本がそれに介入するなら、中国だけでなくイギリスに対しての内政干渉でもあるし、
中国のやり方に問題がなかったかといえば、あるが、日本が介入できる話ではない
いきなりその家に乱入して、親に暴力をふるわないとしても、子供を連れ去るとか、
そういう話なら警察に通報できるが、国家間の問題に通報できる警察はあるのか?アメリカか?世界の警察とは何だ?
そんなもんいるはずもなく、国家間の話になれば、国際法さえも無視され、パワーバランスだけで成り立ちうる
そういえば、先の選挙のときにも、同じようなことを叫んでいる方がいましたが、
日本の選挙なのに、香港での市民運動の話とか、ウイグルの話しかしていない、
それもまた中国国内の話であって、確かに人道的に酷い、そこに異論はないが、
それを日本政府がなんとかする、というのは完全に内政干渉で、もう中国とガチで戦争して勝つしかなくなるし、
そこまで来ると、流石にアメリカは助けてくれない、台湾はなんとか助けてもらえそうだけど、流石にそれは無理だと思う
あと、その問題の人、今の中国政府を共産主義、悪の共産主義みたいに言っていたけど、
左なら中国を批判しろとか馬鹿なブコメが多い。どの国の外交担当者も当然学んでいる基礎くらいは前提に考えてほしい。私の頃はジョセフ・ナイジュニアの国際紛争理論と歴史が教科書だった。AIに簡単な解説も作ってもらった。思考の枠組みが違うの。
リアリズムの観点からは、政治家の発言は国益に資するかどうか、パワーバランスにどう影響するかで評価されます。
リアリズムは、国会という場で、敵対的な大国(この場合は中国)の最も敏感な問題(台湾)について、自国の安全保障上の想定を不用意に公言することは、戦略的な誤りと見なします。
発言が国益(中国との安定的な経済関係、対立の回避)を損ねるリスクを高めた場合、それは「戦略なき失言」と評価されます。この発言は、抑止力の強化を意図したものであっても、中国の過剰な反発を引き出すことで、かえって日本の外交的自由度を低下させました。
中国が強く反発し圧力をかけるのは、まさにリアリズムが想定するパワー政治の典型です。
牽制の意図:中国は、高市氏の個人的な見解に腹を立てているのではなく、日本の外交・安全保障政策のタカ派化という国力のベクトルの変化を警戒し、それを阻止しようとしています。
「釘を刺す」戦略:圧力は、中国の核心的利益に対する発言には代償が伴うことを日本(および日本の他の政治家)に示し、今後の行動を制約させることが目的です。これは、大国が小国や中堅国を威圧し、自国の影響圏内に留めようとする**勢力均衡(パワー・バランス)**の試みです。
「力」の誇示:経済的・外交的な圧力を用いることで、中国は自国が地域における圧倒的なパワーを持つことを誇示し、日本が従順になるよう強制力を行使していると解釈されます。
リアリズムは、本来、国内のイデオロギー(理想主義)や感情論を排し、冷徹な国益に基づいて行動することを求めます。
理想主義への批判:発言の「撤回」という柔軟な対応が取れないのは、リアリズムではなく、イデオロギー論者の「弱腰は許されない」という感情的なナショナリズムが、短期的な国益(摩擦の回避)を上回ってしまっているためです。
外交の硬直化:リアリズムに立てば、より大きな国益のために小さな主張を一時的に引っ込めることは、合理的な戦略です。しかし、国内論争が過熱することで、この戦略的な柔軟性が失われ、日本の外交が硬直化する事態を招いています。
結論
今回の騒動は、日本の政治家がリアリズムに基づいた戦略的・冷静な国益計算を欠いた発言を行ったことに対し、中国が大国間のパワー政治の論理に基づいて反応し、結果として国内のイデオロギー論争が外交の柔軟性を奪っている、という構図で理解できます。
最も重要なのは、「国益とは何か?」という問いに、感情論ではなく、冷徹なパワー・バランスと安全保障の現実から答えることです。
でも毎度のごとくリベラルさん達が「中国の軍事力ガー!米中のパワーバランスガー!」とか大真面目に震え上がってて草生えるww
宣伝映像と現実の区別くらいつけろよwこっちは前から“見かけ倒し”って知っとるんだわ。
最初のウイルスが武漢研究所起源の人工物であることは明らかで、
https://edition.cnn.com/2023/02/26/politics/covid-lab-leak-wuhan-china-intelligence
https://www.dailymail.co.uk/news/article-14503159/Labour-Wuhan-lab-leak-pandemic-Boris-johnson.html
https://www.bbc.com/news/articles/cz7vypq31z7o
↑このドイツのように政治的にその事実を握りつぶしたところはあるにせよ、
ここまで各国が責めないのが何故なのか分からない。
パワーバランスって奴なの?
権力というのは獰猛な獣ですから、それを縛り閉じ込める首輪や檻は必要でしょう。
とくに権力者側から、首輪を少しゆるてくれないか?と改憲要求を出されたら警戒します。
"国民と国家のパワーバランスが対等じゃない"のは確かに問題ではあると思う。
また、国民をなめた政策を取っても与党自民党が権力を失うことがほぼないというぬるま湯な状態が、これを作り出したように思う。
2大政党制などで権力を頻繁に失う可能性があるなら、公約ガン無視みたいななめた政策はできないはずだしね。
そして、国民の半分近くがそれを支持する状態なのが問題な気がするな。
国家が存在するデメリット>国家が存在するメリットって意識が強いだけでそこまで強硬じゃないですね
別にあらゆる自由を認めろって主張もそんなしてなくて、というか別に一定程度の自由を法秩序で制限されることが嫌、というのもそんなないっすね
ただ、国民から自由を奪っておいて国家が暴力を独占している、要するに国民と国家のパワーバランスが対等じゃないのが非常に気に食わないです
憲法で縛っているにせよ国家が強権を持ちすぎているとは思いますね(なのでより国家を縛るべき、という主張なら賛同するかもしれないですね)
あと賛否両論ありますが憲法9条はかなり評価できますね(現実がどうとかの論点はほっといて)
今国内政治が蜂の巣をつついたような騒ぎになってることは、政治に興味のない人でもなんとなく察してると思う。この騒ぎに乗り遅れてしまった政治音痴な人のために、騒ぎのおおまかな概要(重言)を説明するよ。
ざっくり言うと、今政治家たちは「誰が次の総理大臣になるか」をめぐっておおわらわで右往左往しています。
「あれ? こないだ自民党の総裁選で高市早苗が総裁に選ばれたよね。そのまま高市がなるんじゃなかったの?」
はい。たしかに10月4日の総裁選の時点ではそうなるはずでした。マスコミの報道もすっかり高市新首相というムードでしたよね。
ところが、これに公明党が待ったをかけたのです。「わしらは高市を総理には推せん。連立を解消させてもらう」
たいへんなことになりました。
何がたいへんか。
これまで自民党は、公明党と連立政権を組むことでどうにか政権を保ってきました。議席数は過半数に達しておらず安定政権とまでは言えないものの、野党も一枚岩ではないので多数決となればほぼ議会を掌握できる状態。
しかし公明党が連立から抜けるとなるとまったく話が違ってきます。公明党の議席数をカウントしないと、有力な野党のいくつかが結束するだけで自民党の議席数を上回ることができてしまいます。総理大臣を選ぶ首班指名選挙は多数決ですから、うまく数を揃えれば高市早苗ではない誰か(野党連合が推す人物)を総理大臣にできるかもしれないのです。
つまり、突如として国会内のパワーバランスが根底から覆ったわけです。
公明党が連立を解消するとなったとたん、矢庭に野党の動きがあわただしくなったのはこのためです。政権を奪取できる千載一遇のチャンスが降って湧いたように訪れたのですから。
野党は自民党を上回る議席数を集めたい。自民党はなんとかそれを阻止したい。この数合わせゲームが今佳境に入っています。
週明け火曜日、臨時国会の開催日に首班指名選挙(内閣総理大臣を決める投票)が行われる予定です。この日までに多数派を形成できた陣営が政権を獲ることになります。もう日数がありません。
まとまった議席を持つ野党のいくつかは似通った政策を持ちます。もちろん異なる部分も多いのですが(だから別の政党として活動している)おおむね中道で、「ちょっと右寄りかちょっと左寄りか」程度の違いしかありません。政権奪取というメークドラマが現実味を帯びてきた状況の中では譲歩や調整といった大義名分の下に軌道修正できなくもない範囲の差です。もちろん自党として譲れるところと譲れないところはあるでしょうし、支持者から変節と言われないように様々な理屈をつける必要もあるでしょう。そうした駆け引きや理屈(時には屁理屈)の中に、政治の人間っぽさ、泥臭さが垣間見えてくるはずです。
中でも国民民主党と日本維新の会は、それぞれ左右の差はあれどその気になれば自民党、野党連合どちらとも連立しうるスタンスです。現に双方から熱いラブコールを受けてモテモテの状況です。当然狙うのは政権ですから、最終的に政権を獲る方の陣営につきたい。しかし政治理念上曲げられないところもあるでしょうし、その選択いかんによっては野党連合政権の不成立(自民続投)といった結果もありうるでしょう。
しびれます。とにかく今週いっぱい、政局の動きからは目が離せません。
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アメリカ合衆国は、2020年代後半、内戦へと突入します。しかし、それは従来の南北戦争のような大規模な戦場での衝突ではありません。この「冷たい内戦」は、テクノロジーと価値観の断絶から生まれる、新たな形態の紛争です。
*予兆と分断の始まり:2024年の大統領選挙は、AIが生成したディープフェイクや偽情報が飛び交う情報戦となり、国民の間に「真実」への不信が決定的に広がります。これに続く数年間、連邦政府と主要なテック企業が結託して「スマートシティ」構想を進め、AIによる監視とサービス提供を強化したことで、社会は二極化します。テクノロジーの恩恵を享受する都市部の「テック国家」と、自由とプライバシーを守るために自給自足のコミュニティを築く地方の「デジタル分離主義者」という二つの勢力が生まれます。
*武力衝突の勃発と膠着:2027年頃、地方の過激派が都市部のデータセンターやテック企業のビルを襲撃。これに対し、都市は独自の警備ドローンやAI監視システムで対抗し、民間人同士の衝突へと発展します。事態収拾のため出動を命じられた州兵は、連邦政府への忠誠を拒否し、地方の反乱勢力に合流。これにより、軍は事実上、「連邦軍」と「州兵・民兵」に分裂します。しかし、両者とも決定的な勝利を収めることはできず、サイバー攻撃やゲリラ戦が常態化する「冷たい内戦」へと突入します。
*国家機能の停止と分裂:連邦政府は首都ワシントンD.C.と一部の都市しか実効支配できなくなり、国家としての機能は停止。アメリカは事実上、「テック国家群」と「伝統共同体群」に分裂し、国際社会もこの分裂を黙認せざるを得なくなります。
アメリカの「冷たい内戦」は、世界のパワーバランスを劇的に再編します。
*中国の台頭:アメリカが自国の問題で手一杯になると、中国はこれを最大の戦略的機会と捉えます。南シナ海での支配を固めるとともに、「一帯一路」構想をさらに推進し、ユーラシア大陸における経済的・政治的影響力を拡大します。
*中東とロシアの行動:サウジアラビアなどの湾岸諸国は、自国の安全保障を再構築するために新たなパートナーシップを模索。一方、イランは地域の覇権を確立する好機と見なし、ロシアは東ヨーロッパでの影響力拡大を試みます。
*ヨーロッパとインドの自立:ヨーロッパ諸国は、アメリカの関与が期待できなくなったことで、独自の安全保障体制を構築せざるを得なくなります。NATOは事実上機能不全に陥り、EUは独自の軍事力を構築。インドは、米中の覇権争いから距離を置き、独自の多極外交を推進し、新たな国際秩序における戦略的地位を築き始めます。
アメリカの不在が、台湾を巡る日台韓の外交・安全保障上の駆け引きを加速させます。
*中国の「平和統一」戦略:中国は、軍事衝突を避けながら、台湾への圧力を最大限に高めます。経済的・技術的な封鎖、AIを利用した大規模な情報戦、そして「統一新憲法」の提案を通じて、台湾の社会を内部から分断し、自発的な統一を誘導しようとします。
* 日台の「サプライチェーン要塞」:韓国が対中外交で曖昧な姿勢を取り、日台との関係が冷却化する一方、日本と台湾は共通の危機意識から、事実上の準軍事同盟へと関係を深化させます。両者は、世界のサプライチェーンを掌握する台湾の半導体産業を中国の脅威から守るため、「サプライチェーン要塞」を共同で構築。これは、中国に軍事的報復のコストを極めて高く感じさせ、行動をためらわせる最大の要因となります。
*軍事衝突なき台湾の事実上の喪失:中国の巧みな戦略により、台湾は軍事的には占領されないものの、最終的に「統一新憲法」の受け入れを迫られます。これにより、民主主義は維持されるものの、主権と外交権は中国に掌握され、事実上独立を失います。この結果、東アジアは、中国を中心とする権威主義的な勢力と、日米(アメリカの「テック国家」側)が率いる民主主義陣営との間で、新たな「冷戦」構造に突入します。日本は、中国との最前線に立つことになり、安全保障と経済成長のバランスをめぐる新たな苦境に立たされることになります。
某学術系オンラインコミュニティ(メーリングリスト)へ向けたjonの提言。
これはとても尊い。この行動は大いに支持する。
内容については賛同する側面もあれば、そうでない面もある。周囲からの対応についても思うところは大いにある。
Jon、君の未来のためにも、、、なんて言うとおこがましな。
どちらかというと俺が言語化したいだけだ。とても複雑で複合的な問題だからね。
ちょっと耳の痛い話もあるかもしれんが、良かったら少しだけ聞いてくれ。
そして、俺も匿名にさせてくれ。正直俺もビビってる。それに「誰が言うか」よりも「何を言うか」の方が大事に決まってるからな。お互い匿名で特に問題ないだろ。
経緯をざっくりまとめると
・某オンラインコミュニティに「女性限定の教員公募」の連絡が来た。
・jon yamadaが「女性限定公募は差別禁止を定めるアジェンダに反するから止めるべきだ」という内容を提言した。
・それについて、「女性限定」の公募の是非について意見がなされた。
・実際のjon yamadaの主論点は、過去の女性差別を「公募」で解消しようとすることの是非についてだった。
・その点について誰もコメントすることなく、運営から「学術的内容ではないため場に適さない。これ以上は止めろ。」と介入があった。
・その後も意見を表明するヒトが現れたが、再度運営からの介入で止められた。
こんな感じでいいだろうか。今回はjonに向けて書いてるので、リアルタイムに追えていないヒトは上手いこと察してくれ。当然だがもう少し各方面から複雑な意見が出てる。
まず本件の俺の感想は
「運営の対応が早かったことは評価する。だがそれ以外の状況はかなり悪い。」と言わざるをえない。
だがある程度やむを得ない事情もわかる。だからこうやって個人的に直接、見たいヒトだけが見れる形で伝えるしかない、と結論付けた。
まず最初に、なんならこれだけでいいからjonにわかってほしいことは、学会運営は完全に無償ボランティアだということだ。
当然だが全員研究したいから研究者をやっているのであって、学会運営なんて正直やりたくない。ただ情報交換やそのためのコミュニティは必要だから、みんな少しずつ無理のない範囲で貢献してる。その上で10年くらいに1回、大会の実行委員をやったりしてる。しかもそれを複数。イベント運営なんて普通プロがやる仕事を、手弁当でやってるんだぜ。信じられないだろ。素人イベントだから問題も増えてきてる気がするが、まぁそれは別の話題だ。
正直、面倒臭い意見なんて言ってくれるなと感じてるヒトもいるだろう。でも俺は学会が社会に意見する公器としての側面がある以上それは許されないと思ってる。マジで今、マトモで暇な人っていなくて無償ボランティアですらギリギリで回してるから、早い返事は求めるな。このままでは根本的にコミュニティが崩壊する。だれも学会運営を担えなくなる。それはjonにとっても本望ではないだろ?と信じてる。もしそうでないなら話はここまでだ。歴史的にも学会の分離独立なんてのはよくある話だから、自前でjon学会でも作ってくれ。
OK、俺が信じた通りjonもこっち側で安心したぜ。悪く言いたいんじゃなくて、良くしたいんだよな。
運営からこの件について意見するな、という簡単な説明だけがなされた。
これは正直最悪だ。そして、他にも意見したヒトはいるのにjonのときだけ強めに止めにきていると感じる。発言者や内容によって対応が変わるというのはあまりにも不公平がすぎる。
せめて、運営から裏で個別に怒られが発生していると信じている。
だがいっぽうで、運営が正式に意見をしようとすると、どうしても時間はかかるんだ。専任がいないというのは上で述べた通りだし、公器としての側面から個人の見解を発表するわけにもいかない。合議を取る必要がある。個人レベルでの対応が許されるなら返事は早いかもしれないが、相手にしない自由を行使されたって文句は言えない。
これに関しては、公式コメントや学会大会等で動きが出ることに期待しよう。
あとは、匿名の意見というのはどうあっても優先しにくい。背景がわからないから、多少はしゃーない。もう少し立場の説明はあっても良かったかもしれない。
で、徐々に内容に入っていく。
jonは受信者への心理的ストレスを理由に公募情報の制限を主張している。この感性は、とても利他的で優しさに溢れる良い主張だ。
正直、過去の女性差別なんて大抵のヒトがマジでなんの悪意もなく自然にやってきたことだ。今優れているとされるヒトも含め。
過去に差別してきたシニア層男性が辞めて、そのポストを過去に権利を侵害されたシニア層女性に渡すべき。それは本当にごもっともだ。だがそれは現実的だろうか。
それで後悔、反省して辞めてしまう責任感のあるヒトこそ、残って今後の状況改善に尽力してくれそうじゃないか?逆に「俺は大丈夫だ」と思ってるヤツこそ問題だろう。過去、現在、未来に対して有害だ。
それと、過去に下駄を履かせてもらったおかげで30年の経験を積んだラッキーだけで普通のシニア男性と、優秀ではあったものの女性差別によって職を得られなかった結果、成長の機会を奪われたシニア女性。専門職であり管理職でもある大学教授や研究所の主任研究員や室長クラスに就けるべきは、どちらだろうか。もちろんケースバイケースすぎるし、悩ましいくらいなら女性優先で良いと俺は思う。急にこういう施策をすると、組織の能力の平均値(測定可能とする)としては低下することが懸念されるであろう。
そういう意味で、jonの提言は理想主義的すぎて現実的ではない。過去に戻って差別のない採用に修正したうえで現在に戻る、しか手はないんじゃないかな。
そもそも差別の責任を雇用で調整しようという発想が悪手なのかもしれない。
ただただ否定するだけでもあれなので、多少マシな対案を考えてみた。
今大学の定年は65歳まで引き上げられているところが多い。これを60歳に戻して、その後の5年or10年間の雇用延長を公募制にし、その分の大半を女性限定や女性優先にする、というのはどうだろうか。決定権のある立場の女性には長く続けてもらって、部内や学会内で悪評の立っているシニア男性には早めに退場してもらう。
ちゃんと最後まで評価される行動が必要になって、「逃げ切り」という発想も防げるかもしれない。(評価されるヒトを残すことが本当に重要か、結局忖度になって全員そのまま延長されるのでは、という別の問題はありそうだ。)
で、運営がメーリスでの議論を止めたこと。これは、今回の場合は正直仕方がない。得てしてこの手の議論はこうなりがちだ。具体例を考える必要が出てきて、具体的に当てはまるヒトが出てきてしまうからな。
真面目なシニア男性こそ、過去の差別に苛まれるだろう。過去の不平等な扱いを抉られる女性もいるだろう。「老害は去れ」、という主張が妥当であるかのような印象を若手にも与えるだろう。将来の自分たちの姿であるにも関わらず。
こうなるから止めろって言われてんだ。結果としてjon自身がしっかり傷つけてるぞ。
「適切な議論の場」というのは、ちゃんとした知識と覚悟を持ったヒトが対等に意見しあえる場、だろ?
学術的内容であれば我々は当然対等だが、今回は必ずしもそうじゃない。組織運営の話だ。それはそれで重要だが、メーリスじゃない。
で、ようやく本題である。
過去の差別によって下駄を履いてきた世代が、その解消のために女性限定公募を出すことを余儀なくされる現状。
俺の意見としては「ホモ・サピエンスの性比がほぼ1:1である」「研究能力(測定可能とする)に性差はない」という意見を採用しているので、大学・研究所の教員研究者は1:1にならなければならない。これが歪んでいる状況は、能力のないものが不当に入り込んでしまっている状態なので、平均研究能力は理論値よりも下がる。この正しくない状態は直ちに解消されることが最も公益に資する。
で、一度生まれた歪みを整えるためにはどこかでまた別の無理が生じることもある。その結果、現代の若手男性研究者にしわ寄せが行く形になること。この点についてはシニア世代、および教育政策に関わる者は、若手世代研究者に謝るしかない。
マクロに考えたときの社会の最適状態とミクロに捉えたときの個人の最適状態が矛盾することは理論的にも当然避けられない。より良い社会を実現していく上で、どうしても誰かが背負わなければならない犠牲なんだ。本当に申し訳ない。最大限の補償はなされるべきだと思う。
にも関わらず、居丈高に「そういう時代だし仕方ないから納得しろ」「俺は逃げ切ったからあとはお前らなんとかしろ」「お前は女性差別を容認するのか」「名を名乗れ」みたいに言ってくるシニア男性は、俺も結構ムカついてる。てめえらが撒いた種だろう。社会的な傾向に反抗してマトモに動こうとしたことがあるのか?あ?こちらの正義と良心でぎりぎり立っていられてるだけだぞ?お?解決よりも保身が染み出してるぞ。
シニア世代や政策施策決定者は真摯に謝罪の意識を持つべきだし、採用する側、される側というパワーバランスがあるだけで人間的な上下関係では絶対にない。
それとこれは余談だが、「過去の思想で突如解雇になる」という前例は、jonや俺にとってもさすがに嬉しくないはずだ。
女性限定公募。たしかにこの10年くらいで目につくようになっては来た。だが、どうやら女性限定公募は意外と少ないらしい。平均でも1%前後で、分野の偏りもあるとはいえ5%にも満たない。
https://jxiv.jst.go.jp/index.php/jxiv/preprint/view/841
俺も意外だった。「結局意思決定者と同等の立場である教授准教授に女性限定公募は割り当てないんだろ」と思ってたが、勘違いだった。
思ったよりも自分の目にバイアスがかかっていたようだ。科学とは、直感と異なることを信じることだからな。数え方の問題もあるかもしれないが、これは一定のデータであろう。
女性限定公募なんて1%程度。つまり、若手研究者の採用が決まらないのは女性限定公募があるからじゃない。俺らの能力が足りないからだ。
もちろん、自分が進みたい分野や地域の制限もあるからそんな単純な話ではないし、「これが女性限定じゃなければ」という瞬間も十分ありうる。こういう個別現象に対しては、謝るしかない。
結局是正されるまでは社会正義のためにも続けるしかないんだから、早く是正されてほしい。
あともっといえば政治家とか経営者とか異常なほどの偏りなんだから、そっちも早く変わるべきだとは思ってる。
それとメーリスで連絡が回らなくなるだけでは驚くほどなんの解決にもならない。というか状況は悪化するだろう。この辺は他のヒトが指摘している通りだ。それと本当は女性限定のつもりなのに言うと問題になりそうだから書いてないだけ、なんていう隠れ女性限定公募が出回ったら目も当てられない。過去の公募が隠れ男性限定公募だっただけとも言えるけど。
世代論にこだわるなら、印象としては正直現代の若手よりも氷河期世代の方が相当に厳しい。正直、今の学生〜若手研究者の状況は過去数十年でもっとも恵まれていて、氷河期世代が学生の頃は最低だったんじゃないだろうか。これを救うために、採用も予算も若手を減らして4,50代を増やす方が即戦力だし順当とも言える。
こういうのがつまり政治判断で、どういう組織、世の中にしたいか、そのためにどういう施策が必要か。どこに被害が行くからどういう補償が必要か。というのを考えるのが政治であり組織運営だ。意味のない結果論だが、氷河期世代が虐げられることに日本中が声を挙げなかった。だから氷河期世代は救われなかったし、それで生じた歪みが日本全体を蝕んでいる。多分、人手不足で経営陣レベルが困ってきた最近までマジで問題だとも思ってなかったんじゃないかな。歪み続けるわけにもいかないから、なんとか戻すしかない。
正解不正解ないので試行錯誤だらけだ。マジで人生狂わされる瞬間も当然、残念ながらある。だからこそ意思決定者ほど誠実ではあれよ。というのが俺の意見だ。
少なくとも性別や国籍なんかよりも、嘘を言うやつや不誠実なやつの方がよっぽど信用ならんとは思うけどね。
最後に、メーリスへの連絡でショックを受けるヒトのことを思って心を痛めるjonの優しさ。これは本当に素晴らしい。
だが、それで匿名で勢いのまま攻撃的なまでに意見してしまう姿勢は、ちょっと心配だ。もっとも根本的に解消されるべきはjonの心の問題かもしれない。
とりあえず一度、心療内科を受診して専門家と話すことをおすすめする。博士学生や研究者には割と普通のことだ。それはそれで大問題だがな。
検討を祈る。
人気じゃなくてちゃんとレスくれそうな人の配信見てコメント眺めてたんだけど、楽しいのは間違いない。
でも引っかかったのが、弱男って自分のしたい話だけを一生し続けるんだなってこと
ねえママ見て!からコミュニケーション手法が発達してない。こいつら何歳なんだろう。
なんかかわいそうだったからそのVさんが話したそうな話題をちゃんと傾聴するようにコメントをあげたらVさんは嬉しそうに話をし始めた。
そこまでは良かったんだけど、弱男のコメはグッと減ってしまってパワーバランスを破壊してしまった感があった。
弱男がしたい話だけがズラーっと並んでるコメ欄と、ちゃんと会話してるコメント欄ってどっちがいいんだろうね。
今回話題となっている件を受けて、次のようなことを願っています。
特定の学校や競技だけでなく、あらゆる部活動で同様の問題がないかを調べる必要があると思います。SNS等での情報を真実とするならば、こうした問題は一部にとどまらない可能性もあります。調査は、しがらみや利害関係のない第三者によって行われることが望ましいと考えます。
被害を受けたとされる生徒のご家族からの訴えがあった際、どこがどのように対応したのか、その過程や判断が適切だったのかを明らかにしてほしいと思います。
誰か一人の意見が過度に強い、または特定の人物への忖度が働くような組織は健全ではありません。意思決定のバランスが取れているかも含めて検証が必要です。
未成年を性的な話題で揶揄することは、加害行為の事実の有無に関わらず許されない行為です。また、個人情報が拡散されることも同様に許されません。こうした被害に対して迅速な対応と、再発防止の仕組みづくりが必要だと思います。