
はてなキーワード:ネタバレとは
前記事(anond:20251027134053)では、篠田氏が明言しているとおり「青の純度」はラッセンに着想を得たがラッセンのモデル小説ではなく、篠田氏がラッセンのモデル小説であることを否定した点をもって同氏が嘘つきであるかのように非難するのは的外れである旨を説明した。
さて、そうだとしても、「青の純度」は原田氏の研究を参考にしたにもかかわらずそれに言及しておらず不誠実でないか、という主張がある。なお、著作権侵害ではないこと(したがって表現の剽窃が無いこと)は原田氏自身も認めるとおりであるから前提としてよかろう。
ここから先は出題編だけでなくオチまで含めた全面的なネタバレがあるので、ネタバレを読みたくない未読者にはブラウザバックを推奨する。
原田氏が「青の純度」が自分の業績の盗用であると主張する主な根拠は次の4点である。
①悪徳商法と切り離して美術的評価を検討するという視点は自分が言い出したことである。
②「インテリアアート」という用語は自分たちが世に出したものである。
③日系人の墓が西を向いているという話は自分が現地で伝え聞き紹介したものと同じである。
④偽ラッセンが8年前の嵐で自宅を被災したという設定は、ラッセンが2023年のハワイ島大火災で一時行方不明になったという自分が発見した事実に酷似している。
このうち②は原田氏のラッセン展(2012)よりも前から「インテリアアート」という用語が広く使われていたこと、③は原田氏自身も現地で伝聞した旨を述べているとおり原田氏の独創ではないこと、④は「8年前の嵐」と2023年の火災は似ても似つかず、8年前の嵐は物語の重要な小道具であり、2023年の火災はエピローグで軽く触れられていることなどから、いずれも牽強付会と言ってよかろう。
そして、この点でも、以下の理由から、原田氏らの研究を参照したとは考え難いように思う。
まず原田氏らの研究について、ラッセンを再評価してみるというアイデアだけなら、永野の「ゴッホより普通にラッセンが好き」というネタを掘り下げれば容易に行き着くアイデアであって(それにしても「普通に」を入れた永野は慧眼である。)、研究成果とは言えない。研究的価値があるのはその先の、再評価するとどうなるかという部分だ。
それでは原田氏らの研究はラッセンをどう再評価するのか。これについては原田氏らの論考集に対するAmazon読者コメントがよくまとめてあるので引用する。
1.美術界がラッセンを無視した理由:純粋美術はラッセンの属するインテリア・アートを一段と下に見ていた。アートの美意識を理解しない層に支持されていて、大きなマーケットを獲得していることへの反発があった。また、芸術には必ずあるはずの作家の自己の投影がない「空っぽ」の作品としてラッセンを排除していた。ラッセン以前にも美術界は古くは藤田嗣治、岡本太郎、草間彌生、バブル期にはヒロ・ヤマガタ等に対して無視の態度をとってきた。
2.ラッセンの作品への評価:マーク・マッカイやロバート・ネルソンなどのマリンアートの模倣であって彼のオリジナルではない。同じ素材(イルカ、クジラ、星、波など)の組み合わせを替えて使い回す自己反復が顕著である。特徴は圧倒的な情報量と人工的な空虚さである。「調和」「エコ」「静寂」「浄化」などのイメージを散りばめることでリラクゼーション効果を発揮している。ラッセンはいわばアロマキャンドルである。
3.日本人がラッセンを愛した理由:バブル期に豊かになった市民は百貨店で自宅の装飾用に絵画やインテリア・アートを買うようになった。それはアールビバン(株)がヒロ・ヤマガタやラッセン展示会を地方都市で巡回して売りまくる素地となった。ラッセンの作品は、過剰であり、大衆的である。リアルで過剰な演出がバブル期の人々の心性と符合した。見た目がカラフルでわかりやすい、専門知識がなくても理解できる。1作品を1000枚単位で刷る大量生産によって全国で強引に売りまくった。
4.ラッセンのプライベート:ハワイの工房に100人の従業員を雇って作品を制作している。公式サイトでの肩書きは画家、詩人、作家、音楽家。ラッセンが愛好するものとして海、サーフィン、高級車、有名ブランド品、美食、マウイの豪邸などの徹底した成金趣味。彼が出しているCDアルバムの収録10曲のうち自作は2曲のみで他の8曲はカバーである。しかし、自作を装っているところにラッセンという人物の本質が窺える。
これに対し作中の偽ラッセンの作品の評価や背景は次のようなものである。
絵の特徴点とされるものが軒並み先行研究に表れていない篠田氏の独創である。特にその技巧的特徴や日本人に受けた理由を画家の日本人の血で説明している点は、本作のテーマに関わる重要な特徴だろう。そうなればこそ本作はハワイ在住日系人に関する参考文献を多数掲載した、現代の日系人と在ハワイ日本人の物語なのだ。
そして、作品の特徴を日本人の血に求める以上、本作の画家とラッセンの評価は全く無関係だ。本作はラッセンの再評価などまったく目的としておらず、ラッセンの再評価についての文献を参照する必要に乏しい。というか、もしラッセン研究での再評価を借用したならば、「青の純度」の物語は全く成り立たない。
原田氏自身が、「青の純度」と自身の研究の類似性を研究成果ではなく再評価というアイデアしか挙げることができていないように、これで篠田氏が原田氏の研究を剽窃した、不道徳だと言うのは、無理があるのではないか。
はてブで上田麗奈凄いとあったのでチェンソー見る気になり、同じIMAXで鬼滅もついでに見た
原作既読、アニメは2期途中脱落、原作知ってれば大丈夫だろうと判断
和風建築立体物をビャーっと移動してはバトル、を2時間半ずっと繰り返すだけだった
全部をセリフで説明してて、絵も強調しておきたいとこをじっくり強調して見せてて、複雑なことは一切なく、平板の極み
が、よく考えるとストーリー知ってて新鮮味のないバトルだけで2時間半を特に引っかからず見れてしまった時点で凄かった
自分は途中で引っかかると直ぐ視聴を止めてしまうし、映画館でも見始めて1分で引いてしまったりするんで、
説明台詞ばっかバトルばっかの絵をずっと違和感なく見ていられたの変じゃね? と後からびっくりした
よくある作画凄いアニメのスゴイ飛び道具もあんまなかった気がするし、それだけ絵で保たせきったということなんだなと
こちらは原作未読なのでTVアニメ(総集編じゃない通常版)を予習して見た
自分の知る上田麗奈の最悪蠱惑キャラは「陰の実力者になりたくて!」2期後半に出てた脇役
1期2期の二桁いるヒロインたち(ピンで客を引っ張れる声優ばっか)を全員一掃する攻撃力で「こいつラスボスだろ」と思ったのに違った
あのストーリー組み立てすらぶっ壊す破壊力を、映画館の音響で聴けるのかと期待してた
おそらく
1は、声優さんが演技全開するのは作画ヘタれて声で全部を表現しなきゃいけないときで(たとえば最高の故田中敦子が見れるのは「Cutie Honey Universe 」)、上田麗奈が高めの攻撃力でやりすぎるとアカン、というのは判る
じゃあ、なぜ上田麗奈なのか
いや上田麗奈でしっかりハマってましたけども、そこは普通に上手いからね
ファイアパンチ途中までは覚えてるが最後どうなったか忘れた。その他はネットで無料で見れるときは見る程度
基本的に漫画がヘタで、技術的にヘタなのと本人の熱量というか過剰さがあるのと、
読者が漫画を読むの下手で過剰に押し込まれないと読めないのと、
読者が実写ぽさ(デフォルメじゃないという程度の意味)に寄せると絵が上手いと思ってくれるのとの合成で、藤本タツキ漫画が成立してる(最近は知らない)
ジャンプは子供向けだと凄く子供向けに振る(スパイファミリーとか)し、女子向けだとすごく女子向けにするし(呪術とか)、たぶんアンケートで高齢女性ファン層向けと判断してオサレにOK出したんだろうし、ED曲が毎回違うとか監督独断で決めれるわけもないので、オサレで行くって関係者皆で決めたんだろうけど、呪術じゃないんだから
TVシリーズの最後のバトルで敵を一刀両断してたけど斬鉄剣みたいのだとチェンソーの意味ない
原作どうか知らんが肌に食い込み肉を引き裂き血と肉片をそこらじゅうに撒き散らすチェンソーだから藤本主人公
斬鉄剣やりたかったら主人公を日本刀マンにリデザインすべきで、そこは「オフビートな演出で統一したかったんじゃね」で済む話ではない
漫画でもたぶん自粛ありそうだが血や肉片を散らかしまくると規制に引っ掛かりまくりそう
映画でチェンソーでぶった切りまくりのキメ絵を漫画に寄せてたのもガチ肉片とガチ血しぶきを避ける都合かな
デビルマンフォロワーであるチェンソーマンでこの技法を使ったのは意図的じゃないかな
真似される技法を開拓し映画チェンソーマンに繋いだ実写デビルマンをネット民はいつまでネタ扱いし続けるのだろう
藤本タツキぽさは過剰さがあって成立するわけで、ルックバックの二人に炎尾燃が割り込む同人表紙はそういう過剰さを足したいという批評だろう
「炎の転校生」の頃から熱血を距離を置いて観察しつつ否定せずの島本ならでは
オサレでは足りないのだ
藤本タツキぽい過剰さはあんまないというか、しっかり情報整理しまくって綺麗に腑分けしてる
オサレではなくなり、よく練りこまれたウェルメイドに落ち着いた感じ
藤本タツキは映画好き。その映画好き成分を漫画に上手く変換できてるわけではない
映画を漫画にしきれない原形とどめた形でひり出しちゃった漫画原作を劇場映画の形にする奇形の入れ子状態
実写映画やアニメーション映画の既存の形式よりかTVアニメの形式に寄ってる感じがある
詰め込んでるのもあって短いカットばかりだし映画でございみたいな構図で絵を作るみたいのもあんま押し出してこない
しかしそこに原作の「映画のまねごと」という要素をうまく取り込んで映画ショットぽいのを取り込んでる
あくまで「ぽい」であり映画ショットそのものではないが映画ショットのよう、ややこしいことやってる
完全に日本のTVアニメのOPのフォーマットであり映画の文法では全くないのだが
「作品要素をOPで説明しきる」という伝統が培ってきた技法をフル活用して、
TVアニメ最終話の直後という時系列説明と同時にデンジが手放したくないと思ってる現在の生活を説明し
マキマの存在感とキャラクター説明をこなしつつ終盤に繋げる伏線を描き
ちょい出の脇キャラ顔みせしつつ悪魔の存在と主人公たちの悪魔退治業務を説明し
デンジがチェンソーマンに変身するのとデンジが変顔しまくりのバカキャラなのを説明し、と
OPアニメを最初から全部読み取るのは無理だと思うが、TVアニメを見ずに映画だけ見に来た層が話についていける情報を網羅しきっている
メタで本作について言われそうなのを先回りしてて、けなす方向でも褒める方向でもSNSのお手軽一言で終わらせねーぞという粘っこさがすごい
レゼ編全体の絵図面を最初から描いてるらしきマキマが映画見て感想言うことで「映画ぽさを装う映画」という形式の上にさらに被せてくる
チェンソーマンはいかにも映画でございを装いつつもTVアニメフォーマットを駆使する
鬼滅は世間様の言うような映画ぽさをはなから捨て去って絵ぢからで映画にしてる
なんだこいつら
ジゴロじゃなくてホストクラブのホストで鎖つながれたままでした、という
レゼの気分的には「俺たちに明日はない」で、中盤で逃げようって言ってる時点で気分的には逃避行が始まってて
デンジと最後二人が哀しきしあわせエッチってことはモブ殺し屋さん絞めてるのエッチのメタファだろうし
売春なのか他のシチュなのかは不明だが行為のあいだずっと意識を逸らして歌ってるのとか判りやすすぎる
薬屋の猫猫も左腕のは薬や毒の実験としてるけど露骨にためらい傷のメタファだし
服毒したがるとか自傷で自己の肉体の存在確認してんだろうな、だし
推理しまくるくせに認識したくないことに気づきそうになると意識飛んで思考キャンセルするし
猫猫やレゼに自己投影する女性が多い時代って、あんまし……いや
パワーが二人の思い出の喫茶店に来襲とか、うわ
ファムファタールじゃなくていいよ
「ばくおん!」の頃にもどって
頭空っぽ天然でいて
フォーマットとしてTVアニメシリーズの形式性に強く規定された上で巷間での映画らしさみたいのを侵食してく
すごい時代すね
篠田氏がラッセンに着想を得て執筆した小説「青の純度」であるが、篠田氏がラッセンのモデル小説ではないと述べていることについて、篠田氏がラッセンをモデルにしたことを否認しているという誤解が広まっているようだ。
「青の純度」はラッセンに着想を得た画家の話ではあるが明らかにラッセンのモデル小説では無い。
なのだが、この事を説明するには、人によっては「ネタバレ」と言うようなところを説明する必要があるので、多くの謙虚な読書家の感想文からは未読の者がそうと理解しにくい形になってしまっている。
私としては、物語の半分よりも手前(5分の2ほど)で明かされるそれは「出題」部分(探偵ものであれば死体の発見)であってネタバレではないと思うのだが、まぁそう思わない人もいるだろうから、駄文を挟みいささか猶予を置いてからその部分の説明に入るので、出題部を含めてネタバレを嫌う人はこの先を読まずにブラウザをバックすると良い。
ラッセンに着想を得たがラッセンのモデル小説ではない、とはどういう意味か。
そもそもモデル小説という語の意味が若干の広がりがある上に、モデル小説という概念を持たない人は誰かをモデルにしたキャラが出ているだけのものまでモデル小説と呼び、しかも「青の純度」の偽ラッセンはそれですらないのだ。
モデル小説というのはある理想(モデル)を小説の形にした小説というのがおそらく最もインターナショナルな定義だが、日本語の場合はある実在人物をテーマにした小説を指すことが多いように思う。篠田氏がいう「モデル小説」も後者の意味である。
モデル小説のテーマとなった人物は、少なくともその行動の主要な部分がモデルにされた人物に沿ったものとなる。テーマとはそういうものだからだ。
篠田氏がラッセンのモデル小説では無いと言ったのは、作中の偽ラッセン(私が架空人物の名前を覚えるのが苦手なので「偽ラッセン」と書くが、「青の純度」の読者なら納得してくれるのでないか)はラッセンの人物像を作中に顕現させようとしていないからだろう。証明は後述。
なお、作中の登場人物が実在人をモデルにしているというだけではモデル小説とは言わない。モデル小説とは小説自体の分類なので、個々のキャラのモデルの話とは別次元の話だからだ。言うならば、グラップラー刃牙にアントニオ猪木をモデルにしたプロレスラーが登場したからといって、グラップラー刃牙はアントニオ猪木のモデル漫画ではない。
これを前提に「青の純度」の中身に触れよう。
バブル後に一世を風靡し、印刷物を限定品と称して高値で売るエウリアンの悪徳商法が問題となって消えた偽ラッセン。
出版社に勤める主人公は、たまたま飾ってあった偽ラッセンの風景画を見つけ、かつて馬鹿にしていたそれが琴線に触れた。
そこで調べると、今(2023年)になって再び偽ラッセンの印刷物の新作展示販売会が活発になっている。その主催者は、かつてエウリアン商法をしていた会社の元従業員である。
出版社勤めの主人公はラッセンの大衆人気に関する本を出すことを思いつき、本に絵を載せる許諾を得るために、ハワイ島に暮らしているという偽ラッセンを訪問すべくハワイ島に飛んだ。
しかしそこで、偽ラッセンが10年くらい前に既に死んでいたことが判明した。
と、ここまでがいわば出題編である。
10年くらい前に死んだ人物の新作が2023年に出てきているのだから、読者は当然、ゴーストペインターを疑うわけだが、この先は君自身の目で確かめてみてくれ。
現実のラッセンは存命だし、近年の再評価は2012年のラッセン展に始まる原田氏のラッセン研究による正統評価の流れである。
10年くらい前に死に、令和最新版エウリアン商法としてリバイバルされている作中の偽ラッセンとは似ても似つかない。
したがって「青の純度」はラッセンの「モデル小説」ではないことは明白なのだ。
ちなみに作中で、主人公は当初、「犯罪的な商法と、作品・作家を切り分け、その販売手法に言及した後、ジャンピエール・ヴァレーズの作品そのものを取り上げ、そこにある芸術と大衆性のせめぎ合いについて語る」ことを企図して偽ラッセン本を企画しハワイに渡った。
しかしその結果、偽ラッセンは、マリンアートの巨匠Robert Lyn Nelson(→Wikipedia(en))の流れを汲む1人に過ぎないことを知り、ただその中では技巧が卓越していたという評価に至った。
また、偽ラッセンの絵画は原画ではなく印刷物を最終成果物と想定して描かれており、原画より印刷の方が良いという。
そして何より10年くらい前に死んでいたことと現在の売り出し方。
結局のところ、主人公はハワイに渡り様々な事実を知ったことで、当初の目論見とは異なる結論に至った。
したがって、偽ラッセンがラッセンのモデル小説では無いのと同じく、主人公についてもまた、近年の再評価者のモデル小説ではないということになろう。
そうかな?昔はイエに主婦がいてだいたいきっちり運営されていて、家族の衛生とか健康とかに気を配り、お金もかけられていたけれど、
今は単身ホームレス寸前みたいな人がとても増えている印象あるよ。昭和初期だとお風呂3日に一回とか不思議じゃなかったと聞くけど、
家風呂が普及した昭和50年代以降は大体2日に1回は入浴している人が多かったし、下着も2日に1回は洗濯して替えていたと思う。
それができない人達は住宅街じゃなくて別のどこかゲットーに住んでいて「あの辺あぶないから行っちゃだめ」と言われてたよ。
図書館もちゃんと借りてそれなりに気を使って読んで、読み終わったらすぐに返さないと迷惑だから、って公共心もあったと思う。
いまは「どうせ自分のじゃないし、一回読んだら2度と読まないし」、みたいな、赤線、ネタバレ書き込み、切り取り、おせんべいのカス、カップラーメンの汁、無理やりスキャンして製本崩壊、陰毛、フケ、みたいなの当たり前に付着してたりしないかな。
あと、小林薫の声が好きなので、(というか、ジコ坊が好きなので)
「ホウセンカ」を観てきた。気になった事とか感想をネタバレありで書く
まず、ピエール瀧は良かった。
「お前がそれ言う?」みたいな感じで楽しめた。
アナ雪を観たことないからオラフとの比較はできない。地上波でやってた時に観とけばよかった。
小林薫は・・・・、小林薫ってこんなにおじいちゃんだったのか、というくらい自然だった。74歳なら当然か。
満島ひかりも好きだけど、UQUEENとしてのひかりが好きだったんだなと気付いた。
冒頭で、まだ何の感情移入も出来てない段階で、長々と花火の映像を見せられて、
オープニングテーマ的な歌を聞かされたんだけど、あれは辛かった。あれってどうなん?ああいうもん?
これが普通なのだとしたら、自分は現代のアニメって楽しめないのだな・・・と少し寂しく感じた
それともタイアップとか大人の事情で無理やり捻じ込んだんだろうか。
あれだけ用意周到で強かなのに、貯金はしてないってあり得んくない?
まぁ「大金を得るために、強盗をする」という話を成立させるために仕方ないのだとは思うけど。
アイツにも瀧の声を聞かせてやれよ
血まみれの2億で助かったことに苦悩するシーンとかあったら個人的には面白かったんだけど
あとは、物置置いた土地、どうなったんだろう。どうにもならんか。民法面白いな。
物置に名前が書いてあるのかは確認できなかったけど、書いてあった?
好奇心から、「森博嗣 の 全てがFになる のトリックを解説して」とGeminiにお願いしました。
返答は
森博嗣の『すべてがFになる』は、高度な理系的な知識に基づいた、非常に巧妙なトリックが用いられているのが特徴です。
作品の根幹となる密室殺人のトリック、そして登場人物に関する重要な「裏のトリック」は、主に以下の2点に集約されます。
孤島の研究所の一室は、コンピュータ制御のエレベーターでのみ出入りが可能であり、出入口は常に録画され、人が通ればすぐにわかるという厳重な密室でした。
この密室を可能にしたのは、コンピューターシステムの欠陥を利用した**時限プログラム(トロイの木馬)**でした。
作中に登場するメッセージの「F」は、コンピュータで使われる16進数の「15」を意味します。システムの内部で時刻などをカウントする変数が、16進数で最大の数値である「FFFF」(10進数で65535)になった瞬間に、**意図的にプログラムされた「誤作動」**を起こすように仕組まれていたのです。
*誤作動の内容:
この誤作動によって、出入口の監視カメラの記録が約1分間遅れるように設定されていました。
*トリックの実行:
真賀田四季は、この監視カメラの記録が遅れるわずか1分の隙を利用して、自室から脱出しました。
密室を破ったのは、物理的な仕掛けではなく、プログラムされたシステムの盲点だったのです。
読者に真賀田四季が殺害されたと思わせるのが、この事件の最大の驚きです。
*死体の正体:
最初に発見されたウエディングドレス姿で両手足を切断された死体は、真賀田四季本人ではありませんでした。この死体は、四季が叔父との間に産んだ実の娘であり、四季によって15年間、部屋に隔離されて育てられていた子供です。
*真賀田四季の行動:
真賀田四季は、前述の「1分の隙」を利用して脱出し、その直後に所長を殺害。そして、外部から呼ばれた「真賀田四季の妹」である**「真賀田未来」**として振る舞い、研究所から脱出します。
*結論:
真賀田四季は、最初から「誰にも会わずにこもっている天才プログラマー」という設定自体を利用し、実は死体ではなかった。彼女は、自らが創り上げたシステムと伝説を利用して、外界への脱出を果たしたのです。
これらのトリックは、単なる密室の謎解きに留まらず、人間性や存在意義といった哲学的なテーマと密接に結びついています。
YouTubeでこの小説の書評動画がありました。『すべてがFになる』をネタバレなしで書評する動画です。
【理系ミステリの名作】『すべてがFになる』をネタバレなしで書評!【森博嗣】
YouTube動画の再生履歴はYouTube の履歴に保存されます。このデータは、YouTube の利用規約 に従い、YouTube によって保存、使用されます
というものでした。
悩んだ末、繰り返し読みたいかなと思い電子書籍で購入した。が、やや後悔している。
表示のされ方が思ってたのと違った(1画面?に1ページ出るタイプ。普通の漫画なら普通なんだけど四コマ漫画なので、あとリアタイの時はちがったじゃん、紆余曲折あったけども)のと、誰かとシェアしにくい。ギリ子、誰かに読ませたくなる。
あとふつうに好きだと再度確信した。本で持っていたいなーと思った。令和を生きる若者達はこういう感覚ないんかね?
前に和山やまの漫画をそれこそはてブで知って面白!と思って電子書籍で購入したけどそれでは収まりがつかず結局ダブる形で本も買った。
本って、なんか本物な気がしてしまうんよね。
でも本だけだと気軽に読めない。現在ふつうの軽音部は本のみに絞っているが、新刊が出た時くらいしかがっつり読めないし、はてブのコメントもネタバレしたくないから読めないし、なんか楽しさを削ってしまってるな〜という気もする。ふつうの軽音部は面白すぎてちゃんと本で読みたい!と思ってしまったのだけれど、それが少し仇になってはいる。
中学生のころからネットを見始めて、高校生、大学生、社会人とネットばっかり見ちゃったよ
受験、大学生活、就活、人間関係・・・、ネット見てさぼっちゃった あはは
読みたかった漫画、見たかったアニメ、50分の一くらいしか消化できなかった あはは
ネットでネタバレばっか流れてきて、見た気になっちゃった あはは
ツイッターで毎日炎上ツイート見て書き込みしたり不快になってたら、20だいおわっちゃた あはは
ツイッターで流れてくるエロイラスト、エロ動画見てたら、20代終わっちゃった あはは
隙間時間、疲れた時、ぜんぶスマホ触ってたら、時間がなくなっちゃった あはは
最近、Xでアガサクリスティの「春にして君を離れ」がちょっと話題になってるので読んでみた。本を読み進める時に途中で躓いて脱落することも多いんだが、生成AI(Grok)に質問したり雑談したりしながら読み進めたら結構楽しかったので共有したい。
まず、途中で話しかけた時に、うっかりネタバレされると嫌だったので、最初は以下のように会話を始めた。
で、気になるキーワードみたいなものが出てくるたびに以下のようなのを投げかける。
(以下、太字が私からの入力。Grokからの回答は省略。各質問は同一のスレッド上にダラダラと連ねていく感じで。)
こんなふうに聞くと色々教えてくれる。尚、レストハウスとはモーテルをショボくした簡易宿泊所であり、ワジってのは干上がった川のことである。
物語に登場する小物は、登場人物の人となりを示す重要なものなので,こんな感じで質問しながら聞いていくと理解が進んでよかった。
なお、生成AIは適当なので、間違った答えを返すこともあるのは要注意で、上記の例ではヘイスティングスについての回答は間違っていた(違和感があったので別で調べたらわかった)
こんなふうに筋書きの前提となる点について質問してもいい感じに答えてくれる。
読み終わってからは、こんな感じで自分の解釈やら感想を自由に言い合えるのが最高に楽しい。
今までは映画とか小説を見終わった後にレビューサイトとかで解釈を探して答え合わせや共感探しみたいなことをしてたわけだけど、それを生成AIがやってくれる。まあ、私の書いたことに寄り添った反応が返ってくるので、あんまり批判と摩擦による気付きみたいなものは無いんだけど、それ以上に共感による気持ちよさが勝る(これは良いことなのだろうか)。
歌野晶午著の長編推理恋愛小説(2003年刊行、文藝春秋)。第57回日本推理作家協会賞、第4回本格ミステリ大賞を受賞するなど、数々のミステリ賞を総なめにした名作。表向きは中年の元探偵と女性の恋愛物語に見えるが、叙述トリック(読者の誤認を誘う描写手法)を駆使したどんでん返しが最大の見どころ。物語は過去と現在を交錯させ、保険金詐欺や不正受給の犯罪を軸に展開。タイトル自体がトリックのヒントで、「葉桜の季節」(桜の散った時期=人生の晩秋、つまり老境)を示唆し、登場人物の年齢を若く誤認させる仕掛けが秀逸です。
#### 主要登場人物
- **久高隆一郎**:愛子の祖父。さくら(節子)が蓬莱倶楽部の指示で殺害に関与した被害者。
- **世羅元輝・田辺賢太・小暮明里**: 将虎の過去の探偵仕事(ヤクザの覚醒剤密売事件)に関わる人物。世羅の殺害事件がフラッシュバックで描かれる。
- **蓬莱倶楽部**:悪徳霊感商法集団。高額な「霊水」(ただの水)を売りつけ、借金漬けにした被害者を保険金詐欺に利用。
物語は非線形に進行し、将虎の視点を中心に過去(50年前のヤクザ事件、2年前のパソコン教室、1年前の安藤自殺)と現在が交錯。読者は将虎やさくらを30-40代の若者と誤認するよう誘導される(例: 性描写、トレーニングシーン、デジタル機器の扱い方)。
将虎はフィットネスクラブで汗を流す日常を送る。後輩の清から、愛子の相談を持ちかけられる。愛子は祖父・隆一郎の轢き逃げ事故が、蓬莱倶楽部の保険金詐欺によるものだと疑い、将虎に調査を依頼。将虎は元探偵の見栄を張り、引き受ける。
帰り道、地下鉄駅で自殺を図るさくらを助け、連絡先を交換。二人はデートを重ね、急速に惹かれ合う。将虎はさくらに過去の探偵エピソード(ヤクザの覚醒剤密売事件で世羅を殺した小暮の自殺)を語り、さくらは将虎の優しさに心を開く。さくらは実は蓬莱倶楽部の被害者で、借金返済のため倶楽部の指示に従っていた。
2. **中盤:調査の深化とフラッシュバック(過去と現在交錯)**
- **蓬莱倶楽部調査**: 将虎と清は埼玉の本庄にある倶楽部の無料体験会に潜入(妹の綾乃とその孫・美波が囮)。事務所から電話番号を入手し、詐欺の実態を暴く。倶楽部は高額商品を売りつけ、借金被害者を「偽装結婚」や「保険金殺人」に利用。隆一郎の事故は、さくら(節子)が倶楽部の指示で轢き逃げしたものだった。
- **安藤の過去(1-2年前)**: 将虎はパソコン教室で安藤と知り合い、娘・千絵の写真を撮る依頼を受ける。安藤は自殺し、将虎は遺体を山に埋め、安藤の年金・保険金を不正受給。毎月、千絵に匿名送金している。将虎自身も過去に離婚し、娘を失ったトラウマを抱える。
- **さくらの正体(フラッシュバック)**:さくらは本名・古屋節子。買い物癖で借金を作り、蓬莱倶楽部に嵌められる。倶楽部の指示で隆一郎を殺害(保険金目的)。次なるターゲットとして、将虎の持つ「安藤の保険証」を狙うが、将虎を安藤本人と誤認(将虎は安藤の身分証を使っていたため)。さくらは将虎に近づき、偽装結婚を画策。
さくらは将虎の保険証を盗み、偽装結婚を強行。自分の生命保険の受取人を「さくら」に設定し、将虎の自殺を誘う(保険金詐取)。しかし、将虎はさくらの本性を察知。将虎の生命保険の受取人が実は「さくら」になっている事実が発覚(将虎がさくらを本気で愛したため)。
蓬莱倶楽部のボスが逮捕され、さくらの過去の犯罪(複数回の不正受給、隆一郎殺害)が明るみに出る。将虎は安藤の身分を明かし、さくらに「本当の自分」を告白。さくらは将虎を愛するあまり、詐欺計画を断念。
これらのトリックが連動し、再読を促す構造。賛否両論あるが、「綺麗に騙された」と絶賛される理由です。
#### 結末
さくらは逮捕を免れ(将虎の証言で情状酌量)、将虎と本物の恋に落ちる。将虎は安藤の身分を清算し、千絵に真相を告白(彼女は将虎の送金を感謝)。愛子と清は結ばれ、蓬莱倶楽部は壊滅。
最終シーンは、葉桜の季節。将虎とさくらは老いた体で寄り添い、「君を想うということ」を実感。感動的なハッピーエンドだが、犯罪の代償を背負った切ない余韻が残る。恋愛とミステリの融合が、読者の心を掴んで離さない。
トランプ米大統領、「アンティファ」をテロ組織に指定へ 反ファシズムの左派運動
てタイトルあって思い出したんだけど、タイトルの最後に前文かその単語の補足解説みたいな言葉を入れるタイトル、ちょっとなんか、引っかかるのよね。自分だけか?
そういやデイリーポータルでも最近似たようなことやってるじゃん、たとえば
美大生なら誰しもが使ったことがある「ジェッソ」とはなにか 何にでも色が塗れて、発色も良くなる下地材
↑これなんかひどくて、文の後半でネタバレしてしまってる。リンク踏んで飛んでいくとサイトのタイトルは前半しか書いてない。どゆこと、これって逆じゃないの?なんで訪問前にネタバレ書いて訪問すると消えてるの。PVアップ施策だろうとは思うけど。