はてなキーワード:カミングアウトとは
身体の性に違和感がある人、同性を好きな人、誰にも恋愛感情を持てない人…
そういう人の中には面白半分にプライバシーを聞き出されて嫌な思いをしたり、不自由を強いられて苦労を背負っている人も多く、性的嗜好の為に人権が脅かされる事などあってはいけないと思う
LGBTであることをカミングアウトしてくる人間は、皆共通して特定の「個性」を信仰しており、それを理解してもらう為に猥褻な言葉を吐き、卑猥な写真をバラ撒いて全力で性欲を向けてくる
恋愛対象でないからこそ性の理解者として選ばれ、それを拒否することは差別なので絶対に許されない
両手では足りない程度には別の時間・場所でLGBTの人間と出会ってきたが、女しか好きになれないMtF(自称L・T) 女ともセックスするゲイ(G・B)少女であることを自認しており、男性に恋をする、戸籍上は男性の中年(G・T)…
「彼女」達の信仰する個性において、「私はこう思う」という感情論は許されない
アイデンティティとは細かく数値化されており、心の性であれば「女60%男40%」 国民性であれば「アメリカ80%日本20%」というように、性格や思想によって「今のは男っぽかったから今は男」「私はオープンな性格だから心はアメリカ人」などだ
これはLGBTである彼女達だけに許された自由であり、女に生まれたことを受け入れている人間が自分の意見を言うなどの女らしくない言動を取る、日本に国籍を持つ接客業の人間が客に逆らうなどの日本人らしくない言動は許されない
女が女らしくない言動を取れば、女の意味が揺らぎ、「彼女」達の個性、アイデンティティが揺らいでしまうからだ
彼女達のアイデンティティは、女が女らしく過ごさなければ成り立たず、他人の協力がなければ維持できないものらしい
当然、全てのLGBTがそうというわけではないだろう
他人の協力がなく、%で表さなくとも「私はこう思う」が表現できる人間は、いちいちLGBTであることをカミングアウトしなくても生活できるはずなので、LGBTだから理解して欲しいと言い回る人ばかりではないだろう
だからこそLGBTであることをカミングアウトしてくる人間が気持ち悪い
他人の自由を食い潰さなければ、LGBTである自由と個性を維持できない人間が気持ち悪い
お願いだから巻き込まないで欲しい
日本社会において、ゲイの人々が長く向き合ってきた現実のひとつに「ハッテン場(発展場)」の存在があります。ハッテン場とは、主にゲイ男性同士が性的な出会いを目的として集まる場所のことを指し、特定の公園やトイレ、サウナ、ビデオボックス、時にはバーや専用スペースなど多様な形で存在してきました。
これらの場所は、単に性的欲求を満たす場であると同時に、社会の中で自分のセクシュアリティを確認し、同じ立場の他者とつながるための数少ない「接点」として機能してきた歴史があります。
戦後から2000年代にかけて、日本社会では「異性愛」が当然のものとして前提化されてきました。家庭、職場、地域、いずれの場でも、同性愛は日常の中で話題にされにくく、理解されにくい存在であり続けました。
その中で、ハッテン場はある種の「サンクチュアリ(避難所)」として存在していました。誰にもカミングアウトしていない人、恋愛や交際という枠組みではなく、身体的なつながりを求める人、あるいはただ孤独を抱えた人にとって、匿名性の高い出会いの場は切実な意味を持っていたのです。
1980〜1990年代には『バディ』や『薔薇族』といったゲイ雑誌が流通し、ハッテン場の所在地情報や体験談などが共有されることで、独自の文化圏が形成されていきました。その一方で、ハッテン場は「特殊な性の世界」として消費される側面もあり、ステレオタイプの助長にもつながりました。
近年、LGBTQへの理解が徐々に進む中で、ゲイであることを隠さずに生きる人も増えてきました。また、スマートフォンの普及により、9mon、Jack’d、Grindrといった出会い系アプリが主流になりつつあり、リアルなハッテン場に頼らなくても出会いが成立する時代に移行しています。
しかし、その一方で、アプリの世界には「見た目や年齢」による排除や格差がある現実もあり、誰もが居場所を得られるわけではありません。そうした意味で、匿名かつ非言語的なつながりが得られるハッテン場は、いまなお「見えない人々」の拠りどころとして機能し続けています。
ハッテン場の多くは公共の場を舞台としており、風紀や治安、衛生面などの観点から問題視されることもあります。実際に、摘発の対象になることや、地域住民との摩擦が起きるケースもあります。
しかし、このような場の存在を一概に否定することは、社会の中で「声なき声」として沈黙を強いられてきた人々の生の在り方を切り捨てることにもつながります。ハッテン場の存在そのものが、「誰にも相談できない」「公に言えない」人たちが生きてきた証であり、日本社会のセクシュアリティに対する不寛容さを映し出す鏡でもあるのです。
今後、ハッテン場という文化は少しずつ姿を変えながらも、生き残っていくでしょう。それは単なる性的な出会いの場としてではなく、誰にも見えなかった欲望や孤独、アイデンティティの探求が交差する場所として、より深く再評価されていくかもしれません。
ハッテン場をどのように理解し、受け入れるかは、日本社会がLGBTQをどのように捉えていくのか、そして「多様な性のあり方」をどこまで許容できるのかという、より本質的な問いに直結しています。
~オレたちのハッテン場「Mr.Cruising」立ち上げにて
「男らしさから降りる」というのをして気持ち悪がられたりするのに不満を持つ男性がいるっぽいけど、女らしさだろうが男らしさだろうが世間が期待してくるものだから、それを逃れれば否定的な目で見られるというのは前提なんだよね
降りるだけですぐに楽になるわけでもないし、ちやほやされるわけでもない
でも、否定的な反応に負けずに頑張って男らしさや男らしさはの憧れを捨てていくと、自分がこれまで抱え込んでた苦しさに気づいて解放を感じ始めたり、同じような実践をする仲間ができたり、世間の否定的な評価が気にならなくなったりしていく
世間からは否定的な反応をされるけど、それでも貫くことで自分を肯定するプライドと仲間を得ていく
結婚相談所で結婚して数年たったある晩のことだ。家族でNHK総合を見ていたら、福祉番組で場面緘黙症が紹介された。
私はポツリと白状した。
就活でメンタルを病んで面接やら勉強やらができなくなったことを夫には結婚前にカミングアウトしていた。しかし、場面緘黙症で面接になると何も話せなくなることは言っていなかった。すると夫は答えた。
「そういや僕も場面緘黙症だった。」
夫は他人が辛い過去を話す時に「僕もそうだった」との嘘をつく人間ではない。だから本当に場面緘黙症だったんだと思う。
夫婦揃って場面緘黙症経験者は切ないな。遺伝しないよな。でも仮に子どもが場面緘黙症になってもどうにかサバイブできるよと伝えたい。
(一応ぼやかしとくな)
ずっと近所に白い目で見られてた。高校生の時、親がカミングアウトしてくれた。まあ、友達経由で知ってたけどな。友達はどうせ近所の大人かそいつの親に教えて知ってたんだろな。
白い目の正体これかあ。と納得できて当時はむしろスッキリした。中2の出来事。
でさ、俺頑張ったんだよ。中学生のとき偏差値40とかだったんだけど、高校の3年間それなりに頑張って、地方国立に合格したの。今大学一年生。
まあ、国立の中じゃ下から数えた方が早いけどさ。県外に出たくて頑張ったの。
県外に出た。白い目がないの。みんな僕を僕として見てくれるんだよ。
ただ、親が犯罪者ってのは多分後々響いてくるんだろうなあ。今後彼女とか出来て、結婚の話とかしたら言わないといけないのかなあ。
親がやったこと許してくれなんて思わない。被害者さんはむしろ一生恨んでいて欲しい。
それでも俺を大学に行かせてくれてありがとな。
そこは感謝する。
まあ、色々あるけどとりあえず、まずは今を楽しむ!!!!本当に嬉しいんだよ。
「反出生主義」
反出生主義が真にどういうものなのかはここでは割愛させて頂くとして
私は昔から反出生主義だが、ここ数年インターネット上でこの主義を明言する人が爆発的に増えたと感じる。
中には名指しで反出生主義が嫌いだと言う人もいる
この世界に「出生は善いものである」という考えが充満しているのは残念ながら絶対に曲げられない。
そんな中でなぜ子を産むのか、という問いかけは集団リンチに遭いやすい。
それまでそんなことを一切喋っていなかったフォロワー数人のローカルアカウントで
なんで子を産むの?赤ちゃん可愛い、って親の気軽な気持ちで一人の人間の人生を始めてもいいの?
アカウントを消さざるを得なくなった人を沢山見て来た。
私も自分が反出生主義だということは誰にも話したことがない。親友にさえ。
この主義はあなたはビーフなのね、私はチキンにしたわ。ぐらいの相違で済まされるものではないからだ。
LGBTQのように賛否はあれど市民権を得られつつあるようなものではないからだ。
カミングアウトすればネットでもリアルでも人間関係に亀裂が入ることをわかっていて、
自分の主義を相容れない人たちとは関係を持ちたくはないのが本音だけれど、
生活を営む上でそれらを一切絶つというのは難しく、
ツイッター(現X)のレズビアン自分史のハッシュタグに憧れて自分でも書いてみたもの。ツイッターにはオタク垢しかなく出す勇気がなかったので匿名で供養
CP厨として小説をよく読んでいた。女女も男女も男男も全部好きであまりそこに区別がなかった。高学年にもなると周りの恋バナに巻き込まれて好きな人をしつこく聞かれることが多かったので毎回適当に流してたし恋愛感情はよく分かってなかった。何となく恋愛は男女でするものという認識が一般的なんだと知り、男女の恋愛作品から逃げるようにしてBLにハマる。二次創作の概念も小6ぐらいで知ってよく読むようになる。
同性の友達を好きになる。元々その人のことをずっと尊敬していたのだが、ある日その人と恋人になっている夢を見てこれは恋愛感情かもしれないと自覚した。この頃、読んでいた小説の影響で思春期には友情以上恋愛未満の同性への憧れを抱くことがあるが、その感情は大人になると共に無くなってみんな男女で付き合うようになる、と思い込むようになる。好きな人への感情は恋愛感情に近しいものではあるが、いつかは消えるものなので人に言わず墓まで持っていこうと決める。
何度か自分の性別に違和感はないけれど社会的に女性として見られることは嫌いという話を周りにしておりクラスメイトからレズビアンか聞かれたり、男性になれば?と言われたりするようになる。ちなみにレズビアンか聞かれた時は否定した。
いつか異性を好きになることがあるとしても、現時点でまともに異性を好きになれる気がしないから友達として共同生活できる人と結婚出来たらいいなと思っていた。
中学で好きだった人とは違う高校に進学したが、たまたま中学で好きだった人と恋愛について話す機会に恵まれる。好きな人ににしっかりとした結婚願望があることを知って自分ではその幸せを叶えられないからとその人と付き合うことを諦める。
ズボン型制服がある高校に進学し、ズボンにしようとするも家族から反対される。入学の時点では認められず、半年後にお年玉から半額出すという形で無理やり認めてもらったはず。夏服はスカート、冬服はズボンで暮らすように。家族からズボン型の制服を履くことに対して、ここは田舎だから性的少数者に見られて良くないみたいな話をされ、まあ今のところそう思われても事実だから問題ないなと心の中で思っていた。この頃には自分はレズビアンとまではいかなくても中学の頃のあれは恋愛感情で、好きな人が同性であったこと自体は肯定できるようになっていた。
二次創作で同じキャラでも受けと攻めの場合で作品内で強調されやすいキャラの要素が違うことに気づき、BLも異性愛規範の上で成り立ってるものだと知って受け付けなくなる。以降あまり恋愛作品自体を読まなくなる。
この頃高校内ではまだ導入当初で珍しかったズボン型制服を履いていたことも影響していたのか、もしくは類は友を呼ぶのか、時々友達からカミングアウトされたり同性が好きなんだけど……という恋愛相談を受けたりするようになる。同性への恋愛感情って人に話してもいいんだと知る。カミングアウトしてくれた子には自分のことも話すようになり自分はレズビアンなんだよね、という説明を少しずつ人にできるようになる。
大学(今)
未だに誰かと付き合った経験がある訳でもなく匿名でしかこういう話をまだ出来ないが、いつか自分にずっと関わってくれている家族や友達にもこういう話が出来たらいいなと思う。おしまい
芸能界が障害者や在日や河原者でも活躍できる世界ってことはそれはいいことだ。ハンデがあっても弱者であっても被差別でもあってもチャンスが有るんだからな。
俺が同じ躁鬱として気になるのはいつ広末がそれを発症していたか。若い頃から週刊誌に奇行をウワサされていたが。
しかしな。悪さをした後に特定の障害でしたとカムアウトするのは、同じ障害者への偏見や差別を助長するだろう。
広末が「実は…」と釈明することで、障害だったんならしょうがないなと思ってほしくて自己保身のためカムアウトしたなら迷惑な話だ。
カムアウトするなら活躍してるタイミングでして欲しいものだ。好例としてBLACKPINKのリサがスターになって脚光を浴びてから、私は実はタイのカースト底辺から成り上がった、とカムアウトし、底辺層のみならず一躍タイ国民の星となり今や国王を凌ぐ人気と影響力を持っている。出自や障害をカムアウトするのなら、自分のためじゃなく、人のため社会のため弱者に勇気を与えるためにして欲しいな。
出口政策を理解するためにはやはりそれなりの理論的なフレームで考えなくてはいけないだろう。例えばバーナンキ次期FRB議長は日本のデフレ脱出に、エガートソンとウッドフォードの経済学モデルを援用して、インフレ目標政策と物価水準目標の合わせ技を提案した(ベン・バーナンキ『リフレと金融政策』日本経済新聞社)。以下ではこのエガートソンとウッドフォードのモデルの枠組みをきわめて単純化して「出口政策」の理論的基礎とさらに現在しばしば話題になる日銀預金残高の超過準備問題という技術的な側面についてコメントしてみたい。
いわゆる「ルーカス批判」以降、政策による期待の変化という問題に耐えられる理論構造をもつことがマクロ経済学に求められきた。そのひとつの解が、いわゆる「マクロ経済学のミクロ的基礎」である。「ルーカス批判」以後、マクロ経済学のプログラムはこの「ミクロ的基礎付け」をRBC(実物景気循環論)モデルとニューケインジアンモデルの大まかふたつの方向で深化してきた。両者はいまでは見分けがつかないほど交じり合ってしまった。例えばバーナンキらの理論では長期においては市場の自律的調整機能を信頼しているため、長期的スタンスをとれば例えば失業が深刻であっても市場の調整能力にまかせる、という選択も最初から排除するものではない。しかしもちろんこのような態度は、バーナンキらの積極的に認めるところではなく、実際問題として不況が深刻であったり、極めて高いインフレが起きているときは政策介入を強くすすめることで社会的コストを避けるというのが、いわゆるニューケインジアンの立場であろう。
バーナンキらはまずマクロ経済を考える上で、家計(消費者)の行動、企業の行動、そして金融政策を担当する中央銀行の行動を主要なプレイヤーとして考える。それぞれのミクロ的な行動が経済のマクロ的動向に影響を与えていくと考えるわけである。
まず消費者は自分の効用(満足)を最大化するために行動する。その際に予算の制約をうけるわけであるが、その制約の変化に対してなるべく消費を平準化(スムージング)して行うことが最適な対応である、とこの消費者は考えているとしよう。消費の平準化というのは、今期(現在)と来期(将来)の消費量をあまり変化させずに似たような量だけ消費し続けることを意味している。例えば今期、クリスマスで家族や恋人にプレゼントをするために消費を増やせば、それに対応して将来の消費を減少させることで、期間を通じてみれば消費は一定水準にあるというわけである。例えば経済全体の景気がよく将来的に家計の所得が通常の場合よりも増加すると期待されたとしよう。このような状況を期待産出量ギャップが拡大したと表現する(あるいは期待拡張ギャップの存在とも表現可能)。将来の所得が増えると期待されるので、この家計はそれを見込んで現在の消費を増やすことで平準化を行おうとするだろう(そうしないと予想通りに将来の所得が増えた場合、将来の消費の方が今期にくらべて過大になってしまうので)。
この状況は先の例でいえば、会社の成績が良好で、ボーナスの増額が望めるために、クリスマスプレゼントはその将来のボーナスで返済することを見込んで、ローンまでして高めのプレゼントを購入することに似ている。すなわち将来の期待産出ギャップ(期待される将来のボーナスの増加)が現在の産出ギャップ(ローンをすることでの現在所得の増加)に反映されることになる。このように家計の消費行動は「来期の産出量ギャップの予想」に依存している。
さらに家計は今期の消費と来期の消費をバランスするために現在の実質利子率を参考にするだろう。現在の消費を我慢して貯蓄するには、その貯蓄が経済的に見合うものでなくてはいけない。その報酬として実質利子率が付されるとも考えられる。そしてこの実質利子率が増加すればそれだけ消費者は現在の消費よりも貯蓄を選ぶだろうし、また反対に実質利子率が低下すれば将来の消費よりも現在の消費を選ぶであろう。また家計のローンの負担も実質利子率が低下することで軽減され、そのことがローン契約や耐久消費財の購入を促すことが知られている。すなわち消費者の行動は「今期の実質短期利子率」に依存している。
ニューケインジアンの経済モデルではこのような消費者の行動をIS曲線(NewIS曲線)と表現して現在の所得のあり方(産出高ギャップ)に、今期の実質短期利子率と将来の産出量ギャップが影響を与えると考えるわけである。ちなみに伝統的なIS曲線と同じように、今期の実質短期利子率と今期の産出量ギャップとの関係は右下がりの曲線に描くことができる。
次に企業の行動をみてみよう。ニューケインズ経済学では企業の価格設定行動も経済環境の変化に対して緩慢にしか変化することはせず、そのため価格の粘着性という現象が一般的であると主張している。この価格の粘着性を説明するためにケインズ経済学は企業の代表的なイメージとして「独占的競争モデル」を採用する場合が多い。経済学の想定する市場の典型的な姿は、完全競争と独占である。完全競争市場では、多数の売り手と多数の買い手が、お互いに市場価格をシグナルとして販売・購入活動を行っている。価格が資源配分を有効に行うと想定しているので、この完全競争市場では売り手と買い手はプライステイカーとして行動する。他方の独占市場では、売り手もしくは買い手ないし双方が市場の価格をコントロールする力を保有しており、独占市場では完全競争市場にくらべて、価格はより高く、取引される財・サービスの量は少ない。独占市場は完全競争市場に比べると資源の非効率的な配分が行われている。
しかしこのような両極端な市場の姿よりも、次のような市場のあり方の方が一般的ではないだろうか。例えば近所の本屋にいけば、さまざまなビジネス雑誌が販売されている。そしてそれぞれのビジネス雑誌は、特集する記事が異なったり、価格も各出版社が独自色を打ち出してライバル雑誌に負けないとしているように思える。またどの出版社でも自由にビジネス雑誌を発刊することができ、自由にそれを辞めることができる点でも、完全競争市場の特徴を持っている。
このようなケースは、なにもビジネス雑誌だけではないだろう。私たちは、完全競争と独占の両方の特徴を持った様々な財・サービス―例えば、書籍、映画、パソコンソフト、レストラン、コンビニ、ケーキ、車など―を日常的に目にしている。経済学では、このような財・サービス市場を「独占的競争市場」と名づけている。独占的競争とは、同質ではないが類似した財・サービスを売る多くの企業が存在する市場だということができるだろう。独占的競争市場では、たくさんの企業が同じ顧客を相手に競争を繰り広げている。その一方で、個々の企業が、他の企業と異なる製品を供給している。これを製品の差別化という。また同時に参入・退出が自由である。
完全競争市場では市場で決まった価格で販売すればすべての財は売りつくされる。他方で独占的競争市場では、企業は「右下がりの需要曲線」に直面している。これは企業が価格をコントロールできるが、もし価格を上げれば需要は減り、下げれば需要が増加するという市場環境に直面していることを意味している。この結果、この独占的競争企業は若干の独占力を有しているために、限界費用を超える価格を自ら設定することができる。この限界費用というのは、財やサービスを追加的に一単位製造するときに要する費用のことである。経済学ではこの「限界」的な単位で消費者や企業の選択を判断する。例えば、企業は売り上げ全体の動向と価格をみて供給を決定するのではなく、新たに一単位生産するときのコストとその販売価格の大小関係で意思決定を行う。
例えば『冬ソナ』のDVDを一冊追加的に生産するコスト(=限界費用)が1000円だとすると、この独占的競争企業は5000円で市場での販売が可能になるということである。限界費用と価格との差額は、この企業にとっての「マークアップ」(超過利潤とイメージしてもいい)を得ることが可能であることを意味している。この超過利潤の獲得を目的にして、多くの企業がこの市場に参入する。もちろん独占的競争企業は製品の差別化によってこの熾烈な競争に打ち勝とうとするだろう。独占的競争市場では、このような熾烈な競争の結果、長期的には利潤がゼロになることがしられている。そしてこのような熾烈な競争に生き抜くために、企業は製品の差別化をはかり消費者の需要を喚起し、その有効な手段とし広告やブランド戦略などを展開しているのである。
ところで独占的競争企業は価格設定を自ら行うことができるが、市場の動向に合わせて絶えず価格を変更しているわけではない。価格の変更に伴うコスト(メニューコスト)が発生するために頻繁に需要の変化に応じて価格を修正することはしない。そのためメニューコストを原因とする価格の粘着性が広く観察される。また価格を改訂する企業が増加するにしたがって、この価格の粘着性は緩んでいくと考えられている。この価格の変更に企業は今期の産出高ギャップをまず参考にする。これはいままでの議論では需要が供給よりも多いと考えられるならば企業は価格を上昇させるように改訂するだろう。また他方で将来のインフレ率の予想も重要である。なぜなら上記のマークアップは名目額よりも各企業はその実質値に注目すするからである。将来獲得したいと期する利益に将来のインフレ率の動向が大きくかかわるわけである。まとめると企業の価格改定行動は、今期の産出高ギャップと、来期の期待インフレ率に依存している。経済全体でみれば現在のインフレ率は期待インフレ率と産出高ギャップに影響される。この関係を表現したのがニューフイリップス曲線という。
さらに中央銀行の金融政策ルールをテイラールールの形で導入するのが一般的である。ジョン・テイラーはグリーンスパン率いるFRBの金融政策の行動を「テイラールール」という形で表現することに成功した。テイラーによるとFRBは産出量ギャップ(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)とインフレ率に反応して利子率を設定しているというものである。テイラールールのもっとも古典的な形式は産出量ギャップとインフレ率を均等に重きを置いて考慮する政策スタンスを採り入れたものとなっている。
名目利子率=0.01-0.5(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)+0.5×目標インフレ率
である。このテイラールールを用いると、産出量ギャップが0.01、目標インフレ率を0.02だとするとFRBは0.5%利子率を引き下げて、景気の後退を防ぐことがわかるだろう。このテイラールールはグリーンスパン率いるFRBの動きをかなりうまく説明することができるといわれている。
ところで中央銀行は経済にふりかかるさまざまなショックから国民の経済厚生を守るために行動するとみなされている。いま国民の経済厚生を最大化するような中央銀行を考えて、この中央銀行が考えている経済厚生の損失の最小化が、そのまま国民の経済厚生の損失の最小化になると考えるとしよう。中央銀行は国民の経済厚生の最大化(あるいは損失の最小化)をきちんとフォローできると考えるわけである。
このとき中央銀行の経済厚生を最小化するための目的関数を「損失関数」といい、これは簡単にいうと今期のインフレ率と今期の産出高ギャップを足したものである。この「損失」を下の(a)(b)(c)のもとで最小化するのが、この経済にとってもっとも望まれる=最適と考える。
(a)NewIS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存する
(b) ニューフィリップス曲線では、今期のインフレ率が(1)今期の産出量ギャップと(2)来期の期待インフレ率に依存する
(c)中央銀行は目標名目短期利子率を決めるにあたって(1)今期の産出量ギャップ(2)目標インフレ率を参照する。
ところで上の意味での最適な中央銀行の金融政策を考える上で重要なものが「コミットメント」である。これは中央銀行の金融政策の目標達成への力強い政策的態度をしめす言葉といえる。具体的な目標について責任を持って期間内に達成することを約束することであ。例えば未達成の場合には具体的な形で責任をとる(ペナルティをとる)と考えて同じで効果を発揮する。このコミットメントを行うことが経済で活動するさまざまな主体(家計や企業や市場関係者)の予想に影響を与える。
例えば、先の(a)のIS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存していて、さらに来期の産出量ギャップは(1)'来期の実質短期金利と(2)'来来期の産出量ギャップの予想に依存していて以下同様に…となると、結局、今期の産出量ギャップは将来の実質短期金利に依存することになる。ニューケインジアンは産出量ギャップの変動を経済変動で重視しているので、これは将来の金融政策のあり方(=将来の実質短期金利をどうするか)への予想が決定的に重要になるということになる。
「産出量ギャップ」という表現が苦手な読者は、消費者でいえば(借り入れのケースを含む)所得、企業でいえばマークアップと考えてみればいいだろう。いまのサラリーの額や企業の利益が中央銀行の現在から将来に向けての政策態度に影響されるというのがニューケインジアンモデルもわかりやすい含意だ。
このような将来が現在を規定するという考え方をフォワード・ルッキングという。このようなフォワード・ルッキングな経済構造では、経済主体の予想に影響を及ぼすコミットメントがいかに重要になるかが分かるであろう。
●出口条件を考える
さて出口政策の条件を考えるには上の(a)(b)(c)のもとで損失関数が最小化するように計算をしなくてはいけない。しかしここでは直観的な説明を行う。渡辺努・岩村充氏の『新しい物価理論』(岩波書店)で用いられた仮設例を利用したい。この仮設例の面白いところは上記までは顔を出していない長期利子率の動きをフォローすることができることである。現在の出口政策にかかわる議論が長期利子率のオーバーシュート(財政危機の拡大?)への懸念にあることを思えばその重要性がわかるであろう。ちなみに以下では金利の期間構造モデルを採用して、長期利子率は将来の短期利子率の予想値に依存していると考える。すなわち単純化して足元の長期利子率は、足元の短期利子率と次の期の短期利子率の単純平均とする。また産出高ギャップは長期利子率に反応すると考える。あとでわかることだが、長期利子率は短期利子率の予想へのコミットメントに誘導されて決定されるのでいままでの議論と同じである。
いま三期間(0,1,2期)を生きる経済を考えよう。第0期はデフレで流動性の罠に陥ってるとする。現代版の流動性の罠をバーナンキらは名目短期利子率がゼロ(=利子率の非負制約)であると考えている。そして第1期と第2期では経済が回復しているとする。このとき渡辺・岩村の仮設
少し前に「彼女がいる女ってどう思う?」と投稿した続きというか顛末というか。
前回のタイトルについてはごめんなさい。
世間的な目や親や友達に言えていない現状などをいろいろと考えた結果でした(主題とはあまり関係がなかったかもしれません)。
https://anond.hatelabo.jp/20250412225856
コメント、ブクマカ(?)などは全て目を通しました。ありがとうございます。
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もちろん段階を踏んで。これまで彼女と2人でいた最長は3泊4日の旅行か、おうちなら2泊3日だったから、GWはとりあえずそれより長く彼女の今の家にお邪魔してみる。大丈夫ならもう少し期間を伸ばして、最終的には一緒に住もうという話になった。
話し合いにあたって、コメントにもあった通りアセクシャル/アロマンティック、関連するセクシャリティについて調べてみた。もちろん個人差はあるんだろうけど、重なっているところと重なっていないところがあった。
ネットは極論を書いてるのかもしれないけど、私は彼女のことをどうでもいいとは思わないし、連絡なども放置したりする気にはならない。優先順位があるとしたら彼女が一番で、その他の人たちと同じ順位にはどう考えてもならない。彼女といると楽しいし、今まで付き合ってきて後悔したことはない。もう会えないってなったら普通に悲しい。
ただ、彼女といてもドキドキとかはしないし、スキンシップもしなくてもいい。特に性的なことは、前回書いたように彼女に求められなければする気はおきない。恋人のコミュニケーションなので時間の無駄とは全く思わないし、人間の欲求なのだから理解はできる。なるべく断らないようにはしてるけど、その日の気分で断る時もある。するなら彼女には満足してほしいとは思ってる。(実際満足してくれているかは分からないけど)
ということを彼女にほぼそのまま伝えた。
彼女の反応は「たしかにそう言われればそうかも」「でもわたしが1番で、特別には思ってくれてるんでしょ?」だった。
頷くと、「じゃあいいじゃん。最高じゃん」みたいなことを言いながらハグしてきた。
そして「わたしは〇〇(私)に愛されてるなって普段からめっちゃ感じてるよ」と言ってきた。
誕生日記念日バレンタインとかを忘れずに祝ってくれたり、会いたいって言ったら用事よりも優先してくれたり、外で自分から手を繋いでくれるところ…と具体例をいくつか言ってくれた。
最後のは、彼女が付き合いたての頃にお願いしてきたからするようになった。
と言ったら、「そういうのを覚えていて、ずっと守ってくれること」だって。
「△△(彼女)のお願いを聞くことで、私も満たされてるところがあるのかも」と伝えると彼女は喜んでた。
性的なことについては「したくなったらこれまで通り言ってほしい」と伝えた。「じゃあ今から」とかマジトーンで言われたからそのまました。
私は話をした次の日が休日だったんだけど、彼女もわざわざ休みを取ってくれて、もう一度ネットで調べたりしながら話をした。理解してくれようとしている彼女を見て、ちょっと心が軽くなったのと同時に罪悪感も結構あった。
そして肝心の一緒に住むことについて、ビビってた理由は私のパーソナルスペースが広めなことの他にもわけがあって。
まだ20代ではあるけど、社会人の女2人で一緒に住むってことは周りからもそう認識されるんじゃないかって。99.9%以上の人は誰と誰が付き合ってようが一緒に住もうがどうでもいいだろうし、自意識過剰案件なんだけど、これまで通りの仲の良い2人から抜け出す覚悟がなかった。(元タイトルにも現れてる)
でも、セクシャリティについて話した時もそうだし、今まで交際してきた数年間を通して、これだけ一生懸命に私とのことを考えてくれる人なんて、このさき絶対にあらわれないだろうなって身に染みて実感して、私も覚悟を決めることにした。
この前の土曜日に彼女の実家に行って、日曜日に私の実家(現住所)に2人で行き、付き合ってること/将来的に一緒に住みたいことを伝えた。
彼女の両親と妹さんは元から私たちの関係を知っていて何回も会っていたので、すんなりと話は済んで。
私の親(小さい時に離婚してるので父親だけ)はビックリした様子だった。当たり前か。彼女と楽しそうに話して「今度一緒に(趣味の)釣り行かない?」とか言ってはいたけど、受け入れてるのかは分からなかった。というか、完全に受け入れてはない感じはする。でもそれもまあ、仕方ないように思う。
カミングアウトについては「急ぐ必要はないんじゃないかな」と彼女には言われたけど、今回の親については私の意見を尊重してくれた。
友人に話すかについては、彼女とその都度話し合って決めようと思う。
最後に
同棲について、私の中ではもう確定してはいるんだけど、一応試してみてなので完全に確定はしてません。
でも、どう転ぼうとも彼女とこれまで通りに楽しく過ごしていきたいと思います。そのためにも、愛想を尽かされないようにしないとな……がんばります。
Permalink |記事への反応(12) | 00:23
ホッテントリ入りしてて、なんだかあの頃の私たちに気づいてもらえた気がして嬉しくなった。優しい言葉をかけてくれた人ありがとう。
摂食障害同士のコミュニティはどちらかといえば危険の方が多かったよ。過食はどうしてもお金がかかる。食べ物代のために、高校生の女の子がパパ活を始める過程をリアルタイムで見ていたことがある。過食嘔吐をカミングアウトしたp(パパ)に、ファミレスのご飯をたくさん食べさせてもらえると喜んでいた。しまいにはラブホテルで過食している写真までツイートしていた。判断力の未熟な未成年は、たかが食べ物代のために大事な身体を差し出してしまう子もいる。
高校卒業後すぐにデリヘルを始めた女の子のことも見ていた。過食嘔吐界隈には夜職が多い。お金を持っている彼女たちが、机いっぱいに大量の食べ物を広げているのは羨ましかった。家に居場所がない場合も多くて、流されてしまう子がいるのも理解できる。
吐ける人が偉くて、痩せてる人がすごくて、たくさん食べて全部吐けると最高!みたいな価値観が界隈にはある。本当のところ、私たちは食べたくもないし吐きたくもないのだ。泣きながら食べて、泣きながら出していた。そうすることでしか生きていけなかった。
いなくなる人はある日突然消えるし、ずっといる人はもう何年も界隈にい続けているという感じだった。
それと、お店などで吐くことについて、界隈内でも常識のある子はいるけど、そうじゃない場合がほとんどだろうなあというのは見ていたのでよくわかる。ここはそれについて議論するエントリじゃないから別の話をすると、定期的に「食べ放題出禁にされた!💢」とかいう学級会が起きていました。あんまり追求すると別の話になってしまうのでここまで。
【以上追記終わり】
昔、過食嘔吐をしていて、それについてつぶやくツイッターのアカウントを持っていた。
摂食障害界隈は基本的に、拒食/過食(非嘔吐)/過食(嘔吐)の3つの島に分かれていた。
私ははじめ過食(非嘔吐)の界隈に属していたが、吐くことに成功したので過食(嘔吐)というツイッター摂食界隈最大の島へ移住したのだった。
同時期に吐く練習をしていた年下の高校生の女の子。彼女の方が先に吐けるようになって悔しかったのを覚えている。父親のことをパパと呼んでいて、食べ物を買ってきてもらうなどしており家族仲が良さそうで羨ましかった。
ピザ屋でバイトをしているらしく、廃棄をもらっては過食していた。ネトスト気質なので店舗を特定できないか試みたが普通に無理だった。摂食アカでは基本食べ物のことしか呟かないのだ。
マックのベーコンポテトパイが食べたいけれど、タマネギが入っているかどうかだけ知りたい……とツイートしていたお姉さん。私もタマネギが苦手だったので速攻でリプライした。「タマネギの風味は感じないので安心して食べてください!」と。
お姉さんはおそらく夜職をしていて、あんまり連絡を返してくれないような彼氏がいた。ある日、彼氏が電話に出てくれない、と切羽詰まったツイートを何回もしていて、その後自殺を仄めかすツイートを最後に、お姉さんのアカウントの更新は止まってしまった。何回かアカウントを見に行ったが、新しいツイートが増えることはなかった。
摂食アカを通じて唯一、リアルで会った女の子。なんでかわからないけどノリで一緒に食べ放題に行く?って話になって、DMに移動してからはトントン拍子で約束が決まった。待ち合わせして、某食べ放題に行った。
話してみると、彼女は学校外のスポーツをかなり頑張っているらしくて、確かに体は筋肉質というかそのスポーツをしている人っぽかった。運動をする人はやっぱりストイックで、一日にサラダチキン一本しか吸収しないと言っていた。そんなに運動してそれだけしか食べないの!?と驚いたのを覚えている。逆にストイックだからこそ苦しんでいるんだろうなとも思った。引きこもりだった当時の私は運動もしなければ過食してもちゃんと吐かずにダラダラ吸収していたから……
食べ終わると彼女は速攻でトイレに向かった。私は家以外のトイレでは吐けなかったので(なんかイヤだし)、いってらーと手を振って待っていた。おそらく彼女は1人で食べ放題に行きにくかったんじゃないかなーとも思うけど、でも不思議と波長が合っていたような気もするのだ。インスタも交換したけれど、いつの間にかFFから消えていた。
元が太めの体型だったらしく、凄まじい勢いで痩せていっていた。食べる量もすごくて、毎回フライパンいっぱいの手料理のインパクト大!な写真を載せていた。そのためあっという間にフォロワー数の多い大手アカウントになった。
彼女のすごいところは、①ものすごい量を食べる②写真がおいしそう③吸収せず必ず最後まで吐き切る④劇的に痩せていった、この4点だと思う。体重変化が劇的すぎて、大学の健康診断で呼び出されたと言っていた。
摂食界隈でフォロワーを稼ぐにはやはり食べ物の量だ。写真のインパクトに人は集まってくる。収入源が不明だとなお良し。ちなみに親金だとマシュマロで死ぬほど叩かれるぞ!
他にも、好きなアニメの話で盛り上がった女の子とか、いつもおいしそうな自炊をあげてたお姉さんとか、いろんな子のことを今でも覚えている。
私は嘔吐を克服して摂食アカを消したから、今みんながどうしてるかはわからない。今でも過食に頼った生活をしているけれど、もう食べたものを吐くことはないと思う。
ネットの向こうでも、ほんのわずかな時でも、私たちは苦しみを分け合う仲間だった。あのころ交わった女の子たちが、今は少しでも幸せに過ごしていてくれたらなー、なんて思っている。
文章が入ってこない。
兄弟が結婚予定の彼女さんが前科者(すごいざっくり言うと詐欺)
どういうこと??
ここが全くわからない
「が」が2つあるからかな
全く分からない
2年ほど前に「実の親じゃないっていつ言おう…」って相談していた増田です。
今更すぎて誰も覚えていないと思うけど、少し前に子どもたちにようやく伝えられたから、色々とアドバイスをいただいたお礼もあって報告にきたよ。
なかなか伝える勇気が出なかったけどどんなに遅くても下の子の受験が終わったら伝えようと思っていて、この程無事合格してくれたのでようやく腹を括った。「大切な話がある」と伝えてちゃんとしたレストランで子どもたちに伝えることにした。
一応、緊張しても大丈夫なように手紙も用意してたんだけど、いざとなったら意外と全部口で話せた!というか、逆に手紙なんか読んだら泣いちゃって無理だったかもしれん。
2人とも思ってたよりも冷静に聞いてくれて、ちょっと驚いた感じだったけどわりとすんなりと受け入れてくれた。
どうやら2人で大事な話が何なのか事前に予想していたらしくて、その候補の中に「実の母親じゃない」もあったようで驚きとかショックよりもそれが正解だったんかい感が強かったらしくて2人で笑ってた。笑ってくれてよかった。
カミングアウトしてしばらく経ったけど、これまでとそんなに関係性が変わった感じはないように思う。というか、そう思いたい。今も3人で一緒に暮らしてるし、普通に仲も悪くないと思う。もちろん、子どもたちの本心は分からないけども…。
これまでずーーーっといつ言うかどう切り出すかウジウジ悩んでたけど、2年前にここで吐き出せてよかったとおもう。その節は本当にありがとう。
以上、遅くなったけどご報告でした。
Permalink |記事への反応(13) | 09:59
女の子を傷つけるな😡
「なぜジェンダーを専攻したの」という質問に、傷ついた気持ちになる
(略)
「あなたはなぜジェンダーを専攻したのですか?何かきっかけがあったんですか?」
就活生の考えやきっかけから紡ぎ出される言葉を聞くため、どんな分野を選んでいようと、尋ねることになっているのだろう。しかし、この質問に対する最適な答えは持ち合わせていない。毎度戸惑ってしまい、ネットで見た適当な言葉を並べる。
ジェンダーやセクシュアリティの勉強をしていることを語る時、自分の過去の経験やセクシュアリティを半強制的にカミングアウトさせられているような、そんな少し傷ついたような気持ちになる。
自分が当事者であることが、専攻を決めた大きなきっかけになっている人もいるだろう。また、過去に傷ついた経験があったり、自分が違和感を感じたり理不尽な経験をしたことをもとに勉強を始めた人もいるはずだ。
ただ、5分前に初めて会ったばかりの面接官に対して、パーソナルな事は言いたくないし、勿論そんな義務もない。自分の経験や、その時感じた違和感や苦しみなんて分かってくれるものか。しかし、適当な理由を探し見繕う時、そこには嘘と僅かばかりのぎこちなさが生まれる。
そして出てきた言葉はあまりに浅くて、本当の自分自身の言葉ではない。
そもそもこの質問で就活生の何が測れるのだろうか?行動と思考の一貫性?
だとしたら、全ての物事なんて後付けでストーリーなんて作れてしまう。そしてそのストーリーを語っているうちに、それが真実にすり替わるんだと思う。
物事が最初にあるのではなくて、後から意味付けされてはじめて“物事”が生まれるのだ。
(略)
2019年とかぐらいにやたらと女風のステマというか広告が流行ってたな。
TVや雑誌でも女風を取り上げてて、実際にモニターを頼まれた女も直接知ってる。
その女はお金を3万もらって、実際に体験して女風レポをするというもの。
今でもnoteの記事はステマ臭いモノや、途中から有料になるエロ小説的なもので溢れてる。
まぁホンモノっぽい50代とかメンヘラもたまにいるが…
で、ブコメがアホなのは、匿名日記の内容が「こ、これは注意書きが丁寧だから真実だぁ!」って純粋に思っちゃうところ。
「やたらと不自然にステマっぽくなくする注意書きや予防線」が大量にあるくせに、
逆に行為の記述(エロ表現を入れなくても、さわりだけでもいいのに。マッサージだけに)が全く無い。
更に、元増田のレスの1つにあった次の追記はザ・業者が書く言葉だ。
"追記 本番行為は風営法でNG。なので女風利用しても本番行為は絶対にないよ。誤解させたならすまん。"
「女風で本番行為は絶対にないよ」って、一般の素人レポが書く内容じゃない。本番を連想するのはNGワードだから否定しなきゃなんだよな、業者なので。
※少しググればわかるが、一般的に本番は"むちゃくちゃ”あるらしい。
あと返信があるのでステマじゃないという謎判定もやめろ。自動投稿ではないだけで、ステマの可能性は普通にある。以前カミングアウトした釣り師がむちゃ丁寧に返信書いてたのあっただろ?
たとえば検索ワードで上位に出る店とかが書くのはメリットが普通にアリアリだ。
全国展開してて、男の登録者が増えてウン十万円の登録料が増えるのが儲かるわけだからな。
ちな何故女の風俗は世界的に市場が無いのかというと(日本は特殊で、ステマ+男の登録者が金を払って売上補填の仕組みで存続)、
"普通の女"はマチアプ、Tinder、街コン、バーなどで相手が見つかるし、その方がまだ安全だからだよ。
俺は少なめに見て1000人以上の女とメシに行ったことあるのでn=1000以上だけど(ガチで)、
マチアプがむちゃ怖いと思ってる女はそんなにいなくて、「女風の方が安心かくにん!よかった」て思う女はかなり少数派だと思うぞ。
アプリや街コンって、顔判定、面倒なメッセージや会話を何往復もして、コミュ力などを超見て、やばいやつは即切りできるのでかなりフィルタリングできるんだよ、女は。
「女風俗でパネマジ怖いけど知らん男を写真で選んで、2万払って性欲発散や!」て女は相当レアだぞ(居ること自体を否定はしないが)。
つかそもそも女風で顔写真が出てる男が少ない(今の時代ほとんどボカされてる)し、普通に女風登録するような男って絶対やべえヤツしかいねえだろ。。。街コンとかにいる顔の見える公務員や上場企業リーマンの方が100倍安全。
女風だと挿入されないから安心ね!というのも当然ファンタジーだ(人間だもの)。つかホストくずれや元半グレとか、初年度20万登録料払っている男からしたら、「+2万で本番するよ」とか高確率で裏オプ言ってくるぞ。
まぁブコメは異常値というかステマに影響されるバ…純粋な女性が多いので女風に興味を持ったやつもいるかもしれんが、
どう考えても
★出費 マチアプ <<<<<<<< 女風
だと思うぞ。