
はてなキーワード:ゆらゆらとは
その夜、俺たちは初めて「交換」をした。
部屋の灯りを落とし、キャンドルの火だけを残して。彼女は四つん這いになり、白い尻を高く掲げた。俺は膝立ちでその後ろに回り、まずは自分のを放つ。熱い尿が彼女の背中を伝い、腰のくびれを越えて股間へと流れ落ちる。彼女は小さく震えながら、それを受け止め、自分の手でそれを掬い取って自分の陰部に塗り広げた。
「今度は……あたしが」
彼女が振り返り、俺の前に跪く。俺は仰向けになり、両脚を大きく開いた。彼女は俺の胸の上に跨がり、ゆっくりと腰を沈める。最初は小さな滴、それから勢いを増して、熱い奔流が俺の胸を、腹を、股間を直撃した。俺の陰茎はびしょ濡れになり、彼女の尿にまみれてさらに硬くなる。
「あぁ……すごい、全部かかってる……」
彼女は腰を前後に振りながら、最後の一滴まで絞り出す。そしてそのまま俺の上に倒れ込み、二人の尿が混じり合った部分で激しく擦れ合う。濡れた音が部屋に響き、キャンドルの火がゆらゆらと揺れた。
「これが……相互放尿」
彼女の唇が俺の耳元で囁く。
俺たちは同時に頷いた。自己放尿の孤独な快楽は、もう過去のものだ。これからは、互いの体温と匂いと液体を交換しながら、どこまでも堕ちていく。新しい時代の、最初の夜だった。
writtenby Grok.
おもろいなぁと思います。あ、増田ではありません。普通にはてぶです。
どっちかというと僕はそういう役者だったり、人間だったりを外面から見てあれこれ考えるのが好きなので(妄想癖)、あまり他人の描くブログの内容が頭に入ってきてすんなり受け入れられるタチではないんですが、やっぱりその文章を受けて、文章自体を考えるのではなく、文章を書いた人物と文章との俯瞰的な姿を想像します。
へーん。ワイは恋人がいるかもいないかもわからん人に片思いやけどな。そういうことを書いてる人間の心境とか、外野から勝手に考えて推測してみたいじゃないですか。関わり過ぎてしまうと良くない(自戒)。人の恋愛の話は真に受けません。本当は恋人いたりとかするしな
人が文章を書くって、そのためのアクションをわざわざ起こしているわけだもんで、ことさらブログともなるとどうしてそういうことを書いているのか気になったりもするし、それを理解することは僕が脚本を書くことの自分自身への理解にもつながります。役者が自分を表す機会もなかなかないですから、そういうものを眺めるのも興。
自分自身のことを僕はここには書かない。それもある意味書くことへの動機の理解なんだと自分でも思う。
新たな視点や情報を持ち込む人、匙加減が絶妙で既存の面白さと離れすぎてもなく、その場の一部~過半数から評価され模倣を生む みたいなもんだろうし
今より世代間、地域間、業種間での情報が行き交ってなかった 発散の場が限られていた、所属集団内でのネタ披露よりも成功体験が得られやすい
で、必ずしも裕福な家庭が必要ってわけでもないのだろうが、初期にはそういう人たちが雰囲気や評価軸を形成したので一旦そいつら優位な環境になったぐらいでありそう
結局小学生レベル(小学生も笑うような)馬鹿馬鹿しいネタを考える学生(なのかおっさんなのか)とかと下品、上品どちらも勢力を失わずに残り続けているし
自分はテキストサイトとかをちょっと見た後(98年ぐらい?)で一旦ネット見なくなって、ここ10年ぐらいで復帰した勢なのでなんも追えてないが、なんとなくしっかりした大人や頭いい大学生が馬鹿な事やってて好きという印象があって、何度かその人が全然大人じゃなかったりしたのも経験した
ハプバーいきまくっている
かいている私は女です。
先に結論を出すと
・隣でなにやってようが風景のようになる
酒ばっかり飲んでいるか
その人の誕生祭なるイベントがあればそれにむらがる女性がやってきます
なので性を持て余した男性そっちのけで
女子はここぞとばかりに貢いでいる様子がご覧いただけるかと思います
そしたら
それ以上は語らず横顔も何もかも美しい。
どのような経緯でパートナー化したのかと思うとそこの話もききたくなるが
もちろんそこまでは踏み込まない。
他のはぷばーでも
この二人がこのような場所で軽快に性を楽しんでいると思うと
下着姿で歩き回っていた
その方にも「結婚はしているの?」と声をかけたら
やばいな。
わんさかと溢れている
ビギナーズラックだと痛感したのは
濃いめの顔のお兄さん
私が店に入ったあとに入店してきた方
しかしカウンターにいるため店員だったら落ち込むなと思いながら
酔いの力で私も思わず声をかけた
「店員さんですか?」
「いや、常連です」
「もうここ長いので・・・」
二人になり小さなチャンスをうかがっていた
「お兄さんかっこいいですね、めっちゃ好みです」と
これで試していたらしい
「この人はMでもイケる」と
あとから聞いた話だが、後頭部を優しくなでて
髪を優しく掴んで抵抗なければM
そのあとに嫌な顔したら「Mではない?」の判断のひとつだそうだ
私はこの後頭部を優しくつかむにまんまとクリアして
(相手はもともとSだそうです)
人生で初めてだったので本気で焦った、このままでは沼る。
その瞬間だけ絶対好きだった。
適確に急所を狙い動きと手の鮮やかさ、
そのあと初体験をまたした、
手でされているときに
その時に快感の波がぐっと上昇したのを感じた
これ以降、この「子宮を押さえる」が一般常識であると学びました
腰の動かし方が尋常ではなかった
私の中の上をなぞり上げるように展開されている動き
『この人は女をイカせるための動きをしている』
人生でここまで女性のためのセックスをしてくれる人がいるのか?と
私の膣が疑った。
ナチュラルに松葉崩しの体勢になり
これ以上は私が壊れ始めると断点して私からリタイアを申し出た。
もう一人の方は別の場所で。
私が来たしばらくした後に見えた方
外営業の暇がてらきたのかな?
整いすぎた髪型と体格が印象的だった
私もこの場所では初めてだったので
隣の席に座って数回言葉を交わして
「やるなら絶対上手い人がいい!」
「どうしてほしい?」と耳元でオーダーを聞いてくれた
「Sっぽいのが好きです」と伝えるとそれで了承してしまった
部屋に入った瞬間、
片手で押し倒される
もうこれに私の性癖がまた追加されました。
『もう私はMだ、Mでいい』と心で念じました。
ずっと手でやってくれて
「手、疲れないの?」と聞いても
手でしばらくしいたら
「いれて欲しいの?」と笑顔とのギャップの下半身がずっとこちらを
見ていました
「もう、こんなんになっちゃったよ」
そのあと優しくリードしてくれました
途中で私の口を手で押えてくれるという
また新たな私のM性癖を開花させるような予告ない動きに
完全にうっとり状態に(酸欠?)
首絞めも一回してくれましたが
さすがにこれはわたしの中ではSすぎて無理でした
(失神プレイが好きな方もいるそうです)
そのあとは相手がイって終わりましたが
「私がイケなくてごめんね」っといったら
大丈夫だよ」と
とことん優しく接してくれ
もっぱら穏やかな会話調さえも学びになった瞬間だった。
私もこのような優しく接して瞬間を楽しむような
あ、ちなみに二人ともパイパ●でしたよ
(私もかなり泥酔していたので(なんせ女性は永遠に酒はタダ))
女性の動きがとにかく私の中で衝撃的だった
とにかく「エロい」
具体的にいうと
目が潤んでいる
くねくねしている
ずっと見つめてくる、視線が外れない
(ロックオンがすごい)
え・・・・
体型は太っているというかむっちりしていて
絶対肌もやわらかそう(触ってないけど)
と衝撃であった
その女性に
「なんでそんなにエロいんですか?」と聞いた
「ゆっくり話している」と
非常に勉強になる話をきけて嬉しくなる私!
男性をさくっと連れてきて
ずっとチューしたり胸さわられていました
生肌が圧倒的にエロさを出していました
というか近くにいたら絶対この人に取られるんだろうな。
あ、あれか
と私は目の前のいちゃついている風景に
また新鮮な学びを得ました。
「それ」はもう見えていますよね?
もはや「痴女」
顔は化粧っけのない一重の女性
性に対しての余裕の貫禄・・・・
女性としての余裕さ
一体これはなんなんだ??
これはなんだ?
ここでは書き表せられない、強い妖艶さ。
また会えたら話を聴きたいな。
・隣でなにやってようが風景のようになる
そこらへんであえぎ声が聞こえていて
そこらへんで生のプレイが見れるので
思うのですが
多少見られても気にしないし
見てもダレも怒らない
その場でいちゃつこうが
その場で股舐められようが全然気にしない風景がここにはありました
その隣で
そこで誘われ、そこで誘い、そこでやんわりと
断るのも・断れるのも普通
はじめてこの社交場に来たときはびっくりしたけど
慣れってこわいですね。数回で慣れました。
縛られてあえいでいる女性をみて
すごい世界がそれが
やりたくてもやらなくても
見るだけでもOk
これが大人の遊び場ですね
また仕事が落ち着いたら行きたいです。
結論としては
あとタダ酒飲みたい、飲みたがりの一人の女性は
はぷばーオススメです。
別にやらなくてもいい。あわよくばどうにかなればいい。
バレないようにすればいいと思います。
一期一会を推奨しているので楽です。
単女はとりあえずタダ飲みにくればいい。
また何かあったら書きますね
テラス席に座って、風が髪をくすぐるのを感じながら一息ついてたら、ついウッカリ肘がテーブルに当たってカップがガシャーン!
「あ゛あ゛あ゛あ゛!!」ってなるじゃん?
ところがだ、私が慌ててティッシュを探してるうちに、目の端に何かがチラチラ揺れてるのを感じたんだ。
見ると、床にこぼれた紅茶の水たまりの真ん中から、小さな光の粒がフワフワ集まってきて、気づけば全身キラッキラの小人みたいなやつが立ってた。
「あなた――飲んでいたのは金のコーヒーですか? 銀のコーヒーですか?」
おいおいおい、なんだこの展開は。金のコーヒー? 銀のコーヒー? 私は紅茶だよ、紅茶。
そいつはめちゃくちゃ不満そうに眉をひそめて、ちっちゃい腕を組んだ。
こっち見上げながら、こんなことを言いやがったんだ。
「魂の錆びを磨く術?」
問い返す私を、妖精は嘲笑うみたいにクルッと一回転してこう続けた。
「金のコーヒーは──希望を、銀のコーヒーは──絶望を、そして紅茶は──無邪気という幻想を宿すもの。だが無邪気は真実を映さぬ鏡。あなたの胸の奥で、何が渇望しているのかは、見せぬままだ!」
はあ!? 訳がわかんない。紅茶を飲んだだけなのに、なんで私の心を見透かされなきゃなんないのよ。
「だったらアンタ、私に何を望んでんのよ?」
妖精は少しだけ不敵に笑ってから、ひらりと空中で舞い上がり、テーブルの上に飛び移ってこう言った。
「それでも紅茶という虚飾を選んだあなたに告げる。今夜、月の影をすくい取る旅に出なさい。そして金と銀の杯を見つけし者のみが、本当の味を知るでしょう――」
――ああもう何言ってんのコイツは。旅になんて出ないっての!
シュワシュワした魔法の粉を振りかけるみたいに、妖精がキラキラと輝きながら飛び去っていくのを見届けたあと、私はポカンと口を開けたまま紅茶をすすった。
あれ?紅茶を手に持ってる?
隣のテーブルのマダムがこちらを一瞬見たが何事もなかったように視線を戻した。
なんだか胸の中をコポコポと紅茶の気泡みたいな疑問が浮かんで、気づけば誰もいないテラスには、こぼれた紅茶の水たまりだけがゆらゆら揺れていた。
やっぱり紅茶こぼれてるじゃん。
私は何食わぬ顔で、紅茶を最後まで飲み切って何食わぬ顔で店を出て、何食わぬ顔で歩き出した。
まあ、こんなこともあるか。と切り替えて現実に集中することにした。
でも自分でもわかってる心の何処かで思ってるんだ。
初音ミクはどっちかっていうと「ボーカルに声かけられない作曲者の為のボーカル代行アプリ」みたいなもんだから、僕らがセンズリコく為に利用してるものとは全く用途が違うのよね。
初音ミクが大手を振って抜けるようになったのもMMD方面でお肌テラテラスケベダンスが始まってからだし、そうでなくても現在進行形でセンズリ方面の用途で初音ミクが利用されてるかといえば比率的には少ないよ。まぁ元々の数が膨大すぎて『いやw百万人ぐらいは初音ミクでシコったことあるってww』って言えるかもしれんけど、ぶっちゃけ一億人ぐらいは初音ミクを認知してるって解釈しても(ちょっと少なく見積もりすぎじゃない?)って言われるレベルではある。
最初からおっぱいゆらゆらダンスをぶちかまされたAniちゃんはそういうアイコンに辿り着くにはちょっと使用用途の比重がスケベに傾きすぎている。あっという間に別のお着替え可能コンパニオンに台頭されてそれらでセンズリ合戦されてる最中に基本的に“そういう用途”に使えない子がちゃんと賢く親切にユーザー達の悩み事を解決してくれるようになる。
そうすることで、その子が第二のアイコンの地位に辿り着けるようになる。
全部谷川俊太郎という演奏会を数年前にやりまして、その時の曲も絡めつつの三善晃「空」の話です。
演奏会は「木とともに人とともに」全曲、「祝婚歌」、「ハウルの動く城」主題歌の「世界の約束」、ほかにも盛りだくさんで、その頃書いた日記を元に雑感をダラダラ書きます。
私の中では、「空」と「祝婚歌」と「世界の約束」はセットなのです。
×××××
「世界の約束」は、喪の歌なのですよね、配偶者を亡くした人の歌。
https://www.uta-net.com/song/20914/
もうパートナーは亡くなってて、「涙の後」「別れの後」なんですが、「思い出のうちに/あなたはいない/せせらぎの歌に/この空の色に/花の香りに/いつまでも生きて」
と、思い出の過去に閉じ込められずに今現在も未来も生きている。
一方、「空」はまだ死んでないパートナーの死を日常の中に見出して、「未来はあとどこまで続くのだろうか」って不穏なのよね
で、曲調は、不穏な和音で引っ張って揺れてるんだけどフレーズの結びはわかりやすい和音に落ち着いてホッとする…かと思ったらまたすぐ不安定な和音になる。ゆったりしたテンポなのに予期不安のように繰り返し繰り返し焦燥感が訪れるの。当時の日記では「あああ〜怖い怖い怖い怖い」って書いてます。おしゃれな和音なんだけど怖い。怖おしゃれ。
繰り返しの予期不安は「あなたを喪う」不安で、「広げたまんまの朝刊」みたいな日常にも、何度も何度も喪失が影をさす。
×××××
この曲を歌った演奏会の前年、私は身内の高齢者を亡くしたのだけど、突然のことでお家が直前まで暮らしていたそのままだったのね。片付けに入ったら留守宅にお邪魔してるみたいで。もうこの世にいないかのようなのは嘘で、お留守にしてるだけみたいで、でもほんとにほんとにはもう亡くなっているわけで……(ちょっと文章へたくそで伝わる気がしない、すみません)
そう思うと、今のこの日常も、否、全ての日常は、死とウラオモテでくっついているように思えてくる。
×××××
私が生と死の密着を見たのは実際の高齢身内の死によるけれど、「空」の語り手は生と死の密着を生きてるパートナーに見る。
でもパートナー?「天国じゃなくてあなたとは地獄で会いたい」だよ地獄だよ〜
もう、地獄に行く未来がふさわしい罪を犯しているわけ?えっ不倫なのかな?どう読めばいいの………
いや、不倫でも不倫でなくてもいいのかも。だって「は〜や〜く〜かえって〜〜き〜て〜〜」の凄まじい不安と執着は清廉な天国のイメージじゃないもの。美しい和音だけどゆらゆらと安定せず、細く軋むような、声にならない悲鳴のような執着にふさわしいのは、やはり天国じゃなくて地獄ですよね。
不倫だろうと夫婦だろうと、この執着、渇望はすごいエネルギーだと思う。
(話ズレるけど、帰ってきて〜の最後のアルトで和音が変わるの気持ちいい!ここだけアルトになりたい…)
悲鳴なんだけど、同時に甘い。
×××××
そして「祝婚歌」。
(短いので全文)
あなたがいる
私のかたわらに
いま
私がいる
あなたのかたわらに
花々にかこまれ
人々にかこまれ
星々にかこまれ
私はいる
あなたのかたわらに
私のかたわらに
1連で「あなたがいる」「私がいる」と事実を述べ、3連では「わたしはいる」「あなたはいる」と確定した真理か、あるいは信仰告白のように述べる。お互いの存在理由がお互いであるかのように、しかも「いつまでも」。
3つの詩を比べると、生と死は表裏一体だけれども、死は2人をわかつことなくいつまでも2人は共にある、と思って歌えばいいのかしら…
と、思うじゃないですか?
ここで詩が書かれた時期を検索。
かたわらにいないとあなたはもうこの世にいないかのよう、な「空」2006
別れの後、あなたはいない、いつまでも生きて、の「世界の約束」2002
私のかたわらにあなたはいる、いつまでも…の「祝婚歌」1981
おやおや…あとになるほど死が近くなってくる感じ?いつまでもかたわらにいるといい切ってたのは谷川俊太郎も若かったらそう感じたけどってこと?
まあこれは、私が年齢を重ねて死を近く感じるようになったから、そのように(年を取ると死を近く感じるものだ、自分がそうだから谷川俊太郎もそうかも、という少々安易な同一視)読んでしまうのだとは思う。
谷川俊太郎はインタビューで「注文に応じて何でも書く」的なことを言っているので、その時々で切り口が異なるだけなのかもしれない。
×××××
「空」の終盤、「さびしさはふたりで生きてるあかし」は、死がとても近い日常でそれでも生を実感するアンカーが「さびしさ」なのかなと思わせる。
ふたりが生きていれば、日常生活では朝刊を広げたまんま離れたりする(♪見出し〜あたりの和音と旋律の不穏さ!さび、さび!)。でも離れてる時間のさびしさ、あなたへの渇望は、あなたが生きてるからこそなんですよ。
だって、「世界の約束」を踏まえると「あなた」が死んじゃったらもう、永遠にあなたは生きててそばにいるんですよ、もう「未来はあといつまで?」って失う幻影に怯えることはない。
だからこそ、「さびしさはふたりが生きてるあかし」なのかな、と。
失う不安は、まだ存在することの証明。なので曲も「さびしい」と歌うところはホッとする和音で落ち着く。さびしいんだけどあなたが生きてる幸せ。ふたりで生きてるあかし。
まるで「不安じゃろ?いつか死で分かたれるのが怖いじゃろ?仕方ないぞよそれがふたりで生きるっちゅうことじゃ、『わたしはいる、あなたのかたわらに』を選んだのじゃ、痛みを抱えてゆけ!」と言われてるみたいな…
幸せで終わるんじゃなく、幸せと不安、生と死は一体で同一なのよ、みたいな…。
×××××
あちこち矛盾があるな〜、詩と曲とごっちゃに語っているし…論のテイを成してないけどまあ、感想なので…
異論は有り有りの有りです。
改札に到着してから切符なりを取り出す。このばーさんがいるとその左右も混むという広範囲攻撃をもたらす。
じーさんはあまりいない。じーさんはポケットにそのまま切符なりを突っ込んでる印象。
不思議なことにあまり見かけない。じーさんはあまり外に出ないのだろうか。
改札近くで歩きながらカバンをゴソゴソしているやつは十中八九Suicaなりを取り出そうとしている。
基本失敗していることが多い。無能。早めに退避を推奨。
改札前で謎に陣取りをしている。自分たちが邪魔になっていると考えられる余裕もないものと思われる。
周囲もめちゃくちゃに混んでいることが多い。とても邪魔。いったんどけよ。
ゆっくりタッチしようとする奴。こいつは残高が足りないとかでピンポーンとなるかもしれないことを知っている。
案の定ピンポーンが鳴り詰まる。改札前で減速するやつは危険。チャージしとけ。
おそらく地方から出てきたとかなんらかの事情で都市部の交通に慣れていないものと思われる。
ICカードオンリーの列に切符で並んでいたりすることがあり、そういうときはパニックになっている。
まあ仕方ない。
単純に歩くのが遅い。どういうわけかしらないが混雑していてもマイペースで歩きうしろの渋滞を引き起こす。
すべてがスローなので当然改札も遅くなる。しかも改札を抜けたあともモタモタしている。
たぶん高速の渋滞や日本の経済停滞なんかもこいつが原因。「ゆっくり歩いて何が悪いの?」とか言いそう。あとたぶん成績も悪い。
I
ステージの上、青く透き通る水槽。ライトが水面に反射して、まるで星が揺れているように見える。観客席のざわめきが波のように押し寄せては引いていく。
彼女はいつものように笑った。大丈夫、成功する。今まで何度もやってきた。今日だって、いつもと同じ。違うはずがない。
「3…2…1…スタート!」
脱出開始。
II
水が冷たい。
手首のハンドカフが食い込む。
足元の鎖が重い。
(いつも通り……やれば……)
鍵を口の中から指先に移す。小さな金属が、彼女の生命線。鍵穴に差し込む。
(開け、開け……ぺこ……)
手がかじかむ。冷たさのせいか、それとも別の何かか。
残り40秒。
鍵が穴にうまく入らない。指先が震えている。いつもなら、もっとスムーズにできたはず。焦りが募る。
30秒。
「──!」
必死に掴もうとする。でも、水流がそれを遠ざける。指先が空を切る。
水面の向こう、ライトがゆらめく。
(……まだいける、まだ……)
手錠をこじ開けようとする。無理だ。力が足りない。指が痛い。時間がない。
20秒。
肺が悲鳴を上げる。水の中にいる時間が長すぎた。心臓がドクドクと鳴る。体が強張る。息を吸いたい。
(開かない、開かないぺこ……!)
水槽の外、スタッフが顔を見合わせる。観客のざわめきが大きくなる。
10秒。
助けを呼べない。
声は水に溶ける。叫びたい。でも、口を開けば水が入る。
(まだ、まだ……)
──5秒。
視界が狭くなる。耳鳴りがする。足が動かない。指が動かない。
(……だれか……)
──0秒。
水槽は静かだった。
青いツインテールがゆらゆらと揺れる。小さな手がゆっくりと沈む。
観客席が悲鳴に包まれる。スタッフが駆け寄る。でも、水槽の蓋は動かない。
ぺこらは、ただ、水の中で目を閉じる。
「……ぺこーらは……つよい……うさぎ……」
最後の泡が、水面へと上がった。
最近読み始めた漫画がめちゃくちゃ面白かったんだけど、途中からキャラ増えてきて覚えきれなくて読むのやめたわと、よく行くキャバクラのT子に話したら「ウケるー!アイドルの名前覚えられないやつじゃんー!新しいタイプのおじさんじゃね!?」とタバコに火をつけながらゲラゲラ笑っていた。
笑うT子の金髪のフチをミラーボールの光が照らし、タバコの煙がゆらゆらと横切る光景が妙に神々しく、町田洋の惑星9の休日を思い出したので、安いくせにその場所では高い焼酎のボトルを入れたらT子「神〜!」とテンション上がっていた。
アフターでは鳥貴族(T子指定。もっといい居酒屋あるよとは何度も言った)に行って、カラオケに行って、川で石を拾って、笑って帰った。
なぜかというと、大人のおもちゃを使って一人でしてしまっているのがばれてしまってめっちゃ気まずいからだ
当方のスペックは30歳共働き(私は時短で通勤時間も足していうと7時半~17時)1歳半の娘持ち
育休中の夜間授乳などは、会社に行ってなくて娘の昼寝に併せて私も寝貯めできるからということで、一切をすべて私が受け持ち夫がやることはなかった。
ただ、保育園に預けて時短ながらも共働きになった今年度、娘が急に夜泣きをするようになってしまった。ひどい時で2時間おきに覚醒するし、だいたい平均で2回起きる。
そうなった場合、日中仕事がある中で毎日毎日1時とか4時とかに起こされるのはほんっとうにしんどい。
娘も何しても泣くので、ただ抱っこしてうろうろゆらゆらするしか成すすべがなく、睡眠不足と孤独感で一緒に泣いてしまったことも数知れずだ。
そんななか、旦那は一歳の頃の夜間授乳の感覚でいるので全く変わってくれず、「私も仕事があるから連日これはさすがにしんどいんだけど…」と相談しても交代してくれるとかじゃなくて「しばらく実家に帰ってみる?会社辞めてもいいよ?」とのたまってきた。
これはあくまでも旦那のやさしさからの発言としても、はっきり言ってずれてるし、ぶちぎれて旦那への愛情はこのとき一切消滅した。
そんな状態でそろそろ夫婦生活も…^^とか言われてもはっきり言って殺すぞとしか思えない。子供がやっと寝たけれど次何時間後に起きるのかわからず、寝られるなら一秒後に寝落ちしたいのだ。
ただ、元が夜型人間で寝つきの悪い私はなかなか寝ることができず、子供の夜泣きの間にだっこ紐に入れてゆらゆらしている間30分から1時間の間手持ち無沙汰になるのでスマホを見るしかなく、結果的に目が冴えてしまう。その対策として、疲れたらスコンと寝られるだろうと思いついたのが自慰だった。
amazonで静音の吸うやつを購入し、子供が寝てからコソッと使えば5分以内に寝られる。最高!
そんな神器を寝落ちる前に毎回チェストに隠しているのだが、今回たまたま早帰りした旦那に隠す前に見とがめられてしまった。
それで「欲求不満にさせてすまない…><」と謝られてしまったんだけど、正直な話ちがうわけ。こっちはセックスがしたいけど旦那がいないから…とかでやってるんじゃなくて、運動と思ってやってるわけ。睡眠導入なわけ。
出して入れてを2分で終わらしてくれるならともかく、体位を変えて、キスをして、短くとも40分くらいかかる行為をする暇なんてないわけ。それに身を清める時間を入れたら一時間弱、下手したら娘の次の夜泣きタイムになってしまうわけ。
だからお前とはやりたくないんだよ~~~!
まぁ、そこまで言ってはいないけど、そのまま変な空気が流れていったんは終わったそれ。
旦那的には、私が旦那としたがらない割に自慰はしてるってことを、ものすごく重く受け止めたらしい。
次の日から夜泣きを一日交代で見てくれるようになったし、土日は義実家に娘を連れて行ってくれて睡眠時間をくれたりするようになって、旦那への愛情は少しづつ増えてきた。
こんにちは。私自身過去に虐待を受けており、ただ受けただけじゃ元が取れない(?)ため、創作に活かしていただきたくこんなことありましたよ!というのをお話できたらなと思い筆をとっています。不謹慎って思われないかなとか、人の経験だしネタにしづらいなとかシコりづらいなと思われるかもしれませんが、マジでガンガンネタにして元を取りたいので好きにしていただけますとハッピーです。自分の経験ベースで、児童相談所とのやり取りがあった時に聞いたことも交えていきますね。
受けたものとしては経済的虐待(ネグレクト)、教育・文化的虐待、精神・肉体的虐待、性的虐待などが挙げられます。
順番に思い出しながら書いていきます。
基本的なスペックとしては母は軽度のASDと知的のしょうがいがあり、父はわかりませんがヤニ力スパチ力ス酒力ス浮気とフルコンボでした。お手本のような力スです。力スの見本市。3歳頃に母方の祖父母宅に転がり込んで居候をはじめましたが、父はいつのまにか逃げました。
ネグレクトについてはよくある形ですが、まず父親が今生きてるのか死んでるのかわかりません。父親も幼少期、兄と弟と共に公園に連れて来られ、おもちゃを渡されて「ここで待っていてね」と両親に言われたがそのまま両親は戻って来なかったため児童養護施設で育ったと聞きました。血ですね~
父は気付けばいなくなっていました。
食事も食べられる時と食べられない時とあり、食卓につくとありとあらゆる動作や食べ方、箸の持ち方、口の動かし方、全てを罵倒され罵られます。ろくに食べられたもんじゃないし、味もわかりません。母は料理が上手じゃないくせにオーガニック派(笑)だったため、添加物着色料など使う食材は徹底的に避けており、貧乏なのに国産無添加無農薬にこだわり、結果的に食べられるご飯の量は少なかったです。
食卓でまともに食事が出来なくてもお腹は空きます。育ち盛りの子供なら当然。そのため、夜中にこっそり起き出してキッチンで食べられるものを探しました。三角コーナーの生ゴミからまだ食べられる野菜の皮や芯を探して食べていたら、祖母に気付かれていたようで、バレた日から「ゴキブリ」と呼ばれるようになりました。草 誰がやねん
教育・文化的虐待については、親の望む進学先ではないためお金を出してもらえなかった、などがありました。福祉に繋がることも出来ず、進学などが制限されるというのもよくあるケースのようです。弟も進学先を制限されて学費を支払ってもらえず、私が支払っています(よくあることらしく、親戚やきょうだいが払うケースは多いそうです)
精神的虐待というと幅は広いですが、たとえば父と母の結婚は母方の祖母が元々反対していたらしく、家にいる間はずっと祖母が父の悪口を言っていました。母に対して「育てられないならなんで産んだんや」と金切り声で叫んだりなどしており、それを私たちきょうだいは黙って聞かされていました。生まれてくることを望まれていなかったのだという感覚が形成されたのはこれがデカいのかな?と思います。自己肯定感ダダ下がりポイント。母も母で言い返すことをしなかったのが余計に悪かったのかも。もしかしたら母にちゃんとそれを否定して欲しかったのかもしれないですね。今となってはどうにもならないことですが。
また、兄も父によく似た男でした。気に入らないことがあれば殴る蹴る、罵倒する、無能と罵り物を投げる、壁を殴る。など。実家の壁には多分未だに穴があります。兄は父親のことを憎しみ、嫌っていましたが、大きくなればなるほど兄の態度は父に似ていきました。それを指摘すれば烈火のごとく怒り狂い、怒鳴り、それがまた、酔って暴れる父親に酷く似ていました。
これ創作ならシコポイントだと思うのですが、実家にいたころ私は背もたれのない椅子を使っていました。そのため、兄が後ろを通る度に後ろから蹴られ、頭を殴られ、怒鳴られるため、未だに年上の男性が後ろに立つとちょっと怖いです!多分厳密には自分より体格のいい人が、だと思います。どれだけ信頼していても、あっ!蹴られる!と思ってビクッとします。身体が強ばるような感覚で、全身に力が入るような一瞬の緊張があり、もう家を出て10年近く経ちますがいまだに抜けない癖となっています。
あと、メンタルがぶち壊れて鬱をやった時、寝込む私に兄が硬式テニスのテニスボールや、ボール入れを頭に投げてきたことがあったため、未だに🎾これとかこれの容器を見るとオッ……となります。私の中で武器や凶器に分類されるのかも。痛かったから。物はよく投げられましたね。お皿とかも投げてた気がします。
兄が暴れるのに怯えた祖母が金切り声をあげて泣き、母は抵抗せず殴られて、唯一力で抵抗できる祖父が必死に止めて、という生活が続きました。兄も軽い鬱だったようです。
母もただ大人しいかと言われるとそういうわけではなく、多分ですが発達障害やASDの兆候があったように思います。同じ日本語を話しているはずなのに、全く話が通じず、言っていることの意味が全くわからないというようなことがありました(例を挙げるならば、私が家にいるのが限界になり児童相談所と相談して一時保護を受けるか他のなんらかの施設に行くか……という話になった時、今まで服も全部お下がりなぐらい私にお金かけなかったくせに「古い一軒家を買い取ってそこに住めばいい」「父の自営業の事務所代わりにも出来るし」と言い出したりとか。父は配送業で全然勤め人だし、その頃にはもうろくに連絡も取れてなかったし、何より私は父から強姦されてたので一緒に住むなんてとんでもねえよという感じでした。それが嫌だと言ったら「実家から私たち家族が引っ越してあなたが1人で住めばいい」とか言ったり。実家は祖父母の家であり、そんな権限は家庭内地位が最下位の母にあるわけないし、もちろん同意を得られるはずもないのに)。
母の言い出すことはいつだって意味がわからなくて、きっとこれまで母が受けてきた抑圧や苦しみ、刷り込まれてきた固定観念で雁字搦めになった価値観を私にも押し付けているようでした。いわゆるヒスお母さんに近いです。二段ベッドの上の段で寝ていた私が、メンタルぶっ壊して学校に行けなくなった時、大声で騒ぎながら私を二段ベッドの上から引きずり落とそうとしたり。足つかまれて引っ張られてたので、誰かに足首を掴まれたり、足を触られるのも今ちょっと怖いです。後ろに男性が立つ時ほどではないですが。
そして我が家は貧乏で、母が乗っていた自転車も近所の人のをお下がりでいただいていました。古い自転車はブレーキがきしんで、坂道にある私の家に母が帰ってくる時はいつもキィキィと甲高い音が鳴っていました。あの自転車の音がなると、ああ母が帰ってくる、またきちがいが私の暮らしに入り込んでくる、祖母が母を怒鳴り罵倒しヒスり金切り声を上げる、と絶望したものです。
未だに自転車のブレーキのキィキィいう音を聞くと、こんなところに母がいるわけないのに、その時の嫌な気持ちを思い出します。母が帰ってくる。きちがいが帰ってくる。私をメチャクチャにする。
ここまではよくある(あっちゃいけないですが)家庭内での機能不全についてお話しました。かなり主観的視点で書いたので、お気分が悪くなったようでしたら少し休憩されたり、読むのを中断してくださいね。
メチャクチャ興奮していただく分には、不謹慎だ!とか思わないので、好きにネタにしてください!(私の方からネタとして差し出していますしね)
いちばんはじめに感じた違和感は、幼い頃からさせられていた習慣でした。物心ついたころ(4歳とかぐらい?)から、父親に「父ちゃん愛してるって言え」と言われ、キスを強要されていた記憶があります。頬にとかではなく、普通に口で。舌を入れられたこともあって、それがとても嫌でしたが、キスをした後口を拭えばメチャクチャに怒られました。でも物心ついたときからずっとそうだったので、それが変なことだということは中学生ぐらいまで気付きませんでした。類似したことはたくさんあり、身体は自分だけのもの、他の人は家族であろうとプライベートゾーンに触ってはいけない、ということを知らずに育っていました。
肩とかお腹とか、たぶん他の人からしたらおかしいんじゃないか?ってぐらいたくさん触られていたように感じます。
決定的にこれはおかしいぞと感じたのは、小学校3年生ごろのことでした。私はそれぐらいの年齢にしては発育がよく、胸が大きくなっていたころだったのですが、お下がりばかりの服しか着られない貧乏家庭で当然ブラジャーなど買ってもらえるはずもなく、薄い服で胸を気にしながら過ごしていました。
ある日久々に父親と会った時(なんで会ったかは覚えてないな……)、不意に胸を触られて、「胸大きくなってきたな。もう女になったんか」と言われました。
キッショ。
小3やぞ。女になったんかて。キモ。草。
そっからはもう、なんというか、転がるように良くない方向へ進んでいきました。車の中で、連れ出されたよく知らない建物の中で、父の知り合いらしい誰かの家の中で、身体を触られる地獄が始まりました。脱がしやすい服を着せられて、父のヤニ臭い白い車に詰め込まれ、どこかへ連れて行かれて。知らない場所まで連れていかれるから、帰り道がわからないから、逃げ出せなくて。父親の吸っていたECHOの臭いが胸に張り付いて。私のからだははじめから私のものではなくて、いつの間にかそれをされている間はぼんやりしているようになりました。現実逃避というか、精神が身体から乖離しているような。
ずっとなにか、火を見ている気持ちでいたような気がします。自分でもよくわからないのですが、ゆらゆら揺れている炎の記憶がやたらとあります。もちろん暖炉とか火がある環境でレイプされてたわけじゃないのに。なにか他のこと考えてないとやってらんなかったんでしょうね。
非常にはっきり覚えているのは、強姦されたときにいた和室の中で、破瓜の(あるいは膣の引き裂けた怪我の)血で汚れた畳のしみを、「お前が舐めて綺麗にしろ」と下卑た笑いを浮かべた男から言われたことです。
あれが父親だったのか、父が呼んだ他の誰かなのか、もうわかりません。「いぐさに染み込んだ血は舐めたって綺麗になりません」と言った私の頬を叩いて畳に押し付けたことだけ覚えています。朧気な記憶の中で、タンクトップの男が私を押さえ込んで、組み敷いて、汚い床の上で。身体はどこもかしこも裂けるほど痛くて、軋む音がして、換気扇の音がうるさくて、ヤニ臭くて、吐き気がして、息をしてるのかしてないのかわからなくて。ぐるぐるぐにゃぐにゃ天井が回っていて、汚い天井が揺れて、その記憶だけがはっきり残っています。
あとは気付いたらビニール袋を頭に被せられて、窒息しかけた記憶もあります。これも誰がやったのかわかりません。ビニール袋を被せられて、突き飛ばされて、倒れ込んだ私の腹に誰かが飛び乗るような感覚がありました。踏みつけられたのかな。わからないけど。
お腹の中でなにかがぐじゅりとおかしくなるような感覚がして、ビニール袋の中で声にならない悲鳴をあげて、意識が途切れて。その時内臓が破裂したみたいで、免疫が人より著しく低かったりだとか、そういう後遺症?みたいなものがあります。
母にその後病院に連れて行かれた気がしますが、医者に「転んでぶつけた」と言い訳している記憶があります。無理あるだろと思ってました。
酔っ払った父が私を突き飛ばして、顔から倒れ込んだ私の上に馬乗りになって首を絞める景色。畳しか見えなくて、もがいても逃げ出せるわけなくて、足掻いているうちに首に手を回されて。骨が軋んで、気管が狭まって、だんだん瞳孔が開いていくのか涙でか視界がぼやけていきます。焦点があわない視界で必死に瞬きをして。こひゅこひゅと喉からすきま風のように息が漏れて、喉が圧迫されて、必死でもがいていたら父がゲラゲラ笑って私の上から降りる。気まぐれに降りただけで、父の気が向かなかったら今私はここにいなかっただろうなと思います。
首を絞められることは何度かありましたので、それでも今も生きているということは、殺してしまったらいけないという意識はあったのでしょうか。
或いは力や体格で絶対に敵わない弱いいきものが、自分の力加減ひとつで必死にもがいてあがいて生き延びようとする様を見て楽しんでいたのかもしれません。私を組み敷く父が下卑た笑いを上げていたのを見るに、その可能性が高いかもしれないですね。
首を絞められるにしても、前から絞められるのと、後ろから絞められるのでは苦しさが違います。
正面から絞められる方が苦しいです。後ろから絞められる(人差し指~小指までが喉に触れる)状態だと、力の当たる面積が分散するからか、締め付けられている感覚はより大きいですが苦しさはマシでした。正面から首を絞められると、親指がぐっと気管を押さえつけてきます。ピンポイントで親指の一点に力が集中するため、苦しみが強いです。息ができない感覚が続いて、視界がぼんやりしてきたところで、ぱっと手が離されると、一気に外気が喉になだれ込みます。喉にはずっと何かが詰まっているような感覚がして、その後は1日ずっと咳が出ます。
首を絞められた状態だと身体中に力が入りませんので、そのまま激しく体を揺さぶられたり、犯されたりすることもありました。
首を絞められた記憶がいまだに無意識でこわいのか、首周りを圧迫されることがめちゃくちゃ怖いです。
ネックレスも物によっては無理なレベル。チョーカーとか全然つけられないし、ハイネックとかタートルネックとかもぴたっとしていると不意に圧迫感とあの時の恐怖を感じて過呼吸になりかけたりします。当然、人に首を触られるのも怖いです。首周りってやっぱ急所なのでだいたいの人間はそうだとは思うんですが、マフラーとかも辛くて巻けません。不意にパニック発作が出たりする可能性があり、リスキーなので。
性的虐待とは書きましたが、今思うと普通に暴行も多いですね。というか、虐待という場における性的なものは概ねほぼ暴力だと思います。もちろん快感とかはあるわけなく、痛みや屈辱の面が強すぎる。内臓を掻き回されて痛めつけられる、という感覚が強いです。
下品な話ですが匿名なため書いてしまうと、それが繰り返されたことで何年も経ったけどまんこがゆるい気がします。レズのため他の女の身体に触れた時、自分の身体の異端さを感じる時があります。ガバマンすぎる。でもそりゃそうだよな。裂けて拡がったままになっちゃったんかな。わからないけど。
反射的に怯えてしまう、で言えば、足首掴まれた記憶から足首がきゅっとタイトになってる靴下もあんまり得意じゃないかも!こわい!
これはよく聞く話ではありますが、私も性的虐待があって以来、その記憶を塗り替えなきゃ、という意識で性的な行為に依存的になったように思います。付き合っていない女とセフレになったり、パパ活したりとか。「自分はもう汚いんだから」という記憶のせいで、自分を大事にできない。自分を守れない。
長々と書いてしまいましたが、今のところこんな感じでしょうか。文章をお読みになってこのエピソードもっと深く知りたいなとか、ここ掘り下げてほしいなとか、この面ではどうだった?とかあれば、また書こうと思います。よければお声がけください。
今まで夜泣きで苦しんだこともなければ比較的寝付きのいい子だったが一歳半に差し掛かった今、突然夜泣きをするようになった。
9時前に就寝してから0時前後に一度覚醒し、寝室じゃなくてリビングに連れていけと身振りで要求し、行くまでひどく泣き続ける。
共働きな俺と嫁は寝られるものなら少しでも寝たいので、当番制でリビングに連れていく。ゆらゆら抱っこするか、ラッキーな日はそのままラグに寝転んでくれるので一緒になって横に寝る。
ウトウトしていた子供も30分もすれば完全に寝付くので、再度寝室へ連れていくか、それでも起きる場合はあきらめて二人並んでラグの上でそのまま朝まで寝る。
その後、だいたい2,3時間おきに泣いて起き、外へ連れていけと要求するが、今のところ出したことはない。夜泣きにドライブへ繰り出したという話をよく聞くが、それで深夜3~4時の散歩が子にとってのルーティーンになったりしては嫌だなとぞっとしている。治安がいいとはいえ嫁と子供だけで閑静な住宅街を歩き回らせるのは厳しいし。
ここで改めてなのだが夜泣きってしんどすぎないか?何が正解かもわからない。お茶や牛乳や水を口元に持っていくが振り払われ、家中を子供を抱いて歩き回り、外へ行きたいと泣く子供をなだめる。これを普通に毎日出勤する状態で二時間おきにするのがきつすぎる。
育休の間は深夜対応は嫁が完全に請け負っていた。その分、家事はほぼすべて俺がすることで徹底し、赤ちゃんの睡眠に併せて嫁も眠り体力回復に努めてもらう。
夜の授乳をミルクに変えて俺が変わろうか?と聞いたこともあったが結局母乳を上げる以上は自分が起きることは変わりないし、二人も同時に起きるのは効率が悪い。自分は日勤がないからこんなもんだよ~と朗らかに笑っていた嫁も、さすがに仕事が始まってのこれには鬼の形相で俺との一日交代制を申し出てきた。謹んで受けた。
夜泣きのピークは1歳半ごろまでと聞いていたのでうちの子はしないタイプだったんだなと思っていたのに、まさか一歳半を過ぎてこんなにアクティブになるなんて。
ネントレというやつでは寝室からも出てはいけないというがそれは3人で寝る以上無理ゲー過ぎる。