
はてなキーワード:ぬるぽとは
新年度で久々にシャバに出たら、まさかの自分が何言われても「あっ、でも」とか言って否定から入るやつだった。
コミュ障は自覚していて一般人のエミュレートは心がけていて、そういうの良く無いって知っていたのに。ブランクで腕が鈍っていたのはあるにしろ。
「こんな天気で、わざわざこっちの会場でやることないですよね」
「あっでも、地下街がけっこう繋がってたのでほとんど傘無しで来れましたよ」
とか。だめでしょ!!そういうの!!!もうここ数日をやり直したい!!
結構しっかりおちこんで夜な夜な反省会を開いたことにより、こういう否定から入るやつの発言する機序というか、心理がわかった。
まず、私は相手の意見を否定する気持ちなんてまったくない。寒いですね、こんな日に遠い会場は嫌ですね、その通りである。そう思ったからこそ、地下街の繋がってる経路をわざわざ探したし、上手いこと外に出るのが最低限で済ませられたのでヤッターなのだ。ひとえに、同じ境遇にあった相手にこのお得情報を共有したい。この気持ちの発露が、「あっ、でも」なのだ。
昔から、「情報量が増えない会話」が苦手で、苦手というか価値を感じることができなくて、ツイッターとかでもV8!V8!とかはしゃいでるのに一切のれなかったし、ぬるぽガッとか、部分ツイートとか、まあなんでもいいんだけど、なんかそういうの、愚かしい…とか思ってたんだよな。なんかそれと同根な気がする。
あなたと私は同じところに立っていますよ、をまず言葉にして確認しあう行為そのものに心地よさがあり、その心地よさは暖かで心豊かな絆を育むために大切なもので、削ぎ落とされるべき無駄なんかではまったくない。
私はとにかく、「そうですよね」か「そうなんですね」を反射的に出すべきだろう。「そうですよね、こんな天気で」。これでよい。知らないことだったら、「そうなんですね」+オウム返しだ。自分に嘘をついたりもしていないから、抵抗も無いだろう。自分語りや知識をひけらかすのは、もっと絆だとか場の空気だとかを育ててからだ。
この記事を読んで思った事を書く
男同士でもわかりあって盛り上がれることは多々ある
女が家にいて当然ってころなら、男が集まって飲むにあたり、「うちのかみさんがさぁ」って嘆いて見せるのは共感を集めただろう
共感力というのは、言ってしまえば共有しているコンテキストの差分が少ないって事だ
男尊女卑で「女はダメだなぁ」ってコンテキストを共有してる人らはその話題を共感をもって話せる
ラブラブな奥さんと満足な暮らしをしている人は差分がありすぎて共感できないが、話には同意することがある
これは共感しているのではなく、社会がそうなっているから物事を荒立てないように場の空気を読んでいるわけだ
女性にはこっちの「場を荒らさずに流す」という空気を読む人が多いのではないかな
裏に回れば、欠片も理解できないと別の友人や旦那に愚痴ってるかもしれない
モンゴルの奥地で遊牧して暮らす朴訥な人らの考えに、日本人が共感することは難しいだろう
無理無理ってなる
これはオタと非オタや、オタの中でも鉄オタとドルオタでまったく話が通じないのに似る
Plazmaが流れてるときにカミーユの話を突然して理解されるには、PlazmaのMADが流行っていたことを知ってる必要がある
誰かが「もうゴールしてもいいよね」って言ったときに「ゴールしたらあかん」って返すのもコンテキスト
こういう、何かの話題を振って、そこに対するリアクションが正しく行えるかについては、後天的文化的なもので、男性性とか女性性とかで話せることではない
それは、リアクション力の事だと思うんだよね
場に期待されるリアクションが「私を全肯定して」であると女社会で馴染んでいれば
欠片も共感なんてしてなくも
「へーそうなんだぁ」 「わかるわかる」 「つらいよねー」って返す
話を聞いてお前が100%悪いと心の中で思っていても
「へーそうなんだぁ」 「わかるわかる」 「つらいよねー」って返す