
はてなキーワード:ごみ箱とは
一度、ここで書いてみたいと思ってた。初老が近いおじさんである。
会社勤めとしてのディレクター業について執筆したい。辞めてから時間が経つけど、たまにあの頃の夢を見るのだ。
最近の夢だと……バラエティ番組の収録の時だった。当時は新入社員に毛が生えたくらいの若造の頃。
ナインティナインの2人がネタ合わせしてる横で、ADである自分が怒鳴られてる夢である。夢じゃなくて、本当にあったことなんだが。いい夢を見ることもあるけど数は少ない。
今はフリーランスの映像ディレクターをやってる。仕事は順調……とは言い難い。仕事が少ない年もある。
でも、食いっぱぐれる心配はない。一応そういう実力がある。お金がなさ過ぎて餓死なんてことはない笑
だから、もう時効かなと思って、昔の話を書こうと思った。大手テレビ局にいた頃の話だ。
え、なに。守秘義務?エンタメ業界にそんなものはない。特定個人や企業の名前を出さない限りは、お見逃しの世界である。ええい、ままよ。ぶっちゃけてやろう。
小さい頃からテレビっ子だった。特にバラエティが好きで、将来は絶対ああいう面白系の仕事がしたいと思ってた。小学生~中学生の頃は、お笑い芸人になりたかった。人をニコニコさせるのが好きで。ただまあ、才能がないのって、子どもながらに露骨にわかるんだよな。
勉強ができたか?と言われると、割とできる方だった。要領がいいというよりは、突き詰めて普通の人よりも勉強して高得点をとる感じだった。大学は早稲田に進学した。今は亡き(?)社会科学部である( ;∀;)
就職活動の結果、テレビ局の内定をもらえた時は本当に嬉しかった。人生のピークだったかもしれない。
入ってみたら想像とは違った。
配属されたのは、生ける伝説みたいなバラエティ番組の制作部署だった。ここまではいい。配属希望は通ったのだから。
自分はADとして入った。一般的なルートである。珍しい新卒だと、最初がカメラマンや大道具という珍しいパターンもあるにはある。
仕事だけど、最初は正直何やってるのかわからなかった。とにかく怒鳴られる。プロデューサーから、先輩ディレクターから、出演者から、下請けの制作会社の人から、とにかく罵倒の嵐だった。なんというか、現場での動き方がわからなかった。学生時代にイベント運営の仕事をしておけばよかった。
正式じゃない企画会議(デスク周りや喫煙所でやるような……)に呼ばれることがあっても、「面白くない」「もっと笑い取れるの考えろ」って言われ続ける。それこそ誰からも。
ある時は、夜中の3時まで明日の収録の準備で残っていた。実際、自分の仕事はほぼなかった。担当ディレクターが帰れないだけであり、自分やほかのスタッフはそれに引きずられる格好だった。
それでも、「さあ帰ろうか」という雰囲気になったところで……
「明日までにあれ用の新しい企画を出してこい。運がよかったら使ってやる」
とか普通に言われる。徹夜もある。週に2,3回、家に帰れたらラッキーだった。あの頃は若かったので、ああいう夜型の生活ができた。今は無理だ。眠気に勝てない。
職場の奥には簡易ベッドがあって、そこで寝るんだけど、寝てる間に先輩に……「寝てんじゃねえよ!」って蹴られることがあった。完全に嫌がらせ、憂さ晴らしだった。人間、疲れるとこうなってしまう。
仕事ができる人でもそうだった。
疲労が極限に達すると、おそろしいくらい残酷になる。ある時、先輩ディレクターと女性ADが現場の配置関係で口喧嘩になっていた。今思えば、考えられないほど下らない理由だった。
その争いの現場はちょうど、小道具が置いてある狭い狭い空間だった。そこでひたすらに道具を指さしながら、喧嘩をしている。
その女性があまりに文句を言ってるので、その先輩ディレクターは、何か重たい小道具(ごみ箱みたいな?)を持ち上げると、彼女が出られないような位置にドカン!と置いたのだ。
自分はただ、出入口のドアからそれを見て「かわいそうに」と思っていた。思うだけで、助けようという気力は湧かなかった。大学生の頃だったら、助け舟を出したに違いない。
案の定かわいそうに、円柱状の小道具が重過ぎて持ち上げられない女性ADのさーやちゃんは、そこらへんの絨毯みたいになってる小道具に突っ伏すと、わんわん泣きだした。
男性ディレクターは、そんな様子をさらにからかっていた。これが、疲労が人間の態度に及ぼす影響である。今でも気を付けるようにしてる。
あとは、ある料理番組の野外ロケだった。イケメンを多く輩出する芸能事務所の若手タレントがキャンプ場で料理に取り組んでいた。
「バカ。使った皿は洗う必要ない。ズボンで拭いとけ!男やから、どうにかなるわ。イケメンなんやし。いいか、増田。ばい菌だって、巡り巡ってまた口に入るんやから。それが世の中ってもんだよ」
何を言ってるか意味不明だった。先輩の人格が壊れていた可能性がある。
この撮影現場というのは、野外キャンプでの調理だった。イケメンのタレントさんが食べた後の皿を……ちょうど水場がなかったので、そこらへんにあったエプロンでササっと拭いて、別のタレント用に再利用した場面である。実際、これくらいのことは日常茶飯事だった。
そのタレントさんは若かったけど、多才な挑戦で知られる人だった。普段は二人組で、もっと若かった時に、女の服を来てピンクレディーの楽曲をテレビで披露していた。
性被害……いや、このあたりのことはさすがに書けないし、「書いていいよ♪」と言われても書かない。こればかりは矜持である。アナウンサーから照明、カメラマン、道具係、ADに至るまで、一応は元仲間である。そこまでするつもりはない。
30代になっても体調は悪かった。ご飯はいつもコンビニ弁当だ。風呂にも何日も入れないから、体から変な匂いがする。誰かに指摘されたら「焼肉を食べたんだ」ってごまかした。口内炎は治らないし、胃はずっとキリキリしてる。
身も心もボロボロだった。一応は、大卒総合職のはずだった。オフィスで働く人のはずだった。想像していたホワイトカラーとは違っていた。
さて。この頃の俺は、ディレクターになる年齢が近づいていた。正直いうと、実質的なディレクターだった。上の人がサボりがちであり、自分の方にディレクターが行うはずの仕事を振っていた。
だから、企画会議では、芸能人のどうでもいいスキャンダルをいじったり、誰かを笑いものにする企画が出てくる。芸人同士の暴力は基本であり、人権感覚など持ち合わせてなかった。あの頃の局全体は、マジでアホだったと思う。
なんで、あんな会社で働いてたんだろう……と言うと、理由はひとつだ。「番組を作りたいから」である。ほんのちょっとでも自分の爪痕を世の中に残せたら、それはなんて素晴らしいことだろうと感じていた。
ただ、テレビを見る人の「ペルソナ」って……当時のテレビ業界人の認識においても、「低俗な内容が好きな人」だった。今だからぶっちゃけてしまおう。皆そういう認識だった。
今でも同じだと思う。インターネットだと、「やらおん!」「はちな起稿」とか、youtubeだと「アシタノワダイ」「フェルミ漫画大学」とか、あとは暴露系が人気を博している。Xの低俗さはもはや基本。あれが人間の本質の一部である。
人の心を動かす作品を作りたかった。実録ドキュメンタリーとか、社会の矛盾を突くようなドラマとか。そういうのが好きだった。特定作品だと、水上勉の『雁の寺』『海の牙』『火の笛』『土を喰う日々』が好きである。
一度だけ、飲み会の場でそういう発言をしたことがある。「社会派作りたいな~」って。でも、そんなこと言おうもんなら、「何言ってんの?」「誰が見るんや!!」「うちでは作れない」って一蹴される。
自分らはテレビ局の奴隷だった。視聴率という数字に魂を売った奴隷である。視聴率のためなら、人権侵害も上等の集団。上の人達も同様。
そんな日々の中で、心を救ってくれた作品があった。
地獄のような日々が続いていた30代後半のある夜、たまたまテレビをつけた。とりあえず、家に帰ったらテレビを見る。同業他社の作品を観て勉強するのだ。その時も軽い気持ちだった。
その作品は、テレビ東京でやってた『ハイパーハードボイルドグルメリポート』だった。
見たことある人がいるかもしれないが、世界のヤバい地域に行って、マフィアとかギャングとか戦争難民とか、そういう人たちが何食べてるのかを映すドキュメンタリーだ。書籍作品で言うと『もの食う人びと』に近いものがある。
最初は「なんか変な番組やってるな」くらいに思ってた。でも、見始めたら目が離せなくなった。
あの時、画面に映ってたのは、コロンビアの元麻薬密売人だった。彼は仲間と、貧しい家で豆を煮て食べていた。その顔には、絶望と疲労と、それでも生きようとする強い意志が混じり合ってた。
「これだ!」と思うと涙が止まらなかった。
俺が作りたかったのは、こういう作品だった。くだらない笑いじゃなくて、人間の本質に迫るような、生々しくて、でも美しいもの。
画面の彼は「食べることは生きることだ」って言ってた。当たり前の言葉だけど、すごく重く響いた。
自分達が毎日作ってる番組は、誰かを笑わせることはできても、誰かの魂を救うことはできない。誰かの心に深く残ることはできない。精神性がないバラエティ番組を作っている。
上っ面ばかりの、人間の心の表層を撫でるだけの、そういうコンテンツ。自分が作りたかったのは、人間の心の底流(アンダーカレント)を刺激する番組だった。
テレビ局を辞めることを決意した。独り立ちの準備を重ねたうえ、約二年後に退職願を提出した。
退職届を出した時のことを覚えてる。人事部長が「もったいない」と言ってた。俺の同期にも辞めた人が何人もいて、知る限りでは、みんな同じことを言われてた。
でも、いいやって思えた。命まで取られるわけじゃない。自分自身の命さえあれば、人の魂を救える作品づくりができるはずだ。
そんなこんなで、業界の伝手を辿って念願の独り立ちを果たした。いわゆるフリーランスである。ほかの会社に勤めるという選択肢はなかった。テレビ東京に不採用になったのもあるけど笑
最初は大変だった。フリーランスになったものの仕事は少ない。貯金は減っていく。実家からは「ちゃんと仕事してるの?」って里帰りの度に聞かれた。昔の同僚からは、飲み会の時に「今何してんの?」と聞かれるけど、何とも答えにくかった。それでも答えたが。
初年度の年収は、フジテレビにいた頃の4分の1くらい。段々と家賃も払えなくなって、ボロのアパートに引っ越した。都心に出るまでに電車で何十分もかかるような。
後悔はなかった。テレビ局に居た頃は毎日が「作らされてる」感覚だった。誰かの指示で、誰かの期待に応えるために、自分の心が望まないものを作り続けてた。
今は違う。自分が作りたいものを、自分の手で作ってる。CM企画の仕事でも、ドキュメンタリーの編集でも、放送作家に近い仕事でも、全部自分がやりたいことだ。
特に大きかったのは、サブスクの動画配信サービスでの番組制作の仕事だ。2025現在、アマプラなどでは自社がお金を出してプロに作らせるのが一般的だが、当時は盛んではなかった。
ある時だった。飲み屋で知り合ったのがきっかけで、自分の企画書を見てくれたプロデューサーが「面白い」と言ってくれた。それは、テレビ局では「視聴率が取れないから無理」と言われるような、いわゆる追放もののストーリーである。社会の片隅に追いやられた人が底辺で足掻くお話だった。『モンテ・クリスト伯』みたいな。
その動画配信サービスのプロデューサーは「視聴率はそこまで関係ない。ある種のペルソナ、ある種の人達にどれだけ深く届くかが大事」と言ってくれた。そういうわけで、自分が作りたいものを思う存分作ってやった。
一週間のうち、最低でも数日は充実している。あの頃とは比べ物にならないほどの多幸感である。
朝起きて会社に行くわけじゃない。スタジオに行くことは月に何度もあるけど。基本は自分の家で、自分のペースで仕事をする。疲れたら好きなだけ休める。
テレビ局にいた頃は、自分が何のために働いてるのか分からなかった。魂をすり減らしてる感覚だった。
今は違う。自分が作ったドラマを見て「感動した」とか「考えさせられた」とか「面白かった」とか、そういう感想をもらえるとマジで嬉しい。作品が誰かの心に届いてる。そう思うと、もっと頑張ろうって思える。
年収はまだ低い。テレビ局時代の約半分である。結婚はできないかもしれない。
でも、幸せだ。あの頃の俺はイライラしてた。自分の好きなものを作れなくて、世の中にウケるものだけを追い求めて、消耗していた。自分が自分でないみたいで。
あのグルメリポートの番組に感謝してる。そしてあの時、勇気を出してテレビ局を辞めた自分に感謝してる。
不安でしょうがなかったけど、あの頃の不幸だった自分がいるから、足掻いていた頃の自分がいるから、今があるんだと思える。ありがとう、あの頃の私。諦めないでくれてありがとう。
もし、仕事に疲れてる人がいたら、自分の心を無視しないでほしい。本当にやりたいことは何だろう、って自分に問いかけてみてほしい。人生を変えるきっかけになるかもしれないから。
Permalink |記事への反応(27) | 21:04
何つーか。ガノタにとってシャアってそれこそ「お母さん」なんだなって思う。
母っていうか所謂「感情のごみ箱」というか。相手に何をしてもけして自分を嫌いになりはしない、幼い子供にとっての依存対象としてのお母さん。
相手に対して好き放題汚い言葉をぶつけてもいい、身勝手な感情で傷付けて貶めてもいい。でも相手からは絶対に反撃してくる事は許さないっていう。
ガノタはシャアはカスだからシャリア・ブルやアルテイシアがシャアを殺すのは当然だと言い、その台詞や場面を逐一抜き出して面白がる一方で
そうされたシャアがアルテイシアのその後を顧みずに好き勝手生きている(ように見えたら)そんなキャラじゃないだろうと勝手な決めつけで妹第一を要求する。
一方的な殺意をぶつけられて存在自体全否定されたなら、いくら大好きな友人でも妹でも憎くなって嫌気がさしても不思議はないだろうに
そういう人間らしい反応は認めないらしい。あいつらが言う通り本当にカスならばそうなるだろうに。
朝から最悪や
そういえば最近ずっとおなかの調子は悪かった。しかしまさか漏らすとは。
出社していつも通り喫煙所に行く途中だった。
なんとなく先にしょんべんを済まそうと思ってトイレに行き、小便器の前に立っているときにその腹痛は来た。
来た瞬間は、「しょんべん終わったらうんこもするか」などとのんきに考えていたのだが、ちゃ~っとおしっこをしているそのさなか、花粉の大群が俺の鼻を襲ったのである。
あっやばい!そう思った。今の俺はしょんべんをしつつうんこを我慢している状態なのだ。そのうえくしゃみを我慢することなんかできない。
膀胱を絞り上げてしょんべんを止めて、個室に駆け込むべきだったのかもしれない。いや、これは失敗した時のリスクが高すぎる。ズボンがうんこだけでなくしょんべんまみれになる可能性のほうが高い。
そもそも俺は、家を出る前にしょんべんだけでもすましておくべきだった。
そんなことを考える暇もないままに、俺のくしゃみは限界を迎えた。
はくしょん!
トイレに響き渡る俺のくしゃみ。くしゃみをしたときに全身に力が入り、それによって膀胱から押し出されて小便器にびしゃあ!と当たる俺のしょんべん。そして、柔らかく温かい感触が広がる俺のケツ。
しょんべんを出し切ったおれは個室に移動し、ズボンをおろしてパンツを確認した。薄暗い個室の中でうまく視認はできなかったが、においが俺がうんこを漏らしたという事実を物語っていた。
とりあえずケツをトイレットペーパーで拭きまくり、パンツは脱いだ。
パンツはとりあえず近場のごみ箱に捨てた。掃除のおばちゃん、ほんとにごめん。
俺は今、休み明けのメールに返信をしています、みたいな顔をしてこれを書いている。もちろんノーパンだ。
うんこはパンツが受け止めてくれたはずだから、ズボンにうんこはついてないはずだから、匂ってはないと思うけどもうわからん。不安とショック、鼻づまりで正常な判断ができない状態にある。
花粉症もおなかゆるいのもずいぶん昔からあるけれど、まさかこんなことになってしまうとは。
朝から悲しい。
使い終わったペットボトルの中身洗ったりラベル剥がしたりごみ収集の日に捨てに行くの面倒すぎてできない
健常は資源ごみの日までにやって集めて一個の場所にまとめたりとかしてんだろうけど自分にはそれが難しすぎるんだよな
部屋で飲んだコーラとか、職場にもっていって中身飲み切れずにまた持って帰ってきちゃったペットボトルとかさ
だから最近は、出かける前に2,3本持ってって駅のホームのごみ箱に捨てる習慣を作ってる
あんまよくないことだっていうのはわかってるんだけど、背徳感っていうのかな
悪いことしてる実感があるから忘れにくくておかげで部屋にペットボトルが溜まらなくなった
燃えるゴミとか含めてどうしようもないときは近くのマンションのごみ置き場に置くことにしてる
これもまぁまぁダメなことはわかってるんだけど
ガキみたいなことしてる自覚はある
でも部屋がクッソキレイになるんだよなペットボトル無くなるだけで
一日三本ずつくらい片付けるだけでだいぶ違うぞ
もし、どうすればよかったか?と聞かれたら
「見に行かなければよかった」と、答えるし
監督にそう聞かれたら、
「あんな映画作らなければよかったし、もし作っちゃったのなら公開しなければよかったのに」と答えると思う。
以下、その理由
そもそも現在、ホームムービーを撮りますとか、映像の勉強のためとかで回した素材を編集してドキュメンタリー作品にするという手法はありなのか?という問題
作者の両親や姉はそのことを理解したうえで許諾していたの?
文書で許諾を得ていたの?
作品の後半でやたらと姉のピースサインがでてくるが(ラストシーンもピースサインかな)、姉はかわいい弟がホームビデオを撮ってくれていると思ってピースサインしているから切ない。
ドキュメンタリー作家として致命的なのは、作者は「記憶」と「記録」の違いについて理解していないこと、
納棺のシーンで、父親が論文を入れようとするところを、父親の異常な行動として「記録」している
父親は、自分と同じ医学研究を志していたという「記憶」の中の娘として送り出そうとしているんですよ、きっと
長い髪がきれいだったという「記憶」の中のお姉さんと見送るのなら、化学療法でぬけてしまった頭に帽子をかぶせるのではなくて
ロングのウィグでもかぶせてあげればよかったのに、そういうところ
「記憶」が偽で「記録」が真ではなく、また「記憶」が邪で「記録」が正ではない
作者は姉の異常なところばかり撮ろうとして、また異常な言動を引き出そうとしてインタビューについてもそうしたものしかしない、
しかし40年ちかく暮らしていたその生活の中身、楽しかったこと、幸福だった側面そうしたものはあったはずで、それが伝わってこない、
玄関に鍵が!とか騒ぐが、私宅監置とか座敷牢というのは、玄関の「外側」から鍵をかけるものです、
自分が「カリフォルニアから来た娘」であることの自覚がないのでは?
寄り添えていないから、見えているものにフォーカスできていない
退院後の部屋にカメラをかまえてずかずか入っていくのもいかがかとおもうが、その時ベッドのわきにあるごみ箱に注目できていない
あの位置にゴミ箱があるとき、自分だったら「薬の副作用などで吐き気があるのか」とか、まさかだがここで用を足しているのかとか考えますね、
統合失調症は大変な病気ではあるが、肺がんのステージ4というのはそれ以上に深刻な病気
ステージ4まで気づけなかったことに対する反省とか後悔とか何もないの?
お父さんの「失敗したとは思わない」とかいう言葉、これは重い、ある意味真理をついている
障害のある子どもをかかえる親にとって、健康に留意して子どもより長生きをして、子どもの葬式をだしてやるというのは一つの成功パターンですよ
作者には理解できないことかもしれませんが、
精神科の長期入院は悪いということになっていて、医療関係者などは
「短期入院で退院して、またなにかあったらそのときに入院して治療すればいいのです」などと言う
なにかあったら、の中身については触れない
深夜にマンションの隣の部屋のドアを、ダンベルで何度もたたく(本当にあった)
近所のスーパーに行って、幼稚園児を蹴りケガをさせた(これもあった)
家族とケンカをするたびに、110や119に通報する(これもよくある)
地域住民が精神疾患に対する理解がないから受け入れてもらえないと言われるけれど
日本の精神医療はライシャワー事件で大きく変わったと言われるが、どうなの?
「疾患」であるなら治療すべきだし、「障害」であるなら直すことより抱えていても、より幸福に生きていける道をさぐるべきだし
であるのに、「異常」な姉を見世物にするようなやりかたで作品を公開するのはいかがかと
ショックな頭の中を整理するためにこれを書いている。
もしこれを読む人がいれば、私はどうすべきか、あなたならどうするか、教えてくれると嬉しい。
今日仕事から帰り、買い物のレシートを捨てようとしたところ、ごみ箱の中に私のものではないレシート類がまとめて捨てられているのを発見した。
レシートは裁断して捨てるように何度も言っているのに、なかなか理解してくれない。
私のものとまとめて破り捨てようと思い取り出したところ、コンビニATMの明細があるのを見つけてしまった。
中身を見てしまった私が悪い、悪いのだが、
明細の科目欄にはカードローンとの表記があり、残高にはマイナスの記号とともに、50万円ほどの金額が書かれていた。
ATMの明細はもう一つあり、こちらも消費者金融への振込みたいだ。金額は1万円。
すごく動揺した。いまも手が震えている。
前回はちょうど1年前、同棲を開始するちょっと前で、そのときも50万円ほどだった。
発覚した経緯は忘れたが、そのときも返済の目途が立っていない(毎月1万円ほどしか返さず、元本が減っていなかった)ため、私が返済を立て替えた。
正確には、借入残高を聞いて現金50万円を渡した。
ここで借金はなくなっていたはずだ。
立て替えた50万円は、毎月2万円ずつを返済してもらっていた。
一度返済をスキップした月もあったが、事情は分かっていたし、私も合意したうえでのこと。
年末に噓をつかれていたのか、何か年始に高額の出費が必要な何かがあったのか。
そもそも渡した50万円を、返済に使っていなかったとか?
一緒に暮らして1年、過剰な支出や浪費をするタイプではないように見える。
パチンコや競馬もやっていなさそうだし、ポンと高額な買い物をするタイプでもない。
気になったことといえば、ウーバーの利用とネットでの買い物が(私に比べて)多めなことくらいか。
それでも、私自身が人に比べて少ない自覚もあり、世間一般からすると、そこまで多いほどとは言えないんだと思う。
年末年始、飛行機の距離の実家に帰省していたが、それだって50万円もするわけがない。
隠されていたのか、噓をつかれていたのかわからないけど、信頼されていないことがショックだ。
ついでに言えば、それを隠し通せない浅はかさに情けなさも感じる。
近いうちに結婚するつもりで始めた同棲だが、信頼されていない(またはできない)相手と、このまま関係を続けていくべきかわからない。
このことを相手に問いただすべきか、相手が話してくれるのを待つべきか、それもわからない。
私自身はまめに家計簿をつけており、お金のことには相当細かい自負がある。マネーリテラシーが合わない感覚もある。
付き合って2年になる。人として嫌いなわけではない。私自身ここまで長く付き合った異性はおらず、これを逃すと次はいつになるか、という不安もある。
ただ、こんなに大事なことを隠している相手と、それを平気な顔して週末過ごしていた相手と、今後も一緒にいるべきかがわからない。
違うな、べき論では一緒にいるべきではないのかもしれないが、私は一緒にいたいのだ。
大事なこと(と言っても、50万円くらいどうとでもなる金額だと思う)を、隠さず相談してほしいだけなのかもしれないなあ。
それでも、ショックなのは変わらない。
たまたま知ってしまったものをどうすればいいのかもわからないし、これ、結婚の話が進んだとしたらずっと隠され続けるのだろうか。
前も少し計算したけど、50万円の借り入れを1万円ずつ返していっても、半永久的に返済が終わらなかったような。
年始に、そろそろ両親と会ってほしい、と言ったらはぐらかされたのを思い出した。これがあったからなのかな。
一緒にいたい気持ちはある、(相手はともかくとして)個人として結婚を急ぎたい気持ちもある、
相手には隠しごとがある、私が知っていることを相手は知らない、いつ打ち明けてくれるかもわからない。
そもそも打ち明けてくれるのを待つべきか、こちらから聞いてみるべきかもわからない。
気持ちは整理できたけど、結局、どうすればいいのかわからなくなってしまった。
Permalink |記事への反応(37) | 20:28
うちの妻は大好きだったみかんジュースがつわりの時に唯一最後まで飲めていたもので、無理になったものだったので、産後は大嫌いになってたな。
最後は何も食べられなくなって、何も食べてない胃袋のままごみ箱にゲロってた。(唾液しかでない)
耐えきれずに通っていた産婦人科に行ったら尿検査の結果、ケトン値が上がっているからと即入院。
最悪のケースだと母体を保護するために中絶することもあり得るけれど、そこまでひどくはないので大丈夫と言われながらの生活。
同じ病室にはいろんな人が入院していて(といっても妻のほかはみんな切迫流産)、人間観察には事欠かなかったらしい。
段々と食べられるようになってきて、1か月して退院。その間にすっかり季節は変わっていた。
胎児には影響がないという吐き気止めをずっと処方してもらって、少しずつ食べられるものを探して、食べて、やっと生まれた子、うれしい。
私は20代半ばの女で文系学部卒、都内の実家住みで都内勤務である。
これだけ聞くと一般的にいるアラサーで、むしろ恵まれている方かもしれない。
新しい出会いについて考えたが、理想が高くなってしまったのかなかなか相手に1歩踏み入れられない。マッチングアプリで1人会ってみたが、プロフィール詐欺(職業や学歴、居住地など)の多さに耐えられなくなった。やはり理想が高いのか。
【理想】
年齢:同年代(ジェネギャをできるだけ減らしたい。できたら同い歳がいいけど±2歳くらいが目安)
身長:160〜180cmくらい(自分より高い方が相手も気にしないかなっていうのと、高すぎると並んで話すのがちょっと大変だった。でもこちらも目安なので低くても高くてもOK)
年収:400万〜
住み:23区か多摩地区の東側(1人暮らしだとなお良し、職場か私の家から1時間半の範囲内だと嬉しい)
顔:好きになった人がタイプっていう綺麗事しか書けないけどそれは本当、ガリガリと肥満は心配になるから好みではないかもしれないけど体質なら仕方ないよな……
タバコ:吸わないでくれ
学歴:大学卒(どの大学でもいいからしっかり勉強や研究、部活動、サークル活動、アルバイトなど何か打ち込んでいたらいいなとは思う。難関大出身でも散々サボってるのにテスト直前に周りの人に「ノート見せて」って言ってたり、遊び呆けたりしていたらおそらく価値観が合わない)学部卒でも院卒でも
趣味:ギャンブル関係やシーシャはNG。あとサウナ行きすぎると毛根や精子が終わるので週末サウナ族はNG。昨年アプリをしていた時に「毎月給料が入ったら遊戯王のカードを買っている(手取り18万くらいなのに5万以上するカードを買っている)」と言っていた男がいたが、それだけならいいけど毎週友達と朝まで飲んで飲み代えぐくて「もしかして給料を使い果たすタイプなのか……?」となって以来、金遣いの荒い趣味の楽しみ方をしている人が苦手になってしまった。でも経済を回しているので恋人としては辛いけど、友達としては楽しいかもしれない
その他:体調が悪くなければ毎日入浴と歯磨きを頑張って欲しい、ひげはない方が好きだけど生えてきちゃうよね(伸ばしている方は好きではないが、脱毛していたら天を仰いで感謝する。お金がかかるから無理はしないで欲しい※私自身は全身脱毛済み)、店員さんに失礼な態度を取らないで欲しい、ごみはちゃんとごみ箱に入れて欲しい、ハゲはNG、鼻をほじるな、耳をほじるな、できれば清潔でいてくれ、高圧的な態度を取らないでくれ、ある程度TPOを弁えた服装を心がけてほしい
1番は、「会話ができる人」。ちゃんとやり取りができるのって大事。面白い人が好きとか、かわいらしい人が好きとか、そういうのは求めすぎな気がしてきた。それに、条件で付き合うのではなく、やっぱり好きで尊敬して付き合いたいけどそれはもう手遅れだろうか。
周りの紹介で会った人は結婚願望が0だし(なぜ紹介した)、こんなやりとりがあった↓
相手「おいしいイタリアンがあって……マンマパスタっていうところなんだけど」
私「おいしいよね!」
私「淵野辺って相模原の?(昔友人が住んでいて地名を聞いたことがあった) いや、ないけどチェーン店だから他の店舗なら行ったことあるよ」
相手「淵野辺のマンマパスタが1番おいしいから!淵野辺店じゃないと!」
私「(どこぞの婚活ネキのトリキ祖師谷ネタと同じじゃねえか)へえ!そうなんだ!今度行ってみようかな!」
ここまで来ると、私は結婚どころか、今後恋人ができるか怪しいのではないかと思えてきた。世の中には様々な人がいて、結婚や恋愛が全てではないと分かってはいるけれど、どうしてもその幸せを私も掴みたいと思ってしまうのだ。大好きな人と一緒にいられたらそれでいい。傲慢だろうか。
段々、「自分は淘汰される側かもしれない」というフレーズが脳裏にチラつくようになってきた。中学の理科の便覧で見た遺伝子の優劣の図が脳内で踊り出した。親には申し訳ないが、私は淘汰される側かもしれない。
そうなると、寿命までの何十年を楽しんで過ごしたとして、それは後世に何も残せないのかと思うと人生って何なんだろうなと思う。友人と会うのは楽しいし、スポーツするのも楽しいし、芸術鑑賞をするのも楽しいし、大学で取った資格で好きな仕事をして仲間にも恵まれているし、おいしいものを食べるのも窓辺から景色を眺めるのも散歩して道端の花を見て季節を感じるのも、全部大好きなのに。全部1人の中で消費されて、いなくなった後には何も残らない。
こんなことを考えては急に虚しくなった。生きる意味って何だろう。繰り返すが、結婚や恋愛が全てではなくて、もちろん特定の相手がいなかったり、籍は入れていなかったりしても幸せに過ごしている人がいるのは重々承知だ。
きっと、新しく恋人ができたらこの悩みも薄れるのかもしれないと思う。その時は相手を安心材料みたいに絶対に思わず、大切に、そして幸せにする。
あ〜〜〜〜元恋人に「〇〇(私)からは面白みを感じない」と交際1ヶ月あまりで振られたのが結構きている。それなら何で「好き」って言ったんだよ、「付き合って欲しい」って言ったんだよ。無理だよ、デートドタキャンされた次の日のデートでツッコミのキレが悪かったなんてそんなのドタキャンの理由にもやもやしていてツッコミができる状況じゃないんだよな!それなのにもっと上手く関われたはず、って後悔して復縁考えてたのがもっとしんどい。やはり私は弱い。
とりあえず、別れて3ヶ月以内に新しい彼女を作って「彼女が出来た」と報告してきた元彼は、今度帰省した時にでも実家のありとあらゆる場所を探って、道徳の教科書を熟読してください。
こうやって考えるのって自分で自分のことを生きづらくしているようなものだ。とっとと筋肉を鍛え、美容に気を遣い、周りの人に感謝して、好きなものを目一杯楽しんで強くなるしかないなと思った。
強くなってどうなるのかは分からないけれど、日曜の夜はこれくらいで思考をやめておこう。
こんなに反応をもらえると思っていなかった。ありがとう。
身長だけなら1つ前の相手が自称165cmで歴代で1番低いけど、むしろ身長は高くない方が並んだ時に話しやすくて助かった。体型は普通体型の範囲内だと思う。具体的な名前は伏せるが某大学の某自治寮出身者だったので付き合ったら面白いかと思った。しかし、思いのほか付き合うのが難しかったので、私のキャパの狭さが露呈した1ヶ月あまりだった。
趣味については私自身元女ドルオタだったのである程度の金遣いに理解があるつもりではあるが、グッズに月3桁使って親に泣きついたり、給料をいつも趣味や交際費だけに使い果たしたりするのは結婚を考えると難しい。仕事終わりや休みの日にライブに行ったり、自分の払える範囲内でグッズ類をコレクションしたりするのはぜひとも楽しんで欲しい。
どうしても心苦しく逃げ出したくなったので、仕事を休んで旅をした。
その顛末を話したい。
大学時代、親(同じく学校教員だ)に強く勧められなんとなく教職課程の受講を始めた。
なんとなく高校教員になろうと思っていたが、何の因果か教育実習は中学校に配属された。
実習中は忙しかったものの、生徒が人懐っこくこちらに近づいてくれたことが非常にうれしく、授業以外でも彼らとの交流(体育祭の練習に一緒に参加するなど)に楽しさを覚えた。
これって本当に教員の仕事か?と思えるような事務作業がやたらと多かった。
また、「校務分掌」という名目でやたらと多くの業務が割り振られた。日本は年寄りは何でもありの価値観が蔓延しており、年齢の低い私には特に業務が集中した。
これらの業務は事務職員の仕事ではないらしい。事務補佐員は人数が少なく短時間しかいない。また、個人情報を含むものの取り扱いができないため依頼できることがほとんどない。
やっと作業が終わり(もちろん時間外)ヘトヘトになったところで始めるほかなかった。
建前では休憩時間はあるらしいが、その時間も業務が振ってきて休むこともできず。
おまけに最近はアクティブラーニングやICTの重要性が叫ばれており、授業の事前及び当日の準備はそれどころではない大変さがあった。
それでも、教育実習の時と変わらず、コミュ障の私に偏見を持たず純粋な心で関わって、笑顔を見せてくれる生徒たち(教室に来れない生徒にも)に元気づけられていた。
体育祭は大嫌いで、私は自チームを応援する気は起きなかった(自チームカラーの服を着ている先生が目立ったが、私はどのチームにも関係ない色のものを着ていた)が、練習は一緒に楽しんだ。
生徒に交じって競技を楽しむのもまた一興。一緒に生徒の中に混ざるだけで生徒は喜んでくれた。
授業はただ真面目にやるのではなく、時にネタを入れると生徒が反応してくれてうれしかった。
アイマス(担当アイドルの話とか)をはじめとしたソシャゲネタ、鉄道ネタ、自虐ネタ、淫夢ネタにちょっと不謹慎なネタなどを入れるだけで笑いが取れた。
定期テストも、かなり完璧主義的に作ったにもかかわらず、その結果を見て教えたことをしっかり身に付けてくれたこともうれしかった。
しかし、どうしても大変なことは大変で、それが私を疲弊させた。
例えば、生徒の失くしもの(学校からの貸与品)の捜索を命令され、どうしても見つからず教頭に報告すると「知るか、自分で何とかしろ」の一点張りで取り付く島もない。
なければ学校に余りはありますか、それとも購入は可能ですか、と聞くと「お前さぁ、それ教育者としてやることか!?」と怒鳴られた。
また、目標申告書(全国でやっている)で下っ端は記入不要の項目も「制度上は記入義務はないがみんなやっている」と強制された。
(余談だが、記入例に不登校生徒減少の話があったが、なぜ不登校は生徒自身の選択なのにそれを無視して無理やり連れだす必要があるのか、それが原因で自殺されたら本末転倒ではと思った)
まあいいやこんなこともあると思いつつ耐えていたが、こんな出来事があり、ついに限界が来た。
生徒が下校した後、いつも通り雑用に追われていたが、なぜか隣の校舎の窓に火が見えた。
他の先生方に相談したところ、無関係な私が急行するよう言われた。するとなぜか鍵が閉まっていた。
鍵を開けると、面識のない生徒数人がおり、その隣には火柱が上がっていた。
どうやら裏側から侵入して火遊びをしていたらしいが、すぐに水をかけ消火した。
事情を聴くと「これは作業だ」「面倒だから仕方ない」「効率的だからやっている」と。
今後こういったことはやめるよう言えば「燃料は自腹だ。100円の自腹がもったいない」と反論。さすがにこちらもキレて「命と100円どちらが大事なんだ」と言って無理やりやめさせた。
重大事案なので当該生徒が在籍する学年に報告すると、ある先生は「あー…最悪のメンバーがそろってる」と。
管理職に報告するとこちらの責任のあることではないのにやはり怒鳴られた。「どうするか自分で考えろ」「早くしろ」とわけのわからないことを言われ。
教頭から「怒るのはあなたを信頼して成長してほしいからだ」と言われたが、(わざわざ応募して選考を突破した)管理職と下っ端は意欲が違うし、成長したくないので信頼せず放置してくれと思う。
校長は「生徒の失敗を大目に見たらどうか」と状況を理解せず、面倒をこちらに丸投げする発言。
なぜ私だけこんな目に遭わなければいけないんだと思った。
気づくと、どうすればこんなことから解放されるだろうと思い色々検索していた。
隣の先生にこれを見られ、「行動に出る前に管理職に相談した方がいい」「教頭は口調がきついから真に受けないほうがいい」「私も色々失敗した」などといろいろ慰めの言葉をくれた。
私と同時に着任した先生などにも相談に乗ってくれた。「あなたは完璧を目指そうとしてたんだ。60点でいいのでは」とも言ってくれた。
また、該当生徒の指導はその生徒が在籍する学年に依頼できることになり、非常に助かった。
何もかもやる気を失った。大好きな曲を聴いても拒否反応がすごかった。
テレビをつけると、時代劇の切腹シーンが出てきてますます気分が沈んだ。
通勤途中に外国人観光客を見ると、なぜ日本人だけ労働に苦しまなければいけないのかと思った。私も自由気ままに旅行したいのに。
(日本は労働法規に甘く、バカンスもなく権利行使がしにくい、下手すると同じ立場の労働者が権利行使を妨げてくるのはなぜだろうか。一説には資源の少なさと正社員制度が原因だというが…)
その後の数日、外出したいとも思わなかった。
そういえば、今までも出勤できていたものの、疲れというかなんとなく休み明け出勤したくない気分になることがしばしばあった気がする。
しかし今回はその気持ちが特に強かった。そんななか、ベッドの上のぬいぐるみが私に話しかけてきた。
渋谷凛「もう休めば。疲れてるでしょ」
島村卯月「早く休まないと…大変です!」
本田未央「よく頑張ったねプロデューサー。思い切って休んじゃお!」
あれ、苦しいときは休めばいいんじゃね?なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう。
今まではこんなこと考えつかなかったが、思いついた途端肩の荷が一気に下りた気がして、気がすごく楽になった。
そういえば、小学校の頃の私は皆勤至上主義で、ひどい風邪でも登校していた。
高校でそのおかしさに気づき少しでも体調が悪ければ欠席するようになったのだが、なんでこの解決法を忘れてしまったんだろう。
だが、この計画は勤務校はもちろん、何かの機会で口外するリスクのある同僚には当然言えない。
一見仲間にも見える両親にも口外してはならない。
母親は祖父(母方の曾祖父)が職を失いつまらなそうにしていたのを見て、仕事があることが素晴らしい、働かせていただいていると思うようになったそう。
つまり、「クビになりそう」→「ならないようにどんなことでもする」という感覚の持ち主だ。
父親は偉そうに上司にも独りよがりなイデオロギービジネスマンとしての心構えを力説していたらしい(それで啖呵を切って職を転々としていたらしいが)。
「自分の思い通りにならない、またはその仕事の責任を120%果たせないなら辞めるべき」と思っているらしい。
その日は特別な準備を要する授業や前述の生徒の指導も予定されており、休んだら迷惑かと思ったが、どうでもよくなっていた。
となると、どのような手段で休もうか。
休むのは電話すればいいのは知っているが、真っ暗な家で引きこもっても体調回復は絶望的だろうと思った。
じゃあ逃避行してしまおう。せっかくだし最近行っていない江ノ島に行こう。
ふと気になった。この休みはどういった扱いになるのだろうか。休暇の一覧表をみると、「病気休暇」があった。
利用条件は「ケガや病気で勤務できないとき」とのことだが、「病気」の詳しい定義がない。
ということは、「精神的に辛く体調がすぐれない」(これが悪化したものが「うつ病」「適応障害」などの精神疾患)も問題ないはずだ。
日数でいろいろ条件も変わるらしいが、今回の場合はまずは電話一本で、正式な手続きは出勤できてからで問題ないらしい。
ところで、病気休暇を取得している期間は病気の療養に専念しなければならない。
逃避行で精神の不調が回復するのならそれも療養であるから問題なく、むしろ進んで行わなければならない。
病気休暇が使えないなら年次有給休暇の利用、それもダメなら(給与が減るが)欠勤扱いでもよい。いずれも無断欠勤よりずっとマシだ。
今日は出勤しなくていいんだ。そういうつもりで髭剃りと歯磨き、自宅の風呂掃除とトイレ掃除を念入りに。
教員の労働環境のブラックさが世に知られ叩かれ出したことから、働き方改革の一環で電話は始業時間までつながらない。
始業後に連絡すると迷惑だろうから、自分が所属する学年団への連絡手段(こちらは連絡時間の制限は特にない)があったので、先にそちらに体調不良の旨連絡した。
学年団の先生方(原因となった出来事を直接は知らない人含め)は「ゆっくり休め」と言ってくれた。
「次の日も厳しいかもしれない」と続けて言えば、「好きなことをしてしっかりとリフレッシュしなさい」とも。事情を知っているのかな?
元気のない声で、やる気を出そうにも空回りしている雰囲気を出した。
何の問題もなく休暇が取れた。休暇届提出は次回の出勤日でいいらしい(説明もその時するから急ぐなとのこと)。
混雑したバスが来るいつもと変わりないバス停。そこに私はとてもラフな出で立ちでいた。
家を出発する際は、勤務するときと同等の服装だったが、バス停近くの隠れられる場所で着替えた。
・本田未央ちゃんのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)を着てアロハシャツを羽織り
・本田未央ちゃんの腕時計(キャラアニ。スーパーグルーピーズじゃないよ)を左腕に
・本田未央ちゃん、渋谷凛ちゃん、島村卯月ちゃんのぬいぐるみをカバンにしまい
・八宮めぐるちゃんやライブ(空は澄み、今を越えて。他)記念のキーホルダーをカバンに付けた。
どうだ、カッコイイだろ。
普段の通勤と時間があまり変わらないので混雑がストレスになるのは変わらない。
まあすぐに解放されるしいいか、と思っているうちに新宿駅に着いた。
ATMでお金を引き出し、藤沢までの切符とロマンスカーの指定券を購入(本当は特急券不要の快速急行でもよいのだが、せっかくなので…)。
江ノ島方面のロマンスカーは夕方までないとのことなので、相模大野で普通電車に乗り換えることにした。
横断歩道で信号待ちをしていると、知らない人からサイエントロジーとかいう宗教団体のチラシをもらった。すぐ捨てた。
コンビニで酒(ほろよい桃味)とつまみを買ってから(車内は)滅多に人が来ないところなんで、そこでしこたま酒を飲んでから(デレステを)やり始めたんや。
飽きたので、Amazonで大崎甜花ちゃんのフルグラフィックTシャツをポチっと購入。送料込みで7,321円也。
小田急線を乗り通すのは15年ぶりだ。複々線区間が代々木上原~向ヶ丘遊園まで伸び、列車種別構成の大きな変更があり、準急が緩行線を走行するようになったらしい。
藤沢に着いた。片瀬江ノ島まで行っても江ノ電を使ってもよかったが、せっかくなので大船まで戻る。
乗り換え専用改札があった。こういう改札は利用区間が制限されないICカードでしか通行できないものだが、聞いてみるとICカードとここまでの切符の組でも通れるという。
ここまでの切符を入れ、すばやくICカードをタッチすれば通行できた。ちなみに、新幹線乗り換え口でも似たようなことができるらしい(クレジットカードやEX-ICは不要)。
ここからは神奈川のジェットコースターとも評される、湘南モノレールに乗車。
強烈な地響きとともに列車が入線。駅壊れるぞ。
大船を出たばかりなのに猛スピード。おい、右に葬儀場があるぞ。車両は棺桶じゃないぞ。
思ったほど揺れなかったが、心配なのは走行高度が低すぎる点だ。大型路線バスとかぶつかるのでは。
湘南深沢から先はさらに本気を出した。70-80km/hは出したか。これに匹敵するのは東京モノレールの一部区間(昭和島付近)だけだ。
15分程度で終点の湘南江の島に到着。テラスでアイドルたちと記念撮影。
そのまま南に歩き、湘南海岸公園に。やることがないので近くの岩場で昼寝。
雲が動き日差しがまぶしいので、目隠しをした。時に涼しく時に熱くなるがこれが気持ちいい。
1時間ほど寝たら、桟橋の方を覗いてから15年ぶりに新江ノ島水族館へ。
岩場を歩いたり、飛び込み泳ぐペンギンさんが人間の言葉を話せたら何を言うのか、不謹慎なセリフを考えると非常に面白い。
最後に物販店でくじ引き。2等が当たり、店員さんがハンドベルを鳴らした。後ろから拍手。恥ずかしいだろ。
江ノ島にも行った。
恋人同士が鳴らす鐘らしきものの前で、本田未央ちゃんと一緒に記念撮影。
気づかず徒歩で戻ったのだが、どうやら船で江ノ島大橋のところまで帰れたらしい。
時間が足りず、江ノ島シーキャンドルやそのまわりの施設群、しらす丼は手付かずだった。また今度行った時味わおう。
江ノ電は意外にもVISAのタッチ決済による運賃収受を行っているらしい(決済端末は改札内なので、一部改札は不正通行検知装置を切っている)。
日本の改札は専用の券を駅などで購入し、機械に通す方式を取っており、欧州で一般的なQRコード付きの切符を任意の場所で印刷して通行するようにするのは難しいとのこと。
そこでVISAのタッチ決済による運賃収受が導入されたが、おそらく江ノ電は日本で2-3番目あたりには早く導入したかと思う。
本田未央「今日は楽しかったね!ねぇねぇ、明日も一緒にどっか行こうよぉ!」
勤務校と学年団に連絡した。2回目なので良心の呵責は全くない。
電話は教頭ではなく事務職員が取るため、こちらの事情は知らない。「はい分かりました」で終わり。
そこで、今日はアロハシャツの下には乙倉悠貴ちゃんのTシャツを。
いつものバス停に行く途中、ネームホルダーが落ちていた。手に取って見ると近くの幼稚園のものだと分かった。
グーグルマップでその幼稚園の電話番号を調べ電話をかけると、「どこに落ちていたのですか」と聞かれた。近いので「そちらに持っていきます」と伝えすぐに向かった。
その幼稚園に着くと、ちょうど登園時間とかぶっており保護者が子供を預けに来ていた。
乙倉悠貴ちゃんのTシャツ丸出しの男はロリコン扱い間違いなしなので、アロハシャツのボタンを閉めて事務室へ。
対応した職員さんは、電話に出た人とは別のようだが、「これ落ちてました」と言えば「ありがとうございます」で終わり。さっさと退散。
暑いので路地裏に入って下着を脱ぐ。肌の上に直接乙倉悠貴ちゃんがくっついてきて興奮する。
昨日歩きすぎたのか、右足小指に水ぶくれが。
昨日よりかは早いが、それでもまた出発が遅れてしまった。
今日もバスと電車を乗り継いで新宿へ。今日は小田原方面に向かうのでロマンスカーも多く走っている。
なんと小田急の自動券売機はクレジットカードに対応していた。箱根湯本までの切符と特急券を買うと、なぜか乗車券は小田原→箱根湯本のものしか出てこなかった。
小田急の改札は切符を2枚重ねで投入できるが3枚重ねはできず、しかたなく新宿→小田原の切符と特急券を投入。箱根湯本到着後有人改札で事情を話すことにした。
今日もセブンイレブンに行き酒とつまみを買い乗車。今日は酒2本(ほろよい桃味とぶどう味)。
電子レンジによる加熱が必要だが温め忘れてしまったものがあった。まぁ生で食べて腹を壊せば休みを伸ばせて都合がいい。
車内でつまみを全部食べ終わってからPermalink |記事への反応(12) | 13:12