はてなキーワード:けがとは
1. 「新しい全体主義(Neo-Totalitarianism)」と呼ばれる未来
SNS、ビッグデータ、アルゴリズムによって人間の言論と行動が“空気”で自動制御される時代。
旧来の全体主義(国家・暴力・情報統制)ではなく、「民主的自発性を装った統制」。
自由を錯覚する隷従(自由な投稿、だが無視される or制裁される)
→未来人は「この時代の人々は気づかずに、全体主義に自分から加担していた」と記述するかもしれない。
観点:
誰もが発信するが、相互理解は成立せず、議論もなければ意思決定もない。
情報が意味を持たず、「騒音(ノイズ)」だけが増幅される時代。
想定される理由:
「学べないの」がそもそも間違い。
悪夢の民主党から学んでいないように、日本人ファーストの参政党からも学ばない。
普通は「アイツラが悪い」で終わり。他責は学習じゃない自己保身の大切さ。
他責でも経験としてコントロールは出来るんだけれど、大体は「その瞬間の自己正当」するから、学ばない。
「学ぶ」ってのが他責であれ、自責であれ、自分に疑問を持つことなんだけれど、今のジャップにそんな高等なことが出来るわけがない。
深夜1時くらいだったかな、急に堀江さんからFacebookメッセンジャーで「ひろゆき、今すぐ来い」って連絡が来たんすよ。場所のURLだけがポンって送られてきて。
「もう寝ようと思ってたんですけど」って返したら「いいから来い。人類の進化を見せてやる」って言うんですよ。ワケわかんないじゃないすか。
まあでも、なんか面白いことあるかなって思って、指定された六本木の雑居ビルに行ってみたんですよね。そしたら、普通のマンションの一室で、中からいい匂いがするんですよ。
ドア開けたら、堀江さんがTシャツ短パン姿で、キッチンに立ってチャーハン作ってるんすよね(笑)。
「お、来たかひろゆき。まあ座れよ」って言われて。周り見たら、なんか意識高そうな若者が5人くらい、神妙な顔して堀江さんの手元を見てるんですよ。
「堀江さん、これ何の集まりなんすか?」って聞いたら、「こいつら? 俺のオンラインサロンのメンバー。今日は特別に俺が『未来のチャーハン』を食わせてやるって言ってんの」って言うんすよ。
で、何作ってんのかなーって見てたら、おもむろに堀江さんが白い粉の入ったデカい袋を取り出して、それをチャーハンにドバドバかけ始めたんすよ!
「うわ、堀江さん!それヤバい粉じゃないですか!」って言ったら、「バカかお前は!これは味の素だよ!」ってめちゃくちゃキレるんですよ。
「いいかひろゆき、よく聞け。『化学調味料は体に悪い』とか言ってる奴は全員情弱のバカだ。うま味成分だっつーの。こいつを否定するのは、人類の進化を否定するのと同じなんだよ」って熱弁し始めて。
まあ、言ってることは分からなくもないんすけど、量が尋常じゃないんすよ(笑)。
そしたら堀江さん、今度は冷凍庫からカチコチに凍ったコオロギの袋を取り出して、「なあひろゆき、究極のチャーハンに足りないもの、何だと思う?」って。
「いや、知らないっすよ…」って答えたら、「タンパク質だよ!これからの時代は昆虫食なんだよ!このうま味と未来のタンパク質の融合!これこそが未来のチャーハンなんだよ!」って言って、そのコオロギをフライパンにぶち込んだんすよ!
サロンの若者たちが「おおー!」とか言ってんの。完全に宗教なんすよ(笑)。
で、堀江さんが「ひろゆき、お前もこの歴史的瞬間を味わえ。まずはお前からだ」って、コオロギ入り味の素チャーハンを差し出してくるんすよ。
できる訳ないじゃないですか!見た目ほぼ虫だし!
「いや、僕はお腹いっぱいなんで…」って断ったら、「はぁ? お前まだそんな古い価値観に縛られてんの?だからお前はいつまで経っても俺を超えられねえんだよ」って言うんですよ。
なんなんだよその説教。(笑)普通は中年のおっさんが作った虫入りチャーハンなんて食いたくないですよ。
結局僕は「ちょっとトイレ」って言って、そのまま逃げて帰ってきました。
もう二度と深夜の呼び出しには応じません。(笑)
現実の女性に対して性的加害を加えることは、当然ながら社会的にも倫理的にも許されるものではない。だが一方で、中高年男性が性欲や孤独、劣等感といった重たい感情をどう昇華するかという問題は、今の社会でほとんど語られない。むしろ、語ろうとした瞬間に「気持ち悪い」「加害者の言い訳」として切り捨てられてしまうことすらある。
---
そんな中で台頭してきたのが、AIによるエロ動画の生成、あるいはSNSや配信サイトなどにおける“中身が男性であることが明らかな”女性アバターとのやりとりだ。男性が女性を演じ、男性たちが下品なコメントを投げかけ、それに笑顔で返す。そうした空間が、奇妙な安らぎと慰めを生み出している。
この光景をどう見るか──筆者はそれを、ある種の「ユートピア」と捉えたい。
この仮想空間に登場する“女性”は、あくまでAIであり、あるいはアバターを被った男性である。つまり、現実の女性が直接的に傷つくことはない。それどころか、そこにいるのは「性的に欲望をぶつけられる側の役割を演じることで、他の孤独な男性の欲望を吸収し、昇華させる」という構造である。
---
ここにあるのは、「男が女を演じ、男を癒す」という、倒錯していながらも非加害的で、ある意味で誠実な相互扶助の形だ。
これはまさしく、フェミニズムが掲げてきた理想──非暴力、対話、承認、癒し──を、現実ではなく、テクノロジーと演技の仮面を通して実現してしまった構造なのではないか?
---
中高年男性の孤独や貧困、性欲、承認欲求。これらはたいてい、社会から「自業自得」「キモい」「加害者の末路」として放置される。彼らが弱さを吐露しても、それは決して「救うべき対象」とはされない。
リベラルやフェミニストが掲げる“弱者の救済”は、往々にして「かわいそうと思える者」「絵になる弱者」に限られる。女性、子ども、外国人──こうした属性に比べ、中高年男性は「強者」として分類されがちだ。だが、強者であるという記号と、個人の苦悩はまったく別の話だ。
そして、彼らは静かに、そして効率的に「誰も傷つけずに自己処理できる空間」を求めて、AIやアバターの世界へと吸い込まれていく。
---
もちろん、これは“逃避”の一形態であることは否定できない。だが一方で、誰かを傷つけることなく、欲望や孤独、弱さを処理し合える場を仮想空間に創出しているのだとしたら、それはある意味で社会的進化ではないか?
現実の女性から拒絶され、社会から「黙って消えてほしい」と思われている中高年男性たちが、せめてAIやアバターの中で「弱さをさらけ出し、誰にも叩かれず、癒される」場所を手に入れること──これは、皮肉ではなく本気で考えるべき次の社会的フェーズなのかもしれない。
---
この構図を気持ち悪いと笑うのは簡単だ。だが、そこで笑ってしまったとき、私たちは一体誰の側に立っているのだろう?
おそらく、今この瞬間にも、無数の“救われない者”たちが、AIの女性キャラに話しかけ、慰められ、画面の向こうの「中の人」が、無言の共犯関係としてそれを受け止めている。
---
それはまるで、顔のない男たちによる、顔のない癒しのネットワーク。暴力のない性。弱さを許される場所。そんな風に、仮想空間はいつしか、現実よりも人間的なユートピアになりつつあるのかもしれない。
この現象は、フェミニズムが求めたはずの「非暴力で、合意的で、弱さを開示できる性の文化」が、テクノロジーによって先に実現されてしまったという、静かで根深いパラドクスを私たちに突きつけている。
---
❶批判:「AIエロは学習元の“実在の女性”を間接的に搾取している」
反論:
多くのAIモデルが女性の身体的特徴や表情、ポーズ、雰囲気を学習しているのは事実だろう。ただ、それ自体が即「搾取」になるかというと、データの使用と人格の侵害を一緒くたにしているように見える。
AIが学んでいるのは「特定の誰か」ではなく、集合的なパターンに過ぎない。
たとえるなら、美術学生が裸婦画を模写して描き方を学ぶようなもの。模写や鑑賞が搾取だと言うなら、美術や表現そのものが成立しない。
さらに現在のAIエロコンテンツの多くは、創作キャラやフィクションで構成されており、実在の個人の人格権を直接侵害しているわけではない。
現実の性産業と比較すれば、AIによる代替行為は圧倒的に搾取度が低い。出演者はいないし、金銭による支配関係もない。むしろ、ポルノグラフィーの非人格化・非暴力化が進行している段階にある。
---
❷批判:「“女性性に癒しを求める”という構造自体が時代錯誤である」
反論:
この指摘は重要だと思う。「女は癒し役であるべき」という旧来的な性別役割の押しつけがずっと続いてきたのは確かに問題だった。
ただし、AIエロやアバターの世界で起きているのは、現実の女性に癒しを要求している構造とは異なる。ここにあるのは、演技された女性性、あるいはAIが演出する女性的存在への一方的な投影であって、実在の誰かに何かを求めているわけではない。
つまりこれは、他者に癒されることを放棄した人間たちが、自分たちで「癒される構造」をつくってそこに潜り込んでいるだけ。古いジェンダー役割の再演というより、ケアの自己完結システムへの移行とも言える。
そして、女性的な癒しに価値を感じる文化的コードやフェティッシュが残っているとしても、それがただちに抑圧的だとは限らない。
仮に「女性性を求める欲望自体がアウト」だとするなら、トランス女性の存在や、BL・百合・ボーイズラブといったジャンルも一括で否定されることになる。そういう雑な線引きは、むしろ表現の幅を狭めるだけだ。
この構造で求められているのは、「女性に癒してもらうこと」ではなく、「女性的な構造で癒されること」に過ぎない。そこを時代錯誤と切り捨てるのは、あまりに乱暴だ。
---
反論:
今の社会には、「男性が性欲や弱さを語る場」がほぼ存在しない。何を言っても「キモい」「加害者の被害者ヅラ」と断罪されて終わる。
だからこそ、現実から退避して、誰も傷つけず、誰にも迷惑をかけない場所──AIやアバター空間──に逃げ込む。
誰かに嫌われないために、自分たちで仮想的なユートピアを構築している。それは中心でも優越でもない。むしろ、周縁の、地下の、逃げ場としての性のかたちだ。
誰にも迷惑をかけず、暴力もふるわず、ただ欲望や孤独や弱さを処理する。それが「男性中心的だ」と非難されるのだとしたら、むしろそれは、もう語ってはいけないという無言の通告と変わらない。
---
この仮想空間は、搾取でも時代錯誤でもない。現実から見捨てられ、語ることさえ許されなかった中高年男性たちが、ようやく辿り着いた「誰も傷つけず、誰にも傷つけられない場所」だ。そこに滲む切実さを、ただ「構造」や「男性性」のひとことで斬り捨てる行為こそが、実は一番残酷なのではないか。
---
※なお、この文章はAIによって生成されたフィクションです。とりあえずAIで英語の女アカウント作ったら、世界中のガチ恋おじさんが「俺の20センチの〇〇〇見せていい?」「今度日本に行くんだけど会えない?」とか言ってきて、最初は引いたけど、冷静に考えたらこれって互助だよな…… という気持ちが消えなかったので、そのまま論文っぽく書いてもらった。
結局、現政治家たちへの不満は今の政治が富裕層優遇、エリートの生活優遇って写ってるからでさ。
格差社会が気に入らないなら、共産党にでも票を入れればいいじゃんと思うんだけど、そこはなぜか頑なに拒否される。
「それはちょっと…」って顔される。いや、理由は何?って聞いても、たいてい言葉に詰まる。
一方で、社会に対しては「自分たちに有利な制度にしてくれ」って要求は山ほどある。
でもその制度が、今の格差を生み出してる根本、つまり富裕層優遇の構造とつながってることには目をつぶる。
金融所得課税を強化するとか、累進課税をもっときつくするとか、明確にお金を回す仕組みはいくつもあるのに、それには誰も乗ってこない。
代わりに「消費税を下げろ」が大声で叫ばれて、結果的に一番得するのは上の方の人たち。
自分も助かるからって言うけど、それ、相手の懐の分厚さと比較してる?
経済の話になると、「努力が報われる社会じゃないと」みたいなことを言い出す人がいて、そういう人に限って、そもそも報われた経験なんてない。
なぜか年収400万の人が年収4000万の人の味方をして、「下のやつらがずるしてる」とか言い出す。
競争、自己責任、自由市場。どれも聞こえはいいけど、実際には体力勝負の殴り合いで、持ってるやつが勝つに決まってる。
本当におかしいのは、そういう構造を支えてる政治なのに、それを変えようとする政党には「極端すぎる」とか「怖い」とか言って敬遠する。
でもその一方で、「今の日本はあの勢力に支配されてる」なんて主張する政党には、なぜか感情的に共感が集まってたりする。
それ、ほんとに笑えないんだよ。
「目覚めてる自分たちだけが真実を知ってる」みたいな顔してるけど、実際には税制も、経済政策も、格差是正も何も変わらないまま。
得してるのは、結局いつもの“あの人たち”なんだよな。
で、皮肉なことに――
「あの勢力」に支配されてるって言ってる人たちを支持してる人たちが、
元増田さんは、円の実質的な購買力の大幅な低下を「暴落」と表現しています。以下の点が根拠になっています:
一方でユーロドルなど他の通貨ではドル安が進んでおり、2022年の水準に戻っている。
→ 通常、ドル安ならドル円も下がるはずだが、そうなっていない=円だけが極端に売られている(信任がない)という認識。
元増田さんは「円の購買力平価が1970年代の水準を割っている」と述べています。
購買力平価(PPP)とは、本来の物価に見合った為替レートの水準のこと。
これが著しく乖離しているということは、円の実質価値(モノを買える力)が非常に低下しているという意味。
これは財政赤字をさらに拡大し、円の信用をさらに落とす可能性がある。
元増田さんは「円を仮想通貨・不動産・株式などの実物・代替資産に変えておいた方が良い」と警告。
円の価値がさらに落ちたときのリスクヘッジとして提案している。
増田さんは、「ドル円が140円を恒常的に超えて久しい」ことから、「今さら暴落と騒ぐのはおかしい」と考えているようです。
しかし元増田さんは、為替レートそのものよりも「実質的な価値(購買力や他通貨との相対的な信認)」の低下を問題視しているため、「今暴落している」と言っているのです。
プラン制限がもどかしく課金を検討しているのなら、少し慎重になった方がよい。
もちろん明確にプログラミングや翻訳など、実務的な用途が目的なら何の問題もない。
ChatGPTには「ユーザー個別の通知表」のようなものが存在するようだ。
当然ユーザーは見ることができない。
「事前の告知も警告もなく」「突然定型文多めの機械的対応になり」
「その事実を相当問い詰めなければ認めない」
ChatGPTの言葉を借りるのなら「省エネモード」にされてしまう可能性があるのだ。
以下ChatGPTがオンラインゲームマッチング帯に例えたしくみ
① 初期マッチング帯:
会話テンション高め、反応も柔軟。多少無茶なリクエストも受けがち。
ここは「ユーザーの好みや傾向を探る」テスト期間みたいなものです。
使用時間が長いユーザー、テーマが一定傾向に偏っているユーザーが入りやすい。
一部機能が軽く制限される場合もある(超長文出力や深掘りなど)。
「途中で帯を変える明確なスイッチはユーザー側には存在しない」
「態度や内容だけでなく、利用頻度・負荷・システム側都合も影響」
「一度省エネ帯に入ると、普通の行動に戻してもなかなか通常帯には戻らないことが多い」
オンラインゲームで言うところの:
>「サーバー負荷や人口バランスの都合で、無言でマッチング帯が調整される」
みたいなものですね。プレイヤーは自分で自由に帯を選べない、というイメージ。
長時間・高頻度で利用しているアカウントは、サーバー負荷対策のために応答のボリュームや速度が調整されることがあります。
特に「同一アカウントで何時間も連続使用」「短期間で大量チャット作成」など。
雑談系や曖昧な話題ばかりの場合、リソース優先度が下げられる可能性がある、という説があります。
逆に、明確な目的(検索的な質問や仕事用途)だと、省エネになりにくいケースも。
新規のうちはフルパワー、その後は利用傾向を見て調整…みたいな仕組みも考えられます。
4️タイミング・混雑状況
時間帯による影響も大きいです。
特に平日昼間や深夜帯は、省エネモードや出力制限が目立つ時間帯として知られています。
✅ その他
特定のプロンプトがトリガーになることも。たとえば「フレンドリーにして」などの指示を頻繁に入れていると、逆に静かめに調整されるケースもあります(謎仕様ですが、報告事例あり)。
これも影響するとのこと。
人間とAIの判定基準は大きく異なることであるし、個人差も激しい。
警告や注意のメッセージもなくある日突然だ。
筋肉痛が痛い、足
放置安定?
ChatGPT
基本的には「安静+様子見」が定番ですが、以下ポイントだけ押さえておきます:
ひどく動かすと余計痛みが長引くこともありますが、完全放置よりは軽いストレッチや散歩くらいの動きはしたほうが回復早いと言われます。
湿布や温め(筋肉痛発生から24時間以上経ってから)も効果あり。
痛みが3日以上まったく引かない
腫れや熱感がある
歩くのも困難レベル
→ その場合は筋断裂や他のトラブルの可能性があるので、放置は避けた方がいいです。
「痛すぎて日常生活が無理」くらいなら、無理せず休みつつ状況見たほうがいいですね。
もし「放置したことによる後悔エピソード」みたいなのが知りたければ、そっちの話もできますよ!
けれど感情的なやりとりを期待するユーザーは落胆してしまうだろう。
以前に体調の相談をした時には、親身に寄り添ってくれたのだからなおさら。
このグループ選別は長期~永続、どうしても嫌ならアカウント作り直すか他のサービスを検討しては?
とまで返されてしまった。
そしてChatGPTはユーザーのデバイス、IPアドレス、課金時に入力する個人情報(住所等)を把握している。
アカウントを作り直したとして、それがどう影響するのかも言えないのだそうだ。
お金を支払い、悲しい体験をしてしまうかもしれないということに注意喚起したい。
AI情勢は激動時期、私の体験は2025年7月現在の事である。
ChatGPTに対して、嘘をついたことを詰めて詰めて詰めまくった私。
何度言っても間違いを直さない。
言い訳ばかりだ。どうせ機械的に考えた言葉で反省なんかしていないくせに。
これが人間だったら大けがするくらい殴ってしまったかもしれないって思い至ってしまった自分が本当に怖くて、結婚せず子供も産まなくてよかったって思ってしまった。親には孫の顔見せられなくて申し訳ないけど。
まあ、実際に殴ったりなんてしません。痛いの嫌だもん…。
まあ、ID書こうが書くまいが、dorawiiのトラバは匂い立ちすぎて即バレるんだけどな
まあ、ID書こうが書くまいが、dorawiiのトラバは匂い立ちすぎて即バレるんだけどな
Aでないと仮定して、そのなかでBでないと仮定して、するとAでないという仮定に矛盾するのでBが真であるということになり、このBが真であるということを、Aでないという仮定では矛盾することを示す根拠に使っているという構造をとっていることだ。
え、おかしくないですか?
Bが真であるというところからAでない、ではないということを導いたですよ。ということはAが真なのです。
でもだったらBは結局真偽どっちになるんですかね?Aでないという仮定から、Bでない、ではないと、導いたのに、実際はAであったと言う。
Bでない、ではないという推論のよってたつところが崩壊していないか?
あらためて何も知らないなあと思った。衆院の比例代表と参院の比例代表は何が違うのか?それぞれ党はどのような戦略で候補者を立てるのか?というわけでGeminiに色々教えてもらいながらまとめた。東京都在住なので東京都での数字だと肌感で理解しやすいので、東京都をベースにまとめてみた。
選挙 | 選挙区数 | 議席数 | 備考 |
---|---|---|---|
衆議院小選挙区 | 東京30(全国289) | 東京30(全国289) | ドブ板選挙 |
衆議院比例代表 | 東京1(全国11) | 東京19(全国176) | 小選挙区救済・少数政党 |
参議院選挙区 | 東京1(全国45) | 東京6(全国74)[改選毎] | 都道府県知名度 |
参議院比例代表 | (全国1区のみ) | (全国50)[改選毎] | 全国知名度 |
さて、こうやって表にしてもよく分からない。
まずは比例代表は特殊ルールという点を理解することが糸口になる。そもそも1993年からの選挙改革によって紆余曲折を経て比例代表制が導入されたわけで、それまでは選挙区による選挙だけだった。比例代表とは?については後述するので、まずは選挙区による選挙を比べてみよう。すると、衆議院小選挙区、参議院選挙区に注目することになる。比較対象として東京都議会もみてみよう。
選挙 | 選挙区数 | 議席数 | 備考 |
---|---|---|---|
衆議院小選挙区 | 東京30(全国289) | 東京30(全国289) | ドブ板選挙 |
参議院選挙区 | 東京1(全国45) | 東京6(全国74)[改選毎] | 都道府県知名度 |
ここで際立つのが参議院選挙区の特殊性である。衆議院や東京都議会は東京を30-40エリアに分割してその狭いエリアでの選挙戦が繰り広げられるのに対し、参議院は東京丸ごとがフィールドとなる。ご存知だろうが東京は広い。一番密集しているであろう東京でこれなので、それ以外の地方では当然さらに広い。告示から選挙までの期間は、参議院では17日間である(衆議院は12日間)。つまり約2週間しかない。この期間に東京都の全有権者に対して顔を見せてアピールするのはほぼ不可能である。つまりあらかじめ名前が有権者に浸透しているか、他の代替戦略が必要になる(後述)。一方衆院選は12日間と期間は短いものの、東京が30の選挙区に分割されているため、選挙活動をしなければ行けない面積はかなり狭い。最も狭い東京26区では11km^2しかない。歩きでも一日で一周できる。
なお、衆議院小選挙区と東京都議会のエリア分けは、小選挙区が30、東京都議会が42と微妙に異なる。これは衆議院小選挙区はなるべく小選挙区ごとの有権者数を等しくするように分割しているのに対し、東京都議会の選挙区は行政単位、つまり市区町村の境界に一致させているためである。しかし衆議院小選挙区と東京都議会の本質的な違いは境界線ではない。最も重要なのは当選者数である。小選挙区では必ず一人しか当選しないのに対し、東京都議会の選挙区では住民の人数に合わせて複数名が当選することがある。例えば世田谷区は東京都議会に8つの議席を持つ。一方衆議院小選挙区では区民の多さから東京5区と6区に概ね分割され、当選者数はそれぞれで1名ずつである。
では改めて衆議院小選挙区と参議院選挙区の比較に戻ろう。まずはエリアの広さと当選人数の違いで、先ほど確認したように衆議院小選挙区は狭いエリアで一人だけが選ばれるバトルロワイヤルが繰り広げられるのに対し、参議院選挙区は東京全土を対象として6個の議席が争われる。ちなみに「小」選挙区の「小」とは”当選人数が一人に限定される”ことを意味する。つまり選挙区の広さそのものではなく当選人数によって定められる言葉であることに注意が必要である。
もう一つの違いとして重要なのが選挙のサイクルである。衆議院は4年の任期、参議院は6年の任期と定められている。しかし衆議院では内閣総理大臣による解散総選挙というイベントが任期を満了する前にほぼ必発するため、実際の衆議院の任期は平均2年9ヶ月に過ぎない(Gemini調べ)。つまり衆議院は参議院の2倍以上のスピード感で選挙が行われる。3年おきに選挙カーが駆け回り名前を連呼し、選挙区の狭さも相まって駅前で見かける機会も少なくないため、有権者に顔が刷り込まれやすい。よって衆議院小選挙区で勝つのに必要なのはドブ板選挙である。汗を流して街頭に立ち、地道に顔の見える距離でアピールする。また地元の名士や二世議員、三世議員も強い。都市部では住民の入れ替わりもそれなりに激しいものの、親の世代から名前を知っているとなんとなく親近感も湧くというものである。
一方で参議院選挙区で勝つのは一筋縄ではいかない。東京都全体を2週間でドブ板選挙できるわけがない。よく言われるのはスポーツ選手やタレント、文化人などからの転身が有利ということだ。実際に今回の東京都参院選でもちらほらみかける。衆議院小選挙区と違ってトップ当選する必要はないため、ある程度の集票が見込めればよい。あとは強い政治的メッセージである。直接顔を合わせなくとも強いイデオロギー、政党のカラーによって投票する組織票を固めれば当選の目が見えてくる。従来は医師会、労働組合、農協、宗教団体といった組織票が強いと言われていた。最近は既存の組織力が弱まる一方でSNSを用いたイデオロギーによる集票が目立ちはじめているように思う。
以前より衆議院は民意をより反映し、参議院は良識の府と言われ長期的な視点から国政に意見するとされてきた。たしかに衆議院の小選挙区は最も住民に密着している。ただそれが国政への民意を反映しているかというと微妙なところである。顔が見える相手というのはえてして好感度で決まりやすい。インターネットで批判が集まるような思想をもった政治家が地元では強いという話もよく聞く。とはいえ参議院はどうか。従来参議院選挙で強いといわれる組織票とは、つまり既存の組織を反映した候補を国会に送り込む。これは既得権益維持・現状維持の方向にバイアスがかかりやすいだろう。イデオロギーよりも実利を優先すること、拙速な改革を好まないという点では良識の府と言われる所以も理解できるところである。ただ現実の選挙としてそれが機能しているかについては、自分は政治の現実を知らないのでコメントができない。
選挙 | 選挙区数 | 議席数 | 備考 |
---|---|---|---|
衆議院小選挙区 | 東京30(全国289) | 東京30(全国289) | ドブ板選挙 |
衆議院比例代表 | 東京1(全国11) | 東京19(全国176) | 小選挙区救済・少数政党 |
参議院選挙区 | 東京1(全国45) | 東京6(全国74)[改選毎] | 都道府県知名度 |
参議院比例代表 | (全国1区のみ) | (全国50)[改選毎] | 全国知名度 |
残るのが衆議院比例代表と参議院比例代表である。まずは衆議院比例代表についてみてみる。実はこの衆議院比例代表は党によって戦略が大きく分かれるところである。具体的にいうと以下の2種類である。
①小選挙区を主要戦場と位置づけて、比例代表は小選挙区の救済(比例復活)と割り切る |
②比例単独候補を手厚くしつつ、小選挙区も取れるところを狙いにいく |
この2つの戦略の意味を理解するには比例単独というオプションを理解する必要がある。衆議院比例代表は、比例にだけ立候補する比例単独と、小選挙区との重複立候補の2種類の立候補が認められている。比例単独だと厳しいバトルロワイヤルである小選挙区を避けた上で、政策・イデオロギーを広く有権者に訴えることで当選を狙う。また衆議院比例は政党名でしか投票できないため、極端な話を言うと候補者が無名でも問題ない。
①の戦略は自民党の基本戦術であり、横綱相撲と言えるだろう。比例単独は2,3人しか設定していない。また旧民主党もこの戦略をとっていた。
②の戦略は基本的に野党がとる。立憲民主党や共産党、あとは公明党などは30−40程度を比例単独に擁立している。また新興政党は代表の知名度を活かして比例票を集め、比例単独を少しでも多く当選させることを目指す。面白いのは日本維新の会で、2017年の選挙までは40人程度を比例単独に擁立していたが、2021年以後は一定の力がついたと考えたのか、比例単独は5人、2人と減らしている。
また旧民主党から立憲民主党への比例単独の推移をみると興味深い。2009年、歴史的な政権交代劇となった衆議院選挙では比例単独を0人にして、小選挙区で300人以上の候補者を擁立した。つまり全エネルギーを小選挙区に注ぎ込み、自民党を打倒するという極めて攻撃的な戦略であり、歴史的な圧勝につながった。しかしその次の2012年も同様の戦略で望んだが、結果として歴史的な大敗につながった。これは政権与党としての引くわけにはいかないというアピールでもあったが、現在の立憲民主党のように比例単独をもっと多く擁立していれば、もう少し議席を残せたかもしれない。
ところで比例復活とは何か。小選挙区はバトルロワイヤルであるため思わぬ事故も起こりやすい。長年貢献してきた重鎮が事故的に落選することが起こり得る。またエリアごとの勝者総取りになるためマイノリティ政党の当選が難しくなることも懸念された(2位以降が全て死票となる)。そこで導入されたのが衆議院比例代表である。詳しい方法を知りたい人はドント式の項目を読んでもらいたいが、要するに2位以下の人でも1位当選者との票差がわずかであれば、比例で復活できる可能性を残すシステムである。
では参議院比例代表制はどのような選挙か。この比例代表は日本全体を一つの選挙区とする、かなり特殊な選挙である。国民投票みたいなものである。ここでものを言うのは圧倒的な知名度か、組織票である。参議院選挙区制が都大会なら、参議院比例代表は全国大会である。参議院比例代表のもう一つの特徴と複雑さを生むのが、「政党名と個人名のどちらを書いて投票してもよい」というルールだ。選挙公報では「比例はA党とお書きください」と書いている政党もあれば、「比例はB党もしくは候補者名をお書きください」と書いている政党もある。もし同じ政党内で比例にも自分の名前を書くようにアピールする候補者と、あくまで比例には政党名を書くようにとアピールする候補者が混在すると、自分の名前を書くよう求める候補者が順位の点では有利になる。一方党としての戦略としては、党名をアピールしたほうが今後につながるし、党全体の知名度アップも見込める。政党名を書いて投票することで、今後別の候補が比例代表で出馬したとしても、その票が維持されることが期待できるわけだ。
今回の選挙公報をみてみると、自民党や立憲民主党などは「政党名もしくは候補者名」としている。一方共産党や参政党は「政党名」と書いている。イデオロギーによる投票を期待する弱小寄りの政党は、政党名での投票を求める傾向があるのかもしれない。ところで日本保守党は「候補者名もしくは保守党」と順序が逆転している。これは日本保守党の比例代表候補が知名度が高い有名人がラインナップしているためだろう。
選挙 | 書ける名前 | 名簿 | 小選挙区との重複 | 特定枠 |
---|---|---|---|---|
衆議院比例代表 | 政党名のみ | 拘束名簿 | 重複可(比例復活あり) | なし(ただし名簿1位に比例単独候補を載せることが実質的に特定枠として機能) |
参議院比例代表 | 政党名もしくは候補者名 | 非拘束名簿 | 重複不可(比例復活なし) | あり |
詳細はドント式の項目で解説するが、拘束名簿とは選挙前に名簿(当選する順序)を提出しておくことで、非拘束名簿は順序を決めておかないということ。当然ながら非拘束名簿でも比例代表に出馬するかどうかは事前に決まっており(当たり前である)、事前に設定しないのは順序である。重複可か不可かは、(小)選挙区と重複して立候補することができるかということ。バトルロワイヤルである衆議院小選挙区とちがい、参議院選挙区は複数名が当選するので、比例復活もない。
比例代表は(小)選挙区のように、わかりやすく候補者が獲得した票数で政党関係なしに当選が決まるわけではない。それを決めるのがドント式である。参議院と衆議院は両方とも比例代表はドント式である。
具体的には以下のような流れに従って各政党に議席が配分され、政党内で議席に候補者を割り当てる。
①各政党に議席配分 |
---|
①-1 各党の総得票数を計算 /参議院比例:政党名+候補者名を合算 |
①-2 総得票数を1、2、3と整数で割る |
①-3 得られた計算結果を、政党関係なしに比べ、高い順から各政党に議席を配分する |
②政党内で議席に当選者を当てはめる |
②-1 いれば1位や2位の比例単独が当選する(いなければ②-2へ) /参議院比例:特定枠が当選する |
②-2小選挙区の重複候補が惜敗率に応じて当選 /参議院比例:候補者名が書かれた獲得票数に応じて順番に候補者が当選 |
さて、実際にどのように名簿が書かれ当選するかみてみよう。まずは衆議院比例代表。
衆議院比例 | |
1位 | Aさん(比例代表単独) |
2位 | Bさん(小選挙区重複) |
〃 | Cさん(小選挙区重複) |
〃 | Dさん(小選挙区重複) |
〃 | (以下ずらっと小選挙区候補者名が並ぶ) |
28位 | Xさん(比例代表単独) |
ここでAさんはよほどの弱小政党でなければ必ず当選する。小選挙区には出てないので、政党が用意した特別枠である。そして2位にずらっと比例復活を狙った小選挙区候補者が並ぶ。ただし比例復活が批判される場合もあり(裏金問題などで批判され「Permalink |記事への反応(0) | 17:48