はてなキーワード:からむしとは
"度を超えたブサイクで、いじめっ子たちにバイキン扱いされていて、いじめっ子以外にもうっすら避けられているような、ルックスにハンデを抱える子供"が。
多分、小学生のころって、ほとんどの子供は、少なくとも男子は、清潔感とか気にしないで身だしなみに気を遣わない奴ばっかりだったよな?
それなのに、努力せずともイケてる男子はいて、努力せずとも嫌われる"バイキン"がいたわけだ。
これって、大人の社会で言うところの、"清潔感がない"とまったく同じじゃないか?
"清潔感がない"のは本当に本人の努力不足なのか?生来的なルックスの違いってだけじゃないのか?
努力で全てが決まるなら、なぜ誰も努力してなかった小学生男子というコミュニティにすら、"イケてる奴"と"バイキン"がいたんだ?
大人になった今、主観的に気に入らないルックスの奴を「清潔感がない」とジャッジしている奴は、ブサイクなクラスメイトを"バイキン"扱いしていたいじめっ子と何も変わらないんじゃないか?
"バイキン"って言ったら自分が悪者になるから、"清潔感がない"と言い換えているだけじゃないのか?
「清潔感がない」と言っておけば、「清潔感なんて努力次第で誰でも身につく。本人の努力不足が問題。私はそれを指摘してあげているんだからむしろ感謝しなさい」という風に、
道徳的な正当性と優位性を保てるから、そのような主観と客観の間にある曖昧なフレーズを使っているだけじゃないのか?
清潔感が努力で決まるなら、なぜ誰も努力してなかった小学生時代にすら、"イケてる人気者"と"バイキン"がいたんだ?
刺激的なタイトルにして冗長な本文にしたせいで誤読される方が多かったので簡単にまとめると「誰もが簡単に創作できる時代、だからむしろAIイラスト生成者はより高い努力と工夫が求められているのでがんばれ」という話です
追記終わり
AIイラスト生成ツールの出現は、創作の歴史における革命的な出来事だった。かつて何年もの修練を要した技術が、今やプロンプトの入力だけで誰にでも手に入る。「日本女性東京夕焼け」などと指定すれば、和服を着た女性が東京の夕暮れの中にいるイラストが、1分もかからずに完成する時代となった。
民主化は完成した——少なくとも表面上は。技術的障壁は消え、創作の門戸は全ての人に開かれた。かつての貴族的なアート世界の城壁は崩れ落ちたかに見えた。
「全員が生産者」となった世界の現実は、想像以上に厳しい。AIは短時間で大量の作品を生成できるため、AIイラスト市場は供給過多で、市場での存在感が低下している。供給過多の状態では、一つ一つの作品に向けられる注目は希薄化する。
SNSのタイムラインを埋め尽くすAI生成イラストの洪水——それぞれが「見て」と主張するが、見る人間の数は限られている。需要と供給のバランスが根本から崩れた市場では、作品の価値は暴落していく。これこそが敗者のツールの構造の本質だ。
この「敗者」の海で溺れないために、多くのAIイラスト生成者が必死の努力を続けている。AI時代に生き残るためには、AIでは代替できない独自の付加価値を身につける必要がある。そしてここに根源的な矛盾が生まれる。
AIが無限の「素材」を提供する時代に、その素材を巧みに使いこなし、独自の表現を創造できる者だけが価値を持つ。全ての人が平等に道具を手にしたからこそ、その使い手の特質が決定的な価値の源泉となる。
供給過多の「敗者」から脱出する道は、AIを使いこなした上で、人間的な価値を追求することにある。結局のところ求められるのは機械では再現できない人間固有の視点、経験、感情なのだ。
民主化された創作ツールは、皮肉にも新たな貴族制を生み出した。そして今、私たちは全員が敗者となる可能性を秘めた市場の中で、いかに自分だけの価値を創造するかという難題に直面している。
この矛盾に向き合い、それを創造的に解決できる者だけが、「全員敗者」の海から浮上する可能性を持つ。AIイラストの時代は、「誰もが創作者になれる」という夢を見せながら、同時に「では真の創作者とは何か」という根源的な問いを突きつける。
結局のところAIを使えば人気者になれると言うわけではない。そういう残酷さが明確になりつつあるのが敗者のツールとしてのAIイラストなのだ。
体育祭か何かをサボって空き教室に逃げ込んで、同じくウンチ(運動音痴)の陰キャの友人と漫画を回し読みしていた気がする
当時漫画といえばジャンプかりぼんかちゃおくらいしか知らなかったので、漫画の題材といい画力といい作風といい、乙嫁語りを読んだ衝撃はまさに革命レベルだった
当時はまだ2巻くらいしか出てなくて、今すぐ続きが読みたかったし結末が知りたかったが、およそ1年間隔という発行ペースを知り、一生完結しない気がして絶望した
さて当時私の心を捉えたのはパリヤさんだった
不器用で愛想がないが、よそ者だった主人公のアミルさんを助けて歳が離れているが友人になるのだ
乙嫁語りは嫁というだけあり、登場人物は適齢期のお姉様が多く、13,14歳のパリヤさんには親近感があった
不器用なところも好感が持てた
普通、りぼんとかなら不器用な主人公はそれが魅力として周囲からむしろ愛されたりするのだが、パリヤさんは不器用さが災いし、ガチで地元で浮いているのだ
パリヤさんに縁談話が持ち上がった際、私は何年かかってもパリヤさんの嫁入りを見届けると決意した
「丈夫そうだから」という一点突破でパリヤさんを選んだ猛者である
パリヤさんに感情移入するだけあって甘酸っぱい青春は送らなかったが、兎にも角にも結婚した
ていうかまだ結婚していない
掲載誌が変わり、今はどこで掲載しているのかすらわからなくなってしまった
パリヤさんを見る目は娘を見る目に変わってしまったが、やはり私は今でもパリヤさんの乙嫁姿を期待して最新刊を買ってしまうのである
自分の中に、席譲りの優先順位がある。リアルじゃ言えないからここで大公開!
1位は妊婦。
妊婦がいたら、どんなにヘトヘトでも率先して席を譲るようにしてる。座ってる時に目の前に20〜30代の女性がきたら、まずカバンにマタニティマーク付いていないかチェックするようにしてる。
理由は、妊婦に席譲ったらなんかご利益がありそうな気がするから。あと「いいことしたぞ」感がすごくて、その日一日万能感に包まれる。
足の怪我や障害は目立つ。そういう人は割とみんなに席譲ってもらえてるし、優先席に行きがちだからむしろ譲る機会ないかも。でも近くにいたら声をかけるかな。
譲ってもご利益は別になさそうだけど、妊婦と同じく「いいことしたぞ」感はあるので、その日一日万能感に包まれる。
3位は子ども。
小さい子供は体幹が弱いと聞くので、見かけたら座らせるようにしてる。
4位はお年寄り。
基本譲らない。杖をついていたり、明らかな超高齢者だったら譲るかも。あと、自分が優先席に座っていたらそこそこの高齢者でも譲るけど、そもそも優先席に座ることが滅多にないかな。
譲っても「いいことしたぞ」感はない。「譲るほど年寄りだったかな…」と後から不安になったり、「ジジイは優先席にいけよ」と心の中で愚痴ったりしてしまう。
5位はヘルプマーク。
譲らない。あれ何のヘルプかわかんないよね。足が悪いのか、心臓が悪いのか、精神が悪いのか…。どれにせよ譲ればいいんだろうけど、分かんない限り譲ろうって気にはならない。
あと個人的に、過去にヘルプマークつけてる人に嫌なことをされたことが何度もあるのでヘルプマーク自体の印象が良くない。
番外編
2〜3人組、カップル
空席が点在してて隣同士で座れない人たちには、並んで座れるように席を移動してあげる。自分がわざわざ立つことはないけど、1つずれるくらいならいいかなって感じ。
cinefuk原作を離れて、もはや暇空の口癖になってしまって、自分は使うのを避けたいし、使う人を見ても警戒心しかない「おれは偶然も2つまでは許すことにしてるんだ。しかし3つも重なったらこいつは偶然とは思えん。」
まじでゾクッとしたわ。 対人関係の距離感が完全に間違っている。 だからいつも知らない人のブログにキモイコメントを書けるのか。
https://togetter.com/li/2542364
cinefukがやってるのはコレと同じ。
内心でそう思うのはいいが、その文脈を共有してない人間のところで、暇空憎しとはいえ、こういうことをいうやつはさすがに空気読めない会話通じなさそうなやばいやつだとして警戒される。
「はてなブックマークは自分のように暇空アンチばかりだからむしろ内輪だ。キモオタの集まりであるはてなブックマーク外でこんな発言するほど落ちぶれてない」という認識なら許せるが
友達には「ずるくない?」と言われたけど自分はあまりピンとこなかった
それに他人がいくらもらってるかは正直どうでもいいかなって思ってて、自分がお金もらえているかどうかが重要かなと
そうすると新卒含めてベースアップするのは自分にもメリットだからむしろ嬉しい話だと思ってたんだよね
ただまあ新卒だけガンガン上がって自分が据え置きならずるいと思うだろうけど、少なくともうちはそうではないし(若手のほうが上がり幅が広いとかはある)
あと、自分の新人時代に自分の倍の給料もらってる人が2倍働いてるわけではないよなーとか感じてたのを思い出した(自分がベテランとなった今では確かに会社への貢献度の差はあったことを理解してるけど、それでも2倍ってことはないと思う)
なので新人とベテランの金額差を年齢や入社歴だけでつけてたのがそもそもあまり良くなかったのかなと
そしたら新卒の給料のベースはもうちょっと高くて良かったのかもと思った
当たり前だよな、見知らぬ他人なんだから。何してくるか分からんのだから。
「見知らぬ他人を助けるのはリスクがあるから無視する」って普通に大半の人が日常でやってる事でしょ。
首都圏は人が多いから目にする機会が多いだけで田舎だってそうだよ。
なのになんで構ってほしそうに「こんなリスクがあるから他人は助けない」ってわざわざ主張するの?
良心の呵責からそういう行動をしてしまうのかもしれないけど、安心していいよ。
世間の大半は既にそうしてるから。みんな一緒で、みんな見知らぬ他人には薄情だ。
それが普通だ。