
はてなキーワード:いかだとは
ワイは金持ちではないんだけど、美味いものを食べるのが好きでミシュラン星付きの料亭とかレストランとかグランメゾンにたまに行ったりするのね
最近はまぁ慣れてきたのとある程度武装(後述)が整ってきたから緊張しなくなったけど、初期の頃は本当に気まずかった
何故か?
それは常連のお金持ちのあんたらがどう見てもええブランド品ばっか着てるから!
そんなの気にしてないよ〜気にするの庶民だけみたいなこと言われるけどさ、
いや庶民なんで気にするよ!てか口ではそう言うけどあんたら何着てるか分かってます?
革靴疲れるからスニーカーで来ちゃったとか言ってますけど、それマルジェラのナンタラとかいう高級靴ですやん(マルジェラなんて学生でも着てることあるじゃん、とか言わないでね、悲しくなるから)
こっちは気を使いに使ってようやくセールのコールハーンですよ(名前ついてるからブランド品ってことでいいよね)
あとはセールで安くなってるアウトレットのコーチ!ありがとうコーチ!
自分が何着て戦場に赴くかは置いておいて、金持ち、絶対ブランド品買ってるでしょ?
常にブランド品を身に着けていてユニクロで服買ってないとは言わないけど、ブランド品買わないは言いすぎでしょ
最低限高級レストランで着ていっても恥ずかしくない服は持ってるでしょ?
ワイは年2、3回行くか行かないかだから同じ服着回してる(たぶんお店の人は気づいてる)けど、金持ちはもっと頻度高いだろうから最低限2,3着は持ってるはず
どこの誰が言い始めたのかね、ブランド品買わないってやつ
いや、もしかしたら本物の金持ちはそういうレストランにも行かないのかもしれない
じゃあ何に金使ってるんすか?(怒)
何が楽しいんですか?
正直コーチとコールハーンでは防御力低すぎるんでとりあえず使わない金があるなら僕に服買って着せ替え人形的に遊んでやってくださいお願い致します
人付き合いが苦手だったし、嫌われやすい人間だった。必死になってやり取りをしてもすぐに自分のコントロールが効かなくなって、馬鹿をやっては嫌われてを繰り返して無力感ばかりが募った。
生きている理由がわからなかったし、誰とも仲良くなれる気がしなかった。誰も味方なんかにはならないだろうと自分でも思ったし、思っている。
だから、それでも生きていていいと言ってくれる何かを探していくうち、一番最初にリベラリズムに触れたのはロールズの『正義論』あたりだったと思う。
『この前提を置けば、誰一人として不利にならないようにルールを作ることができる』『自分がその他者であったら受け入れられない差別は排除しなくてはいけない』
自由、人権、正義という言葉の裏側に積み重ねられた様々な概念に救われた気になって必死になって追いすがって、あちこちで言われるあらゆる何かに反論がちゃんとできるのかどうかを試しては自分がここに居ても殺されないで済むのかをずっと探し続けていた。
吊られたくない、他人に迷惑をかけることしかできないけれどそれでもどうにかどうか自分を殺さないでほしいと説得するがためだけの論理が自分にとってのリベラリズムだった。
当然ながら、それは理論だった。俺も理論が好きだったから、少なくともそれ以上を求めなかった。
でも思ったより世間の『リベラル』はリベラリズムと関係が薄かったし、理論をいくら束ねても人間は思っていたよりも説得されてはくれなかった。レトリックで誤魔化して生きていく方法もあったのかもしれないが、俺にそういう実力はなかった。
何度も何度も繰り返し考えていくうちに逆に、逆説的に、俺を生きていていいと言ってくれるものが何も無いとするならやはり俺はいつかそのうち吊られてしまうし殺されてしまうし苦しむことを望まれて丹念に追い詰められて殴られて痛めつけられてしまうしかないということになるから辛くて怖くてなんとかしてほしいからずっとそう考えて理屈を必死に追い求めているのに、誰も本当は、そんなことをどうでもいいと思っている人達ばかりが『リベラル』の話をしているような気がしてならなくて仕方がない。
ものすごく最近の具体的な話に落とし込むと、例えば労働時間の規制緩和の話。
緩和に吹き上がるのは俺もそうだけど、労働時間が長くなると体力が少ない俺は余計に苦しむから嫌なんだけど、でもその『働き方改革関連法』をやり抜いたのは第2次安倍内閣だってことを解ってるんだろうか? 平成20年ごろからまともな上限規制のなかった労基法を改正したのがそうだってことを解ってるんだろうか? (後で骨抜きにするつもりだったのかもしれないけれど)高プロも使用率が凄まじく低いままで、結局あの改正は素直に見て労働者に有利という点で、(新自由主義的な話はともかく)『リベラル』として決して否定するべき要素ではないし、むしろどうしてあれが過去にできなかったのかというのはあまりに恥ずべき話なんじゃないのかって思うし、それを否定することも(緩和を否定するのであれば当然に)すべきじゃないだろう。
でもするんでしょ。党派性だからって、仲間のためだからって。俺は仲間なんて作れないから自分の理論が間違っていないかだけしか興味がないからずっと自分の言うことが矛盾してないかいつも怖いし、実際いつも矛盾しているのがすぐにわかる。いろんな内容を見ているうちに自分の考えることが感情だけで理屈が立たなくてその感情で殺されるしかないんだからと必死にそれを止めるしかないのにうまくいかなくて今もまともに頭が整理できないままこうやって書いてるんだけど。
わかるんだよ。信頼できないメディアがどっちにも大量に溢れかえって、情報の価値がとんでもなく重たくなったくせにそれを吟味するだけの余裕も余暇も普通の人達にはない(それは生活のための必然であって罪なんかじゃない)んだから、そうなれば人は信じたい方を信じるっていう積極的相対主義みたいな有り様になってるってことだからさ。
でもだとしたらあまりにも俺が救われない。俺のことしか興味ないもの。俺は吊られるしかないと思うと怖くてなんとかならないかって必死に理屈を探しているのにそれでもどうにもならないっていう結末ばっかりが目に入るし眼の前でそれを振るおうとする人たちばっかりで俺は怖くて何も言えない。
夏の初めくらいから集中的に、他人から絶対に怒らない人、と職場で評判の人たちに話を聞く機会を得た。
絶対に怒らないの基準としては、どんなに理不尽なことを言われても、どんなにイライラする状況に遭遇しても、一度も感情を爆発させたことがない人たち。具体的には、10年以上一緒に働いている同僚でも「あの人が怒っているところを見たことがない」と証言するような人たちといえばいいだろうか。もちろん飛び抜けて温厚な人もいれば、普通に見える人もいるのだけど、だいたい怒らない人は毎日平常心で過ごせるので、私からしてみれば同じだ。
そして、絶対に怒らない人と友達になることで、気づいたことがいろいろある。こういってしまっては何なのだが、絶対に怒らない人たちは非常にワンパターンなのだ。
怒りっぽい人たちは多種多様である。すごくキレやすいやつ、変わったことで怒り出すやつがいたり、最高に理性的に怒るやつから、最低に感情的になるやつまでいろいろいるが、絶対に怒らない人はほとんどパターンがない。もちろんこれは絶対的に怒りっぽい人の数のほうが多いわけで、数が多いから多種多様であるだけなのかもしれないが、それにしても、である。
おそらく、絶対に怒らない人の行動や考え方のパターンが似通っているのは、それなりの合理性があってのことなのだろう。逆に、そのワンパターンの思考を真似すれば、怒らない人になれる可能性があがるのかもしれない。
そこで、私が知った絶対に怒らない人の共通の思考パターンをまとめてみた。何かの参考になればと思う。
絶対に怒らない人は、まず自分自身の考えや思考を「ただの妄想」だと認識することから始める。
怒りの原因である「あいつが悪い」「理不尽だ」「許せない」とかそういうことをすべて単なる自分の妄想だ、と定義してしまうらしい。
ある人が言った言葉が印象的だった。
「最近流行りの生成AIってあるでしょ?人間の頭の中もあれと一緒だと思えばいいんですよ。適当なキーワードを聞くと、適当な理屈が浮かびだして、適当な結論を導き出す。そんなものに本気になる必要はないでしょ?」
絶対に怒らない人は感情に巻き込まれない。感情を第三者の視点で観察する。
これはおそらく、感情は一時的なものであり、それに振り回されることの無駄を知っているのだと思う。とある会社員がやってくれた説明(だいたい5分くらいの説明)で、私は納得し、その後数か月間イライラすることが激減したことがある。数か月間の平穏は短い説明としては悪くない投資である。
「怒りを感じたら、『あ、今自分は怒りを感じているな』と心の中で実況中継するんです。『血圧が上がっているな』『顔が熱くなっているな』って。そうすると不思議と冷静になれる」
絶対に怒らない人は相手の立場を想像する。相手が何を考え、なぜそういう行動を取ったのかを推測しようとする。
これは、相手を理解することで怒りを解消しようとしているのかな、と思ってたのだけど、そこまで高尚ではない。ただ相手にも事情があるという前提で物事を見ているだけのようだ。
「相手も人間なので、何かしら理由があってそういうことをしているはずです。その理由がわからないうちは、怒る材料が不十分だと思うんですよね」
これは、完璧でないことが当たり前だということを受け入れているからかもしれない。
「みんな適当にやってるんですよ。真面目にやってるつもりでも、結局は適当。それがわかれば、期待しすぎることもないし、裏切られたと感じることもない」
絶対に怒らない人は長期的視点を持つ。今起きていることが将来どれほど重要かを考える。
考えてみれば当たり前で、今怒っていることの大部分は1年後には忘れているし、10年後にはどうでもよくなっている。その程度のことに感情を使うメリットより、冷静でいるメリットのほうが大きいわけだ。
「5年後の自分にとって、これは重要なことですか?って自問するんです。たいていの場合、答えはノーです」
絶対に怒らない人は怒ることのコストを知っている。怒ることで失うもの、得られないものを計算している。
怒ると体調を崩すし、人間関係も悪くなるし、判断力も鈍る。一方で怒ることで得られるものはほとんどない。この費用対効果の悪さを理解しているのだろう。
「怒ると血圧上がるし、周りの人も不快になるし、問題解決にもならない。いいことが一つもないんですよね」
絶対に怒らない人は問題解決に集中する。感情的になることよりも、どうすれば状況を改善できるかを考える。
これは、感情と問題解決を切り分けて考えているのだと思う。感情的になっても問題は解決しないが、冷静に対処すれば解決策が見つかる可能性が高くなる。
「怒っても状況は変わらないので、どうすればいいかだけ考えます」
絶対に怒らない人は自分がコントロールできることとできないことを明確に分けている。他人の行動は変えられないが、自分の反応は変えられる。
失敗するリスクの低さと、平穏に過ごすリターンの大きさを知っているのだろう。
「他人は変えられませんが、自分の反応は選べます。それがわかれば、怒る必要がなくなります」
私が知っていることをまとめてみたが、実際にまとめてみると驚くほどシンプルである。だがこれを全部できている人はなかなかいない。
怒りっぽい性格を変えたいと思っている人は、マネしてみるといいことがあるかもしれない。
結局のところ、怒らない人というのは、現実を現実として受け入れ、自分の感情を客観視し、問題解決に集中できる人なのだ。そして何より、「人生に物語は必要ない」という達観を持っている人なのかもしれない。
Permalink |記事への反応(23) | 22:17
ペットが死んでから1年近く経ってもロスの人とか、何年も前に亡くなった親を今でも頻繁に惜しんでる人とかを見ると、3ヶ月前に亡くなった親について思うところがない自分は何か欠けてるのだろうか?と思うことがある
特に仲が悪いとか嫌ってたわけでもないけれど、倒れてからの数年は会話もできない状態だったし、入院+介護施設入所でいないことに既に慣れてたとか?
葬儀や相続諸々の手続きで忙しくてそれどころじゃないと無意識に自制してるのか?とも思ったけど、手続きが落ち着いてもようやく落ち着いたなぁとしか思わないし…
これな。
https://togetter.com/li/2590658
https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ01435633.html
3行で感想。
といいながら、奥付にある一文を載せておく。
本文中にはかなり衝撃的な内容も一部含まれます。
何を見ても大丈夫な方以外の閲覧はこ遠慮ください。
本文で不快になった場合の責任は一切お取りしませんので
こ了承ください。
正直、結構糖尿病には詳しいと思いますが、素人の感想以上でも以下でもない事にきをつけてね☆
生活習慣病に関する基本のき。たぶん健康診断で引っかかるとパンフレットとかで保健師からいわれるやつだと思う。病院にもよく置いてあるよね。(最近中身がどうなってんのかな?は知らんけどたぶん変わってないと思う)
ただ、ここで「生活習慣病になった人が100%悪いわけではない と言うことが強調されているのが遺伝要因が強いワイとしてはありがたいなあ。
二型糖尿病の場合、アメリカ人を対象にした遺伝的糖尿病患者の推計だと、白人で3割から7割、黒人で2割から4割が遺伝的要因が強く影響しているとされている。で、実はアジア系ではよりこの率が高いと言われているが、欧米人に比べるとアジア系はその全体が二型糖尿病高リスク群になる遺伝子を持っていると言われているため、推計ができないくらいになっていると言う話もある。
一方で、生活習慣によらないイメージが強い1型糖尿病は、実は遺伝的要因はあまり関係が無いと言われている。実は原因がはっきりしている場合の方が珍しい。
そして、完全に遺伝因子の影響があると言われる糖尿病があり、MODYと言う名前で区別される。ただ非常にまれ。
そう言った遺伝とは別に、親が子どもに与える生活習慣についても触れられているのは、糖尿病本や生活習慣本では結構珍しい気がする。
また、一生薬を飲み続けるのか?と言う質問に明確にそうだ、といっているのも珍しいかも。他の本では、ちゃんと治療すれば薬をやめられる場合もあります、とだけ言って誤魔化しているものはあるけど、早いか遅いかだけだよね。
そんで、生活習慣病、糖尿病は歴史の長い病気。なので、長期に渡って副作用が小さい薬というものが既にわかっており、薬価もめちゃくちゃ安いので(血圧が、血糖値が気になる方へ、などというサプリよりよほど安い)正直、減薬はともかく休薬は目指さず、素直にお医者と相談して基礎的な薬は飲んでるのがよい、ってのがワイの意見だけど、それにも一致してる。
ここは実際のシーンを呼び出しながら、キャラとP(筆者)が対談方式でカイセツしているところで、たぶんこの本を買う人が最も期待している部分かと。
ワイも単行本と見比べながら楽しく読みました。
ドカ食いに定義があることとか、血糖値スパイクの話とか、なんで生活習慣病クラスタが騒いでいたかということが分かりやすく読めると思うよ。
また、書いてある事も王道的な解釈をきちんと沿っていて、低糖質ダイエットとかそう言う話は出てこないのもバランスが取れていると思う。
あと、帰宅してから寝る前の深夜に飯を食うより、遅くなるなら帰宅前に食べてたほうがいい、と言う話とか、お酒はいいわけけないとか。
対談方式の記述が減って、段々とマジモンに。健康診断の項目解説は、マジ分かりやすくて、世の中こええぐらい分かりやすくかいてありゃいいのになあと思いました。なんで引っかかったら受診すべきなのかが明確で若いりゃすい。
また、もちづきさんの例は若干太り始めているので、テーマとは話になってるけど、ここでちゃんと、日本人の糖尿病は肥満を伴わない例の方が多いと言うことも書かれている。
もちづきさんは暴飲暴食でなる話をテーマにしているけど、日本人は暴飲暴食など関係なく糖尿病になる人が「大半」という表現になってて、個人的にもここは強調したいと思った。
気になってるのはもちづきさん、ご家族に肥満の人がいないんだよね。太るというのは才能だとよく言われるけど、これは何故かというと太る前に内蔵がやられて太れなくなるから。
著者も触れているけど「インスリンが足りなくなると、細胞に栄養が届かなくなって痩せる」ので、もちづきさんはドカ食いを繰り返している割には急激に太っていかない、ある程度のラインから太らないのは、既に糖代謝異常が始まっているからではないかとおびえている。
まぁ漫画的な都合だろは思うが。
なので、太ってないから糖尿病と縁がない、と思うのは危ないんだよね。ちゃんと検診受けて、自分の体に敏感になってほしい。
あと、ありがちなのは、糖尿病はデブがなる病気だと思ってそれを前提に糖尿病患者に何も考えず「痩せろ」とか言うのもちょっと待ってほしい。むしろ太れなくて、筋肉がつかなくて悩んでる人の方が多いのだ。ワイもそっちのほう。最近は特に。
そして、高血圧。俺は糖尿病患者ではあって、高血圧はモニタリングしてるけど薬は飲んでないのであんまりチェックしてなかったけど、塩分量の話もキッチリ出ててすごい。
漫画の誇張表現をマジで検証しつつ、どれぐらいの問題になるかを検証しているけど、そこにさらっとベーコン2枚で塩1gとかヤバイ数字があって、もっとちゃんと気をつけようと思いました。
それから、個別化医療のことなどにも触れられていて、すげえなあと。
そして、なんだけど…。
たぶん先生、糖尿病関係で、他の病院では手の施しようがなくなった重症患者に対応するギリギリのところで活躍されているガチの臨床医なんだろうなと言うことが分かる話がこのあとゴロゴロ出てくる。
なんかやたらと糖尿病を煽った健康本を出しまくって、プレ○デントとか東洋○済とかおっさんむけ週刊誌に出てくる暇な開業医とは違って、現役バリバリ、今にも三途の川を渡りそうな人をがっちり引張り上げて、こうやって暮らせば今後も楽しい事あるよたとえばアイマスとか、ってやってる人なんだろうな。論文とかウォッチしてるとこう言う人が日本にも多くいて、活躍してくださっていることはよく分かるんだけど、一般向け(?)で出す本をこう言う人が書いていることはたぶん結構珍しくて。
たとえば、腎不全で呼吸がおかしくなってから受診するケースがあるとか、もうそういう話はたぶん、最後の最後、押し戻せるか戻せないかのギリギリのラインを頑張る先生だからこそ接している事例だと思う。
それだけでも読む価値あるよこれ。
これね、n=1だけど、ワイの体験談でもそうなんだよ。親戚で40代で糖尿病診断うけたおばあちゃん、そのあとずっと真面目に糖尿病治療を続けて、109歳で老衰で亡くなった。
ありとあらゆる病気のデパートで色々な細かい病気を沢山たくさんやったけど、いずれも早期発見ができていて、治療は大変だったけど103歳で約35年前に膝に入れた人工関節が寿命で壊れるまでは自分の事は自分でできていた。
無病息災の時代じゃなくて1病息災の時代。これだけ予防医療が発達した今、一定の年齢になって一個も持病もってないやつ、俺は病院なんていったことないぜ!っていやつは逆にヤバイと思う。どんなに本人の自認が健康でも、健康診断は嘘つかないから。
エグい。
たぶん、この本の真骨頂がこれ。
これね、非医療関係者向けの患者本じゃ絶対に、絶対にこんな風に書かれないほどエグい。
そして、残念ながら、これまじでほっとくとこうなるんだよね。「よくある」と書いてあるのは、先生がこういう事例を扱う先生だからよくあると言う事なんだと思うけど、
これはランダムにこうなる「よくある」じゃなくて、ほっとくと確実にこうなって、たまにほっとく人がいるから「よくある」と言う話だという事を認識して読むと言いと思うよ。つまりね、しっかり読んで正しく怯えることが大事だってこと。
あとね、編集者のフィルタがはいってないので「これは医療者として非常に許せない行為です。」とかズバリバリバリ書いてあって、これがちょっと凄みを感じる。
そして、121ページ…。これな。これな。
実際にはもちづきさんの世界の人間はこの世界の人間と同じ体の構造をしているかどうかは分からないとしても、漫画で日常が描かれている上で地続きにかかれているのでヤバイ。
なお、糖尿病ありとなっているのは最初だけで、残りは糖尿病以外の病気であるのにも意図を感じる。ワイは糖尿病患者だけど、それだけじゃねーぞって話である。
ネタのつもりで読み始めて、最後は健康診断ちゃんと受けよう、治療は中断しないようにちゃんとやろう、って思える本だと思います。
ページ番号、付けてください。おながいします。
Permalink |記事への反応(11) | 19:48
体重75→58kg
体脂肪率30%→13%
後に、ダイエットについて医学的に正しいとされる色々な情報にアクセスしてみると、なんで自分がこれだけ痩せられたのか全く理解できなくなった。
3分×15Rシャドー、30分腹筋トレ、他の30分はインターバルだったりストレッチだったり。
家帰ってから走ったりとかまた筋トレしたりとか一切やらなかった。
食べ物に対する情熱は一貫してデブ時代と全く変わらなかったので食事量は多いままだった。
なんで自分はこれで大幅に減量できて腹筋バキバキにすらなったんだ?
ジムでのこの程度の運動の消費カロリーなんてたかだか400キロカロリーあるかないかだろう。アフターバーン効果だってトップアスリートですらギリ3桁kcalいくかどうからしいし。