
はてなキーワード:いいんじゃないとは
(前回)https://anond.hatelabo.jp/20251215223916
仕事は正直したくない。査定が低くてもいい。"すみっコぐらし"がいい。それで毎日早く退庁して、自分にとっての『たましいの仕事』をするのである。なお、たましいの仕事は内緒だ。絶対身バレするので。俺だって処分や戒告は怖い。
ただ、人生はわからない。例えば、一番最初に配属された住民税の部署で、俺は低い査定を受けた。先ほど書いたとおりである。それは当然であり、課長に嫌われたらそんなものだ。
「課長」と書いたけど、従業員千人以上の会社だと、民間企業の事業部長~本部長=地方公務員の課長 くらいの扱いである。多くの地方役場では、最低限の決裁権を有した課長になるのは50代以降。行政権力を振るうにあたっては、相応の年齢や職務経験を要するという考え方である。
でもさ、考えてもみなよ。若いうちから活躍しなくてよくて、定年までほぼ確実に勤め上げることができる組織の方が、社会人生活トータルでは幸せだと言えるのでは?
今の時代、超大企業でも査定が低い人は出向→転籍のコンボ☆で片道切符になり、年収も大幅ダウンになる。それを考えると、公務員業界って、古き良き日本の企業文化が残っている。
例えばビズリーチなどの転職サイトに登録すると、求人側の企業PRでこういった文言が並んでいる。
「常に新しいことに挑戦できる環境」
「あなたの成長を加速」
「常に刺激を受けながら成長できます」
とかあるけどさ、別にそんなことしなくていいんだったら、そっちの方がいいんじゃないか。成長って、しなければならないからするのであって、しなくていいならそれに越したことはない。
「社会人として成長しなければいけないのか?」という視点から物事を考える必要がある。これからはそういう時代かもしれない。少なくとも、公務員業界ではそれが可能である。身分保障があらねばならない職務性ゆえに、どんな人でも無能を理由にクビを切られることはない。
さてさてさて。でもなぜか、公務員人生の二部署目は……広報企画だった。
戦略とかプロモとか、仰々しい名前が付いてる部署だ。そこで広報紙グループの一担当者になった。例えば東京の豊島区だったら、『広報としま』というのを月イチで発行してる。あなたがお住まいの自治体でもそうだと思う。
ここでの数年間は、広報企画の最前線で働いていた。ほかの比較的若手の職員達と一緒に。月に一度は上司と一緒に総務局長や副市長のところに行って、広報誌の内容を説明していた。
今これを読まれてる公務員や元公務員は「!?」と思われたのでは。どこの官公庁でも、広報誌を作る部署というのは、いわゆる花形ポジションである。優秀だと判断された人材がそこへ行く。
俺の査定は、自分でもわかってる。低い数字だった。マジのマジで標準以下。まあ、人事評価の数字≠実際の処遇ではあるけれども。それにしても、なんで……と思ったが、思い当たるフシが2つだけあった。
ひとつめ。前の部署(住民税)から1人、若手職員を出して広報企画委員会に参加させないといけなかった。それで俺が選ばれて、その委員会の中で広報記事のアイデアを出したり、交代でFacebookに市内名所の記事を投稿していた。
ふたつめは『たましいの仕事』に関係する。公務員業界で言うと、社会教育・生涯学習の分野である。
自分自身の詳細な経歴や所属先を人に話したら「すごいね」と言ってもらえることが多い。特にじいさんばあさんの世代がそうだ。
俺は公務員の仕事はできないけど、そっち方面の才能があった。それで、高校生や大学生の時に、今勤めている市役所の市長を表敬訪問したことがある。指導者と一緒に。そして広報誌にも載った。
その頃の記録や記憶が役場に残ってたんだとしたら、俺が評価を受けた理由がそれである。一部署目の上司がパワハラで有名だったのもあるかも(ストレス耐性を評価された)。
広報記事のアイデアは出せる方だったし、アイデアが枯渇したことは一度もなかったけど、それでもほうれんそうの関係で失敗を繰り返した。仲間にも責められた。「やる気あんの?」ってさ。
「信頼されなくていいし、誰からどう思われてもいいですよ。やるべきことをやるだけです。結果が不合格でも悔いはないです」と返すと、「なんで?理解できない」って、ある先輩は言うんだ。
それで、いろいろ言い合ったけど、最後に言ってやったよ。
「誰かの悪口を言ったり、言われて気にする人ってのはね。自分に自信がないんです。自分自身を信じられる人だったら、ほかの人の意見は気にならない。それまでの人生で、自分で自分を愛せるだけの自己を確立してるんです!」って言った。あの頃は若かった!!笑
そしたら、その先輩は「頭がおかしい。基地外だよ」と言った。その直後、広報誌担当の主査に注意されてたけどな。「不適切な言葉を使うな」って。公務員が仕事中にそんなこと言ったらダメだろ。
なお、その先輩は、俺より何個かだけ年上だったんだけど……とある職員が『旧約・新約聖書』を机の上に置いてたのを見て、「ああいうのを読む人は頭がおかしい」という発言をしていた。
俺自身の考え方を要約すると、「いろんな社会での自分を持ってた方がいい。リスクヘッジのために」ということだ。会社大好き人間が仕事に全振りした結果、運悪くやらかして居場所なくしたらさ……自殺とかしたくなるんじゃないか?
でも、いろんな社会での自分がいれば、そういうことがあっても大けがを負わない。だから俺は、『お金を稼ぐための仕事』である公務員の仕事とは別に、『たましいの仕事』を持ってることを大事にする。
参考までに、元厚生労働省の事務次官である村木厚子さんの文章を引用する。『日本型社会の病を考える』という新書から。
間違った、失敗した。そう思っても、引き返せないということが、まま起こります。私の事件の時もそうでした。なぜあの時、検察は、何度もチャンスがあったのに、引き返せなかったのか、裁判が始まって、証拠の不備をさんざん突かれたにもかかわらず、それでも検察は最後に、私に一年六月の求刑をしました。恐らく検察組織の中でも、特捜事件は花形なのでしょう。そして間違ったと思っても、組織の中にいると、なかなか立ち止まれない。いったん組織として方針が決まって動き出してしまうと、その電車を止めるのも、自分だけ飛び降りるのも難しい。とても勇気がいるということです。
そんな時、杭の話が役立つかなと思うのです。この杭の話は、昔、なぜ仕事と家庭生活の両立が必要なのか、なぜ労働時間の短縮が必要なのかと聞かれた時に、私がよくしていた話です。今の「引き返せない」という話にも通じるところがあるのではないかと思います。
大きな池があります。池の真ん中には杭が一本あります。一本の杭に両足をそろえて立っているのは不安定だから、いつか池に落ちるのではないかと不安です。でも、杭が二本あれは安定します。三本あれば、安定するだけでなく、動くこともできます。
仕事だけという生活はすごく危なくて、一本の杭に両足を乗せて立っているようなものです。そこだけが自分の全世界だと思ってやっている。でも、杭にしがみついている限りは見えないかもしれないけれど、視点を変えて、あたりを見回してみたら、二本目の杭、三本目の杭が見つかるかもしれません。
仕事だけでなく、家庭生活とか、住んでいる地域のこととか、遊びや趣味の世界とか、全く別の世界が周囲にはある。それに気づくことで、視野が広がり、自分も楽になる。そういう話ですが、これは組織の中にいて、ある部分しか見えずに引き返せない人たちにも通じる話ではないかと思います。
私の事件の時の検事たちも、途中から、こんなことやっていていいのか、このまま進んでもいいのかと思いながら、結局は、一本の杭の上に立ち続けていたわけです。日大アメフト部で相手チームの選手に反則行為にあたる激しいタックルをした学生も、プレーした時までは、ずっと一本の杭の上に立っていたのでしょう。けれども彼は自分で会見をして、謝罪をして引き返した。学生が一人で会見をしたのはすごいと思います。
きっとそれまでは、一本の杭が自分の全世界であり、そこから落ちたらどうしようと思っていたのではないでしょうか。だけど思い切って杭から降りてみたら、地面があった。別の杭もあった。一歩足を踏み出してみたら、実は向こうにも杭がもう一本あった。なんだ、自分がこれまでやってきたこと、培ってきた価値観は間違いだった。そう思ったのではないか、と想像するのです。
もちろん、全世界だと思っていた杭から足を踏み出すのはつらかったと思うし、苦しかったと思う。でも、自分はこんなことをやっていていいのか、このままでよいのかと思いながら一本の杭の上に立ち続けていることが、果たして楽しかったかは大いに疑問です。 P.110-112
さっきの先輩や別の上司に言われたことがある。「あなた、この仕事は趣味でやってるの?」ってさ。
その場で言ってやったよ。「趣味じゃないですよ。公務員は副業でやってるんです」って。
その時は、なんとなく返答しただけだった。無意識だった。特に考えはない。
でも、今ではわかる。俺にとっての公務員の仕事は純然たる『副業』である。あの広報誌担当をしていた頃も、もちろん今だってそうだ。
こんなことを書いてると、「公務員は本業に専念してくれ」というブクマコメントが飛んできそうだ。でも別にいいじゃん、税金で給料もらってようと、営利活動の利益から給料もらってようと。お金に色はない。どっちでも一緒だ。
最も重要なことだが、日本国憲法はその第22条で職業選択の自由を保障している。憲法>地方公務員法であるのは言うまでもない。
「たかが田舎で権力を持っただけの自分が、たかが人間がつくったルールを破ったとて、所詮はいと小さきことにすぎない。神の創られた天の星も山も森も、微塵も影響されていないではないか」
はてな民は出典小説まで含めて気が付くだろうけど、上のセリフは典型的な詭弁なので注意。「盗人猛々しい」とはこのことである。※悪徳の栄え
ただ、俺の心境はこれに近いものがある。俺は、俺自身のルールで生きて、すべての責任を引き受ける。そういう生き方が理想である。
さて。広報の部署には3年残留した。俺にしてはいい方である。その次の部署はいわゆる原課だった。広報企画みたいなスタッフ部門じゃなくて、事業をする部署である。
上のエピソード2.で書いた建設・不動産の部署に異動になった。その部署には長いこと居座った。人事課から向いている判定を受けた可能性が高い。その判定を受けると、公務員でも3年異動ルールの例外になる。
戸籍・税務・福祉だと、長い人だと十年選手がいる。彼ら彼女らは、専門職枠として認定を受けたのである。そんな影の制度がある理由は、弁護士を含んだ士業の人達と渡り合う必要があるからだ。
これは蛇足になるが、戸籍の部署を通り過ぎる時に見たことがある。弁護士の人が委任状?を持って、依頼者の離婚した元妻の子の住所を調べにきたのだが……戸籍部署の職員が職権で拒否してトラブルになってた。
はてな民の人は、「そんなことしていいのか?」と思われるかもしれないが、実際できるのである。法律にも「職権で回答しないことができる」旨が書いてある。警察からの照会であろうと拒否が可能。公務員業界では、「戸籍と税金と道路は強い」のである。
ただし、弁護士等からの照会を拒否するなど、特別な措置をするにあたり、法律面をクリアーしているか判断をするために専門職枠の職員が必要なのである。
(続きは本日21:00までに)
いい機会だから、そろそろ若返りを期して今のスタッフは総入れ替えしてもいいんじゃないか?
ご存知のようにF1は世界的なブームで、とくに米国ではF1は絶対に人気が出ないと言われ続けてきた定説がネットフリックスのドキュメンタリー番組の影響により覆り、大人気コンテンツとなったことが大きい。
トヨタが一歩一歩とF1へとコミットしていっている状況や、一度は撤退を決めたホンダが再参戦を決めたのもそのような世界的な流れも影響していると思う。
一方で日本では、F1は相変わらずオールドファンたちが支えているのが現状だ。
毎年の鈴鹿でも年齢層が高いのは一目で見て取れる。
このまんまじゃあ、日本でのF1は終わっちゃうんじゃないか?と危惧する程度の危機意識はあってしかるべきだ。
新しい世代のファンがいなければ、どれだけ海外で盛り上がってても日本じゃあオワコンのままだ。
そういうなかでフジの一社独占というニュースはあまりよくない。
なぜならDAZNはF1の視聴者層を広げるという役割を果たしていたからだ。
まずはサッカーが一面を飾り、その他のコンテンツという構成になっている。
サッカーもF1同様に、ファン層の高齢化が顕著ではあるが、それでも若いファンが一定量流入し続けている。
そういった人たち、モータースポーツにはあまり興味がない人たちへの導線としてDAZNは機能していた。
DAZNも放映権を持つことで若い人たちがF1に触れる機会が増えていた。
なんかね、もうオワコン化への一歩をまたひとつ力強く踏み出した!!って気持ちしかしない。
聞くと海外ではアップルTVがF1の放映権を手に入れたという。
いっそ、日本でもそうなれば日本のF1人気も再び盛り上がるんじゃあ?って思ってたのがフジの独占だろ。
で、それをお届けするのは、もう古い時代からのいつもの面々だろ?
若い人が見るのかね?
もちろんね、リスペクトはしてるんだよ。
これまでF1の人気が陰りきっていた時代にもめげずくじけず熱を込めてF1を届けてくれてた人たちに対しての敬意はある。
でもね、その敬意のために、これからを捨ててしまっていいのかね?って疑問もある。
もういっそね、もしもアップルが日本でもF1を放映することになっていたらどうしてただろう?
くらいの視点に立って、大きく物事を変える時がやってきてるんじゃないかね?
これが日本でのF1人気、モータースポーツの振興のリブートの起点とするのだ、というくらいの思い切った変革を志向するべきときが来てるんじゃないかね?
とか思わないでもない。
ワイが情報工学科教授の父から与えられたPCのOSはUbuntuだったよ。
最初に「CLIでアプリのインストールとかできて便利だよ!」とか教えられたけどよくわかんなくて結局ほぼPC使わなくて、情報工学科教授の息子(顔はチー牛そのもの)なのにパソコン音痴な子供に育ったよ。パソコンに詳しくないチー牛とか本当に生きている価値が無いよね。
というわけで、いきなりパソコンオタク向けのOSを与えるんじゃなくて、一般人向けのOSから段階を踏んでいったほうがいいんじゃないかな。 しらんけど。
昔と比べてカネの価値を軽視している人が増えたよな
昔は給与が1万円増えると言ったら万歳して喜ぶレベルだったと思うけど
今は「ふーん、たった1万円か・・・」って人のほうが多そう
そろそろ性犯罪の話題に首突っ込むの、みんな一回やめた方がいいんじゃないかと思う。だって当事者の内心の同意や不同意なんて、外側の人間には客観的に分かるわけがない。どれだけ真剣に議論したところで、分からないものは分からない。
それなのに、ちょっとニュースを見ただけで加害者扱いしたり、逆に被害の訴えを全否定したりと、極端な反応ばかりになる。加害者とされる側に不利な情報が出ればやっぱりそうだったんじゃないかとか言い出し、被害を訴える側に不利な情報が出ればやっぱり何もなかったんじゃないかと言い出す。どっちにせよ思い込みで跳ね回っているだけだろう。
実際のところ、内心の同意なんて外から確かめようがない。だから、本来は被害を訴える人がいる、否定する人がいる、その事実だけに留めておくべきなんだよ。それ以上を勝手に推測して断定し始めるからおかしくなる。
なのにどうしても踏み込んで断定したがる人が多すぎる。分からないものを分からないまま扱うってそんなに難しいか? そういう姿勢がないから、毎回同じように炎上して、同じように誰かを叩き間違えて、同じように後から後悔するんじゃないのか。
なんか上級者向けな気がする
知らんけど
楽天ポイントも貯まるし
マネックスのアカウント作ろうと思って、認証のためにメールを送ったら、いきなり身分証明書がいるってなって、作るのやめた
そしたらなぜかメールに案内が何回も来るんだよな
アカウント作ってないのに
詰んでる
そういうところが良くないと思うわ
楽天だと土日もチャットに人がいるし、ナビダイヤルも(自分が確認した限りでは)なかった
ワイは外国国章損壊罪は撤廃しろ派だけど、それはそれとして元増田の理解も間違っている。
外国国旗損壊罪って観光できた外国人が自国の旗を燃やしたりしても、適用されるんでしょ?
外国国章損壊罪は「外国の威信」を損ねることを罪に問うもの。ここでの「外国の威信」とは、抽象的なソフトパワーではなく具体的な外国の公権力、つまり外国政府である。
これまで処罰された数少ない事例は、1961年に中華民国総領事館へ乱入し国章を隠蔽した台湾人(台湾独立活動家)に科されたものだ。ダイレクトに外国(中華民国政府)の威信を毀損している。
確かにアメリカ人観光客がアメリカ大使館に侵入して国旗を引きずり下ろしたり国章にウンコを投げつけたりしたら外国国章損壊罪が適用されるが、それが超レアケースであることはわかるだろう。
逆に、「中国人が街宣車から中華民国の国旗を奪い取った」「中国人が万国旗から中華民国の国旗をむしり取った」「日本人がデパートに吊るされていた中華人民共和国の国旗を引きずり下ろした」「日本人が手製の中華人民共和国の国旗を踏みつけた」「日本人がデモでロシアの国旗を引きずりまわした」などの事案は、外国による訴えがあったものの、いずれも外国国章損壊罪には問われていない。民間の団体が掲げる旗を傷つけるのは単に器物損壊だし、手製の旗なら何をしようが自由ということだ。
さらにいえば、この罪は外国からの請求があって初めて公訴が提起される。要するに、外国政府が「うちの国の国旗を侮辱したけしからんやつらを取り締まってくれ」と言い出して初めて罪に問われる。
アメリカ市民がデモで米国国旗を燃やす程度なら、アメリカは言論の自由を尊重して日本側に「外国国章損壊罪で取り締まれ」と請求することはないだろうし、仮に請求してきたとしても(トランプ政権はやりそうで怖い)、上で書いたようにそもそも罪にならない可能性が高い。
まあ、それはそれとして、じゃあ「外国国章損壊罪でしか取り締まれない行為」って何だ? って考えると、めちゃくちゃ狭いと思う。大使館に侵入して国旗を引きずり下ろして踏みつけるとか、国章にペンキをぶちまけるとか、それはそもそも器物損壊罪とか住居侵入罪とかそういう別の罪でじゅうぶん取り締まれるわけで……
ありうるとしたら、「町中の普通のビルに入居している小国の大使館の国章の前にものを置いて隠蔽する」とかそういう行為か。たとえば公道に面したところに掲示されている国章なら、前にものを置いて隠した場合には器物損壊罪でも住居侵入罪でも取り締まれなさそう。でもそれ、超レアケースだよね……
個人的には、外国国章損壊罪と礼拝所不敬罪は、別の罪でじゅうぶんに処罰できるうえに国民の思想・良心の自由を制約しているからなくすべきだと思うし、同時に高市・はやく辞めろ・早苗が進めている国旗損壊罪の提案にも反対だけど、それはそれとして外国国章損壊罪の処罰範囲がめちゃくちゃ狭いことは知っておいたほうがいいんじゃないかなぁと思った。