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2025-07-27

劉仲敬訪談084(2020年4月16日

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

要約:劉仲敬訪談084(2020年4月16日

テーマ:宋儒の道統構築学と日本公武合体内閣の失敗理由について

儒学の建構と王朝史観類似性

儒学歴代王朝歴史観と同様に後代に作られた構築物であり、宋代以降に「道統」という連続した正統性学説として体系化された。

それ以前の漢唐では、先秦の儒学古代のものであっても直結した連続性は強調されていなかった。

宋儒は禅宗開祖継承体系を模倣しつつ、儒学連続性を強調して組織を強化しようとした。

口伝文字記録の役割の違い

古代部族宗教集団では、厳格に記憶され唱えられる口伝による伝承神聖視されていた。

文字記録は信頼できず、かえって官僚士大夫利益のために歴史法律改竄や争いを生んだ。

英国普通法も元は口伝習慣法で、文字化は利益対立からまれものであり、自由は元来古いが専制は新しい体制である

宋儒の道統構築の社会的背景

宋儒は当時の宗教集団部族に対抗するため、自らの儒学伝統(道統)を構築し、書院や宗族という組織を作った。

これらの組織は基層共同体争奪し、社会的権威を強化するためのものだった。

それまでは書院は主に仏教のものであり、儒者官僚貴族の子弟で組織化されていなかった。

唐代多民族貴族支配差別意識

唐代鮮卑系の征服者貴族支配し、家族集団がほぼ国家のような性質を持っていた。

南方の「矮民」(主に東南アジア系)には強い種族差別があり、黒く猿のような外見が貶められ、奴隷や貢物として扱われた。

こうした差別は宋明以降も続き、歴史叙述や文学にも影響を与えた。

宗教の普及と政治統治の違い

宗教仏教キリスト教)は政治支配より安価で広範な影響力を持ち、技術医療と結びつけて広まった。

しか宗教知識人には理論的な影響力があったが、庶民権力者は実際の効果信仰判断した。

歴史解釈の批判

現代知識人歴史解釈は階級利益偏見を反映し、実際の歴史真実とは乖離している場合が多い。

例えば、漢唐の官僚による残虐行為伝統的な道徳観ではなく、征服者支配体制の一環として理解すべきである

https://vocus.cc/article/5eab010afd897800019ca9f6

Permalink |記事への反応(0) | 15:02

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著書の一部「中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史」

劉仲敬(リウ・ジョンジン)の著書《中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史》は、漢族中心の「中国史観」を根底から問い直し、「中国」とは本来「窪地(デプレッション、Basin)」であり、その上に覇権を打ち立てたのは内陸アジア(內亞)の諸遊牧帝国だった――という挑戦的な視座から書かれた歴史解釈書です。

この書は、彼の「文明圏多元論」「諸夏主義」「脱中華思想の根幹をなす理論著作ひとつです。

概要

書名の意味

「中國窪地」とは、地政学的に見た「中国盆地中原」のことであり、東は山東半島と海、北は長城・蒙古高原、西は黄土高原、南は山岳地帯に囲まれた“低地”です。この地理的な「くぼみ(窪地)」が、周辺からやってくる外来征服者モンゴル女真満洲契丹など)にとって統治やす空間だったという発想です。

基本構図:

従来の中国史は「漢族が外敵から文明を守った」という中華中心史観だが、実際には:

内亞(中央アジア北アジアモンゴル高原)の勢力が主導し、

漢族は被支配者・被同化者の役割に留まり

中国王朝の多くは「征服王朝」だった。

構成(簡略):

地理文明相互作用:なぜ中原は「文明の中心」ではなかったのか。

周辺文明=内亞勢力連続性(匈奴鮮卑契丹→金→元→清)

征服王朝中華概念政治的利用

清帝国の版図と中国ナショナリズムねじ

中原文明の周辺従属性と「脱中華」の可能

詳細なポイント解説

1.中国は「文明の中心」ではなく「窪地」である

黄河流域は人口密度が高く農耕は発展していたが、防衛的には極めて脆弱で、常に外部勢力侵入を受けやすかった。

文明の重心」は周辺(北西のオルドス草原モンゴル高原満洲チベット高原)にあったとする。

特に乾燥気候遊牧民は、動員・軍事組織力に優れ、常に中原の静態的農耕社会凌駕していた。

2.征服王朝連続性:中國=内亞の代理政権

漢人王朝」はむしろ例外であり、主な統一王朝外来起源

鮮卑北魏

契丹(遼)

女真(金)

蒙古(元)

満洲(清)

これらの王朝は、内亞の軍事遊牧構造を基盤に「中國窪地」を包摂し、自らの征服構造正当化するために「中華文明」の装飾を用いただけ。

中華」は本質的に「支配の飾り」や「便利なツール」に過ぎず、征服王朝文化的正統性演出するための道具だった。

3. 清と中華ナショナリズムの逆説

清朝は史上最大の版図を築いたが、それは「大中華」ではなく、「大内帝国」として理解されるべき。

辛亥革命以後、漢民族ナショナリズム清朝多民族帝国遺産を奪い、「中華民国」という名前で引き継いだが、実態としては「満洲帝国の皮をかぶったナショナルステート」だった。

民国中共も「満清の版図」を正統と見なし、それを守ることが国家の使命であると信じたが、これは歴史的には極めて不自然

4. 「中国史」とは「中原支配された歴史

中原(=窪地)は一貫して政治軍事的に無力で、常に外来勢力軍事力に従属していた。

その歴史を「一体的な文明発展史」として語るのは、近代以降に発明された「ナショナルヒストリー国家史)」であり、虚構である

書籍学術的・思想的意義

項目 内容

目的中国漢族国家ではない」という主張の体系化

方法地政学文明史的視点で再解釈

主張の強さ 「中国」という国家概念が内亞の帝国的秩序によって形作られたという、極めて挑発的な歴史

思想的貢献 「諸夏主義」「脱中華」「多文明的再編」論の土台を提供

国際的含意チベットウイグル内モンゴル満洲雲南などの「非漢族地域」の分離独立文明的に正当化できるという論理的土台

まとめ:なぜこの書が重要か?

劉仲敬は《中國窪地》を通じて、「中国国家正統性幻想である」「中華文明の中心は常に“外”にあった」と論じ、現代中国ナショナリズムの基盤を根底から覆しています

この本は、以下の読者に特に重要です:

中国史地政学的に再解釈したい人

漢族中心史観を相対化したい人

東アジア多民族史に関心がある人

台湾香港ウイグルチベット問題の背景理解を深めたい人

「なぜ中国は一つの国であり続けるのか?」という問いを根底から問い直したい人

https://anond.hatelabo.jp/20250727140855

Permalink |記事への反応(0) | 14:14

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2025-01-03

西洋ゴート族フン族の侵攻、ナチスパリ攻撃ロシアキー攻撃と、東から西に人が動き

東洋では、匈奴フン族鮮卑から北京北京から朝鮮と、人は西から東に動く

まりモンゴロイドが起点の位置にいる

しばしば傭兵として王族に取り入る

ミソジニー的な傭兵文化といえはスイス人ライバルであるが、今や協力関係にあるだろう

時代を超えて脅迫的な団体はあるといえる

Permalink |記事への反応(0) | 10:57

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2024-10-29

anond:20241029093349

200年の三韓征伐のあと、後漢朝鮮半島帯方郡を作ったとき日本には邪馬台国が作られました

ところが職を失った征伐軍のモンゴル鮮卑らが蜂起して後漢を分裂させ、海を渡って邪馬台国制圧しました。これが古墳人と呼ばれており当初の古墳は彩色古墳でした

卑弥呼が没すると軍を挙げて近畿制圧しますが、このあたりが記録が殆ど無い空白の4世紀です

 

鮮卑中国で晋や北魏を建て、近畿では朝鮮族を起用して飛鳥京を建てます蘇我馬子です)

北魏が分裂すると、漢人を起用して随に統一しま

唐の時代になると日本朝鮮族平城京建設しましたが、鮮卑中国の晋書、日本記紀などの半偽書を書かせました

記紀では中国元号が始まる紀元前140年ぐらいに日本元号も始めて、古墳時代天皇いたことにしました

実際は初代神武から仲哀または15代応神までは、邪馬台国制圧した鮮卑軍団であり、鉱業技術がありました(木材防腐剤の朱砂を扱うためスサノオと呼ばれます

卑弥呼神功皇后天照大神)を妻にし、死後は新羅人と思われる大神比義を使って応神を祖とする八幡神宇佐神社)を創始したと見られています

 

のち、飛鳥奈良朝鮮族仏教化することで八幡神の侵攻を防ごうとしましたが、八幡神壬申の乱のころ近畿に入り込み、法隆寺に火を掛けたりしたので、おそrかう朝鮮族漢族古事記及び日本書紀は、邪馬台国戦争は伏せた状態で書かせられたと見られます

鮮卑族は軍人司法機関として睨みを効かせています

しか鮮卑族の争いや偽書はしばしば発見されています

漢字で言えば、卑弥呼の卑は鮮卑の卑、ナと読む字(那や奈、福岡の奴の国)はその徴税機構になります

Permalink |記事への反応(2) | 12:02

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2024-08-12

偏差値ヤングは、政治的意見を持てるほどの知識を持ち合わせていないから、

ひたすら自民受け売り自民アゲアゲをするしかないんだよな

鮮卑渡来したとき飛鳥人あたりだな

付和雷同して法隆寺焼いてんじゃねえよ

Permalink |記事への反応(0) | 23:34

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2024-07-27

anond:20240727114316

古墳があるのに鮮卑がいなければおかしいででしょ

飛鳥時代には朝鮮弥生が盛り返したが法隆寺は焼かれてるし

隋唐のトップも実は漢人ではなく鮮卑

源氏漢人かもしれないが時代的に鮮卑も混ざっているはず

Permalink |記事への反応(0) | 11:57

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anond:20240727111755

繰り返しますけど

残虐行為が知られているのは古墳鮮卑素戔嗚です

Permalink |記事への反応(0) | 11:32

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2024-07-26

anond:20240726200457

漢人には宦官がいたし科挙もできたし、イケイ鮮卑とは文化違うよな

Permalink |記事への反応(0) | 20:19

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縄文人は今、無法者鮮卑と戦っています

Permalink |記事への反応(0) | 20:12

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anond:20240726192437

理研のひとは

漢人モンゴル鮮卑の違いをはっきりさせるべき

Permalink |記事への反応(1) | 20:04

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anond:20240726192437

でも記紀三貴神が書かれてだろ

 

須佐之男が、古墳人でモンゴル鮮卑で、出雲大阪に子孫が多い いわゆる貿易蘇我

天照大神が、韓国系沖縄北海道に多い 機織があって物部

月読は、やや存在薄いが稲作民族東北に多い弥生人 月読というぐらいだから漢人太陰暦を使ったか

これ韓国縄文系なら合いそう

Permalink |記事への反応(0) | 20:02

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2024-07-16

anond:20240716161209

でも4世紀まで別々の国に分かれて住んでただろうし

日本古墳人も4世紀頃の渡来で、インドにも巨石古墳みたいのがある

匈奴鮮卑やクルガンぽい作り

Permalink |記事への反応(0) | 16:17

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2024-06-12

anond:20240612124212

新羅とはアラたな羅、唐の属国だったが900年代高麗に追い出されて日本渡来し、朝廷傭兵として源氏になり、源平合戦平家を追い出して政権とり、今防衛省

古墳人がスキタイなら、倭人新羅説と匈奴鮮卑フン族新羅説の両方とも正しいだろう

Permalink |記事への反応(0) | 13:16

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2024-01-03

anond:20240103201917

平安時代鮮卑系の検非違使こそ雇用されていましたが、貴族道教陰陽道の影響を強く受けており、祟りを恐れていたので死刑はありませんでした

重罪人は都市から追放され、多くは流刑になって餓死しました

ただ中東方面の異人と見られる土蜘蛛部族は脅威であり、しばしば討伐が行われました

我が国は今は中東依存しているものの、土蜘蛛討伐については記録も残っていることなので、エピソードとして検討すべきです

Permalink |記事への反応(0) | 20:33

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2023-12-23

anond:20200218103709

醜い特殊メイクは置いておいて

スイス人もそうだけど、匈奴鮮卑フン族は、北欧漢人の国で、傭兵として雇われていた時代もあるわけで…

コーカソイドなどが他民族の子や混血の子教育して、他民族の群れに戻して、他民族外交するのは(あるいは傀儡にするのは)、政治手法なので、そういう政治家が混血だったりはよくある話と思う

明治時代霞が関設計した人たも日独混血の顔をしている

さておき乱暴な括りかたをすると

モンゴロイドは頭が良い、犯罪に長けてる

コーカソイドは少し青臭くて正義の支持者だ、ただ実はモンゴロイドをうまく利用した犯罪はしているか

右翼左翼みたいなね

Permalink |記事への反応(1) | 08:45

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2023-09-12

奈良県桜井市古墳から見つかった、大量の鏡の破片

古墳軍馬の放牧に使われていた軍事施設

邪馬台国は牛馬を使わなかった

卑弥呼渡来騎馬民族鮮卑惨敗し、100枚の鏡を奪われ、奈良に持ち去られたか

大陸での鮮卑の展開と古墳時代は一致する

Permalink |記事への反応(1) | 17:49

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2023-03-11

anond:20230311112623

朝鮮蔑称鮮卑って使ってるとしたら、鮮卑族と混同するからやめたほうがええで

そしてその程度の認識文化史を語るのも無理があるからやめたほうがええで

Permalink |記事への反応(0) | 11:39

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明日香の天武文武聖武や、窯倉の源不死原は、鮮卑かその傀儡なんだろうな

法隆寺も焼かれてるし、学校日本史おかしいね

鉄器がなかった土着日本人が、金閣銀閣鉱業国を作れるわけがない

土器が焼けるのに、磁器は知らなかったし、温度差や薪の量や窯の形や土質を考えてなかった

水銀は輸出していたが使い方が分かってないし

注意障害なのかな?

Permalink |記事への反応(1) | 11:26

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2023-03-07

anond:20230307191944

でも平安と鎌倉は別の国だろ

漢字の読み方が、音読みに変わった

紋章は、蓮華から菊紋に変わった

 

訓読みじゃなくて音読みに変わったので修正

鮮卑日本に来て朝廷も乗っ取ったが

その後に蓮華の朝と混血したかもしれない

Permalink |記事への反応(1) | 19:31

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2022-11-06

anond:20221106172333

ジャニーズって鮮卑源氏系の顔面の人が多いみたいだし、キムタク武士役が一番似合うよね

モンゴルジャニーズ

たまに漢人系のすっきり顔面の人もいるけど

Permalink |記事への反応(0) | 17:38

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2022-06-25

anond:20220625030938

百済は倭軍を援軍にするために任那加羅を与えたんだと思うよ

傭兵軍も所領があると反乱とか起こしにくいので

なお卑弥呼は親魏、九州の磐井は親新羅飛鳥朝廷は親百済・反新羅反鮮卑)、百済滅びて壬申の乱以後の天皇9代は親隋唐(親鮮卑)、その後は親百済派が復活していたり

Permalink |記事への反応(0) | 04:24

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2022-05-19

ヒトラーオーストリア人です」

スターリンジョージア人です」

ナポレオン「コルシカ人です」

ゲバラアルゼンチン人です」

ガルバルディフランス人です」

ムハンマド・アリーアルバニア人です」

サファビー朝アゼルバイジャン人です」

天皇朝鮮人です」

安倍晋三蝦夷です」

イギリス王室ドイツ人です」

タイ王室「モン人と中国人ハーフです」

スウェーデン王室フランス人です」

スペイン王室フランス人です」

デンマーク王室ドイツ人です」

ベルギー王室ドイツ人です」

モナコ公室「イタリア人です」

隋「鮮卑です」

唐「鮮卑です」

ムガル帝国モンゴルの流れをくむテュルクです」

Permalink |記事への反応(1) | 21:08

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2022-02-20

百済系の聖徳に、北魏鮮卑の天武が壬申の乱

百済系の桓武の末の平家に対し、鮮卑源氏鎌倉幕府をたて、さらに後醍醐が古来百済勢力から土地を奪う

など、朝鮮系モンゴル系の動乱史があり

徳川以降はプロテスタント忖度合法カトリック虐殺があり

勢力対立があるからこそ独立憲法裁判所が要されるところ、逆コースGHQ吉田茂がバックレたまま、

忖度植民地文化は、いまだに法制司法風見鶏ぶりに現れている

Permalink |記事への反応(0) | 12:51

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2022-02-06

日本五輪開会式ストーリーがあったら

渡来人が来て淡路島鉄器を作り始める、饒速日の稲作広まる

未亡人皇后三韓征伐で大陸進出任那伽耶を制覇

白村江の戦い新羅に敗北、百済人が移民してくる

鮮卑の襲来で大乱、壬申の乱法隆寺炎上天皇自殺

皇朝十二銭が廃れて宋銭や物々交換経済が回る

・明が元と戦い、ポルトガル人日本銀を明に運んでいく

証券取引所持ちのオランダ会社出島建設ポルトガル人虐殺

幕府蘭学禁止したら、蘭米英が戦艦でやってきて開国

軍服を着せられて侵略戦争に進む、原爆落とされる

津波福島原発爆発

Permalink |記事への反応(0) | 01:16

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2021-10-29

皇族にとって結婚とは

日向地域中九州と違って鉄器製造文化がなかった

隼人地域、つまり熊襲の近くは不穏で人が住めなかったからだ

そこで中九州の国は、隼人の拡大を防ぐため、大陸傭兵部族である鮮卑日向に入れた

鮮卑部族とは政略結婚も行われ、一大勢力となった

この混血の部族はのちに近畿に東征した

先人開拓者饒速日尊を死なせて天皇を名乗り、ヤマトの国をつくったと

日本海側の出雲国越国をどうやって支配たかは別の話

古事記はおそらく鮮卑側が書いた神話なので、様々な内乱があったことは、ぼかされている

から古墳から多くの頭蓋骨が出ても驚くことではないな

Permalink |記事への反応(0) | 10:10

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