
はてなキーワード:鬱状態とは
発達障害は早くて2歳でわかるけど、3歳〜小学生になって判明するなんてザラで。
(年齢上がって判明する場合は発達障害の程度が低いことがほとんどだが)
上の子の発達障害がわからない時期に下の子を産んだ可能性は十分ある。
あと親が、仕事家事下の子の育児に加えて発達障害の勉強や発達障害子の対応や療育を頑張っている場合、過労になっている場合があって
過労で鬱状態になってからの死にたい気持ちが出てくるのもよくあること。
実行しても良い悪い本人がどう考えているかに関係なく、死にたい気持ちが心の中に発生しているならブログでもどこででも吐き出すのは一時的な対処法として有効だしね。
ワイもそもそも嫌なことやってきてない。やったら基本的に創造性死ぬよ。それはAIですら同じ
でも好きなことしかやってきてないと他者への理解力が死ぬんだよな
やりたくないことをせざるを得なかった人たちへの
ワイは『やりたくないことをせざるを得なかった人たち』って文字には起こしてるけど、
認知的理解(AIでもできる)と実体験を伴った理解(当事者としての理解)は違うってやつ
そもそも発達障害の診断自体を受けずに無自覚に定年まで働いている人もめちゃくちゃいる
でも、そういう人たちの話をしても、きっと無限に働けない理由をあげてくるだけだよね?
(絵が上手くなりたい~https://anond.hatelabo.jp/20241121004956# の話題の時とは真逆だよな?)
なので、発達障害があり、さらに広範囲の知的な困難もある(通常学級への進学が難しいレベル)けれど、
一般企業で正社員として働き、自立した生活ができる収入を得ている人や、パラアーティストとして生計を立てている人の話に話題を絞る
『この子は生涯誰かの支援が必要だからこそ、常に礼儀正しく、正直で、ルールを守れる人になってもらおう。
たとえ泣き叫んでも、決して譲らず、叱らず、生きていく上で必要なことは、たとえ嫌いなことでも、できないことでも、できるようになるまで訓練を続けよう。
将来、少しでも自由に外の世界で過ごせるように、人としての尊厳を持って生きられるように、必要な力を育てていこう』
『型にはめることよりも、子どもの楽しむ心、ゆっくりでも自ら成長する力を信じて、やりたいことを徹底的にサポートし、興味や才能を伸ばしていこう』
国立特別支援教育総合研究|学校教育に期待すること
https://www.nise.go.jp/josa/kankobutsu/pub_d/d-210/d-210_03_01.pdf
ある方は、発達障害特有の極端な手先の不器用さ(微細運動が困難)があり、中度の知的障害もあるにもかかわらず、現在16年間も正社員として働いている。時には朝9時から深夜0時近くまで働くこともある
通常の認知能力があれば、PCを使う仕事を選ぶことで手先の極端な不器用さの問題を回避できるが、この方の場合は知的障害もあるため、生活できる収入を得るにはどうしてもフィジカルワークをする必要があった。フィジカルワークでは常識的な手先の器用さは必須だ
そこで小さい頃から、毎日欠かさず手先を使う訓練を続けたそう。運筆練習、折り紙、ビーズ編み、絵を描く、日記を書く、ピアノ(これは20年も続けたそうです)などなど
この気の遠くなる積み重ねによって、仕事に必要な手先の器用さを獲得したわけだね
あと、発達障害によくある極端なこだわりやパターンを変えることへの強い抵抗感も、幼少期からの訓練で克服に取り組んだ
だからこそ、突然の残業にも柔軟に対応でき、作業所ではなく一般企業で正社員として働けているわけ
正社員として働いているおかげで、単なるお小遣いではなく、自分の給料で電動自転車を買ったり、ゲーム機やソフトを購入したり、両親にプレゼントを贈ったり、好きなアニメ映画を観に行ったりと、自由で尊厳ある生活を送れている
結局のところ、特別な困難があっても、極端に才能がなくても、時間とコスト度外視で、真摯に積み重ねていけば、ある程度の水準には到達できる
だから、通常学級に進学できる程度の能力がありながら、単にやりたくないことを "できない" と言い換えるのは、率直に言って誠実ではないし、単純に嘘つきだよね
正直に『やりたくないからやらない』『タイパ/コスパが合わないからやらない』と言うべきだ
広範囲の知的な困難がなく、一定以上の応用力がある人なら、自分が出来ること/出来ないことを見極め、自分に合う仕事を試行錯誤で見つけるべき。それが社会人になるってこと
それがどうしても難しいなら最初から障害者向けの求人を探すのも一つの選択肢
まぁ、何がなんでも『嘘なんかついてない!!通常学級に進学できるけど、知的に特別な問題はないけど、発達障害だから働けないんだ!!』という主張でも別にいいよ?
それは一概に否定はできない
だって、自分の本当のことは自分にしかわからないし、人それぞれに個性があるし、そういうケースもあるのだろう
なので、Bタイプの支援方法で素晴らしい成長を遂げたケースで特に印象的なケースを2つ紹介する
(具体的な団体名の記載はやめておく。パラアーティストについては検索すれば多くの事例が見つかるし、不得意なことへの向き合い方は団体やご両親の考え方それぞれなので)
1つ目は、発達障害と重度の知的障害があり、文字の読み書きが出来ない方のケース
この方は自分の興味に従って試行錯誤を重ね、驚くべき適応能力を身につけた
特筆すべきは、これらのスキルを誰かに強制された・教えられたわけではなく、自分で楽しみながら習得したこと
例えば、
2つ目は、発達障害と重度の知的障害があり、幼い頃からスピーチセラピーを受けている方のケース(この方の詳しい話は、はてなブログで見ることができる)
たくさんのことをして日々楽しんでいらっしゃる
こういった例を見ると、本当に人間の可能性は無限大だなと感じるよね
結論として、もし『通常学級に進学できるけど、知的に特別な問題はないけど、発達障害だから働けないんだ!!』という主張に嘘偽りがないのなら、
出来もしないこと(働く)を無理にしようとはせず(無理なものは無理)、自分がワクワクすることを見つけて、それを楽しみながらのんびり続けていくのがいいんじゃないの?
それが、どこかで仕事にいつか繋がるかもしれないし、べつに経済的自立を焦る必要性はない
*1もっとも、頑張れば絵が上手くなれる、気合いで絵が上手くなれるとか言ってる人たちに、才能がない場合にかけなければいけない膨大なコストの認識、やり抜く覚悟、どちらもあるとは思っていないけどね
お願いだから一生独身で、仲間内で楽しんで、誰にも迷惑を掛けず死んで行ってくれ
それは周りへの気遣いができる、人間が出来ている人にのみ可能な芸当なんや
そもそも気遣いができる、自分を俯瞰で見れる奴はそもそも弁えて結婚を夢見たりしないのかもしれない
こっちは悩まなくていい問題を人生に持ち込まれてもう辟易してる
着ぐるみをやれなかったら落ち込んで鬱状態で仕事も手につかないって、それどんなモラハラよ
妊娠してる妻を差し置いて自分の趣味・自分の気持ちを優先するなんてもう基地外でしかないやろ
分かっている。着ぐるみが悪いのではなく、現実逃避するその性格にこそ問題があることは。
社会人になって数年。
上司にはずっと「物覚えが悪い」と言われ、趣味や楽しみもなくなって毎日無機質なルーティン生活を送っていた。
大学入学ころから頭にぼんやりと霧がかかり、まるで他人の生活を見守っているような人生を歩んできていたが、就職もでき、生きていけていたので「こんなものか」と感じていた。
しかし最近は30秒前に指示されたことを忘れたり、食べたいものが分からなくなったり、何時間寝ても疲れが取れずと、仕事にもはっきりと影響が出始めたので心療内科を受診することに決めた。
特に決め手になったのは、これまで「自殺は悪」だと思い込んでいたが、ふと「場合による」ことを知ってしまったせいで、希死念慮に囚われてしまったことである。
ぼんやりと「海で生涯を終えたい」という気持ちがあり、近場の海辺へフラッと散歩に行くことが増えた。
そんななか心療内科を予約したが、最近は患者が多いらしく、一週間後の診療予約となった。
もちろん、気持ちにも波があるのでキャンセルすることを何度も考えたが、「頭の中をはっきりとさせる薬をもらって帰ろう」という軽い気持ちで挑むことを決意し、ついに当日となった。
本当に驚いた。
今は一人暮らしをしているが、実家では「うつ病=甘え」という偏見が強く、まさか自分がという気持ちだった。
確かに、一般的な趣味や楽しいこと、旅行等をしてもあまり覚えていないため、ぼんやりと毎日を過ごしていたが、「勉強とかせず頭を働かせていないせいで知力が下がってるんだろうな」くらいの認識だった。
そして今、休職して約1か月になるが休職してよかったと思っている。
休職したての頃は仕事に穴をあけたこと、仕事をせず家にいるという罪悪感や将来への不安感でつぶされそうになっていたが、幸い少しの貯金があったのと周りの人の勧めで毎日好きなことをして、これまで欲しいと思ったものをたくさん買って自由に散財した。
すると、なんだか毎日が楽しくなってきた。
明日は何をしようか、今日はどこへ行こうか、ふと近所を散歩してもいいな、というポジティブな感情が湧いてくるようになった。
また、以前はゲームが趣味だったので、埃を被っているスイッチを取り出して遊ぶことも増えた。
早起きも出来るようになった。
ただ、実家のことや仕事のことを考えると頭が働かなくなり、無性に泣き叫びたい感情になるようになった。
鬱状態を抑える薬ももらっているので問題ないが、以前ではなかった感情なので自分を理解できていることなのかな、とポジティブに考えている。
いつかは乗り越えないといけない。
毎日やる気を出す薬を服薬している。
こうやってパソコン越しに感情を吐露出来ているのもこの薬のおかげ『だけ』かもしれない。
断薬が怖い。
家族が怖い。
職場が怖い。
将来が怖い。
たとえ診断を受けようが、薬を飲もうが、周りが優しくても負の感情は消えない。
そしてごめんなさい。
今まで不安も感じていなかったので、これも進歩なのかもしれない。
記録のためにここに残します。
同じような状況で悩んでいる人がいたら、参考になればいいんかな。
久しぶりに長文が書きたくなってTwitterじゃ物足りないからこのサイトを開いた。4年ぶりくらい。
喧嘩という名の私の一方的な不満をぶつけて未読のまま放置されて3日経つ。
担当に対してのイライラと、そんな風に言ってしまった自己嫌悪で鬱状態になりお風呂に入れず外にも出れず。やっとお風呂に入ったらなんかスッキリして今回に関しては私が悪いな…って思って謝ることにした。
ごめんって言葉と、終わりにしたかったら既読無視してほしいって追いのLINEをいれたけど既読すらつけてもらえない。(笑)ブロックはされてないよ
私が言いたいことぶつけすぎたから切られても自業自得なんだけど、それにしても担当は一向に"しごできホスト"にはなってくれない。
担当がホストを始めて半年くらいの時に出会って、まだ全然指名のお客さんがいない担当は新人感溢れてて歌舞伎町の世界には全く染まっていなくて、担当との会話や言動全てが私には新鮮だった。新人を指名したことなんてなかったから。
出会って1年まではそんな新人ぽい担当も可愛かった。大好きだった。私が頑張らなきゃ担当は掃除組になってしまうし、初めてのちゃんとお金を使う客の私が担当のホスト人生の中心だった。
1年を過ぎたあたりからホストというものに慣れてきたり私に対しても慣れが出てきたり…。他にお金を使ってくれるお客さんも徐々に増えてきた。
そこから喧嘩をしょっちゅうしてて、連絡が遅い、そういう言い方は良くない、とか本当にTHE末っ子同士って感じの喧嘩。
でも喧嘩をする度に私が我慢できなくなって謝って、またホス狂い人生の日常。
その辺からはあまり私が無理しなくても掃除組は抜けられたし目標もなかったからゆるゆるとしかお金は使ってなかった。
きっと使ってる金額に見合ってないのにいくら関係が長いとはいえ今までと同じ優先順位で対応をしなきゃいけない担当も相当ストレスに感じていたと思う。
担当の店休日はいつもどこかに遊びに行ってたし大阪旅行やディズニーとか、もう数え切れないほど色んなところに行った。思い出がありすぎて。
思い出がありすぎる、というのは、情がある。
私が不満に思うことをぶつけた時には毎回お互いにこの人とはやっていけない…って思ってたはず。
気が合う部分が合いすぎててなかなか喧嘩ひとつで離れる勇気が出なかった。
出会って2年が経った今、今回もそうやって無視して逃げるこの人とはやっていけない…って思いつつ私から切る勇気はないから、担当がもう私のことを嫌いになったのなら向こうから終わりにしてもらおうと狡いLINEを送っている。
ホストはお金を使ってくれるお客さんがいないと稼げない。よっぽど営業妨害な事をしない限りホスト側からお客さんを切ることはあまりない。
だからそこに甘えて今まで散々わがままを言って喧嘩して担当にこれからの関係をどうするかを委ねてきた。
私は担当のことが大好きで、一緒にいてここまで楽しいと思える人は人生で初めてだったから、これからもずっと一緒にいたかった、けど、担当は私のこともう嫌いかな。もうさすがにめんどくさいかな。
もう私もこの仕事続けるのにも疲れちゃったし、未来の見えないこの関係ももう終わりにしてもいいかな、って思ってるけど、離れたくはないなー。
1分1秒でもはやく、既読、つきますように。返信きたらまた日常に。
お金を出せば、こんなに感情豊かな疑似恋愛ができるホス狂いってすっっごく楽しい。
まだ20代前半でこんなに色々な体験をしているのは歌舞伎町に来たからだと思う。
まず、お子さんの状況に心を痛めていること、そして親としてどう接するべきか悩んでいる気持ち、とてもよくわかります。鬱という状態は、本人にとっても周囲にとっても非常に難しい状況です。特に、親として「どうすればいいのか」と悩むのは当然のことだと思います。
鬱は心の風邪とも言われますが、れっきとした病気です。身体の病気と同じように、適切な治療と休息が必要です。「働かざる者食うべからず」という考え方は、確かに現実的な一面もありますが、病気の人に対してそれをそのまま当てはめることは適切ではありません。まずはお子さんが回復するための環境を整えることが最優先です。
職場や病院が「ゆっくり休んで」と言っているのは、単なる優しさではなく、医学的にも必要なアドバイスです。鬱状態では、無理をすると症状が悪化するリスクがあります。休息は回復への第一歩です。
親としての役割
確かに、親として「働け」と言いたくなる気持ちは理解できます。しかし、お子さんが今必要としているのは、プレッシャーではなく、安心できる環境です。実家に戻ってくることで、一時的にでも安心感を得られるかもしれません。その上で、少しずつ回復に向かうためのサポートを考えることが大切です。
将来への不安
「闇バイト」や「クレカの不正使用」など、将来への不安を抱えているようですが、それは鬱の症状が改善されないまま放置された場合の最悪のシナリオです。適切な治療とサポートがあれば、そのような状況に陥る可能性は低くなります。まずはお子さんが回復するための道筋を一緒に考えることが重要です。
「生産者義務」という言葉が出てきましたが、人間の価値は「生産性」だけで測れるものではありません。特に病気の状態では、まずは健康を回復することが最優先です。その上で、社会に復帰するためのステップを考えることが現実的です。
最後に、親としての苦悩はとても重いものだと思いますが、お子さんが今必要としているのは、理解とサポートです。焦らず、少しずつ回復に向かうための環境を整えてあげることが、長い目で見れば最も良い選択になるのではないでしょうか。
もしご自身の気持ちが整理できない場合は、カウンセリングや家族向けのサポートグループを利用するのも一つの方法です。一人で抱え込まず、専門家の助けを借りることも考えてみてください。
少し前まで、日々の仕事にやりがいを感じながら、どちらかといえば「真面目に働くタイプの人間」だと思っていた。大学を出てから、ずっと同じ会社で働いてきたから、仕事の内容にも慣れていたし、同期や先輩との人間関係もそこそこ良好だった。「このまま長く勤めて、社内のいろいろな仕事を覚えていきたい」――そんなふうに思っていたのに、今はもう会社を辞めることにした。しかも自分の口からではなく、退職代行サービスを使って。理由ははっきりしている。上司からのパワハラが原因で、鬱状態になってしまったからだ。
ここまで精神的に追い詰められるなんて、少し前まで想像もしなかった。自分は割と打たれ強いと思い込んでいたし、辛いことがあっても耐えてこられるタイプだと思っていた。でも、あの上司の言動は想像以上だった。人格を否定するような暴言が積み重なっていくうちに、心が少しずつすり減っていき、「もうこれ以上は無理だ」と限界を感じるまでに、あっという間だった。
その上司がうちの部署に異動してきたのは、今から約1年前。前任の上司は女性で、とても柔らかい雰囲気を持っており、チーム全体のバランスをうまく取ってくれる人だった。困ったことがあれば真っ先に相談に乗ってくれ、仕事の調整もしやすいよう配慮してくれていたので、部署の雰囲気はかなり良かったと思う。ところが、新たに来た上司はまったく違った。40代後半くらいの男性で、外見こそ落ち着いた印象を与えるものの、その実、部下に対しては恐ろしく攻撃的な態度をとることが多かった。
とにかくミスに厳しいのは仕方ないとしても、怒るときの言葉遣いがあまりにも強烈で、度を越えている。たとえば、資料の誤字脱字が見つかっただけで、「こんな低レベルな間違いをするなんて信じられない」「お前に仕事を任せたのが間違いだ」と、社内のほかのメンバーがいる前で平気で怒鳴り散らす。しかも、そのあとすぐに「女はこういうとこでダメなんだ」「使えない」などの言葉を続ける。あまりに一方的で、意見を言おうものなら「言い訳すんな」と遮られるだけ。言葉の暴力が終わったころには、周りも気まずい空気に包まれ、誰も口を開かなくなるのが常だった。
最初のうちは「この人も、新しい部署で実績を出さなきゃならないから焦っているのかも」とか、「ちょっと厳しいタイプの上司なんだろう」と自分に言い聞かせて耐えていた。でも、その叱責は明らかに個人攻撃の域に達していた。周りの同僚たちも、その上司に呼び出されては怒鳴られ、どこかで誰かが泣いている……なんて光景もあった。部署内の雰囲気は日に日に悪くなり、みんな上司の機嫌をうかがいながら働くようになっていった。
やがて、私への攻撃がさらに厳しくなったのは、備品管理システムの更新作業のときだった。小さな入力ミスをしてしまい、社内の在庫数に多少のずれが生じた程度で、実害はほぼなかった。それでも上司は「チェック体制が甘い」「仕事をなめるな」と息つく暇もないほど叱責を続け、最後には「こんなやつはいらない」とまで言い切った。周囲の人がとりなしてくれようとしても、「口を挟むな」と追い返される。あのときの恐怖と屈辱は今でも鮮明に覚えている。「自分が悪いのかもしれない」と思い込もうとしたが、それにしても言い方が尋常ではなかった。
当然、私だけでなく他の部署メンバーも疲弊しきっていた。ミスをしないよう神経をすり減らし、確認作業ばかりに時間を取られる結果、ますます残業も増えていく。そのうえ「報告が遅い」「段取りが悪い」と叱られるのだから、どうしようもなかった。とりわけ私は、直接の部下としてもっとも近い距離で仕事をすることが多く、ターゲットにされやすかったのかもしれない。
気がつけば、朝起きるだけで胸が苦しくなり、通勤電車に乗ると息がうまくできないような気分になることが増えた。夜も、次の日に怒鳴られるかもしれないという不安で眠れなくなり、不安感で涙が止まらなくなることもあった。週末にゆっくり休んだはずなのに、仕事が始まる日曜の夕方から頭痛と動悸がする。完全にストレスで心身のバランスを崩していた。
そんな状態で限界が来て、とうとう心療内科に通うことにした。はじめは会社の近くの病院に行く勇気がなく、少し離れた駅のクリニックを選んだ。そこで「鬱状態ですね。しばらく休養が必要です」と診断を受け、会社宛てに診断書を書いてもらったが、それを提出するのも怖かった。部内の同僚や先輩たちは「よく頑張ったね」「しっかり休んで」と言ってくれたけれど、問題の上司は「精神面が弱い」「仕事への意識が足りない」と言い放ち、机に診断書を投げるように置いた。その瞬間、「ああ、この人の下ではもうやっていけない」と確信した。
診断書を理由に休職を取ることが許可され、しばらく自宅で過ごしたが、その間も「戻ったらまたあの上司と顔を合わせなければいけない」という恐怖が頭から離れなかった。「辞めたい」という考えが何度も浮かぶのに、一方で「こんなことで逃げたら負けなのでは」と自分を責める気持ちもあった。会社に長く勤めることを前提に頑張ってきたし、同期や先輩ともこれまで築いてきた関係がある。それを手放すのは怖かったし、何より「上司に怒鳴らされて鬱になりました」と言って辞めるのは、なんだか自分が弱い人間だと認めるようで嫌だった。
でも、休職が終わるころ、夜になるとまた眠れない日々が戻り、朝になると動悸がして足がすくむようになった。食欲も落ちていき、やっとの思いで職場に行っても、上司を見ただけで胸がぎゅっと締めつけられるように痛んだ。試しに少しだけ仕事を再開してみたものの、以前のように頭が回らないし、資料を読んでも内容が頭に入ってこない。周囲のフォローがあったとしても、上司は「いちいち言われないとわからないのか」「ブランクを言い訳にするな」ときつい言葉を浴びせてきた。結果、結局また体調が悪化していくばかりだった。
そんなとき、友人から「退職代行という方法があるよ」と教えられた。それは文字通り、本人の代わりに会社へ退職の連絡をしてくれるサービスのことらしい。正直、「そんなことまでして辞めるなんて、社会人としてどうなの?」という偏見が、私の中にはあった。でも、今の精神状態ではとてもじゃないが直接上司と話し合うことなんてできない。一度「辞めます」と切り出そうと試みたが、怒鳴られる光景が頭に浮かぶだけで呼吸が苦しくなり、体が固まってしまいそうになる。「もう、このまま心が壊れるくらいなら、世間体なんて気にしないほうがいいのではないか」――そう考え始めたら、気持ちがいくぶん楽になった。
インターネットで「退職代行」と検索してみると、思った以上に多くの会社や事務所が存在しているのに驚いた。料金やサポート内容を比べ、24時間対応してくれそうなところに連絡してみた。電話をかけるのも勇気がいったが、担当のスタッフは穏やかな口調で話を聞いてくれ、「大丈夫ですよ。お任せください」と言ってくれた。今までずっと、上司から怒鳴られる恐怖で身を縮めてきたから、誰かが味方になってくれるというだけで涙が出るほど安心した。
手続き自体は思っていたよりもシンプルだった。こちらの基本情報や状況を説明し、後日担当者が会社に連絡をして、私の退職の意志を伝えてくれる。「もう本人は出社せず、やり取りもこちらですべて代行します」という流れだと聞かされたとき、「こんなにスムーズに辞められるの?」と驚いたと同時に、ほっとした気持ちになった。もちろん、その後会社がどんな反応をするかは想像がつかなかったが、少なくとも私自身があの上司と直接対峙しなくて済むと思うと、体の力がスッと抜けていくのを感じた。
そして、退職代行会社から「正式に連絡しました。もう出社は必要ありません」と伝えられた日。ほっとしたような、罪悪感のような、言葉にしがたい感情が湧き上がった。実際に通用するのだろうか、後からまた連絡が来たりしないだろうかと不安になったが、その後しばらくして会社の総務担当から、残りの手続き(健康保険証や書類の返却など)について連絡があり、郵送でのやり取りができることになった。すべてが終わったとき、「本当にもう会社に行かなくていいんだ」という実感が湧いた。
退職代行を使ったと知ったら、上司は「逃げたな」と笑っているかもしれない。しかし、私はもうその笑い声を聞かなくていい。ミスを責められ、人格を否定される恐怖に晒されることは、少なくとも今の段階ではなくなった。会社を離れて数日経つと、今まで何があってもままならなかった睡眠が少しずつ落ち着き、朝起きたときの胸の重さも和らいできたのを感じる。こんなにも心が楽になるものなのか、と自分でも驚くほどだ。
もちろん「もっと別の方法がなかったのか」とか、「最後くらいきちんと上司に辞意を伝えるべきだったのでは」と考えることもある。でも、あの状況では冷静に話し合うなんて無理だったと思う。パワハラや言葉の暴力は、人の思考力や判断力を奪うほどに強い影響を与える。あのまま耐え続けていたら、きっともっと取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
会社を辞めた今、まずは心身を回復させることに専念しようと思っている。体力が戻ってきたら、また新しい仕事を探すなり、勉強を始めるなり、別の生き方を模索するつもりだ。昔からずっと会社に勤め続けるのが当たり前だと思っていたが、必ずしも一つの組織にしがみつく必要はないのだと痛感した。世の中にはいろいろな仕事や働き方があるし、自分が生きる場所はきっと他にもあるはずだ。
あの上司の下で続けるという選択肢が消えた今、逆に視野が広がったようにも思える。少なくとも、また毎朝動悸に悩まされながら通勤することはなくなった。体調に余裕が出てきたら、久々に本を読んだり、散歩をしたり、友人とゆっくりお茶をしたりして、少しずつ自分を取り戻していきたい。
もし同じように、パワハラに悩んで鬱状態になっている人がいたら、「退職代行」を使うことも一つの手段として考えてほしい。たとえ「逃げるように見える」としても、限界まで頑張って心や体を壊すよりはずっとマシだ。職を失うことはたしかに不安もあるけれど、無理をして最悪の結果を招くよりは遥かにいい。退職代行のようなサービスがあるのは、「会社を辞めたいけれど上司に言えない」「顔を合わせるのが怖い」という人がたくさんいる証拠なのだと思う。
自分の気力や体力が限界を超えると、人は思考がままならなくなる。そんな状態で「社会人としての責任」だの「根性が足りない」だのと言われても、その言葉が追い打ちとなって心を壊してしまうことだってある。どんな人も、自分が危険だと感じる環境からは逃げる権利がある。ましてや命を削ってまで働く必要はないのだと、今回の経験を通じて実感した。
退職代行という選択は、まだ世間的には議論の余地があるのかもしれない。でも、あのときの私には、それが唯一の「安全な出口」だった。その出口をくぐって初めて、これからの人生を見つめ直すことができるようになった気がする。あの上司には、もう二度と会いたくはないけれど、あの体験を通して「自分を守る決断の大切さ」を学んだと考えれば、無駄な時間ではなかったとも言えるかもしれない。
いま、退職してから少しずつ日常を取り戻しつつある。朝日を見て「今日も一日頑張ろう」という前向きな気持ちになれる日はまだ多くはないが、以前のように「また怒鳴られるかもしれない」「どうせ自分なんかダメだ」と怯える時間は確実に減っている。これだけでも大きな進歩だ。今後どうするかはゆっくり考えればいい。焦らず、無理せず、自分らしく生きる道を見つけたい。
最後に、もし同じような境遇で苦しんでいる人がいれば、「辞めるのは負けじゃない」と伝えたい。パワハラ上司に立ち向かう以外にも、逃げるという選択肢がある。何を言われても構わない、自分の命と心を守ることが最優先だ。退職代行の利用を迷っているのなら、一度情報を調べてみるだけでもいい。「こんな方法があるんだ」と思うだけで、少しは気が楽になるかもしれない。そして、ほんの少しでも希望を見いだせたなら、自分の一歩を踏み出してほしい。会社はほかにもある。働き方もいろいろある。自分の人生は自分のもの。だからこそ、どんな形であれ、生き延びてほしい。その先でまた、新しい道が必ず見えてくるのだから。
そもそも発達障害の診断自体を受けずに無自覚に定年まで働いている人もめちゃくちゃいる
でも、そういう人たちの話をしても、きっと無限に働けない理由をあげてくるだけだよね?
(絵が上手くなりたい~https://anond.hatelabo.jp/20241121004956# の話題の時とは真逆だよな?)
なので、発達障害があり、さらに広範囲の知的な困難もある(通常学級への進学が難しいレベル)けれど、
一般企業で正社員として働き、自立した生活ができる収入を得ている人や、パラアーティストとして生計を立てている人の話に話題を絞る
『この子は生涯誰かの支援が必要だからこそ、常に礼儀正しく、正直で、ルールを守れる人になってもらおう。
たとえ泣き叫んでも、決して譲らず、叱らず、生きていく上で必要なことは、たとえ嫌いなことでも、できないことでも、できるようになるまで訓練を続けよう。
将来、少しでも自由に外の世界で過ごせるように、人としての尊厳を持って生きられるように、必要な力を育てていこう』
『型にはめることよりも、子どもの楽しむ心、ゆっくりでも自ら成長する力を信じて、やりたいことを徹底的にサポートし、興味や才能を伸ばしていこう』
国立特別支援教育総合研究|学校教育に期待すること
https://www.nise.go.jp/josa/kankobutsu/pub_d/d-210/d-210_03_01.pdf
ある方は、発達障害特有の極端な手先の不器用さ(微細運動が困難)があり、中度の知的障害もあるにもかかわらず、現在16年間も正社員として働いている。時には朝9時から深夜0時近くまで働くこともある
通常の認知能力があれば、PCを使う仕事を選ぶことで手先の極端な不器用さの問題を回避できるが、この方の場合は知的障害もあるため、生活できる収入を得るにはどうしてもフィジカルワークをする必要があった。フィジカルワークでは常識的な手先の器用さは必須だ
そこで小さい頃から、毎日欠かさず手先を使う訓練を続けたそう。運筆練習、折り紙、ビーズ編み、絵を描く、日記を書く、ピアノ(これは20年も続けたそうです)などなど
この気の遠くなる積み重ねによって、仕事に必要な手先の器用さを獲得したわけだね
あと、発達障害によくある極端なこだわりやパターンを変えることへの強い抵抗感も、幼少期からの訓練で克服に取り組んだ
だからこそ、突然の残業にも柔軟に対応でき、作業所ではなく一般企業で正社員として働けているわけ
正社員として働いているおかげで、単なるお小遣いではなく、自分の給料で電動自転車を買ったり、ゲーム機やソフトを購入したり、両親にプレゼントを贈ったり、好きなアニメ映画を観に行ったりと、自由で尊厳ある生活を送れている
結局のところ、特別な困難があっても、極端に才能がなくても、時間とコスト度外視で、真摯に積み重ねていけば、ある程度の水準には到達できる
だから、通常学級に進学できる程度の能力がありながら、単にやりたくないことを "できない" と言い換えるのは、率直に言って誠実ではないし、単純に嘘つきだよね
正直に『やりたくないからやらない』『タイパ/コスパが合わないからやらない』と言うべきだ
広範囲の知的な困難がなく、一定以上の応用力がある人なら、自分が出来ること/出来ないことを見極め、自分に合う仕事を試行錯誤で見つけるべき。それが社会人になるってこと
それがどうしても難しいなら最初から障害者向けの求人を探すのも一つの選択肢
まぁ、何がなんでも『嘘なんかついてない!!通常学級に進学できるけど、知的に特別な問題はないけど、発達障害だから働けないんだ!!』という主張でも別にいいよ?
それは一概に否定はできない
だって、自分の本当のことは自分にしかわからないし、人それぞれに個性があるし、そういうケースもあるのだろう
なので、Bタイプの支援方法で素晴らしい成長を遂げたケースで特に印象的なケースを2つ紹介する
(具体的な団体名の記載はやめておく。パラアーティストについては検索すれば多くの事例が見つかるし、不得意なことへの向き合い方は団体やご両親の考え方それぞれなので)
1つ目は、発達障害と重度の知的障害があり、文字の読み書きが出来ない方のケース
この方は自分の興味に従って試行錯誤を重ね、驚くべき適応能力を身につけた
特筆すべきは、これらのスキルを誰かに強制された・教えられたわけではなく、自分で楽しみながら習得したこと
例えば、
2つ目は、発達障害と重度の知的障害があり、幼い頃からスピーチセラピーを受けている方のケース(この方の詳しい話は、はてなブログで見ることができる)
たくさんのことをして日々楽しんでいらっしゃる
こういった例を見ると、本当に人間の可能性は無限大だなと感じるよね
結論として、もし『通常学級に進学できるけど、知的に特別な問題はないけど、発達障害だから働けないんだ!!』という主張に嘘偽りがないのなら、
出来もしないこと(働く)を無理にしようとはせず(無理なものは無理)、自分がワクワクすることを見つけて、それを楽しみながらのんびり続けていくのがいいんじゃないの?
それが、どこかで仕事にいつか繋がるかもしれないし、べつに経済的自立を焦る必要性はない
*1もっとも、頑張れば絵が上手くなれる、気合いで絵が上手くなれるとか言ってる人たちに、才能がない場合にかけなければいけない膨大なコストの認識、やり抜く覚悟、どちらもあるとは思っていないけどね
*2 既に二次障害があってSADだったり鬱状態なら、気合いでどうにもならないので、専門家に相談しよう
anond:20241122115642anond:20241122123006anond:20241122120305
むかし職安で、ちょうど私が慣れているソフトオペの仕事を、自転車でいける近所で見つけて、応募した話
小規模な現場作業員派遣屋であったが、面接にいくと速攻で社員に採用され、今日からでも仕事を始めてくれという
しかし 1週間もすると、他の事務員と同じように週一で地下室の掃除もしてくれないかと言われた
せっかく社員になれたし、事務所は小さいビルの1フロアの机が7,8個ぐらいという小さな職場であったので、断らなかった
しかしその地下室は大変な臭さで、掃除をしたあとは具合が悪くなり、頭がおかしくなった
失敗して目が真っ赤になったまま翌営業日に出社すると、柔道家ぽいガタイの良さでパリッとしたスーツのオヤジが
「首を絞められるとそうなるよなーwww」などとニヤニヤ笑っていた
あとで官報で調べたら、その会社は何度か破産手続をしており、法人番号を変えている
これみよがしに大きな神棚や壺が何個もあったのでわざとらしく宗教信者会社を装っているように見えたが、つまりは裁判所も絡んでいるのだろう
私はまず自殺を考えるタイプではないので、地下室で何等かの化学物質を吸って鬱になったのだろうと思っている
警察はそんなの知らんぷりだというか、スーツのオヤジが公安か警察で、好条件の求人を準備した職安(厚労省)も絡んでいたんだろうなと思う
それで私は母親から不承諾のまま生命保険を掛けられていて、止めて3か月後には、友人だと思っていた奴から呼び出されたうえ、轢き逃げ事故にあい脊柱骨折
警察や保険会社が推奨した病院も買収されていて(のちに300万円が動いていたことが判明した)
私が古代九州氏族の子孫だからということもあろう(エリザベスがみたメアリー・スチュアートのようなもの)
だ か ら 某官僚らと裁判所と保険会社は、汚なさ極まるなんてもんじゃない、女殺し油地獄のごとき虐待をするサイコパス皇族の代理会社だよ
まったく、身の安全を考えないとなぁ
増田の人気エントリって9割鬱状態の人が書いてそうなんだけど!
え、いや、ネガティブすぎん?
ネガティブがネガティブに引きずられて鬱誘導されて負のサイクルに陥ってない?
なんかもっとみんなポジティブシンキングしない?
ポジのサイクル広げていこうぜ!
それは史実事件の凄い暗い洋画を見ること。それでどっかで話したりSNSで感想書くこと。
なんか凹みそうって思うじゃん?これがねぇ全然凹まんの。親戚死んで落ち込んでても見れんの。
たしかに現実には辟易するけど気分はそれほど落ち込まないんだよね。なんでだろうね?わかんないや。外国だからかな?
逆にハッピーな映画は疲れてるときマジで疲れるから見ないほうがいいよね〜。
1969年の北アイルランドで起きたプロテスタントとカトリックの暴動が起こる最中にいた少年の話だよ!キリスト教関連にはまったく疎いから全然知らんかったよ。検索したら公式に人生賛歌って書いてたけどそんな明るくないから宣伝は笑うよね。白黒映画なのがオシャレ〜って感じで見るのもありよりのあり!
キリスト教のコミュニティ村で起こった大規模なレイプ事件の映画だよ!これ元は南アメリカの事件だよね。キリスト教関係だったかな?まあそこは置いといて。男たちが事情聴取されにいった数日間の猶予の間に女たちがこれからどうするのか語り合うよ!ポリコレガーとか云々の前に見てみてよ!激ヤバすぎて口開けながら見てたよ!
紹介するなら最近の映画にしようかと思ってたんだけど、暗い史実題材映画を思い浮かべたら2012年の映画を思い出したよ!インパクトが強いね!ゲイカップルがダウン症の虐待児を引き取ろうとするよ!注意だけどあんまり死にたい衝動が強いときには見ないでね!
これはめちゃくちゃ史実だけどめーっちゃひどい話!!巨悪に立ち向かう正義が勝つ話だからスカッとするんだろうなーと思ってみたんだけど全然だね。起きてたことがヤバヤバでゲロ吐きそうになるけど吐かなかった!これ昭和後期の話かよ?アルゼンチンやべぇな!アルゼンチン頑張れよ!ってなる映画だよ!
双極性障害II型は破産するほどお金を使わない人が多いし、周りの人の声が入らなくなることもないことが多いし破滅的行動もとらないことが多いです
本人も周囲も軽躁状態に関しては単に調子のいい時期と認識していることもあります
ただし、双極性障害II型は、この軽躁状態と鬱状態を「繰り返す」特徴により生活に支障が出ることが多いため、障害と認識されています
I型に比べて躁での問題行動は少ないものの、軽躁状態の後はやはり多くの場合鬱状態に遷移するため、気分の波をコントロールすることはI型と同様重要です
としても、そういうパターンの双極性障害もあるので、双極性障害ではないと断定する根拠としては弱いです
I型とII型は根本的に異なる疾患である可能性を示す論文などもあり、投与する薬や治療内容も変わってくることも多いですが、
世間でMBTIとやらが流行り出してしばらく経つが、これは一体いつ終わるんだ?
前提として、俺はこういった自分をカテゴライズする系のものは嫌いではない。
むしろ好きな方だ。
高校で出会って今まで一緒に過ごしてきた中では、人の気持ちに寄り添える、良くも悪くも人間らしい愛される存在だった。
そいつは最悪な会社に入ってしまって軽い鬱状態になっていたと思う。
俺や他の友人がいくらやめろと言っても聞かず、結局飯をあまり食べられなくなってから退職した。
そいつはINTJと診断結果が出ていた。
正直なところ俺たちの知っているそいつの性格とは真逆だったが、特に伝えることもなかった。
その辺りから段々変わったと思うことが増えてきた。
複数名で集まる時に、俺たちはざっくりしたことだけを決めて集まっていた。
だらしがないと思う人も多いと思うが、高校時代から遊ぶ時の時間にはルーズなほうで、大体14時くらにここな!とだけ決めるって感じ。
(社会人になってからは流石にいく場所とかもうちょい決めるようになった)
俺の印象だが、そいつも事前にあれこれ決めるのは苦手なのだと感じていた。
だが診断をしてからは次に会う時期を早めに決めてくれ、何するかも決めたいんだよと言っていた。
そいつはまだ心が落ち込んでいる状態だと思っていたから、俺たちはなるべく彼の希望通りにしようと心がけた。
1年以上経った今でもそいつは変わったままだ。
会社の同僚と仲良い環境で働いている奴の前で仕事とプライベートを分けられないのはクソだと言ったりしている。
何を話してもこうすればいいだろ?と言い放ち会話が終了してしまう。
つい昔と比べてしまうんだよな。前のそいつはノリ良くて、その場を盛り上げてくれる奴だったんだよ。
今はなんだかMBTIの診断結果に寄せて行動しているような気がする。
会話していて楽しくないんだ。
もちろん人間だから変わっていくのは当たり前なんだが、それにしたってこんなに変わるか?と思うよ。
こいつとは一生の友人でいられると思ったんだが、もう難しいかもしれない。
奴が変わったんだろうか、それとも俺が変わらなすぎるんだろうか。
世間でMBTIとやらが流行り出してしばらく経つが、これは一体いつ終わるんだ?
前提として、俺はこういった自分をカテゴライズする系のものは嫌いではない。
むしろ好きな方だ。
高校で出会って今まで一緒に過ごしてきた中では、人の気持ちに寄り添える、良くも悪くも人間らしい愛される存在だった。
そいつは最悪な会社に入ってしまって軽い鬱状態になっていたと思う。
俺や他の友人がいくらやめろと言っても聞かず、結局飯をあまり食べられなくなってから退職した。
そいつはINTJと診断結果が出ていた。
正直なところ俺たちの知っているそいつの性格とは真逆だったが、特に伝えることもなかった。
その辺りから段々変わったと思うことが増えてきた。
複数名で集まる時に、俺たちはざっくりしたことだけを決めて集まっていた。
だらしがないと思う人も多いと思うが、高校時代から遊ぶ時の時間にはルーズなほうで、大体14時くらにここな!とだけ決めるって感じ。
(社会人になってからは流石にいく場所とかもうちょい決めるようになった)
俺の印象だが、そいつも事前にあれこれ決めるのは苦手なのだと感じていた。
だが診断をしてからは次に会う時期を早めに決めてくれ、何するかも決めたいんだよと言っていた。
そいつはまだ心が落ち込んでいる状態だと思っていたから、俺たちはなるべく彼の希望通りにしようと心がけた。
1年以上経った今でもそいつは変わったままだ。
会社の同僚と仲良い環境で働いている奴の前で仕事とプライベートを分けられないのはクソだと言ったりしている。
何を話してもこうすればいいだろ?と言い放ち会話が終了してしまう。
つい昔と比べてしまうんだよな。前のそいつはノリ良くて、その場を盛り上げてくれる奴だったんだよ。
今はなんだかMBTIの診断結果に寄せて行動しているような気がする。
会話していて楽しくないんだ。
もちろん人間だから変わっていくのは当たり前なんだが、それにしたってこんなに変わるか?と思うよ。
こいつとは一生の友人でいられると思ったんだが、もう難しいかもしれない。
奴が変わったんだろうか、それとも俺が変わらなすぎるんだろうか。