
はてなキーワード:駆動とは
2026年の選挙は、一つの「分水嶺」として記憶されることになるだろう。
石破政権の退陣を受け、新たに発足した高市政権。その直後に断行された、いわゆる「7条解散」。1月23日の解散から投開票までの短期決戦は、グローバル市場が発した「サナエショック(金利急騰・円安)」という警告音を、政治的な熱狂と列島を覆う大雪がかき消していくプロセスそのものであった。
結果として自民・維新を中心とする勢力が全議席の4分の3を掌握したという事実は、旧来の自民党支持者すら驚くものであった。それは「政治家の人気投票」という側面を加速させる、選挙戦術の技術的な完成を意味していただろう。
圧倒的な数の力を背景に、長らく議論のテーブルに乗るだけだった「憲法改正」は、いまや現実的な政治スケジュールへと組み込まれようとしている。高市政権は、地政学的リスクの高まりを背景とした「中国脅威論」や、国内に醸成されつつある排外的な空気を巧みに政治的駆動力へと転換した。その支持を追い風に、「9条改正は現実的要請である」というロジックが、強力なキャッチフレーズとして機能し始めている。
私たちは今日、騒がしい政治のタイムラインから距離を置き、無限に降ってくるエコーチェンバーの雪を視界から遠ざけることができるだろうか。
今、この国の変化した「重心」が何を成そうとしているのかを、静かに見つめ直す必要がある。
憲法改正について、世間ではどのようなイメージが流布しているだろうか。「古いものを令和版にアップデートする」といった、あたかもスマートフォンのOS更新のような、若々しく前向きなイメージが、おそらくは今後急速に普及すると予想される。
しかし私たちは、実際にどのような案が議論の遡上に載せられているか、その設計図を確認せねばならない。
議論の参照点となるのは、自民党が2012年に作成した「日本国憲法改正草案」である。このテキストには、単なる9条条文の修正にとどまらない、国家観の根本的な転換が示唆されている。
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
この条文は、人権が国家に先立って存在する「自然権(天賦人権)」であることを宣言したものだ。しかし、草案ではこれが削除され、11条を残すことで人権は国家が与える形を取ることになる。さらに第13条の「個人として尊重される」という文言が「人として尊重される」へと書き換えられた。
「個人」から「人」へ。97条削除に比べればわずか一文字の違いだが、ここに込められた断絶は深い。かつて草案起草に関わった片山さつき氏が「天賦人権論をとるのは止めよう」と明言した事実、そこに流れているのは当然、権利とは天から(あるいは生まれながらに)与えられるものではなく、国家という共同体に帰属し、義務を果たすことによって初めて付与されるものだ、という思想である。
これは良し悪しという感情論以前の、近代立憲主義というOS(オペレーティングシステム)の入れ替えに近い。国家が個人を守るための憲法から、個人が国家を支えるための憲法へ。その重心移動は2012年にすでに開始していたのである。
このような草案内容と、高市総理自身のイメージ戦略はどのように共鳴しているだろうか。
「日本列島を、強く豊かに」。これは、かつて安倍総理が「美しい国」というフレーズを用いたように、いま高市総理が繰り返し掲げているスローガンである。
一見すると経済的繁栄の約束に聞こえるが、彼女の支持基盤である日本会議的な政治的系譜や、選択的夫婦別姓への慎重姿勢、家族間の相互扶助を強調する福祉観などを俯瞰するとき、そこには明治国家のスローガン「富国強兵」と同型的な発想が見えてくる。
明治時代、「富国」という経済的な豊かさは、個人の幸福追求のためではなく、あくまで「強兵」という国家の強さを支えるための基盤として位置づけられた。
逆に言えば、それらを成し遂げなければ個人の幸福を保証できないような情勢なのだと言っているのかもしれない。
決して「日本国民を、強く豊かに」と言わないのは、あの時代の国家観を「美しい国」として、戦後の反省だけでは国を守れないとする意思を表しているのだろうか。
2026年衆院選において、高市政権は市場の警告を、左派の不安を、選挙勝利への多様な戦術でねじ伏せてみせた。その手腕は国家という物語を紡ぐ演出としてスケールアップし、いま有権者に受容されていく可能性を見せている。
圧倒的な議席数と、顕在化した憲法改正への熱望。この二つが揃ったいま、私たちはどう振る舞うべきだろう。
SNSで快哉を叫ぶか、あるいは嘆き悲しむか。過激な批判の応酬は止むことがないだろう。それでも政治的な熱狂から一歩身を引き剥がし、思考のための穏やかな場を確保することは可能だ。
たとえば、「憲法カフェ」のような試みがある。リラックスした空間で、コーヒーを片手に憲法について語り合う。そこでは「賛成か反対か」を叫ぶのではなく、法文がどのような意味を持つのかを学び、穏やかに思考を交わすことができる。
「国家」という巨大な物語に飲み込まれないためには、私たち一人ひとりが、暮らしの根元にいつでも存在する憲法を知り、尊重されるべき「個人」として位置付けられていることを知っておくことは大事だ。
厳冬の衆院選。その唐突な政治の季節は熱く、あまりに短く過ぎ去った。しかし憲法という国の形を変える議論は、これからが長い正念場である。熱狂の宴が終わったあとだからこそ、考えて欲しい。なぜなら憲法とは、普段の生活のほとんどすべてを支えている法律なのだから。
MITの講義、Stanfordの資料、YouTubeの解説、arXivの論文、GitHubの実装例、オンラインジャッジ、オープンソースの教科書。
極端に言えば、ノートPCとネット回線があれば、線形代数から圏論まで、アルゴリズムから分散システムまで、形式手法から機械学習まで掘れる。
しかも、大学の講義よりわかりやすく、大学の教授より説明が上手い人間が大量にいる。
つまり知識それ自体はすでに市場でコモディティ化しており、値段はゼロに近づいている。
にもかかわらず、大学に行くために何百万円も払い、四年間も時間を捨てるのは、どう考えても合理的ではない。
書籍も高価で、論文にアクセスするにも壁があり、専門家に会うことも難しかった。
しかし現代では、ゲートは崩壊している。知識は空気のように拡散し、検索エンジンとLLMが圧縮して配布する。
学問の入り口に門番はいない。にもかかわらず大学だけが学びの正規ルートであるかのように振る舞うのは、情報流通革命の現実を無視した時代錯誤だ。
しかも数学とコンピュータ・サイエンスは、特に大学不要度が高い分野である。
証明を書けばよい。実装を書けばよい。競技プログラミングでスコアを出せばよい。GitHubにコードを積めばよい。論文を読んで再現すればよい。
個人の能力を示す客観的アウトプットが作れる以上、大学の単位や学位は本質的ではない。
学位は能力証明の一形態にすぎないが、その証明が過剰に高コストで、かつノイズが多い。
四年間を耐えたというだけで、思考力や創造性が保証されるわけでもない。
コンピュータ・サイエンスの実務世界は、ライブラリも設計思想もインフラも数年単位で変化する。
だが大学は制度として硬直しており、講義内容は更新されにくい。
学生が学ぶのは、現代の戦場で使える武器ではなく、過去の博物館ツアーになりがちだ。
もちろん基礎は重要だ。しかし基礎は無料で学べる。基礎を学ぶために大学という巨大な行政機構に参加する必要はない。
そして最大の問題は、大学が学びたい人間のための場所ではなく、学びたくない人間を四年間拘束する場所になっていることだ。
多くの学生は学問に興味がなく、就職のために在籍し、単位のために暗記し、卒業のためにレポートを書く。
その結果、講義は知的探究ではなく、脱落しないための事務処理へと変質する。
優秀で意欲ある少数の学生は、その空気の中でむしろ学びを阻害される。
学問とは本来、興奮と執念の領域であるはずなのに、大学はそれを出席管理と成績管理で薄める。
さらに残酷な話をすれば、大学に行く最大の理由は「自分が大学に行った方が安全だと思い込んでいる社会構造」そのものだ。
皆が行くから行く。行かないと不安だから行く。つまり大学は教育機関ではなく、集団心理によって維持される保険商品に近い。
これは合理性の皮を被った同調圧力であり、個人の学習とは無関係だ。
数学やコンピュータ・サイエンスのような分野で、真に強い人間は、学位ではなく成果物で語る。
証明、コード、論文、プロダクト、貢献履歴。そこには逃げ道がない。
大学の単位は「できるかもしれない」という曖昧なラベルだが、GitHubのコミットや実装は「できた」という事実だ。学問の世界では、事実だけが通貨である。
学位という紙切れに依存する必要はない。しかしもう半分の真実として、大学は知識ではなく、社会の信用システムとして機能している。
だから人々は大学へ行く。学びのためではなく、社会を攻略するために。
だがそれは同時に、現代の大学が知識の殿堂ではなく信号の発行所になってしまったことを意味する。
もし数学やコンピュータ・サイエンスを学びたいなら、大学の門をくぐる必要はない。必要なのは、静かな時間と、強烈な好奇心と、圧倒的な継続だけだ。
えー、駅前をお通じの皆様、お騒がせしております。衆議院議員候補者の自由民主党「はてな・たみお」です。
まず最初に断っておきますが、私は皆さんに『私を信じてください』なんて、そんな低リテラシーなことは言いません。政治家の街頭演説なんて、その大半は生存バイアスと認知の歪みで構成されていますから。
あー、私「はてな・たみお」が今日ここでマイクを握っているのは、この国の『仕様』があまりにバグだらけで、もはやパッチを当てるだけでは運用保守が不可能だと判断したからです。いわゆる、詰んでる状態であります。
皆さん、SNSを見ていればキラキラした幸福論が流れてきますが、匿名ダイアリー、通称『増田』を読んでみてください。あの、そこには、この社会のバグに翻弄され、名前も出せずに叫んでいる人たちのリアルなログが残っています。
あ、『年収が上がらない』『育児が無理ゲー』『独身でいることへの無言の圧力』。これらは個人の努力不足、自己責任論ではなく、明らかに制度設計のミスだと「はてな・たみお」は考えております、はい。マッチョ主義など話になりません。他党では『若者のために』とか『高齢者の安心を』とか言いますが、あれは単なる互助会のポジショントークに過ぎません、ポジショントーク。ドメイン知識のない他党の政治家が、感情論だけでデプロイした政策のツケを払わされているのは、現場の私たちであります。
私、自由民主党の「はてな・たみお」の公約はシンプルです。第一に、徹底した情報公開とデータ駆動型政治。感情論を排除し、エビデンスに基づいてリソースを最適配分します。 第二に、既存のしがらみのリファクタリング。既得権益という名のスパゲッティコードを整理し、透明性の高い社会システムへ移行します。
『はてなスター』を投じるような軽い気持ちで、とは言いません。あの、ですが、現状維持という名の『緩やかな死』を選択するか、それとも一度システムを再構築するか。そのブクマ、いえ、一票を投じる前に、一度立ち止まって「そもそも論」を考えてみてほしいのです。
最後に、最後ですが、私は皆さんに好かれようとは思っていません。あの、炎上も怖くありません。 ただ、この国の未来という名の『スレッド』が、罵詈雑言と絶望だけで埋め尽くされるのは、あまりにもQOLが低すぎる。そう思いませんか?
私「はてな・たみお」の話に少しでも『なるほど』と思った方は、ぜひ投票のほどお願いいたします。。長文ではございますが、 あの、以上、「はてな・たみお」でした。ありがとうございます、ありがとうございました。
AT-LP60Xからのステップアップ、ワクワクしますね!フルオート機からマニュアル機への移行は、レコードを「操作する愉しみ」が一気に増えるタイミングです。ご提案のあった Thorens(トーレンス)TD403DD は、2025年後半に発売されたばかりの注目機で、クラシック愛好家には非常に良い選択です。ただ、他にもクラシックの「繊細な響き」や「奥行き」を引き出すライバル機がいくつかあります。クラシック音楽に求められる**「静寂性(SN比)」「回転の安定度」「繊細な表現力」**を重視して、3つの選択肢を比較提案します。1. ThorensTD403DD「伝統のブランドで聴く、現代の精密な音」トーレンスは世界最古のオーディオメーカーの一つ。このモデルはダイレクトドライブ(DD)方式を採用しており、メンテナンスフリーで非常に安定した回転が得られます。音の特徴:カートリッジに Ortofon 2MBlue が標準装備されており、解像度が高く、バイオリンの倍音やオーケストラの定位感がハッキリしています。ここが魅力:付属のトーンアーム「TP150」の精度が高く、将来的にさらに高価なカートリッジ(MC型など)に変えても、その性能をしっかり引き出せます。向いている人: 「歴史あるブランド」の安心感と、カッチリとした現代的な高音質を両立させたい方。2.TechnicsSL-1200GR2「究極の静寂、オーケストラの背景が深く沈み込む」日本が誇るテクニクスの最新モデルです。DJ用のイメージが強いかもしれませんが、この「GR2」は完全にリスニング志向のハイファイ機です。音の特徴:独自の新駆動制御技術により、モーターの微振動が徹底的に抑えられています。クラシックの弱音部(静かなパート)でのノイズ感のなさは、この価格帯では随一です。ここが魅力: 「とにかく正確」。ピアノの打鍵の揺らぎや、ホールの空気感が濁りなく再現されます。向いている人:機器としての完成度や、正確無比なトレース能力を重視する方。3.Rega Planar 3 (MK2 / 2026 Edition等)「音楽の“しなやかさ”と躍動感」イギリスのRegaは、テクニクスとは対照的な「ベルトドライブ方式」の雄です。音の特徴: 非常に軽量で硬い設計思想で作られており、音が「速い」のが特徴。弦楽器のしなやかな動きや、指揮者のタクトの勢いが伝わってくるような、音楽的な鳴り方をします。ここが魅力: 余計な機能を削ぎ落としたミニマリズム。クラシックを「分析的」ではなく「音楽的」に楽しめます。向いている人:弦楽四重奏やオペラなど、演奏者の体温が伝わるようなライブ感を大切にしたい方。比較まとめ特徴ThorensTD403DDTechnicsSL-1200GR2Rega Planar 3駆動方式ダイレクトドライブダイレクトドライブベルトドライブ強みバランスの良さ・高級感圧倒的な静寂性と正確性音楽的な表現力・スピード感付属針有(高性能な2MBlue)別売(選ぶ愉しみがある)付属モデル有(Elys 2等)操作感重厚なスイッチ類精密なメカニック感究極にシンプル💡 買い替えのアドバイスAT-LP60Xは「フォノイコライザー」を内蔵していましたが、上記のモデルは外付けのフォノイコライザー(またはフォノ入力のあるアンプ)が必要になる場合が多いです。もしお持ちのアンプに「PHONO」端子がない場合は、予算にフォノイコライザー代(2〜5万円程度)を含めて検討してみてください。まずは、今お使いのアンプやスピーカーの型番を教えていただけますか? それに合わせて、一番相性の良い一台をさらに絞り込むお手伝いができます。
【はじめに】
システム工学的「エポケー(判断保留)」と、リヴァイアサンの代謝
本稿は、現代日本政治における「権力と宗教」の構造的癒着、および「山上徹也」という事象を、道徳的善悪の彼岸にある「システム工学的な機能不全と最適化」の観点から記述する試みである。
あらかじめ断っておくが、本稿には犯罪行為を正当化する意図も、特定の信仰を弾圧する意図も一切ない。
現象の「論理的解明(Explanation)」は、決して行為の「倫理的擁護(Justification)」と等価ではない。
病理学者がウイルスの感染経路を淡々と追跡するように、筆者は犯罪者も、政治家も、信者も、すべて巨大な統治機構(リヴァイアサン)を構成する「部品」および「代謝産物」として等価に扱う。
読者が感じるかもしれない不快感は、システムそのものが内包する「非人間的な合理性」の反映に過ぎない。
筆者は前稿『歪なリヴァイアサン』において、自民党を「魂(イデオロギー)を持たない利益配分マシン」と定義した。
しかし、高度成長が終わり、配るべき「カネ(利益)」が枯渇したとき、魂を持たないこのマシンは、いかにして自らを駆動させる熱量を調達するのか?
本稿は、この問いに対する回答である。
システムは生存のために、外部から「安価な魂」と「無料の労働力」を調達する必要があった。その調達先こそが、統一教会という名の「政治的下請け業者(BPOパートナー)」である。
本稿では、リヴァイアサンがいかにしてこの異物を「召喚」し、その病理的な代謝プロセスの中で、いかなる副作用(山上徹也)を必然的に排出したのかを解剖する。
序論:誤診された「犯罪者」
2026年1月、奈良地裁は山上徹也被告に無期懲役を言い渡した。判決文、そして世論の多くは、彼を「家庭環境に絶望した、極めて特異で孤独な犯罪者」として処理しようとしている。
しかし、これは誤診である。あるいは、意図的な隠蔽と言ってもよい。
我々の「システム論」の視座に立てば、山上徹也という存在は、決して予測不能なバグ(異常値)ではない。彼は、戦後日本の政治システムが正常に稼働し続けた結果、必然的に排出された「産業廃棄物(システム・バイプロダクト)」である。
彼を「極端な個人」として切り捨てることは、工場が川に垂れ流した汚染水で奇形魚が生まれた際に、工場の排水システムを点検せず、「その魚の特異体質」を責めるに等しい。
なぜ、統一教会という異質なカルトが、日本の政権中枢にこれほど深く食い込めたのか。
「教会が巧みに自民党を洗脳・浸透した」という被害者面をしたナラティブが流布しているが、これは歴史的にも構造的にも誤りである。
正しくはこうだ。自民党というシステムには、構造的な「欠落」があり、その穴を埋めるために教会を自ら「召喚」したのである。
自民党と統一教会の関係を「信仰」や「思想の共鳴」で語ることは、事の本質を見誤らせる。
両者を結びつけていたのは、互いの「欠損」を補い合う、極めてドライで実利的な「政治的バーター取引(交換条件)」である。
この取引のバランスシート(貸借対照表)を精査すれば、なぜシステムが教会を切断できなかったのかが明確になる。
自民党が教会から調達していたのは、カネ(献金)以上に、「カネのかからない実働部隊」であった。
選挙には膨大な人件費がかかる。しかし、教会から派遣される秘書や運動員は、給与を要求しないどころか、教団の教義に従って「無私の奉仕」として24時間働く。
これは、企業経営で言えば「違法なほどの低賃金労働力」を独占的に確保しているに等しい。自民党議員にとって、これほどコストパフォーマンスの良い「兵隊」は他に存在しなかった。
数万票単位で動く教団の組織票は、全体の得票数から見れば僅かかもしれない。しかし、当落線上にある小選挙区の候補者にとっては、この「確実に計算できる数万票」こそが、政治生命を左右する決定打となる。
スパイ防止法制定や選択的夫婦別姓反対など、リベラル層からの反発が強い右派的政策の推進運動を、「国際勝共連合」という別動隊に担わせた。これにより、自民党本体は「中道」の顔を保ったまま、保守層の支持を固めることができた。
対する教会側が求めたのは、日本という巨大な資金源でビジネスを続けるための「不可侵条約」と「お墨付き」である。
教祖や幹部が、岸信介、安倍晋三といった歴代首相と並んで写真に収まること。あるいは、関連イベントにビデオメッセージをもらうこと。
これらは単なる記念ではない。信者や勧誘対象者に対し、「総理大臣も認める立派な団体である」と信じ込ませるための「最強の営業ツール」として利用された。政治家の権威は、霊感商法を正当化するためにロンダリングされたのである。
長年にわたり、霊感商法に対する警察の捜査や消費者庁の規制が、不可解なほど鈍かった事実は見逃せない。
さらに決定的だったのは、2015年の「名称変更」の承認である。悪名高い「統一教会」から「世界平和統一家庭連合」への看板の掛け替えを、当時の下村文科相下の文化庁が認めたことで、教団は過去の悪評をリセットし、新たな勧誘活動を展開することが可能になった。
これは実質的に、国家が教団に対し、「日本国民からの搾取を継続してもよい」というライセンス(免許)を更新したに等しい。
教会が喉から手が出るほど欲しがり、自民党が頑なに守り続けた最大の利権。それは、日本国内に「聖域」と呼ばれる非課税地帯を維持することであった。
通常の企業であれば、商品を売って利益が出れば法人税がかかる。
しかし、教会は「壺」や「多宝塔」を売る行為を、商行為ではなく「宗教的な寄付(献金)」と定義した。
日本の宗教法人法において、宗教活動による収入は「非課税」である。
これにより、信者から巻き上げた数千億円規模の資産は、国家による徴税というフィルターを通らず、丸ごと教団の懐に入った。これは、実質的に国家が教団に対して「法人税相当分(利益の約20〜30%)の補助金」を裏で渡しているに等しい。
株式会社と異なり、宗教法人は財務諸表の公開義務が極めて緩い(実質的に外部からは見えない)。
この「不透明性の維持」こそが、自民党が教会に提供した最大のサービスの一つである。
「信教の自由」を盾に、宗教法人法へのメス(厳格な会計監査の義務化など)を入れないことによって、教会は日本で集めた莫大な資金を、誰にも監視されずに韓国の本部や米国へ送金することができた。
日本は、教団にとって世界で最も効率の良い「集金マシン兼タックス・ヘイブン(租税回避地)」として機能させられたのである。
(元)連立パートナー(公明党・創価学会)への配慮という「人質」:
それは、統一教会だけに課税しようとすれば、かつて自民党の連立パートナーである公明党の支持母体(創価学会)や、自民党の保守地盤である神社本庁など、他の巨大宗教団体の既得権益も脅かすことになるからだ。
この「相互確証破壊」の構造があるため、宗教法人税制はアンタッチャブルな聖域となり、統一教会はその「大きな傘」の下で安住することができた。
この取引において、自民党は「政治コスト」を削減し、教会は「法的リスク」を回避した。
しかし、経済学の原則として、「フリーランチ(タダ飯)」は存在しない。
自民党が浮かせたコストと、教会が得た利益。その莫大なツケを払わされたのは誰か?
その全てのツケは、「信者家庭からの略奪的採掘」によって支払われた。
燃料としての家族:
自民党に「無償の秘書」を派遣するためには、教会職員を養うカネがいる。そのカネを作るために、山上徹也の母親は「霊感商法」によって資産の全てを搾り取られた。
山上家が破産し、兄が自殺し、一家が崩壊したプロセスは、悲劇ではない。それは、自民党という巨大なエンジンを回すために、燃料として「消費」されたに過ぎない。
燃料(資産と家庭の幸福)が燃やし尽くされた後に残った、燃えない残骸。
金も、親の愛も、学歴も、社会的地位も奪われ、空っぽになった人間。
それが山上徹也だ。
彼は社会不適合者だったから犯罪行為を起こしたのではない。システムが彼から全てを収奪し、その後の「廃棄物処理」を怠った結果、有毒ガスが充満して引火したのである。
あの手製の銃は、狂人の武器ではない。それは、政治システムが排出した「毒」が、逆流して配管(安倍元首相)を破裂させた物理現象だ。
2026年の無期懲役判決と、それに続く高市首相の解散総選挙。これらは一連の「汚染除去作業」である。
裁判所は、彼を「政治犯」として認めなかった。認めてしまえば、「自民党がカルトを使って国民を搾取していた」という因果関係を司法が公認することになるからだ。
彼を「母親への恨みで暴走したかわいそうな男」という物語に閉じ込め、刑務所という最終処分場へ隔離することで、システムは「我々には責任がない」と宣言した。
高市首相は、判決の直後に解散を打つことで、この事件を「過去の歴史」へと押し流した。選挙の争点を「教団問題」からずらし、再度の勝利によって「禊(みそぎ)」を完了させる。
これにより、「教会を利用するシステム」は温存され、単に「より見えにくい形」で地下潜行するだけとなる。
「山上徹也は極端な個人ではない。システムが生んだ副産物である」
我々が見ている「平和な日本」は、山上家のような「声なき生贄」を燃料として燃やすことで、かろうじて維持されている。
無期懲役の判決が確定した瞬間、システムは安堵の息を漏らしただろう。
だが、構造が変わらない限り、第二、第三の山上徹也(産業廃棄物)は、今もどこかの家庭で静かに生成され続けている。
うちの選挙区は高市支持者から攻撃されてる自民の人がほぼ確、でも立民出身中道の対立候補は福祉系出身だから公明票はすんなり移行しそう。
自分は連合傘下労組の役員をやったり共産系の貧困支援を手伝ったりしてて、区分としては生活左派だと思う。組合としては当然中道候補支援で、今回もそのうち中道支援の組合員向け配布物が来るだろうから配ったりはする。
選挙区はいつもならどうせ通らんがそれでも対立候補に入れる。でも今回はこの情勢で自民の人が落ちたらやばいんじゃないかという気持ちもある。隣区のパワハラ自民候補者ならなんぼでも落ちてくれと思うんだけどなあ。今のところ中道候補に入れるつもりだけど、地元紙が自民候補危ないと書いたら直前までめちゃくちゃ悩んでると思う。
比例は共産党に入れる。
前述の通り自分は理論的社会主義者ではなくて生活左派だけど、資本主義による不当な格差とか、社会に対するコストを回避しようとする資本の動きが十分規制されないこと、法令や規制なんかのルールメイク自体が資本の増大を目指す原理で駆動されることなんかを問題視してる、要するに資本主義の抑制が必要だと思ってる。
そうしようとする動きは自民も含めいろんな党にあるけど、それを阻害してるのは抑制を嫌う資本主義そのものだけじゃなくて、多くの人の間にあるぼんやりとした反共産主義・反社会主義だと思ってる。例えば全体主義と共産主義の混同とか。
アメリカ人の皆保険は共産主義だ!みたいなのは割と多くの人がアホだなと思うと思うんだけど、再分配的に働く政策に対して共産主義だ!みたいなのは日本でもある。こういうのは再分配政策が反対されることと、共産主義だと言うと何か反論ができてるみたいになってしまっている2つの問題があると思う。
だから共産主義を党名に掲げる党への投票が、資本主義に対する抑制を政治に要求することと、空気としての反共産主義・反社会主義への拒否の2つの意味があると思っている。
旧立民ではいかんのかという点については、組合ってどうしても現状つまり格差内でのポジションを基準に改善や維持を目指してしまう側面があって、自分は非正規雇用待遇改善とかに熱心な方だけど、労組の枠組みと自分の考え方が噛み合わないこともある。なので党自体に投票したことはない。
【はじめに】
本稿は、現代日本政治を一つの均衡状態として捉え、その内的論理を記述する試みに過ぎない。ここで描かれた「歪なリヴァイアサン」は、不正義でも愚鈍でもなく、ただ与えられた条件の下で最も合理的に振る舞っている存在である。
しかし、合理性は永続性を保証しない。均衡とは、あくまで外乱が加わらない限りにおいて成立する一時的な静止点に過ぎない。経済の衰弱、国際秩序の変動、技術による媒介構造の変化——いずれも、このキメラの前提条件を静かに、しかし確実に侵食している。
本稿の目的は、このシステムを擁護することでも、告発することでもない。ただ一つ、「なぜ変わらないのか」という問いを、「変わらないこと自体が合理的である状況」として再定義することである。
もし将来、日本政治がこの枠組みから逸脱するとすれば、そのとき我々は初めて「変化が起きた」のではなく、「変化を許す条件が整った」のだと理解すべきだろう。
日本政治を観察する際、我々は常に強烈な「違和感」に襲われる。
表面的には米国流の民主憲法を掲げながら、そのOS(オペレーティングシステム)はプロイセン流の官僚機構であり、さらにその深層では江戸時代の村落論理が駆動しているからだ。
「自民党一強」や「官僚内閣制」、「対米従属」といった既存の単一的な理論では、この怪物を説明しきれない。
本稿では、現代日本という政治システムを、「幕府の遺風(骨格)」、「明治の遺老(神経)」、「米国の遺産(皮膚)」という、本来互換性のない三つの要素が無理やり縫合され た「キメラ(合成獣)」として定義し、その構造的欠陥と強靭さを分析する。
日本政治の基層にあるのは、民主主義ではなく「封建制」である。
自民党は近代政党ではない。それは「現代の大名連合体」である。
派閥という名の「藩」:政治家にとっての忠誠対象は、国家よりも党、党よりも「派閥(オヤジ)」にある。
世襲という正統性:地盤・看板・鞄(カバン)の世襲は、まさに江戸時代の家督相続そのものであり、システム維持のコストを最小化するための合理的装置だ。
「根回し」の合意形成:国会審議は儀式に過ぎない。真の意思決定は、料亭や密室での「根回し」によって行われる。これは内戦を避けるための「封建的コンセンサス」の知恵である。
この層は、システムにおける「利益配分」と「動員」を司っている。
政治家が舞台上で演じる役者だとすれば、脚本を書き、演出するのは霞が関の官僚群である。彼らは明治維新以来の「指導的行政」の継承者だ。
無責任の体系:大臣は頻繁に交代するが、次官や局長は居座る。実質的な立法権と、法の「解釈権」は彼らが独占している。
解釈権という主権:法文そのものに意味はない。内閣法制局がいかに「解釈」するかが全てだ。これは一種の「神学政治」であり、官僚は唯一の解釈権を持つ神官である。
この層は、システムの「運用(オペレーション)」と「リスク回避」を司っている。
戦後、外から移植されたこの異質な器官は、平和憲法や日米安保として具現化している。
征夷大将軍としての米国:構造的に見れば、ワシントンは現代の「将軍」である。平時は大名(日本政府)の内政に干渉しないが、外交・安保という存立に関わる部分では最終裁定権を持つ。
「結界」としての憲法九条:保守派にとっての憲法は、足枷であると同時に、米国の過度な軍事冒険に巻き込まれないための「免罪符(盾)」としても機能してきた。
この層は、システムの「外部安全保障」と「国際的正統性」を保証している。
この三層構造は、絶妙なナッシュ均衡によって維持されている。この均衡を無自覚に破壊しようとした者がどうなるか。歴史が証明している。
小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と叫び、ポピュリズム(米国層の力)を借りて、自らの足場である「幕府層(派閥・郵便・土建)」を攻撃した。
結果、自民党という組織は「骨粗鬆症」に陥った。彼が去った後、求心力を失った自民党があっけなく下野したのは必然であった。
2009年の政権交代は、システムに対する致命的な挑戦であった。民主党は「幕府・明治・米国」のすべてを同時に敵に回してしまったのだ。
対「明治層」戦争:「政治主導」を掲げ、官僚機構を敵視した結果、サボタージュに遭い、行政機能が麻痺した。
対「米国層」戦争:普天間基地問題で「将軍」の逆鱗に触れ、鳩山政権は崩壊した。
(党内に派閥がなければ奇妙なことが起き、党外に野党がなければ独裁に陥る)。
自民党における派閥は、疑似的な政権交代機能(自浄作用)を果たしていた。しかし、「党内無派閥」を理想とした民主党は、内部対立を調整する「封建的知恵」を持たず、内ゲバで自壊した。
民主党の敗北は、無能だったからではない。日本の「国体(システム)」に対する免疫拒絶反応だったのである。
なぜ安倍晋三(第二次政権)は、憲政史上最長の安定政権を築くことができたのか。
それは彼が、小泉流の「破壊」も民主党流の「理想」も捨て、システム構造のハッキングに成功したからだ。
彼は「三層の矛盾」を解消するのではなく、「三層すべてを掌握する」ことで、この奇妙なキメラを飼い慣らしたのである。
民主党は官僚と「闘った」が、安倍政権は官僚を「飼い慣らした」。
その決定的な武器が、2014年に設置された「内閣人事局」である。
霞が関のエリートたちの人事権を官邸が一元管理することで、官僚たちは「抵抗者」から、官邸の意向を過剰に読み取る(忖度する)「優秀な参謀」へと変質した。
これにより、明治以来の「官僚の自律性」は去勢され、行政機構は完全に安倍一強体制の手足となった。
安倍氏は、対米自立を掲げるのではなく、逆説的に「対米従属を極める」ことで政権のフリーハンドを得た。
2015年の安保法制(集団的自衛権の行使容認)は、憲法解釈の限界を突破するものであったが、これは「将軍(米国)」に対する最大の忠誠の証であった。
将軍の信任を得た大名は、国内で多少強引な振る舞いをしても、外圧によって倒されることはない。彼は「外堀」を米国に守らせることで、内政に専念したのである。
「機動的な財政出動」と称されたアベノミクスは、経済政策であると同時に、高度な「封建的再分配システム」であった。
異次元緩和によって溢れ出したマネーは、株高を演出し、企業(経団連)を潤し、公共事業を通じて地方組織(農村・建設)を潤した。
かつて小泉氏が断ち切った「カネのパイプ」を復旧させることで、派閥政治の不満を封じ込め、党内の求心力を盤石なものにした。
それは、人事権で官僚を縛り(明治)、安保で米国を縛り(米国)、カネで派閥を縛る(幕府)という、「三層の完全縫合」に成功した、極めて洗練された「復古政権」であった。
日本という「歪なリヴァイアサン」は、内部からの革命では死なない。
「党外に党なし」――強力な野党が存在しないのではなく、安倍政権が完成させたこのシステムが、野党(代替案)の存在を必要としないほど強固な「安定」を提供してしまったからである。
このキメラが倒れる時があるとすれば、それは内部崩壊ではなく、宿主である経済が死ぬか、将軍(米国)が去るか、そのどちらかであろう。
反証主義(ポパー型)で「MMTが自分で自分を検証可能にする」ために必要なのは、要するに “ルール固定(calvinball回避)”+“他理論と区別できる事前予測”+“反証条件の明文化” です。
クルーグマンが「MMTersと議論するのはカルビンボールみたいだ」と書いた、という批判はまさに「反証可能性を逃げる構造があるのでは?」という疑念で、引用される形で流通しています。
(MMT側は“学者のMMTとネット言説を混同するな”と反論しがちで、ここが定義の揺れ=calvinball問題の温床になりやすいです。)
以下、「反証主義の手法でMMTが己の証明(≒検証)をするには?」への、実務的な設計図です。
反証主義で大事なのは「どこを撃てば理論が死ぬか」を明確にすることなので、MMTは最低限:
を分離して、文書化した “MMTプロトコル” を公開するのが第一歩です。
例:MMT文献では「税が貨幣需要を支える」「赤字は民間の純金融資産になる」「国債発行は準備(当座預金)と金利管理の技術問題」などがコアとして語られます。
あなたが挙げた条件(MMTだと起こり、他では起こらない/その逆)に落とすなら、MMTに固有色が出やすい争点を選ぶのがコツです。
モズラー系MMTには「自然利子率はゼロ」や、金利引き上げが利子所得を増やし得て、結果としてインフレ圧になり得る、という発想が色濃くあります。
事前に「政策金利サプライズの引上げは、一定期間内にインフレ率を(平均して)下げない/むしろ上げる」と符号を宣言。
高頻度識別(FOMC/日銀イベント等)+ローカルプロジェクションで検証。
結果が一貫して「引上げ→インフレ低下」なら、少なくともこの命題は棄却。
MMT側には「国債は準備吸収のオペで、財源ではない」的な整理があります。
これを“国債を減らした/止めたとき、何が起きるか”に落とす。
予測:国債供給を大きく減らしても、(IOR=準備付利などで)短期金利を管理できれば、マクロの主要変数への悪影響は限定的。
対立仮説(主流派寄り):安全資産不足・担保制約・金融仲介の歪みで、クレジットスプレッドや金融不安が顕在化し得る。
検証:国債供給ショック(QEや発行構成の大変更)を使い、スプレッド・レポ市場・信用量・実体への波及を事前に“どっち向き”か宣言して当てる。
MMTの有名な主張に「Taxesdrive money(税が貨幣需要を支える)」があります。
新しい税(または納税手段の規則変更)が導入され、「その通貨でしか納税できない」制約が強まった地域・時期で、通貨受容や保有が(他条件一定で)増える、という予測を置く。
検証:差の差(DID)や合成コントロールで、通貨受容指標(預金、決済、為替プレミアム等)を追う。
結果が一貫して「税制変更が通貨需要に有意な影響を持たない」なら、この強い形の命題は修正が必要。
MMTはJGを「失業(バッファ在庫)ではなく雇用(バッファ在庫)で物価安定と完全雇用を両立」と位置づけがち。
地域パイロットで、JG導入地域と非導入地域を比較。賃金分布・離職・物価・民間賃金への波及を事前に予測。
予測に反して、JGが賃金・物価を不安定化させる/民間雇用を恒常的に圧迫する等が再現的に出れば、JGを“安定装置”とする主張は反証され得る。
calvinball批判を真正面から潰すには、これがいちばん効きます。
を「事前登録」して公開する。
これができれば、少なくとも「検証不能状態を意図的に作っている」という疑いは大幅に減ります。
理論争いが泥沼化しやすいときは*政策イベントに対する事前予測(forecast)を提出して、
で どっちが当たるかを数年単位で競うのが、実は一番フェアです。
MMT側も教科書的整理は進めていますが(例:Springerの体系的テキスト)、
「事前予測で勝ちに行く」動きは、外からは見えにくいのが現状だと思います。
反証主義でMMTが「検証に耐える理論」になる道筋はシンプルで、
この4点をセットでやることです。
※「minako」は公的肩書きのある論客というより、X上の個別支持者(アクティブな擁護アカウント)として認識されている存在です。
そのため以下は人格評価・動機断定ではなく、公開発言に見られる“言説の型と機能”の整理に限定します。
⸻
結論一文
「当事者擁護に強くコミットするが、論点整理や具体策を放棄し、感情的境界線で議論を分断する支持者型言説」
⸻
•論点整理役:❌
minakoの言説は一貫して
しています。
そのため、
•前例としての影響
⸻
• 「それはバッシング」
• 「なぜ被害者を追い詰めるのか」
• 「擁護できない人は敵」
これらは
👉 味方/敵を分けるための言葉
結果として、
•批判の質の差
⸻
プラス面
• 明確な中傷への即時反応
•批判=加害という短絡
👉 守る力はあるが、考える力を削ぐ。
⸻
minako型言説が増えると、
•擁護派:
「疑問を持つ必要はない」
•中間層:
「触れたら危険」
•批判派:
「どうせ聞かれない」
結果、
議論の中身が痩せ、
⸻
• 具体策の欠如
• 結果として議論停滞
違い
• minako:
⸻
•総評:擁護運動としては機能するが、議論としてはノイズを増やす
⸻
一言で言えば
「守るために声を上げているが、
これは悪意ではなく、
ここまで整理できているなら、次は
AI(特に生成AI)の急速な進化により、「フロントエンドエンジニアが不要になる」「仕事がなくなる」という言説は、近年非常に多く聞かれます。
結論から言うと、「単純なコーディングやボイラープレート(定型文)を書く仕事は消えるが、フロントエンドエンジニア自体は消えず、役割がより高度な領域へ変化・進化する」というのが、多くの専門家や現役エンジニアの共通認識です。
具体的な状況は以下の通りです。
AIは、従来のコーディングプロセスを劇的に変化させています。
定型業務の自動化:UIデザインからHTML/CSS/コンポーネントコード(React,Vue.jsなど)への変換はAIが非常に得意としており、人間がゼロからコードを書く必要がなくなっています。
API連携・テスト生成:API連携のパターンやテストコード、デバッグ作業もAIで効率化されている。
「Vibe Coding(フィーリングコーディング)」:曖昧な指示からアプリのプロトタイプを爆速で作れてしまうため、初期段階のフロントエンド実装がいらなくなる。
AIは「実装」を高速化しますが、「設計・判断・最適化」は依然として人間に依存します。
要件の解釈と複雑な設計:曖昧な顧客の要件から正しいUI/UXを設計し、パフォーマンスを最大化する構造を考える能力は人間にしか難しい。
10%の仕上げ(ポーリッシュ):AIが生成した90%のコードをレビューし、修正・最適化して実用化する「最後の10%」の作業は人間が担当する。
アクセシビリティ・セキュリティ:アクセシビリティの確保やセキュリティのチェック、パフォーマンスの微調整など、人間中心の細やかな対応が求められる。
AIツールの活用能力:AIを道具として使いこなし、開発速度を10倍、100倍にする「AI駆動型」エンジニアの需要が高まっている。
AI時代には、単なる「コーダー」ではなく、以下の視点を持つエンジニアが生き残ります。
フルスタック化・UI/UXへの進化:フロントエンドの知識だけでなく、バックエンドやUI/UXデザインまで理解し、ビジネス全体を見渡せる人材。
AI駆動開発の習得: CopilotやCursorなどを駆使して、開発プロセスを自動化・効率化する。
深い専門性の追求:AIには代替しづらい、Web技術の深い知識や、特定フレームワークへの高度な熟練度を高める。
つまり、AIはフロントエンドエンジニアの「敵」ではなく、「面倒な作業を奪ってくれる強力なツール」となり、人間のエンジニアはよりクリエイティブな課題解決に集中できるようになると考えられています。
CLAUDE.md や rules / skills みたいな形で、重要なコーディングルールはあらかじめかなり固めておく。
たとえば repository 層や Entity 層は具体的にどう書くのか、テストケースはどういう書き方をして、どういう観点で項目を洗い出すのか、みたいなAI への指示は最初から用意しておく。
あと、linter や ArchUnit、dependency-cruiser みたいなアーキテクチャ制約も、自分なりの定石を持っておく。
割と過剰なレベルでガチガチに固める感じで、アーキテクチャルールも「◯◯は XXX に依存できない」みたいなブラックリスト式じゃなくて、「◯◯は XXX だけに依存できる」みたいなホワイトリスト式の方が良いと思っている。
ts 前提だと eslint やtsconfig は一番厳しい水準に設定する、流石にきつい部分でてきたらそこだけ緩める、という運用
おすすめなのは、何かしらの小規模案件や個人開発アプリを1つオーバーエンジニアリング上等でガチガチ構成で作っておく。
そこで出てきた linter 設定やプロンプト設定を、別案件に横展開する感じ。
正直、ガチガチすぎるとMVP とかレベルだとコード量は増えるけど、メンテする前提の案件ならバイブコーディング時代だと普通にペイすると感じている。
アイディアを思いついたら、AI と壁打ちしながら仕様を洗い出していく。
手書きでドメイン図を書いて、それを写メ撮って画像認識で仕様整理、みたいなのも割とアリだと思っている。
どういう画面があって、どういう入力項目や表示項目が存在するか、バックエンドはどういうエンドポイントが必要か、この辺りは最初に一通り洗い出しておく。
それに加えて、ユーザーが初めてトップページを開いてから登録・ログインして実際にサービスを一通り使うまで、みたいな流れをそのまま Playwright のシナリオテストに落とせそうな形で何パターンか仕様書にしておく。
フロントエンドで、DDD における集約みたいな概念がそのまま当てはまらない領域についても、設計時点で洗い出せているなら Entity 的なものやドメインサービス的なロジック用のレイヤを作って、ドメインオブジェクトとして実装していく。
最初に作った基本設計をベースに、◯◯Entity、XXEntity、△△Entity……を作るためのプランとチェックリスト形式のTODO を 1つのmdファイルに吐き出してもらう。
フェーズごとにフォーマッタ、linter、アーキテクチャルールなど一括実行したコマンド実行させて失敗してたら成功するまで修正繰り返させる。
ある程度わかりやすい単位でAI に依頼する感じで、出来上がったコードをレビューする前提なので、実装プランのmd自体はよほど分かりやすいツッコミどころがない限り細かくレビューしない。
mdのフォーマットは skills 側で事前に用意しておく。
フロントエンド用、バックエンド用の両方でドメイン層のファイルを作る。
当然、足りないロジックは後から絶対に出てくるけど、最初から完璧は目指さない。
TODO 一覧の中から自分の認知負荷が許す単位で「チェックリストのここからここまで実装して」と指示を出し、実装が終わったらTODO 項目のチェック状態を更新してもらう、mdファイルもコミットに含める。
コミット前にはlintルールを無効化していないか、意図通りの実装になっているかはgitdiff の差分で必ず確認する。
git worktree を使うことが多い。
よくやるのはフロントエンドの画面モック作成とバックエンド実装の2並列で行う。
実装プランを考えてもらうときは「◯◯画面を実装プラン考えて」くらいの単位で依頼する。
実装プランのmdファイルを作るときのプロンプトには、基本設計の〇〇画面の項目一覧をベースに、◯◯のアイテムコンポーネント、リストコンポーネント、◯◯のボタンコンポーネント、Informationコンポーネント、外部通信用の ◯◯Gateway を実装する、◯◯コンポーネントは既に ◯◯機能で実装してあるからそれを使って、◯◯は処理が膨らみそうだからドメインサービスで実装して、みたいな感じで頭の中のふんわりしたイメージを伝える。
バックエンドも同様で、◯◯のエンドポイントを作って、Gateway がこれこれ必要だから実装して、これはインターフェースと実装分けてね、Entityへの変換処理は関数分けて、◯◯の処理は Usecase 層で、◯◯の処理はドメイン層で、Usecase が膨らみそうだから ◯◯ の処理は独立したクラスにして、あ、似たようなのが ◯◯機能にあるからそれを参考にして、くらいの粒度で指示を出す。
フロントエンドの実装を待っている間に、バックエンドのプランを考えたり、タスク粒度を調整したり、リファクタリングプランを考えたりする、またバックエンドのAI待ち時間はフロントエンドのことをする。
フロントエンドオンリーの実装とかで作業が競合するリスクあるときは並列作業しない。
チェックリスト更新が終わるごとに差分を確認して、問題なければコミットメッセージを提案してもらってコミットする。
細切れにするコストよりも、レビューする人間の認知不可が許すレベルであればある程度まとまった単位でレビューして実装速度を優先する派。
テストは、ある程度実装が進んでリファクタリングが辛くなってきたタイミングで作ることが多い。
カバレッジやミューテーションテストなど、定量的にテストを評価できる仕組みは導入する。
バックエンド側のテスト実装は正直かなり楽で、行数や認知的複雑度を厳しく制限して単一責務の原則を守って実装しておけば、AI がかなり高精度なテストを出してくれる。
これもテストファイル実装プランを作ってもらって「ここからここまでのテスト20ファイルを実装してね」をレビュー挟んで繰り返す感じ、例えばミューテーションテストのkill率100%ならそんなに詳しくは見ない。
フロントエンドはテストの定量指標での評価が難しいので、そこはその分レビューを頑張るしかない。
自分はこんな感じでやっている。
感覚としては、優秀だけどシステムのアーキテクチャ全体の責務を負ったことはない経験不足の2年目やSESの部下を扱うEMに近いのかなぁ。
周りの話を聞いていると、もっともっとAI に自律的にいろいろやらせているようにも聞こえる。
これでも 1日1人で数万行レベルはコードを書けてるので、AIない時代に比べると数ヶ月分の成果を1日とかで出してることになるが、もっと本気出せるのかなぁ。
「全機能分プラン作ってね!そこから良い感じの粒度でコミットも自分でやってね!」みたいな指示を良い感じに出せたとしても、指示がでかすぎると、脆弱性盛々になったり、lintエラーループでパニクって linterオフにし始めたり、テスト通すためにエラー握りつぶして assertTrue(true) し始めたりする。
それは流石に許容できないレベルじゃない?が紛れ込むリスクが上がりすぎるんじゃないかなぁ。と思ってるんだがどうだろうか。。。
あとツールはあんま入れてないねkiroとかspec-kitとか、ガチガチ細切れで仕様書作るメリットもあんま感じなかった。
mcpもserenaくらいしかいれてないや、トークン節約してレートリミットの猶予伸ばした方が結局開発早くなるかなって。
いろいろ入れた方がいいんだろうか。
完全にオレオレでこんな感じでやっているんだけど、みんなspec駆動開発というものをどんな感じで、具体的にどうやっているのかが知りたい。
https://x.com/IterIntellectus/status/2012220254504530043
投資家ビル・アックマン氏が呈した疑問をXにてvittorio氏が可視化、分析しています。以下は要約です。
離婚法の影響:女性が経済的に有利な形で離婚が可能に。資産分配や子どもの親権が女性寄りで、独立を促進し、政府依存を強める
福祉・政府プログラム:女性向け支援が「国家との結婚」を奨励し、より大きな政府を支持する投票行動を生む。結果、保守化しにくくなる
出産・母性の遅れ: 低出生率や遅い出産が母性による保守価値観の形成に影響。子供を持つと保守化しやすいが、現代トレンドがこれを逆行
エンゲージメント駆動:アルゴリズムが感情刺激コンテンツを優先し、エコーchamberを形成。女性は社会正義・被害ナラティブに引き込まれリベラル化、男性は攻撃性・撤退型コンテンツで保守化。
ジェンダー差の増幅:女性の社会的プレッシャー活用 vs.男性のドーパミン供給(ポルノ、ゲーム)。スマートフォン普及(2008年頃)以降、グローバルに分極加速
証拠と議論:研究でSNSの分極効果確認、世界的なジェンダーギャップと一致。X上では両性とも「捕らわれの身」との指摘多し
ー今後の影響
これら要因が相互作用し、国家肥大化や持続不可能な分断を生む可能性。構造的・アルゴリズム的両面からジェンダー分断を助長
機能追加とか特定機能の開発のときに出てくる一時的な steeringファイルみたいなのはイメージしやすいんだけどさ、
単一責務とかレイヤードアーキテクチャをちゃんと意識して実装して、
仕様書を書くとしても、tsdoc やjavadoc じゃダメなのか?
小規模ならまだしも、100万行規模のシステムで実装内容を全部自然言語に落としたドキュメントを維持するの、正直結構辛くない?
コーディング方針とか設計思想ならCLOUD.md とか skills で十分な気もするし……
半導体チップ設計に必要なオープンソースソフトウェアがなく、億単位のライセンス料を払って契約するしかない。
Cadence、Synopsysという米国企業大手でほぼ寡占。高すぎて一部の大学しか契約していない。
マニュアルも公開されていないのでネットを探しても使い方がわからない。
昔は日本語に翻訳したマニュアルが用意されていたが、今は英語と中国語だけだ。サポートに問い合わせようにも英語しかない。
ラピダスが話題になっているが、設計ソフトが米国から輸出停止になったら設計が出来なくなる。
実際、中国へは輸出停止の騒ぎがあった。(発表後、数日で撤回)
他の問題として、新しい構造やアーキテクチャの半導体を設計しようとしても、ソフトウェアが対応していないと作れない。
凄い装置が出てきてもソフトがないから設計出来ないといったことが起こる。
ソフトに対応してもらった場合、ノウハウなどがソフト会社経由で他社にも渡ることになる。
日本では、ソフトウェアエンジニアがそれなりに居るが、半導体チップ設計用のソフトウェア企業が育たなかった。
なぜだろうか。
以下、AIで調べた結果
中国本土の半導体EDAツールベンダー(2025〜2026年現在の状況に基づく)は、急速に増加しており、すでに70〜120社以上存在すると言われています。
ただし、実用レベル・商用化が進んでいる企業はその中のごく一部に限られます。
現在(2026年時点)で特に注目度・実績が高い、または市場で名前がよく挙がる主要な中国本土EDA企業を以下にまとめます。
(注:華大九天=Empyrean、芯華章=X-Epic、概倫電子=Primariusは除外して記載)
| 分野 | 代表的な企業名(中文 /英文・略称) | 主な強み・特徴 |
| デジタル検証・シミュレーション | "UniVista / 芯瞳科技 芯華章以外で注目" | 大規模デジタル検証、FPGAプロトタイプ |
| アナログ・ミックスドシグナル | "阿卡思微電子(ArcasDA) Actt(成都模拟电路)" | 形式検証ツール、比較的新しいが技術力高い |
| 射頻・マイクロ波EDA | "九同方微電子(NineCube / Jiutongfang)芯和半导体" | 完全国産RFシリーズを追求 |
| 製造・TCAD・計測系 | "东方晶源(Dongfang Jingyuan)立芯科技" | 計測・光学系、DFM関連 |
| その他全般・新興 | "芯聚能(CoreHedge)芯动时代(CoreInitium)无锡飞谱(Feipu)思尔芯(Smit / 国微思尔芯)" | プロトタイピング、FPGAエミュレーション系 |
中国本土の半導体EDAツールベンダーのうち、特に論理設計(RTL/デジタルフロントエンド)、物理設計(バックエンド)、RTLシミュレーション、エミュレータ、アサーション、フォーマル検証、低消費電力、UVM などのデジタル系・検証系に強い企業を、2026年1月現在の状況に基づいて追加でまとめます。
(前回のリストで挙げた広立微(Semitronix)、Xpeedic などは製造/テスト/DFM/RF寄りなので、ここでは主にデジタル・検証寄りの企業を優先)
| 企業名(中文 /英文・略称) | 主な強み(デジタル・検証関連) | 現状の注目度・実績 |
| 合见工软(UniVista / Hejian) | "デジタル検証全フロー(RTLシミュレーション + Formal検証 + Emulation +FPGAプロトタイピング + UVM + DFT)国産最大規模のハードウェアエミュレータ(460億ゲート対応)低消費電力対応も進展" | "★★★★★ 2025〜2026年に最も勢いあり。デジタル大チップ検証で200社超の実績。無料トライアル開放で急拡大中" |
| 芯华章(X-Epic / Chipstart) | "高性能RTLシミュレータ(GalaxSim)フォーマル検証(GalaxFV)エミュレーション・インテリジェント検証 UVM/アサーション対応強化" | "★★★★☆AI駆動検証で差別化。2025年に大規模プロセッサ実績多数" |
| 国微思尔芯(S2C /StateMicro S2C) | "FPGAベース高速プロトタイピングエミュレーション系最強クラス 大規模SoC検証" | "★★★★グローバル500社超顧客。デジタルフロントエンド検証の定番" |
| 若贝电子(Robei) | "可視化ベースのデジタルフロントエンド(RTL設計・シミュレーション)Verilog対応・自動コード生成" | "★★★教育・中小規模設計向け強いが、実商用大規模チップでも採用例増加" |
| 鸿芯微纳(Hongxin Weina) | デジタルIC全フロー(論理・物理設計含む)を目指す | "★★★国産デジタルプラットフォーム構築中。進捗速い" |
合见工软(UniVista) がデジタル検証全フローで頭一つ抜けている状況(特にエミュレーション容量・フォーマル・UVMの統合力が突出)。アメリカ禁輸強化後の2025年後半から急加速。
芯华章 はAI×検証(特にフォーマル・アサーション自動生成)で差別化。
物理設計はまだ華大九天 がリードするものの、完全な国産デジタルバックエンドは2026年時点でもまだ不足気味(一部ツールは強いが全フロー統合は課題)。
全体として、2026〜2027年 に上記企業がさらに合併・買収を加速させ、「中国版Synopsys/Cadence」の原型が出てくる可能性が非常に高い。
アナルプラグ、エネマグラ(前立腺マッサージ系)その他様々な性玩具を爆買いして楽しんだ
色々と気付きがあったので情報共有を図りたい。
大中小サイズ展開している製品があるが、3D-CADでスケーリングしているだけでお話にならない。
前立腺責めを意図しているはずなのに単純にサイズを変えるだけでは前立腺に届かない。
足部分と角度も調整しなきゃ前立腺には届かない。入れてみりゃわかるだろうに
サイズを選択するのは体の大小ではなくアナルの開発具合に依存するのであり前立腺の場所は変わらんのです。
エネマグラ系、本体とつるを分離できるようにしてくれ。収納に邪魔。
チャチな作りで分離すると飲み込みリスクがあるので難しいのはわかるが。
俺は自分でケースを作っている、適度なサイズのケースにスポンジを型抜きして自作している。面倒くさい、うんちくさい
おしゃれなケース付きの製品を作ってくれ。
業界共通のBluetoothプロファイルを策定し共通化しろ。
そうすればアプリは有志が勝手に作ってくれる。いがみ合うな、穴よくしろ、ちがう仲良くしろ。
おもちゃが増えると捨てるのに困る。まぁ俺クラスになると普通に捨てるが。
【雑感】
これまで尿道拡張には興味が無く、ブジーは6mm、7mmを使っていた。
しかし貞操具付属のブジーは最低でも8mm、怖い、1mmはデカいのだ。
しかし勇気を出して使ってみたところ意外とすんなり飲み込んだ。
被虐感と拘束感がエグい。気に入った。
一般的に30cmほどあり無駄に長い。前立腺に到達すれば十分なので15cmにカットし、飲み込み防止の終端処理をして使っている
かつ、前立腺責めの短め製品もあるがなぜかどれも先端が細い、末端が太い。アホかと、逆だバカ
先端太め、道中細めが正解である。そのような構造の製品は皆無である。自分のチンコに入れてみりゃわかるだろう
金属製にはそのようなデザインの製品が多いが、シリコン製では皆無である。
わかってない。ぜんぜんわかってない
筆が乗ってきたので貞操関連についても書く
俺はカジュアルな貞操具も重厚な貞操帯もどちらも好きだが、いずれの製品も竿に長しペニスに短しである。
結局俺は自作した。
既製品の改造ではなくフルスクラッチで貞操帯を自作した。自分の体に合わせて自分好みにセッティングしたのだから不満は無いのだが。
機械に犯されたい。
既製品に振動系があるがちっとも前立腺を刺激しない。ダメ、ぜんぜんダメ
振動じゃなくて突かなきゃダメ。駆動距離は5mm程度で良い。何センチも動く必要は無い
優しくツンツンしてくれれば良いのだ
トルクは不要(潤滑ゼリーと体液でツルツル)なので小型ステッピングモーターのダイレクト駆動で良いのではないか。
ぜひ作ってほしい
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20260106184523# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaVzavAAKCRBwMdsubs4+SNpeAQCND4NNu0p/UNPXbb5bhmei32h/13DuXlYrvEj7b2PiSAD/V2tQZO9VzZmc+RK2QaCXUN7/0xOsoeZ8G8LWpc69SgA==3PsE-----ENDPGP SIGNATURE-----
未来予測すると人類も地球もそろそろサ終するような気がしてならないんだけど、みんな何の希望を持って楽しく生きてるんだろう。考えないことにして日々やり過ごすしかないのかな。
おそらくこれから日本は運良く大企業に入れた正社員とそれ以外で格差は拡大していき実質ゲーテッドコミュニティになる未来しか見えない。
人口ピラミッドから社会保障費は上げざるを得ない(下げます、なんて切り替えはこの国では外圧がかからない限り不可能なのは歴史が証明してる)。AI利用で電気もアホほど使われるし気候変動として温度は上がり続ける。資本主義が拡大し続けることでしか人間は駆動し得ない。
東京が最も格差拡大するだろうけど、地方からの人口流入は止まらず治安も悪くなる。そう考えると首都圏でハッピーそうに暮らしていると通り魔に刺される気がしてるから地味に小市民として暮らしておかないと危ないよあと思うのは不安症が過ぎるのかしら。
他の人がつくったまとめを読むのが好きなので、俺もならって書く。
※2025年に読んだ上位10冊だと、必ずしも2025年(もしくは前年末)に出版されたものに限らない。極端な例として、英文学の傑作とされる『闇の奥』とか出てくる。1902年版。
そこで、1年以内に刊行されたものだけでも10冊以上になるようにした。+αはその意。
有性生殖の壮大な歴史を概観する、いわゆるビッグヒストリーもの。
ぱっと見ではちょっと下世話なタイトル。しかし、20億年というバカでかい数字も含まれているとおり、読み始めるとビッグバンの話から始まって、地球が天体レベルで迎えてきた過去の大絶滅のイベントが進化に与えた影響について紹介するなど、大変にスケールが大きい&しっかり科学的な本。
作中では、まず物質から命が生まれ、単細胞から多細胞になり、性別を持ち…という流れが、生物史のイチから描かれる。やがて、多細胞生物は進化とともに性的役割分担を生じ、その中の一種であるホモサピエンスは狩猟採集から農耕に移行する中で複雑な社会を形成するようになり、階層が生まれ、新しい社会で性別は役割や職業だけでなく差別とも切り離せなくなり、そして現代では? というところまで総観される。
後半の主役はどうしても人類になるけど、一方で、人間とて有性生物の一種に過ぎず、我々の社会も「生物がつくりうる群れのパターンの一つ」でしかない、という視点が体感できるのが、この本の良さ。いわゆる文系でも読める。そこそこ厚めの科学系ノンフィクションがいける人はぜひ。ちなみにオチの一文がシャレている。
まったく余談だけど、本作は集英社刊行。この手のジャンルは早川や河出、みすずあたりが強いイメージがあるので意外だった。
俺は小さめの青虫なら手で触れるぐらい虫が好きで、知識もそれなりにあるつもりだけど、それでもどのページを開いても「ほお~」と嘆息してしまうぐらい情報が豊か。この本も、地球というのが生命の壮大な実験場で、長い歴史の中で膨大な選別と滅亡を繰り返している世界であり、いま生きているやつはみんな、構造の複雑さや大きさに関係なく、各自の戦略でもって何かしらの頂点、キングであることがわかる一冊。
見入ってしまう理由はもう一つあって、写真が本当に美しい。昆虫嫌いはどのページを開いても卒倒すると思うけど、うっかり手にとって目覚めてほしい気持ちもある…。
イスラエルのIT企業が制作・販売し、やがて各国要人のスマートフォンに忍び込むことになったスパイウェアをめぐるノンフィクション(←重要)。
作品としていくつかの側面があり、「テクノロジーの悪用を追求する社会派ノンフィクション」「追うものと追われるものの駆け引きを描いたサスペンス」「一つの大きなプロジェクトを、組織横断で運営する困難を描いた仕事もの」として読める。
俺は、どんな技術でも基本的にそれ自体には善い悪いはないと思っている。実際、優秀な若者だったイスラエルの起業家たちがペガサスを立ち上げたエピソードは、そこだけ読めば、ほかのビッグテックの成功譚の導入と変わらない。
ただ、巨大な力の行使を自主的に規制せず、金を払えるところならどこでも売る、という条件だけで市場に開放すれば、やがて歯止めが利かなくなる…というか、大きなクライアントから契約を得ること以外の指標がはじめから存在しないため、ブレーキのかかりようがなく、最後はろくなことにならない、ということがよくわかる。
いわゆるマルチバースについて、いくつかの可能性を科学的に整理した本。
俺のような文系にはややハードだったが、逆に言えば、宇宙物理学(ビッグバンとか、観測できる宇宙の果て)や量子力学について、ぼんやりとでもイメージができれば、なんとなく理解しつつ読める。
この本、何が素晴らしいかというと、一般的にひとくくりにされがちなマルチバースという概念について、いくつか種類があるということを整理してくれるところ。
俺は宇宙物理とか量子力学の本をたまに読み、その中でいわゆる多世界解釈についても目にするので、「いろいろと読んだけど、こんな本が意外とマジでなかったな~」と感動している。
例えば、ある宇宙における一つの文明から物理的に到達しうる距離の限界を仮定して、その範囲を超えたところに別の文明や星が存在するなら、それはある意味でマルチバース。もちろん、まったく別の宇宙が別次元に複数存在してもマルチバース。
一方、超ミクロにも視点を移して、量子のゆらぎが世界の一つの可能性に収束するのではなく、複数の世界に分岐していくのだ、と主張するなら、それもマルチバース。
要するに、「マルチバース」という言葉の意味自体がマルチなのだが、そのことをかみ砕いてくれる本というのが実は貴重。これ系好きな人はおすすめ。次の本を読む上での下地にもなるかも。
アテンションエコノミーによって駆動している現代のデジタルプラットフォーム・SNSとの付き合い方について、作者が専門家と交わした議論をまとめた対談集。
アテンションエコノミーとは、ざっくり言って、ユーザーの注意関心を定量化し、それを指標としてコンテンツや運営方針を決めていくスタンスのこと。これを重視しすぎるあまり、商環境におけるモラルが二の次になってしまう、という問題がとっかかりなのだが、本作のすごさは、そこから人間の認知構造まで踏み込み、「そもそも、人が自由に自立して何かを消費するとは?」まで進むラディカルさにある。
例えば、人間の認知というのは迅速にorゆっくり判断する、という二つの軸を持ち、同時に、無意識にor意識して評価する、という二つの層を持っている、という点が説明される。そして、アテンションエコノミーというのは「迅速&無意識」の部分を攻撃しているため、やっかいであるとされる。
攻撃と表現したとおり、本作においてアテンションエコノミーとは、(全面的に悪とは言えないまでも)人類最高峰の知能を持つ人たちが、一秒でも長く少しでも多い反応をユーザーから引き起こすために仕掛けてくるハッキング行為でもある、というスタンスをとっている。
ここでジレンマ、というタイトルにつながってくる。俺たちが社会全体でアテンションエコノミーとの付き合い方を学ぶとしたら、有効な方法の一つは、教育を通じて学習することである。ただ、学んで育つとは、基本的に人間の本来の強さ・賢さを信じ、それを伸ばそうとするものであるため、「俺達は根本的に抗いようのない領域を抱えており、そこをハッキングされるとひとたまりもない」という弱さの認識とは食い合わせがあまりよくなく、手段の確立に苦労している(書いていて思ったが、性教育や薬物の危険さを学ぶことの難しさも同じかもしれない)。
今後、どうしたらいいかは探っていくしかないよね、という感じだが、一つ面白かったのは、デジタル技術は基本的に、自主的な決定と自己責任を重んじる、いわゆるリバタリアン的な価値観によって推進されることが多いが、その行く末が「ユーザーにそもそも判断させる余地を与えない無意識下の攻撃」に成り下がってるのでは? という指摘は、皮肉でかなり響いた。
ジレンマをもう一つ。利益面で言えば、プラットフォーマーにとっては無思考に時間とお金を費やしてくれるユーザーが一番ありがたいわけだが、消費者もそこまでお人よしではない。「全然自由度が低いっていうか、なんかナメられてね?」と思うこともある。
そこで、「じゃあ自分好みにいろいろ選べるように協力しましょう」という良心的な運営もあるだろうが、「ユーザーが自分で自由に選べた、という感覚さえ演出できれば、実態は別でもかまわない」という方向に進んでしまう運営も現れうる。いまやテックジャイアントの在り方とは、消費者の自主性を尊重している姿勢を見せつつ、いかに自分たちの利益に誘導できるか、その妥協点の模索に陥っているのでは(そもそもの理念はそんなじゃなかったはずなのに…)という見方も紹介されており、面白かった。
本年ベスト級。下で紹介している『アルツハイマー病の一族』がなければ1位だった。
九州の農協に勤めていたあるエース営業マンの不審死を追ったドキュメンタリー。
一人の優秀なサラリーマンが、組織内にも地域にも一つの「帝国」を築き、邪魔者は排除し、しかし、最後は(おそらく)破滅した様が描かれる。
大げさな言い方をすれば、社会における悪とは何かを考えさせられる作品。主犯とされる男が周囲の人に行ったことや、横領行為は悪いに決まっている。しかし、こんなやつは罰さなくては(もう本人は亡くなっているが)、という義憤がときどき迷子になってしまうのは、「本当に彼だけが悪いのか?」、そして「そもそも、この社会はこうした『悪』を罰せられる構造になっているのか?」と思ってしまうから。
読み進めると、彼が所属していた組織もお金の流れもあまりにいい加減で、根本的に腐敗しており、システムの中心としてそれを差配していた彼の周囲に群がっていた同僚や市民も、何か妙なことが起きていることを薄々察知しながら甘い汁を吸い続けていたことがわかる。
つまりこれは、悪事と責任が彼以外にも分散しているということなのだけど、もう一つ思うのは、そもそも社会というのが、本質的に悪の所在をあいまいにし、「悪」でさえなくす、ロンダリングする仕組みなのではないか? ということである。
どういうことかというと、物事や手続というのは本来は筋道や道理があり、それらにのっとらないといけないはずなのだが、これを四角四面に処理しようとしても遠回りになるだけで何の意味もないことが往々にしてあり、そして、よく言えばそれを円滑化する、悪く言えば本筋をねじ曲げることのできる人物がどこにでもいるもので、結果としてその人のおかげで、(あくまで、そのコミュニティの中では)物事がうまくいく、ということがよくある。
肥大化&形骸化したナンセンスな仕組みなら見直せばいいのだが、組織にそんな向上心もリソースもなく、それでも体裁を取り繕わないといけないとき、それを(自分の利益とブレンドしつつ)調整する役目を負う者が求められ、必然的に出現するとしたら、その誰かを悪と断じることの意味はなんなんだろう? と思ってしまうのである。
もちろん、シンプルに悪事は悪事であるという答えはぼやかせない。
盗んだり誤魔化したり、他者をいじめたら悪いに決まっている。当然のことだ。ただ、システムを悪用して悪事の限りを尽くすやつと、有能ゆえに組織の悪徳を背負わされて破滅するやつが、同じ人物ということもあり得るよな、とは思う。
19世紀のコンゴを舞台に、西洋文明による資源と労働力の搾取を描いたジョゼフ・コンラッドの小説。1902年刊行。
ホラー作家である平山夢明の短編『すまじき熱帯』がまず面白かったのがあり、その元ネタがたぶん、フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』であって、その原作が『闇の奥』…という紆余曲折あって手に取った。
例えば気まぐれに古典を読むと「名作ってやっぱすげえ」と思うことが多く、実はこれは意外ではなくていまの俺たちの価値観や言葉の下地になっているものである以上、それなりに当たり前のことなのだが、はじめて読んだ『闇の奥』も例に漏れず強烈だった。
基本的にこの作品は、西洋によるアフリカの搾取、強制された苦役と恥辱の物語として読まれている。有名なセリフである「地獄だ!地獄だ!(the horror!)」も、まずこの視点から解釈するべきで、それは先進国に必須の認識だと思う。ちなみに、 セリフを発したのは現地で開発を差配していて発狂してしまったクルツという西洋人。
一方で、個人的な印象としては、クルツにある種の英雄性を感じてしまったのだった。
暗黒大陸とも形容される当時のアフリカの奥地に、「文明の担い手」として一人で立ち向かった人間。「闇」と「文明」が接する最前線で彼が発した「地獄だ!」といううわ言は、その言葉自体が、未知の世界から切り出されて西洋側に持ち込まれた(負の)成果物であると思う。『対馬の海に沈む』でも思ったが、俺は腐敗した組織の一員である誰かが役目に邁進し、自身の欲望と背負った責務の中で破滅するナルシシズムが好きなんだろう。
もちろん、コンゴの側から見れば、勝手にやってきた侵略者の一人が勝手におかしくなって破滅しただけであり、そこにヒロイズムを感じるのは先進国の大変な欺瞞だと思う。加害と被害の歴史は前提として理解しないといけないし、意見を発するうえでバランスは気にかける必要があるのだが、↑のような感想を抱いてしまった。
余談だけど、今年刊行された本に『ブラッド・コバルト』というすさまじいノンフィクションがあり、同じコンゴが今度はハイテク機器に使用されるレアメタルの産出国として、ふたたび西洋社会による深刻な搾取を被っている様子が描かれている。
医師として病院に勤務する主人公。ある日、救急で運び込まれてきた心肺停止状態の患者は彼とうり二つの顔をしていて…という導入から始まるミステリー。
2025年はミステリーやホラーを中心に15冊ぐらい小説を読んだんだけど、その中でもぶっちぎりで面白かった。
※ 以下、少しネタバレ。注意
今作の優れたところは、冒頭の謎をオチまで温存することなく、あくまで読者を引き付けるためのフックとして割り切ったところだと思う。
導入部分の真相については、正直「科学的にあり得るならこうだろうな」という域を出ない。それを冷静に見越したうえで、いわばロケット(作品)を高く飛ばすための燃料として中盤で切り離し、さらに高い地点への加速と突破は他の要素や伏線回収で狙う、という戦略だと感じた。別作品の批判になるが、同じようなネタを武器として最終盤まで引っ張ってしまったミステリーも同じ年にあり、個人的には格が違った印象がある。
ベタな表現になるが、後半もどんでん返しが続き、飽きさせない。逆に言えば、スキャンダラスな波乱の展開をいくつ詰め込めるかを始点に逆算してつくられた感じはある。これを品がないと思う人もいるかもしれないが、こだわりがない人は面白く読めると思う。
後半に続く。
別に生身に性欲向けたって良いだろ!
あえて推しとファンを区別するなら、推しには義務推しも含まれるって点かな
例えば箱推しって言葉あるけど、これって別に箱の所属全員推してるってわけじゃない。ただ箱推しを名乗る手前は余計なことを言わないことにしてるだけでね
そうなると義務の推し活が発生する訳で、推しとは行動に伴う定義とするのが自然
ファンは気の持ちようだけで成立するもの(そうではないこともある)だけど、
そうするとお前は性欲99%で駆動しているのならその感情を表に出す言動は(社会一般としては)不適切な訳で、推し(活動の意義)が分からないのはある種自然である。
未来予測すると人類も地球もそろそろサ終するような気がしてならないんだけど、みんな何の希望を持って楽しく生きてるんだろう。考えないことにして日々やり過ごすしかないのかな。
おそらくこれから日本は運良く大企業に入れた正社員とそれ以外で格差は拡大していき実質ゲーテッドコミュニティになる未来しか見えない。
人口ピラミッドから社会保障費は上げざるを得ない(下げます、なんて切り替えはこの国では外圧がかからない限り不可能なのは歴史が証明してる)。AI利用で電気もアホほど使われるし気候変動として温度は上がり続ける。資本主義が拡大し続けることでしか人間は駆動し得ない。
東京が最も格差拡大するだろうけど、地方からの人口流入は止まらず治安も悪くなる。そう考えると首都圏でハッピーそうに暮らしていると通り魔に刺される気がしてるから地味に小市民として暮らしておかないと危ないよあと思うのは不安症が過ぎるのかしら。