
はてなキーワード:馴れ合いとは
半分ぐらいは馴れ合いのための手段としてやってた趣味なんだが、それならもう続ける理由もないかなと。
しかも、そういった趣味を持ってると口にすればまともな交友関係は離れていくという。
昔俺はネットのオカルト板に入り浸っていたんだが、そこもすっかりキチガイばかりになってしまって離れたんだよなあ。
偶発的に上下するキチガイ濃度がある一定まで高まったあとの「まともな人は離れていき、新しく来るのもキチガイばかり」となって終わりへ向かう状態。
鉄道趣味はまだぎりぎり持ち堪えていると思っていたのだが、キチガイの質と量を鑑みるに蟻地獄のような下り坂からもう戻ってこれなそうだ。
有名人がはてなブログからnoteへ逃げていくのも「はてブをやっている」と語るのが「ギブハブしている」と語るぐらいに奇異の目に晒されるからだろうね。
さて次はどんな趣味を探そうかな。
馴れ合うのに便利そうで変な人が少なそうなのは筋トレとかかなあ。
https://x.com/yurukura0/status/1978422223170851264?s=46
これに高望みリプつくような国、もうだめでしょ
お局がいてパワハラがあって、上司が感情に任せて怒って、土日祝はどこかが出勤休みなし
→普通に生産性下がる。GDPは上がらん。こんな会社のために一生懸命働きたくないが本音。でも転職はいまだにイメージ悪いし給料下がるかも、さらにクソみたいな職場になるかもと初めの会社に居座り続ける。従業員なんて代わりがいるから使い潰してもいいと思ってるクソみたいな待遇の会社が多すぎる。一部の異常者だけが昇進のために他人蹴落とし媚を売り、永遠に続くクソみたいな負の連鎖。一生やってろ
→会社と家の往復でそれ以外の娯楽はなし。別に参加したくもない飲み会に参加させられて聞かされるのは仕事や会社の愚痴。馴れ合いの時間。生産性なし。家賃と生活費ですでにカツカツな財布の中身がさらに減り、貯金は貯まらない。プライベートの時間も金もなく生きる気力もない。恋愛とか以前に自分の生活が大変。人のことにかまけてる余裕なんてない。ただ生き残るのに必死。子供も生まれず出生率は上がらない。なのに上の世代親からは結婚しろ独身は老後が…とか言われる。夢見てんじゃねえよぶつぞ!!!!
素人と言われる事に文句がある奴は、二度と芸人のネタやギャグや言い回しや、話術などの芸人文化を真似するなよ。あとバラエティ番組なども見んなクソが。
お前らの雑談で馴れ合いの為に、様式美のようにどっかで見たことがある芸人のイジりをしていたり、糞寒い大喜利をしはじめたり、陰で芸人崩れのような事してるくせに「素人」じゃねえと?
お前らのそのずっと滑り続けてる馴れ合いで、芸人のネタの価値が下がる。
大阪人の方がまだ一般人ながらお笑いにプロ意識あるわ。お前らは大阪人のアマチュアや一般人の足元にも及ばない。
その癖に、AVになると「素人の女」に喜んで反応するんだろ?アホ過ぎるだろ。横田基地とか沖縄行って夜にアメリカ軍人にレイプされてろよ。
とりあえず5chに抵抗なさそうなのでもし投資ネタに興味があるなら「株式」板の「米国株をやっている人の溜まり場」スレを勧めておこう
現時点でPart8000超え、1日で5スレくらいは埋まる人の多さ、投資全般や政治経済ニュースから飯風俗嫁子供趣味の話まで守備範囲
ラーメンや外食自炊の話は日常的に飛び交ってるし土日や平日昼(米国株市場は夜22:30に開く)ならスレの1/10くらい飯の話してる
特に市場の開かない土日なんてマジでおっさんが馴れ合ってるだけの雑談スレ
多くの住民がそれなりに金持ち(資産1000万でクソ雑魚レベル)なのでその辺のネットコミュニティや5chの中でも段違いに民度が高い
難点はその住民の性質を担保するためでもあるIP表示かな俺は気にしないけど、あとコテ(名無しでない固定ハンドル)やその馴れ合いがウザいかもしれん
最近自分のネット上の居場所がなくなってきたので、改めて適当に整理してみる
他によさそうなとこあったら教えて
うーん、やっぱりなんか気軽にすぐ反応くるところが嬉しいよね。馴れ合い最高。
ただ平和系がいいのか過激系がいいのか自分でもよくわかってない。
あああああ
昔は書き込んでたけどね、ここはやっぱりレベル高いから相当面白い書き込みしないと返事こないイメージ
匿名って過激な発言できる分、みんなが求めている刺激も高いんだよね~。だからもうここはいいかな
機種変更したときにchmateで板を登録する作業が面倒でみなくなった
全然みてなかったけど、居場所探しに今日から見てる。匿名コメとブックマークコメントどっちを使えばいいのか探ってる
文章力ある人が匿名でも記事かいていっぱい反応もらえてうらやまーと思ってちょっとだけ始めてみた。
多分このブログ書くのはわいは無理(文字うってる途中で疲れてきた)
日本語コミュニティ一応ある、だいぶ平和だけど過疎ってるの広告が投稿と同化してるのが嫌
みないからよく分からないけど、丁寧な印象。ちょっとハードル高い
X長いことやってるけどやっぱり慣れない。発言の責任が重いのと、2chのスレッドみたいにジャンルに集まる感じじゃなくて完全に個の発言って感じが合わないのかな?
地域のグループみたいのになじめたけど、一回仲良くなるとなんかこう、適当なことがしゃべりづらくなってあんま見てない
ゲーム系の入ってみるはいいけど結局コミュニティになじめずおわる
ラーメン食べたいってコメントしたら食べたいねって返ってくるような軽さと暖かさがあるコミュニティがいいなって思ったけど、それってもう恋人とかそういうレベルじゃねって気付いたので探し方から間違ってた
自民党が立憲民主党の国会対策委員長に巨額の資金供与をするのは、国会の円滑な運営を確保するためです。
自民党と社会党により構築された55年体制は、自民党が長期政権を維持し、社会党が野党第一党として定着するという構図でした。立憲民主党発足後、55年体制は表向き解消されたことになっていますが、引き続き維持されています。自民党は国会運営を安定させるため、立憲民主党との間で水面下での調整や妥協を行う必要があります。この「馴れ合い」の仕組みを円滑に進めるための手段として、自民党は国会審議を停滞させないように、立憲民主党の国対委員長に「餅代」と呼ばれる政治資金を提供していました。これらは立憲民主党の裏金になっています。
立憲民主党の国対費は自民党と比べて潤沢ではありません。この資金供与は、立憲民主党の国会対策にかかる費用を補填する目的もあったと考えられています。
石破政権は、資金供与をすることで、野党第一党である立憲民主党の協力を得ることで、長期にわたる安定した政権運営と国会審議を可能としていました。
明らかに老害の戯言であることは自覚しているんだけど、マジで今のVtuberという存在そのものが許せない
許せない点は主に2つ
① ただの2次元アバターを被った人間であるにも関わらず、2次元キャラクター面しているところ
②(あくまで推測だが)出せるほど良い顔面がないか、話のつまらなさといった人間的不足を1つ目の理由で踏み倒しているところ
① ただの2次元アバターを被った人間であるにも関わらず、2次元キャラクター面しているところ
Vtuber以前の「2次元のキャラクター」は、絵を描く方々、声優の方,ライターの方、ここでは省かせて頂くが他にも広報の方など、様々なプロフェッショナルの仕事の最終成果物であった。現実に存在しないキャラクターを、2次元世界あるいはここでない世界に存在させるために行われた祈りの結実に他ならない。手がけた人々が「存在してほしい」という気持ちと手間を出し合い、そこに確かに「いる」ように、ゲームで、文章で、マンガで、アニメで表現されたのが「キャラクター」であった。
初音ミクがモニターからこちらを覗いてくるイラストを見て心躍らせたあの感覚だ。ああ、彼女/彼は「いる」のだ。こっちを見ている!
初期のキズナアイはこの思想に近かったはずだ。キャラクターが「出てきて、話ができる!」この嬉しさは筆舌に尽くし難い。ここではまだ声優さんがいて、キャラクターを存在させるためのチームがあり、その成果物であった。こんなタイトルで記事を書いてはいるが、輝夜月とか普通に楽しく見ていた。キャラクターがYouTubeやってるぞ!みたいな感じで。
しかしいつからVtuberの定義は変わり、ただ二次元アバターを被った人間になってしまった。普通に実写の画像をアップするし、この現実の人間の生活について話す。こいつらが初めから配信者ないし動画投稿者として「人間の代理」のためにアバターを着ていたのなら、ここまで憎くはならない。しかし実際は「設定付きのキャラクター」として出てくる。でもやってることは普通の、現実に生きている配信者だ。役を演じるのも適当だし、何なら視聴者には役が解れた瞬間が歓迎される。おそらく現実でも「私は(Vとしての名前)です」と発言できるだろう。これは明らかにキャラクターではない。人だ。これが限りなく許せない。中村繪里子さんが「天海春香役の〜」じゃなくて「私は天海春香です」って言ったらはあ?ってなるだろ。絶対言わないけど。人間がキャラクター面するんじゃねえ。現実に存在してんだからよ
そして今までプロフェッショナルが積み上げた、「キャラクター」は「いる」んだ、という認知が、人間のエグみ消しに使われているのも本当に許せない。特に女Vに顕著だと思うが、話は全く面白くない上に甲高い声でギャーギャー言う人間が人気なのは、明らかに今までの「美少女キャラクター」の認知が流用されている。それ現実にいて可愛いかどうかは顔によるだろ。
芸能界でもそうだが、顔を公開すると美醜は絶対に話題にされる。ネットで話題にされる対象は女が多い。スプラで公式大会に出た女性プレイヤーが、顔の話だけめちゃくちゃコメントされてしんどかった話を書いてたのも印象的だ。ゲームが上手くてそこにいるのに、女の顔は批評せずにいられない。しかしここでVTuberになれば顔云々という要素はスキップでき、プロの書いた「可愛いキャラクター」ですよという体で現実の性格に難があっても今までの「美少女キャラクター」のイメージ貯金を消費して許しを得る。お前ら本当にそのアバター無くてもその人格推すのか?と言いたくなることが多すぎる。それは美少女キャラクターじゃない、人だよ。
声優ライブが見れないタイプのオタクと言えばそこまでなんだが、最近はゲームしてたら嫌でも目に入るようになってきて本当に耐え難くなってきた。こいつらが入ってくると、ゲーム本体じゃなく人間の馴れ合いに焦点が当たるのがマジできつい。人じゃん。普通の声でちゃんと喋れや。キャラクターですらない。初音ミクが「いる」と感じたあの喜びを返してくれ
(実在感といえば最近は学マスの篠沢広が素晴らしかった。ストーリー、キャラクター、曲やMV等、ものすごいプロの技で実現されている。おすすめ。)
需要があるから存在しているのも、キモオタの鳴き声というのもわかっており、誰かに何かをして欲しいわけではないが、吐き出さずにはいられなかった。
アニメキャラによるカバーソングの傑作を知りたくなった の続きです。
オマイラから教わったカバーソング系アニソンを一通り聞いたので、感謝を伝えるためにキーボードを叩いている(訳者注:筆を執るの現代語訳だろう)。
カバーソングを聞きながら「お前らもやろうと思えば人の役に立てるのに何故日頃あんなにツンツン ケンツン ツンケンドンしているのか」と考えているとき、ふと「ありがとう」ってちゃんとお前らに伝えられてくれる奴らが少なかったせいではないかと閃いた。
書き忘れや聞けてない曲もあるだろうけどそこはごめん。俺の個人的な注意力や検索力の限界だ。
まさにこういうコンセプトについて話をしていたので多くの人から言及があり安心した。どちらもキャラの声を維持したままでカラオケ歌いしている所で評価が高い。どちらも聞いていてて「この子歌上手いんだなあ・・・そういえば俺は今どの立場で聞いてるんだ」とふとモヤモヤ出来て楽しい。
監督なりプロデューサーなりの趣味で選んだアーティストを作品全部巻き込んでカバーさせるというパワースタイルが実現する「あの曲もこの曲もあるじゃん」の豪華さよ。「ニューヨークでジョンが倒れた時も」の作品の精神性と深く関係がありそう且つ実際にはそんなでもなさそうなラインとか凄くモヤモヤする。
ブルーハーツの世紀末感溢れる歌を2015年にガールズバンド風に歌わせるという発想がいいんだよね。つうか作品の空気が年齢詐称してる感バリバリっていうか、深夜アニメ黎明期世紀末の不安定さ・見切り発車感・退廃感・ヤケクソがまざっててそれがまあ毎週のブルーハーツと合ってたんだなあ。サントラ単品で聞いても楽しめるので俺個人としてもコレはおすすめしたい。月の爆撃機が特に好きだ。
こういうのの走りって感じがある。そもそも自前で持ってる主題歌自体が女の子に歌わせる恋愛ソングとしてかなり強いと思う。定期的にカバーもされとるしなあ。
最近のアニメ詳しくないから見逃してたわ。クオリティ凄いなあこれ。キャラの息遣い自体を歌い方にミックスしてきてるのか?演技っていうかもうイタコの状態じゃん。
カバーソング使うことの強みに作品コンセプトを伝えやすくなるってのがあると思ってて、これとかまさに「この作品はこういう空気感です」ってのが分かる。あとはキャラ声でこの歌唱力なんだってことを作中ネタをバラさずに伝える機会が増やせるのもいいんだろうな。
シャフトの悪ノリ全開。元の曲が悪ノリしてるから相性がいい。パート分けさせてたり「カラオケっぽいキャラ声」なのが面白い。悪ノリなのにいい仕事してたらそれは強いよ。
素直にかわいい。ノスタルジーで優しく怪しい空気とキャラの相性がいいなあ。
全然知らんかった奴。この伸びで完全にコエンマってもう反則だろ。二次会あるあるの「伊達に長生きしてないやたら上手いオッサンいるよな」のパターンとして解釈一致感があるのもいいね。
ハマリ曲の代表みたいな奴。本当にもうピッタリなんだよね。声優じゃなくてキャラで歌わせることの意味もあるっていうか。放課後カラオケボックスで実際あのメンバーに聞かせて欲しさがある。歌も・・・歌えるんだ的な。
上手い。ぷにるの声でめっちゃ上手い。マジで上手い以外の感想がない。原曲自体の可愛さ無関係に全部可愛くなる。
何故忘れていたのか。カラオケしてますの演技が凄い奴。それが愛でしょうとCHA-LA HEAD-CHA-LAで歌い方違いすぎるのがマジでこなたなのよね。こういう奴なんだよ本当。
「転生前のこのキャラがこの曲歌いそう」×「転生後のこのキャラが抱えてる文脈と歌詞の相関性が高い」→脳内で二つの時間軸が同時に走って交じる。なんて言ったもんかな、昔何となく刺さった歌詞と似たような状況が訪れて、ふと答え合わせを受けるような瞬間、そういうのって俺らの人生でも実際あるよなっていうリアルな手触りを伴った感情移入が湧き上がる感覚?文脈乗せてくるよなあ。
原曲が垣間見せた様々な文脈がバンドのスタイルにふっとばされ純粋な「陽」の歌に。こういう組み合わせ方面白いよな。
このコンセプトでこの選曲が何もおかしくないって所で独特の位置にあるよね。今語られている懐メロも数十年後には同じ扱いだろうけどな。時代の流れは残酷やな。
原作補完として面白すぎる。孤高を失った男が馴れ合いに没していきながらもそれを自分でネタにしつつ、それを周囲が受けいれていく中で絆が深まっていくという光景の人間味が味わい深すぎるんだよな。
そんなのあったなあ。作品のテーマであるスポ根・夢・情熱が詰め込まれた歌詞がどのキャラクターの口から歌われても違和感全くないのが作品の一貫性を感じた記憶。最後には全員が同じ方向を向いたステージ・作品だったなあって気分をダメ押しするすごい合唱。
ここまでやれと誰が言ったんだろうか。こういうコンセプトのカバー繰り返してたらいつかはこういうの出てくるよなって感じ。マジで「カラオケの廊下でふと聞いてしまった」なんだわ。ある意味で不特定多数の恥部を閉じ込めている割にはドアの防音が弱い中で、ドリンクバーやトイレで普通に何度も廊下を通るようになってるんだからなんか謎の施設だよなカラオケボックスって。
「選びそう」や「歌いそう」の一つ上に「このグループ内で定番になってそう」があることを知った。四万十川の鮎を故郷の味やと言いながら食べる姿を覗き見ることでしか得られない栄養がある。
言及してなかったので追記。歌い方のちょっと無理してる感とかカラオケすぎる。サントラのフル版だと小芝居消えるけど歌い方は普通に演技しっぱなしのままフィナーレ突入するからまた違った面白さがあるな。
結論から言えば、もう自宅観戦がベストだと判断した。現地観戦は無理だった。
大好きなゲームのイベントを観に行き、走者の近くにがら空きの席があったため着席。しかし開始直前、走者の身内がわんさか押し寄せ、周囲は一気に身内席と化した。気まずさはあったが、手元をどうしても見たかったため動くことはなかった。
僕の真横に立ち見客が横に来た頃から、すえた臭いが漂い始めた。同行者は「息を止めながら観戦していた」と話した。そこまで臭うイベントだと思っていなかったので、本当に申し訳なかった。(僕が誘ったため)
さらに、身内ノリが酷かった。走者は観客と馴れ馴れしく会話し、その界隈特有のノリを展開。直前まで黙っていた人間が急に大声で騒ぎ出し、「あの鯖と同じノリだ」とはしゃいでいた。こうした内輪の盛り上がりは否定するつもりはないが、様々な人間が見ている場でやっているのはとても痛々しかった。
当初想定していたのは、例えるならばライブのように演奏者と客が過干渉しない形式だったが、実際は閉鎖的で馴れ合い色が強い空間だった。しんどさが残る観戦体験であったため今後はもう参加しないでいようと思う。
走者本人らに非はない。むしろ、走者同士で楽しげに交流している様子は健全であり、問題ではない。課題は、外野と走者の関わり方にある。過剰な距離の近さや、観客全体を巻き込むことを前提とした振る舞いが、閉鎖的で排他的な空気を強めていた。
将棋の決着って、だいたいの人は「敵の王将(または玉将)を取ったら勝ち」って思ってるじゃん?
現場の人たちをさんざん捨て駒にしておいて、肝心のトップは最後に命を取られることも無く、逃げ切る。
厳しいルールのふりをしておいて現場を損耗させ、下々に命を掛けさせておきながら、実際にはトップは責任を取らない。
一方でチェスは最初からキングを取ることはルールに無いんだよね。
逃げ道がない状態でチェックを掛けたら勝ち、というルールであり、キングの命は最後まで奪われないことが明確になっている。
完全に追い詰めたらそれ以上の攻撃はしない、命までは奪わない。
恥を知れジャップ。
物書きの方が、こういう記事を出してたのよ。
インターネットに定期的に訪れる「おもんない人しかいない時期」(2025年4月24日の日記)
https://note.com/hito_horobe/n/nb651f6571c62
なんとなくネットを眺めていると「おもんない人しかいない時期」に入っちゃったな……と感じる。ゴシップの勢いが強すぎて、みんなが不倫した人への誹謗中傷、貧乏な人にゲーム機を盗まれるという根拠のない恐れ、マイノリティの差別などに絡めたネタを披露している。なにもおもんないと思う。「おもんない」にはただ面白くないだけでなく、社会規範上許されない・人を過剰に傷つける・プライドや信念がない・美しくない、といったニュアンスが含まれているように思う。裏を返せばユーモアには一定の倫理と美学がなければならないとも言える。実際にネタツイをやっている人はそうした領域に手を出さないし、「しゅうまい君」(ユーザの発言を学習してマルコフ連鎖で繋ぎ合わせる、人気のbot)はNGワードを何年もメンテナンスし手動での削除もしているという(記事)し、カスの嘘も社会に害をなさないよう慎重にネタ作りをしているという(書籍)。ゴシップや差別のジョークは安易に人の偏見の部分を喜ばせ増幅させるのみであって、倫理と美学が欠けている。
「コミュニティの一生」は面白くない人が多数参入することで面白い人が去ってしまいコミュニティが廃れる流れを説明した有名なコピペだが、SNSでは週刊誌やスポーツ紙、変なインフルエンサーなどのおもんない主張が強力な注目を集め、おもんない人が乗っかり、一生おもんないことを言って群れていて、最初からおもんないので終わることがない。いまのところユーモアの美学はそうした流れに数で勝てていない。なんとかしてユーモアとそのセンスで悪い流れに勝てたらいいなと思う。
こうやって、面白い活動を普段からやってる人たちを見てると、「ゴシップなどの低俗なネタを面白いと思う感覚器官」が一切ないように思えるのよね。
自分、ゴシップとかは自ら拡散しないようにはしてるけど、正直こっそり見て面白がってる面がないと言ったら嘘になる。
ゴシップとはまた違う方面で言うと、この方、「アニメ画像4枚貼りアカウント」も痛烈に批判している。
なぜ「アニメ画像4枚貼りアカウント」が嫌なのか(2025年7月10日の日記)
https://note.com/hito_horobe/n/ndf600a871b9c#4e594bb9-0e8c-4e7a-8e48-da2544519b89
「タコピーに傷つけられたメンタルに良く効くアニメ」と題して、『魔法少女まどか☆マギカ』や『メイドインアビス』などのショッキングな描写のある作品をそうでないように装って紹介するツイートが人気を集めている(投稿)。知らない人が騙されてショックを受ける様子を想像してみんなでニヤニヤするというしょうもない馴れ合い。しかもいずれも人気作なので実際に騙される可能性はほぼない。「人を騙してショックを与えるユーモア」のためにそういうアニメを列挙するというのは消費態度としてもダサすぎる。4枚貼りアカウントたちはこういうしょうもないユーモアを一生やっている。つまらないユーモア自体に直接の罪はないが、同じようなつまらないユーモアがレコメンドで何度も流れてくるので気が狂いそうになる。
自分も、こういうのが、「多分「ちゃんとしてる人」からはつまらないものなんだろうな」って思うのは分かる。わかるんだけど、でも純粋に面白いなって思っちゃう自分もいる。
こうやって振り返ると、自分は、「つまらないとされるものはつまらないと知っておく。それで、拡散はしない」っていう態度なんだけど、この方とかは「こんなん言われなくてもつまんないじゃん」という感じなのではと思う。
そうやって、「そもそもこういうのを最初からつまらないと思える感覚」を身に着ける方法を知りたい。不謹慎ネタも、アニメの表層をなぞるのも、面白いという感覚器官が自分の中に備わってしまっている。