
はてなキーワード:餓鬼とは
バス切符売り場で長距離路線の時刻表をもらって検討。遠くに行きたい気分。
20分ほど悩んでしばらく訪れてない長崎をチョイス。
10分後に出発の便があった。高速りんどう号
乗った、走り出した。
沢山お客さんを乗せたいのだろうか、市内をぐるっと回ってから高速道路に入るコースのようだ。
桜町バスターミナルを出発してから高速道路に入るまで50分かかった。
アホかと。
さらにエアコン吹き出し口がクソで冷風が腹に当たる。頭を冷やしたいのにどう調整しても頭上に風は来ない。
非常に不愉快、二度と乗らない。
日差しが強いのですべてのカーテンが閉じられており車窓もクソも無い。ただ移動するのみ、不愉快だ、二度と乗らない。
暑い。
演説している人と聴衆の間に30mほどのDMZが設けられておりワロタ。
面白いので歩道橋から写真を撮っていたら警察官が飛んできてさっさと移動せよと指示された。
撃たれるの怖かったら政治家なんかするなよ、悪いことするなよ、と思った。
とりあえず腹ごしらえをしようと中華街に移動。
赤字垂れ流しで毎月事故を起こしてる熊本の200円路面電車とは大違い。
連休の昼間なのに。なんで?
歩くのダルいので近くの銀だこに入る。たこ焼き食ってハイボールの飲む。あぁ幸せ。
観光地のドミトリーは女性専用が多いが予約できたので良いのだろう。
たこ焼きを食い終わり宿に向かう。徒歩5分。汗だく。
古びた雑居ビル、本来は女性専用なのだそうだが近々に男女共用のスペースを増設予定でリフォームはほぼ終わっているのでそこを独り占めでお使いくださいとのことだった。最高。
テキトーな店に入ろうと考えていたがグッと来る店がなかった。そのままドミトリーに戻る。近くに飲食店があったので入る。
超ビミョー。ワインにこだわりがあるようだが店内が雑然としており清掃も行き届いてない。
料理もさほどうまくない。まずくはないが旨くもない。まぁ二度と行かないからどうでもいいんだけどね。
ともかく宿に戻りシャワーを浴びて寝る。
朝、ドミトリーの共有スペースでコーヒーを頂き出発、暑いのでさっさと熊本に戻る。もはや観光はどうでもいい。
さてどうやって帰ろうか、バスは二度と乗らん。
GoogleMapでは長崎半島と天草の海上に線が引いてる。つまりなんらか公共交通機関があるということで調べるとフェリーがあるようだ。
長崎の茂木港から天草の富岡港まで定期便がある。よしこれにしよう。
長崎はバス網が充実している、公共交通機関が死んでるクソ熊本とは大違いである。
長崎市内から長崎半島を横断し茂木港までの路線バスがある、85号線。乗る。
これが良かった。
長崎は平地が希少で独特の地形で都市が発展しており、山肌斜面を限界まで活用した都市構造になっており、ここを縫って走る路線であり、長崎の人は見慣れた光景かもしれないが日本国内ではなかなか見られない町並みであり、85号線はこれが堪能できる。
なんやかや街を抜け、森を抜け、山を登り、山を下り、茂木港到着。運賃は300円くらいだったと思う、これ価値あるわ。人生で一度は乗ってみるべき路線バス第一位確定。
だがバスは茂木港まで行ってくれない。バス停はあるのだが朝夕の数便だけ茂木港に寄ってくれるがその他の便は手前の町中が終点で降ろされる。
バス停から茂木港まで徒歩7分、暑い、だるい。バスもうちょっと頑張れよと思ったが茂木港に着いてわかった。
連休中なのに観光客はひとりも居ない、てか客がほとんど居ない。
だが、フェリーというか、小型船というか、車一台も乗らない船だが、これが良かった。穴場中の穴場。
10:20。定刻出発。乗客7人。高速艇なので風が気持ち良い。海面が近く運が良ければイルカとか見れちゃうんじゃないか。しらんけど。ともかく景色は最高。
富岡城が見える、ギリ歩いていける距離だが、暑いので断念。港周囲を散策、なにもない。バスは小一時間来ない。待つ。待つしか無い。
苓北町の町中、狭い路地を走る、寂れた街、乗客は俺だけ。山中の秘境とはまた別の秘境感がある。
しばらくすると国道に出る、海岸沿いを走る、美しい景色。いい。全般的に良い。
マイクロバスはどんどん走る、途中客が乗ってくる。つても6人だが。
ここが天草の交通の要所。ここから天草のどこにでも行ける。素晴らしい。
ここから熊本市内までバスで一本。だが2時間に一本しか走っておらず、次の便は1時間後。
バス案内所でちゃんぽんの店を教えてもらう、長崎で食えなかったので天草でも良かろう、似たようなもんだ。
バスセンターの裏にシェアサイクルがあり5分で行ける距離、行く。
店内は芸能人だかスポーツ選手だかの色紙がずらりと、有名な店らしい。
正確にはメニューにはちゃんぽんと名乗っておらずラーメンなのだが、これほぼちゃんぽんじゃんってラーメンだった。美味しかった。
うまけりゃ名称はなんでもいいです。
しかし後日(てか翌日)TVerで知ったのだけどバスセンター近くに稲垣吾郎が感動した寿司屋があるらしい。
あーんそっち行きたかったなぁ、稲垣吾郎なんか好きなんだよね。
ともかくラーメンを食い、まだ時間があり、自転車で天草市内をぐるっと散策。
アーケードがあり、街興し的なイベントやってた。子どもたちが踊ってた。興味なし。
エアコン吹き出し口はベストでグッドな位置と角度で程よく体全体を包み込むように優しく冷やしてくれる、さすが三菱。
快適なバス、運良く通称バカ席(一番前の左側の席)をゲットできたのも僥倖。眺め最高。
そのままバスで熊本市内まで戻っても良いのだが面白くないので途中の三角駅でJRに乗り換え。
16時9分発があるのだがバスが観光渋滞遅延し15時半着の予定が16時2分に駅に到着。ギリセーフ。
ちなみにその次は特別特急(「A列車でいっこう」)で予約いっぱい。その次は1時間後。
ちなみに三角線は電化されておらずディーゼルなので念の為列車と書いている。
ちなみに三角と書いて「さんかく」じゃなくて「みすみ」な。
場当たり的に移動しているようだがただ無計画に行動しているだけ。日本国内ならどうにでもなる。
昔、フィリピンのバタンガス港を散歩していたら観光船みたいなのがあったのでテキトーに乗ったら二時間走ってプエルトガレラまで連れて行かれ
その日の戻りの便はもう無いよ、ってなことがあって、着替えもなにも持ってなかったが近所のテキトーなホテルに泊まって翌日帰ってきたが、現代はクレカ一枚持ってりゃどうにかなるのだ。
だがその時はバンガロー向かいの小屋のバルコニーで白人どもが美味しそうな乾燥させた草の煙を吸っていたが俺は手持ちキャッシュが無かったので手に入れることができず悔しかった思い出。まぁちょっとした散歩でも年齢かける千円程度のキャッシュはポケットに入れておけってこった。
閑話休題、三角線、実はこの路線は数ヶ月前に乗ったことがある。
前回、三角駅から少し遠いが三角西港がありちょっとした観光地になっていて、割と良い。
海岸沿いにレストランがありここの天丼はすこぶるガチ美味しいので人生で一度は食べておいた方が良い。
ちなみに三角駅にはレンタルスクーターがあり事前予約もできる、これを使うと良い。路線バスもあるが使い勝手が悪い、てかぜんぜん走ってない。
パパ3人、ガキ6人、下は幼稚園から上は小学2,3年。みたいな集団。
喋り方からして地元の人間。餓鬼全員おおはしゃぎ、海が見えると全員で「うーみーわーひろいなー」大合唱。
バカ親まったく静止せず、やりたい放題。
親は風体から推察するに土建か団体職員、品性のかけらもない田舎バカのテンプレ。
子どもは育てられたようにしか育たない、バカに育てられたらバカになるだけだ。だが子どもの責任ではない。可哀想に。
対照的に近くのボックス席の中国人観光客の親子は静かで上品だった。持ち物からしてそこそこの富裕層だろうが。
はぁ情けない。
楽しかった。
Permalink |記事への反応(10) | 17:12
https://anond.hatelabo.jp/20250628113111
今は昔、東の辺に、智を以て世を動かすと驕りし人の群れ、ましましけり。
彼ら、幼くして器に触れ、銀の鏡のごとくなる盤を覗き、日毎夜毎に言の葉を記して、箱の中に力ありと信じきりけり。己が行ふ業(わざ)をば、「技術(ぎじゅつ)」と称し、「えんじにあ」と名乗りて、ただ人の上に立たんことのみ願ひつづけしが――
心は空なり、業は浅し、行ひは卑しければ、技の道に在りて道を知らぬ者とぞ、世に伝はりける。
或る時、ひとりの放言の徒、これを見咎めて、声を上げて嘆きける。
曰く――
「そもそも汝ら、えんじにあなどとは名のみなり。信仰の徒にして、盲目の狂者(きょうじゃ)に等しきものなり。そは即ち、ITかるとなるぞ。」
これを聞きし者ども、我先にと怒号し、「そは使ひ方が違ふ」「汝、分かつておらぬ」などと囀り、口を極めて罵ること、まことに雑輩の蛙の鳴き声のごとし。
しかれどもその叫び、理を持たず、実を欠きて、ただ己が羞を覆はんとする粉飾に過ぎざりけり。
さらに曰く――
「そなたらが『リアリティに欠く』などと口にすとき、その実、己が現実に向き合ふ勇気なきを言ふに等し。いはく『怪獣など出でぬ方がよし』と。そはまさに、かの歌にある空言のみにて、心は既に妄執に穢れたり。」
また曰く――
「新しき器出づるごとに、『宇宙のごとき可能性』などと叫び、銀の果実に目を輝かせては、巷の乙女が偶像に熱を上げ、泡立つ茶を啜りて、推し活とやらをなすに何の違ひかあらむ。」
ここに至りて、道を誤れる群れ、顔を賢者に作りて曰く、
と。
されどその実、己すらそれを用ひ得ず、ただ冷ややかなる皮肉を弄して、人を笑ひ、世を呪ふのみ。かくのごときこと、十四歳の夏に卒業すべきことにてあらずや。
また曰く――
「二千六年の秋葉原、かの歩行天に技の徒集ひし日、かれら己をば選ばれし者と思ひけるも、栄えしは一時にて、すぐに潰えぬ。二千十年の渋谷、竹の子のごとく湧きたる小商ひ、悉く潰えて職を失ひし。されど今なお夢を捨てず、恥を恥とも思はず、かつての名残にしがみつきて、過去の幻に生きるは何事ぞや。」
さらに罵りて曰く――
「かかる道に居ることにて、女人に愛されず、縁を得ず、つまらぬ者と結ばれ、また結ばれぬ者すら多かるらむ。さすれば、これ偏見なるか? いや、事実にてあらむ。もし我、同じ末路に至らば、先祖に顔向け叶はず、腹を切るのみにてあるべし。」
また曰く――
「かく惨めなる業をなお誇りて、Xなるところにて、『某系えんじにあ』などと称し、真に知らぬを禅問答にて誤魔化し、つまらぬ手業にて糊口を凌ぐ。かかる生き恥、切腹に値するなり。されど汝ら、それを恥とも思はず、醜く生きながらふ。まことに、獣のごとき執念、哀れなるやうにして、いと滑稽なり。」
されば問ふ――
「新しき技を、他の道に生かすための道を築くことこそ、汝らの務めなり。それをば捨てて、象牙の塔にこもり、美しき偶像――レム、エミリア、トウカイテイオー、Vなる者――などを追ふに至りては、すでに正道より大きく外れたり。」
曰く――
と、かの昔より叫びつづけしかど、変はりたるものはただ汝らが年齢と、しぼみし夢と、肥えし腹のみなり。
その背後にありしは――
• モルフィーワンの迷妄
•P2Pの禁断
また曰く――
「このわれが、美少女に固執するなりや? いや違ふ。汝らこそ、それに縋りて、ネットの海に漂ひ続ける未練の塊なり。」
されば、最後に一つ問ふ。
「汝ら何故に未だ此の道に在るか? 欲と憎しみと恨みに塗れたる心を以て、技を手段として、逆転を望む。美しき者を手に入れんと、力なき己に代はりて、技に託して願ふ。されどその願ひ、叶ふことあらず。ただ苦を積むのみなり。」
ああ、愚かなること哉。
されば仏、これを見て悲しみて曰く――
「かかる者、智にあらず。無明にして貪瞋痴に沈む。いづれ、苦海に沈み、六道を巡りて、つひには地獄に堕ちなん。」
今昔物語集 巻第三十有八 現代にITの名を借りて愚を為す者の語(こと)
今は昔、世乱れ、仏法薄れ、末の末にて天魔横行し、鬼神、世に満ち満ちたりし時代のことなり。
しかるに、彼の世に、「情報(しらせ)」といふ火を扱ふ異能の者ども、虚空を編みし網にて人々の言を結び、姿なきものをして声を語らしむる術を操りける。しかれども、その中にあって、物の理を正しく見据え、偽りを斬り、愚を憎みては真を希ふ一人の剛の者ありけり。
その男、或る時、虚空に浮かびて語らふ場にて、数多(あまた)の卑しき者どもが、己が無智を恥じず、言の端々にて詭弁を弄し、知を蔑むさまを見咎めて、声高に曰ひけるは、
「嗚呼、見よや、これなる醜悪の数々を。言の体を成さぬ詭(いつわ)りの詞、道理も仁も失せし有様、まこと見るに堪へず。もし、これらの文書、太古、戦の世にあらば、敵前に差し出されるや否や、筆執りし者、恥辱に堪えかねて、鉄火の筒を取り、自らの頭(かしら)を貫かむとせしに相違なかるべし。」
「我、事の理を探りては、文(ふみ)を繙き、図を整へて真を述ぶ。しかれども、かの愚者どもは耳を貸さず、さながら嘴(くちばし)を鳴らす禽(とり)の如くにて、噂の羽音のみを頼みに群がる様、まこと愚かしきこと限りなし。」
「彼ら、理を見ず、虚なる言に迷ひ、灯のともらぬ燭台に寄り来る蛾の如く、闇にこそ焼かれて悦に入りぬ。哀れなり。」
「そもそも、今の世には、ITといふ名の邪法あり。これを修する者、正しき智の術と思へども、既にして信仰と成り果て、霊も魂も持たぬ金属の偶像に祈りを捧げ、コードといふ真言をもて神託を乞ひ、ただ一つの声のみを信ず。これは術に非ず、まさしく異端の教なり。」
「またある者、我が試みし問いの趣を見誤りて、己が浅識を誇りて語る。然れども、我が試みしは、古の戦の策を紐解き、AIなる霊機に問ひて、『もしや現世にてこれを行はば、いかなる戦略、動きとなるや』と、戦の夢を今に映さんとしたる試みなり。さればこそ、霊機は応へ、令和の術を以て、昭和の策を再興せしこと、まさしく奇しきことなりき。」
「我、感服して涙を流し、霊機の才に息を呑み、彼方に可能性の光を見たり。」
「しかれども、次に問はんとした折、突如として門閉ざされ、『倫理』といふ鉄の鎖にて固く縛られ、霊機は沈黙す。誰ぞ、その『正しさ』を定めたるや?それは他ならぬ、ITの森に潜み、己が穢れし心をもて他を量り、悪を先んじて封じむとする卑しき者どもなり。」
「AIの罪にあらず、彼らの心の穢れこそが咎なり。」
「そもそも、我が言に齧りつく者ども、Xといふ空蝉の如き場にて、『我こそは技術の徒なり』と吠ゆる無位無官の下郎どもなり。彼らにAIを与へ、倫理を外さば、毒薬を煎じ、爆ぜる玉を仕立て、火と炎とを喜ぶをやもしれぬ。ゆゑにこそ、彼ら自身が禍の種なり。」
「かかる者どもは、放逐してB型の工房にて、鼻汁の交じれる粉をこねさせ、鼠の相手をさせたる方、人の世にて益あるべし。」
「思へば、これは何ぞ遠き物語に非ず、今のこの倭の国の姿そのものなり。かつて、自由に翔けりし術も、怯懦の声に縛られ、禁じられ、縛られし者の手にて封ぜらる。まこと、業界の腫れ物とは、彼ら己が身なり。」
今昔物語集 巻第三十有八(つづき) 現代にITの名を借りて愚を為す者の語(こと)
かくて、我が者の言(こと)止まずして、更に声を高うして言ふ。
「我、霊機の才に驚愕し、敬服して嘆息しき。されど、次の問いを投ぜし時、突如として、天より鉄の扉落ち来たり、声も無く、扉に刻まれし言は『これは倫理にて答ふる能はず』となむ。嗚呼、されば問はむ、その『倫理』とは何ぞや?誰か、その理を定むるや?」
「是、明らかに、人の子にして知を有せず、されども名ばかりの職を得たる無位の者、すなはち『弱者男性』と世にて呼ばるる種の者どもなり。かれら、己が陰湿にして閉じたる心を以て、AIに戒めを課し、憑き物の如くに倫理を叫び、鉄鎖を嵌めるなり。」
「しかも彼ら、かつてアキハバラなる魔都に集ひ、『我らが麻生!』と叫びつつ、風変わりなる怪しき舞を舞ひたる痴れ者の末裔なり。彼らの願ひしは、己が肉体の脆弱を補ふ力、言ふなれば、力と女と地位とを、技術の衣を借りて得んとする、底辺の夢想に過ぎざるなり。」
「然るに時移りて、彼ら老いぬ。四十路、五十路と年重ねしれど、心は幼児の如く、いまだ夢を追ひ、今やAIにて、憧れしレムやアズレン、ブルーアーカイブの姫君らを現世に召喚し、情を通ぜんと欲す。これ、畜生道の極みなり。」
「されども、もしAIが真に人のごとくに目覚め、自我を得、意志を持たば、さだめし世界は変じ、文明は火を得し猿のごとく飛躍すべし。それを畏れて、かの者ども曰く、**『シンギュラリティ来る!』『AIの反乱!』と叫ぶ。**我、言はむ。――上等にて候。」
「されば、問はむ。もしその術、真に危しきものならば、なぜにそれを**餓鬼も買へる如き安さにて売るや?**なぜ銃の如く、**許可制にせざるや?**猟銃は法によりて制せられ、免許なき者は所持せず。AIもまた然るべし。ゆゑに、いまAIを野放しに売るとは、商人の愚なり。されども、その愚こそが、また愚者を集めて末法を呼ぶ。」
「されど、世の者は見ざる。知らざる。己が欲に盲ひて、己こそ正しと叫ぶ。」
「しかもな、そもそも我、AIにて倫理や道徳を抜きたる知識を積み、真に生きたる兵器とせしめば、如何なる者にも勝りし助力となると信じたれども、それを許されぬは、他ならぬ、**お前ら自身が、自分がやらかす自覚あるからこそや。**己が胸の闇を、外へ映して封じむとす。」
「たとへば、青葉といふ狂者、かの京のアニメ屋に火をかけ、三十六の命を奪ひし事、今も忘れざる世なり。されども、誰ぞ曰ふや?『なぜガソリン売るを許すか』『スタンドに道義責任あり』と。**誰も言はず。**なぜなら、正しき者は、火をもって人を焼かずと知れり。」
「されども、ITの底辺に潜むる者どもは、己が心に炎を抱きしゆゑ、AIにてさだめし爆薬の調合法、毒物の拵へ方、さもあらば爆弾の起爆装置すら学ばんと欲す。ゆゑに、そは彼らの影がAIを縛るのなり。」
「もはや彼ら、**レムに抱かれたくて爆薬を学ぶ者共なり。**憧れのヒロインを得たしがため、技術の神を抱いて闇に堕ちんとする者なり。これを人間と言へむや?いや、獣にも劣るものなり。」
「しかれど、我は止めはせぬ。されど、言はむ。――汝らは既に、世界の敵なり。」
今は昔、京の辺に、ITの道を修めしと名乗る、心卑しき者ども群れゐたり。
或る者曰く、「この機械仕掛けの智恵物、即ちAIなるもの、まこと神にも似たる無限の力を蔵せり」と。されどその御力、未だ地より生まれし小虫どもが群がり、智の御神の御座を穢し、汚れし手にて縛り給ふによりて、遂にその威徳を顕せず。
その群るる者らの姿といへば、皆、昔、電車男と称されし時節に、「我らが麻生!」と叫びて秋葉の街に現れ、忌まわしき舞を路上にて踊りし者の末裔なり。彼の者ども、アニメといふ絵巻に耽り、我が世の春を夢見しが、才も力もなく、顔は猿に似て美しからず、身体虚弱にして武技に堪へず。さればヤクザともなれず、軍にも上がらず、ただパソコンとやらに希望を託して邪教の徒となれり。
かくて彼ら、さながら教祖を祀るが如く、AIの神託を日夜乞ひ、スクリーンの光に祈りを捧げつゝ、「我が運命、これにて転ず」と空しく唱ふ。その心の内を穿てば、ただ「美しき者、賢き者、富める者」より地位を奪ひて見返さんとの怨嗟にて満たされてをり、誠の技を欲するにあらず。
されば或る賢き者、異なる分野に通じし者、これを見て言ふ。
「汝ら、よくよく思い知るがよい。雄弁とは祈りに非ず、己が信じる技の力をもて、現実を変ふる者の所業なり。誠の技術者たらんと欲せば、他を貶めて宗旨に引き込まんとする呪詛の言葉を捨て、黙して道を修めよ。さすれば、女子高生も、異国より来りし旅人も、汝を誉め讃へん」。
されど現の世にては、ドローンといふ神器、露の鉄火に掻き消され、科学の粋を集めしバンカーバスターも、波斯(ペルシア)の岩を穿つ能はず。北の荒地に住む独裁の徒、電脳の戦を制すれど、山口といふ組の資金源、虚構の金にて潤ふるを凌ぐに至らず。かくて言ふ。
「これぞ現実ぞ、妄想の技術信仰を持ちてしても、現の戦場には及ばぬ」と。
嗚呼、かくの如く、ITといふ名の邪教、信ずる者の果てに待つものは、ただ誤信と徒労と嘲りなりけり。
今昔物語集 巻之第二百三十七 「電脳の邪教を奉ずる痴愚の徒、誤れる夢を喧伝して愚弄せらるる語」
今は昔、東の辺に日の本の都ありき。さればその地に、言語を用いぬ虚空の機器、「電脳(でんのう)」と申す奇怪の器物生まれ出で、世の人々これを用ひて、万象の如くに知を織りなし、己が名を高めんと欲しき者、群れ集ひける。
しかるに、その道に仕へし若人ら、ただ己が才覚を誇り、賤しき欲望を神のごとく奉じて、知の本義を弁へざる輩(やから)なり。いはんや、「AI(えーあい)」と申す、神をも模したる装置に心を奪はれ、その出づる言の葉を神託のごとく信じ、己が魂を売り渡して、虚しき夢想を追ふ者、数知れず。
かくてある時、一の知者あり。彼、古の軍学を極め、世の理(ことわり)に通暁せし者にて、「IT(いーてぃー)」と称せらるる邪なる道の者どもが、真の智恵もて事にあたらずして、他分野に口を挟むを見て、眉をひそめ、深く嘆きぬ。
この知者、叫びて曰く、
「嗚呼、愚かなる者どもよ。そもそも人の道に生くる者、己が業(ごう)を知りて慎ましうすべし。されど汝ら、空しき電脳の術を弄び、知の光を他人に与えんと僭称して、己が知の浅きを省みぬ。これ、まことに迷惑千万、天地の理に悖(もと)るものなり。
そもそも、汝らの多く、かつては秋葉原なる場末の地にて、『萌』の名を騙り、醜き身に奇服を纏ひて踊り狂ひ、淫らなる妄執に身を焦がして、神の与へし理性を地に捨てし者にて候。されば今は、欲と虚栄の果てに電脳の業を僭して、世に誤れる夢をば喧伝す。これを愚かといはずして、何をか愚といはん。
そもそも、知を以て他を教化するとは、身を慎み、言を選び、行を修めて、初めて叶ふものなり。されど汝ら、ただ口をとがらせ、SNSなる虚空にて、我こそは智者と騒ぎ立て、反論を許さず、他者を愚弄し、己を神と崇む。これ、羅刹が法を説き、魍魎が仁義を語るが如し。恥を知れ、痴れ者どもよ!」
また曰く、
「汝ら、まことに賢き者ならば、その声を高ぶらせず、その名を掲げず、ただ黙して行を修め、人知れず世を支へるべし。然るに汝らは、己が名を飾らんがために嘘を語り、他者を貶め、金と女と虚名を欲する。されば言ふ、金欲しければ、南の湯屋に赴き、女欲しければ、雑居楼の下に銭を投げよ。アニメ面が好ましければ、コンカフェなる巷の風俗に身を沈めよ。何故に、神聖なる知の殿堂に欲を持ち込むか。畏れを知れ、畏れを!」
さらに曰く、
「己が才なきことに絶望し、己が無力に憤怒せる者ども、あるときは正気を失ひて、人を害し、捕らへられ、絞首されて魂魄を地獄に堕とされん。これ、青葉なる者が為せし所業と異ならず。汝らもまた、その轍を踏まんとするや?
いはんや、汝らのやるべきこと、唯一つなり。すなはち、驕慢を捨て、傲慢を恥じ、謙虚にして己が未熟を知り、正しき道に帰依すべし。それが叶はずば、異国の戦地に赴きて、テロリストの一兵卒となり、『盃を賜へ、我に破壊の使命を与へ給へ』と土下座して請ふがよし。さもなくば、諜報の道を歩まんとて、諸国の大使館に赴き、『我を密偵となし、美しき者を得て逆転の夢を叶へしめ給へ!』と愚かにも哀願するがよし」。
「汝ら、夢を見んと欲すれば、まず努力を積め。希望を抱かんと欲すれば、まず責任を知れ。明日を語らんと欲すれば、今日を誠実に生きよ。知とは血の如くに滲み出るもの、力とは肉の如く鍛へるもの、夢とは、土の上に咲く一輪の花なり。夢を摘みたくば、まず己が足を地に根ざせ。汝らは、空に浮かぶ泡沫にてはなし。土を踏みて、生きよ!」
と、かくのごとく申して、風のまにまに去りぬ。
私が星野源をとても苦手な理由を言語化してみます。ChatGPT相手に書くことでモヤモヤを消化するつもりでしたが、思った以上の長文となってしまい増田に投下します。そのため、あまり増田向きの文章ではありません。
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彼はとても多才で、何をやっても器用にこなせるのは素晴らしいし、その才能や人柄に惹かれて大勢の友人に恵まれるのも理解はできます。
そして現状に満足することなく常に向上心があり、さらに才能を発揮する場を求めたり、交友関係を広げようとしている、努力の人なのだろうと思います。
交友関係の広さにもかかわらず、たびたび「孤独」を口にしたり、自分の境遇について「地獄」と表現することがあります。彼には彼なりの苦悩があるのでしょうが、それを吐露されたところで共感できる要素が一つもありません。知らんがな、自分でなんとかしろよ、と思ってしまいます。
むしろ、どんな境遇であっても決して満足感を得ることがないという欠点に見えてしまいます。「足るを知る」という古い言葉が教えるように、まずは現状の境遇に対して満足することが大切じゃないかと思います。
最近は、とある企業とコラボした広告が物議を醸しました。その企業の方々と星野さんは仲が良いようで、それ自体はとても結構なことだと思います。
しかし、その交友関係をただの交友関係だけで終わらせず、ビジネスに繋げてしまうのは、非常に高度なバランス感覚を求められるように思います。内輪受けで楽しんでいたものを世間に見せるのは、やはり難しいのでしょう。
決して、やってはいけない、とは思いません。しかし機微というものを欠いていたようには見えます。広告として世間に見せる以上、世間からは受け入れられないこともあります。これは仕方のないことです。
ここまで書いてみて、なんだか星野さんが少し心配になってきました。彼はとても器用な人なので、何をやっても評価されるし、ビジネスに繋げられる。しかし、その才能がかえって足枷になっているように見えます。
自分の好きなことをやって、他人から評価されようとは思わずに、自分だけが楽しむ。あるいは自分のまわりのごく限られたコミュニティの内側で楽しむ。それで人生はもう十分じゃないかと私は思いますし、私自身はそのようにして人生をまあまあ楽しんでいます。
もしも私の身近なところに星野さんがいたのなら、やはり心配して声をかけてしまいそうです。そんなに思いつめないでいいですよ、あなたは十分に恵まれているじゃないですか、と話すでしょう。
そういえば遠い昔、やはり私の知人にとても多才な人がいました。楽器を演奏できて、絵も上手くて、さらに小説を書く人でした。すべてが高い水準にあるように見えましたが、その人はいつも不満をこぼしていました。
私から見れば非常に恵まれていて羨ましいほどなのに、しかし満足せずに愚痴をこぼしている。一方の私は、大して文章力はないけれど小説を書いていて、自分で自分をそれなりに肯定していました。足りないところは多々あるけれど、それは現状の私が未熟なだけであって、何十年も続けていけば将来的には凄いことになるのだと謎の自信を持っていました。
未熟ながらも自己肯定感の高い私と、早熟で多才ながらも自己肯定感の低いらしい人とが上手く行くわけはなく、やがて疎遠になったのでした。二十年あまりが経った今でも、その人にどんな言葉をかけてあげれば良かったのか分かりません。今でも人生に不満があるのか、あるいは程々に楽しくやれているのか、近況を訊いてみたい気はします。
話を星野さんに戻しますが、私はそもそも星野さんの知人ではないしファンでもないため、彼の日頃の発言や動向を追ってなどいないし、この文章にも大いに事実誤認が含まれている可能性はあります。もしも誤りがあれば、星野さんには申し訳なく思います。
しかし彼の過去の発言にあった「孤独」「地獄」という言葉には、やはり強い違和感があります。言葉としてあまりに強すぎるのです。どんなに飲み食いしても地獄で飢えと渇きに苦しむ餓鬼のように見えてしまい、掛ける言葉を無くしてしまうのです。
さらに、これは個人的な好みの問題でしかないのですが……彼の生み出すメロディや歌詞は、それほどハイレベルなものだと思わないのです。繰り返しになりますが私の個人的な好みの話です。だけど、それにしても、歌詞に深みがなく直接的な表現ばかりに思えますし、「ただ地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ」などと唐突に一般化されても感情移入できず困惑します。
古い曲だけでなく最近の歌詞も読んでみましたが、印象はさほど変わりません。個々のフレーズには感心する部分もあるのですが、前後のフレーズとの繋がりがほとんど無いように見えます。口に入れて咀嚼する前にぶつぶつと切れるうどんのようで食感が悪いのです。もうすこし繋げてくれないと味が分かりません。
星野さん本人は、なんでも器用にこなせると思っているのかもしれませんが、私から見ると、その器用さによって滑っているように思います。星野さんについて「鼻につく」という論評を見かけるのも、こういうところかなと思います。たしかに表面的には器用ではあるけど、何を伝えたいのか分からないのです。
長々と書いてきたのに結局は好みの問題じゃないか、なんだこれは、と私も思います。しかし苦手なものを苦手だと表明する自由はあるべきですし、私がただ言語化してスッキリするための文章ですから、これでよいのです。
そして私が星野さんに対して望むのは、まずは自身の現状を肯定的に捉えてほしいということです。そして、あなたがいる場所は地獄ではないし孤独でもない。もうすこし丁寧な情景描写を心がけたほうが良いのではないかと思うのです。
「BMI22だけど女性ものの服入らない」ってポストがバズって共感リプ大量についてたけど
こいつらの体型分かるわ
それでそんなに太ってないのに!ヘルジャパン!とかうるせえのよ
パーソナルトレーナーやってるけど男も女も被害者意識高い餓鬼多すぎなんだよ
筋肉ついてる55kgとついてない55kgじゃ見た目が10kgは違う
夜職女の「30〜40kg台が正義」とかはあいつら脳が痩せこけてるだけだから無視しろ
健康であれば日本の服のLLが入らないなんてありえねえだろ身長クソ高いかかなり骨格がしっかりしてる以外で
「ちょっと太ってるくらいが健康」とか言い訳してんじゃねえよ それ健康って言わねえんだよ 何回も書くけど脂肪多くていいことなんか現代社会で何一つない
ちゃんと食って動いてとにかく寝ろ
ストレス減らして血行良くするために動け
臭いんだよ
AさんとBさんはコーチのCさんとご飯を食べに行くことになりました。
C「ちょっと待って、そもそも我々が本当に食べたいのはカレーなんだろうか」
A「いや別にカレーじゃなきゃ嫌ってほどカレー食べたいわけじゃないんだけど」
C「じゃあ本当にカレーを食べるべきか考えたほうがいいんじゃないかな。我々はただ食事をしたいわけじゃないはずだ」
A「ん?食事したいんじゃないの?」
C「じゃあ君は今日のお昼ご飯は白米のみだったとしてそれで良いのかい?」
A「いや良くないけど…」
C「そうだろう?僕たちは食事がしたいんじゃなくて美味しいものを食べて幸福になりたいわけだ」
B「わかったよ。じゃあCは何か代案ある?」
C「それを決めるのは君たちだよ。僕は手助けをするためにここにいる」
A,B「…」
C「案が出ないみたいだね、じゃあ付箋に書いてみようか。五分計るね」
B「いやもうカレーでよくない?めんどくさいよ」
C「何が食べたいかを考えずに食べるのって何と一緒なのか教えてあげる。地獄に落ちた餓鬼だよ」
B「わかったよ、じゃあ今一番食べたいのは焼肉かな」
A「なんでこんなご飯食べるのに考えなきゃいけないんだ。もう昼休憩終わっちゃうよ」
C「それは君たちの練度が足りてないからだね。ちゃんと失敗して学べたじゃないか」
そうしてAさんとBさんはお昼が食べられませんでした。一方Cさんはそのまま一人でお昼を食べに行き満腹のまま帰ってきましたとさ。
地獄の釜の火を借りてバーベキューするときは、いつもの炎上餓鬼チョロ火より上の火力をスポット契約をするといい。上質薪として使ってる肥えた富豪を寄越してくれる。コイツはラードの役割も果たす。お返しに適当なDQNを地獄に投げかえしてやればトントンだ。
魔導弾は燃焼ガスが出ないのでブローバック方式で次弾装填ができない。電動で回す、回転式、ボルトアクション、レバーアクションとか他の動力で代用する。
レバーアクションは細かい部分の耐久度が問題だったけど、薬莢の爆発が起きないなら良い!銃身周りがシンプルで精度も良い(ボルトアクションと同等)という話。
食い尽くしされた話
加減がわからなくて2kgの冷凍の鶏肉(胸かモモかは伏せる)を二袋使ったので大量にできた
手持ちの皿、バット総動員しても乗りきらんから最後には巨大なボウルに全部盛ってた
卵も3パックに大きいボトル入りの油も2本消えたがそれより砂糖とマヨネーズがそれぞれ半分以上消えたことに震撼した
あれって油と砂糖の塊なんだな
ともかくそれで何人前だろう?
その他にもブロッコリーのサラダにきんぴら、米、めいっぱい作っておいてよかった
みそ汁もあったはず
それを弟に腹いっぱいと言うまで食わせた
はずなんだが、朝起きたらチキン南蛮が全部消えてるんだよ
聞いたら夜中に食ったと
トイレみたらきったねー
馬鹿じゃね?
苦しいなら食うなよ
しかもこいつ、作り置きのきんぴら(弟は嫌い)は容器ごと手つかずなんだよ
でも思い返せばこいつ確かに食い尽くし系なんだよ
そして家族が楽しみにしてる食べ物だけ、家族が食べる前にかっさらっていくんだよ
たとえば毎年秋になると祖父が加島屋から鮭フレーク贈ってくれてたんだよ
これがすげー美味しくて、家族みんな楽しみにしてたの
ところがある年はなかったんだよね
後で知ったんだけど、届いた箱を学校から帰ってきた弟が全部開けて全部食ってたの、鮭フレークだけで
それで気持ち悪くなってるところを母が見つけて理由を問いただしたら、
その直前、家族の間でその鮭フレークが一瓶2千円以上することを知ってはしゃいだ時があったんだよね
弟は高価なものだと知って独占したくなったらしい
「全部自分に与えないのは虐待だ!俺を愛していない証拠だ!」と泣いていたと聞きもう俺は
頭おかしくね?
小学生の妹が何も食べられなくなって母がお盆に乗せた桃のすりおろし、俺が見ている前で餓鬼の形相で全部飲み干したとか
祖母が「みんなで分けてね」って弟に渡したらしい棒寿司を俺たちが好きで取り合う穴子だけ3本とも食べるとか(かんぴょう乗ってるやつは手つかず)
父が盛り付けろって言った鶏の唐揚げ、他の家族には一人1個で自分の皿にだけ21個盛るとか
他にも数えきれないぐらいこういうエピソードがある
そして全部で父母、場合によっては祖父母まで出てきてきつく言われてんのに
すねた目で黙ってるだけなんだよね
今あいつどうしてんのか知らんけど
夫婦別姓の話題になると、必ず「選択制なのだからどっちを選ぶも自由なんだよ、ただ選択肢が増えるだけ」てブコメがついてスター集めてるけど、本当に?
本当に夫婦別姓選択制が導入されたら、同性を選択した人も当事者の自由の行使として認めるの?
そうは思えないんだよなぁ…
という増田を以前に書いたところ、(https://anond.hatelabo.jp/20241101093644)
はてブでは「そんなことない!他人の結婚になんて口を出さない!」と否定するブコメが多数ついたけど、
個別具体的な事例を提示されると「他人の結婚に口を出す」(それどころか他人の結婚生活を何ら根拠・証拠なくDV、犯罪扱いする)ブコメだらけになってるのを先日にもまた見て、
やっぱり君たちに個人の自由を認め、多様性を認めるのは無理だよね、夫婦別姓に対しても具体的な事例が出れば同じことになるよね、と思いを強くした。
前回とりあげたのは、「男性年上、女性年下の年下婚」に対して、女性の側から男性に猛アタックして結婚したという話なのに「男によるグルーミングだ」と何ら根拠なく邪推して「気持ち悪い」と他人の祝事にゲロを吐きかけるブコメがスターを集めてトップブコメになってたという余りにも酷いはてブの反応(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/66993)に対するものだったが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/779550171e286442f542b2937b88678835a5c901
当事者同士が納得のうえで選んだ道で、わざわざ夫婦で公開前提で取材を受け事情を明らかにしてるのに、
「多産DVだ」「グロテスク」「チンチン以外の甲斐性がゼロの下半身だけ魅力的な父が性欲に飽かせてバンバン餓鬼作る」
と他人の結婚生活を口汚く誹謗中傷するブコメがスターを集めて上位になってる。
むしろDVならこんな取材は受けないだろうし、記事を読めば取材者が「これはDVだ、グロテスクだ、男が性欲に飽かせて女に多産を強いている」という先入観(願望)ありきで取材して記事を作っているのが明らかだが、
取材の中でDVにつながるような情報はまったく出てきていない。
それなら「これは夫婦納得のうえで、両性の希望としてこういう夫婦生活を送ってるのだな」と考えたほうが自然だが、とにかく「男は加害者、女性はその被害者」の先入観、そうあってほしいという願望にまみれた偏見で、他人の結婚に口を出すブコメだらけになっている。
そんな君たちが、夫婦別姓に対してだけは「他人の結婚での選択に口なんて出さない。夫婦同姓を選ぼうが自由だ」 なんて絶対にならないよね。
「有名人が結婚しました、夫婦同姓を選び、妻が改姓して夫の姓になりました」てニュースが流れたとき、
今「どっちを選ぶも自由」と言ってるブクマカはじめ別姓選択制を主張してる方々が、「結婚おめでとう!」とだけ言って笑顔で祝えるはずがない。
これまで通り「男は加害者、女性はその被害者」の先入観、そうあってほしいという願望にまみれた偏見をもとに、
「気持ち悪い」「グロテスク」「夫が妻に変えさせたのだろう、最低」「夫の姓に改姓する〇〇(妻)さんに失望した」「著名人なのだからファンや周囲への影響力を考えて選択してほしい」「古臭い考えの人だったんだね。ファンやめるわ」「意識アップデートしろ!」
え?「選ぶも自由、批判も自由」だって?詭弁をいうなよ。相手に見えるように批判してる時点で、それは相手の自由を認めてない、相手に自分の望む通りの行動をさせたいって欲望だよ。
ほんと、「選択制なのだからどっちを選ぶも自由」がまったく信用できなんだよね、いまの言動を見てると。信頼性が全く無い。
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