Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「飛雲閣」を含む日記RSS

はてなキーワード:飛雲閣とは

2021-03-02

日本建築空間』における建築百選

anond:20210301191826

 

増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。

同種の百選としては2005年新建築臨時増刊『日本建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。

https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/

2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。

 

古代 592-1180

法隆寺西院伽藍飛鳥時代奈良
新薬寺本奈良時代末期奈良
山寺八角763年奈良
平等院鳳凰堂 1053年京都
浄瑠璃寺本堂 1107年京都
三仏寺投入堂(三仏寺奥院)平安時代後期鳥取
高蔵寺阿弥陀堂 1177年宮城

中世 1180-1543

浄土寺浄土 1194年兵庫
東大寺南大門 1199年奈良
長寿寺本鎌倉時代初期滋賀
西明寺本堂鎌倉時代初期滋賀
熊野神社長床鎌倉時代初期福島
法界寺阿弥陀堂鎌倉時代初期京都
厳島神社社殿 1241年広島
永保寺開山堂 1352年岐阜
東福寺龍吟庵方丈 1387年京都
正福寺地蔵堂 1407年東京
吉備津神社本殿拝殿 1425年岡山
慈照寺東求堂 1485年京都

近世 1543-1853

妙喜庵待庵 1581年京都
園城寺勧学院客殿 1600年滋賀
園城寺光浄院客殿 1601年滋賀
妙法院庫裏 1604年京都
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 1607年宮城
三渓園聴秋閣 1623年神奈川
二条城二の丸御殿 1626年京都
西本願寺飛雲閣 1628年京都
西本願寺書院 1633年京都
延暦寺根本中堂 1640年(再建)滋賀
三渓園臨春閣 1649年神奈川
曼殊院書院 1656年京都
桂離宮 1663年京都
慈光院書院 1672年奈良
江川住宅江戸時代前期静岡
閑谷学校講堂 1701年岡山
東大寺大仏殿(東大寺金堂) 1705年(再建)奈良
大峰山寺本 1706年奈良
大国住宅 1760年岡山
岡山後楽園流店江戸時代後期岡山
栗林公園掬月亭江戸時代後期香川
角屋1787年京都
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) 1796年福島
大徳寺孤篷庵忘筌1799年京都
渡邉住宅 1817年新潟
羽黒山三神合祭殿 1818年山形
高野住宅江戸時代後期山梨
金比羅大芝居(金丸座) 1835年香川
岩根沢山神社本殿庫裏 1841年山形

近代 1853-1945 ※は現存しないもの

柏倉家住宅座敷蔵1866年山形
旧大明寺聖パウロ教会堂1879年愛知 ブレル、大渡伊勢吉(棟梁)
宝山寺獅子1882年奈良吉村太郎(棟梁)
風間住宅1896年山形
武徳殿1899年京都 松室重光
花田家番屋1905年北海道
吉島住宅1907年岐阜西田伊三郎ほか(棟梁)
古谿荘1909年静岡
高松城披雲閣1917年香川清水
住友ビルディング1926年大阪住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造)
聴竹居1927年京都藤井厚二
大倉精神文化研究所本館1932年神奈川長野宇平治
軽井沢 夏の家1933年長野 アントニン・レーモンド
※両関第二工場酒蔵1933年秋田
日向別邸1936年静岡ブルーノ・タウト
近江神宮1940年滋賀 角南隆、谷重雄
前川國男1941年東京前川國男
吉田五十八1944年神奈川吉田五十八

現代 1945-2005 ※は現存しないもの

神奈川県立近代美術館1951年神奈川坂倉準三
斎藤助教授の家1952年東京清家清
コアのあるH氏のすまい1953年東京 増沢洵
南台の家(吉村順三邸)1957年東京吉村順三
八幡浜市立日土小学校1956年愛媛松村正恒
香川県庁舎1958年香川丹下健三
スカイハウス(菊竹清訓邸)1958年東京菊竹清訓
ホテルオークラのメインロビー1962年東京谷口吉郎
日本生命日比谷ビル(日生劇場)1963年東京村野藤吾
国立屋内総合競技1964年東京丹下健三
大学セミナーハウス1965年東京 吉阪隆正
千代田生命本社ビル1966年東京村野藤吾
白の家1966年東京篠原一男
塔の家(東孝光邸)1966年東京東孝光
※虚白庵(白井晟一邸)1970年東京白井晟一
KIH70041970年東京鈴木
中銀カプセルタワービル1972年東京黒川紀章
大分県医師会新館1972年大分磯崎新
プロジェクトマグネット1973年店舗模型倉俣史朗
阿部勤邸1974年埼玉阿部
北九州市中央図書館1974年福岡磯崎新
幻庵1975年愛知石山修武
上原通りの住宅1976年東京篠原一男
中野本町の家1976年東京伊東豊雄
小篠邸1981年兵庫安藤忠雄
弘前市斎場1984年青森前川國男
SPIRAL1985年東京槇文彦
バーオブローモフ1989年福岡倉俣史朗
海の博物館1992年三重内藤廣
豊田市美術館1995年愛知谷口吉生
ウィークエンドハウス1998年群馬西沢立衛
せんだいメディアテーク2000年宮城伊東豊雄
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル2002年神奈川アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ
金沢21世紀美術館2004年石川妹島和世西沢立衛

Permalink |記事への反応(2) | 14:20

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2020-09-23

果名温泉あゆみ

果名温泉の泉質は硫黄泉で酸性度は高く石膏分を含み、典型的には乳白色の湯を湧出し、皮膚疾患や自律神経不安定症、冷え性に効くとされる。現在の果名温泉にあたる場所湯治が行われはじめた正確な時期はわかっていないが、戦国時代には国衆の松影氏と配下武士戦闘時に受けた傷を癒すために東屋を建て、熱した岩に湯をかけて出た蒸気を浴びる療法を行った記録が残っている。

旅館の立ち並ぶ温泉街が発展を始めるのは果名駅が完成し鉄道が停まるようになった大正初期以降で、大正年間には山形屋、鳳萊館、飛雲閣、梅風館、寶山閣が温泉旅館として営業を開始している。昭和初期には湯治客の増加に伴い、月風荘のように高層化した木造建築旅館が現れた。昭和10年発行の果名温泉旅館協同組合名簿には27件の加盟旅館記載されている。

温泉街は一大経済圏形成し、湯治客のみならず温泉での働き手を引きつけた。特に昭和恐慌時には各地の農村から子女年季奉公旅館に送り込まれ仲居あるいは酌婦として住込みで働いた他、「即席御料理」の看板を掲げた曖昧屋も複数存在していた。

温泉街でありながら閑寂な山居の趣を味わいうる果名温泉は多くの芸術家たちを魅了した。志摩名護也の「果名にて」や葛西前後の「波浪」といった小説は果名温泉旅館執筆されており、当時の果名温泉での生活垣間見ることができる。作曲家和賀英良の名曲「疑問」は、鳳萊館の露天風呂で着想を得たとされる。

戦時中には物資の統制や倹約奨励温泉旅館営業一定の影響を被った他、温泉街は疎開児童集団受け入れの場となった。終戦直後の乏しい物資供給を乗り越え温泉街の旅館営業を続けたが、高度経済成長期には急峻な地形に鉄筋コンクリート高層ビルを建てにくかったこから果名温泉団体旅行の受入地とはならず、鄙びた温泉地の形態を留めた。

今世紀に入って旅行者の嗜好が変わるにつれ、果名温泉街の伝統的な景観旅館木造建築が再び脚光を浴びている。経営者高齢化、湧出量の維持といった課題を抱えながらも、温泉旅館協同組合が主な担い手となり、地域産業振興策と一体となった新たな温泉街の魅力づくりに取り組んでいる。平成10年には青年会により温泉街で第1回オメガラーメンまつりが開催され、果名村が発祥とされるオメガラーメン温泉とともに楽しんでもらう行事現在に至るまで毎年秋に行われている。

(『果名村史 近代編』、果名村史編纂委員会、2018、p.201-203)

https://anond.hatelabo.jp/20200922195023

Permalink |記事への反応(0) | 22:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

 
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp