
はてなキーワード:顰蹙とは
森総理が誕生したが、これからの日本はいったいどこに行くのでしょうか。 新総理は、日本の未来を考えるより女性のほうがお好きで、昔から女性問題が絶えない人で、智恵子夫人も相当神経をやられている。
自民党本部の女子事務員に手を出して危なくなるとさっさと捨てて、女子事務員が結婚するときには平気な顔をして結婚式に出席する厚顔なハレンチ人間で、なんとも思わない性格は日本国を任せる人格としてはまったく不適確である。
もっと国民を馬鹿にしているのは、高市早苗衆議院議員との不倫関係だ。
国会議員の間では、彼女が議員になるためにどれだけ自分の肉体を提供し、公衆便所と言われ、森と肉体関係を結び、森の人脈を利用し好き勝手放題の言動をして顰蹙を買っていることは周知のことだ。
彼女はひたすら男に媚を売り、われわれの税金を使いながら、大手を振って森と国会不倫を続けて濶歩しているのは信じられない行為だ。 まだ、船田元と畑恵のほうが純情に思えてくる。
高市は無名時代、社会的な肩書もないので、森に頼み込み、堺屋経企長官も引きずり込んで、堺屋の友人であった当時、亜細亜大学の学長の衛藤瀋吉と結託し、亜細亜大学の講師の肩書を手に入れようとした。
まず彼らは教養も学問も何もない高市を講師にすることはできないために、考え出した事は新聞公募をして、一般から形だけ講師を募集すると見せかける。 大学の経費で講師の新聞公募をした。
はじめから高市と決まっていたので、新聞を見て応募した多くの人たちは(勿論、高市も形だけ申し込んだ)無残にも切り捨てられてしまった。 応募した人たちの心情を考えれば、政治家、教育者がこんなことをしていいのでしょうか。 いいはずはない。
目論見どおり高市は講師として合格したが、大きな問題があった。それは高市の講師としての能力である。 何の学識もない彼女は講師として教壇に立ったとき、あまりにもお粗末な講義で学生たちに大笑いされ軽蔑され馬脚をあらわしてしまった。
これではとても講師の肩書は付けられないと、助手ともなんとも肩書を付けられない立場となってしまった。 その上に、会議には遅れる、派手な服装、授業のカリキュラムを与えられてもさまざまな理由をつけて休校ばかりの行動に、大学教職員の間で不信と不満の声があがり、さすがの、衛藤前学長も高市を擁護することができなかった。
大学職員が高市を罷免することにして衛藤前学長に抗議したのを察した高市は、職員の前で涙を流して見せた。 常套手段の涙のおかげで、高市は大学を罷免されずに自主退職にしてもらった。
完全に、彼らは大学を私物化している。 一部始終は森総理も堺屋長官も知っていて、口を濁している。 高市は、著書の中で亜細亜大学講師または助手としているのは、経歴詐称の罪を犯している。
なお、その上に、アメリカのパット・シュローダー女史の事務所でお茶汲みとファックスの整理だけのアルバイトをしていただけであるのに、勝手に米国議会立法調査官という肩書を付けている。 そんなポジションは米国議会が始まって以来存在していない。
M総理が誕生したが、これからの日本はいったいどこに行くのでしょうか。 新総理は、日本の未来を考えるより女性のほうがお好きで、昔から女性問題が絶えない人で、夫人も相当神経をやられている。
自民党本部の女子事務員に手を出して危なくなるとさっさと捨てて、女子事務員が結婚するときには平気な顔をして結婚式に出席する厚顔なハレンチ人間で、なんとも思わない性格は日本国を任せる人格としてはまったく不適確である。
もっと国民を馬鹿にしているのは、T衆議院議員との不倫関係だ。
国会議員の間では、彼女が議員になるためにどれだけ自分の肉体を提供し、公衆便所と言われ、Mと肉体関係を結び、森の人脈を利用し好き勝手放題の言動をして顰蹙を買っていることは周知のことだ。
彼女はひたすら男に媚を売り、われわれの税金を使いながら、大手を振ってMと国会不倫を続けて濶歩しているのは信じられない行為だ。 まだ、船田元と畑恵のほうが純情に思えてくる。
Mは無名時代、社会的な肩書もないので、Mに頼み込み、堺屋経企長官も引きずり込んで、堺屋の友人であった当時、亜細亜大学の学長の衛藤瀋吉と結託し、亜細亜大学の講師の肩書を手に入れようとした。
まず彼らは教養も学問も何もないTを講師にすることはできないために、考え出した事は新聞公募をして、一般から形だけ講師を募集すると見せかける。 大学の経費で講師の新聞公募をした。
はじめからTと決まっていたので、新聞を見て応募した多くの人たちは(勿論、Tも形だけ申し込んだ)無残にも切り捨てられてしまった。 応募した人たちの心情を考えれば、政治家、教育者がこんなことをしていいのでしょうか。 いいはずはない。
目論見どおりTは講師として合格したが、大きな問題があった。それはTの講師としての能力である。 何の学識もない彼女は講師として教壇に立ったとき、あまりにもお粗末な講義で学生たちに大笑いされ軽蔑され馬脚をあらわしてしまった。
これではとても講師の肩書は付けられないと、助手ともなんとも肩書を付けられない立場となってしまった。 その上に、会議には遅れる、派手な服装、授業のカリキュラムを与えられてもさまざまな理由をつけて休校ばかりの行動に、大学教職員の間で不信と不満の声があがり、さすがの、衛藤前学長もTを擁護することができなかった。
大学職員がTを罷免することにして衛藤前学長に抗議したのを察したTは、職員の前で涙を流して見せた。 常套手段の涙のおかげで、Tは大学を罷免されずに自主退職にしてもらった。
完全に、彼らは大学を私物化している。 一部始終はM総理も堺屋長官も知っていて、口を濁している。 Tは、著書の中で亜細亜大学講師または助手としているのは、経歴詐称の罪を犯している。
なお、その上に、アメリカのパット・シュローダー女史の事務所でお茶汲みとファックスの整理だけのアルバイトをしていただけであるのに、勝手に米国議会立法調査官という肩書を付けている。 そんなポジションは米国議会が始まって以来存在していない。
野村夫人の経歴詐称は、議員になっていないのに大騒ぎであったが、現役の議員が今でもそんな肩書を使っているのに、マスコミは見てみぬ振りをしている。 また奈良県生まれでもない。 すべて嘘の人生。 いったいマスコミは正義をどう思っているのか。
こんな人間が、M総理と肉体関係を続け、ベッドの上でわれわれ国民を馬鹿にし大笑いをしているのだ。 もちろんあなた方も入っているのですよ。 こんな不正を正さないで、日本にはジャーナリストと呼べる人はいないのだろうか。
高市早苗がトランプの横でぴょんぴょん飛び跳ね舌を出して一部国民には顰蹙をかっているようだ。
だが本当に恥をかいたのは、女性が政治の最前線で生き残るため「キャピキャピ」「媚び」という振る舞いを演じざるを得ない構造を温存してきた、私たち日本人全体ではないか。
私は高市さんの政治思想とは相容れない。しかし、相容れない相手だからこそ、あの場面を「政治家・個人の資質」の問題に落とし込んではいけないと思う。
彼女は「飲み会に呼ばれても読書を選ぶ」「お酌を断る」タイプの勉強家として語られてきた。
そんな人物でさえ、表舞台に立てば「求められる女性らしさ」を的確に読み取り、演じ、年長男性が支配する政治の世界に適合して昇っていく以外の選択肢がなかった。
メディアは女性政治家の政策より表情・服装・物腰を先に採点し、政界は可愛げや空気の読める振る舞いを忠誠の証として要求し、有権者はそこに無邪気に付託してきた。
こうして「政治的能力」より「性別役割の演出」を評価するインセンティブが形成され、総理大臣という最上位の地位にある女性でさえ、その演出から自由ではいられなかった。
右か左か以前に、女性が「女性らしさ」を演じなくても評価される政治と社会を用意できていないことの、赤裸々な告白だった。
痛ましい思いにさせられたというのが正直なところだ。
左派こそ、ここで自省が要る。
保守系の女性に対して「ほら見たことか」と嘲るのは簡単だが、それは結局、同じ檻を補強しているだけだ。
思想が違っても、女性を女性らしさの演出に縛る仕組みを壊すことは普遍的な解放の課題である。
もし左派を名乗るなら、まず相手陣営の女性政治家の人間としての自由と尊厳を守ることだ。
彼女が「戦略」を選ばざるを得なかった時点で、すでに誰かが負けている。その誰かとは、日本の女性たちであり、そして私たち国民だ。
もうこれ以上、女性が「女性らしさ」の演出を生き残るための通行証にしなくていい社会をつくろう。
彼は自分の能力をずっと他人のために使い続けたし他人の話も聞いていたんだよ
自分の能力の限界と戦いながら、擦り切れそうになりながら
それでも自分が孤独にならないように、社会と繋がれるように
あるべき姿はどうであるか、
他人が何を求めているのか、
それに対して自分ができる最大限を演じることに全神経を集中していたのだと思う
でも、ある日それが全く自分のためにならないと判断してやめたんだ
焼き付きそうになりながら得られたものは顰蹙と信じていた人の裏切りだとしたら
やっても孤独、やらなくても孤独だとしたら、
まぁ、やめるわな
山以降の話は、それは恐らく破滅への道だったけれども
そもそもその絶望を確信したタイミングで既に終わっていたんだよ
あとはいつどう死ぬかの違いでしかなかった
それともなにか、この前提にもかかわらず生き続けてほしいと思ってたのか
普通に断れるけど?だって優先席でもないなら(というか優先席でも)何の義務もないし座るか譲るかは俺の自由だろ
自発的にしか譲らんが、俺は逆ギレの達人なので譲れって言われた瞬間に沸騰してヘソ曲げて頑として座り続けると思う
人生で一度もそんなこと起きたことないしこれからも無いと思うけど、臆面もなく俺に譲ってくれとか言える元気がある時点でそいつはテイカーであって譲る対象外なんだよな
顰蹙を買うかもしれんが、車道をかたくなに制限速度で走るようにぶっちゃけ人類は悪人しかいねえから正しいことっていうのは貫くと必ず顰蹙買う、その覚悟くらいしとけクソ雑魚
まあ俺は自分にメリットがあると思ったときは飲み会だろうと何だろうと参加するし断るときは断るだけだけだな
つーかマジでそんな状況実際にはあり得ないし、億が一あったとしても周りの正義マンが絶対勝手に譲ったりとかするから問題ねえよ
性欲だけで人と繋がると良くないと確信した
相手を大切にできないんだよ。逆に言うと、大切にできない人間なのに性欲によってそばに置くことになり、そのせいでさまざまな弊害が起こり、傷つける
有名youtuberのヒカルが「妻といる時に他の女から会いたいって連絡来ても、妻がいるから会えない。これがストレスだった。俺は成功してるのになんでなのか。自由に生きたい」と妻の目の前で発言して大顰蹙を買い、チャンネル登録者数を10万人失う
もちろんヒカルくらい大手になれば10万減っても大丈夫ではあるが、失いたくないものではあるに違いない。概算だが再生数由来の収入が月あたり100万ほど減るし、広告や案件にも影響が出るだろう
これはまさに、大切にできない人間なのに性欲のせいでそばに置いた結果、起こった惨事だと思った
友達を大事に思う気持ちを1軍と表現すると、性欲だけの彼女は2軍どころか3軍くらいだろ
もちろん情はある。でも本質的にリスペクトがない。こいつには嫌な思いをさせたくないっていう、「愛」がない
某視聴者投票型k-popオーディション番組を視聴中。デビューメンバーが決まる最終回まで残り2週間となり、各練習生のファンが勝手に蹴落とし合いを始めている。
日本では「他下げ自上げ」は御法度で、推しがわかる状態で他の練習生を下げると「〇〇ファンの民度が〜」とレッテルを貼られ、推し本人まで嫌われる。アンチの燃料になるだけ。
そうはいっても黙っていられない人間はいるので、彼女らは各練習生の大型アンチ(逆大手垢みたいなもの)の質問箱に匿名で愚痴を投げ込む。当然質問箱運営者は当該ファンから袋叩きにされるが、匿名で投げるだけなら完全に安全圏にいられる。
一方韓国や英語圏は文字通りの殴り合い。他下げ自上げ殴り合いがデフォだから別に「〇〇ファンの印象が〜」とかはあまりない(言ってる人はいるけど)
「なんで私が推してるこのイケメンよりあんなブサイクの方が上の順位なの!?」みたいなツイートがバンバン流れてくるし、そこに対して叩かれてる側のファンは思いっきり集中放火をかます。
まさに殴っていいのは殴られる覚悟があるやつだけ、を体現している。潔いけどカオス。
表での他下げ自上げNGっていうのは間違っていないんだけど、あまりにも陰湿になりすぎて「殴っていいのは殴られる覚悟がある奴だけ」の原則がなくなっていないかとは思う。
ちなみに今のところ一番面白かった奴は「今残っている練習生24人全員の嫌いなところを1個ずつ言っていきます!」と宣言して自分の推しを含む全員分やってのけた英語圏ネキ。きちんと全陣営から顰蹙を買ってタコ殴りにされていた模様。
内容は老け顔!過大評価!に始まり挙句の果てに運営のオキニ!人気練習生に擦り寄ってる!までフルコースで、本人の推しへのコメントは「いい子すぎて放送尺をもらえない」だった(それ、褒め言葉では?)
女の食い尽くし系ってあんまり語られてないと思うので書いてみる。といっても男性とあんまり変わらないと思うけど
妹の誕生日に親がサンドイッチを作ってくれて、冷蔵庫に入れていた。サンドイッチが大好きだった増田はサンドイッチを見てからブレーキが効かなくなり、ほとんど食い尽くした。ちなみにADHDの診断を受けているが、関係があるのかはわからない
ここで親からガチ説教され、妹からはガチギレされて、家族の食べ物を食べ尽くすことはやめるようになった
次の食い尽くし相手は小学校の同級生。担任の先生が出張土産としてお菓子を買ってきて、一番でかいお菓子をクラス全員で抽選することになった。自分は中の良かった友人たちと同盟を組み、誰が当たっても分けようねと約束した。
だが増田が当選した瞬間、食べ物を友達に分けるのがもうすごく嫌になった。昼休みに食べようという話だったので、それまでに食べ尽くした。友達は小学生の低学年であり、知能の発達はまだまだこれから。味見してたら止まらなくなったという言い訳で何とかなると高をくくったのだ。だがそんな言い訳が通るはずもなく、増田は大顰蹙を買い、担任の先生にもしっかり怒られた。当時、クラス内でイジメがあり、この事件がきっかけでターゲットにされかけた。これが恐怖体験となって、クラスメイトと共有の食べ物を独占するのはやめたほうがいいと学んだ
中学生になり、益田の学校はお弁当になった。増田は友達関係がリセットされたので、また性懲りもなく同級生にタカっていた。〇〇ちゃんのお弁当おいしそう、ちょうだいと言ってはおかずをもらっていた。多少の知恵がつき、NOと言えない子を狙って言っていた。
それ以降、食い尽くしチャンスがあったら果敢にチャレンジした。高校の文化祭で打ち上げに行った焼き肉食べ放題では、せっせと焼いてくれる友人を横目にとにかく食べ尽くしたし、大学のサークルでもBBQで食べ尽くした。彼氏とお菓子食べながらネトフリ見てると、いつも私がほとんど食べる
自分にとって、食べるとは極上の報酬である。食べるチャンスがあれば常に狙っていきたい。そういう報酬。だから食べるものを前にしたら理性が弱るのを感じる。ADHDとの関連性は自分はあると思う。ある種の依存症なのだろうと思う。
ギャンブル依存症の人は、ギャンブルを目にすると何も考えられなくなり、ギャンブルを続けるために常識ではありえない行動をとったりするが、わりとそれに近いのではと感じる。食べるためには手段を問わない。そういう依存症なんではとおもう
まぁめちゃくちゃツラマンというわけではないんだがイマイチ不完全燃焼感があるというか
ゲンバの脱糞が大顰蹙買っちゃったとかはまぁ事故みたいなもんで
実際のとこ、理詰めでやり過ぎてケレン味が薄れちゃってるのが問題じゃねーかと思うんだよね
ネウロの頃の松井なら、尊氏のせいで人類滅亡ってのももっとハッタリ効かせて、なんならブラックなギャグも織り交ぜつつかけてたと思うし
尊氏がやってるナレーションを書き換えるみたいなメタ展開も、本来ならやべーことやってるハズなんだけどまぁ演出の域を超えてないっつーか
まぁすごいっちゃすごいんだけど、アドリブでメチャクチャやってます!放送事故です!と言いながらいやカメラ普通に回ってるしそういう演出ですよね?みたいな
最近完結した呪術とか推しの子とか、終盤は色んな意味で大荒れしてたわけだけど