
はてなキーワード:頓服とは
発達障害(ADHD、ASD)でビネー式知能検査でIQ50しかないと言われたバリバリの知的障害者のワイ
半年前から勉強一日2時間、長時間集中出来ないのと昼の仕事中の過集中による眠気と戦いながら頑張った
過去数年分の問題集を買いそろえて何度も模擬テストして合格ライン超えて160点台に行けるようになった
一次試験終了後、当日某サイトで出た回答速報を見て、自己採点すると
正解6割しかいかない、正解の数を足して×2で計算しても140点もいかない、、、
Xやnoteを見ると「余裕だった」という健常者たちのの声が
自分は「発達障害でIQ50しかない知的障害者」ということが強調されてしまった
どうせ落ちてるから結果聞きたくない
受験票どっか行った
基本、急ぎではない処方箋薬は全部ネットで処方箋をやり取りして自宅にデリバリーする仕組みにしたほうがいいんだよ。
あれ読んでどう思った?
あのね。
でも、あの苦労の殆どって、小さな調剤薬局で一人か二人か多くても三人くらいの薬剤師たちが、
小さな調剤薬局に大量に詰めかけた患者たちを待合で待たせているというプレッシャー環境が招いているだけだってことに気づけた???
あれを、もういい加減にしてやめろよ。
って話。
っていうと日本の中小企業多すぎる問題、とも絡んでくるんだけど、
プチ経営者が儲ける仕組みが日本社会には完備されすぎてることに起因してるわけじゃない?
それが日本社会のダイナミズムを損なう原因になってるし、生産性の低さにもつながってるんだよ。
だいたいなんでひとりかふたりの薬剤師で大量の患者をさばくなんていう非効率なシステムをいつまでも続けているのだよ?
考えてくれ。
わかるだろ?
いい加減、無駄はやめよう。
調剤薬局は、一部の緊急の頓服だとかそういうものを処方するだけにして大部分の処方薬は工場みたいなシステマチックなところで処方してデリバリーする仕組みにしようよ。
そうすればとてつもなく生産性が上がる。
現在の薬不足も、あちこちの調剤薬局に足りていない薬を分散して在庫する効率性の悪さも一助になっているのは言うまでもない。
わかるだろ?
馬鹿なことやってるって?
あいつら足りない薬とか周りの調剤薬局同士で融通しあってるんだぞ。
そうなのかなぁ...出しっぱなしのおくすり手帳にも頓服が1種類出てるだけだった。逆にこっそり飲んでるのかな。聞いたらまた機嫌悪くなるツボだったらと思うと聞けず、もう何も出来ないや。
ことはできないので、
とりあえずどこに住んでるかわからなくする手続き(住民票に制限をかける)をした。
親は典型的な人格障害者で、いい歳こいた子供に執念を燃やす合法的ストーカーなので、
とりあえず勝手に会いに来たり連絡を取れないようにすることで精神の安寧を保つことにした。
(鬱病なので)
ここまではただの前書きでどうでもいいのだが、
役所で手続きをする前に警察にDVとして相談に行くという手間がある。
私はまず役所に行き、親切なお姉さんに方法を聞いていたため余計にではあろうが、
普段は精神科医か親しい友人にしか話さないようなことを、親身とは言えない他人に話すのは疲れる。
出てきたのは白いスーツ姿の若く優しげなお姉さんだったが、それでも警察官だ。
警察官とは、基本的に他人を責めることに特化した職業といえる。そう思った。
こっちが子供の頃からどんな暴力や支配を受けていたかを話しているのに、ヘラヘラ笑ってて何わろとんねんと思った。
(おそらく安心させたいという意図があるのだろうが、医者でも友人でもこんな反応をするやつはいない)
交番にいるお巡りさんはわりと人間味があり頼れるイメージがあるのだが、署にいるほうはダメ。不信感を抱かせる原因。
これから手続きに行く人は頓服を持つか、酒を飲んで行くか、ぬいぐるみでも抱いていくか、
とにかくなんか気が楽になる工夫をしたほうがいい。
あと、住所を移した日に申請したとしても一ヶ月くらい完了までにラグがあるため、
その間に調べられたらアウトじゃね?と思った(杞憂で済んだが)。
手続きの流れについても書いておこうと思ったが、
ワイ40代、発達障害の子を育てながらうつ病通院してるパートタイムおばさん。
もともとは正社員で管理職だったけど、子が小学生の時に発達障害と診断され学童保育に預けるのも無理そうでパートに転向。
障害年金を受給できたらパートをやめて、もっと子供のケアに向き合えるかな?と思って社労士さんに相談。
だが現実としてパートだろうと働いていたら受給は難しいらしい。
しかも子育て・家事・パートとできていれば「問題ないやん」と思われて、まず不支給なんだと。
いやでもワイ、余裕でやってるわけじゃないんよね…。
できているっていうか、やるしかないからギリギリやってるだけで…。
毎日うつ病の薬と睡眠導入剤飲んで毎月病院通って、やっと精神を狂わせずに保ってるんよ。
世の中それよりもっと酷い人がいるのはわかってるけど、ワイはもう限界を感じとる。
おそってくる希死念慮をごまかすように頓服飲んだりしながら毎日を乗り切っている。
かといってパートやめたら暮らせないんです。
「気丈にふるまっていたけど,あの人自殺したよね」「あいつ死ぬ死ぬ言ってる割に全然死なねーじゃん」
30代になる程度には年を重ねると,一度や二度とは言わずにこういったことを経験することもあるのではないだろうか.
では,この人たちの思考の境界線,自殺へ発展するか否か,はどこにあるのだろうか.
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僕は双極性障害とADHDとASD(共に診断済み)を持っていて,精神手帳2級と障害基礎年金2級を持ってる,博士課程(理系)の学生だ.
(おそらくASD傾向が強くて)自身の思考を内省したり,薬を調節して自身の人体実験をするのが結構好きである.
希死念慮が強いときも結構あり,死にそうになるたびに「今日も自殺願望湧いてて草,頓服飲むか~死にてー.殺してくれないかなぁ」などと思っていたりツイートしたりする.春になり,暖かくなり,生物の活動が活発になるほど,自分のことを惨めに感じ,死にたくなる.
そんな僕が最近"自殺の境界線を越えたな"と感じる場面が,先週うつ転して以来,多々あるので,死ぬ前に見えるところに日記を残そうと思い筆をとった.
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普段の思考はいわゆる一般人と変わらないであろう,と思ってる.それなりに勉強できるし,友人とのやり取りやツイッターなども楽しめる.たまには知り合いとディスコードで雑談したり,Youtubeの面白い動画をみて笑ったりできる.正直,そこには障害も何もない.神経多様性も何も感じない,普通の人生.
お薬を飲んで,早めに休憩を取って,適切なタイミングで頓服を取れば,皆と同じように博士課程も進めることが出来るだろう.ドクター後の研究者人生は大変なのかなぁなどとぼんやり考えていた.
実際,ここ2ヵ月,修論発表や博士課程入試後,は気分がよかった.簿記を勉強してみたり,専門科目の勉強をすすめたり,研究会に行ってみたりと落ち着いた生活を送っていた.
だが,春になり入学式のシーズンが始まると,やけに思考の歯車が狂ってくるのを感じる.うつ転した.
双極性障害やうつ病といった気分障害というものを知らない方たちに説明するが,気分の落ち込み,即ち抑うつ気分は病的なものであり,希死念慮や自殺企図といったものもある種病的な自然発生の仕方で,脳内で発生し,循環する.
そのたびに,僕は「このような思考障害はドーパミン系の回路を含む脳の血流の問題であるだろう*」とか,「思考制止が表れてるか判断する方法はないのか」などといった,片手間で眺めていた精神医学の本の知識を思い出す.
(注*直接は書いてないが,電気けいれん療法などがうつに聞くということから,脳の回路の循環をとめ,血流をよくすると治療抵抗性のうつなどがある程度寛解するのではと考えている.精神医からすると違うかもしれないが.)
とにかく,自殺願望は自然現象であり,止める手段といえば頓服(抗精神病薬)を飲み,休憩することで少しは改善するが,基本的に避けようがないものである.
では,このような自殺願望が止められないというようになったらどうするべきか,それは入院である.
入院して,テレビや数年前の雑誌,かるたやオセロといった制限された娯楽しかない場所に行き,2-3か月療養することである程度は回復する.死ぬといって暴れれば,保護室(ベッド以外何もない部屋,持ち込み禁止で水を飲むか思考するかしかできない)へ送られる.そんな人生.
もちろん,一度入院した身としては思考の歯車が狂い,希死念慮を唐突に感じるようになったとて,数週間も入院はしたくない.その思いが強く,うつ転し,希死念慮を鋭く感じて手元にあった薬でODして吊るか悩んだあの夜は乗り越えた.
そう,希死念慮から見ると自殺企図はすぐそこにあるのだ.手段を考え,行動に移すかはほとんど希死念慮を感じ取っているときから始まっているといっても過言ではない.少し大げさだが,高学歴の大学を出て,修士課程まで専門分野をある程度修めて,博士課程でやっていこうとする人間が言う位である.こんな僕でも,この瞬間は大真面目に自殺を一時間位考えていた.あの瞬間に,決意のようなものが漲っていたならば,今この場には居ないと思う.
一度目の入院以降,ヘルパーさんといった家事のお手伝いの人や,訪問看護師が週3回入って傾聴してくれていて,二週間に一回は必ず病院に継続的にここ4年程通っているという状況だ.病気の人ならこれ以上努力すべきところはないといってもいい.なのに自殺願望は訪れる.うつ転,抑うつ気分,希死念慮は避けられない.
普段はナイーブなことなど微塵も考えてない.面白いコンテンツに触れることが出来るし,みんなも普通に会話してくれる.なのに唐突に死にたくなって仕方がなくなる.自分の価値を否定して,自らの生を否定する.
まずは自分の死にたさがどこからどの程度来るのかを観察しよう.うつ病ならうつ病の薬を貰い,適応障害なら職場からいったん離れよう.自分を否定し殺そうとする職場なんていても意味がない.好きな職場なら,少し回復を待ってからでもいいではないか.僕も指導教官から少し見放されてはいるが,回復という名目で少し距離を置いていいと思う.見放される原因は一過性のストレス障害である,適応障害だった.
今死にたがってる人を見かけてるみんな,生存戦略しましょうか.
青年期なら,青年期特有の心の動きというものがある.死にたくなったり突然幻覚幻聴といった一過性の精神病の症状がでることだってある.その子も,一つ一つの自殺願望を乗り越えれば,一歩ずつ大人になれる.大人になると,発達障害を含むいろんな障害が少し和らぐ.対人関係の距離感というものがあるが,仲良いなら仲いいほど良い距離感でいてあげればいい.対人関係という網は自殺からその子をある程度守ってくれる.
既に病気を持っている人なら,落ち着いて入院セットを整えよう.次に自殺願望がわいた時が最後かもしれない.
自殺というのは,現代社会において1,2位を争うほどの死因であるところの,「病気」である.その病気は最善を尽くしても避けられない場面は多い.対人関係などのバックグラウンドがあるとその病気を改善しないにしても守ってくれる.みんなも自分の身や大切な他人の身を守ってほしい.「死にたい」のすぐ先に「死」がいつでも待っている.
今年、心療内科に初めて行ってから現在に至るまでの変化を、吐き出しておく。
自分にはひどい先延ばし癖があって、学校を退学した過去がある。
今年前半にその悪癖が悪化した。また同時期に就寝時間・睡眠時間の乱れが悪化した。
そうして仕事にも無視できない影響が出てきた。そこで、初めて心療内科に行くことにした。
初診で何かテストのようなものを書いて、その後診察を受けたが、うつ状態ではないと言われた。
なんらかのアドバイスや処方によって、先延ばし癖を少しでも改善できたら儲けもの程度に考えていた。
それほど長くないやりとりの結果、抗精神病薬と抗不安薬と睡眠導入剤が処方された。
抗不安薬については、その後増量したり種類を変えたりしたが、効果を実感できたことは一度もなかった。頓服の処方なので現在は飲んでいない。
睡眠導入剤については、とても効果を実感できた。飲んでからホットアイマスクをして横になれば、夜明けまで寝付けないということはほぼ無かった。
自分に一番影響を与えたのは、抗精神病薬だったのではないかと認識している。
飲みはじめて最初に現れた変化は、横になったとき、じっとしているとむずむずして、身体を動かしたくなってしまうことだった。
それは耐えられないほど苦痛というわけでもなく、睡眠導入剤があれば寝ることもできていた。そういうこともあるのか程度の印象だった。
その後の通院で相談してみたところ、ひとによっては、いずれその症状はなくなるとのことで、様子を見ることになった。
またしばらくした後の通院で、効果が実感できないことを伝えると、抗精神病薬を増量してみようと言われる。
いくらか経ったあと、新たに2つの変化を実感することができた。
1つは身体を動かすことが苦じゃなくなったこと。隙間時間に筋トレを挟んだり、買い物に出掛けるとき無駄に走ってみたり、そういったことが抵抗なくできた。
1つはネットで時間を潰すことが苦痛になったこと。暇なときにネットで時間を潰そうとしても全然長続きしなくなり、それへの興味自体がとても薄れていった。
このとき自分は、もうこの薬とずっと付き合っていこう、薬があってはじめて人並みの責務をこなせるようになるんだと、そんなことを考えていた。
けれどこれらの良い変化は長続きしなかった。いつからか不安と希死念慮が襲ってくるようになったからだ。
抗精神病薬を増量したことが、時間差で悪影響を及ぼしたのか。もともとこの抗精神病薬自体が自分に合っていなかったのか。それはわからない。
自分は高さ20m以上はあるであろう階に住んでいるのだけれど、ベッドのすぐ近くに窓があり、ベランダなど無いので開けて見下ろすとただコンクリの地面が見える。
それが非常に辛かった。すぐ近くにある窓を開けて乗り越えるだけで、全ての不安から解放される。何かのはずみで、そんなことを行動に移してしまわないか怖かった。
楽しいことやりたいことは、なにもなくなってしまい止めた。食事をとらない日が増え始め、部屋も散らかりだし、入浴できない日が生じるようになった。
集中しようにも頭が回らず手が動かない。幸いにして仕事が忙しい時期ではなく、職場のひとに恵まれていたので、そこは大事にはならなかった。信用は喪ってしまっただろうけれど…
そんな中、以前から入っていた予定があった。気の知れた同性の友人と、仕事終わりの時間に、近所の居酒屋で食事をする。ただそれだけ。
それだけなのに、家から出るのに、大きな負担を感じていた。なんだか息が荒くなるし、説明できない不安がやってきて、ベッドの上で丸まっていた。
でも、ここで逃げてしまっては、もう何もできなくなるのではないかという恐怖もあった。それまでも散々逃げて、やることを止めたり後回しにしてきたから。
どこかに残っていた勇気を絞り出して外に出たとき、自分は人生で指折りに大きな達成感を覚えた。
とはいえ先延ばし癖がある自分、人生を振り返っても大したことは何も為せていない。なので、多くの人にとっては取るに足らないような達成感だったかもしれない。
そんなようなことを、通院のときにもっと詳しく話して、親身に聞いてもらい、何らかの言葉が欲しいと思った。
実際は、ほんの上辺のことしか話せずに、あるいは聞いてもらえずに、それはうつ状態ですねと言われた。抗精神病薬の種類を変えますと言われた。
そのときになってようやく、自分は選択を間違えてしまったのかもしれないと深刻に考えるようになった。選択の是非については、いまだに判断がつかない。
新しい抗精神病薬を飲みはじめてしばし経過したいまでも、あのとき襲ってきた不安と希死念慮が落とした影を拭いきれていない。
なにが楽しくて、なにがやりたくて、生きるなんてことを続けているのか。そんな考えに囚われてしまい、ずっと抜け出せない。
これまでそんな考えを抱かずに、漫然と日々を過ごすことができていたのに。
振り返ってみると、これほどまでの苦悩は久し振りだった。学校を退学して以来かもしれない。
年に半分以上のひとが辞めるような職場に居た時も、半年近く失恋したような気持ちを引きずっていた時も、ここまで深い苦悩ではなかったように思う。
もしかしたらこうやって悩んだことは糧になるかもしれない。学校を退学するまでの悩みは糧になってなさそうだけれど…
来年は素敵な経験をたくさんして、今年こうやって悩んだのも全部が全部悪いだけではなかったんだと、折り合いを付けられると良いな。