
はてなキーワード:頑迷とは
『教皇選挙』で(映画内では頑迷な保守の“悪役”ポジションの)テデスコ枢機卿が食堂でのシーンで指摘していた、「結局人間は心地よい身内同士で固まって座る」について、映画ではなんらかの有効な反論や回答はなされなかった。
彼は人間が本質的に持つ愚かさ、卑小さ、差別心、排他性を見抜いていたのだ。
本当の保守というのはこういうことで、「人間は愚かである」「人間は最終的に利己的である」「人間は進歩などしない」という前提に立って、物事を考える。摩擦が生まれるから移民は最小限に、というのも人間の“愚かさを信頼している”からだ。
我々は差別的で、目先のことしか見えず、自らの所属する群れ(国、会社、家族)の利益しか考えない。
我々はいつでも道を踏み外す可能性がある、野蛮で愚かな生き物なのだ。
そんな当たり前の人間的欠陥を、まるで自分にはないかのように振る舞うバカが昨今のリベラル。そしてその態度で“目覚めていない”他者を見下し、啓蒙する姿勢を崩さない。彼らこそがトランプ政権を誕生させたのだ。
俺の立場に一番近い党に入れてきたし、それは勝たせたいときはもちろん、「これは、当選厳しいだろうな」というときもそうだった。
勝ち負けではなく、自分の希望するところに票を入れた、という自己満足を優先する余裕があった。
今回は、あそこだけは絶対に落としたい。それなら与党でいい。まさか、こんな発想を持つことになるとは。
今まで、粛々と与党に票を入れ続ける頑迷な中年~老人たちを「頭が固いな、邪魔っけだな」と思っていたが、
わけのわからないものに対する、「何言ってんだよ、きもちわりい…」というのがあって、それに対抗するための合理的な
選択肢としての最大与党への投票という部分がきっとあったんだろう。
もちろん、一見するとわけのわからなく見えるものの中にも、良いものと悪いものがある(と信じている)。
婦人参政権だって、当時の世相で言ったら、主権者である男性たちには相当気味が悪く感じた人もいたはずだ。
そういう空気感を突き破って実現したわけで、不気味で不快に見えるものでも、それは見る者の立場がそうさせるだけで、
実現されるべきものだって含まれるだろう(もちろん、これさえ起こるべきではなかったと主張する層がいるだろうが…)。
いまの俺の最優先事項は、あの党を落とすための一番合理的なところを勝たせるための選択肢だ。
本来、与党勢力が衰えて主力野党が拡大するのが望みだけど、それが無理なら与党でいい。
オウムが出てきたときの世間ってこんな気持ちだったのだろうか。それとも、あれはにぎやかしと見る余裕があった気もするから、
比較にならないだろうか。
今回のはものすごく怖い。個人個人ではなく(個人の非科学性や狭量さを過剰に批判するのは、俺的には個人の
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だいわ文庫
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4.2/5平均レーティング: 5つ星のうち4.2つ星
前代未聞! 気鋭のコンサルが内幕を暴露した全米騒然の問題作! デロイト・ハスキンズ&セルズ、ジェミニ・コンサルティングと、大手コンサルティングファームを渡り歩いてきた実力派コンサルタントが、自らとコンサル業界が犯してきた恐るべき過ちの数々を大暴露。「戦略計画」「最適化プロセス」「業績管理システム」……こうして企業は崩壊する。望ましいコンサルティング業務のあり方、クライアントとコンサルタントの正しい付き合い方を提唱する。
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【目次より抜粋】
はじめに御社をつぶしたのは私です
「数人のコンサル」が歪んだ流れをつくった
「確実にまちがっている」理論の数々
ほか
お得意の「人員削減」を自社で行うはめになる
ほか
ほか
正しく動くと評価されない
ほか
公正に見える「不公正」なシステム
ほか
ほか
一度の失敗が「致命的」になるシステム
ほか
■第七章 「リーダーシップ開発」で食べている人たち
ほか
コンサルタントの「使い方」
ほか
おわりに
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お客様はこの本について、以下のような評価をしています:ストーリーが爽快で、勉強になる良書だと感じています。コンサルの現実を追求した爽快なストーリーで、意外性があって面白かったと好評です。内容については論理的で、本質的な答となっている点も好まれています。また、著者の性格や人となりが表れているという指摘もあります。コミュニケーションについても、ツールは手段であって目的ではないことを再認識させる本だと評価されています。
今はアニメTが流行ってるというか一つのジャンルとして定着してるし、パリコレにもオタクファッションが出た(doublet)
https://www.fashionsnap.com/article/anime-tshirts-talk/
でも当時のリベラルたちは自分らの政敵は「オタクな無能弱者男性でアニメTシャツを着てる人達」と描くことに拘ってきた
https://twitter.com/lautream/status/987667478028300288?t=KwUOfZKNPanDFg-yxjTM7Q&s=19
進歩的な人達ってむしろこういう時代からアニメTを愛好してきた人達なんじゃないかな?
当時のネットは日教組や左翼活動家が主に敵視される事が多いが、当然リベラルは日教組や左翼活動家側の味方でネトウヨと衝突
この頃のネトウヨは「ネットde真実」に目覚めた新世代右のwokeで、それに対し古く頑迷な頑固老人の左翼と言った感じ
後年ガラパゴスという言葉はリベラルがよく使うが、当時のネトウヨも主に軍事的に無策過ぎるリベラルたちに対して使っていた
自衛隊解体論とかを当時の左翼もとい今のリベラルは大真面目に賢しらぶって語っていたのだ
右のwokeことネトウヨもあまりにもアレ過ぎる左を突いてるだけで賢く見える低レベルな時代とも言う
この時の左のスタンスはまさに「ジャップ連呼の精神」と言うべきもので、反韓感情を持った者どころか割とフラットな人間までドン引きさせる事に成功
この時の左はドヤ顔で「俺たち最先端な人間はこうやって日本批判ができるんだぜ」と言った感じが含まれていたが、同じ日本に住む共同体の一員の人間として見られなくなる道を選んだとも言う
既にネットde真実に目覚めていたネトウヨたちが、左は昔からこんな感じと宣伝するだけで良かった
FLASH「ウリナラマンセー」を作った弄りや、反韓感情を上手く取り込みネトウヨ陣営が膨張する事に
結局のところお前在日だろとは「日本に住んでいながらまるで外国人のように振る舞う仲間意識、日本人意識のなさ」がネトウヨにとって信じ難い行為だったのだろう
ここで左の没落フラグを1つ回収した感がある
まとめブログ登場
左も左翼の自称よりリベラルを自称する事が増えたが、他称としてはまだ左翼が主流
この頃にはリベラル=高学歴エリート、ネトウヨ=底辺の弱者男性というレッテルが多く見られている
話の通じないネトウヨと、それを馬鹿にし口汚く罵るリベラルという構図が長く続くことに
この頃に賢いとされたリベラル仕草は、自分らの敵対者のステータスを徹底的に貶しめてこんな連中の陣営の味方をする奴は馬鹿ですといった感じ
これも左衰退のフラグの1つである地方差別、学歴差別、収入や容姿など「ステータス差別」を回収する事になる
この頃のリベラルはネトウヨと同等以上に障害者差別も行っていた
リベラルというのは結構近視眼的というか周りを考えた振る舞いや先々を見越した振る舞いが苦手なのかもしれない
なお当事リベラルとか名乗ってた連中はガンダムのティターンズそのままなノリだったが、本人たちは自称エリートに過ぎない
当時もネトウヨは口汚かったしツッコミたくなる所が多かったが、リベラルがあまりにも酷すぎた
リベラルは気付いてないが「右も左もどっちも酷い」とドン引きする層はこの時代に既に生まれていた
ネットもリアルも右と左は何もかも安倍晋三に飲み込まれ、いわばまさに安倍晋三環境であります
リベラル界隈ではジャップ連呼と、元々スノッブばかりだったが、より強烈な汚言症レベルの罵詈雑言がリベラルの口から飛び交うように
この頃にリベラルはネトウヨ=オタク論は全盛期で、更に相手を障害者扱いするのもより加速したので、リベラル衰退のフラグ「障害者差別」も回収している
ネトウヨとリベラル両方を否定する人間が増えていたが、それを言うとネトウヨからは左翼扱い、リベラルからはDD論者とか冷笑系と言われていた
この頃既にネトウヨやリベラルへの反感は高まっていることに当事者は気が付いていなかったのだろうか
この頃のリベラルはエリート選民主義というより、しばき隊界隈のイメージが強くなっている
増田的に分かりやすく言うと、複垢フェミレベルのリベラルがゴロゴロいたってこと
世間からの左の呼び方が遂にリベラルになった事で、リベラル思想そのものが軽蔑されるようになってきた
前からネトウヨ=オタク論が盛んでオタクに対しては何を言っても何をしても良いという風潮がリベラルの間にあった
安倍晋三が消えた事で、目下の敵はチー牛オタク弱者男性という事になぜかリベラルたちの間でなった
リベラルは水を得た魚のように自民党に投票する人と自分らに味方しない人を壺認定し意趣返しで反日扱いもするようになった
数々の積み重ねで同じ共同体の仲間とみなされず、当時を知る人間からはリベラル村の外の人間という認識にすっかりなっていたからだ
リベラルは空気が読めないからネトウヨ関連の話題にも辟易してることに全く気が付いておらず、壺連呼を繰り返していた
この頃には国民民主党やれいわなど新興勢力台頭の下地が完全に出来上がった
リベラル以外からは右と左の軸は嫌がられるようになったが、左右対立は収束に向かわなかった
リベラル政党を筆頭に既存政党は女を優遇する事に重きを置き、更に高齢者に対する優遇政策を競うかのように謳っていた……この競争は今まで長い事続いていたが、火付け役は欧米のリベラルや日本のリベラル政党やオールドメディアであった
そこに明らかに不遇扱いを受け宙ぶらりんになっている若い男に目を付けた国民民主党が現れYouTubeやSNSなどニューメディアで宣伝した事で、人気が爆発
自民立憲共産党など既存政党は女と高齢者重視、国民民主党やれいわは若い男からの支持
左右からオールド勢力対新興勢力という構図にシフトしたと語られるようになったが、女&オールド陣営にリベラルが与しているのでまだまだリベラルは暴れられそうだ
氷河期世代が若者ぶって国民民主党に迷惑をかけることもあるが、キーとなるのは「今後の生活の不安」と「限られた資源の分配の取り合い」だ
ネットの言説を見てると、
保守派は 「リベラルはお花畑、全く現実が見えずに批判ばかり」
革新派は 「保守派は愛国を隠れ蓑に人種差別を行う時代錯誤の頑迷」
みたいな感じだけど
自分はリベラルなんだけど、重武装リベラルって立場は成り立たないのかな
何と言われても、男性優位・既存権威層優位の社会だったのは否めないよ
それに対して所謂「ポリコレ」が盛り上がるのも故無いものではないと思う
かといって、地政学的に考えたら日本の立場は、中国やロシアからは狙われるのは必然的な立ち位置
これは海上運輸が決定的に陳腐化するようなブレークスルーが無いと覆らない宿命
だから、中露と「話せばわかる」なんて微塵も思わないのだけどね
ネットの言説では右左でキレイに分けすぎなんだけど、重武装(核戦力を含む)で自立して、西にも東にも是々非々で行けるときがきたらいいなあと思うのですが。
それこそがリベラル的な理想論(≒お花畑)なのかもしれませんが…
まず、自説については、さも客観的な言い方で、「全く無根拠なことではない」とか言っておく。
もちろん、そこにエビデンスは何一つなくても。
それから、相手の提示してきた客観的に正しいエビデンスに対しては、さも偏った研究結果からばかり引用してきたかのような言い方をして、「それに関しては、より広範な研究結果が求められるだろう」とか言っておく。
最後には、相手の提示したエビデンスも、「ちょっとは認めてやる」みたいな言い方をして、「自分は、反対論者のエビデンスを無根拠に否定する反科学主義者ではない」というスタンスを取りながら、結局、全否定された自説を変えることは頑迷に抵抗することだ。
なぜ言論の自由は前進と後退を繰り返すのか──『ソクラテスからSNS: 「言論の自由」全史』
https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2024/04/12/080000#fn-3a907ef9
フェイスブックやツイッターはアルゴリズムによるコンテンツモデレーションを行っているし、それはグローバルサービスが避けては通れない国家権力の圧力を受けてのものだ。
当然、そうした規制も無根拠なものではない。人種差別、扇動にプロパガンダ、あらゆる表現が世に溢れる。2018年のMITの調査によると、虚偽のニュースは正しいニュースよりも70%もリツイートされやすいという。ソーシャルメディアにおいては、虚偽やネガティブ、誇張され、感情をかきたてられる特徴を持つコンテンツは速く、広く拡散されるが、事実に即した話、理路整然とした話は拡散されない。
では、どうすべきなのか? 著者は、SNS上でのヘイトスピーチは想像以上に少なく(全体の0.1%から0.3%)、言論の抑制はヘイトスピーチを減らすよりもむしろ増幅する効果をもたらし得るとフェイクニュースも含めいくつかの研究を引きながら書いているが、ヘイトスピーチやフェイクニュースの反乱にたいしてどのように対抗していくべきかについては、より広範な研究が求められる部分だろう。
言論の自由に負の側面があることは間違いないが、同時にそれがどれほどの発展を促し、言論以外の自由の防塁として機能してしてきたのかを思えば、言論の自由を死守する意義が、本書を読めばよくわかるはずだ。
この文章の素晴らしい点は、言論の自由に負の側面があるどころか、ヘイトスピーチを減らすなど、好の影響しかなく、逆に規制は逆効果にしかならないことしか、エビデンスで証明されてないにも関わらず、「規制も無根拠なものではない」だの「言論の自由に負の側面があることは間違いない」だのと、のうのうと言ってのけている点だ。
自分たちが出している根拠は、MITの「虚偽のニュースは正しいニュースよりも70%もリツイートされやすい」という研究たった一つだけだが、これは、「言論規制は逆効果で、ヘイトスピーチを増やす」という不都合な真実を否定していない。
むしろ、言論を規制すればするほど、MITの研究通りに、虚偽のニュースがより拡散されやすくなるということが、この二つの研究結果から見えてくる。
これが、言論の自由ではなく、例えば自然保護などで、あらゆる結果から、逆効果にしかならないとわかっている政策などだったら、それが逆効果でしかないとエビデンスで証明されているにも関わらず、「広範な研究が待たれる。」だの「環境破壊は深刻で、このような措置も無根拠ではない。」だとか喚いて、逆効果な自然破壊行為を続けていたら、「環境破壊してる元凶はテメーなんじゃボケ」と、真っ当な突込みが飛んでくるだろう。
なお、こうした言論テクニックは、実際に林野庁などが、スギ植林を自己正当化して、日本人を花粉症で苦しめながら、日本の景観を破壊し続けていることに利用している。
ほかにも、同じ言論テクニックは、官僚たちの怪しい政策が、真っ当な科学的根拠によって否定されても、おそらく別の思惑によって、その逆効果な政策を続けようとする場合に、いくらでも見ることができるだろう。
そうした官僚の拙い杓子定規な使い方は、真っ当な人間に官僚不信を呼び起こすだけだが、昨今のネット叩きと、表現や言論の自由が憎くて憎くて仕方ない勢力の影響下にあるネットでは、同じ噴飯ものの反知性的言論テクニックが、拍手喝采で迎えられはしなくとも、されるべき突っ込みが起こらないというところに、最悪のポピュリズムが極まった感がある。
規制するほどヘイトスピーチが広まるのは、規制の網を掻い潜ることに長けたマスコミが、規制によって、有効な反論がされ難くなったことを良いことに暴走しているからとしか思えないが、そのマスコミが扇動すれば、こないだのイギリスのように、関東大震災朝鮮人虐殺事件を彷彿とさせるような暴動が、簡単に惹き起こされかねない状態になっているように思える。
「朝鮮人が井戸に毒を!」デマも、全ての火付け役は、マスコミだったことを忘れてはならない。
まとめブログ全盛期の頃の、悪質な大手サイトも、実際は、個人ではなく広告代理店が運営していたのだ。
マスコミの作った日本ファクトチェックセンターは、まさに「我々マスコミは事実を報道しようと努力しているので対象にしませーん」と平気でのたまって活動している連中だが、規制によってネットの一般人のファクトチェック機能が弱体化し、そうしたマスコミ製ファクトチェック機関しか残らなくなれば、また「朝鮮人が飲料水に毒を!」というデマをマスコミが拡散しても、それをファクトチェックする者はどこにも残ってはいないだろう。
マスコミが、まず在日外国人などを味方に付けるように、逆差別的な報道を繰り返すのも、明らかにこの思惑があるからだ。
「将来的には、衆愚を煽ってお前らを自由に虐殺できるように整えるけど、それまでは味方だと思わせて協力させたるわw馬鹿ネトウヨは、ただ扇動して殺し合いしてもらうだけのブタだけど、最終的には朝鮮人憎しで俺らの味方になるしなwww」
というわけだ。
実際にネトウヨが憎むべきは、逆差別的報道を繰り返したマスゴミで、朝鮮人ではないのだが、未だにマスゴミ工作員の扇動にまんまと乗せられている嫌韓ネトウヨを見ていると、彼らの工作はまんまと成功しているように見える。
『虎に翼』がだいぶ残念な感じになってきた。
自然法的な考えの無さそうな主人公(憲法が停止したら人権も停止すると考えてそうなクチ)に対して、「何故人を殺してはいけないのか」と問いかけるキャラ(ラスボスになるのだろうか)は面白かったし、被爆者訴訟についても楽しみなのだが、それらを横に追いやって下らない話ばかりしているように見えて、ドラマとして退屈だ。
かつて野田秀樹が岸田國士戯曲賞の選評で、ある作品についてこう述べた。
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この人のはいつ読んでもとてもイヤーな感じになる。いつもじぶんを正しい所に置いて、他人をやっつける。ニュースステーションのようで私はダメだ。エリートはすべてしょうもない奴、日本兵はすべて悪い奴、常にステレオタイプだ。「ベトコンを扱う米兵のように」という要らぬ形容の卜書きに作家の創作の姿勢が現れている。
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誰の何の作品に対する評なのかはここでは関係ないので触れない。
『虎に翼』でいわゆるリベラル的な主張が展開される時に感じる違和感、もう少し言うと嫌悪感は、上の感覚に似ている。
民法改正で「家族制度」にこだわった保守の論客を、単に頑迷な老人として描いていたのは、単純に卑劣だと感じた。保守は基本的に人間の理性を信頼していないので、だからこそ「家族は互いにたすけ合わなければならない」という一文を入れるのにこだわったのだろうが、そういった保守の考えは全く描かれぬまま、温かい家庭で両親の愛情を浴びまくって育った主人公が「なんでそんな言わずもがなの一文入れるんでしょうね」とぶった斬る。あのシーンは醜悪だった。
同性婚についても触れ始めているが、当然同じ俎上に上げて議論すべき近親婚の不当な禁止については触れようともしない。
絶対に勝てる試合を組んで主人公に戦わせる出来レースをずっと見せられている気持ちになる。
主人公が「自分は永遠に公平な視点など持てるはずがない」という当然の自覚をもっていないのも痛々しい。(現パートナーにかつて助言されたにも関わらず)
連続ドラマなので、上のような疑問や不快感は今後の展開で一掃されることもあるかもしれない。それを期待して見続けてきたが、どうやらそれには応えてくれなさそうな予感が強くなってきた。
Permalink |記事への反応(18) | 05:28
「僕は真夜中に拉致されゲイ矯正施設に送られた」...床を引きずられ監禁状態に、全米に1万か所を超える施設が
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/08/post-105377.php
quick_past かたや日本にはいまだに、ひきこもりの引き出し屋がいるのだった。親の頑迷さ、我が身可愛さ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4757490934142340160/comment/quick_past
これは過去のアメリカの話ではなく記事中には今も全米にそのような施設があって
多くの未成年が苦しんでいることが書いてあるのだが何がどう「かたや」なのか
本当に謎過ぎる
追記じゃなくて、投稿を分けて仕舞えばいいかなと思ったので、こちらで解説します。
letitbomb78増田のレビューは削除されており、それらしいレビューがあるかを目印にできないとなると、ヒントとして成立するのは「デマ本である」「欧米Amazonでは発禁」のみだと思うが、この2つで辿りつける人がいるのか?
Amazon removes 92 books promoting Holocaust denial - The Jewish Chronicle
アマゾンは、ホロコースト記念日を前にユダヤ人団体から賞賛を浴び、ショア(ホロコースト)否定を助長する92冊の書籍を削除した。
アマゾンは近年、この問題に対する世論の圧力の高まりに直面していた。アマゾンは現在、17カ国にまたがる数多くの書籍と850以上のハイパーリンクを削除している。
いわゆる「ホロコースト否定(Holocaust Denial)」です。
上のブコメの人が、ヒントを出してあっても気付かないほど、日本ではほとんど話題に上らない分野です。
ホロコースト否定が日本で話題になったのは、おそらく今まででたったの2回程度です。
一度目は、西岡昌紀という神経内科医が、1995年1月に、文芸春秋社の若者向け月刊誌だった『マルコポーロ』にホロコースト否定の記事を書いてちょっとした騒ぎになったことがありました。
その記事のせいで、売れ行きのよかったその月刊誌は速攻で廃刊になってしまいました。
二度目は、2015年10月に、高須クリニックの高須院長が「南京もアウシュヴィッツも捏造だと思う」とツイートして炎上して話題になったのを記憶している方もいるかと思います。
高須院長が〈アウシュビッツは捏造〉ツイートに抗議受け酷い反論! ご意見番扱いするメディアはなぜこの問題を報じないのか|LITERA/リテラ
しかし、欧米では1970年代頃からだと思いますが、何度も問題になっていました。細かい話を入れると1950年代からと言ってもいいかもしれません。
欧米ではベストセラーの歴史家として人気のあった、『ヒトラーの戦争』などを著したデヴィッド・アーヴィングが、自身を「ホロコースト否定者」だと、歴史学者のデボラ・リップシュタットにレッテルを貼られて名誉毀損で訴えた事件は、『否定と肯定』なる変な邦題がつけられた映画でも有名です。
欧州では20カ国弱で、ホロコースト否定の主張を公に行うことは法律で規制されています。
米国では憲法修正第1条で言論の自由が厳格に認められているため、規制はされていませんが、米国のAmazonやFacebook、Twitter(現X)、Google(YouTube)等の大手ネット企業は世界的企業のためか、ホロコースト否定を原則的に違反行為として規制しているのです。
フェイスブック、ホロコースト否定の投稿を禁止 - BBCニュース
さて、ここからはいきなり私的な話になりますが、どうして私がホロコースト否定に対して異常に反感を持ち始めたかというと、2019年頃だったかと思いますが、たまたまNetflixやAmazonプライムなどで配信されていたホロコースト関連の映画に少しだけハマったからです。
そこからどういう経緯を経たかは覚えていませんが、日本でもホロコースト否定の主張をネットで行う人がそこそこいることが見えてきたのです。
おそらく一番反感を覚えたのは、YouTubeにある『ホロコースト論争』なる動画チャンネルの動画です。多分、「ホロコースト」関連の動画を見ているうちにおすすめに出てきたからだと思います。
私自身は、その詳細な内容は分からなくとも、いわゆる歴史修正主義者(ホロコースト否定派)たちがネット上で嘘(=誤り)ばっかり言っているのを朧げには知っていたので、「なぜそんなにデマを広めるのか?」と憤ったのです。
しかし、その時にもっと驚いた(というか呆れた)のは、その動画のコメント欄ではその大半が主張の賛同者で占められていたことでした。
それで、Yahoo!知恵袋に「どうしてホロコーストを否定しようと思うのか?」みたいな質問をしたりしていたら、何人ものホロコースト否定論者が当時知恵袋に巣食っていたことも知りました。
それら否定論者は、どこで知ったのか、とんでもなく細かい論点を事細かに幾つも示して、「証拠も全くない上に、これだけたくさんの疑問があるのだからホロコーストなど嘘である」と主張していました。
直感的に、それらの細かい論点は全部出鱈目なのだろうとは思ったものの、あまりに細かい話ばかりで、当時無知だった私には具体的な反論はほとんど不可能でした。それは、『ホロコースト論争』の動画に対しても同様でした。全然知らない話ばかりなので、どうしようもありません。
しかし、日本語で細かくホロコースト否定へ反論したサイトもほとんど存在せず、ホロコーストの歴史自体をざっくり学ぶのは容易ではあるものの、否定議論のような細部の話には打つ手がなかなか見つかりません。
ただし、日本のネットでのそれらホロコースト否定派が使っている情報自体は、日本語のものがありました。「歴史修正主義研究会」だとか、「ソフィア先生の逆転裁判」(※現在はwebアーカイブ以外には存在しない)だとかいうサイトです。
どうすれば反論できるのかと考えあぐねていたら、知恵袋である人から、外国語のサイトに有名な反修正主義者のサイトがあると教えてもらったのです。
私は英語すら全然ダメで、Google翻訳ではちょっと意味がわかりにくかったところ、2020年の半ばごろにDeepLという翻訳エンジンが日本語化対応したとはてなでも話題になったのです。早速使ってみたところ、とんでもなくわかりやすい日本語を生成することがわかったので、「これなら理解できる!」となったのでした。ただし、当時のDeepLの翻訳品質は、2024年現在よりかなり低品質です。
また、その方は、過去に日本でもホロコースト否定への具体的な反論をしていたサイトがWebアーカイブに残っているとも教えていただきました。
どうにかこうにか、そのようにしてホロコースト否定へ反論するための武器を整えていった結果、約4年経過後の現在、note上には300記事以上もの反ホロコースト否定関係の記事があります。
noteは英文記事の翻訳が中心で、多すぎて何から読めばいいか分からないという諸兄には、現在休止中ですが、自分で起こした記事を中心としたはてなブログもあります。
ちなみに、noteで最もアクセス数の多い記事は、なぜか以下の記事です。なぜこの記事がダントツでずっとアクセスが多いままなのか、理由がさっぱりわかりません。
ナチスの縮んだ頭、人皮のランプシェード、人体から作った石鹸、人毛の織物? 伝説から真実を見極める(1)|蜻蛉
まぁ、最近ではホロコースト否定派に正面から反論しても大して意味はないか、と諦めています。単純にホロコースト否定派は頑迷なまでにホロコースト否定を信じており、新興宗教から脱会させるのが至難の業であるのと同じように、本当に無意味です。
ですが、Amazonレビューでは本当にそこそこ「参考になった」票を貰えていたので、その程度には役に立てたかなと自分なりには満足だったのです。100個以上付いてたものもありましたしね。
たまーに、それらホロコースト否定主張に反論していた私のAmazonレビューをTwitter上で評価してくれる人さえいました。
永久にレビューできなくなったのでその楽しみもなくなってしまいました。
あとは単に細々とこの趣味をnoteやブログで続けるだけですね。もしよろしかったら、noteでサポート(投げ銭)ください 笑
追記:
hazlitt翻訳と称して他人の記事を転載してるnote の記事は元記事の著者・掲載メディアの許諾と訳文の権利者を明記してください。権利関係が不明だと訳文の利用にもリスクがあるのでまともな人は参照しません
とありますが、もちろん著作権上の問題は認識しております。著作物を勝手に翻訳して公開することは著作権法に抵触するのは知ってます。
が、翻訳公開しているものは無料で読めるネット上の不特定多数に向けて公開された情報に限定しており、Google翻訳等の自動で翻訳してくれるサービスとやってることは変わらないと考えています。
もし仮に私の翻訳公開がダメというのであれば、Google翻訳等の自動翻訳サービスもダメなのではないのでしょうか?
日本にはフェアユースを認める判例はありませんが、とある場所で海外の方(著作者ではありません)に聞いたらフェアユースだからいいのでは?と返されています。
別に私の翻訳文を利用してほしいとも考えておらず、単なる情報の提供に留まります。私の訳文を例えば研究論文などに利用する人がいるなどとは考え難いことでもあります。
元リンクは示しているのですから、引用したいのであればそちらを利用して自分で翻訳するのが当然だと思いますが。
要は。
日本語で情報公開しないと、日本の多くの人が理解しづらいだろうから、単にボランティアでやってるのです。
それでもダメだとなるのであれば、Amazonレビュー同様、私はネットから去ります。そうなったら、もはや絶望しかありません。
当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出しに記法を用いました。
今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正、追記日付の補記を除き、情報が陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています。
スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。
中学へスカウトにきた顧問は、週に1日は休み、練習も平日は2時間、勉学の時間も大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。
私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張ってみようと決意した。
結局のところ、顧問の説明は全て嘘で、三年間がんばった先輩たちは浪人か就職で、推薦で大学に行くのは極めて少数、かつ、いずれも著名とは言い難いところだった。
それでも、しばらくは頑張った。もがいた。40度の熱を出しながら罰走を走らされ倒れた。水を被ってまた走った。自分の決断と、それを支持した親の思いを無碍にしたくなかったからだ。
だが、夏頃に怪我で数日通院し、練習に出られなかったことをきっかけに上級生による苛烈なイジメまで始まった。
大学に行きたかったので、高校は辞めるわけにいかない、と私は思っていたが、あの恐ろしい部室に行くと思うだけで、ボロボロと涙が溢れ始める。
推薦で取った生徒の不登校というのは、顧問には痛手らしい。手をかけ品を変え、顧問から登校するよう連絡があった。それでも私が応じないと、両親揃って呼び出され、強い口調での退学勧奨を受けた。
子の不登校に加えて、顧問による叱責がよほど強いストレスだったのだろう。両親まで懇願するように、それが受け入れられないと怒鳴り声をあげて退学を求め始めた。この世に味方はいないのかと絶望した。
が、結局のところ、私は図々しくも高校を卒業した。部活も半分以上ボイコットした。そして大学に通い、やりたかった仕事に就いた。
今思えば辞めても大検を取れば良いだけだったのだが、大人の不当な圧力に負けなかったという経験は、今でも自分を支えているように思う。
数は少ないかもしれないが、同じようにスポーツ推薦で進学するも、クラスや部活に馴染めなかった方と、その親御さんのためになればと、私の経験を書き残しておく。
なお、なるべくなら普通に通学して部活やって卒業した方がいいに決まっている。
それができない我々のための話と思ってほしい。
大検はそんなに難しい試験ではないが、履歴書に卒業高校が書けないのが嫌なら、なんとかして卒業を目指すことになる。
卒業には単位が必要で、単位取得には出席とテストでのスコアが必要になる。
テストのほうは、まあ、頑張って取るしかない。こういう所を読むくらいの「ナード」なあなたなら、スポーツ学級向けの試験で赤点を回避するくらいはなんとかなると思うが、どうでしょう。
クラスで浮いてしまうのは仕方ないと割り切るしかない。授業が始まれば別に気にする必要はないし、休み時間は寝ればいい。だって眠いでしょ?
行かなきゃいいのだ。授業に出て、終わったら帰る。
スポーツ推薦入学者は、部活を辞めることはイコール退学だとよく言われる。実際、そういう前提での退学勧奨が横行している。それに応じる人も多い。本人が納得できるなら、それも別に間違いではない。
あなたは正当に入学し、保護者は学費を納めている。あなたの進路はあなたが決められる。退学勧奨はあるだろうが、応じる必要はない。
(もし、念書とかを書かされていたのならごめんなさい。でも、そんな念書有効なのかなぁ。)
そして、部活に行かないこと、やめたことを理由とする退学処分なんて、通常なら出しようがないはずだ。ナードなあなたは暴力を振るうことはないし、成績も悪くない。わざわざ制服でタバコを吸うこともない。
生徒手帳を開いて校則を読もう。あなたならちゃんと読み取れる。なにか退学に値することをあなたはしているか?していないはずだ。
とはいえ、退部届を出すのはポイントオブノーリターンを超えてしまう。私は退部届けは出さず、部活に出ないに留めた。
時折顧問に呼び出されたが「いじめがあるなか部活には行けません。すみません。」ということを述べ続けた。
顧問はいじめがあること自体を認めたくないので解決に動くこともしない。なので、一生平行線だ。
あなたが学校に行けない状態なら、少なからず精神的にダメージがあるといえる。心療内科などで相談して、その結果を伝えるのも一考と思う。
もし、やりとりのなかで、あまりにも酷いことを言われたら日時とともに覚えておくこと。それはあなたの自尊心を大きく傷つける表現かもしれないが、受け止める必要は一切ない。相手の不当性を立証する強力な武器になるのだから、内心喜んでもいい。
顧問はすぐに手を出す人間だったが、私は幸い暴力は受けなかった。ポイントは、表面上反抗しないこと。
無抵抗で頭を下げる人間を一方的に殴っちゃまずい、という計算を大人はしている。クソ野郎ほど損得計算した上で手を出しているのだ。
賢いあなたは内心、大人をバカにしまくっているだろうが、それは心の内にとどめておこう。
万が一、暴力を振るわれるようなことがあれば、それは警察に届け出ていい。仮にあなたの態度が反抗的であっても罪は罪だ。
多くの部活は3年の夏頃には引退なので、そこまでいけば逃げ切り。あとは高校生活満喫してやろう。
暇なら部活と同じスポーツを部活以外でやってもいい。部活じゃないから声出しを強いられることも、ミスを咎められてランニングさせられることもない。
大学は相応の学力があれば入れる。内申点は関係ない。顧問の権力は全く届かない。
大学では、ちゃんと勉強しておくとよい。案外、飯の種を拾えることがある。捻くれ人間のあなたと馬の合う、もっと捻くれた人間がたくさんいる。楽しいですよ。
もしあなたが部活をサボれば、顧問は「そんなんでは社会でやっていけない」「人間失格」など言いたい放題いうだろう。言われ続けるとそんな気もしてくるかもしれない。
けど、大丈夫です。私はいま、普通に暮らしている。なんなら、十分恵まれた生活を送れているくらいだ。
正直、一部のブラック企業を除けば、イかれた高校の部活のほうが「社会」よりよっぽど理不尽だ。認めたくはないが、部活で地獄を見た分、多少のことには動じない。それは一つの強みになっている。
あなたも、実はすでに一般人の平均よりも理不尽耐性が育まれているし、一度は推薦を受けるだけの身体能力ないし学習能力があり、こんな長文も読みこなせるのだから、世間からみれば優秀な人材だったりする。
あなたは社会に通用しないわけではない。むしろ活躍の機会があると思っていい。
それから、一度逃げたら逃げぐせがつく、みたいな言説もあるが、逃げぐせ、結構じゃないですか。私は激務で殺されかけたこともあったが、逃げぐせのおかげで死なずに済んだ。より良いポジションをとれた。適切なときに自分を守れるのは恥でもなんでもない。
一度死んで死にぐせがつくよりいいんじゃないですか。
小学校、中学、高校とくると、高校が世界のすべてのように感じるし、高校でうまくいかないと人生の全てがうまくいかないように感じる。私はそうだった。
でも、実際は高校なんて人生のごく一部にすぎない。思い出せば色々あるが、思い出すこと自体少ない。どうでもいいんですよ。
あなたが真っ当に部活に出なくなると、顧問をはじめ、高校側はあなたに対して色々言ってくる。でも、高校は別にあなたの人生に責任を全うするために何かを言っているわけじゃない。向こうは向こうの都合があり、そのためにあなたを退学させたり登校させたりしたいだけなのだ。
正直、イージーではない。同級生に蔑まれたり、恨まれたりすることもあるだろうし、親の協力も得られないかもしれない。
でも、騙されたとはいえ自分で選んじゃった道なので、まあうまくやるしかない。何度も言うけど、高校の知り合いなんか一生会わないこともできるから、適当でもいい。
なんにせよ、スポーツ推薦が体に合わなかった人は、大変だけど、とにかく死なないことは徹底してほしい。
死ぬことに比べれば、一瞬しか関わりのない人間に嫌われるのなど無傷に等しい。常にいい人でいる必要はないんだから、高校時代まるまる、いい人を封印したっていい。
あなたの善性はイかれた部室の中でではなく、将来出会う真っ当な環境で、真っ当な仲間に対して発揮すればいい。今は図々しくあれ。サバイブすることに全力を傾けていい。頼れそうなら親に頼れ。高校と関係ない友達を大事にしろ。
健闘を祈る。
お子さんの状況に心を痛めているのではないかと思います。思うようにいかない毎日に強いストレスを感じていることでしょう。
私も今は二人の子の父親です。親御さんのお気持ちも今となっては察することができているつもりです。
大変ななか心苦しいのですが、ひとつだけお願いがあります。お子さんの人格や将来を否定するような言葉だけは止めてください。
私はいま、十分に幸せな生活を送っていますが、不登校時代、高校を辞めさせたくなった父が絶叫した「お前の人生はもう終わってんだよ!」という言葉が忘れられません。
私が学校に行けず、さりとて辞めることもできなかったのは、私自身が人生をどう打開すべきか、悩み続けていたからです。
そんなことを知ってか知らず投げつけられたその言葉はかなりのショックでした。親に叱られることこそあれ、将来を否定されることなど想定もしていなかったからです。
私は全くの無意識に「いつか必ずお前を殺す」と口走りました。
口から出た言葉が己の耳に入った瞬間、私は後悔しましたが、謝罪なり撤回なりの言葉を紡ぐ前に、父は「おう、そうしろよ!やってみろよ!もうとっくにお前は終わってんだよ!」と叫び続けました。
私のなかで父への信頼、敬愛が全く失われたことをよく覚えています。
このやり取りを思い出すたび、未だに激しい怒りに身を任せそうになります。
子供を連れて実家に帰るとき、父は人生が終わったはずの息子が連れてきた孫を心から歓迎して、膝に乗せておしゃべりをしています。
父の心底幸せそうな顔を見ると、今この瞬間、父を殴りつけてあのやり取りを思い出させ、徹底的に謝らせて、痛めつけた挙句に殺めれば、いくらか救われるだろうと思う自分がいます。
しかし、父の笑顔を見るたびに、お前のいうとおりにしてやるよ、と告げたくなるのです。おそらく、私は父が死ぬまで、父を殺す機会をうかがい続けることでしょう。
父と会わなければよいわけでもないのです。
子供たちはしょうもない私に対して無償の愛を向けてくれます。この子達のように率直に父を愛せたのならどれだけ気楽だったのだろうと考えてしまいます。そして、あの日の怒りを思い出してしまうのです。
ベビーベッド、バウンサー、公園の砂場、保育園の帰り道、アイスを食べながら休むベンチ、初めてのランドセル。幸せに満ちているはずの至る所に父への殺意が頭を顔を覗かせるのです。
そして、いずれ私自身が父のように、子供を否定する日が来るのかもしれないと怯え続けています。
結局のところ、私の傷は社会に受け入れられても癒えることがありませんでした。20年近く前の親の一言で、私の人生の一部は壊れてしまっているのです。
しかしながら、どうか、どうか、お子様の人格と将来を否定しないでください。
長文、乱筆失礼しました。
(なんかうまくいかず、再投稿してしまっていたようです、ごめんなさい。こちらに改めて記載します。)
このような長文、悪文にも関わらず、想定を遥かに超える反応をいただき、驚いています。読んでくださった皆様、ありがとうございます。
疑問点もあると思いますが、身バレはしたくないのでこれ以上の説明は避けます。
温かいコメントや反応が多いことはとても嬉しいのですが、想定外でした。
ここまで好意的な意見が多いと、私の手法がみんなに支持される、定石や必勝法のように思う人(特に危険なのは中学三年生)が出てくるのではないかと、少し不安になってきました。
その点について、もう少し書かせてください。
私の対応はあくまで緊急避難であって正攻法ではありません。私のパーソナリティ、顧問の間抜けさ、高校の意外な寛大さが合わさったという偶然の部分が大いにあります。
また、同じようにスポーツ推薦で入学し、日々理不尽と闘う同級生、先輩後輩からすれば、私のような立ち回りをする奴は完全なクソです。皆さんが顧問に対して抱いてくださった反感と似たような感情をぶつけられる対象になるのが普通です。
必勝法でもなければ、周囲に褒められるやり方でもないのです。
「とりあえずスポーツで行って、ダメならサボればいいか」というのは絶対にやめたほうがいいです。実力で行ける高校に行きましょう。
もしあなたが極限状態にあるなら、私は何度でも「自分本位と言われてもいいからサバイブしてね」と伝えます。これは全くの本音です。大人に迷惑をかけてもいい。生きましょう。一般社会より厳しい世界をあなたは知っている。あなたは人に優しくなれる。あなたの優しさを、まともな世界にまで運びましょう。
でも、あなたがまだ選択の余地を残しているのであれば、最初からこんなことを狙っちゃダメだ。
愚かで幼稚な父のために、私と子供達の幸せが犠牲になるなんて絶対におかしい。
高校時代の出来事など、人生のうちの一瞬のことに過ぎない。俺自身、そう書いたではないか。
許すことはできなくても、忘れること、思い出さないことは努力できるんじゃないか。
というところです。話し合いは正直怖いんですよ。年老いた父は幼い孫たちには優しいですが、母や私のきょうだいにはますます頑迷になっていて、本当に手をかける結果になりかねない。
心配してくださったみなさん、労ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。
この文章が、必要とする人に届いて、悩む学生さんが希望する進路へ進む契機や、良好な親子関係の構築の一助になれたとすれば、これに勝る喜びはありません。
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