
はてなキーワード:音楽業界とは
大学を卒業して10年間、音楽の世界で自分の歌で稼ごうと夢を見ていた。寒い夜に路上で弾き語りもしたし、ライブハウスで前座を長いこと務めもした。それでも、マイナーレーベルからCDが3枚出たので、そんなに悪くはないと思っている。
そのあと、印刷工場に就職した。職場で変に目をつけられたりいじめられるのは嫌なので、国立大卒を隠して、履歴書ではFラン大卒にした。ばれると思ったが、これまで案外ばれてない。たまに、上司に増田君は手際がいいねと言われてヒヤリとするくらい。夜勤のある仕事で、稼ぎはまあそれなりだけど、1人が生きていく分には問題ない。忘年会のカラオケで歌がうまいねと褒められるのもすこし楽しい。
音楽業界とは縁がなくなったので、当時の人間関係もサッパリ切れたのがよかった。才能のない人は他人を嫉妬ばかりして足を引っ張るし、才能のある人は実績を作ろうと他人を蹴落とそうとカリカリしているので、業界の雰囲気は思ったより悪かった。
いまは家に帰ると、本を読んだりネットの記事を見たりで過ごすことにしている。ビッグデータの監視資本主義社会だけど、内心の自由は保たれるように努力している。頭の微小電流をスキャンすれば思考内容が翻訳される時代は、自分の世代の生きている間は来ないと思う。だから、読んでなにを考えたかは誰にも教えない。
趣味嗜好は変わるものだし決意すれば変えられる。だから、この時代、自分の中の変わらないものをデータとして吸い上げられないように工夫するのが生きるコツだと思う。例えば、能力や素の人格、内心を特定する情報をGAFAに売らないし、避けられない事情があって外に出すときには必ずノイズを混ぜる。どこにどのくらいノイズを混ぜたかは、自分だけの秘密にしておく。
例外はコンテンツだ。クリエイティブなものは売りに出して、見せたい自分をデータとして見せるのがいいのだ。そうすれば、データ市場はそれを見て自分を判断する。知恵と創造性だけは、真似できないし、アウトプットを推測できないから。当分のあいだは。
友人に誘われて、3回目くらいのモーニング娘。25のライブに行ってきた。
念のため背景を少し。
自分は30歳前後の男で、音楽ライブは通算100回くらい経験。
本ツアーは2回目の参加。
良かったところ
•何度見ても、連続であれだけ歌って踊れるのは驚異的。単純にすごい。
•卒業コンサートという文化そのものを体験できたのは大きかった。
•トロッコはなかったが、横アリを練り歩いてくれたおかげで、過去一メンバーを近くで見れた。
•最後の「BGMを流さず会場を歩く」演出は、妙にグッときた。静けさの力。
気になったところ
•グッズのデザインが購買意欲を刺激してこない。もう少し「今の感覚」に寄せられないのだろうか。ダサく感じる。
「I surrender 愛されど愛だけ」はクオリティが高い。あれで全部で見たくなる。
•MCが極端に少ないので、名前と顔が一致するタイミングが最後。
•卒コンなのに、残るメンバーからの言葉は全員ではなく数名のみ。後輩も大事だが、長くやってきたメンバーの言葉も聞きたかった。
アンコール1回目のコールで名前が混ざってしまうのは当人が気の毒に感じてしまった。
•年齢層が高めで、トイレや会場周辺で大声で盛り上がるおじさんに遭遇する率も高い。雰囲気に少し圧倒される。
久々にiTunes Storeを使った。「今これだけ拡散の時代なのにもったいない」と思ってしまう。
•既存楽曲の曲数が圧倒的なので、知らない曲が来るとそのまま曲名が分からず終わる。
•最近流行りの「撮影タイム」的なものが1曲あってもいいのでは、と思う。
全体としての印象
ただ、演出と設計次第でもっと光るのではという惜しさも同時に感じた。
でも、これこそが「ハロプロらしさ」なのかもなーとは思った。
長年続いている文化に対して、
「演出が古い」と指摘するのは、
だが、そろそろアップデートが行われるべきとも思う。
まず前提として、なぜこの施策が出てくるかというと、若年層や都市部での支持を拡大したい狙いはあるだろう。長期政権を維持するためには、この辺へのアピールも重要になる。
あと、文化外交を行うことで自身の「硬い」印象を和らげたい総理の意向もあるだろうし。自民党内でも派閥間の調整が不要で、反対も起こらない領域、かつ経済的なコスパが高いという点で上手な選択ということになるかもしれない。
この政策が本当にうまくいくかどうか。
「そこそこ期待はできるけど、何もしなければ普通に失速する」くらいのラインにあると思う。
方向性そのものは間違っていないと思われる。むしろ、音楽やコンテンツを国の戦略産業として扱う発想自体は、もう世界では当たり前の流れになっている。
韓国がK-POPでやったように、文化を外貨を稼ぐ装置として育てるのは、もう実験段階じゃなくて実践のフェーズに入っている。
ただ、日本の音楽業界は、構造そのものが「海外に出なくても食えてしまった国」仕様のまま止まっている。
国内市場が大きすぎたせいで、わざわざ外に出る必要がなかったし、CD文化が長く続いたぶんデジタルへの切り替えも遅れた。
権利関係もとにかく複雑で、海外配信ひとつ始めるにも手続きが多すぎる。気合や根性でどうこうなる話じゃなくて、単純に「輸出向きの構造になっていない」というだけの話でもある。
素材そのものはそんなに弱くない。(はず。)
アニメと結びついた音楽はすでに海外で普通に聴かれているし、YOASOBIやAdoみたいに、言語の壁を超えて届いている例もある。
シティポップやロックもニッチだけど確実な需要があるし、ボカロやDTMの裾野は異様なくらい広い。
たぶん問題は「才能がない」ことじゃなく、「運ぶ橋が細すぎる」こと。
ここで国がやろうとしているのは、その橋を少し太くしよう、という話なんだろうけど、やり方を間違えると、いつものパターンにすぐ落ちる。
大手プロダクションにだけお金が流れて、現場のクリエイターまでは届かず、海外向けを意識するあまり無理にK-POPっぽくなって、結果として誰にも刺さらないものが量産される、という流れ。
クールジャパンで見たやつ。
本当に意味のある支援になるのは、たぶんもっと地味なところで、海外でのプロモーションの実務を誰がどう回すのかとか、ツアーをやるときの物流と費用をどうするのかとか、翻訳やプレイリスト入りを誰がどう後押しするのかとか。
そういう一つひとつは派手じゃないけど、ここが詰まっている限り、どれだけ良い曲があっても外には出ていかない。
K-POPはこのあたりを、海外レーベル・配信会社との共同ファンドを設立してサポートしたことが成功の秘訣とも言われている。
文化輸出って基本的に成果が出るまでに何年も普通にかかる。短期の選挙サイクルと相性がめちゃくちゃ悪い。だから途中で「成果が見えない」と言って叩かれやすいし、続かなかったらそこで終わる。
そして「やってる感」ではなく、効果が出る施策設計になるのかどうか。
要チェックや。
[B!人生]飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark -国内・海外ゲーム情報サイトhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html
kuruse_haya飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから、飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う
飯野賢治を理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。
90年代の日本は雑誌文化の最盛期(https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲームの情報もゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらにCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。
飯野はゲームのスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。
SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二、糸井重里、さくまあきら、広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社に所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂や坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金子一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司や鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。
ゲーム雑誌においてゲームクリエイターの露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。
――他に音楽業界の手法で言うと、クリエイターのクレジットをちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれたものですよね。
川上氏:
当時は、みんなゲームクリエイターの名前は隠していましたからね。
丸山氏:
でもさ、レコードや映画はクレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも不自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤーのスターがいて、クリエイターがスターじゃないというのはヘンじゃない。だから、メーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションしやすいよ」と説得したんだ。
※高橋名人
1959年生まれのゲーム関係者。本名は高橋利幸。ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)所属のファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。
実際、これは有効なんだよ。だって、普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。
――つまり、音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?
丸山氏:
PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社がゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者のインタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。
飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者がいかにも会社組織に所属するサラリーマンやオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社のゲームに言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョークや坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオのMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネットで動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治の奥さんがゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。
彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオのパーソナリティや、現代ならばSNSのインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。
飯野のゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものだから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野がインタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野のインタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野のインタビューを取る→宣伝になるから飯野がインタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンドの記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものだから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。
いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物(ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。
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参考までに1990年代のソフトバンクのセガハード専門誌からスタッフインタビューをリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。
ファンタシースター ~千年紀の終りに~ -小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ)
重田守(セガ)
●セガサターンマガジン1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)
ファイターズメガミックス -片桐大智、片岡洋、光吉猛修(セガ)
デイトナUSA CIRCUIT EDITION -瀬上純、澤田朋伯(セガ)
ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ)
新世紀エヴァンゲリオン 2ndImpression -小林正英、茂木幸樹(セガ)
御意見無用 -池袋サラ、新宿ジャッキー、ブンブン丸、柏ジェフリー
EVE burst error -藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也(イマジニア)
電脳戦機バーチャロン -亙重郎(セガ)
セガサターン用ワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト)
サクラ大戦 -田中公平、牧野幸文(セガ)、原太郎(ティーズミュージック)
電脳戦機バーチャロン -亙重郎(セガ)
Digital DanceMix Vol.1 -安室奈美恵鈴木裕(セガ)
●DreamcastMagazine1999年12月31日号(D2表紙)
シェンムー 一章横須賀 -松風雅也、安めぐみ、岡安啓司(セガ)
電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム -小林健太郎(セガ)
スペースチャンネル5 -水口哲也(セガ)
セガソフト7研 -大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽
プロ野球チームで遊ぼう! -瀬川隆哉、地宏之、加藤真樹、石原学(セガ)
ROOMMANIA #203 -牧野幸文、佐々木朋子(セガ)
爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー)
レコード製造産業は、20世紀に非常に大きな利益を生み出しました。日本では1970〜80年代のピーク時、売上高が6000億円台、利益も10倍に拡大するほどの巨大産業でした。アメリカなど世界主要国でも、数百億〜数十億ドル規模で市場を牽引していました。
1980年代後半になるとCD(コンパクトディスク)の普及でレコードの市場は急速に縮小。CDは音質が劣化しにくく、さらに扱いやすいという利点から一般家庭でも爆発的に普及し、CDが音楽市場を席巻しました。例えば日本では、1998年にCDの売上が約5879億円に達し、LPの生産はほぼ消滅しています。
しかし2000年代になるとデジタル音楽配信の登場やストリーミングサービスの普及(Apple iTunesやSpotifyなど)により、CDの売上も激減。2021年の日本CD売上は約1232億円まで低下しています。今では音楽業界の主力収益源は「ストリーミング・配信」へ移行し、2024年の日本の音楽配信売上は1233億円と過去最高を更新し、CD・レコードなど物理メディアを大きく上回りました。
一方、レコードは近年世界的に再評価され、コレクターズアイテムや音質重視派、クラブシーンなどで急速に販売枚数・売上が伸びています。イギリスでは2022年にレコードの売上高がCDを上回り、アメリカでも2021年に10億ドルの売上高を記録。日本でも2021年にレコードの売上が39億円に急増し、過去最大級の伸びを示しています。
音楽メディアの市場は時代とともに劇的な変化を遂げていますが、レコード産業もCD産業も、それぞれの時代に莫大な利益を生みだした歴史があります。
例の件でYOSHIKIが色々あったけど、なんか戦争始めるのかとおもったら想像以上にYOSHIKIに対して冷めた風潮が見えた。なんか大したことない人が口だけで色々してるって感じなのか。
それを言うには、まず先に現実にお出しされた作品側の解釈(とか事情)とは何か、を正しく読み取る必要があるんじゃねぇの。
音楽業界の欲、とかいう、お前の好きなアニメ業界に責任が無い奴とかではないよ。
だいたい、作品を読んで曲作ってくれの依頼→アーティストの曲ができる→それを承認する→曲にあわせた映像、の順序だろ。
俺はそういうの、アーティストの読解力・想像力の問題に、帰すると思うわ。
薬屋1期OPはよかったけどね。耽美感出すのいいじゃん。
いま1期から通しで見てるのだが、しんどくなってdアニメでの視聴止めてディズニープラスでOPED飛ばすことにした
「薬屋」の本編は後宮が舞台のミステリ仕立てで、絵作り的にも繊細な装飾品や衣装の色彩にこだわる静的な描写が基本であり、動きのあるシーンは全体に殆どなくクライマックスのごく一部だけ(なのでメリハリが効いてる)
のだが、1期OPはテンポ早いし、まあ何より猫猫がお前誰だよ感で、本編の雰囲気と噛み合わない
変なことしない、うるさくない、この路線で2期も行ってくれたらと期待していた……が、2期1クール目の時点で装飾過剰で
ごめん受け付けない
曲調が本編と合わせる気ないのに歌詞でタイアップしました~という証拠残しみたいな単語を入れてて死ぬ
EDは押さえ気味の曲路線なのだが、OPが騒々しすぎるのでEDはもっと静かに抑えてくれとなり、また、なんか情緒が多めなので本編の咀嚼をしたいタイミングで流されると邪魔くさい
薬屋が原作も凄い売れてるしアニメもヒットしすぎて音楽業界のタイアップ欲が前に出過ぎたのかなと
曲のMVとしても見れるよう、作画枚数も使っていいしゴージャスにやってくれ、みたいなリクエストが押し込まれたとか?
そのへんの圧がやや弱かったのが1期2クール目あたりじゃないかという想像(曲は押し込んでくるけどアニメは本編が忙しいからそんな頑張れませんよみたいな?)
それがヒットしすぎて2期は全部詰め詰めに詰め込んで煩くなった、かな
曲調はアニメ本編や原作とあってるように思えないのに、歌詞だけ合わせましたみたいなのが、きっつい
なろうアニメでアニメ本編も作画枚数的に予算少なそうなとこに歌詞だけヒロイックファンタジーを主張するロック調のOPとか
無理にやってるお仕事臭がすごい
そもそも「そばかす」は、歌詞が本編とあってなくても曲調はわりとカッコいいし、ジャンプバトルかつ既存のジャンプ作品より湿度高めでナヨってる作風のるろ剣と女性ボーカル女性心理歌詞はそこまで乖離してなかったと思ってる
が、最近の強引タイアップは「作品にあわせました」の無理やり感があって聴いててきつい
アポカリプスホテルの「skirt」とかロボもホテルも文明崩壊も宇宙人も出てこないけどきちんとタイアップ感ある
(アルバムが先に出てるけど、発表のタイミング的にはアルバム出てるときには既にタイアップ決まってたと思われる)
低予算が予想外に受けたり、どのアニメがヒットするかは開けてみるまで判らないにしても、アーティスト側が変に媚びた歌詞にする必要ないんじゃないかな
(薬屋の2期から想像するにフリーレン2期は音楽事務所がゴリゴリに押し込んでくるだろうからヤバそう)
アニメーターが欲望のままにゴリゴリ動かすと、作画オタは喜ぶけど一般視聴者はついていけない(80年代OVAで証明済み)
薬屋は最初に述べたように基本的に静的だし、デフォルメも多用して作画省略もしっかりやって、それが丁度いいぐらいの作品(アニメファン以外の視聴者も見やすい)
業界向けにアピールしたいとか、そもそも自分がやりたいとか、あのアニメーターを活躍させたいとか、思いは色々とあるとは思うけど、
それで見るのしんどくなってOPED飛ばされたら本末転倒だと思う
お気持ちですよアピールをめっちゃ振りまいたのでお気持ちだと察してくれてる人が多くて助かった
以下、「じゃあ何だったら好きなんだよ」をお出ししとくので気づいたやつは肴にしといてくれ
ここまでやられたら文句言えねえ
なろうのチート無双だがチート無双なバトルに関係なく内容に触れてないけど、内容に合ってる。良い仕事で好き
本編が良くてOPEDが好きになった方面。キューティーハニー諸作品の中で一番好きまである。キューティーハニー初代OPを使わないのに、しかもこんなチープなのに、なぜこんなに好きなんだ
Permalink |記事への反応(24) | 10:21
ポップミュージックでさえもメジャーに行けば個人のセンスを削り出したものから大衆を喜ばせるための最大公約数的な娯楽となることを求められて変わってしまうんだよね。
俺は別にこれを持って「メジャーミュージックはオワコン!!メジャーよ消えろ!」とか言ってるわけじゃないよ。
メジャーがメジャーであることを加速させるほどにインディーズとの相対化が進む。
棲み分けられてるってことは本当に素晴らしいんだよ。
本当の意味で自分たちの音楽をやるためにインディーズに残る人や帰って来る人がいないと、インディーズが酸っぱい葡萄をかまし続ける負け組共のスラム街になるからな。
ぶっちゃけ、音楽業界の根っこというか土台はインディーズなわけでさ、それが腐ったらメジャーも精神的な意味だけでなく物質的にも遠からず腐り果てるわけ。
何も残らなくなる。
だからさ、メジャーミュージックは音楽以外の所で勝負しまくったり権威主義に溺れまくることに対してブレーキをかけちゃ駄目なの。
その道を全力でひた走るべき。
ロックは死に、ポップは型にはまり、商業主義のためにみんなが同じ色に染まる。メジャーはそんな世界であろうとするために全力を尽くすべき。
そもそも音楽ってのは視覚どころじゃなく、はるか昔から物語性と一体となってきたもんなの。
芸術・文化・歴史がまずあって、それに付随する芸術分野として音楽があるの。
古代の儀式曲にも、吟遊詩人の歌にも伝えるべき伝統や史実があって、管弦楽が発展してからもオペラや凱歌のように人類が築き上げた物語とともに音楽があった。
だから、現代の「アーティスト」的な肩書を名乗るバンド人間がやってる「音楽」なんていうのは、個人の思いつきポエム程度の規模感でしかないもので、歌詞からその人の着想を想像するしかない、極めて属人的で独りよがりな音楽なんだよ。
むしろ現代の映画音楽やゲーム音楽のようなものこそ、音楽の本流に近いもの。
人間の性質からしても、個々の人生に依拠する音楽よりも、創作がまずあって背景の物語を想像しやすいものに付随した音楽のほうが心動かされるもんだから、
個人の着想由来のバンド音楽でもなんとか物語性を感じてもらえるように、歌詞だけじゃなくPVだとかいって映像制作して視覚にも訴えかけようとしてるの。
でもそういう分野なら、映画やゲームやドラマとかのほうが音楽の叙情性能としてはるかに上だろう。
「アーティスト」の作る音楽なんて、そういう劇伴音楽の劣化コンパクト版でしかないの。
その事実を直視しないで済むように、歌詞だけでも誰にでも共感されるような薄っぺらい恋愛ソングだのといった、まるで占いのように誰にでも当てはまる曖昧模糊とした詞を有難がるようになってるんだよ。
そして「音楽性」とやらで勝負してるようにトガって見せる。でも物語を伝播するという音楽の本質的役割にとっては、そういう音楽的個性というのはそこまで重要じゃない。マニア気取りの人間は「音楽性」を有難がりすぎ。
音楽の本質からすると、その伝えるべき物語にふさわしい叙情性さえあればいいわけだから、劇伴音楽には歌詞が必須ではない。
でも現代の「アーティスト音楽」はほとんどが歌詞に頼らないと「マスに刺さらない」代物だろう。その時点で何かがズレてると俺は思うね。
インストだけでヒットする現代アーティストがいるとしたら、それはその背後に膨大な文化的コンテキストがあるはずだ。
けれどヒットチャートの音楽はそうではなく、そうした音楽は、文化的コンテキストが存在しない薄っぺらい社会を生きる人間のためのインスタント食品のようなもの。
あるいは、「アーティストを追っかける」という文化を音楽業界が捏造して、それ自体を文化的コンテキストにすることで熱狂を演出する、空虚と狂気に覆われていると言っていい。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
名古屋土産として虎屋ういろ・青柳ういろう、郡上の肉漬けが話題に。仙台グルメ(麻婆焼きそば、牛タン、ずんだ餅)、名古屋の鳥やコアラの話題も。
ビリヤニやベトナム料理、ラーメン(見た目が悪いラーメンや宮城県の土鍋ラーメン)、トンカツ、ジンギスカン、肉バルなど各地の料理や飲食店の体験談が共有された。
アイナ・ジ・エンドの編曲者がsyrup16gのメンバーであることが判明し、音楽業界の狭さを感じるという意見が共有された。
ライブの話題では、アイナ・ジ・エンドがステージに座っていたことが話題に。
Switch2の抽選申し込みが話題になり、申し込み完了メールが遅れる問題も話された。任天堂関連ではゲーム新作(特にリズム天国やエアライド)への期待が表明された。
地方公共施設の警備業務の入札が最低賃金以下で行われていることや警備業界の人手不足に関する懸念が議論された。
日本の経済状況、特にサービス業の生産性向上の難しさ、労働環境(サビ残など)、AI導入の影響が話題になった。
投資についての情報交換が行われ、米国市場や長期投資の観点が議論された。
参加者が39度の熱で会社を休んだこと、松葉杖が届いたことなど、健康に関する報告や不調が共有された。
バレエのトレーニング法、ステンレス容器での飲料の香りの感じ方など日常の細かな話題も。
バーベキューで生焼けを食べ体調を崩した体験や、花見での混雑状況の共有など生活上のエピソードが多く語られた。
万博の過去の経験やコミケとの類似点が語られ、特に警備のノウハウに関する話があった。
大阪や新小岩、馬喰町、秋葉原、梅田など各地の観光情報や再開発状況(特に梅田の変化)が話題になった。
企業文化に関して「ゆるブラック企業」という表現が使われ、働き方やサビ残の問題、経理業務の困難さなど職場環境の不満や問題点が共有された。
新社会人の大量出勤に対する懸念、職場の人間関係の難しさや業務の煩雑さについて意見が交わされた。
トランプ政権、中国経済、戦争の懸念など国際情勢に関する話題が出た。マスコミ報道の公平性に関する議論も行われた。
南海トラフ地震についての懸念や、脅しすぎではないかとの意見も出た。
「屁」に関する冗談が頻繁に交わされ、トイレの黒ずみについて夫婦で軽い喧嘩になるなど、日常生活のユーモラスな話題も。
エイプリルフールに関連した冗談や、モバイルバッテリーのおすすめ情報が共有された。
スタンプ(ワドルディとワドルドゥの違い、もちづきさんスタンプ、ちいかわなど)の話題で盛り上がった。
以上が、1週間のオープンチャットの主なトピックごとの要約になります。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
「ゲーミングGPUの意図的崩壊:市場需要と企業戦略の乖離が示す現代的パラドックス」
序論
グラフィックス処理ユニット(GPU)は、従来、ゲーミングPC市場の発展を支える中核的技術として位置づけられてきた。しかし、2025年現在、市場を寡占するNVIDIAおよびAMDが、高収益性を有する人工知能(AI)およびデータセンター(DC)分野に経営資源を集中させる一方で、ゲーミングGPUの供給を意図的に制限する現象が顕著である。本論文は、この状況を「ゲーミングGPUの意図的崩壊」と定義し、その要因、帰結、および歴史的文脈における独自性を分析する。本現象は、需要が堅調な市場が代替技術の不在下で企業により放棄されるという、他に類を見ないパラドックスを提示し、現代の市場ダイナミクスの再考を迫るものである。
ゲーミング市場は、2025年の推定市場規模が2000億ドルを超え、Steamの月間アクティブユーザー数が1億人以上を記録するなど、持続的成長を示している(Statista,2025)。NVIDIAのRTX 5090に代表されるハイエンドGPUは、4K解像度やリアルタイムレイトレーシングといった先進的要件を満たす技術として依然高い需要を保持し、技術的陳腐化の兆候は見られない。対照的に、NVIDIAの2024年第3四半期財務報告によれば、総売上の87%(208億ドル)がDC部門に由来し、ゲーミング部門は12%(29億ドル)に留まる(NVIDIA,2024)。AMDもまた、RDNA4世代においてハイエンドGPUの開発を放棄し、データセンター向けEPYCプロセッサおよびAI向けInstinctアクセラレータに注力する戦略を採用している(Tom’sHardware,2025)。この乖離は、両社が利益率(DCで50%以上、ゲーミングで20-30%と推定)を最適化する戦略的判断を下していることを示唆する。
「ゲーミングGPUの意図的崩壊」は、以下の特性により定義される。第一に、供給の戦略的抑制である。RTX 50シリーズの供給不足は、TSMCの製造能力制約や季節的要因(例:旧正月)を超越し、NVIDIAがAI向けBlackwellシリーズ(B100/B200)に生産能力を優先配分した結果として解釈される。第二に、代替技術の不在である。クラウドゲーミング(例:GeForceNOW)は潜在的代替として存在するが、ネットワーク遅延や帯域幅の制約により、ローカルGPUの性能を完全に代替するに至っていない。第三に、市場の持続性である。フィルムカメラやフィーチャーフォンのように自然衰退した市場とは異なり、ゲーミング市場は成長を維持しているにも関わらず、企業による意図的供給制限が進行中である。この構造は、市場の自然的淘汰ではなく、企業主体の介入による崩壊を示している。
本現象を歴史的文脈で評価する場合、類似事例としてOPECの原油供給調整(1973-1974年)および音楽業界のCD市場放棄(2000年代後半)が参照される。しかし、いずれも本ケースと顕著な相違が存在する。OPECの事例は価格統制を目的とした供給操作であり、市場崩壊を意図したものではない。また、CD市場はデジタル配信という代替技術への移行が進行した結果、企業撤退が合理的であった。これに対し、ゲーミングGPU市場は代替技術が不在であり、かつ需要が堅調である点で独自性を有する。さらに、市場の寡占構造(NVIDIAとAMDで約95%のシェア、StatCounter,2025)が、新規参入者による市場補完を阻害し、意図的崩壊の効果を増幅させている。これまでの「市場の取り残し」が技術的進化や需要減退による受動的結果であったのに対し、本現象は企業戦略による能動的放棄として際立つ。
本現象は、消費者および競争環境に多様な影響を及ぼしている。RTX 50シリーズの供給不足は、転売市場において希望小売価格の2倍超での取引を誘発し(eBay,2025)、消費者不満を増大させている。市場競争においては、AMDがミドルレンジGPUで一定のシェアを確保する一方、ハイエンド需要の未充足が長期化し、新規参入者(例:中国系企業やIntelArc)の市場参入を誘引する可能性がある。しかし、GPU開発における技術的障壁および製造コストを考慮すると、短期的な代替供給の実現は困難と予測される。将来展望としては、クラウドゲーミングの技術的進展がローカルGPUの代替となり得るか、または消費者圧力が企業戦略の再評価を促すかが、本市場の持続性を決定する要因となる。
「ゲーミングGPUの意図的崩壊」は、市場需要の堅調さと企業利益追求の乖離がもたらす現代的パラドックスである。技術的代替や需要衰退による市場淘汰とは異なり、NVIDIAとAMDの戦略的資源配分が市場を意図的に崩壊させている点で、歴史的に稀有な事象として位置づけられる。本現象は、現代資本主義における企業行動と消費者利益の対立、および市場の長期持続性に対する重要な示唆を提供する。今後の研究においては、本形態の意図的崩壊が他産業に波及する可能性や、消費者側の対応策の効果について、さらなる検証が求められる。