
はてなキーワード:鞭打ちとは
そもそも「ダブスタがモラル崩壊を招く」って根拠あるんですか?
実際の社会ってダブスタだらけですよね。親と子でルール違うし、上司と部下でも違うし、国際関係なんか完全にダブスタ前提で回ってますけど、それで世界が完全に崩壊したりしてないですよね。
あと「Aちゃんは泥棒しても怒られないのに自分は鞭打ち」とか、そんな極端な例を出してる時点で議論になってないと思うんですよ。法律や規範って「誰がやったか」で量刑変わるのは普通にあることで、それを一律にしろって言うなら、裁判所も刑法もいらないんじゃないですか?
ダブスタが嫌なら、ダブスタがない社会を実現する方法を提示してから言った方が説得力あると思うんですけど、どうなんですかね。
SNS(Xなど)で「愚者が声を大にして幅を利かせる」状況は、実は聖書の時代からよく指摘されている人間社会の一側面です。
→愚者は学びよりも「自分の意見を大声で発信する」ことに熱中する。これはまさにSNSで見られる現象です。
→ 数が多ければ正しいわけではない、という視点。
「真理が倒れ、正義が遠く離れる」(イザヤ59:14)
→社会が混乱すると、愚かさや空虚な言葉が優勢になる時代が訪れることもあると指摘している。
SNSで「愚者が幅を利かせている」現象は、聖書的には新しいことではなく、古来からの「愚者は言葉を乱発し、騒ぎを起こす」姿の現代的な形です。
内容をスルーするが未成年への淫行の悪さを測ると身も蓋もないがやはり高校生と中学生と小学生で凶悪さが段違いになるように思う
ハイティーンは自然に性交を行える年齢でもあるし判断力もあり(立場の違いや強制力が関わると一気にそうではなくなる)、ローティーンでは性欲や性交能力はギリギリあるが判断力は子供そのもの、出産も危険で、男子も子供ができても責任を取りようがない生理的嫌悪感を催す年齢だといえる
そして更にそれ以下、小学生になると性交能力そのものがなく性的な行為は全て紛れもなく暴力、虐待であると共に性的な搾取であるという二重の凶悪性があるんじゃないだろうか
絵師の方も大問題になっているが、中学生との性交は社会的立場を失うのには十分な理由であると感じると同時に、ラオスで児童を虐待している人間に対して感じるような鞭打ちで罰されて死んでくれというような感情はわかない
ラオスで売春している人間が中学生や高校生を買っているのに対しては小学生とほとんど変わらない感情が湧くので、逃げられない人間を無理矢理に搾取することと、本人が望んで合意していることにもかなり差があると思うが、やはりローティーンに手を出すことは非人間として糾弾される行為として「18歳をホテルに連れ込む」こととはあまりにも差があるというのが告発者について言えることじゃないだろうか
中学生に手を出した絵師の方も大人に寄ってくるような子供は家庭環境に問題があるということを仄めかしており、売られて売春を強要されている子供とどれだけ違いがあるか分からないが、大人による性的な搾取だけではなく人間として根幹にある「人権」を強制力によって犯したということはそうでないことと越えられない重大な一線があるのだと思う
現代の日本では中東の鞭打ち刑の苛烈なイメージが強いけど、ムチは作り方次第で痛さが全然違う。
教育用の鞭マルティネは、長さは短く穂はバラバラに解けており、殴るよりも痛くない。つまるところ、鉄拳制裁のような過大なダメージを与えないためのムチだ。
ただし、エホバではムチの統一的あるいは伝統的な様式というのは定まっておらず、地域ごとに独自の(したがって地域によってはクソみたいな)鞭打ちが行われているようだ。
まあいわんとしてることはわかる。
人1人殺して死刑にするとそれ以上の刑を用意できないから1人殺しても100人殺しても変わらなくなってしまう。
だったら、人1人殺したら絞首刑、2人殺したら鞭打ち10回の上絞首刑、3人殺したらライオンの餌、5人殺したら麻酔なしで四肢切断の上死ぬまで放置とか、殺し方を痛くしていけばいいんじゃないかと思う。人を殺すような頭のおかしい人間、絶対まともじゃないから1人でも殺したりレイプしたら即殺処分して欲しい。そんなのが生きてる世の中怖すぎる。(虐待親から逃れるためとかそういうのはのぞいてね)
でも現行法だと残虐刑はだめなので、まず凶悪犯は脳がおかしいから人間じゃない、人権いらないって認識に変えるところから進める必要があるね。