
はてなキーワード:電子科とは
ネットワーク上に分散した多数のコンピューティング資源を連携させ、単一の高性能な仮想スーパーコンピューターとして機能させるという概念を実現した点にあります。これにより、以下のような具体的な成果や影響をもたらしました。
主な成果と影響
大規模計算の実現
科学技術計算分野において、分散したスーパーコンピューター群や多数のPCの計算能力を結集し、従来は不可能だった大規模なデータ分析やシミュレーションを可能にしました。
具体的な応用分野として、ナノテクノロジー、ライフサイエンス(ゲノム解析など)、気象モデリングといった分野の研究開発が挙げられます。
高速処理とコスト削減
専用のスーパーコンピューターを購入・維持するよりも低いコストで、それに匹敵する、あるいは超える高速な計算処理環境を実現しました。
既存のサーバーやPCの遊休リソースを有効活用できるため、設備投資の効率化に貢献しました。
計算資源を物理的な場所や所有者に関係なく、あたかも一つの資源であるかのように利用できる「仮想化」の概念を確立しました。
この技術は、大規模計算だけでなく、異なる研究機関のデータを連携させて新たな知見を生み出す「e-サイエンス」(電子科学)という研究手法の基盤となりました。
クラウドコンピューティングへの影響
グリッドコンピューティングで培われた、分散資源の管理・連携・仮想化といった技術や概念は、現在のクラウドコンピューティングサービスの基盤技術として継承・発展しています。利用者がコンピューティング資源の場所や経路を意識することなく利用できるという思想は、クラウドサービスの「いつでも、どこでも利用できる」という利便性に直結しています。
具体的なプロジェクト事例
NAREGI(ナショナル・リサーチグリッド・イニシアティブ)
日本では、世界水準の高速コンピューティング環境の実現を目指し、百テラフロップス級の計算処理能力を持つグリッド環境を構築する国家プロジェクトが推進されました。
産業技術総合研究所(産総研)などが、グリッド技術を駆使して日米の研究拠点間で超大規模データ処理を成功させた事例などがあります。
総じて、グリッドコンピューティングは、分散コンピューティング技術を大規模かつ体系的に応用し、科学技術の進歩と現代のITインフラの発展に不可欠な概念的・技術的基盤を築いたことが最大の成果と言えます。
役に立つかどうかは別として
8月の終わり。
高校時代の友達と集まって呑んだ。
一人は九州で電気工事の会社に、私は大阪でパソコンショップの店員、
もう一人は大阪の電気工事の会社に就職した後、続かずに辞めたが結局また別の電気工事の会社に落ち着いた。
久しぶりということで酒が凄くすすむ。
私達3人は3人とも電子科を卒業していて、普通ならば電気工事の会社(回線関連など)に就職して、
技師として生きて行くのだが、パソコンが大好きだった私は進路を決められず、
大手の電気工事の会社に就職したものの、パソコン関連の仕事の魅力を捨てきれず、
結局そちらを本業に変えた。だけど、この仕事って具体的な技術とか資格が何も無い。
Comptiaとか販売士とか、あまりとっても意味の無い資格ばかり。
私は最近とても不安だ。他の二人をみていると、どちらも高校時代に培った技術を生かしている。
この頃、私も電気技師になってパソコンは趣味にしとけば良かったような気がしてならない。
20代半ばの頃は、私も若かったので、
好きなパソコンを販売することで飯を食ったり、商品知識を生かして営業の人と話すのが楽しかった。
某オンラインゲームのオフ会で偶然知り合い、幸運にも恋人になってくれる女性ができた。
この人と残りの人生を過したい、こどもも欲しい、、
そんなことを考えていると、今の自分の仕事に自信を持てなくなってきた。
多くの人生の方向は決まっていたと思う。でもそれにあえて逆らった結果、
私は好きなパソコンを売る店員になった。そのことに後悔はないけど、
今思えばとても贅沢なことだったのかもしれない。
友達の2人も他に夢があったのかもしれない・・というかあったと思う。
一人は高校時代に調理師免許を取得しており、もう一人は一度会社を辞めてバンドマンをやってた。
でも、金銭的な理由や、親の病気、結婚など色んな理由で辞めてしまった。
そういうことを聞いていると、
ただ単に好きなことだけをやってきて、それを仕事にして、
実は先週、取引先の人と呑んでたら、いい話を戴いた。
それはプログラマの話だ。
高校の頃、一応C、JAVAを勉強して、20代前半ぐらいまで、自分なりにソフトを作って遊んでいた。
・・・だいたい1.5倍ぐらいの収入になるという。
でも、私はプログラマとは何か肌が合わない気がして仕事にしようとは思ったことが無かった。
だがこのままショップ店員を続けていていいことがあるんだろうか。
スーツを着ない、常に低姿勢な接客、街頭で大声をだして呼び込み。。
こういう親父の仕事をどう思うんだろう。
そして、いつかはおそらく大手量販店に吸収され、、
肩身の狭い立場に追いやられる。
こういうことを他の2人に打ち明けた。
すると、2人とも即答で、プログラマになれって言った。
どうやら、もう私の人生は、私一人の人生だけじゃないみたいだ。
人と一緒に生きるということは、結婚とは、自分の人生を分け合って一つの人生にすることらしい。