
はてなキーワード:離島とは
「令和ナイズされたプロゴルファー猿」と言えばそれまでだけど、王道で面白いわ。
絵柄が綺麗で見やすいのが嬉しい。
話作りやゴルフ要素も土台がしっかりしている。
「骨が太い」というのは本来こういう時に使う言葉なんじゃないだろうか。
あとキャラ造形もいいよね。
オッサンが鼻の下伸ばしながら応援したくなるいいキャラ作りだと思う。
昭和の漫画にあるような汚らしい野生児キャラよりもこういったキャラの方が読んでいて疲れないね。
言葉遣いも丁寧というか、全体に余計な悪意ややっかみがないのもいい。
ゴルフ漫画なんかは作者の薄汚れた品性から滲み出る下劣な嫉妬や蔑みが飛び交うものだがそれが嘘のようにない。
離島が舞台の作品にありがちな暴力的な言葉遣いなんかもなくて非常に穏やかだ。
凄く読みやすい。
洗練されている。
あいつら男性嫌悪まき散らすじゃん。男が女性嫌悪ネタを書くのの数倍はヘイトコメントまき散らしてる。
「ジャップオス」「男はおしゃべり金玉」「電車に乗ってるおっさんのキンタマ潰していこう」「お気持ちんぽ」とか、大っぴらに発言してそれで大量のLike稼いでるひとが公人として本出したり講演できる界隈、男にはないわ。
でも玉木はそう言ってないぞ
https://x.com/tamakiyuichiro/status/1989258643272073725
「台湾有事」が日本の存立危機事態(=限定的な集団的自衛権を使える状況)に当たるかは、法律上とても厳しい条件があるため、台湾が攻撃されたというだけでは認定できない。
→日本は台湾を国家承認していないため、台湾への攻撃では条件を満たさない。主に米国が対象。
2.日本の存立が脅かされる
→シーレーン遮断、離島への直接脅威、在日米軍基地の機能喪失など。
→日本本土や米軍基地が攻撃される、エネルギー・食料供給の致命的遮断など。
■つまり
玉木がなんか言ってるぞ
https://x.com/tamakiyuichiro/status/1989258643272073725
「台湾有事」が日本の存立危機事態(=限定的な集団的自衛権を使える状況)に当たるかは、法律上とても厳しい条件があるため、台湾が攻撃されたというだけでは認定できない。
→日本は台湾を国家承認していないため、台湾への攻撃では条件を満たさない。主に米国が対象。
2.日本の存立が脅かされる
→シーレーン遮断、離島への直接脅威、在日米軍基地の機能喪失など。
→日本本土や米軍基地が攻撃される、エネルギー・食料供給の致命的遮断など。
■つまり
•米国が攻撃されても、それだけでは不十分。日本への重大な影響が必要。
•そもそも米国は台湾防衛に介入するか「曖昧戦略」を続けており、米国の介入がなければ存立危機事態の認定は困難。
2. 他に手段がない
■結論
「台湾有事が存立危機事態になるか」は、固定的に決まるものではなく、その時の状況を総合判断するしかない。
首相答弁「間違ってない」 台湾有事で「存立危機事態」の可能性大…兼原元副長官補が評価
https://www.sankei.com/article/20251110-JKOII7CP2BLJ5LXK6QPNHNM7LA/
上記のページとブコメページで話題になっていたけれど、先ず前提として「最高司令官が不用意な発言をするな」という意見は物凄く理解する。
特に私は有事の際に自衛官として招集を受ける立場なので最高司令官の安易な思い付きで戦局が左右されるのは命令へ従うにしても一隊員として喜ばしくない。
逆に言えば参謀と熟考を重ねに重ねて陣地を死守しろという決断へ至ったのであれば(その決断を歴史がどう評価するのかは別として)、予備自衛官補を続ける理由である妻と子を想いながら私が出来る限りの最高の結果を残してやろうじゃないか。
さて、散々言われていることだが「台湾有事は日本の有事」なのは間違いないのは明白だ。
その理由の1つとして「日本は島国であり現代日本経済は海上輸出入に依存しており台湾有事は日本の海上輸出入を阻害する」からである。
すなわち、マラッカ海峡↔南沙諸島↔台湾島↔尖閣諸島↔沖縄からなるいわゆる日本南西航路が封鎖される可能性が高く、この日本南西航路を利用して輸出入している食品や工業製品、素材原料、燃料を含んだあらゆる物品が輸出入できなくなる。
これに関して野村総研や様々な経済シンクタンクが台湾有事が起きた際の日本経済への影響予測をしているのだけれど、リーマン・ショックやコロナ禍では日本のGDPの約3%が失われたと言われているが、台湾有事の場合は日本のGDPの約10〜15%が失われると予測されているんだ。どんなに過小評価している予測でも私は5%以下の情報を発見できなかった。
この台湾有事の際に日本はどうなるか?の具体例を挙げると、端的に言えば餓死者や冬季の凍死者が出る。
しかもそれは経済の主体を第三次産業へ強く移行しつつ大きな人口を抱える都市部ほど起きることで、第一次産業を経済の主体とする地方の田舎ほど発生確率は低い。第二次世界大戦を振り返っても田舎ほど特に大きな変化はなかったと記録されているのは知られている通りだ。
更に中国が日本を空爆する必要があると判断した場合、都市部ほど食料や燃料が不足している中で都市建物が空爆されるという憂き目に合う。空爆されるのは工場が集まる地方都市じゃないのか?と思うかも知れないがウクライナや過去の戦争・紛争を振り返ろう。首都の民間建物や病院は"誤って"空爆されるのが常である。
つまり、東京丸の内・名古屋市・大阪市あたりは経済に対する第一次産業の比率が著しく低いので、戦時都市型飢饉とでも称することができそうな状況へ陥る可能性が物凄く高い。
これは右派だろうが左派だろうが、保守だろうが革新だろうがリベラルだろうが、日米同盟を破棄しようが自衛隊を解散しようが関係がない。
中国が台湾統一を狙った台湾島への武力行使を諦めなければ、あらゆる立場の人々へ等しく訪れる最悪の状況だ。日米同盟の破棄や自衛隊の解散で中国が台湾統一を諦めるか?そんなことはないのだ。
都市部の人ほど餓死をする、アナタのパートナーや子供、親族、友人、仲間は餓死や凍死、空爆に依る破壊で圧死する。
台湾有事は日本の有事、台湾有事の大反対、中国へ自重を求めるのは今の生活を守りたい都市部の人ほど訴え続けなければならない非常に影響の大きい有事なのだ。
そして、この事実は沖縄の犠牲によって成り立っているという事も忘れてはならない。
沖縄もまた、本土からの輸送に大きなコストのかかる離島であるという自覚を持ち、台湾有事は沖縄の有事であると噛み締めなければならない。戦時離島型飢饉も起きる可能性が高いのだから。
私は妻と子が犠牲になるくらいならと予備自衛官補をさせて頂いている。
東日本大震災と熊本震災では招集を受け、ご遺体を袋に入れご家族の元へ帰す任務を担当していた。まだまだこれからだろうに新生児も居た。手や足が欠けている子も居た。
視界が霞む中で1人また1人と丁寧に袋へ包んだ。班長は「これは戦いである」と度々言っていた。鬼のような三白眼に涙を浮かべながら言っていた。
中国の下らない野望のために3度目の"帰す"任務はこりごりである。帰宅は自らの足で歩いてするのが最善の幸福だと私は知っている。
Permalink |記事への反応(25) | 18:56
教員が権利を勝ち取った話を書いて約1年。ふとこの記事のはてなブックマークをみると、こんなコメントがあった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4760869331639768992/comment/htnmiki
反応としては記事最後にあるように隣の先生が「まったく…」的な態度を取ったくらいで、職員室崩壊にはなっていない。
いきなりすみません、「ま~た甘々なゆとり・Z世代が何か言ってる」と思うかもしれませんが、少し愚痴らせてください。
前記事の通り、ただですら荒れているのになぜか委託研究をしている上に行事が多数ある学校だったことに加え、
こちらの状況や意向の聴取なく、経験のない運動部の顧問(一応主顧問は別にいたが)を当てられた。
生徒が度々やらかすので、次の授業まで時間がないのに臨時の全校・学年集会・下校指導が開かれることがしばしばあった。
担任でなくても給食指導に当たる必要があった。朝の会の最中や授業のないコマも見回りをする必要があった。
翌年からはチーム担任制(学級担任を固定せず全教員がローテーションで担任業務を行う)となったらしい。
臨時教員は難しい仕事を任せないのが一般的だが、なぜか正規教員と同じことを求めていた。
他都道府県や高校では臨時教員は年次目標作成や面談、研究授業、担任がなかったり一部が省略されるが、ここでは正規教員と同じことをさせられる。
(やむを得ない)遅刻や病気にもかなり厳しい。
電車の遅延の場合でも、教務主任と管理職それぞれに直接厳しい叱責を受ける必要があった。病気休暇は書類があれば問題ないが、なぜか管理職は取得を嫌がる。
「勤務時間の割り振り」(前記事参照)の取得も自由ではない。
教務主任も「割り振りを使える日が指定されている学校もあるよ」という。有給休暇を連続して取得すると、「こういう時はいろんな先生に謝っとけ」と言われる。
どこにも明記されていないのに服装を厳しく指摘(オフィスカジュアルもNGという)されたり、休憩時間中ですらスマホや職員室を離れることを禁止される。
複数回やることになる謎の職員トイレ掃除。
プリントで生徒に分かりやすい図を見せようとコピー機を使うと、校長「インク代が高いからやめろ」。
毎朝の朝礼で、校長が「校長室通信」と称して、教員の指導力や勤務態度などを批判する文章を配っていた。
自身による批判もあれば、どこかから引用したものもあった。しまいには「教員の魅力を伝えて採用試験の受験者数を増やそう」。無理。
極めつけは、(給与や休日振替もないにもかかわらず)始業30分前や土曜日の出勤を強制されそうになったこと、当たり前のように時間外に会議や研修があること。
部活動指導など。隣の先生すら「休日に無給で出ろ」と言う始末(何とか回避したが)。外部指導員制度はあるが、管理職が導入に消極的。
性格きつめのA先生
着任当初から怒鳴りつけられた。このほか、授業を見ては「生徒に迷惑だ」と言うなど。管理職を味方につけるため面倒。
意見を聞いておきながら、「まぁ違いますけどね」「通らないと思うけど成長と思ってください」と。何のために聞いたんだ。
校長と教頭及び教務主任
同じく厳しい。全員私と同じ教科だからか、目につきやすいのか。教員が病気休暇を取ることをやたらと嫌がる。教務主任はやる気がありすぎてうざい。
こだわりの強いB先生
仕切りたがり屋。鍋奉行の学級学年運営版。個人でやる分には構わないが、こちらを巻き込んでくるので厄介。学年会議の話を長くして帰りを遅くする要因。
隣の机のC先生
やはりこだわりが強い。人間関係を強要してくる(教員間の人間関係が生徒に響くからだとか)。飲み会の欠席を伝えると何度も確認してきた。
勤務環境とは無関係だが、次のような要素も大変になった理由かもしれない。いずれも今年は解決しているが。
その前の年に母親(同じ県の高校で教員をしていた)が脳神経系の疾患により救急搬送され、当時療養中だった。
奨学金の返済が残っていた。年度当初で約70万円。月の返済額は8千円だが万が一に備え毎月8万円を返済用口座に入金していた。
学部(2種・240万円)は前年度末に繰上返済を済ませていた。大学院(1種・計120万円)の分も12月で返済残額に到達した。その後繰上返済により今年9月に返済終了。
かなり気温が高い(10月末までかなり暑かった)年で、体調に悪影響があった。
荒れている学校なので生徒が授業中騒ぎまわるのは当たり前だが、放課後に何かやらかして近所から苦情が来ることもしばしばあった。
文字通り、学年の複数の生徒(やはり授業中態度の悪い主犯格)がピンポンダッシュをしたというもの。
犯人を特定し、怖い先生複数人で指導していたところ、そのうちの1人が暴れ出した。服薬しないと暴れる生徒だったが、試験的に服薬を止めていた矢先のこと。
保護者を呼びつけ毎日の服薬を確約させたが、その後も本人がその通り服用しているか怪しい。
私の担当学年の生徒ではないが、市内複数校の暴走族グループに入っている生徒がいたらしい。
体育祭に集団で来ると噂があり、全校で対応することになった。私は危険を感じ、家族の病気を理由にして年次有給休暇を取得した。
2年以上は生徒本人の行動や人間関係を理解して担任やクラス編成を決められる(ヤバい生徒を分散できる)のだが、1年(当時の担当学年)はそうもいかない。
一応小学校から申し送りは来るが伝聞証拠に過ぎず、ヤバい生徒(しばしば保護者もヤバい)が偏ってしまうことがある。
本年度の1年は特にヤバいといわれていたが、その中でもヤバい生徒(上記の暴れる生徒もここ)が集まったうえ優しい女性のD先生(同い年)が担任になってしまった。
ついにメンタルがやられ休職。担当授業を自習としていたがそれも限界になり、教務主任(該当教科の免許未取得)が授業をすることに。
代替要員が見つからないので、臨時免許(無資格者を宛がうための免許)を持たせて採用しその場をしのいだ。担任は学年主任(再任用最終年度)が引き継いだ。
最終的にその先生は復帰するが、他の女性教員と支援員さん複数人で対応しても生徒が教室を走り回るありさま。こちらが怒鳴りつけて少しは落ち着いたが。
とはいえ結論から話すと、居づらくなったりといったことは特に起きなかった。強いていうなら、私の病気休暇申請書が消えていたところだが。隠されたのかな?
また、管理職から残業命令はできないので、同僚からメモや口頭で「仕事があるから帰るなよ」と言われる程度(無視したが)。結局なんだかんだで
と配慮してもらえた。
嫌な顔をしているのは先述のA先生と校長くらいだが、特にダメージはなし。A先生はこちらが挨拶しても無視という態度だが、特に問題はない。
(挨拶無視はマウントの一種らしいが、同世代で出世争いをしているならともかく、年の離れた私にマウントを取る意味はないのだが…)
「君の教職に対するモチベーションはその程度なんだね。もう君には何も言わないから」
→言われるうちが華とかいうけど放置してくれると個人的にはありがたい。
「もう30歳でしょ、将来どうするか決めないと中途半端になるよ」
転職の決め手になったのは、次年度のクラス編成会議。あろうことか、次年度の担任をさせられそうになった。
もう耐えられないと思い、「それなら退職していいっすか」と言ったが流された。管理職に伝えてみても「君責任感はないの?」と。退職勧奨してたじゃないっすか。
仕方ないので退職代行に頼ることにした。公務員の依頼は多くの業者が引き受けないというので、同じ県に事務所をもつ弁護士に頼ることにした。
終業後、事務所に赴き現状を話した。ところが、有給休暇の残り日数の都合で即日退職はできず、連絡もこちらの在校時間中になるとのこと。
だが背に腹は代えられない。そのまま依頼し、後日実行してもらったところ、あっさり受理された。なんだそれ。
それからは特に他の先生から何かされることはなかったが、C先生と喧嘩することになった。
「3年生を送る会」の準備が原因だった。研究委託校ということもありICTを活用しようということで、生徒に出し物のアンケートフォームを作ることになった。
多数あるものから第3希望まで選ぶもののため、第4希望以降の回答は必要ないが、C先生は「ポチポチするのは面白いだろうからそれも入れて。今日中に作って」と。
作ったものの、結局それは忘れ去られ。次々と要領を得ない指示を出され。そしてある日の朝礼後、突然、
C先生「出し物の準備どこまでできた?」
C先生「作ってほしいのはこんなんじゃない。もっといいものを作ってよ」
私「(よくわからないな)それならもっと早く具体的に言ってくださいよ」
C先生「そんな言い方ないでしょ!!」
教頭「お前ら何してんだよ!!落ち着いてください!!」
この場は引き離される形で収束。昼過ぎに教頭に呼ばれた。また怒られるんだろうなと思ったら、
教頭「いろいろ嫌な思いしたと思うけど、あと少しだから。ほんの少しでも居心地が変わるからC先生に謝って仲直りしたら?」
やたらと威圧感のある教頭が優しくなって不気味だった。学年の先生も手のひらの返しようである。
授業もすべて終わり、いよいよ修了式。私は退職するので、離任挨拶をすることに。
全文は忘れたが、この学校であった嫌だったことや管理職から受けた叱責のことを話した気がする。校長の顔がみるみる曇っていく。
悪い空気感を察したのか、他学年の先生に「時間で~す!!」と止められた。そういえばこの先生、研修会で私が講師に悩みを相談したとき割って止めてきたような。
最後に「校長室通信」を持ってきて全職員と校長の目の前で破き、校長に投げつけた。
学年主任は(なぜか笑顔で)「後で謝っときなさい」と。その後E先生に個室に呼ばれる。離任挨拶(という名の学校批判)の原稿全見て
E先生「どこも一緒だと思うよ、他の仕事探したら?どうしても教員になりたい理由はあるの?」
私「免許職なので再就職がしやすいですし、そこそこの給料が得られるからです」
私「嫌です」
職員室に戻ると、校長が一人でさっきの紙くずの掃除をしていた。
残りの有給休暇が少なかったこともあり、修了式から数日は出勤する必要があった。
C先生には「今までお世話になったんだから下駄箱とかロッカーも掃除しなよ」といわれたが、無視した。
私の後任を探そうにも、現職・新採用どちらも本採用教員が確保できず。担当は別でも該当教科の免許をもつ教員も充当できなかったようだ。
同じ教科の普通免許保持者に絞ると、臨時教員も見つからず、臨時教員として採用された新卒者に臨時免許を持たせ、2教科の担当にして回すことになったらしい。
事務手続き上仕方ないのだが、この学校は事務の催促がうるさいことも特徴だ。
まず、保険証について。普通は最終出勤日後も退職日までは使え、「年度が替わってから郵送してくれればいいですよ」と料金後納郵便の封筒を渡してくれる。
が、本校は「まだ到着していないがいつ返すんだ」という催促が毎日。最終出勤日後も毎日電話がきた。
この件以外にも、「離任式と送別会に出るか、早く回答しろ」というのが退職日を過ぎてからも毎日かかってきた。疲れてるんですから節度を持ってくださいよ…。
離任式。私以外にも他の臨時教員全員、校長(当日欠席)、教務主任、学年主任、特別支援学級担任、D先生などが一緒に離任する。
生徒や職員の前で離任の訓話をするのだが、皮肉を混ぜてみた。大体こんな感じ。
君らは草野球選手。大谷翔平じゃない。努力しても大概うまくいかない。だったら自分が得意なことに力を注げ。
(注:草野球と大谷翔平の例えはこちらのnoteを参考にしました)
権利は最大限主張しろ。私も「残業代出せや」って教務主任にキレたことがあるし。
いじめはどこでもある。私だってA先生に怒鳴られたことがあるし。
なぜか訓話の途中でマイクの電源が切れたが、声量があったので後ろの生徒にも問題なく聞こえたはず。
離任式が終わり、控室に戻る。その時、担当していた部活の主顧問(口調や表情はやさしいがオーラが怖い。おそらく新年度の学年主任か)に呼ばれ
「このあと学年のお別れ会があるけど、さっきの感じなら正直言って参加させられないね。きちんとした態度でいれるなら参加してもいいけど、どうする?」
A先生はその性格からして「何言ってんだこいつ」とスルーしたはず。なぜ問題視するんだろう。私を叱責しろとでも管理職に訴えてプチ騒ぎになったのかな?
成り行きで学年のお別れ会にも参加。変わったことはA先生がいなかったくらいで、つつがなく終了。
生徒は「A先生にいじめられたんですか!?」と興味津々だったが、適当にあしらって帰宅。
余りに疲れたので、休養に入った。沖縄の離島めぐりやデレマス・シャニマスライブに行くなどリフレッシュ。
とはいえ、このままニートを続けると貯金が尽きるので、職探し。他の都道府県の公立学校教員募集を当たってみると、いろんなところからお誘いが。
1つ目は中学校。私は中高2教科で教員免許を持っているものの経験のない教科でのオファーだった。お誘いがあったのでとりあえず面談へ。
だが、遠方の学校で非常勤のうえ、担当コマの希望は通らないという。前任校以上に荒れており「面談した日も生徒がトイレを破壊した」とのことで、辞退した。
2つ目は進学に力を入れている高等学校。こちらは両教科で常勤教員の募集があったので、経験教科で応募した。
その日中に電話が来て、翌日面談に。「未経験教科の方が不足しているので、そちらの担当になっていただけませんか」とのことで、承諾。
前年ひどい目に遭ったので、「時間外在校はできません」と強く伝えると「大丈夫です、もうそういう時代じゃないですから」と。
学年団に入らず(つまり担任ではない)、年次目標の作成や面談も必要ない。部活も指導員がいるためほとんど関わらなくてよい。
職員エリア含めた学校の半分くらいは清掃は業者がやってくれ、清掃指導も週2回だけでよくなった。
着任後も何件もオファーの電話が来た。ここまでやらかしたのに、なぜか前任校のある都道府県からも。
ふと前任校のことが少し気になってホームページをのぞいてみると、学校だよりに地域住民へのお詫びと訓話が書かれていた。今度は何をやらかしたんだろうか。
元々中高2教科で免許を持っていたが、万が一のため免許は多めにとっておこうと考え一昨年から通信制大学に入り3教科目の取得に動いていた。
また、昨年度から当時の担当教科で1種免許を専修免許にアップグレードするため働きながら大学院に入りなおしていた。
そして今年9月末、これらの単位取得が完了した。免許申請に必要な「人物に関する証明書」も現任校が作成を快諾してくれた。
今は4教科目の1種免許取得を進めており、そのあとは残りの教科も専修免許にアップグレードしようと考えている。
加えて、確定拠出型年金の申し込みを行い、月の積み立て最大金額で投資するほか、米国株などにも投資している。将来働かなくて済むよう計画を練る。
あと、やっぱりまだ嫌な思いは消えないから、在職中受けたことを内容証明で教育委員会教育長とかその自治体の長にでも送ろうかな。
辛い目に遭ったら、耐えるだけが手段ではない。反抗する、逃げる。悪いことのようにされているが、正当な手段だ。
[B! 旅行] 話題のナウルに6日間いて、正直かなりしんどかった… 珍しい国に来れたのは嬉しかったけど、毎日何かしらモヤモヤがあって、今日ついに「もう無理だ…」ってなった
この投稿に対して、ナウルの歴史を踏まえて難しい話をしている人が多いけど、一言で言えば
ということだと思う。まぁ、投稿主でなくても観光地化されていないことを回るのは難しいけど。
あなたは日本に住んでいる時に、近所のスーパーにいる見知らぬ「外国人」に愛想よくしていますか???
観光客が食べられる「○○ならではのご飯」って、基本的には観光地が外国人向けにアレンジしたものだと思うよ。
それに離島だから食材が豊かではないのは、ある程度仕方がない。
相手には愛想の良さを要求するのに、自分は子供に対して優しくしないんだね。
あと、そんなにセキュリティが心配なら普通のホテルに泊まれば良かったのに。
例えば日本でも小笠原だと、基本は船でしか行けないし、船も気象条件で接岸できなかったりして、1週間くらいズレることはザラだから、ギチギチに予定を組んではダメ。
離島を旅するのに、その心構えが足りなかったと思う。
いやタクシー呼んでくれと頼んでも「無理」
日本の離島でもタクシーはないところはあるので、こういったところは都市民の感覚で移動できると思わない方がいい。
8月、中国地方への旅行ついでに瀬戸内芸術祭開催中だった直島にいった。
高松からのフェリーに乗った時予想以上の人の多さに驚いた覚えがある。島に到着するとそこには大体の人がイメージする離島の風景に芸術祭用と思われるオブジェが点々としていた。
私はかなりの田舎出身だったが、それでも地元の方が栄えているなと思うほどのどかな場所だった。私が回った範囲に日常生活で利用されていそうな商店は見当たらず、コンビニが一個あるくらい。ほかは飲食店と、観光客向けであろうお店、そして3つほどきれいな美術館があった。
部外者が言うのもおかしな話だが、観光客に向けて作られている街という印象だった。そしてそこで生活している人たちの日常までも鑑賞の対象になっているように思えてきた。
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
ブームに遅れて今更ながら購入し、2週間ちょいプレイして島クリ解放まではやった
時間を溶かしすぎてしまうし、遊んでいない時でも思考が支配され、そんな自分に恐怖を感じ、ログインをやめた
今までゲームでこんな思考になったことが無く珍しかったのと、本当に怖かったので記録しておく
1日にやるべき(だと感じることが)多く、ログインしてない時も
光る地面探してお金埋めなきゃ…
ホタテ捕らなきゃ…
商店の品揃えチェックしなきゃ…
島クリ進めなきゃ…
…と、こうなっていた
いざログインして雨が降っていると最悪で
アサリ掘らなきゃ…
撒き餌作らなきゃ(一括で作れないの本当にだるい)…
シーラカンス釣らなきゃ…
雨が止むと解放されてホッとした
釣りや虫とりをして、わりと頻繁に飛んでくる風船をパチンコで割っているとすぐに道具が壊れるので
鉱石などが足りなくなれば、島のどこかにある岩をスコップで叩きまくる
化石の鑑定やまだ寄贈していない生き物をフータに渡して…
夜空が綺麗な日は流れ星が流れるから耳を澄ませて、流れたら手に持っていた道具を外してボタン連打でお祈りして…
流れ星が流れるのは珍しいから、もうしばらくプレイしておくか…
Xで流れてくる画像や実況などで島クリエイトのことは以前から知っていたが、あれがどんなに大変ですごいのか身を持って知った
DSぶりにやったのでグラフィックの向上や、博物館内には本当に感動したし、音楽もすごく良い