はてなキーワード:雑木林とは
昨日の屈辱を引きずったまま、今日も朝から山道を歩いた。ズボンは替えてきた。ゴミーは何も言わんが、あの小さな目にちょっとした哀れみの色がある気がする。けど、ええねん。今日は、昨日の続きや。フェミちゃんを追わなあかん。
朝露に濡れた獣道を進んでいくと、雑木林の中に、不自然に何かが引っかかっとるのが見えた。低木の枝に、ひらりと揺れてる――それは、見覚えのあるスカーフやった。薄い灰色に、ところどころ刺繍が入ったやつ。あれはフェミちゃんがパラダシアで買うて、ずっと大事にしてたもんや。
ワイが手に取ると、ゴミーがぴょこっと寄ってきて、スカーフの端をちょいとつついた。ふわっと鼻先に残った微かな香り――あの独特の香油の匂い。間違いなく、ここを通ったんや。しかも比較的最近。スカーフの湿り具合からして、昨晩から今朝にかけてのどこかやろう。
「ゴミー、見とるか……これは足取りの証拠や。ようやく、フェミちゃんの影を踏めた気がするわ」
ゴミーは真剣な顔をして、木々の隙間から続く道らしき獣の踏み跡を指さすように飛び上がった。ほんまに賢い生き物や。こんな小さな仲間に支えられてるのが、不思議でありがたい。
ワイはスカーフを懐に入れて、足音を殺してその先へと進んだ。山道の空気は澄んでいて、木漏れ日が斜めに差し込んでいる。けれど、その穏やかさの下に何が潜んどるかはわからん。
次の曲がり角の先に、何かがある気がするんやで。
とにかく誰かに読んでもらいたいだけなんだけど、自分が体験した幽霊話を書いていく。
残念ながら周りの人には信じてもらえなかったけど。
場所はぼかしとく。
キャンプ場からは湖と富士山、湖の右側にある雑木林を見渡すことができた。
夜の10時過ぎぐらいに電話をしながら湖を眺めていると、右手にある雑木林にぼんやりと光る人影が見え、動いているようだった。
通話相手には幽霊っぽいのがいると言ったけどまともに取り合ってはくれなかった。
しばらく幽霊を観察していると茂みにスッと消えるようにいなくなった。
次の日起きた時に思い返してみてもあれは幽霊だったと思った。
数年前の記憶なんで曖昧だけれど、あの晩月は出ていなかったと思うし、仮に月の反射で光っていたとしても人影が全身ぼんやり光っているのはありえない上、記憶している限りでは月から逆光になる位置に雑木林があった。
家に帰ってから一通り湖の心霊話を調べたけれどそれらしき話はヒットしなかった。
こうやって書いてみると特にオチはなくてスッキリする話でもなかったな。
今日、片道一車線の道路を車で走ってたらデカい猪がうりぼう引き連れて右手側の雑木林からから飛び出してきた。
こっちは買ったばかりの新車。
対向車との距離的にギリギリ行けると思って対向車線に避けてすぐに車線戻したんだ。
そしたら後ろの車が猪みて急ブレーキかけたらしく、さらに後ろの車と衝突。
対向車線の軽も俺の動きを予想できなかったらしく急ブレーキかけたところ後ろから来てるトラックに後ろから潰されて、トラックが軽の上に乗り上げてた。
こっちは動物にもぶつかってないし、他の車との衝突もなかったからそのまま走行して帰宅したけど、帰ったら俺も悪かったんじゃないか、あとでしょっ引かれるんじゃないかと不安でしょうがない。
でもどうすりゃよかったんだ。
こっちは清水の舞台から飛び降りて買ったピカピカの新車でガードレールにぶつけたり、ましてあんなデカくて牙生えてる猪にぶつけるなんて絶対無理。
せっかく仕事納めて実家に帰って、両親に優しく出迎えられたのにガクガク震えてる。
どうしようもないよな?
かくいう増田の家も街の端っこにある
家の裏は性悪な地主おじさんが雑に管理してる、木も生えてる竹藪なんだか竹も生えてる雑木林なんだか分からん敷地がある
近所の池のそばを通るとウシガエルが鳴いてる(子供の時は苦手だった)
季節によって麦畑とか綺麗な緑の田んぼとか黄金色の田んぼとかみかん畑とかが見える
雨の後は遠くの山の稜線が綺麗に見える
車で10分圏内ならスーパー6つ、ドラスト5つ、スタバが1つある
病院はよくある○○科なら大体ある
デカいレース?とかやる競馬場はある(そういう日は道がクソ混むのが嫌だけど街の道路整備とかに補助金みたいなの出してくれてるっぽいからあんまり文句言えない)
ファストフードとか丼もののお店とかファミレスとか、そういうよくあるチェーン店は割とある
個人経営の珈琲が美味しい喫茶店とか石窯のあるカフェとかインドカレーや中華以外の外国料理のお店もある(都心の飲食店ガチャで場所代マシマシみたいな値段と味のとこを引くよりは満足できる)
本屋はTSUTAYA系のやつができて他の店は駆逐された(他の店は品揃え悪かったから別にいいやって感じ)
いちおう跡地とか城趾はあるけど敷地?があるだけなのであまりランドマーク感はない
あと変な名前だと思ってた地名は江戸時代初期からあったものだったりする
同じ時期から残ってる市内の別の地名のついた神社にはちょっと危ない伝統神事みたいなのがある(住んでる場所から離れてるから増田は直接関わりを持ってないけど、その出身の人には神事経験者もいる。危ないのによくやるな〜すごいな〜って思ってる)
他にも○○街道で昔は宿場だったのかな?って感じの地名とかある
ツイッターを見ていたんですが、カブトムシが他のカブトムシと戦っている動画が目に入った
でけえ海外産のカブトムシと、日本のあの一般的なカブトムシが木片の上で取っ組み合いをしている
勝敗とかはどうでもよくて、俺はただ、カブトムシの造形に改めて感動したんですよね
ここでいうカブトムシはでっけえ海外産のカッコいいやつじゃなくて、日本のやつ、幼少期に親しんだアイツのほうだ
なんつうか、デザインがキュッとしてんだよ シュッとしてると言ってもいい
小せえ中にカッコ良さが詰まっている
左右対称で、バランスがよく、大きいツノと小さいツノを備えていて渋い 侍の大小みたいじゃないですか
つまり、小せえ中にさまざまな要素が入っていて、見るにプリーザントだって話
素晴らしい!と思ったね
昔、朝早くに起きてクヌギの生えた雑木林にでかけ、カブトムシを狙ったりしていたことがあって、カナブンなんかがいてもあまり心が動かないんだけど、カブトムシがいると違うんだよやっぱ
タマムシなんかも綺麗で好きだったんだけど、カブトムシには及ばなかった
忘れていたんだよなカブトムシの良さを
思い出したからって何をするわけでもないけどさ
「実はおれ魔法少女と告げる雪」
俳句としては「「実はおれ魔法少女と告げる/雪」」と二つの流れに分かれるね。
意図したかどうか分からんが、「告げる」で切れが来ている。季語を「雪」にしたのは良いチョイスだ。おふざけで詠んだのかもしれんけど、これわりと俳句になってるよ。分かち書きしてないのも良いね。俳句っぽい。
「実は」と「告げる」からすると、これは秘密にしていたことを誰かに告白する/し終えたっていう場面だと想像できる。そういうことを人が多いところでやるのは考えにくいから、真っ先に思い浮かぶのは、「おれ」と告白する相手との二人きりの場面だよね。人気のない場所、人気のない時間帯だろうか。昼間の冬枯れの雑木林だとか、夜の静まりかえった公園だとか、そういう寂しげなイメージがある。
「雪」は、降っているだろうか、それとも積もった雪のことだろうか。それは読み取れないけど、雰囲気としてこれは動きがあって欲しいから降っているところを想定しよう。秘密にしていたことを告白した瞬間、打ち明けられた側は驚きで一瞬動きが止まるのではないだろうか。その「静」と雪の「動」が重なってくる。そして「おれ」は、告げた事実に対して相手がどういう反応をしてくるのか、「静」の時間の中で固唾を呑んで待っているのだろうな。じっと待っている中、視界の中でちらちらと雪が舞っている。時間が止まった二人と、動き続ける雪。もしかしたら「おれ」は、「静」の時間を迎えて初めて雪に気付いたのかもしれない。それまでは、秘密の告白に意識が集中していたとも思えるから。そうやっていろいろ想像が出来るね。
今のは、告げた後の解釈だったが、告げる前だとしたら、いよいよ秘密を告げるという緊張感の中、心臓も早鐘を打つようになる中で、ふと雪に気付いたということだろうか。秘密を持っていたという後ろ暗さに、白い雪が被さってくるという対比にも読み取れるね。
そしてもう一つ。「秘密にしていた期間がある」ことが想像できるということは、相応の期間、「おれ」は秘密を打ち明けるべきかどうか悩んでいたのかな、という想像もできるわけだ。その期間の長さ、思い悩んでいた時間の長さの「重み」も、言葉としては書いてないけど感じられる表現になっているのがとても良いね。俳句にはスケール感(より大きなものを、短い中で表現すること)も大事なんだけど、時間的なスケールの大きさ(長さ)を感じるよ。
隠していた秘密が魔法少女だというのはアンリアルな事象なんだけど、実は案外この「句」の中では効いてる気がする。「おれ」はまず男なんだろうけど、それが魔法「少女」という二重になったアンリアル感。それを句の中ではおふざけなしに告げている。全体が俳句として成立しているからこそ、そのアンリアルさが「なんの冗談だよー」からの「え……マジなやつ?」という反応を想像させ、それが上で書いた「静」の時間とも繋がっていくと思う。
(俳句を客観写生と定めるならこのアンリアルさはアウトなんだけど、ここでは固いこと言わないどく)
よくぞ最後の季語を「雪」にしたなと思う。だから映像にフォーカスできてる。「冬」とかの時候にしてたら、映像や情景ではなく、告白した「おれ」の体験や状況や心情にフォーカスされてしまうので、それだと俳句としては「心情入れすぎ」なものになってしまったんじゃないだろうか。雪だから俳句になった。
映画のワンシーンみたいな、演出された映像、情景に感じられるので、自然に発生した情景ではない分、俳句としての評価はどうかなと思うけど、俳句か俳句じゃないかといったら、俳句だと思うよ。
というわけで雲一つない空に誘われて20km離れた父方の実家ちなド田舎に自転車で行って
実家の近くのスーパーで後輪がパンクして20km自転車押して帰ってきたぜ
実家の近辺はスーパーや服屋やホームセンターが集合したショッピング地帯が一つある以外は畑ばかりという田舎で、実家に行くまでに峠を越えなければならない
その道中の風景が実に素敵だ
風に靡き黄緑と濃緑の縞模様を作る休耕地、ブロッコリーが並んだような新緑たち
道中にある家屋も瓦屋根の純日本風の屋敷に茅葺き屋根風のもの、時に取り残されたローコストの真逆を行く家屋の数々
見ていて実に愉快である
いいなァ田舎は…こっちに住みてえなァ…でも車必須だしそんな金ねえや…
と思いながら実家近くのスーパー前で後輪が周期的にぐよんぐよんと不可思議な反応をしていることに気づく
自転車ピクニックには双璧を為す忌まわしき最悪のトラブルが2つある
1つはパンク、タイヤの空気が抜けるアレ、気づくとテンションが爆下がりするアレである
マジかよ、と思いながら後輪を指で挟み押すと、出る前に空気を十分に入れたはずのタイヤが柔らかくなっていて思わず半笑いになる
俺はこの田舎に自転車および徒歩で一度ずつは帰ってみようと思っていた
そう言うことですか神様、粋な計らいですねェ!
ちなみに実家は海の近くにあるんだが、寄せては返す波に水面に反射する陽のきらめき、これも実に美しい
全てにおいて心が洗われる
海を横目に見ながら実家まで自転車を押し、叔母が守っている実家に辿り着くが事前に確認していたように留守だった、想定内ということで8年ぶり?の墓参りを速攻で済ませる
墓に手を合わせ「すまんな爺さん、これから20km歩かなきゃいけねンだわ」と詫びる
割とすいすい歩け、自転車押しながらでも割と余裕でイケるやん!と思う
道中にある、開店10分で客で埋まるようなラーメン+定食屋で10年ぶりに外食
醤油ラーメンおにぎりセット、醤油ラーメン自体は塩っぽく麺はボソボソしてて微妙だが、おにぎりとスープを合わせると絶品で、おにぎりについてくる漬物もこれまた美味い!
でもラーメンを標榜してるのにラーメンが微妙ってどういうことやねんと思いつつ店を後にする、また定食を食いに来よう
そして忌まわしき最悪のトラブル2つ目に襲われる
新たなカロリー源に腸も元気に糞を押す
田舎の道中には何もなく、郵便局も学校も閉まっていて何もない、あるのは山と畑だけ
というわけで躊躇なく野糞を決断、手ごろな雑木林を見つけ突入する
プリッとひり出し榊を入れていた新聞で尻を拭くとちょっと手に付いてしまい思わずshitと口走る
糞をひり出した後に見た緑の数々は生まれ変わった私を祝福してくれているようだった
その後は特に何も起こらず、パンクした自転車を地元のホームセンターに預け帰宅し現在に至る
往復40kmを20㎞を自転車、20㎞を徒歩で6時間ぐらい、割とあっという間だったな
けっこう体力付いたなって思った
元増田です。楽しすぎて興奮したまま書き殴った増田が伸びててびっくり。楽しいよ!着ぐるみ!
洗濯に疑問を感じてる人が多いから追記しようかと思ったけど、キャラのイメージが壊れるかもしれないので、そっとここで供養。好きなご当地キャラがいる人は読まないでね。
◯◯ちゃん、もこもこはしてるんだけど、意外にも、胴体から手とか足とか外せるようになってて、細かいパーツに分けて、洗濯機で洗える(乾燥は厳禁)
胴体は、中にフラフープみたいな輪っかがいくつかはいってぽよんとした体型作ってるんだけど、輪っか抜いたらかなりしぽむので、コインランドリーへ。
洗ったあとは、洗濯ヒモ通してベランダにつるしたけど、我が家の裏は雑木林で人が歩かないから、多分大丈夫。あと、裏返しに干してあるパーツを脳内で組み合わせて、「これは◯◯ちゃん!」って当てる奴がいたら、とりあえず友達になろ??かわいいよね、◯◯ちゃん。
ちなみに、頭は、中にアルコール消臭剤吹きつけて、乾かすだけ。流石にこれは外に干せなかった。
洗い方は、ちゃんと説明が同封されてたので大丈夫。役場でもたまにクリーニングには出すんだけど、予算の関係で頻繁に洗えないそうです。時々顔が薄汚れてたのは、そのせいかぁと思った。
あと当然の当然ですが、本職の方と比べたら足下にも及ばないので、「なんも知らん素人さんが、はしゃいで楽しそうやなぁ。」程度に思って、生暖かい目で見逃してください。
https://anond.hatelabo.jp/20231207211656
あれを見たのはいつだったか。百貨店でイベント会場で橋本環奈さんを見た時よりも後だから、2019年のどこかだろう。
「怒ったかんな~」
「橋本かーんな!」
バラエティ番組で、こういうネタをやってた。どっかの芸人が「橋本環奈って、実物で見るとそこそこかわいい」~と言うフリをやったら、橋本環奈が「頭にきた~!」って演技をしていた。それで、上の一発ネタをやったのだ。懐かしい記憶だ。
思えばあの時、イベント会場で見た時ですらあんなに可愛かったのだから――仮に、本人がすぐ目の前に居たとしたら、どんな感じがするのだろう。
実際、あの人はAIが作ったみたいな可愛さだと思う。俺がもし本人を目の前にして、「橋本さんは……1000年に一度の、そこそこレベルのかわいい人ですね」と伝えたら、どうなってしまうのだろう。あのネタをやってくれるのだろうか? やっていただけると信じている。
橋本さんはいつも、自分のことをどう思っているのだろうか。ある日、芸能界で積み上げてきた物が崩れてしまわないか、不安でしょうがないかもしれない。あの世界って、一瞬ですべてがダメになってしまう気がするから。
そうじゃなくても、自分と同じような人、気軽につるむことができる友人が少なくて、孤独――いや、孤高なのは間違いない。なんていうか、誰もが思うような幸せな人間っていないんだと思う。
どんなに魅力的な女性でも、ひとりの人間だ。いろんなことを思って、たくさんの経験を積んで、小さな努力を積み重ねている。理不尽に耐えたことが何度もあるんだろうな。俺達みたいに、ちょっとしたことに一喜一憂とかしたりしてさ。幸せになりたいと願って生きてる。そんなこんなで、ここまでビッグになったのだ。
まあ、日本一可愛いのは橋本環奈でいいけどさ。俺は、あの人よりも可愛い人を知ってる。実際に出会って、お話をして、仲良くなることができた。だったらもう、それでいい。人生で二度と可愛い子に会えなくてもいいよ。
さて。自惚れだろうが、Iさんも俺に気があるのでは!? と感じたことがある。ある時、調達部門に用事があって出向いた際、Iさんの仕事に必要な資料を渡して、上の階に帰ろうとしていた。すると、Iさんが後ろからついてきた。大きいキングファイルを持ってた気がする。
「増田さん! 私と行き先がいっしょなんですね。後ろ付いてっちゃお~っと!」
それで、本当に俺の後ろをついてくる。いやあ、あれには参ったね。こいつ未成年か、と思った。Iさんは実際、そういうキャラクターだった。お互いにもう30歳を過ぎている。その時は、「行き先が一緒なんですね」と返答した。
人目のある廊下だったけど、やはり安心感があった。Iさんは結婚してる。俺と結ばれることはない。だから安心して、職場の人が見てる可能性があっても、廊下で堂々と話ができる。
ちなみに俺は、Iさんの旦那さんのキャラクターを知ってる。会社近くのショッピングモールで偶然、Iさんと家族が一緒に歩いてるのを見たことがある。旦那さんは、優しそうな見た目だった。道行く人とぶつかりそうになっても、自分からサッとよけて、何事もなかったようにしていた。というか、初めから人とぶつからない導線を選んでいる。それでいて、家族全員のことを見てる。この人は、Iさんとキャラが似ている。優しい人なんだな。こういうのが自然にできるのは大人だと思う。眩しかった。
だが、Iさんのことを好きな気持ちでは負けないつもりだった。いや、そこは張り合うところではないのだが。今でもそうだけど、俺という人間は子どもっぽいと感じる。多分、70才とかになっても子どもっぽいんだろうな。
まあ、でもやってしまった。今年の梅雨だった。職場から帰る時に、たまたまIさんと一緒になることがあった。階段を降りている時、バッタリ出くわした。2人で会話をしながら階段を降りて行って、社屋の外に出た後だった。一緒に歩いている時、やってしまったのだ。
「Iさん。今度、一緒にご飯行きませんか」
と食事に誘った。そしたら、ちょっと迷ってから「いいですよ!」と言われた。誘う直前、『変な感じがする。やめといた方がいいのでは?』と感じていた。『誘いたい』という欲求が勝った。
さて。OKの返事をもらったが、どうしたものかと思った。とにかく、その場で電話番号を交換した。ラインは危ないからやめた方がいいと思った。携帯電話のメッセージ機能だけでやり取りすることにした。テキストメッセージング。
二週間後、Iさんと一緒に食事に行った。区内だと誰かに見られる可能性はあったけど、物凄く隠れた名店を知っていた。職場の人が来ないことも確かめてる。夏前の蒸し暑い夜だったけど、その日本料理店でIさんと一緒にご飯を食べた。いろんなことを話した。
Iさんはテレビよりは新聞派らしい。前の職場の影響だろうか。元地銀勤めなだけはある。
アニメや映画も好きみたいだった。今年やってたやつだと、ブルーロックが好きらしい。俺もブルーロックは嫌いではない。意外と話が合うものだ。個人的に、『パルプ・フィクション』や『シェルブールの雨傘』をおススメした記憶がある。
小一時間ほど話をしたところで、お開きになった。店を出て、駐車場のすぐ向かいにある公園のブランコに一緒に乗った。高校生に戻ったみたいだった。俺もIさんも、10年ちょっと前は高校生だった。
少しくらい浸ってもいいかなと思って、Iさんと話をした。どうやら、最近は家庭がしんどいらしかった。ここでは書かないけど、しかし辛そうだった。一通り話が終わると、ブランコから立ち上がって俺は、Iさんのところに行った。ブランコのチェーンを握っている手を軽く触った。震えている感じがした。
手を引いてブランコから立ち上がってもらうと、「もしかして、Iさん大丈夫ではない?」と声をかけた。「大丈夫です」と言ってたけど、鼻をすすってた。顔は見ない方がいいと思った。しばらくずっと、お互いの手のひらを握ってたけど、夜9時が近かった。Iさんの手を引いて、日本料理店の駐車場に戻った。
それから簡単にバイバイをして、「また行ける?」って言ったら、「うん。今度はどこに行こうか?」とIさんが返した。
ごめん。嘘をついていた。冒頭の感じだと、俺がIさんに気があって、今でもチャンスを伺ってるみたいな印象を持たれたと思う。
Iさんは先日亡くなった。どうして亡くなったかはここでは言えないけど、もうこの世にいない。もう、子どもっぽく笑う顔は見れないし、元気そうにはしゃぐ姿も、一生懸命に仕事してる姿も見ることはない。
ある日の午前だった。用事があって調達部門に行くと、ほかの女性社員が号泣してたんだよな。それで、様子がおかしいって思って、調べようとしていたところで直属の上司から情報が入ってきた。
理由が理由だから、公表はされなかった。社内の訃報にも出なかった。ただ、変な噂が出回ってもよくないという配慮だろうか、部長→課長→メンバーみたいなルートで簡単な説明がなされた。説明会とかじゃなくて、課長がそれぞれのメンバーのところに行って、経過報告資料の一部をサラッと読み上げた。「~ということがありました。これは部外秘です」とのことだった。
その日は仕事が手につかなかった。次の日は有給を取った。それで、一日ずっと考えていた。Iさんのことを。早朝の散歩の時も、朝飯を食べてる時も、シャワーを浴びている時も、涙が止まらなかった。
近所に小高い山があるのだが、サンダルとジャージのままで其処に登って、頂上付近にある昔の入会地になってるところに腰を降ろした。一面ずっと雑木林だった。あまりに生い茂っていて、頂上にもかかわらず麓の街並みが見えなかった。
雑木林を歩いていると、小さい崖があった。真下は竹林だった。断崖絶壁じゃないけど、落ちたら多分死ぬことができる。「ここ、登山用の山じゃないし…いや、登山用でもダメだけど…」とか考えていた。また、目に涙が浮かんできた。
両手を首元に当ててみた。Iさんは死ぬときにどんな感覚だったんだろうか。いま首に手をかけてみたけど、どんな感触だったんだろうか。冷たかったんだろうか。多分、そうなんだろうな。冷たかったのだろう。
Iさんの葬式には出なかった。出るべきじゃない、見るべきじゃないと思ってた。Iさんの家族の顔も見たくなかった。
もしかして、俺が食事に誘ったからこうなったのかな、という観念が頭をもたげた。その時、吐き気が込み上げてきた。もう、辛い。俺も死にたい。失敗したかもしれない。俺の人生。やってしまったのだ。その日の夢に、Iさんが出てきた。「ねえ、今日はどこに行こうか?」って言ってた。
こういう日記を書いても楽にならないのは知ってる。でも、ほんのちょっとだけ楽になるかもしれない。先月も、今月も、ずっとあの子のことばかり考えてる。あの時、ご飯に誘わなければよかったのかなって、ずっと考えてる。
気分は落ち着いたが、時々は死にたいという感情が出てくる。でも、死にたくない。そういう思いもある。どっちつかずな感じだ。変な気分。踏切の前まで来ると、「電車、来てくれないかな」と思ったりする。
これから、どうしていけばいいのか。わからない。時間が解決するならそれでいいけど、やっぱり自分のことを許せないで一生を終えるのだろう。
永遠に後悔するんだろうな。あの時、Iさんを食事に誘ってなかったら、ちょっとだけ運命が変わって、死なずにすんだのかもしれないって。
増田のみんなは、俺みたいになるなよ。「ちょっと変だ、止めといた方がいい」と思ったら、素直にそうした方がいい。俺みたいにはなるな。
大事な人がいなくなったら嫌だろ。
増田の出身小学校にはいわゆる校庭(グラウンド)とは別に裏庭があった
裏庭には田んぼ、畑、ちょっとした雑木林、飼育小屋、ちょっとした池、テニスコート1面があった
田んぼ…6年生が先生の監督下で田植えから収穫までやってた。収穫したお米は他のお米と合わせて学校行事でおにぎりにして食べてた。おにぎりを作るのは朝っぱらから集められたPTAの親御さんたちだったので、大人になってから振り返ると楽しかったのと想像し得る親御さんの大変さとでちょっと複雑な気持ちになる
畑…4〜6年生が色んな野菜を育てていた。5年生の時はさつまいもを栽培して、秋になったら1年生の子とグループを作って雑木林の落ち葉で焼き芋をした。時間内だと全ての芋に火が通らなくて、しっかり焼けた甘い芋はみんな1年生に食べさせて自分たちは微妙な芋を頑張って齧った。自分たちの芋は美味しくなかったが、1年生が美味しそうに芋を食べてたので少なくとも増田は充足感を覚えていた。この畑では教頭先生がスイカを育てていて、夏になると休み時間に全校児童と先生たち皆でこのスイカを食べた。夏の暑い日に外で食べたスイカは甘くて瑞々しくて美味しかった。教頭先生は学芸会の時に正体がモロバレしてる謎のヒーローになる楽しい人だった(やればできる!の人みたいな明るさがあった)
ちょっとした雑木林…裏庭の端に色んな木が植えられていた。枇杷とか桑とかの果樹も生えていて、実がなったら食べてOKだったので一学期の終わり頃の時期は雑木林が人気スポットだった。この雑木林の向こう側が工事業者の敷地だったせいか、捨てられたと思しきトラロープとかホースの切れっ端が転がってることがあった。5年生の時に学年の皆でこの雑木林の隅に生えてた一番大きな木と上記の廃材で秘密基地を作った(担任の先生が掛け合ってくれて年度末には片付けることと他学年の子が来ても受け入れることを条件に校長先生に許可してもらった)。廃材で作った適当すぎるブランコを勢いよく漕いだ増田は勢い余りすぎてすっ飛んでビターーーン!と地面に自分を叩きつけたことがあるけど今も元気に生きてる
飼育小屋…うさぎとニワトリがいて、4年生が当番制で世話をしていた。ニワトリの卵は当番の子が貰ってOKだった。増田がニワトリの卵を貰った時はさっさとTKGにして食べたのだが、これは増田のきょうだいが当番をしていた時に卵を貰ってきたのを勿体ながっていつまでも食べずに残していた結果、いざ食べようと卵を割ったらヒヨコになりかけたやつが出てきた事件から学んだつもりの行動であった
ちょっとした池…でかめの金魚と鯉がいた。たまに野生か野良の動物に魚がやられてしまうことがあって校務員さんが残念そうにその話をしていたが、小3の増田はその話を聞いた2分後くらいにはセミの抜け殻を集めて池を縁取る石の上に並べたりしていた
テニスコート…テニスコートではあったが在校中にネットが張られたのを見たことがない。休み時間の鬼ごっこ会場か教頭先生がスイカを振る舞う会場にしか使われてなかった
小学校は本当に楽しかった。裏庭も好きだったけど、ちっちゃい丘みたいなのがある校庭も、閲覧席の陽当りがいい図書室も好きだった。卒業式でめちゃくちゃ泣くくらい楽しい学校生活だった
時々思い出して、あの頃はよかったな〜とノスタルジーに浸ってはもう戻れない思い出の世界なのだとちょっぴり寂しくなったりしてる
元増田みたいなのが居るから地名変えちゃったってケースを出すよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230912103559
地下鉄南北線に志茂駅というのがあるが、ここは昭和初期まで「下村」だった。上村は近くにないので、岩淵宿から見て下の村という意味かと思われる。
関東大震災後に人口が流入して町になる時、「下町」じゃあれなのでちょっとこじゃれて「志茂町」とした。
後に町が取れて志茂となり、駅も出来て有名になったが、住んでる人も元は「下」のこじゃれた書き方だったとは知らないことが多い。
関東大震災後に東京近郊は下町からの移住で人口が増え始め、川口町と合併して川口市になる横曽根も人口が増える前に区画整理をする事になった。
横曽根の中心の北には「北」、南に「南」というおざなりな小字があり、西側は「新田」という小字があったので、「北」を「北町」、「南」を「南町」、真ん中を「仲町」とし、西側の新田は「仁志町」とした。
仲は中を、仁志は西をこじゃれた風にしたものだ。
だが西川口駅が出来て人口がどっと増えると、駅西側は全部西川口にしちゃえという事になって北町も仁志町も全部西川口になってしまった。
「仁志」とかせっかく付けたのに結局に「西」で上塗りされちゃっというケースである。
余談だが、南町は残ったのだが、ここは市境に近く、川口市南町から歩いて5分に蕨市南町があるので混乱の元だ。この命名法はよくない。
先の事を考えない鉄道会社に振り回されたケース。
東上線の中板橋駅の西側に711の弥生町店があるが、実はこの辺りは川越街道の上板橋宿跡である。
大正初めに東上鉄道(現東武東上線)が開通すると、始発駅の池袋の次は板橋下宿に近く貨物扱いで重要な下板橋駅が設置されたが、その次は4km先に設置する事になった。当時は蒸気機関車の単線運転だから交換用の駅で距離もその程度が適当だった。
だが駅の周りがマジで何もない。だから駅名に適当な地名も無い。
だが昭和初期に電化されて加速性能がいいので駅を沢山作る事になり、下板橋と上板橋の真ん中にも駅を作る事になった。だがこの近くの地名は、上板橋宿に因んで全域が上板橋になっていた。
でも下と上の中間の板橋だから中でしょと「中板橋」駅としてしまった。
すると上板橋が上板橋駅付近になくての隣の駅の周辺にある、しかもその駅名は中板橋というおかしなことになってしまった。
地名変更できるようになると上板橋は古い名前を捨てて「弥生」というこの地に特に縁のない名前にしてしまった。
元々池袋村は今の下板橋駅付近が村の中心で(現池袋本町)、池袋駅が設置された当初は池袋村の村の外れの村境ぎりぎりの場所だった。
今の西口付近はその名も「上」という小字の場所だった。その他にもこの周辺は「原」とか「下上」とか「西山」とかおざなりの超てきとうな小字ばかりであった。さすがは人もろくに住まず雑木林のままの村はずれだ。
だが鉄道がどんどん集まってきて人口も増えるとそんなてきとう地名は「池袋」で消されて無くなってしまった。
そもそも下上って何なのか?
葛飾区と足立区の区界を見ると綾瀬駅の付近で絡まったコードのようにやたらグネグネしている。これは古隅田川の流路で、中世では住田河と呼ばれていた。
荒川放水路が出来るまでは堀切駅の付近で今の隅田川に合流していたので、その上流までが荒川、その下が隅田川と呼ばれていた。
一方、江戸時代に水墨画が流行すると、「墨」という字とそれを「ボク」と読むのが粋でブランド的価値を持つようになった。
隅田川がカーブしながら先述の古墨田川と合流する場所の外側にあるのが隅田村で、洪水が頻発するので幕府は隅田堤という陸の堤防を築造、桜を植えた。桜を植えるのは花見客が大挙して訪れて踏み固められるからである。今も川べりに桜が植樹されるのはこの幕府の知恵に由来する。
するといい景色なので山水画や浮世絵が多く作られたが、何しろ「隅」より「墨/ボク」の方がカッコいいもんで、隅田堤じゃなくて「墨堤/ボクテイ」と題されたりした。
その他にも隅田村/隅田川関連のものが「墨田」と呼称されたので、隅田村→隅田町となっていたが住んでる人らは勝手に隅っこよりもイキな方がいいと「墨田町」と書くのが流行し、本所区と向嶋区が合併した際には墨田区となった。
隅田町が町名変更できるようになるとこれもやはり墨田となった。
中仙道の板橋宿は超巨大宿場町で、JR板橋駅から都営地下鉄板橋本町駅の2.5kmくらいもあり、北から上宿、中宿、下宿(下板橋宿/平尾宿)と分かれていた。
鉄道道路の時代になると宿場町の記憶は無くなって何が中なんだという事で、仲宿と改称された。
下谷はいかにも下に見られてるみたいなので、台地の東、と台頭を兼ねた造語を区名にした。
吉原遊郭とか上野周辺とか山野とか実際にスラムが幾つかあったのが余計にコンプレックスを刺激した。
十条と呼ばれる地区には北側に上十条村、南側に下十条村という二つの村があった。尚、この当時の上、下というのは京都に近い方が上である。江戸北側には中仙道があるので京都に近い方の北が上であって、東海道周辺なら西が上になる。
両村を縦貫する形で日光御成道(別名 岩槻街道)があり、下十条宿という幕府非公認の小さな宿場町があった。今の東十条駅から坂上がったあたりの塾や郵便局があるあたりである。
明治になりその十条の西の方に現赤羽線(埼京線。開通当時は日本鉄道品川線)の十条駅が出来た。
次に東北本線(京浜東北線)にも駅が出来る事になったが、当然、一番栄えている下十条宿に近い場所に設置された。また駅に来れる道もある。だから当然駅名も下十条駅だった。
ところが昭和に住居表示で町名が変えられるという事になると、下十条が「今は東京駅に近い方が上だからこっちが上十条だ」とか言い出す。
それで町名を押し出された元の上十条は、下はヤダってことで中十条となってしまう。何でだ。
こうして下十条が無くなったのに駅だけ下十条を名乗ってる状態になったので、十条の東だし、東十条に隣接してるってことで改称されて東十条駅になった。
そりゃ下扱いは誰でもイヤなもんだが、下剋上的というか身勝手というか。
ここを東急電鉄の後藤慶太のデベロッパが買い上げ高級住宅地「田園調布」の分譲を開始、鉄道も開通し、調布駅が設置され、直ぐに田園調布駅に改称される。
「田園」の文字の由来は、ロンドンに視察に行った後藤が田舎に住んで都会に鉄道で通勤するというゆとりがある生活スタイルに触れて感銘を受けたため。当時のロンドンは児童含む超絶ブラック搾取労働や、一晩で数百人が死ぬほどの超絶大気汚染、ゴミや糞便に混じって死体も流れるテームズ川の超絶河川汚染、多発するスリ強盗殺人林立する売春婦など、文字通りに死ぬほど環境が悪かったために富裕層にこのような生活スタイルが流行した。
昭和3年に人口が増えて町制施行されることになったが、調布町とすると京王線沿線の調布と被ってしまうので「東調布町」と呼称。
だがその僅か五年後には荏原郡自体が東京市に編入されて東調布町も消滅。短い命であった。
初めは東急(の子会社デベ)が開発した駅前の高級宅地だけが田園調布だったが、住居表記施行で町名変更が可能になると、元の田園調布の周りの○○沼とかの町も「沼とかヤダ田園調布にしたい」という事になって、全域が田園調布となった。
田んぼと山と高速道路の陸橋に挟まれた山の中の集落に住んでいる。
山の麓から神社へ雑木林を切り開いた参道があって、参道から逸れた小道の奥に集落がある。家は全部で7軒。住んでいるのはうち含めて二軒。
父は既に故人で母は入院中、兄弟姉妹は家を出ている。集落の住人は俺と一人暮らしの高齢女性2人。
この山、集落、神社、裏山のトンネル全体がまとめて心霊スポットになって困っている。原付に乗った高校生やBBQ帰りのヤンキー、帰省してドライブしているらしき大学生などが肝試しに参道や家の前を大騒ぎしながら歩いている。夜は雨戸を閉めているので光が漏れず人が住んでいるとは思われないらしい。
夜中にちょっとコンビニ行こうと思って建て付けの悪い玄関をガタガタ開けたり、参道ですれ違っただけで若い子たちに「ぎゃー!」と叫ばれる。
Permalink |記事への反応(22) | 21:20
近くの古墳の整備事業が終わって出土品などの展示が行われていましたの
解説は古代の土岐のことをカタカナでトキと書いていて飛鳥時代のトキは飛鳥トキですの?
馬が足りませんわ
でも、土岐よりも七支刀を連想させる刀支の方が縁起がよく見えますわ
縁石によって規模が分かりやすくなっていました
小さい円墳の段尻巻古墳の被葬者一族は大きな方墳の乙塚古墳の被葬者一族の右腕的な存在だったのではないかと
展示では書かれていましたわ
円墳の方が方墳よりも権威的には上らしいので、段尻巻古墳の被葬者は中央から派遣されてきた人間で
公的な地位は乙塚古墳の被葬者より高いけど、乙塚古墳の被葬者の方が現地での実力は上だった関係を
想像してみましたわ
東海地方に前方後方墳が多いのも乙塚古墳が方墳なことに関係があるかもしれませんわね
市街地南方の丘陵地帯で大規模な道路工事が行われていて谷間の湧水湿地を潰していそうで
心配になりましたわ
ほとんど雑木林ですから高い部分を削るだけなら被害は少ないと思いますけれど…
https://toki.cloudgis.jp/urban/ の都市計画道路をみるとルートがわかりましたわ
ゴウがいなくなるのかな?と思ったらサトシとピカチュウ がいなくなるとのこと。
小学3年生くらいの時に初代ポケモンが流行って、私ももちろんやっていた。
アニメはロケット団のムサシとコジローがなんか好きだった。やってきれば見ていた。
ゲームは好きで金銀、その次のあたりまでやっていた。
アマプラに新作のポケモンアニメがあったので何となく夫と見ていたら息子が食いついたので3人で見ることにした。
そして2歳4ヶ月のクリスマス、初めて息子は歌を歌った。
「わんつーすりーでこめー、みらきがー、ぼくのー、ぽーけとにーあるーからー」
あんなに童謡を聴かせても歌わなかったのに、ポケモンを突然歌った。
3歳の頃は散歩中、ミュウが隠れてるかもしれないと雑木林に入ったりポケモンいないかなとソワソワしていた。
4歳4ヶ月の今日、サンタさんに何お願いするか聞いたら、「本物のモンスターボールがいいな、でもぼく、強いポケモン捕まえたいからやっぱりスーパーボールがいいな」と言っていた。
息子はキャップを反対に被り、ジャンバーはサトシ君みたいでかっこいいからと前を開けている。ゲットだぜ!の歌もタイプワイ!の歌もポケットの歌も歌える私を尊敬している。
ポリアミンは炭素鎖にアミノ基がついただけのシンプルな構造の物質の総称で、有名なのはプトレッシン、スペルミン、スペルミジンの3種だね!
名前を見てもわかる通り、精子(スペルマ)から発見されたのでスペルミン、スペルミジンっていうくらいなんだ
ポリアミンはアミノ基がついているため正電荷、プラスの電気を持っていて、DNAは主鎖のリン酸基が負電荷、マイナスの電気を持っているんだ
なのでポリアミンはDNAとくっつく性質があって、DNAの安定化や、遺伝子発現の制御なんかにも関わっているんだ
精液にいっぱい含まれているのも納得だよね!
で、ポリアミンは精液以外にも、栗の花と言われるような、広葉樹の花にも多く含まれているので、春先に雑木林からもなんだかエッチな臭いがするよね!
また、ポリアミンは分解されるとアミン系の臭いが強くなるので、その臭いがイカ臭いと言われるよね!
オナニーして寝た翌日のちんこからは刺激臭がするけど、スルメの臭いをもっと強烈にしたような、アンモニアとスルメを混ぜたような臭いだよね
バイオ系なら知ってるかもしれないけど、SDS-PAGEのゲルを固めるTEMEDもその臭いだね!あれもアミンだね!
で、増田さんが女の子だとすると口に含まれる精液の臭いっていうのは分解物のアミン系の臭いではなくて、おそらく栗の花的なポリアミンそのものの臭いだと思うんだ
ポリアミンは発酵食品にも多く含まれるので、増田さんの口内細菌のポリアミン産生能力が高い、というのが原因な気もするね!
納豆なんかもポリアミンが多いので、納豆を食べて口の中がそのままだと、ポリアミン臭がしてきても不思議じゃないかもしれないね!
写真家の今森光彦氏が、段々畑のある里山に土地を買ってアトリエを作り、雑木林などを大改造。様々な種類の樹木を植え、溜め池を堀り直し、花々の咲き乱れる庭を作った。大好きな蝶を沢山呼ぶためである。足掛け30年でつくり上げられた「チョウの庭」には75種類もの蝶が来るようになった。
写真が多くルビも適宜振られている、分類としては児童書なのだが、大人が読んでも面白い本。
私は庭いじりはあまり本腰入れてする方ではないが、必要に駆られてちょっとはするので、草木の手入れについて知っている事もあるけど、それでもこの本を読んで「へー初めて知った!」という事があった。草刈りの必要性についてだ。
年に数度の下草刈りが必要という事までは知っていた。だが草を刈る事で特定の丈の高い草に土地を独占される事を防ぐ効果があり、それによって植物の種類が多様になり、するとその植物達を利用する昆虫達の種類もまた増える事になるというのは、私は知らなかった。つまり里山の生物多様性は人の手によってつくられるのだ。
昔、映画『もののけ姫』の監督インタビューを『アニメージュ』か『もののけ姫を読み解く』で読んだ。そのインタビューで宮崎駿監督が、世の人々が「自然」だと思っている里山の風景は人工的につくられたものだと言っていたと記憶している。
人の手によってつくられた「自然」とは何か……その具体的な有様をこの『小さな里山をつくる』によって見せられた。人の手の入った里山の「自然」はありのままの自然よりも豊かなのだ。それは人間にとって有用という意味だけではなく、植物や昆虫、小動物など生物にとっても住みやすい環境なのだ。
蝶は、それぞれごく限られた種の植物に依存して生き、しかもその美しく奇妙な姿と優雅で愛らしい羽ばたきからよく人の目にとまる。そのため、ある土地に暮らしたり立ち寄ったりする蝶の種類の数というのは、その土地の生物多様性の指標としてはもってこいなのかなと思った。
30年もかけて土地に多様な種類の樹木や草花を植えてつくられた蝶の楽園。楽園の維持には草刈りや木の間伐、野焼きなど、農業や園芸を知らない人ならそんなにやって大丈夫なの? と心配になってしまうようなダイナミックな手入れが必要なのだ。
自然のまま草木の生えるままにしておけば強い草木だけが生え、それに依存する少数の昆虫しかいなくなる。そしてやがてそこに生えていた木々は老いや共倒れにより滅びて、ただの荒れ果てた草原に戻る。
人間による手入れは自然の中ではたまにしか起きない天変地異の再現であり、しかも計画のもとに行われる。本来だったら競り負けてしまう草木を残し、土地の養分と日照権を独占する草木を打ち倒したり、勢力を抑えたりする。
環境保護というトピックにおいてはつい人間の存在を不要の物として私は考えてしまいがちだったのだけれど、人間は自然のよき管理者にもなれる可能性も持っているのだと知った。本書のメインの蝶の話からは脱線しているけれど、私は本書を読みながらそんな事に思いを馳せた。
裏を返せば、自然の中に住む様々な生物……こと植物……生態系のベースとなるので彼らの生き様というのは重要だ……にとっては、多様性や共存共栄というものはあまり重要な事ではないのかもしれない。常に競い合い頂点を目指す、自分の繁栄だけが願いなのかもしれない。人の夢見る生物多様性というのは、不自然な事でしかないエゴなのだろうか。
まあそんな面倒臭い思索は置いといて、庭がクリエイトされていく過程は読んでいてわくわくするし、里山の風景や草木や蝶をはじめとする昆虫の写真は素敵だし、全75種類もの蝶がずらりと並んだページは壮観で興味深い。お、『鬼滅の刃』の胡蝶しのぶさん柄の蝶まで。アサギマダラという珍しく美しい蝶だ。
それと、本書に度々登場するジャノメチョウ。私はこいつに嫌な思い出がある。だからあまり出会いたくないのだが、本書で久しぶりに目にしてふと気づいた。昔はよく家の網戸に停まっていたのに、最近全然見かけない。本書によればジャノメチョウはススキに依存して生きる蝶であるらしいので、最近とんと見かけないのもむべなるかな。ススキの生えた場所なんて、市街地には全然ないもんなあ。
健康のために地元の標高300メートルの山を徒歩で登っているのだが、
スタート地点から人気の無い林の中の坂道を10分以上歩いたところに十字路があって。
十字路のうち三本は一般に使われている遊歩道なのだが、一本だけ、なんだか気味の悪い道がある。
地図を見ると民家の集落につながっている道のようだが、他の道は広葉樹の雑木林なのに、
その道だけ竹林に囲まれていて薄暗く、やや急な下り坂な上に笹が積もって道が荒れている。
この道が本当に集落につながっているのかどうかを確かめたくて、私は勇気を出してその道に入ってみた。
30メートルぐらい進んだところで、道の脇にコンクリートの階段があるのを見つけた。
階段の先に目をやると、竹に囲まれて部屋のようになった場所に、二つの墓が立っていた。
暗い林の奥でいきなり墓に出くわしてしまい、私はびびった。
ちゃんと管理されている墓なのかどうかを確かめる余裕も無く、私は急いで十字路に戻った。
どのコースを通るにせよ、あの二つの墓にお参りするには、人気の無い林の上り坂を