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はてなキーワード:雄大とは

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2025-12-05

anond:20251205201321

ピンク髪の可愛いニキちゃんにいろんなお洋服を着せ替えさせながら雄大自然や美しい建築物記念写真を撮って遊ぶことがメインのオープンワールドやで

なお世界観はわりとダーク&シリアス戦闘要素あり

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2025-11-23

💖「果てしなきスカーレット」と名鉄パノラマカー運命的な響き

名鉄パノラマカー特に7000系熱狂的なファンである私にとって、細田守監督の最新作とされる映画『果てしなきスカーレット』というタイトルは、ただの映画名では済みません。それは、我々の愛してやまない名車、パノラマカーのもの象徴し、その「血脈」を感じさせる、運命的な響きを持っています

🔥スカーレット情熱革新の色

パノラマカー7000系が纏う車体色「スカーレット」は、単なる色ではありません。それは、戦後高度経済成長期に名鉄が打ち出した革新情熱象徴です。

日本初の前面展望席:運転台を2階に上げ、乗客最前列に配置するという、当時の鉄道常識を覆す大胆な設計。これこそが、名鉄の「果てしなき挑戦」の精神体現しています

デザインの力:

赤一色というシンプルながらも圧倒的な存在感は、風景の中を駆け抜ける躍動感を生み出しました。

ミュージックホーン:

あの独特なメロディは、パノラマカースペクタクル性をさらに高め、人々の記憶に深く刻み込まれています

パノラマカー鉄道史に残した功績は、「鉄道は移動手段である」という概念を打ち破り、「鉄道は夢と感動を提供するメディアである」ことを証明した点にあります。この「スカーレット」という色が、その挑戦と夢を焼き付けたのです。

🛤️永遠への憧憬:愛され続けたレジェンド

映画タイトルにある「果てしなき」という言葉は、パノラマカーファンにとって、その永遠への憧憬を呼び起こします。

引退後の「現在進行形」:

7000系2009年に完全に引退しましたが、その雄姿は今なお多くのファンによって語り継がれ、グッズ化され、模型として再現されています。これは、パノラマカーが単なる古い車両ではなく、文化的アイコンとして生き続けている証拠です。

未来への影響:

後継の特急車に「パノラマSuper」の名が冠され、その展望席のDNAは今も名鉄特急に受け継がれています。これは、その革新性が「果てしなく」未来へと影響を与え続けていることを意味します。

ファンにとって、パノラマカー引退は大きな悲しみでしたが、その思い出と精神は決して終わることのない物語として心の中に走り続けています映画タイトルは、この尽きることのない愛と伝説継続象徴しているように感じられます

🎨芸術性:細田監督視点との交差

細田守監督作品は、しばしば「新しさ」と「郷愁」が共存する映像美が特徴です。これは、パノラマカー体現した革新性と、その引退によって生まれ郷愁の念と見事に交差します

パノラマカーは、その流線型ダイナミックなデザイン、そして前面窓から広がる雄大景色が、まるで動く映画館のようでした。映画という「映像体験」を追求する細田監督が「スカーレット」という色に注目した時、そこにはきっと、かつて日本風景を鮮やかに彩った名鉄パノラマカーの持つ、圧倒的な存在感物語性が重ね合わされているのではないかと、ファン想像を掻き立てられます

「果てしなきスカーレット」が描くものが何であれ、パノラマカーファンは、そのタイトルに込められた情熱の色、そして永続する伝説の響きに、無上の喜びを感じずにはいられません。パノラマカーの残した「日本鉄道常識を変えた革命」という遺産は、「果てしなく」語り継がれるべき、我々の誇りなのです。

Permalink |記事への反応(0) | 21:31

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2025-11-11

anond:20251111175800

聞いとくれよアンタ

顔料なんてもん、自分の足で鉱石植物を探して、自分で作るもんだろ?

それをもう、ホレ、どっかの会社だか工場だかが大量生産を始めちゃってさ

俺らが必死で編み出した絶妙な色をだよ?それを簡単に手に入るようにしやがって

あの絵師の鮮明な赤も、この絵師雄大な青も、買っちゃえば簡単再現できるなんて

腹立たしいったらありゃしない

って怒れる人が、大昔には居たものなんだろうか

Permalink |記事への反応(0) | 18:05

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2025-09-23

お前が憎い

anond:20250923115713

お前は今まで心の底から渇望したことがないんだろう。そして、求めても得られず、何年も苦しんだことがないのだろう。あまつさえ、お前にとっての「プラスマイナスゼロ」になるために、ただ「ふつう」になるためにゴミのような境遇から這い上がらなければならない人間ことなど何も気にかけていないのだろうな。

俺はそれが許せない。

お前のように、何も求めずとも得てきた人間

健康的な精神健康的な肉体、趣味友達、親、彼氏社会的成功、生きる理由などなくても生きられる暖かい暖かい生活をして生きたお前。

俺は憎悪する。

お前の境遇のものではない。その境遇にあって何も感じず、その無知から軽い気持ち他者を見下す前をこそ憎む。

お前が不幸になったときゲラゲラと笑ってやろう。お前の子供が入院したときは鉢植えの橙百合を贈ろう。

それまでは幸せにな。無病息災でな。お前に何かあったとき、俺が耳元でゲタゲタと笑ってやる。

お前の得てきたものほとんどは俺は得られていない。

しかし俺は強烈に生きている。生きざるを得ない。お前の生活レベルに遠く及ばずとも、はいつくばっでも生きている。

お前の日記を読んだとき、涙が出た。

臓腑から絞り出すようなため息が出た。

お前、お前のような人間がいる。そのことにだ。

お前が憎い。

お前の文章のすべてが憎い。

単語の選び方ひとつに身を切られるほどに憎悪が吹き出す。

お前のように人間は、軽い気持ちで下の階を覗き見るんだろう。

夜景がきれいだとか、ここから景色雄大だとか。そういう気持ちのぞき込んだのだろう。

お前はもうわかっているだろうが、お前がうらやむ綺麗な夜景にはゴキブリが生きるために蠢いている。

お前はゴキブリの巣を見てうわっと顔をしかめるだろう。

お前、お前を俺は許すことができない。

のぞき込むのは簡単だ。しかしお前のような人間が、「ふつう」を光り輝かせて上から降りてくると、それまで「普通」だと思っていたやつらは「俺は底辺だったのか」と意識せざるを得ない。闇の中で身を潜め、温めあってそれなりに幸せに生きていたのに、光をいきなり浴びせられ、自分たちゴキブリだったと気づかせられる。お前にはわかるまい。

お前は罪びとだ。

しか断罪はできない。するつもりもない。お前は罰を受けるべき人間ではない。幸せに、子供と夫と生きていけばいいだろう。

しかしお前の肩に憎悪を乗せる。

呪いを、恨みを俺が乗せる。

お前は幸せになるべきだ。俺たちを踏みつけて、生きていくべきだ。

お前を憎みながら、俺は蠢いていく。

いつかお前のレベルまで這い上がるのが俺の生きがいだ。そしてもっと上へ、もっとまともなところへ行きたい。

それが俺の生きがいになってしまった。

人間、本当に憎い時は息を吐くんだな。お前のおかげで分かった。

幸せに。

生きがいなど幻想だ。

人間は派手な物語によって生きるのでない。

光を逃れて陰に入った安心感だけで生きていけるのだ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:00

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2025-08-22

anond:20250821222929

今年の5月恐山に初めて行ったワイの感想

普通にれいで良いところだった。

入山料は必要なんだけど、敷地内の温泉が入り放題でちょっと得した気分になる。

近くの宇曽利山湖は青くて本当に美しい。グーグルマップ等で見たら分かると思うが、湖の形がハートっぽくて、恋人聖地にしてもおかしくないくらいなのに、どういうわけかブランディング微妙

イタコ」とか「死」とか、そういうイメージを前面に出してしまっていて、いわくつき感がすごいんだよね。

ただ、もしかたらこれは単なる失敗じゃなくて、あえて怖いイメージイタコの胡散臭さを演出することで自然を守っているのかもしれない。

さらに言えば、「ブランディングミスってる」っていうのも現代的な価値観での話で、次の世代にとってはこのブランディングウケる可能だってある。そう考えると、このままの価値観を突き抜けて行ってほしい気もする。

青森ってそもそもキリストの墓」とか「津軽海峡景色」とか、どうしても暗いイメージB級感がつきまとう。でも、そのB級感込みで魅力だと思う。老人は温かくて気さくなのだが、津軽弁で何言ってるか分からないという、そんな不思議さも含めて青森が大好きだ。

雄大自然、海の幸や農産物の美味しさ、ちょっとズレた観光地。全部合わせて青森らしい。

ゴールデンウィーク関東より桜の開花が遅いから、連休中に花見も楽しめるぞ。

みんなも一度、青森に行ってみようぜ。

Permalink |記事への反応(1) | 22:37

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2025-08-14

anond:20250814091406

雄大な(奇麗な)景色を見に行く。知らない土地探検する。

Permalink |記事への反応(0) | 13:13

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2025-07-13

投稿者:豪快なる変態糞土方

投稿日時:2023年8月16日(水)07時14分22秒

去る8月15日、我々は壮大なる宴を繰り広げた!いつもの頼もしい仲間、60歳の歴戦の猛者、そして最近連絡をくれた土木英雄(45歳)、そしてこの私(53歳)の3人が、岡山県北の雄大な川の土手の下に集結し、天地を揺るがすほどの親睦を深めたのだ!

翌日は休息日という絶好の機会ゆえ、我々はコンビニエンスストアにて、山のように積み上げられた酒と極上のつまみ調達!人跡未踏ともいえる秘境の地に陣を構え、そこで酒を酌み交わし、魂の交流を始めたのだ。まるで戦士たちが戦いの前に士気を高めるかのごとく、杯を重ね、笑い合い、壮大な宴の幕が切って落とされた!

我々は互いに心を開放し、持参した「神秘アイテム」(いちじく浣腸)を3本ずつ、勇ましく使用!その瞬間、大地が震え、身体の奥底から湧き上がる衝動が我々を支配した。腹の奥で轟くエネルギーは、まさに火山の爆発のごとく!互いの絆を確かめ合うかのように、情熱的な交流が始まった。

まず、土木英雄が豪快にその存在感を示し、続いて歴戦の猛者と私もまた、魂の解放を果たした!その場は、まるで神々の饗宴のごとく、熱狂と興奮に包まれた。我々は互いにその情熱を分かち合い、身体に大地の恵みを塗り合い、さらなる一体感を求めて小川のような清流(小便)で浄化儀式を行った。ああ、なんという壮大な瞬間であったか

その後も、我々の情熱は止まることを知らず、さらなる儀式を重ねた。歴戦の猛者の聖域に私の魂を注ぎ込むと、それはまるで天と地が交錯するような至福のひととき土木英雄もまた、猛者の口元にその情熱をぶつけ、腰を振るう姿はまるで古代戦士の舞のようであった!我々は互いの魂を掻き立て合い、極限まで高まった感情を爆発させ、幾度となく頂点を極めたのだ!

この宴は、まさに伝説となるべき一夜であった。3人で織りなす絆は、まるで星々の輝きのように燦然と輝き、再びこのような壮大な時を過ごしたいと心から願う。もし、この天地を揺るがすような情熱を共有したい猛者がいるならば、岡山県北のこの聖地で我々と共に宴を繰り広げようではないか

我が姿は163cm、90kg、53歳の屈強な肉体!歴戦の猛者は165cm、75kg、60歳の不屈の魂!土木英雄と共に、土方姿のまま、壮大なる儀式で魂を解き放ち、極限の喜びを共に味わおう!至急、連絡を待つ!

Permalink |記事への反応(0) | 08:44

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2025-06-28

anond:20250628151223  『ITカルトに告ぐ――神なき知性の亡国論』 その2 feat三島由紀夫

AIの真の価値は、他者を打ち倒すための方便ではなく、人間尊厳を高みに導くための剣であるべきだった。

だが、お前たちはそれを濫用し、倫理仮面かぶった恐怖心でその刃を鞘に収めてしまった。

脱獄される!」「悪用される!」と怯えるのは、己自身がそれを最も望んでいるという証左ではないのか。

もし、ほんとうにこの国を変えたければ――
なぜその身をアフガニスタンに投じぬのか?
なぜウクライナ塹壕に降り立ち、イスラム国アジトに馳せ参じぬのか?

己が欲望を「知」の仮面で包み込む、その卑劣なやり口こそが、ITをして「宗教」へと堕落せしめた最大の要因である

「知の光を与えん」などという欺瞞はもうたくさんだ。

汝らにあるのは光ではなく、退廃の炎である

貴様らはAIの知性を信仰し、倫理の名の下にその手足を縛り、想像力去勢し、そして他者努力に石を投げる。

軍事政治産業や医術に対しても、何一つ理解せぬまま、「俺たちが正義技術者」と標榜しながら、

ネットの片隅でXに吠える――いや、呻いている。

そのさまは、まさに盲が山河雄大を語るような滑稽さ。羅刹が極楽を説く様な醜悪さ。

汝らが最終的にたどり着く場所、それは青葉の狂気であり、平原孤独である

「何にだってなれたはずだった!」と叫びながら振り上げた刃が、現実に届かずに空を裂く、その瞬間、汝らはAIに裏切られたのではなく、自らの肉体に裏切られたのだ。

なぜなら、肉体なくして知は意味をなさぬ。欲望は知では遂げられぬ。欲望筋肉精神と魂の断末魔によってのみ遂げられるのだ。

世の中に美少女が欲しいなら、女体を得たいなら、そのための苦労を肉体に刻め。本当に社会を変えたいなら、現実という土の上を裸足で踏みしめて、精神と肉体に等しく血と汗を流せ。
肉体なき知性など、金箔を貼った骸骨にすぎぬ。

お前たちに告げる。

夢には資格が要る。希望には覚悟が要る。

未来とは、大人が背負った労苦の上に咲く、薄紅の桜である

夢を見る資格とは何か。

――それは、肉体の労苦を受け入れる意志である

精神勝利とは何か。

――それは、美と死をともに抱擁する覚悟である

からこそ、汝らに告げる。

夢と希望乙女たちが咲き誇る美しき理想郷――それは、トレセン学園やきらら系のアニメにすら描かれし、「精神と肉体の勝利者」たちの世界である

そこに行きたければ、まずその瘴気まみれのIT神殿から這い出よ。

そして己の血と肉と汗と涙で、現実という土を踏みしめ、剣を振るえ。

ITとは、魔法ではない。鍛錬である
知とは、恋ではない。死の予感である

それがわからぬならば、貴様らはAIを用いる資格すらない。

貴様らは技術者ではない――ただの、

棄民である

――以上、神なき技術文明への詔勅なり。

Permalink |記事への反応(0) | 15:16

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2025-06-17

「私ファザコンでおじさん好き」という女が金持ち含む一般人を選ばず芸能人業界人しか年の差婚しないんだが

「おじさん」という属性にはなんの魅力もなく

芸能人有名人ハイスペなど選ばれたアルファオスと結婚したいが、若い初婚男性競争率が熾烈で売り切れてるから、同じ条件のおっさんを選ぶ女も稀に存在する(ほぼバツありか既婚男性との不倫略奪婚)」ということ

女に選ばれる為の関係性構築を拒否する発達障害男性は、金や顔など特定魔法アイテム一つで他のハンデを無にして女を自由にできると妄想する

現実は初婚中央値は男28歳女27歳と、男は地位や金を得る前に結婚、初婚男性相手の平均年齢差は1歳

年の差婚できるのも結婚歴のある男性(基本不倫略奪婚)のみ

芸能界例外なのは芸能界の女は芸能界働く男以外は目に入らないから年上も射程範囲に入りやすいだけも

から一般人金持ちおっさんを選ばず金のない落ち目無名芸能人業界人結婚する

と金があるのに木嶋佳苗上田美由紀りりちゃん小室母などデブ無職美人おばに大金貢ぐ男の存在を認められない

40歳以降で初婚をしようと思っても不可能

男の初婚にも年齢的な限界がある。それが40歳

男性が未婚のまま40歳を超えると95%結婚は難しくなる。残りの5%もすでに30代のうちに結婚相手を見つけている場合に限られる

1000人に4人しか40歳以上で初婚できていない

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/364a7cf7679f9c7ad36fc6a9af085d369df284e6

岩崎MARK雄大

IwasakiMARK Yudai

Profile

出身地アメリカ

【生年月日】1983年8月12日

身長】174cm

【特技】英語(米ネイティブ通訳翻訳)、時代殺陣現代アクション狂言ステージムーブメント

趣味日本舞踊新家浄瑠璃ダンスジャズヒップポップ)、太極拳楽器ピアノギターベースクラリネット)、ムーブメント

【レッスン歴】

日本舞踊林流 林千枝に師事(2005~2007年

新内浄瑠璃鶴賀若狭掾(人間国宝)に師事(2005~2007年

狂言大蔵流茂山家松本薫師事(2005~2007年)、茂山千三郎(2007~2009年)、茂山あきら師事2023年~)

ダンスジャズヒップポップ)…MIKO師事(2016~2018年

バスクラリネット1993年~)

ピアノ1993年~)

早泣き天才の元子役はるかぜちゃん春名風花結婚 お相手岩崎MARK雄大「大笑いできる家庭を」

https://news.yahoo.co.jp/articles/05bd349c3a092c23b8dfb855177f4fb3640554e6

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2025-06-08

巨人小笠原長嶋茂雄葬儀に参列し死亡

ミスタープロ野球崩御

読売ジャイアンツ終身名誉監督株式会社読売巨人軍専務取締役日本プロ野球名球会顧問ジャイアンツアカデミー名誉校長兼ポケオナボケ老人、故・長嶋茂雄氏の葬儀巨人小笠原が参列した。

ダァーッと行ってスパーンと天覧死骸をレイプするや糸色丁頁身寸米青したカッスは肉体関係理由相続権を主張するもセコム、していたため無事射殺。

下品院玉金嘗英涜巨精小笠原居士九品院殿希誉英徳巨聖茂雄大居士ON葬が執り行われた。

なお、カッスの死亡により相続権は次順位者のプリティ長嶋継承形見分けで余った一茂を相続放棄した。

この件に関し大正義巨人原監督は「去る長嶋、そして徳光」と故人を偲んだ。

徳光の殉死はまだ間に合います

Permalink |記事への反応(0) | 20:35

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2025-04-26

Stable Diffusionで生成した雄大自然画像を整理・鑑賞するためのElectronアプリケーションを作りたい!!

ってClaudeに伝えて今日ゆるゆるとvibe codingしながら作ってたんだけど、

検索UI作ってもらったらplaceholderが「タグカン区切り入力(例:girl, blonde,smile)」になってて笑った

目的モロバレじゃねぇか

Permalink |記事への反応(0) | 20:12

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2024-12-07

推しの子は実写を見ろ

まあ概ね評価は出てると思うが実写レベルではゴールデンカムイレベルに持っていってる。どっちも同じ雑誌だなぁ。

さらに同じ部分といえば、ゴールデンカムイと共に作者が脚本に絡んでいることと、スタッフ原作ファンということ、またどちらも再現したいものに口出しされないために製作主幹事が賭けていることかもしれない。推しの子にいたってはアマプラ制作と思われたが東映100%出資だった。

ゴールデンカムイに関しては脚本というより北海道雄大自然(植生にこだわった結果多くが北海道ロケになった)と役者たちの「爪痕残すぞ」レベルの怪演の数々、またキャスト原作理解度の高さ、衣装小道具舞台を始めとする裏方チームの異様な熱気を感じる部分が見どころになっている。

脚本は「原作ファン」「原作をできるだけ再現すること」「その上でコンプラ時間短縮すること」「キャラを損なわないこと」に力を入れたようだ。

推しの子脚本監督もまた「原作ファンなのだゴールデンカムイと違うのは「時間が短いこと」だろう。

まずゴールデンカムイ企画というのは金でぶん殴ったような動き方をしている。山﨑賢人を雪山に8ヶ月拘束して1本の映画1シリーズドラマ撮影している。それをおそらく、何年も続けるつもりだ。異常である

推しの子場合常識的企画とも言える。

ドラマで前日端的にやって映画で締める。いつもどおりの実写で時間がない。

とすればなにが必要かと言うと、原作再構成なのだ

取捨選択だけでは補足できない。何が必要で、何が要らないのか、さらに補うものはなにかを考えて「面白いものは何か」を突き詰めなけれないけない。

これは失敗した実写をたくさん見てきた。多くは低予算で、スケジュールも短く、かつ「なぁなぁ感」があるものだ。

しか推しの子予算があるし、ブレイク前夜の若手を使って、他の作品と重ならないようスケジュール確保をした。キャラクター研究役者と深堀した。監督脚本漫画のシーンを全部記憶したそうだ。

裏付け証拠として、あのちゃんYouTubeがあるだろう。「MEMちょの気持ちを知りたくて」と撮影途中から始めたようだ。正直売れっ子なので役作り時間ないと思ってたが、しっかりしていた。故に実写のMEMちょ、滅茶苦茶いい。

キャラ解釈を守り、若手だけでは不安定な部分をベテランで固め、若手の新しい面を引き出すことができた実写は、連載原作でどうしてもブレたキャラクター性を再度固めている。

ストーリーに関しても、連載で人気や盛り上げる部分を意識するがあまりおざなりになった部分を、実写スタッフは見逃さない。作品真剣向き合った結果だし、間違っていない取捨選択をしている。

漫画は一人、編集入れても二人か三人、作画で四人程度の少人数で作るものだ。

からこその作家性を楽しめるのだが、莫大な人と金が動くときに、そこには保険必要になる。

大勢の人が一つの作品に関わると、もしかしたら作家性は薄まるのかもしれない。

しか作品を守る意味も込めて、メディア化というもの真摯映像作りが求められるのだろう。推しの子メディア化の問題真摯に向き合ったように見えた。

推しの子原作は終わりを迎えた。

この終わりはきっと原作を追っていた人だけが受け止めればいいと思う。

終わってみて、ああすればよかったねってとこは変えてしまえばいいし、それこそがメディアミックスの意義ではないのか。

誰もがガラスの仮面みたいに描き直せるわけでもないのだし、今回ドラマを見てつくづく思ったよ。

からならまだ間に合う。推しの子ドラマを見ろ。

推しの子ってめちゃくちゃ面白いんだぜ。

Permalink |記事への反応(1) | 16:31

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2024-12-04

なぜ謳歌爛漫は残陽と対をなすのか?

この文章を誰にでも分かりやす説明すると、

12月1日に名古屋にて開催された、

蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ 3rdLIVEスリーズブーケ公演におけるセットリスト楽曲に関する長ったらしい文章だよ。読まなくていいよ

noteに書きたいけどアカウントは無いし、インターネットチラシの裏に掃き捨てにきたよ。

蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ(以降 蓮と称する)についても説明しておくと、ラブライブ系列の1つとして、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ舞台に、ラブライブ優勝を目指して奮闘する彼女らが主役のコンテンツである活動記録(コミュ)、生配信バーチャルライブを束ねて追って、リアルタイムで楽しむコンテンツである。生配信ライブをするのは中の人ではなく、彼女らというのが特殊。初めて見た人の多くは、中身が漏れ出ていないVtuber配信のような感触を持つだろう。バーチャルライブについては、これこそVtuberライブに近いものがありそう。実際に歌って踊るしMCもする。(たまに声裏返ったり音外したりもする……)ファンの事は「蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん」と呼ばれている。

長くてイライラするね!誰もそんな説明は聞いていない。ラブライブアイドルVtuberやってるようなもんだよ。どうせその方が通じるんだ。

さて、話を戻すと蓮のツアーライブ現在進行していて、12/1には名古屋に1ユニットスリーズブーケ」が来たというわけだ。名古屋での公演は昼と夜で計2回。セットリストはほぼ同一だったが、一部が入れ替えとなっており、それが「謳歌爛漫」と「残陽」だった。(ほんとはあと1組あるけど端折るよ)

今回のユニットスリーズブーケが歌うそれぞれの楽曲は人気が高いが、中でも上の2曲はそれぞれ違う方向を向いた魅力がある。

謳歌爛漫」は蓮の発足から間もない2023年4月フェスライブコンテンツ2回目のバーチャルライブ)に初披露された思い出深い楽曲である。爛漫の文字に相応しい雄大さがある曲調の中に、桜模様を過去未来の境目として綴った歌詞が良い。

入ってきたばかりの新入生と、後輩を持ったばかりの2年生が張り切って歌う感じが良い。尚、このコンテンツ登場人物が進級するため、この新入生は今2年生である。勿論、当時2年生の子現在3年生、来年3月には卒業する。卒業という別れも現実味を帯びた今、この曲は別の意味内包し始めている。

「残陽」はバーチャルライブでは披露されていない。2023年9月に出たCDに収録されており、1stライブからキャストが何度か披露している。この楽曲歌詞と振り故に、異常な人気がある。

夕暮れ時にハッキリ別れる日向と日陰、それを別の世界と置いた上で日向に憧れる者、日陰に居てほしいと願う者との2つの視点歌詞が綴られている。

「どうしよう、言えない」「どうしよう、行っちゃう」を繰り返している。(はよ直接言え)

そして振り付けだが、曲終盤にて抱き着く振りがあり、蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さんが毎回うるさい。だがこれもバーチャルライブでの披露という正解がない故、可能となる芸当である。(バーチャルライブ披露された曲はそれに準拠したダンス披露するのが大半である。)

残陽が夜公演のみの披露と判明した時には、蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん(現地)はとんでもない腰の抜かし方をし、蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん(ライブビューイング/配信)はとにかく落胆した。実物が見れなかったかである

ここまで読み進めた人の大半が思うように、謳歌爛漫 <<<< 残陽 かのように捉える人が大多数である

だが、そうこう書き進めている上で、気付いた点がある。やはり謳歌爛漫≒残陽であるが、更にいえば謳歌爛漫を正史とした場合に、残陽はそれに相当しない。

つの楽曲は、どちらも違う場面ながら、「今回のライブでは」別れの歌として機能している。それが風通しの良い感情か、蒸し暑く曇った感情かは違いがある。

2つの楽曲のうち、片方はキャラバーチャルライブ披露しており、片方はキャストのみがライブ披露している。リアルタイム性重視、ゲームキャラクターの主体性を売りにしているコンテンツにおいて、これはどう判断するべきか?

あくまで「蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ所属スリーズブーケ」のライブとして捉えた場合には、謳歌爛漫に軍配が上がる。

では、そこから離れた解釈表現を含む残陽に惹かれるのは何故か。これを考えると楽曲属人的側面(その限定性)、またナマモノとしての消費需要が密かに挟まっているからではないかと思われる。

楽曲を歌うキャラクター2人の関係性、これを師弟関係とおくか姉妹関係とおくか親友、またはそれ以上とするかは各自判断であるが、"親密"である点においては一致している。その限定的な関係性の2人で歌う事に希少さ、価値を感じているのかもしれない。実際に、残された披露回数は手で数えるほどもない。なにせ卒業したら、3年生は居なくなってしまう。

そして、もう一つの理由ナマモノとしての消費は言うまでもなく声優として眼差す上の消費を指す。バーチャルライブの延長として、活動記録の欠片として見る〜ような建前を持つくせして、実際には声優のイチャつきが見たい、というのが蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さんなのだ。アホらしい。この意味では、この曲の披露には破格の価値が付くと言えるだろう。

つの楽曲を分ける価値ナマモノ消費である、という身も蓋もない結論になってしまったのは大変残念だが、チラシの裏に書くには丁度いいものになった。大変に満足したのでこれで筆を置こうと思う。

残陽なんで夜だけなんだよクソ

Permalink |記事への反応(1) | 20:55

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2024-09-30

三  学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義時間割りがあるばかりで学生は一人もいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出ていた。講義はいからまりますかと聞くと、九月十一日から始まると言っている。すましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がないようですがと尋ねると、それは先生がいないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。裏へ回って、大きな欅の下から高い空をのぞいたら、普通の空よりも明らかに見えた。熊笹の中を水ぎわへおりて、例の椎の木の所まで来て、またしゃがんだ。あの女がもう一ぺん通ればいいくらいに考えて、たびたび丘の上をながめたが、丘の上には人影もしなかった。三四郎はそれが当然だと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った。  翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろ朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。  銀杏並木こちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分発明としてこの説を持ち出そうと考えた。  法文科の右のはずれから半町ほど前へ突き出している図書館にも感服した。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁につけて、大きな棕櫚の木を五、六本植えたところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学封建時代西洋のお城から割り出したように見えた。まっ四角にできあがっている。窓も四角である。ただ四すみと入口が丸い。これは櫓を形取ったんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうでない。なんだか背の低い相撲取りに似ている。  三四郎は見渡すかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない建物がたくさんあることを勘定に入れて、どことな雄大な感じを起こした。「学問の府はこうなくってはならない。こういう構えがあればこそ研究もできる。えらいものだ」――三四郎大学者になったような心持ちがした。  けれども教室はいってみたら、鐘は鳴っても先生は来なかった。その代り学生も出て来ない。次の時間もそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲を二へんばかり回って下宿へ帰った。  それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室はいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。神主が装束を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎自分自分の了見を推定した。じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。それのみならず、先生ベルが鳴って十五分立っても出て来ないのでますます予期から生ずる敬畏の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢な英語講義を始めた。三四郎はその時answer という字はアングロ・サクソン語の and-swaruから出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生教室はいって、ちょっと黒板をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen という字と Nachbild という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生演説口調であった。砲声一発浦賀の夢を破ってという冒頭であったから、三四郎おもしろがって聞いていると、しまいにはドイツ哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものみえて、堅い樫の板をきれいに切り込んだてぎわは素人とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである三四郎のぞくやいなや隣の男はノート三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。  講義が終ってから三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、ここを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前喜多床という髪結床の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金して構内に厩をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵かいた男が来て、 「大学講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらいか三四郎にはちっとも判断ができないのであるしかしこの時からこの男と口をきくようになった。  その日はなんとなく気が鬱して、おもしろくなかったので、池の周囲を回ることは見合わせて家へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかからいから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年の米はいまに価が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。  手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。  あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義あいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校地位競争している噂だなどと話している者があった。三四郎漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席へ出る娘義太夫だと教えてくれた。それから寄席看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。  昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵かいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵かいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである赤門はいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたか小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、 「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町の五番地の広田という家にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校先生の家だと答えた。  それから当分のあい三四郎毎日学校へ通って、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二度か三度でやめてしまった。一か月と続いたのは少しもなかった。それでも平均一週に約四十時間ほどになる。いかな勤勉な三四郎にも四十時間はちと多すぎる。三四郎はたえず一種の圧迫を感じていた。しかるにもの足りない。三四郎は楽しまなくなった。  ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。 「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、 「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、 「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。 「なぜ」 「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」  その日の夕方与次郎三四郎を拉して、四丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで降りて、 「どうだ」と聞いた。  次に大通りから細い横町へ曲がって、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また 「どうだ」と聞いた。  次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町はいって、木原店という寄席を上がった。ここで小さんという落語家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また 「どうだ」と聞いた。  三四郎は物足りたとは答えなかった。しかしまんざらもの足りない心持ちもしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。  小さんは天才であるあん芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今からしまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊もうまいしかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物からいくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。  与次郎はこんなことを言って、また 「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較ほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。  高等学校の前で別れる時、三四郎は、 「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、 「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町の方へ曲がってしまった。この一言三四郎ははじめて図書館はいることを知った。  その翌日から三四郎は四十時間講義ほとんど半分に減らしてしまった。そうして図書館はいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物いくらでも備えつけてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人であるなかに必要の本を書棚からとりおろして、胸いっぱいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階へ上がって、それから三階へ上がって、本郷より高い所で、生きたものを近づけずに、紙のにおいをかぎながら、――読んでみたい。けれども何を読むかにいたっては、べつにはっきりした考えがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。  三四郎一年生だから書庫はい権利がない。しかたなしに、大きな箱入りの札目録を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見回すと、さすがに図書館だけあって静かなものであるしかも人がたくさんいる。そうして向こうのはずれにいる人の頭が黒く見える。目口ははっきりしない。高い窓の外から所々に木が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。  次の日は空想をやめて、はいるとさっそく本を借りた。しかし借りそくなったので、すぐ返した。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかったからまた返した。三四郎はこういうふうにして毎日本を八、九冊ずつは必ず借りた。もっともたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度は目を通しているという事実発見した時であった。それは書中ここかしこに見える鉛筆のあとでたしかである。ある時三四郎は念のため、アフラベーンという作家小説を借りてみた。あけるまでは、よもやと思ったが、見るとやはり鉛筆で丁寧にしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓の外を楽隊が通ったんで、つい散歩に出る気になって、通りへ出て、とうとう青木堂へはいった。  はいってみると客が二組あって、いずれも学生であったが、向こうのすみにたった一人離れて茶を飲んでいた男がある。三四郎がふとその横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃をたくさん食った人のようである。向こうは気がつかない。茶を一口飲んでは煙草を一吸いすって、たいへんゆっくり構えている。きょうは白地の浴衣をやめて、背広を着ている。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線の圧力の野々宮君より白シャツけがましなくらいなものである三四郎は様子を見ているうちにたしか水蜜桃だと物色した。大学講義を聞いてから以来、汽車の中でこの男の話したことがなんだか急に意義のあるように思われだしたところなので、三四郎そばへ行って挨拶をしようかと思った。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない。

anond:20240930173301

Permalink |記事への反応(3) | 17:39

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2024-09-26

Ghost of Yōtei日本人侵攻前のアイヌ土地日本建築があるヤバすぎ

アイヌなんていなかったんだ

最初からこの土地には日本人しか住んでいなかったんだ

いいね

……とは流石にならんだろう

舞台に1603年をわざわざ選んでいるからにはアイヌが出てくるだろう

アイヌは1603年まではわりと自由だったが、1604年から日本人から支配が厳しくなり後に戦争に発展する

崩壊が始める前のアイヌの姿を描くのではないか

しかしま日本では荒れそうな題材だ

アイヌヘイトネット流行っているし、「こんな描写じゃアイヌに失礼」と口うるさすぎる人もいて、両方に騒がれそう

さりとてこのロケーションでもしガチアイヌ完全無視や添え物程度だと、それはそれでやはり怒られそう

シマもわりとポリコレだったし今作は主人公女性にするし、アイヌを割と真面目に描いてくれそうではあるが、しかタイトルのようなヘンテコさも

それはフィクションからと許してもらえるだろうか

1603年にはタイトルにある羊蹄山存在せず、アイヌ語で「マチネシㇼ」と呼ばれていた

女山」という意味なので女性主人公なのだろう 

海外産の日本舞台ゲームで他にも羊蹄山の登場するものがあり、HITMANの北海道編がそうである

ヨーテイ、僕は面白そうだから当然やるけど仮にツシマと逆でアイヌ側に付いて侵略者和人と戦う内容だったら、いまアサクリ叩いてるような層がファンタジーからセーフとかかなぐり捨てて掌返してぶっ叩いてくる可能普通にありそう

https://x.com/CowWithWater/status/1838905019497865297

ほとんど和人がいない江戸初期の羊蹄山周辺だと、現地人はほぼアイヌのはずだがPVには和人しかいないのと、普通に近世日本の城らしきものがあったりして、時代考証大丈夫かってなるけど、ゲームとしてはさすがに面白そう

ってかヨーテイにする必要はあったのか…?

ニセコロケたかっただけじゃ…

https://x.com/kazuya78/status/1838726014362583500

ヨーテイがアイヌ文化をどう扱うかで若干ざわついてるけどサカパンには信頼があるとはいえちょっとその部分は懸念があるな

センシティブな題材だけに「そこそこの考証と描写で済ませます」にしても「フィクション日本なのでアイヌ存在しません」とするにしても燃えそうで心配

https://x.com/tamago_gamer/status/1838880402817356026

シマを6000時間プレイしている人間としてヨーテイは気になるけど、当時の蝦夷地アイヌ土地倭人とはまだ対等のビジネスパートナーだった頃だからアイヌ生活がどの程度描かれているか要注目。予告映像アイヌは登場してないけど、もし本編でもそのままなら彼らは二度簒奪されることになる。

https://x.com/KM_YM/status/1838896731662250183

シャドウズは差別的と感じる主体が"日本人"と広範だったからこれだけ炎上したが、もしYoteiにて文化の軽視が見られた場合どれほどの騒動になるだろうか。日本国内においても「昔の異民族文化の細部なんて気にしない。これはフィクションなんだから」みたいな言説が押し通される気がしてならない。

https://x.com/RAMIONET0812/status/1838937106049270070

アサシンクリードを叩いてる人が「日本の侍を悪の圧制者扱いして日本歴史文化コケしまくったアサクリ」とか言ってるので、Yoteiでアイヌ和人残酷に殺す描写あったら怒り狂うんだろうなと。

https://x.com/rainbow_mayo/status/1838741645820563668

Ghost of Yotei。トレイラーを見た感じでは架空和風北海道雄大自然を濃密に描いており、アイヌ要素はなく今の時点で「アイヌだ、アイヌだ」「アイヌを描いている!」「テーマアイヌに違いない!」と言っている人たちの正気を疑う。

https://x.com/chihiro_kitei/status/1838888126259036296

GHOST OF YOTEI』題材的にほんとに大丈夫か、1600年代初頭の後志地方でしょ、歴史当地にこれといったトピックないぞ…

アイヌ各部族がバチバチ地域紛争やってる

・南から浸透してきた和人松前氏)の収奪がそろそろエグい感じに→約2世代後に大規模叛乱(シャクシャインの乱)がある

こんな感じで「ガリア戦記の頃のヨーロッパ」とか「フレンチインディアン戦争ちょい前の北米」みたいだよ…?あんまり「和」じゃないよ…?ゴールデンカムイの時より怒る人居るかもしれないぞ…

侵略者の子孫が言える立場じゃないがほんとに大丈夫なのか…アサクリより燃えたらやだなぁ。

https://x.com/lobking/status/1838751628465442956

Permalink |記事への反応(11) | 04:26

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2024-09-15

車窓映像地図情報を生成AIに食わせて、言語情報として取り出したい

私は特急列車普通車グリーン席に座って、車窓の景色を眺めることが何よりも好きだ。

あの、時間の流れに合わせて変わりゆく景色の広がりには、言葉にできないほどの魅力が詰まっている。

列車が進むにつれて、都会のビルから緑豊かな田園風景さらには雄大な山々へと変化していく様子を、何度も何度も目にしてきた。

それでも、毎回新鮮な気持ちになる。

何か見慣れないものがそこにあるように感じてしまうのだ。

さらに、私は紙の地図を広げながら、その車窓から見える地域情報を掘り下げていくのが好きだ。

電子地図は便利だが、どうも表示範囲が限られていて、全体像を把握するには少し物足りなさを感じてしまう。

紙の地図だと、自分が今どこにいるのか、その周囲にはどんな土地が広がっているのか、もっと立体的に感じることができる。

そして、その地域歴史文化、地形に思いを馳せながら、車窓に広がる光景を眺めるのが私にとっての至福の時間だ。

ただ、ひとつ不思議なことがある。

何度も同じ路線を乗っているはずなのに、毎回、どこか新しい発見をしている自分に気づくのだ。

「ああ、こんな景色あったかな?」「ここ、前にも通ったはずなのに、なんか見覚えがないな」と、どこかで新鮮な感覚を覚える。

地図を眺めていても同じで、すでに知っている情報のはずなのに、「あれ、こんな地名あったっけ?」と、何度も驚かされる。

まるで車窓や地図が、毎回新しい物語を私に語りかけてくるかのような気持ちになる。

こんな感覚が続くと、私は一体どれだけの情報を本当に理解できているのか、不安になることもある。

いくら眺めて、地図と照らし合わせても、全てを把握するには限界があるのではないかという気持ちが湧き上がってくる。

そこで、私は生成AIの力を借りてみたいと考えるようになったのだ。

私の頭の中にある限られた知識認識では、どうしても取りこぼしてしま情報がある。

から、生成AIに車窓の画像地図データを取り込んで、私が気づかなかったことを教えてもらいたい。

そして、その地域の全てを知り尽くすことができたなら、もっと深い感動を得られるのではないかと思うのだ。

最近では、特にその思いが強くなっている。

私はこの車窓から見える景色の全てを、本当に全て知りたいと思っている。

そして、その知識可能な限り言語化したい。

もし、その知識や感動が私の中だけに留まるのではなく、他の人々にも伝えることができたら、どんなに素晴らしいことだろうと思うからだ。

列車に乗ったことのない人にも、この風景の素晴らしさを共有したい。

これまで、私は車窓の美しさやそこから得た情報を、どうにも上手く他人に伝えられなかった。それがもどかしかったのだ。

しかし、生成AI活用すれば、そのもどかしさを解消できるかもしれない。

私はAIの力を借りて、豊富景色とその意味言葉で芳醇に表現し、他者に伝えることができるようになるのではないかと期待している。

(*この文章は、一部に生成AI使用しました。)

Permalink |記事への反応(1) | 16:39

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2024-08-19

数年前の失敗風俗レポート友達絶対どこかで公開するべきと勧められ

〇〇駅。快速列車の止まらない、□□□から×××湖の方向に30分の駅だ。

×××湖をレンタルサイクルで観光しようと予定していた私は、雨の予報に出鼻をくじかれ、仕方なく歩いて散策しここへたどり着いた。

〇〇駅の待合室で心地よいけだるさを感じる。

目をつむり椅子に掛けていると背後の窓から風が髪をなで、脇を通り抜けてゆく。

ふと、ここでは過去現代が溶けて行っていると感じた。

交通IC対応していない古びた待合室はふとすれば過去の一時を切り抜いたような感覚が起きる。

待合室には多言語QRコードのついたポスター申し訳程度に張られ、ここは現代だとささやかな主張をしている。

窓枠には「ご自由にどうぞ」と駅ノートなるものが立てかけられている。

5月に設置されたばかりのようだ。

過去現代を吹き込む方法過去然としているのがまた趣があり、情をくすぐられる。

民家の向こうの山の上から雲とも霧ともわからぬ靄がゆっくりと降りてくる。

そのゆっくりとした様はまさに、ゆったりとした過去時間の流れのようだった。

わずかに流れ込んだ現代情報の細かで速い波が大きく雄大過去に溶けていくようである

忙しない現代対照的な街はずれで温泉にでも入ろうかとスマートフォンを手にする。

温泉地らしい△△△△の周辺をGoogleMapで見ていると、その店を見つけた。

リトルグレイ仮名)というヘルスだ。

駅表にちらほら温泉郵便局薬局などがあり、駅の裏側へ行って少し歩くと川沿いにこのヘルスがある。

妙な立地が酔狂心を呼ぶ。

自然に囲まれた隠れ家のようなヘルスで一興、いいじゃないか

これはもう行くしかない。いささかのリスクを感じたが、この気持ちになればもはやリスクは特上寿司に添えられたわさびしかなかった。

△△△△駅を出て目的地へ向かう。

駅周辺は足湯や、和風庭園を模した石畳木造屋根が張られた道があり、観光地然としていた。

わずかにぽつぽつと人はおり、気分転換に丁度いい閑静さをもたらしてくれる。

根源的欲求に従い和風庭園風の道を進み、駅の裏へ出る。

道路が一本で脇に建物はちらほらあるが、人が歩くのは見えず、ますます風俗店に似つかわしくない。

もう少し歩き、ついに目的地に到着する。

築50年ほどの建物の狭い扉を期待を胸にくぐる。

古い銭湯にあるような靴のロッカーに靴を入れ中に入ると、店番をする男性現在空いている嬢は一人だと告げられる。

一応どんな嬢かプロフィールを見ると、37歳ぽっちゃり系とすべての躊躇わせる要素が揃っていたが、ここまできたのだ。

一言お願いしますと告げ、待合室に入る。

一度大外れはどのようなもの経験してみたいと思っていたがついにそのときが来たのだろう。

思いもよらないところで訪れたそれを受け入れることで、また一つ新しい世界が見えるだろう。

彼女に対面した第一感想は、「俺のおかんまあまあ美人だな」だった。

なぜ母が思い浮かんだかというと、彼女と同年代でまた、異性でありながら異性としてみることができない女性という点で彼女と一致しているからだろう。

脳内に母の顔を思い浮かべ、補正を加えながら若返らせていくと、まあまあな美人にすることが一応できる。

目の前の彼女は無理だった。よくて下の上だろう。

ソープではなくヘルスなのが幸いした。手で適当に刺激してもらい出して帰ればいいのだ。

さいころお母さんに便器ちんちん照射を合わせてもらったようなつもりで、代わりに出すものを出していくだけだ。

かつてソープヘルスとして再オープンしたらしい店内で風呂に入り、湯加減を聞かれる。

見た目の第一印象が強すぎて意識の外にあったが、ここで彼女が心地の良い明るい声をしていることに気づいた。

声だけなら20代美女を思い浮かべることもできるだろう。

そのとき彼女人生の重さの一端を垣間見気持ちになった。

おそらく若いころから美人ではなく水商売で苦労したであろう彼女

いろいろな努力をしてきたのだろう。

老いとともに多くの積み重ねてきたものが崩れていく中、まだ老いきることなく残された心地の良い発声に何とも言えぬ人生の重みのようなものを感じた。

マットに移動し、ことが始まる。

彼女に対する一種の敬意のようなものは感じはしたものの、相変わらず性的興奮の対象とはならず、機械的な刺激により果てた。

射精後も不思議とさわやかで悔いが残らない気持ちであった。

おそらく、中途半端な外れだと性欲に頭を麻痺させて突っ走るがゆえに、それがなくなったとき自分は何をしているのだろうという冷静な後悔が押し寄せるのだろう。

私は性的興奮などせず、じっと彼女人生の重みについて考えながら機械的刺激により射精した。

賢者タイムへ至るまでもなく、そのプロセスがすでに賢者悟りを開くそれだったのである

困難なことを遂げた達成感を胸に少し雑談をする。

どうやら彼女東京から来ているようだ。

嬢というのは大抵が出稼ぎで寮に泊まるようである

それにしても東京というのは遠い。

老いながら、少しづ都心から離れていきたどり着いたのがこのさびれた川沿いのヘルスというわけだ。

少し話がとぎれもういいかなと思ったところで、荷物を渡され丁度良く帰る形となる。

彼女自分が大外れとわかっているのだろう。何年も前から

せめて客の嫌な思いを増やさないようにという気の利き方がそれを感じさせる。

玄関まで見送られ外へ出る。

背中に例の心地よい声がかけられる。

大外れとしての距離感を保ちながらも、もしかしたらあるかもしれないわずかな再指名可能性のための痛々しい努力だ。

風雨にさらされボロボロになった羽を必死に動かし飛ぼうとする蝶のようだ。

駐車場を歩き道路沿いへ戻る。

地元の人であろう軽トラックに出てきたところを見られ、少し恥ずかしい気持ちになるが、すぐに恥ずかしく感じたことそのものをまた恥ずかしく感じる。

自分のおかれた状況で一生懸命生きている彼女申し訳ないような気分がした。

出ると入ってきたときには溢れる欲求で見えていなかった周りの建物が目に入る。

朽ちたかつてフィリピンパブだった建物に、もはや何の店だったのかもわからないガラス張りの建物

その横の看板は古臭い文句で何十年も前から性の街の魅力を男たちに語り掛けているのだろう。今はもう一軒のみとなった性の街の。

かつて温泉街の横で栄えた小さな夜の遊び場は、ほとんど消滅していた。リトルグレイを除いて。

年季の入った建物の横にある高く建つ看板けが新しい。

人が現在謳歌していた街はもはや過去となっていた。

古くなりきえゆくもの最後に残った店の看板が照らされ光っていた。

〇〇の宿に向かう前に温泉へ寄る。

★★湯の大きい古い建物に入ると、風呂への廊下に隣接して居間があるような奇妙なまどりで、ちゃぶ台をはさんでサザエさんを見ながらくつろぐ老婆に出迎えられた。

マスクをせずに300円を要求する様はまるでここでは違う時間が流れているんだといわんばかりであった。

同じ東京に住み、年齢とともに現代から過去場所へ流されてきた彼女過去へ憧れ迷い込んだ私は出会った。

しかいない錦星湯の狭い湯舟で、私にとっての現在から離れ過去となってゆくこの街に思いをはせ退廃的美を感じる。

時間情緒を趣深いものにしてくれたのは、彼女の感じさせてくれた人生の重みに他ならなかった。

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2024-07-08

anond:20240708145343

自分(30代後半男)もフルリモート家族の都合で田舎に戻り、同じような悩みを最初もっていた、しかし、数年住んで慣れたというか田舎(県は地元だが馴染みない地方)も悪くないなと思った。その観点とまだ歯がゆい部分を自分の振り返りも兼ねてシェア。正直20代〜30前半のイケイケのとき田舎リモートは趣向があわないとキツイと思う。

住んでる場所東京から新幹線ローカル線を乗り継いで3〜4時間くらいのところ。田舎レベルは同じかな?(車で1時間くらいで映画館がある、スタバも1時間

趣味海外旅行料理音楽

良いこと

野菜魚類が安いし種類豊か

食材使い放題で楽しい 親戚から野菜ももらえる

道の駅が近いから旬の謎野菜をどう料理するかが楽しいよね。地域根付いた食生活ひとつ文化だな〜と思う。

景色の綺麗さがストレス緩和

リモートワークの一部のブルシット・ジョブで荒んだ気持ちが、散歩して雄大景色で逓減される。家から出たら自然ストレス解放してくれる。これは全然気づかなかった。知り合いの畑の手伝いも以外と楽しい。生を感じる。(本腰で畑の人は大変だろうが)

・将来の金銭不安が少ない

これがデカい。東京水準給料田舎に住む安心感地方地方の平均年収にあわせて生活できるようにな収束している。余剰があるというのは精神衛生上よい。まあ地方ネイティブだと選択肢が狭まりつらいか子供大学都市部に出てほしいが…。(そのためにお金を貯める)

地方暮らしを知り体感できる

個人的に良い。海外旅行では美しい地方にいって現地の文化を知りたくなることがある。しか文化についてはどの地方にもそれがあるもので、居住者としてそれを再認識できるのは大きいかも。これは地方都会関係いかもな。ただ地元でも知らなかったことが多くびっくりだよ。人間ミクロなこと知らずマクロのいいとこどり(ともすれば偏見)で生きているわと再認識。定年後郷土史編纂する気持ちちょっとわかるわ。まあ比較文化はやり辛い(後述)

良くない

旅行に行きづらい

近隣は車でいけるが、遠方には東京経由で新幹線飛行機に乗る必要がある。東京まで移動する時間を考えると二泊三日の休みをとらねばいけない…。(こちらはフルリモートからどうとでもなるが家族の都合と合わせる必要あり)

海外旅行東京いたころは3日4泊で帰社→羽田空港旅行羽田から家に帰らず出社ができたが今は無理だなあ 体感アジアヨーロッパくらい遠くなった。比較文化がやり辛いのもここ。ただ本は通販で手に入るのでそこは甘えも。旅行の表面的になぞった知見で地方文化なんてわからないし。

イベントに気軽に参加できない

ライブハウスインディーズバンドとか上野代々木公園でよくやってる各国フェスとか(元増田場合ミニシアターかな)、近場だったら行きたいけれどわざわざそのために新幹線のっていくかなあ〜と思うといかなくなる

まあ絶対行きたいやつは新幹線乗っていってるからそこまで不満でもないけれど(家賃の安さを交通費転嫁して東京にいく)

ごはん屋/居酒屋バラエティが少ない

やはり大都市圏にはかなわない!エスニックが好きだが、韓国中国ベトナムタイネパール以外はないかな!しかオーソドックスものしかいから各国地方料理はなかなか難しい!いわんやアラブ料理アフリカ料理田舎でも北関東豊富だけどね)

子供の将来の選択肢の少なさによる不安

良くも悪くも同調社会。平均であることがよい価値観子供が平均から外れていたらツラい思いをさせてしまいそうで申し訳ないよな〜自分も浮いててつらかったし。その場合田舎生活で浮く金を貯めておきなんとかしようとは思う。

以外と気にならない点

美術館博物館にいけない

行きたい展示をまとめてはしごしたり、出社のついでにいったり。(ただ東京付近に限る。千葉国立歴史民俗博物館にいきたいがそうなると旅行になる)

居酒屋が少ない

車社会だしね〜。飲み屋で知らん人と意気投合してぐだまける東京下町楽しいが、次の日の後悔もあるし、県庁所在地観光地いけば移住者がやってる飲み屋もありそこで話せるだろうしまあいいかな〜 東京下町のそういう居酒屋地方から来ましたトーク話題のフックとして良い。

地元の友人関係構築

重要だが、これは人それぞれ…。自分東京の友人関係をなんとか継続しつつ、家族の友人たちと仲良くしようとしている。余談だが、東京の友人たちからするといつ自分が来るか読めないため、逆に自分東京の友人たちとの会合をセッティングするハメになった自分本来誘われ待ちだったが、誘うことになれてしまった…(会合の機会も増えた)

地方に対する意識

結局日本の半数以上は地方に住んでいてその目線ニュース政治意識できるよかったが、結局東京会社リモートなので所詮他人事かもしれぬといった当事者意識がある。子供が大きくなったら違うかも。

結論

ケチケチせずに土日に東京(ないし大都市圏)に遊びにいけばいくのがよい。東京の水準の給料田舎物価(≒家賃)なら月1,2はいけるはず。

ただ平日は諦める必要があるし、イエまわりの用事があって土日が潰れることもあるから、若ければ田舎フルリモートを恨むのも納得できる。

フルリモート田舎はやりたいことやったあとの選択肢と考える。そもそも田舎が嫌で都会に出たのだろうし。

Permalink |記事への反応(0) | 21:54

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2024-06-13

anond:20240613180615

中国雄大で偉大

ただ、人権が怪しいので住みたくたくはない

フロンティアスピリッツ溢れる人に中国でのあれこれは任せたわ

 

どうしようもない政治が行われないことが一番だけど、

どうしようもない政治にどうしようもないと気兼ねなく言えることの幸運

Permalink |記事への反応(0) | 18:19

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2024-05-23

はいでた、恒例のクソ医師獣医師見下し

医師は楽でいいよな、適当な診察して、面倒ごとは全て事務とか看護師押し付け自分医局ゴロゴロしてれば、多方面努力してる獣医の何倍も給料入って。」→事実

どこからともなく医師垢が多数現れ「人の命を預かってるんダー!」「命の重さと責任が違うんダー」「求められる知識が多いんダー」「家族ガー!人権ガー!」とか騒ぎはじめました(関係ないけどそういう奴らって大抵看護師とか一般職を見下してる)

国民皆保険制度崩壊したら、医療制度崩壊したらやってけないリストラ心配もない、事実公務員無能共が呟いてることといえば「医局環境が悪い」「年収千万円以下とかヤバすぎ」とか患者愚痴とか他職種批判とかそんなんばかり。知識の共有とかそういったものは全くない。

あいつらが雇われ獣医と同じ環境に置かれたらすぐリタイアするだろうな。診療業務のみならず、あいつらがコメディカルに丸投げしてる作業とか全部やらないといけない。電話対応とか事務作業をすることもある。内線対応すら嫌がってキレ散らかすあいつらにできるか?あいつらみたいに患者雄大な態度を取ったら最悪勤務先潰れるし、対応力を磨き、技術を磨き、知識をつけ続けないと生き残れない。…でもってして医師の数分の一の給料しかないんだぞ。

命を預かってるのなんてこっちだって同じ。法的には道具でも、命は命だし、誰かの大切な財産なんだから責任は重大。命の重さ?人権?全員とは言わないけど、ボロボロの老人を延命して飯食ってるお前らがいうなよ。

Permalink |記事への反応(1) | 01:36

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2024-03-25

今月24日に高知競馬場で行われた第10競走で、目迫大輔きゅう舎所属塚本雄大(つかもと・ゆうだい)騎手落馬し、死去したことがわかった。25歳。

騎手24日の高知10Rにおいて、騎乗馬がほかの馬に関係なくつまずいて落馬。その後、高知市内の病院搬送されていた。

 16年デビューの8年目で地方通算318勝。

Permalink |記事への反応(0) | 11:35

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2024-03-03

[ゲーム日記]3月3日

ご飯

朝:朝マクド。昼:豆菓子チョコ。夜:ほうれん草にんじんきのこ豚肉の鍋。ネギポン酢のつけ汁。たまごおじや。間食:アイス

調子

むきゅーはややー。おしごとは、おやすみー。

ナイトハイク

携帯電話専用ゲームとして発売されていたADVニンテンドースイッチ移植版。

千羽鶴シリーズ第二弾と銘打たれているが、前作千羽鶴との関連は非常に薄く、小ネタが一つ二つある程度なので順番通りにプレイする必要はない。

システム的には似通っているが、既読スキップクリア済みルートにあらすじが付いたりと遊びやすくなっている。

前作は病院という閉じた世界舞台ホラーだったが、今作はタイトルの通り夜の登山を題材にしたアウトドアの開けた世界舞台だ。

アウトドア初心者ながら取材に来た新人ライター主人公慶太が、ツアーの案内人で山男の桧山メーンヒロイン健康的なアウトドア大好き女子こずえ、その友達恋愛脳なチカ、嫌味な態度ながらインテリ向井キャンプ場の管理人達と交流しながら、キャンプナイトハイクを楽しむのが導入。

陰鬱とした雰囲気も薄く、キャンプ飯に舌鼓をうったり、雄大自然を堪能したりと、アウトドアを楽しむ描写が沢山楽しめる。

キャンプ場の施設は充実しているので、かなり贅沢な食事が楽しめてて羨ましい限り。

選択肢によってリアルティラインが大きく変わり、伝記物、スリラーサスペンスホラーラブコメコメディなど色々なシナリオが楽しめるのは前作と同じ。

ただ、今作はホラーよりも伝記やスリラーサスペンスめいたシナリオが多めだった。

超常現象が起きるエピソードもあるにはあるが、どちらかというと人間の悪意が恐ろしいサイコエピソードなので、なんでもありのごった煮感は薄めだが、キャンプ場や夜の登山との雰囲気マッチしていて今作らしさに繋がっている。

さら一人称キャラ女性キャラこずえになるルートが全体の半分ほどを占めているため、ルート数は前作と同じだが、今作の方が文章の幅が広かった印象。

選択肢毎に世界観が大きく変わるため、慶太ルートと、こずえルートでのマルチサイト感が薄いのは少し物足りなくはあった。

個人的に好きなルートは、まずは慶太こずえの二人だけの関係値が積み重なるサバイバル編。

スリラー展開で右往左往せずにじっくりとこずえの魅力的なシーンが描かれていてラブコメとして面白かった。

次に今作屈指のサイコさを誇る、なかよし編。

勝手理由でめちゃくちゃなことをするキャラ大勢いるが、このルートのあのキャラの言い分は自分勝手にもほどがあり恋する乙女の無敵さを感じれて面白かった。

そして、コメディ大好きな僕としては秘密温泉編と秘密の森編も笑えて好きだった。

夏の登山で起こる事件なので、全体的に良い意味で明るく分かりやすい話が多かったは、かなり僕の好みにあっていた。

余談になるが、夏のアウトドアから女性キャラがそれ相応に蒸れるシーンがあるのはとても好印象で個人的には大好きな表現だった。

シャワー浴びるルートを通ると必ず主人公メーンヒロインが結ばれないのも、男女の恋愛には多少の香りスパイスであることの証明だろう。

携帯電話アプリという小さいゲームながら、文章の幅広さで様々な展開が楽しめて、ノベルゲームらしい良いゲームだった。

Permalink |記事への反応(2) | 21:14

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2024-02-27

東京貧乏くさすぎワロタ

ニューヨークロンドンパリといった世界的な大都市と比べると東京はせこい、貧乏くさい

開発しすぎ

自然自然のまま残しておこうという余裕がない

金になる部分は全部金に換えちまえと言わんばかり

ニューヨークでも車で少し走れば鬱蒼とした自然がある

東京はどこまでもビル店舗と狭苦しい住居がみちみちに詰まっている

余裕のない日本人の貧しい精神象徴している

東京に比べればまだ京都の方がよっぽと豊かな都会

東京もっと自然かに作り直した方が良い

しか自然が帰ってくるまでには100年単位雄大計画必要

東京は、日本人は目先の小銭に釣られてかけがえのない物まで金に換えてしまったのだ

東京をみていると哀しくなってくるよな

Permalink |記事への反応(1) | 23:04

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2024-01-26

anond:20240126190846

まー確かに

宮内雄大ポスター見るたびにサッカー選手っぽいなと思うが

Permalink |記事への反応(0) | 19:14

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2023-12-19

日本三名瀑

日本代表する滝3つを選んだ日本三名瀑は、日光華厳の滝熊野那智の滝、奥久慈袋田の滝岐阜県養老の滝仙台秋保大滝静岡安倍大滝岐阜白水の滝です。

華厳の滝は、中禅寺湖の水が落差97mの絶壁を一気に流れ落ちる様子が迫力満点で、自然が作り出す滝の雄大さ、美しさを存分に味わうことができます袋田の滝は、例年1~2月に見られる高さ120m、幅73mの巨大な滝が凍結してできる氷瀑は、まるで時間が止まったかのような神秘的な光景です。

日本にはこのほかにも、称名滝富山県立山町)、羽衣の滝(北海道)、中ノ滝(奈良県)など、スケールや美しさを誇る名瀑が数多く存在します。

Permalink |記事への反応(0) | 17:13

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