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はてなキーワード:隣組とは

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2025-11-11

マナーマナーうるさい

こんなにマナーマナーうるさいのは日本だけ?

いやどの国にもマナーはあるだろうけど、こんなにマナーマナーマナーうるさい国は、日本いちばん酷いんじゃないか

日本はあまりマナーに縛られている。市民同士がマナー警察役割果たしていて、相互監視し合っている感じ。

あるいは、マナーを守らない人間非国民)を生み出さないように監視し合う、戦時下の「隣組」に近い感じもする。

マナーに縛られて息苦しい。マナーのせいで酸素が薄い。

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2025-10-18

ワイのところの自治会費の費用と使い道

月額1200円で14400円。これに神社1000円と交通協力金が3000円かかる。年二万円。今は事情があって200円余分にとられてる。

自治会費の使い道

神社費用の使い道

要するにお祭り補助金屋台が練り歩く大きなお祭りと、季節ごとのお祭りがある。

なんだかんだと伝統がある。

1000円は自治会費として回収するもので、実際にはさらに寄附を集めている。ワイはさらに1万円と酒を出してる。商売のお付き合いです。

交通協力金の使い道

地域道路修繕費カーブミラーを整備交換したり、消えかかった表示を直したり、落書きを消したり、崩れかかった路肩を治したり、防草シートを貼ったり、と言う地域でやっている活動に使われる。

住民税払ってるんだから自治体に出させろ、と言うのは正論本来そうであるべきだが、昔からこう言う予算が集められていて過去の経緯。ただこれのおかげで道路側溝が小ぎれいメンテされている。

突然どうした?

https://togetter.com/li/2617426

こんな記事があったので。

で、これたぶん事実じゃないよ。

自治会加入が100戸ととして3万円とったら300万の予算なんだけど、ビールとか出した程度でそんなに金いらないからそれにしか使われてないなんてことは考えられない。

なんつうかいもの、よくしらんし知りもしないのに妙な言いがかりつけてる奴じゃないかと思った次第。

なお、ワイの自治会も、公式の懇親会は年に2回、花見忘年会をやる。単位は「隣組単位なので10戸とかでやる。会費制で補助は出ない。

ただ、地域の訳に出不足金制度があり、この出不足金は懇親会の費用に回されてその分出席者の会費が安くなる仕組みはあるな。

Permalink |記事への反応(0) | 23:15

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2025-10-04

anond:20251002113129

ほんこれな

最近日本じゃ The Alters やスパイダーバースフレイバーレベル反体制描写ですら、

なかなかお目に掛かれないからなぁ

 

ただまぁ下記のようには思う

 

描写過激過ぎるから締め出しはありつつも、『はだしのゲン』や『日本昔ばなし』が生まれ

パクさんが『火垂るの墓』を残してくれて良かったよな

 

 

というか、極端に振れずに、"適当"であることを良して生の力強さを肯定した、

今後、おそらく日本に生まれないだろうと思われるタイプインテリエリートで、なおかつ偉大な大衆芸術家から

答えを出ないことを考え続ける作品を作るのも、答えが出ない作品を作って商業ラインに乗せるのも、

パクさんクラスの偉大な作家であっても非常に難しい

 

ちなみにワイ的には、疲れて帰ってきた時に、辛い状況の時に、

難しい/説教くさい話は観たくないって考えは、理解共感できるけど、

答えがない作品にキレ散らかすヤツは理解共感もできない

 

 

⭐️主人公資格がない人物主人公に取り上げて、人との繋がりについて思いをはせる大切さ⭐️

ジブリ教科書4 『火垂るの墓』  | 「火垂るの墓」と現代の子供たち(抜粋)

私たちアニメーションで、困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いて来た。

しかし、現実には決して切りひらくことのできない状況がある。それは戦場と化した街や村であり、修羅と化す人の心である

そこで死ななければならないのは心やさしい現代若者であり、私たちの半分である

アニメーションで勇気やたくましさを描くことはもちろん大切であるが、

まず人と人とがどうつながるかについて思いをはせることができる作品もまた必要であろう。

 

映画を作りながら考えたこと - 「ホルスから「ゴーシュ」まで | 主人公たる資格に欠けたマルコ抜粋)

マルコ自我のせいで可愛気に欠けていました。

 

マルコを取り巻く人々は悪人であってもとき良心のうずきに悩まされ、善人であっても善人であり続けられるほどの強さがなく、

常に人生社会に対してとまどいつつ向き合っている弱い弱い私たち自身の姿でした。
 

私たちはここでおそらくはじめて、"主人公" たる資格に欠けた"人物"と"社会"を主人公にしたアニメーションを作り上げたのだと。

 

私自身としてはその後「火垂るの墓」でふたたび主人公たる資格のない"清太"という少年を取り扱うことになりますが、

ふりかえってみれば、そのはしりが「母をたずねて三千里」だったわけです。

 

 

⭐️A or B と極端に振れるのではなく、答えが出ないことを自分ごととして考え続ける大切さ⭐️

 

火垂るの墓に収録されている 高畑監督インタビュー抜粋

日本では――日本の観客に関しては、清太について同情的なところが大多数だったんですね。

これは、(公開)当時とても意外でした。

 

というのは、作る時に私は、清太っていうのは、ある意味では非常に今の子どもたちに似ていると思っていたんです。

 

あの時代でありながら、貯金があったものですから

お金があればなんとかやっていけるだろう」と思った。

 

それで、おばさんに頭を下げたり、屈服したりせずにやっていけると思ったんですね。

 

しかも、今の子どもと違って、清太にとって運が悪いことに――

(清太の)お母さんが、これは原作では病弱なんですが――

清太自身は、家事ができたんです。ご飯も作れるし。

 

そういう自信があったから、「自分たちだけでやれる」と思った。

 

こういう在り方は、今の子どもに非常によく似ていると思うんですね。

 

 

その――人々と、なんとか折り合いをつけて。

もしも屈辱的であっても、頭を下げなくちゃいけないところは、頭を下げて。

 

なにしろ自分だけじゃなくて、妹も一緒に生活していかなくちゃいけないんですから

それでやっていく――ということができずに、すぐキレたりとか、そういうのありますけれども。

 

日本の、そういう子どもとよく似てるんじゃないかって。

 

お金を持ってさえいれば、コンビニに行けばなんでも買えるし。今。

 

で、清太も、それを間違えたんだと思うんですよ。

お金を持っていれば、なんとかなると思ったんですよ。

 

でも、実際は――あの時代には、お金は役に立たなかった。

ですから、ああい悲惨状態になるわけです。

 

 

実際に、僕自身が知っているわけで。

僕は、あの時代体験者なわけですから

 

そうすると、もっともっと、辛い状態なのに、

それでも歯を食いしばって、我慢して、生き抜いた人はたくさんいるわけです。

 

その――我慢を、もっとしてるんですよ。もっと辛い。

もっとひどくいじめられても、それを耐えて。

 

ところが、清太という子は、それを耐えることができない。

耐えないで、なんとかやっていけると思った。

 

子どもなんですね。

 

 

ですから、そのへんを、映画を見ながら、ちゃん判断して。

自分たちだったら、やっぱり清太側(清太タイプ人間)になるけれど、

 

でも、清太側にいれば、

場合によっては死んでしまうことも起こっちゃうんだな――

 

という風に見てくれる人がいればよかったんですが……

それが、あまりいなかったんです。日本場合は。

 

そうじゃなくて、ただ――同情的に見る、というような。

そうなっていたような気がしますね。

 

 

ですからある意味では、

その清太という人物に対する「批判」が出たとしても、

それは当然だと思うし、むしろ、出てくれるくらいの方が良かったと思うんですね。

 

取るべき態度ではなかったんじゃないか? あの時には――

という風なことを、

 

きっちりと、あの映画から見ることができるっていうのは、

大事ことなんじゃないかなと。

私としては、そう思っていますから

 

 

 

徳間書店アニメージュ1988年5月号: ‘88年の清太へ!! (高畑監督インタビュー抜粋

清太と節子は "家庭生活" には成功するけれど、"社会生活" に失敗するんですね。

いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活拒否するわけです。

社会生活ぬきの家庭を築きたかった。

 

まわりの大人たちは冷たかたかもしれない。

しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます

 

お向かいの娘に「うちらも2階の教室からけえへん?」と誘われても、

「ぼくらあとでいきますかい」と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない。

 

置かしてもらった親類の未亡人は嫌味を次々いい放つけれど、

あの時代未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。

清太はそれを我慢しない。

 

壕に移り住むことを決断して、清太はいます

「ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。」

 

そして無心に"純粋の家庭"を築こうとする。

そんなことが可能か?

可能でないから清太は節子を死なせてしまう。

 

しか私たちにそれを批判できるでしょうか。

 

心情的には、べつに現代青少年たちとだけ類似があるんじゃないと思うんです。

マイホームとか核家族とか、個室やオートバイ子どもに与えるとか、

大人もみんな清太になりたがり、

自分の子どもが清太的になることを理解し、認めているんじゃないんですか。

 

社会生活わずらわしいことばかり。

出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい。

自分だけの世界に閉じこもりたい。

 

それが現代です。

それが、ある程度可能なんですね。

 

ウォークマンステレオパソコン

みんなそれを象徴しているような気がします。

清太の心情は、痛いほどわかるはずだと思います

 

でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。

 

清太と節子が生きた時代というのは、

隣組とか、愛国婦人会産業報国会

それにもちろん軍隊、内務班、分列行進「歩調とれ!」と、

ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。

 

制服はもちろん、登下校も集団で班を作っていく。

社会生活の中でも最悪最低の "全体主義" がはびこっていたんです。

 

清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。

"純粋の家庭"を築くというのは、おそろしく反時代的な行為ですよね。

 

 

現代青少年が、私たち大人が、心情的に清太をわかりやすいのは、

時代の方が逆転したせいなんです。

 

こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。

もし再び時代が逆転したとしたら、果たして私たちは、

いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。

 

全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。

清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか。

 

ぼくは、おそろしい気がします。

 

 

朝日新聞高畑監督インタビュー抜粋

あの中で描かれていたことで、僕にとって大事なのは

あのおばさんのような人間にすぐになってしまうんじゃないかと。

見た人はそこに怯えて欲しいんです。

今は善人かも知れないけど、必ずしも善人を貫けないという危険性は、

常に孕んでいるということ、その心配とか。

 

もう一方これは(作中で)全然描かれてないんですけど、じゃあ孤立しないでやろうとしたら、

いっぺんに隣組とかがんじ絡めで、あの時代だったら、要するに集団主義の中に落ち込むんですね。

同調していかないと、あらゆることに同調していって、もちろん戦争には協力するわけだし、

言いたいことも言えないっていう状況を招く。

 

どっちに転んでも難しいよね。

Permalink |記事への反応(0) | 18:37

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2025-09-06

金融資本紛争起こすよ? NATOロシア北朝鮮とか、中国台湾イスラエル戦争ちじゃ、移民戦争インフラ戦争とかな

それで日本政府は米英毒仏ウクライナに貢ぎ、経団連上級賃金だけ上げ低級賃金上げずに大出血大安売り輸出だ

格差拡大に協力しないなら、ガス汚染ばら撒くから認知症になって失禁するように

という電波を発信している犯罪者系のオッサンが、ファーストフードで隣の席にいてアンガス・ディートンを呼んでいた

ディートン自身が既に格差効用の自説を自己批判しているんだが、分かってんのか隣組のジジババは?

Permalink |記事への反応(0) | 12:40

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2025-08-26

終戦時までに反戦思想を貫けたらクリア

タイトル反戦野郎Aチーム

舞台昭和10年昭和20年までの日本地方都市

主人公一般市民教師商人農民など。長男かそれ以外かも選べる)。

目的反戦思想を持ち続け、思想戦や暴力かいくぐり、戦争終結まで生き延びること。

ゲームの主な要素

1.社会圧力システム 時代進行と共に圧力が強まる

昭和10年代前半:まだ「戦争は遠い国の話」。軍縮条約破棄日中戦争の影響で空気が変わっていく。

昭和15年以降:戦意高揚ムード軍部教育現場での同調圧力

太平洋戦争勃発(昭和16年):検閲特高警察隣組などで強烈な監視圧力

圧力の種類

家族:「お国のために」「子供徴兵される」

職場:「国策に従え」「赤扱いされる」

隣組・町内:「配給を差し止められる」「村八分

権力:「特高に呼び出される」「投獄リスク

2.主人公の「思想ゲージ」と「孤立ゲージ」

思想ゲージ:反戦信念を守るほど維持される。だが同調行為をすると下がる。

孤立ゲージ:反戦発言抵抗行動をすると周囲との距離が広がる。孤立高まる生活困難や危険さらされる。

3.選択肢イベント

戦争賛美の演説拍手するか、黙って立ち去るか」

徴兵検査で友人を励ますか、『行くな』と囁くか」

特高に呼び出された時にどう答えるか」

4.ゲームエンディング分岐

信念を貫いて孤独死寸前でも終戦を迎える → 「孤高の反戦者」エンド

周囲に少しずつ影響を与え、家族や友人の心を変える → 「小さな希望」エンド

圧力に屈して同調し続ける → 「心を失った生存」エンド

途中で逮捕拷問死 → 「殉教者」エンド(バッドだが強い意味を持つ)

5.ゲームトー

戦闘」ではなく「日常会話」「地域の集まり」「新聞記事」などを通じた思想戦。

進行するほど「空気に逆らうことの恐怖」がリアル表現される。

プレイヤーは「声を上げ続けるか、沈黙を選ぶか」の葛藤を抱える。

Permalink |記事への反応(1) | 11:27

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2025-08-25

anond:20250824185333

ウチの隣組最後土葬があったのは30年以上前子供の頃は穴掘りを普通に見たよ。

Permalink |記事への反応(0) | 16:45

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2025-06-21

この記事はけっこう刺さってしまったなあ。このおじいさん2010年当時95歳か。この世代戦争体験生の声で聞ける時代は、もう終ってしまったのだなあ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b0b23e248c99cadd393ab67a11a0a5ce4a6662d

「許してくれ、許してくれ」とガマで泣き崩れた 沖縄戦母子を撃った90代の元日本兵が謝罪

6/19(木) 6:04配信

沖縄タイムス

兵士の照屋さん(仮名)が住民あやめしまったと告白した時に巡った壕。入り口に生える草は光がさす方に背を伸ばしていた=3月6日沖縄本島(竹花徹朗撮影

 

 「私は銃の引き金を引いてしまった。今でも何度も夢に見る。苦しくて、苦しくて。このにおいは間違いなくあの親子のいた場所です」

 2010年のある日、沖縄本島内のガマで、照屋さん(仮名)は泣き崩れた。90代半ばの元日本兵。言葉にならないような震えた声で「許してくれ、許してくれ」と何度も謝った。

 臨床心理士吉川麻衣子さん(49)=那覇市=が沖縄戦体験者でつくるグループ「語り合いの場」を立ち上げて5年目だった。

 参加の意思があるか、ないか体験者に繰り返し確認するのが吉川さんの手法だ。

 事前面談が21回に及んだ照屋さんは、吉川さんにだけ、自身過去を打ち明けていた。「みんなの前では語らないけれど、場には参加したい」との相談に、吉川さんは「無理しないで、自分のペースとタイミングを大切にしましょう」と伝えた。

 体験者は照屋さんを含め9人。グループは月1回、それぞれの戦争体験で関わりのある場所を巡ったり、公民館で集ったりした。

 「私は兵士でした」。照屋さんはそう自己紹介した以外、ほとんど口を開かず、表情も変えずに部屋の隅でじっと座っていた。記憶が残る戦地をどう巡るか意見を出し合った時も、「私にはそういった所はないので、みんなに任せます」と仏頂面だった。

 それでも、会を重ねるごとに表情は和らいでいった。吉川さんと出会って6年が過ぎた頃、「話がある」と切り出した。「いまさら申し訳ない。皆さんがいい、って言ってくれたら、あのガマで手を合わせたい」。吉川さんは「ようやく照屋さんのタイミングが来たのだな」と受け止めた。

 慰霊の日を終えた後の夏の日だった。照屋さんは仲間たちとあのガマを訪れた。

 意を決したように入り口に近寄るが、すぐに立ち止まる。しばらくして再び歩を進めると、また止まった。

 そんな動作を何度か繰り返すと、仲間の男性が照屋さんの手を取り、中へ入った。

 「間違いない」。照屋さんはそうつぶやくと、ごつごつとした岩場に膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らした。

■元兵士 65年後の告白 妻子は原爆で命落とす

 90代半ばの元日本兵、照屋さん(仮名)は一通り泣いた後、語り出した。

 所属部隊のガマが米軍に見つかったこと。住民避難していたガマを部隊が使うと決めたこと。ガマには住民がぎゅうぎゅう詰めで、上官が「ここは今から我々が使うから、一人残らず出て行け」と命じたこと。痩せ細って泣く赤ん坊を抱いた母親が照屋さんの足にすがり「お願いです。この子だけは生かして」と叫んだこと。そして照屋さんがその親子を銃で撃ったこと-。

 告白の後、参加者全員で線香をたいて手を合わせた。メンバーの一人に「話してくれてありがとう」と声をかけられると、今度は声を上げ、子どものように涙を流した。

 帰り際「一人では二度とあの場所に近づけないと思っていたが、みんなが背中を押してくれた」と頭を下げた。「戦争の時にしてしまたことは消えないけれど、供養になれば…」と言葉を継いだ。

 照屋さんは1915年沖縄本島中部で生まれた。厳しい父と優しい母に育てられ、かけっこが得意だった。25歳の時、五つ年下の女性結婚。生まれた娘には豊かな子に育ってほしいという願いを込め、「トミ」と名付けた。

 太平洋戦争東南アジア戦地出兵。「家族を守るため自分の命をささげる」との決意だった。戦争が激しくなった44年、沖縄に配属された。日本軍と県は住民の県外疎開を促していた。照屋さんと入れ替わるように妻と子は船に乗った。

 45年8月15日日本敗戦を伝える玉音放送収容所で聞いてうなだれた。ようやく戦争が終わったと実感したが、県外に渡った妻子とは連絡が取れなかった。行き先は聞いていなかった。

 2人が長崎疎開し、原爆で命を落としたことを知ったのは数年後のこと。自分が殺してしまった親子への罪悪感と、心の拠(よ)り所だった家族を失い「生きている価値がない」との絶望から沖縄を離れたが、仕事関係で間もなく戻らざるを得なくなった。

 それでも故郷集落には足が向かなかった。手元に1枚だけ残った妻と子の写真は肌身離さず持ち歩き、なるべく人と接しないよう、ひっそり暮らした。

 戦時体験を明かすまで65年。照屋さんと対話を重ねてきた臨床心理士吉川麻衣子さん(49)は「話したからといって、罪悪感を払拭したいという思いがあったわけでも、自分行為正当化たかったわけでもないと思う」と胸の内を推察する。

 「照屋さんにとってこの場なら大丈夫安心して、自分で話せるようになるのに、それだけの時間必要だった。私はただ待って、機が熟したと本人が感じた時にそっと背中を押すという距離感を保ってきた」と振り返った。(戦後80年取材班吉田伸)

この記事、読んでいて本当につらかった。

なにより衝撃だったのは、泣き叫ぶ子どもだけでなく、その母親まで撃ったということ。あまりに酷すぎて、もし自分家族だったら、このおじいさんを絶対に許せないと思った。久米島守備隊の住民虐殺事件など、日本軍の行動を思い出しても、本当にひどい。

きっと、当時の兵士にとって、住民は守るべき存在ではなく、戦闘の妨げになる「障害」と見なされていたのだろう。でも、もしそうだとしたら、一体何のために戦っていたのか?普通に考えれば疑問に思うはずだ。だが、その「普通に考える」という倫理観は、命の危機さらされた極限状態では働かなくなってしまものなのだろう。

一方で、彼は自分の妻子を県外に避難させようとした。冷静な倫理観を失っていなかったともいえる。しかし、妻子は長崎原爆により命を落とすという皮肉な結果を迎える。「因果応報」という言葉が浮かぶが、亡くなった家族にとってはあまり残酷すぎる結末だ。


このおじいさんは1915年まれ。つまり、戦中派(特攻世代)より一回り上の世代にあたる。戦後80年、この世代体験談を聞ける機会はもはや残されていない。「普通に考えればわかるはずの倫理」が破綻した時代を生きた世代だ。象徴的な人物としては大岡昇平奥崎謙三俳優では池辺良。池辺のエッセイには、部下に恨まれ将校が海に放り込まれエピソードなどがさらっと描かれており、ユーモアを交えて将校時代下克上が語られている。奥崎は、部下の処刑をめぐって上官を追及したドキュメンタリーで知られる。


戦争体験世代は、大きく三つに分けられる。

第一に、1910年代以前の生まれの「戦争指導した大人世代」。上官や責任ある立場戦争に関与し、戦後沈黙を保って生き延びた人々。戦場人間性喪失し、それでも帰ってきた。

第二に、大正末期から昭和一桁生まれの「特攻・戦中派世代」。三島由紀夫鶴田浩二吉田満らが代表で、国のためひとのために尽くし、「美しく死ぬこと」に倫理見出し、ある種過剰に倫理的だった。岡本喜八映画作品にみられるこうした倫理へのアンチテーゼもまた戦中派の主題となった。

第三に、終戦時に少年期だった「焼け跡世代」。彼ら子供に目には、戦争から帰って沈黙した親たちの世代国家報恩を信じて裏切られた兄たちの世代ギャップみえていたはずだ。


このうち、戦後戦争体験を最も語ったのは特攻世代だった。戦前派は血塗られた過去沈黙を貫き、焼け跡派は語れるほどの戦地体験を持たなかった。

特攻世代の特徴は「死の意味」を内面化しようとしたこと。彼らにとっては、「美しく死ぬ」ことで自分運命を受け入れるしかなかった。その純粋さが戦後道徳観につながり、吉田満に代表される感性現代保守層理想視されてもいる。

しかしその倫理観には、自己満足欺瞞が含まれている可能性もある。過去自分の非を、倫理的になった「現在自分」が糾弾するかたちには、どこか自己満足偽善が入り込んでいる。ご都合主義というやつだ。

そして、その倫理観被害者に対しても危うい。「恨まれて当然のことをした」という構図を強化してしまいかねない。戦場での行為は謝って済む話ではないことがほとんどだ。怨恨抽象化され、「慰安婦」や「ホロコースト」のように象徴的な言葉として拡散され、世代を超えて敵意の燃料となっていく。

脚本家橋田壽賀子も戦中派世代。「おしん」に出てくる夫・竜三は、隣組組長として若者たち戦場に送り出した責任をとって自決する。そこには戦中派の「死によってけじめをつける」という倫理観が濃く反映されている。

死によって責任を取るという倫理のあり方は、戦争中は自分戦意を煽っておきながら戦後になると民主主義的な道徳を語り始めた知識人自己批判にも似て、実は同根なのかもしれない。終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。

知識人たちのある種の自己嫌悪に対する小林の態度は考えさせられる。

岸田秀は「ものぐさ精神分析」のなかで、酒を飲んでやらかししまった失態を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。倫理的に覚醒した自分コントロールを失って暴れた自分を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯ポジショニングのもとで成り立っているからだと喝破した。

戦争記憶も同じことがいえるはずだ。

現代SNS社会では、こうした加害者欺瞞的な贖罪被害者がつけ込む形で、この構造さらに先鋭化する。加害者には「反省し続ける姿勢」が求められ、被害者には「傷ついたままであること」が期待されてしまう。

ときに「病みアピ」とも呼ばれる行動は、関心を集めるための戦略になりがちだ。弱ったときは周囲が心配してくれ、攻撃されれば誰かが擁護してくれる──そんな「おいしい被害者」のポジション依存してしまい、自分でも気づかぬうちに抜け出せなくなってしまう。


でも本当に必要なのは、「赦し」なのだと思う。贖罪再生きっかけにすぎない。

この記事に描かれた世代は、「死を美化する」戦中派とは違い、倫理的な生き方などできなかった。理不尽で泥臭い体験を抱え、時にはそれを笑いに変えてでも、ぶざまに生きてきた人たちだ。過去行為を忘れたい、でも忘れられない──その葛藤とともに、不器用に、ぶざまに、しかし確かに生きてきた。

この世代葛藤を描いだ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った父が罪悪感から娘の顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。魂が抜けたように無口な毎日を過ごす夫に対して、いつものちゃらんぽらん性格にもどってほしい、とつぶやく妻のセリフは印象的だ。ひとたび戦場倫理破綻してしまった人間に対するまなざしとはそういうものだったのだろう。

これに対して戦中派の苦悩を描いだ作品として、山田太一ドラマ男たちの旅路』も思い出す。特攻記憶を引きずる鶴田浩二と、彼に恋する部下を演じた桃井かおり上司役の池辺良の三者が見せたのは、世代間の倫理観の激突だった。上司役の池辺良が放った「筋を通すな」という一言は、戦中派の倫理観に対する戦前からの強烈なカウンターだった。山田太一の、戦前派と戦中派の葛藤に対する繊細なまなざしがここに凝縮されている。

記事のおじいさんはまさに沈黙してきた世代だ。生きるために沖縄に戻らざるを得なかったこと、その土地暮らしたこと、そして65年の沈黙。たった一度の涙より、その沈黙の重さにこそリアリティがある。

贖罪でも正当化でもない」と吉川さんは言った。語らなかった時間のほうが、語られた言葉よりも重いのだと思う。

私たちは「贖罪の涙」や「被害者トラウマ」ばかりに注目しがちだが、本当に大事なのは、「赦し」へ向かうゆっくりとしたプロセスだ。

「話してくれてありがとう」と言ってくれるグループ存在。「自分のペースとタイミング」で見守る吉川さんのような人の存在。そのほうがよほど重い。

被害者の側も、いつまでも被害者であり続ける」ことはできない。

辺見庸の『もの食う人々』では、フィリピン住民が「日本兵に家族ブタ丸焼きのように食べられた。でももう恨んでいない」と淡々と語った。その表情に、辺見は「悲しんでいる余裕もなく生きてきた強さ」を見たという。

人生って、つらい経験ほど上書き保存楽しい記憶名前をつけて保存──本来そうあるべきなのに、振り返ると逆になっていることが多い。

贖罪より、赦しの方がずっと尊く、強い。

人間、図太く生きていたいものだ。戦前派の多くはそうして沈黙を貫いてきた。自分もそうありたいし、あのおじいさんも赦されてほしい。

65年経って懺悔されても──という思いもあるが、戦争人間性を狂わせるということは、後世の私たちが覚えておけばいい。

山田太一で思い出した「太一」つながりで、昨日は国分太一番組降板話題になっていた。あれがどんな問題だったかは知らないが、この記事のおじいさんのことを思えば、本当に取るに足らない騒ぎに思えてしまう。

もちろん、軽々しく比較するべきではないけれど、それでも、そう感じてしま自分がいる。

れいに生きられなくてもいい。社会も、彼のことをそっと忘れてあげればいい。そう観念して、生きていくしかない。

Permalink |記事への反応(0) | 03:06

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2025-06-03

昭和10年代組織された隣組戦後町内会として存続しています

町内会戦時下隣組母体として発展しました。戦後社会状況に合わせて現在では地域住民自治組織仮面かぶった国家社会主義的な組織として存続しています

隣組から町内会への変遷

戦時下隣組:第二次世界大戦中、政府国民戦意高揚生活統制のために、全国の各集落隣組組織しました。隣組は、情報伝達、物資の配給、防空活動など、戦争遂行のための末端組織として機能しました。

戦後解体と復活:終戦後、GHQ連合国軍最高司令官総司令部)は隣組を「軍国主義的な組織」とみなし、その解体を指示しました。しかし、地域によっては、生活必要相互扶助の仕組みとして、名称を変えたり、活動内容を変化させたりしながら、町内会として存続する動きがありました。

自治組織としての再編: その後、町内会は、地域住民自主的組織として再編されました。防災、防犯、環境美化、福祉活動地域交流など、地域社会の維持・発展に不可欠な役割を担うようになっています

ただし、参加する住民意識の向上は一朝一夕になしうるものではなく、国家からの減少したがゆえにかえって抑圧的なものに変容しています

現代町内会

現代町内会は、かつての隣組のような強制的性格は薄れ、住民自由意思に基づいて運営されています。もちろん、地域によっては、加入率の低下や役員のなり手不足といった課題も抱えていますが、多くの町内会は、地域コミュニティの維持に重要役割果たしてます

まとめ

町内会は、その成立の経緯において戦時下隣組とのつながりを持つ前世紀的な組織です。戦後社会の変化に対応できず、住民自治組織として発展させたいという意志と裏腹にかえって腐敗したという側面も理解する必要があります町内会が存続しているあいだは日本帝国主義は続いていると言えるでしょう。将来の世代のためにもこれら全世代的な残滓を克服せねばなりません。

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2025-04-16

田舎っていまだに珍獣いるよなぁ。

最近割と生まれた町の役職を引き受けてる。

結構な歳になってきてて爺さんが見えてるけど、

最近になるまで仕事の都合とかで町の仕事からは縁遠かった。

勿論、町長みたいなのは農家だったり退職済みだったりの、ある程度年配者がやるもんだけど、

下っ端の役とかは現役会社員比較若い人でも順繰り回ってきて軒並み経験済みだったか

俺もそろそろやっとかないと世間様に顔向けできんなぁ、というところで引き受けてる。

今は隣組の副組長やってる。

先日春祭りがあって、副組長はのぼり旗と吹き流しを上げる役目だった。

それで早朝に公会堂に行って人が集まるのをまってたんだけど、

何となく知ってる顔の人が来たので子供の頃の記憶を辿って『確か、Tさんだったよな…』と思い、

Tさんおはようございます」みたいに挨拶をした。

そしたらそいつふっと無表情になったと思ったらぷいっとそっぽを向いて前を素通りし、

顔も合わせずに煙草をふかしながら「私はTさんじゃないです」とぶっきらぼうに言い放った。

「あ、そうでしたか、すいません勘違いしてました」と謝ったら

「私はIです」とまだ怒っていて

『全く知らん人だったか…』と思ったんだけど、そいつその後に続けて

本家です」

とか聞いてもいない事を突然口走るの。

うちの町ではIって苗字それなりに居るんだけど多くても十数戸とかそんなもんだと思うし、

Iって別に名家でもなんでもないし、

そもそもうちの町ってクソ田舎の川べりにある農村の延長だし、

そいつ農家だし、

本家が一体何ですのって?って話なんよね。

ほんと、『はい?』って感じで流石に呆れてしまった。

そんなショートコントが一幕あった後春祭りの準備を終えて

お祭り本番になったんだけど、また度肝を抜かれるわけ。

うちの町、どういう理由かは知らないけど昔から風習で副組長たちの方のお祭り

宮司さんではなく和尚さんが祝詞をあげるんよね。

組長さん達のお祭りの方が本祭りみたいな感じで宮司さんが取り仕切る。

で、和尚さんの指導にしたがって供物を社の前に備え始めたんだけど、

から来たIが「それ違う、供物の向き逆」とか言って勝手にひっくり返して社側に向け始めるの。

それで和尚さんが「あ、それはこの向きで良いんです」とやさしく訂正しようとしたんだけど、

「いや、これは神様が食べるんだから神様の方を向けるのが正しいんです!」

と言い張って聞かない。

少し口論ぽくなって「うちの家ではこうしています!」とか言ってるわけ。

いや、お前の家の事なんか知らねぇよと。

今までずっとその和尚さんにお願いして来てもらっててそれでずっとやってきてんのに、

なんでお前の家の風習を町の神事に持ち込んでくるわけ?

和尚さんやさしいから笑ってすましてくれてるけど怒って二度と来てくれなくなったら責任取れんのかよ?お前。

ほんと、バカ田舎者って手がつけられないんよ。

どこの世界祭主のやり方に逆らう信徒が居るんだよ。

それでもお祭りが何とか無事に終わって午後は直会と懇親会。一応神事なのでスーツ着用。

途中で、子供の頃にお世話になった自転車屋さんのお爺さんと出会ってお話しながら一緒に公会堂に向かった。

この自転車屋さん、町の子供たちの自転車をあらかた面倒見てくれた人なのでほとんどの人が孫みたいな感じらしく

恵比須顔の時の大滝秀治みたいな感じで俺に接してくれるのよね。

ステレオタイプには一般的田舎の爺さんって頑固でぶっきらぼうってイメージがあるけど、

うちの町の長老たちは大体人間味が丸い。

強面に見える人でも話してみるとすごい穏やかだったりしてギャップ凄いなぁと思う事もある。

勿論ぶっきらぼうな人もいるけど、基本的にはみんなやさしい。

逆に言えば、定年近辺はかなりトゲやカドがある人も居る。

まぁ酒みたいなもんでそういうのも歳を重ねると灰汁が抜けて丸くなるってことなんだろうな、とは思ってる。

で、公会堂に行ってみんなが来るのをまってた。俺1組なので一番上座なのね。

そしたらIが来たんだけどさ、

一応スリーピースなんだけど、明らかに上下生地が違うわけ。

身体にも全然あってなくて上着が随分デカい。

本家が何ですって?』ってなるわけ。

別にね、普通農家さんはスーツなんか着ないから間に合わせの物で全然良いと思うんよ。

農家さんは作業着スーツみたいなもんだもん。

でもね、聞かれてもいないのに自分から本家だ」って威張ってる人間がそんな身なりでええの?とはどうしても思っちゃうよね。

でIが俺を見るなり「どうしたの?」とか怪訝な顔して言うわけ。

「一番上座座椅子に座ってるから偉い人かと思ったよ」って。

めんどくせぇ奴だなぁと思いながら

「座り仕事なんで股関節が固まっちゃってるから、胡坐をかくと痛めちゃうんですよね…」くらいまで話したら

「あー、いいよいい」とか遮って来て『なんだこいつ?』と呆れてたら

「股が開かなくなっちゃうんだろ?医者には行ってるの?行った方が良いよ治らなくなっちゃうから」と一人でペラペラとしゃべり始める。

『いやだから股関節が固まってるから“胡坐をかくと痛めちゃう”ので普段は痛くも痒くもないんだから医者がどうしたいう話じゃねぇだろ』

とか思うんだけど、Iはもう反対側の人と話始めてて聞いてないの。ほんと頭抱えたくなってくるわけ。

しばらくしたら自転車屋さんも近くに来てIと談笑が始まったんだけど、

自転車屋さんが「この後の片づけって…どうなるのかねぇ…」って戸惑った感じで言って少し間が開いたから俺が、

「あ、お祭りの後片付けの事ですか?それだったら…」と話し始めた途端、

突然Iが顔を真っ赤にして「それは違う、君はお祭りの後片付けの事ばっかり考えてる!」とか声を荒げて訳のわからん事を言って来て

『なんだコイツ!?』とびっくりしているところに自転車屋さんが

「そう、お祭りの後片付けの…」ってボソっと言ってるんだけど、

Iはもうそれも聞いてなくてまた勝手に一人で気分よくしゃべってんの。

『なんなんだこの珍獣は…』と本当に呆れ果てちゃった。

アホらしいからそれ以上関わらんようにしてたんだけど、なんか聞こえてくる会話を聞いてると

自分本家からしょっちゅう檀家行事があって色々とやらなきゃいけないから大変だ、

世話役の人たちはたまにだからいいけどうちは毎週だからさぁ、お寺に包む金も多いしさぁ、

みたいな事を自慢げに語ってるのね。

逆や。

それ、普通世話役の人が言う事なんよな、

うちらはたまの事だからいいけど、本家のお家は毎週のようにやらなきゃいけない事があって大変ですよね」

って。

もう、人としての美学もめちゃくちゃなんよ。

『I家はどえらいのが本家の跡取になっちゃったんやなぁ…』とちょっとI家のみなさんが可愛そうになってきた。

直会が終わって懇親会が始まったらIは組長さん達を差し置いて宮司さんの前を陣取って

気分良さそうに話し込んでて、人間性丸出しやなぁ…と横目で見ながら

俺はできればめんどくさい事はしたくないのでお隣の組の副組長のおばあちゃん登山とか犬とかの話して過ごした。

実は、のぼり旗と吹き流しを上げる時も色々とあって、

基本的にIって仕切りたい人間らしく、自分の思ってる通りで無いと我慢がならないみたいなんよね。

自分のペースでしか物事を進められないのでペースを乱されるとめちゃくちゃ怒る。

自転車屋さんとの話も、自分が気分よく話してる時に横から割って入ってこられたか瞬間湯沸かし器みたいに吹き上がったらしい。

寄合いの趣旨意味すら分かってないのね。

もうほんと、どんだけ狭い世界で生きてきたんだって呆れかえってる。

夜それとなく父親に「Iさんって知ってる?」って聞いてみたら

「ああ、I家の本家だな。うちでいうところのNさんのおうちみたいなもんだ。お父さんはIさんのお父さんに昔世話になったんだ」

とか言うので、

『そういう事ならしょうがねぇなぁ…、あんま波風立てないようにすっか…』と思った。

ただまぁ、あんな感じだから何か悶着起こしそうな気もするので、そしたら

「Iさんは自分の考えてる通りでないと我慢ならないみたいなので、町の仕事も今後はIさんに責任持ってやってもらう事にしましょうよ」

つって丸投げしようかとは思ってる。

町の役職とか出来ればやりたくないしね、給料あるわけでもないし。

仕切り屋さんに勝手にやっててもらった方が楽ちん。

Permalink |記事への反応(14) | 07:59

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2025-03-02

もし徴兵があったら?を想像して「徴兵逃れをするやつは非国民」と言い出しちゃうあたり、「そういうとこだぞ」としか言いようがない

 

日本人の多くは心の中に隣組を飼っている

Permalink |記事への反応(0) | 10:59

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2025-01-06

日本人支援求めないらしい

一応元記事URL

https://univ-journal.jp/250863/

日本人は困難や精神的苦痛を「社会規範や秩序を逸脱・違反した報い」として理解する

さて、これについて話す前に、何が共助を担保していたのか

家であり、隣組であり、村であり、会社であり

まりはそういう集団なんだよね


当然に集団によって規範微妙に異なる

から昔は息苦しかった

結婚しない人権がなかった

会社は一生を決めるものだった

離婚転職への負の圧は強かった

その代わり「困った時はお互い様」となれた


記事では

共感的関心や他者利他行動への期待が低く

と続くが、それはそうだろう

親の介護なんてしねぇよ

結婚なんてくだらねぇ

町内会しらねぇよ

会社スキルの肥やし、転職して当然でしょ

となった社会で、それらに泣きつくのは端的にダサい

自罰的にこうなっているんじゃない

自意識が高すぎて集団に擦り寄って頭下げるってのが出来ない

(今更集団に加われない)


本当に巧くやる奴は

共産党を使って生活保護を手に入れてのうのうと生きるとか

宗教に紛れ込んで適当に旨く立ち回ろうとするが

それもできない

半端なんだよ


県人会とかが何であったのか

協同組合などの組織が当時必要とされたのはなぜか


自身利他行為コスパ悪いと切り捨てる奴は

そりゃ、他者利他行為を期待しない

こういうのはコインの裏表なの

特有文化背景」じゃねぇよ

情けは人の為ならずが反転してるだけの状態

まさに自業自得自縄自縛

Permalink |記事への反応(0) | 14:44

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2024-12-29

オウム統一教会の別働隊だったんか

要は、隣組戦後アレンジ

どこの近所にも組織の手

石井紘基を読んだら分かった

統一教会ソ連ソ連崩壊→Hブッシュオウムサリンテロ

武州製薬

会津」(最高裁)「若松」(完全犯罪)🤔

Permalink |記事への反応(1) | 10:56

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2024-09-08

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く

おしん物語でもうひとつ誤解していたことがある。おしんは田倉を救ったという誤解(ここは超重要ネタばらしなので注意)

この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパー進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去おしん初恋した相手並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパー土地買収における重要場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。

なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。

おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしん失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマ伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしん家出理由も最終週で回収される最大級伏線ひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである

特に佐賀編では、あまり過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。

1話から第3話にかけては、おしん並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者おしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である

実際には、おしん失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパー進出についての話である並木商店大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである

その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしん土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのであるおしん厳しすぎるだろ。

おしん大手進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木土地大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。

仁は、母のおしん交渉に失敗したと思い込み失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚宣言する始末。家族崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。

これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。

おしんは仁に、離婚再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである

事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。

前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしん商売において大切にしてきた価値観なのであるしかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんドラマの終盤最終話、終了わず10分前の出来事である。すごい。

橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語ラストにはそのメッセージが強く反映されている。

田倉竜三についてのメモ

竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。

竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。

自殺直前の竜三のつぶやきがその鍵となる。

私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しか戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!

これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉なかに隣組という言葉が出てくる。

明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部から委託工場経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。

その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したもの想像していたのである

日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任から来ていたのであるおしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解たからかもしれない。

語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。

おしんが育った山形貧困農家では、口減らし普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性犠牲にして平気な顔してきた作造も長男庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。

しかし、どうだろうか。

竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から20年間、竜三は佐賀実家依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。

禎の疎開ときですら、佐賀疎開という選択肢排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。

太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーション述懐している。

しかし、竜三が太い実家という表象代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである

おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これから自由社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。

敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後物語では、昭和58年物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。

ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代翻訳放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。

おしんドラマ橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略植民地支配反省という視点希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像みえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。

同じ昭和時代作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。

この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画青春の門筑豊1980年経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)


この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族運命二重写しに見える。植民地いかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。

初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしん長男・雄の戦死を契機に山形帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷ものであったといえよう。自殺を思いとどまり米軍相手娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしん言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911へ続く

Permalink |記事への反応(2) | 08:28

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2024-08-12

anond:20240812220343

マカオカジノ営業妨害のため

開戦派セクトが、女性言論排除ポリコレをつかいはじめた!

 

男性体臭フリー女性アナウンサーが指摘し、事務所解雇

  

戦争中ですら体臭に気を使うぐい当たり前だったようだが?

祖母からよく聞いておりましたが、いよいよ物資が不足してヒマシ油を収穫するためにヒマの種が隣組で回って来た時はもう無理だと思ったそうです

Permalink |記事への反応(1) | 22:23

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2024-07-26

anond:20240726230151

通夜だけでなく葬式

親族は喪章、隣組は法被でいいよね

Permalink |記事への反応(0) | 23:21

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2024-07-03

anond:20240703060701

WW2中の隣組非国民糾弾してた連中が、戦後手のひらクルーで帰還軍人いじめに回ったみたいなもんか

Permalink |記事への反応(1) | 10:43

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2024-03-17

anond:20240317165612

自己責任教社会に広まった結果、自己権利を最小化し、組織地域や国に自己投影をしたうえで、それに対立しようとする個人村八分マインド攻撃する、隣組アーミーネット上を彷徨っている

Permalink |記事への反応(1) | 17:05

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2024-01-23

anond:20240121202302

昔はJAツアー隣組丸々いなくなることあったな

Permalink |記事への反応(0) | 00:24

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2024-01-06

anond:20240105145424

人が自らの利益のみを一方的に主張するには勇猛心がいる。

然し徒党をくんでこれを為す時には勇気はいらぬ。

隣組座、マーケット座、この組合的結合には、やっぱり善人的蒙昧がある。

他の立場に対する省察自我、我慾、罪への批判全般的情勢に就ての公平なる観察、それらのものは、もはや必要ではない。

それらのものが有るならば、人は勇気なくして我慾を主張しうるものではない。

即ち既に中世より、古代より、かゝる善人はたくさんいた。

善人尚もて往生を遂ぐ、即ち危く素懐をとげる、いわんや悪人をや。

わが罪を自覚する故に、悲愴に又勇猛心をもって悪へ踏みきる罪の子は、神前座席に於ては善人よりも愛せられるのである

現代詐術 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42811_26156.html

Permalink |記事への反応(0) | 09:15

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2023-11-15

「すごい一体感カバコピペ2chの冷静さを表すコピペじゃないぞ

ネット民の力を信じる」「スゴイ一体感を感じる」的なノリに冷静に距離置かせるカバコピペがあったので2chは良いって棘が人気だけど

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2258034

そのコピペって2ch全体で貼られてた訳じゃないぞ。当時の2chは全能感全開だったぞ。

そんな中で特異だったのがこのコピペで、隣組破りというか異端というか、かなりの軋轢があって叩かれてたぞ。

 

毎日新聞変態記事

元の「スゴイ一体感を感じる」の投稿がされたのは毎日新聞変態英字記事に対する炎上の中だったのが、この毎日記事単独のものじゃなかった。

当時、毎日WEB版では時々変な性的記事が載って一部の好事家の間で話題になっていた。

例えば愛染恭子というポルノ女優が居るんだが、彼女が紙面で夫婦間のセックス指南をしたり、関係が無いような社会現象セックスが原因だからとまたセックス指南したりと結構訳が分からん記事を書いていた。

昭和40年代に「表現者」というアングラジャンルがあって、自分性的な事を全面に出して芸術芸能と結びつけるという表現形式流行っていた。

三島由紀夫の聖セバスティアヌスとか『薔薇刑』とかはこの流れのものだ。宮台真司なんかがやたら自分の性体験を赤裸々に語るのも同じ流れにあるし、国民アングラ女王椎名林檎の『歌舞伎町の女王』とかもそうだな。

多分この延長で「赤裸々な性」のコンテンツを目指したのではないかと思われる。

また紙の方に載っていたか未確認だ。紙の新聞の日曜版は風変りな特集記事が載るし、また折り込み形式特別版ともなれば全然新聞記事っぽくない、ミニコミ紙みたいな記事も載る。

そういう垣根で分かれていない、フラットWEB版ではそれらはとても奇妙な記事群だった。真面目な記事と並列で愛染恭子などのセックス相談が載ってるというアレな状態だ。

 

炎上後直ぐに記事が見れなくなって増田は見てないのだが、そういう記事英語翻訳されて居たのではないか?という気がする。

 

全能感とガイドライン板という風変りな掲示板

ネットvs.旧メディアの図式でそれらのうち、「日本の娘はセックスが好きで」みたいな記事炎上し、ROM人という法科大学院卒の人物が中心になって行ったのだが、当時の2chはかなりの全能感の中にあった。

郵政選挙小泉純一郎旧弊既得権益に侵された日本vs.本来性を目指す右派革新という図式を提示して勝利し、2chもこの流れに乗っかっていた。今から見ると非常に紅衛兵っぽい。

変態記事騒動2008年の初夏であるから、この熱気支配されていて、迂闊に疑念を表したりすると叩かれてパージされてしまう。だから反対意見を態々いう者はほぼ居なかった。

また、大事なのは犯罪予告連続逮捕事件群が2008年の冬にあった。「よーし、お父さん埼京線上野駅連続殺人ちゃうぞー」「学校の校庭で小女子を焼き殺します」が有名だ。

この事件群の以前には、ネットでの犯罪予告は全く逮捕されていなかったのだ。だから責任感とか全く考えず、その場の勢いで法人個人罵倒したりいわれのないデマ書き込みしたりが放置されていた。

これも全能感を加速させた。「あの新聞のこの記事自分の一昨日の書き込みに反応したものだ」とかいうヤバゲな奴とか大量にいた。

 

そんな感じで冷や水を掛ける人がいない環境であった2chだが、幾つかの例外があって、その一つがガイドライン板、通称ガ板だった。

ガイドラインと言いながら運営上のガイドライン議論するんじゃなくて、あるテーマに沿った面白コピペ収集バカレス晒しが大半だ。

ガ板ではそんな2chの全能感に水を注すようなコピペ収集が以前からされていて目を付けられていたんだが、「スゴイ一体感を感じる」のレス転載は一連の運動馬鹿にするのが見え見えだから当然「〆る」つもりの反発も食らった。

だが、「スゴイ一斗缶を感じる」とか「すごい水上置換を感じる」とかの改変が多数行われると面白過ぎて盛り上がり、隣組圧力を突き放す形になった。

 

運動のその後

運動の中心だったROM人のその後は大変なことになった。

そもそも法科大学院を出た後にちゃん就職しておらず、身分精神不安定であった。渦中の毎日新聞提訴したのだが、そもそもこういう日本人の名誉自分不利益というのは反射的利益であって原告適格性を認められない。その法的文書も酷くて法科卒とは見えないレベルだった。

そして自殺予告未遂を起こし、あまり精神不安定さに同居家族ネットに書き込んで「これ以上持ち上げないで」と懇願するに至った。

因みに彼も1000万円を超えるカンパを得ている。

最近では見る事が少なくなったが、ネット中毒を拗らせて精神を病む、人格社会から完全に乖離する、ゆえに破滅するというのは良く見られた。彼もその一人だ。ネットから引き離さないと直らないという典型的状態だ。

こうして運動の方は自然消滅していった。カンパの1000万がどうなったかは知らん。

 

まとめ

から「すごい一体感」は2chの冷静さじゃなくて、全能感や一体感隣組圧力を意に介さなかったガ板の冷静さであった、ということ。

更に「ネット民の力を信じるすごい一体感を感じる」的ノリというのは、恥ずかしいもの、では済まず、結構悲惨親族や本人の人生を巻き込んだ大仰な結果に至っているのだ、ということ。

Permalink |記事への反応(4) | 19:28

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2023-11-13

救急に付随して消防車も来る理由

梅田ヨドバシ前の歩行者通行量が多い箇所で日本保守党演説をした為に滞留が発生して雑踏事故が起きそうな状況になった件で、ヤフコメツイッターで支持者と思しき者達が「消防車まで来たのは虚偽通報による妨害だ、検挙されるだろう」と言い合い、賛同し合っている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/aa62550a78dbef7a5d0c88bc5212139eacb221f0/comments

 

この一見必要な状況で消防車まで来て大袈裟な騒ぎになるというのは増田経験がある。増田経験でも、投身自殺(死亡)、歩行者交通事故(重体)、死臭による孤独死確認(死亡)、鉄道人身事故(死亡)で火災兆候も無いのに消防車が出動してきた。

これはどうしてだろうか?

 

PA連携

これはPA連携と言われる方法で、平成12年から始まった。PAとはポンプ車(消防車)とアンビュランス救急車)の事で、要するに状況に由っては消防士救急支援する為に一緒に臨場する。

google:PA連携」と検索すると色んな自治体解説が出てくる。

その状況とは、

心肺停止

・重体

狭隘路、階段がありストレッチャー搬送の困難が予想される

・2次交通事故危険があるので交通整理や通行止め必要

他所から救急応援が来る

・雑踏事故など事故の拡大が予想される

・雑踏で救急の困難が予想される

というもの

この為に消防士も心肺蘇生の講習を受け、救急救命士の資格を得るようになっている。

から孤独死人身事故等でも来るわけだ。孤独死とか鉄道人身事故で人体が散乱しているようなケースでは状況から死亡が明らかだが、法的には救急警察官が死亡を確認しないと「心肺停止がが疑われる」状態のままだ。だから一緒に出動する手配が取られる。でも当然素性の見込みがない状態から警察に任せて直ぐに帰って行く。

 

今回の梅田ヨドバシ前の場合は、階段存在と2次交通災害危険、雑踏が該当するね。

多分だが、危ない状態なので誰かが110番通報したのではないかと思われる。雑踏事故の予防は警察職務職権事項というのは韓国事故で周知されたのだろう。

ほぼ滞留状態だったと聞くから事故が起きる前に警察臨場できたこ判断は正しかったと思われる。

通報を受けた警察通信指令室は救急必要ありと考えたら消防指令室に救急車派遣要請する事になっている。

あとはPA連携要件満たすケースなので消防車も出動、と相なったと思われる。最初110番から正しい対応のチェーンリアクションだ。

 

フィルターバブル

救命救急に興味がないと個人としてPA連携とか知らないというのは仕方がない。だが問題集合知集団として賢くなるコミュニケーションをしているかである

PA連携を知る人が10%程度とする。ここで2人、4人と人数が増えれば知る人が含まれ可能性は20%、40%と上昇する。母集団1000人ともなれば確率なんて議論する余地も無い。知る人が多量に含まれると予想されるのは当然だ。

だが特にネットコミュニケーションではこの針の穴を通る程の確率の「知らない人だけで構成される集団」が自然発生する事がしばしばだ。

また、「知る人」が含まれても、軋轢を恐れて言わないか、言っても無視される。自由なはずのネット隣組をやる訳だ。こういう力学支配された集団では、「多数が集まるのにPA連携を知る人がいない」という天文学的確率状態が維持されるようになる。

 

これの類似提示したいのは過去在日特権デマだ。このデマの中心は「特定集団人間は無税である」というものだった。

だがこれは差別性などを措いておいても単純な話で、確定申告の仕組みを知らないという事に起因していた。

確定申告では税務署が配布する多重カーボンの申告用紙の欄内に数字を記入する。税の控除を受けるには控除項目の数字欄に記入する必要がある。

ならば「在日特権控除」の欄が無ければ控除されず、申告書を出したその場で税額が決定する。そもそもその税額を計算して書くのも納税者本人だ。

当然そんな欄は無いからこれはガキみたいなデマだなと直ぐに判る。確定申告をした事がある人の割合は60%程度であるから、二人いて在日特権デマを共有していたらその時点でも特異な集団と言える。

だがこのデマは「確定申告やった事ない人」を選択的に魅了して蝟集させ、10年以上継続して信じられていた。驚異のフィルターバブルだ。

高校生までなら身の回りで「確定申告やった事ない人」が100%というのは珍しくない。だがそれ以上でやった事ない人だけに囲まれているというのは特殊状況である

 

当該政党がどうかという事を言う動機も興味も無い。

だが今回の騒動に対するヤフコメツイッターでの支持者の反応は在日特権デマ構造と相同だという事は言えるだろう。

Permalink |記事への反応(7) | 18:09

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2023-08-23

anond:20230823020606

隣組

お笑い三人組

ドリフ大爆笑OP

トリスウイスキーCM

とかかな?同じメロディーがずっと使われてるよね。

Permalink |記事への反応(0) | 12:12

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2023-06-16

anond:20230616001313

そーなんだよねえ

からやっぱ隣組みたいなA社で使えない認定されたらその時点で転職しても採用できないように業界全体で情報共有できるようにしないと行けないと思うんだよね

そこでダメならとっとと業界から出て行ってもらう

それで他で食えなくても俺らの知ったこっちゃないわけだし

Permalink |記事への反応(0) | 00:25

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2023-06-08

子を持つことについての損得についての各主義者コメント

どうして「人の権利」を、「本人の意思で」、「放棄行使させる」、ためのプロパガンダに首つっこんでる奴がいるんだろうな

おおかた組織の中での出世目的だろうが

1度しかない人生設計を、海のものとも山のものとも分からないような誰かの論調でやるアホもいるのか

かつては帝国弁護士会や、徳富蘇峰隣組戦争侵略大賛成の論調を拡大し、

今はそのインターネット版があると見られるが、うるさいし暗澹たる気持ちにさせるね

どこの政府コントロールしたいんだろうか

  

そんなことより企業犯罪率をなんとかしろ

子にとって安全環境を作ることは、社会全体も安全ということになる(詐欺会社にとっては別だろうが)

安倍晋三のように子どものないまま没するなら、将来の社会ことなどどうでもいいという考えになるだろう

人は死んだら終わりだから死刑をいとわないなら何をやっても構わないという考えになる

死刑を目指して犯罪を起こす人間がいるのに、死刑制度があるというのも謎だ

Permalink |記事への反応(0) | 11:47

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2023-05-07

ネットに飽きたら日本語を捨てよ  

ネットがもうどこを見てもつまら

https://anond.hatelabo.jp/20230506002819

ネットの中心が「老人たちの噂話」になっていてあーヤダヤダ」とかもそうだが、日本語ネット圏ってなんかパターン化されてるんだよ。それはSEOなどのPV攫う方法論と日本特有隣組監視で。

そこで英語deネットだ。

英語ってアメリカイギリスコンテンツを見る言語だと思ってない?

そうじゃないんだ。英語を使うのは、インドネシア人ブラジル人フランス人ドイツ人ケニア人、中国人台湾人ロシア人ベトナム人…要するに世界中人間だ。例外日本人くらいだ。

リンガフランカってことよ。

 

特におススメはYoutubeだ。日本語ようつべ見るとどれも同じノリの動画ばかりが並ぶじゃない?

でも英語アクセスすると全然違うのだ。しゃべりや行動に合わせて「ポコン」とか「ドドーン」とかのウザイSEが入る事もない。

日本語Youtubeダルイ原因の一つに10分引き伸ばしがある。動画の長さが10分超えると広告を入れられる数が増えるので収益アップする。そこで10分までダラダラ引き伸ばす手法一般的なのだ

だが海外動画では10分に至らなくてもぱっと切ってしま動画が多いからダラダラ感が余りない。

 

もう一つの利点が広告で、日本語Youtubeだと結構程度の低い広告が目立ってオワタ感があるなーとか言われてるが、英語だとそうじゃなくなるのだ。

因みに接続元が日本場合英語広告になるという事は少なくて日本語広告流れるが、大手企業のものが多い。あとゲームアプリ広告。 

 

英語むずいんじゃ?

そこで字幕ですよ。Yutubeの字幕エンジン日本語聞き取りはてんでダメだが、英語ならきっちり文字おこししてくれる。

それを日本語字幕で見ればいいのだ。

また、ネイティブ(とくにアメリカ人)の英語聞き取りが難しいが、他言語圏の非ネイティブ英語めっちゃ聞き取りがしやすい。リンガフランカの特徴だ。

 

やり方はYoutube右上のアカウントアイコン言語英語、とするだけ。ロケーションUSAとやってもいいが大して効果はない。

そして英語動画再生する。

するとその動画を元にリコメンドが並ぶ→好きなのを再生→リコメンドの繰り返し。既存チャンネル登録を解除する必要もない。

日本語動画を見ると日本語動画のリコメンドが増えるので、そしたら英語動画再生してリセットさせればいい。見ずに裏で流してるだけでもOK

 

最後増田登録してるチャンネルから幾つか紹介するから参考にして。

 

・ElectroBOOM https://www.youtube.com/@ElectroBOOM

カナダのイチケン。中東移民の濃いおっさん電気実験しながら技術解説して感電したり感電したり感電したりする。

・SheetMusicBoss https://www.youtube.com/@SheetMusicBoss

ピアノ譜面作成して演奏しているチャンネル毎日公開。時々RUSH Eとかの大ブームを引き起こす。

・Adam Savage’s Tested https://www.youtube.com/testedcom

怪しい伝説」で有名なSFXエンジニアアダム・サベジのチャンネル最近ちょっと元気がない。

・ ahmad arif 29  https://www.youtube.com/@ahmadarif29

インドネシアサトウキビ鉄道チャンネル放置されて線路がなくなり、廃線を通り越してただの道路や森になっているところに無理に機関車を走らせて重量と鉄車輪の面圧の暴力鉄路を復活させる。バキバキとヤシの木やバナナの木をなぎ倒して行くところなどが圧巻。勝手線路の上にアスファルト舗装されたところも面圧蹂躙舗装を砕いていく。線路上に貨車があって通れないところは人力で貨車をひっくり返して進む。

・Linguoer?mechanic https://www.youtube.com/@linguoermechanic

女性ガラクタ機械レストアするチャンネルロケーションUSAって書いてあるがどう見ても中国奥地。

・Hydraulic Press Channel ttps://www.youtube.com/@HydraulicPressChannel

有名だが。フィンランド人夫婦が油圧プレスであらゆるもの破壊していく。紙やベアリング破壊した時の爆発が名物

・Grand Illusions ttps://www.youtube.com/@grandillusions

英国おっさんが色んなオモチャの実演をする。物理オモチャなど風変りのものばかりなので興味深い。

Red Dead Restoration ttps://www.youtube.com/@RedDeadRestoration

腕時計レストア。細かい仕事を丁寧に続ける。

・Vinheteiro ttps://www.youtube.com/@Lord_Vinheteiro

決して笑わない音楽先生使用楽器は数千万ピアノから数百年前のハープシコードから絶叫アヒルまで。

・Brick Experiment Channel ttps://www.youtube.com/@BrickExperimentChannel

レゴで複雑な機構を作り続ける。ただ作るのではなく、作成→新たな課題→克服→新たな課題、とプロダクトマネージメントの形で見せる。

・The SlowMo Guys ttps://www.youtube.com/@theslowmoguys

超速度カメラで決定的瞬間を撮影弾丸強化ガラスを割ってヒビが進行して爆発に至るまでなどこのチャンネルじゃなきゃ見れない。

・木根Mugen Woong ttps://www.youtube.com/@mugenwoong

マレーシア彫刻盆栽師。ジオラマ日本盆栽を合わせたような緻密な作品を作る過程

・Primitive Technology ttps://www.youtube.com/@primitivetechnology9550

原始人となって自然にあるものから家や道具、製鉄までを作る工程を見せる。登録1000万人の大人気原始人。なろう系IRL

・TopSpeedGermany ttps://www.youtube.com/topspeedgermany

様々な車でひたすら最高速チャレンジアウトバーン。停止時に時速250kmで抜かれたフェラーリテスラモデル3で追いかけ40秒で追いつく動画驚愕する。

・my mechanics ttps://www.youtube.com/@mymechanics

人気ジャンルの道具レストアチャンネルだが、クオリティが異常に高い。完全な新品に仕上げる。

・Practical Engineering ttps://www.youtube.com/@PracticalEngineeringChannel

主に土木に関して、事故の原因や土木構造、仕組み。技術解説するチャンネルゆっくり動画なんかよりいいぞ。

・HAHNS ATELIER ttps://www.youtube.com/@HahnsAtelier

韓国の革工房映像撮り方がよく、音声もASMRで非常に気持ちのいい動画になっている。パンチで革を叩き切る音が特にいい。

 

もう一つの利点は、こういう動画群を見ているとネトフリのファン動画も出てくるようになってきて、それで面白い番組が知れるって事もある。

loverobots anddeath」の「jibaro」なんかはマジですごいのだが、Youtubeでのおすすめで出て来ないと知れなかったような番組だ。

Permalink |記事への反応(0) | 18:28

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