
はてなキーワード:隣家とは
そのご近所は高齢者夫妻
犬を飼うのは初めてだそうで、聞く限りでは子供の独立を機に、特に奥さんが強く希望したことで犬を飼うことになったそう
問題はその犬がいわゆる牧羊犬であり、めちゃくちゃよく吠えること
昼間は窓を開けて生活されているので、通行人の気配があるとその都度吠えてる
それだけではなく、大体2、3日に1回のペースで、早い日は朝5時から1時間以上ずっと吠えてる
我が家は完全分離の二世帯住宅で、子供もいるので防音に気を使った家を建てたんだけど、窓を閉めててもその犬の鳴き声は聞こえてくるレベル
数軒離れた我が家でこれなら隣家の人は一体どれだけ…と思ってたら、もうとっくに苦情は入れてるけど改善される様子はないとのこと
とはいえ、それも仕方ない部分はある
我が家以外の近隣でもそのご近所が犬を散歩させている様子を見たことがないらしく、あの犬種は1日2回、2時間ぐらいは散歩させないとダメだからそのストレスで無駄吠えしているのでは?という見解で一致している
あれでは犬の方が可哀想、と犬に同情気味の人も多いし、私もそう思うものの、でも今朝も6時過ぎから吠えまくってるのでやっぱうるさいし迷惑だわ
よくわからん専門性を出されて困惑している方々も居るかも知れないが、私は公園を専門にGoogleMapローカルガイドを投稿し続ける者である。
何故そんな専門性に至ったかと言えば、きっかけはよくある「子供が生まれたから」であり、子供が生まれて、その子供がブランコや滑り台や砂場遊びなどができるようになってくると多くの親は感じたと思う。
いや、そもそもGoogleストリートビューですら公園内部をキャプチャしてくれてはおらず、道路から遠目で公園を眺めることしかできず、子供を連れて遊びに行くとしても「トイレとかあるのかな?」と思っても確認が一切できなかったのだ。
その当時はまだまだ食べログが全盛だった頃、GoogleMapローカルガイドもほとんど話題になっておらず飲食店の情報すら非常に少なかった。私は思った・・・
思い立ったが吉日、私は以前から子供の写真を取るため欲しかったRICOH THETAとカメラ三脚を速攻で購入し、子供をベビーカーに乗せて遊びついでに近隣の公園を巡るというのを土日の趣味とした。
妻も「私も困ったことあるし私の良い息抜きにもなるし親子で遊んできて良いよ」と理解を示してくれて本当に色んな公園を巡ったのだ。
そんな活動を始めてたったの1ヶ月で驚きの成果が出る。私のローカルガイドの閲覧数がたったの1ヶ月で1公園あたり1,000Viewを超えたのである。私は確信した
やっぱりこれ需要あるじゃん!他のパパさんママさん公園の情報欲しかったんや!!!
冷静に考えればそうなのだ、地元就職であれ他の都道府県就職であれ新しく家庭を持てば生まれ育った土地から多少なりとも離れている可能性が高い。
私達は生まれ育った土地の実家の近くの公園はよく知っているが隣町の公園のことは場所を何となく把握していても、どのような設備があるのか全く知らないのだ。
あそこの公園には滑り台があるよ、ブランコが、鉄棒が、アスレチックが、あなた達は隣町の公園のことを知ってますか?知らないでしょう?私も知らなかった。子供が生まれてからそのことに気が付いた。
現代社会は少子高齢化とは言っても常に新規需要が喚起される公園ローカルガイドは確実に時間をかけて閲覧数や感謝のリアクションが付き続けて膨大な数に至るのだ。
ここからは公園ローカルガイドに載せておくべき情報を提供することで皆さんにも全国津々浦の公園情報をGoogleMapローカルガイドへ投稿する一助としたい。
これ以降の項目、例えば遊具などの写真は掲載されていた方が良いし、それが故にRICOH THETAの様な360°カメラの写真は非常に需要がある。
この情報が無いと駆け回れるほどの広さがあるのかどうか不明になるし、出来る遊びの種類が推測しにくい。
これは本当に大事。公園ローカルガイドのメイン情報と言っても過言じゃない。
公園によっては遊具が存在しない公園というか広場も存在するが、遊具が存在しない場合はその旨を明記しておいた方が良い。
滑り台が大小あり計2基で小型滑り台は乳幼児用の全高が低いもの。
ブランコが1基で座席数は4席、そのうち2席は乳幼児用の転落防止型、ブランコの鎖に持ち手カバーがなく指を挟む可能性あり。
砂場は1箇所で直径は4mほど、猫防止のネットはなし。
バスケットゴールリングが1基で1on1用、高さはおそらくバスケットボール公式ルール準拠。
子育てにおいてトイレの存在は非常に重要である。そしてトイレがなくとも水道を備える公園が存在していたりする。
トイレは大便器や小便器がどれだけの数があるのかしっかりと記述しよう。商店や大型商業施設基準ではなく「公園のトイレとして」どの程度の清潔さが保たれているのかも記述しておくと良い。
注意点として、公園の水道は通水がなされていない場合があるので実際に蛇口を捻って通水がなされているのか確認すべきである。更に冬季など季節によって断水される公園もあるので確認が可能であれば記述しよう。
極々稀だが公園にはボールや積み木、竹馬などが貸し出しされている公園もある。
子供を遊ばせる安全の判断、飛距離の出る球技(野球やサッカーなど)が行えるのかどうか?の判断が可能になる。
当然ながら休憩へ使うし、おむつ交換でも活用できるので大きさも重要なのだ。
ベンチやテーブルも一緒に併設されていることが多い。
樹木や芝生など。公園内林道が整備されている場合は林道も記述しよう。
これは乳幼児であればボール遊びで転んでも安心だし、成長すると虫取りする際の情報として活きる。
意外と需要のある情報で、遠方から遊びに来る親にとっては情報提供されていると助かる。
つまり、どんなに小さな公園であっても「駐車場は無い」と明言していてくれたほうが良いのだ。
最近は少なくなったが喫煙所のある公園もある。喫煙所が存在するのであれば記述しておいたほうが良い。
これは子供の健康を守るためだし、むしろ公園での喫煙は条例で禁止されていない限り合法なので逆に喫煙所を設けている公園のほうが姿勢として圧倒的にマシな方ではある。
公園は自治体条例や各々の公園で独自のルールが定められている場合がある。
大抵は立て看板や掲示板に記述されているので、その情報を記述しよう。
世知辛い世の中だが近隣住民の家屋が公園に隣接されている場合は余計なトラブルを招く可能性があるので、近隣家屋との距離は記載しておいたほうが良い。
そして、大半の公園は自動車も通行できる一般・生活道路が隣接しているので、その状況と自動車の通行量の情報があると親は安心できる。
例えばストレッチ用の器具があるとか、マラソン・ウォーキング用の道が整備されているとか、自転車がよく通行するとか、犬の散歩によく使われているとか、水場があり夏季は水遊びができるだとか、ポケモンGOのポケストップがあるのような特記したい情報があれば載せると良い。
現在最も閲覧されている公園(観光地ではない住宅地の公園)の閲覧数は約60万Viewです。
私はおおよそ4,000箇所の公園へローカルガイドを付けており、それぞれの公園は中央値で約15,000〜25,000Viewほどで推移してます。これが公園ローカルガイドの需要。
実家の杏の枝が隣家に張り出してしまった。梅雨の時期になると、この枝に実がつく。一本の枝に二つ三つという次元ではなく、何かが炸裂して狂ったように生る。
枝が隣家を侵犯しているから、実も隣の敷地に落ちる。迷惑になるから枝を打つことになった。実家の両親は70前後でも全然元気だが、さすがに炎天下に木に登って作業させられないので、先週、たまたま実家に戻る機会があって俺がやった。
今年の梅雨はどこかに行ってしまって、土曜は連日の晴天の何日目かだった。腰に下げられる蚊取り線香と帽子、軍手とノコギリを装備して杏の木を登った。
…
木登りなんて子どもの頃以来だ。いま40手前なので、かるく20年はやった記憶がない。木の表面を蟻んこが忙しく行き来している。虫は平気なので嫌ではないけど、軍手で覆いつぶしてしまうのは気の毒なので、どこに手を置くかふらふらするから、手つきが結局危なっかしくなる。
蟻に気を遣って落下、重傷とか不随じゃシャレにならないな、と思いながら木を登って、打ちたい枝にノコギリを入れるのに適当なポジションを探す。特に肥沃でもないだろう庭の一画に適当に植えて何も施していない杏が、なんでこれだけの栄養を吸い上げることができるのか。発狂したように生った橙色の実もそうだが、樹皮のあちこちから樹液が吹き出してコハク色のかたまりになっていた。
…
酒に漬けるために、実もできれば無傷で回収したい。下には母が待機していて、俺が手の届く範囲でもぎった実を拾ってくれる。なんとなく、ものすごく幼い頃に読んだ『やまなしもぎ』という昔話を思い出す。あれも母親のために子ども(たち)が大きな木に登って果物を取る話だった。
あの実にも手が届きそうだ、という感じで茂った枝葉の中をかき分けるので、木の表面を行き来している蟻だけじゃなく、住み着いていた虫どもが慌てて活発になり、視界の端っこでちらちらする。カメムシとか。ヨコバイの幼虫とか。こいつらはたぶん、植物の汁を吸って生きている。
ザワザワうごめく無数の生命。ほのかに杏の甘い香りがする。もうこの一本の木が一つの世界だな、と思う。住人がいて資源があり、交通がある。そういう生態系。
たぶんこの思い付きは、たまたま読んでいる本で複雑系の話が出ていたところから来ている。本で言及された例は気候変動なので、スケールが全然違うが。
本は『カオスの帝王』という「市場は特大の混沌を早かれ遅かれ、しかも繰り返し起こすものである。そして、サイクルに一度加速がつくと人智では制御できない」という経済・投資の内容であり、異常気象については余談に変に筆が乗ってしまっている感じだったが、まあ、本で読んだことと実体験が接続されるのはうれしい。
…
虫どもがピンピンと跳ねて服の上に乗ってくる。木に帰れよ、と手で払って戻したい。でも、姿勢を崩すかもしれなくて事故のもとだな、とも思う。もともと、肉体労働はもちろん体を使う作業の経験もないし、たぶんこういう素人が適当に危なっかしいことをして、世界の至るところで死んでいるんだろう。
落下死だけはするまい、と思う。炎天下で焼かれて疲れる上に普段使わない筋肉を変な姿勢で動かしているせいか、思考がぽんぽん飛ぶ。今度は心理学者であるキューブラー・ロスの『死の瞬間』という本のことを思い出す。
確か、農夫が木から落ちて死ぬエピソードが出てきたのだ。この本を学生のころに読んで、机の上に置いていたら、親がそれを見て心配したことがあった。つまり、息子が妙に死に関心がある、自殺する気じゃないか、と思ったらしかった。いま木の下で俺が落とした杏の実を拾ってくれている母親だ。
実際のところ、自殺の願望なんてこれっぽっちもなかった。でも、なんとなく、長生きはしないで若いうちに死ぬ気がしていた。死ってなんだ? ということを今のうちに考えたかった。
結局、早死にすることはなかった。俺は30後半のだいぶ健康なおっさんになった。
…
ここだ、と定めたところにノコギリの刃を入れて引く。ちゃんと考えずに、ただ力を加えやすいポジションだけを優先して作業するから、かなり危うい姿勢になる。いつのまにか、万が一枝が折れたら落下する側に体重の大部分を預けていたりしてゾッとする。
気晴らしに隣家の庭を見ると、隅の少しじめっとしたところに、申し訳ないことに杏の実がたくさん落ちている。一部は熟すのを通り越して緑色のカビを吹いている。
生態系といえば、あれもそうだよなと思う。一本の木がたくさんの実と樹液のかたまりを持って無数の虫がうごめく一つの世界なら、あの実一つもミクロで見ればカビが巣食う一つの世界だ。
複雑系というのは、多くの要素によって構成される全体だが、同時に、レイヤーを区切るというか、「これについてはここからここまで」という焦点をどこにするかで全然違うものが見えて、多層になっているのだろう。
…
なるほどなあ、と思うが、思索でもなんでもなく、ただ考えに落ち着きがないだけだ。子どもの頃からそうだった。意識が次々に変遷していくことを自分でコントロールできない。うんざりさせられる性癖だが、目の前の嫌なことから意識を飛ばせるので、気分の逃避にはなった。
割と助かることも多かったけど、年をとって仕事とかもややこしくなってくると、だんだんそうもいかなくなってきた。例えば、一本の木はそのまま一つの生態系、とか一つの実も一つの世界、とか、なんならビジネス一本槍とか、そういう個別の観点というか世界観だけに集中して暮らせたら、と思う。そういう専門性のようなものにあこがれる。俺にはできなかったので、ただあちこちに思考が散らかるのを誤魔化しながらなんとか事務をこなして生活するおっさんになった。
…
なんとか落下死することなく枝を落とし、母親が冷やしておいてくれたお茶を飲んで、夕方になったらまだ現役で働いている父親が帰ってきて、久しぶりに三人で夕飯を取った。
枝は打ったが、植物だからそのうちまた伸びる。何年後か知らないが、またやらないといけない。
そのとき両親は生きているだろうか。
生きていて欲しい。なんならいつまでも生きていて欲しい。これがもうすぐ不惑の人間だろうか? と思う。自分でも嫌になるくらい幼い。
昔は、俺は若い年で「そのうちに死ぬ」と思っていた。「そのうちに」死なないまま中年になった。そういえば、若いころにもう一つ考えていたのは、人はなんで死ぬんだろう? ということだった。
これは30半ばを過ぎてもいまだに、なんでだろう? と思っている。生物としての死がどうこうという話ではなくて、「なんで生まれてきたんだろう?」の死のバージョンという感じで、なんかあんまり意味もなく生まれることと同じくらい、あんまり意味もなく死ぬこと、それ自体が不思議だった。
この疑問のヘンテコさは自分でも意識しているつもりで、それは即物的に考えたら無意味に生まれて無意味に死に、個の意識は永遠に消滅する(そして宇宙も最後に死ぬ)以外のなんでもない。それでも、感覚的に腑に落ちないものは落ちない。しかたがない。
そういえば、枝を打つ作業をしたのは夏至の日だった。この日を境にこの年の日照時間は短くなっていき、ある意味では一年の盛りを過ぎる。なかなかシンボリックな気がするが、人生や季節が何かの時期を過ぎようと、わからないものはわからない。
明日は収穫した杏の実を酒に漬ける。黒糖焼酎と黒砂糖という、ちょっと挑戦的な材料を買ったのでそれを試す。
飲めるのは3ヶ月後からだ。それはまあ楽しみ。保険としてホワイトリカーと氷砂糖の無難なバージョンも用意するのは、俺という人間が身に着けた数少ない成熟である。
旦那にヒドい不倫をされた漫画家先生の実録漫画、第1話を買って読んだ。
不倫を肯定する気はないけど、旦那さんの環境は、なかなかにストレスフルだと思った。
両親同居だけならまだしも、隣家の姉まで毎日来て、完全にアウェイ状態。
生活費の件や週末の息抜きは、先生の側が気を遣ったのだろうけど、逆に、男として必要とされてない感じになるよね。
もちろん、旦那本人も了承してこの環境になったんだろうけど、それでも、何年も続くとキツいと思う。
自分だったら、この環境に何年も置かれたら、離婚を切り出す気がする。ただ、お金の件とかで良くしてもらっているだけに、離婚を切り出すための理由がないんだよね。そうすると、自傷的に不倫に逃げて、離婚するしかない状況を作る?
…作中に出てくる「お前は俺を許してくれるはずがない」というセリフって、そういう…。…なんか繋がった気がする。
実名報道は遅れてる〜完全匿名にしない理由がない!と、それが開明的姿勢だと思い込んで吹聴する馬鹿がいる。
実名報道は現実社会とのリンクだ。警察発表ではこう言ってる、マスコミ記事ではこう言ってる、犯人を直接知ってる地元民はこう言ってる、と言うように情報の伝達経路が冗長化されることに意味がある。
自由社会の紐帯は制度ではなく情報共有である。だから表現の自由は特別に重視される。
「■■県で■■氏が■■氏を殺したらしい」というような“プライバシーに配慮した”海苔弁報道しかなくなったら、直接目撃したそれが隣家の出来事でも気づかないし、実は全てがフィクションだったとしても誰にもわからない。
自分では進歩的なリベラルなつもりで情報統制を望んでるんだからつくづく馬鹿につける薬はない。
単純に頭が悪いな
容疑段階どころか判決確定以降だって個人特定できる情報を報道するのは良くない
更正、社会復帰を妨げてるだけ。
まず事実から言うと、安倍晋三(世襲)の自慢の祖父である岸信介がまず日本に統一教会を呼び寄せた。
なんと岸信介の自宅の隣家に文鮮明関係の施設があったほどのズブズブ具合である。
そもそも岸信介自体が本来はA級戦犯で死刑にされるはずだったのに生き延びた売国奴なのであるが。
90年代にはオウム真理教が日本を震撼させた関係がカルトの統一教会も合同結婚などで問題視されることもあったが、政界から謎の圧力が掛かって、統一教会関連が報道されることもいつしか無くなった。
そして孫である安倍晋三も統一教会と繋がりを継承し、2009年に選挙で大敗して下野したのをきっかけに統一教会に再度接近。
統一教会に家庭を破壊された山上徹也は直接的ではないと知りつつ統一教会と関係を持っていた安倍晋三を銃撃。
暴力は決して賛美されないが、この銃撃をきっかけに統一教会と政界の関係が明るみに出て、やっと日本も少し変われるようになったのである。
ネトウヨから大宰相と持ち上げられていた安倍晋三が、なんとあの韓国の超絶反日カルト集団とズブズブだったというのは、当然のごとくネトウヨにとっては、極めて都合の悪い事実だった。
それに対する反応
①直視しない
「山上徹也はテロリスト!テロリストの言葉を聞くと成功体験を与えてしまう!よって安倍晋三と統一教会の問題は棚上げ!」という論法。
https://x.com/kikumaco/status/1647083603732615176
②否定する
「安倍晋三と統一教会が関係あるというのはデマ!」と真っ向から否定する。南京大虐殺否定論と似たようなもの。
https://x.com/ikedanob/status/1900815097293140056
③矮小化する
「統一教会に献金してもパチンコで金溶かすようなもん!だから統一教会と繋がりあっても問題ない!」という論法
お昼ご飯のあと、3時前くらいに娘が遊びに出かけた。急にだったから少なかったけど、おやつは持たせた
それから私は旦那と買い物へ。で、どうやらその間に娘が帰宅。だけど、家には鍵がかかっていたので入れず。そしたら、隣家の人が「まあまあ、かわいそうに」とばかりに家に招き入れたらしい
で、ご丁寧にたい焼きとたこ焼きまでごちそうになったんだとか。極めつけは、「おやつ出しましたよ」っていう恩着せがましい連絡。しかも「こっちも用事があるんですけどいつ帰るんですか?」って、いやいや、勝手に連れ込んでおいてなに?
私たちが4時半ごろ帰宅したら、隣家の人が娘を連れてきたんだけど、正直モヤモヤ
娘が帰ってきても放置でいいです。外で待ってればいいの
そして、1時間半くらいの間におやつを与える必要ある? うちはちゃんと食べさせてるんで、お腹すいて飢えてるわけじゃないんですよ
それに、わざわざ「おやつあげましたよ」って報告してくるし、それだけならまだいいけど「いつ帰るのか」って連絡してくるくらいなら、ほっといてほしかった
いやもう、ありがた迷惑にもほどがある
もう20年ほど前の年末、12月の29や30あたりだったろうか。
その時自分はまだ中学生かそのあたりで、妹も小学生くらいだったと思う。
父は普段から気分のムラが大きく、その日もそういう日で、冷蔵庫の残り物を床に叩きつけて怒鳴りつけていた。
個人的には面白かったのだが、笑ったら殴られるので家から逃げることにした(こんな感じで家にいられなくなって逃げることがたまにあったが、今は離れて暮らしている)。
私たちは寒い地方の田舎に住んでいた。山と田畑と住宅しかないような小さな市町村である。
徒歩で行ける距離にあるコンビニは1件しかない。年末の最高気温は0度を下回るし、積雪もかなりある地域だ。
ゆえに吹雪の中歩き回るのは得策では無いのだが、友達の家には自分の家族の問題で何度も避難させてもらっており、年末まで団欒をお邪魔する勇気は、どうしても自分には無かった。
祖父母の家は両親の職場より遠く、年末ゆえか吹雪ゆえかは忘れたが唯一の公共交通機関のバスは運行していなかった。誰も頼れないと思った。
今思うと、近所の小学校なんかに職員が居たなら路頭に迷った子供くらいなら受け入れてくれるだろうし、なんなら隣家だって頭を下げれば入れてくれるはずだと感じるのだが。
親父に殴られやしまいかとそればかり考えるガキ風情にそんな機転は無かった。
少し考えて、隣町のショッピングモールまで歩くことにした。小さいながら暖かく、フードコートで水も飲めて好きだったし、自転車で行ったこともある。
母の職場も近く、当時の自分には、もうそれしか方法がなかった。
通学バッグを持って、何を着たかは忘れたがとりあえず防寒して、自分と妹は歩いた。
今googlemapで調べたが、およそ7kmの道のりである。途中に山があって、たかが7kmといっても子供には過酷だ。
前が見えないながらも携帯なしで目的地までたどり着くことが出来たのは、ひとえに田畑というのが周りが開けていて迷いにくい道だからだと思う。
風を遮るものも無いけど。
吹雪というものを体験したことがない人のために解説するが、まずかなりの勢いでクソデカい雪が目の中に入ってくる。スキー用のゴーグルでもしなければ目を開けていられない。
そして雪の1粒1粒がとても大きい。成人男性の中指の第1関節くらい大きな雪が、とめどなく顔や襟に侵入してくる。冷たいし不快だ。
ただでさえ視界が悪いのに、さらに雪が目にダイレクトアタックしてくる。
そこまで強くない風にも、雪という氷の粒が乗るだけで破壊力が増す。
積雪があるということは、道が悪いということでもある。
常に脛くらいまで積もった雪の中を足で掘ったり蹴散らして進むので、体力の消費が早い。
柔らかい雪を蹴散らしたとて、硬い地面も雪で覆われてゴツゴツ・ギュムギュムしており、大人になった今でも体力を持っていかれる。
その日は雪ばかり降って気温があまり低くなく、凍っていなかったのは幸いだった。
10代の体力があったのも助かった。
家から持ってきたか買ったかは忘れたが、途中でお菓子を食べた記憶があるのもよかったと思う。
積雪があるということは、道路脇に大きな雪の山が築かれる、ということでもある。
道路の除雪で溜まった大量の雪が、歩道と道路の間に大きな壁となる。
高さはおよそ2~3メートル。歩行者側に崩れてくることはほぼないが、沢山ある歩行者用信号のない道路を渡る時、致命的に邪魔であり、事故になりかねない。
視界が悪いなら当然だ。今思うと危なすぎる。
雪がマフラーにびっしりこびりつき、吐く息で水滴になって、外気温で凍ってパリパリになるのが気持ち悪くて嫌いだった。
歩いて汗をかいて全身蒸れているのに、休憩のために座り込んだらたちまち冷えた汗が体の末端からキンキンに冷えて、つま先や指の先から感覚が無くなってゆくのも嫌だった。
子供の頃からの吹雪への慣れや体力もあって当時は耐えることが出来たが、これが妹がもっと幼ければ死んでいたかもしれないな、と今は思う。「年末に子供が2人、吹雪の中行方不明になる」なんて、大人になった今は洒落にもならない話だ。子供ながらなんてことをしたのかと今になって反省しているが、当時を考えるとどうにもできなかったな、とも思う。
昼から歩き始め、猛吹雪を身体中に受けて、なんとか山を超えて、ショッピングモールに着く頃にはもう夕方だった。
入口端の公衆電話で、室内に入り体についた雪が解けてビシャビシャになりながら母の番号に電話をかけ、仕事終わりに拾ってもらい、家に帰る頃には真っ暗だった。
自分たちが家を出て吹雪の中歩いて避難したことについて両親から言及された記憶は無い。怒られた覚えも、謝られた覚えもない。
なんなら自分たちが何も言ったのかも覚えていない。
2013年に起きた、北海道・湧別町の暴風雪により遭難し命を落とした岡田さんと助かった娘さんのニュースを、この時期になると思い出す。
1月2月だったとしても酷い暴風雪に、きっともう大丈夫だろうと思った春先に襲われて、2人ともとても怖い思いをしただろう。
お父さんの冷たくなってゆく体を見ているしかなかった娘さんの気持ちを考えると、心が固く締め付けられる。
自分の命を捨ててまで娘を守ろうとするお父さんの決死の勇気に、今の自分は果たして新しい家族に同じことが出来るだろうか、と襟を正される思いだ(もちろん、自分だってできるだけ家族も両方生き残れるよう努力するが)。
そして、もしもっと自分が出来た子供なら、こんな風に命をかけて自分を守ってくれる存在がいたのかな、とも思う。
以上、あまり参考にならない体験談と自分語りだが、少なくとも幼い自分自身の頑張りを成仏させるため、ここに記しておく。
ついでに、子供の頃の自分と妹は運良く生き残ったが、これを読んでいる諸兄らも決して甘く見てはいけないと警告しておく。