
はてなキーワード:隠蔽工作とは
題名: 「影の學者」
雪の降りしきる寒き冬の日、京都帝國大學の敷地に足を踏み入れた者は、凛とした冷気と共に、どこか硬直した空気を感じ取ることだろう。學問の殿堂であるはずの此の場所に、ひとつの邪悪な影がひそかに廣がっていた。
副學長である藤堂智義は、外見こそ學者らしく、知識豐かな人物に見えた。然而、彼の研究室の中では、誰も知らぬ裏の顔が廣がっていた。藤堂は學問の枠を越え、權力と欲望に取り憑かれていた。彼は大學の女子學生たちを次々と手籠にし、その肉體と精神を支配していた。その研究室は、表向きは靜かな學問の場所でありながら、その實、密室の闇に包まれていた。
藤堂はその成果を、かつての戰友であり、現在は理化學研究所の三好一佐に共有していた。三好は、軍の秘密機關に携わる人物であり、藤堂の研究が軍事利用されることを期待していた。しかし、藤堂の目的はそれだけではなかった。彼は更に深い野心を持ち、國家機密を敵國に売り渡すことを畫策していた。彼の裏で蠢く欲望と陰謀は、もはや學問を超えて、國の運命をも左右しかねないものだった。
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第二章:山田の目
一方、陸軍中野學校での訓練を終えた若き軍人、山田健太郎は、かつて戰場で見た冷徹な現實を胸に秘めながら、情報部門での任務に従事していた。彼は、特に軍の秘密を扱う情報の流れに敏感であり、時には自らの直感を信じて動くことが多かった。そんなある日、山田はある情報を耳にする。
「藤堂副學長が、密かに國家機密を外部に漏らしている。」
最初、山田はその話を信じることができなかった。しかし、調査を進めるうちに、藤堂の周囲に潜む奇妙な動きと異常を確認する。藤堂が接触していた女性たちの間で囁かれる噂、そして三好一佐との秘密の會話。山田の勘は、何かがとてつもなく大きな闇に繋がっていることを告げていた。
藤堂の行動に対して、山田はすぐに動くことを決める。だが、彼が考えた以上に、事態は複雑だった。藤堂を追い詰めようとする彼の周囲でも、特攻警察のような強力な存在がその動きを牽制していた。特攻警察とは、戰時中に國家を裏切る者や反逆者を處罰するために秘密裏に活動する、極秘部隊のことだった。彼らの手法は極端で、容赦のない捜査と取り締まりを行っていた。
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第三章:泥沼の闘争
山田は、藤堂を取り締まるための證拠を集めるために動き出すが、すぐにその道がいかに険しいものであるかを痛感する。彼は、藤堂が密かに所持している機密書類や、彼が関与している取引の證拠を掴もうとするが、藤堂は巧妙に隠蔽工作を施し、彼を遠ざけるように仕向ける。
一方、藤堂もまた追い詰められることを感じ始める。彼は自分が知られれば、學問の名誉も、學者としての地位も全てを失うことを知っていた。そして、最終的には、國家機密の売買に関して、三好一佐に密約を交わし、敵國への情報提供を約束する。その取引が成立すれば、彼は莫大な利益を得ることができると確信していた。
山田は、その取引が行われる直前に藤堂を捕えるため、內閣と特攻警察を巻き込んだ大規模な逮捕作戦を立てる。だが、この作戦が始まると、事態は予想を超えて泥沼の闘争へと発展していく。特攻警察の手が藤堂の周辺にも迫り、軍部内部でも暗闘が繰り広げられ、山田はますます追い詰められていく。
山田がついに藤堂を捕える寸前、藤堂は最後の切り札として、命がけの自決を決意する。彼は、すべてを暴露されるくらいなら、いっそ命を絶ってしまおうと考えた。しかし、山田はそれを阻止し、ギリギリのところで彼を取り押さえる。
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第四章:決着
藤堂の逮捕後、その罪狀は明らかとなり、戰時下の國家機密を敵國に売ろうとした罪で、彼は死刑に處される。しかし、その背後にあった深い陰謀は完全に解明されることなく、軍部や內閣の關與は曖昧なままうやむやにされていく。
山田は任務を終えたが、心の中には滿たされぬ思いが残る。藤堂のような存在が、戰時中の混亂の中でどれほど多くの人間に影響を與えたのかを考えると、彼自身もまた、この戰争の本當の恐ろしさを痛感せざるを得なかった。
藤堂の裏で動いていた秘密の力、そしてそれに巻き込まれた人々の運命は、山田の心に深く刻まれていった。
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「影の學者」――戰爭の暗闇の中で、ひとりの學者の欲望と、それに立ち向かう一兵士の物語は、終わることなく続いていくのだろう。
令和の時代に公的機関がこれほどの悪事を長年にわたり組織ぐるみで行ってきた事件は前代未聞
調べれば調べるほど酷すぎて笑える
ヤクザに強請られて何十億と資金を渡していたとか、バレそうになったら勝手に架空口座作ってその場しのぎ
個人的に一番ツボったのは、バレて国の第三者委員会に「帳簿だせ」って言われてからの牛歩戦術、そしてその隙に業務PC破壊!
いわき信用組合不正融資事件は、福島県いわき市を拠点とする信用組合で2004年から2024年まで約20年にわたり行われた、総額247億円超の組織的な不正融資・横領・隠蔽事件です。
組織的な不正融資ペーパーカンパニー(架空会社)を介した迂回融資や、役職員や顧客の名義を無断で使った「借名融資」が多数行われました。
累計1,293件、総額247億円超の不正融資が認定されています。こうした手口で資金を提供した先は主にX社グループや反社会的勢力で、一部は不正融資の利払い・損失補填などにも使われました。
組織ぐるみの隠蔽不正発覚後、証拠隠滅を狙ったパソコンや手帳の破壊・廃棄など、異常な隠蔽工作が行われました。
第三者委員会の調査では内部統制・ガバナンスの欠如が厳しく指摘。
事件発覚と対応2024年に元職員のSNS告発で問題が表面化し、組合自身も「おおむね事実」と認め第三者委員会を設置。
2025年5月に詳細な調査報告書と業務改善命令が公表される事態に至りました。
2025年10月の第二次特別調査で反社会的勢力への資金流出も判明し、金融庁による規制強化が行われました。
事件の特徴金融機関として前例のないほど規模・期間・悪質性が高く、日本の地域金融の業務管理体制と内部統制の弱さを浮き彫りにしました。
男磨きハウス第一話を観た。エシカルな戸塚ヨットスクールだった。
男磨きハウスや戸塚ヨットスクールは、弱さを受容し素直にエシカルコミュニティで自助ができる、医療や福祉制度を活用できる人間にとっては不要で邪悪だ。しかし、そうできない人たちは存在する。男磨きハウスも戸塚ヨットスクールもそういう人間の為の慈善活動だ。
https://youtu.be/DA2Z1EACF7c?si=1V_nzBzisBB386gB
現代の男が男らしく弱さを受け入れる過程は↑の動画でわかりやすく説明していた。彼らは家父長制的な男ではあるが現代の形にアップデート済みで女にとって不快感の少ない"ミソジニー"ではない男だろう。
彼らは、この企画のように恋愛市場で彷徨える女たちに対し、わりに的確なアドバイスを出せる側の男たちであり、後述するが男磨きハウスが必要な男の為のコンテンツではない。
話を戻す。
ジョージも戸塚も自分の道筋で"生きる"ことができたから、「同じような人間には同じような道しか示せないやろうが!」とそれを理解できない人たちにキレている。
ただそのアウトプットが女やエシカルな繋がりを持てた人たちからすると邪悪に映るだろう。しかしジョージや戸塚の救済対象は、"普通の話が通じない男"だから仕方がない。
フェミニズムはツイフェミやフェムセルという通称の存在が生まれたことで分岐し、元からフェミニズムに大した関心のない人からするとフェミニズム=邪悪な女権主義者たちの集まりと認識されているのも同様の動きであるといえよう。
彼女らは明らかに"やりすぎ"である。男嫌いであることを真っ当な権利運動の名の下で悪用している。しかし、では、何が彼女たちを救ってくれただろうか?それは男磨きハウスや戸塚ヨットスクール、ひいてはナンパ師界隈などに通ずるものがあるだろう。
救いたい形をしていない弱者。
救いたい形をしていない弱者の孤独死を防いだ結果、世間的にはアンエシカルな声明を出す事になる。そういう極端なPR活動をしていかないと話を聞いてもらえないのだ。普通の話が通じない人間にいつまでも普通の話をし続けるのは残酷だという事にエシカルな人間は配慮すべきである。その上で邪魔だろうから、批判し続ければいい。
健常者で精神疾患者や発達障害者と関わったことのある人なら心当たりがあるだろうが、彼らは「寝たらよくない?」とか「考えすぎじゃない?」とか思うような事で堂々巡り、普通の人ができる作業をできない、訳のわからない事を堂々と語って周りをドン引きさせている。
彼らは決して人格破綻者として生まれた訳ではない。そう生まれたからそうで、たまたま不幸を乗り越えれなかったからそうなのだ。
戸塚ヨットスクールはクライアントを死なせているが、医療や福祉現場でも人はじゃんじゃんバリバリ死んでいる。
しかしそれらの違いは明確で、戸塚ヨットスクールは訓練生の死亡、傷害致死、行方不明が発生していた件に対し、不審な介入ではないか?と判断されたのだ。戸塚の教育方針とは別で批判されるべき出来事であろう。医療や福祉現場でも不審死が発生し隠蔽工作をしていたら問題になる。それと同様に彼がどれだけ立派な教育を施していようが、そこに死人や負傷者が出て不審と判断された時点で「医療ミス」同様に鑑査される。それを避けては通れない。仕事の名の下で性交渉や危険行為が許されている社会で、体罰が体罰として問題視されるのはクライアントと正確な同意が取れていなかったからだ。
戸塚ヨットスクールはエシカルな組織が救えなかった存在の三次受け入れぐらいの場所だったのだろう。
正直、そういった過酷な現場で働いていたら疲弊するし、クライアントも目を離した隙に死のうとするだろうし、命がかかっているから従事者の性分も攻撃的になるだろう。医療従事者が特有の気の強さを持っているのと同様だ。
戸塚の思想そのものではなく、ああいった活動をしていると必然的に語気は強くなる。ゆえにエシカルな人々からすると"無用に語気の強いヤバ思想おじさん"となる。語気強もヤバ思想もあなた方のような救いたい形をした人たちの為ではなく、どうしようもない救いたい形をしていない人たち、それに直接迷惑をかけられている身内の為にしか存在しない。
しかし、彼らが抱えれる存在を私が救えたか?と言われれば難しい。
どれだけスティグマを払拭した語りをした所で彼らは「だって今はそういう社会になってないもん!」が主訴だから。
革命を起こす体力や精神力すらもない人間は素直に弱さを引き受ける事なんてできない。
拝金できたとしても、なれない、なりたくない健常者が殆どだろう。なろうとも思わない。
男の話しか聞けない男っているでしょう。
ジョージの救済対象は、男の話しか聞けないのに男に手を差し伸べてもらえなかった男だ。
無論、女の話を聞けない男を女が救える訳がない。女にいじめられた経験があったのなら尚更。尊敬できる対象からの暴力は"可愛がり"になるが、尊敬できない対象からの暴力は"いじめ"になる。自分をいじめてくる女に心を開き、素直になれる訳がない。
男に畏れている男は女にケアを求めるので恋愛に依存できるが、男に憧れている男はそういう男に憧れて女を見下しているので"女を見下している真の男"に救われるのを待つしかない。
なのに...。
待てど暮らせど、真の男は自分を救ってくれない。何故か、そういった男は既に仕事でそういう男たちを従えているからだ。真の男はサラッとあなた達のことを"なかった"ことにしている。小中学生の同窓会の時だけ「そんなヤツもいたな〜」程度に思い出す。
わざわざ「救済しよう!」なんて発想は彼らには最初からないのだ。人が人を救済するのは医療従事者の仕事であり、彼らが怪我をしたら病院に行ってついでに傷病手当を貰って仕舞いなのだ。彼らはただ生きているだけで男社会の上に立ち多くの人間を救済しまくっている。まともな努力をして結果が出るので、苦労も糧にできる。
そういう組織に入れない、そのパスを死に物狂いで掴めなかった男のことは"見えていない"。
そういう男は同性に対しても面倒見は良い。多少のことは雑に扱われることを許せば大目に見てくれるのだ。しかし、ここで篩にかけられるのは"雑に扱われるのを許せなさそうな男"だ。上司は男の恋人ではないので、恋愛じみたものを仕事に求めてきそうな人間は落とされる。まず出会えない。パワハラ、モラハラは起きないにこした事はないが、それらは下からしか生まれないので、ちょっとした事で騒ぎそうな人間は不要だ。だから"見えていない"。
彼らが尊敬する男たちは、無意識に、彼らにとっては残酷に、女を性愛対象と恋愛対象で天と地ほどの違いを持って、その上で適切な扱いが可能な為、交際しようが何だろうが結婚相手を選ぶまでは殆どデーティングだ。"男に見えていない男"は面倒で抱けない女と同等の存在なのだ。会った瞬間に無用な面倒事を察知する能力は野生の本能そのものであり、ミソジニーになる迄拗らせる未来を防ぐ。
戸塚やジョージやナンパ師は「お前の仲間だ!」と示す為に親切に女叩きをしてくれるし、エシカルは敵だと背中を摩ってくれる。
そういう男の哀しみがすこし分かるのだろう。
このふたりはどう考えてもこの時代の日本にはそぐわなかった価値観を持つ"変な男"ではあったのだ。男のマイノリティだから"見えた"のだ。この時代に発生した苦しみのひとつとして、そこからあぶれてしまった男たちに手を差し伸べるのだろう。
差し伸べられた手を掴むこと
それは如何様に気持ちの悪い男であろうと女であろうと、それを掴む限り、まだ生きてみようと思える希望そのものだ。男磨きハウスを観るに、ジョージは戸塚に比べて随分とやさしいと思う。救いたかった筈の訓練生の死から反省ができた世界線の戸塚だ。私はもう第一話でお腹いっぱいになってしまった。訓練生に恨みはないが、彼らのナチュラルな気持ちの悪さが次から次へと出てくるのでカロリーが高く、第二話に進めない。しかし内容はとても面白かったので「男ってなんだろう?」と思う人たちには是非試聴してもらいたい。面白くはある。
ジョージは訓練生の肉体を管理するどころか、射精管理までして、逃げ続けた所で救われることはないし一度でいいからお前を気持ち悪いとは思わない女に出会えるだけの力を与えてあげようとする。ジョージには良妻賢母の忍耐がインストールされている。
ワイは、Switch2を購入したい人やSwitch2のオーナー人の前で、Switch2を破壊するのは、次の点からよくないと思っています。
しかし、これはワイの個人的な考えなのですが、倫理設計が必要な職の人でも、この基本的な共感性や尊重を発揮できていない懸念を持っています。
例えば、税金で行われたAIに関するイベントで、壊れそうな勢いで暴れるようにプログラムされたUnitreeGo2を鎖につなぎ、
「ロボットに感情移入する人は生きづらくなる」と虐待的に見えるパフォーマンスを展示し、炎上したエリート若手芸術家がいたのですが、
それを賞賛していたのもエリートですし、AIの専門家を名乗っていました(東大工学部/RoyalCollege ofArt出身のAI専門家は、AI専門家として政治家に就任しました)
日本人工知能学会の表紙は、趣味ならOK(オタク的共感)、表現の自由だけど、公的な場において、なぜか女性萌えメイドのアンドロイドを表紙にしました。
萌えメイドである必要性はない、ステレオタイプの固定化、私物化ではないか?と批判されましたが、形だけの謝罪をして、その後も特に気にした様子も影響を受けた様子もありません。
ワイは、 Switch2破壊 や UnitreeGo2の虐待 や学会の表紙を萌えメイド化するのは営利の衝突とは関係しないと考えます。
なぜなら単純にお金にならないからです。というか実際本人もアートや注目を集めることが目的だと自称してます。
懸念の実例として、AppleのiPad ProのCMのケースも良さそうだなって思います。
わざわざ楽器を破壊する演出をしましたが、炎上し、謝罪とCM差し替えに追い込まれました。
ワイたちは、基本的な「社会適性」の問題で失敗しているプロモーションやプロダクトを、後を絶たず目にします。
そして、その裏では、高額な報酬で雇われたであろう外部コンサルタントが控えています。
それにもかかわらず、時にそのコンサルタント自身が、別の倫理的な問題やスキャンダルの当事者としてニュースを賑わすことすらある。
なぜ、このようなことが起きるのでしょうか?
それは、「倫理的な正しさ」の実現を助けるという役割そのものが、ビジネスとして商品化され、本来の目的から歪んでしまった結果だと、ワイは考えます。
彼らの成功は、「クライアント企業がどれだけ倫理的になったか」ではなく、「クライアント企業を、いかにして炎上させず、利益を上げさせ続けるか」によって測られます。
その目的のためなら、彼ら自身が非倫理的な情報操作や隠蔽工作に手を染めることさえあります。
企業の意思決定層が「適性」を欠いているだけでなく、その「適性の欠如」という問題に付け込んでビジネスをする、専門家という名のブローカーたちが、
「断絶されたエリート層(組織/企業)」が、「同じく断絶されたエリート層(コンサルタント)」にお金を払い、互いの存在を正当化しあう。
その閉じたループの中で、私たちの社会が本来持つべき、乳幼児やラットですら持っているはずの、基本的な倫理観が置き去りにされていると感じます。
大前提としてバズるためにSwitch2やGo2や楽器を壊さない人が圧倒多数派です。それは倫理的にも経済的にもです。
誰かが大切にしてるものや、高価なものをわざと壊すなんて、幼稚園児でも「悪いこと」って分かるレベルの話です。
そういう人や組織が、営利と倫理が衝突する複雑な場面で合理的かつ倫理的な判断を下すのは難しいとワイくんは考えます。
なぜなら、すべての土台となる根源的な共感性・社会性が欠けてるからです。
そこをクリア、あるいは分析模倣が出来ていないと、「個々の細胞・ミトコンドリアとシステム全体の健康とバランスを考えよう〜」みたいな本来の話はできないのですが、
「乳幼児やラット以下の感性」の人たちが無視出来ない数います。
なぜなら、巨大なエコシステムを築き上げ権力構造の中にいる人たちは、追放されず、常に正当化されるので、根源的な共感性・社会性を持ち合わせている必要性も、
倫理的に問題のある振る舞いを監視し声を上げ続けることが大切ですが、これは希望の火を絶やさないというニュアンスに近く、
権力構造の中の人らを直接的に追放することは、難しいことも多いです。
「乳幼児やラット以下の感性」の人たちは、先天的な「感情的共感」は難しくとも、後天的な「認知的共感」、
つまり、社会が何を重要視しているかを「分析し、模倣する」してくれたらいいのになぁとは期待します。
なぜなら、新たな視点へのリフレーミングの入り口になるかもしれないからです。
しかし、先ほども書いた通り、守られてるので、おそらく該当者は変わる必要性は感じていません。
であれば、閉じたエコシステムの中で、「乳幼児やラット以下の感性」を量産する仕組みが維持されるのは、意識的に避けていくべきだと思います。
ただ、避けていくべきとは言っても、魔法のような解決策はないので、地道に「対話」と「余白」を積み重ね、外部評価に依存せず、
一人ひとりが自分自身の「意味や物語」(自己定着/内発駆動エンジン)を重ねていくしかないのかなぁと考えています。
(知識や価値観は外部から一方的に注入されるのではなく、個人の内的な対話と経験の積み重ねによって構築されるという理解です)
上記がクリア出来てようやく、目的の選定と合理の接続の話ができると思います。
(それぞれ目的が違うとか、営利/競争力と人権や安全性や環境との衝突を考えるとか)
合理は善し悪しを判断するものではなく、目的を達成するための「道具」に過ぎません。その手前にある「目的設計」こそが本質です。
連邦に寝返ったシーマ艦隊は、ソーラ・システムIIの防衛に就いていました。
ソーラ・システムIIに攻撃を仕掛けてくるデラーズ・フリートの部隊を、連邦軍と協力して迎え撃ちます。
シーマはエギーユ・デラーズが乗っていたグワジン級から赤いモビルスーツに乗って発進し
自らの旗艦であるリリー・マルレーンのところに戻ろうとしますが、コウ・ウラキのガンダム試作3号機にリリー・マルレーンを撃沈されてしまいます。
その後、シーマはコウ・ウラキのガンダム試作3号機と交戦しますが、ガンダム試作3号機の大型ビーム砲を搭乗モビルスーツの腹部に突き立てられ、そのまま撃ち抜かれて戦死しました。
アナベル・ガトーのノイエ・ジールは、コロニーを狙うソーラ・システムIIを阻止するため、ソーラ・システムIIへと向かいます。
ソーラ・システムIIの防衛艦隊の迎撃を突破してソーラ・システムIIに接近したアナベル・ガトーは、ソーラ・システムIIのコントロール艦を攻撃します。
しかし、ソーラ・システムIIはバスク・オムの指示で照射され、コロニーはソーラ・システムの光に焼かれました。
ノイエ・ジールの攻撃を受けたコントロール艦は、ソーラ・システムの光が放たれた後に爆発。
ソーラ・システムの光は止まり、そしてソーラ・システム照射による煙の中から、焼き尽くされなかったコロニーが姿を現します。
そしてコロニーはそのままソーラ・システムを突き破って地球への落下を続けていました。
アナベル・ガトーは地球へと落下を続けるコロニーの内部に入り、最後の軌道修正を行っていました。
そこにアルビオンからコア・ファイターに乗ってやってきたニナ・パープルトンが登場。
ニナはガトーにやめるように懇願しますが、ガトーはそれを受け入れませんでした。
ガトーが最後のレバーを引こうとしたその時、コロニー内にはいつの間にかコウ・ウラキもやってきており、ガトーはそのコウ・ウラキにレバーを引いているところを銃で撃たれてしまいます。
アナベル・ガトーは右脇腹を負傷しますが、根性でなんとかレバーは最後まで引ききっていました。
ガトーはコウ・ウラキに止めを刺されそうになりますが、そこをニナ・パープルトンに助けられます。
そしてニナの肩を借りてコントロールルームを後にします。その後、ガトーは途中の通路でニナから事情を聞いた後、ニナのお腹を叩いて眠らせ、コロニーを脱出。
ニナをコア・ファイターのコックピットに乗せ、そのコア・ファイターをアクシズ先遣艦隊へと向かうドムに託しました。
そしてガトーはコロニーの外でコウ・ウラキを待ち、出てきたコウ・ウラキのガンダム試作3号機との一騎打ちを始めます。
しかし、その一騎打ちはソーラ・システムIIの二度目の照射で中断されます。
ガンダム試作3号機に乗っていたコウ・ウラキはソーラ・システムの攻撃を受けて気を失っていたようでしたが、ガトーはそのコウ・ウラキのガンダム試作3号機を撃墜することなくその場を離脱。
ソーラ・システムを受けて傷ついたノイエ・ジールでデラーズ・フリートの残存部隊と合流します。
ガトーたちデラーズ・フリートの残存部隊に対して連邦艦隊が降伏を呼びかけてきますが、残存部隊はそれを受け入れず、一人でもアクシズ先遣艦隊に辿り着くために連邦艦隊の突破を試みます。
しかし、連邦艦隊の艦砲射撃とモビルスーツ部隊の抵抗を受けて、次々に撃墜されていきました。
ガトーもボロボロになったノイエ・ジール(Iフィールドも壊れていたようです)で突破を目指しますが、最後はサラミス級に特攻を仕掛け、ノイエ・ジールはサラミス1隻を道連れに爆発。
コウ・ウラキ中尉はガンダム試作3号機でリリー・マルレーンに攻撃を仕掛け、一撃で撃沈しました。
そのあとはシーマ・ガラハウと交戦。ガンダム試作3号機の大型砲でシーマの乗っていたピンク色のモビルスーツを串刺しにして撃ち抜きました。
連邦軍とシーマ艦隊は共闘関係にあり、アルビオン隊はソーラ・システムIIの守備に回るように言われていましたが、コウ・ウラキは納得できず、独断で命令を無視していました。
シーマ・ガラハウを倒したコウ・ウラキは、ソーラ・システムIIを突破して落下し続けるコロニーに入ります。
そしてそこでコロニーの軌道の最終調整を行っていたガトーを銃で撃ちます。
しかし、そこにはニナ・パープルトンもいて、ニナは撃たれて倒れているガトーを心配してガトーに駆け寄ります。
コウ・ウラキは倒れているガトーに止めを刺そうとしますが、ニナに止められ、さらにガトーに銃を向けようとしたコウ・ウラキに対してニナは銃を向けました。
ニナはガトーを連れてコウ・ウラキの横を通り過ぎ、そのままコントロールルームを後にしてコウ・ウラキの前から姿を消しました。コウ・ウラキはニナに戻るように呼びかけますが、ニナはコウ・ウラキに答えることはありませんでした。コウ・ウラキはその場に一人取り残され、叫んでいました。
コウ・ウラキはガンダム試作3号機に乗ってコロニーを脱出する前に、ニナの写真を見ていました。
コウ・ウラキがコロニーを脱出したところに、コウ・ウラキを待っていたアナベル・ガトーのノイエ・ジールが現れます。
コウ・ウラキのガンダム試作3号機とアナベル・ガトーのノイエ・ジールはビームサーベルで一騎打ちを始めます。
ガンダム試作3号機はIフィールドが壊れていましたが、ビームサーベル戦の後はノイエ・ジールがガンダム試作3号機に対してビーム攻撃を仕掛け、ガンダム試作3号機は巨大な右腕パーツを破壊されます。
さらにガンダム試作3号機は残った巨大な左腕パーツをノイエ・ジールのケーブルで伸ばした下腕部に捕まれます。
そのケーブルは切れますが、その後ノイエ・ジールは見たことのない謎の腕を4本出してガンダムに襲い掛かり、ガンダム試作3号機はノイエ・ジールに謎の4本の手で背中から抱きつかれていました。
しかし、そこにソーラ・システムIIの第二射が放たれ、ガンダム試作3号機とノイエ・ジールはソーラ・システムIIから放たれた光に包まれました。
ソーラ・システムIIはコントロール艦を失っていたため、25パーセント以下の出力しかなかったようです。
ガンダム試作3号機はボロボロになるだけで済みました。しかし、ガンダム試作3号機のコックピットにいたコウ・ウラキは気を失っていました。
コウ・ウラキが目を覚ました時、アナベル・ガトーのノイエ・ジールの姿はありませんでした。ガトーはコウに止めを刺さず見逃してくれたようです。
コウ・ウラキはボロボロになった巨大なパーツからガンダム試作3号機を分離。
巨大パーツの中にあったガンダム試作3号機の方はほとんど無傷でした。コウ・ウラキの目の前にはサラミス級が現れますが、コウ・ウラキは叫びながらビームライフルを撃っていました。
ニナを失い、ガトーとの決着もつかず、やり場のない怒りや情けなさがあったのかもしれません。
戦いが終わり、コウ・ウラキは裁判を受け、懲役1年が科せられました。
ニナ・パープルトンは落下しているコロニーに向かってコア・ファイターで発進します。
コロニーのコントロールルームでコロニーの軌道の最終調整を行っているガトーと再会し、やめるように懇願します。
そしてガトーに向かって「なぜまた私の前に現れたの」と問いかけました。
ニナは自分の言葉を聞き入れずレバーを引こうとするガトーに対して、ガトーの置いてあった銃を手に取り、その銃口をガトーに向けます。
ニナは引き金を引かなかったものの、そこに現れたコウ・ウラキがガトーを撃ち、ガトーは右脇腹に弾を受けニナの目の前で倒れていました。
ニナは撃たれたガトーを心配してガトーに駆け寄ります。目の前にはコウ・ウラキがいるにもかかわらずです。
そしてガトーに止めを刺そうとするコウ・ウラキを止め、さらにはガトーに銃を向けるコウ・ウラキに対して銃口を向けました。
そしてガトーを連れ、コウ・ウラキをその場に残して、コントロールルームを去りました。
コントロールルームを出たニナはガトーに事情を説明します。ガトーはニナに「自分のことは放っておいてほしかった」と言いますが、ニナは「私にはこうする他になかった…」と答えていました。
それはニナの「ガトーに死んでほしくなかった」という思いだったのでしょう。
ニナはガトーにお腹を叩かれて気を失います。そしてニナはガトーの手でコア・ファイターのコックピットに乗せられ、アクシズの先遣艦隊に合流するドムに託されました。
気がついたニナはアクシズ先遣艦隊に保護されていました。そこでガトーの帰りを待ちますが、アクシズ先遣艦隊は連邦艦隊に退去を迫られ、デラーズ・フリート残存部隊の回収を諦めて反転。
ニナはガトーが戻らないことを悲しんでいました。
グワンバン級からは小型宇宙艇が発進していましたが、それにニナが乗っていたと思われます。地球圏に留まることを選んだようでした。
コロニー落下から3日後、バスク演説が行われ、宇宙世紀0083年12月04日、ティターンズが結成されました。アルビオン隊の一部はティターンズになったようで、黒の制服を着ていました。
アナハイム・エレクトロニクスのオサリバン常務は自殺したとされていますが、本当に自殺なのか、隠蔽工作の可能性も感じられます。
宇宙世紀0084年03月10日、コーウェン将軍管理下にあったガンダム開発計画は抹殺され、RX-78GUNDAM(GP01/Fb、GP02A、GP03)が登録抹消となりました。これにより、コウ・ウラキ少尉への罪状は消滅したようです。
コウ・ウラキは北米オークリー基地にやってきていました。そこで砂色のゲルググタイプに乗ったキースと再会。
そしてコウ・ウラキの前に止まったモーラ・バシットの運転する車には、ニナ・パープルトンの姿がありました。
コウ・ウラキはニナの姿に驚きますが、ニナはコウ・ウラキを見て嬉しそうな顔と悲しそうな顔を見せ、最後は優しく微笑んでいました。
「スズ菌感染を否定すること自体がスズ菌感染の証拠である」という考え方は、
もしスズ菌感染者が、自分が感染している事実を隠蔽するために否定する可能性がある
という前提に基づいているように見えます。
定義の曖昧さ: 「スズ菌感染」がスズキ製品の愛用者を指す比喩的な表現である場合、それを否定することは単に自分が愛用者ではないと述べているだけであり、隠蔽工作とは限りません。
反証可能性の欠如: この論理では、スズ菌感染を否定する人は全て感染者であるとされてしまうため、スズ菌に感染していないことを証明する方法がなくなってしまいます。これは科学的な議論において重要な「反証可能性」を満たしていません。
論理の飛躍:スズキ製品を愛用していない人が、単にその事実を述べている可能性も十分にあります。それを全て「感染を隠蔽している」と断定するのは論理の飛躍です。
例えるなら、「私が嘘つきだと否定する人は、嘘つきである」と言っているようなものです。この主張が常に正しいとは言えません。
したがって、「スズ菌感染を否定することもスズ菌感染の証拠である」という考え方は、論理的な Fallacy (誤謬)である可能性が高いと言えます。
重要なのは、「スズ菌感染」が具体的に何を意味するのか、そしてそれをどのように客観的に判断するのかという点です。もしそれが単なる比喩的な表現であれば、このようなパラドックスに陥りやすくなります。
※特定を防ぐために細かな設定などを改変していますが、受けた被害は全て事実です。
色々と落ち着いてきたので、大分昔のことですが今回は自分が誹謗中傷されていた時の話をしたいと思います。
普段長文を書くことに慣れていないのですが、温かい目で読んでいただければ嬉しいです。
私(以降A)は主にYouTubeで歌ってみたなどの活動をしています。
詳細は申し上げられないのですが、界隈で名前を出せば半分くらいはくらいあーあの人か...と分かってもらえるくらいの知名度ではあると思います。
SNSでファンアートを募集しており、定期的に反応して気に入ったものがあれば(ファンアートはアイコンに使う場合があるという注釈を書いた上で)アイコンに使わせていただくこともありました。ありがたいことに多くの方に描いていただいております。
ある時、私が有名になる前から交流のあったイラストレーターさん(以降B)もファンアートを投稿してくださったのに気づいたので、お礼のリプを書きました。
それから数時間後、Bさんは「私の絵はアイコンに使ってもらえなかった、差別だ」と愚痴をツイートしていました。
私はDMで不快にさせてしまったことを謝罪した上で、全員のイラストをアイコンに使うわけではないことなどを説明しましたが、反応はありませんでした。
分かっていただけたのかな、と思い安心してその日は寝ましたが、ここから地獄が始まりました。
それまでほとんど誹謗中傷なんて来ることのなかった自分の質問箱サービスが、その日を堺に「早く◯ね」 「障害者」 「生きる価値がない」など何十件もの罵詈雑言で埋まっていたのです。
その文章はBさんの文体によく似ていたため、もしかしてBさんが関係しているのでは?と考えてBさんのリプやDMに「何か知っていませんか」と何度も質問を書きましたが、まるで隠蔽工作をするようにリプ元の投稿を次々と削除していきました。
それどころか、私のDMを晒して「こいつに誹謗中傷されていると決めつけられた、事実無根なのに」とツイートされてしまい、Bさんにもそれなりのファンがいたのでそれなりに拡散されてしまいました。
もちろん決めつけるような言動は一切しておらず、本当に何か知っていませんか?と聞いただけなのですが、これは私の不手際かもしれません。
精神的に参ってしまった私は1ヶ月近く活動休止を発表しましたが、その間にも山のように誹謗中傷が届き、メンタルの弱い私は一時は本気で死ぬことを考えました。書き込まれたIPアドレスは一応分かっていたのですが、当時一応学生だったため開示請求などは金銭的にも非常に難しかったのです。
そんな時、質問箱はIPアドレスがSNSのログイン必須にすれば誰が書いたのか特定できることを知り、気づかれないことを願ってっそりログイン必須にしてみました。
案の定、届いた誹謗中傷のログを確認すると「全て」Bさんのアカウントから書かれており、それ以前のIPアドレスもBさんのアカウントの書き込みと全て一致していました。
めちゃくちゃ驚きましたよ。「たくさんのアンチが生まれたと思っていたのに、実は全部1人で書いていた」ってことが分かったんですから。
あと、調べたところBさんは自分の通っている高校の教師や友達の個人情報を出して何度も陰口をツイートしていることが分かりました。
もう無理だ、と思った私は「Bさんから誹謗中傷を受けていた、向こうは事実無根と主張しているが事実です」という発表をしました。(同時にBさんの高校にも高校関係者の陰口が書かれているとこっそり問い合わせました)
Bさんは速攻でアカウントを削除して転生を繰り返していましたが、「校長先生を交えて話し合いになった、もう学校に行けない」という書き込みを最後に放置され、現在どうしているのかは分かりません。
私はBさんの絵がとても好きでしたし、たかが高校生の将来を潰してしまってよかったのか、と今でも悩むときはあります。
この話でみなさんに言いたいことは、「君が心配するほどアンチは多くないこともあるよ!」ということです。ふと見れば、活動休止中も心配の言葉をかけてくださったり、手を差し伸べてくれた方がたくさんいました。もしこれをご覧になっていて誹謗中傷に悩まされている方がいたら、ぜひ諦めないで行動を起こしたり、周りに助けを求めてほしいです。
最後に、活動休止中も励ましてくれた友達には本当に感謝しています。今では親友...といっていいか分かりませんが、少なくとも私はそう思っています。大好きです。
小林製薬かあ。
昔、小林製薬創業者血縁の人と同じ職場で働いたことがあったけど。
まあ、性格がクソだった。
なにかあると、揚げ足を取ってきて詰めようとしてくるとか。上司でもなんでもないのに、なぜこっちを詰めてこようとするか、訳わからんかった。
気に入らないことがあると、キレ散らかす。上司にはそういうことは一切しない。自分の同僚か後輩にたいして、キレ散らかしてた。
上司には絶対にそういうことをしないから、案外、上層部には気に入られていたよね。
自分が気持ちよければ、それでよいけど、なにか気に入らないことがあるとキレ散らかす。まあ、ヒステリー気質か、甘やかされた子供の様な人だったのだろうと思う。
すぐにその職場を、異動で離れたから良かったけど。同じ様な被害を受けている人、今でもいるんじゃないかなあ。
今回の小林製薬の対応(大阪の紅麹工場を閉じる様な隠蔽工作を疑わせる行動、インサイダーを疑わせる様な行動)を見ると、さもありなんと思う。
自分は、運悪く?他にも会社創業者の御曹司みたいな人に会うことが多かった。
そういう人がクズの場合(そういう場合ががほとんどだったけど)、その会社の製品は、それ以降絶対に買わないようにしている。
自分がそんな小さな器の人間であることを気にしていたし、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言って自嘲して笑っていたけど。
「最後にして最初の人類」は現代の人類から数えて第18番目の人類の進化を描写する奇書で、巨大な脳みそだけの存在になったり、知性を退化させてトドかアザラシみたいになってしまったりと、何億年にも及ぶ人類の歴史が豊かな空想力で描かれる。プロットとキャラクターは極めて希薄で、現代の作家がこんな作品を書いて売れることは考えにくいのだけれど(ほぼ設定資料に近いかも)、個人的にはお気に入りと言うか性癖に近い魅力を感じる。
「スターメイカー」はそれをさらに発展させたもので、時間と空間を越えて精神が銀河を飛び回り、エキセントリックなエイリアンの生態の設定を惜しげもなく披露しつつ、それが銀河の歴史にどのような影響を与えたかを語る。そして、この宇宙を創造した存在の意図を探求する旅をする。光速の限界があるため、その旅やエイリアン同士の交流はテレパシーで行われるという設定はSFとしては苦しいが、宇宙創造の目的たる究極の歓喜の瞬間を目指すヴィジョンは美しい。残念ながら、その瞬間までには人類はとっくに滅亡していることが示唆されるんだけどね。冷えて寿命を迎えつつある宇宙で必死に命をつなごうとする生命の描写は壮絶。
「アッチェレランド」は指数関数的に発展するAIを10年ごとに描いた小説で、タイトル通り加速のスピードがとんでもない。最初の21世紀は現実世界と地続きなんだけど、21世紀半ばには進歩しすぎたAIが地球を解体してダイソン球を作り始め、その過程で地球のすべての化石だとか地質だとかをアーカイブ化しはじめる。人類は暴走するAIを止められなくて太陽系の辺境に追いやられていく。その途中でエイリアンともコンタクトを取る。
これはとある一族の三代にわたる因縁話でもある。最初の世代では夫がAI・特異点信奉主義者でコピーレフト大賛成、妻がガチガチの保守主義で著作権とかに厳しく、しかもSMプレイの女王様だ。2代目は妻が夫を無理やり犯すことで妊娠した子どもだという、ドロドロの設定。
「皆勤の徒」は遠い未来の地球で、地球外生命体に奴隷として使役されるコピー人間の苦悩を描いている。この短篇集は優れた言語感覚、日本語の漢字表記とルビの可能性を拡張した造語であふれており(というか酉島伝法の作品はだいたいそう)、異文化に触れたときの驚きや、似ているけれども少し違う文化に対する戸惑いが感じられる。ただし、かなり読解に力を要するので、場合によってはネタバレ覚悟で世界観を通常のSFの用語で説明した巻末の大森望の解説を先に読んでもいいのかもしれない。
「宿借りの星」はとある惑星で地球人類との宇宙戦争に勝利した昆虫型生命の弥次喜多道中記で、舞台や固有名詞こそ異質だがストーリーそのものは非常に読みやすくなっている。まったく異質なものを作り出すことにかけてはこの作家は他の追随を許していない。そして、滅ぼしたはずの人類がどこかに生き残っているのでは? という疑惑から物語は不穏になっていく。
天文部だった主人公が宇宙に出ていくという意味でもすごく夢がある。
まずは前述したH・G・ウエルズの「タイム・マシン」の遺族公認続編「タイム・シップ」が面白い。前作で行方不明になってしまったヒロインを救うために、再び未来に旅立ったはずが、なぜか前回とは似ても似つかない未来にたどり着いてしまう。
時間旅行のたびに歴史改編がなされ、パラレルワールドが生成されてしまうとしたら、主人公はどうやってヒロインと再会するのか? いっそ歴史を改変してしまってもいいのか? さまざまなジレンマに悩まされる冒険小説だ。
また、この著者は「時間的無限大」という作品も書いている。これは宇宙最強の種族ジーリーを扱った「ジーリークロニクル」の一編だ。作中世界では、人類はクワックスというエイリアンの支配を受けており、それに対抗する手段を知っているという「ウィグナーの友人」という、とある思考実験にちなんだ名前を持つ謎の団体が暗躍する。主人公は父親との(正確にはその再現人格との)屈折した関係に悩んでいる。作中に出てくるタイムマシンは、少なくとも現代の物理学とは矛盾しないらしい。ちょうど90年代の「ニュートン」で紹介されていた。
で、確かこの作品だったと思うんだけれど、人類もクワックスもジーリーという宇宙最古・最強の種族のテクノロジーのおこぼれで生活してるんだけど、そのジーリーでさえ恐れている存在がいる……というのがこのシリーズの基本設定。
なお、同一世界観の短編集が「プランク・ゼロ」「真空ダイヤグラム」にまとめられていることを最近知った。それに、長編も結構邦訳がある。未読だけど気になる。
短編集「ウロボロスの波動」は高校生時代に読んですごく好きだった。実際にかなりありそうな宇宙探査が描かれていたからだ。太陽系に侵入してきた小型ブラックホールを捕獲して天王星を周回する軌道に乗せるという設定と、作中の謎解きがすごく魅力的だった。
ただ、なぜかそれ以降の「ストリンガーの沈黙」「ファントマは哭く」が読めなかった。キャラクターの会話や背景となる政治の設定がかなり説明的で、ぎこちなく感じられたからだ。読むのに気合がいる本は、持っていてもあえて図書館で借りることで、期限を決めるという強硬策があるが、まだ試していない。
「オーラリーメイカー」「法治の獣」。とにかく事前情報なしで読んでほしい。日本のファーストコンタクトものの第一線に立っている。とにかく奇抜なエイリアンが出てくるし、どうやら知的生命体の連合らしきものが確立されていく歴史の一部らしいのだが、この「オーラリーメイカー」という宇宙人の種族の作り上げたシステムは、素晴らしく絵になる。
おなじみクトゥルフ神話の創始者の一人。前にも書いたけど、ラブクラフトの作品は知識欲に負けて禁断の知識に触れて発狂するか未知の存在に拉致されるかするオチばっかりなんだけれど、人類は宇宙の中では取るに足りない存在なんだという絶望感が僕は好き。
SFを紹介するのが趣旨なのでエイリアン(地球外の神々や人類以前の種族)の歴史の壮大さを感じさせてくれるのをピックアップすると、南極探検で発見した人類以前の知的種族を扱う「狂気の山脈にて」や、異種族の図書館に幽閉される「時間からの影」だ。侵略ものとしては「宇宙からの色」かな。ニコラス・ケイジがこれを原作した映画で主演を務めていたはず。
ダンセイニ風のファンタジー作品も好きだ。読みやすいとは言えないが、ラブクラフト全集を読んでほしい。というかアザトースの設定が好きすぎる。元ネタのマアナ・ユウド・スウシャイそのままだとしてもね。
「ブラインドサイト」についてはこちらに書いたので、「6600万年の革命」について。巨大小惑星の中で暮らす人類と、それを管理するAIの物語だ。彼らは銀河系にワームホールのネットワークを作る旅路に出ているのだが、もはや地球の文明が存続しているかどうかも定かではない。すでに正気を失いそうな時間が経過しているが、使命をひたすらこなしている。
管理AIは人間の知能を越えないようにギリギリ調整を受けている。そのことから「チンプ」つまりチンパンジーとあだ名がつけられている。とはいえ、地球時間で6600万年が経過していると、「もしかしてシンギュラリティ迎えたんじゃない?」みたいな出来事があり、人間がAIに対してレジスタンスというか隠蔽工作をする。バイタルを始め何から何まで知られている人類は、AIに対して何ができる?
アシモフの例えば「銀河帝国の興亡」なんかはシリーズが進むと「鋼鉄都市」や「はだかの太陽」などの「ロボットシリーズ」とクロスオーバーして行って、確かにアシモフが発表順に読んだほうがわかりやすくなるんだけど、さすがに全部読む前提で書くのはちょっとしんどかった。個人的にはアシモフは「黒後家蜘蛛の会」というおっさん萌えの短編ミステリがおすすめ。英米の文学や地理に関する雑学が無いとわからないところもあるけど、口の悪い仲良しなおっさんの同士のじゃれあいを読んでなごんでください。
堀晃の「太陽系から3光日の距離に発見された、銀河面を垂直に貫く直径1200キロ、全長5380光年に及ぶレーザー光束」が出てくる「バビロニア・ウェーブ」はハードだなって思ったんだけど、どういう話か思い出せなかったので省いた。まずは「太陽風交点」かな?
あと、SFじゃないんだけど「マン・アフター・マン」あたりも未読だったのでリストに入れなかった。人類のグロテスクな進化という意味では、上記条件は満たしていたと思う。「フューチャー・イズ・ワイルド」は読んだ。
ダン・シモンズの「ハイペリオン」四部作はSF全部乗せだし、AIの反乱だとか人類が進化した宇宙の蛮族だとか愛が宇宙を救うとかとにかく壮大なんだけど、とある場所で増田では評判の悪い(?)「夏への扉」以上に男性主人公に都合のいい描写があるのが欠点。あと、それ以外の作品はもっと男性に都合がよくなっていて、保守的な僕もちょっと「おや?」って感じた。でも、「三体」にどっぷりハマった人だったら好きになると思う。「三体」よりも前の90年代SFだから時代背景を知ったうえで、加点法で楽しんでください。
あと、全然エイリアン・宇宙SFじゃないんだけど、今注目しているのは空木春宵で、この人は東京創元社の年間傑作選やGenesisですごくいい作品を描いてる。どれもいいんだけど、たとえば「地獄を縫い取る」は「アリスとの決別」や「allo, toi, toi」に並ぶロリコン・ペドフィリアを扱った名作に並ぶ。
エイリアンSFも出てくるけど、「世界の中心で愛を叫んだけもの」「ヒトラーの描いた薔薇」のハーラン・エリスンは人種差別を扱った作品も書いていて、これもいい。穏健派の黒人男性がテロリストに転身してしまう作品はつらい。とかくエリスンの絶望と怒りは若い人に読んでもらいたい。
自分が一番SFを読んでいた時期は、今と比べて女性作家が推されるずっと少なかったし、さらに自分は古典を好んで読んでいた。アジアの作家が紹介される機会も少なく、そういう意味では感受性のみずみずしい今の若い読者がうらやましい。
後は、女性作家で今回のテーマである宇宙を扱った作品は男性よりも少ない気がするのだが、よく考えてみればル・グインの「ハイニッシュ・ユニバース」があるし、ティプトリー・ジニアも「たった一つの冴えたやり方」で始まるシリーズがある。スペースオペラでは「叛逆航路」のアン・レッキーもいることだし、単純に探し方が悪いのかもしれない。
最近短編ばっかりで腰を据えて長編を読んでないな。銀河系で忌み嫌われた人類の唯一の生き残りが活躍する「最終人類」とか、面白そうなのがいっぱいあるので、そのうち読みたい。
というか、僕の選んだ作品の他にもっといい作品を知っている、勧めたいという方は、どんどんトラバやブクマで追記していってほしい。
気が向いたらまたなんか書きたいな。まだおすすめしたいSFもあるし、池澤夏樹の世界文学全集を9割読んだのでその感想も書きたいし、かなり疲れるから数ヶ月後にはなるだろうけど。
【翌朝追記あり】劉慈欣「三体」の好きなところと微妙なところについて
はみ出たのでこちらに。