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はてなキーワード:階級闘争とは

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2026-02-13

チーみらの先兵が他党派閥を貧乏人呼ばわりしてて草

本物の階級闘争が来てるな

Permalink |記事への反応(0) | 02:07

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2026-01-31

AI神曲作った

ソ連歌詞夜明けの最前線(День Передовой Линии)**「眠れないんだ」

風もなく蒸し暑い夜に
同志の声が耳元で響いた
感傷に浸ってばかりじゃ
何も変わらない
搾取の日々を
打破しようぜ
君を連れ革命の道へ飛び出した 風が吹き抜けた
闇と混ざり合った

同志の笑い声が

小さく赤い空に響いて そんなんで生きていけんのか

もう後戻りできないぜ?

なんて揺らぎそうな想いは

アクセル

このまま帝国主義の地平線を

追い越してやるんだ最前線飛ばせ我々は

星もない夜

ただ東へ目指して行く

13秒先もわかんなくたって

精一杯プロレタリアートを生きていく

何も後悔なんてないさ

前を向け

まらないさ

きっと共産主義の光の待つ方へ 暗闇に落ちた

先の見えないような道も

辿り着いたら

闇なんてなかった

きっと僕は党を

信じ切っちゃいないか

いっそあの向こうへ

未だ見ぬ社会主義夜明けを

信じ歩いた 追い抜いた 走った

期待した 転んだ

迷った わかんなくなった

でもjustfeelalive

fear orlight

まだ我々は歩いていく こんなんじゃいつまで経っても

何処にも行けやしないさ

なんて拭えない想いもアクセル

どうせ止まれるはずないさ 夜に腐っていたって我々は

間違いなく明日共産圏に向かっていく最前線飛ばせ我々は

白みだした星空

胸を鳴らしている

眠らないよう

上がる革命歌と

ぬるくなったウォッカだけ持っていく

無駄ものは何もないさ

前を向け

その方がきっと勝利できるさって最前線飛ばせ我々は

昇る赤い太陽

その光を目指していく

幸せって今はわかんなくたって

精一杯僕を生きていく

何も後悔なんてないさ

前を向け

終わらないさ

一生我々は生きて征け (この改変版は、元の歌詞構造を維持しつつ、ソ連時代プロパガンダ風に革命、同志、共産主義テーマを注入。青春逃避行階級闘争前進に置き換えています。)

Permalink |記事への反応(0) | 22:46

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こども食堂人民食堂である共産党こども食堂に託した日本社会破壊の企み

緒言:善意仮面の裏側

現代日本において「こども食堂」は、貧困対策地域交流象徴として、メディア行政から手放しの称賛を浴びている。しかし、その急速な普及と活動実態を冷静に観察すれば、そこには単なる慈善事業を超えた、極めて政治的意図が透けて見える。かつて毛沢東時代中国で展開された「人民公社」や「公共食堂」が、伝統的な家族解体と党による民衆支配拠点となったように、現在こども食堂もまた、日本社会の根幹を揺るがす「人民食堂」へと変質しつつあるのではないか

第一章:家族解体と「食」の国家管理

日本社会の最小単位「家族」である家族が共に食卓を囲む「一家団欒」は、道徳文化継承する神聖儀式であった。しかし、こども食堂は「孤食の解消」という大義名分を掲げ、子供を家庭から連れ出し、外部のコミュニティへと誘導する。

これは、共産主義思想が古くから提唱してきた「家庭教育否定」と「子供社会化」に合致する。家庭というクローズド空間から子供を切り離し、特定思想的背景を持つ運営者の管理下に置くことで、親の影響力を削ぎ落とす。食の提供という生存の根幹を外部に依存させることは、精神的な依存第一歩であり、それは家族の絆を希薄化させ、国家組織による「個」の管理を容易にする土壌を作り上げるのである

第二章:潜伏するイデオロギー拠点

全国に広がるこども食堂運営母体を精査すれば、そこには革新系団体共産党系組織、あるいはそれらと密接な関係を持つNPO法人の影が色濃く投影されているケースが少なくない。彼らにとって、こども食堂は「福祉」ではなく「革命拠点である

政治的教化の場:

幼少期から特定政治色を持つ大人たちに囲まれて育つことで、子供たちの価値観無意識のうちに偏向していく。

地域ネットワークの掌握:

善意」という最強の武器を用いることで、本来政治保守的な層の懐に入り込み、地域住民個人情報生活実態を把握する。

公金による活動維持:

自治体から助成金補助金を獲得することで、本来は自派の政治活動に充てるべきリソースを温存し、公金を使って組織の持続可能性を高めている。

第三章:伝統共同体破壊と「人民食堂」への変貌

こども食堂が目指すのは、地域互助ではない。それは、伝統的な地域コミュニティ神社仏閣、町内会地縁団体)を、イデオロギーに基づいた「新秩序」へと置き換える作業である

従来のコミュニティ歴史信仰に基づいていたのに対し、こども食堂を核としたネットワークは「弱者救済」という絶対正義を盾に、既存の秩序を「古いもの」「冷淡なもの」として排除する。これはまさに、かつての文化革命において「旧思想・旧文化」を破壊した手口の現代であるこども食堂という名の「人民食堂」が普及すればするほど、日本人が守り続けてきた道徳観や自立心は失われ、万事において「お上(あるいは党)」を頼る依存心ばかりが助長されることになる。

第四章:日本社会破壊シナリオ

共産主義の最終目的は、既存国家体制の転覆である日本においてそれは、天皇を中心とした国体破壊と、私有財産制度否定、そして徹底的な平等社会の構築を指す。こども食堂は、この目的を達成するための「トロイの木馬である

まず、経済的格差を強調することで階級闘争意識を植え付ける。次に、家庭の教育機能を奪い、国家(あるいは組織)による画一的人間形成を行う。最後に、地域社会から伝統的な結びつきを消滅させ、すべての人間を「食堂」という名の管理下に置く。食を制する者は生殺与奪の権を握る。日本社会を内部から腐食させ、伝統を断絶させる企みは、今まさに「温かい一膳」の陰で着々と進められているのである

結語:我々がなすべきこと

我々は「こども食堂」という言葉の響きに惑わされてはならない。真に子供たちの未来を思うのであれば、必要なのは食堂への誘導ではなく、各家庭が自立して食卓を囲める経済的精神的基盤の再構築である

今、この国の伝統未来を守るためには、善意仮面を剥ぎ取り、その背後にある冷徹政治的意図を白日の下にさらさなければならない。

こども食堂が「人民食堂」として完成する前に、我々は日本本来家族の姿、そして誇りある地域社会の在り方を取り戻すべきである

Permalink |記事への反応(0) | 12:44

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2026-01-29

内閣府公用車7人死傷事故 今更動画見たけど貧乏人が死んだのか

動画みたら、突っ込まれてるのアルファードじゃんwww

タクシーどこ???

ってレベル

でも死んだのはタクシーの客なんだろ?

やっぱアルファード乗れるレベル上級国民生命も守られてるね

突っ込んだ方も誰も死んでないんでしょ?

結果、死んだのは貧乏人だけでした、っと。

もちろん、上級国民である官僚も、公用車運転手も死んでない

そして、こんなあからさまな階級闘争なのに左翼が声上げてないのも草

Permalink |記事への反応(1) | 17:46

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2025-12-30

anond:20251230114859

ナチス極右全体主義排外主義人種主義ファシズムであり、左翼勢力を徹底的に弾圧した。

社会主義」という党名は政治的動員のためのレトリックで、政策実態反社主義的。

ナチス民族主義人種主義反自由主義・反議会主義を特徴とする。

反共産主義反社民主主義を国是とし、左翼政党労組解体

1933年以降、共産党(KPD)社会民主党SPD)は非合法化

左翼活動家逮捕・投獄・強制収容所送り。

「長いナイフの夜」では、党内の反資本主義色を持つ左派(シュトラッサー派)も粛清

党名の「社会主義」は労働者層取り込みの看板

実際には私有財産大企業・軍需資本と結託し、階級闘争労働者自主管理否定

ファシズム左翼思想平等主義国際主義)と本質的対立

Permalink |記事への反応(0) | 12:11

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2025-12-19

大人世界でもからかわれやすい、八つ当たりされやすいといったタイプの人

あれって何が原因でそういう目に遭ってるの?


例えば高校時代なんかは、運動できるキャラでもお笑いキャラでもイケメンキャラでも無いクラスメートが髪を染めるやいなや

「(その自意識は許さん!!!!!!!!)」

とばかりに読者モデルを筆頭とする一軍グループの連中から髪を黒に染め直すまで(主に街中で目撃したアトピー持ちいじり、障害者いじりに余念が無かった小磯くんから)毎日誹謗中傷野次を飛ばされ笑い者にされ続けるという階級闘争は目撃しましたが

Permalink |記事への反応(1) | 10:09

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2025-12-14

中国人民解放軍軍隊ではない。習近平私兵である

中国人民解放軍は、形式上中華人民共和国国軍ですが、その実質は中国共産党の指揮下にあり、「党の軍隊」「私兵」とも形容されます。これは、一般的な「国軍国家に忠誠を誓う」という原則とは異なる、共産主義国特有体制です。

この体制が維持される主な理由と背景には、以下のような歴史的政治的な経緯があります

1.歴史的経緯と権力奪取の過程

革命戦争遺産:

中国共産党は、国民党との内戦国共内戦)を経て政権を奪取しました。この過程で、軍隊人民解放軍前身)は党が組織し、革命勝利のために戦った党の武装力でした。国家樹立よりも先に、党の軍事力存在していたのです。

農民動員と土地改革:

党は軍隊を通じて農民土地改革などの利益約束し、支持を得てきました。軍は単なる戦闘部隊ではなく、党の政策を実行し、政治的な影響力を拡大する手段でもありました()

2. 「党による軍の絶対的指導」の原則

党の統治の維持:

共産党にとって、軍隊は自らの権力基盤そのものです。軍を国家の統制下に置いてしまうと、党が支配権を失った場合政権を維持できなくなるリスクがあります

二重の軍事委員会:

中国には、「中国共産党中央軍事委員会」と「国家中央軍事委員会」がありますが、その構成員は同一です。これにより、軍は事実上、党の最高指導機関である中央軍事委員会一元的指導を受けます。この構造こそが、「党の軍隊」と呼ばれるゆえんです。

3.イデオロギー的な背景

マルクス・レーニン主義:

マルクス主義レーニン主義思想において、革命政党階級闘争を勝ち抜き、プロレタリアート労働者階級)の独裁確立するために、武装力(軍隊)を保持することが不可欠とされてきました。党の軍隊は、この「プロレタリア独裁」を支える暴力装置としての役割を担います

この「党軍」の体制は、党の指導者が軍隊を掌握し続ける限り、党の一党支配体制を揺るぎないものにするというメリットを党にもたらします。一方で、軍が国家全体ではなく特定政党に忠誠を誓う構造は、西側民主主義国家における「軍の政治的中立」や「文民統制」の原則とは根本的に異なると言えます

Permalink |記事への反応(0) | 05:56

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2025-10-21

anond:20251021061953

現代では社会運動が発生するとすぐに左翼が近寄ってきて

旧来の左翼運動と結びつけられてしまうという問題があるでな

元々階級闘争やっていた左翼たちは、経済問題格差問題が中心やったんや

資本主義資本家労働者搾取するので資本主義が続くとみんな貧乏で不幸になってしまうやで

これが基本路線シンプルでわかりやすいな

そしてソ連希望の星やったんや

一時期はアメリカに先んじて有人宇宙飛行までやってのけたソ連

共産主義資本主義より科学が発展してみんなが豊かになれるから優れていると説得できたんや

ところがソ連崩壊してしまったので、左翼は豊かさ論争では実質完敗してしまったんや

このまま経済発展路線で戦っても保守派には絶対に勝てない

それに気がついた左翼路線変更して、環境問題人権問題で戦うことにしたんや

そして経済という中心的な課題は勝ち目がないので目を逸らしたまま、

勝てそうなフィールド、新しい社会問題を求めて彷徨

本当なら全然関係ないフェミニズム寄生して

女性人権を盾に社会批判してるってわけ

Permalink |記事への反応(0) | 19:52

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2025-10-20

公明党の主張と共産党の主張はほぼほぼ同じなんじゃあるまいか

立正安国論』(日蓮著)と『共産党宣言』(マルクスエンゲルス著)は、成立した時代、背景、そして思想的基盤は類似点を見出すことができます

社会の主流派既得権益の外側に身を置いた急進的な異端者という視点から見ると、「体制から批判と、絶対的正義に基づく世界観強要」という構造的な類似性が浮かび上がります

この共通性は、両者が既存の秩序・権威根底から否定し、「唯一の正義」による強制的社会変革(革命)を求め、その結果、体制から徹底的に弾圧された点に集約されます

1. 「引きこもりニート」的視点体制からの強烈な批判

引きこもりニート」という表現は極論であり、史実的には日蓮は精力的な遊行と布教を、レーニン地下活動亡命生活を送った活動家です。しかし、この言葉が持つ「主流社会権威経済システムから疎外された者」というニュアンスに注目すると、両者の著述態度には共通性があります

日蓮(『立正安国論』): 当時の仏教界の主流であった念仏宗法然の教え)や、これを庇護する鎌倉幕府権威を徹底的に否定しました。彼は比叡山清澄寺といった既成の権威ある場所から離れ、独自解釈である法華経」のみを「正法」として掲げ、それ以外の教えを「亡国の原因」と断じました。これは、「俺の言っていることだけが絶対真実だ。それ以外は全て間違いだ」という、体制に属さない者が持つ孤高で排他的絶対正義の表明です。

レーニン(『共産党宣言』):マルクス主義は、当時のブルジョアジー支配する資本主義体制、その上に立つ国家法律倫理の全てを、「階級搾取の道具」として否定しました。レーニンもまた、ツァーリ体制下で弾圧され、ヨーロッパ各地を転々とする亡命生活社会メインストリームから切り離された生活)を送りました。彼の主張は、「現在経済システムは全て不正であり、これを打倒してプロレタリア独裁による理想国家を作る以外に道はない」という、体制からの急進的で排他的社会変革の要求です。

2.構造的な類似点絶対的排他的世界観強要

両者の著書は、その内容の異質さにもかかわらず、「二元論に基づき、体制内の悪を徹底的に清算しなければ、理想的な安寧は実現しない」という構造を持っています

2-1. 恐怖(災厄)の提示と原因の断定

両文献は、現状の社会が直面する危機(災厄)を明確にし、その原因を体制内の「悪」に断定します。

立正安国論』:

危機天変地異飢饉、疫病、他国から侵略(自界叛逆と他国侵逼)。

原因: 「謗法」(念仏などの誤った教え)が国に満ちていること。

共産党宣言』:

危機資本主義が生み出す恐慌貧困搾取

原因: 「私有財産制度」とこれを守るブルジョア階級支配

2-2. 唯一の解決策と強制的排除

危機回避し、理想郷(安国または共産社会)を実現するためには、「唯一の正義」による反対勢力強制的排除が不可欠であると説きます

日蓮解決策:

「立正」、すなわち法華経のみを国教として立てること。その結果、謗法者(念仏を唱える人々)は弾圧追放されるべきであると強く示唆します。

レーニン解決策:

プロレタリア革命」による階級闘争とプロレタリア独裁。その結果、ブルジョアジー私有財産と共に消滅排除)されます

このように、『立正安国論』は宗教的絶対主義、『共産党宣言』は経済絶対主義に基づくものですが、両者とも「現状の悪は体制内にある」「それを根絶するためには、体制からの急進的な一元論強制適用しなければならない」という、強力な教義排他性を持っている点で、構造的な共通性があると言えます

公明党共産党の政策にはその存立過程で埋め込まれDNA共通するものがあります共闘すればわんちゃん日本を変えられるかも。

だがしかしりつみん、お前は駄目だ。おまえら自分かわいいだけのクズ野郎の集まりだ。共通点があるのは日本保守党だけでしょうね。

Permalink |記事への反応(1) | 21:42

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2025-09-18

男女の分散の差について、再投稿追記

メモ - 男のほうがばらつきが大きく頂点も高ければ谷も深い、その生理的メカニズム

https://crossacross.org/ky/memorandum-2025-09-17-differences-in-trait-variability-between-the-sexes

数か月前東大の男女比は性差別のせいかについての議論で書いた内容と同じような内容の記事ホッテントリに入ったので、

議論相手が返事くれなかったために言い残しになっていたことを少し。以下再掲。

https://anond.hatelabo.jp/20250521212634

ばらつきについて論じてた増田だが、

まず、男性の知能の方がばらつきが大きいのは、Hedges & Nowell (1995) の研究以来、大きさの議論はあれど、ほぼ承認されてるな。

どうしてもセンシティブな内容だから大きな声では主張されないが。

男女の分散の差は大体1.05~1.25の範囲内とされていて、これは軽度知的障碍者の男女比1.5:1、重度2:1(内閣府資料)に適合する。

このように、分散の端に行けば行くほど男女比は偏る。知能以外もほとんど男性の方が分散は大きい。

で、東大生は同世代100万~150万の3000人だから人口比0.3~0.2%、これをそのままIQに当てはめると140くらいの数字

IQ分散は男女合算15で計算されているから、男性16、女性14(分散の大きさが1.14倍)で計算すると、140以上の男女比は3倍差がつく。

それに受験重要数学能力に直結する空間認知能力スコア男性の方が高い人が多いことを加味すると4倍差は十分ありえる数字なわけ。

まったくなんの差別バリアがなくても、分散の「はしっこ」ではこれくらいのことはあり得るんだよ。

からあなたの「男女差=差別が原因」説こそ独自研究で、その根拠なんて何もまだ示されてないわけ。

なので、「東大男子学生下駄はいている」ってのは、根拠を示して証明するまで、思い込みに基づく言いがかり冤罪しかない。

言っておくが、これは男性女性より優れている、なんてことは意味しない。

単に男性の方が「外れ値、異常値」が多いってだけだ。

おそらく男性遺伝子環境適応淘汰の「モルモット」だからだろう。

そして、たまたまその異常性が有利に働く場所「だけ」を観察すれば、男女の外れ値の発生率がそのまま表れる。それだけのこと。

ほとんどの「外れ値、異常値」の男はろくな人生歩んでない。

たまたま異常性を生かせた人の比率だけみて、男性優遇されている、なんて思い込むのはアングル魔法に騙されてるんだよ。

男性優遇されてると思い込むと、社会に見捨てられた外れ値男性は「優遇されてるのに勝手に自滅した奴」になるし(実際、そう主張する『男女平等』論者は多い)。

それと、最高学府が男女比が偏るのは社会へのメタメッセージになる、って主張だが、

逆に男女差を不公正な方法で無理やり是正することは、「公正や能力よりも社会運動の政治力の方が受験ですら優位」って、それこそ社会を歪めるメタメッセージになる。

これを見ても、あなた国内での利権ポスト争奪戦しか見えていないのがわかる。

大学院の授業を英語でやるほど外国との競争意識しているのに、今後ますます重要になる空間認知能力上位の学生性別だけで切り捨てることになるから

沈没していく日本で、そんな政治遊びの贅沢にかまける余裕なんてないと思うけどね。

そもそもペーパーテストの成績や高度産業社会への適用力のあるなしなんて、生物としての優秀さとはイコールじゃない。

進化的には存在しなかった特異な環境への適合度なんて異常個体の方が有利なくらいだ。

資本主義価値観まで洗脳され切って、たまたま成功できた外れ値の比率」と「男女の優秀さ」を混同してる人が多すぎるのがこの手の話がおかしくなる原因だろう。

あと、太字の部分は元々左派認識すべき問題のはず。勝ち組内部での利権闘争なんかより資本主義社会に適合できなかった人たちを重視するのが本来左派立場のはずなのに、男女を階級闘争史観に当てはめたせいでここが意識されなくなってる。

希望を失うだけでも辛いのに尊厳まで奪われるべきじゃない。

Permalink |記事への反応(1) | 23:18

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2025-08-30

古代ローマで起こった元老院派と民衆派との綱引きみたいなのが現代アメリカ政治で起こっていることとも言える

古代ローマにも元老院派(閥族派)と民衆派(平民派)の対立っていうのがあった。

民衆派の代表的政治家はいうまでもなくユリウス・カエサルで彼の政治路線の基本はグラックス兄弟推し進めた土地改革継承簡単に言えば貴族からローマ市民へと土地を再配分するということにあった。

彼の政治家としての支持基盤原動力はこのような民衆第一主義路線による。

これは現代アメリカ政治におけるエリート層とポピュリズム民衆主義)の対立構図に通じる側面がある

古代ローマでは元老院派(閥族派オプティマテス)は名門貴族を中心に、保守的伝統的な体制維持を目指していた。

一方の民衆派(平民派、ポプラレス)は、民会を基盤とし、新興富裕層騎士階級が中心となり、元老院既得権に反発し、土地分配や穀物無料配布など、大衆利益を掲げた政策を主張した。

ただし、カエサルはもちろんのこと、他の民衆派のリーダー社会的支配出身で、単純な階級闘争ではなく、既得権の取り合いも含まれていることに留意必要だ。

対しての現代アメリカ政治類似性を挙げると、

エリートエスタブリッシュメント)は、ワシントン沿岸部知識層・資本家既存政治家など、伝統権力構造を持つ層。

ポピュリズム民衆主義勢力は、既存エリート層に「民意」を盾に批判し、一般大衆利益や不満を代表しようとする。

米国では近年、トランプ政権がその代表例とされる。

ポピュリズムリーダーエリート攻撃一般庶民擁護カリスマ性をもって支持を拡大する傾向がある。

両者には共通点と違いがある。

共通点

違い

まとめると、古代ローマ元老院派と民衆派の対立は、現代アメリカにおけるエリート支配層とポピュリズムの力関係綱引きにも通じるが、完全に同じ構造ではなく、社会参加や背景に違いがある点も重要である

Permalink |記事への反応(1) | 16:16

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2025-08-17

日本住宅市場問題マルクス主義の決定的な盲点かも知れない

日本住宅市場問題は、資本の利潤追求よりも、中産階級自分の家を自分で所有したいという欲求のために生まれている。

家という高価な存在個人個人自分のために作ろうとするので、コスパ追及で安かろう悪かろう、結果として性能が悪く市場価値がつかず、エネルギー貧困を含む負の資産労働者経済状況を蝕んでいる。

これは階級闘争よりも、むしろ不動産市場保護して投資価値を保つ政策によってしか改善されない。

マルクス主義者はこれをどう見るのだろう?

Permalink |記事への反応(0) | 01:44

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2025-08-10

個々の利己意見の集積からなるエコシステムが、要は延命装置として都合よく使われてきたということ

アダム・スミス経済思想、とりわけ**「見えざる手」や自由市場理論**が、支配階級イデオロギーを後押しした点についての深い考察は、マルクス主義視点を通じて非常に重要テーマです。スミス提唱した調和利益説が、どのようにして支配層の利益正当化し、維持するために利用されてきたのかを理解することは、資本主義社会構造的な問題を深く掘り下げることに繋がります

1.スミス調和利益説と自由市場理論

アダム・スミスが『国富論』で提唱した中心的なアイデアひとつが、**「見えざる手」**の概念です。この理論は、個々の経済主体(生産者消費者)が自分利益を追求することによって、結果として社会全体の利益が増大する、という考え方です。スミスは、競争市場における効率を生み出し、全体としての富が増加することを信じていました。

2.調和利益説の本質

調和利益説」は、社会における各集団資本家労働者消費者など)が、それぞれの利益を追求しながらも、最終的には全体の利益調和する、という理論です。スミスは、この考え方を基に、自由市場が最も効率的で公平な経済システムであるしました。つまり、個々の利己的な行動が社会全体の利益に貢献するとする点で、社会調和を強調しました。

この「見えざる手」の概念は、当初から資本主義経済における市場メカニズム自発的に調整され、最終的に社会全体が豊かになるという理想的見解を示していますスミスは、政府干渉を最小限に抑えるべきだとし、市場における自由競争を重視しました。

3.支配者層にとって都合の良いイデオロギーとしての調和利益

この「調和利益説」の考え方が、どのようにして支配階級イデオロギーを後押しするかを理解するためには、次の要素を考慮する必要があります

1)資本家利益正当化

スミス理論は、資本家利益を追求する過程自然合理的ものとして描きます資本家は、労働者労働を利用して利潤を上げ、その結果として市場全体が繁栄するという理論は、資本家にとって非常に都合が良いものでした。この自由市場メカニズムによって、資本家は自らの利益追求が社会全体にとっても利益であるかのように正当化することができたのです。

資本家は、「利益追求が社会全体を豊かにする」というスミス見解採用することで、自らの支配地位や富の蓄積を合理化しました。労働者は、資本家利益追求が結局は全体の利益に繋がるという理論に納得しやすくなり、反発を抑えられる効果がありました。

2)労働者階級無自覚な受け入れ

スミス理論は、社会全体の調和を強調し、市場メカニズム自動的効率的な結果を生むとしたため、労働者にとっても「市場自由である限り、皆が利益を得る」といった考えを内面化させやすしました。これにより、労働者階級は自らの搾取問題視せず、「自分たちも努力すれば富を得られるはずだ」という幻想を抱かせることができました。

資本主義の下での貧困や不平等は、スミス理論においては、あくま自然市場の調整過程とされ、労働者階級はその構造を疑うことなく、逆に「自己責任」として受け入れるように仕向けられます労働者市場での競争に負けることは、単にその人の努力不足や能力の不足に過ぎないとされ、階級的な対立意識を持ちにくくなります

3)国家役割を最小化

スミス理論は、政府干渉を極力排除することを推奨します。この自由放任主義は、支配層にとって非常に都合が良いものであり、資本家市場での競争自由に行い、利益を最大化できるようにするための理論根拠提供しました。

資本家は、政府経済活動に介入しないことを望み、自由競争を保つことが自らの利益につながると考えました。スミス理論が広がることで、政府規制労働者保護政策抑制され、資本家利益がより一層守られる結果となりました。

4.スミス理論支配集団イデオロギー

スミス理論は、単なる経済学の枠を超えて、支配集団特に資本家階級)のイデオロギーとして作用しました。スミスが描いた調和利益説は、資本主義社会における階級対立隠蔽し、社会の不平等自然ものとして受け入れさせる役割を果たしました。

経済自然法則としての正当化スミス自由市場理論は、経済活動における「自然法則」を強調し、資本主義の不平等搾取構造合理化しました。市場での自由競争社会全体の調和を生むとされ、資本家労働者搾取して得る利益が、結果として社会全体を豊かにすると主張されたため、支配層は自らの特権的地位正当化やすくなります

イデオロギーとしての普及:スミス理論は、19世紀以降の資本主義経済の発展において、特に自由貿易や市場原理主義を強化するために利用されました。労働者階級は、自らの搾取市場自然な調整作用であり、自由競争が最も効率的な経済システムであると教えられることになり、不平等階級対立への意識を薄れさせました。

5.マルクス主義との対比

マルクスは、スミス調和利益説が資本主義社会における搾取隠蔽し、支配層の利益擁護するイデオロギーとして機能していることを鋭く批判しました。マルクスによれば、資本家利益追求が社会全体に利益をもたらすという見方は、実際には労働者搾取を隠すためのイデオロギーであり、資本主義矛盾を見逃すものに過ぎません。

スミス理論調和利益説として広まり社会の不平等階級対立を隠す役割を果たす一方で、マルクスはこの理論社会変革のために批判的に再考し、資本主義の基盤にある階級闘争と搾取構造を明示しました。

アダム・スミス調和利益説とその自由市場理論は、資本主義社会における支配層のイデオロギーを後押しする重要役割を果たしました。この理論がどのようにして支配層の利益擁護し、労働者階級抵抗抑制するための道具として機能したのかを深く理解することは、資本主義矛盾とその維持に関する重要洞察提供します。

6.自由市場の「調和」が隠す階級闘争

スミス提唱した「見えざる手」と市場自由競争による調和は、資本主義経済における階級闘争の存在を隠す役割を果たしました。スミス理論においては、個々の経済主体(消費者企業労働者)がそれぞれの利益を追求することによって社会全体が豊かになるとされていますが、実際にはその過程資本家労働者利益対立するものです。

資本家利益を追求し、労働者は自らの労働力を売ることによって生計を立てています。この関係において、資本家労働者搾取することが前提になっており、その利益自然資本家に集まる構造になっていますスミス自由市場理論はこの対立調和として美化し、搾取現実隠蔽しました。

7.イデオロギーとしての市場の「自然性」

スミス理論は、市場自然状態で最適な結果を生むとする自然法則的な視点に基づいています。これにより、資本主義経済が持つ不平等な側面や搾取問題は、あたかも避けがたい現象として受け入れられることになります資本家はその「自然な」経済法則に従い、利益を得る権利があると主張することができます

このように、スミス理論資本主義の不平等自然合理的ものとして描くことで、支配層にとって都合の良いイデオロギーとして機能しました。経済活動が「見えざる手」によって自動的に調整されるとすれば、支配層が享受する富や権力もまた自然な結果であるとされ、資本主義批判抑制する役割を果たしました。

8.労働者意識操作する役割

スミス自由市場理論は、労働者が自らの搾取貧困個人的な失敗や努力不足として解釈させるためのイデオロギー的な武器にもなりました。もし市場が「自然に調整される」と信じれば、労働者は自らの労働価値過小評価されていることに疑問を持たず、社会の不平等を受け入れることができるようになります

また、競争が公平であり、各人が自分能力を最大限に発揮すれば成功するというメッセージは、労働者にとって不平等構造を自らの責任として内面化させる結果を生む可能性があります労働者は、自分競争に負けているのは努力が足りないからだと考え、資本家に対する反発の感情を抱きにくくなります

9.経済自由政治的自由の誤認

スミス理論は、資本主義が個々人に経済自由をもたらすと同時に、社会全体の利益を促進するという観点から、非常に魅力的に見えました。しかし、これは支配層にとっての都合の良いイデオロギーとして利用されました。経済自由が「全ての人に利益をもたらす」と信じることで、富の不平等労働者権利問題が見過ごされることになります

実際には、経済自由資本家にとっては利益を増大させ、労働者にとっては貧困の維持を意味することが多いです。スミス理論が示す「自由競争」は、必ずしも公平な競争意味するわけではなく、資本家が有利な立場に立つための道具に過ぎないという現実を見過ごすことになります

10.スミス理論政治的支配

スミス提唱した自由市場理論は、国家の介入を最小限に抑えるべきだという考え方に基づいています資本主義社会において、政府規制が少なければ少ないほど、資本家自由利益を追求できるとされました。この点で、スミス理論支配階級利益保障するための理論的な基盤を提供しました。

政府の介入が少ないことは、資本家にとっては税金負担規制を減らし、自由利益を上げることができる状態意味します。そのため、スミス理論は、資本家が自らの利益を守り、支配的な立場を維持するために利用されました。これにより、労働者保護社会的な不平等解決には政府が介入しにくくなり、資本主義矛盾解決する手段制限されました。

11.結論スミス理論が担ったイデオロギー役割

アダム・スミス自由市場理論調和利益説は、資本主義社会における支配階級イデオロギー正当化する重要役割を果たしました。スミスの「見えざる手」による市場の調整メカニズムは、資本家利益追求が社会全体に利益をもたらすという幻想を生み出し、結果として資本家利益擁護し、労働者搾取社会的な不平等を見過ごす原因となりました。

さらに、この理論は、階級対立隠蔽労働者階級無自覚な受け入れを促し、資本主義社会における支配層の特権的地位を強化しました。スミス理論は、自由市場メカニズム自然効率的な調整を行うという楽観的な幻想提供することで、資本主義の不平等正当化し、労働者階級の反発を抑えるための道具として機能しました。

最終的に、スミス思想は、資本主義の維持において重要役割を果たし、その後の経済学や政治経済理論においても、支配層によって活用され続けたのです。

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2025-07-27

劉仲敬氏のインタビュー「論習近平毀黨造黨」(2020年6月3日

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

劉仲敬「論習近平毀黨造黨」インタビュー要約

香港国家安全法の影響について

アメリカ対応は表面的で具体的な措置はこれから数か月かかる。撤退(撤僑)は戦争直前や戦争中でないと起きない。

香港国家安全法の制定は、香港の基层統治強化にはつながらず、国際的な反発も大きいが、これは中国共産党ではなく習近平個人の「党を壊し、党を作り直す」ための動きである

香港重要

香港共産党伝統政策では消滅対象ではなく、むしろ改革開放派と旧ロシア系諜報グループ(黄俄)にとって極めて重要拠点だった。彼らは香港を通じて資金調達諜報活動を行っており、香港喪失は彼らにとって致命的だ。

中国共産党内部の派閥構造

中国共産党伝統的に「黄俄(ロシア系諜報組織)」「山東幹部(元貧農出身)」そして「改革開放派(元士大夫階級国民党士大夫の子孫)」という複雑な階層構造で成り立っている。

改革開放は士大夫階級復権を促し、山東幹部を抑えつけたが、同時に黄俄諜報系の権力も強化した。

習近平権力掌握

習近平毛沢東に似たやり方で「党を壊して作り直す」動きを進めており、黄俄系や改革開放派の一部を徹底的に叩いている。反腐敗運動はその表れであり、特に薄熙来排除はその一環。

香港の封鎖もその文脈で捉えられる。

内部対立と新旧階級軋轢

公安軍隊などの強権部門には、「無産階級出身の新無産階級」と「旧無産階級山東幹部)」の対立がある。

彼らは文化的背景や趣味嗜好も異なり、階級闘争は内部で続いている。

アメリカ対中政策と黄俄系の現状

アメリカは黄俄系を「党の中核」と見なし、経済的恩恵と引き換えに権力の分割を進めてきた。権力を手放す代わりに資産を得る「贖買政策である

しか習近平の登場で、この黄俄系は政治的に弱体化し、資金はあっても軍事力がなく、支配が難しくなっている。

歴史的比較としてのスターリン

習近平の状況は、スターリン権力を掌握した初期の混乱と似ている。多くの党内対立者が彼を理解できず、後に大量粛清が起こる。

スターリン軍事力を持つトロツキー派を排除し、情報機関を駆使して権力を固めた。習近平類似の道を歩んでいる。

このように、劉仲敬は習近平香港政策や党内の派閥闘争を、歴史的中国共産党構造比較しながら、「習近平既存の党の枠組みを壊し、全く新しい党を作ろうとしている」と分析しています香港封鎖は単なる統治強化ではなく、党内外の既得権益と諜報組織ターゲットにした動きであるという見解です。

https://vocus.cc/article/5ee87fa4fd89780001085082

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2025-07-03

選択夫婦別姓制度をめぐるメモ

選択夫婦別姓制度をめぐる議論が盛んである

ChatGPTと哲学的議論したところ、思いがけず興味深い展開になったのでメモっておく。

選択夫婦別姓議論は、単なる法律修正にとどまらず、私たち「家族」や「個人」、「自由」についてどのように理解し、どのように他者と共に生きていくのかという、深い倫理的問いを私たちに突きつけている。これは、制度の整備によって個人自由拡張することを目指しつつも、そのことによって新たな葛藤排除が生まれうるという、自由のものの逆説的性格に由来する問題である日本においては、明治期以降、戸籍制度の下で夫婦は同姓とされてきた。それは「家」を単位とする社会制度の表れであり、制度に従うことは“当たり前”とされていた。戦後民法は大きく改正されたが、戸籍構造根本的には変わらず、「1戸籍=1氏」の原則が続いている。この形式一見中立に見えても、現代社会においては多様な家族形態女性社会進出国際結婚の増加などに対応しきれておらず、「選択夫婦別姓」への要望が強まっている。

一方で、反対の声も根強い。その中には、「戸籍制度一貫性が失われる」「家族の一体感が損なわれる」「子どもの姓をめぐる混乱が起こる」などの制度的・情緒的な懸念がある。とくに、「一つの戸籍なかに複数の姓が存在すること」への違和感は、「家族とは何か」という問いと直結している。反対派の主張として説得的だと思えるのは、制度改正にかかる行政コストが得られる利益に比して高すぎるとの主張である

選択夫婦別姓制度における「自由」と「コスト

ただ、こうした議論のなかで、見過ごされがちなもう一つの問題がある。それは、「選択的」であることが、すべての人にとって自由であるとは限らないという逆説である改革に伴い、精神史的あるいは文化的意味で目に見えない傷を残すことになりかねないことに気が付いた。これはもうひとつコスト問題といえるだろう。

選択肢が増えることは、確かに一部の人にとっては歓迎される。しかし、これまで「自明なこと」として受け入れてきた選択しか知らない人にとっては、「選ばないこと」すら“選んだこと”として扱われるようになる。その結果、「なぜあなたは同姓を選んだのか」と問われること自体が、新たなプレッシャー説明責任となり、無言のうちに選ばれていた価値観を「語らされる」状況が生まれる。

W・ベックは「リスク社会」のなかで、近代社会における制度技術の発展が新たなリスクを生み出し、個人がそのリスク自己責任管理選択することを求められる状況を「第二の近代」と呼んだ。家族制度の再編や個人化の進行は、まさにその一端であり、個々人が従来の慣習に頼ることなく、「選択しなければならない自由」のなかに放り込まれている。

選択夫婦別姓制度も、こうしたリスク社会における制度の一つと見なせる。個人自由の拡大は、必ずしも解放ではなく、「選ばなかった理由を問われる不安」や「所属根拠を失う不安」といった新たな社会リスクを伴う。それゆえ制度設計においては、ベックの言うような“制度化された個人化”が生む影の部分——すなわち、自由責任の過剰な個人化による孤立不安——をも視野に入れる必要がある。

自明性の喪失」がもたらすアイデンティティ不安

この現象は、韓国2008年に導入された「個人単位戸籍制度家族関係登録簿制度)」の議論にも通じる。韓国では長らく「戸主制度」が存在し、家父長制的家族観が法制度にも深く根を下ろしていた。2000年代に入り、女性団体や若年層から批判を背景に、家制度的枠組みを廃止し、個人単位とする新たな制度へと移行した。しかし、それによってすぐにジェンダー平等が達成されたわけではない。

しろ制度改革後に見られたのは、「選べる自由」が広がった一方で、「選ぶことを求められることの重さ」が可視化されたこである。これまでの夫婦同姓制度では、「姓は変えるもの(主に女性が)」という文化が、慣習として“疑いなく受け入れられていた。

ところが選択肢が生まれると、たとえ同姓にしたとしても、「それは自分意思か?」「配偶者強制されたのでは?」「女として主体性があるのか?」という「選択の真偽」を問う視線生まれる。これは日常選択に、政治性と倫理的自己確認を持ち込む構造でもある。

たとえば、韓国の若年層においては、恋愛結婚出産の三つを放棄する“Sampo世代(三抛世代)”という言葉流行し、さら結婚出産恋愛に加え、家族男性との関係異性愛自体拒否する「4B運動非婚・非出産・非恋愛・非性愛)」が広がった。これらは、制度改革の先にある、よりラディカルな文化的実践であり、「選択肢があること」そのものに抗する自己防衛的な態度とも言える。4B運動担い手たちは、単に従来のジェンダー規範拒否するのではなく、「社会的な所属関係」そのもの解体する動きを見せている。たとえば、4B参加者たちは、「家族説明しなくていいから、恋人もいらない」「自分の性を自分管理する」といった語りをSNSで共有し、連帯承認を得ている。ここには、制度の外にとどまることによってむしろ自己尊厳を保つという新たな主体性表現がある。ベックのいう「選択強制」への拒絶反応韓国社会でこうした形で現れているのは興味深い。

沈黙する自由」のジレンマ

こうした言語化をめぐる現象は、日本ではすでに1970年代から表現としての萌芽が見られた。たとえば中川五郎の《主婦ブルース》(1969年)は、まさに「沈黙自由」と「自明性のなかに生きることの苦しさ」を逆説的に描いたフォークソングである選択自由すら与えられず、「女とはこういうもの」として役割に組み込まれ存在叫びが、ブルースという形式で“語られる”ことによって、沈黙が破られるという構造になっている。中川五郎の歌は、現代フェミニズム運動文化的系譜のなかで、語られなかったものを語ることで、社会の“自明性”を暴き出した初期の詩的実践と見ることができる。

一方で、この作品は、主婦という存在社会的変革の外側に置かれ、家の中で沈黙していること自体が、政治意味を持つという問題を描き出している。作品中の主婦は、学生運動に参加する息子から沈黙共犯だ」と責められるが、自らの言葉で「家庭が一番」「まじめに生きるのには疲れたわ」と語り返す歌詞がある。息子の視点は、60年代70年代左派運動ベトナム反戦学生運動階級闘争)の倫理に基づいている。「沈黙共犯」とはサルトル実存主義倫理象徴する言葉だ。

「まじめに生きるのには疲れたわ」という母の言葉に現れるのは、正しさからの逃走である政治主体でもない、声高に抗議しない、けれども一日を必死に生きる――そういう「声なき多数者のリアリティである。この「疲労言葉」は、政治正義言葉ではすくい取れない主体感情的深度を表しており、母として、女性として、主婦として生きる複雑な立場が凝縮されている。ここで描かれる沈黙は、単なる服従無知ではない。むしろ言葉を発することに慎重であるがゆえに沈黙を選び、その沈黙をもって自己尊厳日常を守ろうとする姿勢である。この沈黙には、語らないことによってしか保てない尊厳と、自己存在の最終的な防衛線が込められている。

しかし、「語らないことを自分意思で選ぶこと」を歌を通じて語るところに沈黙自由ジレンマがある。

このような表現は、フェミニズム文脈においてしばしば見落とされがちな、語らない主体論理可視化する重要な契機となる。また、このような「語らないこと」の倫理は、寺山修司詩作にも見られる。たとえば阿部定事件主題にした作品群では、語られすぎた欲望暴力物語の外側に、語られないままの沈黙が配置される。寺山にとって、語ることによって自己が立ち上がるのではなく、語らないことによってこそ輪郭を与えられる主体存在するという逆説が重要であった。とりわけ彼の詩や戯曲に描かれる女性像(娼婦、母、乙女)は、しばしば制度の外に佇み、語られずにいることによって、むしろ社会暴力性を照らし出す存在として描かれる。

沈黙のうちに自己選択を成立させる女性の姿は、語ること・主張することを通じて自我を立ち上げてきたフェミニズムの流れとは一線を画しながらも、それを内側から補完しうるもう一つの可能性として位置づけられる。《主婦ブルース》と寺山修司詩作は、「語らなければ存在しない」という制度圧力に対し、「語らないままに存在し続ける」ことが、制度に対する対抗的な主体性のあり方となりうることを提示していた。

この観点から見ると、制度設計においては、「語る自由」と同様に「語らない自由」「沈黙する権利」をいか尊重するかが問われることになる。

他者との関係において自我がどのように成立しうるか

このような非対称性問題は、他者との関係において自我がどのように成立しうるかという哲学的問いへと接続される。具体的には、制度によって「語らないこと」が許容されるべきかどうか、また沈黙する者をいか制度の中で位置づけるかという課題が生じる。

ここで参照されるべきは、社会学者チャールズティリーが論じた「カテゴリー的不平等(categorical inequality)」の概念であるティリーによれば、社会制度はしばしば人々を特定カテゴリーに分類し、その分類を通じて資源権利へのアクセス構造的な差異をもたらす。選択夫婦別姓制度をめぐる議論においても、「姓を選ぶ/選ばない」という区分制度的に固定化されると、それ自体が新たな社会境界を生む可能性がある。たとえば、同姓を選んだ者が「伝統を守る保守的立場」とされ、別姓を選んだ者が「変革的/進歩的」な立場と見なされるなど、個人選択無意識のうちに政治的・文化的ラベリングを受ける事態が生じる。これは、選択自由があるからこそ、逆に選択内容が新たなアイデンティティ指標となり、当人意思とは無関係社会評価区分根拠とされるという新たな境界である。そのため、制度設計には、カテゴリー化の力学が生む潜在的排除不利益への慎重な配慮が求められる。

こうした哲学的社会構造的な視点を踏まえたとき制度は単に選択肢を増やすだけでなく、語らない自由沈黙をも制度内に位置づける必要がある。ここから先は、倫理制度交差点において、いかにして沈黙や非選択尊重うるかという、より深い次元議論となる。

まず、レヴィナスは『全体性無限』において、自己他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がると主張した。そこには、相互的なやり取りが前提ではない、倫理の根源的な非対称性がある。つまり、語られない他者沈黙に対しても、応答を要請される私たち姿勢倫理の出発点であるとされるのである。こうした観点は、他者沈黙承認する制度設計必要性と深く響き合う。

次に、ルイ・アルチュセールの「呼びかけ(interpellation)」論もここで参照されうる。アルチュセールによれば、個人国家装置制度的言説によって無意識のうちに「呼びかけ」られ、主体として構築される。つまり、たとえ沈黙していたとしても、制度文脈の中ではすでに何らかの立場を“呼び出されている”のだとされる。この点においても、制度に対する無言の従属を単なる自由意思として解釈することには注意が必要である

その一方で、他者承認を通じて自己意識が形成されるという構造を体系的に提示したのが、ヘーゲルの「相互承認」の思想であるヘーゲルは『精神現象学』において、自己意識が確立するためには他者から承認必要とするが、その承認一方的では成立せず、双方が自己表現しあう関係の中でのみ可能であると論じた。この相互承認は、対等な他者関係における自己確立を前提とする点で、自由平等理念哲学的に基礎づける重要モデルである

しかし、現代社会においては「自己を語らない」ことでしか自らの尊厳を保てない人びとも存在する。そのような状況では、ヘーゲル的な相互承認モデルでは十分に説明しきれない現実がある。むしろ、語らない他者沈黙をもそのまま承認し、語る/語られる関係から降りる自由までも包摂する必要がある。このときヘーゲルの構図はむしろ出発点として捉え直されるべきであり、「語らないことを承認する」ための制度想像力は、まさにそこから展開されねばならない。

これら四人の思想家が示唆するのは、制度主体関係性における多層的な緊張であるティリーが指摘した「カテゴリー化」の力学は、制度いかにして人々の行動範囲構造的に規定するかを示し、レヴィナスはその構造を超えて、倫理は常に非対称な他者関係から始まると主張する。アルチュセールは、制度的言説によって主体無意識に構築されてしまメカニズムを暴き、ヘーゲル承認関係対称性を通じて自由の実現を構想した。それぞれの理論は、一面的には矛盾しあうようにも見えるが、選択夫婦別姓制度をめぐる今日の状況においては、むしろ互いに補完的である。すなわち、制度個人いかに分類し、語らせようとするか(ティリーアルチュセール)を見抜きつつ、語られない者との関係倫理を見出す視点レヴィナス)と、語りの対称性に基づく自由モデルヘーゲル)を柔軟に組み合わせることで、私たちは初めて、「語ること」と「語らないこと」がともに尊重される制度設計可能性を構想することができる。

理屈はそうだ。しか果たして、語らない自由保障制度設計に組み込めるだろうか。社会における和解を考えたとき制度の再設計ではなく、制度外の深慮が求められるのではないか伝統・習慣との調和を目指したE・バークのような保守の考え方のほうが示唆的だ。また、文学的まなざし有効な力になるだろう。

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Permalink |記事への反応(0) | 19:53

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2025-06-02

anond:20250601173740

女が抜け駆け的に強者男性に協力するから階級闘争ができなくなった

Permalink |記事への反応(1) | 08:57

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2025-05-30

anond:20250530104711

オタク界隈に反社会的下層階級属性を持つ人物が増えているのではないか」という指摘には、一部共感できる側面がある。

一方で、そこにはかなり飛躍した推論も含まれていると感じる。

投稿者が挙げている「青葉真司事件」を代表例とする主張。

まり「もともと恵まれた層が築き上げたオタク文化に、社会的に報われない層が入り込み、格差に耐えられず暴発する」という構図は、一部の傾向を捉えているかもしれない。

ただし、それはあまり単線的で、一面的でもある。

しかに、90年代後半から2000年代初頭のオタク文化特にエロゲーアニメラノベ創作物を牽引した作り手の多くは、中産階級以上の家庭出身だった。

実際に、時間的経済的余裕が必要創作活動には、ある程度の「実家の下支え」が必要だったのは事実だ。

また、90年代同人文化PCゲーム開発にも、設備投資スキル習得という高いハードル存在していた。

そのため、当時は貧困層の参加が物理的に難しかった。

しかし、インターネットスマートフォンの普及によって、こうした文化は広く一般層にも行き渡るようになった。

今では、貧困層社会的孤立した人々でもアクセスできる環境が整っている。

そこに「異世界転生」や「俺TUEEE」のような物語が刺さりやすいのも理解できる。

投稿者が指摘するように、これらのコンテンツが「幻想」を提供し、それが壊れたときに怒りや暴力へ転じる。

これは一部にはある現象だ。

しかし、それがすぐに事件化につながるというのは、過度な一般である

京アニ放火事件の青葉真司を例にしても、彼の犯行には精神疾患生活苦社会的孤立といった複数の要因が確認されている。

アニメラノベの影響だけで動機説明するのは無理がある。

文化は「きっかけ」にはなり得ても、「原因」ではない可能性が高い。

また、プロレタリア文学の例――たとえば小林多喜二蟹工船』のような作品は、もっと直接的に階級闘争を描いていた。

だが、それは現実と向き合うものであり、怒りを政治的運動集団行動へと昇華させていた。

今のオタク文化とは性質が異なる。

現代オタク文化は、「現実との闘争」ではなくむしろ現実からの逃避」を描くものが多い。

そこには連帯革命もなく、「自分けが選ばれる」という個人幻想がある。

それが自己肯定感につながることもあるが、時に現実とのギャップで苦しむ人も出てくる。

その幻想が壊れたとき孤立した人間が暴発する危険性は否定できない。

ただし、そうした人々を「文化の外に出て行け」と切り捨てるのは短絡的だ。

彼らにとって、その文化こそが最後の“居場所であることもあるからだ。

本当に問うべきは、こうした人々がなぜオタク文化にしがみつくしかない状況にあるのかという点である

孤立や困窮に対して、社会支援やつながりを提供できていない現状こそが、問題の核心ではないか

文化悪者にするのではなく、それを必要とする人たちの背後にある社会的現実に、もっと目を向けるべきだ。

オタク文化に惹かれる人々の多様さを認めつつ、彼らが孤立せずに生きられる仕組みを作ることが、より本質的解決につながるだろう。

Supportedby ChatGPT 4o

Permalink |記事への反応(1) | 13:27

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2025-05-02

ディスタンクシオンピエール・ブルデューの『区別』)の視点からこのポスト批評すると、なかなか面白い角度が見えてきますね。まず、氏の回答は、「主流のポップミュージックが肌に合わないだけ」とリスナーアドバイスしてるわけですが、これをブルデュー理論で解剖すると、音楽の好みが単なる「個人感覚」じゃなくて、社会的位置づけや文化資本と密接に関わってくるって話になります

ブルデュー的に言うと、音楽の好みってのは階級や育ちの象徴なんですよ。海外育ちの日本人邦楽を「ダサい」と感じるってのは、彼らが持つ文化資本日本の主流ポップとはズレてるってことかもしれない。たとえば、海外で育つ過程で、西洋クラシックインディーズみたいな「高級」とされる文化に触れてきた可能性がある。そうなると、日本J-POPみたいな「大衆的」なものは、ブルデューが言うところの「下位文化」に見えてしまって、感覚的に拒否反応が出るわけです。

氏が「ディープな所をディグれ」と言うのは、ある意味でそのズレを埋める提案なんだけど、ブルデュー視点で見ると、これはリスナーに「文化資本を増やして自分階級的な位置を再調整しろ」って言ってるようなものディープ音楽を探すって行為自体が、すでに「教養ある人」の行動パターンですからね。逆に言うと、主流ポップを楽しむってのは、ある種の「文化従属」を受け入れる行為とも言える。ブルデューなら、こういう選択個人自由じゃなくて、社会的構造ガチガチに縛られてるって指摘するでしょうね。

ただ、ちょっと皮肉なのは、氏のアドバイス自体が「教養ある中産階級」の価値観押し付けてるっぽいところ。ディープ音楽を探すのが「正しい」みたいなニュアンスが感じられるけど、ブルデュー的に見れば、こういう態度もまた別の形で「区別」を作ってるだけなんですよね。結局、主流だろうがディープだろうが、音楽の好みを通じて人は自分社会的地位を誇示してるってわけ。

このポスト、表面上はリスナーの悩みに答えてるだけに見えるけど、ブルデューレンズを通すと、音楽の好みってのが単なる趣味じゃなくて、階級闘争の戦場みたいなもんだってことが浮かび上がってくる。いやー、音楽一つでここまで深読みできるとは、なかなか味わい深い話ですね。

Permalink |記事への反応(0) | 17:08

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2025-04-21

日本共産党と支持者は嘘つきで憲法違反カルト

共産党を支持する人の発言

だらけ

@mtdrk

共産党」「フェミ」「外国人」「リベラル」「ポリコレ」をなんとなくうっすら悪いものだと決めつけている中年オタクは非常に多いと思います

でもその理由は答えられないし、答えてもデマ差別に基づいたものなので、決して自分の頭で考えた結論ではないんですよね。

午前6:10 ·2025年4月20日

70.4万 件の表示

この発言ダメな点

1.日本共産党とその支持者は、共産党を支持しない人間を頭が空っぽキチガイバカと見下し、馬鹿にし、嘲笑し、侮辱し、差別している>「共産党」「フェミ」「外国人」「リベラル」「ポリコレ」をなんとなくうっすら悪いものだと決めつけている中年オタクは非常に多いと思います

2.日本共産党とその支持者は、中年男性人間扱いしていない。あからさまにバカにし、嘲笑押し、侮辱し、差別している&gt;「中年オタク」という表現で明らか。

3.日本共産党とその支持者は平気でうそをつく。そして被害者ぶる。>その理由は答えられない ←理由を答えればむしするだけ

このように税金搾取して公金チューチュースキームでNPO法人だけを優遇するのは、やはり裏金でも流れるんだろうか。でなければここまで平気でうそをつくのはありえないと思う。

カルト化する共産党

ユダヤキリスト教千年王国思想共産主義思想

https://note.com/mogura2001/n/n80acd93b6856

憲法違反である検閲内心の自由言論の自由を平気で破壊している

表現規制日本共産党・吉良よし子参議院議員「“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」

https://posfie.com/@yaboyabo_you/p/REpUiNQ

項目 状況コメント
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ユダヤ人の遺伝多様性 やや不正 異説あり
ダーウィンの「適者生存元ネタスペンサー 主張しているのは事実
マルクスロスチャイルド縁戚説根拠不明 これは確認する資料がない、ただし資本主義左翼が結びつかないということはない。
“苦よもぎ”=チェルノブイリ うーん聖書の預言といえばそう
キリスト教の“異教徒皆殺し”教義旧約聖書の神はそう教義として明示されていないが、実際に異教徒同士、キリスト教同志て皆殺ししていた
献本マルクスダーウィン関係 まあまあ 直接の関係確認されないが、共産主義適者生存になるのはそう

いくつかのやや踏み込みはあるが、この文章の指摘はある程度ただしい。

極左ロベスピエールとの類似

ちなみにフランス革命も、キリスト教の神を否定しながら、理性神なる存在を祭壇に祀ったそうです。これも無神論共産主義思想と、構造は同じなんですねぇ。神を否定したら、神モドキを崇めるという、人間根本的な本質を見る気がします。

個人的にはこちらがちょっと気になった。

 フランス革命期、実際に「理性の神」を祀る儀式存在した。これは単なる珍事ではなく、「旧宗教否定した者たちが、結局は別の絶対価値を神のように祀った」という構造を露呈している点で、今日にも通じる本質的な示唆を含んでいる。

 1789年革命により、旧体制の支柱だったカトリック教会は標的となり、聖職者国家従属させられ、教会は閉鎖され、十字架聖像といったシンボル破壊された。徹底した脱キリスト教化が進行し、多くの神父国外追放処刑に追い込まれた。信仰否定は、権力道徳の再構築の第一歩と見なされた。

 1793年、急進左派のエベール派は、ノートルダム大聖堂を「理性の神殿」に改装した。そこでは「理性の女神」像が設置され、人間理性を至高とする祝祭が執り行われた。形式あくま宗教儀式をなぞったものであり、対象が理性であるという一点を除けば、やっていることは既存宗教の再演だった。

 翌1794年ロベスピエールは「無神論道徳の敵」と宣言し、理性崇拝を批判した上で、「最高存在の崇拝」を新たに提唱する。「道徳と理性の源」として、曖昧だが超越的な存在をあえて祀ることで、社会統合と秩序を保とうとしたわけだ。だがこの運動もまた短命で終わる。ロベスピエールはその年のうちに処刑され、祭礼も自然消滅していった。

 だがこの一連の動きは、現代における新しい価値体系の成立過程酷似している。宗教が後退した現代では、「DEI」「ジェンダー平等」「多様性」などが、かつての宗教道徳に代わって絶対化されつつある。個別理念に罪はないが、それらが「議論不可な正義」となった瞬間、社会道徳規範としての役割を帯びるようになる。

 今日大学における女性枠の強制表現規制ハラスメント拡張被害者意識の制度化、いずれもがかつての「理性崇拝」や「最高存在の崇拝」に見られた構造類似している。そこにあるのは、理性や道徳の名を借りた新たな信仰であり、理論ではなく感情と忠誠が優先される共同幻想だ。自己顕示欲道徳的優越感が結合し、制度表現規制する「擬似宗教」は、21世紀先進国においても静かに広がっている。

 当時と違い、現代にはギロチン革命裁判所存在しない。しかし、職場大学ネット空間における「社会的死」「炎上」「追放」が、その代替機能果たしている。理念は違っても、構造ほとんど変わっていない。人間は神を否定しても、何かしらの神モドキを必ず持ち出し、それを祀らずにはいられない生き物なのだ名誉毀損のでたらめな運用。なぜ暇空茜が敗訴する理由はなく、刑事告訴など論外である検察は公金チューチュースキームの応援団だということいなる。もう起訴した以上、それは免れない。解体出直しがなければ検察官はもう信用されない。

 そして日本共産党とその支持者(当然立憲も公明自民左派もそうだが)はロベスピエールと全く同じだ。大学文系学者マスコミ女性記者もそうだ。

 彼らはこれが理解できない。理解できずにこうした擬似宗教的な“新しい正義”の強制押し付けを行っている。

 その宗教行為が「企業倫理というでたらめを強要する」「税金無駄しかないなんとかハラスメントコンプラ研修強要税金無駄にする」という極めてバカで狂った行為がそれにあたる。

 かつての「理性の崇拝」や「最高存在の崇拝」が革命正義の名のもとに進められたように、現代道徳教条主義も「弱者救済」「差別反対」の名目で、議論ではなく信仰同調圧力によって進行しているのである

そして共産主義ナチズム社会運動カルト性は同じ

フランス革命の時から革命思想宗教カルト性を帯びており、それがリベラル現代社会運動継続している。

なので、明らかに類似している。

項目共産主義ナチズム現代社会運動(DEI、ポリコレフェミニズム等)
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中心的信念体系唯物史観階級闘争民族至上主義多様性公平性、包括性、ジェンダー平等などの理念
道徳絶対革命民族純粋性を絶対特定社会正義倫理観を絶対
異論への対応異端者の排除粛清キャンセルカルチャー社会的制裁
象徴儀式表現パレードプロパガンダ指導者の崇拝プライドパレードシンボル使用特定言語表現の推奨
言語統制プロパガンダ用語使用言論統制ポリティカル・コレクトネス表現自主規制
道徳的優越感 自らのイデオロギーが唯一の正義とする 自らの価値観が普遍的正義とする傾向
社会的分断の助長階級民族による分断意見の違いによる分断、対立の激化
宗教実践無神論的だが儀式様式殉教精神性を保持(例:スターリン像、殉職者礼賛)セミ宗教熱狂儀式化された集会象徴行為道徳義務化された実践(例:アライ表示、謝罪儀式)、企業倫理綱領プライバシーポリシーのような不要強制教養、役立たないコンプラ研修強制

コンプラくそくらえなのは、その主張をする弁護士が勝つためには証拠捏造法律グレーゾーンを突くことも平気でやっているゴミカスのような連中であり、モラル倫理もない。弁護士で公金チューチュースキームに加担している税金どろっぼうの菅野志桜里のように、子育て云々という前にお前は不倫するな、といわれるのが当然である。どの口でコンプライアンスと言っているのか。

まりこれらの研修は明らかに念仏とおなじ宗教実践しかない。推進する連中が一切そんな考えをもたないのだから

日本共産党とその支持者も当然理解ができない。自分の頭で考えないか理由が出てこないのはそいつである

Permalink |記事への反応(0) | 23:58

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2025-04-06

anond:20250406091208

この話の悲しさはそこなんよね

階級闘争を見て見ぬふりする中間底辺都民が車に噛みつく…

Permalink |記事への反応(0) | 09:13

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anond:20250406091000

都民同士で階級闘争起きてんじゃん

煽り増田有能すぎだろ

(争え…もっと争え…!)

Permalink |記事への反応(1) | 09:12

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2025-03-25

リベラルフェミニストほど総括のない奴っていないよな

急進派がガラパゴスだの遅れてるだの散々喚き散らしてジャップ連呼して日本日本人に憎悪を募らせてたけど、終わってみたら連中が見倣えと言ってた国々が暴走して分断してる訳

連中は階級闘争だの分断上等だの言ってたくせに日本でもリベラルフェミニストを敵視する動きが本格化したら歴史改竄して言い訳三昧

こんな汚え連中はネトウヨと同列扱いされ滅びた方が良いよ

Permalink |記事への反応(4) | 08:44

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2025-03-04

ハイスペ婚して20代出産したのに負け組確定おわた

私はかつて、田舎の小さな町で育った「ドブス」だった。鏡を見るたびに、自分の平凡な顔にため息をつきながら、それでもどこかで「努力すればなんとかなる」と信じていた。受験一般入試東京の有名大学に合格した。

大学入学してすぐ、新橋ガールズバーで働き始めた。昼間は大学、夜は水商売

客の酔った笑い声に合わせて愛想を振り撒きながら、私は内心で別の夢を育てていた。新しい顔で新しい人生を手に入れる。それが私の脱出計画だった。

何年かかけて貯めた金は、全部まとめて美容外科カウンターに置いた。鼻を高く、目を大きく、輪郭はつるんと卵型。痛みと腫れに耐えながら、私は鏡の中の「新品の私」に初めて満足した。

整形後の顔は完璧とは言えなかったけど、少なくとも「ドブス」からは脱却できた。自信が湧いてきた私は、満を持して就活を始めた。そして驚くほどトントン拍子に事が進み、自分が生まれ田舎でもみんな知っている有名企業入社した。

元々の頭が良かったわけじゃない。ただ、顔がそこそこ整って愛想が良ければ、面接官の目は優しくなる。それだけの話だった。

東カレデート出会った彼は、外資系企業に勤めるエリートだった。20代半ばで付き合い始め、彼がプロポーズしてきたとき差し出されたのはグラフの1ctダイヤが輝く婚約指輪。あまりの眩しさに目を細めながら、私は「これが私の価値だ」と錯覚した。

結婚式パレスで挙げた。白いドレスに身を包み、ライトの下でゲスト拍手を受けたあの瞬間、私は田舎のドブスがとうとう全てを手に入れたと信じた。夫の年収は私の想像を超えていて、20代でこんな人生を掴んだ自分に酔いしれた。

子供が生まれたのは、結婚から数年後のことだ。出産想像以上に私を疲弊させた。産後の体は、整形ではどうにもならない部分まで変えてしまった。若い頃の下駄――美しさという武器が、みるみるうちに剥がれ落ちていく感覚。鏡の中には、かつてのドブスが少しずつ戻ってくるような気がした。いや、それよりもっとひどい。疲れ切った目元と、弛んだ頬。夫の視線が冷たくなったのもその頃だ。外資系企業多忙を極める彼は、私を「家族」として扱うけれど、かつての熱い視線はもうない。グラフダイヤは光っていても、それはただの装飾品でしかない。

そして、子供を見て、私はさら絶望した。夫の整った顔立ちではなく、私の元の顔――整形前のドブスな遺伝子が色濃く出ている女の子

平べったい鼻、低い眉、どこか間の抜けた表情。夫に似てくれれば、私のコンプレックスは帳消しになったかもしれないのに。そう思うたびに、胸の奥で何か黒いものが蠢く。それだけじゃない。幼稚園に入った今、子供頭が悪いことも明らかになってきた。

ほかの子がスラスラと数を数えたり、簡単絵本を読んだりする横で、うちの子ぼんやりと口を開けている。ママ友の「もうこんな言葉を覚えてて」の自慢が、私には嘲笑しか聞こえない。自分の子供が私に似て醜くて頭が悪いなんて、耐えられない屈辱だ。

愛情を注ごうとしても、鏡を見るたびに過去自分を思い出して憎悪が湧く。私はこんな子を産むために、ここまで頑張ったのか?いくら早期教育に通わせても、遺伝の壁は越えられない。子供のデキは、エルメスのバッグと同じだ。努力で手に入るものじゃない。生まれ持ったものか、運次第でしか手に入らない。

私は必死に店に通って「エルメスパトロール」を繰り返し、運良くバーキンを手に入れた日にはSNSさりげなく自慢した。でも、周囲のママ友たちはそんな苦労とは無縁だ。外商経由で難なくオーダーしたり、親から譲り受けたヴィンテージケリーを当たり前のように持っている。彼女たちのカジュアルな「これ、お母さんのお下がりなの」という一言が、私の努力を一瞬で嘲笑う。

それだけじゃない。家柄でもルックスでも、私は周囲にまるで歯が立たない。東京芸能人ミスコン出場者みたいな華やかな顔立ちとは比べ物にならないし、整形したところで生まれつきの品の良さや骨格までは買えない。私の実家田舎の平凡な一軒家で、先祖代々の何かがあるわけでもない。一方、ママ友の中には、由緒ある家柄出身で、自然な美しさを備えた人たちが平然と混じっている。彼女たちには、私が整形と努力でやっと手に入れたものが、生まれときから備わっているのだ。

整形費用を稼ぐためにガールズバーで働いた日々も、バーキンを手に入れるために費やした時間も、彼女たちの前ではただの滑稽な足掻きしか見えないのだろう。嫉妬が胸を締め付けるたび、私は自分がどれだけ脆い土台の上に立っているかを思い知る。

階級闘争なんて、所詮は金と時間と生まれゲームだ。私が手に入れたものは、一時的チケットにすぎなかった。子供が大きくなればなるほど、階級闘争に勝たせなければいけないという重圧がのしかかり、その子が私の足を引っ張る存在しか思えない。夫は外資企業で稼ぐけれど、いつクビになるかわからない。

SNSで流れてくる同級生たちの田舎暮らしの写真を見ても、かつての軽蔑は湧かない。むしろ、妬ましさすら感じる。あのまま田舎に残っていれば、こんな虚しさは味わわずに済んだのかもしれない。

今、私は転落しつつあることを感じている。美しさという下駄を失い、若さという期限切れのカードを握り潰し、東京への憎しみを抱えたまま、それでもまだ何かを取り戻そうと足掻いている。

でも、正直なところ、もう疲れたのかもしれない。田舎のブスが都会で夢を見た代償は、あまりにも大きかった。パレスでの誓いの言葉も、ダイヤの輝きも、バーキンの革の手触りも、結局は遠い過去の幻にしかならない。

Permalink |記事への反応(31) | 19:06

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2025-03-03

anond:20250303175815

階級闘争に捧げる人生

楽しくなさそうだけど女が特権階級で打ち倒すべき敵なんだったら仕方ねえわな

Permalink |記事への反応(1) | 18:01

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2025-01-22

https://archive.md/nE3ki

自分が生徒の時の教師階級闘争せにゃならん事情を抱えてた、ってこと。そこから逃げ出すと「正見」が脱落する。

Permalink |記事への反応(0) | 01:23

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