
はてなキーワード:陶器とは
ああ、ひつまぶしのあの感じ、めっちゃわかるわ! 確かに、立派な一枚うなぎがドーンと乗ったうな重の迫力に比べたら、刻んでごまかしてるみたいでちょっと物足りないよね。しかも、あの変な木箱みたいな入れ物でご飯をすくうの、毎回イラッとするし、三回に分けて「次は薬味! 次はお茶漬け!」って強制的に食べさせられるのも、なんかケチくさいというか、贅沢感が薄れるよな。「お茶漬けで!」じゃなくて、「最初から全部食えよ!」ってツッコミたくなるわ(笑)。
でさ、なんでこんな食べ方が生まれたのか、ちょっと調べてみたんだけど、起源は明治時代、名古屋の老舗「あつた蓬莱軒」らしいよ。当時は出前でうなぎ丼を運ぶのに、陶器の器が割れやすいから丈夫な木製のおひつ(木の飯盒みたいなやつ)を使って、ご飯とうなぎを混ぜて運んだのが始まり。 それで「ひつまぶし」って名前がついて、混ぜるのが「まぶす」から来てるんだって。名古屋の「もったいない精神」が根底にあって、うなぎの旨味を最後まで楽しむために三回スタイルになったらしい。お茶漬けの部分は、元々会席の締めとして「ご飯もの出して」って要望があって、最初はお茶で試したけど臭みが気になってだし汁に変えたんだと。 つまり、運搬の工夫から生まれた実用的な食べ方なんだけど、確かに今どきは「そんな手間かけなくてもいいじゃん」って思うよね。頭悪いってか、効率悪い(笑)。
一方で、X(旧Twitter)見てみたら、ひつまぶし大好き勢がめっちゃ多いよ。例えば、名古屋駅近くの店で「黒毛和牛のひつまぶし」食べて「香ばしくて柔らかくて最高!」って絶賛してる人とか、競馬場でひつまぶし食いながらビール飲んでる人とか、黒豚バージョン作ってYouTubeにアップしてる料理家さんとか。 みんな「三回楽しめてお得!」って感じで盛り上がってる。批判的な声はあんまり見当たらなくて、むしろ名古屋のソウルフードとして愛されてるみたい。
結局、うな重派の君の気持ち、超わかるよ。シンプルにうなぎの脂がジュワッと染みたご飯を一気に頬張るのが至福だもんね。ひつまぶしは「工夫の産物」としてリスペクトしつつ、俺はうな重一択でいくわ! 次はどっち食いに行く? もし名古屋行ったら、両方制覇して比べてみるのもアリかも(笑)。
一旦大迫と紫波を紹介することにする。お前大船渡や陸前高田を紹介することから逃げてるだろうと言われればぐうの音も出ない。言い訳すれば大迫の存在をすっかり忘れていたので指摘される前にフォローしておきたかった、というのはある。
盛岡から遠野に行く際にかつて唯一の経路だったのが国道396号で、この道路が通っているのがこの2自治体なのね。まあ最近は釜石自動車道が整備されたので、見た目は遠いけど時間的にはこっちのほうがはやいけどね。
で、この旧2町(忘れていたのは、今や大迫は花巻市の一部だってことだ)は、どちらもフルーツに力を入れているという共通点がある。リンゴ園やブルーベリー園で観光客を受け入れているところもあるけれど、この地域に特に特徴的なのはぶどう園。生食用のぶどうも、ワイン用のぶどうもどちらも作っていて、ぶどう狩りやぶどうを買える場所も、見学できるワイナリーもいくつもある。
既に終わってしまったけれど、9月後半には大迫ではワイン祭りがあって、この時は少し離れたJR駅へのシャトルバスも運行するとあって酒好きはこのイベントを逃すわけにはいかない。ありがたいことに、紫波では10月第2週にワイン祭りがあって、やっぱりJR駅からのシャトルバスが出る。やるイベント内容は少しずつ違うけれど、まだ間に合うわけだ。
そうでない場合は、工場見学+試飲がどちらもセットになって用意されている。どちらもワイン祭りの会場になっている場所で、紫波が紫波フルーツパーク、大迫がエーデルワインのワインシャトー大迫。人数が少なければ事前予約も要らない。まあ車で来た場合は誰かハンドルキーパーが必要になるけれどね。ぶどうジュースも美味しい+無料試飲は1杯だけなのでそれほど損な気分にはならないはず。大迫はこの場所近辺に観光施設が密集して建っていて、個人的には陶器づくりが出来る星工房で陶器を作るのもいいと思っている(数年前にここで作った丼を自分は納豆鉢として愛用している)。
工場見学まではしなくていい、ぶどうだけ買いたい、という向きには396号沿いには道の駅や産直が多いので、そういった施設経由で買うのが手軽か。北から順番に道の駅しわ、(峠の駅)紫波ふる里センター、おおはさま産直センターとどこもぶどうを取り扱っている。なお大迫にも道の駅は"道の駅はやちね"として存在しここでもぶどうは売っているのだけど、国道からかなり離れたところにあったりする。なお紫波ふる里センターはこの時期"かかし祭り"として付近の人たちが作ったかかしを展示していて、当然というかなんというか大谷翔平はここ数年常連である(ただしかかし)。
大迫を巡っていると南の方から見張られている気分になるかもしれない。南側に遠目で見ると獅子舞のようなでかいオブジェが山の上に建っているから。これはこの近辺で踊られている早池峰神楽の衣装を象ったオブジェで、このオブジェの足元が向山展望台になっている。実は映画"海街diary"のロケ地として使われたのがこの展望台なのだ。もちろんこのオブジェの存在は映画からは全く窺い知ることが出来ない。
紫波はどちらかというと盛岡郊外に含まれる地域で、ただ横に微妙に広い地域なので紫波だけ観光とはなりにくい。4号方面の観光となるか396号方面の観光となるか、となる。で、4号方面というか北上川沿いの紫波の観光は、紫波フルーツパークから県道25号、その後県道46号を通った近辺に集中している(もちろん例外はある)。こちら側は日本酒の蔵が多い。なにせ南部杜氏の発祥の地として宣言しているのは紫波町だから。東から月の輪酒造(ここは先述のラインから北に少し外れている)、吾妻嶺酒造、紫波酒造(廣喜)があって、どこも要予約だが酒蔵の見学を受け付けている。この辺は盛岡から来るならJRの最寄り駅からタクシーで行く手もある。
食べる場所としては4号沿いに十割そば元祖のはらぺこ、さぬきうどんのたかのはし、海鮮が限定でよく話題になる江釣子屋(支店)があるのだけど、十割そばは今や珍しくないし、ほかの2つは地元民向けで観光客がわざわざ足を運ぶ必要はないし、営業時間が短かったり限定品がすぐなくなったりでウォークインしづらかったりはあるかもしれない。これらの店に限らず、食堂、温浴施設などこの近辺にあるところは観光客向けというより地元+近隣住民向けに作っているのでわざわざ遠くから来た人が観光するほどではないかもしれない。
次は岩泉について。
たぶん岩泉が一番面白いのは秋、それもこれから1ヶ月くらいのあたり。これは、岩泉が松茸の産地ということにある。夕食付きの宿はどちらも1泊2食1万円くらいのプランで松茸付きの夕食を出しているし、道の駅には大きな国産(岩泉産)松茸が大きさの割には手頃な価格で並んだりする。それに紅葉の季節でもあるからね。久慈に行くときに九戸ルートと葛巻ルートを使った場合は久慈渓流という紅葉の名所を通過するけれど、それに負けない紅葉があちこちで見られるのが岩泉。
何と言っても岩泉の一番の名所は龍泉洞。岩泉に来て龍泉洞を見ないで帰るのはもったいないくらいに必見の場所。地底湖が非常に透明度が高くて神秘的。ここの水は実際に入口近辺に湧き出ていて、空のペットボトルを持ち込めば持って帰ることもできる。何せ岩泉町市街地の人たちはこの水の風呂に入ってるからね(若干誇張あり)。龍泉洞の水はパッケージで売られてもいるので持ち込みで持って帰ればコスパの良い気分にもひたれる。で、自分のおすすめは実はこの龍泉洞の向かいにある龍泉新洞。龍泉洞見てれば実質タダで見られるにも関わらず、展示がショボいのもあって誰も見に来ないの。そのショボさという事項を楽しめる(自分のような)人には一周回ってむしろおすすめの科学館。滞在予定を15分だけ延ばしてぜひ足を運んで欲しい。龍泉洞に向かう道をずっと北に向かうと安家洞って鍾乳洞もある。こちらはおそらく日本最大の鍾乳洞と言われていて、入口部分の500mだけが一般公開されている。こちらは龍泉洞のような気軽な気分では入れないので、ガイド付きツアーを予約して楽しめる人向け。
龍泉洞は宇霊羅山という山の中にあるんだけど、その山の南側が岩泉の中心市街地。もちろんそんなに大きくはないけれど、商店街(うれいら商店街)は意外と頑張っている。手作りの陶器とか小物とかの店が数軒あったり。お土産的には地酒の龍泉八重桜の造り酒屋と、菓子店の志たあめやがおすすめ。後者はこのあいだ書いたかりんとうもあるけれど、少し前から「たぬきケーキ」が注目されていたりする。あ、岩泉で秋をおすすめする理由がここにもう1つあった。中松屋という菓子店が秋から冬にかけて栗だけで作ったお菓子栗しぼりを作っていて、これが甘さ控えめでなんとも美味しい。まあこの店は盛岡駅にも出店しているけどね。同じような盛岡でも買える岩泉の特産品に大谷翔平がべた褒めして注目された岩泉ヨーグルトもある。これは買おうと思えば東京近辺でも買えるか。
岩泉町は非常に大きい町で、正直本州一大きい町である。今回は久慈への岩泉ルートとなる国道455線に絞って紹介すると、盛岡に近い側には、廃校をリノベして作った道の駅三田貝分校、海に近い側には道の駅いわいずみと2つの道の駅で岩泉が挟まれている気分になる。道の駅は後者のほうが大きくて、さらに後者はその裏にリゾート施設CYMBALSも出来ていて観光には便利だったりもする。ただそれもあってか、道の駅いわいずみ近辺が2016年8月末に観測史上初の台風上陸の結果壊滅的な被害を受けた場所であることはたぶん行ってもわからないかもしれない。とりあえず「ハイキュー!!」のタペストリーでも見てもらえればじゅうぶんかと。
これ以外のものとしては岩泉炭鉱ホルモンという新し目の名物がある。大まかな場所としては三田貝分校とうれいら商店街の間にある1001小川屋が一番元祖に近い店で、まあ町内あちこちで展開しているので食べるきっかけがあるかもしれない。
※当初岩泉は宮古の記述に含めて書こうと思ってたんだが、宮古と岩泉をいっぺんに回ろうとする人あんまりいないのね。これは宮古から岩泉が意外と遠いことにある。それもあるのでエントリを分けた。なのでこのエントリは短め。
古くなったワインは、ビネガー(酢)として使うことができます。実際、ワインから作られる酢は「ワインビネガー」として広く知られています。ワインが酸化して酸味が強くなると、その変化を利用して酢に変えることが可能です。
1.アルコール発酵:
ワインはすでにアルコールを含んでいますが、酢酸菌(アセトバクター)がこのアルコールを酸化させることで酢酸(酢の主成分)が生成されます。
酢酸菌がワイン中のアルコールを酢酸に変換し、最終的にビネガー(酢)が出来上がります。この過程は、酸素と温度管理が重要です。
1.ワインを準備する:
ワインが完全に酸化していない(すでに酢になりかけている場合はさらに発酵させる)ことを確認します。古いワインでも、風味が少し酸っぱくなっていれば良い兆候です。
2.酢酸菌を加える:
自家製酢を作りたい場合は、酢酸菌(ビネガーの母)を加えることが必要です。酢酸菌は市販のワインビネガーから採取するか、専門の酢菌を購入して使います。
ワインを発酵させるには、酸素を取り込むことが重要です。ガラス瓶や陶器の容器にワインを入れ、布などで蓋をして、温かく暗い場所に数週間から数ヶ月放置します。時々、発酵の進行具合を確認しましょう。
4.ビネガー完成:
数週間から数ヶ月後、ワインは酢に変わります。できあがったビネガーは、濾過して保存容器に移すことができます。
注意点:
•ワインが非常に古くて酸味が強すぎる場合や、腐敗している場合は、そのワインをビネガーとして使うのは避けた方が良いです。変な臭いやカビが発生していないか確認してください。
• 酢に変えるには、ある程度の時間と注意が必要ですが、自家製ワインビネガーは非常に風味豊かで、料理にも重宝します。
なので、古くなったワインは確かにビネガーに変えることができ、むしろその過程を楽しむことができるので、ぜひ試してみてください!
素材の比熱容量と熱伝導率、反射率を考えればよく分かるよ
都市化が進んで暑くなることがよく分かる
ちなみに比熱容量が大きいほど、熱伝導率は低い、反射率は低いほど熱を溜め込みやすいよ
| 素材 | 比熱容量 | 熱伝導率 | 反射率 |
| 水 | 4.18 J/g·K | 0.606W/m·K | 約 0.05〜0.1 |
| 土 | 0.8–1.5 J/g·K | 0.2–2.0W/m·K | 約 0.2〜0.4 |
| 木材 | 約 1.7 J/g·K | 約 0.1W/m·K | 約 0.2〜0.6 |
| 砂 | 約 0.8 J/g·K | 0.2–0.7W/m·K | 約 0.3〜0.45 |
| アスファルト | 約 0.9 J/g·K | 1.0–1.5W/m·K | 約 0.05〜0.1 |
| コンクリート | 0.84 J/g·K | 1.4–1.8W/m·K | 約 0.2〜0.3 |
| 陶器(瓦など) | 約 0.8–1.0 J/g·K | 1.0–1.5W/m·K | 約 0.2 ~ 0.4 |
教えて行った人
https://www.expo2025.or.jp/overview/philosophy/
めちゃくちゃ悪文で何言ってるのかぜんぜんわかんないんだけどさ
(コレを書いた人が悪いとは思ってない。霞が関の役人がステークホルダーの意見をパワポにまとめるとグチャグチャになるのと同じ現象でしょ)
とはいえ定義がコレなのでそれに沿ったものがあるはず(にゃーん)ネット見ててもコレに沿ったものが見つからないんだよね
観てきた人を中心に、これは理念に沿った出し物だったよ、ってもの教えて欲しい
万博で思い出したんだけど、うちの家族と「トルクメニスタン」っていう国には、ささやかな思い出がある。
別に旅行で行ったとか、そういう華々しい話じゃない。父が昔、仕事の関係で数週間だけ滞在していたことがあるんだ。私がまだ小学生くらいの頃だったかな。
当時の私にとってトルクメニスタンは、地図帳で見て「スタン系の国がいっぱいあるなあ」くらいにしか思わない、遠い遠い国だった。ニュースで名前を聞くこともほとんどなかったし、どんな国なのか想像もつかなかった。
父が出発する前、家族で地球儀を見ながら「ここだよ」って教えてもらったのを覚えてる。カスピ海の東側にあって、周りにはウズベキスタンとかアフガニスタンとか、やっぱり「スタン」がつく国がたくさんあった。
無事に帰国した父が、お土産をいくつか持ってきてくれた。その中で一番印象に残っているのが、絨毯の切れ端みたいな小さな飾り物と、独特な模様が描かれた陶器の小皿。あと、やたら甘そうなお菓子もあった気がするけど、味はもう忘れちゃったな。
父は、首都のアシガバードが白い大理石の建物ばかりで驚いたこと、砂漠の広大さ、現地で食べたプロフ(ピラフみたいな料理らしい)が美味しかったことなんかを話してくれた。子供だった私は「へー!」なんて言いながら聞いていたけど、正直、具体的なイメージはあまり湧かなかった。
ただ、父の話を聞きながら、食卓で家族みんなが「遠い国」に思いを馳せた、あの時間。父が持ち帰ったエキゾチックな模様の小皿を眺めながら、「世界には本当に色々な文化があるんだな」と子供心に感じたこと。それが、私の中に残るトルクメニスタンと家族の記憶だ。
今でも実家の飾り棚には、あの時の小皿がそっと置かれている。それを見るたびに、父の話を少しだけ思い出す。直接訪れたことはないけれど、家族の会話の中に登場した、ちょっと特別な国。