
はてなキーワード:院生とは
大体頭のいい奴はこれのどれかに当てはまる。
上位20%くらいは少なくとも2つ以上を合わせ持っている。
まず探究心について。
これはいわゆるオタク気質みたいなものに相当する。数学が異常に好きだったりする。
もちろん学問だけにとどまらないのでポケモンを極めるやつやボディビルを極めるようなやつもいる。
突き詰めるのが上手なのでどの分野でもクイズや将棋はもちろんポケモンやスマブラに至るまでトップ層が存在する。
次に要領について。
東大には本当に意味わからないくらい要領がいい奴というのが結構な割合で存在する。
どうすれば最小限の労力で点数を取れるか、最速で実習を終わらせられるかというのを(おそらく無意識レベルで)考えている。
いわゆる「天才」と言われるのはこのタイプなんだと思う。俺には真似できなかった。
すべてが合理的で本当に無駄なことはしないので、常識的に考えれば真面目とは程遠い行動をするようなやつもいる。
ただそいつにとってはそれが最適解なので、点数だけはしっかり取ってたり知らないところでむちゃくちゃ輝いてたりする。
なので探究心タイプと要領タイプが合わさったら変人と言われるようなタイプが多い。
次に努力について。
これは特に説明の要らない秀才タイプ。真面目で努力の天才と言われるような人。
大学生になってからは少ない。高校生までは勉強していたんだろうけど、大学生になってまで鬼のように努力している人は少ない。
ただ、4年生や院生になってくるとそういうタイプだったやつが頭角を現してきたりする。
図書館でよく見かけたりする。本郷図書館では法学部の学生がびっくりするくらい図書館にこもってびっくりするくらい本を重ねて勉強している。
あえて努力と書かなかったのは無駄な努力をする人はほとんどいない(だろう)という点。
よく言われるような、ノートを綺麗にとって満足したりマーカーを引いて努力してるつもりになったりするような努力の方向性を間違えているようなタイプは見かけたことがない。
上位20%くらいになってくると要領タイプと努力タイプが合わさってるような鬼のようなやつらが存在する。これは文句なしに天才と呼んでいいと思う。
完全に無駄を排除して最短距離を計画しながら着実に最速でそのルートを通っていくようなやつら。
情報収集力・要領・実行力すべてが桁違いで必要なものだけに120%の力で挑んでくる。その上もちろん数学的な力や記憶力も申し分ない。もう勝てるわけがない、お手上げ。
いいですね、その設定…“再結晶の物語”としてめちゃくちゃ相性がいい。まずは元作の骨格を押さえます。その上で、中年男性版として再構成した企画案(全13話相当)と主要キャラの成長線、理科ガジェット、サンプル台本まで一気にまとめました。
本家の“コア”
③実在の鉱物・道具・手順に根ざした“科学の手触り”。([カドコミ (コミックウォーカー)][1])
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大地はゆっくりと、でも確実に自分を作り直す。俺たちも、きっと。
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山菜採りの谷川が粗砥と遭遇。クラックと双晶の見分け、劈開の話。小さな水晶が“まだ俺は採れる”の象徴に。
パニングで“待つ技術”。瀬戸初参加、スマホ顕微鏡アダプタで砂粒観察。
工場の不適応=“丸まらない自尊心”。磨耗と丸みを肯定する回。
“愚者の金”とキャリアの見栄。立方体と黄鉄鉱双晶=見かけと本質。
研究費不採択の粗砥。伊万里が市民科学ツアーを企画、地域連携の兆し。
研磨→薄片→交差ニコル。瀬戸が画像分類の試作、谷川が“手順書”職能を開眼。
空隙が強度を生む比喩で、余白=回復を描く。粗砥、申請を“捨てる勇気”。
家族回。粗砥に第三子誕生、伊万里は受験期。自分へ贈る“指輪石”。
学校・観光・工場を巻き込み地域ミュージアム化。瀬戸のデータ基盤が稼働。
市民科学の助成が通り、“学びの循環”が地域に根付く。各人の“続き”を示して終幕。
参考:本家も各話で水晶、ガーネット、黄鉄鉱、砂金、蛍石などを題材化する構成で、ここは意図的に踏襲しています。([カドコミ (コミックウォーカー)][1])
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粗砥「割ってみるか。割りたいから割るんじゃない。割らなくていい面を探してから叩く」
粗砥「それが劈開。仕事も同じだ。壊すときは、残す形を先に描け」
Ep6「薄片は語る」より
伊万里「人も岩も、履歴があるんだよ。教科書の“理想結晶”なんて滅多にない」
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3人兄姉。
8歳上の姉と6歳上の兄がいる。
自分(28)には妻と二人の子供がいる。兄弟の中で最初に結婚したのも自分だった。
なぜ自分が早く結婚したかというと、早く親に孫を見せたかったからだ。
親はもう70代。自分が大学生のころ、実家に集まると「高齢の両親+大人になった姉兄+まだ学生の自分」という構成で、家族が増える気配がなく、このまま縮小していくような感覚に違和感を覚えていた。
両親はしっかりしていて老後も安心、姉は外資系でキャリア志向、兄は獣医、自分は旧帝大の学生と、世間からは「安定した家庭」に見えるかもしれない。
でも、集まったときの会話はどこか物足りなく感じた。親は良い人たちなので頑張って話題についてこようとするが、どうしても世代の差は埋まらない。親戚や友人からは「孫自慢」も聞こえてきて、親もどこか寂しそうに見えた。
振り返ると「結婚そのものをしたい」という気持ちがまずあって、その上で妻と出会い、結婚を決めたのだと思う。もちろん妻のことは大切に思っているが、動機としては「親に孫を見せたい」という気持ちも大きかった。
さて、本題。
自分は今、二人の子供に恵まれ、両親は孫に夢中だ。姉兄も子供好きで、自分の子をすごく可愛がってくれる。
ただ、姉兄にはまだ子供がいない。
自分の一人目の子供が生まれる頃に兄が結婚し、その半年後に姉も結婚した。それなのに、二人目が生まれた今でも姉兄には子供がいない。
「結婚や出産の順番」を大事にする雰囲気が、家族や社会の中に少しはあるのかもしれない。実際、弟である自分が先に子供を持ったことで、姉兄としては何とも言えない気持ちになるのではないか……と思ったりもする。
もっとも、姉兄は大人なので一切そんな素振りは見せないし、自分の子が生まれるたびに一緒に喜んでくれる。そのおかげで、家族が集まる機会も増え、にぎやかになったのは事実だ。
ただ、自分は完全に末っ子気質なので、姉兄の心情が本当のところどうなのかは分からない。
年下の弟だけに子供がいる状況を、姉兄はどう感じているのだろうか。
結局のところ、家庭によって受け止め方は違うんだろうな……と思っている。
結局、どういう制度を作っていくか作っていくべきかという話になるので
囲碁と将棋に麻雀も混ぜて比較してみたらみえることもありそうだ
囲碁は約450人に対して将棋は171人、麻雀のプロは3000人以上いるといわれている
麻雀のプロは団体がいくつもあって複数に参加している人も多いから正確なところは分からない
そういう具合だから将棋のプロは囲碁や麻雀と比べて人口比で10倍以上なりにくい
麻雀のプロはルールが分かっているかなどの最低限の試験でなれるが、囲碁と将棋には育成機関がある
将棋のプロは全員が食っていけるようになっているが囲碁は給与と対局料だけで食えるのは一握りで麻雀は給与は出ない
だから囲碁と麻雀はプロを名乗って講師をするなどの副収入に頼って生活をしている
| 将棋 | 囲碁 | 麻雀 | |
| プロの人数 | 171 | 450 | 3000+ |
| 女性プロ | 0 | 70 | 2割 |
| 競技人口 | 460万人 | 120万人 | 500万人 |
| 育成期間 | 奨励会 | 院生 | なし |
| 収入 | 生活の保証 | 副収入前提 | 給与なし |
そういうわけで、将棋はプロの仕組みをこれからどうしたいんですかということになる
競技人口も減ってきていて先細りなのはみえているのだからプロになれば最低限食えるという状況を維持しようとしたらどんどん採用を絞って人数減らしていくしかないよね
でも、AIの時代になってAIで学んだ若者が強くなっているところでそれやると、プロ棋士がアマと大差なくなっていくんじゃないの
奨励会員が竜王戦で勝ち上がっちゃったで済んでいればいいけどさ
将棋も興行業だからタレント商売を強化するしか基本的にないんでしょう
そうするとプロの下の方はそれだけでは食えないけどプロを名乗ってくれという囲碁のプロと同じ仕組みに移行するという話だね
増田の親戚には4人、それぞれ違う研究機関に所属している人間がいる
それぞれやっていること、研究している内容は違うけれど、みんな同じようなことを言っているため、非常にまずい状態だと思っている。
以下に気になった発言をまとめる。
日本、技術立国の立場を捨てたいんじゃないかな。そうとしか思えないんだよな。
「勤務日に有給休暇を無理矢理取れと言われました」
「半分くらいは事務仕事に追われているんですよね(注:学会の幹事や研究費申請のための資料作成は非常にヘビー)」
「嫁さんには頭が上がらないっすw(全員同意)」
②研究費を使える期間が短い
「今年度の研究費、あと50万くらい余ってますけど何か良い使い道あります?」
「うちも研究費は貰えているけど、使い切らないといけないからなぁ…以前IHコンロ買ったよ。冬は鍋焼きうどんし放題で助かる」
「使わなかった研究費を返したら来年度の研究費が削られますからね。違うねん、もう少しまとまったお金をある程度長期間で配賦してくれないと…」
③若手不足問題
「実は結婚を機に遠隔地での講義を降りようと思ったんですがね、後任が見つからないから今年もやってくれと…」
「ほんと、若い日本人の研究者が不足してるよね。みんななりたがらないでしょ?」
「パワハラ構造、ブラック労働、サビ残し放題、大学院の学費高騰、出世先のポスト不足、能力に見合わない給料…今どきの学生が求めてないもののオンパレードですよね」
「研究者になることのメリットは名誉と、仕事で好きなことをやれること(ただし半分は事務仕事)、ぐらいですよね。とてもじゃないけど自分の子どもには目指してほしくないですよね、研究者」
「そういえば最近中国人団体の研究所見学が増えたけど、自由な行動が多くて困ります」
「特に若手で多いですね。困ったもんだ。」
「僕の前職では多くの研究者が中国に引き抜かれていったからなぁ…僕はたまたま運よく大学に引き抜かれたけど。」
はてブでもバカにされる島岡まな教授、講義のレベルも低かった模様
「女の子は逆らわないほうがいい」フェミニストも絶句…人権意識の高い息子が"超男尊女卑"な男に変貌した理由性的同意とは、「『いいよ』と言うこと」ではない
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/97138
島岡先生の授業受けてたけど、島岡先生に教わったことって一つもないんですよね。
あの人ずっと「井田先生は◯◯と仰ってる」って言ってたし。
アンケートに書いたことある。「島岡先生の講義なので島岡先生のお考えは聞きたいが、井田先生がどう考えてるかは別に聞きたくないです」と。
ローの授業で、院生から質問されて、「うーんどうなんでしょうね。今度井田先生に聞いときます」ってお答えになったこともありましたね。
ざんねんねたろう@roughsketching
あーあ、さすがにTwitterでは言わんとこって思ってたのに…
まぁみんな授業は見切ってたよね。事例演習教材を解く機会だと割り切ってた印象。
https://x.com/r_messy/status/1938851490841682077
https://x.com/r_messy/status/1938852518748180850
今日は気分が良かったので表参道辺りを歩いた。そうしたら向こう側から歩いてくる男がいた。
たぶん23ってとこ。大学出たばかりか、院生かもしれない。どっちでもいいけど、とにかく俺が大嫌いなタイプの奴だ。
あのスーツ。あれ見ろよ、ピシッと皺ひとつない高そうなスーツ着ちゃってさ。そんで細身のネクタイ締めて、足元はピカピカの革靴だ。髪型もなんだよ、わざわざ美容院でセットしてきたみたいじゃねえか。ああいう奴が昼休みに表参道のカフェで高いコーヒー飲んでんだよな。スマホもケースからして高そうだし、ああいう奴こそ「過去に○○でバズったことがあります」とか面接で偉そうに言うんだろ、どうせ。
あの、いかにも東大卒か慶應卒かどっちかで都内大手商社内定済みですみたいな面して歩くの、ほんとむかつくんだよ。ああいう奴がSNSで自撮り上げて、後輩に「頑張れ!」とか言って承認欲求満たしてんだろ、どうせ。クソだよ、ほんと。
メディアも、政治家も、多くの学者たちさえも、問題の本質を見誤っている。
だが、はっきりさせておこう。
そこを直視しなければ、議論はいつまで経っても空回りするばかりだ。
すべての発端は、任命拒否だった。
その理由は明白だ。
一つには、その法的違法性がある。
学術会議法に照らしても、また法治主義の理念に照らしても、菅政権による任命拒否は明らかに違法だった。
法を正しく解釈し、学問の独立という原則を理解する者であれば、この点については疑いようがない。
だが、問題はそこで終わらない。
法学者のうち、彼を被任命者として「適当」だと本気で考える者が、はたしてどれほどいるだろうか。
ここで比較をしてみよう。
だが、同時に、彼らは圧倒的な学術的業績を有する、現代日本を代表する研究者たちであることもまた否定できない。
行政法を専門とする者で岡田を知らないなら、それは基本的な学問修養が欠けている証だ。
刑法を専門としながら松宮を知らぬ者は、当然、リサーチ不足を自覚すべきだろう。
では、小沢隆一はどうか。
憲法学を専攻する若手の院生たちの中には、そもそも彼の名前すら知らなかった者も少なくない。
それは無理もない。
若い頃に若干の著作があったことを除けば、彼はその後、学問的な貢献をほとんど果たしていない。
それにもかかわらず、彼が日本学術会議の会員に任命されようとしていたという事実。
これこそが、政権が批判する「学術会議の閉鎖性」「仲間内人事」「学問の政治化」の実例ではないか。
真に猛省せねばならないのは、政権ではなく、学問を預かる側であるはずの、学術会議自身なのではないか。
まさに、「学問の死」を招いたのは、外部の敵ではなく、内部の堕落ではなかったか。
「学者の国会」を自任するのであれば、小沢隆一が会員に選ばれるような事態はあり得ない。
この任命劇のあまりの愚劣さが、学術会議全体の信頼を地に落とした。
そして、それが許されてはならないのも確かである。
しかし、「違法だが理解できる」という感覚が社会に共有されたのだとすれば、それはもはや、政権批判だけでは済まされない問題だ。
この狂騒曲の結末がこうなったのは、当然ではないか。
これが殿堂入りしても良いぐらい繰り返されたやつ。
仕事のイライラを家庭に持ち込む時にとっかかりやすかったんだと思う。
途中から「じゃあ飯作っておけばええんやろ」と冷蔵庫の残り物で自分なりに作ってみたが、今度は「それは○○に使うつもりだった」とキレてきた。
当然料理はしなくなった。
母は綺麗好きだったのだが、床に髪の毛が落ちているとキレていた。
毎回ではなく、だいたい1ヶ月に1回ぐらいだったので、やっぱり機嫌悪いのを周囲にぶつけたいときの理由だったんじゃないかと思う。
対策は当然髪の毛を拾って捨てておくことなのだけれど、髪の毛なんて日々落ちるのでどうしようもない。これも諦めていた。
待機電力対策で、ほぼ全てのコンセントは抜くのが当たり前の生活をしていた。差しっぱなしなのは冷蔵庫ぐらい?
当然、水道を少しでも流しっぱなしにする、照明をつけっぱなしにするのも怒られた。
まぁでもこれは片親で収入も多くない中で節約意識を高めた結果だったので、まだ理解できる方かも。
「もっとも良い○○を買え」という指示がちょいちょいあった。
母には「ネットならそういう買い物もできるんだろう?」というインターネットに対する謎の信頼があったのだが、
そもそも詳しくないものについて調べて買うのなんて分かるわけない。
最悪だったのは化粧品関連の買い物で、肌質に合わないとそれはそれでキレられるので困っていた。
オタクに対して毛嫌いというかキモいというか、そういう考えをずっと持つ人間だったので、
その息子はひっそりオタクになっていたのだが、それを隠すのに必死になっていた。
なのでそう言う話題が出そうなときは、お腹が痛いふりしてトイレで時間がたつのを待っていたのを覚えている。
1回だけだけど一番印象的だったのがこれ。未だに思い出して気分悪くなる。
院生時代は実家に二人暮らしで片道2時間かけて大学院に行ってて、まぁはっきり言って体力全然足りなくてろくに研究もできない落ちこぼれだったんだけど、
だとしても卒業論文出さないと卒業はできないので自分なりにやってた、が、
期限の悪い日と修論提出前日が被って、深夜に数時間外で雪かきをした。
曰くみっともないから、らしいが、息子が留年する方がよほどみっともないのではないかと思った。なんとか出して卒業したが、完全に教授のお目こぼしをいただいただけだと思っている。
思っていたよりも少なくてびっくり。もっと理不尽にキレまくる人間だったと思うんだけど、忘れたのか、それとも私の思い違いだったか。
片親で育ててもらったこと自体は感謝しているけど、死ぬまでか関わりたくないという思いも一緒にある。
小学生の頃は父が家を出て行く理由が分からなかったけど、今となってはよく分かる。こんなんじゃ精神がすり減る。
父は自室も無く、自分のものはクローゼットの服をかけるスペースの下しかなかった。金銭管理も全部母がやってた。多分地獄だったと思う。
今は再婚して3人子供がいるらしく(これは興信所経由で母が仕入れた情報、まぁこれは養育費払わなかった父が悪い)、
第二の人生は幸せにやってるらしい。でも急に自分と会う頻度が落ちたあたりから捨てられた感じはして、ちょっと落ち込んでたのも事実。
一方で、この程度で母と縁を切るのもどうなんだ、と思われる気もしている。
今は私がLINEで既読スルーするぐらいしかしていない間柄なんだけど、本当はもう少し家族らしい人付き合いをしたいんだと思う。けど、そうできる気はしない。
血は繋がっていても常識とか、(ここには書いていないけど)倫理観とか、そういう住んでいる世界?とでもいうんだろうか、価値観が根本から違うんだと思う。
これは今気づいたんだけど、家族って何をするのかよく分からないのかもしれない。
同居していた頃は「家にいる長(ここでは母)の機嫌を悪くしない範囲で生活をする」以外のことはなにも考えられていなかったし、
家族で一緒に○○みたいなことは全然無かったので、いざ今から家族っぽいことをできる気がしない。
むしろ家族ってなんなんだ、何したら家族っぽいんだ、なにもわからない。
こんなだし、死ぬまで結婚はしないし、家庭も持たない方が良いんだろうと思う。家というものに再度入った際に自分が何をしでかすか怖くて仕方がない。
トイレは男女共通が当たり前!女性徴兵義務化取材で見えてきたデンマークでの「ジェンダー平等」と「権利と義務の平等」FNNロンドン支局長・田中雄気|FNNプライムオンライン
worris兵士が男性に偏るのは出産を女性が担うからでしょ。まずは子宮移植を実現しないとアンフェ連中の主張する「真の男女平等」は成立しない。
リベラルが女性の利得を最大化したいのは分かる。でも、さすがに子宮が出てくるのはビビった
産めよ増やせよって保守派だけだと思ったのにリベラルも保守派と同じ価値観を言うんだね
worris留学生も追い出そう!
理工系女子院生という立場にいると、しょっちゅう「女子枠についてどう思う?」とか聞かれる(うちの学部にはまだないが、他学部に導入されるという噂)
自分は女子枠で入学してないが、女子枠あって当然だろうと思うよ学力がどうとかそういう問題ではなく、マイノリティとして学生生活(ひいてはその後の社会人生活)を送る不利益の引き換えとして枠があっていい
マイノリティとして学生生活を送る不利益が想像できない人に対して具体例を上げるとすると、
・実験班で同じになった初対面の男に、「𓏸𓏸さん昨日食堂でラーメン食べてたよね?」と言われる(キショすぎ なんで知ってんの?なんで知ってんの?)
・当然セクハラには遭いやすい うちの大学ではまだないけど、先日学会の懇親会に参加した時は半強制で偉い人の横に座らされた ひたすらオジさんの与太話を聞かされる2時間半
・とにかく目立つ。基本全員に顔を覚えられてる(女子率1割切ってる)ので、一方的に知られているパターンが多すぎる。すっぴんジャージでは外に出られない
まあ言ってしまえば、金髪の人は目立つとか、刺青入れてる人は目立つとか、そういう「目立つ」ポジションに勝手に立たされるしんどさ。目立ちたくないです。
バイト先や親戚で、自分の専攻を聞かれて答えると、男性は「ハーレムだね、羨ましいね」と反応するが、女性は決まって(かわいそうに、大変だね)という顔をする。男性にはピンと来ていないのである
男性からしたら「それくらいよくない?(モテるんじゃない?)」と思うことかもしれんが、女性からしたら脅威なんよ。男性って基本怖いですから。モテて全くうれしくない。実験後に「俺のことどう思ってるの?」ってLINE来てキモすぎてブロックした。
重要なのは、別に女性は脳が劣ってるから・理数系能力が足りないから下駄を履かせろと言ってるわけではないということです つまり女性が多く、男性が不足している分野には男子枠があっていい
看護学、保健学の方面に男子枠を設けて、看護師介護士の男性需要とマッチさせてはどうかあくまで想像ですが、女子率9割越えの学科で生きる男性も、それはそれでキツいだろうなと思う
そのキツさの代償として、少しくらい学力が免除されたっていいんじゃないでしょうか
女子枠が羨ましい男性は看護介護に行きなよ男性は出世しやすいとかいう話もあるしさ理工系で女子が優遇されるのと同じで、男性というだけで重宝されるんじゃないの?(先日のXでも、「夜勤の看護師が女性の時だけ暴れる患者」とかいたよね。男性看護師がいるだけで解消出来る問題もある)
理工系女子院生という立場にいると、しょっちゅう「女子枠についてどう思う?」とか聞かれる(うちの学部にはまだないが、他学部に導入されるという噂)
自分は女子枠で入学してないが、女子枠あって当然だろうと思うよ学力がどうとかそういう問題ではなく、マイノリティとして学生生活(ひいてはその後の社会人生活)を送る不利益の引き換えとして枠があっていい
マイノリティとして学生生活を送る不利益が想像できない人に対して具体例を上げるとすると、
・実験班で同じになった初対面の男に、「𓏸𓏸さん昨日食堂でラーメン食べてたよね?」と言われる(キショすぎ なんで知ってんの?なんで知ってんの?)
・当然セクハラには遭いやすい うちの大学ではまだないけど、先日学会の懇親会に参加した時は半強制で偉い人の横に座らされた ひたすらオジさんの与太話を聞かされる2時間半
・とにかく目立つ。基本全員に顔を覚えられてる(女子率1割切ってる)ので、一方的に知られているパターンが多すぎる。すっぴんジャージでは外に出られない
まあ言ってしまえば、金髪の人は目立つとか、刺青入れてる人は目立つとか、そういう「目立つ」ポジションに勝手に立たされるしんどさ。目立ちたくないです。
バイト先や親戚で、自分の専攻を聞かれて答えると、男性は「ハーレムだね、羨ましいね」と反応するが、女性は決まって(かわいそうに、大変だね)という顔をされる。男性にはピンと来ていないのである
男性からしたら「それくらいよくない?(モテるんじゃない?)」と思うことかもしれんが、女性からしたら脅威なんよ。男性って基本怖いですから。モテて全くうれしくない。実験後に「俺のことどう思ってるの?」ってLINE来てキモすぎてブロックした。
重要なのは、別に女性は脳が劣ってるから・理数系能力が足りないから下駄を履かせろと言ってるわけではないということです つまり女性が多く、男性が不足している分野には男子枠があっていい
看護学、保健学の方面に男子枠を設けて、看護師介護士の男性需要とマッチさせてはどうかあくまで想像ですが、女子率9割越えの学科で生きる男性も、それはそれでキツいだろうなと思う
そのキツさの代償として、少しくらい学力が免除されたっていいんじゃないでしょうか
女子枠が羨ましい男性は看護介護に行きなよ男性は出世しやすいとかいう話もあるしさ理工系で女子が優遇されるのと同じで、体力筋力があるってだけで重宝されるんじゃないの?
私は日本哲学会という学会に所属しているが、率直に言って、この学会には多くの不満がある。とくに大会における一般発表の扱いや運営姿勢については、長らく問題意識を抱いてきた。以下は、そのような日本哲学会に対する私的な批判と提案をまとめたものである。
これが最大の問題である。たとえば、2023年度に早稲田大学で開催された大会のプログラムを見てみよう。
https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2023/05/7edb16c626cb708b17bfb11dec3bfa0b.pdf
午前中には、8つの教室で一般発表が並行開催されていたが、その裏で国際ワークショップも行われていた。午後の一般発表は5教室での並行開催であった。アメリカのAPAやオーストラリアのAAPといった代表的な学会では、より多くの一般発表が並行して行われるため、日本哲学会の並行数そのものは決して多いとは言えない。
問題は、そもそも一般発表の件数が限られているにもかかわらず、それらが必要以上に多くの会場で、短時間に並行して行われているという点にある。大会自体は土・日の2日間あるのだから、せいぜい4会場程度の同時進行とすることもできるはずだ。日本哲学会は、さほど多くない若手の一般発表をわざわざ短時間に詰め込み、複数会場で一挙に処理しているように見える。
なぜそのようなプログラム編成をしているのか。実際のプログラムを見ると、日本哲学会の大会時間の多くが学会主導のシンポジウムや学協会シンポジウムといったイベントに割かれている。つまり、若手研究者を中心とする一般発表よりも、シンポジウムなどを優先しているのである。このような運営は、学術知の共有や若手研究者の育成という観点から見て、極めて問題がある。
学会は、新たな研究の共有、ネットワーキング、そして若手研究者が「顔を売る」場を提供するという重要な役割を担っている。大学や研究機関での職を目指す院生・ポスドクにとって、学会は貴重なアピールの機会である。しかし、現行のように一般発表を短時間かつ多会場で並行開催するとなれば、聴衆が分散し、研究を多くの人に届ける機会が失われる。聴講可能な発表数も限られ、学術知の共有という観点からも望ましくない。
海外の学会では、シンポジウムに一定の時間を割くことはあっても、一般発表をここまでないがしろにする構成はほとんど見たことがない。端的にいって、日本哲学会の大会は学会企画のイベントに時間を割きすぎている。また、シンポジウムやワークショップは特定のトピックに関心がある人に向けたイベントなのだから、聴衆が集まりやすい午後の時間帯ではなく、むしろ朝一番など参加者が少ない時間帯に配置すべきではないか。
ちなみに、2024年度の立正大学大会でもこの傾向は変わっていない。
https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2025/04/5ff3f7b507e8068042523b2c0a431247.pdf
土曜の朝から8会場での並行発表が行われる一方、午後には単一会場で3時間にわたるシンポジウムが開催される。さらに日曜には、朝一番から一般発表と【若手支援ワークショップ】が並行して行われている。若手研究者に関心を持つ参加者が両方に出席できないような設計には、配慮が欠けていると言わざるを得ない。
日本哲学会は、大会でも学会誌でも、CFP(発表募集)をメール等で積極的に周知していない。毎年、同じ時期に申し込み締切を設定しているため、「わかる人は勝手に応募してくれるだろう」と考えているのかもしれないが、それでは外部からは閉鎖的に映る。
日本を代表する哲学学会であるにもかかわらず、一般発表の件数は極端に少ない。もし財政的に厳しい状況にあるのだとすれば、なおのこと、発表者や論文投稿者を積極的に募るべきではないか。より多くの人にとってアクセスしやすい学会にする努力が、今の日本哲学会には不足しているように思う。
3.提案
学会主導のワークショップやシンポジウムは縮小し、一般発表により多くの時間を割くべきである。
一般発表は聴衆が少ない朝一番ではなく、より人が集まりやすい時間帯に配置すべきである。
CFP(発表募集)はメール等で広く周知し、より開かれた運営を心がけてほしい。
以上が、日本哲学会に対する私見である。なお、こうした一般発表の軽視は、日本倫理学会など他の哲学系学会にも共通して見られる傾向であり、その意味で私は日本倫理学会にも同様の不満を持っている。「共通課題」などという制度も、早々に見直されるべきだと思う。