
はてなキーワード:関関同立とは
就職って理系も文系も国立大の方が楽なのになんでみんな最初からMARCHとか目標にするの?
俺は関東在住だからMARCHって言ってるけど関西の人的には関関同立かな
中高一貫の私立通わせて塾ずっと通わせて英語の資格試験も受けさせまくって最終学歴が立教大学とかマジで金の無駄でしょ もう最初からそこ目標で、内部進学できる学校探してる人とかいるし どう考えても元取れてないのに、それが裕福な家庭の理想みたいになってる
あと、「私立大は育ちがいい人が多いから勝ち組」みたいな話も嘘すぎ
MARCHなんか同学年だけで何人いると思ってんの?金持ちだけが通ってるわけないじゃん 金持ちの息子がMARCHだったらそれ受験失敗してるんだよ
東大とかの方がよっぽど金持ってる家庭多いだろ
確かに人気あるのは分かる、
MARCHぐらい行っとけばまともな会社には入れるし、通いやすくて極端に馬鹿な学生も少ないと思う
ネットは偏ってるから早慶以外の私大はクソとかすぐ言うけど、実際に塾業界の様子見てるとMARCHあたり目指してる家庭が一番多い 分譲住んでるような裕福な家もそう
https://togetter.com/li/2587630
一応旧帝大を出ており、周囲に東大京大は当たり前の環境から、知的障害関連の就労支援施設勤務まで経験したことがあり、まあ上から下まで色んな階層を見てきたという自覚がある。
その経験から言うけど、ある種の知的能力には「努力で埋められる範囲の能力」と「努力ではどうしようもない生来的な能力」の違いがあって、前者はともかく後者に関しちゃ明確に個人差があるよ。
どういうことか。たとえば、自分より遙かに読書スピードが速く、色んな文学なり学術書なりを自分の数倍読んできた人に出会ったことがあるけど、その人は2桁同士の足し算を暗算できなかった。二桁の足し算なんて暗算の中じゃ楽な部類なのに、それ見た時めちゃくちゃビックリした。逆のパターンもあるよね。物理学で大学院に進んだ友人は、専門分野の学術書はすらすら読めるけど、文学作品や人文学系の本は全く読めなかった。内容が頭に入ってこないんだそうだ。
何が言いたいかというと、知的能力においても「才能」はあって、それは脳の処理速度なんですよ。それは「文章読解能力」よりも前の段階にある「本を読む速度」だったり、「数的処理能力」の前段階にある「四則演算を行う速度」だったり、そういう部分です。
もちろん、そういうのを後天的に鍛えることはできなくもない。できなくもないけど、最初から速い人とはスタートラインが違うのね。つまり、初期段階でのビハインドをリカバーするのに必要な努力の総量が違う。こればかりはもうどうしようもない。
とはいえ、まあ一定程度までは努力すればどうにかなる範囲は大きい。個人的には「一般的な人」であれば、旧帝大・早慶上智・関関同立に入学するくらいは可能だとは思ってる(ただし、それなりの勉強量を積めること、勉強に費やせるだけの生育環境があることを前提にする)。このラインは間違っている可能性も当然あって、努力で届く範囲は国公立やMARCHまで下がるかもしれない。適切な線引きラインは知らん。一方で、極端な話で言えば知的障害だったり、先天的な疾患で常に体調が悪くて勉強に集中できない人だったり、あるいはASDの人だったりに同じことが言えるかというと、まあ言えないよね。
ネットで超進学校がどれだけ凄いか、みたいな情報は簡単に手に入るけど、実は割と需要がありそうな中の上クラスの中高一貫校について実際どのくらいの進路になるのか
私は
関西圏の日能研R4偏差値50台後半の中高一貫校出身で浪人を経て偏差値50台後半の国立大学文系学部に進学しました。
関西圏の情報しか知らないので首都圏や東海圏などの方は適宜読み替えてもらえると幸いです。
上位25%の層はよほどコケなければ東大・京大・国公立医学部は十分射程圏内です。
この層は理三と京医以外ならどこ狙っても戦える基礎学力はあります。
上位25%~50%くらいだと、阪大やその他旧帝大、神戸大あたり、医学部なら私立大学の医学部が射程圏内になります。
東大、京大、あとは国公立医学部はちょっとしんどくなってきます。
ここの層は学力差が幅広いので、同じ上位層と括っても阪大にすんなり受かる層も居れば、神戸大も受からずに後期で大阪公立や京都工繊、もしくは併願で同志社辺りに進学する、というパターンも散見されます。
下位25%~50%だと神戸大も可能性はありますが険しい道でもあります。関関同立もちらほら増えてきます。
ここの層だと、例えば前期で大阪公立、京都工繊合格できれば万々歳。国公立なら滋賀、兵庫県立、大阪教育あたりがリ現実的になります。
また、同志社も今出川キャンパスにある人気の学部はあまり受からず、やや不人気寄りの学部なら可能性があるけど、基本的には関関立がメインになってきます。
下位25%未満になってくると、よくて関関立、国公立なら地方の大学になります。
例えば私立大学に絞って3科目勉強している、という場合なら同志社も可能性は出てきますがかなり厳しい戦いにはなります。
国公立であれば地方であることを受容するなら意外と選択肢自体は少なくありません。
中学受験にあたって上位層とまではいかないレベルの進学校の進路としてはざっくりこんな感じです。
最上位クラスの公立高校の進路と比較すると分が悪いですが、最上位クラスの公立高校に入学させるのとこのランクの中高一貫校に中学で入学させるのとどっちが難しいかは結構悩みどころじゃないかなと勝手に思っています。
我が家は両親ともに高卒だけどたぶん地頭が良くて、長女の私も下の弟と妹もすごく勉強ができる
自分も弟も妹も東大、京大の法学部や薬学部出身で、そもそも貧乏な家だったから私大なんて選択肢にはなかったのだけど
地方から東京や関西に転勤してずっと早慶やMARCH、関関同立が分からなかった、有名な私大って意味は分かるんだけど持て囃される?イメージがなくて
旧帝国大でもないし東大、阪大、京大で医学部とかならまだしもそんなに皆ですごいね!賢いね!とコメントする気持ちに便乗できなくて
そもそも私大って滑り止めか金持ちが行くとこじゃないのか?自分で学歴を開示するにあたってその情報は恥では?とすら思ってた
でもまあ私が地方出身者だから私大のブランディングとか偏差値知らないだけなのだと思って色々調べて
年度によるとしても偏差値80いかないくらいなのかという所感、共通テスト85%?100%以外に点数取りようがないのに?とか
恋人に笑って難関私大の基準って何なんだろうね、センター満点じゃないのにと話したら普通にドン引きされた
怖くなった、自分の認知の歪みもめちゃくちゃキモいんだけど、恋人からナチュラルに人を見下してると指摘されて確かにと思った
他人に今まで押し付けてたっぽいとかいう過去や行動や嘲笑や全部が恥ずかしくてキモくて穴があったら入りたいというか
でも心のどこかで劣悪な環境でも勉強ができた10代の自分への賛辞
翻って恵まれた環境下でさえそれができなかった人間への冷笑が確かにあって
どうしたらいいんだろうな、ミドサーにもなって大学卒業から10年以上経って今更感強いし
日頃は学歴なんて関係ないと思って他人に接して自分は肩書に囚われないところが良いところだとすら思ってたのに
恋人や友人らに学歴を求めたことは決してないし(今の恋人は高専卒、元カレらも有名ではない私大とか、友達の学歴なんか知らん)
自分が学歴フィルターで嫌な思いも良い思いもしたからこそフラットでいるよう努めてたはずが、どうしてこうなっちゃうんだろうな~~~~
必死にこれは他人に見せてはいけない価値観だと思ってひた隠しにしてるけど
インターンの女子大生が昼休みに周りから質問されたときに笑顔で言う
私は関学の経済学部です!って受け答えを聞いたときに出てくる最初の感情がめっちゃうす暗くて嘲笑系でマジで嫌だ
それを理性や論理で振り払って心の奥底に捻じ込んで、おお!すごいねえ!とは足並みそろえて言うけど
期待してるよってオブラートに包んで他人を侮蔑し血縁や自分の過去を理由に高学歴であることを暗に強要しそう
歪んだ価値観、定期的にアプデしたいと思いつつこの年まで残ってるやつってだいぶ強固なので、対峙した瞬間からため息しかない
みんなも勉強頑張ろうな
テレビで見かける「年収1000万がいい」とか「顔はジャニーズレベルじゃないと」みたいな高望み婚活女はダメなものと思って育った。
そういう女は醜いし、配偶者探しは謙虚な姿勢でいるべきでどうせ自分も大した人間ではないのだから身の程を知らなければならないと思い込んでいた。
ただ、まあ、今回の件で自分を低く見積もるのもやめた方がいいなと学んだ。
ノイズが無いように先に書いておくが私のスペックは一人暮らし30歳158センチ46キロ関関同立卒の年収600万でデート代は割り勘。誕生日デートは相手の誕生日にお互い奢りましょう派。(彼氏の誕生日は私が奢るし私の誕生日は彼氏が奢る)結婚後は共働き希望。通勤のために23区外だろうと都内に住みたい。無理なら神奈川埼玉千葉のギリギリ東京に近いところ。もしフルリモートならどこに住んでも何でもいい。それでもやっぱり相手が神奈川千葉埼玉の中心奥深くとかに住みたいのならば私は通勤できなくなるので私は転職して年収めちゃくちゃ下がるけど文句言わないでねというかんじ。
DVしない・ギャンブル癖や借金が無い・タバコを吸わない・店員に偉そうな態度しない・既婚歴無しの正社員という理由で結婚前提に付き合った彼氏のスペックがこちら。
男性の身長で選んではいけないと思い考えないようにしていた。しかし、人が多い東京では身長が低い男は人混みに押し負ける。女を守れない。
駅の構内など混雑した場では黙って私の後ろにピッタリくっ付いて歩くので、先頭の私が道を切り開くことになり、私がぶつかられたりしていてもただ黙って後ろを着いてくる。
少しいい店に行くと男性店員に見下された対応をされている。女だけじゃなくて同性(男)も意外と低身長の男を見下すんだなと思った。
男の30代の平均身長って171センチだよね。私も女の平均身長あるから相手もせめて平均身長マイナス5センチぐらいは欲しくないか。そんなに平均マイナス5は難しいか。
首都圏在住の四大卒正社員の35歳で年収500万はぶっちゃけ結婚するには低い。年下で女の私より低い。彼の貯金額は私の三分の一。実家も細い。金融資産もない。彼氏の会社を検索したところ評判投稿サイト曰く年収は上がらないままずっと続くとのこと。50歳で年収600万レベルとのこと。ホワイトなので転職する気はないらしい。
一人で生きていくなら十分だろうが東京近郊で結婚して子供作るのは無理だろ。その代わり背が高くてイケメンとか性格が死ぬほどいいとか家事が彼女並みにできるとか実家が太いとか加点要素があるならまだしも。
スパイス臭がする。一日仕事して帰宅した際はすごいスパイス臭がする。洗濯すると衣類に臭いが移る。外科手術などは死亡事故があったから嫌とのこと。かと言って定期的に汗拭きシートを使うとかデオナチュレ使うなど対策しない。「自分で自分の臭いとか分かんなくない?」とのこと。
早漏のため入れた瞬間に一発で終了。また、最中はいつにも増して強いワキガ臭が室内を充満している。
アデノイド顔。動画投稿者のもこうに似てる。しかしもこうのように喋りの面白さも年収も得意なゲームも応援したくなるような雰囲気も無い。面白さも魅力も金も何も無いもこうというかんじ。顔にデカいホクロがある。
偏差値50くらいの都内私大文系。高校は進学校だったことをしきりにアピールしてくるのだが、じゃあなんでその程度の大学にしか入れなかったのと聞きたいが聞いたら性格が悪すぎるかと思い聞かない。
食べるときにやたら音を立てて食べる。字が汚い。歯並びが悪い。すれ違った通行人の見た目の悪口を言う。ポリコレ揶揄や冷笑系ネタが大好き。テレビに外国人が出てると「ポリコレ枠かな」と嬉々として言う。
映画やドラマで少しでも女性が活躍するシーンがあると「これポリコレか」と言う。
頬にガーゼ+保護テープ(頬を殴られた痕っぽい)付けた女性とすれ違ったら「ねえ!今の見た!?」とすぐにデカい声で言う。
彼は一人で食べるときの食事はカップ麺が基本。二週間に一度、家にある野菜を使うのではなく、新規で食材と調味料を一から購入してX(旧Twitter)で独身男性に人気な某料理系男性ユーチューバーの動画を参考に料理する。これを本人は俺は料理ができると自称している。
洗濯は彼のものと私のものは一緒に洗っている。彼の衣類は定期的にオキシ漬けが必要。私が五回洗濯したら一回ぐらいの回数で彼が洗濯する。ドラム式洗濯機で乾燥まで終わった私の分の衣類は除けて畳まずに床に積み重ねられている。ゴミ袋を縛って指定曜日に捨てる・ゴミ箱に新しいゴミ袋を被せることはできる。
床をクイックルワイパーで掃除、トイレ掃除、洗面所の掃除、キッチンの五徳周りの掃除、排水溝の髪取りなどはできない。たまごや調味料や洗剤など無くなっていると判断して買うことはできない。
結婚して共働きしていく上で相手の家事能力は必要不可欠だ。もし年収が私の二倍あるとかなら私が全部やるが。実際は私の方が年収が高く家事能力も私の方が高い。
同棲の家賃・生活費は完全同額支払い。毎月いくら出すと決めてその金額を払っている。
ちなみにデートで入った飲食店ではその店の最安値の商品を頼む。スーパーでもその店の最安値のプライベートブランドしか買わない。
どん兵衛や赤いきつねはぜいたく品で、パスタ乾麺はマ・マーや大容量のバリラやディチェコもぜいたく品らしい。私を選んだのも年増の見切り品だったからとかそういう理由だろう。
自分から口を開くことはない。彼は口下手で私から会話を切り出して話題を提供しなければならない。私が生理痛や仕事の疲れで話さないと「はぁ…怒ってるの?」と迷惑そうに聞いてくる。
また、会話の正確性を重視してくる。
例1:
彼「この役者なにかで見たなー。なんて役名?役者の名前は?他にどんなドラマに出てるの?」
私「刑事ドラマのモブ刑事の中の一人のことなんて知らないよ…」
例2:
彼「へー。あとはどこなんだろう」
彼「うん、あとは?」」
彼「あとはどことどこ?」
私「うーん…」
彼「ほら、あとはどことどこ?」
私「さすがに覚えてないよ」」
例3:
私「あ!ライチュウだ!」
彼「アローラライチュウだね」
私「ウィンディもいる~」
私「ケンホロウだ」
彼「ケンホロウのオス」
私「…ねえ、いちいちそういうの言わなくていいから」
彼「え!?なになに!?急に怒り出した!(彼女のヒステリーにおびえている被害者のような顔)」
では彼の会話に正確性があるかといえばそうではなく、ソースはX(旧Twitter)だったり、金融・経済・政治の話ではそもそも義務教育レベルで間違った知識も多い。
高望みしてはいけないと思って「自分程度にはこの人が相応しい」と思って結婚直前までいくと痛い目を見る。
ありがと
大学入学共通テストの結果は、受験生本人のみが確認できます。大学に公開されることはありません。
と
大学入学共通テストの点数は、国公立大学の合否に大きく影響します。
が矛盾してる気がするんだけど、受験生が国公立大学に自らの結果を提示するって話?
ごまかせるくね?
推薦で大学まで進学されたのですね。それでは、大学に関する一般的な知識についてご説明します。
###旧帝大
日本の主要な国立大学のうち、戦前から存在した7つの大学を指します。東京大学、京都大学、大阪大学、名古屋大学、東北大学、九州大学、北海道大学が含まれます。いずれも難関大学であり、日本の教育・研究を牽引する存在です。
###MARCH
関東地方の難関私立大学群の通称です。明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学が含まれます。これらの大学は、伝統と実績があり、人気も高いです。
###関関同立
関西地方の難関私立大学群の通称です。関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学が含まれます。これらの大学は、関西地方で高い評価を得ており、多くの受験生が目指します。
###Fラン
一般的に、知名度や人気が低く、入学しやすい大学を指す言葉です。明確な定義はありませんが、偏差値や受験倍率が低い大学が該当すると考えられています。
東京大学は、日本の大学の中で最難関であり、最高ランクの大学と言えます。一般的には、Sランク、もしくはAランクの中でも最上位に位置づけられます。
大学のランク分けは、様々な基準で行われますが、一般的には偏差値、難易度、知名度、実績などが考慮されます。SランクからFランまで、様々なランクが存在しますが、あくまで目安であり、大学の評価は多角的に判断する必要があります。
大学入試センターが実施する、大学入学希望者を対象とした共通テストです。主に国公立大学の入学選抜に利用されます。
大学入学共通テストは、大学入試の公平性・公正性を確保し、受験生の能力を多角的に評価することを目的としています。
大学入学共通テストの点数は、国公立大学の合否に大きく影響します。しかし、私立大学では、大学入学共通テストを利用しない入試方式も多くあります。
大学入学共通テストの結果は、受験生本人のみが確認できます。大学に公開されることはありません。
## 補足
ややもすると、人はそういう苦い記憶をしばらく経てば無かったことにしてしまうものらしいので、戒めとしてここに個人的な経験を書き記すことにする。
→当然、地帝に現役で受かるものだと思っていたら、学年平均層は関大や立命館や地元駅弁受かればかなり頑張ったほうで、現役だと同志社受けても大半が落ちると聞かされ絶望。
実際、そうなってた。
関関同立×、駅弁×、地元私大〇で浪人→一浪で関関立〇、駅弁◎というのが黄金パターンだった。
地帝への院ロンダに成功したことが幸いし、東大卒だらけの某大手メーカーに見事内定。圧倒的勝利を確信する
→産近甲龍卒の高校同期が入社した大手子会社(従業員1000人足らずのノンバンク)と給与水準が変わらなかった。なんなら、課長までの年収なら若干負けてた。
地帝院卒で泣く子も黙る巨大企業に勤める20代なら婚活女子は入れ食い状態だろう
→「凄いですねー!尊敬します( ^ω^ )」で終わり、一切お付き合いに発展しない。
どうやら結婚願望ある女子でも、学歴とか年収とか会社名とかの外形的肩書きは「それだけ揃ってるならお付き合い大歓迎!」という婚活イージーモード突入の決定打とは全くならないようだ。
たとえ相手が派遣社員でも30代女性でも「で、肩書き除いたあなたはどんな人間なの?」と自分を安売りせず冷静に値踏みしてくる。
以上、戒めでした。
1浪中女です。この時期に増田見てるあたり察してほしい!
ただこういう人間もいるんだよーっていう話をします。だから自語りメインで元増田と趣旨がずれるかも。
たぶんだけど私は発達グレーとかで現役では日東駒専産近甲龍も厳しいレベルだった。理系でどうしても行きたい学部があって、上記の中に2個くらい引っかかったけど蹴った。いろいろ整理して今はMARCH関関同立の中に志望校がある。理系だから周囲には国公立志望が多いしただでさえ浪人したのに私立で理系で親にすごく迷惑かけるなとかも思って毎日すごく負い目を感じてる。就職もあんまり考えてなくてとりあえず目の前のことしか見られない。打算的に浪人したわけじゃないから、大学名がほしいとかそんなんでもないし自分でもどうしたらいいかわからない。相当レベル高くない限り浪人って短期間で決めないといけない選択だから気の迷いみたいな人も多いと思う。私は今思えばそうだったかも。このあたりの見通しの悪さは発達グレーのやつかも。
でも浪人期間は自分を見つめ直す時間にはなったと思うし、浪人=悪でもないんだって思う。一番いいのは健康で問題なく就学できる場合は男女問わず、(ある程度の収入格差も問わず)自分の納得できる選択をギリ新卒カード切れる年齢の範囲で決められることじゃないかな。あと予備校行ってる体感としてはそこまで人数の男女差は感じないかも。
子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動や芸術の成績はよかった。
自己紹介は必要最小限にしたい。今は四年制大学でスポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校の全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器のメーカーに入社(スポンサー契約)してプロになった。
※柔道にプロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味。
回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。
新卒で入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球やサッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。
当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生が全日本の主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから。
※ところで、この日記はとても長い。ゆっくり読まれることを推奨する。
次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校の先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。
どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校の柔道部の監督に相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校が指導者を探しているということだった。
さっそく面談のアポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手が高校教師に転向するなんて思ってもみなかったんだろう。
トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道部顧問)として赴任することになった。
指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活がインターハイで活躍していた。
だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。
そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。
とまあ、そんな経過で柔道部顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会止まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である。
部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。
例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からのあだ名は苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。
800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。
こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道のプロとして言わせてもらうと、不可能に近い。
難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいうレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。
困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。
柔道部の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。
校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型や制服など、生徒指導担当の教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装やマナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。
こちらの高等学校の偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学や高校のテストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。
柔道に青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校も大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。
でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係の書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道』だって、全ページの隅々まで目を通してた。
何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち。向上心がない若者に未来なんてあるか。
俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。
それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。
当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会・公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。
・試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない
※ベンチプレス80kgのチクビの子。最後は設備の測定限界の160kgまでいった。
俺のストレスは有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。
なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。
ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。
大会は二日間あって、初日は団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。
チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子がバタバタと大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。
その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。
ほかに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道の練習をしないらしい。それでいて、団体戦も個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。
この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ちを我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。
成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重も相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。
彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。
毎日の練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。
夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手に寝技で抑え込まれている時、竹刀で背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。
T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリの芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。
振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導に最後までついてきた。
そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。
さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステルに宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。
一応は、監督の意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮が必要ということだった。最初の宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。
女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である。学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。
ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会の個人戦だって、誰一人として出場できなかった。
責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。
この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である。
マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。
ところで、俺がいた高校の柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである。女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校だから本当に存在しようがないのだが。
気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。
その子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。
このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間のイメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である。未成年はそこまで柔らかくはない。
などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素な恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。
胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。
ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。
マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為の最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。
「持ってる。財布の中」
「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」
「いないよ」
「えー、だってH慣れてるじゃん」
「慣れてないよ。下手くそだろ」
「……ほんとですか?」
「うん、本当」
「うそだー」
「本当だよ」
マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。
顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それから、マネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。
行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。
次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。
マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。
この子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。
大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。
T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。
柔道の場合、一試合の時間が野球やサッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合に必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである。
ここでいったん切る。
次です
タイトルがすべてなんだけど、頭の整理のために文章にしてみる。
仕事1
趣味2
家庭7
34歳男
165cm 63kg
東京・大阪の中心地から60~90分以内のあたりに住んでいる。田舎と言うには都会に近いけど、都会ではない、地方都市と呼べるほどの発展はない微妙な地域。
よくネットに溢れている公務員あるあるみたいな「仕事のできない高齢職員」とか「最低限のことしかしないやる気なし職員」とか「手は動かさないけど口だけはよく動く職員」なんかはほとんど遭遇しておらず、同業者に比べたらマシな仕事人生を歩んでいる。
過去には外部組織への出向も経験したし、少なくとも「外に見せることのできないどうしようもない職員」という判断はされていない模様。
外部出向もそうだし、近年ではコロナ対応という世界の最前線の一部に立っていたので、世間一般がイメージする公務員的な仕事は実はそんなにやっておらず、割と楽しく仕事をしている。まあ月100時間超の残業もあったし、独身でアラサーという使いやすい人事だったんだろうな、とは思う。
ただ、サラリーマンの宿命だけど、どこまでいっても組織の名前で仕事をしているなあと感じる。テレビに出るような芸能人じゃなくても、YouTuberやVTuber、ツイッターやpixivには激ウマイラストが溢れていて絵で飯を食べている人も15年前よりはるかに可視化されている。
一国一城の主というものには、人間誰しも1回くらいは憧れるよな。全部の責任が自分自身に乗っかかってくるというのは、それはそれでプレッシャーだろうけど。
そういった特筆した才能を磨いて、そして花開く人生だったら…と思うよ。
今後の仕事人生を考えると、氷河期世代に採用を絞りまくったツケを払う段階に来ているので、今の30代は中間管理職の仕事を間近で見る機会もなく中間管理職という立ち位置に放り込まれるのは確実となっている。
わずかばかりの管理職手当とともに残業代が出なくなるのもそう遠くない未来だと思う。
そんな中間管理職になったときにどうやってモチベーションを保っていこうか。
趣味といってもイラストや漫画を描いたり、小説を書いたり、音楽を作ったり演奏したりと、どちらかといえば消費よりは生産寄りの「物事を作るタイプ」の趣味の話である。
仕事の面でも少し触れたが、ネットの発達とともに、これらのものを生業としている人がどんどん可視化されてきた。
かけている時間がそもそも違うのだから比べることもおこがましいが、自分は可処分時間をふんだんに使って何かを作っても、見てくれるのは一部の人(主に面識のあるリアル知り合い)が中心で、広がりがない。
10年くらい投稿を続けていてもそんなものである。まあそもそも投稿数が少ないのが一番の原因だが。
コミケほどじゃないけど小規模な即売会に出したこともある。だがそこで見るのは、ひっきりなしに人が来るサークルと、知り合い数人しか来ない自分のサークルの歴然たる差だけであった。
たらればの話になるが、創作の方に力を入れていれば自分も"あっち側"に立っていたのだろうか。今となってはわからない。少なくとも今は”こっち側”なのだ。
練習してもしても思うように上達しない毎日に苦しみながら、それでも続けていくと思う。
クォーターライフクライシスの大部分はここが占めていると思う。
世の中的には生涯未婚率が男性で3割近く、女性で2割近くになってきており、30代でも未婚率は男性で40~50%、女性で30~40%くらいだろうか。
半数は切っているけど、マイノリティというほどではない。
結局人は自分が置かれた環境でどの位置にいるのかを気にするのである。
職場における30代の婚姻率はゆうに8割を超えており、自組織にいたときも出向先にいたときもそれはさほど変わらなかった。
そういった面から見れば、所詮自分は下位2割の弱者男性なのである。
20代のときに3人くらいと付き合ったけど、結婚には至らなかった。結局そういうことなんだろうなと思う。
同世代の人はたいてい結婚しているし、中には子どもが2人や3人いる人もいる。
高校の部活仲間とは卒業後も仲良くしているのだが、十数人いた同級生も未婚者はついぞ2人まで減ってしまった。
手っ取り早いのは、婚活して苦労しながら伴侶を探すことなんだろうなとは思っている。
だけどそれはつまり、多くの人に「あなたとは一緒にいる気にはならない」という烙印を押され続けることと同義である。就活のときに散々いろんな企業に落とされお祈りされ、人格まで否定されたような気持ちになったあの日々のことを思い出すと、足を踏み出せない。
昔は「自然発生的に仲良くなった人と一緒になるんだろうな」なんて思っていたけど、それはファンタジーの世界であって、現実ではなかった。
結婚というのは、タイミングはあるにせよ、仕事や利害関係を抜きにして「この人となら一緒にいてもいい」とお互いが思えることだと考えている。
仕事という仮面があれば大抵どんな人ともコミュニケーションを取ることができるけど、一度その仮面を剥がすと、"選ばれてこなかった"これまでの人生がずっと続くんじゃないかと暗澹たる気持ちになってくる。
とまあ、今感じているクォーターライフクライシスの原因をつらつらと書いてきた。
結局はどこで自分が自分の人生に折り合いをつけるかなんだろうな。
まだまだ数年単位でかかりそうだ。それまではあがき続けよう。
34歳男
165cm 63kg
彼女は20代のときに3人。特に未来をイメージできず振ったり振られたりで別れた
酒は弱いので嗜む程度
タバコは吸わない
ギャンブルはしないけど、ソシャゲに年間8~10万円くらいは使っている
オシャレは苦手。ユニクロとか無印良品の無難(?)な服装をしていると思っている。
思い込んでいるだけかもしれない。
上にも書いたけど20代のときに3人くらいと付き合ったけどあんまり長続きせず別れた。
ディナー行って仲を深めたり、キスしたりセックスしたりはひと通り経験済み
仲の良い女友達は数人。2~3人で喫茶店で1日中過ごせるくらいには会話はできる。
あんまり遊びに行く男友達はいないけど、高校の友人は飲みに行くし(最近子育て中の友達が多くて行けてない)、趣味のつながりで会う友人も結構いる(こっちは年齢層が20代~50代までと広い)
婚活にコミットしていないと言われればそれまでだけど、恋愛や結婚に繋がる出会いはコロナ以降ここ数年全然ない。
ちなみにペアーズは課金を切って無料いいねだけ毎日押してるけど、1ヶ月に1人くらいしかマッチングしない。
楽器やってたので惰性で続けてる
演奏する方もあるけど、ライブを見に行くことも多い。アニソン系アーティストが多いかな。(坂本真綾とか澤野弘之とか)
最近原神はじめた。
ペアーズで無料いいねをひたすら押して、良さそうな人とマッチングしたら課金するの繰り返し
ペアーズじゃなくて婚活アプリにするか、結婚相談所に行くか、どうしようかと悩み中。
すんげー漠然としてるけど、会話がなくても気まずくないなと思える人。
付き合いが浅いうちからこんなの無理だって思うかもしれないけど、意外とあるんだよね。沈黙が心地良いというのが。
あえて書くならこんな感じか
・上は30代、下は20代半ばくらいまで
・どっちかというと喋りたがり
・仮に子どもをつくる場合は1人までなら働き続けてほしい。2人目をつくるのであれば要相談。ただ年収的には結構厳しい
・信頼してくれたらでいいけど、自分に対するモヤモヤをモヤモヤのまま内にしまわないでほしい。
・LINEは長時間の未読スルーはやめてほしい。既読スルーはOK。
書いてて思ったけど、お前やる気ねーだけだなと言われればそうだとしか言えんな…
周りの友人達が結婚して取り残されている感があるだけで、本当に望んでいる気が1ミリも感じない文章だ
だけど、友人を見ていると「婚活頑張った!」って奴は1人もいないんだよな。なんでだろうな