
はてなキーワード:間引きとは
あー、うん。
でも、AI使ってまとめないとわからんってくらいでかい規模、忘れ去られた内容、増改築が重ねられたスパゲッティな構造の場合、「理解したつもりになる」ってのが一番怖いんだよ。
でも、わざわざ設定されていると言うことは、「何か意味があった」わけだよ。
AIはよくわからんあやふやなのも、「自信を持って言い切ってしまう」。
絵とか、議事録なら、モブの一人の指が6本になってようが、うっすい内容の会議要旨の取りこぼしがあろうが、大勢に差は生じない。
けど、プログラムなんて、なんてことない1行、1文字、1ビットが生死を分けることも稀ではない。
他のプログラムであまり見たことがない、ってだけで、オミットされるだろうと余裕で想像できる。
無条件でAIを礼賛し、否定派を鼻で笑う「イケてる最先端のエンジニア」が多いけど、ちゃんと検証できてるか?
自分が理解できないことをやれてるから素晴らしい、って目隠し手放しで車運転しているようなものだって理解できてるか?
今までの炎上現場の状況からすると、こういう輩は一番最初に逃げ出してるからな。
経営者も、こういうなんか良さげな物言いする奴は、真っ先に疑った方がいいぞ。
AIを使うなら、その構造を理解して、その外側から検証できるだけの十分な技術力を持った上で判断しろよ?
まぁ、それができるなら、「AIマンセー!」とか言えないだろうから、不可能だろうけど w
数年後、「AI使って大量生産されたうんコードをなんとかしてくれーっ!!」って企業が大量に出現するだろう。
んでもって、その事態を収集できるだけの技術力を持つエンジニアは、ほとんどいないだろうし、彼の手足として動けるエンジニアすら数えるほどしかいない、育っていない、って状態になるだろう。
どの「AI活用Webサービス企業」も、低給料で雇った「運用エンジニア」を大量動員して、連日連夜の手動操作で誤魔化し続けるしかない、って消耗戦、デスマーチを、倒れるまで続けるしかなくなるだろう。
この世の、少なくとも疑いようのない真実の一つに、7つの習慣で言うところの「第7の習慣『刃を研ぐ』」ってのがある。
AIは、自動ナマクラ鋸を増やしているだけだと理解すべきだし、そこだけ量が増えても、その後の搬出処理がついていけなければ意味がないと言うことも理解すべきだ。
そもそも、木を切り出すと言う時に、ノコギリだけに注目するのがどれほど馬鹿かを理解すべきだ。
一連の流れを考えれば、ノコ引きの技術より、どう搬出するかの経路、切り出すに従って移動する集積地の移動戦略、さらにはそもそも優れた木材にするために何年も前から間引き、枝打ち、その前に日当たりなどを考えた植林計画をしておくという「事前準備」。こちらの方が、目立たないけど大事だって理解しとけ。
勘違いしないでほしいが「産まれてきた時に障害者だったことが罪である」と私は言っていない。
「障害者のくせに生き続けているが罪である」と私は言っているのだ。
昔は障害者の子供はズンズン運動などで間引きされていたが、昨今はそういった行為に対する世間の眼が厳しくなっている。
彼女の両親はそういった風潮に負けて彼女を生かし続けることを選んでしまったが、これは紛れもなく社会に対する罪なのだ。
自覚しているからこそ、こんなにも怒りを顕にしているのである。
自分に責任があると自覚している人間ほど、声を大にして「これはあなた達に問題がある!」と叫ぶものだ。
この話についてはよくネットで引用されるナニワ金融道が詳しいので全巻読んで欲しい。
だが、罪を犯しながら生きることを選んでいる。
勇気ある行為でもあるが、こんなことは日本にいる高齢者の大多数が平然とやっていることではある。
だが多くの老人は生き延びることが自分たちの当然の権利だと思っている。
ボケた頭で意味不明な言動を繰り返し、悪臭を垂れ流し、自分が払った以上の年金を平然と受け取る自分たちが「罪人である」ことに全く自覚がない。
そんな無自覚なクズと比べれば、自分の罪を自覚し、その罪の自覚故に自分が迷惑をかけ続けている健常者の社会に対して「お前たちこそが加害者なのだ!」と叫び続けることのなんと気高いことか。
本当に素晴らしいことだと思うよ。
何をどう説明したらいいのかわからないけど、妹とはそれまで仲は良かった。
ただ、妹は10代前半から数年間引きこもりで家庭内暴力とかもひどくて、おまけに妹は平均より身長が10cm以上デカくて太くて力も強いのでその辺の痩せっぽっちな成人男性よりも怖かった。
そんな過去もあるので、妹とは昔からずっと順調に仲良かったわけではない。なんなら、妹はいつも死んでやるとか殺してやるとか叫びながら真夜中に刃物出してきてたので「そんなに生きるの辛いならとっととしねばいいのに」とすら思ってた。この頃の家族の写真見返すと、親も私もみんな死んだ顔してる。他にもいろいろ過酷なことはあったけど、私は常々「妹さえいなければうちはもうちょっとうちの家はマシだったのに」と思ってた。
でも、それでもいっときは本当に仲良しだった。彼女が引きこもりを脱却して学校に通い直した頃から少しずつ仲良しになっていった。私は学校を卒業して仕事に就いた妹を素直にすごいと思ってたし、「もうあんな風にはならないだろう。大丈夫だ」と安心した。いつのまにか割となんでも報告しあう仲良し姉妹になっていた。悩み事や不都合なことがあればすぐにラインで相談し、互いの好きなものを報告しあって、かなり親密だったと思う。母と3人で旅行に行った時も楽しかった。
ただ、なんだかんだ妹は不安定ではあり、社会のストレスに耐えきれなくなると定期的に暴れ、暴言を吐き、依存してる母に暴力を振るって夜な夜な鬼LINEを続けるなど手がつけられないことも多かった。高齢化と共に小さく病気がちになっていく親に対して、妹は引きこもり時代の自分をいつまでも内に持っていた。
それでも、なんだかんだ仕事頑張ってるから…引きこもってた時よりは成長したから…と親と話しながら見守ってた。が、妹が30代に入ってしまったらもうダメだった。
あるとき、妹がまた暴れて「あ、これ一生続くのか」と心が折れてしまった瞬間があった。完全に口を聞かなくなったのはそのときからだ。
妹は何度も謝ってきたけど、そのごめんは「私はこの先もまた延々と同じことを繰り返すけど変わらず許してね」にしか聞こえず、私はどうしてもどうしても飲み込めなかった。
以降、私は妹の存在を無視している。妹は実家に住んでるので帰省時には必ずいる。親とは普通に妹の話をするけど、本人から話しかけられても基本何も返さないし、こちらからもほとんど話しかけもしない。クラスで1人だけ無視するような感じだ。
親は最初、許してやりなよと言ってきたけどどうしても聞けなかった。「私が妹に発行してたごめんなさいチケットはもう売り切れてしまった。再発行は未定で、二度と出てこないかもしれない」などと話していたら、そのうち何も言わなくなった。でも、母は今も仲直りをしてくれたらいいなと願ってるだろう。
老後は姉妹と母とでいろいろ旅行しようねと話してたけど、「それはもう叶わないんだろうね」と母にさみしそうに言われたとき、それは親不孝だからまた話せるようにならなきゃなと本当に思った。でも、どうしてもできなかった。最初はすぐにまた口をきくだろうと私も思ってたけど、いつのまにか数年が経った。
声をかけようとは何度も思った。もう一度仲良くなって親と旅行もできれば母は喜ぶ。父だってなんでもいいとは言いつつ、そりゃ子どもが仲良しな方がよいだろう。
私は母が好きなので、母の喜ぶことをしてあげたい。私と母の2人で美味しい料理を食べに行っても、旅行に行っても、母は私が妹と仲良くなることを望むだろう。妹も私と仲良くできるならしたいはずだ。でも、私だけがそれをできない。
頑張って話しかけようと考えると、妹のキレ散らかしてる声が聞こえてくる。またあれをやるのが無理すぎる。今はもう、話さない方がケンカにもならないのでむしろこっちの方が平和ではないかとすら思う。
私たち姉妹は2人とも子どもがいないので将来のことを考えると関係を良好にしておいた方が何かと利便はあると思う。仲良くできるならしたいと思う。
でも、できない。母に対しての罪悪感はずっとある。私の態度はいじめと大差ないことも理解はしている。
でも、どうしてもできない。
できないのだ。
鬼滅が帰ってくるぞー‼︎‼︎(ドコドコドコ)
上映時間を問わず、各回の席が続々と埋まっていく状況は、都会のみならず地方も同じ。
社会現象となった「列車」から5年、もう鬼滅はオワコンだなんて声も少なくなかった中のこの過熱っぷり。
おれたち(コロナにあえぐ映画館)を救ったあの鬼滅が、本当に帰ってくるんだ……!
思えば400億稼いだあの「列車」は、緊急事態宣言下に出された間引き販売(一席ずつ感覚を開ける)こそ一旦解除されたものの、一部劇場では依然続行され、お上からのアドバイスにより飲食も制限された中での公開だった。
勿論やる事は多かった。
つまり、勝手に席を詰めて座る客への注意だの各所の消毒除菌だの持ち込み注意だの鑑賞中の飲食への対応だのに追われてはいた。
いたけれど、座席販売が100%ではなかったりドリンクのみでフード系の提供が不要だったりというプラス面もあった。(ここはプラスと言わせて欲しい)
フード系の持ち込みがない、これがマジでありがたい。
撒き散らかされたポップコーン、踏まれて粉々になったポップコーン、シートにへばりついたポップコーン、ドリンクとない混ぜになってカーペットに染み込んだポップコーン、お子様のゲロとなって噴射されたポップコーン、それらが一体となってスタッフに襲いかかって来る、映画館とはそういう場所なのである。
ドリンクだけなら手に負える。
拭けばいい。拭けばいいだけなんだ。
鬼滅がすぐそこまで近づいている。
スタッフがいない。
スタッフが足りない。
上に訴えても補充されない。
もうここ数年間、ずっとそうなのである。
あの頃鬼を滅していたベテランスタッフ達は、5年間の間に散り散りになってしまった。
人数も知識も経験値も、何もかもが足りていない中おれたちは無限城を迎える。
お盆を含め長くなるであろうこの戦いは、初週の三連休で終わるかもしれない。(現場崩壊と言う意味で)
と言う訳でみんなへおねがい。
もしもポップコーン買おうかなーと思ってくれるなら、1時間前に来て買って欲しい。
映画の時間に間に合うか不安だったら、近くのスタッフに「本編開始時刻」を聞いて欲しい。
それを踏まえて売店の列が間に合いそうになかったら、遠慮なくポップコーンを諦めて欲しい。
お気遣いサンキュー、でもポップコーンより映画を優先してくれて構わない、むしろして欲しい。
ポップコーンはともかく、ドリンクやその他フード系を1時間も前に買っておけない?
それはもう、そうなんだけど、もうほんとそうなので、そうなんだよねー。
今回の「城」は長丁場になるので、ドリンクは天敵かも知れないとだけ言わせて欲しい。
気持ちは同じだ。
忙しいだろうけど熱中症にならないよう水分をとって、座れそうなタイミングがあったら座って休憩しよう。
朝は必ず来る。
この長い夜(夏休み)をみんなで乗り越えよう。
教員なのに、人と話すのが苦手だ。
大学時代はコロナ禍だからと言い訳しながら3年間引きこもっていた。昔からコミュニケーションに苦手意識がありながらも、長年の夢であった教員になり、早くも2年が経とうとしている。
平日は否が応でも学校で人と会話をしなければならない。授業は話す内容が決まっているので、そう苦ではない。問題は授業外での生徒との雑談だ。こんなにしゃべりが下手なのに、生徒はよく自分なんかについてきてくれるなと、生徒に感謝している。
なんとか1週間耐えて休日が来る。休日は出不精なので、一歩も外に出ない。家で1日12時間くらい、ネットパトロールをして過ごす。誰とも会話をせずに、ひたすらSNSに流れてくる情報をインプット。
すると、月曜の朝イチはびっくりするぐらい、人とまともに会話ができない。脳内に言葉が出てこない。あんなに昨日までブログを読んでいたのに。
発達障害者の精神年齢は実年齢の3分の2と言われているのを実感している。私は25の女だが、ここ数年になって急激に異性への興味が湧いてきた。
小6で不登校になって発達障害(ASD)の診断を受けた。中学はほぼ行かず、通信制高校をなんとか卒業するもその後数年間引きこもり、最近になってようやく週2.3回のバイトができるようになった。
今自分にとって大事なのは自立であることは重々承知している。バイトがない日は疲れて家で寝ていることがほとんどなのでそんな余裕がないことも理解している。もちろんこれまで恋人などできた試しもないし、見た目もお世辞にも良いとは言えない。
恋愛は諦めてしまった方がいい、と自分の中で結論はとっくに出ているのだが、若さという女にとって最強のアドバンテージが刻一刻と失われていくのを思うと心を決められずにいる。
マッチングアプリをインストールだけしてみても「今の自分を選ぶ男性にまともな人はいない」と思って画面を閉じてしまうし、いっそ性経験だけ済ませてしまうかと考えても諸々のリスクを無視できる勇気もない。
でも一度も恋愛経験がない人生でいいのだろうか、下手するとなけなしのお金をホストに貢ぐような中年になってしまうんじゃないか、恋愛するために行動するなら一日でも若い方が…と悩んで枕を濡らしたりしている。