
はてなキーワード:間延びとは
はじめに。
内容はまったく肯定的でないです。
本文中、主語がざっくりしている箇所がありますが、この文章の目的上、「アニメ銀八を楽しめていない〇〇」であることを含みおき下さい。
楽しんでご覧になっている方や、銀八や銀魂が大好きで面白い面白くないは関係ないんだという方はご気分を害される内容のはずです。
自分自身の気持ちの整理や一感想として残しておくこと、また、同じように感じている方に届けばいいなと言う気持ちで書きました。
したがって、作文の程度は低いものですので、お目通しになる際は、可読性についてはご容赦ください。
よくある5段階評価を付けるなら、決して星2を超えない。
星1ではなく2なのは、声優さんの演技や製作の苦労といった、クリエイターへの“同情”から。
まるちばーす祭りもライビュを昼と夜の両方見に行ったり、銀八放映開始を本当に楽しみにしていた。
それがどうして低評価となったのか。
Xやレビューサイトで評判を調べれば、多くの人が次のように口を揃えている。
「テンポが悪い」
賛同する。
「ギャグが滑っている」
「銀魂本編のノリと違う」
これも確かに言える。
何故こんなふうに言われるのか。
まず、『銀八先生』シリーズの原作小説は空知先生ではなく、大崎知仁先生が著されている。
ギャグの雰囲気に違いを感じる人がいるのは、書いている人が異なるためもあろうと理解できるが、私が読んだのはシリーズの折り返しまでであるものの、原作小説も十分“楽しめる”内容とクオリティだった。空知先生も「(ノベライズの内容は)銀魂そのものだ。自分の代わりに大崎先生に書いてもらうことにする」と冗談めかしながらも太鼓判を押していたくらい。
元は普通の小説を書かれる作家さんであることは、銀八本文内の表現や言い回しに滲んでいる。だから、文体をあえてここまで落として、よくあのハチャメチャな作風を文字として表現できたなと、私は銀八原作小説を結構高く評価している。私が読んだのが半ばで止まっているのは、その“あえて落とされた文体”が個人的に合わず、読むのに大変な体力を使うからで、内容の退屈さからではない。
なので「原作小説からそもそも面白くなかった」という声は、この若年層向けの文体が合わなかったものではないかと推察している。こう言っているのは、高校生以上の読書慣れした人が多いのではないか。小中学生なら取っ付きやすくハードルの低い文体だと思う。
だから「ギャグが滑って」「面白みを感じない」のは、場面転換や時間経過表現、セリフとセリフの間の妙なテンポの悪さが寒々しいからではないだろうか。その寒い所へBGMのアシストもないので、笑わせるつもりのネタも響いていかない。そうして場がシラケるような気まずさを視聴者に与えるのだろうと思った。
では、何故テンポが悪いのか。
文字ベースの原作小説をアニメにすると恐らく尺がギュッとして足りなくなる。これを30分枠で一本の作りにしているため、間が持たずタラタラしてしまうのではないだろうか。
割り切ってAパートとBパートで分ける、クレしんのような形式にすればここまで間延びはしなかったのではないか。何話目か忘れたが、この構成の週は間延び感が緩和されて感じたので、的外れな発想ではないように思う。
さらに、原作小説そのままでは尺が足りないのであれば、元を削るようなことはせず、アニオリはその不足分を充填する要素として用いればいいのに、何故か原作小説の内容を削ってアニオリを入れてくる。これが面白いなら構わないが、面白くないから賛否別れるハメになっている。
複数のレビューで同様に見られた表現が「二次創作みたい」というもの。これには唸った。
例えば2話か3話のアバンで、銀八が生徒らが幼児化や獣化する白昼夢を見る。正直公式のアニメにそういう供給は求めてない。
見るのはオタクばかりじゃない。天下のWJの目玉漫画でギャグの人気が高いんだから、漫画が好きな普通の人たちも読んでいたしアニメも見ている。評判を調べていても「懐かしいと思って見てみた」という人も多い。
そうした需要の様相に対して、特定の、狭いニーズに向けたようにも感じられるショタ化ロリ化、ケモ化といったイロモノネタは面白くないどころか笑えないとさえ思える。
銀魂アニメのアニオリは、いい意味で、空知先生と同年代か少し上のおじさんたちが、おじさんホイホイやキワキワの下ネタでアニオリを突っ込んでくれていたので、作品との相性が良かった。しかし今回は監督も脚本も女性で、恐らくそうした方面への解像度が以前の上流工程陣ほど高まりにくいのではないだろうか。
銀魂アニメの監督さんたちは現在50代前後の男性で、彼らの子供時代にはまだ家庭科授業は女子だけというような区分があった。男女で見えるもの、培えるものに今よりも差があったことは想像しやすい。
加えて、キャラクターの扱いや動かし方といったものも雑だ。分かりやすいところだと高杉や土方。
頬をこけさせ好物を吸引する土方が、バケモノのように揶揄され、その姿をくどく使いまわしていたところや、ギャグを放とうとして滑り散らかす高杉というネタも、それしか弾がないかのように繰り返し繰り返しで、大変しつこかった。大抵の繰り返しネタは二回、内容や出来によっては三回程度なら繰り返していいが、この浅さで動かされるキャラクターネタを二度三度見せられるのは御免だと思った。
深夜放送とはいえ学園設定、学生ものであるゆえに、昨今のコンプラ意識の変容による縛りを余儀なくされ、表現の幅・深度に制約があることも考えられるが、どちらにせよ、アニオリ部分に面白みを感じられない。
「そういうのは二次創作でやる」というやつだと思う。公式なら、ちゃんとキャラを動かしてほしい。
従って、全体的に惜しさ、つまらなさ、退屈さ、以前のアニメとの差異を覚える流れは以下のセットだと推測。
音の乏しさ。テンポのもたつき。イマイチ乗らない視聴者の気持ち。シラけ、空回りした空気。キャラクターの掘り下げの甘いネタ。さらにシラケる視聴者の心。以下ループ。
声優さんの変わらない演技とプロ意識、及第的な作画で体面は保たれているが、原作小説の履修、未履修に関わらず、自然のうちに期待のハードルが上がっていたものが銀八アニメでは叶えられなかったということなのだと思う。ましてや、まるちばーす祭りなど、公式サイドが気流を上げまくっているのだから、期待値とともにハードルは上がって当然だ。
1話のアバンでも確かにこの事については触れていた。「渡されたバトンが重い」と。
でもね、と。
これについても言及したい。
プロが、クオリティの担保をできないことを、いくらやりたい放題ギャグ作品であろうと、「別物だと思って」と言い訳めいた建前を設けたことには、はっきり拒否感情を覚える。
確かにメタさは銀魂の醍醐味のひとつだ。けれど、これまでよくネタにされてきた、オマージュをやって色んな偉い人に怒られたというメタエピソードは、視聴者を楽しませるためにギリギリアウトのことまでした結果、BtoB的にはひんしゅくを買ったという話なのであり、今回のように、BtoCで十分な提供が出来ないことを言い訳がましく置き石するようなネタとは性質を全く異にする。例えば環境が整えられる状況でなかったとか、無理な予算や納期で進行していたという話はエンドユーザーには関係の無い話である。製作者らで談義したり解決すべき話なのであり、消費者をそれに巻き込まないでもらいたい。
ちなみに、銀魂アニメの時のような、外部のひんしゅくを招きかねないリスクを再びなぞってほしいと言っているのではない。あれらの話は、何度頭を丸めようが、額を床に擦りつけようが、立ち続けられたプロデューサー、その他製作の偉い方々の多大なる自己犠牲の上に成り立っていた。彼らが笑い話として盛り込んでいても、それはご本人の類い稀なる胆力、相手方や周囲の理解と協力によって我々に届けられていた。だから、また同じことをして笑わせろと要求している訳では無いことだけは、忘れずに言い置いておきたい。
山崎ががんばる話でした。地上波でもつい先日放送されたみたいですね。
作画も良くBGMもあり、アニオリでしたがお通ちゃんの新曲披露回とあってかなり手が込んでる印象でした。
日本語のラップがダサいとはよく言われるが、個人的にはもっと広げて歌全般で日本語はダサいと思う。
例えばクリスマスが近いから『きよしこの夜』を例に出す。英語が「Silent night, holy night」とワンフレーズでも密度があるのに対し、日本語だと「きーよしー、こーのよーるー」って間延び感が凄い。
子音のほとんどに母音がくっつく言語(開音節言語)で一音に一文字しか当てられないからか、すごくもったりしてる。
アナ雪の「レット・イット・ゴー~ありのままで~」も日本語verが一番歌詞が薄いらしい。
「元が英語の曲を和訳したらそりゃダサくなるでしょ」と思われそうだけど、元から日本語の曲もダサいと感じる。
何なんだろうね?
レコメンドで流れてきた次やったら殴るがかなりいい。
とことん情けない。
パンクロックみてえなやつなのかな、と思ったら良い意味で裏切られた。
こんな曲の名前で、言葉選びも尻下がりにひょろひょろ間延びする声も、コイツは絶対に殴れないだろうと確信させてくれる。
沸々と湧く苛立ちというかモヤモヤを音にしたようなギターリフは、でも激しく爆発はしなくて、サビ(?)のとぼけたギターがまた悲哀を煽る。
内省の流れも他人へのムカつきからむしろ自己嫌悪に向かって、結局自己弁護というか殴らない、殴れないことへの言い訳ばかりになってるような。
大体殴れる奴は次とかじゃなくて、殴ろうとした時にはもう手が出てるんだろうな。
無敵の人とか言ったってそう簡単に捨て身になんかなれやしなくて、せいぜいネットでガチャガチャ喚くのが関の山というか。
いやこの歌のコイツは譲れないもののために殴ろうと思う訳だけど、にしたってやっぱり人はそう打撃マンにはなれない。
でもまあこれが社会の立ち回りだぜ、賢さだぜ、理性だぜ、みたいな方面の負け惜しみじみた正当化で溜飲を下げる方に行かないのもまたいいね。
色々思う所はあって反芻してみても、結局行動にならなくて、外に出なくて、誰にも見えない。それが一番情けないのかとしれない。
そんな気持ちを曲としてまとめて出すのは、それはなんか良いよなって思う。保健体育の「昇華」の図そのものという感じがする。
まあ曲書いた人がこういう事思う人なのかは知らんけど。
どうせ意気地のないザコはこんなような事考えてんだろうな、でこれを出力出来るのだとしたら、それはそれでかなり凄い。
でもまあ、度合いにこそ差はあれこんなようなこと誰だって思ってんだろうな。
某港区のやつ
脚本がつまらないとか、そもそも企画がつまらないとかは置いておいて。
明らかにカメラ演出の基礎知識もないド素人が、生成したシネマティックフォトを適当に動かして切り貼りしてつなぎ合わせて作ってる。
そのために、映像に緩急がなくリズムが単調で間延びしていて盛り上がりにかける。
その上、なんの意図も感じられないズームやパン、スローモーションが多用される。
パワポ覚えたての学生が、スライドの切り替え全てにエフェクト入れるような感じ。
さらに視聴者が忖度して読み解かないといけないシーンが多すぎる。
とくに会話シーン。
「なんか背景の質感が違ってどうみても同じ場所にいるように見えないけれど、この三人は今同じ場所にいて会話しているんだろうな」みたいな忖度が必要になる。
せめて、会話の前に登場人物が同じ場所にいることがわかるショットを入れてくれればいいのだけれど、まぁこれは技術的に難しいのかもしれない。
ただ、イマジナリーラインとかがぐちゃぐちゃなので、てんでバラバラの方を向いて会話しているように見えるシーンが多くて全然頭に入ってこない。
206メロン名無しさんsage 2025/07/21(月)17:47:40.72
鬼滅見てきた
219メロン名無しさんsage 2025/07/21(月) 18:01:34.80
アクションも大したことなかったけどキャラの芝居がいくらなんでも省力すぎた
会話に限らずバストアップでの切り返しみたいなのが多くておおよそ映画のコンテじゃねえ
詰め込みすぎて間をとれないとかじゃなくて全部台詞で説明してるから間延びだけはしてるし
223メロン名無しさんsage 2025/07/21(月) 18:05:11.12
アクションも摩訶不思議空間も別に生かせてなくてジャンプ映画にある広場でのアクションとあんま変わらんし
回想挟みまくるのもウザいし次はもうイホウ待ちでいい
235メロン名無しさんsage 2025/07/21(月) 18:14:17.96
何よりもレイアウトがテレビと変わらない映画見続けるの苦痛だなって思いました
決しておにまいとか瑠璃の宝石の1話みたいなちんごがかなりチェックしてレイアウトバチバチ決まってるテレビアニメじゃなく
以上鬼滅の感想です
最近もたまに流れて見ることがある。
今挙げられるだけでこれだけある。
今夜はナゾトレ
東大王
「ネプリーグ」かもしれない。
簡単でも難しくもなく、真剣さと笑いのバランスがちょうどいい。
難しすぎる問題は、漢字の最後の問題くらいであとはちょうどいい。
さすが長寿番組な。
他の番組も悪くはなかったけど……。なんかバランス……ちょうどよさが悪かった。
簡単すぎたり難しすぎたり、誰かをバカにするような感じだったり逆に敬いすぎたり。
・雑学系
たまに知っているものもあるので答えられると嬉しい。
ただ常識的な問題を間違えると引かれるのであまり観たくはない。
・難問系
私が解ける問題は無い。
たまに入試の問題が出て、受験時期にそれを観ていて解けないと心配される。
・発想・ヒラメキ系
知識がいらず、発想で挑む。
知識がいらないのはいいのだが、なんか番組の全体として問題数が少ない気がする。
その他
調べていて思ったこととか
なんか事件があって、それが影響しているらしい?
一方、有名大学の学生を主体としたクイズ番組に対しては「過度な学歴信仰を煽る」という批判もなされた。例えば池上彰は、2022年に発生した東京大学前刺傷事件を受け、「東大生がいかに物知りかを強調した番組だったり。そんな番組が増えてきたことにあきれていたのですが、こんな事件が起きてしまうのを見ると、黙ってはいられなくなりました」と述べ、民放各局の番組制作姿勢を非難した[9]。
元はアメリカの『Areyou smarter than a 5th grader?』らしい。
ハイクオリティアニメで初見のわくわくを体感したいので原作は読んでない。
でもなんか、ストーリーが間延びしてて、拍子抜けしてしまった。ほんとは何回かリピートしようとおもってたけど、もういいかなあってなった。
迫力あるバトルを大画面で楽しみたいのに、盛り上がってるとやたら長い回想が挟まってきたり、バトル自体もなんか拍子抜けだった。(結局 猗窩座倒せてはいないじゃん…みたいな)
なんだろう、確かにあの映画を見ると、結局鬼殺隊に倒されなかった 猗窩座かっけー!とか、恋雪ちゃんかわええあんな彼女ほしいとか、冨岡さんかっけー!とか、善逸かっけー!とか、童磨好きー!とか、しのぶちゃんかわええー!蜜璃ちゃんかわええー!とか、それぞれのキャラのことは好きになるんだけど、一つの作品としてまとまりがあって面白いかと言われると、なんかとっ散らかってて、どこに感情を入れてみればいいんだろうみたいな宙ぶらりんな、消化不良な気持ちになってしまった。なんというか、やたら絵がハイクオリティなショート動画まとめを見てる気分だった。
どのみち=どのミチ
一部がカタカナだろうが指し示すものは変わらん。そんなことは園児でもわかる。病気と書こうがビョーキと書こうが同じだしキチガイと書こうがきちがいと書こうが同じなのと同じ。読み上げるときのトーンもイントネーションも変わらんから。
お前の問いかけは揚げ足取りにすらなってない。そういう誰でもわかることに対して『わかってないふり』をするのは、できるだけやり取りを間延びさせて相手を疲弊させるのが目的か?
あ、もしかしてひらがなとカタカナの対応関係がわからないほど馬鹿なの?
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昔と比べて現代は情報過多であるため、その中で有意義な情報を選ぼう!っていう気運が強過ぎると思うんだよ。
だから現代の作品って説明過多だし、間延びしたシーンを本当に嫌う。
機微ってのを、嫌うんだよ要は。
そして意味を求め過ぎた結果、一見して意味が分からないものを無価値であると思い込む。
その結果どうなったかといえば、凄い作品が非常に減ってしまった。
2001年宇宙の旅や気狂いピエロのような、意味わからんけどなんだかすげぇ!!っていう作品は現代においてほぼ皆無。
はっきりといってしまえば2025年になっても尚、2001年宇宙の旅を越えられる作品を作れていないとさえ言える。
あの映画内に描かれていた猿とは、おっぱい大きいキャラが出ていてばキャッキャ喜ぶ我々のことを、描写していたのかもしれない。
ゲーム会社から販売されているゲーム機、PCともに性能があがり、ここ数年で一気に数を増やした印象のあるオープンワールドゲームについてSwitch2発売が決まった今、オープンワールドが肌に合わない自分のぼやきを言語化しておこうと思う。
※この記事はオープンワールドゲームがなぜ自分の好みや性質にあわないかの理由を考えて言語化しているものであり、オープンワールドゲームを販売する会社や好んでプレイしている人たちを否定する意図はないのであしからず。※
※また、オープンワールドゲームとひとまとめに言っているが自分はブレワイ、ポケモンSVくらいしか触れたことがないので狭い視野偏った見方になっていることもあらかじめご留意いただきたい。※
理由:無加工感に慣れていない/興味の対象が物語・世界観>>ゲームの操作性
長らく自分の身の回りに存在した娯楽は、どれも時間をかけて加工されて世に出されているものばかりだった。
もちろん今のオープンワールドゲームだって時間をかけて加工されているものには変わらないのだが、ここで言いたいのは実際にかけられた手間や時間の話ではなく、出来上がったものの見え方や味付けの話だ。
ステージ切り替わり時にロードが入りプレイヤーの行動範囲がある程度決められていてクリアまで一本道になっている昔ながらのゲームを切り抜き動画とするなら、オープンワールドゲームは配信と言えば伝わるだろうか。
間延びしていたりそこまで受けなかった部分などはカットし、効果音やテロップなどで味付けして動画の最初から最後まで大トロ状態面白い部分を高濃度抽出したような娯楽を摂取し続けてきた自分にとってオープンワールドゲームは定点カメラの映像をずっと見ているような感覚になりイマイチ面白さを感じにくかった。
どこから攻略するか何をするかはプレイヤーの思うままというオープンワールドゲームの最大の売りとも呼べる自由さは逆に言えば開発側がプレイヤーの軌跡を想定できないということでもある。
一本道ゲーであればAイベントを体験してからBイベントに辿り着くのようにプレイヤーが体験する物語の順序がわかっているので物語の見せ方に加工がしやすい。
直前のイベントでAというキャラが亡くなるから次の場所でAキャラの兄弟キャラを出してAのキャラクター性が長く印象に残るようにしよう。
最初にプレイヤーが降り立つ場所は高層ビル群だから次のマップは大草原にして開放感を持たせて没入感が強まるようにマップ切り替わり時のカメラの見せ方も工夫しよう。
たとえばこんな感じで一本道ゲームの場合はメリハリをつけやすいが、自由攻略が売りのオープンワールドゲームではなかなか難しいのではないだろうか。
明確に見る順番を決めたイベントやキャラをマップ上に配置してもプレイヤーによっては開発の想定とは逆の順番で体験する可能性があるので結果的にどこからプレイしても違和感なく繋がる作りにしなければならない。
階段を登るように順序立てて作られたストーリーの中を走り、徐々に気持ちをあげて操作キャラに自分を重ね、キャラや世界観への思い入れや没入感が増していく、といったゲームに慣れていたしそれを好んでもいた自分にとってオープンワールドゲームでマップ上に散らばったイベントたちは唐突でぶつ切りな印象を受けてしまった。
定点カメラを眺めていたら唐突にムービーが入ったな…みたいな他人事感があったのだ。
おまけに物語への興味関心が強い性質であり、続きが読みたくなるほど興味のある物語か、キャラを好きになれるかがゲームの好みを判断する上で非常に大きな評価軸となっている自分にとって、オープンワールドは物語やキャラに触れる時間よりも移動時間が長いというところもあわなかった。
とここまで書いて思ったが、自分が苦手なのは物語性のあるゲーム×オープンワールドの組み合わせだけなのかもしれない。
現にSwitch2で発表されたマリオカートはオープンワールドだが、ニンダイの中で見たゲーム映像に興味を惹かれてやってみようかなと思った。
RPGのオープンワールド中の移動は自分にとって物語というご褒美を得るために行う苦行だったが、マリオカートではその移動こそがメインでありオープンワールドの広大なマップと美しい風景はドライブの楽しみとなるからだ。
時代に追いつけていない老害と言われればそれまでだが、ハードの性能があがってもオープンワールド一辺倒にならず自分の好きなタイプのゲームも長く残ってくれたらいいなと思う。
ポケモンSVでオープンワールドに挑戦した株ポケがZAでは剣盾・レジェンドアルセウスの形式を踏襲しているあたりソフトによって選択されていくだけで昔ながらのゲーム形式が淘汰されるわけではないと思っているが。
Permalink |記事への反応(15) | 16:07
背面ボタン!お前何度言ったらわかるんだ!
ほしいのはお前じゃない。お前だけじゃないんだよ!
連射機能がなければ、お前の価値は半分以下だっていってるだろ!
全国のゲーム好き少年少女に聞きました!ゲームをしてて一番虚しい瞬間堂々の第一位は?!
「ヨダレ垂らしながらアホみたいにボタンを連打している瞬間」に決まりました!おめでとうございます!
画面の中でどれだけキャラクターがおしゃれにスタイリッシュにアクションしてても、画面のこっち側では本能むき出しにして必死にボタン擦ってる猿がいたんじゃ台無しだってことだよ!
なんで未だにゲーム制作者は、プレイヤーにアホみたいな連打を求めるんだろうね!
爽快感皆無!達成感なんて微塵も刺激されない!だって、ボタンをアホみたいに叩きまくってるだけだからね!
それが嫌だから基本的に連射のついたコントローラーしか使わないんだけど、そうしたらまたアホみたいに今度は長押しさせてくるんだよ制作者!
ウホウホいいながらボタン連打したあとに、ウホーって間延びしながら長押ししてる瞬間のウホ具合ったらないね!
ウホウホ連打が嫌だから連射使ってるのに、長押しする前にいちいち連射をオフにしなきゃいけない!
で、その後長押ししてウホー。
そこで背面ボタン。お前だよ!
まだ許せる!
つまり背面ボタンの一番の役割は、同じボタンで連打と長押しを使い分けるためなのよ!
PS5もそれがわかってないから連射付きのコントローラーを出さないんだよね!厳密に言うと右スティックと連射の両方が共存するコントローラーなんだけどさ!
だったらよ!
スマホゲームなんかは長押しでうまくアクションを切り替えたりしてるわけで、条件をつけるならそういう工夫をしろってことなのよ。
もうさ、時代的にアホみたいにボタンを連打するだけで達成感。みたいな知能でゲームはやってないんだよね。
わざわざコントローラー側に連射を禁止させてまで手動で連打させるゲームは等しく滅べばいいと思うよ。
で、それをやめさせられない以上、背面ボタンをつけるなら連射もセットにしてください。
イマイチ話が理解できない人は、switchのメトロイドをプレイすることをおすすめします。
画面の中でサムスがスタイリッシュに動けば動くほど、画面のこっち側でボタン連打してる自分がアホみたく思えてくるから。
それなのに色々な仕掛けを動かすために長押し操作も頻発で、そのせいでプレイフィールが最悪なことになってるから。
逆に言えば、背面ボタン付きの連射コントローラーを使ってもらえればどれだけ快適かわかる。 二度と戻れないくらい快適だから。