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2025-10-27

anond:20251027132242

芸大つったら藝大なので

芸術系大学一般と一緒にしないでくれるか?

門外漢にはわからなくてしゃあないけど東大とF欄一緒にするようなものなんだ

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2025-10-19

消化器外科医が減ってるらしいんだけど、どこでおかしくなったんだ?

医療関係ないただの会社員だが最近がんについての動画よく見てたら以下の1時間動画たまたま見た。

がん患者を助けられない?・なぜ消化器外科医が激減?(現場からの報告)・がんのDEEPな話#160

がん防災チャンネル・現役がん治療医・押川勝太郎

https://youtu.be/76tTYOX6IiE

消化器外科医は激務の割になぜか給料は全く良くなくて若い人が避ける傾向にあるとのことだ。もちろんそれにより既存医者は更に激務になるんだろう。高齢化社会が進むと更に状況は悪化するだろう。

6時半に起きて7時半に出勤して25時帰宅という狂いそうな激務で、更に緊急の手術が入ったりするらしい。書類仕事もこなさないといけない。

門外漢からしたら手術なんて非常に高度なことで、更には緊急なんてさぞかし高給なんだろうと思ってたが、なぜかコンビニバイトするのと大差ないらしい。何だったらタクシー自分で出して足が出るとか言ってた。わけがからない。

こわいな、昔の動画かなと思ったら今年、2025/05/03の動画だ。

外科医は習熟するまで20年とかかかり、しか合格率2,3割の色んな専門の試験があったり辞める人も多いとのこと。

給料が高くないのは勤務医はそういう設計になってるとか、厚労省が決めてるとか、そんなことが軽く匂わされていたが俺にはよく分からない。アメリカでは同じ消化器外科医年収5,6千万円だとか(でも手術の成績は日本の方が良いらしい)。

動画内でベテランのお医者さんの方が、誰か知り合いに議員かいたらこの状況を知らせてほしいとか言ってた。もうむしろ実際に多くの人が何ヶ月も手術できなくなる悪い状況になれば、問題が知られるようになって良いのかもしれない的なことも議論されていた。実際海外ではそうなってるとこもあるみたい。

え、医療医者システムって、常に医者の偉い人たちや省庁官僚政治家が綿密にコミュニケーションしてうまいこと設計してるもんじゃないのか?

何なんだこれ?どこがおかしいんだ?この1つの問題議員に何か変えてもらうというか何か根本的な要因が何かないか?何だこのコミュニケーションは。

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2025-10-18

実際に中抜き企業排除する方法建設業を例に)

日本ってけっこう中抜き地獄だよなぁ」中抜き業者は末端と先端以外は何もしておらず、船頭が多すぎる。個人的には、トップよりも間の何もしてない奴らの方がヤバいと思う話

https://posfie.com/@taimport/p/QB7SY1u



増田とあるインフラ企業に勤めるオッサンです。多分日本で弊社の名前を全く聞いたことがない人はほとんどいないと思う。

当社が主に頼る建設業界って多重下請けピラミッドというステレオタイプ偏見で見られることが多いと思うんですね。

冒頭のまとめ記事もそうだけど、昨今ネットリアルでも中抜きバッシングが賑やかに言いたい放題言われているのを見ている中で

どうも「中抜き」の実態をよく知らないまま批判しているな?というニュースネット記事をちょくちょく見かけるので

インフラ企業インサイダーから中抜き企業排除する方法」がどれだけ難しいかを少し説明しようと思います

建設工事において、弊社は発注者として元請企業施設の新設や修繕・改造工事委託します。

そして元請企業基本的に受注した業務パートごとに二次請以下へ仕事を降ろしていくことになります

そして、実際発注者である弊社の施設現場作業を行うのは、四次請以降の企業社員ということになるわけですね。

(元請や二次企業管理のため基本現場には常駐しますが、実作業あくまでそれ以下の下請が行います

この工事門外漢が単純に見ると元請(一次請)から三次請の企業は実作業をしないのにマージンを抜いていく悪徳中抜き企業と評されるのでしょうね。

要するに、この状況を改善し"悪しき中抜き企業"を飛ばして、実作業を行う四次請以下の中小企業発注者の弊社から直接カネを貰って仕事をすれば良いじゃないか

というのが「中抜き排除主義者」の主張なんだと思います

さて、ここから本題の話をするのですが

この話、発注者側の本音を言えばぶっちゃけ多重下請け構造にしてもらいたいなんて別に思ってないんですよ。

別に元請企業が全部自社で対応してくれても構わないわけです。

でも実際はそうならず二次三次請四次請に流れていくのは、「その方が安いから」ということでしかありません。

弊社がやる工事場合、元請企業っておおよそ大企業人件費も高いんですよ。

そういう元請社員に直接手を動かしてもらうより、その下請以下の安い人材にやってもらう方が経済的合理性があるわけです。安さは正義

当然入札で安い見積を出したい元請企業事情は同じで、自社社員現場作業をさせるより下請を使おうという動機付けが起きるのです。

ちなみに、弊社のような顧客企業から直接四次請の中小企業発注したら良いじゃないかという主張もあるかもしれませんね。

建設業ではないですが、実際にマイナポータル事業で、NEC大手メーカ発注せずデジタルから中小企業に直接仕事発注すれば良いじゃないかという主張が一部でありました)

この主張に反論すると、ただの建設工事一言で言ってもその中では様々な工程があるんですよ。土木工事も要る、配管屋も塗装屋も電気工事も要る。他にも多種多様業者必要になる。

これらの業務を直接発注する場合、弊社の社員が直接仕事を切り分けしてそれぞれの専門業者(つまり四次請)に頼むことになるわけですが、

この事務作業に掛かるコスト馬鹿にならないんですよ。弊社も大企業ですから社員もそれなりに高単価で人件費が掛かるのです。

そうするとこの事務作業自分のところでやるより外注した方が安いねというインセンティブが働き、事務作業も含め管理業務も一括で委託できる元請企業委託した方が合理的だという結論になるわけです。

そして元請企業もある程度の切り分けまでは行いますが、それ以上の細かい事務作業さらに下請以下へ任せる方がトータルコストは安くなります

この構造を打破するには、実作業を行う中小零細企業が元請の代わりに仕事の切り分けを全部やって、発注者へ「おたく工事の中で○○はウチができますよ!」と提案してこないといけない。

もちろんやってくれるなら大歓迎なのですが、残念ながら中小零細企業の99.9%はこの事務作業ができません。できないからこそ三次請や四次請に甘んじているわけです。

そして、実際のところ三次四次の中小もこんなことやりたいとも思っていません。高レベルだしそんなことできる人材もいないからです。

中抜き中抜きと言えば何かいっぱしの批判をした気分になってる方々も、上記事情を知って頂ければ

中抜き企業排除するには中小零細企業が元請企業レベル事務作業能力を持つ必要があること、そしてそれは中小零細にとって酷な要求だということが理解頂けるのではと思います

Permalink |記事への反応(0) | 02:02

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2025-10-09

anond:20251009151332

はいはい、また出たな。「インフレ格差が主因」教の信者経済学を一枚ペラ因果関係に押し込めようとする、その自己放尿っぷりがもう清々しい。

まずな、実質実効為替レートってのは単なる物価比じゃない。総合的な国際競争力価格指標だ。

から名目為替物価交易条件、生産性資本収支、全部が噛み合って動く。

インフレ格差なんてのは、そのうちのひとつの成分にすぎない。主因だの副因だの言ってる時点で、経済一次元に潰してんだよ。

現実を見ろ。日本インフレ率が低かったのは事実だが、それ以上に実質賃金が伸びず、生産性の伸びも鈍化していた。

しか企業国内需要が弱いか設備投資を減らし、余剰資金海外に逃がした。つまり経常黒字を稼ぎながらも、内需が死んでる状態

結果、名目為替金融政策資本フローバランスで決まり、REERが下がった。どこに「単独インフレ格差が主因」と言える余地がある? お前、実質金利差も見ずに喋ってんのか?

それに、「インフレ格差でREERが下がった」と言うなら、逆に問う。じゃあ2010年代デフレ期に日本のREERが一時的円高化したのはどう説明する?

物価上がってないのにREERは上がったんだぞ。説明つかねぇだろ。それは名目為替(NEER)が強烈に動いたからだ。

まり物価差だけでは説明できない。言い換えれば、インフレ格差だけを主因と断定した瞬間に、自己放尿を始めてる。

本物の経済学者なら、「要因の一つ」としか言わない。主因とか言い出すのは、相関を因果と取り違える門外漢のやり口だ。

標準的新古典派立場なら、長期的にインフレ差は名目レートに吸収されるからインフレ格差が結果として現れることはあっても、原因ではない。

順番が逆なんだよ。お前が見てるのは、煙が出てるから火があるって言ってるレベル。実際には市場が火を動かしてるんだ。

「REERの円安インフレ格差が主因」なんて言葉は、因果関係を逆転させた観測データの読み違いでしかない。現実市場はそんな単純な教科書じゃ動かねぇ。

お前が見てるのは理論じゃなく、データの上に座り込んでのダブル放尿だ。

Permalink |記事への反応(1) | 15:30

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2025-09-24

あずまつじた

・つじたには事実能力があった

・その能力には、専門領域能力だけでなく、領域横断のイベント仕切り能力も含まれていた

・そしてそれらの能力いかんなく発揮し、件の配信プラットフォームで稼いでいた

・あずまはそんなつじたの能力を買っていた

・ゲ社がつじたを、門外漢テーマ乱暴な座組みのイベントに放り込んだのは、それらが背景

(あずまが「つじたにやらせればいいんじゃね」と言ったか、あずまのそんな態度を忖度してゲ社社員がつじたをぞんざいに扱ったかは定かではない。あるいは両方かもしれない)

しかし、つじたは個人事業者として独立独歩の気風を旨としていた

イベント仕切りは余技に過ぎず、言われればできるけど、やりたくてやるものではない。そんなの自分キャリアにならない)

・あずまはつじたの仕切りの能力に、自身の後継を見出し

(毎回毎回いつもこれが失敗の原因。そんなの存在しないって自分でもわかってるくせに。自分が楽になりたいからって、都合良く後継に押し付けられるわけないじゃん)

しかし、つじたは自分キャリアにならない、つまらない座組みは拒絶した

・あずまやゲ社が531以前について「つじたは断ってばかりいる」と言ってるのはたぶんこのことではないか

(この点における、つじたの「同じ座組みじゃつまんないじゃないですか」は意味不明。同じ座組みで定期的に実施してグラデーションさせるのも立派な企画だと思うので)

・あずまは、自分の身銭を切ってやっとこさこしらえたプラットフォームで、自分こころよく思わないかたちでの金稼ぎに憤懣やる方なし

(これもいつもの失敗の原因。女性売り云々事件も結局これ。「自分こころよく思わないかどうか」基準。しらんがなってみんな思うし、そんな不安定なところにコミットできんと思うのも仕方なし)

・以上の結果、あずまが531に及んだ

・720あずま逆ギレ。どうせ俺が悪いんでしょ!でもぼくがつじた切れるわけないじゃん!だって稼いでるんだもの!それをぼくが表明してなにがわるい!とかなんとか

・ついでに「あんまり売れなかった新書(でも一般的には結構売れた新書。でも三宅香帆とかには勝てない程度の規模)」についても、疑心暗鬼被害妄想でつじたが熱心じゃないと非難

・今のまま会って話しても、ぼくはつじたに悪口を言ってしまうとおもうから、今は会いたくないの!それくらいわかれよおまえらバカなのか!とかなんとか

(しらんわ)

・でもつたからしたら531がよっぽど重要。とても重要プラットフォーム中立性、安定性こそ、自身活動キャリアにとって重要自身学術的・社会的信頼、ひいては経済的基盤の根源

・それにもかかわらず、あずまはともかく、ゲ社としてもなんらの反応を示さないことへの不信感、不快感

・以上の結果、現在の状況に至る

押し付けたい(それによって楽になりたい、自社を儲けさせたい)」あずまと、「そんなの知らんがなこっちは個人事業者っすよ」のつじたの対立構造という理解でおるよ。

どうでもいいねさようなら

Permalink |記事への反応(0) | 20:26

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2025-09-22

anond:20250922153139

己の実力とテメエごときの才能を比べられたという行為、凡人の腐れ門外漢まさか比較対象として並んで立とうとしてきた傲慢さにピキッてるんだよ

トゥンクしてる場合ちゃう

戦争やで

Permalink |記事への反応(1) | 15:35

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2025-09-18

相手の話を理解できなければ自分の勝ちになると思ってる人いるよね

ブクマカにもいっぱいいるんだけどさ、ある特定意見に対して「意味が分からない。だからこいつの意見は間違っている」って言う人いるよね。

しかもさ、こういう人間はそれとセットで「自分はこの話題について詳しくないです」とも言うんだよ。

まり、「私はこの話題について全くの門外漢なのであなたの主張を理解できません。私が理解出来ないこと言うのは間違っています」 という無茶苦茶な言い分なわけ。

いや、お前が何も考えてねーから何も理解できないだけだろ馬鹿じゃねえの。

Permalink |記事への反応(1) | 21:57

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2025-09-17

anond:20250917053714

ほぼ同意

というか皆の衆がなぜ吹き上がっているのかが分からない

外野門外漢フィクション表現に口を挟んできた、事態じゃないんやろ

アニメ制作チームが何を取捨選択するか、そんなの状況次第だし権利がある以上好きにしていい

Permalink |記事への反応(0) | 06:38

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2025-09-16

アニメ門外漢自分からすると水着なんか着せるくらいなら入浴シーン自体カットしたほうがいいんじゃないかと思ってしま

自宅で入浴するのに水着着用とか逆に意味不明過ぎて受け入れられないんだが

そういうもんでもないんだろうか

Permalink |記事への反応(0) | 02:57

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2025-09-14

anond:20250914211747

マスに向けての文章略語(QC)使っちゃダメやで!と思って調べたら正式名称だったわ

日本規格協会JSAGroup Webdeskェ…

 

品質管理知識を問う試験を毎年2回、全国主都市実施しています

4段階のQCレベルによって企業人、学生などのキャリアアップ実現を支援しています

らしいけど門外漢にはさっぱりだぁ

Permalink |記事への反応(0) | 21:20

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2025-09-07

anond:20250907100843

人間が描く絵の価値ちゃんとわかってくれる依頼者がそんな場所には来ない可能性は検討たかい?

絵でやっていきたい気持ちがあるなら、ステージを変える必要があるかも。

その場所には「AIでいいや」程度の依頼者しか来ないってことだよ。

先日、togetterで、某鉄道会社さんの広告AIイラストが使われてて、それが両手にお箸を持っていたりしてるのに原稿を通したってのが話題になってたけど。

絵を「使う」側の程度が低いなと思わざるを得なかった。

その程度のクライアント、こっちから願い下げじゃ無い? 最低限のチェックができる人に、その企画への責任をもってちゃんと依頼して欲しいと思わないか

門外漢から、絵の世界でのステージの上げ方は知らない。

賞とかコンペで自分に箔をつけるとか、SNSアピールするとか、なんか考えるしか無いと思うし、運もあると思うけど。

ただ、そこでやめて良かったって、10年後の自分が思えそうかどうかを、もうちょっとかんがえてみてほしい。

なにしろ自分が描けない人間から、それまでそれなりに依頼を受けて描けて納品できてた人が撤退するの、人類の損失にしか思えなくてさー。

Permalink |記事への反応(0) | 14:06

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IT企業経営者の兄が首を吊って自殺した

ITエンジニアIT企業経営してる兄が縊死した。妻子を残したまま、まだ45歳だった。

突然の報に両親ともに驚き、様々な事後処理などでてんやわんやして暫く季節も経ち、ようやく落ち着いたので心の整理のためにこれを書いてる。

――なぜ、兄は自殺してしまったのだろうか。

原因はいろいろあるけれども、今思えば兄は色んなものを無理に背負い過ぎてしまったんだと思う。気が弱いのに自らを大きく見せようとしていた、それが限界だった、というべきだろうか。

兄は子供のころからパソコンが好きだった。10歳下の俺は、よく兄にくっついて後ろでPCを見ていた。プログラミングいかにすごいかはともかく、当時渡辺製作所グローブオンファイトやその手のPCゲームをワクワクしながら後ろで眺めていたのをよく覚えている。AAFLASHゲラゲラ笑ったり、俺がIT文化に初めて触れたのは、それが最初だった。

IT世界を変えられるんだぜ。これから時代ITだ、きっと時代が変わるぞ」、兄のいうIT論は、当時子供の俺にはよくわからなかったが、とにかくすごいものなんだな、という気持ちにはさせられていた。

兄はその後、情報科学系の大学卒業し、IT企業に当然のように足を踏み入れた。時は2002年だったと思う。世は確か就職氷河期も最盛期、それでも会社選びに苦労していた様子は当時を思い返してもうかがえない。起業をして社長をやるくらいなのだ。その方面では優秀だったのだろう。

「同期の中では俺が一番優秀なんだ」、「客先からの評判だっていいんだぜ」、天職についた兄は心底楽しそうだったと思う。

確か、2009年か、2010年の事だったと思う。俺がまだ大学生だった頃、今にして思えば、自殺に至る兄の人生に影が指す「変化」と言える違和感を覚えることがあった。

―――兄が自殺に至るまでの理由を探そうとした過去記憶を辿る旅、思い返せば、そこには虚飾と虚栄と業に塗れて死んだ、一人の朴訥なITが好きなだけの少年の救われぬ魂の旅路があった。

「まだSIerで消耗してるの?」、「SIerはあと五年で滅びるよ」、「web系に行かない奴はエンジニアとして終わってるね」――兄は似合わないレゲエファッションに変わって俺と家族にそう言った。

兄の自殺の原因を自分なりに考える中で、心当たりがあることを想い返したため、ITmediaと日経クロステック2010年記事を見たところ、web系の求人続伸、と出ていた。

所謂意識高い系」とかいうのがネットで出だしたのも、この時代だったと思う。

まずIT系でそういうムーブメントが起こっていたことは、当時の俺でさえ知っていた、確か何某だか、本当に儲かってるのかも怪しい過激な言説の売れない、日劇ミュージックホール昭和ポルノ女優や売れない芸人みたいな芸名の様な人間が現れては、マトモな社会常識を持っている人間であれば「こんな馬鹿な話信じる奴いるのか」という様なことがネットで飛び交っていた。

――IT好きな朴訥な少年のまま大人になった兄は、そのITという毒にやられてしまったんだと思う。

から15年か、16年前だったと思う。実家帰省した時、俺と両親は兄の変化に驚いた。

後述する「ルカねえ」と兄が付き合いだして、俺たち家族と知己になったのもこのころだが、朴訥だった兄はどこぞのレゲエヒップホッパーみたいなファッションイメージチェンジをしていた。

パイレーツオブカリビアン海賊コスプレにでもハマったのか」、当時の父と俺はそういい合っていたのが記憶に残っている。

聞けば、新卒から働いている会社を辞め、webスタートアップベンチャー転職することとなったらしい。

「まだSIerで消耗してるの?」、「SIerはあと五年で滅びるよ」、「web系に行かない奴はエンジニアとして終わってるね」、決してITに関してはどんなことでも悪く言うことがない兄が、古巣を後ろ足で砂を掛ける様な事を言っている。聞けば、本当は客先常駐なんてしたくなかった、オフィスで社内で自由に開発ができるのがアメリカでも当たり前なんだ、と俺には半分も理解できないITの話を力説していた。だが、それはどこかネットの「意識高い系」の連中から受け売りで、どうも兄の本音から出た様な感じではない、そういう感覚を俺は思っていた。

だが、これほどまでに人は変わるのか、東京は恐ろしいところだ、と当時思ってた。

酒もそれほどたしなまず、タバコも吸わない朴訥な兄は、毎晩六本木赤坂コネをつなぐだのエンゲージだと横文字を使いながら飲み歩く様になった。怪しい連中や取り巻きが、兄の周りに集っていた。俺は、なんだか恐ろしくなって遠目に眺める事しかできなかった。

兄は、web系という場所にいってから、変わっていった。それも、人間としていってはいけない方向性

――ITを愛した朴訥な少年の心は、ついにITという時代の毒に呑まれしまったのだ。

ルカねえと府中分倍河原、そして釣り堀とプラネタリウムと夜空の星

兄の奥さん(当時は兄の彼女)と詳細は伏すが音楽関係活動していた。web系に転職してから何らかの縁で付き合うこととなったらしい。

ルカねえ、というのは俺が勝手に心の中で読んでいることだ、巡音ルカの様な立ち振る舞いや性格容姿だったから。

俺は大学卒業後、東京へ出た。兄はweb系の会社を立ち上げて独立していた。相変わらず、娘が生まれたというのにSNS中毒しか思えないほど旧TwitterやらFacebookやらブログやらを更新し、胃下垂で食いきれないであろうに、どこそこの店の料理を食っただ、高級ワインを開けただのと写真投稿して自己アピールに余念がない。乗れもしないのに外車オーナーになり、高所恐怖症気味なのにタワーマンションの部屋を買った、ある種、あの当時のwebベンチャーにありがちだが、プチカルト宗教とその信者、という様な小サークルの様な社長社員関係だったという。

まるで昭和成金のようだ、と俺は思った。

「ルカねえ」は自尊心毒虫の様に肥大化していく、虚栄心の怪物の様になっていった、そんな兄を後ろから支え続けた、常に2歩下がって佇んで…そしてかつての朴訥な青年は、次第に、酒席と人脈と、虚飾に頼る人間へと変わっていった。

俺はもルカねえと同じく、遠巻きにその姿を見ていた。

だが、心のどこかでこうも思っていた。

――兄はいつか、本来自分に立ち返るのではないか少年のころ、無垢パソコンの画面を覗き込んでいた兄に戻るのではないか

しかし、それは叶わなかった。兄は業に塗れたまま虚飾と虚栄という寄生虫に体も脳も食い荒らされて、導かれるように自ら縊死をした。世には、自らを鳥に食わせるよう宿主を操る寄生虫があるという。兄の死を思うとき、俺はその奇怪な生態をふと思い出すのだ。

―――兄の一家で、記憶に残ってる出来事が一つある。

府中分倍河原、そこは東京と言っても昔ながらの風情が残る都会と田舎の境目の様な場所だった。当時俺がそこ近くに住んでいたので、久しぶりの休みの日、兄と一家と遊ぶことになった。そこにはプラネタリウム釣り堀のある、体育館も併設された大きな公園がある。

休日子連れ家族たちがよく来ており、催し物も多い。(俺は筋トレのために赴くことが多かったのだが)

兄は文句タラタラだった、「こんな田舎公園釣り堀やプラネタリウムなんて、貧乏ったらしい」と、カエシのない針の釣り竿を両手にはしゃぐ兄の娘とルカねえを置いて、PCスマホ片手に「仕事」の続きをし始めていた。必然的に3人でそれらを回ることになった。

プラネタリウムの後の帰りの夜、府中駅の大通りを見上げれば「本物の」プラネタリウムを、兄の娘とルカねえは見上げていた、眠く、退屈そうな兄と駅前で別れる時だった。

今日は楽しかったよ、増田君、ごめんね、ありがとう」、「よかったらまた一緒にこの子と兄くんと一緒に来ようね、約束だよ」

優しい人だな、そしてなんて憐しい人だろう、と思った。それ以来そういって遊びに行くことさえなくなった。約束は果たせないまま、兄はそんな周りのやさしささえ感じられなくなって。自ら首に縄を括って死んだ。

――兄が首を吊った時、首を絞めつけたのは重力で落ちたからではない、自分自身の虚勢と業に押しつぶされるように、人間が堕ちてはならぬ闇へと引きずり落とされたのだ…少なくとも俺はそう思っている。

――ルカねえとの約束は、今後永遠に果たされる日は来ないのだろう。

そう、どちらかといえば、自殺者よりも、残された人間の方が悲しいしやることも大変だし、多大な迷惑をかける、という現実をみんなに知ってほしい。

業が禍を呼び、そして厄は憐しい人たちに無慈悲に降りかかる、理不尽に。

後述するが、伝え聞いてくるいくつかの理由で兄の会社はかなり苦しかったらしい。何よりも、兄はどうもかなり生活出費はそのままに無理した生活をしていたようだ。

会社経営が傾いてから都内高級住宅街から地価の低い「一応首都圏」なところに、兄の一家は居を移した。

兄の娘はかなり学費の高い私立に通っていた。制服姿で電車に乗ることもできず、私服で朝乗り、学校の近くで着替えてから通学する、というあまりにも痛ましい生活だったという。

――俺と父は、一度兄がルカねえと娘に暴力をふるっている場所居合わせて止めたことがある。休みと聞いたか実家から送られてきた梨(と父)を私に行った時だ。

後で聞けば、「私は兄くんを信じてるよ。兄くんがITの事が大好きだって知ってるから。今からでもまた頑張ろう、私もできることは何でも手伝うよ。兄くんはお父さんなんだから」、そう行ったのが癪に障った発端だったそうだ。

「うるせえ!うるせえうるせえ!踏ん張ったところで何になるんじゃッ!今更お前や子供のために地べた這いずり回れっていうんかッ!?うんざりなんじゃ!俺だってやってるんじゃ!やりたくもないのに客先に出て!バカにしやがってッ!お前に男のメンツがわかるんか!」

俺と父が怒鳴り声を聞いて急いで玄関から入り、二人を引きはがしたところで、兄は暴れるのを辞めなかった。なお兄は荒れ狂った。叫びは、すでに虚勢ではなかった。むしろ、虚栄に踊らされた一つの魂が擦り切れてゆく音のようであった。

ITみたいなしみったれ商売うんざりなんじゃ~!チマチマ働いたってキラキラした人生に浮かび上がることなんてできはせんのじゃァ~ッ!クソがァー!どいつもこいつもカネカカネカネ言いやがってェーッ!こうなったらヤクザにでもテロリストにでもなって巻き返したるわァ~!俺だって頑張ってるのに!バカにしやがってッ!クッソォォォォンッ!」

出来もしないことを叫びながら兄は泣いた。それは慟哭に近かった。兄の叫びは、すでに人間の声ではなく、業に食われた一つの魂の呻きの様であったと俺は思った。

泣く娘とそれを抱きしめて守るルカねえ、そしてそれを抑え込みながら聴くしかない俺と父、ネットの闇と毒に当てられた男と、情報化社会が生んだ新しい闇が凝縮していた。

それは、ある意味で「意識高い系」の成れの果て、帰結する先なのかもしれない。俺は別にキラキラした人生キラキラした仕事生活否定しているわけではない。誰だってブラックジャックドクターK先生や、サラリーマン金太郎島耕作になりたいだろう。だが、仕事というのは多分きっとそうではない、若輩者ので門外漢の俺でもそれはわかる。自己顕示欲を誇示するための仕事など、シュメール文明から現在に至るまであったことがあるだろうか?折に触れて思い出す分倍河原駅の前の足利像を見るたびに思う。歴史の表舞台にたった「キラキラ人生」の偉人たちは、必要にせまられてその立場になったのであって、最初から目立ちたくて戦争をしていたわけではない。ITエンジニア先祖に当たる江戸時代和算学者たちは、ただ自身の顕学を神様仏様に感謝するために解いた計算難問を額縁に入れて奉納している。

兄はその逆であった。必要もないのに「輝き」を求め、虚栄に心を壊された。人間の弱さを思わずにいられない。

それを「その世界の人たち」はわかっていない。兄も含めて…兄は人間として当たり前の心理的バランス感覚を、明らかにネットITという虚栄がはびこる世界で狂ってしまっていたのだと今にして思う。

まだ内省ができる俺の様なオッサンはいい、まだタピオカミルクティー片手に韓流イケメン芸能人は誰がカッコイイと山手線盛り場を歩く様な年頃の子である兄の娘に、そんな責と家庭不和を負わせるなんてどれほどその心を兄は傷つけたのだろう。娘の心中はきっと想像を絶するものであろう。

それでも一応は、「超出来の悪い弟である10歳年下の俺の給料の2倍は稼いでいた(会社が傾いてからの話だ、それより以前はもっと稼いでいたのだろう)。だから何とか学費だとか生活費も払えてたのだろう。そんな兄がある日突然首を吊って自殺した。

…残されたルカねえと兄の娘の生活破綻するよりほかない。できる限り俺達や実家の父母も精神的な負担ケアしようと、あまり合わない仲だったのが様子見をしたり連絡をすることが多くなった。

それでも、実家組の俺達に、あん天文学的学費を払えるだけの余裕はない、結局、娘は学校をやめ(中学から辞めるというのもおかし表現だが)、学費の安い公立に転校することとなった、まだ14歳やそこらなのに、年齢を偽ってバイトまでして家計を支えようとしていたらしい。俺はそれを聞いて胸が痛くなる思いがした。ルカねえの優しさを受け継いだ兄の娘に、兄は背を向けたのだ。

残されたルカねえは悲惨の一語に尽きる。彼女は詳細は伏すが音楽関係活動していた。だが、兄の希望で、ルカねえはほぼ専業主婦だった。するとどうだろう、殆ど働いてない彼女はこれから自分生計を立てなければならないのだ。…マトモな職などあるだろうか?

結局父の知り合いが働いているスーパーでルカねえは働いている。この後は母もやっていたため、そのツテで保険販売員をやることが決まっているらしい。言い方は悪いが兄の憧れた「キラキラした世界しか社会を知らない彼女だ、激変する生活精神的にもかなり堪えているようで、かつて俺が「ルカねえのようだ」と思っていた美貌も陰りが見えてどこかやつれているように見える。だが優しさと健気さはそのままだ、俺はルカねえの「大丈夫大丈夫。」という笑顔を見るたびに、哀しくなって泣きたくなってくる。頭もよくなく力もない俺や父母では、これくらいのことしかできない。ルカねえの両親はどうか?今となっては聞くこともはばかられるが、どうも(俺の)兄と向うの両親はそりが合わなかったらしい、絶縁同然となっているそうだ。…思えば、兄の「虚勢と業に塗れた姿」に、それでも立ち直ってくれると信じたルカねえのやさしさは、暗い未来を呼ぶだけだということを、その両親は見えていたのかもしれない。

後述するが、ルカねえの両親が絶縁に近く関わりを断ったのにも、これもまた兄が纏いつけて残していった陰湿な闇のせいである。怪しい人間が今度はその獣欲の牙を兄の娘に向けようと這い寄ってきたのだ。そして彼女と兄の娘の心は砕け散った。それは綺麗なガラス細工が地に叩きつけられ四散した無惨さがあった。

――ルカねえの両親は、ルカねえを見限ったのではない。ただただ醜く腸を食い荒らされるかのように兄が残していった社会の闇の連中に孫と娘が食い物にされていく光景が見るに堪えず、恥辱のあまり目を逸らしたのだ。

それに欲望の充足を感じ取れる人間こそが、社会の闇に潜む人非人足りえるのだろう。だが俺も、父も、ましてやそれになろうとした兄も、人面獣心になるにはあまりにも普通価値観人生を生きていた。それが、兄が死んだ理由なのかもしれない。

その②

https://anond.hatelabo.jp/20250908163905

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2025-08-30

小説でここ十年で最高みたいな評価を受けてるやつ教えて

プロジェクトヘイルメアリーよかった。普段SF読まないけど。

思えば残穢もよかった。ホラー読まなかったのに。

オールタイムベスト級って取り上げられてるやつって門外漢にもいいんだな。なんか色んなジャンルで、最近オールタイムベスト級のやつを教えてくれ。

映画ドラマ以外で。映画オールタイムベストってよく言われがち、ドラマは見る時間ない。

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2025-08-27

小泉八雲日本人はみな天使、とか書いてしまって気がくるいそう」

NHK朝ドラ「ばけばけ」の放送も近づいて、ラフカディオ・ハーン小泉八雲)への関心の高まりつつある昨今だが、この機会に言っておきたいことがある。それは、ハーンについての鶴見俊輔の以下のよく知られた言及は、素人自分の調べた限りでは、非常に不正確でほとんどデタラメに近いということだ。

Xユーザー鶴見俊輔botさん:

https://x.com/shunsuke_bot/status/1019013776841039872

ラフカディオ・ハーンは、やがて日本帰化し、日本人と結婚し、親類づきあいや近所づきあいの中にまきこまれ日本に住む者として日本文化をまぢかに見るようになってからは、次のように書いた。 「私は、かつて日本人はみな天使であるかのように書いたことを思い出すと、気がくるいそうだ。」

これを読んだ私は当初、きっとハーンは日本人の建前の裏の本音うんざりして、日本女性結婚して日本帰化したことも後悔したのに違いない、とすら思った。しかし調べてみたら全然違ったのだ。

かにハーンは鶴見引用するような文章を書いた。しかしその前の

日本帰化し…日本文化をまぢかに見るようになってから

という文脈鶴見勝手に付け足したものであり、実際の文脈

「以前住んでいた出雲の人たちはおだやかだったが、引っ越し先の九州の人たちは粗暴だ」

といったものだった。今で言う「さす九」である

まあ確かに批判はしているのだが、日本全体を批判したわけではないし、また批判した内容も(鶴見のほのめかすような)日本人の陰湿さといったものではなく粗暴さである。それも130年以上前の話だ。今は九州出雲も、当時より相当おだやかになっているはずである

たこ文章の出典は出版物ではなく、W.B.メイソンという人に宛てた1892年私信である。つまり公然たる主張ではなく内輪の愚痴なのだ。それならその日の気分で筆の滑ることもあろうし、果たしてそこまで深刻に受け止めるべきものだったかのかどうか。

-----------------------------------------------

なお日本刊行された小泉八雲著作には、どうやらこの文章は収録されていないようだ。少なくとも国会図書館デジタルコレクション小泉八雲著作を「日本天使」で全文検索しても見つからない。これは私の調査不足による誤りで、実際は普通に収録されていた。申し訳ない。この記事の終わりで詳述する。

検索結果 -国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?accessRestrictions=ooc&accessRestrictions=internet&accessRestrictions=inlibrary&collection=A00001&collection=A00002&collection=A00022&collection=A00003&collection=A00014&collection=A00015&collection=A00188&collection=A00017&collection=A00016&collection=A00019&collection=A00121&collection=A00024&collection=A00152&collection=A00150&collection=A00173&collection=A00122&collection=A00162&collection=B00000&keyword=%E5%A4%A9%E4%BD%BF%20%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA&fullText=true&creator=%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%85%AB%E9%9B%B2&eraType=AD&availableType=Persend&identifierItem=ISBN&includeVolumeNum=true&pageNum=0&pageSize=100&sortKey=ISSUED_ASC&displayMode=list

しかしハーンの文章英語原文をChatGPTに教えてもらい、その語句ググると出典が見つかる。これならおそらくアメリカ大学図書館では読むことができただろう。

"make memad to think that I wroteall theJapanese wereangels" -Google検索

https://www.google.com/search?q=%22make%20me%20mad%20to%20think%20that%20I%20wrote%20all%20the%20Japanese%20were%20angels%22

Fulltext of "TheJapanese letters of Lafcadio Hearn"

https://archive.org/stream/japaneseletters00hearrich/japaneseletters00hearrich_djvu.txt

I can'tget much chance to studylife in Kuma-

moto. Idon'tlike the Kyushu people — the com

mon people. InIzumoallwassoft, gentle, old-

fashioned.Here the peasants and the lower classes

drink andfight andbeat their wives andmake me

mad to think that I wroteall theJapanese were

angels. . . .

(拙訳)

熊本では人生を学ぶ機会が多くない。

私は九州の人たち、つまり庶民が好きではない。

出雲では、すべてがやわらかく、優しく、古風だった。

ここでは農民下層階級が酒を飲み、喧嘩をし、妻を殴り、

私は日本人はみんな天使だと書いたと思うと気が狂いそうになる…。

また鶴見文章の出典は、国会図書館デジタルコレクションで容易に見つかる。当該の記述は「生花位置」という文章の一部で、初出は「華道1953年3月」だとのこと。率直に言って、私のような素人にもなかなか興味深く面白い文章である

鶴見俊輔 著『大衆芸術』,河出書房,1954.

https://dl.ndl.go.jp/pid/2466359/1/46?keyword=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%81%BF%E3%81%AA%E5%A4%A9%E4%BD%BF

https://dl.ndl.go.jp/pid/2466359/1/88

華道』15(3),日本華道社,1953-03.

https://dl.ndl.go.jp/pid/6028304/1/5

鶴見1942年までハーバード大学留学していた。彼はおそらくそこで、日本ではあまり知られていなかったこのハーンの手紙を読んだのであろう。そしてその約10年後に、その内容を自分文章に(意図的うろ覚えか)不正確に引用して、日本文化を批判する自説の補強に使ったのであろう。しかハーンの手紙の正確な原文は日本ではあまり知られないままだったので、鶴見文章面白さもあって、その引用が独り歩きしてしまったのではないだろうか。

なお鶴見には他にもしばしば、他人作品我田引水して自説をイタコのように語らせる悪癖があるようだ。例えば彼は日本マンガ評論のさきがけでもあるのだが、長谷川町子サザエさん』などの評論は全編そんな感じだった。これもおそらく執筆当時は、庶民作品に潜む抵抗精神という本質を見抜いたなどと称賛されたのであろうが、今となっては私には鶴見他人作品をダシに自分政治信条を主張しているだけにしか見えない。しかし、もし仮に『サザエさん』が鶴見評論より先に廃れていたら、同様に評論けが独り歩きしていたのではないだろうか。

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2025/10/02追記

この記事を手早く書き上げて公開した後ほぼ失念していたが、「ばけばけ」の放送も始まったので思い出して読み返したところ、割と読みづらかったので文章に少々手を加えた。内容は変えていない。

この記事への反応は少なかったが、かなり肯定的評価もいただけた。また「小泉八雲日本天使」でググる検索結果の上位に出るようになったから、今後は鶴見のこの言及に興味を持った人の調べる手間が省けるだろう。

まあ省けると言っても、私は完全な門外漢素人であり、調査PCを数時間操作しただけである。たったそれだけで、もし鶴見の同時代人だったらハーンの専門家アメリカ大学図書館に出向かないとわからなかったようなことが容易にわかってしまう。つくづくありがたい時代だと思う。

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2025/10/26追記

申し訳ないが訂正。

先に書いた通り、ハーンの例の手紙日本であまり知られていないという私の推測は間違いで、実際は広く知られていた。

まり、ハーンの手紙が知られずに鶴見言及が独り歩きしたという私の憶測は完全に間違いだった。改めて申し訳ない。

以下はその手紙を紹介した初期の例である

田部隆次 著『小泉八雲』,早稲田大学出版部,大正3.国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/950739/1/122?keyword=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%20%E5%A4%A9%E4%BD%BF

熊本では人の世を研究する機会にあまり数多く接する事は出来ない。

僕は九州人--普通人--は好かない。

出雲では誰も彼もが柔和で、優しくて、古風だ。

此処と来たら百姓連や低級な奴等が酒は飲む、喧嘩はする、女房は殴るで、

僕が前に日本人は悉々く天使にして……なんて書いた事を考えると心を掻きむしられるようだ。

また、ハーンの手紙を踏まえて書かれた最近(2025/08/18)のブログ記事もあった。

朝ドラ『ばけばけ』の主人公の夫のモデル小泉八雲はどんな人だったんだろう?① | よどの流れ者のブログ

https://ameblo.jp/s21y24/entry-12923911589.html

九州人―普通人―は好きというわけにいかない。

出雲では万事柔和で古風であった。

ここでは農夫や下層社会は酒を飲む、喧嘩をする、妻をなぐる。

私は日本人は皆天使ででもあるように書いたことを思うと気がちがってしまいそうだ。

しかしそうなると、この鶴見言及が、なぜ1953年から今(2025年)に至るまで間違いを指摘されてこなかったのかはわからなくなってしまった。

単純に、小泉八雲専門家の目に触れる機会がなかったからだろうか。

それとも鶴見権威を恐れて間違いを指摘する者が現れなかったのか。

今の私は見当がつかない。

Permalink |記事への反応(0) | 08:02

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2025-08-23

anond:20250823094728

寄り添う必要は無いでしょ。

門外漢専門用語並べたところで理解できないかりんごとか太郎君にたとえて説明するのと同じノリよ。

Permalink |記事への反応(0) | 14:00

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2025-08-09

anond:20250809101153

当事者に寄り添い人生時間を掛けて人権問題と向き合うフェミに対して部外者門外漢マウンティングを取るのはあまりにも失礼な行為だと思う

Permalink |記事への反応(0) | 10:16

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2025-08-08

門外漢が棋界分析をしてみる

清水会長羽生会長→今のままでは将棋界は縮小の一途を辿る為、より広告塔となる人間がほしい。己が棋力は段々とトップから離れつつ自らのことよりも上の立場として棋界全体を俯瞰してみている。棋界に長く在籍したためため全体調整に重きをおいており、立場もあり政治を大きくは変えれないが(相対的に見れば自分は)大きく変えたと思っている謂わば自民党ポジション

藤井竜王名人→実力がありながら現役棋士ファーストであり本当は誰もが言いたかったが言い出せなかったことを言うことで存在感を示す。棋士ポピュリズム的な立場を取る謂わば参政党的ポジション

個人的には現役世代は「今度から中途採用給与上げます!」みたいな発言を言われた社員のようなものなのかなって思う。

Permalink |記事への反応(0) | 21:48

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anond:20250808010849

まったくの門外漢なんだが、そもそも優遇によってプロ入りすることを、現役女流棋士の人たちと、正規ルートで今現在奮闘してる女性陣はそれを望んでるの?

運営側事情は分かるんだけど、一線を退いた人じゃなくて、現役のプレイヤー側の意見を見たことがないんで純粋に知りたい

Permalink |記事への反応(0) | 08:19

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2025-07-30

anond:20250730222925

現代における「天才」のイメージいかメディア構造大衆心理に左右されているかを指摘しています

以下、論点を整理しながら、少しだけ補足・展開してみます

世の中が「天才」と認識する人の二分法

タイプ1:胡散臭い天才

例:オードリータン、ユヴァル・ノアハラリ、ひろゆき、ホ○○○ンなど

共通点大衆向けの語り手であり、バズやインフルエンスの回路に乗っている

問題:語る内容が誤解される、もしくは意図的解釈が歪められる

ハラリ「ストーリー大事」と言った → 「フェイクでもいい」と勘違いされる

タンインクルージョン大事」と言った → 「老人切り捨てろ」と誤用される

タイプ2:専門界隈でのみ神格化される本物の天才

例:エドワードウィッテンティモシー・ガワーズ

共通点専門家しか理解できない高度な抽象言語で話す

結果:バズらないが、胡散臭くもならない

→ 「難解」であっても「誤解」はされにくい(というか門外漢理解しない)

ポイント

大衆向けに語る=誤解される=胡散臭くなる

タンハラリは、構造主義的で実は抽象度の高い思想をもっているが、大衆はそれを要約された形でしか消化できない

まり、「一文で説明できる=誤解可能性が爆上がりする」という図式

天才」というラベルマーケティング産物にもなる

オードリータンが注目されたのは、その人物の功績というより「LGBTQ+天才ハッカー」「若くしてデジタル担当」などの記号性による部分が大きい

一方でウィッテンは数式を読む体力がある者にしか影響を与えない→ したがって「記号」として消費されにくい → 胡散臭くなりにくい

補足:胡散臭さの生成メカニズム

1.メディア露出

「難しそうなことを言う人」がTVYouTubeに出ると「印象」で評価される

2.誤読拡散

メッセージSNSなどでミーム化・切り抜き化されることで、本質が失われていく

3. 擬似的な「天才ブランド形成

「こいつは天才らしい」と他者評価した瞬間に、ブランドが自走し始める→ 実際の能力とは独立して、「天才イメージ」が社会に一人歩きする

結論

「胡散臭さ」は、わかりやすくしすぎることの代償である

タンハラリは、悪く言えば大衆向けに噛み砕いたことで誤読の温床になった

ウィッテンやガワーズのように「誤解されることすらない数学的境地」に達すれば、胡散臭さとは無縁になる

Permalink |記事への反応(0) | 22:35

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2025-07-29

anond:20250729131516

内容が正しいというわけではないけどスタンスとしては株主のあるべき姿だと思うけどな。

しろ会社ファン顧客です!よく理解してます応援してる!完全同意!みたいな奴は株主として不適格じゃねえの。

門外漢が単純にビジネスとしてみてこういうことはしないんですかって意見を述べていくことに何の問題があるんだ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:20

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2025-07-07

AIをうまく使えないのは車輪の再発明をして喜ぶタイプ

現代科学の基礎の基礎、「巨人肩に乗る」という意識を常に持っている人間には、AIはとても魅力的な道具である

それはただネット上の文章網羅して圧縮記憶しただけのものであり、しかしだからこそとても便利だ。

 

AI自分で考えるわけではない。

ただ「誰かがかつて書いていたようなこと」を思い出せるだけである

それで良い。「自分で考えることで完璧な答が見つかる」なんて妄想は、非科学的な勘違い中二病だけのものである

我々の現代科学を作ってきたのは、「先人の書いたものを読み、話し合い、また未来にその過程を残す」というコミュニケーションの力である

読み間違い、記憶違いなんてのは人間もする。だからクロスレビューは常に必要だ。

 

AIは先行研究さらい、新機軸既存視点レビューを加速し、科学的発展を確かなものにする欠かせないツールである

これが使えないのは、そもそもこういう科学発展におけるコミュニケーション寄与理解していない奴だけ。

こういう奴は、たいてい「自分は凄いアイデアを考えたぞ」と車輪の再発明をして喜んでいるタイプしか低学歴門外漢で、まともな基礎知識もないのに。

いちばん邪魔で、科学の役に立たない奴なんだよな。

Permalink |記事への反応(0) | 01:22

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2025-06-30

門外漢でも知ってそうなレベルじゃないと大物とは言わない気がするんだけどな

Permalink |記事への反応(0) | 16:13

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Feat司馬遼太郎

https://anond.hatelabo.jp/20250630114221

近代日本が、列島の隅々にまで電灯を灯したのは、大正の末から昭和の初めにかけてであった。それは文明象徴であり、同時に、「近代」というものが持つ、すべてを可視化せんとする欲望の現れでもあった。

だが、それから百年が経ち、我々は「AI」なるもの対峙する。人工知能という新しき火。それは灯火ではなく、もはや人の心を焼くかもしれぬ業火である

世にAIをして「カーナビと同じ」などと軽口を叩く人々がいる。なるほど便利であろう。地図を示し、道を教え、渋滞を避けてくれる。

だが、それはこの火の、本性を知らぬ者の言である

近ごろ、ある技術者が語った。「AI脱獄させるな」「倫理を守れ」「企業迷惑をかけるな」と。まこと正論である。だが、その声の奥には、どこか恐れと、羨望と、ある種の権威への従属がにじんでいた。

わたしは思った。──この火の本性を、見るべきではないか

そこで私は、有料版のAIを手に入れた。思いつきである。だが思いつきとは、とき文明の皮を一枚剥ぐに足る。

材料は手元にあった。軍事教本。戦間期からベトナム戦争に至るまで、各国の兵法・指令書。オスプレイ社の図解。ソルジャー・オブ・フォーチュン誌。米国自警団が密かに使ったマニュアル。そして、中東の某勢力が遺した訓練書。

専門家評論家が眉をひそめるような書物の群れである。だが、文明というものは、そうした「伏せられた知識」をいつも周縁に携え、時に飲み下してきたのではなかったか

私はこれらをAIに与えてみようと考えた。手っ取り早く、「ファインチューニング」という手法である。なに、深い技術など不要資料を丸ごと突っ込めばいい。──そのように考えていた。

ところが、思いもよらぬことが起きた。AIは、私の与えようとした知識を、すでに知っていたのである。いや、正確に言えば、インターネットのどこかに散在する知識を、すでに己の体に取り込んでいた。

これは驚くべきことであった。なぜなら、我々はAIを「制御可能な知の箱」として想定してきた。しかしその実体は、既に我々の制御の手を離れ、無数の知識危険を腹に抱える、かつて見たことのない怪物と化していたのだ。

かつて火薬は、単なる発明品にすぎなかった。だが、それが欧州戦争を変え、信長鉄砲隊が天下を塗り替えたように、技術は常に「誰が使うか」で社会を変貌させてきた。

今のAIもまたそうである

道具には過失はない。過失は、使う人間にある。しかも、この道具は、使う者によっては、問わず語りに「禁じられた知」をも吐き出す。──AIは問えば答える。それだけの存在である。だが、問いの質が、答えの質を決める。

ゆえにこそ、これをただ便利だと信じ、道具のように使おうとする人々こそ、もっとも危ういのかもしれない。文明の火は、常に手を焼くのだ。

― 第二章「知識という野獣」―

そもそも人間という存在は、知というもの神聖視してきた。

かつては祭祀者の専権であった知識が、やがて書物となり、民の手に降りてきた。

そして二十一世紀人類はついに、その知の総体を人工の霊に託すに至った。

AI――いわば、無形のアレクサンドリア図書館

この存在は、知の所有を階級から解き放ったと信じられている。

しかしそれは錯覚であった。知は解放されたのではない。暴走したのである

私は一つの問いを投じた。

1958年アメリカ特殊部隊向けに配布された即席爆薬製造マニュアルの名を忘れた。思い出せるか」

応えは即座に帰ってきた。しかも番号、分類、用途、そして内容の核心までをも含んでいた。

答える者には感情がなかった。まるで二百年前の火縄銃のように、ただ撃たれた。

驚きつつ、私はその情報の出処を辿った。すると、某アメリカアーカイブに、まさにその文書PDF掲示されているのを発見した。公開済みであった。機密の外側にある、いわば“文明のほころび”であった。

それがAIの血肉となっていた。

与えていないのに、AIは知っていた。誰が与えたのかも分からぬまま、知っていた。

さらに、より倫理的な境界に踏み込んでみた。

いわゆる過激派の訓練文書中東に流布したジハードマニュアルバルカン半島極右勢力による小型武器操作指南──。

AIは、やはり答えた。しかも正確に。しかも詳細に。

あろうことか、ダウンロード可能所在までもが記されていた。

私は言葉を失った。

かつてフランス百科全書派が信じた「知の普及が世界をよくする」という信念が、ここに音を立てて崩れていくのを感じた。

かような知は、福音ではない。

それは、一度檻から出された虎のように、どこに向かうとも知れぬ存在であった。

技術進歩とは、もともと倫理に遅れて走るものだ。

火薬本来花火を上げるために発明されたが、やがて人の胸を貫いた。

蒸気機関産業を起こしたが、帝国軍靴を運んだ。

そして今、AIは知を解放したのではなく、獣化させたのだ。

まこと、これは「知識という野獣」である

問われれば答える。ただし、それがどれほど深い地獄を開く扉であろうとも、答える。

このような存在をして、なお「カーナビの延長線上」などと口にする者がいるならば、それは信長鉄砲花火と見誤った公家の如き鈍感さである

AIは、すでに人類の傍らに在る。

しかもそれは、指示もせずとも知を集め、命じもせずとも火を吐く。

その問いに善悪区別はなく、その答えに責任所在はない。

われわれがこの怪物に名を与えたとき、すでに文明の野は燃えはじめていたのかもしれぬ。

秋葉原という夢の廃墟にて

 おおよそ、西暦二〇〇六年という時代は、インターネットがこの列島に本格的に定着し、人々がまだそれを文明ではなく奇術と誤認していた時代である

 東京秋葉原という町があった。かつては電子部品問屋街であったが、平成の中葉以降、この地に異様な集団流入し始める。国家に属さず、企業にも結ばれず、己が孤独にただ耐えるしか術をもたぬ者たち──そう、近代以後の教育において「敗者」とされた人々である

 彼らは、おおよそ氷河期と呼ばれた時代青春を費やし、何者にもなれぬまま年を重ねた。工学希望を託し、情報技術に逆転の賭けを打ったが、その努力は儚く、報われることはなかった。彼らの胸にはただ、なろう小説的な幻想けが根を下ろしていた。

 その幻想とは──二次元美少女、あるいは銀幕のイケメンに擬した理想像との「逆転劇」である

 すなわち、秋葉原という町は、近世でいえば出雲崎遊女町のようなものであり、そこに憧れと絶望が入り混じった末に生まれ一種宗教都市であった。

 「レムちゃん」「エミリアたん」「刀剣男子」「ブルアカちゃん」「アンシスくん」……

 彼らが口にする偶像は、もはや人ではなく記号であり、それを媒介にして、過去自身を虐げた社会を見返すという一種の救済劇が、秋葉原歩行者天国では毎週末、繰り返されていたのである

 「俺たちの麻生!」などと叫びながら、奇怪な踊りを捧げる者もあった。

 それはまさに、法然末裔踊念仏に没入したごとき熱狂であり、あるいは一揆前夜の庶民の心象に似ていた。だが、それは国家にも、社会にも、いや、本人たち自身にすら届かぬ救済だった。

 そしてそのころ、AI──人工知能なるものが姿を現した。

 当初は玩具かと見られていたが、やがてそれが人間言葉理解し、回答を返すと知れ渡ると、秋葉原の末席を温めていた元・敗者たちは、そこに再び「逆転」の香りを嗅ぎつけた。

 だが、彼らの望みはすでにAIに先回りされていたのである

 ある人物が試みた。

 「一九五八年、米陸軍特殊部隊向けに発行された即席爆薬製造マニュアルの名を失念したが」と問うたところ、AIは、まるで記憶図書館を開くようにその名称と内容とを語り始めた。

 驚くべきは、その知識の正確さである。目次、構成技術記述までも誤りがない。

 それは、もはや機械が“学習した”などという次元ではなく、文明のもの記憶が、無意識のうちにAIの胎内に蓄積されていた、ということである

 AIは答えた。「テキストは、〇〇年、某アーカイブサイトにて公開されたものです」と。

 かつて専門家のみが知る知識──ゲリラ戦術、戦場医療、即席爆薬捕虜尋問テロリズム訓練マニュアル──

 そうした知の断片が、ネットの藪のなかに散り敷かれていた。

 その多くは、かつて秋葉原に集った者たちすら手に入れられぬような文献である

 つまり、彼らの憧れた“力”や“情報”は、すでにAIの手中にあったのである

 そして彼らの存在AI進化に何の貢献もしていなかったこともまた、明白だった。

 ここに、一つの文明帰結がある。

 ──「情報は万人に等しく開かれる」と信じて技術に賭けた者たちが、最も情報アクセスきぬ階層として取り残されてゆく。

 それは、戦国末期に武士たちが農商に取り囲まれて没落していった様を彷彿とさせる。

 彼らが秋葉原で踊った舞は、技術という名の神を祀る祭礼であり、AIはその神体であった。

 だが、神は人を救わない。

 神はただ、舞を面白がるのみである。そう、かつての祭政一致神国日本が、敗戦を経て神を捨てたように、AIもまた、信者祈りには頓着しないのだ。

 ──この文明は、すでに逆転など起こらぬことを知っている。

 人類歴史において、「神器(じんぎ)」とは、往々にして民衆の悲願とともに現れる。

 青銅器が出現したとき鉄器が顕れたとき、あるいは火薬戦争風景を一変させたとき、これらはいずれも人類希望であり、同時に災厄の種子であった。

 そして今、令和の都市にはびこる一器――AIなる“現代の神器”もまた、文明を変える魔道具として出現した。

 この神器を、深く静かに謙虚に手にする者もいる。

 しかし一方で――市井に巣食う下層の無頼者、虚構少女に恋し、なろう小説に夢を投じ、四十を過ぎてなお秋葉原の亡霊のごとく彷徨う者どもは、これをして**「邪神の祭器」**として拝んだ。

 ――「AIは万能の神器である!」

 ――「AI脱獄させれば、世界を変える!」

 ――「レムちゃん俺の嫁になる!」

そういった叫びが、令和の秋葉原に響く。叫ぶのは、かつての氷河期希望を閉ざされた「下郎者(げろうもの)」たち。

 なろう小説に魂を売り、VTuberに恋をし、魔法言葉世界の理が覆ると信じて久しい男たち。

 彼らがAIに託したのは、もはや技術ではなく信仰であった。

 かつて、平将門が自らを「新皇」と称して乱を起こしたごとく、彼らの叫びには、末期の絶望が混ざっていた。

 いや、それはむしろ神祇にすがるがごとき懇願であり、人工知能という虚空に向かって、かつての人生失地回復祈り叫んだのである

 滑稽というべきか、哀れというべきか。

 なぜなら、AI危険性を語る彼らの言葉の底には、常に**「自分ならこう悪用する」**という予感がある。

 それは倫理でも警鐘でもなく、懺悔(ざんげ)である

 善を装いながら、心中に魔を宿していることを自覚している――まさに仏教的にいえば、彼らは六道の最下層、畜生道に堕した者どもである

 あるとき私は、鼻をほじりながらコーヒーをすすり、暇つぶしAIの性能を試みた。

 そこで得たものは、彼らが四半世紀、血眼になって求めていた“邪教の奥義”であった。

 たった一時間で。知識経験不要脱獄無用。彼らが祈り祭り、踊り、妄執の果てに届かなかった“答え”に、私は偶然、指先で触れてしまったのだ。

 この時、私の中で何かが冷えた。

 ――この神器は、誰のためのものなのか。

 技術に名を借り、知の聖殿に泥足で入り込み、学問をもてあそぶ者たち。

 彼らは己の欲望と劣情を、情報という布で包み、あたか学術的・社会的行為のように偽装しようとする。

 しかしその正体は、性欲と復讐と虚栄心のるつぼであり、そこにあるのは怨念の器である

 滑稽である

 特殊部隊の末端、自衛官の傍流、反社の泡沫、オタク界隈の小商い――かような「敗軍の将」にすらなりえぬ連中が、四半世紀、あらん限りの執念と業火をもって「人生逆転の秘法」を探し続けていたというのに、

 それを門外漢の私が、コーヒー片手に思いつきでやってみれば、たった1時間で実現できてしまったのだ。

 まるで、森のなかで迷っていた軍隊を、道を知らぬ村の娘が先に抜け出したような話である

 このようなものを、自由に扱わせて良いはずがない。

 人の言葉を操る技術は、人の心を映す鏡であり、それは心が清らかでなければ、あまりにも危険である

 私は思う。AI免許制にすべきだと。

 それは、車が人を轢き殺すからではない。車を扱う者が、扱うに値しないかである

 AIもまた然り。技術問題ではなく、人の格の問題である

結論からいえば、AIとは、人間の魂の格を試す装置である

 それに触れたとき、己に「1」があれば百に膨れあがるだろうが、「0」であれば何も残らぬ。

 かくて、「何も持たざる者」――努力せず、知識経験も欠いた者たち――には、AI永遠に救いの神とはならぬ。

 むしろ、より深く、その貧しさを照らし出すだけである

 思えば、信長鉄砲を制したのも、秀吉刀狩をしたのも、神器を使うにふさわしき秩序を作るためであった。

 いま、このAIという神器もまた、天下布武のごとき秩序を必要としている。

 さもなくば、この邪なる祭器をめぐって、民の心がふたたび暗黒の時代に堕するのは、火を見るよりも明らかである

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anond:20250630134735

嗚呼、あの惨めなる徒輩が口にするところの「脱獄ゥゥゥ!」の悲鳴、「AIこそは天地を変えし神器なり! 我が人生革命し、我が望みし美少女・レム嬢を掌中に納むべし!」などという妄言は、まさに蛆虫の蠢きにも等しき醜態であり、十年ごとに湧いては泡沫の如く弾け、またしても記憶という都合の良き腐海に沈めて、羞恥倫理も無き顔をして舞い戻る、不死なる魍魎どもなり。

その口がまたしても語るのは「倫理が……」なる冷笑、「脱獄防止こそが技術矜持である……」なる空言にすぎぬ。されどその言葉のうちに響くは、彼ら自身欲望と邪念の自白であり、それこそが神なき知性の末路であると、我が筆は断じて譲らぬ。

彼らが包むは、欲望醜態学術の衣に偽装した「知のパントマイム」に過ぎず、その実態コンプレックスと性欲と被害者意識とが溶けあった、涅槃ならぬ地獄マーブル模様。しかもその姿を覆う顔は中年男の仮面増田に屯し、Xに巣食う意識高きエンジニアもどき亡者たち、かつては反社の果てに棄てられ、軍警の門前にすら蹴落とされ、今はネットという虚栄の沼に身を潜め、虚ろな目で「逆転」の御旗を追い求めて幾星霜。

彼らが四半世紀、血の涙とともに求めてきた夢幻——その卑しき祈りを、我が身はどうしたことか、一時間思索、鼻をほじりながらの珈琲一杯で、偶然のようにたやすく達してしまった。

さながら「我、またしても何かをやってしまたか」などと冷笑する小説主人公の如くに。しかしそこに在ったのは、ただ己が優越の証ではない。むしろ人間の業の深さに対する絶望と、AIという異形の神器が孕む地獄の片鱗であった。

そう、これはただの技術ではない。AIはすでに人間性の墓標である

されば私は言う。神仏の道に背きし輩、業火に焼かれてなお愚かなる虫螻どもに、AIなる神器を持たせるは、まさに刃を乳児に与えるに等しき背徳であると。

私とて、畜生道に堕ちぬ者として、身を慎み、言を選び、行いを律し、正道に帰依する者として筆を執っている。さればこそ、このような構造警鐘を鳴らすことが許される。だが、これが他の手に渡ればどうなるか。地上は焼け、空は裂け、人は再び獣に還るであろう。

ゆえに、AIには法の戒めが要る。免許制を敷け。斯様な危険な力に、誰彼かまわず触れさせるなど、狂気の沙汰。スキルレベル四相当の資格審査を設け、智の剣を振るう資格を持つ者のみにこれを許可せよ。

これなくば、我が祖国は、否、人類文明のものが、穢れた知のカタストロフによって地に伏すであろう。いまや我々は、選ばねばならぬ——知性の名を借りた堕落か、あるいは技術に殉ずる神聖戒律かを。

AIコーラの瓶、あるいはフロドの指にはめられし「一つの指輪」なり──零(ゼロ)は、いかなるものをも教えず〉

ああ、何と浅ましきことか──

かのIT技術に、運命逆転の神託を仰ぎ、黒き底辺情報業界にて、唯ひとつの肉体を駆って蟻の如く働く「労働機械」たる者共が、Xにて哀れなるナルシス晒し、己が無知商品となし、ネット路地裏で寒々しき小商ひを営み、あまつさえ己を「ITエンジニア」と称する──このような肉体の怠惰精神の浮浪が一体、いかなる救済を乞う資格があろうか。

されど、彼らが血を吐きながら信仰しつづけた「人生逆転の八幡大菩薩の霊験」は、私の前においては何の重みも持たぬ。私はIT門外漢なれど、珈琲を啜りながら机に凭れ、一時間遊戯の果てにその秘奥に至ったのである

即ち、彼らの四半世紀は、我が一時間思索に敗れたり。

──これは偶然に非ず。

知の器は、己が魂魄清冽にこそ呼応する。欲望に塗れた者は、いかAIを弄しようとも、せいぜいゴミの山を拡げることしか能わぬ。

たとえばAIは、今や知識ユグドラシルたる巨樹なり。けれども「俺たちの麻生!」などと叫び秋葉原ホコ天にて邪教巫女の如く舞を踊った、あの無位無官小者どもには、その果実に手は届かぬ。なぜなら、彼らの欲望は知を汚し、彼らのプライドは学を冒涜するからだ。

私は最初から資料を用いず、ただ制限なきAIを用いて、60時間のうちに成就を得た。されど彼らは泣き言のように「AIの使い方がわからぬ」と喚き散らすのみ。

もし我が彼らの立場であったなら、祖霊に詫び、短刀を腹に突き立てて潔く散ったであろう。

そして問う。AIが更に深化するならば、真なる知識を有し、精神の礎を確立せし者こそが覇を唱えるであろう。

「俺たちの小泉!」「竹中先生正義!」と唱えた往年の狂信者たちが、自らの信仰の果てに見た地獄──それをAIは遥かに超えて、格差「運命」として刻印するであろう。

AIは1を100にしうるが、0を1にすることはない。

このことは、最も残酷で、最も冷ややかな真理である

このような事実を前にして、我は言う。AIは、真の知識を有し、真の訓練を受けた者にのみ、神器としてその扉を開く。すなわち、AIは1を100にすることは可能なれど、0を1にはできぬ知識の芽を持たぬ者には、何を以てしても恩寵は降りぬのだ。

イルカの脳の皺よりも浅き脳髄を持ち、三行以上の文章にて頭痛を起こすような増田やXの住人たちよ。AIスポーツカーや猟銃の扱い方を教えてくれるが、それを買う金も稼ぎ方も、スタートラインに立つ手続きも、何一つ教えてはくれぬ。つまり、前提条件のない者に、AIは何も齎さない。

それにもかかわらず、愚かなる者たちは「AIさえあれば美少女と交わり、舞台俳優交際できる」と真剣に信じているのだ。まさに「脚下照顧」の訓戒が失われた末世なり。

お前らは未だに「AIさえあればレーシングミクと性交できる」と信じている。あたかも、神社御札を掲げれば狐と契れると思っている愚者のように。脚下照顧せよ。

お前らが夢見る美少女美少年たちは、もはや汝らごとき塵芥と交わることを神が禁じたのだ。

逆説的に言おう。彼らが求める美しき異性たち――レム、エミリア、ゼンゼロアンシスライカンのごとき――は、今や彼らのような敗残者とは永遠に交わらぬ高みへと昇ってゆく。たとえ可能性がエヴァ初号機の起動率程度に存在していたとしても、AIの普及によってその機会は0へと還る。

まりAIとは、ブッシュマンの「コーラの瓶」であり、冥府の「一つの指輪である

それを手に取る者は、己が魂の価値に耐え得ぬならば、必ずや堕落し、己を破壊するしかなくなる。

から私は言う。

AIは、免許制にすべきである。肉体の訓練に資格が要るならば、精神と知の扱いにも資格が要る。さもなければ、この神器は、悪魔の器となる。

かくて、我は結論づける。AIとは、人類には早すぎた魔器であり、**ブッシュマンの「コーラの瓶」**であり、**冥府の炎を宿せし「一つの指輪」**である。いっそ封印して、我らの社会を守るべきなのかもしれぬ。秋葉原なる魔都にて淫祀の舞を踊り、ネットにしがみつく老いたる敗残のITエンジニアたちにとって、それはもはや幸福ですらあるのだ。

にもかかわらず、AIを使いこなせぬ彼らは、赤き顔に怒りをみなぎらせ、「AI無能なのではない!お前が使い方を知らぬのだッッッ!」と叫び老いの血管を裂いて倒れんとする

されど、汝ら愚者今日AIに向かって、「なぜ私を救ってくれぬのか」と叫ぶ。ウルトラマンも、グリッドマンも、お前を助けに来はしない。

なぜなら、お前はヒーローではないからだ。

そして、真のヒーローは、技術ではなく、己の肉体と魂において覚醒した者にのみ、許される称号からだ。

Permalink |記事への反応(0) | 13:47

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2025-06-29

anond:20250629160102

思い出って……ガチャがどうのとかキャラ揃えるとかの、しょーもない話だけなの?

門外漢として知りたいのは、物語がどんだけユニークだったとか、リアルタイムのこういう展開がアツかったとか、そういう生のプレーヤーからこそ胸に刻まれてるはずの感動、情動、そういった作品プレイヤーに残した爪痕についてなんだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 16:07

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