
はてなキーワード:長編小説とは
執筆依頼は半分ジョーク、ユーモア、道化を演じるためにそう言っているだけ、という気もする。その本気度の低さが依頼が来ないような行動の原因にもなっていると思う。
そもそも執筆依頼らしきものが来たところでやり取りの仕方諸々、どうすればいいのかわからない。
執筆依頼のトラバに今後の意思疎通をするための連絡先等書いてなかったらこちらは連絡先を求めるトラバを書くことになるだろう。
それに対して別の増田が茶化して偽りの連絡先を書くような攻撃を受けるかもしれないし。
でもこれは「連絡先やホームページをさっきのトラバに追記してください」とトラバすれば事足りることかもしれない。
↑ほとんど直近で書いたこれも個人的にはなかなか自己内省的かつ自分と同じ障害を持つ人の代表を、総意を自負した文章だと思っているのだけど。
お前はたぶん知ってて言及してないのだから、お前の挙げる記事には及ばないということだろう。
つまり何が言いたいかと言うと、なにをもって「あれほど」と評しているのか、その他俺が個人的にそれなりの記事だと思っているものに対してどういう基準で劣るものとしているのかいまいち判然としない。
単に文章量だろうか?
それなら、「あれほどの」記事がその後出てない理由は簡単で、そこまでの文章量を要するような話したいことがないからだ。
「どのような人でも、一篇の長編小説を書くことができる」という言葉がある。
俺にとってそのような文章を書く一つの契機があのときだったということだ。
俺にとってはあれは文章量が普段と比べて尋常じゃなくなっているだけで、日記を書いているのと変わらない。
ただ、統合失調症の体験記というテーマにおいて、事実の方が有り余っている。
俺はその事実を列挙するだけであれだけの記事になった。俺は事実を列挙したに過ぎない。
今の俺には列挙するような事実が無い。
回答3
あれは正確に書けば「俺が今まで書いたもののなかで、受け応えとして採用するには嚙み合わないものをわざわざ選び取ってトラバをしているように見えるが、そうだとしたら目的がわからぬ」となる。
↓それは、このツリーで
https://anond.hatelabo.jp/20251017183258#
に
むり
と返されたわけだが、俺が言ったことがある言葉であるが、何がむりなのか読み取れなかったから。
どうやらこの「むり」は「根気強く話しても伝わる可能性はない」ということを主張する意図で俺の過去の言動を引用したもののようだ。
ということで今は目的がはっきり推測できるので、発言は撤回する。
はてなブックマークの仕様に対してそのような妨害策を取っている人が今までいなかったから。
要するに、なんとなく人と違うことがしたくなった。いや、そういうことに対して、増田やブクマカたちにどのような反響が出てくるか、ということへの興味の方が大きいかもしれない。
ほぼ確実に来る未来なのに、考えようとしても実のある道筋が演繹されない。どうすればいいか、ああどうすればいいか、うーんどうしよう、という、ただ思考をしているという合図にしかならない言葉が無限に頭の中をこだまするだけなんだ。
経験したことがない未来を想像することが難しい、という特性なのか。
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251021150742# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPcjMAAKCRBwMdsubs4+SGlGAP9CV9jeWoltLbEK0/bbAnXQXO/pVUHDEW3tSiS7kO+9ggEAxq98WRZrn77hsG5esLt4hVHeKj3MUU9Qp/E6mqZtwAA==ZCJB-----ENDPGP SIGNATURE-----
https://anond.hatelabo.jp/20250817164759
の増田にあこがれて、ショートショートを3つ書いた。今まで小説とか全く書いたことがなかったから、これが限界だった。
小説なんてAI に書かせれば簡単だろ、とナメたことを考えていたけど、全然無理だった。
もとの増田は1作品を3ヶ月も描き続けたそうだけれど、俺には全然無理だった。30分で1本書くのが精一杯で、それ以上はプロットを書くのも無理だった。
でもいつかは長編小説を書いてみたいので、ショートショートを書いて練習しつつ、小説の書き方とかの本を読んでみようと思う。それから、これは無駄かもしれないけど、AIのよい使い方も学んでいきたい。
『ノルウェイの森』は、村上春樹による1987年の長編小説であり、日本国内外で非常に高い評価を受けている作品です。この小説は、1960年代の東京を舞台に、大学生ワタナベの青春と喪失、恋愛、心の葛藤を繊細に描いています。
この作品の魅力は、静かで内省的な語り口と、登場人物たちの繊細な心の動きにあります。特に、ワタナベと直子の関係は深く悲しく、読者の感情に強く訴えかけます。音楽(ビートルズの「Norwegian Wood」)や文学、そして死生観が物語全体を静かに彩り、読み手を深い思索へと導いてくれます。
また、孤独、記憶、精神的な脆さといったテーマは普遍的であり、時代や国境を越えて共感を呼ぶ要素です。村上春樹の簡潔で詩的な文体も、この作品の魅力を一層高めています。
anggiviralanggiviral <a</p>
🔖 まとめ
『ノルウェイの森』は、ただのラブストーリーではなく、「生きること」の複雑さと美しさを描いた文学作品です。読後には、静かな余韻とともに、自分自身の心にも問いかけが残るような、深い読書体験が得られます。
開幕1秒から
ナレーター「2020年10月、一本の動画がYoutubeにアップされた」
ナレーター「翌年には長編小説として書籍化。170万部を超えるベストセラーとなった」
ナレーター「今からご覧いただくのは謎に包まれた『変な家』に多くの関係者が」
ナレーター「それぞれの解釈と思いを載せて作られた全く新しい『変な家』である」
雨穴「私の描いた本は全4章構成でした映画は例えるなら第5章だと思います」
雨穴「小説と映画、二つ合わせてはじめて『変な家』が完成します」
ドゥーン(効果音)
いやこれ、これさ、映画『変な家』公開記念特別映像かなんかとして
雨穴とか配給会社の公式Youtubeチャンネルかなんかにアップする映像だろ
今からホラー映画見ますよってタイミングでその映画作る経緯の説明する?
これがモキュメンタリー系の映画で「冒頭の説明からして一つの仕掛け」とか
「とある凶悪犯罪の犯人が撮影したとされるビデオテープが発見された」みたいな
単に「変な家って動画がヒットして~書籍化もして~それを基に作ったんです~」って説明、映画のド冒頭にする?
マジでこのパート本編内のあらゆる事象に一切関連してないからね
これ本当に要る?
もしかしてアマプラオリジナル要素で劇場ではこれなかったとかなんかな?
アマプラって本編再生押すと別の映画のCMがはいることがあるじゃん
俺最初それだと思ったもん
Permalink |記事への反応(18) | 10:15
何日もうんこが出ていないみたいに思考と感情が自分の中で渦巻いているので、はてな匿名ダイアリーというインターネットお便所に書き捨てて、水に流したい。うんこみたいに。
(だからあまり多くの人に読んでほしくない気持ち。うんこだからさ)
(だからといって自分の中だけにしまっておくと自家中毒になってしまいそうなので、ちょっとだけ吐き出させてほしい、吐き出す、うんこなのに)
いや〜〜〜〜〜〜〜〜 精神的に参ってる人間が多すぎる、私の周りに。
前職(教えるお仕事)のときも、ほかの職員の担当だったのに本人や親からの要望でどんどん私のところに不登校、鬱・躁鬱、リストカッターが集まってきて、気づいたら1コマの生徒の半分がそういうタイプだったこともあった。
わかるよ、私、怒らないしいつもポジティブでおもしろいこと言うし、だからと言ってエネルギッシュではなく適度に脱力感があって、寄り添いつつ気を紛らわせたり前向きにさせたりするのが得意だからね。
ぜんぶ、気まぐれでヒステリー持ちの母妹と暮らしていたから鍛えられた特殊な技能だよ!!
そしてこの技能のおかげで私は今でも母妹と実に良好な関係を築けているんだよ。
この技能を換金できるような職業に就いて、その能力が周囲にも評価されているのだから、恵まれていると言ってもいいでしょう、たぶん。
今はもう転職して、直接顧客と関わる機会は減ったけれど、でもやっぱり仕事で関わるいくらかの人たちや友人の何人かはそういう感じ。
そしてそういう人たちは、親しみやすい相手を見つけるとすごく、すごく、すごく寄りかかってくるんだ。
週末にPrime Videoで映画を見たくても、のんびりお風呂に入りたくても、「話せますか」ってSkypeやDiscordで言ってきたり、ものすごい長文のDMを送ってきたりするんだ。
どうしても無理なときは断るし、DMとかには相手がこれ以上私にのめり込まないようにさらっと返信する。
でも断るのにも、最大限の注意を払ってDMに返信するのにもエネルギーを使うんだよね。
映画を見たりお風呂にのんびり入ったりしてエネルギーを回復したかったのに、反対にエネルギーが消費されていっちゃう。
もう長いこと、ゆっくり長編小説を読めておらず、積読は増えるばかり。
私は少しでも私自身が生きやすい環境を構築できるようになるために、いろいろ工夫してきたつもりだけれど、結果的に心の底からくつろげるのは自分ひとりでいる時間だけになってしまった。
私は誰からも好かれ、信頼されるようにふるまうことはできるけれど、私自身は誰のことも心底好きになったり信頼したりしなくなった。
まあ、だからきっと明日からも(というかたぶん今夜もまた悩み多き人とDMのやりとりをするのでしょう)明るく楽しく親しみやすい人間として生きていくために、今日はちょっとだけ匿名ダイアリーにうんこを流させておくれよ。
私みたいに生きている人、結構いるでしょう。
よかったよねえ、インターネットお便所のある時代に生きられて。
1死ぬまでにやりたいこと100を作り終える
3 メスイキする
8 腹筋100回
9クロール100m
13 あすけん数値90点一ヶ月継続
14 あすけん数値70点年間年間360日
15 24時までに寝るのを年間360日
16 7時までに起きるのを年間360日
19基本無料ゲームをサービス開始から終了まで継続プレイ(一時引退可・サ終直前までのメインストーリー完走必須)
21 高難易度ゲーム(ソウルライクとか)を攻略情報完全封印で2周クリア(別エンドがあるかもなので)
26 持病の手術(ひみつ)
29 中編小説(4万文字以上)10作執筆(非公開可・二次創作可)
30長編小説(10万文字以上)2作執筆(非公開可・二次創作可)
35 賞金5万円以上の賞を取る
36遺書を書く
37自伝を書く(非公開)
38 親の死に目に合う
41 1000ブクマ達成
42 10万いいね達成
43ミニブログ以外で1年以上継続して記事作成(更新頻度毎週以上)
44ネットミームを生み出す
45自分に関わる記事が出来る(ネットミーム・作品なんでもあり)
46サウナで整う
47リアル脱出ゲームをやる
48 3泊4日以上の一人旅
49カラオケで95点以上出す
55育毛剤・カツラ未使用(コスプレなら可能)(過去の使用はカウントしない)
56資産4000万円溜める
57 1台30万円以上のPCを作る
58 寝具に10万円かける
59レストランで1食5万円以上使う
62黒澤明10本以上見る
64 1年間怒りを爆発させずに継続
67 1年間毎晩良かった探しを継続
68 1年間毎晩自分を褒める
69ドラクエ1をやる
70ドラクエ2をやる
71ドラクエ3をやる
72ドラクエ4をやる
73ドラクエ5をやる
74ドラクエ8をやる
75ドラクエ9をやる
76ドラクエXをやる
77FF1をやる
78FF2をやる
79FF3をやる
80FF4をやる
81FF5をやる
82FF6をやる
83FF7をやる
84FF8をやる
85FF9をやる
90FF13をやる
91 雀魂をやる
93FF16をやる
94 やりたいことを10個達成する
95 やりたいことを16個達成する
96 やりたいことを32個達成する
97 やりたいことを69個達成する
98 やりたいことを72個達成する
99 やりたいことを99個達成する
かっこいい。なんかマフィアとかが言ってそう。一度でいいから言ってみたいセリフランキングに載ってそう。なんか復讐の時とかに使いそう。
トルーマン・カポーティの『冷血』を意識して執筆されており、西口彰事件を題材にしたノンフィクション物。タイトルの『復讐するは我にあり』は新約聖書に出てくる言葉の一部で「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり。」から引用されている。
神様が後で報復するんだから、信者達はたとえ憎い相手だとしても善い事してあげなよ〜。それができた時点でお前は善い事をして悪に打ち勝てる奴になるんだぞ〜。の意
『復讐するは我にあり!俺が貴様を絶対にぶっ⚪︎してやる!!』
単語としての意味なら合ってる。でもお前は主ではない。主が怒ってるならいい。
怒りに身を任せた奴は怒りによって身を滅ぼすって話をしてる。悪に構わず善行をし、善行の乗り物で悪を乗り越えててください。
『復讐するは我にあり、っていうもんなぁ…俺も悪かったよな…反省しなきゃ』
自己反省の言葉じゃないです。主も『神の怒りってあんま奮いすぎても良くないよなぁ…もう!このダメ神!』とか思ってません。主がちゃんと『いや、悪人を裁くのは俺の担当だから』って言ってくださってるだけです。
お前は主ではない。
反省するべきことを反省するのは大事だが、やり過ぎも良くないです。善行しましょう。
『昨日の夜やってた“復讐するは我にあり”って映画見た?アレ、実際にあった事件なんだって!』
元々が作品名の流行から知ったものなのならば、やはり作品として扱う方が安直です。
下手にタイトルの言葉を表面だけ読み取って使うのは恥を掻く可能性がある。これはどの作品にも言えること。
作品の内容的にはキリスト教信者の詐欺などもやってきた大量殺人犯が日本全国を逃亡した挙句にキリスト教の神父を騙そうとして近付いた時にその娘に正体がバレて捕まり死刑になるという話。現実の事件のことでもあり、その奇妙な事件の顛末が話題にもなった。
『ローマ人への手紙でも言われております、主は言いました。復讐するのは私が行う、私が報復します。と、我々は慎み深く善行を行なっていき、それを以て悪意に打ち勝つのです。』
『でも俺、アイツのことぶっ飛ばしてえよ!』
『あなたは信徒ではないのですか?主の言葉が聞けないのはとても悲しいことですよ』
『あなたは善行で彼等を超越なさい。大丈夫です、今踏み止まれたあなたならきっと乗り越えられるから』
世の中の物事的に報復にはちゃんと報復で返されるし、だからこそしっかりと報復されない形にしなければいけない。
だがそれが別のどうしようもないものなら…?土砂崩れが起きて住んでる家ごと飲み込まれるとか、火つけが好きな人間がたまたまそいつの家の周りで火を付けたのなら?
そいつの愚かな行動が原因でそいつが勝手に堕ちていったのなら?
とはいえ、復讐というのは生き物が考える自分勝手な行動、現代では『そんなに解消したきゃ、解消すりゃいい』の精神が根付いてはいる。
善人ばかりの日本人なら勝手に自己反省してくれるが、遠くアメリカの大地では今でも流行りのヒップホップのビートに乗せて報復の連鎖の連鎖が起きて、若い黒人達が死んでいる。
だからこそ、主が言った『それ俺の担当だから、後でちゃんとやっとくから』には意味がある。後でちゃんとやってくれるから今日も苦しくても悲しくても笑って愛して喜びを分かち合いながら善行を積んでいく。
悪人は勝手にどこかで堕ちる。その哀れな光景を支援の立場で憐れみながら眺めたいというのならば、やはり善行は積むべきなのだ。
その後に主が裁いてくださるというのだから。
マーティフリードマンさんがBoAさんの「メリクリ」をカバーして歌っている曲が街に流れ出したらいよいよクリスマスね。
コーヒーフレッシュの謎の白いのは何かしらシリーズの長編小説を読み終わって
その読了感に浸っているの。
私は夕刻に事務所で独りいて差し入れでいただいたホットコーヒー。
いつもは格好をつけてブラックを大盛りでって頼むんだけど、
差し入れのホッツコーヒーはもちろん私のそんな好みを知らないまま使われないシュガーとフレッシュがちょうど私に向けたように置いてあったの。
まさに置いてあったコーヒーフレッシュの白いのの謎だわ。
あれって誰も謎なことを気にしないんだけど。
イキフンで雰囲気をブラックを色を変える茶色にするだけの効果しか無いと思うのよね。
ブラックコーヒーにフレッシュっていうのがちょうどいい色が変わるぐらいがちょうどいいのよ。
たぶん、
だれも味なんてフレッシュのこと味わってないと思うわ。
いや!今日のコーヒーフレッシュとびきりフレッシュだね!なんて搾りたて生ロイヤルコーヒーフレッシュなんてないもの。
それなのにだれもあんまりそのコーヒーフレッシュのことには気が付かないみたい。
コーヒーフレッシュの白いのを気にしている人か気にしていない人かの2種類。
常識的に考えて、
ならあの白いのは効果は色を黒から茶色に変える効果以外に何があるかとしたら、
味変?
いやあの程度のフレッシュでは味は変わらないわ。
それだったら、
ソイラテにするもんね。
うーん、
謎が深まるばかりだわ。
秋に読み始めて秋が深まったと思ったら冬の始まりになっちゃったぐらい。
それ以外使い道のないコーヒーフレッシュは、
フレッシュはなにかの料理の材料には到底使うってこと私は聞いたことないわ。
謎ね。
また謎が深まるわ。
確かに、
ダイレクトのコーヒーの味の黒いのを多少のまろやかさにすることは可能かも知れない。
ただそれだけの効果。
あれを好んで使う人はいるのかしら?
日頃使わないので私はその白いのを目にすることがないけれど、
たまにそうやって目にしてしまうと
謎の白いのって思ってしまうわ。
あまりにも
もしかしたらだれもその白いのに気が付いていないかも知れない。
逆に言うと
こだわり抜いたこだわりの真のコーヒーフレッシュってのがあったら、
その本気度を誰かが気付いてくれるかも知れない。
多分この瞬間今一番このフレッシュのことを考えているのは世の中で私だけかも知れないという感じ。
結局その白い謎は解けないままその長編小説は読み終わったけれど、
私はその持て余した
白いコーヒーフレッシュを残りのホットコーヒーに入れてみてくるくると掻き混ぜて、
カップの中で溶けていくの。
私はハッと思ったわ!
小説の中ではその白いのの謎は解けなかったけど
コーヒーに入れたこのフレッシュは美事にコーヒーに溶けたわ!って
そういうことなのね!
そういうことか!ってことにしておくことにしたわ。
あれをフレッシュを人智の限界を超えた量をコーヒーに入れるチャレンジだって挑戦した人類はまだいないかも知れない。
やっぱり謎だわ。
やがて白い気配もまったくなくなって
茶色になってしまったコーヒーはもうすっかり冷めてしまったわ。
うふふ。
豆乳とポタージュスープをミックスしていただくゴクゴクと飲んできたわ。
さすがにこれだとお腹がお昼にランチ頃になるとめちゃ空くのよね。
電気ポットの70℃のお湯。
大根をピーラーでしゅっとスライスしたものにプラスして昆布投入の
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
①印刷代が高い(大ページ少部数)
そこら辺の同人誌印刷所のページみてくれ。イベント1ヶ月前の早割で、オンデマが最安。
でも、そうだな、200pで50部刷ってたぶん一冊当たり原価が700円を切るとこはないよね。
円安紙高と、あと郵送料かかるしな。郵便局の郵送は今一週間平気でかかるし。
②読者が少ない
https://togetter.com/li/2448639
いまなんだかんだでコミケは9000円以上するっけ。類似イベントでも6800とかする。それと追加イス代、書籍郵送料(事前購入制度)、搬入チケット、コスプレチケットなどもいちいちすべてが負担になる。
あと普通にイベントは金つかう。ポスター飾りたいとか凝ったことしたい。それはまあ自分の遊興費や取材費として納得するよしゃーない。
東京にこられない方にたのまれて委託してもよほど大手でないと35%、キャンペンでも30%とる。
つまり、印刷ベース原価700円の本は1000円以上で売らないと売れた分から赤字。
おもいついたようになにもない月に1冊かってくださる方、一冊1500円とかする本を買って下さって本当にありがたいですが、
委託手数料と振込手数料350円とか引かれると完全に赤字です。
⑥1年したら在庫返却される
入庫に1ヶ月かかるくせに。まあその弱みがあるからか、最近1年の縛りがゆるめではあるけど。
地方読者からは入稿から最速でも2ヶ月してから感想が届くことになるのでなんかモチベがな~。
返却されてからなら自家通販で併売してもバレないっぽいけど家にそんなに在庫おいとけない。
あと自家通販は郵送料が負担なので委託書店とおなじくらい読者負担が高いのも理解してる。高いから売れないから増刷しないからやっぱ高い。
⑦強制で返却したくせにリクエストキャンペーンやる?とかしつこく聞いてくる
納品可能冊数を下回る数で発注可能にしないと増刷必須でまた鬼在庫でたき火するハメになるやん。
結論「毎月20冊とかうれたら儲かるけど大部分の月は一冊も売れないから電子書籍最強」
ちなみに読者はピンチアウトできるから老眼にやさしい説もあるが、俺自身は電子書籍の小説の読み心地はあんまり好きじゃない。
ピクシブなどのSNSでの全文公開は学習素材にされそうでいや。
はぁ~。やだなあ。八方塞がりな気はするよ。
中学生の頃から、はてな、なろう、Twitter、個人ブログ、note、某ゲームのファンサイトなどを渡り歩いて、エッセイからファンタジー小説に至るまで思いつく限りほとんどのジャンルの文章を書いてきた。主戦場を匿名はてなとXにして、小説を紡ぐことよりも自分の考えを言語化することのほうが増えたという違いはあるが、今でもこうして文章を書いている。
このような過去から察せられる通り、自分は文章を書くことが好きだ。ただ、好きかどうかと得意かどうかは別だというのは世の常で、好きではあるのだがいつも途中で投げ出してしまう。長編小説には幾度となくトライしてきたが、結局一本も書ききることはできなかった。短編小説やはてなダイアリーなどの比較的短い文章であっても、さらに言えば140文字制限があって小学生の作文用紙の半分以下しか書けないXの投稿であっても、ブラウザの戻るボタンを押して、途中まで書いた文章を、途中まで書いたという事実ごと消し飛ばしたことが多々ある。
最後まで書ききれないということに自分はある種のコンプレックスを感じる。「あいつ途中で辞めたな」とか思われたくないからやめるときはサービスのアカウントごと消すこともあるし、リアルでの知り合いにははじめから絶対に見せない。
このコンプレックスを解消するのはとても簡単で、ただ単にとりあえず最後まで書けばいいのである。こんな性分であっても、繰り返すようだが自分は文章を書くのが好きなので小説家になるための本みたいなのを読んで自分の本が八重洲ブックセンターの目立つ棚に置いてあるイメージを膨らませたりもしていた。その本を執筆したプロの小説家先生も「はじめはとにかく一作品書いてみよう」と仰っているのである。その本によれば、最後まで書くというのはストーリーの矛盾やほころびには完全に目を瞑り、書きたかったラストまでを勢いで書き通して「めでたしめでたし」で締めくくるということだった。文章を書いている中で一番迷い、投げ出したくなるポイントはストーリーの構成がしっかりしていて、論理的に妥当であるかどうかを黙考するところであるのでそれを無視していいのなら時間と道具さえあれば誰だってできる。
しかし、この誰にでもできそうなことが思ったようにできないのである。「難しいことはいったん無視していいよ」とどんなに高名な先生が仰ったところで、ほかならぬ自分自身がそれを許さないのである。とりあえず最後まで書く、ということが三日坊主の自己嫌悪を解く鍵であって、その上で作品を主観的、客観的に分析する初めの一歩であることは理解しているが、それよりも今目の前にあるプロットに悩むのである。
このような事実について考えてみたが、結局文章を書くということは必然的に苦しみを伴うのだと思う。小説を書く場合でも、自分の意見を表明する場合でも、脳内にある自分のアイデアはパソコンのディスプレイ上に映っているときにはすでに元の形を残していない。言語化ができなくて自分の脳内と外の世界の間にある壁を越えられないアイデアがあるし、脳内からうまく取り出した言葉の塊を読むに堪える文章にするためにつなぎが必要になる。要するに、自分の脳内にあるものと自分が書いたものの間には共通項もあるが、脳内にしかないもの、書いたものにしかないものも無視できない量存在するのだ。しかも、文章化には自分が現時点でもっているありあわせの知識しか使えない。ところで『もしもピアノが弾けたなら』という西田敏行の名曲があるが、この曲の中では「もしもピアノが弾けたなら思いのすべてを歌にしてきみに伝えることだろう」から「だけどぼくにはピアノがない きみと夢みることもない」と続く。文章を書くのも同様で伝えたい思いがあっても、それを媒介する道具がなければ伝えることができない。それは当然の事実ではあるがとても辛いことである。ありあわせの知識、というのは青を表すのに群青、藍、瑠璃色、スカイブルーなどがあるみたいな表現するための単語としての知識だけでなく、物語に転機が訪れるのを天気の移り変わりに描写する、賛否両論あることについて自分の意見を述べるときにはたしかに~と言われているが私は~と思うという議論の流れにする、みたいな文章の書き方の知識も含まれる。
そうすると言いたいことを言語化するとその瞬間、自分がもともと言いたかったことと一般常識が混濁するのだ。言語化するまでは、よしこれを文章にしてみんなに教えてあげよう、と思っていることが明確な仕切りをもって脳内にあるが、文章にする段階でありあわせの知識という不純物が入り、ボーダーラインが薄れていく。これは辛いことであるだけでなく、不気味なことでもある。自分の言いたいことを言っていたはずが、自分は普段そんなこと考えないけど、知ってはいるような言葉が混ざっている。自分の書いた文章を読むと離人症のような恐怖に襲われる。この恐怖を避ける方法は3つしかない。1つ目は自分が書いたものを100%他人のものであると断じてしまうことである。中学生の頃の日記が掘り起こされたときに、「あれは黒歴史だ。」と言うのは暗に今の自分はそんなこと考えないし、そんなこと言わないと表明しているのであり、過去の自分と現在の自分の間を壁で分断することで自己防衛を試みている。2つ目は繰り返し考えていた自分の文章をまるごと消すという方法である。つい最近書いたものを見て、あれを書いたころの自分と今の自分は違う、と断言するのは無理があるので怖いものを見えなくするのは当然の反応だ。文章を途中で投げ出さないためには一番手っ取り早い恐怖の取り除き方を乗り越えて恐怖と向き合う必要がある。そのうえで自分自身と目の前の文章の間に壁を作らない方法で折り合う必要がある。つまり、3つ目の方法は文章を100%自分のものにすることである。もちろん、自分が書いた文章とにらめっこするだけでは、ただ嫌気がさしてさらなる自己嫌悪に陥るだけであるし、バックスペースを押してすべてを無に帰すまでの時間を延ばすに過ぎない。まず自分が書いた文章を読んだときに感じる恥ずかしさやもどかしさを我慢する必要がある。そのうえで文章を丁寧に精査して、自分の意見と異なるものに関して、別のありあわせの知識と置き換えるか、反芻することによって自分の意見の中に吸収する。それを繰り返していくことでいつか自分の脳内と文章が一致する。
根本的に言葉というのは他者と、お互いの内面を交換するためのメディアであるから自分の意見が初めから脳内に整然とした文章で存在していることはあり得ない。そう考えると文章化というのはなにか義務のような行いで、自分の意見は言語化せずに完全な状態のまま保っておくのが良いように感じるが、恐怖に向き合って自分の考えを文章にすることに意義はあると思う。先ほど文章を100%自分のものにする方法の最後で、自分の意見と異なるものを反芻して吸収すると言った。これによって自分の意見を言語化するあいだに自分の意見をより大きくすることができるのだ。だから文章を書くことは苦しいが、何度失敗してもやめられないのだろう。
素晴らしいものが売れるっていう考え方は非常にナイーブな考え方だと思います
パヤオの作品は誰がみても素晴らしいが売れるまでには時間が掛かったぞ
まぁ商売や公共事業としてやっていることで、やり切ること・完結させることに意味がある(キリッ は同意しませんし、
むしろ、否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否 の感情しかないんですけど、
商売や公共事業ではなく、"個人のプロジェクト" で尚且つ、誰かを傷つけたり・自傷するものでなければ、
やり切ること・完結させることに、有益な意味しかないと思います
何事もコツコツと積み重ねることが大事だし、アウトプットが大事よ
まぁワイはIT屋さんだから、ぶっちゃけ漫画や小説にこだわる必要はない
ワイ場合は、動画でなんかやるか、サービス立ち上げる(←これは過去やった)・アプリを作るとかもアリだと思う
でも、やっぱり漫画や小説が好きなのよね~。だから、一度は長編を書き上げてみたい
なんで、カクヨム・なろうで長編小説完結させたよ増田は尊敬する👏
一人暮らしのとき家賃8万円出して微妙なキッチンしかなかったけど、
既婚の今は家賃15万円の2LDKに家賃折半で住んでて、自分の負担は下がったのに
二人で暮らしているおかげで、ありがたいことだ。
夫は会社員として働いてくれていて、不倫や借金や薬物などもしていないようだし、
殴られることもないし、暴言も吐かれないし、強制性交もないし避妊もしてくれる。
一人暮らし時代と比べると男性と同居しているほうが犯罪者に狙われにくいだろうという安心感もある。
新婚の時期に私が昇進してしまった。責任が重くなったし業務内容も重かった。
生活に変化があったところに重なるように職場でも大きな変化があってきつかった。
昇進前はできる方だったのが、昇進後はその肩書にしては仕事ができない方になってしまった。
期待外れな点を指摘されることが増えた。成果を求められてプレッシャーだった。
残業も増えた。夫のほうが先に帰っている日のほうが多い。
夫は妻が料理を作って夫の帰りを待っているという結婚生活のイメージをしていたようだ。
私が支度した料理をしらけた様子で食べて、交際時よりも言葉少なく機嫌が悪い様子でいる。
機嫌の悪さを察して、夫に優しく質問をしたり、不満を言わせてあげようとする気力が私にはまったく残っていない。
先送りにして横になってしまう。横になっても睡魔は来ないままだったりする。
仕事は頑張ると増える。能力が低いままだと期待外れな部分を指摘され続けるので辛く、
頑張って能力を伸ばそうとすると仕事自体が増える。残業が減ることはない。
降格されたいのか。夫の機嫌のために。
それもなんだか、なんで私が、降格されて給料が下がらなければいけないのかとも思う。
せっかく評価されているのに。仕事はきついが、少しずつ適応していく。
源泉徴収票を見て、私もこんなに稼げるようになったんだと実感して嬉しい気持ちを覚えたりもする。
職場が敵だ、というふうに単純に考えることはできない。
昇進はありがたい話だ。タイミングがちょうど同居開始と重なったのがきつかった。
一人暮らしのとき、夜ご飯を適当に済ますことが多くて楽だった。
同居だと適当にできなくて負担が増えている感じがする。キッチンの設備は快適になって、家電も良くなったから、
金銭的、住環境的には、本当によくなった。でも元々、貧しさに困ってもいなかった。
何が欲しかったのだろう。プレッシャーの無さか。プレッシャーがなくて時間的にゆとりのある感じが欲しい。
何か負担の原因を減らさないと、現状維持してると精神が折れるような気がする。
特定の圧倒的に最悪なもの一つだけが原因というより、少しずつの負担に囲まれている感じがする。
SnowManの佐久間大介が出てる動画を、通勤時間にYouTubeで見たり、眠れないときにベッドの中でスマホで見たりする。
昔からアイドルの良さはよくわからなかった。娯楽としては漫画とか、長編小説とかが好きだった。
なんか今は物語が読めない。今デスノート読んだら読解できないと思う。
佐久間くんは動画に出演しているときプロとしてテンションが高く元気でいてくれる。
元気な姿みせてくれてありがとうと思う。なんの解決にもならないけど、佐久間くんが仕事してくれていて、
「笑顔業」というか「元気業」というか。それをやってくれていて。それにかろうじて生かされているような感じがする。
私が必要としてるものをくれる感じがする人が佐久間くんしかいない。
Permalink |記事への反応(17) | 15:57
ハーメルンのデータを収集したデータセットが出てきて問題になってたが、絵と違って独自性生み出せないんだから生成AIオッケーだと思う。
すでに書店に並んでるものはアウトだと思うよ、勿論。でも、インターネットで公開してるものまで規制するのはねぇ…ってことで、ここからはネット小説に限って話す。
どこのジャンル行っても「王道展開」「逆張り」「別ジャンルとの組み合わせ」の3種類くらいしかないのに、これこそ、人間が生み出してるの馬鹿らしいわ。
絵は絵柄が人によって全然違うし、それでいてちゃんと絵と認識できるのに対して、小説は外しすぎると小説として成り立たなくなるじゃん。
極め付けはランキング。みんなが求めてるものが丸わかりで、似たものがずらり。話の構成ほぼ一緒で、出てくるキャラや展開が多少違うだけ。これこそ、AIが得意とする分野でしょ。
まぁ、ネット小説もレベル上がってるし、本文書かせると人間が上回ると思うよ(上位数%の人間に限った話だが)。でも、実際のAI小説を読むと「読めなくはないな」と思うはず。
ってことは、残るのは編集者の仕事じゃん?ここはね、プロの編集者は必要だね。AIで代わりがきくものじゃないと思う。
https://kakuyomu.jp/works/16818093074043995181
長編小説の執筆6の小説を読んだんだけど、かなり普通に読めた。
怪談、ホラー系は全く読んだことない我が身がすると、暇つぶしに無料で読めるなら十分なクオリティ。
結局、AIってそのジャンルのテンプレ作品作るのに向いてると思うし、でも、そのテンプレを知らないからこれでも十分楽しめる。
指輪物語(The Lord of the Rings):1954年。
小説、映画。それまで妖精として使われていたエルフ、ドワーフを亜人類として登場させたファンタジー小説の原点といえる作品。
ホビットの名称は権利関係のため他の作品では使われなくなった。
ダンジョンズ&ドラゴンズ(Dungeons & Dragons、D&D):1974年。
世界最初のRPG。テーブルトークという紙とサイコロを使い会話で遊ぶスタイル。人間、エルフ、ドワーフなどの種族、戦士、魔法使い、僧侶などの職業がある。
ロードス島戦記:1988年。ライトノベル。パソコンゲーム雑誌「コンプティーク」に掲載されたテーブルトークRPGのリプレイから派生した
日本のファンタジー長編小説。ディードリットはエルフのパブリックイメージと言えるキャラ。
ウィザードリィ(Wizardry):1981年。コンピュータRPG。3Dダンジョン探索型ゲームの原点。転送失敗や蘇生失敗でキャラが消えるペナルティがある。
ダンジョンマスター(Dungeon Master):1987年。コンピュータRPG。魔物を食べる要素が登場。パソコンゲーム雑誌「コンプティーク」でコミカライズが連載されていた。
(追記うわー何これなんか変なのついてる…。教えてくれた人、ありがとう〜。聞いてみます。)
ちょっと前に眼精疲労でもできる趣味ない?みたいな増田に影響されてAudibleをやってたんだけど、一通り聞き漁ったしちょっと高いからやめちゃってた。おすすめあったら再開したいので教えてください!もちろん他のサービスでもOKです。CD高いから配信だとうれしい…
釘宮理恵「ゼロの使い魔」(これ超おすすめ!なんで続き出ないの!?)
佐々木健「マーケットの魔術師」(内容は正直よくわかんなかったんだけど、声がミンサガのジャンの人で絶対に笑ってはいけない投資セミナーみたいになってしまい腹抱えて笑った)
あとはねー落語!笑点でしか知らない噺家さんの意外な一面(いやこっちが本業なんだけど…)がわかってすっごい面白くてハマった!長編小説と違って短くて聞きやすいし。
三体(声だけだと難しくて書籍でもう一回読んだ)
コンビニ人間(芸人さんのナレーションは雰囲気あって意外と良かったんだけど内容そのものがキモかった)
ねじまき鳥クロニクル(有名な男性の俳優さんだけど、女性のお色気シーンがあってちょっとキツかった…ごめんなさい)
同志少女よ、敵を撃て(可哀想すぎて泣いちゃった。これ書こうとしてたそこのお前!人の心とかないんか?)
サンドマン(雰囲気は映画みたいですごいよかった!金かかってるー。んだけどそもそもアメコミヒーローものが苦手だった…)
なんかねぇ、自分で書いてて思ったんだけど、アホだから難しい話にはついていけないし、耳元で囁かれてキモい内容は一律ダメっぽい…。明るくて爽やかな話が合ってるのかも。でも騒いでるラジオとかPodcastは苦手なので朗読が聴きたいってワケ(わがままだなー)
池澤春菜のザリガニの鳴くところ(Twitterでdisられてたしレビューも散々なので逆に興味ある)
なんか忘れたけど高橋一生のやつ(露伴見てたけど声良さそうだから)
以上です!!
お察しの通りアニメオタクなので、有名な声優さんだと嬉しいです!!!でもあんまりフレッシュすぎるとわかんないのでベテランだと嬉しい!!わがままでごめん!!よろしくお願いします!!!