
はてなキーワード:鈴木貫太郎とは
日本側が使用した呼称は大東亜戦争であるし、太平洋戦争だと日本が何のために戦争にまで及んだのか、その意図が消し去られてしまう。
そもそも日本が戦争に及んだ話をしだすと、ペリー来航まで話が戻る。
ペリーによって江戸幕府が不平等条約を結ばされ、その後日本が開国し、詔勅もなしに条約を結んだ江戸幕府に対して倒幕運動が始まり大政奉還に至った。
その後は列強諸国に野蛮な国家だと思われ侵略の恐れがあるため、日本の近代化が一気に進んだ(憲法の制定とか)。
最終的に日本が米英と戦争するに至ったのは、世界恐慌があったことも大きい。
世界恐慌の結果日本経済は悪化したけれど、列強諸国は自国の植民地との間で取引を活発化させるブロック経済によって立て直したけれど、日本はそうはいかなかった。
アジアは隷属として列強諸国に扱われ、日本は世界恐慌で経済が悪化。その結果至ったのが、日本の満州国進出。
日本も列強諸国と同じように植民地を持つことで自国の経済を強化しようとしたが、これに米英が猛反発をした。
満州国は日本が中華民国に建国した傀儡国家。中華民国の利権が絡むことで米英に反発をされ、日本は国際連盟から脱退するにまで至った。
米英の反発、国際連盟からの脱退後も日本は満州国の領土を広げるための戦争を行っていたが、最終的に不平等条約の終了を契機に、アメリカが日本への石油の輸出を止めてしまった。
その後、日本は米との和平交渉を行ったが、米の要求が、「満州国からの即時撤退」であり、日本が飲める要求ではなかった。
そして起こったのが、1941年12月8日の真珠湾攻撃。ぎりぎりまで和平交渉を行ったが叶わず、米英との開戦。
アジアの開放および日本がアジアの盟主として機能する大東亜共栄圏を設立を目的とした大東亜戦争。
厳密に言うと大東亜戦争は日本が掲げたアジア解放を目的とした戦争すべてをさす用語で合って、日本の戦争の正当化と合わせて使われる。
一方で第二次世界大戦と太平洋戦争はニュアンスが違って、第二次世界大戦はヨーロッパの各国とアメリカ、日本、アジアすべてを合わせた戦争をさして、太平洋戦争はアメリカが使用したPacificWarが起源になる。
大東亜共栄圏は一時うまく機能していたが、徐々に米英に侵略され領土がなくなり、絶対国防圏の陥落によって本土空襲が可能になり、日本は終戦へと向かう。
1945年4月7日の鈴木貫太郎内閣発足時点で、日本は終戦へ向かうことが確定していた。
日本の終戦までは、一撃講和論が主流で、米英に一矢報いて和平交渉を有利に進めようという考えがあった。これには国体の護持、天皇制の存続など日本側の要件があったわけだが。
1945年8月ごろになると、米英中三国によってポツダム宣言が作成され、日本に対して宣言文がラジオ放送され、降伏のビラが撒かれた(ソ連は8月8に参加したので、共同宣言の受諾は四国に対してとなる)。
これには日本の国体護持や日本"軍"の無条件降伏などが書かれており、日本としてはポツダム宣言受諾して降伏することを考えていた。
一方で一部青年将校らはビラに書かれたSubject toの解釈を隷属であるとし、クーデターにまで発展している。
さらにアメリカは日本に降伏の意志があったにも関わらず、広島・長崎で原爆を投下した。
広島・長崎の大都市が一瞬で壊滅したことで、日本の降伏も早まり、8月14日時点で連合国に降伏を伝え、8月15日の正午、玉音放送をもって終戦した。
さらに話を続けるのなら、日本の政治的な話になるが、なぜ昭和天皇に戦争責任がないのか、極東国際軍事裁判(東京裁判)とは何だったのか、なぜ靖国参拝は批判されるのか...について書きたいが、日記にしては長すぎる。
ニュースで、政策論争に核融合炉の話が出てたので、驚き、チェックした
https://news.yahoo.co.jp/articles/5637584c2019bbc137ad557e14970c68132dbb39?page=4
ニュースの印象よりは、核融合発電について勉強してらっしゃる、という印象だった
国際核融合実験炉ITER計画を知ってるのなら、核融合炉の開発に世界各国がどれだけの時間と費用を費やしているか、ご存知のはずだ
だが氏は、量子コンピュータの開発史を持ち出し、同じ速さで炉の開発が急加速される、研究者の予想よりも早く開発される、と論じている
これを政策論として語るのは、とても危険であり、この理由一点だけで、氏を国のトップに置くことに私は恐怖する
まず、技術論について
量子コンピュータはまだ物理実験レベルの技術であり、研究室にいる天才の閃きでブレイクスルーする可能性は充分ある(一部「実用化」されたが、まだまだ実験の域を出ていない)
核融合炉は物理+工学の巨大技術であり、ITERはそれらの複雑なピースを組み合わせて作る科学技術のサグラダファミリアである
この分野で仮に天才が数人現れたとしても、数年以内に核融合の発電所(実用炉)が出来ることはほとんど不可能
ITERは実証炉であり、ここで培われた技術で次の原型炉が造られ、それを元に造られる実用炉でやっと発電が行われる
核融合炉の部品を作る京大ベンチャーのCEOは実現を50年以降と見ているhttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOFK054HD0V00C21A3000000/
実際、高校生が自宅で炉を作ったとか、トレーラーの貨物程度の大きさで炉を作る話が数年前に流れてきたが、その後勇ましい話は出てきていない
https://diamond.jp/articles/-/172972
GAFAも核融合炉がエネルギー問題を根本から解決することは知っているので、資金も流入している
たいへん希望的な観測だが、奇跡的ブレイクスルーがいくつも起きて、30年代にでも発電炉が製作されれば嬉しいと心の底から思う
大問題なのは、個人的な技術楽観視は良いとして、それを政策に組み込むことだ
ナンセンスの極みだ
「もうすぐ日本も原爆を持つので、戦争は勝ちます頑張りましょう」
もしくは去年の今頃、国産ワクチンがもうすぐ出来るので、GoToキャンペーンを継続しましょう、と言うようなものか
トップが技術進展に関心を持つことは良いが、政策に組み込むなら、
①不確実性を織り込むの
②自己の見通しではなく、複数の専門家による客観的データに拠る見通しを盛り込む
この2つは絶対に守るべきだ
これは印象だが、氏は、ネットの情報は直接たくさん接していられるようだが、提言を行う専門家が周りに居ないのではないか?
他の分野はともかく、科学技術について、ネット情報を無批判に鵜呑みにしたため、このような核融合技術や量子コンピュータに関する発言になってしまったと文面から感じる
自分とは違う意見を進言する専門家を周りに配し、耳の痛い意見を聞けるのか?
戦争・テロ・大自然災害の発生時には特に、悲観的視点から状況を見るべきで、ネットに踊らされ都合よい楽観論しか見れないトップは、もはや愚昧ではない。悪である。
氏の提言の他の部分は読んでいない。女性総理は大歓迎 いままでの首相を顧みるにつけ、傀儡でも程々にやってくれるんならまあいいじゃん、とも思う
ただこの一点
「専門家に拠らない不確実なネット情報を希望的視点により政策に組み込む」
払った賽銭高かった、山の空気は清かった…原→高橋→加藤友→山本→清浦→加藤高
若い田んぼは幸せだ、若い犬は最高だ…若槻→田中義一→濱口→若槻→犬養→斎藤実
岡は広く、林が見える。近くに沼もあるからあんべ…岡田→広田→林→近衛→平沼→阿部
米国近くの東の磯の涼しい宮様…米内→近衛→東條→小磯→鈴木貫太郎→東久邇宮稔彦
シダはヨシ!休むのは片足でヨシ!…幣原→吉田→片山→芦田→吉田
隼人の国のサトウキビ、田中に三木あり福なきゃ大変!鈴木君を泣かそうね!…池田→佐藤→田中角栄→三木→福田赳夫→大平→鈴木善幸→中曽根
竹うかぶ、宮の細川、ハタムラに…竹下→宇野→海部→宮澤→細川→羽田→村山
橋のたもとの小さな渕で、森の泉にアッカンベー…橋本→小渕→森→小泉→安倍
ヤスオくん「あっそうだ!鳩に缶を詰めるノダ!あーべちょべちょっすなぁ」…福田康夫→麻生→鳩山由紀夫→菅直人→野田→安倍→菅義偉
アメリカは日本へ2発の原子力爆弾を投下して、日本は無条件降伏した。
無条件降伏だったので、日本はアメリカの植民地、奴隷にされた。
江戸幕府は鎖国政策を行っていたが、欧米はその間にも技術を発達させ、軍事力も増大させていた。
江戸幕府は当初「公武合体」によって、新しい日本の体制作りを目指した。
公武合体(こうぶがったい)は、幕末(1850年代から1860年代)の日本において、朝廷(公)の伝統的権威と、幕府及び諸藩(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとした政策論、政治運動をいう。
しかし、公武合体は失敗に終わり、薩長のテロリストたちがクーデターを起こした。
イギリスに支援された薩長同盟 VS フランスに支援された江戸幕府
英仏の代理戦争が日本国内で展開されて、イギリスのフリーメーソンが勝利した。
明治維新以降、日本は日露戦争に勝利する等、外国と戦争して勝つことができた。
調子に乗ってアメリカにも戦争をしかけたら(真珠湾奇襲攻撃)、逆にボコボコにやられてしまった。(原爆投下で第二次世界大戦敗北)
天皇が「勝つ見込みはありますか?」と尋ねたら、軍部は「短期決戦で勝ってみせます」と応えた。それならOKと戦争を開始した。
軍部は「アメリカから買っていた石油がなくなったので、これ以上戦争を継続できない」と判断した。(そりゃ戦争やってる相手に石油を売る馬鹿はおらんわなw)
松谷誠のように、早期講和を検討した者もいたが、軍部に握りつぶされた。
日本が2年程度で戦争を止めていれば、満州を失うだけで済み、日本の本土まで取られることはなかった。
結果的に、天皇と軍部は判断を誤り、早期の損切りができなかった。
松谷 誠(まつたに せい、1903年(明治36年)1月13日 -1998年(平成10年)10月7日[1])は、大日本帝国陸軍の軍人、陸上自衛官。
天皇の悲劇は、周りにイエスマンしかおらず、適切な判断材料となる反対意見を言う者がいなかったこと。
(天皇一人が悪いのではなく、取り巻きの連中が使えなかった。)
もしも、松谷誠らが天皇に直接提案する機会があれば、完全敗北を避けることもできただろう。
歴史を振り返ると、ワンマンのリーダーが判断ミスすることによって、国が滅ぶ例が多々ある。
日本の近代史を振り返ると、日本の岐路は、「公武合体」にあった。
もしも日本が、天皇と将軍のツートップ体制だったら、どちらか一方が判断ミスをしても、リカバリーできる可能性があった。
しかし、ワンマン体制だと、一人のリーダーが判断ミスすることによって、ドミノ式に全体がミスに巻き込まれる。
公武合体が成功していたら、日本は今とは違う歴史を歩んでいただろう。
負け惜しみで、明治維新を賞賛する向きもあるが、敗戦の結果を見れば、明治維新の天皇制は失敗だったことに気付く。
残念だ。
1948年3月10日の就任から4月17日(鈴木貫太郎死去)までの期間。内訳は
| 若槻礼次郎,岡田啓介,広田弘毅,平沼騏一郎,阿部信行 |
| 米内光政,東條英機,小磯國昭,鈴木貫太郎,東久邇宮稔彦王 |
| 幣原喜重郎,吉田茂,片山哲 |
一方で次代の吉田茂は,在任中に批判可能者が3名(東久邇宮稔彦王,片山哲,芦田均)にまで減少した。
これは歴代首相経験者が5名しかいなかった第4次伊藤内閣(1900-1901)以来の低水準である。
就任全期間(1947年5月24日~1948年3月10日)にわたって,上記リストから自身を除いた12名が存命であった。
野田は就任全期間(2011年9月2日~2012年12月26日),安倍は2度目の就任期間(2012年12月26日~)が該当。
| 中曽根康弘,海部俊樹,細川護熙,羽田孜,村山富市 |
| 森喜朗,小泉純一郎,安倍晋三,福田康夫,麻生太郎 |
| 鳩山由紀夫,菅直人,野田佳彦 |
なお臨時代理経験者を含めた場合,野田・安倍に対してはは青木幹雄が加わるが,芦田・片山に対しても後藤文夫が加わるため変動はない。
絶対に今が最大だろうと思って調べ始めたが戦中・戦後の混乱期には及ばなかった。ガセ情報に気を付けよう。
日本で「存命の元首相」の人数が最大となったのはいつですか? - ... - Yahoo!知恵袋
日本の総理大臣、総理大臣経験者で存命中の人で最も多かった時は最高何人... - Yahoo!知恵袋
ttp://takedanet.com/2010/02/post_af6d.html
●ルーズベルトがこの世を去ったとの電報がヒットラー総統の元に届いたとき、ヒットラーは飛び上がって喜び、罵詈雑言を浴びせた。
「ルーズベルトは今次の戦争を第二次世界大戦に拡大させた扇動者であり、さらに最大の対立者であるソ連を強固にした大統領として史上最悪な戦争犯罪者として歴史に残るだろう。」
●ルーズベルトがこの世を去ったとの電報が鈴木貫太郎首相の元に届いたとき、貫太郎は静かに瞑想し、次の弔電を打った。
「今日の戦争においてアメリカが優勢であるのは、ルーズベルト大統領の指導力が極めて優れているからです。その偉大な大統領を失ったアメリカ国民に、深い哀悼の意を送るものであります。」
「伊勢神宮を爆撃した者への神罰」
と報じた。
●ルーズベルトがこの世を去ったとの情報に小躍りする息子を、当時の日本婦人は次のように諫めた。
「あなた、立派なご老人が亡くなったのよ。喜んではいけません。」
・・・・・・・・・
ルーズベルトは人種差別論者として知られ、戦争前から「黄禍日本(黄色人種の日本は世界の禍だ)」と言い、「日本人だけは生かしておくわけにはいかない」と宣言してはばからなかった。
もちろん、それを知っていた貫太郎は、それでも「アメリカ人にとって偉大な」大統領を失ったアメリカ人に「深い哀悼の意」を表している。
民族には優れた民族があるかどうかは判らないが、「民族とその文化」の合計には、優劣がある。それは明らかに、
であった。