
はてなキーワード:金銭とは
罪に問われる必要なんてない
人間の事故率より0.01%でも低いならそれだけ実質的に命を救っているから
人間の運転で100人が死んでて、AIに全部置き換えて99人になるならそれでいい
犠牲になった人は運が悪かったってことで
ワクチンと一緒でしょ
それで救える命の方が多いなら、副作用で犠牲が出る人が僅かに出てもしゃーない
責任なんか取らなくていい
人間の事故率より0.01%でも低いならそれだけ実質的に命を救っているから
人間の運転で100人が死んでて、AIに全部置き換えて99人になるならそれでいい
犠牲になった人は運が悪かったってことで
ワクチンと一緒でしょ
それで救える命の方が多いなら、副作用で犠牲が出る人が僅かに出てもしゃーない
責任ってのはようするに「罪に問えるか」ということだよ
そのうえで誰かが裁判所で有罪になって刑務所に行くかということ
AIタクシーで事故った場合誰が刑務所に行くかって決まってるの?
ナンチャラ致死で罪に問えるの?
そうじゃないと遺族は納得しないよ
日本はそういう国
「でもAIには責任取れないよね。人間は責任が取れる。だから人間の仕事は奪われない」
これ聞くたびに思うんだけど、お前の言う「責任取る」って具体的に何?
腹でも切ってんの?
現代社会における責任なんて、せいぜい謝罪か辞職、あとは賠償ぐらいでしょ
例としてタクシーに乗るならどっち選ぶん?
事故ったら涙ながらに「申し訳ありません!」とぬくもりのある謝罪をしてくれる。
辞職してくれます。
事故ったら「申し訳アリマセン」と合成音声で謝罪をしてくれる。
浮いた人件費の分で手厚い保険に入ってるから、たんまり賠償金もらえます。
Aの車田を選ぶ人ってのはつまり、
「事故に遭う確率が10倍に跳ね上がり、割高な運賃払ってでも『人間が涙流しながら平謝りして職を失う姿』を見たい」
なんて客からすればそいつが職を失おうがどうしようが、怪我は治らないし時間は戻らない。
一番必要なのは「事故を起こさない」ことで、次に必要なのは「十分な金銭的補償」だろ。
なんて報告聞くためにお金払うか?
「めんどくせーな」とか大体そんなもんだろ。
内心舌打ちしながら、もしくは本心から発した「申し訳ありません」という音声波形。
チャットボットが会話の流れから確率的に出力した「申し訳ありません」というテキストデータ。
これに、1円でも価値の差があると思う?
俺はないと思う。どっちも等しく無価値。
「人間は責任が取れるから、AIが能力で勝っても人間の仕事は残る」
とか言ってる奴は
「自分の謝罪や辞職には、AIの圧倒的な性能差やコスト差を埋め合わせるだけの価値がある」
って本気で信じてんの?
おっさんが頭下げる姿見たくて金払うやつなんていないよ
義実家が0歳孫に教育資金贈与ってやつをしてくれるらしいんだけど、警戒したほうがいいことある?
夫はありがたくもらっとけと言うんだけど、いきなり1,500万円ポンともらう理由がなくて怖い
なんか金銭以外の見返り求められるんじゃないの?
もう、映画みたいなコンテンツも、広告料だけで作れや、みたいになってくんだろうなあ、と思ったり…😟
つまり、AIとかで低コストで生成できるようになるわけで、今のAIはまだまだおかしい挙動があるけど、
そのうち、指の本数とか、ラーメンとかみたいな問題は解決していくと思うし、
そうなると、庵野さんが、シンエヴァはBlenderで、みたいな話も飛び越えちゃって、
もう、AIで生成した動画がYouTubeとかに溢れてしまって、広告料で稼ぐことが完全に前提になってしまう、
楽曲も、そのうち漫画でさえもなると思う、NanoBanana Proとか考えると、そうなる、
そうなると、真面目に絵を描くとか、作曲するのが、なんかバカバカしくなってしまうと、やはり思ってしまう
金銭の見返りを求めてしまうと、そうなってしまうのは仕方がないと思う
冷凍食品の方が美味しいけど、手料理しました、無農薬です、自然派です、みたいな、
味とかじゃなくて、そのバックの物語を売りにするとか、そういう方向性になってしまう、気がする…😟
空しいけど、仕方がない
DAWと並行して、Sunoとかもやっていきたいところ…😟
X(旧Twitter)にて趣味で知り合った相手と意気投合してオフで会わないかと誘われた。
ネットで知り合った相手とリアルで会う機会が無く一抹の不安はあったが、相手のTwitterを見るにオフ会を頻繁に開いているのが分かった。
そのため、ある程度の信頼できると思い快諾した。
オフ会が決まるまではスムーズで、日程・場所の調整をしたあとは当日なにするかを決めて終わりといった至って普通の流れ。
場所についてはこちらの住みを聞かれたが、場所代がかからないことから相手宅にしないかと提案された。
こちらの自宅からは2時間ほどかかるが、相手から誘ってくれていて実績があることも知っているから、些細な問題だと思いOKをした。
調整という名目であるが、相手に都合の良い形に持って行かれている時点で違和感に気づくべきだった。
当日、集合場所で待っていると明らかに仕事終わりといった風貌の相手が現れた。
雑談をしながら相手宅に向かうと、大きめの一軒家に案内された。
デカい家住んでるなーと思いながら中に上がると、相手が親らしき人物と会話し始めたことで気がつく、まさかの実家。
「夏場で汗もかいているだろうから風呂使っていいよ。」と相手から提案があり、汗を気にするタイプという可能性もあり断れず大人しくシャワーを浴びた。
シャワーを浴びた後は元々決めていたことを遊ぶだけだと思っていたが、相手からまさかの発言「全然寝てないので仮眠しますね。」…馬鹿じゃないの?
相手が仮眠から目覚めた後は、部屋の外から家族の会話や足音が聞こえるなど気が気じゃない状態が続いたまま朝を迎え、オフ会は無事終了した。
…考えてみると場所調整の時点で何か問題を抱えていることがわかったはずだ。
友人同士で集まるときは飲食店やカラオケ、レンタルスペースなど公共の場で会うことをまずは考えるだろう。
各自集まりやすい場所を選ぶべきところ、相手は移動時間ゼロの自宅を指定している。
金銭的に余裕がないか、そういった選択肢が出てこない社交性の低い人間だと疑うべきだ。
もしくは初回から距離感が近い人なのだろうか、だとしても実家へ招待するのは未成年の学生か結婚前くらいではないか?
今回は趣味の都合もありレンタルスペースなどを活用したかったが、場所代のかからない相手宅でもいいだろうと考えてしまった自分の甘さもあったと反省した。
先日 数回目の万引きでとうとう
初めてではない取り調べ
万引きの担当の警察官は苦手で、また怒鳴られるのかなぁと思っていたら温厚な方でした
2回目の示談の時は、正直思い出したくもないくらいの罵詈雑言で
悪いことをした事は認めているし 受け答えがハッキリしているタイプの自分は
正直捕まってしまったものはどうしようもないのでハッキリ話しているだけなのに
頭を垂れてボソボソと話せば はたまた泣きながら許しを乞う事をすればいいのか悩みました
あれはなんなんでしょうか 何が正解なのでしょうか
正直、悪い事をしたのは理解していたし、
その時、反省の意もありましたが
反論するのも違うと思いましたが、正直そこまで言う必要ある…?と疑問を覚えました。
自分は「わかりました」とだけ返答し、心にモヤモヤを抱えたまま 3回目の万引きをしました
「犯罪者の顔って言われたから」という投げやりな気持ちでした。
それをそのままその時の取り調べでも言いました
そしたら取り調べしてくれていた警察官が
「それって、クレプトマニアの事でしょう?」と言われました。
後に調べた所、クレプトマニアとは
クレプトマニア(窃盗症・病的窃盗)とは、個人的な必要性や金銭目的ではなく、物を盗みたいという衝動を抑えきれずに繰り返し窃盗行為に及んでしまう精神疾患です。盗む行為の直前に緊張感が高まり、盗んだ時に快感や満足感を得るのが特徴で、盗んだ物は使わずに捨てたり隠したりすることが多く、自分でもやめられずに苦しむ人が少なくありません。との事で
クレプトマニアの人は毎日のように万引きを繰り返してしまう病気で、だから自分は当てはまっていないから安心して、そんな事言った警察官が頭おかしいよ 悪い事はしてしまったけど病的なものではないよとその時の警察官に言われたことが私の救いでした。
取り調べが終わり0時を回る頃、とある女子拘留所に連行され荷物を預かり処方薬や持病や性病の有無、拘留所で使うもの(主に石鹸タオルハンカチ靴下パンツリンスインシャンプー等)を購入することになりました、初めての拘留 いつ出れるのかな?という気持ちもあったので私は最小限に納めましたが 基本靴下パンツハンカチは2枚ずつが基本で、ハンカチかぁ…となった私は警官を振り切って1枚だけにしました。
後はリップクリーム ボディクリーム等がありましたが必要ないかなと買いませんでした。
私の通された部屋は海外の人3人日本人のおばあちゃん1人の私を合わせて5人部屋で
海外の人2人が日本語がまあまあ使えて 1人はほぼ使えない 静かな部屋に通されました
勿論名前は番号呼びで 基本友人を作るのは禁止(後に出た時に交流の際脅されたり等のトラブルがあるらしい)なのですがメンツがメンツなので話すことはありましたが友人にはなりませんでしたね。
問題がここから まず東京地裁に行き検事さんとお話します、その後裁判所で拘留の日数が決まるのですが大都会東京都は2日に分けてそれをやる(地方は一日で済むらしい)のですが
それがほんとーに苦痛でした、朝8時に出て3箇所纏めてやるのですが私語厳禁のただの硬い椅子に手錠をされてほぼ12時間缶詰…私は10日拘留で済みましたが地裁には4回行きました…
それがなければ、拘留所にいる際は
6:30 起床
7:00 朝食
昼ごはんまでの間に点呼や運動(実際は髪を梳かしたりするだけ)や5日に1度お風呂(20分)ぐらいがあるのでそれを済ませ 後は一日1度前日に選んだ本を読めるのでそれを読む
12:00 昼食
17:00 夕食
21:00 消灯
という感じで 私は結局4冊は読めたのかな?
イニシエーションラブと地面師のスピンオフ作品と10代が読むような小説を読みました
漫画は何故かスラムダンク(凄く中途半端な巻数から)がありましたね。
最後の検事さんとの話と弁護士を挟んでくれるので(自分で知り合いがいる場合はその人を呼べる)弁護士さんと話しながらなんとか不起訴で拘留所を出ることが出来ました。
ちなみに同室のおばあちゃんは話を聞いている限りクレプトマニアで拘留所から出てまたすぐ万引きして来年には刑務所に行くのだとか…
おばあちゃんはどうやら孤独で、拘留所や刑務所にいる方がいい とまで言ってました…凄いと言っていいのか 寂しい人だなと思うべきか…
他の部屋の人はわかりませんが、若い子や海外の人が多かった印象です。
私は深くは聞きにくいので他の人の罪状はわかりませんが…
ですが、防犯カメラもそうですが結構人の集まるお店には万引きGメンがいるってのはわかりました、示談で済めばその店出禁位で済みますが、示談出来なければ即逮捕なので
ほぼいないと思いますが、絶対にしない方がいいです 1度でも成功してしまうと癖になってしまうので…
最後に逮捕された時に取り調べした警察官さん、私の話を親身に聞いて否定してくれてありがとうございました お陰であのモヤモヤは晴れて再犯はしないと思えました。
万引き担当の警察官さん 怒るのは必要だし、こちらが悪いことをしているから何も言えないけれど、言っていいことと悪い事の分別はつけて欲しいなと思いました。
あと、ハッキリ話しているのを反省していないと判断するのも軽率なのでは?と思います。
セックスは女が男に提供する対価のように考えている女多いじゃん?
男が女に金銭サービス、色々提供した上で初めて女から提供されるのがセックスだと、そう考えている女がいるけど
セックスすら男が頑張って女を楽しませないとならないサービスになっている。対価になってないんだよ
丘の上から民間人を「狙撃」─サラエボの「人間狩りツアー」に参加していた日本人がいた?
https://news.yahoo.co.jp/articles/328c64be63d7a8ddc46d4418b3145440c0b080d1
「イタリア人を含む複数国籍のグループ、いわゆる『狙撃観光客』らは、ボスニアのセルビア人指導者だったラドヴァン・カラジッチ率いる軍隊の兵士に多額の金銭を支払い、虐殺に加担したとされる。
カラジッチは後にジェノサイド(集団殺害)およびその他の人道に対する罪で有罪判決を受けている。観光客はサラエボ周辺の丘陵地帯へと連れていかれ、娯楽として住民を狙撃した」
こうした観光客のなかには日本人もいたという記述もある。11月12日付のイタリア紙「イル・フォリオ」では、イタリア人ジャーナリストのアドリアーノ・ソフリが当時の通信文の一部を公開している。
そのなかには、ロシア人志願兵やギリシャ人狙撃兵部隊、さらには失恋の怒りをサラエボ住民にぶつけるためにやってきた日本人についても言及されている。
それは大変お辛い状況ですね。お母様の入院と介護、そして予期せぬ出費が重なり、経済的なご不安が強いこととお察しします。心中お見舞い申し上げます。
医療費と介護費の支払い、そして装具の費用と、複数の問題を同時に抱えていらっしゃる状況ですが、一つずつ整理して、利用できる公的な制度や相談先を考えてみましょう。
まずは、目の前の「装具の費用」と「根本的な資金繰り」について、それぞれ公的な制度がないか確認します。
医療機関から「レンタルしている」とのことですが、「療養費(装具費)」の支給制度が利用できないか確認が必要です。これは、装具(コルセット、義足など)を全額自己負担で購入した後、申請によって保険負担分(通常7割〜9割)が払い戻される制度です。
対象:医師が必要と認めた治療用装具(杖やサポーターは対象外の場合が多い)
流れ:
加入している健康保険(国民健康保険、協会けんぽ、共済組合など)に申請する。
確認点: 4万円かかる装具が、この「療養費」の対象となるかどうかを、病院のソーシャルワーカーまたは装具を作った業者に確認してください。もし対象であれば、一時的な全額負担は必要ですが、後から大部分が戻ってきます。
病院のソーシャルワーカーがおっしゃった「行政の小口資金貸し付け」は、おそらく「生活福祉資金貸付制度」の緊急小口資金などを指していると思われますが、それ以外にも利用できる制度を検討しましょう。
低所得者世帯、高齢者世帯、障害者世帯を対象とした貸付制度です。
用途: 緊急かつ一時的に生計の維持が困難になった場合の少額の貸付。
限度額:10万円以内(状況により特例あり)。
特徴: 無利子で、比較的早く貸付を受けられる可能性があります。
活用方法: これで装具費4万円を一時的に賄い、療養費が戻ってきたら返済するなどの使い方が考えられます。
医療費についてはソーシャルワーカーと調整済とのことですが、念のため確認させてください。月々の医療費が高額になっている場合、高額療養費制度を利用していますか?
制度: 1ヶ月の医療費の自己負担額が、年齢や所得に応じた上限額を超えた場合、超えた分が払い戻されます。
対策: 事前に「限度額適用認定証」を加入している健康保険に申請し、病院に提出すれば、窓口での支払いが最初から自己負担上限額までになります。
状況を打開するために、以下のステップで行動されることを強くおすすめします。
相談内容:
装具の費用4万円について、「療養費(装具費)」の対象となるか、また、申請のために必要な書類は何かを確認する。
介護費用を含め、資金繰りが限界であることを率直に伝え、社会福祉協議会への「緊急小口資金」の申請手続きをサポートしてもらえるか相談する。
医療費の支払いで、高額療養費制度や限度額適用認定証の利用状況を再確認してもらう。
ソーシャルワーカーと連携しつつ、お住まいの地域の社会福祉協議会に電話または窓口で相談予約を入れ、「生活福祉資金貸付制度(緊急小口資金)」の利用を検討してください。
お母様が要介護認定を受けている場合、介護サービス費用の負担軽減制度も利用できる可能性があります。
負担限度額認定(特定入所者介護サービス費):介護保険施設の食費・居住費の自己負担を軽減する制度です。お母様が入院・入所されている施設の形態によっては対象となる場合があります。
これらの公的な制度は、知識がないと申請が難しいものも多いため、専門家(ソーシャルワーカー、社協の相談員)を頼ることが非常に重要です。
金銭的な不安は精神的にも大きな負担となりますが、使える制度は必ずあります。どうかご自身を責めず、まずは病院のソーシャルワーカーに現在の詳細な状況を伝えて、具体的な手続きのサポートを受けてください。
近年、投資の話題になると、判を押したようにオルカン等のインデックス投資信託が推奨されている。それに異論は全くないのだが、「オルカン一択、個別株に手を出すのは情弱」というのは少し視野が狭いのでは?と考えているので、私が敢えて個別株への投資を続けている理由を語りたい。
•資産構成は全体を100とすると、持ち家50、国内個別株23、外国株インデックス10、日本円12、米ドル5ぐらい。
•NISA積立と確定拠出年金は全額を外国株投信に向けている。
•現在保有している個別株は約20銘柄。売却は滅多になく、ほぼバイアンドホールド。
•Yahooファイナンスにポートフォリオ登録して、普段は1日に2,3回眺める程度。
投資信託には、信託報酬や運用経費が必ず発生する。(オルカンの場合、直近で約0.08%)
個別株への投資ではこれらのコストは発生しない。SBIや楽天なら株式の売買手数料も無料だ。
一方、個別銘柄の将来のリターンを事前に把握することは不可能であることを前提とすると、各銘柄のリターンの期待値は市場平均と等しいので、理論上の期待リターンはコストの分だけ僅かながら個別株が有利となる。
また、日本では上場企業の3社に1社が株主優待を導入しており、これも個別株に有利な要素だ。(私は優待目当ての投資はしないが、それでも換金可能な優待がいくつか届いている。)
インデックス投資のメリットは言うまでもなく手軽に分散投資できることだが、個別株でも複数の銘柄に分散することで、個別事情に起因するリスクは相当程度軽減できる。
どこまでを許容範囲と見るかは人によるが、私にとっては現状のポートフォリオは許容可能なリスク範囲に収まっている。インデックスより上振れする確率と下振れする確率は同じであり、細けえことはいいんだよ、という気持ちだ。
さて、言いたいことはここから。
個別株投資には「推し活」的な楽しみがあります。インデックス投資と比べて金銭的に大きく不利でないのであれば、楽しい方が良くないですか?
○総合商社のPERが5〜6倍ぐらいの頃に割安に思って買ったら、バフェット氏も買っていたことが分かってめっちゃ上がった。
○仕事で関わった会社で印象が良かったとか、後輩の転職先とかの縁で買うことも(インサイダーじゃないよ!)。上がるか下がるかは結果論だけど、いずれ自分で推した会社なら納得感がある。
•自分の倫理感にフィットしない企業への投資を避けることができる。
•株主総会の配信で経営者の思いを直接聞けて、会場に行けば質問もできる。
○ 誠実な回答、共感できるビジョンを聞いて買い増ししたこともあった。
もちろん、満足を感じるかは人それぞれです。経済や企業活動に関心がなく、1秒たりとも投資に時間を使いたくない人もいるでしょう。
ただ、私は一人のビジネスパーソンとして、こうしたことに好奇心や楽しさを覚えるので、細々と個別株への投資を続けているのです。
結婚して妻子がいる男性が、独身男性と異なる扱いを受けるのは当然です。
養っていくためにより多く金銭が必要になる事情があるからです。
また、妻子を食わすためには相当無理をしても責任を全うするだろうという期待もあります。
このことは田舎でも都会でも変わりませんが、田舎だとより著しいかもしれません。
この原理に疑問を抱く人間は、共同体への帰属に不慣れなのでしょう。不運ですね。
学歴が高ければ推し活にはまらないとか、夢との距離がある人は他者に夢を仮託するとか、そういう事じゃなんだよ。
推し活の本質はな、子育てで発散するはずだった子への庇護欲・子を生育させる欲・子の成長を見守る欲を、子でない他者で発散してるに過ぎないんだよ。
アイドルも、タレントも、スポーツ選手も、宗教(信心)も、国家(愛国心)も、みんなこの「子に向かうはずだった欲」を掠め取って稼いでるんよ。
今地球上にいる人類はみな、子を愛し慈しんで育ててきた祖先から生まれた子孫で、その性質を引きついでて、本能として子への庇護欲・子を生育させる欲・子の成長を見守る欲を持ってる。親になるような年齢になるとその欲は自然と出てくる。
子を愛さず慈しまず育ててこなかった個体は、子孫を残せずその代で途絶えるからな。
社会によって叩き込まれた理性の妨害(個人主義、金銭的損得の考え、将来への不安等)で子を持たない選択した人や、
相手に恵まれず結婚できず子育て適齢期なのにその対象である子を持たない人が、子に向くはずだった欲を商業的に利用されてるのが推し活だよ。
子がいてもまともに子育てしてなかったり(家に帰らずアイドルライブに熱中するバカ父とか)、幼少時の愛着生育(子から親だけでなく、親から子への愛着も育てないと生まれない)に失敗して子に愛情を感じない親や、
子を産む前にすでに他者に強い庇護欲が向いていて子が生まれても推しを捨てず押し活にはまる人もいる。(山上被告の母親とか)
アイドルも、宗教も、愛国心を向けられる国家も、地球で繁殖してきた人類が持ってる子に対する庇護欲・生育欲・見守り欲を掠め取ってんだよ。
空腹だった。猫と戯れていても、アトピーの男と弁当を食べていても、心の底から満たされることはない。そして、その空腹は胃袋だけでなく、魂の奥底から来るものだということもわかっていた。
「とりあえず、何か食うか」
独り言のように呟き、僕はスマートフォンで最寄りの回転寿司店を検索した。
店に入ると、威勢のいい声が響き渡る。店内は明るく、家族連れやカップルで賑わっていた。誰もが幸せそうに見える。いや、彼らは顔が良く、金があり、性的魅力という武器を持っているから、その結果として幸せそうに見えるのだ、と僕は内心毒づいた。
カウンター席に通され、僕は流れてくる寿司の皿を一瞥した。マグロ、サーモン、ハマチ。どれもこれも、僕にとっては手の届かない美しさの象徴のように感じられた。新鮮な魚介類は、容姿の良い人間が享受する特権階級の食べ物だ。性的な魅力がない僕には、それに釣り合うだけの価値がない。
「よし」
最初に来たのは、フライドポテトの小皿だった。揚げたての黄金色。塩気が効いていて、妙に安心感がある。僕の荒れた肌とは対照的な、完璧なキツネ色だ。これを口に運びながら、僕は思い出した。隣の部屋の美男美女も、軽自動車も、赤ん坊の鳴き声も、全ては僕とは無関係の世界だ。このポテトだけが、今の僕を支える現実だ。
次に注文したのは、鶏の唐揚げ。甘辛いタレがかかった、見るからにジャンキーな一品。
「これでいいんだ」
僕は自分に言い聞かせた。寿司を食べなくても、腹は満たせる。魚がなくても、食事は成立する。性的魅力という美がなくても、この世で生きることはできる。この唐揚げの皿の上には、容姿の優劣や金銭的な格差は存在しない。あるのはただ、カリッとした衣とジューシーな肉の食感だけだ。
ポテトと唐揚げを平らげた後、僕は最後の締めにうどんを注文した。シンプルないりこの出汁が効いた、温かい一杯だ。胃袋がじんわりと温まる。
流れてくる皿の上には、今日も艶やかな寿司が乗っている。しかし、僕の目の前にあるのは、魚介類を一切含まない、僕だけの非・寿司メニューの残骸だ。
唐揚げの皿を下げに来た店員が、僕の顔を見て一瞬目を逸らしたように見えたが、気のせいだろう。あるいは、僕の勝手な被害妄想だ。彼らにとっては、僕はただの客の一人。醜い顔も、汚い肌も、どうでもいい。
うどんをすすりながら、僕は考える。この世界では、性的魅力が八割かもしれない。美人が楽をしているのも事実だろう。だが、この回転寿司で、僕は魚ではないもので腹を満たした。それは、僕がこの世界で、性的魅力以外の何かで生き残る方法を見つけられるかもしれない、というかすかな希望にも似ていた。
会計を済ませ、店を出る。外はもう完全に暗くなっていた。胃は満たされた。しかし、魂の空腹はまだ残っている。
「次は、パフェでも食うか」
そう呟き、僕は醜い自分の影を引きずりながら、雑踏の中へと消えていった。
46歳男性。3児の父です。
最近この先の人生の方向性に迷っており、何を目指して生きていこうかと日々悩み中なのでアドバイスをもらえたらうれしいです。
現在こんな感じです。
自分で書いてて別に何も不満に思うことないじゃん、という気もするし、「こいつすごく恵まれてるくせに何を言ってるんだ」という感じがします。感じ悪いです。読んで不快になった人もいるかと思います。ごめんなさい。
でも、「熱中できず、満足できなくて、日々鬱々としている」のです…。
究極的には人生なんてずっと暇つぶしなのだから、時間の無駄とか、自分の成長がとか言ってないで何か楽しいことをやって満足できればいいのだろうというのは頭ではわかっているのですが…。
小さいころからずっと、稼げるようになるために勉強しまくって、ブラックな職場でも頑張って仕事しまくって。子供ができてからは子供に時間をささげまくって。ひと段落しちゃってやることなくなって趣味に力を入れてみたけど、いろいろと思い通りにいかなかったり先が見えてきてしまって。
よく言う、仕事ばっかりやっていた人が退職した後にやりがい無くして…みたいな感じの軽いやつを今味わってる気がしてます。おそらく多くの人が状況は違えど多かれ少なかれこういう感じになる時期があるんじゃないかと思うのですが…。
こういう時ってどういう感じで思想を広げて、感じ方を変えていけるんでしょうか?
きっと、現状を変えるという手もあるけど、完全に今の状況のままで心穏やかに毎日満足しながら幸せに過ごせる感じ方に自分が変われればそれでよいのだと思うのですけれども。
頭ではそう思っててもなかなかそうはいかないんですよね。
同じように感じていたところから、感じ方が変わった人がいたら、どういう経緯をたどったのかなど教えてもらえると嬉しいです。
0歳の子供を連れてスーパーで買い物をしていると、知らないおばあちゃんが吸い寄せられるように近寄ってきては、子供を可愛い可愛いと褒めそやしてくれる。
が、母親である私には「たくさん子供を産んでね!今の時代は、3人は産まなきゃダメよ!」ってセリフを残していく。悪意0の笑顔で。
私は金銭的不安さえ無ければ3人産むことも厭わないので「欲しいですね〜!子供!」って話合わせてそれで終わりなんだけど、
令和のコンプラ的には完全にアウトな発言だと思うのでかなり面白い。
しかもこの、3人産まなきゃダメ!っていうの、面識ないおばあちゃん達から5回は言われている。
この土地の高齢者には、女は子供を3人産んで一人前、みたいな共通認識があるんだろうか?
そういえば、こどもの支援センターなどにいくと、子供3人居るご家庭の多いこと。
でも皆幸せそうである。田舎ではあるが、意外にも子育てを主体的に行う旦那さんが多い印象がある。
なんとなく、この土地では、田舎の空気に適合できる女だけが生きているんだなあと思う。
合わない子達は、都会に避難する。
私は、幸いこの土地の水が合うようで良かった。
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第5章は、タタルスキーが広告コピーライターとしてのスキルを活かし、初めて“消費者だけでなく政治・社会”に影響を与える可能性 を感じる章です。
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広告代理店での仕事は順調に進み、タタルスキーは次第に自信をつける。
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“売上が落ちている高級飲料” がある。
• タタルスキーはコピーだけでなく、広告キャンペーン全体を企画することに
具体的には:
• 「消費者に“自分が成功者であるかのような錯覚”を与える」
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• タタルスキーは初めて、自分のコピーが個人の購買だけでなく、社会全体に影響を与える可能性を知る
これが後に、タタルスキーが国家プロジェクトに関わる伏線になる。
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• 人々は「物語」を信じることで行動する
•広告は商品を神格化する手段であり、現代の“新しい宗教”のようだ
⸻
代理店での仕事に慣れてくると、タタルスキーは金銭的な快感を覚える。
•社会的地位が少しずつ上がる
⸻
3.未来の予感
•広告技術は個人消費だけでなく、政治や社会操作にも応用できる
•自分の才能が“国家レベルのイメージ戦略”で試される日が来るかもしれない
⸻
◆ 7. 第5章の象徴的整理
項目 内容
主要イベント タタルスキーが広告の現実操作力に気づき、政治的応用の可能性を意識する
物語的役割 タタルスキーが“個人消費から社会・政治操作へ”視野を広げる章
⸻
第5章は、
広告の魔術的力を自覚しつつ、政治や権力に接続する兆候を掴む重要な章
です。
実行されててワロタ
謎❗
新宿区議会の共産党区議団が私の年収や年金について職員に問い合わせに来たとのこと‼️
給与は公開情報で給与所得者だし、副業もやっていないので隠すこともないので構わないですが…
気味が悪いですね😅
まず先に断っておくと詐欺に遭ったことは本当だが、この文章はAIに書いてもらっている。
理由はまだ傷が癒えきっていないことと、自分の言葉で振り返ることができるほどまだ冷静ではないからだ。
ちょうどAmazonで注文していたから、疑いなんて一切なかった。
URLを踏んで、開いたページのロゴは完璧にクロネコ。フォントも、黒×黄色の配色も、文面も“本物”。
追跡番号っぽい数字が一列あって、それを見たときにはもう「これは本当のやつだ」と思い込んでいた。
“そういうものだと思った”のが一番の失敗だった。
カード番号。
有効期限。
全部入れて送信。
……画面が固まった。
次のページに進むでもない。
戻るでもない。
「あれ?」と思った瞬間には、もう取り返しがつかなくなっていた。
翌日、昼。
スマホが鳴った。
「本日の深夜、海外で約10万円のご利用があります。ご本人様でしょうか?」
血の気が、すっと引いた。
呼吸がうまく出来ない。
指も震える。
深夜なんて爆睡してたのに。
合計107,840円
頭が真っ白になって、
パスワード変更。
全部仕事中。
全部俺のせい。
でも、何の救いにもならなかった。
すると必ずこうなる ↓
固定費が全滅する
引き落とし日にカードが止まってたら
→ 支払い失敗 → 催促メール → 最悪停止
再発行まで1~3週間。
その間、ずっと不便
同じ失敗をする人が、これ以上増えないようにこれを書いている。
忙しい日ほど。疲れた夜ほど。
だれでも、だれでも、だれでも落ちる。
次に来るそのメールは、本物のフリをした“狩りの罠”かもしれない。
周りに言えない恥ずかしさ。
夜になると、あの時入力した数字を相手が眺めていたと思うと吐き気がした。
スマホに触るのが怖い。
ネット通販の決済画面を見るだけで動悸がする。
後から見返せば変なんだ。
そして何より、配送業者がクレカ情報を要求するはずがない。でも、その瞬間の俺は、「現実に起きていること」だけしか見てなかった。
もう一度言う。
Permalink |記事への反応(14) | 15:28
拙者、家庭なき弱者男性でござるが、子供がいたら普通にWindowsマシンを買い与えるでござるよ…😟
理由は第一に金銭面、第二に、どうせいつかWindows動かなくなって、消してLinuxマシンにできるから…
何なら我が家にあるパソコンはすべて中身がLinuxです。その理由が夫の言葉を借りるなら「俺はLinuxフリークだ」そうです。意味がわかりません。
そんな、ヴェルタース・オリジナルみたいなこと言える家があるのが驚きです…😟<今では私の孫もUbuntuユーザーなぜなら彼は私にとっても特別な存在…
フリークと言えば、色々なものが思い浮かびますが、子供の頃に雑誌ログインを読んでいて、田尻智氏のこと、ミニコミ誌のことは知っていましたが、
そのゲームフリークが後々ポケモンで大成功する、というのは、ポケモンが成功するまで知りませんでした
ほんと、スゲーよな…😟
はてなーかどうかはともかく、20年近くMacOS X使ってきて、もう二度と使うか、と思ってるので、愛はないです。
ただ、今でもときどき、同じDAW使うなら、Macの方がいいのかなあ、とか、
だけど、某女性メタルバンドの女性作曲家ギタリストは普通にWindowsでデモ作ってました、
環境のせいにする前に、さっさと一曲作るとか、とにかく完成させろ!という誰かの声がシリコンバレーの方から聴こえる…😟
そもそも我が家でiPhoneを導入するか?Androidを導入するか?となった際も私は言い負かされてAndroidになっています。
あー、音楽関係だけでも、過去にiOSで使ってたアプリはあるので、正直、Macはともかく、iOSは使いたい気がしてます。
Androidは意外とそういうところで駄目というか、志が低いというか、
じゃあ、文句言ってるテメーが作れや、なんですが、iOSのアプリの方がオシャンティーだったりもして、いいですよね、見た目が良いのもモチベが上がります…😟
様々な多様性で、同じ動作をしないデバイスがあったりするのもAndroidなので、基本私はGoogleが売る端末、
もしくはPixelやNexusを実際に製造しているメーカーを使うことにしてますが、ASUSだったかな、過去に酷い目に遭いましたよ、ええ…😟
まあ、一応homebrewはMacもLinuxも同じように動作しますよね…、
なんだかんだ、GIMPは当然、Inkscapeもちょっと色々無理があるというか、
不肖、私は障害者ですが、再就職の研修とかなると、基本Microsoft Office周辺群、あとAdobeですよね、動画編集もそうですし…😟
お金の問題もあるので、私はMS OfficeもAdobeも普段の個人の生活では使わないですけどね
考えようによるけど、敢えて、子供にパソコンを持って外出させたくない、みたいな、セキュリティとか、色々問題ありますし、
うちの近所も、小学生が公園に集まって、スマホ設置してダンス動画とか撮影してるの見ますけど、
そういうのに付随するトラブルを防ぎたいとか思うのなら、親の嫌がらせと思われても、デスクトップにするとか、
敢えて、重いノートにするとか、ありなんじゃなかろうか…😟重くても家の中なら持ち運べるでしょ?
頼みの息子も「言うほど不便じゃない。まぁ動かないSteamのゲームがたまにあるけどSwitchゲー動かないみたいなもんだし慣れたわ別ゲーやりゃ良いし」とそっけない感じ。そもそもこの子は小学生の頃からラズベリーパイで夫と電子工作やゲームして遊んでて、この子にとってパソコン=Linuxなんです!味方として頼りにならない!
日本の将来は明るいですね…😟
いや、ロボットに障害物競争やらせる国際的なイベント、DARPAグランドチャレンジのテレビ中継観てたら、
会場にあるマシンが明らかにみんなUbuntuなんですよ、あのアフリカをイメージした赤茶色、特徴的なドック、
最近、ボケっとテレビ観てたら、ロボットハンドを開発してる会社とか、内容忘れたけどAI関係のベンチャーとか、
基本みんなLinuxというか、多分Ubuntu系列です、ロボットハンドの企業はXubuntuでした
名前だけしか関係ないVisual Studioはあんまりですが…😟
音楽やるのにも必要ですし、ローカルのLLMとか、個人的にはゲーム以外の用途でゲーミングパソコンが欲しいぐらいです
光るのは嫌ですが…😟
ブコメとかにあるように、まあ、今のMacOSもDarwinというか、UNIXっぽいのは間違ってないので、
伝統的BSD系列と、新参者のLinusが作った紛い物Linuxファイッ!みたいな感じなので、これはもう宗教戦争、
つまり、夫がvimですが、私はemacsです、どうしたら倒せますか?みたいな感じで、
その横で私はvscode使ったり、MacOS Xでも旧称耳かきエディターのmiとかCotEditorとか使うだけなんで…😟文化は共存共栄が大事ですね
投資というのは未来を信じるという賭けなのだと、最近気づいた。
それなのに、現代の投資は「データに基づいた合理的な判断」みたいなことばっかり言われてて、未来を信じるという本質的な部分が、完全に吹き飛んでしまっている。
だから、これからの投資について語るならデータと信念のあいだで何をするか、という問いから始める必要がある。
積立NISA、インデックス投資、ポートフォリオ理論、ESG投資。
全部、これをやれば、失敗しないという正解を求めるフレームワークだ。
でも、正解なんて、もう無いのが明白になってきた。
生成AI革命で産業構造が変わったら、それまでの「正解」は意味を失う。
なぜなら、環境変化のスピードが、データを集積する速度を超えたから。
ただし、信念というのは根拠のない楽観ではなくて、社会はこう変わるという仮説に基づいた、計算されたギャンブルだ。
例えば、2010年代にビットコインに全資産をぶち込むというのは、合理的ではなかったけど、信念的にはこれからは中央銀行に支配されない通貨が必要という仮説があった。
その仮説が正しいかどうかは別として、少なくともデータを理由に拒否することはできない状況になってきた。
これからの投資で重要なのは「自分が何を信じるか」を、きちんと言語化することだ。
例えば、
AIは、結局、大手5社に収斂するから、FANG+に集中するという仮説
食料・水・エネルギー不足が進むから、農業・水インフラ・再生エネに集中するという仮説
でも、この中のどれかを選んで、それに基づいて投資する方が、正解を求めてウロウロするより、ずっと健全だ。
なぜなら、その仮説が外れたとき、なぜ外れたのかを、自分で分析できるから。
これからは失敗から学ぶという泥臭い営為が、唯一の競争優位になる。
例えば、2008年のリーマンショックで資産を失った人の中には「二度と株式投資をしない」と決めた人と「何がうまくいかなかったのか」を徹底的に分析した人がいた。
前者は、その後の株価上昇で、ずっと後悔し続ける。
後者は「リスク管理が不十分だった」「信念が曖昧だった」という学習を持って、次の投資に臨む。
もう一つ重要なのは「自分がどの時間軸で投資するのか」を決めることだ。
1年以内に2倍にしたい(これはもう投資ではなく、ギャンブル)
5年で1.5倍にしたい(これは現実的)
その時間軸によって正解は全く違う。
5年で1.5倍を狙う投資と、30年で10倍を狙う投資では、選ぶ商品も、リスク許容度も、心構えも、全部違う。
その結果、短期的な値動きに一喜一憂して、長期的な戦略を失う。
ここが、本当に大事な部分だと思う。
投資というのは、この社会はこう変わるという信念を、金銭という形で表現することだ。
つまり、投資の内容は「その人が社会の未来をどう見ているか」という、ほぼ哲学的な問題を反映している。
その信念が正しいか、間違ってるかよりも自分の信念が何かを言語化することが、投資の第一歩だ。
ただし、信念を持つことと、ただひとつの信念に縛られることは、別だ。
これからの投資で生き残るのは複数の信念を、同時に持てる人だと思う。
例えば
米国は強いけど、分断が進む
50%の確率で起きることには、それなりの投資をするという、曖昧性の中での判断。
また投資は「人生への投資」と同義であることを忘れてはいけない。
投資について語るとき、どの商品を選ぶかという問いばっかり出てくるけど、本当は自分の人生とお金の関係をどう構築するかという問いの方が、ずっと大事だ。
投資をしている人間というのは自分の人生の選択肢を増やすための行為をしているはずだ。
その行為がデータに従って、正解を追求することになったら、それはもう人生の選択肢ではなくて人生をデータの正解に委ねることになる。
だから、これからの投資の仕方は自分が何を信じるかを問うことから始まる。
そして、その問い自体が「自分の人生で何が大事か」を問うことと、ほぼ同じ意味を持つ。
つまり、投資は金銭の運用ではなく人生の設計であり、その設計が正解を求める人生か、信念に基づく人生かを、左右するのだと思う。
■共通テストの廃止は、社会の公平性を破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である
「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テストの廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭的コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である。共通テストの廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義(メリトクラシー)」から「身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。
1.歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義 そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステムが民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。 ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査、面接、独自の裁量評価――には、必ず主観や恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである。
2. 「各大学の個別入試」が招く腐敗のリスク 提案者は「各大学の自律的な選抜」を美化するが、共通テストという統一基準を撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。 客観的な統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金の多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇の入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正や疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性の防波堤」として機能しているのである。
3.格差の固定化と社会崩壊への道 もし共通テストが廃止され、学歴ひいては社会的地位が「親の経済力や社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級の固定化」**の完成である。 貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全弁である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者は努力のインセンティブを失い、絶望は社会への憎悪へと変わる。 歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動や革命によって崩壊する。教育の公平性を売り渡して得た予算で国防やインフラを強化したところで、国民の連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。
4.結論:トップ研究者の投入は「民主主義のコスト」である トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者の人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性を担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。 極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義の必要経費(保険料)」**と捉えるべきである。
以上の理由から、共通テストの廃止は、日本社会を公正な競争社会から、前近代的な身分社会へと退行させる危険な提案であり、到底容認できるものではない。
どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率と競争力(A)」を重視するか、「社会の公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論の対立軸を整理します。
Aの主張は、経営学的・国家戦略的な視点に立っています。「サンクコスト(埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度をスクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。
妥当性が高い点:
コスト対効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員(研究者)の負担は甚大であり、これが日本の研究力を削いでいるという指摘は、学術界からも長年叫ばれている事実です。
機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています。
危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的な危機管理の観点から説得力があります。
Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています。効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テストを社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています。
妥当性が高い点:
人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。
「公平性」の定義:テストの内容が良いか悪いかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体に価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き(社会の安定)として強力な説得力を持ちます。
最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差の固定化など)を恐れる層にとって安心感があります。
この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています。
Aの弱点:共通テストを廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力や文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化は格差拡大を加速させるリスクがあります。
Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト(研究時間の喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論が可能です。
どちらがより妥当か?
短期的・実務的な解決を求めるなら A現在の日本の財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます。
長期的・社会構造的な安定を求めるなら B社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます。
個人的な分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代の日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試の公平性が崩れた際に失われる「国民の勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。
どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者の負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験の活用、あるいはフランスのバカロレアのような形式など)について考えてみますか?
AとBの対立構造を解消し、「研究者の負担(国家コスト)の軽減」と「入試の公平性(社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。
現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます。
案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化
これは、現在のように大学教員が手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカのSAT(大学進学適性試験)**のような「通年実施・ストック型」の試験へ移行するモデルです。
1. 具体的な仕組み
運営主体の変更(教員の解放):大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論(サイコメトリクス)の専門家と専任スタッフを雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます。
「一発勝負」から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式を廃止し、テストセンターでコンピュータを使って受験する方式にします。
「項目反応理論(IRT)」の導入:問題ごとの難易度や識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック(問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります。
研究時間の確保:大学教員が、夏休みの隔離や極秘の作問業務から解放され、本来の研究・教育業務に専念できます。
物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷・輸送・保管・警備にかかる莫大な物理的コストが激減します。
公平性の維持: 「全国統一の基準」は残るため、大学ごとの恣意的な運用(裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます。
チャンスの拡大: 年に複数回受験が可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価が可能になります。
初期投資:システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。
「思考力」の測定:選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述・論述(大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。
もう一つの方向性は、共通テストの役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。
仕組み:共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます。
選抜:難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から、独自の記述試験や面接で選抜を行います。
効果:テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力の担保(公平性)は維持されます。
結論:現代のテクノロジーと統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソースの最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決策であると考えられます。