
はてなキーワード:金融緩和政策とは
ベン・バーナンキはFRB議長指名を受けての上院銀行委員会の公聴会においてグリーンスパン路線の継承を約束した。バーナンキは90年代からグリーンスパン後の金融政策のあり方のひとつとして、インフレターゲット政策を採用すべきだとする論陣を張っていた。この上院での証言では、まさに物価安定と経済成長の安定、そして市場とのコミュニケーションを円滑に行うためにインフレターゲット導入が必要であると、バーナンキは力強く述べた。このバーナンキ証言に対して、委員会のメンバーからインフレターゲットを採用することで物価安定が優先されてしまい雇用の確保が保たれないのではないか、という質問がだされた。それに対してバーナンキはインフレターゲットは物価と雇用の安定に共に貢献することができると言い切っている。
インフレターゲットとは、改めて定義すると、インフレ率の一定の範囲(例えば2~4%)におさえることを中央銀行が公表し、その達成のために必要な金融政策を行うことである。ただしバーナンキ自身がかっていったように何がなんでもインフレ率の達成にこだわるような、「インフレ狂のいかれぽんち」に陥ることはない。
バーナンキ自身は、現実の経済は非常に複雑であり、また不確実性を伴うものであるので、しばしばいわれる金融政策とその政策担当者を「自動車と運転手」の関係に喩えるのは誤りであると述べている(講演「金融政策の論理」2004年12月2日)。なぜなら運転手は自分の走行中におこることがらをかなりの程度予測して運転しているが、金融政策の担当者には四半期先の予想でさえも困難なことが多い。確かに金融政策を通じて中央銀行は経済主体の予想に働きかけることができるが、それがどのように現実の経済に反作用するかを見極めることは実に難しい。しかしそれだからこそこの複雑で不確実な経済において経済主体の予想に働きかける政策の方が、それを考慮しない政策よりも重要になる。なぜなら主体がどのように政策に反応するかの理解を欠いた政策実行は予期しない失敗を引きおこすからである。
そして経済主体の予想形成とその経済への反作用をしっかりと政策当局が見極めるためには、予想をベースにした政策の実行とともに市場参加者と中央銀行とのコミュニケーションがきわめて重要になる、とバーナンキは述べている。そして中央銀行は市場に対してその政策の目的や予測を伝えることで、市場からのリアクションに対して柔軟に対応するべきである、とも述べている。これらの政策に対する基本姿勢は、彼のインフレターゲット論の中にいかんなく反映されている。
従来の経済学では金融政策をめぐっては、「ルールか裁量か」という二元論でしばしば議論が行われている。金融政策が長期的には貨幣の中立性が成立していて、実体経済には影響を及ぼさずに、ただ単に名目変数(例えば物価水準)を動かすだけである、という点では新古典派経済学・マネタリスト、そして(ニュー)ケインジアンは一致している。しかし短期的に実体経済に影響を及ぼすことができるのか、いいかえると経済の深刻な変動に対して金融政策は有効な手段になるのかどうかで、新古典派とケインジアンには特に深い対立が残っている。
現時点で新古典派とマネタリスト、そしてケインジアンは非常に深く混じってしまっており、例えばバーナンキの初期の金融モデルは新古典派的な発想に立脚したRBCモデルを基本にしている。しかし、最近のバーナンキの政策スタンスは経済の変動(産出量ギャップの大きな変化)には積極的な金融政策中心の政策対応をすすめるものであり、その基本はまぎれもなくケインジアンである。そして財政政策よりも金融政策を中心に景気対策を行う点では昔風?の区分ではマネタリストでもあるだろう。
一般的に新古典派やマネタリストは中央銀行がマネタリーベースを四半期ごとにX%にコントロールする「ルール」に準拠して金融政策を行うことで、中央銀行が戦前の大恐慌時のように大きな経済変動の原因になることを未然に防ぐことができるとし、安定的な経済成長に資することができると考えている。そしてルールを事前に公表することで中央銀行の行動に対して市場が信頼をもつことができることも経済の不安定性を回避するとルール主義者は信じている。それに対して裁量を重視する旧来のケインジアンは産出量ギャップの拡大に対して機動的な政策対応を主張している。裁量主義者はルールのもたらす「信頼」と、大恐慌のような予期しない経済変動に迅速に対処する際の政策の「柔軟性」にはトレードオフの関係があると信じて疑っていない。もし柔軟性を認めれば、そのことがマネタリストの主張するようなマネタリーベースの成長率ルールへの信頼性を損ねるというわけである。
バーナンキのインフレターゲット論は、この「ルールか裁量か」でいえばまさに彼の経済学の総合的性格を反映するかのように、彼自身の言葉で「制約された裁量」というコンセプトに即したものである。バーナンキの「制約された裁量」としてのインフレターゲット論は、バーナンキらの論集『インフレターゲット:国際的経験からの教訓』やFRB理事としての講演「インフレ目標の展望」(2003年3月25日、ベン・バーナンキ『リフレと金融政策』(高橋洋一訳、日本経済新聞社)に収録)に表明されている。
バーナンキのインフレターゲット論の主要内容は、1)フレームワーク、2)コミュニケーション戦略 のふたつで構成されている。フレームワークとは、先ほどの制約された裁量と同じであり、金融政策をいかに行うかについての「ベスト・プラクティス」(最善の実践)であるという。
「制約下の裁量のもとで、中央銀行は、経済構造と政策効果について知識が不完全なことに注意を払いながら、短期的な混乱は無視してでも生産と雇用の安定のために自主的に最善を尽くせます(これが制約下の裁量の「裁量」部分です)。しかし決定的に重要な条件は、安定化政策を実施するにあたり、中央銀行がインフレーーそして、それゆえ国民のインフレ予想??をしっかりとコントロールするという強いコミットメントを維持する必要もあるということです(これが制約下の裁量の「制約下」部分です)」(邦訳39頁)。
そしてこのようなインフレターゲットは金融政策が通常、半年から1年半ほどの政策ラグを伴って効果があらわれるために、先行して経済主体の予想をリードしていくという性格を色濃くもった期待形成のフレームワークでもある。
例えば、今日のアメリカ経済の低インフレの好循環が成立している背景には、まさに低インフレ予想がキーであるといえる。その反対のケースが70年代の石油ショックのエピソードである。産油国の石油価格の戦略的値上げによってコストプッシュ型の激しいインフレが起きたというのが定説である。しかしバーナンキは実際には石油価格の高騰が各種財やサービスのコストを引き上げたことによってインフレが多少は悪化したのは事実であるが、むしろそれよりも深刻だったのは家計や企業がFRBの金融引き締めが不十分であることを予想し、それが高いインフレ予想を招き、そして賃金値上げや製品価格値上げに移行した、という見方を立てている。むしろFRBが石油ショックに直面する以前の金融緩和姿勢もそのような経済主体の高インフレ期待を促したともバーナンキは指摘している。
実は日本でも石油価格の高騰が70年代の「狂乱物価」を引き起こしたとする通説が根強い。しかし小宮隆太郎は「昭和47,48年のインフレーションの原因」の中で日本銀行の石油ショック前の行き過ぎた金融緩和政策とその後の引き締めの遅れがこの「狂乱物価」の犯人であり、日銀の政策の遅れが(小宮はバーナンキのように期待の経路は明示していないが)企業や労働組合などに製品価格上昇や賃上げに走らせた、と述べている。そして70年代末から80年にかけての第二次石油ショックの影響が軽微だったのは、日銀が過去を反省していち早く強い金融引き締めスタンスを採用したことにあり、それに応じて(これも期待の経路は小宮では不明確なのだが)労働組合や企業も賃上げなどのコストプッシュの要因をおさえるべく、労使協調路線を採用することでこの事態を乗り切った、と書いている(小宮隆太郎『現代日本経済』東大出版会)。
アメリカの方はボルカー元FRB議長の1979年における断固たる“タカ派”的レジーム転換で、徹底的に高インフレと闘ったことで、その後の低インフレの好循環の基礎ができた、とバーナンキはボルカーの業績を評価している。しかし、このボルカーのタカ派へのレジーム転換が社会的にきわめて重いコストを伴ったことを指摘することをバーナンキは忘れていない。
ボルカーの行った「ディスインフレ」(高いインフレ率を抑えて低インフレにすること)政策が、積極的な名目利子率と実質利子率の引き上げによって実行され、それが80年代に入ってインフレ率の劇的な低下を見る一方で、それと見返りに10%にせまる高い失業を生み出してしまった。バーナンキはこの70年代のインフレ予想形成の失敗がいかに社会的コスト(失業)を生み出したのか、このような失敗を今後しないためにも経済主体の予想形成が金融政策の欠かせない要素になると力説している。
第二の要素のコミュニケーション戦略であるが、これはすでに自動車と運転手の比喩の話で触れたように、中央銀行が国民や市場参加者に対して政策目標、フレームワーク、経済予測を事前に公表することで、中央銀行の政策に対する信頼を醸成し、さらに政策責任の明確化と政策の決定過程とその帰結の透明性をはかろうというものである。このことが自動車と運転手の比喩でも問題となった経済の不確実性について、少なくとも政策当事者の行動とそれを予測する民間主体の不確実性を大幅に減少することは疑いがないであろう。
ところでこの「ベスト・プラクティス」としてのインフレターゲットがアメリカに導入される見込みはどうであろうか。従来、インフレターゲット導入への反対の論拠として、連邦準備制度の目的規定(連邦準備法2A条)とのダブルスタンダードになるという点をあげて反論するのが一般的であった。
「連邦準備制度理事会及び連邦公開市場委員会は最大雇用、物価の安定及び緩やかな長期金利という目標を有効的に推進するために、生産を増加する経済の長期的潜在性と均衡する通貨及び信用総量の長期的成長を維持する」
と連邦準備法にある。これはかってのハンフリー・ホーキンズ法の趣旨を反映した条文であるが、議会にもこの雇用と物価の両方への重視が強いことはすでに述べた。このようなダブルスタンダード批判について、バーナンキはここでインフレターゲットの柔軟性を強調し、雇用と物価双方にどんなウェイトづけを行っても首尾一貫したインフレターゲットの援用が可能である、と断言している。バーナンキ議長の意思が強固なことが伺われる。
今後、アメリカでインフレターゲット導入の議論が高まることは当然に予想される。この議論が高まることによって日本においても同様の議論が高まることが予想されよう。実際に政府の一部では強力にインフレターゲット導入を視野にいれた日銀法改正論議まで行われようとしているようである。すでに私はこのバーナンキ経済学を通して、日本銀行がその政策の説明責任、透明性、そして経済主体の予想形成、ほぼすべてにおいて稚拙な決定の連続であり、また今日においても外的な要因が重なっただけで金融政策のレジーム転換なきまま景気回復がある現状も指摘した。簡単にいえば、丸山真男が過去に指摘した官僚的な「無責任主義」がまだ日本銀行とその利益団体ともいえる日銀シンパのエコノミストに根強い。この無責任主義を打破するためにもインフレターゲットの導入とそれによるリフレマインドの形成が日本社会にいま最も望まれているように思われる。
福井総裁が量的緩和解除は来年春、と匂わせた発言に反応するかのように、政府・与党から日銀の早期量的緩和解除をけん制する発言が相次いででてきた。中川政調会長は日銀法の改正を政策カードでちらつかせて、日銀のデフレ対策が不十分であることを批判している。また安部官房長官もそれに呼応するように、日銀が政府と協調して財政再建のためにもデフレ脱却して、自然増収での財政基盤の健全化への寄与が実現されるべきだとこれもまた日銀を牽制した。この種の発言はいずれもなにか具体的な政策に直結しているわけではないので、それ自体どうこうというわけではない。しかし日銀の出口政策=量的緩和解除をめぐる議論は今後も政治的な話題として沸騰していく可能性があるのかもしれない。
そもそも出口政策をめぐっては、1)前提条件であるデフレ脱却をし、0%以上の安定的なインフレ率を維持できるのか? 2)出口政策の技術的な難しさ の二点から問題が提起されている。最初の点については、『日経公社債情報』10月24日号で匿名記事(末吉名義の記事)「日銀ウォッチ デフレ脱却論議の謎」において、きわめて説得的な議論が行われている。日銀がインフレ率の目安として採用している日本式コアインフレ(生鮮食品を除く消費者物価指数)の前年比上昇率はゼロ近傍であり、このためデフレ脱却は難しく、デフレ脱却のためにはインフレ目標政策が一段と必要である、という趣旨の論説である。
この主張の背景には、伝統的なCPIの上方バイアスの存在(すなわち1%程度物価がインフレにふれて計測されてしまう)と、さらにコアインフレ率をおしあげているのは石油関連商品であり、この上昇はピークアウトをむかえる可能性が大きく、そのインフレ率に与える押し上げ効果は0.4%程度にとどまると予測されること。そしてこの石油関連商品の影響を除外すると、インフレ率はマイナス0.5%程度であり、さらに上方バイアスを考慮にいれるとマイナス1~1.5%程度となる、と末吉論説は指摘している。これは非常に周到な分析であり、今日の日本経済が決してデフレ脱却を確実にしているわけではなく、むしろ不確実なものであることを示している。
さらに安達誠司氏の『デフレはなぜ終るのか』(東洋経済新報社)では、1930年代のアメリカのデフレ脱却時の出口政策からの教訓をもって、今日の出口政策論議に警鐘を鳴らしている。安達氏によれば、当時のアメリカは財務省主導によるドルの減価政策により「レジーム転換なきリフレ」を実現した。このレジーム転換とは、中央銀行であるFRBがデフレ脱却のために従来の金融政策スタンスを転換して、超金融緩和政策にコミットするというゲームのルールの変更として理解される。しかしこのようなレジーム転換がない、すなわち従来の事実上のデフレ継続的な金融政策のスタンスのままに、この「レジーム転換なきリフレ」に直面したため、FRBの政策当事者には早急な出口政策の模索(当時の異例な低金利政策の放棄、超過準備がリスクマネーとして高インフレに転じる要因になることへの懸念、さらに株価の急騰をバブルとする警戒感が存在していたことの半面といえる)があった。そしてインフレ率はプラス推移であったにもかかわらず、FRBの早急な出口政策の採用によりふたたびデフレに戻ってしまったと指摘している。
安達氏によればこのようなデフレに舞い戻る経済の脆弱性を克服するのには、中央銀行のデフレ脱却にむけたレジーム転換へのコミットの必要、さらに実現されたインフレ率という「変化率」への注目だけではなく、それ以上に「水準」が重要であるとしている。本ブログでの「バーナンキFRB議長就任と日本のリフレ」(10月28日)で紹介した物価水準ターゲットの重要性である。すなわちデフレに陥る前のインフレ率(たとえば1%や2%)が現在も継続していたらどうなるのか、という物価水準経路を考えて、その経路と現実の物価水準の経路のギャップを解消していくという考え方である。
日本の現在の景気回復とデフレスパイラル的状況からのとりあえずの脱出は、2003年から2004年初頭にかけての財務省の空前の為替介入と(予期せざる?)日銀のマネタリーベースの増加がタイミング的に数度重なるという「非不胎化介入」の結果である(詳細は田中秀臣『経済論戦の読み方』(講談社現代新書)参照)。すなわち日銀としては明確なレジーム転換が不在であり、あくまでも財務省主導という点で、戦前のアメリカのケースに近似していると、前掲の安達氏は指摘している。これは有益な歴史からの教訓である。
そのため今日の日銀はまさに戦前のFRBと同じように、出口政策に関わる発言において、「インフレ心理」への懸念を示したり(まだデフレなのに!)、インフレ「率」にのみこだわり、前記したようなリフレ過程には関心を示すことはまったくない。また日銀の政策に理解を示す衆議院議員の佐藤ゆかり氏のように「中小企業や家計部門をオーバーリスクテイクの状況から守ることが大事で、量的緩和政策は速やかに解除すべき」「日経公社債情報」(10月31日)とコメントしているのも、戦前と同様に超過準備が高インフレや資産価格の急騰(バブル?)をもたらすことへの「懸念」と基本的には同じものであろう。
本格的なリフレ政策の採用と連結しないかぎり、デフレ脱却の道のりはかなり不安定なものであることは否めないのではないか。そして出口政策採用への日銀の現状の早すぎるコミットへの懸念は募るばかりである。(その2)では、仮にデフレを脱却(不安定であってさえも)した場合に採用されると考えられるいくつかの出口政策について考えてみたい。
80年代後半のバブル形成、そして90年代のバブル崩壊から「失われた10年」といわれる時期を経過して世紀をまたいだ日本経済の大停滞は今日明らかに転換点を迎えている。
日本の経済的な停滞の主要因が日本銀行の金融政策の失敗にあり、事実上の株価、地価、そして為替レートの動向を重視する資産価格ターゲットを採用していることがその「失敗」の内実である。そして財政再建路線を重視する財務省(旧大蔵省)の財政緊縮や不良債権問題を伴う金融システムの不安定化は、この日本銀行の政策失敗に付随する二次的な経済悪化の要因であった。そしてこのような日本銀行の政策の失敗は多くの論者の指摘することになり、いまでは一定程度の理解を獲得することになっている。
他方で、日本経済は一時期のどん底から回復し、長い景気回復局面にある。失業率も一時期の5%台真ん中から4%台まで減少し、銀行の不良債権問題は事実上消え去り、消費や設備投資なども堅調に推移している。これらは日本経済の停滞を象徴している大規模なGDPギャップが明らかに縮小に向かっているシグナルともいえる。一部のマスコミやエコノミストたちはこの景気回復を「神武景気」以来などと表現しているが、最悪期で150兆円に達したGDPギャップがようやく縮小に向かった“だけ”であり、これらのエコノミストたちの景気への認識は徒な誤解(景気の過熱?)をもたらすだけに安易なものである。しかしいずれにせよ日本経済は現状では最悪期を超えているのは事実である。
そして日本銀行を中心とする「政策の季節」を私たちは迎えている。8,9日にある日本銀行の政策決定会合において、5年ぶりに日本銀行のいわゆる量的緩和政策(日銀の当座預金残高をターゲットにした金融緩和政策)を解除するという観測が強く、市場やマスコミを含めてほぼ確定事項となってしまっている。日本銀行が量的緩和政策の早期解除を本年の4月に行い、その際に批判が強ければなんらかの量的な指標(インフレ参照値と呼ばれるもの)を導入して行うことは、一部の“親日銀派”のエコノミストたちが昨年の夏ごろから口にしていたことである。
ところで先に簡単に述べたいが、いわゆる「インフレ参照値」とはなんなのだろうか? 私はこの「インフレ参照値」の導入をすすめるエコノミストは“偽り”であることを自ら公言し、日銀がこれを述べることは随意な裁量政策と無責任主義の反映を自ら表明しているとしか思えない。なぜなら言葉通りならば、金融政策でインフレ率を「参照」するという凡庸な中央銀行に求められるごく当たり前のことをいっているだけなのか? もしそうならば確かに日銀にとっては画期的なことなのかもしれない。なぜなら先に述べたようにわが非凡なる日本銀行はこの10数年もの間、どうも資産価格をターゲットにした政策を運営してきたように思えるからだ。とはいえ、当たり前のことを当たり前ならざる組織に実行させるにはやはり強制もしくはなんらかのインセンティブデザインが必要であろう。しかし「インフレ参照値」には実際にはそのような工夫はない。参照するかしないかの強制もインセンティブデザインもなければそのような参照は本当には行わない(いままでも行ってきたとはいいがたいためそのような行動を採用するインセンティブは不在)というのが経済学の常識であるし、また世間の常識でもあろう。
今回の量的緩和解除にはこの「インフレ参照値」に類した試みが喧伝されるに違いないが、いずれにせよ現行の日銀法にはインフレ率を重視する、すなわち現在であればデフレを問題視するインセンティブ構造が決定的に不在である。そのようなインセンティブなき「インフレ参照値」を声高に主張するものは、日本銀行に捉われた亡者であるか、少なくとも経済学の理解には遠い。(続く)
「仮想通貨はもう終わった」と、ここ数年で仮想通貨界隈に興味を持っていた人なら誰しも一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。ビットコインをはじめとした仮想通貨の価格は、2017年末の爆発的な盛り上がりや2021年の再ブームを経て、乱高下を繰り返してきた。そのたびに高騰を期待して飛びついた投資家が痛手を負い、あるいは莫大な利益を得たという劇的なニュースがメディアで取り上げられてきた。しかし、近年では大口投資家の撤退や規制強化の影響もあって、「仮想通貨バブルは崩壊した」「もう仮想通貨で儲かる時代は終わった」といった声が再び強まっている。だが、本当に仮想通貨は終焉を迎えたのだろうか。それとも、新たな局面に向けた再編が進んでいるのだろうか。本稿では、仮想通貨の価格乱高下の背景や、利用者が幻滅に至った要因、そして今後の可能性について考察してみたい。
まず、仮想通貨市場が大きく盛り上がった要因として注目されるのが、ビットコインの価格高騰である。2017年のいわゆる“ビットコインバブル”は、多くの投資家やメディアの関心を引きつけ、一夜にして億万長者を生み出したという話が世間を駆け巡った。当時、ビットコインの価格はわずか数年の間に何十倍もの値上がりを見せ、「仮想通貨さえ持っていれば誰でも儲かる」というような“仮想通貨神話”が広まり、一種の狂騒状態になったことは記憶に新しい。しかし、その後には一転して価格が大幅に下落し、多くの投資家が資金を失った。この極端な値動きが「バブル」という表現を裏付け、仮想通貨に対する世間の印象は「儲かるかもしれないが危険すぎるもの」へと変化した。さらに、2021年にはテスラのCEOであるイーロン・マスク氏の発言や、コロナ禍での金融緩和政策により、ビットコインをはじめとする仮想通貨に再び資金が流入。驚異的な価格上昇を見せたものの、その後の金融引き締めや各国の規制強化を受け、またも急落するというシナリオが繰り返された。
一方で、こうした価格変動だけではなく、詐欺的なICO(Initial Coin Offering)やハッキング事件、マネーロンダリングへの利用など、仮想通貨が抱えるさまざまな問題が投資家の信頼を損ねた要因ともなった。特に、知名度の低い仮想通貨のプロジェクトが「世界を変える新技術」とうたって資金を集めたものの、開発が停滞したり運営者が失踪したりするケースは後を絶たない。こうした状況を目の当たりにした投資家や一般のユーザーにとっては、「仮想通貨は結局、詐欺や投機の温床ではないのか」といった疑念が強まるのも無理はない。また、仮想通貨の送金やウォレット管理のための仕組みを理解することが難しいという点も、初心者には大きなハードルとなってきた。その複雑さは一部で「自己責任」という形で美化されがちだが、実際にはセキュリティの知識や運用リスクへの意識が低いまま参入した場合、ハッキングやパスワード紛失などで資産を失う危険性が高い。実際に被害に遭った人々のニュースを見聞きすると、仮想通貨に対して「難しくて危ないもの」というイメージが固まってしまうのも仕方がないだろう。
さらに、国や金融当局による規制強化の動きも「仮想通貨終わった」と言われる一因として挙げられる。特に、中国のようにビットコインのマイニングを事実上禁止したり、大手取引所に対して厳格な規制を課したりする動きは、マーケットに大きなショックを与えた。また、アメリカでは仮想通貨関連の事業に対して納税義務を徹底する法律が整備され、これまでグレーゾーンだった税務処理をきちんと行わなければならない流れが急速に進んでいる。日本でも、金融庁が仮想通貨交換業者を監視・登録制とするなど、利用者保護の観点から取り締まりや検閲が厳しくなった。これらの規制強化は、一見すると仮想通貨にネガティブな影響を与えるように思われるが、実は健全な市場を育てるためには避けて通れない過程だという見方もある。詐欺プロジェクトやマネーロンダリングなどの不正を摘発し、利用者が安心して取引できる環境を整えることは、仮想通貨の長期的な発展には欠かせない。しかし、過度な規制によってイノベーションの芽が摘まれるリスクも否定できず、ここにはバランスの難しさがある。
次に、仮想通貨が「終わった」と言われる背景には、NFT(非代替性トークン)ブームの盛衰や、メタバース関連銘柄の失速も大きく影響している。2021年前後には、デジタルアートやゲームアイテムをNFTとして売買し、天文学的な価格がつくケースが相次いだ。多くの企業やクリエイターがこぞって参入し、「これからはNFTの時代だ」と大々的に報じられた。しかし、NFTマーケットの熱狂は長くは続かず、投資対象としてはリスクが高すぎるうえに、実際の利用用途が限定的であることが次第に明らかになった。加えて、メタバースも同様に、2022年頃にはFacebook(現・Meta)の社名変更をきっかけに大ブームが起きたものの、実際にビジネスとして収益を上げられる企業はごく一部に限られ、その多くが苦戦を余儀なくされている。こうしたNFTやメタバースの失速が「Web3」や「分散型の未来」といったキーワードに対する期待感を急速にしぼませ、結果的に「仮想通貨なんてもう流行らない」という声が再燃しているのだ。
また、環境への配慮も無視できない課題となっている。ビットコインのマイニングには膨大な電力が必要とされ、その電力需要がCO2排出量を増加させるとして批判されてきた。近年ではイーサリアムがコンセンサスアルゴリズムをプルーフ・オブ・ステーク(PoS)に移行するなど、省エネルギー化の取り組みを進めているプロジェクトもあるが、依然として「仮想通貨は環境に悪い」というイメージを払拭しきれていない。世界的に脱炭素や再生可能エネルギーへのシフトが加速するなかで、この問題をクリアにできなければ、仮想通貨は社会的な評価を高めることが難しいだろう。投資家としても、ESG投資を意識するファンドや企業が増えるなか、環境負荷の大きなビットコインには投資しにくいという声が高まっている。
もっとも、これらの要因をもって「仮想通貨は終わった」と結論づけるのは早計かもしれない。なぜなら、価格の乱高下や投機的なブームが落ち着いたあとにこそ、ブロックチェーンや分散型台帳技術の“本質的な価値”が見極められるからだ。実際、金融サービスのデジタル化が進むなかで、国や大手金融機関が中央銀行デジタル通貨(CBDC)の発行を検討する動きは続いている。これは、仮想通貨の根幹にあるブロックチェーン技術が“使えない”わけではなく、むしろ国家レベルでの採用可能性が議論されている証左でもある。また、分散型金融(DeFi)の領域では、スマートコントラクトを使った新しい金融サービスが着実に開発されており、既存の銀行システムでは実現が難しいとされてきたサービスを提供し始めている例もある。こうした動きは、仮想通貨の投機的な側面とは一線を画し、技術的・社会的な価値を追求する流れといえるだろう。
ここで言えるのは、「仮想通貨が一度ブームになって、その後価格が暴落するからといって、その技術やコンセプトが消滅するわけではない」ということだ。インターネットの普及初期にも、“ドットコムバブル”と呼ばれる株式市場の大暴落が起きたが、それを経てネット企業が淘汰され、生き残った者たちがその後のIT産業をけん引してきたという歴史がある。ブロックチェーン技術についても、同様のプロセスを辿る可能性は十分に考えられる。つまり、“仮想通貨バブル”の崩壊を機に詐欺的なプロジェクトが淘汰され、セキュリティ面や実用性が高い技術だけが生き残り、社会インフラとしての地位を確立していくシナリオがありうるのだ。実際に、世界各地でブロックチェーンを使ったトレーサビリティシステムや、分散型のデータ管理システムなどが実装され始めている。そこでは仮想通貨の“価格”よりも、トラストレス(相手を信用しなくても取引できる)で改ざん耐性の強い仕組みによるメリットが評価されている。
では、今後仮想通貨やブロックチェーンはどのように進化していくのだろうか。おそらく、投資の対象としてはこれまでほどの激しいブームは起こりにくくなる一方で、緩やかな形で日常生活に浸透していくと考えられる。たとえば、デジタル通貨やウォレットによる支払いが徐々に普及し、銀行口座を持たずともスマートフォン一つで送金や決済ができる社会が現実味を帯びてくる。SNSやオンラインサービスのログインやアイデンティティ管理にブロックチェーン技術が活用されるケースも出てくるかもしれない。そうなれば、従来の仮想通貨=投資対象というイメージが薄れ、あくまで「便利なインフラの一部」として受け入れられていく可能性がある。もちろん、それにはユーザーが技術を意識せずに使えるようなUI/UXの改善や、各国の法整備、国際的な合意形成が必要だ。しかし、より実用的で幅広い人々に恩恵をもたらす技術としてブロックチェーンが発展していけば、仮想通貨が“終わった”と思われた先に、実は新しい常識が形作られているかもしれない。
結論として、「仮想通貨終わった」という言葉がメディアや投資家の間でささやかれる背景には、価格の乱高下や詐欺被害、規制強化、環境への批判など、さまざまな要因が複雑に絡み合っていることが挙げられる。確かに、2017年や2021年のような爆発的な“仮想通貨バブル”は終息し、市場全体の熱狂が冷めた印象はあるだろう。しかし、それと同時に、ブロックチェーンの持つ革新的なポテンシャルまでもが失われたわけではない。むしろ、過度な投機マネーが市場から抜けることで、本来の技術的価値や実用性に目を向けやすくなるという見方もできる。
ネット業界の歴史を振り返っても、バブル崩壊を経てこそ本質的な利用価値が磨かれるという事例は枚挙に暇がない。ブロックチェーンの普及も同じような道筋を辿る可能性は高いだろう。詐欺まがいのプロジェクトが淘汰され、信頼性と実績を備えたプロダクトが浸透していくプロセスこそが、この先の仮想通貨・ブロックチェーン業界の“成熟期”を形作るのではないか。もちろん、その間には法的な課題や技術的問題、社会的理解の不足など、乗り越えるべきハードルがまだまだ存在する。だが、「仮想通貨なんてもう古い」という決めつけだけでは、新しいテクノロジーや社会変革の萌芽を見落としてしまうかもしれない。
結局のところ、「仮想通貨終わった」という声は“単なる終焉”を意味するものではなく、“新たな段階への移行”を予感させるものだ。投資対象としてだけではなく、社会インフラとしての仮想通貨やブロックチェーンの活用例が増えれば、私たちの日常における“当たり前”が変わっていく可能性は充分にある。これまでのような一攫千金の物語が表舞台を賑わすことは減るかもしれないが、同時に詐欺や投機目的のプロジェクトも萎縮していくことで、技術としての真価を発揮する土壌が生まれるだろう。あくまで冷静に長期的な視点をもって、ブロックチェーン技術とその社会的役割を見極めることこそが、私たちに求められているのではないだろうか。
今後も仮想通貨が“終わった”と言われる局面は幾度となく訪れるだろうが、そのたびに生き残ったプロジェクトや新たに生まれる技術が、社会にどのようなインパクトを与えるかを見逃してはならない。乱高下やバブルの崩壊は、あくまで通過点の一つであり、次の発展を芽吹かせる土壌づくりでもある。もし仮想通貨が本当に終わったのであれば、いまさら各国の中央銀行がデジタル通貨を検討したり、大企業がブロックチェーン技術を研究したりする理由はないはずだ。したがって、「仮想通貨終わった」と言われる今日この頃だからこそ、過剰な熱狂に流されることなく、技術の本質や長期的なビジョンをしっかりと見据えることが重要である。そして、もし実際にこの領域が再び脚光を浴びる日が来るとすれば、それは表面的な値上がりではなく、実用的な側面や社会インフラとしての定着が評価されるタイミングであるに違いない。私たちはその日を、“仮想通貨の第二幕”として迎えることになるのだろう。
https://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__130408.html
私は、インフレ目標による金融緩和政策の結果、今後景気拡大することは間違いないと思っていましたが、唯一懸念材料は、きたる消費税率引き上げでした。このせいで景気が挫折する可能性は否定できないと思っていたのです。消費税引き上げのせいでインフレが目標値に至ったら、金融緩和でテコ入れすることができなくなるかもしれないと思いましたから。
今でも私は消費税引き上げはやめた方がいいと断固言い続けますけど、しかし、岩田さんのこの論文を読んで、現実問題として景気挫折の可能性は消えたと思いました。
断言しましょう。大変な好景気がやってきます。バブルを知らない若い世代は、これを見てビビって目を回すでしょう。
次の総選挙は、消費税引き上げ後の多少の混乱を乗り越えたあとの、絶好調の好景気の中で迎えることになります。世の中の一層の右傾化を防ぎたいと願う者は、これを前提して対策を組み立てなければなりません。「ただのバブル」とか「ハイパーインフレ」とか「すぐ挫折する」とか、裏から期待が透けて見えることを言って、金融緩和に反対していたならば、一議席も残らず消滅する結果になっても不思議ではありません。
日本の収入が他国と比べて相対的に上がらなかった理由には、複数の要因が関係しています。以下に主な要因を挙げ、それぞれについて説明します。
1.経済成長の停滞
1990年代の「失われた10年」に代表されるバブル経済崩壊以降、日本経済は長期的なデフレと低成長に直面しました。この期間中、他国がITバブルや金融サービスの発展を通じて経済を成長させたのに対し、日本は構造的な問題やデフレに苦しんでいました。経済成長が鈍化すると、賃金の上昇も抑えられやすくなります。
2.賃金体系の硬直性
日本の雇用システムは、年功序列や終身雇用といった伝統的な慣行に依存しています。これらのシステムは、長期的な安定を提供する反面、労働市場の柔軟性を低下させ、成果に基づいた賃金上昇を阻害しています。他国では成果主義が広がり、労働者の生産性向上に応じた賃金上昇が進んだのに対し、日本ではこの変化が比較的遅れていました。
3.非正規雇用の増加
1990年代以降、日本では非正規雇用(派遣社員、パート、アルバイトなど)の割合が増加しました。非正規雇用者は正規雇用者に比べて賃金が低く、労働条件も悪いため、全体の賃金水準を引き下げる要因となっています。このトレンドにより、企業が人件費を抑制する一方で、個々の労働者の収入増加は限定的になりました。
4.デフレの影響
デフレ経済では、物価の下落が続く中で企業が価格競争にさらされ、コスト削減を優先する傾向があります。その結果、企業は従業員の賃金を引き上げる余地が少なくなり、結果的に国全体の収入の増加が抑制されました。
日本は1980年代には技術革新のリーダーであり、高度成長を遂げましたが、2000年代以降、ITやデジタル化などの新たな技術革新に遅れを取りました。この遅れにより、労働生産性の向上が他国に比べて低く、賃金上昇に結びつく経済効果も限定されました。
日本企業は内部留保(利益の蓄積)を増やし、従業員への利益配分を抑制する傾向があります。これにより、企業は一定の経済的余裕を持ちながらも、賃金の引き上げを積極的に行わないことが一般的です。これは、経済の不透明感やグローバル競争の激化に対するリスクヘッジとして行われている側面があります。
これらの問題を改善するためには、以下のような施策が考えられます。
•年功序列や終身雇用から、成果主義やスキルに応じた賃金体系への移行を推進する。
•非正規雇用者の待遇改善と、正規雇用への転換を支援する制度の強化。
•ITやAI、デジタル技術への積極的な投資を促進し、労働生産性を向上させる。
•教育と再教育を通じて、労働者が新しい技術に対応できるようにする。
•企業に対して、利益を従業員の賃金として還元するインセンティブを提供する。
•労働組合の強化や政府の介入により、賃金交渉を効果的に行える環境を整備する。
•積極的な金融緩和政策や財政政策を継続し、物価上昇と賃金上昇の好循環を作り出す。
日本の収入が他国と比べて上がらなかった背景には、経済成長の停滞、雇用体系の硬直性、非正規雇用の増加など、複数の要因が絡み合っています。これらの問題に対処するための政策が進展すれば、収入の向上に繋がる可能性があります。
FRB は今回相当難しい問題に直面している。アメリカの中古住宅販売件数はここにきて高い水準で上昇している。
| イベント | 前回 | 予想 | 結果 |
| 中古住宅販売件数 | 400.0万件 | 410.0万件 | 458.0万件 |
| 中古住宅販売件数[前月比] | -0.7% | 3.7% | 14.5% |
他方、
※日本では銀行破綻はほぼ無いがアメリカではそれほど珍しいものでもないことは留意しておく必要がある
※ 更に付け加えると、パウエル氏が金利を長くより高くすると言った数日後に銀行破綻のニュースが飛び込み市場は相当のパニック状態となった
FRB はインフレと金融危機の両面を退治しないといけなくなった。
金融危機については預金を全額保証するというアクセル全開の金融緩和政策で対応し、インフレ対策には利上げでブレーキを力強く踏む金融引締で対応する形となる。アクセルとブレーキを同時に踏むような政策だ。この相反する政策によって色々なものが破壊されるように思うが今は予想が非常に困難である。
長いので
先行きの消費者物価が日銀の目標である2%を再び下回るとみられる中で「総じて緩和的な金融政策が引き続き適切」としながらも、物価動向は上振れリスクが大きいと指摘。現行のイールドカーブコントロール(長短金利操作、YCC)政策による債券市場機能の急激な低下なども踏まえ、「さらに柔軟な長期金利の変動を検討すべきだ」と主張した。
柔軟化の具体策として、10年国債利回りの許容変動幅の再拡大や目標水準の引き上げ、金利目標の年限の短期化、現在の金利目標から国債買い入れの量的目標への移行を選択肢に挙げた。
こうした柔軟性は、持続的な名目賃金の上昇と経済回復に下支えされ、「物価上昇圧力がより粘着的なものと見受けられる場合には、自動的に長期金利の上昇をもたらす」と予想。先行き「物価目標が持続的に達成されたとのより強い証拠が得られた際に、中立的な金融スタンスへの移行をより円滑化することにつながる可能性がある」とみている。
また、「各戦略のメリットとデメリットを慎重に見極める必要がある」としながらも、柔軟化は将来の急激な金融政策の変更を回避するのに役立ち、「金融緩和の副作用に対処することにも資する」と指摘。同時に政策金利を徐々に変更する際の前提条件に関するガイダンスを提供することは「市場の期待を安定化させ、物価目標達成に向けた日銀のコミットメントの信頼性を高めることに資する」との見解を示した。
日銀は昨年12月、YCCにおける長期金利の誘導目標をゼロ%程度に維持しつつ、許容変動幅を従来の上下0.25%程度から同0.5%程度に拡大した。市場機能の改善を図り、金融緩和政策の持続性を高めることが狙いとしているが、事実上の利上げと受け止めた市場には追加の政策修正観測が根強い。IMFの報告書では、金融政策の変更について「十分なコミュニケーションが行われるべきである」と記した。
日銀の黒田東彦総裁は1月の決定会合後の会見で、YCC政策は存続が可能とした上で、長期金利の変動幅のさらなる拡大には否定的な見解を示した。
IMFは政府・日銀が24年ぶりに実施した大規模な円買いの為替介入にも言及した。昨年の急激な円安は「主に金利差を反映したもの」とした上で、介入の効果は「恐らく一時的」と指摘。介入は、無秩序な市場環境や急激な円の変動による金融安定のリスク、通貨変動に伴うインフレ期待の不安定化といった特殊な状況下に限定されるべきだとした。
財政政策は、景気が回復し、労働市場が引き締まり、需給ギャップが縮小している中で「今以上に迅速に縮小されるべきだ」と指摘。昨年10月に閣議決定した大規模な経済対策によって財政余地は一段とひっ迫したとし、楽観的な経済成長率見通しと補正予算の常態化に警鐘を鳴らした。2025年度の基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)目標に向けた進ちょくを引き続き評価すべきだとしている。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-01-26/RP2ZGBT1UM1R01
[東京 19日 ロイター] -伊藤隆敏コロンビア大教授は19日、長短金利操作(イールドカーブ・コントロール=YCC)を伴う日銀の金融緩和政策について、今夏にも長期金利の変動許容幅を上下0.75%や1%に再拡大する可能性があるとの見方を示した。ロイターとのインタビューで語った。
日銀が昨年12月の金融政策決定会合で変動許容幅を上下0.5%としたことについては「出口への一歩ではないとする(日銀の)説明は苦しい」と指摘した。
そのうえで伊藤教授は「靴を履き、コートを着て(正常化に向けて)準備している段階」と日銀の状況を形容し、賃上げなどの条件が整えば許容幅の再拡大に向けて「夏までの間に一歩踏み出してもおかしくない」と述べた。
長期金利の変動許容幅は「上下0.75%や1%が選択肢になる」との認識を示した。マイナス金利撤回についても、物価次第で「年内くらいにはあり得る」とした。
大規模な金融緩和を正当化してきた政府・日銀の政策協定を巡って「1%や3%にするとか、そういう話ではない」と言及し、物価安定2%目標に理解を示した。
物価2%目標について、可能な限り早期の達成を期待する記述に関し「中期的、安定的に」と見直す余地があるとする一方、「それ以上、大きく変える必要はない」との考えを述べた。YCCを撤廃する場合には新たな執行部による「総合的な検証が必要になる」との認識も示した。
近く提示される正副総裁人事については、有力視される日銀出身者からの登用が適切かどうかも含め、コメントを控えた。
伊藤教授は2008年に日銀副総裁候補に浮上したが、民主党(当時)の反対多数で同意を得られなかった。黒田東彦日銀総裁が財務官時の副財務官を務め、経済財政諮問会議の民間議員を担うなどした知見から、同氏を含めた日銀新体制を予想する声がある。
https://jp.reuters.com/article/takatoshi-ito-interview-idJPKBN2TY048
日本のインフレ率は日銀の2%の目標に非常に近い水準にあり、長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)による緩和政策の修正はインフレ高進が引き金になったわけではないと述べた。
「日銀が金融緩和政策を推進したのは正しい判断だった。賃上げによるインフレ圧力に劇的な変化は起きていない。つまり、インフレのけん引役にはなっていない」とした。
日銀が「状況に即したオープンな姿勢を取ることは正しい行動だが、インフレあるいはインフレ要因が急上昇しているという状況ではない」と強調した。
<ゴールドマン・サックス証券 チーフエコノミスト 馬場直彦氏>
日銀の説明通り、今回の決定は市場機能の改善を目指したものであろうが、同時に長短金利操作(YCC)を機械的に運用しすぎ、円安効果が増幅されたことも一因ではないかとみている。さらに、政府・与党から日銀に金融政策の柔軟性を求める発言が多くなってきたことも関係しているのではないか。
米国は来年2月と3月、5月に0.25%の利上げを実施すると予想している。ターミナルレートは5%強で、米10年債利回りのピークは年後半に4.25%となる想定だ。現在の水準からやや距離はあるが、日銀が長期金利の変動幅を拡大しても、ドル高/円安は再び進行し、140円を超えるような水準へ到達する可能性がある。
<クレディ・アグリコル銀行の資本市場本部シニア・アドバイザー、斎藤裕司氏>
前日の日銀決定会合での長期金利の許容変動幅拡大はサプライズ。米連邦準備理事会(FRB)は利上げペースを鈍化させ、市場は米国のリセッション懸念から、23年末に利下げに転じるとの見方が強まる中、日銀が金融政策を転換させるのは難しいと思っていた。ただ、改めて考えると、イールドカーブコントロール(YCC)のさらなる変更やその先のゼロ金利撤廃を見こして新執行部に対する一番重たい舵を切ったのではないか。また、リセッションのさらなる織り込みが進めばタイミングを逃す可能性があり、時期は12月しかなかったのだろう。
次の日銀総裁に交代するまでにさらに調整が必要な可能性がある。日銀によるさらなる政策変更やいずれマイナス金利を解除する可能性がでてくるとみられ、海外勢や投機筋など市場参加者は一段の円金利の上昇はありうるとみている。一方で、米金利は上昇が一服していることことから、ドル/円は下方向に向きやすい。
足元のドルは8月初旬に付けた130.40円がサポートとなり、下げ止まっている。ただ、2022年の高値と安値の半値である132.70円を割り込んだことから、次は61.8%戻しの128.10円が視野に入ってきた。また、弊社調査部がFXモデルを基にした試算によると、125円程度まで下落する可能性があるとみている。
<あおぞら銀行 チーフ・マーケット・ストラテジスト 諸我晃氏>
ドル/円はレンジを切り下げながら緩やかな円高方向に向かうとみている。前日の日銀決定会合での長期金利の許容変動幅拡大は市場の織り込みがなかったため、サプライズとなった。日銀が来年の早い段階で修正に踏み切るとみていたため、行動が前倒しとなった格好だ。
日銀の決定を受けて米金利が上昇したことから、短期ゾーンを中心に日米の金利差は変わっていない。日本の貿易赤字はいずれ縮小する可能性があるものの、目先は実需によるドル買いが続き、ドル/円の下値を支える。
一方、投機筋の円売りポジションの構築は見込めず、短期的な円ショートのアンワイドが入りやすいほか、オプション市場でも円高方向のヘッジをいれてくるだろう。投機筋のポジションがなくなるため、ドル/円の上値は重くなる。
心理的な節目で、一目均衡表(週足)の雲の上限になっている130円を維持できるかがポイントだ。同水準を割ると127円-128円が下値として意識されやすい。
日本のインフレが賃金上げを確認できる形で2%を超えていくのかが今後の注目。米国の景気が悪化していく中で、明確な数字がでてきづらいのではないか。現時点では日銀がイールドカーブコントロール(YCC)のレンジを引き上げるという思惑があるものの、当面現行のプラスマイナス0.5%程度を継続していくとみている。その場合、日銀に関する材料は剥落し、その後は米景気動向がテーマとなっていく。
日銀が決定した長期金利の変動幅拡大と国債買い入れの大幅増額は、利上げでも金融引き締めでもなければ、金融緩和政策からの出口でもない。安定的な2%の物価上昇目標の達成はまだ見通せず、金融政策の枠組みや出口戦略について論じるのは時期尚早だと考える。
11月以降の日米10年国債金利差とドル/円の相関関係から試算すると、現在の金利差と整合的な水準は136円半ば。日銀の決定を受けて5円程度、円高方向へシフトしたことになるが、この程度の振れは今までにもあった。
これが元の相関に戻るかが注目点になるが、ファンダメンタルズを考慮すれば、短期的に130円前後でいったん底入れし、来年にかけて140円台へ切り返す可能性があると予想している。
中長期の通貨の強弱に影響しやすい短期金利でみると、日本と世界の政策金利の加重平均値との差は、既に390bpまで拡大し、円キャリートレードが活発化した2005─07年のピークに近づきつつある。
日銀が金利を引き上げるめどはたっていない。今後マーケットのボラティリティが低下した場合、円キャリートレードが活発化するとみている。
https://jp.reuters.com/article/japan-economy-boj-idJPKBN2T5054
日銀が金融政策決定会合で決めた長期金利の許容変動幅の拡大は、世界的な物価上昇や円安が急速に進行する中で、以前から政策修正の手段として市場が想定していたメニューの一つ。しかし、会見や国会答弁などで可能性を問われた黒田東彦総裁ら日銀幹部は事実上の利上げであり、金融緩和効果を阻害するとして否定的な見解を繰り返していた。
黒田総裁は会合後の記者会見で、変動幅の拡大決定について「市場機能を改善し、緩和効果をより円滑に波及させる」ことを理由に挙げ、「利上げではない」と繰り返した。SMBC日興証券の丸山義正チーフマーケットエコノミストは、前言撤回とも言える発言に、日銀は「コミュニケーションに関する信頼を失った」と苦言を呈した。
三菱UFJリサーチ&コンサルティングの小林真一郎主席研究員も、「黒田総裁の発言をもう誰も信じない」とし、「これは日銀にとって大きな損失だ」と指摘する。
決定を唐突と受け止めた直後の市場では長期金利と円相場が急上昇し、株式相場は大きく下落した。翌日も債券市場で新発2年国債利回りが約7年ぶりにプラス圏に浮上。事実上の利上げと受け止めた市場では、さらなる政策修正に対する臆測が広がっている。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-12-21/RN82T3DWRGG001
日銀の金融緩和政策に限界が迫ってきた。外国人らの国債売りがかさみ、長期金利の指標となる新発10年物国債のすべてを買い入れざるを得ない状況に追い込まれつつある。緩和の副作用がこれまで以上に大きくなる可能性があり、債券市場では日銀が政策を修正せざるを得ないとの見方がじわじわと広がってきた。
日銀が金利の急低下を放置すると、海外との金利差拡大など、そのきしみは為替相場に波及する。今はいったん円高方向に振れた円相場が急速に円安方向に進み、勢いはこれまで以上に急激になる可能性がある。必要以上に緩和的な状況になるため、インフレやバブル、さらなる財政規律の緩みといった問題も引き起こしかねない。
こんな有利な状況な
笑うわ。何その発想、まさしく肉屋を応援する豚そのものじゃね〜かwwwww
給料安くなって喜ぶのマジで豚すぎるだろ。一生そうやって喜んどけ豚wwwwwwww
脳がやられててヤバい。ドコをみてそんな認知になるんだ?眼鏡のレンズの代わりにベイブレードでもつけてるんか?
世界のインフレから日本だけ影響受け無いとかいう幻覚をみてるのか?
もしもまともな思考で日本もインフレを受けることを理解してるなら「金融緩和が続けられる」なんていうアホ過ぎる論理メチャクチャな言葉が出るはず無いんだが……
日本はインフレにも関わらずアベノミクスの尻拭いのために金融引き締めができないだけだろうが。
なんで金融引き締めができない部分を切り取って「金融緩和が続けられる」なんていうお花畑な妄言が飛び出すんだよ。とても正気とは思えない
材料費・エネルギー・食料。何もかもインフレと円安の相乗効果で爆裂に物価高騰するなか、国内向け購買力は下がる。この状況喜ぶって控えめに言って知能低すぎでは?
俺は90%以上を円以外の資産に振り向けてるから儲かってる(というか円安での損失は回避できてる)けど、
どう考えても一般の国民にとって、この円安の流れは災難以外のなんでも無いだろう
大量に円を作り出して国内株式のETFを書い続けたアベノミクスの果実、その毒がついに回り始めたんだよ
MMT的には「ある程度までなら意外とお金を刷り続けてもインフレにはならない。なぜなら日本が事実上そうなってるから」みたいな言説があったよな。
正直俺もあれは半分信じてた。理屈の上なら日本はもっと円安になってもっとスタグフレーションになっててもおかしくなかったからな。
だから現実を受け入れて、日本の金融緩和政策は感覚的には受け入れられないが、事実そうなってる以上認めざるをえなかったところはある。
でもMMT理論では「ある程度までなら意外とお金を刷り続けてもインフレにはならない」とあって、いつかは戻ってこれなくなるラインを踏み越える時期が来る、それだけは忘れてはいけなかったんだよ。
時が来たんだよ
FRB(アメリカの中央銀行)が超金融緩和政策を見直す、近い将来、金利を上げると、パウエル議長がにおわせたことが、株価を大幅に下げさせた。
通貨(ドル)の相対的な価値(正確には市場による評価額)が高まったことに応じた動きといえる。
株式の絶対的な価値(そんなものは無いのかもしれないが)に直接的な影響与えるものではなく、その測定に用いられる通貨の価値(市場の評価額)が動いたことによるもの。
それに、市場参加者の感情的な反応が、株価の変動を増幅させる場合も多い。
中央銀行は、本質的に邪悪な存在なので、これらの小賢しい細工に感情的に動揺させられないことが大事と考えている
ついでにいえば、ビットコインに代表されるブロックチェーンを基礎とする暗号通貨の普及が進むほどに、中央銀行の影響力は低下してゆく。ブロックチェーンの設計思想はアンチ中央銀行を基礎に置くものだからだ。
ウヨの発言が"すべて"保守主義に基づいた発言って考えてない?そうじゃないだろ
例えば経済問題
私は「右でも左でもなく」安倍政権の金融緩和政策には賛成して、消費税増税には反対すべきだと思ってる。
(今では少なくなったけど)金融緩和政策は安倍がやってるから反対だってサヨクが多かった。
「右でも左でもなく」日本全体の事を考えて同意できる沢山ある。
追記
俺自分を左翼だと思ってるから、右でも左でもなくと主張する理由がない。
逆に、どう見ても右翼なのに右でも左でもなく、と言ってる人はなんでそう言うの?
↑
ウヨの発言が"すべて"保守主義に基づいた発言って考えてない?そうじゃないだろ
例えば経済問題
私は「右でも左でもなく」安倍政権の金融緩和政策には賛成して、消費税増税には反対すべきだと思ってる。
(今では少なくなったけど)金融緩和政策は安倍がやってるから反対だってサヨクが多かった。
「右でも左でもなく」日本全体の事を考えて同意できる沢山ある。
衆議院選の投票先は積極的財政政策と金融緩和の継続をしてくれそうな政党に入れたい。
消費税増税は2年後はまだ早いので延期してくれるところがいい。
安倍総理は延期に含みを持たせているけど、はっきり増税すると言って選挙戦っているから延期は難しいだろう。
そこで立憲民主党だ。
公約で消費税増税延期を言っているし、枝野代表は民進党代表選で金融緩和の継続を明言していた。
さらに枝野代表はトップダウンではなくボトムアップのリーダーシップを目指すと言った。
これは立憲民主党内で金融引き締めが多勢になればそれに従うということではないだろうか。
というわけで立憲民主党主要メンバーの金融政策に対する姿勢を過去の発言から検証する。
「過度な金融緩和、カンフル剤を打ち続ける、なかなか効果が出ない、格差がどんどん拡大をする、それがかえって経済成長にもマイナスにもなっている」
https://www.minshin.or.jp/article/108841
「金融緩和によるデフレ脱却については民主党も安倍内閣と立場が同じです。ただ、それがバブルを生んではいけない。」
http://net.keizaikai.co.jp/archives/17524
「現在の日本は、弱肉強食である米国流の金融・経済政策原理に基づいているばかりか、実態を伴わないマネーゲームの様相を呈しており、いろいろな所で綻びが出ています」
「日銀が国債を購入する一方で、年金基金などがその分を国内外の株式することになり、一連の株価急騰が実現していますが、これは「中央銀行による国債購入」と「年金運用のリスク拡大」の二点で「禁じ手」なのです」
「金融緩和によって株価が上がる一方で、実体経済は先細っています」
https://www.kon-chan.org/policy/kakuron2.html
「大胆な金融政策】は年金運用機構(GPIF)の運用見直しで株式投資を50%まで増大させ“株高”を誘導し、減額した国債を日銀が買え支えて“円安”を誘導するという綱渡りはかろうじてトランプの景気刺激策に支えられているが、極めて不安定なカラクリである。」
http://www.sasaki-takahiro.jp/?p=2657
http://www.fukuyama.gr.jp/policy/
「米国が金融緩和を終了する中での今般の追加緩和はかなり強いカンフル剤であり、「異次元の金融緩和」の出口を不透明なものとし、急激な円安や輸入物価の上昇に伴い中小企業や家計・生活者を苦しめることになります」
http://www.fukuyama.gr.jp/diary/2014/11/04/11638/
「金融緩和だけではダメだ、ということは共有化されたようです」
http://www.fukuyama.gr.jp/diary/2016/05/27/14944/
「アベノミクスの金融緩和政策は破たん寸前、マイナス金利という断末魔のような政策を打ち出してきました」
http://blogos.com/article/159356/
長妻氏、福山氏は金融緩和に理解はあるけど副作用が強く出ているというスタンスかな。
立憲民主党の金融政策は引き締め方向に向かうのではと予想する。
どっちに期待すべきか…