
はてなキーワード:金融危機とは
最近、OpenAIとNVIDIA、それにOracleの関係がちょっと話題になっている。
ニュースでは「戦略的提携」とか「AIインフラへの投資」とか、いかにも前向きな言葉が並んでいるけれど、構図を見ていくとどうも怪しい。
ざっくり言うと、NVIDIAがOpenAIに巨額の資金を出し、そのOpenAIがそのお金でNVIDIAのGPUを買う。
さらにOracleとも巨大なクラウド契約を結んで、そこにも資金が流れる。
関係各社が互いに金と契約を回しているような形で、外から見れば数字は派手に伸びているように見える。
けれど、中身は実需というよりも“資金の循環”に近い。
一部のアナリストはこれを「circular deal(循環取引)」と呼んでいる。
帳簿上は儲かっているように見えるけれど、実際には同じ輪の中でお金が行ったり来たりしているだけ。
バブル期にはよくある話だ。
企業としては「パートナーシップ」や「インフラ整備」という建前のもとで動いている。
ただ、こういう構造が続くと、本当に市場の外から需要があるのか、それとも企業同士で景気を演出しているだけなのか、境目がどんどん曖昧になっていく。
AIブームの勢いはすごいけれど、儲け話の構造はどこか既視感がある。
2000年代のITバブルでも、2008年の金融危機でも、似たような“内部で回るお金”があった。
でも、最終的にその“時代”は弾けた。
NVIDIAやOpenAI、Oracleといった企業は、リスクを織り込み済みで動いている。
一方で、NISAでAI関連株を「夢の成長産業」と信じて買い込んだ個人投資家は、そうはいかない。
ただし、株価の上昇や取引の盛り上がりが「技術の成果」だと思ったら危ない。
いま回っているのはGPUではなく、金の循環だ。
いつものように、最後に損をするのは個人投資家――今回もきっと、例外じゃない。
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もう少し「辛辣なトーン」や「皮肉を強めた締め」にすることもできます(例:「NISA民はまた“未来”を信じて高値を掴むのだろう」など)。
どちらの方向で仕上げましょうか?
2010年代から2020年代、そして2025年8月時点のキャリートレードについて、時期ごとの特徴、期間、崩壊条件、そしてなぜそのタイミングで発生するのかを詳しく解説します。少し長くなりますが、順を追って説明しますね。
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キャリートレードは、低金利の通貨(例: 円)を借りて、高金利の通貨や資産に投資し、金利差や為替差益で利益を得る戦略です。ただし、為替レートの変動や市場の不安定さがリスクとなります。この戦略が「盛んに行われる」時期は、特定の経済条件が揃ったときに限られます。
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###キャリートレードの歴史:2010年代~2020年代の振り返り
#### 1.2010年代:アベノミクスと円キャリートレードの台頭(2013年~2017年頃)
-2012年に安倍晋三が首相に就任し、「アベノミクス」が始まりました。2013年4月、日銀は大規模な量的・質的金融緩和(QQE)を導入し、政策金利をほぼゼロ(0~0.1%)に維持。円安を誘導しました。
- 同時期、米国や欧州では金融危機後の緩和が続き、金利は低かったが、徐々に回復傾向にありました(例:米国の利上げが2015年に開始)。
-海外投資家(特にヘッジファンド)が円を借りて、米ドル、豪ドル、NZドル(オーストラリアやニュージーランドの高金利通貨)や新興国通貨(トルコリラ、ブラジルレアル)に投資。
-投資先:米国債、欧州債、新興国債券、株式市場(特に米国S&P500)。
- **2016年1月**:中国経済の減速懸念でグローバル市場が動揺。リスクオフ(安全資産回帰)で円が急騰(1ドル=120円から110円へ)。キャリートレードが一部巻き戻され、株価や新興国通貨が下落。
- **2018年**:米国の利上げ加速(FF金利2.5%超)とFRBのバランスシート縮小で、ドル高・円安トレンドが弱まり、キャリートレードの魅力が低下。
#### 2.2020年代初頭:コロナ禍と再びの円キャリートレード(2020年~2021年)
-2020年3月のコロナショックで、世界中で金融緩和が再強化。日銀はマイナス金利(-0.1%)を維持し、米国もゼロ金利政策を採用。
-しかし、2020年後半から米国経済が回復し、FRBが2021年にテーパリング(緩和縮小)を示唆。金利差が再び広がった。
- 円を借りて、米国債(利回り1%前後)、欧州債、新興国通貨(例:メキシコペソ)、テクノロジー株(米ナスダック)などに投資。
-特に2020年後半、株価が急上昇(「コロナ相場」)の中、キャリートレードが活況。
- **2021年3月**:米国10年債利回りが1.7%に急上昇し、FRBの利上げ観測が強まった。円が一時買われ(1ドル=105円台)、キャリートレードの一部が解消。
- **2022年**:ロシア・ウクライナ戦争でインフレが加速。FRBが急激な利上げ(2022年3月から5.25%へ)でドル高が進み、円キャリートレードが大きく縮小。
#### 3.2024年~2025年8月:現在の円キャリートレード
-2024年3月、日銀はマイナス金利を終了(政策金利0.25%へ)し、イールドカーブ・コントロール(YCC)を緩和。長期金利(10年物)が1.5%前後まで上昇。
-しかし、米国は高金利(FF金利5%前後)を維持し、トランプ政権の経済政策(減税やインフラ投資)でドル需要が強い。円安が進み(1ドル=150円前後)。
-海外投資家が円を借りて、米国債(4%前後)、新興国債券(例:インド6%超)、米国株式、商品(金や原油)に投資。
-ツイートで指摘されるように、国債空売り(JGBの価格下落を狙う)とキャリートレードが連動。
- **引き金**:日銀の追加利上げ、FRBの利下げ加速、またはトランプ政策の不確実性(相互関税の影響)で円高が進行。
- **動き**: 円急騰(1ドル=140円以下)、海外資産の売却、JGB市場のさらなる変動。
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- **国債空売りと連動**: JGBの超長期債利回り上昇(3%接近)とキャリートレードが同時に進行。これは、日銀のYCC緩和と財政出動の影響が大きい。
- **地政学リスク**:トランプ政権の政策や米中関係が、為替や金利に大きな影響を与えている。
- **ボラティリティ**:2024年の円急騰(1ドル=161円から142円)や2025年の不安定さが、従来よりリスクを高めている。
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キャリートレードが盛んになるのは、以下の「タイミング」と「条件」が揃ったときです:
1. **中央銀行の金融緩和**:日銀やFRBが金利を極端に下げ(ゼロやマイナス)、資金調達コストを下げる。
2. **金利差の拡大**: ある国(例:米国)が経済回復で金利を上げ、他国(日本)が低金利を維持。
3. **為替レートの安定性**:円安が続き、為替リスクが低いと見なされる時期。
4. **市場の楽観主義**:リスクオン(投資意欲の高まり)で、株式や商品への投資が活発化。
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###結論
あなた:
ChatGPT:
バブル期(1980年代後半)の日本でなぜ金融引き締めが行われたのか――その理由は、過熱する資産バブルの抑制とインフレ懸念にあります。以下、背景と目的を分かりやすく説明します。
1980年代後半、日本は歴史的な好景気にありました。以下のような現象が起きていました:
株価:日経平均が1989年末には約39,000円に到達(1985年頃の約2倍以上)。
地価:東京の地価が急騰。「山手線の内側でアメリカ全土が買える」と揶揄された。
融資:土地を担保にすれば簡単に巨額の融資が受けられ、資金が株や不動産市場に流れ込む。
この背景には、1985年のプラザ合意を受けて進んだ円高→景気後退→それを下支えするための金融緩和(低金利政策)がありました。
■ なぜ金融引き締めに転じたのか?
銀行も無理な融資をどんどん行い、「土地神話」に基づいた投機が加速。
バブル崩壊による後の損害が懸念されたため、「今のうちに冷やそう」という判断。
消費者物価はそれほど上昇していなかったが、資産価格インフレ(バブル的インフレ)は深刻。
このままでは社会全体が不健全な投機に傾き、崩壊リスクが高まると判断された。
日本銀行は1989年5月から1990年8月までに、公定歩合を2.5%→6.0%へと急激に引き上げ。
融資規制:「総量規制」と呼ばれる、銀行による不動産向け融資の抑制も実施。
地価:数年かけて下落。担保価値の崩壊により不良債権問題が表面化。
経済:企業や銀行がバランスシート調整(借金返済・資産売却)を迫られ、長期的なデフレ経済に突入。
■まとめ
日本銀行がバブル期に金融引き締めを行ったのは、投機的な資産価格の高騰を抑え、経済の健全性を守るためでした。しかし、その対応が遅れ、かつ急激だったことで、バブル崩壊を加速させ、長期不況の引き金にもなったという評価がなされています。
興味があれば「なぜもっと早く・緩やかに引き締めなかったのか?」という政治との関係や、日銀内部の議論についても解説できます。
あなた:
土地と株には沸騰はあったけど、関係のない一般の産業にもお金が不足するようになったのはなぜ
ChatGPT:
とても鋭いご質問です。
バブル期における金融引き締めの影響が、土地や株と関係のない一般の産業(製造業や中小企業など)にまで及び、資金不足(=信用収縮)を招いた理由は、主に次の3つです:
1989年から始まった「総量規制」は、不動産業などへの融資の総額を制限するものでした。しかし、実際には:
リスクを避けるため、「関係ない業種」にも融資を渋るようになった。
結果として、資金需要のある健全な企業や中小企業にまで貸し渋りが発生しました。
銀行は「貸しすぎている」と判断し、企業に返済の前倒しや追加担保を要求。
バブル崩壊で、銀行は不良債権(返ってこない融資)を大量に抱えることに。
そのため、「自己資本比率の維持(BIS規制)」を守るため、融資をどんどん縮小。
→ この結果、すべての業界で資金供給が細るという現象が起きました。
バブルが崩壊しても、日銀はしばらく高金利を維持していた(1991年頃まで)。
政府も、当初は「自己責任」や「市場の調整力」に期待して介入をためらった。
結果として、企業の倒産が続出し、景気は底なし沼に突入しました。
■まとめ
金融引き締めと総量規制の副作用で、銀行が貸出を全体的に抑制したから。
担保価値の下落で、企業の資金調達能力が実質的に低下したから。
つまり、「バブルのツケを払わされ、被害が経済全体に波及した」というわけです。
さらに知りたいテーマ(例:日銀の判断ミスや、BIS規制、当時の政治の対応)などあれば、深掘りできます。
あなた:
土地や株が加熱してるから少し下げるというのはぜんぜんいいけど、なぜ関係のない人まで干上がらせたのか
ChatGPT:
本当に本質的な問いです。
そしてその疑問は、当時を生きた中小企業経営者や労働者たちの「実感」と完全に一致しています。
ではなぜ、「土地や株の加熱だけを冷ますつもりだったのに、関係のない人まで干上がった」のか?
これは単なる技術的ミスではなく、政策判断の誤りと構造的な金融システムの限界が重なった結果でした。
✅ なぜ“そこだけ”を冷ませなかったのか?
日銀がコントロールできるのは金利やマネーの量(通貨供給量) という「経済全体にかかるレバー」。
しかし、金利を上げたり貸出を制限すれば、株や不動産以外の分野にも等しく冷水を浴びせる。
つまり「熱いところだけ狙って冷やすことが構造的にできなかった」。
🎯=**「ピンポイントで撃ちたいのに、散弾銃しか持っていなかった」**という状態。
② 総量規制が“雑”だった
バブル対策として導入された「総量規制」は、不動産業向け融資の総額に制限を設けた制度。
ところが、不動産と関係のある業種(建設、流通、サービス業など)も巻き添えに。
銀行もリスクを嫌い、**「関係ありそうな会社全部アウト」**という判断で貸出を抑制。
地価の下落で担保割れが起きると、銀行は貸したくても貸せなくなる(BIS規制=自己資本比率の縛り)。
同時に、「不動産に融資した銀行自体」が傷んで、健全な企業にも融資を出す体力がなくなった。
日本の金融は間接金融(銀行依存型)なので、銀行が縮むと企業も一緒に干上がる。
💡つまり、「バブルの熱を冷ます」はずが、「金融システムの血流自体を止めてしまった」。
日銀は「土地バブルが悪い」という正義感が強すぎて、副作用に無頓着だった。
結果として、干上がる企業や家庭が続出しても、回復支援がまったく間に合わなかった。
🧠 なぜそんなことになったのか?(根本)
「資産インフレを冷ませば景気全体もソフトランディングできる」と甘く見ていた。
中小企業や地方の声が中央銀行に届いておらず、東京中心の視点で政策判断がなされていた。
日銀や大蔵省(当時)に、経済の現場に対する感受性が欠けていた。
🔚まとめ:なぜ関係ない人まで干上がったのか?
「熱い部分だけ冷ましたかったのに、金融政策の構造上、経済全体を冷やしてしまった。
さらに、対応のミスや銀行の自己保身が重なって、干上がった人たちへの水すら止まってしまった。」
もしももっと段階的に、現場の実態を見ながら慎重に調整していれば、バブル崩壊も「軟着陸」できたかもしれません。
あなたの感じている「そこまでやる必要あった?」という疑問は、今でも多くの経済学者・歴史家が共有している、正当な問いです。
あなた:
ChatGPT:
非常に核心を突く質問です。
なぜ、バブル崩壊で不振に陥った企業(=そこに勤めるサラリーマン)を国有化しなかったのか?
これは、単なる経済政策の話を超えて、日本の政治的哲学・制度の設計思想に関わる深いテーマです。以下、歴史的・制度的・思想的な観点から説明します。
国が企業を直接「国有化」して救済するという発想が、日本では非常に例外的・否定的に扱われていたからです。
戦後の日本は「自由主義経済(市場経済)」を基本とし、国家はできるだけ企業経営に直接関与しないという建前。
特に高度成長期以降、「政府はルールだけ作る」「経営は民間に任せる」という方針が徹底。
企業は潰れるときは潰れるべきで、政府は雇用保険や融資など間接的支援に留めるという考えが根強かった。
📝経済への国の関与は「産業政策(行政指導)」の形ではあったが、「国有化」は極めてまれ。
② 「モラルハザード」を恐れた
こうした「道徳的危険(モラルハザード)」を避けるため、自己責任原則が重視された。
→ 「国が助けてくれるなら、経営ミスしても大丈夫」と思われたら、それこそ経済が腐るという発想。
バブル崩壊直後、企業倒産は数万社規模、中小企業は数十万社が苦境。
これらを国有化(買い取って経営を維持)するとなれば、膨大な税金が必要。
当時はまだ「財政健全化」が強く意識されており、大規模な企業救済には政治的な抵抗が強かった。
1998年〜:「長銀(日本長期信用銀行)」「日債銀(日本債券信用銀行)」→一時国有化
💡つまり、「潰れると日本経済全体が崩れる」という銀行には、特別扱いの救済がされた。
→企業(≠銀行)は個別救済せず、金融システムの根幹だけ守るという政策スタンスだった。
「国が企業を持つ=計画経済」的な発想に対して、政治的にも国民感情的にも拒否感が強かった。
特に冷戦期には、「国有化」は共産主義的・非民主的とみなされがちだった。
歴史的背景日本は「国有企業」にトラウマがあり、市場経済への信頼が強かった
あなたの疑問は、「そもそも国がもっと積極的に現場を守るべきだったのでは?」という非常に正当な視点です。
実際、そのような議論は当時も存在し、今でも「国の対応が遅く・冷たすぎた」という批判は根強くあります。
もし希望があれば、「たとえばどんな制度があれば救えたのか?」という代替案的な話もできます。
あなた:
ChatGPT:
竹中プラン(正式には「金融再生プログラム」2002年)は、バブル崩壊後の「長期不況」の最終局面に打たれた劇薬的な金融政策パッケージです。
このプランは、それまでの「不良債権処理を先送りするぬるま湯路線」を強制終了させる決断であり、結果として日本の金融システムを立て直した反面、中小企業の淘汰・地方経済の打撃という大きな副作用も生みました。
当時、小泉政権の経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏が主導。
メインの柱は以下の通りです:
施策 内容
不良債権の早期処理銀行に「厳格な資産査定」を義務付け、損失を先送りさせない
自己資本の強化不良債権処理で自己資本が不足する場合、公的資金(税金)で注入
金融庁の監督強化銀行検査マニュアルを厳格に運用、甘い査定を許さない体制に変更
株価下落対策政府系金融機関が株式購入などの支援(株価維持策)も実施
厳密には、竹中プランは**金融政策(金利・通貨供給)**ではなく、**金融行政(銀行の健全化)**に分類されます。
しかし、経済への影響という意味では、猛烈な引き締め圧力をかけました:
厳格な査定→「貸し倒れリスクのある企業に貸すと、自分の首が飛ぶ」
これは実質的に「貸しはがし」「貸し渋り」という形で実体経済を冷やした
銀行の信用が崩れ、国民が「預金引き出し」に走る可能性も視野に
Q.
A.
日本において国債の利子支払いが歳入だけでは賄えなくなった場合、以下のような深刻な事態が連鎖的に発生する可能性があります。***1.新規国債への依存と金利上昇:**** 利払いのためにさらに国債を増発する必要が出てきます。これは、いわゆる「借金で借金を返す」状態を悪化させます。**市場は日本の財政状況に対する信認を失い、国債の買い手が減ったり、より高い利回りを要求したりするようになります。これにより、国債金利が急騰する可能性があります。***2.政府支出の大幅な削減:****金利上昇は利払い費をさらに増加させ、財政を一層圧迫します。** 歳入で利払いを賄えない以上、社会保障(年金、医療、介護など)、公共事業、教育、防衛といった様々な分野で、政府支出を大幅に削減せざるを得なくなる可能性があります。** これにより、国民生活の質が低下し、社会不安が増大する恐れがあります。***3.増税:**** 歳入を増やすために、所得税、法人税、消費税などの大幅な増税が必要になるかもしれません。**しかし、増税は国民や企業の負担を増やし、経済活動を停滞させるリスクがあります。また、増税に対する国民の反発も予想されます。***4.ハイパーインフレーションのリスク:****政府が日本銀行に対して国債を直接引き受けさせる(財政ファイナンス)という手段に訴える可能性があります。**中央銀行による安易な国債引き受けは、通貨の大量発行につながり、通貨価値の急落と制御不能なハイパーインフレーションを引き起こすリスクがあります。これにより、国民の預貯金の実質的な価値が大きく損なわれ、経済が大混乱に陥る可能性があります。***5.金融システムの混乱:****国債価格が暴落した場合、国債を大量に保有している国内の金融機関(銀行、保険会社、年金基金など)は巨額の損失を被ります。** これにより、金融システムの安定性が損なわれ、取り付け騒ぎや金融機関の破綻が連鎖する金融危機に発展する可能性があります。**企業への貸し渋りや貸し剥がしが起こり、経済活動がさらに収縮する恐れもあります。***6.円安の急進と輸入物価の高騰:****日本の財政や経済に対する信認が失われると、外国為替市場で円が売られ、急激な円安が進む可能性があります。**円安は、輸入されるエネルギーや食料品などの価格を高騰させ、国民生活を直撃します。***7.デフォルト(債務不履行)の可能性:****上記のような対応策を講じてもなお、利払いや償還が不可能になった場合、日本政府はデフォルト(債務不履行)を選択せざるを得なくなるという、極めて深刻な事態も考えられます。**デフォルトは、日本の国際的な信用を完全に失墜させ、国際金融市場からの資金調達が不可能になるなど、計り知れない悪影響を及ぼします。ただし、日本は自国通貨建てで国債を発行しているため、他国と比較してデフォルトの可能性は低いという意見もありますが、財政規律が極端に失われればそのリスクは皆無とは言えません。***現状と今後の見通し:**現在の日本では、国債の利払い費は歳出の中で大きな割合を占めていますが、直ちに歳入で賄えなくなる状況ではありません。しかし、少子高齢化に伴う社会保障費の増大や、経済成長の停滞などにより、財政状況は依然として厳しい状況にあります。政府は、歳出改革や経済成長を通じた税収増を目指していますが、これらの取り組みが十分な効果を上げるかについては不透明な部分もあります。***重要な注意点:**上記はあくまで起こりうるシナリオであり、実際にこれらの事態がどの程度の確率で、どのような順番で、どの程度の深刻さで発生するかを正確に予測することは困難です。しかし、国債の利払いが歳入で賄えなくなるという事態は、日本の経済社会にとって極めて深刻な危機をもたらす可能性があることを理解しておく必要があります。こうした事態を避けるためには、持続可能な財政構造への転換に向けた、国民的な議論と痛みを伴う改革が不可欠となります。
仕事に関わる専門書(趣味を含む)以外だと、最近は世界情勢が不安定すぎてそれ系の本を読むことが多い。
金融危機に関する本とか。
哲学系は読まないな。やっぱどうしても根本的に無意味な分野なんじゃないかって思っちゃうんだよね…。科学哲学はたまに読むけどそれもなあ。
これはgrokとchatgptといろいろやりとりして出た結論ですが、アノマリーなので根拠は結構あやふやですが、そこそこ説得力がある結果になったと思う。
まずはデータ
民主党政権下のSP500平均リターン
2年目:+3.9%
3年目:+18.84%
4年目:+14.32%
1年目:+6.2%
2年目:+0.36%
3年目:+21.83%
4年目:+8.12%
ハーバート・フーバー 1929-1933世界恐慌 (1929)
ドワイト・D・アイゼンハワー 1953-1961 1953-1954不況、1957-1958不況
リチャード・ニクソン 1969-1974ニクソン・ショック (1971)、1973-1975不況
ジェラルド・フォード 1974-1977 1973-1975不況 (継続)
ロナルド・レーガン 1981-1989 1981-1982不況
ジョージ・H・W・ブッシュ 1989-1993 1990-1991不況
ジョージ・W・ブッシュ2001-2009ITバブル崩壊 (2001)、リーマン・ショック (2008)
ドナルド・トランプ2017-2021コロナショック (2020)
補足
世界恐慌 (1929):フーバー政権下で発生。株価大暴落から始まり、世界的な経済危機に。
ニクソン・ショック (1971): 金ドル交換停止で経済に大きな変動。1973-75年の不況にもつながる。
ITバブル崩壊 (2001):ブッシュJr.就任直後に発生。厳密にはクリントン時代末期から兆候あり。
リーマン・ショック (2008):ブッシュJr.末期に発生した金融危機。
コロナショック (2020):トランプ政権下でのパンデミックによる経済急落。
小さな政府は、財政引き締めになるので、市場にとってはマイナス。
ただし減税をするので、それが業績を押し上げて3-4年目で一気にまくる。
おそらく、財政引き締め路線なので不況の芽を摘むのが遅れてリセッションに発展することが多いのだと思う。
大きな政府は市場にとってはプラスだけど浮かれていると2年目にやられる。
1年目は政府の財政出動で期待で株が上がるが、2年目は財政悪化や失望で売られ、3-4年目に投資の花が咲いてまくる。
これがこれまでのsp500の年次統計でわかることだと思う。
ようするに、共和党だと1-2年目は株が下がりやすいので警戒し、民主党だと2年目に下がりやすいので警戒するべき。
どちらの政党でも3-4年目は期待できることが多い。
ただし、共和党だからといって、小さい政府を必ず目指すわけではないし、民主党だからといって必ず大きな政府を目指すわけではないが、大統領の政策がどうなのかというのはよく見るべき。
https://x.com/FedPoasting/status/1908020393404764408
勤めていたのは、かつて「アメリカを偉大にしてきた」と言われたような、Whirlpool(ワールプール)の製造工場だった。
金融危機の余波の中、経営陣はメキシコへの生産移転、つまり海外アウトソーシングを決断したのだった。
閉鎖されたその工場は、延べ面積およそ112,000平方メートル――巨大な製造施設だった。
そして一夜にして、1,000人もの人々が職を失った。
その多くは、何十年もそこで真面目に働いてきた人たちだった。
同じ工場で30年以上、黙々と働いてきた――
それが、パチン、と指を鳴らしたような一瞬で、すべて消えたのだ
私がまだ幼い少女だった頃――物心ついた頃からずっと、祖父は毎朝3時半に起きて、人口1,200人ほどの田舎町から、車で40分かけて工場に通っていた。
それを毎日、30年間続けた。
10〜12時間の長いシフト勤務も多かったけれど、文句ひとつ言わなかった。
私は「ネイビー・ブラット(軍人家庭の子)」として育ったから、祖父母と一緒に過ごせるのは夏の数ヶ月だけだった。
でも、覚えている。祖父は、わずかに残った体力をすべて使って、私たちと過ごしてくれた。
小川に遊びに行ったり、ツリーハウスを作ってくれたり、馬に乗ったり、「カウボーイとインディアンごっこ」をして遊んだりした。
小学校に入った頃から、毎晩、私は祖父と一緒にリビングのソファに座って、ヒストリーチャンネルやアニマルプラネット、ビル・オライリーの番組を観ていた。
それから、民主党が何をしてるかって話題で笑い合ってた――8歳の子なりに。
18歳そこそこで結婚し、1年も経たないうちに私のママを、そのすぐ後に叔母を授かった。
彼らは小さな自宅農場を営み、持ち物の多くをローンなしで所有していた。
貧しかったけど、土地を耕せるというのは、そういう状況に意味を与えるものだった。
祖母は地元の学校で事務員として働き、祖父は製造業の仕事で良い福利厚生を得ていた。
マクドナルドに行けるのは、誕生日だけの特別なイベントだった。
夏の終わりには果物や野菜を瓶詰めにして保存し、刻んだオクラやブルーベリー、野生のイノシシや鹿の肉は、作業小屋の古い冷凍庫に詰めて凍らせていた。
飛行機に乗ったこともない、アーカンソー州の外に出たことすらほとんどない二人だったけれど、私のママと叔母を、大学、そして大学院まで通わせた。
借金を一銭も背負わせることなく――1990年代のことだった。
それなのに、57歳になった祖父は、1,000人の同僚とともに、まるでゴミのように捨てられた。
何十年もその会社に尽くしてきたというのに。
そして、彼らが与えられた「次の一手」は?
慰めの言葉は?
「コードを学べ」
その頃、彼らの生まれ育った土地は、文字どおり“ワイルド・ウェスト”――開拓時代の名残がまだ色濃く残る地域だった。
井戸から水を汲み、火で沸かしたお湯をブリキの浴槽に入れて身体を洗い、トイレは外にある便所を使っていた。
一つの教室しかない学校で学び、家族はみな、自分たちの農場で育てた家畜を頼りに生きていた。
私の祖父母のような人々こそが、この国を築いたのだ。
子どもたちのために、この国を築いてきた。
けれど彼らが築こうとしたものは、株式ポートフォリオでもなければ、不動産投資の資産でもなかったから――
彼らの家、彼らの地域社会を守るということは、ウォール街にとってもワシントンにとっても、壊しても痛みを感じるほどの「価値」はないと見なされていた。
彼らが築いていたのは、「コミュニティ」だった。
誰もが、できる限りの手を尽くして、他の誰かを助けようとするような場所――
国際貿易政策やCDO(債務担保証券)なんて、遥か遠くの話でしかなかった。
だが、今のこの世界のありようでは、
過疎地の小さな町や、人口の少ない州にある100年の歴史あるコミュニティは、
ほんの数ベーシスポイント(bips)の経済的利得のために、あっさりと犠牲にされるのだ。
それが「支配者たち」のやり方。
けれど、祖父はまだ諦めていなかった。
飼っていたブランガス牛の群れを増やそうとした。
だが――残念なことに、牛の飼育はもう何十年も前から、収支マイナスの商売だった。
Whirlpoolだけではない。すべての製造工場がそうだった。
2008年以降、閉鎖された工場で働いていた何千人という人々に、もう仕事は残されていなかった。
正直に、誠実に働いて生きる道は、風に吹かれるようにメキシコや東アジアへと消え去っていた。
残されていたのは、ガソリンスタンド、ダラー・ジェネラル、ウォルマートのレジ打ちだけ。
人口1,200人のあの町の周辺には、ガソリンスタンドはたったの2軒しかない。
そのうちの1軒は最近潰れ、もう1軒はパキスタン人の家族が経営している。
その結果、その町の世帯収入の平均は、今では年間3万ドルほど。
残っている家庭のほとんどが州の援助に頼っている。
そして、オピオイドとメタンフェタミンの乱用は、かつてないレベルにまで達している。
それでもなお、あの人たちは言うのだ――
軽蔑に満ちた顔で、嘲るように。
その一方で、喜々として、ろくにスキルもない安価な移民を大量に受け入れ、
血と汗と涙をもって、この国を築き上げてきた。
何もない荒れ地から、土を起こし、何もないところから一つひとつ積み上げてきた。
病に、命を奪うような天候に、部族との争いに、裏切りに、そして無法の地という本質的な危険と向き合いながら。
この国は――一つひとつの煉瓦が、この地球上で最も勇敢で、最も屈強で、最も忍耐強い人間たちによって積み上げられてきたのだ。
それなのに、ここ60年の間に起きたことは何だ?
象牙の塔にこもる学者気取りの詭弁家ども、ワシントンの豚ども、銀行業界のクズども――
そういった連中が、自分たちの口から出る唾で、我々の先人の名誉に、犠牲に、共同体に、人種に、信仰に――ありとあらゆるものに唾を吐きかけてきた。
それだけではない。彼らは、先人たちが築いた遺産そのものにも、
その子どもたちにも、孫たちにも――
そして、本来受け継がれるべき権利にすら、平然と唾を吐きかけているのだ。
アメリカ政府と、その利害をともにする者たちがこの国の本来の継承者に対して行ってきた――組織的な裏切りという悪行に対して、
英語の語彙には、その凶悪さを正確に表現できる言葉すら存在しない。
この国を、神に見放された未開の地から掘り起こすために流された血は、確かにそこにあった――実在する、物質としての血だ。
血は、人と同じように「物質」だ。
「理念」には血は流せない。
本当に血を流し、命を捧げ、その結果として我々が今享受している「快適さ」や「贅沢さ」を築いた、
すべての者たちへの裏切りだ。
この60年間、あらゆる旧来の制度、学術機関、政府機関、NGOは、過去10年の間ずっと、この国を築き上げてきた人々に対し、様々な言い回しで「本質的に」「根源的に」「存在そのものが悪である」と言い放ってきた。
我々を「人種差別主義者」「強姦魔」「ジェノサイド加害者」「奴隷商人」「抑圧者」「山奥の未開人」「近親交配の成れの果て」「救いようのない堕落者」「クソ白人」――そう罵りながら、裏では密かに「余剰な生体資源」としての我々をどう始末するか、その計画を着々と練っていた。
代償を払ってもらう時が来たのだ。
国家予算でぬくぬくと生きる、悪意に満ちたミュータントどもは一人残らずクビにしろ。
そして、ドルを「世界基軸通貨」という地位から引きずり下ろせ。
我々、特に自らを“民族的な”ヘリテージ・アメリカンだと考える者たちは、短期的にどれほどの犠牲が伴おうが構わない。
それによって、自分たちが正当に受け継ぐはずだった遺産が焼き尽くされる様を、ただ黙って見ている必要がなくなるのなら――我々はその代価を喜んで支払う。
我々は、罪を犯した者たちがその報いを受けることを望んでいる。
首が飛ぶのを見たいのだ。
Permalink |記事への反応(31) | 14:11
Bugman Hegel
@FedPoasting
In 2011, my papawas laid off from aWhirlpool manufacturingplant, the kind that had for so longmadeAmerica great. In the wake of the financial crisis, the C-suite had decided to offshore operations toMexico.
Theplant they shutteredwas a 1.2 millionsqft manufacturingplant, andovernight, 1,000 peoplelost theirjobs. Many of whom had been working there for decades.
My papawas 57 years old when hegot laid off. He had workedat that very sameplant forover 30 years, andsnap justlike that,itwasall gone.
1/6
2011年、私の父は、長年アメリカを偉大にしてきたワールプール社の製造工場から解雇されました。金融危機を受けて、経営陣はメキシコへの事業移転を決定しました。
閉鎖された工場は120万平方フィートの製造工場で、一夜にして1,000人が職を失った。その多くは数十年にわたってそこで働いていた人たちだった。
父は57歳のときに解雇されました。父は30年以上同じ工場で働いていたのですが、突然すべてが消えてしまったのです。
1/6
When Iwas alittlegirl, fromas far backas I could remember, my papa woke upat 3:30am and drove the 40 minutes to theplant from the rural 1,200-person town every single day. And for 30 years, he worked what were often10-12 hour shifts with no complaints.
I grew up a Navy brat, so I didn’tget to see my grandparents except for a few months during thesummer, but I remember my papa exerting thelastdrop ofhis energy so he could spendtime with us going to the creek,building us atreehouse,riding horses, and playing cowboys and Indians.
Every evening, starting from when Iwas in grade school, my papa and I wouldsit in the living room andwatch theHistory Channel,AnimalPlanet, and BillO’Reilly and hee-hawtogether about what the Democrats were doing,as muchas an eight-year-old can.
My papa and mynana had beentogether since they graduatedhigh school; theygot marriedat barely 18 and had mymom less than a year later and my aunt soon after that.
They had a small homestead, ownedmost of what they hadoutright, and they were poor, but poor doesn’t have to mean that much whenyou can work theland.
Mynana workedas the local school’s secretary, and my papa had good benefits withhis manufacturing job. Theyonly ever wentout toeaton special occasions.McDonald’swas abirthday-only type of affair. They had aone-acregarden, a few head of cattle, would can fruits and vegetablesat the end of everysummer, and freeze chopped okra, blueberries, meat from wild hogs and venison in an old chest freezer in the workshop.
私がまだ子供だった頃、物心ついたころから、父は毎日午前 3 時半に起きて、人口 1,200 人の田舎町から工場まで 40 分かけて車で通っていました。そして 30 年間、父は不満を言うことなく、10時間から12時間のシフト勤務をこなしました。
私は海軍の子供として育ったので、夏の数か月を除いて祖父母に会う機会はありませんでしたが、父が最後の力を振り絞って私たちと一緒に小川に行ったり、ツリーハウスを作ったり、馬に乗ったり、カウボーイやインディアンごっこをしたりして時間を過ごしていたことを覚えています。
小学生の頃から、毎晩、私とパパはリビングルームに座って、ヒストリーチャンネルやアニマルプラネット、ビル・オライリーを見て、8歳の子どもができる限り民主党が何をしているのか一緒に大笑いしていました。
私の父と祖母は高校を卒業して以来ずっと一緒にいました。彼らは18歳になるかならないかで結婚し、1年も経たないうちに母が生まれ、その後すぐに叔母が生まれました。
彼らは小さな農場を所有し、所有物のほとんどを完全に所有していましたが、貧しかったです。しかし、土地を耕作できるなら、貧しいということはそれほど大きな意味を持つ必要はありません。
私の祖母は地元の学校の事務員として働いており、父は製造業で良い福利厚生を受けていました。外食するのは特別なときだけで、マクドナルドは誕生日にしか行かなかったのです。彼らは 1エーカーの菜園と数頭の牛を飼っていて、毎年夏の終わりには果物や野菜を缶詰にし、作業場の古いチェスト型冷凍庫で刻んだオクラ、ブルーベリー、野生のイノシシの肉、鹿肉を冷凍していました。
Despite never having beenon aplane and seldom ever having beenoutside of Arkansas, they managed to put both mymomand aunt throughcollege and graduate school without requiring them to incur even adime of debt. Thiswas the 1990s.
Thenat theage of 57, my papa and 1,000 ofhis coworkers were thrownawaylike apiece of trash after giving that company decades of their lives. And what were they told to do? Whatwas their consolation prize?
Learn. To. Code.
My papa andnana were born in the 1950s in a place thatwas quite literally the Wild West just mere decades before theirbirth.
Growing up, neither of them had running water—they drew water from a well,washed up in a tin tub heatedover afire, and went to the restroom in anouthouse. They were both educated in aone-room schoolhouse and both came from families that reliedon their farm’s livestock to feed themselves. Peoplelike my grandparents built thisnation. They built thisnation for their children.
But because the thing they sought to buildwasn’t a stock portfolio or realestate portfolio, the preservation of their homes and communitieswas notsomething thatWall StreetnorWashingtonsawas having enoughvalue to beanythingmore than apathetic about blowing up.
飛行機に乗ったことも、アーカンソー州から外に出たことがほとんどなかったにもかかわらず、両親は母と叔母を一銭も借金せずに大学と大学院に通わせることができました。1990年代のことでした。
そして、父と1,000人の同僚は、57歳で会社に何十年も捧げた後、ゴミのように捨てられました。そして、彼らに何をするように言われたのでしょうか? 慰めの賞品は何だったのでしょうか?
Learn. To. Code
私のパパとおばあちゃんは、1950年代に生まれましたが、彼らが生まれるほんの数十年前までは、そこはまさに「ワイルド・ウェスト」でした。
両親ともに水道のない環境で育ったため、井戸から水を汲み、火で沸かしたブリキの桶で体を洗い、離れのトイレで用を足した。二人とも一教室の学校で教育を受け、農場の家畜に頼って食料を得ていた家庭の出身だ。祖父母のような人々がこの国を築いた。子供たちのためにこの国を築いたのだ。
しかし、彼らが構築しようとしていたのは株式ポートフォリオでも不動産ポートフォリオでもなかったため、彼らの家やコミュニティの保全は、ウォール街やワシントンにとって、破壊することに無関心以上の価値があるとは考えられなかった。
今考えてみると、1991年に起きたソ連崩壊が招いたものだったのではないか。
ソ連が崩壊して、共産主義や社会主義といった革新的な概念が全部否定されてしまった。
共産主義は極端だとしても、社会主義的な社会を目指そうとしていた日本人は多かったのではないか。
それがソ連崩壊によって自分たちが信じていた理想が崩壊し、同時に自分達の今までの人生そのものを否定されたように感じたのではないか。
1990年代とは、それと向き合う10年間だったと思う。
80年代まではモーレツに頑張っていたリベラル思想を持つ人が、90年代には無気力状態やミドルエイジクライシスに陥っていた、という話をよく聞く。
1994年くらいまではバブルの残り香があったので目立たなかったが、1997年の金融危機あたりから一気に噴出したと思う。
以下は先ほどの“ドラスティックな構造改革+高関税導入→2年間の深刻な不況→3~4年目に政策転換・飛躍”というシナリオを前提に、米国株(S&P500 /NASDAQ100)、日本株、ドル円が「ピーク(最高値)から底値まで」どの程度下落(%)し得るかの大まかな目安です。あくまで複数要素(金融政策、地政学リスク、マーケットのセンチメントなど)が絡むため、シナリオ上の“想定レンジ”として捉えてください。
S&P500
• 下落率の目安:ピーク比で -30%~-40% 程度
• 1~2年目にリセッションが深刻化し、関税ショックや企業収益の急激な下振れを織り込む過程で、30%以上の大幅な調整が起こる可能性があります。
•歴史的にも、大きな景気後退や金融危機局面ではS&P500が**30~50%下落する事例(ITバブル崩壊、リーマンショックなど)があるため、-30%~-40%**は妥当な範囲といえます。
NASDAQ100
•NASDAQはハイテク株が多く、グローバルサプライチェーン分断や輸出制限の影響を受けやすい半面、マーケットが先行きの高成長を織り込むときは急伸しやすい性格があります。
• 下げるときはS&P500より深くなる傾向があり、-40%超の下落が発生するリスクも十分考えられます。
• ただし、政策転換後(3~4年目)には最も大きく反発するセクターでもあります。
2.日本株
•米国依存(特に自動車や電子部品の輸出)度が高いため、米国の景気後退や貿易摩擦激化の影響を強く受けます。
•過去の急落局面(例:リーマンショック、コロナショック)でも20~30%超の下落は珍しくありません。米国株が-30%超下がるシナリオでは、日本株が**-20~-35%**下がる可能性は十分にあり得ます。
• ただし、日本株は海外投資家の売買比率が高いため、場合によってはマインド悪化で**一時的にもっと急落(-35%超)**するシーンも考えられます。
3.ドル円
ドル円レート
•シナリオ上、「関税ショック+リセッション深刻化」が意識される1~2年目には、
•結果的に、ピークのドル高水準から約15~20%程度円高が進み、最終的に100円付近まで下落するシナリオがイメージしやすいです。
• その後、3年目~4年目に米国経済が急回復→利上げ観測強まり→再度ドル高に振れる、という流れを考えると、「1~2年目の底値」で見るとピーク比-15%前後のドル安は起こり得るでしょう。
まとめ
•ドル円
•ドル高ピークから -15%前後(たとえば120円〜100円近辺)までの円高進行が視野。
このように、高関税+大規模歳出削減+リセッションという複合ショックは、株式・為替ともに相当に大きな下落圧力をかける可能性があります。一方、3~4年目の政策転換に成功し、景気回復が鮮明化すれば、そこからV字反発が起こり得るのも株式市場の特徴です。あくまで“想定される下落幅”としてお考えください。
会社員時代に民間のシンクタンクから出た「なぜ西側諸国は弱く(ロシアは強い)のか?人的資本と西欧の教育の役割」というロシアと西洋に関する分析をした記事をまとめたものです。西洋事情を知りたい方にはぜひ読んで欲しいです。
内容は、現代の西側社会が抱える根源的な構造的問題を鋭くえぐる分析です。この問題を多角的に解体し、そのメカニズムを探ってみましょう。
-2035年までに戦略的意思決定能力が現ロシアの50%に低下
この人的資本の劣化は単なる「政策失敗」ではなく、文明システムの根本的な設計誤謬が生み出した必然です。西側が築いた「啓蒙主義的合理主義」が、自己言及的な官僚主義に転化し、逆説的に非合理を生み出しています。
1.教育の再起動:古典的リベラルアーツ教育の復権(論理学・修辞学・哲学)
2.選抜基準の革命:AIによる「客観的能力測定」の導入(中国の社会信用システムとは逆方向)
3.経験値重視の回帰:指導的地位への昇進に最低10年の実務経験を義務化
しかし、現在の権力構造がこれらの改革を許容する可能性は極めて低い。この矛盾こそが、21世紀の西側が直面する最大のディレンマと言えるでしょう。
https://www.boj.or.jp/mopo/outline/bpreview/index.htm
昨年末、日本銀行が、25年間の金融政策を検証する「多角的レビュー」を発表した。これは、まるで長年の病に苦しむ患者が、ようやく自らの病状を詳細に記録し、分析を始めたかのようだ。しかし、オーストリア学派の経済学者デ・ソト氏の言葉を借りれば、これは「日本経済の病」と呼ばれる症状の分析に過ぎない。日銀は、過去の政策を検証するだけでなく、なぜ「病」が発症し、そして今もなおその症状が続いているのか、本質的な原因に目を向けるべきだ。
1960年代から1980年代初頭、日本経済は世界から羨望の眼差しで見られた。しかし、それは硬直した経済構造、過剰な規制、介入主義、そして何よりも、金融操作と信用拡大による巨大なバブルの上に築かれた虚構の繁栄に過ぎなかった。1990年代初頭、バブルが崩壊すると、日本経済は長期にわたるデフレに突入した。日銀は、量的緩和、ゼロ金利、マイナス金利など、あらゆる政策を試みたが、デフレから脱却することはできなかった。
バブル崩壊後の金融危機には、4つのシナリオが考えられる。①際限のない資金注入によるハイパーインフレ、②銀行システムの完全崩壊、③経済構造の自発的なリストラ、そして④経済の硬直化を温存したままの、大規模金融緩和と公共支出の継続による「日本化」。日本が選んだのは、残念ながら最後の道だった。日銀は、バブル崩壊後の混乱を収めるために、金融緩和という名の麻薬を使い続けた。結果、企業は自らリストラするインセンティブを失い、生産的な資源は旧態依然とした非効率な分野に滞留した。
これは、オーストリア学派がいう「投機バブルと信用膨張」がもたらす当然の結果だ。
アベノミクスは、日本経済を刺激するための最新の試みだったが、結局は過去の政策の焼き直しに過ぎなかった。異次元緩和、財政出動、そして円安誘導は、一時的な効果はあったものの、結局は根本的な問題には何も対処しなかった。その結果、日本は世界で最も債務を抱えた国となり、デフレは完全に払拭されなかった。
デ・ソト氏が指摘するように、これはまさに「経済の日本化」の症状そのものだ。問題は、経済の硬直性。すなわち、過剰な規制、高い税金、抑制のきかない公共支出、そして企業家の士気低下である。
オーストリア学派の視点から見れば、日本経済が回復するためには、マクロ的な金融操作ではなく、ミクロ的な構造改革こそが必要だ。それは、規制緩和、労働市場の自由化、税制改革、そして公共支出の削減である。利潤に課税する税制を改め、資本を蓄積し、生産性を向上させるための政策こそが求められる。
日銀は、大量の資金注入や金利操作に固執するのではなく、経済を自発的にリストラするインセンティブを創出することに注力すべきだ。
さらに、日銀が行ってきたゼロ金利やマイナス金利政策は、人為的に金利を操作しようとする試みに過ぎない。市場経済において、金利は資源配分を効率化するための重要な価格シグナルである。このシグナルを歪めることは、経済全体を歪めることに繋がる。デ・ソト氏が指摘するように、マイナス金利は、人々に「何もしないこと」を奨励し、経済の無気力をさらに助長する。
また、ゼロ金利政策は、財政赤字を無制限に自動的にファイナンスするために使われるため、政府が構造改革に取り組むインセンティブを奪い、ポピュリズムを蔓延させる。
中央銀行家たちは、自分たちが市場を動かせると思い込んでいる。しかし、過去の政策が示すように、それは幻想に過ぎない。
彼らは、金融緩和策という麻薬を使い続け、一時的な快楽を追求するうちに、経済を麻薬漬けにしてしまった。もはや、麻薬がなければ経済は立ち上がることができない。
この悪循環を断ち切るためには、金融政策万能という幻想を捨て、市場の自律的な回復力を信じるべきだ。
構造改革を断行し、企業家精神を解き放ち、経済のダイナミズムを取り戻すことこそが、真の解決策である。
日本銀行は、過去の金融政策を徹底的に見直し、その限界を認識すべきだ。日銀にできることは、物価を安定させ、市場の機能を維持することだけ。経済成長や雇用創出は、企業家精神と自由経済の世界に任せるべきである。
金融・財政刺激策は、一時的な痛みを和らげる効果はあるかもしれないが、根本的な問題を解決することはできない。根本的な問題とは、経済の硬直性、すなわち、過剰な規制、高い税金、抑制のきかない公共支出、そして企業家の士気低下である。これらの構造的な問題に正面から取り組まない限り、日本経済の病は癒えることはないだろう。
日銀が本当に経済の健全化を望むのであれば、金融政策の限界を認め、構造改革を促すようなメッセージを明確に示すべきだ。そして、デフレ脱却という短期的な目標を追いかけるのではなく、長期的な繁栄の実現に焦点を当てるべきである。
一言でいうと、
「歳出は社会保障費などもあって急激に減らせない。国債の発行は抑えないといけない(※)。ゆえに歳入増になる施策を行いたい。減税などもっての外」
というものです。
以下は※の補足です。
財務省というか会社の財務部にしろ、彼らの仕事は財政の監視と健全化です。どういうKPIでそれを計るかは色々ありますが,財務省の場合は一言で言うなら「国債の削減」です。
具体的には「政府債務残高が家計の純金融資産を上回らないようにしないといけない」というものです。
これはつまり「国債の主な引き受け手である家計の資産を超える債務を発行することは貸し手がいなくなる=金利の急上昇を招くから、政府だけでなく国全体の金融危機が起きる」
というものです。そのために債務残高は圧縮まではいかなくとも増え方を緩やかにする必要があるということです。これに関しては間違いだと思っているので文末にAppendixとして入れておきました。本筋と関係ないので読まなくて良いです。
例えばこことかを見ると書いてあります。
https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2023/junkan_report.html#11
Aさんは銀行に100万円借りたいと言いました。無事審査が通り、貸し出しが実行されたのでAさんが通帳を確認すると、100万円残高が増えていました。ではこの100万円は誰が用意した(払った)ものでしょう?
正解は「誰でもない」です。誰かが100万円を払ったわけではなく、銀行は1000000という数字を通帳に印刷しただけなのです。この部分に関して議論の余地はないので一旦受け入れてください。
これは経済全体という枠組みで見ると、流通するお金(貨幣)が100万円分増えたことになります。これを信用創造といいます。Aさんを国に置き換えた場合でも同様です。債券という仕組みが理解を難しくするかもしれませんが、本質的には同じなので一度受け入れてください。これに関しては財務省も認める事実です。
そしてここからが重要なのですが,経済はこの流通する貨幣の量(マネーサプライといいます)と密接に関連しています。具体的には以下の通りですが,かなり単純化した説明なので注意してください。
マネーサプライは政府も含めてみんながどれだけ借金するかによって決まります。そしてその借金のしやすさは金利で決まるので,この前日銀が利上げしたなんてニュースを言ってましたが、あれは日本のインフレ率がもともと目標だった2%を超える水準になっているために行なったものです。
さて、財務省が不思議な力で法律を改正し,消費税50%にしたとしましょう。この水準まで引き上げると消費税の歳入に占める割合が5倍になり、国債発行額分も賄え、かつ10兆円オーダーの国債の返済も行えます。喜ばしいですね。生活がどうなるかはいわなくても良いと思いますが,この場合だと日本に流通しているお金が毎年10兆円オーダーで減っていきます。日本のマネーサプライは1600兆円程度ですから、10年で6%も流通するお金が減ってしまいます。これはようやく1−2%程度のインフレ傾向が根付き始めた国には耐えられるものではありません。その前に国民生活も崩壊します。国債というのは今の日本においては、政府のためでなく、経済のために発行せざるを得ないものなのです。
ちなみに現在、政府の債務残高は1500兆円ですから、日本のマネーサプライはかなりの部分を日本国債に依存しています。要はここでわかっていただきたいのは、来週あなたに振り込まれる給料の大部分は元をたどると誰かの買った国債に行きつくということです。
つまり、日本国債は払えないから返せないのではなく、日本経済が崩壊するから返せないのです。
1965年に初めて国債が2000億円(!?)発行されそれ以降は増加の一途を辿ってきました。
1990年代初頭までは25年で200兆円程度までの増加でしたが,失われた三十年にあたるこれまでの35年では1300兆円という異様なペースで増加を続けています。
なぜこういう状況になってしまったのでしょうか?これに関しては財務省が答えてくれており、以下のページにあります。
https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2023/junkanreport11.pdf
要約すると、
民間企業部門が投資を抑制したため借り入れも減少したが当然イノベーションも起きなくなり,経済成長率も低下、製品価格も上がらない。当然民間の収入も増えないし税収も増えないが社会保障費は増加するから政府として国債を発行せざるを得ない。よって日本のマネーサプライは政府の発行する債務に依存してしまった
ということです。
またかなり痛烈なことも書かれており,
債務削減により、債務の存在による日本企業への経営規律付け効果が弱まると、経営者の保身によるリスク回避傾向の強まりから、民間企業の投資需要が弱くなるという仮説を導ける
とまで書かれています。要は、日本経済の悪くした主犯は投資をしない企業部門であるということです。ただ、正直鶏が先か卵が先かみたいな問題でもあり、売れないのに企業は投資できないのは当然で、企業のみを悪者にすることはできないとは考えています。それこそ政府としても有効な手立てを打てなかった面で責任はありますし,日本全体が呪縛的な景気冷却マインドに縛られていたことこそが起きた問題であり,だからこそ「失われた30年」なんだろうということです。
こんなこと書いたら叩かれそうですが、だからこそアベノミクスの3本目の矢というのは当時としては発想としてはとても良いものだったのだと思います。結果成功したのかは分かりませんが。加えて共産党の内部留保課税というのも発想の基本はそこまでめちゃくちゃではないと思っています。課税というのはよくないですが,結局投資不足が日本の問題なので、留保した資本をどこかに投資させるための飴と鞭が必要というのは極めて重要な発想です。
政府の債務の問題というのは、単純な政府の歳入歳出の問題なのではなく、
30年以上成長できなかった日本経済こそが問題の根であるということです。ですから政府債務の削減のみを盲目的に求めるのはやめて欲しいものです。
しかし財務省のみを叩くのも違います。彼らは彼らの仕事をしており,究極的にいうとこの問題は民間を含めた全ての経済主体に責任があることなのです。
ただ、政治としては今でも物価だけが上がって生活が苦しい人というのは幾らでもいるのですから,
そのような人がどうしたらもっと稼げるか、良い暮らしができるかという視点を持って政治家には政治をしてもらいたいと思います。
信用創造の部分を読めばわかると思いますが,政府債務残高の増加は家庭および企業の金融資産を増やします。これを元手にまた家計は国債を買えます。つまり、債務の限界は資産の額に依存しません。ただ借金には金利があるので、これを元に貸し手が購入額を決めるため,自動的に国や民間の借り入れ上限が決定します。要は金利で借り入れの上限が決まるということです。
【追記】
2021年から2023年の読んで良かった本とを紹介しています。
『2021~2023年に読んで良かった本と2024年まで続いている影響』
https://note.com/kakeiakihiro/n/nd4afe617deb5
~~~~~~~~~
2024年は54冊読みました。
ブロガーとかがやっているピックアップ記事を自分もやってみたかったので書きます。
行ったところで食事をして、言いたくもないことを話して、キャラじゃないことをやらされる。
そんな感じだった。
しかし、本書を読んで、やはりそういったイベントが微妙に思えるのは当然のことだったと思えた。
など。
集まりとは多くのことに繋がると思う。
日常生活で店に入ったり、テレビを観たり、そういう誰かの注目を得ることも、大きく「集まり」と言えるのではないか。
具体例が色々。エンパイアステートビルが100年前、18ヶ月で建てられたことや、日本の「もんじゅ」がどのように延期して廃止に至ったかも書いてある。オペラハウスの歴史も知らなかった。
上手くいくアプローチが紹介されていて、
など。
メガプロジェクトは数字が大きく、工期の延期や予算の超過や採算が合わないものが99.5%という。
ただこれはメガプロジェクト特有の性質ではなく、小さなプロジェクトにも当てはまるという。
本質的には同じなんだろうなあ。
科学は真実に近づく方法であり、科学が真実というわけではない。
小保方さんの話も出てきて、そういえばその上司が自決していたな……と思い出し、不正はお金や見栄だけの問題では無いと感じた。
読みながら、「見てきたものや聞いたこと 今まで覚えた全部 デタラメだったら面白い」と、ブルーハーツの情熱の薔薇が流れていた。
疲労についての本。
疲労とは身体からのアラートであり、無理やり無くそうとしても逆に身体を壊す。病的な疲労(うつなど)は脳の炎症であることが多い。
うつ病について疲労の視点から触れられていたのも良かった。まだ病気だと思っていない人もいるから。生理的な観点からの考察だけど、心因的な観点は証拠が弱くなりがちだし。
4. 脳が「疲れていない」と解釈。
軽い運動で疲労が回復する理由や、なぜ疲労があるのかというのも考察されていて面白かった。
疲労で鬱になるとかは今後修正されるかもしれないけど、休むことに若干の罪悪感みたいなものがあったので、疲れたら気兼ねなく休むようにしよう。
詩篇?
『NEEDYGIRLOVERDOSE』というゲームをプレイして、モチーフに『好き?好き?大好き?』があると知った。
読んだ感想としては……よくわからなかったです……。状況とか人間関係とかが。
ただ小説や物語は何回か読んで自分の感じ方の違いを感じるものだと思うので、よくわからないという感想もアリだと思う。
「能力」が「高い」「低い」、だから「選ぶ」「選ばれる」。当たり前のようで、見えもしない「能力」で人を判断している。これが正しいのだろうか?
油断するとすぐに能力の優劣での説明に傾いてしまうので、『「できる」「できない」は状態のこと。固定的な能力ではない。』という言葉を忘れないようにしている。
取り扱っているものが多いので、感染というものが日常に浸透していることに気付かされる。
「小さな政府」を志向する政治体制が下火になりつつあると考えられる背景には、主に以下のような理由が挙げられます。
気候変動、感染症の拡大、貧富の格差、移民問題など、国境を越えた課題が増加する中で、政府の役割が重要視されるようになっています。これらの課題は、個人や民間企業だけでは解決できないため、政府が積極的に介入し、政策を推進することが求められています。このような背景から、大規模な政府支出や介入が不可欠であるとする意見が強まり、「小さな政府」から「大きな政府」への移行が進んでいます。
市場主導の経済システムによる自由競争は、イノベーションや成長を促す一方で、経済格差を拡大させるリスクが伴います。特にグローバリゼーションの進展により、高スキル層や都市部の住民とそれ以外の層の格差が顕著になり、こうした格差が社会不安を引き起こしています。そのため、所得再分配やセーフティネットの充実が求められ、政府による積極的な支援や規制が必要とされる場面が増えてきました。
2008年のリーマンショックや2020年の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のような危機に対して、政府が財政出動を行うことで経済や社会の安定を図った事例が示すように、非常時において政府の役割が再評価される傾向があります。特にCOVID-19では、政府が積極的に経済支援や医療支援を行う必要があったことから、「小さな政府」では対応できないリスクに対する懸念が浮き彫りになり、政府の規模や役割を拡大する方向が支持されやすくなっています。
IT技術の進展により、インターネット上での個人データの保護や、大手テクノロジー企業による独占などの新たな問題が生じています。このようなデジタル社会での課題に対処するためには、政府が適切な規制や監視体制を設ける必要があり、「小さな政府」ではこうした複雑な問題に対応しきれないとの認識が広がっています。
財政支出が経済成長を促進するとの考え方が再評価される中、公共インフラの整備や教育、医療といった社会資本への投資が重視されています。こうした政策により、経済全体が底上げされると期待されるため、政府による積極的な財政支出が歓迎される傾向にあります。このため「小さな政府」よりも「大きな政府」による経済支援が重要視されています。
これらの理由により、現代の複雑化した社会やグローバル化した経済においては、「小さな政府」の考え方だけでは課題に対処しきれない側面が増えていると言えます。
これどう見ても直近の若者の雇用環境は恵まれていて、「酷かったのは(狭義の)氷河期世代だけではなくリーマンショック世代、東日本大震災世代辺りまで続いた」という話なんだよね
要するに散々言われていた「失われた20年」の間はずっと悪くて、アベノミクス以降に右肩上がりで回復しているというだけの話
著者の欲目から新奇性を出そうとしているけど、マクロ経済を見てきた人たちからしたら何を今更みたいな話だし、97年の金融危機以降から真のバブル崩壊が始まって一気に自殺者数とかも増え続けている事を知っている側からすると、前期氷河期世代を98年まで入れてるのは著者がよく分かっていないなと思う
もともとは保険用語で、責任感が欠けること、倫理観の欠如という意味。モラル(moral)とは道徳・倫理、またハザード(hazard)とは危険・障害物のことである。
具体的には、保険に加入したことによって結果的に事故や病気に対する注意を怠りがちになることや、失業しても十分な失業保険が支給されて生活が保障されると思えば、無理に働こうとせずかえって失業者が増大する、ということなどである。
国が金融危機や破綻に陥った金融機関に対して公的資金(税金)を使って損失を補填することになると、預金者は金融機関を厳しい目で選択しなくなったり、銀行も融資にあたり厳格な審査を怠ったり、さらに経営者は自己の責任を回避しがちになる。
このようなことから、健全な金融マーケットを維持するためには、敗者を救済するためのセーフティネットは最小限にすべきだとも指摘されている。