Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「野草」を含む日記RSS

はてなキーワード:野草とは

次の25件>

2025-10-28

anond:20251028155716

張力規制があるし

当然毒もダメ

知らない野草を豪速球で投げてたらたまたまトリカブトでしたならいける

Permalink |記事への反応(1) | 16:00

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-29

anond:20250728230628

睡眠運動野草迷彩はまだ発掘されていない

Permalink |記事への反応(1) | 09:43

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-30

テクウヨ流・家族論:子ども義務であり老後対策

子どもを作らないやつって、マジで自己中だよな。

テクウヨの連中がよく言うんだよ、「子どもは老後の保険」って。

年取ってから孤独死したくなかったら、今のうちに子どもを仕込んどけって話。

お金がかかる」とか「時間がない」とか、そんなの全部言い訳

世の中の親たちは、子どもを使って将来に備えてんだよ。

からそうやって生き延びてきたのが“普通家族”だろ?

教育?そんなもん最小限でいいんだよ。

最近の親は「塾代が〜」「習い事が〜」とか騒ぐけど、

テクウヨ的には「中卒で工場で働けば十分、スマホ一台あれば何とかなる」って感覚

正直、そこら辺に生えてる野草でも食わせとけば、生きてはいける。

学歴とかスキルとか、気にするだけムダ。

親が偉そうにしてれば、子ども勝手に育つ。しつけは暴力で十分。

育児が大変だから子どもはいらない」とか言ってるやつ、どんだけ楽したいんだよ。

オムツ替え?夜泣き?数年の我慢で済む話じゃん。

その程度の苦労もせずに「自由人生が~」って、どんだけわがままなんだ。

自分の都合で子どもを持たないって選択する人間こそ、本物の利己主義だろ。

そして何より、子どもってのは将来の介護要員。ATM候補。親の世話係。

からこそ、作る意味がある。

将来、風呂に入れてくれて、病院に連れてってくれて、葬式まで面倒見てくれる存在

それがいなかったらどうすんの?

孤独死か?

それを避けるために、今のうちに投資(=出産)しとくんだよ。

人間世代をつないで生きてきた。

自分子どもを持たないけど、老後は誰かに面倒見てほしい」とか、

テクウヨから見れば卑怯まりない話。

自分は何も産み出さずに、他人の子ども(=よその家庭の投資成果)を頼るって何様?

結局のところ、子どもは「生き延びるための資産」。

愛情とか自由とか、そういう甘っちょろい感情論関係ない。

投資したら回収する。親はそのために育てる。

それが、令和時代現実的な親子関係

そして、テクウヨ家族観の“正しさ”なんだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:18

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-28

Youtube、いずれ見尽くしそう

事件系 国内はほぼ見た、海外はまだまだある

都市伝説系 面白いのは大体見た

事故系 ほぼ見た

おもしろ物件 見た

地理雑学 見た

政治歴史 見た

・QuizKnock ほぼ全部見た

・ばきどう だいたい見た

2chおもしろまとめ 最近ループしてきたから見尽くしたんだと思う

ニュース 時事ネタって擦るから飽きるんだよね

・虫 たまに見る

野草 結構見た

サバイバル 結構見た

・旅系 そこそこ見た

バラエティ番組の切り抜き 割と見た

科学解説 見た

毒物 見た

ドラッグ 見た

 

てか動画作成Youtuberマジでネタ切れじゃねこれ?

Permalink |記事への反応(8) | 12:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250327235650

自転車遠征

野草を調べる。

Permalink |記事への反応(1) | 00:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-23

anond:20250223014410

せめて釣りとか野草までだな

Permalink |記事への反応(1) | 01:49

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-13

anond:20250113013306

自分農園をつくって野草栽培してたりして、

薬草にがちに詳しかったらしいからそれなりの信ぴょう性はあるらしい

Permalink |記事への反応(0) | 06:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-01

anond:20241231232529

立ち食いのよもだそば東北ゆかりある経営者らしく、めずらしい野草天ぷらを定期提供してます

いたこともないような野草かき揚げがけっこうおいしい

Permalink |記事への反応(0) | 10:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-09-28

anond:20240928092613

オマエは道端の野草を「これ喰えるぞ、食べてみろ」ってやって通報されてろ

Permalink |記事への反応(0) | 09:32

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-09-21

anond:20240921201305

「草」とは、植物一種で、地面に低く生える柔らかい茎を持つ植物を指します。一般的に背丈が低く、樹木や低木と区別されます。芝生や野草のように、人々の生活環境の中でよく見られるものが多いです。また、「草」という言葉ネットスラングとしても使われ、笑いを表現するものとしても使われます(「笑」を「www」に変えて、それが草に見えることから)。

繁殖力について、現代でも草は繁殖力が強い植物として知られています。多くの草は種子によって広く繁殖するだけでなく、地下茎などを通じて横に広がることができ、環境適応やすいです。特に雑草の一部は非常に強い繁殖力を持ち、他の植物よりも優位に立つことがありますが、これは植物界全体の中で特異というわけではなく、草の特性の一つです。

もし「異常」と感じるような現象があれば、気候変動や都市化農薬肥料使用などが草の成長に影響を与えている可能性があります最近気象条件や人間活動植物の成長サイクルに影響を与え、ある種の草が急激に増加することもあります

Permalink |記事への反応(0) | 20:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-08-19

anond:20240819110227

サスペンスの類いで頻出だし

なんなら数年に一度野草食って中毒とかのニュースもあるし。

テレビ見るのが普通だった世代自然に知るだろ

Permalink |記事への反応(0) | 11:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-07-15

anond:20240713182412

日本在来馬がだいたいそう

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9C%A8%E6%9D%A5%E9%A6%AC#%E7%89%B9%E5%BE%B4

日本在来馬は体質強健で、よく粗飼に耐える。消化器官が発達しており、そのため、野草のみでも育成できると言われる。体は丈夫で、寒冷地でも年間放牧が可能であるとされる。

平均的に骨や蹄が堅く、骨折などの事故はあまり起きない。この「蹄が堅い」という在来馬の特長から日本では雪国で馬にはかせる藁沓(わらぐつ)を除いて、蹄鉄が発達しなかった。

この歩様上下動が少ないため駄載に適し、特に険しい山道での運搬には向いている。体格のわりに力強く、特に後ろ脚が発達していることもあり、日本在来馬は傾斜地の歩行をあまり苦としない。

比較的温和な性格のため、ハミをかませる必要もなく、容易に扱うことができたとされる。このことが原因の1つとなって、日本では明治に至るまで、去勢術が定着しなかった。

Permalink |記事への反応(0) | 04:47

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-06-15

anond:20240614213954

はいま食べられる雑草を調べている

いくつか試して失敗も多いが(この前はスズランニラを間違えて死にかけた)

ニラ雑草じゃないよ

スズランもそこらに自生はしていないだろ(北海道か?)

スイセンと間違えたんじゃ?

ニラと似たような香味野菜野草だとノビルを探すといいぞ!

Permalink |記事への反応(1) | 06:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fineart) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OURMAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


Permalink |記事への反応(5) | 09:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-05-12

うちの庭に生えてる山椒

イヌザンショウっていうらしくて普通山椒と違うらしいんだけどなんかそんなに違和感なく木の芽味噌󠄀とかで食えてる

なんか偽物でもいいから他に食える木とか野草とか生えてこないかなー

ヨモギとか生えてきたらいいのに生えてないんだよな

Permalink |記事への反応(1) | 03:00

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-05-11

anond:20240511061834

とかなんとか言ってパン食ってたら、俄然、生きる気になってきたわ。苦しくても寿命価値高え。とりあえず、親に捨てられるその日までは生きとこ。捨てられたら生活保護でも受けりゃいいし、幸いにも趣味は安くて済むものだしな。将来、生活保護制度なくなったらいよいよ終わりだが、そうなっても飯だけは食いたいか野草勉強してえな。

Permalink |記事への反応(0) | 06:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-05-03

イタドリといえば

もう呪術回線なんだろうなあ

春になると野山に芽吹くタデ科(蓼食う虫も好き好きのタデだよ!)の野草なんだよ

この時季高知の人は好んでよく食べるんだ

Permalink |記事への反応(1) | 03:36

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-01-06

トーシロのAPEXパーティ動画20分、誰が見るんだよ。いやもう泣いちゃったよ。

編集は頑張ってる。まあそうだよね。字幕を付けて。人ごとに色分けして。音量の大小で字幕サイズも変えて。wを振るわせてにぎやかにして。

でもそれだけだよね。素人素人同士で雑談してわちゃわちゃしてるだけの内輪コンテンツをさ、見るわけないじゃん。

いやね、あなた方の腕前がプロフェッショナルクラスとか、そういう既に何かコンテンツ力を持ってるならいいよ。

でもあなた方べつに何もない素人じゃん。

何もない素人が何の紹介も何のアピールもなく終始雑談APEXしてるだけじゃん。

それがコンテンツになるならニート無職もいないんだよ。

その辺の野草を焼いて調理しました、って感じでさ、どこが旨味なのか分からんのよ。

人をさ、人を意識しなよ。誰を幸せにするのか、誰を楽しませたいのか。商売って、そういうことじゃん。

楽しく遊びました、編集頑張りました、じゃないんだよ。そこじゃないんだよ。頑張るのは。

気づいてほしいよ。その努力は報われない。

Permalink |記事への反応(0) | 11:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-11-05

夢 (No.1214 2023/11/5)

←前後→

慣れない郊外の街で車を走らせていたせいか、すっかり道に迷ってしまった。行き止まりに車を停めて同乗者と運転を代わる。砂埃の舞う頭上を見上げると、夕闇を背景にハイウェイの高架がいくつも交差している。迷ったとはいえ、この場所特定する手がかりがないわけではない。まずは世田谷区であること。それから京王線新幹線高速道路が交差する場所であること。地図を調べればすぐに分かりそうだ。

一服しようと同乗者に煙草をもらって休んでいると、突然後ろから走ってきたトラックに追突され、車体はそのまま目の前の柵を突き破ってしまう。さらに数十メートルほど押し出され、鉱山の掘削地らしき場所に入ってようやく止まった。工事車両運搬車両が無数に行き交い砂埃を舞いあげている。このままでは邪魔になってしまう。仕方なく一周して敷地の外に出ようとすると、同乗者が「こういうとき一言謝りに行くんだよ」と言って車を降りていってしまった。追突されたのはこちらの方なのだから謝りに行くもなにもないだろうと思いつつ、帰りを待っていると、どこからともなく職員らしき制服の男か現れ、一枚のパンフレットを手渡してきた。そこには「人工温泉掘削事業出資者公募要項」という文字とともに、未来的なユートピア都市想像図が描かれている。どうやらここは空想都市建設企業で、この場所はそのための実験施設かなにかであるらしい。

同乗者はいつまでも帰ってこない。かといってずっとこの場所に留まるわけにもいかない。仕方なく一人で引き返して出口を探す。辺りは駅の構内のような人混みで、とても車で走り回れる様子ではない。辛うじて改札口の片隅に「車両専用」と書かれた小さなエレベーターを見つけた。先ほどのトラックもここを通ってやって来たのだろうか。とにかくそエレベーターに車を押し込んで一階のボタンを押す。一階のラベルには「カフェ野草」という店名が記されている。おそらく先に出た同乗者は隣にある人間用のエレベーターで降りていってしまったのだ。ここは三階、駆け下りれば追いつけるかもしれない。エレベーターボタンから手を離すと同時に階段を探して走る。だがどこにも階段は見当たらない。ようやく見つけた玩具のようなプラスチック階段は身ひとつがやっと通るだけの狭さで、しかも二階までしか通じていない。二階はショッピングモール。やはりどこにも階段がない。ここでも散々探し回ってようやく従業員用のバックヤード下り階段を見つけた。そこを駆け下りてゆくと例のカフェとやらの厨房らしき場所に辿り着いた。裏口のガラス戸をこじ開けてようやく外に出る。

打って変わって周囲には静かな田園の風景が広がっている。あれほど人波でごった返していたというのに、この閑散とした様子は何だろう。エレベーターの出口はどこだろうか。しばらく歩き回ってようやく納屋のような場所の奥に錆びた鉄扉を見つけた。同乗者は干し草の山に埋もれて待ちくたびれていた。車は取り出していないという。ということはまだエレベーターの中にあるはずだ。煤に汚れたボタンを押す。出てきたのはもう何年も放置していたかのような埃の積もった古びた車体だった。

←前後→

Permalink |記事への反応(2) | 16:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-03-27

特定外来種ハンターYouTuber面白い

元々釣りとか狩猟とか野草とか好きな人はまあいいといて

俺はそこまでそういうの好きなわけじゃないんだけど

特定外来種ハンターは非常によくできたコンテンツだと思う

 

1.特定外来生物環境問題への勉強になる

2.動物環境生態系料理など知識欲が満たせる

3.特定外来種駆除環境保全というプロジェクト自体面白さがある(非常に難しい)

4.単純にハンティング面白さがある

5.乱獲しても言い訳ができる、むしろ褒められる(普通は食べもしないのに乱獲したら炎上する)

6.ゲテモノ食い、サバイバル的な要素もある→Youtuber的なリアクションも楽しめる

7.自然と他Youtuberコラボしたり、地域とのコラボができる

8.色んな方面に強みを持ってる人が居て面白い、大体変人、大体仲良さそう、博識(こんな友達1人くらい居るよな、投網とか好きなやつ)

9.適度なホラー要素、グロ要素、解体など、怖いもの見たさ

10.料理要素、飯テロ(だいたい美味い!っていう、他はヴォエ!)

11.なぜか皆若くて元気で楽しそう

12.特定外来種以外に手を出すのもぜんぜん良い

 

よくできてる

黄金伝説とか、池の水全部抜くとか、鉄腕ダッシュとか好きな人はいけそう

入り口ホモサピでいいと思う、コラボ相手たどっていけば大体網羅される

マーシーやスイチャンネルみたいなのは徐々に改善していく経過も面白い、年単位活動してるから真似できない

 

そう言えば昔はニコニコで亀五郎をひたすら見てた

彼は狩猟サバイバルなので毛色が違うけど、最近YouTubeにいるよね

 

___

おすすめに虫が増えるデメリットはあるね

Youtubeくん〜それじゃないんだよな〜っていう

 

カエルセミヌートリアアライグマバラムツちょっと食べてみたい

 

一応彼らは「生物Youtuber」とか「生物採取Youtuber」とか言ってる

 

闇鍋は正解率高すぎて笑う

 

もし外来種が美味しいって知れ渡ると環境保全に一役買うから良いんだよね

ゲテモノ食いの酔狂じゃないんですよっていう言い訳が立つ、たぶん半分酔狂だけどw

Permalink |記事への反応(2) | 01:10

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-03-14

かつお菜美味い

福岡にはかつお菜というご当地野菜がある

葉の部分が大きくかつごわごわになったチンゲン菜みたいな野菜

たぶんうま味が強いかかつお菜という名なのだと思う

お雑煮なんかによく入っているのだけど、噛むとうま味というかコクみたいなものを感じる

歯ごたえとしては見た目のごわごわ感どおり、少し繊維質で、そのせいでよく噛むからよりうま味が出てくる

実家ではお雑煮くらいで出てこなかったので、お雑煮用の野菜だと思っていたのだけど、お浸しを最近始めて食べて美味しかった

他の野菜に比べて水分量が多くないからお浸しにあっている気がした

水っぽくないから味の染み具合もよく、元が繊維質で少し硬い野菜からこそ、ふにゃっとならずしっかりとした食感が気持ちよい

昔、熊本に住んでいた際は一文字という野菜を食っていたことを思い出した

白根普通の小葱よりも少しふくらんだ野菜で、さっとゆでて水で冷やしたあとで、白根に青ネギの部分を巻き付けて結び、それを酢味噌に付けて食う

料理名が一文字ぐるぐるといい、なんともまあ城下町っぽい手の込み具合だなと思ったことを覚えている

田舎者としてはこれって野草ののびるとなんか違うのか?とも思っていたけど、熊本市民の前では言えなかった

他に水前寺菜かい熊本っぽい名前野菜も一度、八百屋で見かけて買った覚えがある

葉の表が緑、裏が紫の青菜でゆでるとぬるっとした食感になるがアクを感じたのかあまりおいしく感じず、二度と買わなかった

これならクセが無くやわらかいモロヘイヤでいいなと思った気がする

郷土野菜って知らんだけで、色々あるんだろうなと思う

春になった

野草野菜も美味い季節だ

腹が減った

Permalink |記事への反応(0) | 00:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-02-19

anond:20230219150048

読者少なすぎて記事をばら撒いてでも購読者野草みたいな感じなのかな

Permalink |記事への反応(0) | 23:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-10-18

購買欲を満たすために

会社からの帰りに絶対なんか食べ物買ってしまって太るので

代わりに花を買ってみた。1000円のやつ

オシャレなんだけど部屋にあわねえ。

スーパーで買った400円の素朴な野草みたいな花の方があってる。

Permalink |記事への反応(0) | 03:43

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-06-10

anond:20220610155632

農薬とか殺虫剤なんかは毒性テスト動物マウスラットモルモットetc)を使うのはふつうから、それらを用いて栽培された農作物とかもダメなのかな……

そういう間接的なのまで全部含めちゃう原野で裸で野草食ってるくらいしかできない気もするが

Permalink |記事への反応(1) | 16:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-06-08

Rimworld遊んでたら熱波野生動物が全員逃げ出した

ちょ待てよ

君たちは厳密には野生ではなく元々はうちの牧場家畜だろう

ほんのちょっと、エサ代を浮かすために「子家畜が生まれる→速攻で家畜設定を切って野に放つ→野生で勝手野草で育つ→成獣になったら動物スキル家畜として招き入れる→速攻で屠殺して肉と皮革ゲット」というサイクルをこの数年続けていてそれにほんのちょっと依存してせいぜい30頭ばかしずらっといただけじゃないか

君たちがいなくなると生肉の入手先がないのだよ

おーい

Permalink |記事への反応(0) | 09:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp