
はてなキーワード:都心部とは
似たような体験をしたので読んでください。鬱病とか適応障害だと思われます。まず、会社の就業規則、傷病休暇に関するドキュメントを入手してください。その上で1週間の有給を取り(会社の承認はいりません。帰宅後に上長・その上の役職・人事部長にメールで心身の不調があり休む必要があるので休暇を取りますと言い切ります)、最初の3-5日で傷病休暇の取り方、自分の会社の場合はどうなるかを把握してください。それを全部把握して、web上で疑問点も解消してください。(chatgptやgeminiに相談する、Youtubeを見る)
終わったら自分の症状を心療内科・精神科に相談してください。お奨めなのは精神科を経営するクリニックです。予約が取り辛い場合は郊外や田舎では無く都心部で探す。必ずGoogleのレビューを見て、星が3.5以上の所に行く。先生に長期間休んで心身を回復したい、診断書を書いて欲しいと明確に伝えてください。
会社に診断書が出たので、傷病休暇を取りたい旨をメールで伝えてください。電話のやり取りをする必要・義務は一切ありません。電話で話を聞きたい、会社に来て欲しいと言われても絶対に対応しないでください。会社に行くと傷病休暇の対象外になるのでこれも絶対にしないでください。
傷病休暇前に待機時間がある場合は年休を消化したいと伝えてください。それがきれたら病欠としてもらってください。
以降、会社とは一切電話のやり取りは不要です。連絡はメールだけでしてください。休職の発令のために1度産業医との面談が必要なので、そのタイミングだけで会社に行ってください。産業医は心療内科の内容を是認しか出来ないので、心配はいらないです。不承認になったり、会社に連れ戻されることも無いです。(職場には絶対に行かないでください。傷病休暇の受給資格を失う可能性があるので、拒否してください。会社はそれを命じることは出来ません。あなたが拒否しても一切責任は生じません。業務の引き継ぎも不要です。それは会社側が、上司が普段からすべきことであなたに責任は及びません。また体調不良で休む場合は業務引き継ぎする必要も無いです。)
なお、会社で未払い等があればその証拠も事前に全て確保してください。傷病休暇の終わりに未払いを請求できます。(外部の1人加入の労働組合に相談してください。過去2年分遡れます
最後に、あなたの心身を破壊する会社はあなたにとって害のある会社で、籍を置く努力が認められる職場では無いです。
傷病休暇中に十分に静養してください。もし体調が治ったら、転職をしてください。転職が決まったら会社を退職し、新しい会社に勤めて下さい。
職場環境に問題がある場合に、傷病休暇中に職場環境を変えるのは全く問題ないです。避難や違法と言われる筋合いは無いです
似たような体験をしたので読んでください。鬱病とか適応障害だと思われます。まず、会社の就業規則、傷病休暇に関するドキュメントを入手してください。その上で1週間の有給を取り(会社の承認はいりません。帰宅後に上長・その上の役職・人事部長にメールで心身の不調があり休む必要があるので休暇を取りますと言い切ります)、最初の3-5日で傷病休暇の取り方、自分の会社の場合はどうなるかを把握してください。それを全部把握して、web上で疑問点も解消してください。(chatgptやgeminiに相談する、Youtubeを見る)
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会社に診断書が出たので、傷病休暇を取りたい旨をメールで伝えてください。電話のやり取りをする必要・義務は一切ありません。電話で話を聞きたい、会社に来て欲しいと言われても絶対に対応しないでください。会社に行くと傷病休暇の対象外になるのでこれも絶対にしないでください。
傷病休暇前に待機時間がある場合は年休を消化したいと伝えてください。それがきれたら病欠としてもらってください。
以降、会社とは一切電話のやり取りは不要です。連絡はメールだけでしてください。休職の発令のために1度産業医との面談が必要なので、そのタイミングだけで会社に行ってください。産業医は心療内科の内容を是認しか出来ないので、心配はいらないです。不承認になったり、会社に連れ戻されることも無いです。(職場には絶対に行かないでください。傷病休暇の受給資格を失う可能性があるので、拒否してください。会社はそれを命じることは出来ません。あなたが拒否しても一切責任は生じません。業務の引き継ぎも不要です。それは会社側が、上司が普段からすべきことであなたに責任は及びません。また体調不良で休む場合は業務引き継ぎする必要も無いです。)
なお、会社で未払い等があればその証拠も事前に全て確保してください。傷病休暇の終わりに未払いを請求できます。(外部の1人加入の労働組合に相談してください。過去2年分遡れます
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会社に診断書が出たので、傷病休暇を取りたい旨をメールで伝えてください。電話のやり取りをする必要・義務は一切ありません。電話で話を聞きたい、会社に来て欲しいと言われても絶対に対応しないでください。会社に行くと傷病休暇の対象外になるのでこれも絶対にしないでください。
傷病休暇前に待機時間がある場合は年休を消化したいと伝えてください。それがきれたら病欠としてもらってください。
以降、会社とは一切電話のやり取りは不要です。連絡はメールだけでしてください。休職の発令のために1度産業医との面談が必要なので、そのタイミングだけで会社に行ってください。産業医は心療内科の内容を是認しか出来ないので、心配はいらないです。不承認になったり、会社に連れ戻されることも無いです。(職場には絶対に行かないでください。傷病休暇の受給資格を失う可能性があるので、拒否してください。会社はそれを命じることは出来ません。あなたが拒否しても一切責任は生じません。業務の引き継ぎも不要です。それは会社側が、上司が普段からすべきことであなたに責任は及びません。また体調不良で休む場合は業務引き継ぎする必要も無いです。)
なお、会社で未払い等があればその証拠も事前に全て確保してください。傷病休暇の終わりに未払いを請求できます。(外部の1人加入の労働組合に相談してください。過去2年分遡れます
最後に、あなたの心身を破壊する会社はあなたにとって害のある会社で、籍を置く努力が認められる職場では無いです。
傷病休暇中に十分に静養してください。もし体調が治ったら、転職をしてください。転職が決まったら会社を退職し、新しい会社に勤めて下さい。
職場環境に問題がある場合に、傷病休暇中に職場環境を変えるのは全く問題ないです。避難や違法と言われる筋合いは無いです
最近、運転手不足によるバス路線廃止のニュースをよく見かける。わたしが住む地方政令都市近辺も御多分に漏れずだが、あれを見て思うことは「赤字路線ではなく、むしろ黒字路線から廃止してやればいいのでは」と思うことである。
赤字路線=乗客が少ない路線をどれだけ廃止にしたところで、都心部に住む人にとっては対岸の火事である。まったく関係がない。「残念だったね」という感想を持つと思う。現に自分もそう思う節はある。だって関係ないから。
それなら、都心部をガンガンに走る路線、通勤通学で毎日使われている路線を一日1本とかにしてやればいい。
そうすれば、いやでも住民達は危機感を覚えるのではないだろうか。公共インフラだというなら、そのくらいの気概を持って社会に問題意識を投げかけてほしい。
もしクレームが入るならこう言い返せばいい。
フルリモートなので都心部から郊外に出たい→地域はどこでもいい→でもどこでもいいってわけじゃない→都心部へ電車で1時間圏内(広すぎる!)でよさげな地域を探す→家賃相場とか周辺施設とか部屋の設備とか比較検討(ここの絞り込み作業がいちばんつらかった)
候補をいくつかピックアップ→不動産屋問い合わせ→内見可能なら内見する→いちばんよかったところに申し込み→審査中(イマココ!)
部屋の各種サイズは内見時に測ったが、いままで住んでたところとは広さとかがまったく違うので家電全部買い替え予定→冷蔵庫・オーブンレンジ(スチームいる?)・レンジ載せるワゴン・洗濯機(ドラム式乾燥にする?)・掃除機・空気清浄機・あーキッチン広いし調理器具も揃えたいな・コーヒーメーカー欲しい・ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ夢が広がるが選択肢が多いということはそれだけ大変ということなのだつらい
共に40代の夫婦。額面年収が二人あわせて2000万円ちょっと。数字だけ聞くと凄そうだが、実際の生活を見ると、そこまで凄くないという事を知らせたい。
所得税 350万
住民税 150万
控除合計が800万円弱
支出はこんな感じ
水高熱 4万円
食費 8万円
その他雑費10万円
学費が高くて貯金にまわせるのが年に200万位なので、少し不安。
家賃が高いと感じるが、駐車場込みで4人家族と考えると割安なほう。
通勤で疲れたくないのと子供の送迎を考えると郊外は体力的に難しい。
裕福に見えるかもしれないし、日々の生活で金銭的に困る事は無いので、
都心部で子供連れて涼しい顔して生活している家庭は、もっと稼いでいるはず。
23区で頑張って私立通いさせている家庭はだいたいこんな感じの経済規模だと思う。
国税庁の統計をみると、日本の上位10%位の家庭だそうだが、実感としては「中の上」だ。
追記↓
食費は頑張っている。オオゼキバンザイだ。米と野菜が各々の実家や親戚から支給されるので助かっている。
Permalink |記事への反応(10) | 11:20
5年ほど、東京に住んでいたことがある。今は地方都市在住で、過去には完全な田舎で暮らしたこともある。
10年ぶりに東京へ行って、色んな人にあって話をした。人の流れをみたり、隣のビルで働く人の姿をみて、その仕事を想像したり、近くにいる人の会話に耳をそばだてたり。そして、情報量の多さに圧倒された。
そういえば、上京してすぐの時もそうだったな。慣れるまで、だいぶ時間もかかったが。
日々、いろんな匿名ダイアリーの記事をみながら、それぞれの人の境遇に思いを馳せる。
愛されたい。という言葉きこえてくるのを感じる。自分は本当に生きたいのか?すら曖昧なまま。
自分の声を耳を澄まして聞く前に、SNSから他人の声が響いてくる。
東京は常に監視された公共空間にいるんだなということを目の当たりにした。
建前の世界。みんなが利害を背負っていて、何かから身を守っているようにも感じた。
そう、あれは昔の京都。本音を喋らず、誰も傷つけないように喋る人たちの世界だ。
匿名ダイアリーの向こう側を想像するときに、発信者が東京近辺なのか、そうでないのかをすぐ考えてしまう。
都心部の公共空間には、もう人が人らしく本音を言える世界はもう残っていないのかもしれない。
もしかしたら昭和の新橋や秋葉原のガード下には残っていたのかもしれない。
世界はとても意地汚くて、でもその中で笑えています。は、ベルセルクの魔女のセリフだったか。
キレイに整頓された都会に、意地汚さが現れることはない。
実態が、個々の生きたいという思いの積み重ねだったりすると良いだろうが、
漂白化された上っ面だけの仕組みの上でできたカタチのようにも見える。都心のビルに個性がないように。
田舎が良いとは思わない。全員が本音だけで話せば良いとも思わない。
でも、人が多すぎるからこそ、一人でいると孤独を感じるのだろう。
自然の中の孤独は人ではないものとの戦いだから、人同士で連帯できるように感じてしまう。
久々の東京で、少しの居心地の悪さを感じたので、書いてみた。
東京で生き抜いている人は、本当にすごいと思うし、この中で子どもを育てるのは無理だって思う。
休まることのない公共空間で戦い続けつつ、子どもも育てるんだから。郊外なら少しはマシなんだろうね。
東京しか知らずに生きづらいなら、出ていくと良いと思うという、おっさんっぽい説教しかできない。
昔語りにはなってしまうが、自分が若者時代には、ママチャリかつ、所持金ほぼ0スタートで日本一周している人を複数人は見かけた。
旅の最中で、ウチで働くかい?と誘ってくれた人もいた。一時期は、食いっぱぐれたときの最終手段として、その人の名刺をずっと持っていた。
世界は広い。
今週交通事故を目撃した。
平日の午後、自分は近所の幹線道路を自転車で(ちょっと涼しくなってきたので)気分よく走っていた。
スーパーに買物に行こうという話でありおしゃれとかそう言うのは無縁な日常の一部としてそうしていた。この幹線道路は都心部のそれと比べれば大したことはないのだけど、北関東郊外都市の自分の地域的には、まぁ、広め。片側1.5車線で余裕がある感じ。最近自転車レーンも描いてもらったしね。
このエリアは文化的にはクルマモッテナイモノハヒトニアラズな地域なんだけど、自分は健康確保的な動機で持って片道3kmくらいの日常は自転車で移動するキャンペーン中なので上記のような状況だった。視界内には去りゆく自動車が2,3台。対向車もそれくらい。車間距離はガッツリ空いてて、まぁとにかく爽やかで穏やかな日だった。
やがて大きめの交差点(片側2車線の国道と交差する感じ)が近づいてきて、歩行者用の青信号は点滅中。まだたっぷり先(100mほど)だったので、自分は漕ぐのをやめて惰性で交差点に近づいて停止するつもりだった。別段急いでるわけじゃないし散歩気分だった。この時点で、交通事故とか全く頭になかった。国道側はそれなりに交通量あって赤信号が青になるのを待ってたけど、まあそれだって10台やそこらで渋滞ってほどでもないし、視界もいいし。
そうしたら、減速中の自分の後方から一台の自動車がそこそこの速度で追い抜いていった。電気自動車特有の加速もしてないけど減速もしてない、スムーズで滑らかで……なんというか、変な言葉だけど、すごいリラックスした速度?
だった。
その速度のまま、リラックスしたまま、なんの加減速もなく、まるでコンビニの店から午後の紅茶ミルクティーを取り出すような自然な様子で、赤信号の交差点に進行して、当たり前のように右から進んできていた国道側の車列につっこんで、けっこう間抜けな音を出しながらぐるぐると回転し、自分の目の前をブーメランのように跳ね飛ばされた。
めっちゃヒヤッとした。
なんでやねん。事故る要素ゼロやろ。平和な日常やろ。わけわからんわ。
なんだろなぁ、視界悪いとか、イライラして飛ばしてたとか、無理な運転してたとかじゃなく、ほんと。もう少し伏線とかフラグとかちゃんと作ってから事故って欲しい。
クソほど離れた地方なのにやたら東京やら横浜やらのイベントがどうのディズニーがどうの初出店がどうのばかりのクソ情報番組やめて欲しい
若者にとっちゃメディアの影響は多大で、よく見る世界に憧れるのは当たり前
でも一回一回行ってらんないから転居を選ぶ
そうして地方から金も人材も都心部が吸い上げて、金に余裕できたからと東京は水道代基本料金無償化やらするわ、人材困んないから女性は産まなくてもいいとか都会は自由に生きれていいとか言い出すわ、人口減る一方で困った地方が少子化対策したら都会の価値観持ち出して女性に産ませようとするのは悪だのぶっ叩くわ、地方衰退システム仕上がりすぎだろ
今は地方に胡座掻いて余裕こいてる奴らもいよいよ地方が本気で衰退して吸い上げられる金も人材も激減して、凡ゆるサービスが低下して物は届かない、農家がなくなって輸入だよりで物価がクソほど上昇、警察の人手が足りず治安も悪化と自分たちの影響が目に見えてきたら政府は何してたんだと国に文句言うだけなんだろ?
💩💩💩だよお前ら
差別は良くないとか言うけど、自分たちが産まない分移民に頼る腹だからヨシヨシしてる奴ばかりだろ
それ自分たちは産む気ないからと他国の女性に産ませた上に子供よこせって言ってるだけで、差別とか言うならそっちの方が酷い話だろ
自分たちで解決しようと言う気概が何一つとして見られない自己中ばっかり
💩💩💩過ぎるんだわ
誰かが気に食わなかろうが誰かに刺さるなら色んな角度からやればいいんだよ万人に刺さる政策なんてないわ
金も人材も巻き上げた都会は地方に還元しろお前ら地方の寄生虫なんだから生き延びたかったら母体を守れ
男女分断なんて人材に余裕のある都会の戯れ事は即刻止めろ
日本人として日本を守る気概がないなら国なんて即刻他国に明け渡せ、ただ、今のような一等国民の暮らしができると思うな
部落差別問題が一時期ネットで話題になってて気になっていたのだが、自分の中で消化しきれてなかったので完全に乗り遅れた。思ったことを忘れないために書き起こした。
いわく、関西以外の地域では部落問題を軽く扱いすぎているのでは、という話だ。
元のポストでは、言語差別・地域差別・職業差別が混在していたので議論がかみ合ってなかったように思う。
私はどちらかというと、うちの地域に部落差別なんてありません!と無邪気に投げつける数々のリプライにかなりギョッとさせられた。
そして体感8割くらいのリプが「部落」という単語に差別的な意識はありませんが?という的外れな内容ばかりでさらに愕然とした。
いやそうじゃねえだろ、と。
元々差別的な意味合いのない単語が差別的に使われる例なんていくらでもある。身体的特徴(つんぼ、かたわ)、地域名・国名(福島、朝鮮)、など言い始めれば枚挙にいとまがない。
構造でとらえるならば、部落差別のことの起こりは、職業で人を差別し、隔離することだ。
そうするとモヤモヤの正体が見えてきたような気がした。
歴史的経緯の話。
「穢多・非人」と呼ばれた人々は関西だけに存在したわけではなく、日本全国に見られた。江戸幕府の作り上げた身分制度から外れ差別された人々である。
関西の問題として認識されることが多いのは、その規模の問題である。近世以前、江戸より先に栄えていた関西地域は人口も多く、また文化の中心地であった。
自然と集落規模が大きくなったことで、明治以降の解放運動の中心地となっていく。
他地域においては規模が小さいゆえに「なかったこと」になった問題が、関西ではそうではなかった、というのが正しいだろう。
うちの地域にはありません、という人間は、はっきりいって不勉強もいいところである。
今回調べて初めて知ったが、特に一部地域においては、差別をなかったことにして解消しようとする動きがあるというのは90年代には指摘があるようだ。
「関西人は差別をする蛮族、自分の地域にはそんな差別ない」という趣旨の、自分で言ってておかしいと思わないのか?と思うようなリプが多く見受けられた。
どうにも関西人は殴ってもいいサンドバッグのように思っているらしい人間が少なからずいるっぽい。地域によって人をラベリングして貶めようとするのは差別以外の何物でもない。
現代の日本、とくに都心部においても、職業差別が無いなんてのも嘘だ。東京に居ればしばしば見かける、「勉強しないとあんな仕事しかできなくなるよ」と子供に声をかける母親、なんていうのはもはや典型的差別主義者だ。
私も作業服で公共の電車に乗ったとき、周りのサラリーマンたちが私を避けるように分散したのがとても印象的だった。綺麗にクリーニングされ、他の作業者に申し訳ないくらい綺麗で、そして良い匂いになってた作業でもこれだ。
普段よれよれの汗臭いスーツで電車に乗ってもこうはならない。大なり小なり他人を見下して生きているのだろう。
いけしゃあしゃあと差別なんてありませんなどよく言えたものだと思うが
かくいう私も恐らく危険を避けるという名目のもとで誰かを見た目で判断して意図的に避けたりしているのだから同じ穴の狢である。
他地域の人間が関西に行った時に、部落という言葉を使うことの是非というのも話題に出てきたが、答えとしては、気にしろという他ないだろう。
気に食わないという人は、アトランタに来てニガー!と叫んでみればいい。その代わり生きて帰れると思わないことだ。
言葉というのは生き物であり、本来の意味がどうであれ、現在の用法やその集団における意味に注意して使わなければ大きな誤解を招く。
日本はともすれば単一民族・単一言語の国家と思われがちだが、少数民族も多く、方言というにはあまりにも異なる複数の言葉が混在する、非常に複雑な社会だ。
共通語での意味がどうであれ、その地域における文脈で異なる意味を持ち、誤解を招く表現であればそれは避けるのが理性的だろう。決して、自分の所属集団では問題ないから!などと押し通すものではない。
間違えてはいけないのは、方言を禁止しようという話ではなく、自分の話す言葉の暴力性を指摘されたら次から気を付けようね、という程度の話なのだと思う。決して難しいことではない。
自分は我慢して標準語を話しているのに、あいつら関西人は自由に方言を話していて気に食わないと主張している人間もいて、さすがにもはや元ポスト関係ねえけどこれも何かの本質だろうと思った。
5匹の猿の実験でググって欲しい。いまだに方言札を首から下げて、意味も分からず方言を叩くルールに従っている人間もいるのだろう。
どれだけ書いても文章の読めない人間はいるが念のために書いておくと、関西が先進的とかいう話をしているのではない。日本全国どこでも発生している問題の一部を取り上げて、いち地域の差別性をことさらに取り上げるのは間違ってるのではないかと言いたい。
そもそも恐らく人間は本質的に差別的な生き物なのだから、そこを否定しても仕方ないと私は思っている。
私は東京周辺の関東地域にしか住んだことがないので関東の人間には申し訳ないがやり玉に挙げさせていただく。又聞きではその他地域においてもいろんな例を聞いている。これは自分自身に対する戒めでもある。
「部落差別は関西特有の問題」というのではなく、人間社会全体に根を下ろす差別意識の一形態にすぎないのだと思う。
身近な例を出すと、派遣社員を区別して休憩室を使わせないようにする正社員、というのも、差別のスタート地点だろう。
自身の差別性と嗜虐性に少し自覚的になり向き合うことで、昨日よりはマシな人間性を得られるのではないかと私は期待している。
愉快な作業ではないが、差別意識をなかったことにして綺麗に見せかける人生よりはよほど有益だろう。
歳を取るにつれ日々考えるのが億劫になる一方なのだが、隣同士ちょっと気を遣う丁寧な生き方を心掛けたいと思ってここに記す。
・・・もしかするとこれもXで見かけたポストの投稿者を見下し言葉で責めその愚かさを指摘してあざ笑いたいというサディズムの発露なのかもしれないが。
それを聞きつけたアホのハテナ民が単語にだけ反応して勝手なことを言って飽きて忘れる
この繰り返しで何の蓄積もなく話題が無限ループする「文化資本」ネタ
だがそろそろ決着をつけようじゃないか
「地方には文化資本がないから地方生まれは不利!それをはねのけた俺は神!」
「都内生まれはうらやましいねたましい俺の親は毒親だ!だから人生失敗したのは俺のせいじゃない」
「いや地方には自然も文化芸術もある!自然のない都内こそクソなんだ!だから人生(ry」
「インターネット以前の話で情報格差なんてもう無いだろ!自己責任!」
頑なに、いや地方には何もないんだ、これからも未来永劫文化資本格差が埋まらないんだ
地方に生まれたら人生終わりなんだ、イオンが全てを堕落させるんだ……
と言って「地方には何もない」連呼ループに入ってしまう方々がいらっしゃる
彼らには何の説得も通じない
過去の話なら分かる
かつてはインターネットコミュニティはなく情報アクセス自体が物理的な制約に支配されていた
地方に何か見るべきものがあってもその価値や情報が分からなかった
それ自体は仕方がない
さらに文化芸術のコミュニティもいまやクローズドなものも含め実態はSNSを中心としてネット上に移りつつあると言っても過言ではない
リアルコミュニティがよくても、SNSを媒体に集まろうと思えば地方で集まれるし実際に集まっている人々は多い
なぜ帰郷して最初に出てくるセリフが「美術の美の字もない」なのだろう
彼らはインターネットという人類の英知の恩恵を受けていない蛮人なのだろうか?
地方に確実に存在する個性豊かな文化芸術が目に入らない愚者なのだろうか?
イオンへの憎悪で脳が破壊されてしまって正確な情報を摂取できないのだろうか?
そうではない
私は気づいた
そもそも彼らは文化資本格差という単語で別のことを表していたのだ
それは
「地方は自動車を運転しないとどこにも行けないから不便である」
ただそれだけだ
それだけの話なのである
いっさい気兼ねなく、小銭さえ払えば都心の隅から隅まで自由に移動できる
これは地方で未成年期を過ごし、自由な移動という基本的人権が制限されていた人々にとっては
まさに天と地の差だ
ちなみに上京する前に自動車免許を取得した人間はこの万能感を「自動車を運転して自力でどこまでもいける」
これを上京と都心の鉄道網の恩恵を受けるという形で努力なく達成してしまうと
脳が破壊され、子供のころから努力なしに電車で色々な場所へいける都民への嫉妬と
親に車で連れていかれた地方のショッピングモールへの憎悪が焼き付いてしまうのだろう
イオンは悪くない、イオンまで乗っていく自家用車が悪かったのだ
地元に戻れば気付かされる
ここで生まれた子供は大人になるまでイオンにしか行けないという事を
「文化資本格差」という聞きかじりのフレームワークでしか捉えられないのだ
だからせっかくインターネットで無限の情報を得られても引き出せず無限ループしてしまうのだ
なんと哀れなことだろうか
「やっぱ東京はすごい」「何でもある」。そう信じて疑わなかった。世帯年収1000万円あれば、東京でそれなりに豊かな生活が送れると思っていた。だが、その幻想は具体的な数字の前に木っ端微塵に砕け散った。
これは、多くの人が囚われている「東京中心の幻想」と、その実態を暴くための記録だ。
俺は以前から、都市の価値はマクロな施設の総量ではなく、個人が日常的にアクセスできる「徒歩圏内の実効密度」で決まる、と考えてきた。
その理論に基づけば、地方中核都市の都心部こそが、人間が豊かに暮らすための「最適解」であるはずだ。
例えば、人口約80万人の高松都雇圏。その中心部、地価最高点に立つ新築マンション(70㎡で約4000万円)を基準にすると、驚くべき事実が浮かび上がる。
日常の買い物から飲食、各種サービスまで、文字通り「何でも揃う」環境がそこにはある。
では、我らが「東京(本物)」ではどうだろうか。世帯年収1000万円という、決して低くはない収入で手に入る現実は、どれほどのものなのか。
東京で世帯年収1000万円の夫婦が70㎡クラスのマンションを買おうとすると、現実的なラインは8000万円前後だろう。その一つの具体例として、江戸川区の船堀駅徒歩7.5分を想定し、その周辺の店舗数を実際に数えてみた。
その結果が、これだ。
| 徒歩4分圏内 | 徒歩9分圏内 | |
| --- | --- | --- |
| 高松(中心部) | 500店舗 | 1000店舗 |
| 東京・船堀 | 20店舗 | 150店舗 |
| 比較 | 25分の1 (4%) | 約7分の1 (15%) |
愕然とした。倍の価格を払って手に入れた東京の住まいの足元は、地方中核都市に比べて豊かさの密度が25分の1しかなかったのだ。これが、東京の現実だ。
「いや、店の数は多ければいいってものじゃない」という反論が聞こえてきそうだ。その通り。人間が享受できるモノや情報、コミュニティには限界がある。
私は、生活に必要な各種別の享受対象(スーパー、コンビニ、飲食店、クリニック、ジムなど)が一通り揃う目安を「飽和水準」と呼んでいる。
この水準を満たせば、徒歩圏内で生活が完結し、多様な選択肢の中から自分に合ったものを選べるようになる。高松中心部はこの基準を2倍以上も上回る、いわばオーバースペックな環境だ。
衝撃的なのは、9分も歩いてようやく駅前にたどり着いても、本来なら4分圏内で満たされるべき飽和水準(200店舗)の75%しか達成できないという事実だ。
つまり、8000万円という大金を投じても、生活の基礎需要すら徒歩圏内で満たせない。足りない25%の豊かさを享受するためには、電車に乗るか、さらに遠くまで歩くしかない。これはもはや「豊かさ」ではなく、日々の「消耗」だ。
高い住居費を払い、満員電車で心身をすり減らし、その結果手に入れるのが、地方都市の半額の住まいにも劣るスカスカの徒歩圏内。
東京の「豊かさ」とは、マスメディアと不動産業者が作り上げた、個人が享受できないモノや情報を在庫として抱えただけの「幻想享受圏」に過ぎない。
これは個人の価値観の問題ではない。都市が人間ではなく、企業や経済の都合で作られた「社会的在庫装置」と化しているという構造問題なのだ。我々は、その構造の不都合さから目を逸らすべきではない。